はてなキーワード: 学業とは
前提がばらばらとかはどうでもいいので私立の入学費、授業料が妥当かどうかだけで議論すればいい
高校レベルなんて中身を見て選ぶ奴なんてごく一部であって、それここ進学校や専門校、部活強豪校に限られるんだよ
大人の大多数はお金と偏差値ぐらいしかみてない。あとは子供の意見を聞く。
子供は、最低限の偏差値とか秩序が保たれているか、試験が簡単か、通いに不便はないか、友達と一緒か、制服がおしゃれか、辺りが大きい
そんな奴らに高校の学業がどうこうとか無償化を出汁にして言う話じゃない
じゃあなんで私立に集まるのかって?そりゃあどんな教育になるか詳細は知らないけど、20万が無料になるところと40万が無料になるところなら40万選ぶよねってなるのが
ワイ的には、せっかく親が連れて行ってくれるのにその態度…と思わなくもないが、小学校高学年ともなれば、学校の人間関係とか、学業とか、将来(中学校とか多少なりとも環境が変わるイベントが近づいている)とか、いろいろ気掛かりもあるのだろう。そういう自分に余裕がない時に、何度も同じことを聞かれるのは結構ストレスなのだと思う。
ワイは旅行計画大好きなのであまり気持ちがわからないが、世の中には「旅行自体は嫌いじゃないけど計画を立てるのが苦手」という人も少なくないと聞く。増田のお子様が、計画が苦手なタイプであれば、結構心理的に重い負担なのかもしれない。
あと個人的に心当たりがあるのは「行きたいところはあるけど、親の予算がわからないので言えない」とかだろうか。小学校高学年ともなれば、無邪気なばかりではない。自分が言った場所が親にとって負担が大きかったらどうしようとかいう心配りもあるのかもしれない。
であれば策は2つある。
まずは、増田がいくつか候補地を用意し、それを提示する。候補から選ぶだけなら随分悩み事も減るだろう。
筆者は男女論的な考え方を拗らせ、自身を弱者男性と捉えてTwitterで毎日童貞芸に勤しんでいた。中高男子校で大学も女性比率が20-30%程度の医学部に進んでしまい、リアルで関わる人間も男ばかり、彼女がほしいと思っても戦場ヶ原ひたぎや川嶋亜美、涼宮ハルヒや雪ノ下雪乃のようなヒロインが声をかけてくることも、空から降ってくることもなかった。
低学年の頃にベンチャーで研究インターンを始めたらそこがブラックすぎて毎日疲弊していた。簡単に説明するとシングルセル解析のコーディングを書いて解析結果を納入したり、会社のリアルラボで生物実験を行ったりするのだが、学業をやりながらこれらの実務に明け暮れていたらいつの間にか部屋は荒廃していた。婚活のためにはスペックが重要だと聞いていて、実際いくつかの論文を出すこともできたし、米国の医師国家試験(step2 ckというやつで260overという中々の好成績を収めた)も途中までpassした。それでもなぜか彼女は現れなかった。
Twitterで毎日愚痴って、暇さえあれば男女論界隈の論客を引用していた。白饅頭もわかり手も好きだった。かたくなに"一"を"1"と書く某論客が普通に童貞卒業したときは悲しかった。すもものデータを自分なりに読み直して解釈の誤りを思いついて小さなアカウントで綴ったりしていた。女性慣れするためにソープに行って、早々と射精を済ませて残り時間で雑談の練習をした。また、雑談のデッキを増やすためにwikipediaで芸能人をリストアップし、生い立ちや出演番組を暗記した。ファッション系のアカウントをフォローしたり、ブライダル系の雑誌を購入して諸々の手続きやハイブランドにも精通した。自分の服についても、服飾に詳しい友人と一緒に実店舗に行って見繕ってもらった。しかし彼女はできなかった。
ずっとTwitterで愚痴りつつ学科の勉強をこなしていたところ、ある日高校時代からの女性フォロワーからDMが来た。エンカしてみたら滅茶苦茶可愛かったのを覚えている。ドキドキしすぎてまともに会話もできず、何度もシミュレートしたはずのエスコートもぎこちなく、某ホテルでのアフヌンを終えて失意を抱えて帰ろうとしたら「気張らなくていいからカラオケ行こうよw」と言われ、新宿の歌広場で好きなアニソンやボカロを一緒に歌って、初めて論文が通ったときや、研究で賞をもらったときよりも遥かに嬉しいと感じてしまった自分がいた。カラオケを後にするとき、「色々考えてくれたのは伝わったけど、本当はこういうことがしたかったから、素が見れて嬉しかった」と言われ、どうしようもなく好きになってしまったのを覚えている。別れた後にLINEで「さっきは恥ずかしくて言えなかったけど好きです。他の女に取られる前に奪いたい」と告白され、付き合うことになった。
付き合いだしてから世界の見え方が変わったような気がした。これは主観的錯覚に過ぎず、俺にヒロインが現れたからといって世界は客観的には何の変哲もなく回っている。それでも世界は明るくなったんだ。
その人とは最終的に別れ、また別の人とエンカして告白され、というのを数回経て、現在付き合っている女性ともうすぐ入籍する予定である(あやねると水瀬いのりを足して2で割ったような容姿、声は沢城みゆきっぽい)。孤独に耐えつつワンルームの荒れに荒れた部屋で、死んだ目をしながらコードを書き、定期的に出社して徹夜で細胞やマウスの実験を行い、そのまま始発の地下鉄に乗って試験を受け、大学1年のクリスマスはウィスキーを一気飲みして路上で寝転がってこのまま死ねないかなと願って眠りについたのをいまだに覚えているが、最終的にヒロインが自分を救ってくれた。彼女らのおかげで今まで無事に研修医を続けることができた。
プロポーズをどこでやろうかなと思って候補に挙がったホテルが、前述のように初めての彼女と付き合う前行ったアフヌンと同じところだったので、懐かしくなってつい書いてしまった。
男女論は俺にとって麻疹のようなもので、彼女ができて免疫がついてもたまにぶり返してしまう(さながら修飾麻疹のように)。それでも救いに来てくれるヒロインはいたし、いると信じることが大事なのかもしれない。スペックがすべてだと思っていたが、スペックどうこうではなく人間として愛してくれる人は普通に存在していて、男女論とか婚活論に毒されていた自分はその点において間違っていたのだろう。
結局のところ、女性は稼ぎがあり容姿がそれなりに整った同年代の男性と結婚するか、
