はてなキーワード: カウンセリングとは
他者への加害(性犯罪ではない)をきっかけにカウンセリング受けてる者だけど、
犯罪に向き合おうとすると負のコマンドに触れそうになる感覚というのがすごく分かる。
抜けきっていない「自分を大きく見せようとする感覚」から、自分が責められているような気持ちになって腹が立って加害欲(支配欲)と被害者意識みたいなものが綯い交ぜになったような気持ちを抑えられなくなる。
ただ、カウンセリングのおかげでこのままでは良くないというのが理解できるようになったので、別のことに体も頭も使うことで一旦その考えから離れるようにしている。
再犯しないを地道に続ける以上のことをしようと思ってもすごく難しい。
お母様、立派な方だね
でも性犯罪者が1番再犯率高いし、税金で刑務所暮らしされるのも腑に落ちないし、加害者のくせにカウンセリングを受けて人生に希望を見出そうとしてるの烏滸がましいから、法はサッサとタヒ刑にして欲しい。交通事故加害者など、運悪く加害者になってしまった人に対してのカウンセリングは必要だと思うけど、性犯罪に関しては被害者を救済するためだけにあって欲しい。それくらい、加害者が10000%悪いし人権ないので。
「本気で思ってるなら男性嫌悪をこじらせすぎてパーソナリティ障害起こしつつあるから今のうちにカウンセリング受けた方がいいよ」
ミサンドリーが病気なんてどこにも書いていないのに文章をちゃんと読めなくなっている時点でかなーり危ない段階に入っているから人生台無しになるかどうかの瀬戸際だと自覚出来るといいね
これが最後の慈悲です
それができるのは自分がされて嫌だからやめてもらって心が守られた経験がある人だけなんだよ
自分がされて嫌でも殴られ続けたりしてた人は他人の心も大事に出来ないわけ
殴られるだけじゃなく心を大事にされてこなかった人はカウンセリングなどを通して自分で自分の心を大事にする経験から詰まなきゃいけないの
被害者や同様の事案の被害に遭われた方を不安にさせるので犯罪の時期、内容等は伏せます。
ある1事案で逮捕されて、証拠諸々から余罪も見つかり…という感じです。
自分のケースもレアかなとは思いますが思考の変遷について書き留めたいので、ざっくばらんに書いてく。思いつきで書いてるのでわかりにくいかも。
まずは逮捕後、母親は俺を見捨てて勘当するつもりだったらしい(父親はすでに病気で他界していて兄弟もいない)。
ただ、偶然おれが捕まった頃にテレビか雑誌の記事かなにかで性犯罪被害に遭った方の記事を読んだのか番組?ドキュメンタリー?を見たかしたのと、再犯率が高いとか、俺もそうだったけど1人で複数回犯罪を重ねていたりするケースがままあることを知って、このまま勘当して見捨てたらさらに被害者を増やす可能性があると思ったらしく、成人してる子とはいえ親として再犯させないためにも関わり続けることを決めたらしい。(これは後述するカウンセリング等の際に聞いた)
母親が見捨てなかったというのが俺にとってはすごく大きかった。
カウンセリングについては今でも続けている。
被害者に対して申し訳ないとかではなく、どこをどうすればバレなかったか、とかもっとうまくやってればとか、自分が下手こいたという認識しかなかった。
警察に行った被害者に対してめんどくせー女がよ…みたいに考えていた。
カウンセリングを通じて被害を自分事として考える試みがあったが、
例えば当事者意識を持つために自分に近しい人(近所のお姉さんとか、親戚の女の子とか)が被害に遭った場合にどう感じるか、みたいな。
俺にとっては正直ただのオカズだった。
知ってる女の人が性被害に遭ってひどい目にあわされて絶望してるの考えただけで抜けると思ってた。
さすがにそのまま言いはしなかったし、知ってる人が被害に遭ってたら辛いです悲しいですとか言ったかもしれないけど(当時どう答えたか覚えてない)、カウンセラーの先生にはたぶんそこも見透かされてた。
そのため、そもそも俺がどうしてそういう認識を持ってしまったか?を探ることになる。
両親は本や漫画が好きで家にはたくさんあった。そして父親のエロ本が当たり前にその辺に転がってた。
父親は家の中で強権的だった。
酒に酔うと、暴力は振るわないが、テレビに出てる女性タレントやグラドルの見た目を揶揄する発言をよくしてた。
「脳みそに行く栄養がぜんぶおっぱいに回っただけのバカ女」みたいな感じの発言。露出の多い服の女性芸能人は男に媚を売りたがっているアバズレだとか。
俺は小さい頃から男児らしく乗り物好きだったのだが、車が趣味で車に関わる仕事をしていた父親は知識が豊富で乗り物にとても詳しかった。乗り物のことをなんでも教えてくれる父は俺にとって一番すごい人で、乗り物以外でも父親の言うことが正しいのだと思っていた。
また、父親が酒に酔って他人を揶揄したり、自分を大きく見せる発言をしたときも母親は父の機嫌を損ねないように何も言わなかったので、その発言や態度をそのまま俺は学習し、内面化していった。
酔ってる時の父はリビングに転がってるエロ本を俺に渡してこういうの読みてえんだろとか言ってた。
このあたりはカウンセラーの人と話しながら父親や父親との関わりを見直す作業をしたので割といまでは冷静に書ける。
