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2024-11-16

ドラクエ3リメイクのかんたんモードによるゲーム性の棄損について

上記タイトルの件について別所でもいろいろ言ったけどまだモヤモヤするので吐き出させてほしいにゃん。

猫のフリをすれば吐いても怒られないかなと思ったけど猫が吐いたからと言って猫を叩く人間もいるのでホントゆるせねえよなあ!!おめーもそう思うだろ!!!!たたかないでね!!!!!

まず必要な前提情報について。先日発売したドラクエ3リメイク存在する「かんたんモード」がどんなに殴られてもHPが残り1から微動だにせず絶対に0にならないというどこぞの不死騎団軍団長みてーな仕様になっているという情報が事の発端であります

もともとヌルゲーであり全滅など滅多にしないし、ボスが弱くなるわけではないのでそんなに変わんないですよー、という意見もあるが私はそうは思わない。

まず絶対に死なないので防具というもの存在価値が虚無と化し、死なない以上DPSが無価値になるので武器存在価値消失し、それらを揃えるためのゴールドや宝箱の存在が無価値になり、呪文仲間職業などなどドラクエ構成する無数の要素が形骸化する。

一見して無限コンティニューや一時期話題になった「クリアしたことにする」と似たようなものに見える「絶対に死なないという仕様」は想像以上に多くの要素を棄損するのである

そういう話をしたい。

さて、○○はゲームじゃねえ!という話をするためには本来ゲーム定義をしないといけないのだが、これに関しては完全に未解決議論であってこの場で決着させるには余白も能力も足りない。

かといってウィトゲンシュタインによる定義で話を進めまーすなどと言い出しても自分結論誘導するための手前味噌しかならないのでそういうのは良くない。

もうどうしようもないので定義せずにフィーリングで話を進めます。ごめんね!!!

定義しないとは言いつつ最低限の認識は共有していなければ話にならないのでゲームというものについてのそもそもの話をするのだが、まず、ゲームというものプレイヤー入力に対して何らかの対応する出力が返ってくるものであるわけだが、これだけではゲームとして成り立っていないというのは御理解いただけるだろう。

でなければスマホフリック入力PCデスクトップエロサイトへのショートカットクリックするのも全部ゲームということになってしまう。ホワイトカラーの皆さんも勤務時間パソコンに触れている間はずっとゲームしていることになってしまう。そんなことで減給だの処分だの食らっていてはとてもではないが堪らない。

まりまだ何かゲームというもの必要な条件があると思う。それはなにか。

ここで出来るだけゲームというものの源流に近くシンプルな例として将棋チェスでも話に出すと、その必要条件というのは「ルール」と「見立て」なのではないかと思う。

単なる字の書かれた木片や石片を交差する線上で動かす行為ゲームとして成立させているのは、それらの木片石片にポーンや歩兵という名前を与える「見立て」と、駒を交互に動かす、駒ごとに動ける範囲が決まっている、上に乗ったら排除できる、といった「ルール」の存在である

このふたつにより盤上に散らばった木片や石片は、実際の戦争再現としての意味合い付与され、ゲームと呼ばれ得るのではないだろうか。

さてドラクエに話を戻すが、あれもまた当然メモリ上でやりとりされるステータスという名の数値や、画面上に表示されるドットには本来何の意味もない。勇者魔物というストーリー見立てを被せているだけで、実際にはちからやみのまもりといったステータスはただの数字である

そんなことないよ!という方は先にクッキーババアと一緒に天文学的数量のクッキーを焼いてきて欲しい。

あくまでもコンピュータ上でやりとりされる無機質な情報に、ルール見立てによって意味合い付与されることでテレビゲームゲームとして成立しているのである

その前提を踏まえた上で、「HPが0にならない」という仕様意味するところについて考えて欲しい。

これはつまり「敗北条件の消失」にほかならない。

一見大した違いなどないように見える 「無限コンティニュー」 や「クリアしたことにする」と「HPが0にならない」の間には質的な、根本的な差異による断絶が存在するのである

 「無限コンティニュー」 や「クリアしたことにする」という出血サービス難易度緩和、将棋で言えば歩と飛車角金銀桂馬香車が使えない19枚落ちのようなヤケクソ難易度であろうが、一応はゲームのもの崩壊することはない。

