はてなキーワード: 安易とは
をやろうと思ったのですが、私の知識不足で企画倒れが決定しました。
多分、俺以外の誰かがやると思うので期待して待ってます。
直感的にそれがあることは分かっていても知識と検証能力の不足によって尻尾を掴めないのがとても歯がゆいですね。
ある種の前世症候群の如く「そうか!俺は実は発達障害だったんだ!」と「目覚めて」しまっている人達の急増はもはや社会問題と言っていいわけですからね。
この状況に対して何らかの調整弁を働かせなければ本物の発達障害の人達が「発達障害を自称するただのワガママな人」と同列に扱われて苦労するのは目に見えています。
誰かが正義の一石を投じてこのブームの暴走を食い止めて欲しい限りです。
正直、漫画ランキングに対してのツッコミなんかでそんなことをやっても仕方がないのは事実ですけどね。
本当に動き出すべきは「本物の発達障害を診ている精神科医師」達だと思います。
実際どうなんでしょうね?
偽物が次々にドアを叩いてくれるぐらいの方が自分たちの客が増えるからラッキーとか思ってたりするんですかね?
それとも、偽物であるか本物であるかを調べる機会を得るためには玉石混交の状態でいいので篩に一度かけさせて欲しいという感じなんでしょうか?
昔は学校教育の中で「コイツ脳の構造が生まれつきヤバイだろ!病院いけ!」みたいな話をオブラートに包んで親御さんに相談したり、保険医が勝手に病院に連れて行ったりも出来ましたが、今はそういうのは難しいでしょうね。
そうなると自然と発見が遅れるリスクがあるわけですから、「気になった時点で一度発達障害かどうか確かめる機会を増やしたほうがいい」という意味では、この「俺俺発達障害」のブームは結果としてプラスなんですかね?
まあ、単なるワガママによる人格破綻であっても、ある種の思考の癖によって本人や周りが生きづらくなっているなら、そこに精神医学や心理学の技術を介入させて軌道修正を行ったほうがいいわけですから、自称だろうが発達障害を理由に医学的なサポートを必要とする姿勢は正しいんですかね?
確かに、自分が発達障害である可能性を視野に入れたうえで検査を受け、そこで出てきた医者のアドバイスを素直に聞くというのは実際正しい気はしますね。
でもそこで「デパスで元気になるから」と薬に頼る道を安易に選んでしまうパターンもゼロじゃないのが恐ろしい。
マイナンバー保険証の件で再燃しましたが、世の中にはちょっと精神病っぽければいくらでも向精神薬を投げつけてしまうような医者も少なくはないと聞きますからね。
単なる「自称発達障害の普通の人」がそういった医者にひっかかって「薬物の力を借りなければ脳内物質のコントロールが出来ない体になってしまった人」になるリスクも無いとは言えません。
うーん。
私が思うに、単にこれは次なる「社会の闇に切り込み現代社会の生きづらさを描くセンシティブな漫画」の人気ジャンルとして立脚するだけなんじゃないかという懸念さえありますね。
実際、一時期の青春文学などにおいては医者から処方された薬物を濫用するという場面が現代人の闇(ニチャァ)の描写として流行ったことはありましたからねえ。
完全自殺マニュアル後の自殺コンテンツブームの如く、自称精神病薬物乱用コンテンツブームが雨後の筍の如く乱立し、それがこのマンガがすごい!として持ち上げられるという流れもあるかもですね。
まあ、それで一度キッチリ社会問題として顕在化することまで含めてのPDCAサイクルとも言えるんですかね。
スレッタ:水星での経験に基づく価値観、社会への考えを回想等で明確に。恋愛・友情・家族重視の背景を描き、行動原理に説得力を。周囲からの酷い仕打ちに耐えたり流されるだけでなく、意思を持って状況打開。母親の真意に疑問を持ち、自分で考え行動する場面を増やし、成長を描く。
ミオリネ:ベネリットグループ総裁の娘としての立場、地球との格差への問題意識を行動・葛藤を通して描写。父親への反発理由、理想の社会像を明確にし、「籠の鳥」脱却。父親の過去の罪への苦悩、答えを出す過程を描き、深みを。
シャディク:戦災孤児としての過去、スペーシアンへの複雑な感情を回想シーンで丁寧に。テロリストへの道を選んだ動機・苦悩を掘り下げ、共感・理解を得る。ミオリネへの恋愛感情以外に、掲げる理想、社会変革への想いを明確にし、「百合の当て馬」脱却。
ラウダ:愛人の子としての境遇を描き、グエルへの依存と劣等感、内面を掘り下げ、行動原理に説得力を。殺人未遂後に平然とするのではなく葛藤し周囲との関係修復することで「小物」脱却、成長を描く。
社会的弱者のステレオタイプ化を回避。個性、状況への葛藤を丁寧に。特に体制反抗キャラの内面を掘り下げ、行動に説得力、共感を得る。
グエル優遇によるアンチ増加のバランス悪い脚本脱却。各キャラに均等にスポットライトを当て、成長・葛藤を描き、バランス良い物語に。
シュバルゼッテ: 「噛ませ犬」脱却、性能を活かした活躍の場を用意。開発経緯・機体特性を説明し、メカとしての魅力を。