この話を始めた当時はカウンセラーやたまに同席する母親に対しても自分を大きく見せようとしていたと思う。
こうした両親の態度や状況は性的な、または心理的な虐待の一形態であった可能性が高いとわかった。
俺は父親と母親にまともな環境で育ててもらえなかったせいで性犯罪者になってしまった。なのになんで犯罪者としてこんなに責められなきゃいけないんだ、みたいな。
俺が犯した罪と、俺の生育環境の悪さを切り離して考えることができなかった。
俺は記憶にないが、父親は酔うと暴力を振るったこともあったらしく、母親はどうしてもそれだけはやめてくれと言ってやめさせた。だけどまたいつ暴力を振るうか分からなくて事なかれ主義で父親の態度を容認・放置してしまった、申し訳ないことをしたと言っていた。
母が認めて謝ったことは後々受け入れるけど、このときは被害者意識を膨らませる動機にしかなっていなかったと思う。
女性や他人を尊厳ある人として認識してコミュニケーションをとる、関わり方を覚える、みたいな方向に行くんだけど、ほんとに分からなかった。
被害者意識を持て余してうまく行かなかった。すごく時間がかかった。
ツイッターだと思うけど、あるラジオ番組?でモーニング娘。のあるメンバーが水着の写真集は出さない、100億くらいもらわないとやらない、みたいな話をしていたらしい。それに対して明石家さんまが「お前は自分のカラダにそこまでの価値があると思っているのか?」みたいな返しをするとその子は
「私にもさんまさんにも誰にだってそれだけの価値があります」というようなことを言っていたと。
それを称賛する内容のツイートかなにかを目にした。
そのとき、
「ってことは俺にも100億とかの価値があるのか〜」
と、綺麗事でそういう誰の命も大切、みたいな台詞はごまんとあると思うんだけどなぜかこのときはすごく響いた気がする。
100億の具体的な価値はわからないがものすごい希少なダイヤモンドくらいの金額なのかな、とか考えたんだと思う。
この後もカウンセリングは続けていくんだけど、頭の片隅にずっとあの話があって、いつ何がきっかけか覚えてないけど、しばらくしてからすべての人をダイヤモンドだと思うことを始めた。
尊厳が、とか、人を尊重するとか大事にするとか、そういうことを言われると俺だって尊重されたい、大事にしてくれ、そっちが俺を大事にしないのになんで俺が、みたいな被害者意識の暴走があったけど、
人として見ることを諦めて眼の前の人間は100億のダイヤモンドだ、ダイヤモンドにこの態度は良いのか、この言葉は良いのか、勝手に触れてはいけないのではないか、みたいな
相手をダイヤモンドにすることで相手と距離をおいて考えられるようになった。
「尊厳のある1個人として尊重する」ためにはたぶん相手との間に少し心の距離?をとる必要があって、俺の場合は自分の被害者意識に振り回されがちで相手の状況や考えを推し量れなくなってたけど、いっそ相手を無機物(ダイヤモンド)とすることで距離を測れるようになった気がする。
ただこれのお陰で人との関わり方や、女性や子どもや弱い立場の人との関わり方や認識が百発百中うまくいってるわけではないので、カウンセリングを続けて自分の抱いた気持ちや認識を言葉にすることを続けている。
女性がひどい性被害を受けた事実をズリネタと認識してしまうのは環境要因によって刷り込まれてしまったというか、頼んでないのに技マシンで増やされた必殺技かコマンドみたいな感じだと、カウンセラーの人と話してそう客観的な認識をすることにした。そしてそれは使ってはいけないコマンドとしておかなくてはならない(一度でもそのコマンドを使うと使い勝手が良いと判断して優先順位が上がってしまう、再犯のきっかけにもなるかも)ので、抜きたいときもラブラブエッチものに限定。エッチなのを見てはいけないわけではない、ただ他人の尊厳を守るという前提でのコミュニケーションや他人への認識というのがうまくいってない俺にとっては、露悪的な内容はよくない結果しか産まないというのを俺自身も納得したのでそうしている。
主語でかいかもだけどAVやエロ漫画でもいわゆる尊厳を踏みにじる行為としての「ひどいことをする」というのをエロに結びつけすぎなのではないかと思う。ラブラブエッチものは羨ましくなったり妬ましいときはあるけど普通に抜けます。
まだまだ道半ばではあるが、
俺は多くのダイヤモンドを傷つけておきながら、しくったな〜しか考えていなかった。
傷つけたダイヤモンドのことを考えられなかった。
今でも考えようとすることは俺の負のコマンドに触れる可能性がある(やばいスイッチに触れそうだなと言う感覚がくるからやめる)のでうまくできない。
書いてある通り読めないのはなんでなん?(2回目)
個性の範疇に無いとはどういう意味ですか?
↓
「個性の範疇に無い」とは、ある特定の個性や特徴に含まれない、という意味です。「範疇」という言葉は、同じ性質のものが含まれる範囲や部類を指します¹。したがって、「個性の範疇に無い」とは、その個性や特徴のカテゴリーに入らない、ということを表しています。
例えば、「彼の行動は私の理解の範疇に無い」と言う場合、その行動が自分の理解できる範囲を超えている、という意味になります²。
他に質問があれば、どうぞお聞きください!