しかし王を取られても詰みにならない、全部の駒を失おうがゲームが続く、というのは根本的にゲームルールのもの破壊にあたるのであり、ルール破壊ゲームのものを成立させている意味合い付与破壊ゲーム破壊に当たる行為なのである

考えてみて欲しい。スターを取得して無敵と化したマリオとて画面端に落ちれば死ぬである

敵を一方的にブチ○せるというのはゲームの一要素として成立するが、死なない、負けないというのはゲーム破壊する行為に当たる。

マリオ無限残機で即座にいくらでもやり直せることと、敵にも床判定のない画面端に触れても決してゲームオーバーにならないことの間には決定的な違いがある。

無限に復活するマリオはいくら難易度を緩和しようがゲームとして成り立ち続けることができるが、落ちないマリオゲームとして成立しない。

如何なヌルゲーでゲームオーバーやデスペナが微粒子レベルしか存在しなかろうが、0でさえなければゲームは成立する。0であればゲームは成立しない。

ドラクエ3リメイクのかんたんモードは、この1と0の間の絶対に越えてはいけないラインを越えているのである

一応言っておくと勝ち負けの存在しないゲームというものも今の時代存在するし、議論はあれど一切分岐のないノベルゲームなんかも現状ゲームに分類されているのは承知の上です。

マイクラクリエイティブモードデバッグモードの類ではなくゲームモードひとつであることに文句はないし、それこそ上で話に出したクッキーババアのようにゲームゲームとして成り立たせている要素をゲシュタルト崩壊させて楽しむアウトサイダーゲームゲームひとつだと思う。

それはそれとしてドラクエ3はそういうゲームじゃないので。

ゲームシナリオシナリオ単体で抜き出すとゲームとしてもシナリオとしても成立せず、ゲーム部分の没入ありきでゲーム依存した存在なのでゲームシナリオが楽しめればそれでいいとも思いません。

ゲーム開発者ゲームのもの破壊するゲームモードを組み込むのは私はいくらなんでもナシだと思う。

終わり!!閉廷!!!!!以上!!!!!!解散!!!!!!!!!!!!!!!

