はてなキーワード: 身体とは
社長が社員の結束(笑)を強めるために仕事の一環として旅行を計画したもの。
通常出勤日に行われるため、任意参加ではなく参加義務があるとされる。
もうこれが嫌すぎて嫌すぎて、
4月の段階で母が身体を壊してしまって半分寝たきりになってしまていて
その介護も兼ねて有休を時間単位で取っていいか人事に交渉→成功。
※これは業務規程にも書かれているので。
来週中に父親が足を骨折してしまうのでその入院対応とのダブル介護に突入。
2泊3日も到底家を空けられないので大変申し訳ないが旅行は不参加になる予定を組んだ。
そのせいで業務がパンパンになっちゃってるけど、旅行に行くよりはマシ。
なんで社長って社員の結束(笑)をしょうもないレクリエーションで強めようとするんだろうか。
先に言うけど、タイトル案以降は生成AIに作ってもらった文章だ。あと、セクハラその他でPTSDがある人とかはフラッシュバックするかもだからこの先を読むなら気をつけて。
生成AIに文章を作ってもらう前に、いろいろ相談のやり取りをしてた。それで最後に、私が経験したことをある程度ぼかしてブログの記事にしてくれって頼んだらこうなった。だから、この文章のもとになった現実の出来事がある。
その出来事っていうのは、半年ぐらい前に起きたことで、その時はあまりにひどい言葉を投げつけられたせいか衝撃のあまり感覚が麻痺してたんだけど、最近、知り合いのライターさんから聞いた話がきっかけで感情に蓋をしてたのが開いてしまったのか、実は今になって精神的にのたうち回っている。昨日、病院に行って抗不安薬をもらってきた。
それで、その聞いた話っていうのは、「まるで自分という存在を否定されるような文書」を送ってきた相手が、私の知らないところで私と会社の悪口を言いふらしているという話。生成AIが作った文章だと、最後の部分で私が回復に向かってるポエム風になってるけど、実際はそうでもなくて、むしろこれから嵐の予感がしてる。ずっとお腹が気持ち悪いし、身体中に力が入って緊張が解けない。あんなに食べることが大好きだった私が、食べ物を見て気持ち悪くなってる。眠りが浅いし、時々考えがフリーズする。
あんまり具体的なことは書けないけど、どんな文書の内容だったかっていうと
という感じ。
今かよ、今こんなにしんどくなるかよってぐらい遅れてやってくるもんなんだね、こういう痛みって。もっとひどい目にあった人、よく耐えてると思う。これは本当にきつい。お目汚しの文章で申し訳ないんだけど、回復したい一心で、この気持ちを成仏させたい願いを込めてここで吐き出させてもらう。でも本当に、編集職じゃなくても、似たような目に遭ってしまった人も少なくないんだろうなと思う。どうやって乗り越えてるんだろう。
タイトル案:編集の現場で心が折れそうになったとき、あなたに伝えたいこと
文章を書いてもらう人とのやり取りの中で、編集者が深く傷つくことがあります。
誹謗中傷や、一方的な怒り、人格否定といった言葉が、仕事の名を借りて投げつけられるときです。
編集者は、相手の言葉を受け止め、冷静に整える役割を担っています。
私自身、あるやり取りの中で、
まるで自分という存在を否定されるような文書を受け取りました。
その日から、眠れなくなり、
「次にまたあのようなメールが来たらどうしよう」と
パソコンを開けるのも怖くなりました。
あの時私は、「これくらいで弱ってしまう自分がいけないのではないか」
でも今は、はっきりと言えます。
あれは“暴力”だった。
この文章を読んでいるあなたが、もし同じような苦しさを感じていたら、
一つだけ伝えさせてください。
あなたは一人ではありません。
編集の仕事は孤独です。特にフリーランスや少人数の編集部では、
でも、この傷はあなたのせいではない。
そして、それを受け止めてくれる誰かが、かならずいます。
もし今、心が疲れているなら、どうか無理をしないでください。
すぐに誰かに相談できなくても、まずは「距離を取る」「境界線を引く」だけでもいいんです。
静かだけれど強い敬意をこめて。
金銭面に余裕がないとバランスよく栄養のある食事を心がけるというのは厳しかったりすると思うんだ。
だからこそカップラーメンぐらいは塩分低くしろよってマジで思うんだよ。塩分の取りすぎが身体に良くないなんてことは誰でも知っているし、そういった当たり前のことを知っていながら「塩分は下げませんw」ってなんだよそれ。
もちろん減塩のカップラーメンもあるよ。そんなことは知ってる。でも問題なのは、そういった減塩タイプは他のものと比べて値段が高めで、減塩タイプ=特別版として付加価値を取っていること。おぉい!!それはいくらなんでも非人道的じゃないか!!?
