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2025-01-16

俺の祖母コンピューターおばあちゃんだった

 俺がまだ幼かった頃、周りの大人たちはよく「近頃の技術はすごいなあ」とか「昔とはえらい違いだ」と口々に言っていた。けれど、そんな大人たちを尻目に、さらに先を行っていた人がいる。それが俺の祖母——通称コンピューターおばあちゃん”だ。これは、俺が子どもの頃に祖母と過ごした日々や、彼女が残してくれた大切なものについての回想録。今は亡き祖母への想いを、ここに綴りたいと思う。

1. 祖母と呼ぶより“コンピューターおばあちゃん

 俺がまだ物心ついたばかりの幼稚園児だった頃、祖母はすでにパソコン自在に使いこなし、テレビラジオ流れる新しいテクノロジーニュースには目を輝かせていた。家には分厚い辞書百科事典が何冊も並んでいたが、さらに机の上には最新のパソコン雑誌や科学雑誌、果てはプログラミング関連の本まで置いてあった。幼い俺が「あれ何?」「これどうして?」と尋ねると、祖母はまるで電子辞書のように即座に教えてくれた。当時の俺にとって、難しい用語祖母解説にかかれば、スッと頭に入ってくるから不思議でならなかった。

 「コンピューターおばあちゃん」は、子ども向けの音楽番組みんなのうた」で流れていた歌のタイトルそのままだったが、俺にとってはその呼び名のもの祖母の姿を表していた。機械に強く、知識に溢れ、しか子ども相手にやさしく噛み砕いて教えてくれる姿は、歌のイメージのものだったのだ。たとえば、俺の住んでいる町が他のどの町より暑かった日に、「なんでこんなに暑いの?」と尋ねると、「それはね、地球の自転と公転、それに加えてこの町の地形が影響していてね……」と、クーラーの効いた部屋でわかりやすく教えてくれる。さらパソコンを立ち上げ、天気予報の画面を見せながら「この等圧線と高気圧の動きがね……」と続けるのだ。幼稚園児の俺でも妙に納得してしまったのを覚えている。

2. 図書館よりも頼りになる知恵袋

 祖母知識の幅はとにかく広かった。歴史地理科学文学芸術、果てはゲームまで。どんなジャンル話題を振っても、少なくともある程度は知っている。まるでいくつもの電子図書館」が頭の中に入っているようだった。まさに子ども番組で言われる“コンピューターのように何でも知っているおばあちゃん”であり、俺はいしか自然彼女をそう呼ぶようになった。

 人間誰しも得手不得手はあるはずだが、祖母は「知らないものを知らないままにしておくほうが、私には合わないんだよ」と微笑んでいた。だから気になることがあれば何でも調べ、またはパソコンを使って検索する。俺が「ゲームセンターで見た変な機械、あれは何?」と聞けば、それがどんな仕組みの機械なのか、どのメーカーが作っているのかまで丁寧に教えてくれる。さらには「いつか一緒にゲームセンター行って、じっくり観察してみようか」と、学びの場として遊びに誘ってくれた。その姿勢はいつも驚かされたし、また「大人ってこんなに遊び心があっていいのか」と思ったものだ。

 大人になった今になって思えば、あれはただの“学問”に留まらない、祖母生き方のものだったのだろう。常に新しいことを取り入れ、面白がり、わからないことを探求する。その姿勢が、彼女の若々しさを保ち、俺たち孫の世代とも自然につながっていられる原動力だったに違いない。

3. 日常を彩る“歌”と“人生レシピ

 祖母はよく鼻歌を歌っていた。その中にはもちろん「コンピューターおばあちゃん」を思わせるフレーズもあれば、ほかの子ども向けの曲や懐メロもあった。俺が小学校に上がる頃には、祖母自作の“歌詞抜粋ノート”が存在し、そこには祖母が好きな歌の一節が手書きで書き写されていた。日付や一言コメントも付いていて、当時の祖母の心境や季節の移ろいが見えるようだった。

 ある日、そのノートを見ていた俺は、ふと「この歌詞意味はどういうこと?」と尋ねた。すると祖母は、歌詞が持つ文脈や背景、そして作詞者の想いや時代性まで話してくれた。まさに“人間コンピューター”の面目躍如である。だが、祖母は決して「理屈」や「知識」だけを語る人ではなかった。必ず、そこに自分感想や教訓を加える。「このフレーズはね、人生におけるこんな出来事を思い出すなあ……だから〇〇なときには、こんな気持ちでいるといいのかもしれないね」といった具合に、子ども心にもスッと染み込む言葉をかけてくれた。

 彼女の持つ叡智の素晴らしさは、学校の成績を上げるためだけの“お勉強”とは違っていた。生活人生を楽しむための“レシピ”がそこにはあった。たとえば、落ち込んだ日は「お腹から笑うといいよ」と言って、祖母自身ゲラゲラ笑っておどけてみせる。心配事がある日は「眠る前に紙に書き出すといい。それで一旦置いて寝ちゃうんだ」と、実践的なアドバイスをくれる。どれも祖母自身が実際にやってきたこなのだろう。まるで一冊の辞典のように、そして誰よりも暖かい人生の先輩としての言葉をくれた。

4. パソコン越しにつながる世界

 祖母パソコンを扱うだけでなく、インターネット世界にもかなり明るかった。俺が小学校高学年になる頃には、オンライン海外博物館映像や、世界ニュースを一緒に見たりもした。そこで初めて知ったのは、インターネットが単なる機械的な情報交換の場ではなく、人間同士の交流を広げるための“窓”でもあるということだった。祖母はまさにその窓を巧みに開き閉めしながら、遠い世界を俺の前に見せてくれたのだ。

 「パソコンの画面を通して見る世界は、ただの映像じゃなくて、“人”がいるところなんだよ」と祖母は言った。「画面の向こうにも誰かがいて、きっと同じように息をして、ご飯を食べて、笑ったり泣いたりしている。そこに興味をもてば、お友達になれるかもしれないし、いろんな考え方を学べるかもしれないね」。まだ子どもだった俺にとって、それは驚くほどスケールの大きい話に感じられたが、祖母は「一歩ずつでいいの」と笑った。実際、海外の子どもたちが作ったというWEBサイトを一緒に覗いて、俺が英語がわからなくても、祖母サクサク辞書を引きながら一緒に解読してくれた。その過程がとても楽しかったのを覚えている。