無価値な男性や精子の質の劣化した高齢男性の遺伝子を残したところで国の発展には寄与しませんし。
以下、私の失敗談を聞いていただけると嬉しいです。
私は20代ですがガンダムや装甲騎兵ボトムズや銀英伝などやや古めの作品が好きなオタクです。
クラウド・オンプレ両対応かつ、ステークホルダーとの調整能力を評価してもらって主に要件定義に携わっているシステムエンジニアで、それなりに稼ぎもあります。
基本的に生身の人間には興味がないため現実の男性の容姿にはあまり頓着しません。
そして私にはオタクであること以外のアイデンティティがほぼなく、休日の大半はアニメや漫画や小説、あるいは考察のための資料探しや感想サイト巡りなどに費やし、給料の相当な額をプレミア価格の付いた古いグッズの収集や銀英伝ロンドというソシャゲにつぎ込んでいます。
そうした理由から、私は男性のスペックや見た目や年齢はあまり重視せず、話が合うか(=趣味が合うか)という一点に絞って婚活しました。
アプリや街コンや相席屋などを利用して、メッセージのやり取りも含めれば1000人ほどの男性と関わりました。
その結果、本当に散々な目に遭いました。
はっきりと言います。男性は人間性や知性の平均値が低い。底辺の数も多く、その底辺さのレベルも底無し沼です。
そのため男性を選ぶ際はスペックや外見や年齢である程度足切りしないと様々な怪異と遭遇することになります。
まず、自分より若い女性を恋愛対象にする男性は自分を客観視できていません。
無根拠な自信に満ちているため、無遠慮で、反省や遠慮という概念がなく、年齢や地位の差が相手を萎縮させる可能性を全く考えていません。
知識マウントや初手タメ口はデフォルトでした。態度はとにかく尊大で強引ですし、人が傷付くような発言やセクハラめいた発言、無遠慮なスキンシップを躊躇いなく行うため、接していて不快な気持ちになります。
マナーが悪く不潔な行動も多いですし、本人はそれを普通だと思っています。自分が若い頃の社会はそうだったから、と。
中高年男性による数々の不快な言動の具体例は羅列しきれませんが、個人的に一番不快だと感じたのは知識マウントでした。
私は銀英伝のオーベルシュタインというキャラが最推しなのですが、銀英伝好きの中高年男性にそれを伝えるとほぼ確実と言って良いほど不快な思いをしました。
オーベルシュタインの所属する陣営である銀河帝国や、その銀河帝国の皇帝であるラインハルト、皇妃のヒルダをボロクソに罵られる、オーベルシュタインの作中の所業(ヴェスターラントの虐殺や草刈りなど)を人格否定レベルで批判される、ヤンウェンリーというキャラの魅力や民主主義の尊さを力説する演説や長文メッセージを長々と聞かされる、政治や思想に関する書籍や論文を送り付けられる、ヤンウェンリーと自由惑星同盟が勝利する二次創作を送り付けられる、議論を吹っ掛けられ論破するまで話を終えようとしない。
ヤンウェンリーを好きという男性を見かけたら全力で逃げてください)
男性は性別を理由に意欲を削がれるようなことを言われたり不当な評価を下されたり進学を制限されたりすることはありません。
セクハラや性犯罪などで学業や雇用を妨げられることもありません。
仮にやむを得ない理由があってドロップアウトしたとしても高賃金の肉体労働という選択肢があります。
そのような状況下で女性である私より低賃金になるような男性は、やはり怠惰であったり発達障害や精神障害を抱えていたり、対人能力や人格や能力が著しく劣っていたり、家庭環境に問題を抱えていたりと何かしらの困難な点がありました。
男性と実際に会って食事する際、相手が「どうしても」と強く押し切らない限りはこちらから割り勘を申し出ていたのですが、奢ろうとしてくれる男性はまだ辛うじて話が通じる傾向がありました。
前述した通り、私は男性の外見を重視していないため、別にイケメンである必要は全くありません。
それどころか「TPOを考えた服装をしろ」「流行やファッションに関する最低限の興味を持て」という底辺レベルの要求すら私は望んでいませんでした。
風呂に入る際は臭いの溜まりやすい脇や股間をよく洗い、歯磨き粉で歯を磨き、毎朝顔を洗い、寝癖を整え、服を床に放置せず、洗濯し、生乾きの服を着ず、泥が付いたままの作業着で出歩かず、布製の靴や鞄の臭いには気を付け、尿を漏らさない。
少なくとも私が求めていたのはそれだけです。
衝撃的な話ですが、男性はそれさえ出来ない人間がそれなりにいます。
彼らは周囲の不快感を顧みれない身勝手な人間か、あるいは極端に拘りが強い発達障害か、セルフネグレクトに陥っているか、母親に甘やかされたテイカーか、極端に常識のない人間です。恋愛の対象には到底なり得ません。
これらの経験を重ねた結果
「共に生活を営む人間を趣味を軸に選ぶという発想がそもそも間違っていたのでは?」
という結論にようやく至り
紆余曲折を経て、今は二つ歳下の同業者で、私より多少稼ぎは低いものの温厚かつ家庭的で、ジャンプアニメを嗜む程度のライトオタクの男性と交際しています。
どうか他の女性は男性に対して変な寛容さを示してしまった私のように無駄な時間の浪費と精神の消耗をしないでください。
年齢や年収や容姿による足切りは身と心を守るための立派な自衛です。
男性に対して理解や寛容さを示したところで、得られるものは無意味な不快さや恐怖だけです。
長々と失礼しました。
長男が『他人に興味がない』みたいなトラックバックやブックマークコメントがたくさんあるけど、興味の質が違うってだけで、ないわけじゃないんです。
なんていうか、イーロンマスクがアスペルガーと読んだことがありますが、すごく似てます。
気分がいいと幼児みたいなキラキラした目ではしゃぎ、集中すると冷たい目でゾーンに入り、エキサイトすると一歩も引かなかったり。
カッコいいという理由でTwitterをXに改称するとか、大統領就任式で奇行に走ったりするとか、長男がやりそうな行動そのものです。
例えば、長男は、好きな曲が流れると歌いだし、踊りだし、たまたま近くにいた初対面の人の頬にキスしたりします。
テレビゲームは攻略できても、ジャンケンのルールを理解しません。
長男の行動は、
定型発達なら踏むはずの