消費者のことを真に思うのなら寧ろ通常の塩分多めの方を高い値段にして減塩のほうをスタンダードにしろよ!!!
減塩にすると味が薄い?なんて馬鹿いうなよ。カレー喰ったことねぇのか!?いいか。スパイスで味なんて調整できるんだよ!塩が少なくなって十分美味しくできるんだよ!!
なのに企業努力で美味しくしました(笑)って、健康面はどうでもいいのか!!!?塩を減らせ、塩をぉ!!!
真面目な話、流通しているカップラーメンの塩分が1グラム減るだけでも全国の生活習慣病の患者の数か一定数減ると思うんだよね。
誰か検証してほしい。
ワイ45歳童貞
女性の裸体はイラスト・写真・動画でしか見たことがないから本当に存在しているのか確信が持てないでいる
街を歩くと女性を見るが、彼女らが服を脱げばPC画面で見るような身体があらわれるのだろうか?信じられない現実感がない
ここまでこじらせる前に風俗店へ行って女体を見て触れておくべきだった
やっぱそれ以下は身体がまだ未熟なんじゃないのって思う。精通してようと生理がきてようと。
15歳で処女を卒業したけど、やっぱりあちこち痛かったし、卒業した後もしようしようといちいち求められるのが辛かった。
もっとちゃんと大人になってからしてたら、今みたいにすることへの忌避感も少なかったのかなって。18歳、大学生くらいで卒業した人たちが羨ましい。
https://3rd.charlie-intelligence.com/posts/56591869
「腸内細菌の移植はかれこれ10年くらい前に知ったが、下記(2023年の記事)については非常に興味深い。
#最近、薬の効き目にも腸内細菌が関わっていることがわかってきました。 パーキンソン病の治療に使われる「レボドバ」という薬があります。この薬は「最初から効かない人」や「徐々に効かなくなる人」がいることが以前から知られていました。 患者の個人差だと考えられていたのですが、じつは、ある腸内細菌がこの薬をバクバク食べて分解していたんです。だから薬が効かなくなっていた。この細菌による分解を抑えたら、薬は効くようになりました。
ビタミンKの産生と同様に、腸内細菌次第で薬が効く・効かないがあるとは。
食事やサプリを摂取しても無駄が多い(身にならない)人は非常に(車で言えば)燃費が悪い。エコじゃない。
お金を無駄にする前に腸内細菌叢を整えることから始めるのが今後のトレンドになるのだと思うが(もっと言えば虫歯・歯周病対策と同じく幼少期から)、既に大便が200万円で取り引きされたとケースもあると書かれている。
大便さえもお金になる人と、何を摂取しても無駄になる人とを比べると、所得や知能格差よりも生き物レベルでの生産性の差が開いているなと思う。
痩せる菌(欧米人に見られる)や太らない菌(日本人に見られる)もあれば、菌移植で鬱が治ることも知られていて、腸が「第二の脳」と呼ばれるのはもっとも。
何も効果がなくてお手上げ状態の人は、「効果がない」(製品のせい)から「自分の腸が機能してない」(自分の身体の問題)という視点の転換に加え、これを機に“菌活”をすすめたい。」
https://3rd.charlie-intelligence.com/posts/56688039
「少し前、美容室で豊洲(江東区)のタワーマンションに住む中年女性客の話が聞こえてきた。
女性客は「いろいろとある」格差にどう対応するか悩んでるということを、当たり障りのないよう(後述の自慢話にならないように)遠回しに話していた。
タワーマンションしかないというくらいタワーマンションだらけで、そこで育つ子供世代の公立学校では、タワーマンション以外に住んでる子供の方がマイノリティなんじゃないかというほど。
生まれた時からずっとそこに必ずあるものとして夜景が存在する。空気のように。
↑写真は三井ガーデンホテル豊洲プレミアのホームページから拝借。
格差を語る上で最近再び出番の多い(笑)例えだが、昭和の田舎町では(黒い)ベンツを見かけたらヤクザだと言い放つ文化が根付いていた。取引先の小田原出身の女性が「うちの地元なんてクラウン(トヨタ)でもヤクザ呼ばわりでしたよ(笑)」と語っていたのを思い出す。