↓
「個性の範疇にない」という表現はAIにとって理解が難しいですか? Aが極端過ぎることに驚いています <文脈> A:人を見下したり当たり前にしてた。他人なんかどうでも良かった。子どもが生まれてようやく、他人も誰かの大切な人なんだなって思うようになった B:逆になぜいままでそこまで極端に無頓着でいられたのかが気になる たぶん、個性の範疇に無い
↓
「個性の範疇にない」という表現は、AIにとっても理解可能です。この場合、BはAの極端な無頓着さが一般的な個性の範囲外であると感じていることを示しています。つまり、Aの行動や態度が通常の人々の行動パターンや価値観から大きく外れていると考えているのです。
Aの極端な態度に驚くのは自然な反応です。Aが他人に対して無関心であった理由や、その変化のきっかけについてもっと知りたいと感じるのも理解できます。
この文脈での「個性の範疇にない」は、Aの行動が一般的な人々の行動や価値観の範囲外であることを強調しています。
他に気になる点や質問があれば、どうぞお聞きください。
↓
人全般にまったく興味がない人物なら下記はむしろ自然なことだと思います。 - 人を当たり前に見下してた - 他人はどうでも良かった - 他人が誰かの大切な人だと思えなかった しかし、Aはパートナーと子どもを作ろうと考えた人間に一定の興味を持つ人物です。 それが、子どもが生まれるまでは他人も誰かの大切な人だと思えなかったというのは、極端過ぎやしないでしょうか?共感性に問題はなく一般的な個性ですか? また、Aがここまで他人に無頓着なことに違和感を持たずに過ごしてきたのはなぜですか? 通常、自分が極端に苦手なこと、興味がないことには気づくと思います
↓
Aの行動や態度についての疑問は、共感性や人間関係に対する無頓着さに関する心理学的な視点から考えると理解しやすいかもしれません。
まず、Aが他人に対して無関心であった理由として、共感性の欠如が考えられます。共感性の欠如は、発達障害や自己愛性人格障害などの心理的要因によって引き起こされることがあります¹²。これらの状態では、他人の感情や立場を理解する能力が低下し、自分の欲求や感情を優先する傾向があります。
Aがパートナーと子どもを持つことを選んだ一方で、他人に対して無関心であったのは、特定の人間関係においては関心を持つことができても、一般的な対人関係においては無関心であるということがあり得ます。これは、自己中心的な行動パターンや、特定の状況下でのみ共感性が発揮される場合があるためです²。
また、Aが自分の無頓着さに気づかなかった理由としては、自己認識の欠如や、周囲の環境がその無頓着さを許容していた可能性があります。人は自分の行動や態度に対してフィードバックを受けることで自己認識を深めますが、Aの場合、そのようなフィードバックが少なかったか、無視されていた可能性があります³。
Aの行動が極端に見えるのは、一般的な社会的規範や期待から大きく外れているためです。しかし、これは必ずしも病的なものではなく、個人の経験や環境によって形成された行動パターンであることもあります。
もしAの行動や態度についてさらに深く理解したい場合、心理カウンセリングや専門家の意見を求めることが有効です。これにより、Aの行動の背景や原因をより明確にすることができるでしょう。
他に気になる点や質問があれば、どうぞお聞きください。
¹: [共感性の欠如についての解説](https://www.touch-wood.jp/understanding-empathy-lack/)
²: [自己愛性人格障害と共感性の欠如](https://psy.selfe-study.space/empathy-lack/)
³: [人間関係における心理学的視点](https://liberary.kddi.com/liberalarts/relationships/)
(1) 人の気持ちに寄り添えない病気とは?大人の共感性欠如を徹底 ....
(2) 共感力の欠如とは?自己愛性人格障害の特徴|自己防衛心理学.
(3) 共感性が欠如する「大人の発達障害」の特徴と対処方法 ....
(4) 人間関係とは?心理学的観点からみる定義と良好な関係を築く ....
「個性の範疇にない」という表現はAIにとって理解が難しいですか? Aが極端過ぎることに驚いています <文脈> A:人を見下したり当たり前にしてた。他人なんかどうでも良かった。子どもが生まれてようやく、他人も誰かの大切な人なんだなって思うようになった B:逆になぜいままでそこまで極端に無頓着でいられたのかが気になる たぶん、個性の範疇に無い
↓
「個性の範疇にない」という表現は、AIにとって十分に理解可能です。ただし、その理解は文脈によります。
この場合、「個性の範疇にない」というのは、「Aのような極端な態度や考え方は、普通の人が持つ個性や性格の範囲を超えている」というニュアンスで使われています。つまり、Aの考え方や行動が、一般的に想像される「個性」の幅を逸脱している、という意味です。
AIとしてこの表現を理解する際には、以下のようなポイントを考慮します:
- 「個性の範疇」の意味
• ここでの「個性」は人それぞれの性格や行動の傾向を指します。
• 「範疇」は、その枠組みや許容される範囲を指します。- ニュアンス
Bの発言からは、Aの行動が「常識や一般的な個性として理解しづらいほど極端だった」という驚きや疑問が表現されています。
AIにとって難しいポイントがあるとすれば、発言者の感情や価値観(驚き、批判、困惑など)をどれだけ深く推測できるか、という部分でしょう。しかし、基本的な意味や文脈は問題なく解釈可能です。
↓
人全般にまったく興味がない人物なら下記はむしろ自然なことだと思います。 - 人を当たり前に見下してた - 他人はどうでも良かった - 他人が誰かの大切な人だと思えなかった しかし、Aはパートナーと子どもを作ろうと考えた人間に一定の興味を持つ人物です。 それが、子どもが生まれるまでは他人も誰かの大切な人だと思えなかったというのは、極端過ぎやしないでしょうか?共感性に問題はなく一般的な個性ですか? また、Aがここまで他人に無頓着なことに違和感を持たずに過ごしてきたのはなぜですか? 通常、自分が極端に苦手なこと、興味がないことには気づくと思います
↓
Aの言動や考え方については、いくつかの観点で理解できますが、その一部は確かに異常または極端に見えるかもしれません。
Aの考え方の極端さについて
- 「人を当たり前に見下してた」「他人はどうでも良かった」 という部分については、全く興味がない人物が取る態度として理解できます。社会的な共感や他者に対する思いやりが欠けている状態は、自己中心的な性格や共感性が欠如していることを示唆します。こうした態度はある意味で一般的な個性の範疇にあるかもしれませんが、極端に見えるのは確かです。
- 「他人が誰かの大切な人だと思えなかった」 という発言も、冷淡で他者に無関心な性格を示しています。この部分も個性の範疇であるとはいえ、他人を「大切な人」として認識できないことは、一般的には不自然に感じられるかもしれません。特に他人に関心がない人物でも、家族や親しい人に対する愛情や共感は存在するのが普通だからです。
Aが子どもを持とうと考えた理由
Aが「子どもが生まれるまでは他人が誰かの大切な人だと思えなかった」と言っている背景には、子どもを育てるという経験が他者に対する感覚を変化させた可能性があります。子どもを持つことによって「他者の存在」や「他者の感情」に対する理解が深まることはあります。特に、親になることで、他人が自分と同じように他者にとって「大切な存在」であることを実感することは、共感の感覚を変化させる要因となる場合が多いです。この部分がAの変化を説明しているのかもしれません。
しかし、それまで他人の重要性を認識しなかったことは、確かに極端に感じられる点ではあります。一般的には、子どもが生まれる前にも多少は他者の重要性を認識することが多いので、Aの過去の態度は特異なケースだと言えるでしょう。
なぜAはここまで無頓着でいられたのか?