動機の発生→(周囲の目の観察)→行動の決定→(周囲の目の観察)→目的の達成
元記事で書いたとおり、長男が悟りに近いとは思っているのですが、世界中の人が長男みたいな思考回路になったら、苦しみからは解放されても、とっくに人類は滅んでると思いますよ。
世界人口60億人がみんなイーロンマスクだったらと考えてください。
ノリで核のボタン押してるだろうし、国家予算を火星につぎ込んでると思います。
99%の定型発達が、苦しみの中で忙しく右往左往しているから、世の中平和に回ってると思うんです。
タワマンの高層階に住みたいとか、中学受験でいい中高一貫に入りたいとか、上の人間に嫉妬したり、下の人間に優越感に浸ったりして、それを原動力に労働や学業に勤しんでくれるから、世の中は回ってると思うのです。
音楽大学に進学しても良いと言ってくれた両親のことを、当時高校生だった私は信用できませんでした。アップライトピアノも買えない(買ってくれない)んだから音大の学費を出してもらうのは無理だろうと思ったし、両親は私に家計の話を詳細にはしてくれなかった。
私は音大に進学しても自分がお金に困ることになるだろうと予想し、受験することを諦めました。そして地元の一般大学に入りました。
妹の大学入学後、両親は、「見てわかる」作品を持って帰ってくる妹のことばかりを誉めるようになりました。私はそれが嫌でした。特に、父親。
私は文学部に入ったから課題ではレポートを書くことくらいしかやらなかったけど、そこそこ良い成績を取り続けた4(5)年間だったし、課外活動もそれなりに頑張りました。でも私は「見てわかる」成果をもっていなかったし、両親は私よりも妹に興味があるようでした。
当の妹は、家の外でのコミュニケーションはそつなくやるくせに、家族とのコミュニケーションを疎かにします。家事も全くしないし、食器洗いを私にやらせるし。近頃は明け透けに私を軽蔑した態度をとります。
両親は生活や学業にかかるお金を全て負担してくれたし、成人した子どもたち3人に対するケア労働を不足なくこなしました。こんなにも恵まれた家庭に育ったくせに甘えたこと言ってんじゃねえよ、と自分でも思います。でも私は実家のことが嫌いだった。私は実家に閉じ込められていました。
俺の知る驚愕する努力の人の例では、地方田舎の貧乏漁師に生まれたヤツが家業を手伝いながら学業と運動部活に励み、高校進学時に「俺が求める高校が地元に無い」と言って地元から鉄道で6時間掛かるところの国立高校へ進学し、バイトで学費を支払いながら一人暮らしで生計を立て、長期連休は当たり前のように実家の家業を手伝い、バイト続けながら大学も国立へ進んで奨学金で卒業
何ならその後、結婚を両親に反対され半ば駆け落ち同然で結婚をして、そんなことが起きていたことを知った同級生たちがその人が学生時代にイジメから救っていたりなど多く人が恩を感じており、その人の同級生たちが実家へ突撃し両親を説得して和解させたというエピソードすらある(両親は挙式に出られなかったが後から新郎新婦と並んで記念撮影はした)
というか実は地元を出る高校進学自体が両親に反対され、その中で父親と殴り合いの喧嘩をして「出ていけ」と言われた結果にほとんどの生活費や学費を自分で稼ぐ状況になったらしいのだ
そんな真の善人にして努力の天才なその人は今、日本で一番大きな自動車企業に勤めており生家のある寒村の誇るべき出世頭になっている
増田利用者の女性です。ちょっと話したいことがある。家族3人。夫と娘がいる。
一昨日の夜、趣味である稽古事のイベントの帰りに、友人と一緒に飲食店に行った。洋風の居酒屋レストランだった。
お祝いも兼ねていて、友人と一緒に酒席を楽しんでいたら、とある店員さんが気になった。
その店員さんは、高校生だった。女の子。明るくて利発な雰囲気だった。注文を取るのも早いし、気が利く子だと思われる。背は小さくて、若人らしい清潔感。
その子は、カウンター席でお客さんと楽しくお喋りしていた。高校生なのは、会話で年齢を聞かれていてわかった。
お客さんはタバコを吸ってて横柄な感じだったけど、その子は構わずにトークを返していた。全社会人が見習うような接客レベル。
その時に、嫌な感情が湧いた。嫉妬ではないけど近い感情だった。
うちには娘がいる。あの子と同じ高校3年生で、進学先はすでに決まっている。
お陰様で、成績はいい。アルバイトすることが選択肢にすらない高校に通っている。昨年は、学校推薦で都内の一流私大に合格した。はてなでは評判があまりよくない大学。早稲田やICUじゃないよ。
子どもびいきだけど、うちの子はどんなことにも一生懸命で、学業成績もよくて、いい子に育ってくれた。
ただ、のんびり・おっとりしているところがある。あの子のように、キビキビ動くのが求められる居酒屋従業員としては通用しない。
話は戻るけど、あの利発そうな高校生の子を見た時に、自分の中の嫌な感情に気が付いた。
言葉で表現するのは難しいけど、家柄であるとか、通っている高校であるとか、将来の職業のことであるとか、そういう「差」を感じていた。同じ高校生同士なのに。そんな自分が嫌だった。
私が働いているのは、斗比主閲子さんには及ばないけど、いわゆる大手企業だ。
あの子が高校を出てすぐに入社したとしても、是非一緒に働きたいと思える。それくらい清潔感があって、ハキハキとした接客だった。
それなのに、うす暗い感情を抱いてしまった自分がつくづく嫌になる。こんな自分が嫌だ。情けなくなる。
心を変えるには、どうすればいいの?すぐには変えられそうにない。でも変えたい。
本稿は、13歳になった君にこれからの人生を生きる上での考え方の土台や心の支えとなる思考的枠組みを網羅的に記したものである。
観念的でメタな内容が多く具体的なことについてはあまり書いていないが、それは君の人生の選択肢を狭めないためである。
具体的なことについてはその時々に応じて人に教わったり、自分で文献に当たったりしながら方策を模索して欲しい。
もちろんお父さんも協力は惜しまない。
人生を過ごすとは「何か」を成し遂げることである。まずは「目標」を持つこと。目標があれば「何をすべきか」=「手段や道筋」は自然と定まる。