 そんな祖母の探求心に刺激を受け、俺自身ももっと世の中を知りたいと自然に思うようになった。中学生になってからは、祖母と一緒にインターネットでさまざまな情報を探したり、調べ学習資料をまとめたりするのが習慣になっていた。夏休み自由研究でも、祖母が遠慮なくアイデアをどんどん出してくれるから、いつもクラスでも評判の出来になったっけ。まさに“コンピューターおばあちゃん”との共同作業。あの頃の夏休み特別に充実していた気がする。

5. “悩み”も解析? コンピューター越しの優しさ

 祖母機械だけでなく、人間の心にもとても敏感だった。そんな祖母に“悩み”を打ち明けると、まるでコンピュータ検索をかけるように、じっくりとヒントを探してくれた。といっても機械的な冷たいやり方ではなく、温かく、しかときユーモアを交えながら、俺が自分で答えに気づくまで導いてくれるのだ。

 高校生になると、友達関係部活、将来の進路……いろいろな悩みが増え、俺の心は常にモヤモヤしていた。祖母はそんなとき、まず俺の話を黙って聞き、「なるほどねぇ」と目を細めながらうなずく。そして「ここにデータがあるとしたら、どんなふうに整理する?」と、まるでコンピューターフォルダ分けをイメージさせるような問いかけをするのだ。「まずは心配事をカテゴリごとに分類してみよう。友達とのことは友達フォルダ、将来のことは将来フォルダ、と。そこからもっと細かくファイルに分割して、どれくらいの優先度があるか考えてみるんだよ」と。

 そんなふうに、一見堅苦しそうな“整理術”を教わるうちに、俺自身の頭の中もすっきりしてきて、不思議問題が大きく見えなくなっていった。「つまり人生って、ひとつの巨大なデータベースみたいなものかもしれないね」と祖母は微笑む。「たくさんの情報がごちゃごちゃに入っているときは、まずはちゃん仕分け検索やすいようにすればいい。大事なのは、どうタグ付けするか、そしてどのデータが今の自分にとって本当に必要かを見極めること」。それは小難しそうな言葉だけれど、祖母の口から語られると、なぜかすんなりと腹落ちした。まるで大きなやさしい手で、俺の悩みを丸ごと包んでくれているようだった。

6. そして別れの日

 俺が大学に進学してしばらくすると、祖母は少しずつ身体の不調を訴えるようになった。ただ、それでも祖母知的好奇心は衰えず、入院先でもタブレット端末を使いこなし、看護師さんたちと仲良くなっていた。担当のお医者さんが口にする専門用語もほぼ理解できるし、わからないことはすぐに調べる。周りの家族心配そうに「無理しないで」と言っても、「何もしないでボーッとしてるより、私にはこっちのほうがずっと元気が出るんだよ」と笑っていた。

 そんな祖母の容態が急変したのは、俺が大学四年生の夏だった。夜遅く病院から連絡を受けて駆けつけると、祖母はベッドの上で小さく息をしていた。もう思うようには口がきけない状態だったが、俺を見て微かに笑ってくれたように見えた。その笑顔はまさにいつものコンピューターおばあちゃん”の面影で、俺は涙が止まらなかった。

 祖母はそのまま、静かに旅立った。最後まで、頭の中にはきっといろんな知識や、俺たち家族への思いが溢れていたのだろう。「みんなのうた」で聴いた“コンピューターおばあちゃん”は、まさに祖母のものだった。お別れは悲しかったが、祖母が教えてくれたことは俺の胸に深く根を下ろしていると実感した瞬間でもあった。

7. 祖母が残してくれたもの

 葬儀が終わり、祖母の遺品を整理していると、昔家族で撮った写真ノート、そして祖母パソコンが出てきた。パソコンの中には、家族写真データ日記のようなファイルさらには雑多なフォルダに分けられた学習ノートデジタル版が保存されていた。そこには祖母自身が調べてまとめた、さまざまなジャンル知識や観察メモがあって、見ているだけで祖母と会話しているような気持ちになった。

 そのファイルの一つに「大切な人たちへ」とタイトルがつけられたテキストがあった。開いてみると、そこには「私が得たものは、すべてあんたたちに残していくから、どうか自分の好きなように使ってほしい。知らないことに心おどらせるのは、本当に素敵なことだよ。これからもずっと、学びを楽しんでね」というような内容が書かれていた。文章を読み終えたとき、俺は思わず涙が零れ落ちた。そこにはいつも笑顔知識を授けてくれた、あの祖母の姿が確かにあった。

 さらパソコンデスクトップには、「コンピューターおばあちゃん」に関する記事や、祖母なりに歌詞アレンジして書き溜めたノートもあった。そこには、あの歌がもたらす夢や希望について彼女が感じ取ったことがびっしり綴られていた。「なんでも知っていて、なんでも教えてくれるおばあちゃん、それは私の理想じゃなくて、私自身の生き方のものだ」と。祖母にとって「コンピューターおばあちゃん」はまさに人生象徴だったのだろう。

8. 受け継がれる“好奇心”と“優しさ”

 祖母を失って寂しい気持ちは今でも消えない。それでも、祖母が残してくれた“調べること”“学ぶこと”“遊ぶように知識を楽しむこと”は、今の俺の人生を豊かにし続けている。職場でも「どうしてそんなにいろんなことを知っているの?」と聞かれることがあるが、俺は胸の中で「祖母の血かもしれないな」と思っている。実際、祖母から学んだ“分からないものは楽しみながら調べる”という姿勢が、仕事でも役立っていると感じるのだ。

 そして何より大きいのは、祖母の“人を思いやる優しさ”を忘れないようにしていること。どんなに新しい技術情報を知っていても、そこに相手への気遣いがなければ独りよがりになってしまう。祖母が俺に常に教えてくれたのは「相手立場気持ち想像しながら、一緒に探求していく喜び」だった。だから今、俺が後輩に教えるときや、友達と話をするときには、決して上から目線押し付けにならないように気をつける。そして「もしよかったら一緒にやってみよう?」と声をかける。その方がずっと楽しいし、きっと祖母も喜んでくれるに違いない。

9. 最後

 もう祖母の肉声を聞くことはできない。あの独特の優しい笑い声も、パソコンに向かう姿勢も、そばに座っていたときの温もりも、すべて思い出の中にしか存在しない。それでも、祖母が残してくれた言葉ファイル、そして一緒に過ごした時間記憶は、今でも俺を支えてくれる。人生において何か新しいことに挑戦するとき、あるいは壁にぶつかったとき、「そういえば、おばあちゃんはこんなとき何て言ってたっけ?」と心の中で問いかける。すると不思議なことに、祖母の声がスッと降りてきて、「それを調べてみるのは面白そうだね」と背中を押してくれる気がする。