デミバーディング: 「輸送機」脱却、戦闘・救助等、多用途性を活かした活躍を。ニカとチュチュの関係性深堀りで、存在意義向上。
敵メカ: 個性的なデザイン、印象的な活躍で、「やられ役」脱却、魅力的に。
クワイエット・ゼロ: 目的、仕組み、影響など物語の根幹に関わる設定については明確な説明を。ノートレットの理想、デリングの思惑、プロスペラの目論見、動機・目的を明確にし、深みと説得力を。現状は無責任。
罪と罰: 罪を犯したキャラには償いの過程を。特にプロスペラやデリングやペイル社CEO等、殺人の罪を犯した大人キャラの責任を曖昧にしない。ラウダの殺人未遂も「無罪放免」でなく、成長する過程を描き、納得感を。
宇宙議会連合: 雑な悪役脱却、成り立ち、内部権力闘争、スペーシアンとアーシアンの関係性掘り下げ、深みとリアリティを。
SF設定: リプリチャイルド等、ご都合展開でなく、物語のテーマ、キャラの葛藤に深く関わる要素として丁寧に。
格差問題: 「背景設定」でなく主軸に据え、深く掘り下げ。シャディク等を通し、不条理、苦悩を描き、問題提起、共感を。現実の紛争やテロを想起させる描写は慎重に扱うべき。安易な対立は問題を矮小化、偏見助長の危険性。
倫理観: 弱者やマイノリティを「不幸」「ヘイトタンク」扱いでなく、尊厳を守り、明確な倫理観を。「信賞必罰」「勧善懲悪」等、普遍的倫理観を示し、若者に正しい価値観を。
社会問題: 多角的視点を提示、視聴者に考えるきっかけを。各キャラの問題への向き合い、答えを丁寧に描き、深みと説得力を。
関係性: 「別れ」だけでなく「共に歩む」関係性も丁寧に。特にスレミオは「結婚」を唐突に描かず、愛の育み過程を丁寧に描き、納得感を。声優への説明不足解消、制作意図を持って関係性を描き、演者にも伝える。
若者向け: 希望あるメッセージを。抑圧、不条理、差別等、困難に直面しつつ、意思で未来を切り開く若者を描き、勇気・希望を。
普遍的テーマ: 「ガンダム」として戦争の悲惨さ、平和の尊さを現代的視点で。GUND技術を「兵器」だけでなく、医療技術としての可能性、人類の未来への影響を深く掘り下げ、深みとメッセージ性を。
説明・配慮: 視聴者の考察任せでなく、必要設定・情報を明確に説明。特に物語の根幹設定、キャラの行動原理は丁寧に説明責任を。声優・視聴者に制作意図を明確に伝え、共有し、理解を深め、一体感を。
若者: リサーチで関心・価値観を反映。特に倫理観、社会問題描写は慎重検討、専門家の意見も取り入れ、細心の注意を。
「水星の魔女」は多くの可能性を秘めた作品だった。上記の改善で、完成度高く、多くの視聴者に愛される作品になったはず。「若者向け」なら、身近な問題、共感できるメッセージを丁寧に、希望を持って描くことが重要。制作側は視聴者への丁寧な説明、明確なメッセージ発信で、理解を深め、多くの共感を得られたはず。批判を真摯に受け止め、より良い作品作りに活かすことが、制作陣の責任。
まあ店長が正しいな。
世の中には様々な理由でそういうせせこましい生き方を余儀なくされた人や、それが染み付いてしまった人がいる。
でもそれが100%個人の問題と言い切れることはなくて、何らかの不幸で恵まれない境遇に晒され続けた、当人の視点からはどうにもできない道を歩んだが故だったりする。
社会だって完璧じゃないし、そういう人はいつの時代もいるもんだしな。
むしろ自分だって、今は衣食足りて礼節を知る状態にすぎず、貧すれば鈍するということでいつ同じような性質の人間になってしまうか分かったもんじゃない。
立花が言うバカとか野菜ってのは立花批判している人たちもそうだと思うんだよね
「必死に批判しているのは真実を隠しているからだ!」みたいな考えに至る人もいることは容易に想像できるのに、それでも安易に立花は嘘つきだって衝動的に書き込む人が絶えないのは、立花を利してるよね
衝動的じゃない、理性に基づき冷静に判断しているって思ってるかもしれないけど、そんなに単純ではない、少なくとも兵庫県の文章問題について外野がアウトかセーフか判断し得る状況ではないと思うんだよね
例えば、局長が3月12日に文章を送付した兵庫県警は公益通報の第3条第2号として受理していないと回答しているんだけど、たぶん知られてないよね
兵庫県警に対して公益通報だろ!みたいな批判がないことを考えると
局長は3月12日に文章を送付した後、4月4日に改めて文章を送付しているんだけど、4月4日のは公益通報ではないですよね、とは斎藤知事は言ってないんだよね
3月12日に局長から文章を送られて3月27日の定例会見までに、局長の文章は公益通報だと取り上げた人、メディアはなんとゼロ
先述したように送付先の一つ、兵庫県警は公益通報として捉えていないと答えるくらい
なので4月4日に局長は改めて実名で文章を送ることになったんじゃないの
極端な話だけど、局長が3月12日に立花にも文章を送っていたら立花は斎藤を槍玉に上げてたかもしれないと思いませんか?