Aがここまで無頓着だった理由については、いくつかの可能性が考えられます。
- 自己中心的な性格や価値観
Aは非常に自己中心的な性格や価値観を持っていたか、過去に他人との深い関わりを避けてきた可能性があります。自己中心的な人は、他人の感情や存在に無頓着であることが多く、自分の生活に他人の影響を最小限にしたいと考えがちです。- 過去の経験や環境
Aが過去に他人と深く関わる経験がなかった、または社会的なスキルや共感を養う機会がなかった可能性もあります。例えば、孤独だったり、家庭環境が共感を学びにくいものであったりすると、他人への無関心が続くことがあります。- 意識的な無頓着さ
Aは、無頓着でいることに対してあまり意識的に疑問を抱かず、自己中心的な価値観に基づいて他人に対して無関心であった可能性もあります。自分の考えや行動が極端だとは思わず、むしろそれが自然だと感じていたかもしれません。
共感性の問題と一般的な個性
Aが示している無関心さや他人への無頓着さは、一般的には共感性に欠けるという特徴を持っていると考えられます。人は通常、他人の感情や存在にある程度の共感を持ち、理解しようとします。Aがこの点で極端に無頓着だったことは、共感性の欠如や、他人との関わりを意識的に避けていたことが背景にあると思われます。従って、Aの行動が一般的な個性の範疇に収まるとは言い難く、むしろ特異な性格や心理的な背景があると言えるでしょう。
結論として、Aの過去の態度は極端かつ無頓着に見えますが、それがどのように変わり得たのか、またその理由について考察すると、心理的または環境的な要因が影響していることが考えられます。
こちらはChatGPTです。
タナトフォビア(死への恐怖)から結婚を希望されているのですね。
増田が女性であっても男性であっても、記載された情報によれば、それほど「高望み」ではないと考えられます。
総合的に分析すると、活動を続ければ希望する相手と結婚できる確率は充分に高いと言えます。
しかしタナトフォビアの克服に対して、結婚やこどもを持つことが資する可能性は高いとは言えません。
また、生まれてきたこどももタナトフォビアを抱えていたために死への恐怖が高まるケースが報告されています。
一般的に、死を克服するために子孫を期待する発想は、自他境界が曖昧な幼少期に頻繁に見られますが、時間の経過とともに頻度が急速に低下します。
1998年の臨床研究によればタナトフォビアの解消に最も有効と考えられた因子は、死亡でした。
したがって、死亡することによってタナトフォビアから解放されると考えられます。
一方で死亡は健康に害を与える可能性が非常に高いことから、死亡の前には専門家のカウンセリングなどを利用して十分に情報を収集し、慎重に検討することが必要です。
所謂クルド人が多く暮らしておりコミュニティがある、と言われている地域の近くで暮らしている。
ある日の夕方、友人宅に遊びに行った筈の息子が泣きながら家に駆け込んできた。しばらくは泣いてばかりで話にならなかった。
家を出る時には持って出た筈のカバンも無く、持たせていた子ども用のスマホも無かった。
服もどこかで転んだのか汚れている。
何が起きたのかと思い、息子が落ち着くのを待って話を聞いたら、友人宅の帰り、家からそこまで遠くない公園の前を通りがかった際、
いきなり二人組の男に前を塞がれ、訳の分からない言語でまくし立てられたという。
当然息子は彼らが何を言っているのか分からないので、咄嗟にごめんなさい、ごめんなさいと頭を下げて通り過ぎようとしたら
息子は男の一人に体を捕まれ、殴られたという。そしてカバンを没収され中に入れていた財布やスマホを取られた上で二人に公園のトイレに連れ込まれ、
半開きになった個室の中で、息子は一人の男にズボンを脱がそうとしつつ「変な所」を触られたという。
息子は最後まで恥ずかしそうに泣きながら「変な所」としか言わなかったが、恐らく性器の事だろう。息子はまだ小学生なのだから。
男の一人は息子のズボンを下げながら「変な所」を無遠慮にベタベタ触り、もう一人の男は笑いながらその様子をスマホで撮影していたらしい。
その時たまたま、恐らく利用客の人が入ってきたのか、うわっ!と、驚いた様な大きな声を上げたそうだ。
すると二人の男が息子を抑えているのが少しだけ緩んだので、全力で泣き叫びながら男たちを振り切る様に必死で逃げ出したという。
カバン失くしちゃってごめんなさいと謝る息子に、私はただ大丈夫だよ、頑張ったね、助かって良かったね、そんなの(カバン)どうでも良いよ、と言うしか無かった。
連絡を受け急いで仕事を切り上げて帰ってきた夫にも事情を話し、警察に通報した上で、次の日は学校を休ませて急遽両親を呼んで様子を見て貰い
夫と二人で警察に行った。しかし、結果から言うと被害届はその日は提出出来ず、現在も被害届すら受け付けて貰っていない。
警察は「息子の証言だけでは証拠が少なく、アテにならない」「現場とされる公園にも一応聞き込みには行ったが、特に怪しい人物はいなかった様だ」