 歌には「どんなことでも教えてくれる不思議なおばあちゃん」が登場するけれど、俺にとっての祖母はまさに“完璧なおばあちゃん”だった。彼女のように何でも知っていて、優しくて、そしていつだって俺の好奇心を歓迎してくれる存在がいたからこそ、今の俺がいる。そして祖母のような生き方を少しでも真似できるなら、それは最大の感謝の表し方かもしれないと思う。

 祖母がいなくなっても、その“コンピューターおばあちゃん”の精神は俺の中で生き続けている。何かを調べたり、新しいものに触れたりするとき祖母の姿が脳裏に浮かぶのだ。俺はこれからも、祖母が示してくれた「好奇心と優しさ」を糧に、歩んでいきたい。それが“俺の祖母コンピューターおばあちゃんだった”と胸を張って言える、何よりも大きな証なのだから

2025-01-11

未返却の文庫本

去年の夏、彼は私に村上春樹文庫本を貸してくれた。「読み終わったら感想を聞かせてよ」。

そう言って差し出した本を、私はカバンの底に忍ばせたまま、今日まで放置していた。

昨日、彼の訃報を聞いた。突然の心臓発作だったという。42歳。まだ若すぎる。

机の引き出しから取り出した文庫本カバーは、既に埃を被っていた。しおり位置は、一年前のままだ。

葬儀の日、本を返そうか迷った。でも、それは余りにも自分勝手贖罪に思えた。結局、その本は今も私の本棚に眠っている。未読の状態で、永遠に感想を伝えられない本となった。

時々思う。もし早めに読んでいれば、もし感想を伝えていれば、もう少し会話の機会があったのではないかと。本の延滞は、実は時間の延滞だったのかもしれない。

されど、今はもう返す先を失った本が、静かに、私の後悔を見つめている。

2025-01-10

親父が死んだ

親父が死んだ。

親父と母は、20年前に離婚している。

姉だけが結婚後もずっと親父の面倒を見てくれていた。

何度も何度も「会いにこないか」と姉から言われていた。

わたしはそれを断り続けていた。

親父に会いたくなかったわけじゃない。

正直、連絡がくる度に悩んでいた。

会っても、どんな顔をして何を話せばいいかからなかった。

なにより、母の気持ちを考えると会えなかった。

母は「好きにしていい」と言っていたが

父と会ったことを隠して、母と普通に話せる自信がなかった。

何十年も連絡すらとっていないのだ。

会って何を話せばよかったんだろう。

少なくとも、「会いたい」とは思えなかった。

葬儀で姉と会った。

姉にこれまでのことを謝ると、「いいよいいよ」と言ってくれた。

立派なお葬式をしてくれた。

棺桶の中で眠る親父は、小さかった。

葬儀に行っても、姉や親戚に「帰れ」と言われるんじゃないかと怖かった。

そう言われたら、大人しく帰ろうと思っていた。

それが当然だと思っていた。

親父の記憶は正直あんまり無い。

どんな人だったのか思い出せない。

母と喧嘩していたシーンしか思い出せない。

葬儀で集まった親戚から聞く親父の話は、知らない人の話みたいだった。

いま、1人になると涙が出る。

会っておけばよかった、という後悔ではない

なんで、親父の世話をしてくれている姉の力になってあげられなかったんだろうという後悔が止まらない。

自分気持ちしか考えられていなかった。

だって自分と同じ子供時代経験をしているのに。

きっと思うことはたくさんあったはずなのに

葛藤もあったはずなのに

長女だから、という理由だけで、全てを背負ってくれていた。

自分の家庭だって仕事だってあるのに。

自分が情けなくて涙が止まらない。

お姉ちゃんごめんなさい。

ありがとう

頼りないかもしれないけど、これからは力になりたいです。

遅くなってごめんなさい。

2025-01-09

葬式

2025年1月9日

朝8時、遺影を見つめる。スーツの襟が窮屈だ。昨日まで会社廊下会釈を交わしていた友が、今日は白木の箱の中にいる。

10時、葬儀が始まる。彼の息子は小学生。胸ポケットから折り鶴を取り出しては、泣きじゃくっている。隣で妻が黒いハンカチを握りしめている。数日前のLINEで「今度飲もう」と約束したばかりなのに。

13時、火葬場。煙が空に消えていくのを見送りながら、会社の後輩が「昨日も普通に仕事してたのに」と呟いた。確かに彼は、最期まで仕事メールを送っていた。

15時、骨上げ。箸から箸へ。白い骨が、かつての友の形を留めている。「パパの背骨だよ」と息子に教えてあげたくて、でも声が出なかった。

19時、自宅に戻る。スマホの連絡先から、彼の名前を消そうとして、どうしても指が動かない。LINE最後メッセージ「また今度な」が、まだ未読のまま残っている。

明日からまた、日常が始まる。でも、誰かの日常永遠に終わってしまった今日は、どうしても終わらせたくない夜になった。

2025-01-05

anond:20230921125631

これ、自分が書いたのだけれど

因果か偶然か、年内に親が、そして半年も経たないうちに妻がこの世を去った。

図らずとも答え合わせができてしまった。

やはり、他人に触れてほしくなく、必要以外は距離を置かせてほしい、それがアンサーでした。

あと、ちょっと極論言うけど葬式結婚式も同様、式や葬祭の費用集める手段だね。

葬儀会社はもちろん、お寺に払うお布施結構するし、家族葬にしたら収支だけで言うとかなりの赤字だったよ。

2025-01-03

anond:20250102072040

私の猫は突然死じゃないけど、急に発作の様な状態になり救急病院に行ったけど…結局翌日まで持たずに死んだ。1か月前には動物病院に検診して貰ってたのに。

燃やしたくない気持ちは私も理解出来るよ。でも私の猫の場合暑い時期だった。愛猫を腐敗させる方がキツイ24時間営業ペット葬儀社に早朝に来て貰ったよ。

大きなフリーザー購入して気が済むまで冷凍するのも…アリかも。本人が別れの時を決めれば良いと思う。

2025-01-01

昔の葬式遺体を座らせて野に埋めてた

葬式に行くことを

「参列」というのも

葬儀とはそもそも野に行く間の列のことだったこからきているそうだ

 

現代人はそういった風習を忘れて死が遠くなった、というけど

みんな内心めんどくせえと思ってたからなくなっただけだろうな

 

冠婚葬祭は、外に出れば一ミリも偉くもねえ親戚が威張っててイラつくから消える運命だよ

 

そんなの仕事で十分、なんで休みの日までカスに頭下げないといけねえのかって話だわ

2024-12-30

江戸時代弱者男性通称「馬尾馬尾」について

馬尾馬尾って誰だよ?