実際にはオールドメディアと揶揄される方が3月12日からずっと遅れてからそれをした
文章問題はそれ以外にも既に公開されている情報だけでもかなりややこしく、十分な情報があるわけでもなく、しかも私達は弁護士資格すらない
つまり有罪か無罪か判断し得るわけもなく、立花に乗っかるのも、立花を批判するのも、判断することは不可能なはず
それなのにネガティブ・ケイパビリティ的なものが失われているのか、なぜか私達は強い言葉を使いたくなるらしい
最近、「増田で音声サークル主とバトルしてから4ヶ月が経った話」という増田を書いた。
その増田では、この人がいかに成果と発言が乖離し、発言に食いついた人に自分が作った赤字を肩代わりさせているかを書いたわけだが…今回はこの人の発言のヤバさについて紹介したい。
この人は、自分がシナリオライターとして頑張った一年を振り返って
という文章で振り返ってる。
「メスだなぁ〜」
と正直思った。
男にとっては、涙は勲章じゃない。恥ずかしいことだ。
だが、女は泣けば許されるし、自分で泣いたことを暴露すると「がんばったね」という空気になる。
いま書き込みが残っているかどうかは知らないが、サブアカウントに使っていたアカウントでは、様々なフェミ発言をしている。
私に言わせれば、「フェミニスト」を名乗る割には、女性だから許されているものの上でふんぞり返っているようにしか見えない。
男は涙を流すほど悔しいこと・努力したことがあろうとも、表で「泣くほど厳しい環境でがんばりました」なんて言わない。
泣いた時点で、負け判定されるから。
泣きたくなるような努力は私にも、他の男性たちにもあるだろうが…男はそんな事は言わない。
だから、女であることをいいことに「がんばった」などという結果以外を評価して欲しい子どもみたいな心情を、「死ぬほど泣いた」と表現したようにしか見えない。
…いや、その文章を覚えていたからこそ、その先についても語るべきか。
と本人が書くほどに頑張った割に、結果がついてきてない。
そもそもの話、「死ぬほど書いて」も、「泣かせる」ぐらいの返答になるものしか書けない時点で、その人はその仕事に向いてない。
ハラスメントを肯定したいわけじゃないが、「仕事で泣く」ほど失敗する人は、その仕事に適性がないよ…。
仕事とは、誰かができることだから職業として成立してるはず。あなたにとって泣くほど辛いことも、頼むべき人にとっては日課に過ぎない。…その適正差・実力差が問題なんじゃないの?
それを、誰が頼んだわけでもなく、自分で続けて
と努力だけを誇る独りよがりにしか見えない(少なくとも客観的な評価や結果がそのつぶやきの中に組み込まれていない)ことしか言えない時点で、ダメダメだったんじゃないですか?
男なら書くこともはばかれるほど恥ずかしいことを、女の人は書ける。
この時点で、フェミニズムなんて存在しないほど日本は女尊男卑だよ。
それをあなた自身の言動で証明しておきながら、何がフェミニストなのか…。
えこひいきという下駄を吐いて、自由・平等・博愛の精神を説かれても、そんなもの寝言だよ!
フェミニズムに謝れ!
フェミニズムはフランス革命の時に、「女性だって革命に参加したのに、選挙権が男性だけなんて平等でも博愛でもねえぇよ」と憤慨した女性たちが作った思想だよ。
日本の女尊男卑の社会の上でふんぞり返っている人が、安易に使うこと自体がフェミニズムへの侮辱だよ。断頭台に送られるべき冒涜だよ…。
大手かと言われると全くそんなことはないが、弱小と言うほどでもないレベル。
ジャンルを何度か移動しつつ書き続けているが、どのジャンルでも必ず起こることがある。
それが、小説の送り付け。
マシュマロ、XのDM、pixivのメッセージ、様々なツールから飛んでくる。
仲良くしている友人や相互フォローの相手ではなく、こちらを一方的にフォローしている人から。(マシュマロの場合は不明)
アカウントを複数運用しているが、何故かどのアカウントでも起こる。それぞれのアカウントは連携していないため、同じ相手からの嫌がらせ等ではないのは明らかだ。
送られてくるのはたいてい、お世辞にも上手いとは言えない小説。
言葉は悪いが書き始めたばかりの中学生のような文体で、たまに黒歴史が掘り起こされる表現もある。
(ニコッ)とか、(ビクッ)とか、…/////とか。
あの頃を思い出して全身が痒くなる。怖い。
流石に逆カプはないけど、このカプもどうですかという布教のようなものもある。
私がABを書いているとしたらCBとか。CB布教したいならpixivに投稿しなよ。
そこそこの年数書いているが、私の二次創作内の交友関係は狭い。ジャンル内での友人は数えられる程度。
また、カップリング解釈にこだわりがあるため、はたから見ても取っ付きやすいタイプではないはず。
何故、私に送ってくるのか。
読んでくれそうだと思われている?