歴史上、偉人と呼ばれる人々は皆、高い理想と大きな目標を抱き、それを目指して全力で努力をした。目標は、その時点で可能な限り高く大きく設定すること。最初は、例えば「貧困をなくす」「世界平和を実現する」「地球温暖化を防ぐ」「子どもたちを笑顔にする」などの抽象的なもの、漠然としたもの、夢のような目標で良い。後から変わっても構わない。というより、人生において目標はどんどん上書きされるものだからである。
ポイントは、まず「自分が想像する理想の未来=目標=ビジョン」を思い描き、そこからそのための「手段=ミッション」を考えることである。(これを上から下への思考法という)
「ビジョン」は感覚的、直感的、創造的なものなので右脳で捉えるものと言える。一方で「ミッション」は、抽象的でぼんやりとしたビジョンを具現化するための方法を、左脳を使って計算や分析、論理的思考で精緻に組み立てていくものである。
多くの人は与えられた「手段」から始めてしまう。とりあえず言われたから「勉強」する。とにかく「お金」が必要だから働く。なんとなく環境に悪そうだから「ビニール袋」を使うのをやめてみる。などである。勉強も、お金も、ビニール袋をやめることもすべて「手段」であり、それ自体が「目標」ではない。
「電気自動車があれば地球環境が良くなるかも?」ではなく、「地球温暖化を止める、そのためには何をすべきか?」という問い(イシュー)から入る習慣を身につけること。これはすべての課題解決のための基本的な姿勢である。
そのためには、視野を広く大きく持たなければならない。物質(モノ)、出来事(コト)、人間(ヒト)などはすべて、「多面的」、「俯瞰的(ふかんてき)」、「時間的」にとらえるクセを付けること。その裏側や側面はどうなっているのか、他のモノやヒトとの関係は? 昔はどうだったのか、10年後にはどうなっているだろうか? 世の中の多くの物事は複雑で、いろんなものと影響し合っており、時間とともに変化する。一義的、一面的、一時的な見方で正しい評価はできないと常に肝に銘じること。
受験や就職、大きな買い物、仕事、恋愛、結婚など人生の重要な決断をする時は、一歩引いて、客観的に、様々な立場や状況からモノ・コト・ヒトをとらえ、十分に考えること。
その際、ひとつ注意すべきなのは人間の物理的感覚、時間的感覚、記憶はとにかくあいまいでいい加減なものだということである。『10cm』は自分が思ったより短かく、『10分間』は長い。その逆もある。人の『過去の記憶』は都合よく修正される。正しい判断のためには科学的、客観的な「根拠」に立脚することが求められる。日記をつける、ちょっとしたメモを残す、時間や度量衡(どりょうこう)は道具を使って正確に測る、何かを分析する際は統計やデータに当たるなど、簡単なクセをつけるだけで結果は大きく変わる。
先に述べたように、目標は変化してもいい。というよりも変化すべきである。13歳の時にしか見えない、感じられないことがある一方、20歳になれば見えてくることも、40歳、60歳でしかできないこともたくさんある。重要なのはいつも目標を設定し前進し続ける、上を目指すという「姿勢」である。
人生は長い。5〜6歳で天才的な才能を発揮する子どもも、20代、30代で活躍するスポーツ選手も、70歳で功績が認められる科学者もいる。良いことだけではない。人生のどこでどんな不幸やトラブルに見舞われるかは予測できない。人生には浮き沈み、山も谷もある。どんな天才にも挫折はある。災害や戦争など自分では回避、制御できないことも起きる。
『良いことばかりは続かない』という覚悟は必要だ。しかし『悪いことばかり起こるわけでもない』。現状を悲観してばかりではダメだし、現状が順調であってもそれに安穏(あんのん)としていてはならない。常にトラブルに備えつつ、そして決して希望は捨てないこと。
おそらく、君の人生はお父さんやお母さんが生きてきたそれより厳しい時代を生きることになる。しかし、目標を一段高いところに置けば、現状に迷い悩んだ時にもぶれることはない。未来を信じて、希望を持って進むことができる。
「成功」への最大の近道は「人間関係(人脈)」だと断言できる。「実力」でも「運」でも「お金」でもなく「人脈」である。いい学校に行く、いい会社に勤めるのもすべていい人に出会うためであると言って良い。
成功の最大の秘訣は「人脈=人の縁」であり、人と人が出会って起きる化学反応が「奇跡」を起こす。
重要なのは、奇跡を自分で起こすことはできないが、奇跡が起きる「確率」を上げることはできるということである。単純な話、「機会」が増えれば「確率」は上がる。サイコロで六の目を出すのに一回振るのと六回振るのとではどちらの可能性が高いかは考えるまでもない。
人との良いつながりを広げるための小さな可能性を積み上げることがチャンスを引き寄せる。良い人には出向いてでも会いに行くこと。無駄かもしれないと思うような「小さな機会」を大切にすること。
『人は環境によって作られる』これは絶対的な真理である。高尚で、得るものが多く、社会的に正しい環境や居場所に自らを置くよう意識して行動しなさい。善良な人間と付き合えば善良になるし、朱に交われば赤くなる。学校には「校風」、会社には「社風」がある。
自身が意図しないこと、コントロールできないことで大きく運命が変わることもある。それを完璧に防ぐことは難しいが、「確率を下げることはできる」。
気をつけなければならないのは、「人としての善悪」は頭の良さや肩書や金持ちかどうかとは関係がないという点である。会社の社長にも教師にも医者にも政治家にも科学者にも宗教家にも、悪人や変人はいる。それを見抜く眼力は、多くの人間を実際に見ることで養われる。つまり「機会」が重要だ。おそらく君が想像する以上に人間は「多様」である。良い方にも悪い方にも突き抜けたとんでもない人間が存在するという現実は認識しておいた方が良い。
出会う人間を自ら選ぶことは難しいが、付き合う「距離感」は自分でコントロールできる。付き合う人や、身を置く場所や環境は自分で決められる。できるだけ「良い環境」で時間を過ごし、おかしな場所、コミュニティには近づかないこと。
たった一滴の赤いインクが落ちてピンク色に染まった水を元に戻すことはできない。大切なのは自分のコップにインクを落とさないように気をつけることだ。