まず、「馬尾馬尾」ってのはあだ名だ。本名は記録に残ってないけど、江戸の町ではこの名前で呼ばれてたらしい。なんでそんな変な名前になったかっていうと、こいつの髷(まげ)が馬の尻尾みたいに長くて特徴的だったから。普通武士町人なら整った髷を結うもんだけど、馬尾馬尾はその辺がだらしなかったんだろうな。

身分町人農民の間くらいの、ちょっと曖昧ポジション。こういう中途半端立場って、どこにも完全に受け入れられないんだよね。だから彼は、どこにも属さずフラフラと生きてた。でも、その中途半端さがかえって彼の強みになったんだ。

弱者男性宿命

馬尾馬尾には、典型的弱者男性の特徴があった。無駄に博識で、細かいことに異常にこだわるくせに、空気を読めない。たとえば、祭りの準備でみんなが忙しいときに、「いや、それは非効率だ!」とか言い出して反感を買うタイプだ。しかも本人はそれに気づかないんだよ。

でも、完全に嫌われ者ってわけでもなかった。独特の正義感と意外な器用さで、トラブル解決することもあった。そういうときは「あいつ、意外とやるじゃん」って評価されるんだけど、またすぐに余計な一言台無しにしちゃうんだな。

ガジェット職人としての才能

そんな馬尾馬尾だけど、実はスゴい特技を持ってたんだ。それが、江戸時代版の「ガジェット」作り。木や竹、紙なんかを使って、小さな仕掛け時計パズルを作るのが得意だったんだ。子どもたちにはこれが大人気で、「馬尾のおっちゃん、おもちゃ作ってよ!」って頼まれてたらしい。

特に有名なのが、木製の「動く人形」。ゼンマイ仕掛けで茶碗を運ぶような簡単からくり人形だけど、それが当時の人たちにはめちゃくちゃ新鮮だった。職人としては一流だったのに、弱者男性としてのコミュニケーションの下手さで、広くは評価されなかったんだよな。

孤独最期

馬尾馬尾は、晩年にはすっかり人々の記憶から薄れていった。家族もいないし、友人も少ないから、孤独生活を送ってたらしい。彼が亡くなったとき葬儀を開く人もいなくて、遺品のガジェットたちだけが彼の存在物語ってたんだってさ。

でも、彼の作ったものは、その後骨董品として弱者男性学の専門家に注目されるようになった。一部のコレクターには「江戸天才職人」として評価されてるらしい。皮肉だよな、生きてる間に評価されないなんて。

2024-12-27

anond:20230721123451

最近

遺産分割は無事終わった(直筆遺言状放置して法定相続をした)。居住地市役所クズだった。本籍地市役所税務署運輸局はまあまあ親切だった。

・父の葬儀形式も埋葬地も遺産分割もすべて父の遺言希望に反する結果になったが母のことだから「悪意」はないのだろうと信じるしかない。

・父のことはまだよくおもいかえす。建築士的に高圧洗浄はしたほうがいい?ときくとかならずいつかはやったほうがいいよ、等、知識裏付けられた答えをおしえてくれた。

・父亡き後の母は闇バイトの「オタク屋根裏壊れてます詐欺にかかりそうになって子供全員で止めたがまだ家の扱いが父ほどはよくわかっていない。マキタの電ノコと充電機を捨てて庭の木が自分できれなくなったのはもったいなかった。月次をつけてくれるクラウド家計簿をおしえてやったのだが、「予想外の出費」(年払いの保険料とか)があるたびにバタバタとあわてている。

最大の浪費は掛け放題プランにすればいいといったのにしなかったスマホ。月額1500円を惜しんで4ヶ月で10万円はドブに捨てたんじゃないかな。

長電話し放題になった今は、相手方がかけ放題じゃないから等の理由で長通話を断られている。

それ相手金銭的負荷を口実にしてるだけで、時間的精神的負荷が原因だとおもうぞ。

母の通話子供からみても意味もなく長すぎる。ストレス解消もある程度許される筈とはいえ愚痴説教や自慢の部分が純粋情報交換部分に比べて長すぎる。

の子供の増田だって首振り赤べこを相づち役においといて永遠にしゃべらせておきたいと何度も思った。

父はどうしてこんな壊れたレコード結婚していられたんだ。かといってしゃべるのをやめさせるには抗議しても意味が無い(パニックを起こしやす人間なので逆効果)。

どんなに小さなことでも気になっていること(愚痴の原因)を取り除くしかなくて業腹。

まあ次の犠牲者を見つけるだろうとはおもいます美容院でも愚痴きいてもらえなくなってるらしいし、一番話を聞いてくれた人が入院して長いというのも聞いた。

生前父に豚足のとろとろ煮をあげたら断られたんだよな。血糖値たかいのをどうにかしようとした母の逆鱗に触れたのか、普通にダメものといっしょにやったせいか

・食べられなくなった父のために通販した井村屋水ようかん缶が返品というか帰省で持ち帰らされたのだが最近ようやく賞味期限が切れて増田が食べた。

上等だからこしあんだとおもったら下がつぶだったのでのみこみにくかったか

・母の耳がちょっとずつ回復している。やはり介護の不眠ダメージによって難聴が一次的に進行していたのだろう。葬式前後の当時に母子のやりとりを通訳してくれた友人には頭があがらないし、なんなら私がいなくても仲良くしてほしいのだが、葬式前後のことはすべてトラウマになっているから二度と遊びに来なくてイイといっている。3年くらいしたらまた意見がひっくりかえってるんだろうな。

・よそで見かけたエピソードで、虫になって故人が戻ってきたようで……などというのがあったけど、父かもしれなくても虫をさっさと殺してしまった。

だって父が仏様からみても良い人だったなら、さっさと輪廻転生を済ませて現世にもどってくればいいとおもうんだ。

2024-12-26

男性女性遺体に何しても話題にもならないんだな

例の女医がご遺体の前でウェーイ写真撮影大炎上で、

検体さ、やりたいいうたら医療関係者の方々から女性は何歳でもやめといた方がいいって何人からも言われたので

今回に限らず闇は色々あるんだと思うよー

ツイートした人がいて、被害妄想だってツイートが沢山付いた。

それに引用で実際の事件が何個か貼られていた。

嘘松とか言ってる人、歯科大だけど過去例ありますよ(胸糞&閲覧注意)

dentwave.com/news/%E7%A5%9E…

https://www.dentwave.com/news/%E7%A5%9E%E6%AD%AF%E5%A4%A7%E9%80%80%E5%AD%A6%E5%87%A6%E5%88%86%E3%81%AE%E5%85%83%E5%AD%A6%E7%94%9F%E3%81%AB%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%81%8C1200%E4%B8%87%E5%86%86%E6%94%AF%E6%89%95%E3%81%84%E3%81%B8/