それとも、該当カプの書き手全員に送っているのか。
一番分からないのが、私に何をしてほしいのかということ。
読んだと言えば満足するのか。
ありがとうと言えばいいのか。ありがとうなんて思ってないけど。
それとも感想を求めているのか。
感想を求めるならpixivに投稿するか友人にでも送ればいいのに、何故一人に送ってくるのだろう。
私はプロでもないし赤ペン先生でもないし貴方のファンでもない。
突然「書きました!」とテロのようにぶつけられるのも迷惑だが、「読んでもらってもいいですか?」と一度打診を挟まれるのも困る。
嫌です、と言ったら送ってこないのだろうが、その後どんな行動に出るか分からないから安易に断れない。
結局上手いことおだててpixivに誘導し、投稿させるというレールを敷いてやる羽目になる。
何故私が。貴方のお母さんじゃないんだけど。
私が落ち込んでいるとき、「元気になってくれればと思って送ります!」というのも意味が分からない。
何故仲良くもない貴方の小説で私が元気になると思った? 想像力も配慮も欠けすぎている。
私の小説を読んでSNSも見ているなら、私が女々しい受けが嫌いなことくらい分かるだろう。せめて解釈合致の小説を書き上げてこい。
周囲は、知らない人から小説を送り付けられた経験はないらしい。
たまたま私の周りにいないだけなのか。それとも珍しいことなのか。
何にせよ、本当に迷惑している。
強い言葉で断ってこないからと言って、相手が喜んでいると思ったら大間違いだ。
どうしても送り付けたいなら、まずある程度の仲になるまで関係性構築のほうを頑張ってくれ。
自アカウントで言えない代わりにここへ書かせてもらった。
けっこうスピリチュアル要素の強い子もいる
そういうキャラクターたちの個性をそのまま愛していけるオタクたちは偏狭な未熟男性とは対極にいる
サブカル的コンテキストによる単純接触効果のおかげともいえるが、一般にオタクの器は広い
リアルでは嫌われそうな性格(毒舌や極度のコミュ障)のキャラでも絵の力により愛していくことができる
オタクは本来あらゆる属性を受け入れ、理解を示そうとし、おもしろがっていく、多様性を尊ぶ才能を持つものなのだ
キャラ数が非常に多い作品、たとえばアイドルマスターシンデレラガールズやグランブルーファンタジーのような作品を見れば
あらゆる属性が網羅されているのではないかというほど、どのような個性も愛すべきものとして描かれている
オタクという肩書にこだわらずとも、アニメやゲームに限らずとも
普段から物語作品を消費してさまざまな人間の個性に仮想的に触れている人間ほど
そして同時に本当に避けるべき人間として劣る行動というのもわきまえていけるというものだ
大人になれない人間が多い現代、むしろ大人も物語を積極的に消費して、未知のコンテキストを持つ人間や文化への想像力を養っていくべきなのだ
創作と現実を混同するなという言葉もあるが、創作の意義は現実に起こり得る人間模様の予行演習にある
己の寛容さを拡げるような有用な側面については、絵本に学ぶ児童と同じように、いい意味で意図的に混同していくことで、現実はより思慮深い「優しい世界」に近づいていくだろう
むしろ長らく物語に親しむ習慣を失ってしまった自称現実主義、社会派の人間こそ、世界を息苦しくする
単眼的で攻撃的な正義感でもって、創作と現実を悪い意味で混同し脅威と見なしがちな節があり、主義によって派閥を作り争いを生んでいる
オタクの大部分は、いい意味で混同すべきところを混同し、二次元特有の価値観やお約束を現実の人間や社会には求めない分別を持っている
ポリコレを振りかざす正義マンは、文化に対する理解も現実の人間の賢さ柔軟さに対する洞察力も乏しいために、悪く見える部分ばかり過大に取り上げようとする
そういった言説に安易に取り込まれないようにするためにも、継続的な物語消費による、最新の大人へのアップデート作業は生きている限り随時必要となっていくのだ
その根拠を以下に挙げていく
GoogleやMetaといったビッグテック企業が巨額投資を投じてここまで本気を出している以上、生成AIは社会の深部へと浸透していく。彼らの投資規模は、もはや一般市民の反対などでは止められないレベルに達している
そして、それは単なる技術革新ではなく、社会構造の根本的な変革を示唆している。だからこそ、今は静観しておくのが生存戦略としては賢明だろう
ただし、それはあくまで戦略としての賢明さである。抵抗する道義的意義は否定しない。ただ、抵抗するにしても、まずは状況を正確に理解する必要があるだろう
そもそも機械学習は基本的に合法だ。これは法的な観点からすれば、すでに決着がついている問題である