「エントロピー増大の法則(熱力学の第二法則)」というものがある。エントロピーとは「無秩序さの度合い」を示す尺度である。放っておくとエントロピーはどんどん増大し元に戻らなくなる。これは物理空間の森羅万象すべてに当てはまる普遍の法則とされる。水に拡散したインクが自然に水とインクに分離されることは絶対にない。トランプをシャッフルするのは容易だが、偶然きれいにカードが揃うなどということはまず起こり得ない。机の上や部屋はどんどん散らかるが、自動的に整理されることはない。社会的な混乱の広がりもエントロピーの増大である。エントロピーの増大を制御し「秩序」を保つためには人の意志と行動と力が必要である。
人と人との関係も同様で、意識して制御する必要がある。良い人と出会うことが良い環境への扉を開く鍵であり、良い環境に身を置くことがより良い人に出会う条件である。この好循環を自ら意識して作り出すこと。
井の中の蛙は池を知らず、池の小ブナは大海を知らない。大海原や大空に出て様々な出会いを経験することは君を大きく成長させる。
もう一度言う。『人は環境によって作られる』
お金がある事は必ずしも人を幸せにしないが、お金がない事は確実に人を不幸にする。そういう意味でお金は重要である。
その日その日の生活がやっとという状態では先のことが考えられなくなり目標を見失なう。そうするとどんどん人生の選択肢が狭まっていく悪循環に陥る。
金はどん欲に稼ぐ必要がある。ただし「正しい心」は忘れずに。
お金を稼ぐときには、ギャンブルや宝くじのような一攫千金は「まず起こり得ない」と肝に銘じること。0%ではないがあまりにも期待値=確率が低く、選択肢に含めて物事を考えるには無理がある。確率論に基づいて冷静に考えれば理解できることである。一攫千金を前提に物事の計画を立ててはいけない。
怪しげな儲け話も同様である。誰かから「うまい話」を持ちかけられた時は、それは「あなたのことを思って」の話ではなく、相手が「自分のために考えた」話だと受け止めること。うまい話の裏には必ず別の悪い話、ヤバい話、落とし穴がある。
確かに「成功し、大金を手にした」という人は世の中に多数存在する。だがそれはほとんどの場合「塵(チリ)が積もって山になった『結果』」である。着実に金を稼ぐには「塵のような稼ぎをどん欲にかき集める」ことが必要だ。1円、10円のような「塵のような稼ぎ」を生み出すことはそれほど難しくはない。ただしそれを「どん欲にかき集める」ためには知恵と努力が必要になる。
『100万円の商品を1個売る』より、『100円の商品を1万個売る』方がビジネスとしては堅実である。100万円の商品が1個売れなかったらそこで終わりだが、100円の商品が9,999個しか売れなくてもあまり影響はない。『100円の商品を1万個売る』より『100万円を一発で当てる』ことの方が何倍も難しいが、多くの人はそれを逆に考えてしまう。『一発当てる』ためには運が必要で不確実性が極めて高い。しかし「塵をかき集める」ことは自分の努力でなんとかなるということを理解すること。
近い将来、君は世の中に無数にある仕事や事業の中から何かを選んで生活の糧を得ることになる。何をすべきか迷ったら「人からの感謝」を対価として得る仕事を選ぶと良い。
野菜が欲しいと思っている人に野菜を作ってあげることは素晴らしいことである。困っている人を助けてあげれば感謝されるだろう。スポーツや芸術で人々に感動を与えることも意義のある仕事だ。それが「世の中の役に立つということ」である。『いい世の中』はそうやってできている。
しかし、投資やギャンブルで稼いでも誰からも感謝されることはない。つまりそれらは「仕事」にはならない。ギャンブルは論外としても、投資は今の時代には資産形成のために必要(そういう仕組みが前提の社会になってしまっている)なので否定はしないが、少なくとも「生業(なりわい)」にすべき仕事ではないことは知っておいて欲しい。
人間の欲求には際限がない。1万円あれば1万円使うし、1億円あれば1億円使いたくなるのが人間である。これは抑えることが難しいし、無理に抑えこむと精神的にも疲弊しQOL(Quality of Life、生活の質)が低下する。
この課題に対する古来よりの解決策はただひとつ。収入から「天引き」することである。給料であれ何らかの収益であれ、収入があったらその10~25%くらいをすぐに使えないような形で貯蓄に回しておく。
「天引き」が蓄財のための最も効果的な方法であることは、ユダヤ人もイスラムもメソポタミア文明も華僑も日本の本多静六という人物(明治の造園家であり東大教授)も提唱している「お金を貯めるための基本中の基本」である。(逆説的だが、租税公課や組織に必要な費用の類はだいたい給料から天引きされる。その理由をよく考えるべきである)
人間は9000円しかなければ9000円しか使わないし、1万円あれば1万円使ってしまう。その理由は消費社会の仕組みがそうなっているからだ。時計には1000円から1000万円以上するものまである。自動車も同じ。毎日飲むお茶、毎日使う紙にもいくつもの価格が設定されているように、世の中のありとあらゆるものには価格の上中下(日本では松竹梅)が存在する。お金があるからといってその分高いものを買っていると際限がなくなる。この欲求はお金がある限り続く。それが人間の本質なので努力や気合いで抑制するのは難しいし、何より楽しくない。だから「欲求」を抑え込むのではなく、「お金」の方を制限しなければならない。
そのために最も有効な方法が「天引き」である。人間は9000円しかなければその内でやりくりをするのである。それで困ることはほとんどない。資本主義とはよくできたもので、モノ・コトの価格には上には上があるように下には下もあるからである。
「天引き」のための具体的な方法は色々ある。最も簡単な方法は「定期預金」や「財形貯蓄」を銀行に申し込んでおくことである。今の時代なら「(安定した)投資信託」も選択肢に入るだろう。初任給をもらうと同時に始めることを勧める。
次に、天引きした後のお金で「やりくり」をするための基本的な「生活の知恵」を記しておく。
高額のものを買う時は、その価格に「本質的な価値」があるかどうかを見極めること。