40代医学生が解剖で、女性のご遺体を解剖している女子学生達の班に行き、45歳女性遺体の外陰部に掌を接触して動かし、さらにご遺体の外部生殖器に指を突っ込みピストン運動振動運動を激しく二分にわたり継続さらに指が届く限り奥まで挿入し、子宮の中の何かを潰して液体が出てきた。7班は騒然とし泣き出す女子学生も居た。

学校は退学処分にし、それを不服として裁判に訴えた。

結果、大学は負けて遺体遊んだ医学生に対して1200万円払うように判決が出た。

https://www.nhk.or.jp/minplus/0026/topic099.html

葬儀会社によって娘の遺体に胸や性器性的いたずらをされ撮影もされていたが、執行猶予の軽い判決だった事件などもはられていた。

たぶん女医がクビになって訴えて1200万をむしり取ったら、大騒ぎで世間も忘れないだろうが、ご遺体ピストン運動をして1200万を貰った学生存在すら知られてないし、怖がる女は嘘松扱いなのだな…と思うとエグすぎるな。

2024-12-24

anond:20241223003604

まあ祖父さん自身にとっては幸せだったろうね、苦しむ時間も短かっただろうし。

次はおまえら祖父無しの幸せを築けるかどうかという試練の時よ。

少子高齢化で一人の老人が居なくなると、それがどれだけ社会家族奉仕してくれてたかよくわかるのよな。

葬儀お疲れ様でした、ご冥福をお祈りします

2024-12-23

anond:20241223101646

朝鮮属国から統一教会の一番偉いやつの誕生日でも祝日になればええのに

この国の皇族、壺の広告塔葬儀なんぞに出席していて、日本人としてドン引きしたわ

2024-12-19

実を言うと、巨人はもう終わりです。

突然こんなこと言って ごめんね。

でも本当です。

2、3日後にナベツネ葬儀があります

それが、終わりの合図です。

程なく大きめの田中将大が来るので気をつけて。

それがやんだら少しだけ間をおいて、終わりがきます

2024-12-17

小学生の時に姉の蔵書の中から読んだ「切り刻まれ食べられたミスプディング悲劇」という少女漫画が忘れられない

~あらすじ~

若きイケメン伯爵は一夜を共にしてほしいと女に言い寄られるが、どうも女は明らかに浮ついたビッチではなく、求めに応じていたら怖がってやっぱやめると言い出した

詳しく聞き出してみると、女は最近夜中に不自然な深い眠りに落ちることがあり、目覚めてから胸騒ぎに駆られて家の中を調べると血のついたモノが見つかったりする

そしてそんな夜は、巷を騒がせている男ばかり狙う連続殺人事件が発生しているのだという

もとは孤児幼児期記憶に欠落がありいろいろと不安な女は自分犯人ではないかと恐れを抱いていた

そんなことを最愛の夫にも相談できず、適当な男と一夜を共にして夜間に不審な振る舞いをしないか目撃していてほしかったのだという

伯爵面白がり、最近死んだ者たちを調べ上げ、共通項を見つけた

彼らはかつて、孤児少女麻薬漬け性奴隷にして弄んだとして報道された変態グループの者たちだった

麻薬の入ったプティングを刻んで参加者たちで分け合い、離脱症状のでている少女に「もう我々のお腹に入ってしまったよ、奉仕をしないと追加はないよ」と言うのが恒例だったが、

ある時に麻薬への欲求に狂った少女参加者の男の腹を食い破って殺害する事件が起きたことで表沙汰になった

少女被害者として保護されその行方は知れないが、もしかしたら件の女がそうかもしれない伯爵は思う

でも色々調べた結果、実はその少女とは女装させられた少年で、女の夫こそが麻薬漬けにされて殺人事件を起こした子供だったと判明する

夫は女装ホモ奴隷にされた過去払拭し、麻薬への渇望を絶ち、同じ孤児院にいた同じような悲しみを背負う女に恋をして、成長した後で過去を隠して女にプロポーズした

過去がバレないように眼鏡をかけてチー牛のふりをしていたが、性奴隷時代に押された焼印を見られたことでかつての変態貴族の一人に正体がバレてしまった

「君が子供じゃなくなってもいける、チー牛おっさんを装っても君はまだ女装すればいける、殺人過去バラされたくなければ昔のように従いなさい」と変態要求してきた

夫は女に眠剤を仕込んで起きられないようにした上で、自分過去を知る者たちを一人ずつ殺害し、夫婦生活を守ろうとしていた

変態をなんとか全員仕留めきった後で妻にそのことが露見し、伯爵は「変態が悪いんだから別に告発したりはしない」とは言うものの、

妻はそんな恐ろしいことをした夫を受け入れられずにキモがってしまい、夫は自分の首を切りつけて自殺

夫は謎の連続殺人事件最後被害者ということにされて弔われた

妻は、夫の手を取れずに死に追いやった責任を持ち生涯彼を思い寡婦として生きると葬儀に来た伯爵に語った

~~

この作品のせいで目覚めたもの

女装少年

麻薬漬けの子

性奴隷にされる子供

カニバリズム子供大人が望ましい)

・嫌がるおっさんへの女装強要

・黒いベールを顔にかぶった未亡人

自分のせいで死んだ男に生涯の操を立てる女

他の作品から複合的に目覚めたものもあるが

この作品のいろんなシチュエーションに電撃走り、何度も読み返したもの

2024-12-04

BLからホラー恋愛マンガみたいなやつ読んでるけど

いろいろ設定がうまくなくていちいち引っかかる

この後の展開は謎の黒い影の正体がわかって主人公の恋も昇華しておわり、くらいか

主人公の兄の恋人だった男が、生前は男の家族婚姻関係を認めてもらえず葬儀にも参加せず、妹である主人公から骨を譲り受けて家に写真とともにおいてあり

一方で墓が近所にあり、中は空っぽだけど花を備えて死んだ恋人に祈る…

というシーンだが墓はそんな安い買い物ではない

恋人だった男は作家業で、困らない程度に金はある設定なのかもだけど

恋人が闘病してて長くないと知り、二人のための墓を買うっていうのも、個人的にはなんだかなと思う

いずれ死が見えた時に愛する人の墓なんか買ったりする?まあでもピラミッド古墳に、生前本人が墓を用意すること自体おかしくはないのか

結局死んだ兄は普通に家族の墓に入っている設定なのだ

なんというか話を通して死に関する諸々がフワフワのエア感

死のイメージがひたすら恋愛を盛り上げるだけの要素で

作者は若いのだろうと思った

2024-11-28

死んだ日よりも葬式の日よりも、一緒に遊んでいたソシャゲの終了日が

遊んでいたソシャゲサービスが終了することになった。世間的には、円満サービス終了である

ずっと作品の中心として紡がれていたメインストリーが終わり、それをもって作品として完結する。

それから数日後にでオンライン版のサービスが終了し、今後はオフライン版としてサービスを行う。

大団円だ。

ソーシャルゲームという、どこで終わるかわからない綱渡りを常に強いられるゲームにとって、当初から予定していたシナリオを完結させて終わることができるというのは、この上ない最高の終わり方だと思う。