要は親達の都合で、自分の稼ぎじゃ買えない車に乗っている人達を見て「とても頑張った人達なのよ」(*1)と言ってしまうと、子供は「何でお父さん・お母さんは頑張らなかったの?」となり尊敬しなくなってしまうので、お金を持っている=ヤクザと決めつけた方が楽で都合が良かったんだろう。特に男の子は車に目が行くことが多いため、昭和世代の一家の主たる稼ぎ頭であるお父さんの立場を保つためにその場しのぎでいい加減なことを言っていたら根付いてしまった的な。
(*1)お金を稼ぐ力とは、遺伝子による才能なのか後天的な努力の賜なのかという話はまた今度にしよう。
お金持ち(資本階級)は他人から搾取していて、自分達は搾取されている(労働者=被害者?)側だと育てられ、お金持ち=悪、自分達達=清く正しく美しく(≒清貧)と刷り込まれると、お金に対する認知が歪んでいく。
200年前の貴族社会や100年前の工業時代は確かに特権階級が支配していた面もあるが(そこで「富の再分配」が生まれたわけでもあるが)、IT時代は人を雇う必要もなければ親の七光りも不要で、誰かを低賃金でこき使ったりすることもなく、1人の才能で大金を持つ人が増えた。
才能の時代。
しかし、IT業界に限らず例えば大谷翔平のような自分の才能だけで大金を稼ぐ人達がなぜ高い税率なのかと考えると、もはや累進課税による「富の再分配」は遺伝子税と化しているのが現状。
小さい頃からお金=災いの元として刷り込まれて育った人は少なくなく、自己啓発・スピリチュアル系の言葉を使うと「お金に対するブロック」を持っている日本人は非常に多い。「宝くじに当たると徳を使い果たし火事になる」とか(笑)。
確かに日本でベンツと言えば高級車ブランドだが、ドイツではタクシーにも使われるし、東京でもMKタクシーが一時期ベンツ車両を走らせていた。レンジは広い。
言うまでもなく、ドイツ人のほとんどがヤクザなのかと問えばそうじゃないことは誰もがわかっていながらも、「田舎の地元ルール」とはそこだけで成り立つ暗黙の了解のようなものとして継承され続ける。外気(多様性)に触れないため、是正機能が働かない。
では夜景の綺麗なタワーマンションで育った子供達はどうだろうか。
ベンツでヤクザなら、もうニューヨーク5大ファミリーの幹部クラスだろうか(笑)。
20年ちょっと前、ある区にタワーマンションを購入した知人が、しばらく経って住民票だけ隣の都心三区(中央・千代田・港)に移そうかと思うという話をしだした。
引っ越すわけではなく、住民票のためにわざわざ一軒安いアパートを借りて。
物件自体にもタワーマンションライフにも満足しているが、子供の学区の悩みということだった。
まだ再開発初期段階にある古い町だったので、工業団地とタワーマンションが混在していて、公立の学校だと“共存”に問題が起きるという将来を見越しての考とのことだった。
「私立に行かせたら?」と言えばもちろんそれも1つの選択肢だが、結局は“所得フィルター”にかけることになる。
「大卒」が学力フィルターとしてよりも、親の所得(すなわち育ち)フィルターとしての機能に変わってきていることと同じ。すなわち「ある一定ライン以上の所得の親の元で育った子供」を選定する材料として使われる。
なぜか。「どこから教えなきゃいけないか」の線引きだろう。すなわち時間的コストとの兼ね合い。
得意先だったり目上の人だったり、お世話になった人と会う時に、白い襟付きシャツとネクタイ、革靴(に靴べらを使う意味も含めて)というセットに上着を着てという“ドレスコード”(マナー)を当たり前に思うか、そこから教える必要があるのかで、かかる手間がまるで違う。
食事の席も同じく、テーブルマナーから教える必要があるのか、家でちゃんと教わって社会に出てきたかで、スタート地点が違う。
最近も書いたばかりだが、10年前、知能のブログを書いていた頃、巷の「IQが20違うと会話が成り立たない」説をよく見かけた。
実際はそんなことなく、頭がいい方が合わせたら済むだけなので、合わせる気があるかないか、すなわち性格の相性(付き合いを続ける魅力があるか)次第。