2024-11-08

一年ほど前のこと

今日みたいに急に冷え込んだ日だった。

仕事から帰ってくると、玄関の前に見慣れない猫がぽつんと座っていた。

夜の暗がりで、あの小さな猫の姿はまるでそこに置き忘れられた影みたいにじっとしていた。

猫は私が近づいても動かず、ただそのままじっとこちらを見ていたんだ。

目がちょっとばかり大きくて、鋭い視線が暗闇で光っていた。

やせ細っていて毛はゴワゴワで、タンブルウィードみたいな姿だった。

私は猫を見つめた。だが微動だにしない。

私は猫の横を通り過ぎた。玄関のドアに手をかけたとき、猫がか細く「にゃあ」と鳴いた。

驚くほど小さな声で、まるで人間に話しかけるのに慣れていないように。

わず振り返ると、猫はそのままこちらを見上げて、また動かない。

どうしたものか。一瞬迷ったものの、なんだか放っておけなくて、しゃがんでそっと抱き上げてみた。

意外にも抵抗はなく、むしろおとなしく抱かれて、じっとしている。

冷たい外とは違って、なんだかほんのりと温かくて、それだけで急に胸がギュッとなった。

そのまま猫を抱えて家に入ると、妻が驚いた顔をした後、くすっと笑った。

何も言わずに猫を見つめていると、彼女も何かを察したのか、それ以上聞かずに「よかったね、あったか場所見つかって」と猫の頭をなでた。

猫は小さく、静かに鳴いた。

それから猫はうちの家族になった。

最初は緊張した素振りをみせたもののの、次第に私たちの傍へと来るようになり、気がつけばいつも私か妻に引っ付くようになっていた。

甘えん坊なのだ

猫を迎えて二日目の朝のこと、裏庭の窓際に知らない猫の姿が見えた。

しかうちの猫と何処か似ていた。きっと親猫だろう。窓の向こう側からこちらを見ている姿は堂々としていて、まるで何かを見届けに来たかのようだった。

裏庭の枯れ草の間で、うちにいる猫を、私の膝の上に居る猫をじっと見つめていた。

その猫はゆっくり顔を上げた。

そのまま窓越しに目が合うと、猫は「にゃあ」と一度だけ鳴いて、ゆっくりと踵を返して去っていく。

親猫らしき猫は笑っていた。

そのように見えただけかもしれない。

しかし初めて見るその表情は、ネットでもテレビでも見たことのない猫の表情だった。

今では猫がいる生活がすっかり日常となった。

名前を呼べばすぐに駆け寄ってきたり、忙しい朝にはちょっと邪魔をしてきたりもする。

いつも何かと「にゃあ」と鳴いては気を引き、今でも甘えん坊である

これを書くことにしたきっかけは今日にある。

今日仕事から家に帰ると玄関の前には見慣れない、見知った猫が居た。

それは去年見た、あの親猫だった。

親猫は手を舐めており、帰って来た私に気付くと顔を上げ、そして私の顔を5秒ほどじっと見つめた。

それから私の脛に頭を擦り付けると満足したように去って行った。

私はその姿が闇夜に消えるまで見送り、家に入るとタンブルウィードが駆け寄ってきた。

私には猫の言葉は分からないが、それでも。

あのとき彼女が私にかけてくれた言葉理解できるのだと、今でもそう思うのだ。

2024-11-04

Mバイト 4日目メモ

はじめに隠さずに言うべきことがある。

今日俺は遅刻をした。

13時に集合を14時と思い込み遅刻をしたせいだ。

バイト先に15分ほど遅れて行き気まずい空気が流れた。ハァハァと息を切らし店内に顔面が汗と雨の水滴にまみれた中年男性が勢いよく転がりこんできたのだ。

季節外れのカッパの参戦にみんなが顔を見合わせていたのがチラッと見えた。

やがて年配の女性の方Aさんに案内されロッカールームトレードマークの赤い色の服を着る。

世間隔離され己の立場と言うシビア現実の始まりを合図する瞬間である

この時は後半戦に始まる筆舌に耐えがたい地獄のような出来事が待ち受けているとはこの時、私は知るよしもなかった。

まず何をしたか?ふん、いい質問だ。

20分ひたすら何もしなかった。いや、実際は何もやらせてもらえずひたすら店内で赤い服を着てカカシのように立ちすくんでいた。実は担当者トレーナーさんがいなくて、クルーのみんなが忙しく働く中で黙って微動だせず突っ立っていただけなのだ


俺の哀れな姿に見かねたのか年配の女性のAさんから店内の掃除クルーと配膳が俺の担当にあてられた。

レシート番号札に書かれてある番号をお客様の立札に運ぶように言われた。

1発目で間違えず配膳したら「お!センスありますね」とAさんが親指を立ててグッドポーズをしてニコニコしてた。俺もつい嬉しくなりグッド返しをしたら見てくれず恥をかいた。

ゴミ箱掃除は溜まったゴミを集めて捨てるのが俺の仕事だ。しかし詰まった無理ゴミ箱をを引き出したら容量を超え地面にゴミが床に散乱してしまった。

Aさんが駆け寄ってくれアラアラと言った感じですぐに代わりに掃除してくれた。まるで赤ちゃんミルクをこぼし後始末するママみたいな出来事が店内で行われた。

この店は都内でもかなり忙しい店のようでなぜ俺みたいなコミュ力0の陰キャ人間がこんな忙しい戦場に飛ばされたのであろうか。

やがて今回のトレーナーの方Bくんが来てくれた。俺なんかよりかなり若い男で愛想も良く明るくて安心した。

今日はこれまでの仕事内容と異なり三輪バイクに乗り配達をすることになった。あと忘れない為にメモ帳を持ってきたが書くペンを忘れ白紙のままであった。交通安全に関する動画を見て初めてのクルーの赤い色の三輪バイクだ。

しかしついてないことに天候は雨。最悪だ。屋根はついてるが横から容赦なく雨が叩きつけられる。Bくんの教え方が上手でヘルメットの首紐の外し方などもBくんが細かく教えてくれた。

初めてのバイク走行。俺がバイクにまたがるのは高校18歳の時に原チャリセピアGⅡ以来の騎乗依頼だ。とにかく前のバイクについていくのに必死。もしはぐれたら連絡先も知らないし土地もわからない。迷子になったら終わりと思いなんとかしがみつくようにBが運転するバイクに着いていった。