高級車も普通車も、飛行機のエコノミークラスもビジネスクラスも、「移動する」ための時間は変わらない。どんな時計も「時刻を知る」という性能はほとんど同じである。どんなカバンでも「物を運ぶ」という役割は変わらない。もちろん機能以外に別の価値(デザインなど)を認めることは人間が文化的な営みを行うために必要なことだが、消費社会においては高価な価格の価値の大部分は「欲望」=「欲しいと思う気持ち」を揺さぶるために人為的に生み出されたものだ。
その価格差は、機能や性能によって生じているものなのか? 人間の心理的な欲望を巧みに刺激するために付けられたものなのか。物を買うときは「本来の機能=目的」を基準にして価値を判断するとぶれない。
基本的に日常生活品を買うときは「今ある物を使い切ってから買う」こと。流通が高度に発展した現代日本においては(災害などの例外的な事象は別にして)無くなってから買っても不自由することはない。
経営学における重要な概念として、「在庫」と「廃棄」には「維持」と「損失」という大きなコストがかかっているという考え方がある。物は「置いておくだけ」でお金がかかっているという感覚を徹底して身につけることが重要である。
特売だからとか念のためにとかいう理由で安易に「在庫」を増やしてはいけない。「無くなってから買う」が原則である。1日程度のブランク(空白)が生じたとしても、ほとんどの場合なんとかなる。文房具も、食料品も、日用品も、服も、本も、ゲームも、前のものを使い切り、無くなってから次のものを買う。これで無駄遣いは随分と減るはずだ。(繰り返すが非常時への備えは別である)
それからこれは私の経験則だが、衝動的に「欲しい!」と思ったけど買うかどうか迷ったものは、1週間〜一か月程度我慢してみる。ほとんどのものは熱が冷めたように関心がなくなる。ただし「売る側」もしたたかで、「期間限定」や「数量限定」といった手法でこちらに考える隙を与えない。冷静な判断のためには、やはり「それをいつ、どこで、どのくらい使うか」という「在庫管理」を常に正確に行うことが肝要だ。
あらゆる在庫を管理するためには「整理整頓」が重要である。身の回りのものは整理整頓に努め、いつでも数量や状態を把握できるようにしておくこと。
整理整頓には各分野に体系化された「技法」がある(代表的なものとして図書館の本の分類法である日本十進分類法(NDC)や日本工業規格(JIS)、ISO、公文書管理規則、生物の分類と同定法、見える化など)。早いうちに機会を作り、習得しておくことを勧める。
ちなみに、このような「一生使える知識や技能」は習得が早ければ早いほど人生において得られる利益が大きくなる。大人になってから「こんな便利なもの、方法、知識があるとは知らなかった」と後悔することは多い。
金銭出納帳を付けることも重要である。帳簿をつけない企業、組織など存在しないことを考えれば、出納管理は必須の Permalink | 記事への反応(0) | 21:00
・言葉遣いや立ち振る舞いに落ち着きと品が無い。
・髪を染めていない(もちろん悪いことではない)
・ただそこに追加で「髪型は一つ結びしかできない」「パサつきとうねりが目立つ」「ヘアケアをろくにしていない」などのマイナス要素とかけ合わさった結果、悪い意味で中高生っぽさが出ている。
・実際汚くはないが、美肌な訳でもない。
・加齢に伴って新陳代謝は落ちているが、それに対しケアの方法やベースを変えるなどの対応をしているわけでもない。
・瞼が重たい、悪いタイプの一重であったり、唇の形が綺麗でなく、笑っても口角が上がりにくいなど、顔のパーツを一個一個見ても褒める場所が特に無いので、私が化粧品の販売員でも消去法で肌を褒めると思う。
・そのため体型が維持できておらず、内臓を支えるための下腹部の筋肉も少ないため、体重は軽いのにお腹は出ている状態。
・足首の骨が太く、肩回りに贅肉が多いため、身体のラインにくびれやメリハリがない。
・本人の諸々のスペックが低く、許し合える関係性でないと関係が続かず、一般的な感覚の人から縁を切られている。
・仕事においては複雑なタスクをこなせない。そもそも自分の目の前のことで精一杯で、人を気にかけることができず、他人にイライラする余裕すらない。
・細い通路で立ち止まる、周囲の邪魔になる、相手の会話中に割り込んで自分語りをし出す、などそもそもその空間内で一番イライラされる対象が本人である。
・女性同士のコミュニケーションに必要な能力(相手への共感を示すための適切な相槌の打ち方や、場に合わせた話題の提供、話し手と聞き手の割合の配慮…など)が低く、まともな女性から相手にされていない。
・その結果女友達がほぼいないため、男グループとしか交流を残せていない。
・周囲の男はもちろん気を使って会話内容を女性がいる時用にフィルターをかけているが、自分が楽しく話せていると思っているため気付かない。
・学生時代の皆勤賞や、法令順守意識、道徳的な正しさを自身のアイデンティティとしている。
・学校生活で言えば学業の成績や部活での活躍、会社内で言えば成果や利潤など、本来その集団で重要視される項目での評価が望めないため、そうではない評価軸で自己を評価する。
・自分は規律を守っているため、例え成果を上げていようが規律を守っていない者よりも人間的に上であるという意識を持っている。
・グレーゾーンに対してはっきりとした見解を求めようとしたり、明確に白黒はっきりした基準を好むため、ルール的に曖昧なラインを突いて成果を出した人間を蔑む。
・何かに真面目に取り組んでPDCAサイクルを回し、業務や効率を改善していく。というような内容ではなく、「言われた通りにやる」「同じ作業を真面目に繰り返し行う」などが本人の言う真面目さなので、効率を上げるための努力や模索などは真面目さには含まれないらしい。
・何かを決定する際に自分の意思よりも相手の意見を優先することが多いという内容。
・一見譲ってくれるように見えるが、物事を決断するというリスクや労力を相手に負わせているだけだった。
・「比較する」「判断をする」「決定する」「責任を取る」→という流れのすべてが苦手であり、何かを決断するストレス > 相手の決定に従うストレス となるため、なるべく自分で負担をしたくない。
・とにかく責任を伴う判断をしたくないため、仮に損だと分かっていても何かを決断するくらいなら現状維持をしていたい。