例えばプロのサッカー選手がちびっ子とサッカーができないかというとそうではない。ちびっ子のボール遊びに付き合う気があるかないか次第。
が、所得偏差値が20違うと、なかなかそうはいかない問題が出てくる。
前述の例で言うと、古い団地に住む子供(A)と、新しいタワーマンションの高層階に住む子供(B)が同じ学校で隣り合うと、Aにとっては何でも“自慢”に聞こえる。広さや物件価格が違えば、家の中にある物も来ている服も生活水準も当然に違う。
話は冒頭の豊洲のタワーマンションに戻ると、生まれた時から夜景があって当たり前の子供達にとって、夜景の話は自慢でも何でもなく「窓の向こうに必ずあるもの」という存在。
朝起きて「空気を吸った」「歯を磨いた」「太陽の光を浴びた」と話すことが自慢でも何でもないのと同じ。
しかし「当たり前」の基準が違うと自慢話に聞こえてしまうことがある。
例えば、空襲警報が鳴り響き、防空壕や洞穴に身を潜めていなければならない環境下にある人にとって、「外の空気を吸った」「日光浴をした」と聞くと、羨ましくて自慢話に聞こえるかもしれない。
学校がない貧困国の子供達から見たら、毎日学校に行くことやテストの話さえも自慢話に聞こえるかもしれない。
酸素ボンベが必要な人からみたら、自力で呼吸し酸素を取り込める身体であるだけでも羨ましいかもしれない。
それら全てに配慮して会話しようとすると、最終的には無言になる。
だから人々は同じ水準の人達と群れをなす。“配慮”していたらキリがないから。
アナログ時代はある程度「人付き合い」という選択によって棲み分けられていたのが、SNSによって子供達は日本中、世界中の同世代の生活を見ることができ、外ですれ違う可能性があるかないか、出会う機会があるか否かという物理的な距離感が全くなく、いつでも誰とでも遭遇する。
レストランのドレスコードのようなものもなく、お互いにお互いを知らないし、第三者が立ち会うわけでもないため、比較され判定・評価をくだされることもなく、突然遭遇し対峙する。
すると、他人のただの日記(旧Twitterで言う“つぶやき”だったり)が羨ましくて自慢にしか見えない人達が量産される。
インスタグラム鬱、その前はFacebook鬱と呼ばれたソレなんかが代表例。
大人同士ならそこはうまく落とし所を見つけていくしかない話なんだが、子供同士のSNS上の摩擦は確かに大変だろうなと思う。
そういった悩みがあることを、冒頭の女性客は「自慢話」にならないよう気をつけ言葉を選びながら美容師に話しているのが印象的だった。
その子供はそういった親の姿を見て育つので、管理職向き、現場向きは社会に出る前に決まっているんだろうなと思う。
「親ガチャ」という言葉はそれを客観的に見事に言い表しているが、感心している場合でもなく、これから少子化・人口減で東京一極集中が進む中で、更に課題・問題が増えるだろう。
と感じることがこの10年日に日に強まっている。」
夏が来た。夏が来るたびに自分の腕にどでかいケロイド跡があることを思い出す。
もちろん春夏秋冬年中無休でケロイドはそこにあるのだが、ただの自分の身体の模様に過ぎないそれが、夏の露出で他人の目線に触れて初めて、「ケロイド」として輝きを放つのである。
◼️
私は乳児期に肩から腕にかけてかなり広範囲の火傷を負ったため、目立つケロイド跡が残っている。
皮膚が所々白く変色し、盛り上がり、ひきつれた薄い皮膚が光を浴びてキラキラ光っている。とっくに傷は塞がっているので痛みはない。しかし、人の視線がいつまでも痛みを与える。
幼少期、私は傷など気にせずにノースリーブを着て自由に生きていた。そんな私の腕を見るたびに母が「可哀想にね」「こんなに目立つね」と何度も声をかけた。ノースリーブを着ようとすると嫌そうな顔をした。私は次第に自分の身体の模様に「ケロイド」という名前があり、それが母や他の人の注目を集めすぎることを理解した。