「自分の絵が勝手に学習され、素材の一部にされている」というなんとなくの不快感。これこそが反AI活動の源泉だ。考えてみれば分かる。世界には二次創作やネットミームという名の著作権侵害が溢れているが、絵師たちはそのひとつひとつに決然とした態度でNOを突きつけていただろうか? むしろこちらの方が違法性は高いのに、なぜか社会は許容している。自ら参加している者すらたくさんいる
つまりこれは「なんとなく許容できるかどうか」の問題に帰着する
気持ちの問題を蔑ろにしているわけではない。気分を害するというのは立派なイシューで、それを「お気持ち」と揶揄するのは愚かだ。しかし絵師自身が己のお気持ちを軽視して無理筋な法的問題に持ち込み、かえって正当性を失っているように見える
著作権的にクリーンなデータだけで作ったデータセットから学習すればいいという向きもあるが、おそらくビッグテックはわざわざそんな遠回りを選ばないだろう。そもそも「クリーンさを気にする感覚」自体が、近い将来には時代遅れになるだろうと踏んでいるはずだからだ
「なんとなく許容できるかどうか」という感覚は、時代とともに確実に変化していく
AIネイティブ世代からすれば、自分の作品がビッグデータの一部として利用されることは当然の前提となる。オリジナリティとは別次元の話だと認識されていくはずだ。若い世代の間では、創作物の共有や再利用に対する抵抗感は低下している。この傾向は、AIの普及とともにさらに加速するだろう
仕事の代替への不安は、先の感情的な問題に比べれば極めて現実的な懸念だ。現状、イラスト業界は供給過多の状態にある。SNSやデジタルツールの発達により、プロ・セミプロとして活動する絵師の数は年々増加している。そのため、すでに案件の獲得競争は激化しており、AIの台頭はこの状況をさらに加速させ、複雑にするだろう。
予想されるのは、以下のような変化だ
確かに、この変化の過程で職を失う絵師も出てくるだろう。しかし、そうした変化を止める術は現実的に見て残されていないように思われる。先に述べたようにAI使用に対する感情的な抵抗感は自然に、あるいは(大企業によって)戦略的に薄められていくし、戦略的なクリエイターはむしろAIを積極的に使用して生産効率を上げると思われる。抵抗するにしても、ただ感情的に拒絶するのではなく、より戦略的なアプローチが必要になる
どうせ一億総クリエイター時代は訪れない。相変わらず、極めて高いクオリティの作品を生み出すのは一部のクリエイターだ
生成AIの台頭は倫理の崩壊ではなく、新しいモラルの構築過程であると見るべきだ。具体的には以下のような変化が予想される
AIの普及とともに結局のところ生成AIはツールに過ぎないという認識も浸透していく。これは、写真や印刷技術が登場した時と同じような変化のプロセスだ。現在のAIの悪魔化は得体の知れなさによるものも大きく、その限界が体感できるようになってからは落ち着く。あいつらAIは、人間の工夫なしにはそんなに面白いものを創れない。これまでと同じように人は工夫と執念が生み出す作品と作者を愛す
しかし、反AI運動にも、明確な意義がある。それは以下のような点で重要な役割を果たす
第1に、勝算の問題だ。すでに述べたように、巨大テック企業が本腰を入れている以上、AIの開発を止めることは極めて困難である。彼らは豊富な資金力と法務体制を持っており、個人や小規模な団体が対抗するのは容易ではない
第2に、リスクの問題がある。反対運動に参加することで、「過去の発言がネット上で拡散し、デジタルタトゥーになる」「業界内での立場が微妙になる」といったリスクが生じる
だから、得られる可能性のある成果と、背負うことになるリスクを天秤にかける必要がある
AIはこれから包括的な社会インフラとして生活に侵入してくる。そういう情勢の前に掲げる「反AI」は間抜けな印象を与えかねない。抵抗するならより現実的で具体的な落とし所を示すべきだ
反対一辺倒ではなく、適切な規制や利用ガイドラインの策定を求め、学習そのものではなく出力・発表された作品の剽窃性を問題にするのが落とし所の一例だろうか
要するに、反対運動には確かに意義がある。先人が勝ち取ってきた権利は彼らが守ったものだ。しかし、個人が参加を決める際は、その実効性とリスクを冷静に見極める必要があるだろう。そして、必ずしも声高な反対だけが、意思表示の方法ではないということも覚えておく必要がある。現実的に見て、もはやそれは追い払えるようなものではない
ここまで見てきたように、生成AIの台頭に対して、個々の絵師に推奨されるのは「静観」という選択だ
という実効性の観点がまずあるし、強硬な反対運動は様々なリスクを伴うという観点からもそう言える
結局のところ、生成AIの浸透は避けられない変化だ。今感じている「問題」も感情的な理由が大きく、情勢の変化により問題意識そのものが失われかねない。その変化に対して戦略的に対応していくことこそが、個々の絵師にとっては最も「賢明な」選択となるだろう