そのうえ、全くなくなるのではなく、オフライン版として遊びたい人はまだ遊び続けることができる。

私も、今までに志半ばで終わってしまゲームをいくつか経てきたので、これは本当に最高の幸せな終わり方だとわかる。

なのに、どうしてか、涙が止まらない。

それは、このゲームが、昨年亡くなった私の伴侶が、私と共にメチャクチャハマっていたゲームからだ。

まりは5年ほど前。特に深い理由もなく、「このゲーム、尖ってて面白いですよ!」的なプロモーションTwitterで見かけて、興味を持って初めてみた。その後無事にハマり、楽しくイベントをこなすなどしていた。

あるとき、そのゲームの生配信があり、それが夕食時だったので、食卓はともに囲むというルールだったため「食事の時にこの生配信を見ていい?」と打診したところ、快諾されて一緒に見た。

興味がないゲーム配信ではあるものの、「このキャラって〇〇?」などと時折聞いてくれ、それに応えたりしながら時はながれた。

そんなことがあったことをすっかり忘れていたとき、ある日突然、「楽しそうに遊んでるから、このゲーム始ようかな」と、そのゲームトップページを見せられた。

面白いゲームからぜひやってほしいということと、最初ガチャ何度でも引き直しができるので、(ごく一部のキャラ対象外だが)好きなキャラが出てから始めるとよいと伝えた。

伴侶はそれからしばらくずっと引き直しをしているらしかった。私が見かねて、「どのキャラ目当て?」と聞くと、引き直しでは出ないキャラクターを狙っていることがわかった。

私のミスなのだが、当初の見立てでは、普段好きになる傾向のキャラは全員引き直し対象だったので、そこの注意は必要ないと思って伝えていなかった。

長年のつきあいがあるはずの相手の好みの把握の甘さに反省しつつ、その子は出ないから好きに始めたらいいよと伝えて、ようやくプレイを始めたようだった。

ここから、伴侶のつたないプレイ応援して二人三脚・・・で、みたいな展開が通常はあるかと思うが、伴侶は普通にそのゲームに興味がなかっただけのゲーマーなので、めきめきと上達していった。

まだゲームに慣れていなかった時代には、「コイツはこうやって倒すんだよ」などと、3ターンキルを見せてあげるなど、上級者ぶりを見せつけて悦に入っていたころもあったが、ほんのわずかな期間だった。

ゲームは好きだが他のゲーム浮気しまくっている私と、このゲームに一途にプレイしている伴侶とでおもしろいほどに差が産まれ、いつの間にか練度は追い越されていた。

とあるむずかしいメインストリーボス攻略に苦しんでいる私に、「これで突破したけど?」と、育成しきったキャラと編成でこともなげに攻略する様を見せつけられたときは、BSS…とつぶやいてしまった。(全然違う!

ありがたいことに、きっかけとなった生配信の後も定期的に公式配信をしてくれていたので、一緒に生配信を観ていた。

お互い、新規キャラ実装で気になるキャラがいると、テレビに走り、間近で配信を観た。

あのキャラクターもあのキャラクターも、実装時の一番最初記憶で頭に浮かぶのは、残念ながら伴侶の尻である。(人間目線より下の角度に置いてあるテレビにひざをついてかじりついていると、その後ろにいる人から最初に目に入るのは見ている人の尻になるのだ)

新しい衣装実装されると、一緒にテレビの間近まで近寄って、衣装イラストに散りばめられた小ネタを探した。

キャラクターの性能について語り合ったりもした。

気は合うが好みは合わないので、あまり一緒にハマれるコンテンツがなく、数少ない一緒に語れる作品だった。

もちろん、それぞれが別の作品にハマることには不満はない。お互いが好みを尊重しているので、無理に勧めることもない。

から同時にハマれる作品がないのは仕方なく、それも承知でこれまで長年共にいたので、この作品ばかりが特異なだけだった。

カラオケコラボが始まり田舎住まいだが辛うじて遠征できそうな場所でやってくれていたので、初めて一緒にコラボイベントに出かけた。

カフェコラボが始まりちょっと頑張れば行けそうな場所でやっていたので、わざわざ旅行の予定をいれてコラボイベントに出かけた。

ストーリー更新があるたびに、お話の「これから」はどうなるか語り合った。

生意気オタクなので、クオリティにばらつきがある、イベントストーリーの良し悪しの話もしたりした。

私は時々コミケに出るタイプ創作寄りのオタクなのだが、伴侶はそうでもないのに、珍しく「コミケに出てみたいな」と言っており、二人で合同誌を出すことを企画した。(残念ながら、コロナで中止になって叶わなかった)

こういったことは、このゲームがなければできなかった体験だし発想だった。

コミケはわりとまじめに出たかった。伴侶が元気になったら出たいとずっと思っていたし、今でもなんとか無理してでも出られなかったかなと思っている。

同じゲームにハマってからだいたい2・3年くらい経ってからだろうか。うろ覚えなので違うかもしれない。(追記:改めて見返したらやっぱり間違ってたので直した)

大変申し訳ないが、私はちょっとそのゲームへの熱量が下がってしまった。

インストリー見た?と言われても、敵が強くてまだだな~みたいな感じで濁すようになっていた。

伴侶も同じくらいで止まっていると言っていたが、それが本当に止まっていたか気を使って言っていたかがわからない。

これこそが私の最大の後悔だ。

伴侶は、昨年に持病をこじらせて亡くなってしまった。

私の手元には、しばらくサボっていたソシャゲが残った。

その年の秋か冬か春かくらいだっただろうか(暑くなかったので夏ではなかったくらいしか記憶がない)。・そのゲームは、「メインストリーシナリオ、今なら全部読めますよ!」という、まあまあどうかしているキャンペーンを始めた。