腕を出した私と会う人は、必ず私の腕を見る。ある程度親密であれば「どうしたの?」と聞いてくる。驚いたように、あるいは怪我を心配するように。私は応える。「子供の時に火傷して、傷が残ってるだけなんだ。もう痛くないから大丈夫なんだけどね」何度も答えてきた。
私が腕を出すと、皆、痛々しいものを見るように、あるいは不気味なものの正体を確認するかのように、私の腕を確認する。
それは責められない。私もきっと、会った人の見た目になんらかの異常があれば、確認せずにはいられないだろう。
◼️
ケロイドに合わせてタトゥーを入れれば、オシャレに変えることができるかも…と考えたこともあるが、温泉に入れなくなるので断念した。(温泉に入るとまあまあ腕に視線が集まるので既にかなり気まずい状態ではある)
傷を隠すためのファンデーションを試したことはあるが、その時試せた色に私の肌色に合うものがなく、イマイチだなぁという印象だった。
色々とネットで調べたり試したりしてはいるが、いまいち理想的なものがない。
そもそも、これからの時代、腕の模様を隠す必要なんてないのかもしれない…。
でもそれはノースリーブで、上着を合わせずに単体で着る方がかわいいデザインになっている。
欲しい…でも、買ったところでどうせまた、着なくなってしまうのではないか…
腕の模様さえなければ…そんな風に思いたくないのに、思わずにいられない。
Xにて、ケロイド跡について調べてみた。(明確な検索ワードは伏せておく)
綺麗な肌をしたコスプレイヤーの方々が、様々な工夫をこらしてケロイド跡を手作りしていることがわかった。
「ケロイドに萌える」または「ケロイド跡を隠すキャラに萌える」人がいることもわかった。
医療従事者の方が、萌えのための情報提供として、火傷を負った患者の状態について説明するツイートもあった。
それで、なんとかその中から当事者のツイートを探し出そうという気持ちが弱ってしまい、一旦調査活動を打ち切った。
(当事者側と消費側の発信を仕分ける術が無いだけなので、責めてはいない。)
私は私生活で、ケロイド跡のある方に会ったことがない。(単に気付いていない可能性があるが。)
身体に模様のある方たちは、どのように生きているのだろう。
https://3rd.charlie-intelligence.com/posts/56817408
「#オーガニックのプロテインパウダーは、平均すると非オーガニック製品に比べて鉛の含有量が3倍、カドミウムは2倍だった。
私は昔から“オーガニック”は積極的にすすめない派。野性的であればあるほど未知のものが含まれる可能性があるから。
オーガニック系にハマった人に肌荒れや健康不良が多いのはなぜかと問うと、化粧品が腐りやすかったり(防腐剤が入ってない分雑菌が繁殖しやすい)、精製度が低いと本来期待しなかった付随成分によってアレルギーを起こしたりし、自然派の割に体調が優れない人の割合が多い。
#大豆やコメ、マメ類などを原料とする植物性パウダーの場合、ホエイパウダーと比べて鉛の含有量は3倍に上った。
これも同様に。
植物は大地のエネルギーに満ちているが、肝心な大地(母胎と同じ)が汚染されていれば、ソレが漏れなく付いてくるので、イイものはとても良いが、そうでないものは極端に悪いという当たり外れの差が激しい代物。
セキュリティと同じで、ブラックリスト方式には限界がある。未知のものをリストに登録できないから。一方ホワイトリスト方式は受け入れるものだけ選んで許可するので確実。
これを食品成分にあてはめると、オーガニック製品は大抵の場合人の手を加えないこと(自然であること)に美学を見いだしていることが多いため精製度が低い。すなわち未知の成分に富んでいる。だから身体に異変が起きやすい。
一方、大手の工場のように「できるだけ問題を起こさないように」が第一優先の場合、精製度が高く“自然”という言葉とは真逆をいくが、必要な成分だけを抽出していてる分、安心というか無難なものに仕上がる。
「超純水」などがまさしくソレ。人の手がこれでもかというくらい加えられていて、一見人工的なものに感じてしまうものの、本質的な「H2O」に限りなく近く、これこそが本来の自然な水。感覚と矛盾するところだが。