ただし繰り返すが、これは戦略的な提案であって、道義的な判断ではない。反対運動にも確かに意義があり、それは尊重されるべきである。ただし、それは基本的に困難であり、現実的な成果を得ようと思えば、ゼロイチ思考の全面的反対ではない落とし所を探す試みになる
そうでない全面的な反対運動が局所に成功したとしても、それは数ある表現の中から「絵」だけを理由なく聖域化し特権的に扱わせる歪みを生み出し、総体的にはマイナスであるように思われる
携帯キャリア各社が繰り返す投資失敗もそうだけれど,養分としての定期客を抱えていると,キャッシュが勝手に積み上がるから,あまり考えずに流行ものに参入して失敗するケースが多いのね….流行事業への安易な多角化は専門知識が積み上がりにくいので,戦略失敗の定番ネタでして… https://t.co/21l4Pdetgt— Yuta Kashino (@yutakashino) December 2, 2024
ケータイキャリアはビジネスというか、地主みたいな存在なのでなにも考えなくてもお金が入ってくる。
お金が余ってると外聞が悪いのでなにかに投資をしようとするが、地主のボンボンがリクルートのイケイケ兄ちゃんとうまくいくはずもないのと一緒でかならず失敗する。「ドコモとか au って何兆円もの利益が毎年でるけど、あれってどうなってるんだろう」と不思議だが、実際は周りに迷惑をかけながら失敗して消えているだけだ。地主のボンボンなので工夫したり努力したりはできない(見たこともやったこともない)ので、帰結としてはそうなる。
「自分のお金で損してるんだからいいじゃないか」というかもしれない。たしかにムダ遣いされてるのはお金なんだけどそれはつまり労働資本だ。労働はたとえば「父親が家族と過ごす時間」などを削って発生している。労働のムダ遣いは「無為に自由や時間を奪う」という観点で殺人に等しいくらい悪いことだ。ムダだとわかってる労働資本の投下は社会悪であり許される道理はない。
もちろん「成功することだけやれ」というのは現実的ではないのだが、いっぽうでは「かならず失敗することを何回も繰り返す」というのも現実感が薄いというか浮世離れした話なのでできない方がよいと思う。
そんなルールなんてつくれないだろうけど、せめて、「地主のボンボン周りに迷惑をかけながら同じ失敗をする様子」に名前がついて欲しい。「ブラック企業」や「マタハラ」みたいに、社会悪は名前がつくと逃げられなくなる。キャッチーなよい名前を考えてください。
「マジでAI機能やめないと取り返しがつかなくなるぞ」Google検索、関連ワードを変に取り込んだことで意味不明なAI要約結果を出すようになっている - Togetter [トゥギャッター]
今ネットのいろんな所で「AIに聞いたらこう言ってた」と安易にコピペする人がいるけどどうかしてると思う。
AIは全知全能でも正解でもなくまったく信頼できない。
私の場合は先日、ゴッホの「星月夜」の読みは「せいげつや」か「ほしづきよ」かとChatGPTに聞いたら「ゴッホの作品はせいげつやと読みます。ほしづきよは詩的な表現ですね」みたいなことをもっともらしく言われた。
ところが念のためWikipediaを見たら「ほしづきよ」だった。
もちろんWikipediaもソースとして怪しいのでYouTubeで探したらやっぱり「ほしづきよ」だった。
素人美術ユーチューバーじゃなく美術の先生やテレビに出る美術解説者が話してるのを確認したのでさすがに間違いないはず。
その上、さっきもう一度「ゴッホの「星月夜」の読みは?」と聞いたら「ほしづきよです」。
リセットして「ゴッホの星月夜の読みは?」と鉤括弧なしで聞いたら「ほしづきよるです」と回答がコロコロ変わる。
こんなのまったく信用していいものじゃないよ。
皆がAIに嘘つかれた例も教えてほしい。
今回の斎藤知事の問題で何が問題かって、違法がどうのこうのというところではない。企業のマーケティングでネットが動いて現実に影響を及ぼしたところ。違法は二の次。まあ正しく処罰されてほしい。
それよりも、たかが70万円ごときで動く世論。安っぽい。雰囲気で決めているわけだ。
安易に釣られたネット民は「そんな餌で俺様が釣られクマー」という状況になっていることを笑い飛ばすべきだ。
選挙にもコンサルやブランディングがあって、1人の政治家が勝つためにはブランディング戦略が重要なわけだ。
でもお前ら気にせずガンガン産んでるじゃん
この母親だって子供を産む前にこういう事件の報道は山ほど見ていただろうに、それでも安易に産んでいる。
報道も世論も母親擁護一色なのにどうしてそう被害者面できるんだ?
こっちから見たら被害者である娘はそっちのけで加害者である母親に同情する人達にこそ、人の心とかあるんか?と言いたいが。
@GAlbateen
逃げた方のことは透明化
報道関係者の皆さん
君ら心はあるんか?