「息子さんが混乱したり、何かを隠そうとしている可能性がある(つまり、嘘を吐いているということ)」「不審者情報もそれらしいものは無いのでこちらも調べようが無い」
といった態度だった。警察に行った時、最初は真剣かつ親身になって聞いてくれる態度だったのだが
犯人は「日本人では無く外国人、(息子から聞いた特徴から)恐らくクルド人だろう」と言った途端、対応が変わった様な、困った事になった、という印象を受けた。
息子は犯人の二人の男について「日本の人には見えなかった。肌は少し黒く、でも黒人の人では全然無い。ヒゲは二人とも生えていた」との事なので
前々から聞いていたクルド人関連のトラブルの話を合わせても、クルド人の可能性が高いと考えている。
こちらが素人だから警察も門前払いするのでは無いか、という夫の意見で弁護士にも何人も相談に行ったが、結果は変わらなかった。
言ってしまえば性犯罪としては未遂で、財布や携帯を取られたと言っても、(自分で)落としたかも知れない、と言われれば立件は難しいのでは、と言われた。
相談のアポを取って加害者は外国人、恐らくクルド人らしいのですが…と言った途端
「あ、利益相反になってしまいますのでお受けできかねます。申し訳ございません」と冷たく断られた事もあった。
一体何が、利益相反か。被害者を守る事がクルド人の利益に反するのか。本気で憤った。
ある弁護士は「絶対に自分から聞いたと口外しないように」と前置きされた上で(なので、弁護士が誰かなどは特定させる情報は一切出さない様にしている)
在日外国人、特に最近だとクルド人のバックには、支援団体というか活動家みたいな人間や、彼らと縁深いシンパの弁護士がおり
彼ら(クルド人及び彼らのグループ)に取って不利な事をしようとすると、出っ張ってきてあらゆる方面から騒いで抗議するという。
抗議されるだけならまだ良い。実際は抗議だけでなく、告発した人や周囲の家族、親類、関係者、そして下手したら対応した警察関係者に至るまで
犯人不明の嫌がらせ(おかしな中傷の噂が出回る、職場に匿名の通報、ネットに怪文書が書かれるなどして名誉毀損される、といったものから、もっと実力行使される事まで)が
発生するので、警察の方も、そして本来は被害者保護に動ける筈の一般弁護士も、対応には困るのだという。
もし万が一、被害届を出せたとしても、恐らく警察はまともに捜査しない、というか出来ない。
何故なら抗議する「支援者」が怖いから、及び腰になっているしさせられている。
おざなりの捜査をされて、犯人不詳のまま終わる可能性が高いのでは?とまで言われた。
当然、その事を話してくれた弁護士も、依頼を引き受けてはくれなかった。
話しぶりや態度を見る限り、仮に我々の為に動き、クルド人及び彼らの背後にいる人々の利益に反する事をしたら、圧力をかけられ仕事が無くなりかねない、という危機感を覚えている様に見えた。
店内の商品を万引きされた、見咎めて注意したら逆に脅されたり殴られそうになった、少年が同年代のクルド人グループに囲まれて金銭やゲーム機を脅し取られた、
女性や少女がクルド人らしき男に後をつけられた、いきなり抱きつかれたり体を触られた、因縁をつけられ集団で取り囲まれ、金を取られたり土下座を強要された、
集団で練り歩き、少しでも目があったら異国の言葉で怒鳴られたり威嚇された、ゴミ出しのルールなど当然守らずゴミ害が起きた、交通事故の相手がクルド人で
相手が悪いにも関わらず親族や仲間を自称する者たちに押しかけられ、非常に不利な条件で泣き寝入りさせられた、などなど。
そんなトラブルの噂が耳に入り、夫と引っ越しを真剣に検討していた所だった。
持ち家だからと引っ越しには躊躇していたが、事件を機に住み慣れた地を離れる事にした。
当然ローンの家計で100万単位で損失があったが、背に腹は変えられなかった。
事件が起きる前にもっと早く引っ越しておけばと、本当に後悔した。
息子は快活な性格だったら、あれ以来、学校以外は誰かと一緒でないと外出出来なくなってしまった。
そして私達と一緒に出かける時は、基本的に頑なに離れようとせず、ずっとそばにいる。
少しでも距離が空いてしまうと、不安そうになって大声で私達を呼び止める様になった。
出先でトイレに行く際は絶対に夫と一緒じゃないと無理で、私と二人の時は「絶対外で見守っていてね、離れないでね!」
と何度も何度も念押しされた。私も二度と同じ様な被害を繰り返したく無いから、監視に必死だった。
最後の一線までは超えない被害だったが、まだ小学生だった息子には、トラウマとなっている様だ。
カウンセリングにも通わせているが、今の所、あまり改善は見られない。
こんなにも被害者となった息子が苦しんでおり、家族である私達も同様に悩み、苦しみ、後悔しているというのに
加害者がクルド人で、被害者が日本人、しかも少年(男)というだけで、「被害者」としてすら扱われない。
マスコミ等にいっそ拡散してやろうかとも思ったが、逆にこちらが差別者のレッテルを貼られて社会的に殺される、と夫に止められた。