いや、川や海の水はそんなに純度は高くなく、不純物あってこそ自然な水だと言えば実際の社会ではそれが事実。
その理屈で考えるならば、現代社会は汚染された大地の方が多いので、重金属などの不純物も含めて植物を摂取するのが自然だと考えるのも思考・思想の1つだろう。
どこに基準をおくかで導き出されるゴールが変わる。」
今日は図書館に来て、開架されているティーン向け雑誌(ニ⚪︎ラ)を手に取り鑑賞した。
今月出た7月号と思われる最新刊に出たモデルをまじまじと見つめ、股間を熱くし、周りを気にしながら個人的に一目惚れしたモデルをすぐネット検索するのを小一時間ほどした。
本当にこの雑誌は正しい想定読者に読まれているのだろうか。本当は私のような、仕事や人生の苦難に傷ついて結果的に少女に癒しを求める成人男性の方が見ているんじゃないだろうか。
ここ最近はマッチングアプリで同世代の女性にいいね!をしては、あえなく拒否(スルー)され誰ともマッチングしない状況が続いた。三十路のイケメンでもない私にマッチングシステムが提案するのは、限りなくサクラや悪徳業者としか思えないような生活感の無いプロフィールの女性と、年齢の割に精神的に幼い三十路を過ぎたおばさんのどちらかだった。
前者はただ無視すればいいのだが、後者はプロフィールを確認するのもしんどくなった。改めて、学生時代のような共通体験を有する訳でもない自分と同年齢の女性(おばさん)と結婚するのは男性としてかなりハードなプロセスだと理解した。
単に元からロリコンだということを差し引いても、しんどいものはしんどい。同年齢女性と向き合う際は、自身とある程度価値観を調整できるような学のあることが前提条件になってしまっている。そんな問題は些細なことだと一蹴しようとしても、せめて見た目だけでも若くないと、まず相手を知って理解していこうという最初のステップすら本能的に難しくなる。
そういう訳で、無理してアプリでおばさんの写真と年齢不相応の若作りしたプロフィール(ディズニー好きなど)を見ていると疲弊する。そんな中で、冒頭の小中高生向けティーン雑誌を見ると、心の底から悦びが溢れてくる。
本当はメイクもいらない若々しい肌(だけれど雑誌にモデルが登場するのは広告とセットなのがお約束)
大人顔負けのスタイルだが、まだJK/JCなりのあどけなさを持つ笑顔。
就活で、職場で、婚活で傷ついた私が彼女らに癒されるのはむべなるかな。
もう若くないバイタリティの落ちた身体でたまにしていた自慰は、これまで単なる生理現象の側面が強かった。
しかし、読者モデルに出会ってからのそれは単なる「排出」ではなく、魂の奥底から出る「悦び」であり「叫び」になった。身体が本能から悦んでいるのがありありと分かった。それを済ませると、以前より安眠できるようになった。
世間に自慢できる趣味ではないが、パートナーができるまでは続けるつもりだ。
言っておくがこれは昨今のAIを利用した文章ではない。拙い文章だが、推敲せずに投稿する。思いの丈を熱いうちに放流することが、同じ生き辛さを抱える男女に届いて僅かでも孤独や生きづらさを和らげてもらえるなら幸いだ。
作家の金原ひとみさんは2011年の東日本大震災に伴い発生した原発事故の翌年、二児を連れてフランス・パリに移住。
初のエッセイ集『 パリの砂漠、東京の蜃気楼 』ではパリで暮らした最後の1年間、そして帰国してから最初の1年間が綴られている。
「日本に戻ってきてから、中年男性の高圧的な態度に驚きました。
パリでホームレスらしき男性に娼婦呼ばわりされたこともあったけれど、日常の一端として捉えていた。
むしろ日本で普通のおじさんに怒鳴りつけられた時のほうが動揺しました。それは身体感覚の違いだと思うんです。
フランスでは、街ですれ違う人とは宗教も違えば、肌の色、人種も異なる。
色々な人がいて当然という前提で、他人と自分を切り離して考えます。
日本にいると隣人と溶け合うような感覚があり、あらゆることに予測が及ぶからこそ、生々しく感じられるのかもしれません」
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○ご飯