「お!岡田以蔵じゃん」
ただ龍馬伝の一オタクの好奇心から安易に手を出した事が私の生涯に於いての大きな過ちとなったのだ
人斬り以蔵と言えば世間一般のパブリックイメージとしては残虐非道にして悪逆な幕末の人斬り、シリアルキラーじみたものである。
見た目も粗野でニコリともせず瞳の濁ったアウトローといったところだろう。
私自身、龍馬伝の佐藤健演じる彼は彼として岡田以蔵の印象としてはそれに近いものがあり、その粗野さや狂気の中に時代の荒波に揉まれた英雄になれぬ1人の人間の悲哀を見出していたのだ。
それがどうだろう、パブリックイメージに近い陰鬱な空気感や粗野な印象を得た中に丸く大きな瞳、片目を隠した癖の強くコシのある太い髪には武市半平太の犬と称される程の幼さを称えた男がいたのだ。
その様を見た時の私は臓腑を撃ち抜かれたかのような衝撃を受けた。
幼い顔に剣を振るい極めた男の太い下腕が覗く一見アンバランスかつ、イメージ通りのようなイメージとは違うような姿。
今までのメディアに出演してきた岡田以蔵像とは一線を劃すその様に震えたのだ。
しかし臓腑を撃ち抜かれたとて命があるだけ暁光とばかりに私は片足を引きずりながら彼の人となりを知らなくてはお話にならぬとえいやと帝都に降り立つと「坂本龍馬」を自称する彼が待ち構えていた。
逆立ちしたとて坂本龍馬ではないというのに、彼は示現流を扱わぬと言うのに、土佐弁で名乗りをあげてしまうその武士の精神と想像通りの幼さに脳が揺れる感覚を覚えながらも進めていく。
やはり人斬り以蔵としての残忍さよりは幼さ、幼さと言うには刺々しく荒いそれは言葉を上手く紡げず噛みつくことしか出来ぬ手負の獣のような印象を受けたのだ。
恐らく彼は多くの誤解を受け、理解されずに来たのだろう。
だがマイルームボイスに随所に現れる彼の不器用さ、言葉の稚拙さを自覚した上でどうすれば良いのか分からぬ歯痒さを痛いほど感じてしまい、ただ一言「放って置けない」と思ってしまったのが、ここに来るまで気がつけなかったこの愚鈍な女の運の尽きであった。
静かに傷を負った私はそれは韋駄天の如し速さで龍馬伝を見返した。
幼馴染とした過ごした日々、どこからか食い違う歯車、皆から仲間外れにされても役に立ちたいと人斬り風情に身を落とし、友1人も切り捨てられず中途半端に罪人として後世に名を残した反英雄。
FGOにおいての岡田以蔵とは違うがどちらも「置いて行かれた」という意識、言葉がうまく紡げなかった事による下がり切った自己肯定感、今私が彼を切り捨てたのならばもう2度と彼は誰も愛せぬようになるのではと、それがどうにも悲しく思えて私は彼に誠意を尽くすべくありとあらゆる術を使った
近づけば近づくほど気安く、そして自信無さげにする彼がどうしてこうも愛らしく感じられるのか、いやどうして愛さずいられようか。
そして来るバレンタイン。
まだまだ春には遠く底冷えのする季節に生まれ、蒸し暑い梅雨の晴れ間に散った彼の生まれた日となればお祝いも込めてこれは感謝を伝えねばならないとそこ退けそこ退けとエネミーを掻い潜り彼にロックオンチョコレート、私の心臓を模った生前馴染みのないであろう西洋の菓子を手渡した。
おお、神よ
普段仏を拝む私が言うのはおかしな話ではあるが、こればかりは感謝をせねばならない
そして神に感謝し、擦れた彼らしく尊大な態度に微笑んでいたのも束の間最初の感想と言えば「最悪」の一言に尽きる
曲がりなりにも未成年の子供の部屋に行き、酒を浴びるほど飲み絡み酒、しまいには泣いて嘔吐すると言う最悪の男といえばこうという全てを済ませてしまうと言う暴挙に出たのだ
ここまでダメな男というのもめずらしく痛快さすら憶えたが、流石の私も辟易とし、こればかりは許せぬと憤慨した。
絶対に許さぬ、怒るところは怒らねばフェアではないと心に決めた矢先泣きながら他の男を呼ぶのだ
あぁ、もう私の心は粉々である
こんなにもダメな男であるのにも関わらずそんなに置いて行かれた迷子の子供のように泣き言を言われ、弱々しく謝られて仕舞えばこれは一種の彼の自傷行為に付き合ってしまったような遣る瀬無い気持ちに支配される。
そして肝心のお返し、それはそれとして怒らせていただきたい、このような自傷行為はやめなさい、他者も己も大事にしなさいと伝えねばと強い意志を持ち読み進めると態となのかと叫びたくなるほどにおいたがバレた子犬のようにバツが悪い顔で謝ってくるではないか
そして渡されたものは「木綿の襟巻き」
木綿はあまり防寒性はないが使いやすく、普段使いができるものだ
そして寒い日々が続く中使える襟巻きを渡してくるのはなかなかどうして素朴で暖かいお返しである
そしてなにより、当時の土佐の下士は木綿以外の衣服を身につける事が許されなかったのだ
その生前の負犬根性ともいえる卑屈な精神を引きずったどこまでも人間臭い彼が精一杯の誠意として用意したものがこの一つの襟巻きに集約されている
私はこの時骨の髄まで彼を生涯嫌う事も無関心になることも出来ぬ
彼が己を愛せるようになり、噛み付く以外の甘えを覚えるようになるその日がたとえ来なくとも私は根気強く愛そう
そう心に決めたのだ
追加
サイタマの彼に触れて
以前のバレンタインの岡田以蔵に引き続き、折に触れてサイタマでの彼について、そして2024年11月現在における彼への印象を書き記そうと思う。
まず前提としてのスーツの霊衣。