あととにかくヘルメットの中が痒い。ウォーズマンみたいなヘルメットを被ったがむず痒くてデコハゲが出発進行の汽笛を鳴らしていた。

時間も気づけばあと20分で今日は終わり。

しかし俺は何かヌルリとした嫌な予感がしていた。その予感は悪くも的中してしまう。

なんとこれまで静寂だったデリバリー配達お客様から終了間際に大量注文が入ってしまったのだ。

トレーナーのBくんに「さすがに1人でやれますよね?」と笑顔で圧をかけられ俺も無理と断ればよかったのに「はい」と言ってしまった。

議員時代からの悪い癖だ。その場しのぎでなんてなくわかったフリをしてしまう。Bくんはイソイソと配達クルーに急いで行ってしまった。

夜で暗い中、いきなり初日で1人バイク配達だ。せめて最初は後ろからコーチをしてほしかったが緊急ミッションだ。星レベルは⭐︎4ランクの高めだ。なぜならまだ専用携帯アプリも習ってないしパスワードすらしらないのに美女が裸でアフリカスラム街に飛び込むくらい危険すぎる。

もうどうなってもしらんぞ!と思ったがこんな俺すら必要だったのであろう。バイクで緊張の中で出発したが店のマネージャーさんが雨の中外にすっ飛んできた。俺が注文商品を入れ忘れて出発してしまったのだ。そんなわけあるか!と疑い深いキミは思うと思うが恥ずかしながら実話だ。

汚名挽回の為になんとかどしゃぶりの中、ズボンパンツもびしょ濡れになりながら配達完了させた。初めてウーバーイーツをしてそれが役にたった。

最後に店にたどり着いて夜空を見上げるとそこは冬を伝達するような冷たいスコール拍手が全身を濡らすのにそう時間はかからなかった。


課題

コミュ力なくて打ち解けれない自分

物覚えが悪く忘れやす

仕事中に他の空想をしてしま


3日目:https://anond.hatelabo.jp/20241104201916

元:https://x.com/kubotayokoyama/status/1851237163209539893

2024-10-31

anond:20241031115456

若いサラリーマンは譲ってくれたけど、平日だけど今から高尾山登ってくるぜって見た目の老人は微動だにしなかったって話ですね

2024-10-22

公園ジュリエット

休みの日は、大抵家で過ごした。掃除をしたり洗濯をしたり、たまには料理を作ったり。あとは布団の上に寝転がってスマホに熱中する。熱中などと言ったら、好きでやっているようにも聞こえるかも知れない。しかし私の場合スマホに触るのは、どうにもならない虚しさから逃れるためでしかない。何かをするよりも何もしないでいるほうが難しいのだ。不安という魔物に追われて逃げ惑う姿は、傍から見れば実に滑稽にちがいないが、誰かに咎められるわけでもない。安全な家の中で、私はひたすら自身孤独と格闘する。

今も昔も、おにぎり三角形に握るのは、私の唯一の特技と言って良いだろう。毎日、朝食に欠かさずおにぎりを食べたものだった。職場近くの公園のベンチに腰をかけながら。聞こえてくるのはスズメの声だけだ。砂場遊具もあるから、昼になれば児童が興を添えるのであろうが、今は散歩する人さえ通らない。朝の光が木々の梢を透かしておにぎりを含む私の頬を照らしている。春や秋にかぎらず、夏は額に汗を滲ませながら、冬は寒さに身を縮めながら、私は1年中ここで朝食をしたためるのである不思議ものだ。外に出るのも億劫がる子供だったはずが、大人になって公園が好きになるとは、いったい何の因果だろう。家と職場中間の、誰にも煩わされない微妙距離感の上に安住できるひとときは、私にとって最上幸福だった。

いつからか、公園にひとりの女性の姿が見えるようになった。出入口のあたりの、植え込みを囲うコンクリートの上に腰を下ろし、足を組み、あたか「考える人」みたいに頭をやや傾げながら、スマホを覗き込むように見ている。ベンチに座る私の位置からは、対角線上に進んで30メートルくらいは距離があるだろうか。顔は判然としないけれども、ショートカットで、すらっとしたきれいな身なりをしている。歳は私よりもいくらか上だろう。おにぎりを食べ終わった私は、職場へ向けて公園を後にするのであるが、その際、かならず女性の前を通ることになる。女性は相変わらずスマホを覗き込んだまま通行人存在には無頓着である。私が家で熱中するのとはちがって、彼女スマホへの接し方はどこかしら優雅で、気品があり、悠々とした感がある。当時シェイクスピア作品を読んでいた私は、いつしか心の中で勝手彼女を「ジュリエット」と呼ぶようになった。