ちょうど暇だったので、キャンペーンに合わせてストーリーを読んでみた。

めちゃくちゃ面白かった。

物語が佳境に差し掛かっていることもあって、伏線が鮮やかに回収され、巧みに回収されていくストーリーに目を見張った。

面白いなと思うと同時に、ひとつ感情が産まれた。

「この面白さ、共有したかったな。」

更新されたシナリオが、古いものばかりならそうも思わなかったのだが、伴侶が元気だったうちに更新されたものもそれなりにある。

「共有できる機会があったのにできなかった」ものがいくつもあるのだ。

めんどくさがらずにストーリーを進めていたら、この面白さの少しくらいは、一緒に楽しめただろうか。

しかしたら、気を使って言わなかったけど、ここまでは進めていて、本当には早く進めてここまで読んで欲しかったのではないだろうか。

「共有したかった」と、ここまで思ったゲームは始めてだった。珍しく好みが合ったというのもあるが。

そのゲームの、完結が発表された。

私は、「共有したかった」と思った。

ずっと生配信を一緒に見ていた。おそらく伴侶が興味を持ったきっかけも生配信だったのではと思う。生配信で終了が発表されるゲームは稀だという。そんな、レアな「終了を発表する生配信」を一緒に見たかった。

完結の喜びと、もう見られない悲しみを共有したかった。ぐちゃぐちゃな気持ちをぐちゃぐちゃなままで共有したかった。

SNSに書くときは、どうしても感情を一旦整理してしまう。整理されないままの生の感情を共有できるのはリアルコミュニケーションならではだ。

私はもともとコンシューマーゲーム好きな人間なので、ゲームが終わってしまうこと自体はそんなに悲しくはない(全く悲しくないわけではない、念のため)。

そもそもコンシューマーゲームであれば発売の時点でシナリオは完結しているのが普通からだ。

それに、オフライン版も制作されることが発表されている。

から終わってしまうことそのものよりも、終わってしまう悲しみを、「これから」が亡くなってしまう悲しみを、今までずっとゲームの「これから」を一緒に楽しんできた相手と共有したかった。でもその相手はもういない。

この気持ちが、涙を流させる理由ひとつ

葬儀というのはわかりやすい。人が死んだから悲しいのだ。それを紙に記す。

ソシャゲの終わりを紙に記す人はそういない。さらに、そのゲームが好きだった人のことを紙に記す人は、もっといない。さらに、そのゲームのことがどれだけ好きだったか、そこに付随する気持ちがどれだけあるのか、これはもう、もっとどこにも記されない。

かにこのゲームのことを、私の伴侶は愛していたのだ。でも、オンライン版のサービスが終了することで、アカウントは消えてしまう。こんなにたくさん衣装を買っていて、手持ちを全員レベルMAXにしていて、編成をたくさん作っていても、ゲームが終わったら消えてしまうのだ。

私はこの愛を残しておきたい。でも、遺しておく方法がない。涙が出る理由のもうひとつは、たぶんそういうことだと思う。

2024-11-25

池袋暴走事件の原因の上級国民刑務所で没したそうで

妻たちはさぞウキウキだろォ

葬儀を終えたら焼肉屋でお祝いしてハワイ移住かもォ?

生命保険営業ネギミホと高齢者病棟医師サトウユキコみたいにさァ

医者の闇バイトなんて99%は捕まらいからなァ

2024-11-05

亡くなったばかりの人のすごい系話が見てられない

X見てると、有名人が亡くなった途端に称賛の内容が溢れかえるのだけど、いや、もうちょっとかに悲しむもんじゃないの?

あの作品がすごいとか、この演技がすごいとか、こんなエピソードがすごいとか、人の死を悼むためのものじゃないんよ。

喪に服すっていう高尚な精神はどこにいっちゃったのよ。

それをせずに逸話ばっかりが溢れちゃうのは、香典ピン札包んできたみたいな具合の悪さがある。

もしくは葬儀写真キラキラに加工してSNS共有してるような感じ。

直接かかわりがなかった人にしてみれば人の死もインプレネタしかないのだと思うけど、それをありがたがる方もどうかしてるよって話。

なかなかにグロテスク時代になってきた感じがある。

2024-11-02

昔(30年ほど前)、交通誘導仕事をしてた知人から聞いた話。

そいつ会社で一番稼いでるのは役員でも社長でもなく、とあるお寺の駐車場警備をしている隊員らしい。そこでは葬儀1件が1勤務扱いで、多い日には5件以上ある日も。それだけなら日当5万程度だけど、大事なのは副収入

そこのお寺は都内でも屈指の有名なところで、芸能人会社社長政治家なども葬儀をする。そうなると各所に金一封が配られるのだとか。それがかなりの高額だという話。時代もあってそのお金を申告してたかはよく分からないが、雑所得からちゃんと申告してたら結構引かれてるだろうなとは思う。

それもこれも随分と昔の話。今はその人もリタイアしてるはずだし、葬儀のそういった習慣も変わっているだろうとは思うけど。

急に思い出したので書いてみた。

2024-10-29

anond:20241028181233

かにこの状況で死なれたら夫キツいだろうな。

もう離婚覚悟が固まってて当然愛も情もないのに、戸籍上妻というだけで葬儀や墓の世話をしないといけなくなるわけで…あなたの遺骨とか夫一族にとっては特級呪物でしかないんだよ…10年一緒にいて、身体が悪いわけでもないのに子供の一人も産まないで駄々こねて自殺した嫁の遺骨なんて、善悪や良し悪しは別にして厄介者だと思われても仕方ないよ。墓にしても、後妻や生まれてくる(かもしれない)子供達は、ゆくゆくあなたみたいな前妻と一緒のお墓に入るのは嫌でしょうね。

この状態で引きずってでも実家に連れ戻して療養させようと思わない増田の両親が、あなたの遺骨は引き取ります弔事もこちらでやりますなんて言うわけがないしね。

そんなに死にたいなら離婚して縁を切ってから死んであげてほしいわ。頼むから

2024-10-28

anond:20241028205437

この文章最初から間違っている(再掲)

anond:20241028205437

1981年、父の死後、 真っ先に葬儀に駆けつけてくれた 田中角栄氏の助言で政界を目指すも 田中派ではなく中曽根から立候補

 田中角栄を裏切る。

石破は田中角栄を裏切ってなんかいない。

田中派に既に候補がいたから、田中角栄が「石破を預かってくれ」と別派閥に頼んだ

https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/83504?page=4

田中角栄元総理の「木曜クラブ事務局にいる石破茂氏を擁立しようとなった。

角さんからミッチー宛に電話があり、例のダミ声で「みっちゃん、石破のせがれ預かってくれんかね。頼むよ。」という感じだった。中選挙区ですでに田中派には平林鴻三代議士がいたかである