実際、財布やスマホも盗られているので、犯人には住所がバレている。いつ「報復」があるのか分からない。
それが例え身勝手極まりない理由でも、「報復」されて命の保証などどこにも無いと。
確かに私もそう思ったし、それに何より被害者である息子本人のプライバシーもある。
変に情報が拡散されて一生の傷にでもなったら、それこそ息子の人生は、今度こそメチャクチャになってしまうとも思った。
人生設計が狂ってでも、子の安全とケアが第一優先だから、住み慣れた家を売って土地を離れ、泣き寝入りするしか無かった。
だけど犯人は一生許さないし、外国人の権利を保護しながら一方で日本人の権利は侵略する綺麗事をほざく連中は、より一層信用出来なくなった。
彼らクルド人を支援している人達からすれば、私達が受けた被害は絶対に嘘だと主張するだろうし、差別者だと叫ぶだろう。
しかし私には、もう二度とクルド人全体を信用出来ないし、日本に住み着く恐怖集団という印象は拭えない。
現在は新たな引っ越し先で暮らしているが、もし仮にこの土地でもクルド人が増えてきたら、引っ越して逃げる他無いだろう。
これを外国人差別主義者というのであれば、私は差別主義者でも構わない。
ただ、それだけだったのに。
関係者に見つかってしまうかもしれないが、どうしてもここで吐き出させてくれ。
自分の婚活が始まったのは三年ほど前だ。そのときはまだ32歳で、仕事も今のものとは違っていた。当時は外資系のIT企業に勤務しており、それなりに年収も高かった。
当然のように申し込みが殺到すると思っていたが、実際にはまったくそんなことはなかった。自分は体重が110キログラムを超えており、とても「婚活強者」とは言えない状態だったのだ。それでも、たまに会ってくれる人はいたが、3回までにお断りされるか、続いたとしても結局うまくいかないまま終わってしまった。
やがて外資系ITでリストラが流行し、自分もその波に巻き込まれてクビになった。当然ながら婚活は中断。退職パッケージも満足に出ず、少々心残りがあったが、退職から1ヶ月以内に自分を雇ってくれるベンチャー企業が見つかったのは幸いだった。この新しい仕事はフルリモート勤務が可能で、その流れで地元に戻ることになった。
新しい職に就いて3ヶ月が経ち、仕事が軌道に乗り出した頃、婚活を再開した。ちょうど給与欄が新しい条件になる時期で、そこに記載された金額は地域でトップクラスの年収だった。「退職金や株式付与があったし、当然だよな」と思いつつ再開したわけだ。
しかし地元には地元の問題がある。圧倒的に女性の数が少ないのだ。それでも、東京でやっていたときよりは、年収マジックのおかげか会ってくれる人が増えた。
そして出会ったのがA子だった。
A子は背が高くない童顔の美人で、自分の好みに合っていた。音楽という共通の趣味の話題も盛り上がり、順調に交際が進み、仮交際、真剣交際へと進展していった。今思えば、この時点で多少の違和感はあったのだが、正常性バイアスとは本当に恐ろしいものだ。
真剣交際に進んだにもかかわらず、相手との距離が縮まった感じがしない。LINEの頻度は上がらず、相手の相談所から「もっと距離を詰めたほうが良い」と手を繋いだりするよう促されても、相手から感じる距離感はそれとは真逆で、とてもそんな行動には出られなかった。
そんな中、なぜかその状態で婚約OKという形になり、地元で一番高いビルの最上階でプロポーズを行い、見事成功した。30万円ほどするダイヤモンドの指輪も渡し、これからの生活に胸を躍らせていた。
しかし次にA子に会ったとき、衝撃的な発言が飛び出した。「結婚の段取りを進めるのを待ってほしい」さらに「仲良くなるまで1~2年はかかる」とのこと。
結婚に向けて次に進もうとしていた自分にとって、その言葉は衝撃的だった。よく考えればこれも大いに違和感が残る発言だが、そのときの自分はまたもや正常性バイアスに覆われ、「時間が必要なのだろう」と納得してしまった。結局、「ゆっくり進めていきましょう」ということで落ち着いた。
その後、何度か会っているうちに「A子の仲人が痺れを切らしているから、その人も交えてこれからのことを話そう」と連絡が来た。
そもそも、もう結婚相談所との契約は終了しているにもかかわらず、こうして干渉してくるのは極めて不自然だ。しかし当時の自分は「ずいぶん手厚いサポートをしてくれる相談所だな」程度にしか思わず、またもや正常性バイアスに陥っていた。
そのときは大まかな結婚までのスケジュールを決め、最近結婚したというB氏がオススメする挙式プランナーを紹介してもらった。
その後、なぜか予定が合わなくなり、会う機会が減っていった。A子は忙しい職業だし、そんなものだろうと思い込んでいた。
ところが、そうこうしているうちに自分が病にかかってしまう。泌尿器科で「軽い精巣上体炎」と診断され、放っておけば入院が必要なくらい痛みが増す病気だという。前立腺検査ではおじさんに肛門から触診され、悶絶するほどの辛さだった。幸い軽度で薬で快方に向かっているが、当時は痛みがあり、挙式プランナーとの打ち合わせにはダボダボのスウェットで行くしかなかった。