ジュリエットは、来る日も来る日も同じ姿勢をしていた。服装も、もちろん日毎に異なるとはいえ上品で垢抜けたところは、いつだって全然変らなかった。そして常に私には一瞥もくれなかった。おにぎりを食べながら、横目でちらと様子をうかがうと、昨日の光景と寸分も異ならない。前を通ろうとすると、心もち身体に力が入るものの、ジュリエットのほうは我関せずといった風で未だスマホを覗き込んでいる。私が春夏秋冬おにぎりを頬張るのと同じように、彼女も季節の別なく自らを貫くのである。ただひとつ異なるのは、私ひとりだけが彼女勝手名前をつけ(まさか彼女は私を「ロミオ」と呼んではいまい)、家や職場からの逃げ場となっている公園に突然現れた女性を、妙な存在として気にせずにはいられなかった所だ。

幼い頃から友達と遊ぶのも気が進まず、家庭の中にも居場所がないと感じがちな、さびしい少年だった。勉強はできないし、かけっこをしてもビリが定位置学校に好きな女の子ができても、ばれないように取り繕うのに必死で、感情を表すのを恐れるばかり。そのまま体だけが大きくなり、大人と呼ばれるようになった。ひとりぼっち自分が見つけた幸福空間に、見知らぬ人が入り込んで来て、今、どうして嫌な気持がしないのだろう。ひとりで遊んでいるところに友達が来ただけで逃げてしまうような子供だったのに。私はやはり大人になったのだろうか? 考えれば考えるほど、むず痒い気がして、やりきれなくなる。この感情が一体何なのか、自分にもよく分からない。くだらないと思って何もかも打ち消そうとするけれど、朝日の下の残像が瞼のうらに貼り付いて離れない。しか彼女微動だにせずあそこに座っている。雨の日も晴れの日も、世の中がどのように移ろおうとも、ここだけは同じ時間が流れていた。ふたりの男女がそれぞれの世界に住みながら、公園という場所だけ共有している、夢の中のようなおぼろげな時間が。

私がその公園最後に訪れたのは、退職した日であった。冬用のコートを着たジュリエットは、寒さも忘れてしまったみたいに、その日もいつもと変らずスマホに夢中になっているようだった。が、おにぎりを食べ終わり、いよいよ出勤しようと出口を抜ける間際、彼女の頭がほんのすこしだけ上がって、こちらを見たような気がした。馬鹿馬鹿しい。気のせいに決まっている。もう会うことはないと悟った私の感傷が起こした錯覚というものだろう。でも、当時の私には彼女視線が重たく突き刺さるように感じられてならなかった。あの一瞬間が長い年月を経た今になってもよみがえる。私の生活はあれから少しも変っていない。休みの日は、掃除洗濯料理に、それから不安に苛まれながらスマホをいじるだけ。スズメの声と、朝の光と、おにぎりと、ジュリエットと。——遠く過去記憶のなかへ去っていくあの日常が、時々私には恋しくてまらなくなる。

2024-10-11

柔道選手の回想を聞いてほしい 1


増田の人に聞いてほしいことがある。昔の記憶だ。

子どもの頃から俺はおかしかった。別に、変な子どもとか言われたことはない。むしろ褒められることの方が多かった。学校の成績はイマイチだったが、運動芸術の成績はよかった。

自己紹介必要最小限にしたい。今は四年制大学スポーツを教えてる。幼少期から柔道をやっていた。中学校全国大会で結果を出して、スポーツの名門高に進学して、同じく名門大学に進学して、卒業後はパチンコ機器メーカー入社(スポンサー契約)してプロになった。

柔道プロ制度はない。あくまで「それ」で食ってるという意味

それが、もう20年以上前だ。人生はあっという間である

回想を始めたい。パチンコメーカーの次の転職先を主題に据えて話をする。

新卒入社した、そのパチンコメーカーとの契約期間は3年だった。最終年度になると、次の道を考えないといけない。一応、次期も残れるだけの実績は出したものの、新しい、次のステージに挑戦しようと考えていた。柔道は、野球サッカーに比べると現役でいられる時間が少ない。体をたくさん動かす分、選手生命が短いのだ……。