朝:なし。昼:モツ煮。生ビール。メガハイボール2杯。もろきゅう。カマンベールチーズフライ。手羽先5本。ケバブ。ポテトフライ。夜:カレー。ポテト。間食:なし。
○調子
むきゅーはややー。おしごとはおやすみー。
リミテッドキャラ追加なので天井。(リミテッドキャラ追加以外でガチャを引かなくなったなあ)
無事290連で出たのでそのまま天井。
交換はこの新しいジークフリート剣の2本目。
レジェ側はほとんど2本目まで持ってるから悩む必要がなくてよかった。
グランデ側だとバサラ刀とヤチマ弓とオロロジャイア刀の2本目がないので悩ましかった。
まあ何にしても神石ないとこの辺は楽しくないなあ。
原種とフェスしか引かない僕も流石に大好きなツムギの新衣装は引いてしまう。
レイ様との関係値を踏まえたストーリーかつ、キャットファイト的なスケベさがあるカノンとの関係値もとてもとても良い。
ツムギ大好き。
洋ゲーに顕著だけど、ラブロマンスで結構しっかりセックスシーンがあることがある。
いいんだけど、同時に近年では多様性の尊重の為に、男女かまわずセックスすることができることが多い。
大作RPGなんかだと、あれ、このキャラクターストレートなのか、LGBTQのどれかなのか、曖昧になったりする。
キャラ付けとしてそれは必ずしも良くないのではないかと感じることは多々ある。
それでもまあいいんだけど、問題は演者の方で、もちろん承諾済みとはいえ、果たしてそれは本当にいいことなのかというのが気になり始めている。
声優という比較的弱い立場の演者のことを考えると、本人の実際の意思とは別のところで(金銭とか、その後のキャリアとか、その他もろもろ)ある意味で強制力のある承諾を強いられている可能性はないかと。
身体を伴わない声だけの演技だからいいのか、という問題もある。
演技だからというのも、上記のキャラクターの性的志向がブレブレの状態のものとなるので、さてどうなのか。
人間の記憶や感情の優先順位は、進化心理学的な観点から見ると極めて合理的なものである。生物としての人間は、種の存続のために「生殖行為」に関する記憶や感情を強く刻み込むようプログラムされている。これは、種の存続戦略として必然であり、「セックスの思い出が最初に浮かぶ」という現象は、個人の価値観や理性の問題ではなく、生物学的条件付けの帰結である。
この日記を書いた人物が抱く「自己嫌悪感」は、文化的・社会的な規範が内面化された結果である。特に日本社会における「性的な話題は恥ずかしいもの」「純愛こそが価値あるもの」という価値観が影響していると考えられる。しかし、感情や記憶の優先順位において、理性が完全に感情を制御することは不可能であり、むしろ生殖本能に基づく欲求が優先されるのは合理的なパターンである。
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この日記には「元カノとの性の思い出を強調してしまうことは恥ずかしい」という意識が表れているが、これは「恋愛=精神的な結びつきが大事であるべき」という社会通念と、「恋愛=身体的な相性が大事である」という進化的欲求の間にある**認知的不協和**である。
言い換えれば、「セックスの思い出ばかりが浮かぶのは恥ずかしい」という羞恥心は、社会的規範の影響による後天的な価値観であり、それに対して「セックスが一番の思い出」という感情自体は、人間として極めて自然なものである。この二つが衝突しているため、自己嫌悪という感情が発生している。
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最後に蛇足として、**性欲や嫉妬心の強さは「それだけ相手を自分のものにしたい」という所有欲や独占欲の裏返しであり、
『「もし『間違った体に生まれた』ということが本当にあるのなら、なぜ“間違った性別の体”にだけ生まれることができるのでしょうか?どうして“間違った体格”や“間違った肌の色”、“間違った社会経済的地位”、“間違った身体能力”などには生まれられないのでしょう?