石破、権力得た途端に安倍化したけど裏切り歴史国民が追加 [NEW]

1981年、父の死後、 真っ先に葬儀に駆けつけてくれた 田中角栄氏の助言で政界を目指すも 田中派ではなく中曽根から立候補

 田中角栄を裏切る。

1993年 非自民細川連立政権が成立。 自民党が野党に転落すると、 立て直しに四苦八苦する森喜朗幹事長に 「私はね、政権与党にいたいんです。自民党の歴史的使命は終わった」 と捨て台詞をはき離党届。

 自民党を裏切る。

小沢一郎を「真の改革者」と称賛して新進党結成に参加するも、小沢一郎党首に選ばれると、自分の考える政党と違うと総選挙前に離党。

 小沢一郎を裏切る。

自民党に復党するも誰も相手にされず、伊吹文明が「石破君は仕事のできる人だから」と情けをかけて伊吹派に入れてあげるも、その後に入閣すると「閣僚派閥に属するものはいかがなものか、派閥は旧態然としていると思いますよ」の捨て台詞伊吹派離脱

 伊吹派を裏切る。

麻生政権閣僚を務めていながら、支持率低迷で総選挙が近づくと総理官邸に乗り込み、「後任は麻生さんが指名すべきだと、私は思うわけです」と謎の論理を展開して麻生おろしに加担。

 麻生太郎を裏切る。

民主党から政権奪還を目指した自民党総裁選で安倍晋三総理を争い、敗れて幹事長に在任期間中地方選挙連戦連敗。

 自民党支持者を裏切る。

安保関連法担当大臣を任せたいと言われるも、面倒くさそうなので、屁理屈をこねて固辞。代わりに受けた地方創世担当で実績を残せないどころか既得権益配慮して加計学園問題地方見殺し

 地方を裏切る。

自民党総裁任期延長問題で総務会で吠えまくるが、誰にも相手にされず、

 派閥政治否定してたのに石破派水月会を結成。

⑨森友問題加計学園問題自衛隊日報問題新聞テレビに連日出演して、安倍政権自民党を背後から撃つ発言しまくり、マスコミ安倍おろしに加担。

 安倍晋三を裏切る。

2024年統一教会問題だけでなく裏金脱税問題まで明るみになった自民党。立候補者は全員壺の信者なんやかんや石破がマシだと思われていたが、おまえもかとピュア国民を裏切る。

さら奇跡的に党首になったと思えば手のひらを返したように安倍仕草連発。国民を完全に裏切る。

anond:20241028103607

2024-10-25

闘病の末に父親が死んだ。

よく周りからは「お父さんは幸せだった」「あなたはよく頑張った」と言われる。

父と母は離婚していて、兄弟は県外に居た。

動きやすいのは自分だった。長子だったのもあるが、自分性格もあったとは思う。

仕事休み、何度も父の元へと向かった。新幹線で、高速バスで、時には車で。

父は末期癌だった。

そして、さして仲良くもなかった自分が看取った。看取ってしまった。

向けられる他人から評価がとても重い。

自分にとって父とは、何だったのだろうか。

父が死ぬまでに、何度も心が折れた。

勝手死ね」とも「死なないでくれ」とも言えぬ自分の身勝手さに、気持ち悪さが付き纏った。自分には父を恨むにも愛すにも、圧倒的に情報が足りなかった。

記憶に残るのは、怒られたこと、趣味を語る穏やかで弾んだ声、モルヒネで死相が出ている痩せ細った体、そして最期の何か言いたそうにもごもごと動く口。

葬儀の日に泣き崩れた自分が何に泣いたのか、未だに分からない。

心が折れて何度か顔を見せられなかったことの後悔、最後に立ち会ってしまたことの重さ、知らぬことが多い父への疑問。

答えが出ず、吐き出せぬ気持ちが、肚の中にずっとぐるぐると渦巻いている。

知らなかったことの方が多かった。

そしてそれはこれからも分からない。

仕事も、趣味も、預金も、交友関係も、何もかも。

金はそれなりに遺してくれたが、スマホの中には何もなかった。

かに酷くセンシティブものはあったがそれだけだ。

遺したものに友人が居た形跡はあったのに、スマホの中には居なかった。

酷く寂しく、そして虚しい。

自分が知らなかった時間を知る人が、居たのか居なかったのかさえもう分からない。

消したのか、元からなかったのか。

ないとすれば、父とは何だったのか

病院でも何処でも、何時でも聞ける機会はあった。

聞かなかった理由は「似ている」からだ。

答えを知るのが怖かっただけの自分は、親不孝者なのだろうか。

生きるのが億劫になったのは何時からか。

心の内を曝け出す勇気は、端から持っていない。だから電子の海に流す。

頑張って過ごすことに、少し疲れてしまったように思う。

理由を父に押し付け、投げ出している毎日に嫌気が差す。

よく、周囲から批判される夢を見る。

そして起きて酷く安心する。

覚めたことではなく、その内容に。

「石破の裏切り歴史」とされるもの最初から間違ってる話

元は石破が安倍対立していた時期にネトウヨが作ったものらしいが、最初から間違っている

https://anond.hatelabo.jp/20241025164433

1981年、父の死後、 真っ先に葬儀に駆けつけてくれた 田中角栄氏の助言で政界を目指すも 田中派ではなく中曽根から立候補

 田中角栄を裏切る。

石破は田中角栄を裏切ってなんかいない。

田中派に既に候補がいたから、田中角栄が「石破を預かってくれ」と別派閥に頼んだんだよ

https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/83504?page=4

田中角栄元総理の「木曜クラブ事務局にいる石破茂氏を擁立しようとなった。

角さんからミッチー宛に電話があり、例のダミ声で「みっちゃん、石破のせがれ預かってくれんかね。頼むよ。」という感じだった。中選挙区ですでに田中派には平林鴻三代議士がいたかである


その次の

1993年 非自民細川連立政権が成立。 自民党が野党に転落すると、 立て直しに四苦八苦する森喜朗幹事長に 「私はね、政権与党にいたいんです。自民党の歴史的使命は終わった」 と捨て台詞をはき離党届。

 自民党を裏切る。

これも、さも石破が悪いようにネトウヨから言われてるが、この時の自民党の総裁が誰か知ってるのか?

ネトウヨにとっては悪名高い、河野談話河野洋平だぞ?

自民党が、改憲方針を捨てて左翼化したとき自民党を出た話を、ネトウヨ批判するのか?できるのか?

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