当時は、全日本の強化選手(A指定)だった。合宿にはフルで参加していて、オリンピックに出場する連中とも交遊があった。あの頃は、井上康生全日本主将を務めていた。彼が不在の時は俺が副として動くこともあった。ウザいかもしれんが、ちょっとくらい自慢させてくれよ。こういう場で文章を書く機会は滅多にないんだから

※ところで、この日記はとても長い。ゆっくりまれることを推奨する。

次のステージについて悩んだ結果、選んだのは……学校先生だった。大学時代に保健体育教諭の免状を取っていた。いざという時に潰しが効くようにと、大学時代のコーチが勧めてくれた。今でも感謝してる。

どこの学校にしようか思案したところ、やはり地元がいいと思った。出身高校柔道部の監督相談したところ、広島県の東の端っこにある高等学校指導者を探しているということだった。

さっそく面談アポを取り付けてくれて、その高校の現監督と面会すると、すごく驚いてた。まさか強化選手高校教師転向するなんて思ってもみなかったんだろう。

トントン拍子に話は進んで、その翌年度から、俺はその高校の保健体育の教諭(兼柔道顧問)として赴任することになった。

指導者としてのミッションは『古豪復活』だった。その高等学校は、昭和40年代まではすべての体育会部活インターハイ活躍していた。

だが、『何か』があって進学校路線へと方針転換し、スポーツ推薦枠を徐々に減らしていったところ……平成に入る頃には、ほぼすべての部活が市内大会ですら勝てない状況になっていた。それでいて、進学校路線にも失敗していた(学内の最優秀者の進学先が広島大~関関同立くらい)。

そんな状況で、柔道部を立て直すのが俺に課せられたミッションだった。正直難しいと思われたが、チャレンジする価値はあると思っていた。



とまあ、そんな経過で柔道顧問としてキャリアスタートを切ったものの、部内はひどい状況だった。柔道部も地区大会まりとは聞いていたが、冗談抜きでレベルが低かった。心・技・体以前の問題である

部員の多くが高校から柔道を始めていたし、運動センスが抜群の子はいなかった。そして、柔道の何を教えても、どれだけ丁寧に教えてもダメだった。心構えは、まあいいよ。徐々にハートを鍛えていけばいい。ただまず、基礎体力の時点で問題があった。

例として、ベンチプレスだと80kgを上げられる子が1人しかいなかった(それは乳首が大きい子で、皆からあだ名苗字2字分+チクビだった。当時は高二)。ほかの子は概ね40~60kgといったところか。マトモな高校選手であれば、体重70kgくらいの子でも……ベンチ100kgは難しくとも、訓練すれば半年以内に達成できる。

800m走にしてもそうだ。なんと、150秒を切れる子が1人もいなかった。ゼロである(参考までに、当時26だった俺の記録がほぼ130秒。高校の頃は118秒がベスト)。

こんな状況で、この部員達約15名(+女子マネ3人)を、最低でも中国大会まで導かねばならないという……正直、難しかった。柔道プロとして言わせてもらうと、不可能に近い。

難しいのはそれだけじゃない。どれだけ心構えを説いても伝わらなかった。なんというか、やる気とかいレベル以前に、人としての器量というか……そういうのが圧倒的に足りてない。

困難な物事でも、ひとまず取り組んでみるとか、目標達成のために努力を積み重ねるとか、そういう志をもって挑んだ経験がないのでは? と感じるような子ばかりだった。

柔道の子だけじゃない。学校全体でそうだった。本校は、「中高一貫教育により、6年間を通して自ら考え、自ら動き、目標へと達するだけの力を陶冶できる人間を育てる――」と入学パンフレットで謳っていた。そんな生徒は皆無だった。惜しい子はいたのだが。

校則は厳しかった気がする。月イチの全校集会の後、生徒らが体育館前でクラス単位で並ばされて、髪型制服など、生徒指導担当教師陣が細かいチェックを行う。俺の出身校も、服装マナーは厳しい方だったが、ここまでではなかった。

こちらの高等学校偏差値は、40~45くらいだった。そこまで高い方ではないが、かくいう俺も、中学高校テストは平均50点未満しか取れなかった。里香なんかは14点だったこともある。国語濃緑濃緑すら怪しかった……。