産婦人科における患者の同意なしの膣診(特に麻酔下での診察)は、長年にわたり倫理的・法的な問題として国際的に議論されてきました。以下に、アメリカやフランスを中心とした海外の経緯と対応をまとめます。
医学生が教育目的で、麻酔下の女性患者に対して明確な同意なしに膣診を行う慣習は、米国の病院で長年続いてきました。
2003年の調査では、ペンシルベニア州の医学生の90%が、婦人科実習中に麻酔下の患者に膣診を行ったと報告しています。その多くが、患者からの明示的な同意を得ていなかったとされています 。
このような行為は、患者の身体的・精神的な尊厳を侵害するものであり、性的暴行と見なされることもあります。この問題に対する批判は、#MeTooPelvic などのソーシャルメディアキャンペーンを通じて広まりました 。
2003年にカリフォルニア州が最初にこの慣習を禁止し、その後イリノイ州、バージニア州、オレゴン州、ハワイ州、アイオワ州、ユタ州、メリーランド州などが追随しました。2022年11月時点で、20州が麻酔下または意識不明の患者に対する膣診を規制する法律を施行しています 。
2024年4月、米国保健福祉省(HHS)は、教育目的での麻酔下の膣診、乳房診、前立腺診、直腸診について、患者からの書面による明示的な同意を義務付ける新たなガイダンスを発表しました。これに違反した病院は、メディケアやメディケイドのプログラム参加資格を失う可能性があり、罰金や調査の対象となることがあります 。
2015年、フランスでは医学生が患者の同意なしに麻酔下で膣診や直腸診を行っていることが報道され、医師、フェミニスト、社会福祉士ら50人が政府に対してこの慣習の廃止を求める公開書簡を提出しました。その結果、2016年に保健大臣マリソル・トゥレーヌが、患者の同意なしに麻酔下での診察を禁止する新たな規則を導入しました 。
https://www.elle.com/life-love/a28125604/nonconsensual-pelvic-exams-teaching-hospitals
一部の医学生は、教育機会の減少や、患者が教える病院での診療に同意しているとの認識から、明示的な同意の必要性に疑問を呈しています。しかし、2022年の調査では、医学生の75%が麻酔下での教育目的の膣診には明示的な同意が必要であると考えていることが示されています 。
https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC9064935/
日本では、医学生が麻酔下の患者に対して同意なしに膣診を行うことに関する明確な法的規制やガイドラインは存在しません。しかし、患者の権利やインフォームド・コンセントの重要性が国際的に認識されている現在、医療教育の現場でも倫理的な配慮と明確な同意取得が求められるでしょう。
麻酔下での患者の同意なしの膣診は、患者の尊厳と権利を侵害する行為であり、国際的に批判されています。アメリカやフランスでは法的な対応が進められており、医療教育の現場でも倫理的な再考が求められています。日本においても、患者の権利を尊重し、明示的な同意を得ることが重要であり、医療教育のあり方を見直す契機となるでしょう。
○ご飯
朝:サンドイッチ。昼:おにぎり。春雨スープ。夜:本日のさしみ。がんもどき。ニンニクの唐揚げ。ぎゅうすじ。本日のオススメ(明太子を鶏肉で巻いて焼いたやつを海苔で食べるやつ)。シャーベット。生ビール一杯。中瓶ビール3本。間食:なし。
○調子
むきゅーはややー。おしごとはそれなりー。
妊娠7ヶ月。
まだ胎動は軽めな方な気がする。
最近の急な天気も好きではない。
雨が降ってて風が吹き、急に突風になるやつ。
7年前とかこんな自然現象少なかった気がするけど、どうなんだろ?
手出し60万以上するらしい。
なんでも、物価高騰で20万くらい値上がりしたらしい。何がどう値上がりするん???
セレブ出産ではなくハイリスク対応の大学病院だからだろうけど、高すぎて貧乏過ぎて子どもに申し訳ないな。
すでに20万以上使ってる。
頻度高くてもダメで諦めてから月1だったのにドンピシャだもん。
2人で楽しく生きれればいいと思って、貯金はまだ先にしてたんだよね。ホントバカ。
体調を気遣ってくれたり、家事やってくれたり
何かあれば帰りがけに買い物してくれる最高の旦那。
保育園高いみたいだし、産んだら何十万と飛んでいくし、もう何もできない。
>「根性論」とは、困難な状況や問題に直面しても、強い意志力や努力、精神力があれば何でも乗り越えられるという考え方です。
逆に言えば、身体的精神的疲労を客観視できるような数値指標が無い現状では
『意志力・努力・精神力が無いので乗り越えられません』と言っているに等しい
これは『強い意志力や努力、精神力があれば何でも乗り越えられる』という考え方とコインの裏表なんですよね
根性論を否定する者は「疲れた」など言わないで効率的(笑)に人生を生きてください