生前は袖を通すことの無かった洋装、しかもフルオーダーメイドの上等な衣服に身を包んだ彼はかつて京の都を恐怖に陥れた「人斬り以蔵」ではなく1人の人間としての生の謳歌を私の目に焼き付けてくれた。
己を着飾るには一定の自尊心、自己愛が必要であると言うのが私の持論ではあるが、既に2着も木綿の粗末な物とは違う絹の上等な衣服を得た彼は順当に自己肯定感を得たそれは生前の蟠りとの決別のように見えて酷く眩しく見える。
さて、霊衣についてはここまでとして「ぐだぐだ龍馬危機一髪 消えたノッブヘッドの謎」での彼の立ち回りについての思いの丈ではあるが、まず冒頭の護衛を任された際の笑顔。
今までの笑顔は絵がと及ぶにはあまりに下卑ており「ニヤケ顔」と呼ぶ方が相応しいようなどこか卑屈さの透けて見える、決して見ていて心から喜ぶことのできぬものであった。
心からの笑顔を見るだけでこの先どのような理不尽も耐え得る自信があるほどに愛している。
それが今回見ることが出来たのだ。
普段は凛々しく上がった眉とどこか睨みつけるような大きな目を下げ、自信たっぷりに「任せちょけ」とマスターへ迷い無く言ってのけるその様は正に“愛”
これほどに嬉しいことがあろうか。
私はこれがずっと見たかったのだと、一つの愛の答えを得たのだった。
きっと長く伸ばされた前髪に隠れた右目も同じく下がり破顔しているのだ。
それを見る事は私には余り有る贅の極みである。秘匿されているものこそ輝くが、彼はそのままでもすでに美しい。
この原石を数年かけ磨き上げた答えをお出しされたのだ。
愛を伝え続け、それに応えてくれるとは余りにも素直で愛らしい男ではないか。
そして降り立つサイタマ、生前の恩師であり確執ある武市瑞山の登場によりカルデアでの姿が嘘かのように、月が雲に隠されてしまったのだ。
何せ以蔵の自白により最初に犠牲となったのは武市の親族である。武市の方も思うところある事は間違いないのだ。
その相手を相手に喜び再会を喜べる程岡田以蔵と言う男は恥知らずでも無ければ頭の回らぬ男ではない。
私はこの時既に胃の腑を握り潰されんばかりの心地となっていた。
やり方の問題もあった事は明白ではある。武力を用いた時点で武力により制裁を食らうことは必定なのだ。
そこに善悪は介入してはならない。
同じ敗者である彼らが気持ちの良くない関係性であると眼前に見せられる事は感情の行き場を無くしてしまう為、愚かにも感情移入が過ぎる私にはとても苦しいものがあった。
その時に癒してくれるもの、それは田中新兵衛の鍛え抜かれた豊満な肉体、赤く細くもコシの強そうな前髪で隠された片目、武市へ犬のような忠義を尽くす健気でありながらも1人の武人として気骨溢れるその様のみである。
話は以蔵へ戻し、私の悪い予想はいつも当たるもので直前に見せられた愛は濁り、彼に出会った頃以上の卑屈さや引っ込み思案な姿を見せた。
重なるように坂本龍馬を騙る何か、あの柔和な笑みはどこへやら邪悪な笑みで我々を翻弄するため私は田中新兵衛の胸筋と前髪にしか意識を向けることが出来ずにいた。
しかし良い事は長く続かないが悪い事も長続きはしないものである。
生前は武市に言われるがまま、それが良い事か悪い事か、したい事かしたくない事かを考える事をせずさながら「人斬り人形」として生きて来た男である。
これは私個人の意見ではあるが、彼はあの坂本龍馬を騙る何かを周りが違うと言う中「龍馬だ」と言ってのけ、どう見ても人型であるBBを人型判定しないなどありふれた表現をするならば「第六感」が発達しているのだ。
常人離れした観察眼を持ちながらもそれを他者へ共有する術を持たない彼は孤独であっただろうと夢想する。
人と違うものが見える人間は他者との共感を得られず、人一倍違和感や変化、情報が溢れる中で理解されないと孤独から塞ぎ込むか思考放棄をした方が楽であり傷付かずに済むのだ。
怠惰な天才はおそらくその傷付かないための術として武市は全ての思考を預ける事で心を守った事は私の想像するところである。
そんな彼はカルデアにて古今東西の英霊と出会い、思考を覚え、他者への共有を覚えた。
そんな彼であるから今回の件も龍馬へ「お前は龍馬か」と問い、武市の命に背いて「自身の意思」で行動出来たのであろう事、思考が回り自己完結をする幼馴染達へ言語化を促す事が出来たのだ。
それは彼が“変わった”のではなく子供まま目の前に映るものをそのまま見つめる姿勢を変えずに意識を変えることが出来たが故である。
1つ誤解ないように付け足したいが、私は彼を「善い人」とは思っていない。
しかし人間誰しも善悪併せ持つものであり、悪い面を隠す事を覚える大人にならず、剥き出し等身大の「人間」を体現して限りなく自然体に振る舞う男であると認識している。
そんな彼の存在は、誤魔化し波風立たせずのらりくらりと無味無臭を良しとする私含む大人には酷く眩しく見え、危なっかしく、そして羨ましく映るのだ。
彼は1人では何も成し遂げられはせず、輝く事はせず、常に誰かの力で立つものの強烈に惹きつけられ、人間臭く致命的に人とは違うさながら月のような男である。
無味無臭の現代を生きる私たち常人には決して辿り着けぬ圧倒的才能を持つ彼は、しかして常に剥き出しの人間臭さを忘れず突き放さず夜闇に上を見つめると静かに確かにそこにあり続ける月なのだ。
私はそのような月がこの先たとえ見えない日かあろうとも、そこに煌々と静かに輝く事を知っている。