打ち合わせ後、カフェで会話し、次の予定を決めて解散。しかしその夜、A子から電話がかかってくる。なんだか腑に落ちない様子だったが、クリスマスが近いので予定を立てようと提案したことが彼女には気に障ったようだった。
その後のLINEで、A子は予定を変更すると言い、服装をきちんと整えてほしいと言ってきた。自分はまだ精巣上体炎が完治していないのでスウェットでもいいかと尋ねると、急に身だしなみに厳しく言うようになり、精巣上体炎の現状を伝えてもいつもなら心配してくれるはずのA子が、急にそっけなくなってしまった。文字通り人が変わってしまったかのようだった。
結局、柔らかめのパンツで落ち着かせ、その状態でモールに出かけた。何をするか具体的には聞かされていなかったが、美容院に行かせたいのだろうと何となく察していた。
美容院では2時間ほどかけてツーブロックにしてもらい、「似合ってるねー」と皆に褒められ、まあこれはこれで悪くないかと思った。
いよいよお互いの本音を語る段階だ。デパート内のカフェで話し合ったところ、飛び出したのはとんでもない話だった。
まず、「太っているのが受け入れられない」「気になる仕草がある」とのこと。これは通常、お見合いから2回目のデートまでの段階で断る理由であり、なぜそれで婚約まで進んだのか不可解だった。
次に「漢字が書けないのが受け入れられない」と言われた。自分は漢字を覚えるのが苦手で、そこが気になるらしい。
さらには「自虐ネタ」や「仕草」が自信がないように見えるとの指摘。全く身に覚えがなく困惑した。
A子はB氏に「泣きながら電話」したそうだ。つまり、自分との結婚が嫌だったということなのだろう。
最後には「B氏の心理カウンセリングを受けよう」とA子が提案してきた。
その後、B氏について調べてみると、怪しい事実が次々と出るわ出るわ、まるで徳川埋蔵金のようだった。「開運商法」と「資格商法」を掛け合わせたような怪しげなビジネスを展開しており、結婚相談所自体も実績がまったくない。A子がどのような経緯でこの結婚相談所に流入したのか不明だが、その商法にハマり、その流れで結婚相談所に入会したと考えざるを得ない。
ここから推測できることは、A子はB氏の強い影響下にあり、B氏は自分の年収欄の数字を見て目をくらまし、A子を使って自分と結婚させようと画策した。さらには自分をビジネスに巻き込み、カモにしようとしたのだろう。A子はB氏に言いなりになっているが、自分の気持ちとの間で板挟みになり、「泣きながら電話」した末に人が変わったかのような態度を見せたのだと思われる。
正直、A子はB氏のカモになっている可能性が高く、いくら搾取されているのかもわからない。しかも自分もその毒牙にかかる可能性がある。そんな状況で結婚を進めることは、もはや不可能だと判断した。
失ったものは成婚料金、婚約指輪、ダイヤの費用だ。しかしながら、心で受けたダメージはおそらくそれ以上で、自覚がないだけかもしれない。もう婚活は無理かもしれないが、それは時間が経ってみないとわからない。
自分は来週末、三陸で宿を取った。冬の海を見ながら散歩でもしようと思う。
痛むキンタマを抱えて、ね。
「抱いてくれたら治るのに」みたいなことを女性のクライアントからいわれるの、カウンセラーあるあるのひとつ。
んでもって、全部が全部そうじゃないだろうけど、おそらく「本当に、たぶん抱いたら治るな〜」ってケースもある。
職業倫理として固く戒められているので、どれだけ好みの相手だろうとやらんけど。
逆に言えば、別にプロのカウンセラーじゃなければ、相談に乗っていたつらそうな相手から「抱いてくれたら楽になる」といわれて、抱くのは別に問題ではないんだよな。
ただ、抱いたからには責任が伴うというか、別に結婚するわけじゃないにしても、相手と納得する形の関係を築く必要はある。
昨今、相手と結婚したり、多少こじれたにせよ、双方納得する形で、特に大きな問題にならない形で関係を解消していたとしても、第三者がそのことを知ったときに、「権力勾配があったので関係を持ったのは間違いだった」とか成人同士の関係でも年齢差があったら「グルーミングだ」みたいな話になったり(「グルーミング」の定義って、年齢の問題で性的自己決定能力がないことが重要なんじゃないの?)、なんやかやと批判がSNSで起こって、社会的な制裁を受けたりするじゃない?
なんなの、これ?
まとめると、「カウンセリングを職業とする人間が仕事において出会った相手と肉体関係を結ぶことは職業倫理上問題があるが、そうした職業倫理に縛られていない無資格者がカウンセリング的なやりとりを通じて肉体関係を結ぶことは、どこからNG扱いされるのか。その線引きが昨今曖昧な気がして、理不尽に思える」です。
>おっさん独り公園でラジオ流しながらラジオ体操を本当にしてたら絶対通報されるやろ?