発達障害の大学中退35歳だけど、なんやかんや生活保護をもらうことになって人生楽しすぎる
仕事しなくていいから本も読めるし、他人とのコミュニケーションに体力を使えるのでオンラインでフレンドとお喋りできてめちゃくちゃ楽しい。
リア充は毎日こんな楽しいことしてるんか。学業や仕事をしてたらコミュニケーションまでうまく体力配分ができないのだけど、何もない今は全力で人と関われて嬉しい。
この間はオフパコもできた。
ずーーっと清い体だったけど、どうせ生活保護になってしまったからと親や世間一般の価値観を捨てて気軽にセックスしてみたけどめちゃくちゃきもちいい。
ここ数ヶ月は毎日とっかえひっかえしてたけど、最近やっと落ち着いてきて2.3人まで絞れるようになれた。
お相手と飯食ってセックスして別れて、また別の人に会って寝落ちるまでセックスって最高なんだな。エッチなことなんてぜーんぶ創作だと思ってたけど、生活保護になって色々体験できた。
発達障害の大学中退35歳だけど、なんやかんや生活保護をもらうことになって人生楽しすぎる
仕事しなくていいから本も読めるし、他人とのコミュニケーションに体力を使えるのでオンラインでフレンドとお喋りできてめちゃくちゃ楽しい。
リア充は毎日こんな楽しいことしてるんか。学業や仕事をしてたらコミュニケーションまでうまく体力配分ができないのだけど、何もない今は全力で人と関われて嬉しい。
この間はオフパコもできた。
ずーーっと清い体だったけど、どうせ生活保護になってしまったからと親や世間一般の価値観を捨てて気軽にセックスしてみたけどめちゃくちゃきもちいい。
ここ数ヶ月は毎日とっかえひっかえしてたけど、最近やっと落ち着いてきて2.3人まで絞れるようになれた。
お相手と飯食ってセックスして別れて、また別の人に会って寝落ちるまでセックスって最高なんだな。ぜエッチなことなんてぜーんぶ創作だと思ってたけど、生活保護になって色々体験できた。
私たちは兄妹でありながら、あることをきっかけに深い関係になってしまいました。この話は、私たちが経験したことを正直に綴った体験談です。読んでくださる方々には、私たちの気持ちや状況を理解していただければと思います。
私たちは幼い頃に両親を亡くし、祖父母に育てられました。祖父母は愛情深く、私たちを大切にしてくれましたが、経済的には厳しい状況が続いていました。兄の私は、妹の面倒を見ることが当然だと思っていました。妹は私を慕い、何かあればすぐに相談してくるほど、私たちの絆は深かったです。周囲からも「仲の良い兄妹」と言われることが多く、私たち自身もその関係を当然のことと思っていました。
幼少期の思い出は、今でも鮮明に覚えています。妹が初めて自転車に乗れるようになった日、私が後ろで支えながら何度も練習したこと。雨の日に傘をさして一緒に学校へ行ったこと。祖父母が忙しい時には、私が妹の食事を作り、彼女が泣きそうになると必ずそばにいて慰めました。私たちはただの兄妹ではなく、互いの支えであり、心の拠り所でした。
時が経ち、私たちはそれぞれ大学生になりました。私は地元の大学に進学し、アルバイトをしながら家計を支えていました。妹は遠方の大学に進学し、寮生活を始めました。物理的な距離ができたことで、私たちの関係にも少しずつ変化が現れ始めました。妹は新しい友人や恋人を作り、自分の世界を広げていきました。しかし、彼女はいつも私のことを気にかけていました。私もまた、妹のことを心配しつつも、自分の人生を歩み始めていました。
大学生活は、私たちにとって新たな挑戦でした。私はアルバイトと学業の両立に追われ、妹は新しい環境での生活に慣れるのに必死でした。それでも、私たちは定期的に連絡を取り合い、お互いの近況を報告し合っていました。妹が初めて彼氏ができたと報告してきた時、私は複雑な気持ちになりました。彼女が幸せそうに話す姿を見て、嬉しい反面、どこか寂しさも感じていたのです。
ある夏休み、妹が実家に帰省した際、私たちは久しぶりに一緒に過ごす時間を持ちました。その中で、私たちはお互いに対する感情が以前とは違うことに気づきました。幼い頃からの絆はそのままに、そこに新たな感情が芽生えていたのです。最初は戸惑い、混乱しました。兄妹としての関係を越えることは、社会的にも倫理的にも許されないことだとわかっていました。でも、その感情を抑えることができませんでした。
私たちは長い時間をかけて話し合いました。兄妹としての関係を壊すことなく、この感情をどう扱うべきか。最終的に、私たちは事実婚という形を選びました。法律上の婚姻関係にはならず、社会的な承認も得られないことは承知の上でした。でも、私たちにとってはこれが最善の選択でした。
事実婚を選んだことで、私たちは多くの困難に直面しました。周囲の理解は得られず、非難や中傷を受けることもありました。祖父母は当初、私たちの選択を理解できずにいました。彼らにとって、兄妹が事実婚するというのは受け入れがたい現実でした。しかし、時間をかけて話し合い、私たちの気持ちを伝えることで、少しずつ理解を示してくれるようになりました。
友人たちの反応も様々でした。中には私たちを支持し、応援してくれる人もいましたが、多くの人は困惑し、距離を置くようになりました。特に妹の友人たちは、彼女が兄と事実婚するという選択に驚き、戸惑いを隠せないようでした。でも、私たちはお互いを支え合い、この道を歩み続けました。
兄妹としての絆と、パートナーとしての愛情を両立させることは簡単ではありませんでした。私たちは常にバランスを取りながら、お互いの役割を見つけていきました。例えば、家庭内での役割分担や、お互いのプライバシーを尊重すること。兄妹としての関係を保ちつつ、パートナーとしての信頼関係を築くことは、時に難しいこともありましたが、私たちにとってはそれが自然なことでした。
経済的な面でも、私たちは協力し合いました。私はアルバイトを続けながら、妹の学費をサポートし、妹もまた自分のできる範囲で家計を助けてくれました。私たちは共に目標を立て、将来の計画を話し合いました。例えば、将来的には家を購入し、安定した生活を築くこと。そして、可能であれば子供を持つことも考えていました。