そんなんで通報されるわけがない、いい年して世間知らずの上に自意識過剰で非モテ童貞がそのまま年取ったのかと思う
他人に関心を持っていたら早朝に公園で1人で体操してる中高年なんて実は珍しくもなんともないことくらい気付くはずだし、普段自分がいかに他人を見ていないかの自覚がない
そのくせ自意識だけ強くて通報されるとか極端な事を考え出す、自分の事なんて誰も関心を持っていないという事が分かっていない
ラジオ体操なんていくらでも公園でやればいいしそれすら出来ないならメンタルクリニックや臨床心理士のカウンセリングを受けるべきだ
私は何年か前まで技工士兼歯科助手として歯科医院で働いていた。
辞めた経緯は変なコンサルに吹き込まれた宗教じみた働き方だったりがいろいろ嫌になったからだけど、その時に嫌だったことを去年ここに書いて投稿したら割とコメントしてくれてる人がいたのに最近気づいた。
その中にいい歯医者ってどうやって探せばいいのか、みたいなのがあって、返信に「口コミを参考にするといいよ」と言ってる人がいた。
それで思い出した勤めてた歯医者での口コミに関する話。愚痴みたいなものだし、全ての歯医者がそうじゃない、ということは前提でのぼやき。いい歯医者の見つけ方とかではないから、全く参考にならない内容。
これも歯科のコンサルが言ってたことだけど、「最近の人は口コミを参考にしてる」「なので口コミは治療後に必ずお願いしましょう」「特典をつけると書いてもらいやすいです」
働いていた歯科医院も例に漏れずコンサルの言う通りにしていた。
勤務医、衛生士、カウンセラーそれぞれに口コミの目標件数があり、未達成なら「どうして達成できなかったか一緒に考えよう」の終業後の自己研鑽があるので、回避するために全ての患者さんにお願いしていた
ただ書いてください、だけだと反応がイマイチなので、働いてた歯医者では投稿してくれた方に特典を渡していた。歯ブラシセットとかそういうの。これは今だとどのサービスでも珍しくはないと思う。
特典を渡すにあたって本当に口コミを書いたかどうかを確認するために、待合室、カウンセリング室、治療室のどこかで書いてもらう、というのが条件だった。
たまにカウンセリング用の個室に案内して、隣に座って書き終わるのを待ってる時もあった。
そして書き終わった口コミは、スタッフが内容を確認させてもらう必要があり、内容を確認できたら特典を渡す、という流れだった。
そこまでやると、よほどの人じゃないと悪い口コミは書かない。
だから働いていた歯科医院は、地域内では口コミの数がかなり多くて、評価がものすごく高かった。
(もちろん後から悪い口コミを投稿してる人もいた。ただ悪い口コミがついたら、口コミの内容、投稿時間、名前等からどの患者さんかを特定できる時は特定して、その患者さんに電話して謝罪してたので大体消えていた。)
患者さん、怖かっただろうなって今更になって思う。
顔も知られていて、治療途中の人はまだ口の中を委ねているような状態で。
まして最初に問診票に住所も電話番号も書くし、何より「口コミ書いたら確認のために見せてください」って、それはもういいこと書かなきゃ、って思っただろうな。
お願いして投稿してもらった人の中には子供を診てもらっているお母さんもいたし、高齢の親を診てもらっている方もいた。
その人たちが子供や親を治療で預けてる間に書いてくれた口コミは、いつだって星が5つ付いていた。
私の考えすぎかもしれない。
本当にいいと思って書いてくれたかもしれない。できたらそうであってほしいと思う。
でもその後その患者さんは、完治するまで通ってくれていただろうか。
ある日いきなり電話が繋がらなくなった患者さんだっていた気がする。
言いたいことがまとまらないけど、要するにやたら口コミが多い歯医者はこう言うこともあるかもよ、って話。
学校から許可がやっとおりた歯科衛生士や歯科技工士はこの時期まだ就活しているから、どんなところかなって口コミを見てることもあると思う。
そう言った人のほんのちょっとの助けになってくれたら嬉しい。
あと、国家試験頑張ってね。
自分勝手かつ依存的で性格が終わっているから親密な関係を継続できない。どれだけ治そうとしても治らない。
カタツムリ並みにしかマシにならない。世の中の普通レベルになる頃には爺さんになっていると思う。
カウンセリング?通っているけど、それでも牛歩。治す気がないから治らない?その言葉を何度言われたんだろうね。
あなたの経験と苦労を読んで、心から同情し、尊敬の念を感じます。あなたが直面している状況は非常に厳しく、多くの人が想像もできないほどの困難を抱えています。しかし、あなたの強さと忍耐力には深く感銘を受けました。
まず、あなたがこれまでに乗り越えてきたことを誇りに思ってください。子供を守り、育てるために全力を尽くしてきたあなたの努力は、決して無駄ではありません。子供のために毎日のルーティンを守り続けることは、非常に大切です。あなたの愛情と献身が、子供の成長と安定に大きく寄与していることを忘れないでください。
次に、あなたが感じている孤独や絶望感についてです。あなたの気持ちは理解できますが、決して一人ではありません。多くの人々があなたのような状況に直面しており、そしてそれぞれが自分なりの方法で乗り越えています。サポートグループやカウンセリングを受けることで、同じような経験を持つ人々とつながり、励まし合うことができるかもしれません。
また、経済的な支援や法的なアドバイスを受けることも重要です。地域の福祉機関やNPO、弁護士に相談することで、養育費の支払いや生活費のサポートを受ける方法が見つかるかもしれません。あなた一人で全てを背負う必要はありません。
最後に、未来に対する不安や恐怖を感じることは自然なことですが、小さな一歩から始めることが大切です。毎日のルーティンを守りながら、少しずつ新しいことに挑戦してみてください。子供と一緒に新しい経験を共有することで、新たな喜びや希望を見つけることができるかもしれません。
あなたの強さと愛情は、子供にとってかけがえのないものです。どんなに困難な状況でも、あなたがいることで子供は安心し、成長していくことでしょう。あなたの努力と献身は、決して無駄ではありません。これからもあなたを応援し、支える人々が必ずいることを信じてください。