社会的なプレッシャーは常に付きまとうものでした。私たちは時には世間の目を気にしながら生活しなければなりませんでした。でも、私たちはお互いを信じ、この関係を守ることを誓いました。兄妹としての絆はそのままに、新たな形の愛を見つけることができたと思っています。
今では、私たちはこの関係を受け入れ、前向きに生きています。兄妹としての絆はそのままに、パートナーとしての愛情を育むことができました。この体験が、誰かの心に何かを残せればと願っています。私たちの選択が正しかったかどうかは、時間が証明してくれるでしょう。でも、今この瞬間を大切に生きることが、私たちにとっては一番重要なことなのです。
最後に、この体験談を読んでくださった方々へ。私たちの選択は、必ずしも全ての人に受け入れられるものではないかもしれません。でも、愛の形は一つではないということ、そして家族の絆がどれほど深いものであるかを、少しでも感じていただければ幸いです。私たちはこれからも、お互いを支え合い、この道を歩み続けます。
私たちは兄妹で事実婚をしました。この話を聞いて、多くの人は驚き、戸惑い、あるいは拒絶反応を示すかもしれません。でも、これは私たちの現実であり、私たちが選んだ道です。この体験談が、誰かの心に何かを残せればと思い、正直に綴ります。
私たちは幼い頃に両親を亡くし、祖父母に育てられました。祖父母は愛情深く、私たちを大切にしてくれましたが、経済的には厳しい状況が続いていました。兄の私は、妹の面倒を見ることが当然だと思っていました。妹は私を慕い、何かあればすぐに相談してくるほど、私たちの絆は深かったです。周囲からも「仲の良い兄妹」と言われることが多く、私たち自身もその関係を当然のことと思っていました。
幼少期の思い出は、今でも鮮明に覚えています。妹が初めて自転車に乗れるようになった日、私が後ろで支えながら何度も練習したこと。雨の日に傘をさして一緒に学校へ行ったこと。祖父母が忙しい時には、私が妹の食事を作り、彼女が泣きそうになると必ずそばにいて慰めました。私たちはただの兄妹ではなく、互いの支えであり、心の拠り所でした。
時が経ち、私たちはそれぞれ大学生になりました。私は地元の大学に進学し、アルバイトをしながら家計を支えていました。妹は遠方の大学に進学し、寮生活を始めました。物理的な距離ができたことで、私たちの関係にも少しずつ変化が現れ始めました。妹は新しい友人や恋人を作り、自分の世界を広げていきました。しかし、彼女はいつも私のことを気にかけていました。私もまた、妹のことを心配しつつも、自分の人生を歩み始めていました。
大学生活は、私たちにとって新たな挑戦でした。私はアルバイトと学業の両立に追われ、妹は新しい環境での生活に慣れるのに必死でした。それでも、私たちは定期的に連絡を取り合い、お互いの近況を報告し合っていました。妹が初めて彼氏ができたと報告してきた時、私は複雑な気持ちになりました。彼女が幸せそうに話す姿を見て、嬉しい反面、どこか寂しさも感じていたのです。
ある夏休み、妹が実家に帰省した際、私たちは久しぶりに一緒に過ごす時間を持ちました。その中で、私たちはお互いに対する感情が以前とは違うことに気づきました。幼い頃からの絆はそのままに、そこに新たな感情が芽生えていたのです。最初は戸惑い、混乱しました。兄妹としての関係を越えることは、社会的にも倫理的にも許されないことだとわかっていました。でも、その感情を抑えることができませんでした。
私たちは長い時間をかけて話し合いました。兄妹としての関係を壊すことなく、この感情をどう扱うべきか。最終的に、私たちは事実婚という形を選びました。法律上の婚姻関係にはならず、社会的な承認も得られないことは承知の上でした。でも、私たちにとってはこれが最善の選択でした。
事実婚を選んだことで、私たちは多くの困難に直面しました。周囲の理解は得られず、非難や中傷を受けることもありました。祖父母は当初、私たちの選択を理解できずにいました。彼らにとって、兄妹が事実婚するというのは受け入れがたい現実でした。しかし、時間をかけて話し合い、私たちの気持ちを伝えることで、少しずつ理解を示してくれるようになりました。
友人たちの反応も様々でした。中には私たちを支持し、応援してくれる人もいましたが、多くの人は困惑し、距離を置くようになりました。特に妹の友人たちは、彼女が兄と事実婚するという選択に驚き、戸惑いを隠せないようでした。でも、私たちはお互いを支え合い、この道を歩み続けました。
兄妹としての絆と、パートナーとしての愛情を両立させることは簡単ではありませんでした。私たちは常にバランスを取りながら、お互いの役割を見つけていきました。例えば、家庭内での役割分担や、お互いのプライバシーを尊重すること。兄妹としての関係を保ちつつ、パートナーとしての信頼関係を築くことは、時に難しいこともありましたが、私たちにとってはそれが自然なことでした。
経済的な面でも、私たちは協力し合いました。私はアルバイトを続けながら、妹の学費をサポートし、妹もまた自分のできる範囲で家計を助けてくれました。私たちは共に目標を立て、将来の計画を話し合いました。例えば、将来的には家を購入し、安定した生活を築くこと。そして、可能であれば子供を持つことも考えていました。
社会的なプレッシャーは常に付きまとうものでした。私たちは時には世間の目を気にしながら生活しなければなりませんでした。でも、私たちはお互いを信じ、この関係を守ることを誓いました。兄妹としての絆はそのままに、新たな形の愛を見つけることができたと思っています。
今では、私たちはこの関係を受け入れ、前向きに生きています。兄妹としての絆はそのままに、パートナーとしての愛情を育むことができました。この体験が、誰かの心に何かを残せればと願っています。私たちの選択が正しかったかどうかは、時間が証明してくれるでしょう。でも、今この瞬間を大切に生きることが、私たちにとっては一番重要なことなのです。
最後に、この体験談を読んでくださった方々へ。私たちの選択は、必ずしも全ての人に受け入れられるものではないかもしれません。でも、愛の形は一つではないということ、そして家族の絆がどれほど深いものであるかを、少しでも感じていただければ幸いです。私たちはこれからも、お互いを支え合い、この道を歩み続けます。