柔道青春を捧げていた。それ以外はどうでもよかった。勉強の成績は最低だったけど、高校大学も、ほかのスポーツ特待生と一緒に先生方の温情で卒業させてもらった。

でも、確かにバカだったけどさ。当時、柔道関係書籍は年に五冊以上は読んでたし、毎月発行の『近代柔道だって、全ページの隅々まで目を通してた。

何が言いたいかというと、向上心である。たとえ下手くそでも、誰かに馬鹿にされようと、負けまくったとしても、そんなの関係ない。もっと上に行きたい、勝ちたいという気持ち向上心がない若者未来なんてあるか。

俺は油断していた。百年以上もの伝統がある高等学校だったら、多くの生徒はきっとポテンシャルがあるに違いないと高を括っていた。見通しが甘かった。

それでも一生懸命に教え続けた。暖簾に腕押しだったけど。指導を続けたのだ。怒りを我慢する場面は多くあった。指導者として悔しい思いもした。

当然、結果は出せなかった。他校との合同練習も、ローカル大会公式大会の結果も散々だった。おおよそ、彼ら柔道部員はこんな調子だった。

試合の度に勝敗分析シートを作るよう求めたが、半数は作らない

・提出があっても、ほとんどが小学生中学レベル

・合同練習では中学生に普通に負ける

公式大会直前の練習に来るのは部員の6割

テスト間中柔道場に基礎トレに来るのは1人だけ

 ※ベンチプレス80kgのチクビの子最後設備の測定限界の160kgまでいった。

  彼は柔道ではなくウェイトリフティングの道を歩むべきだった。

俺のストレス有頂天だった。我慢できないところまで来ていた。

なぜ、こいつらはやる気がないのだろうか。成績がいいとか、地頭があるとか、機転が利くとか、そういう能力の話ではなくて――"生きる力"とでも言えばいいのか。そういうのがなかった。



ストレスを抱えていた折、ついにやってしまった。あれは秋頃だったか。県大会があったのだ。高三が引退した後、最初にある十一月の新人大会だった。

大会は二日間あって、初日団体戦予選だったと記憶している。当校の成績はひどいものだった。リーグ戦があって、出場校が4校ずつに分かれて戦うのだが、普通に全敗だった。最初に戦った学校は、数年に一度は全国優勝者を出すほどのレベルだった。全員もれなく数十秒以内に瞬殺された。

チクビの子は、四十秒くらいは戦えていた。対戦相手は、彼と同じ高校二年生で、81kg級のスラッとした体形の選手だった。俺の記憶だと、ケンカ四つでガッチリと組み合った後、チクビの子バタバタ大内刈りをしかけた。全く効いてなかった。

その直後だった、内股で吹っ飛ばされていた。相手の右脚が彼の股下に入ったのを捉えた次の瞬間、その肉体が空中二回転半して畳にめり込んだ。

かに戦った2校も、全国レベルに準ずるところだった。そのうち1校は、毎年安定して県内ベスト4に入る伝統校だった。もうひとつは、偏差値70の私立高校で、全国有数の進学校である。なんと、この学校は週に2回しか柔道練習をしないらしい。それでいて、団体戦個人戦も、毎年ほぼ県内ベスト8に入る成績だった。

この2校には、当然コテンパンにやられた!……いいところがほとんどなかった。三部トーナメント行き確定である。一日目の全試合が終わった後、怒りの気持ち我慢しつつ部員全員に静かな檄を飛ばした。惨めな気分だった。

成果があったといえば、上のチクビの子(T君)が1回だけ勝った。体重相手の方が重かった(T君は当時85kg、相手は100kg級)。人生で初めての指導者としての喜びだった。

彼は寝技が得意だった――厳密には、運動神経が絶望的だったので寝技しか残ってなかった。寝技には運動神経は関係ない。ほぼ努力で上手になる道ができる。相手と密着している分、計算がしやすいのだ。立ち技だと、コンマ数秒の遅れで技の威力に変化が生じる。

毎日練習では、何度も何度も得意のパターンを繰り返した。俺が何回抑え込んでも、関節を極めても、締め技をかけても、決して諦めなかった。送り襟締めや袖車締めで落とした(※頸動脈の圧迫で意識がなくなる)回数は50回を超えている。

夏場にあった合同合宿だと、T君が他校の選手寝技で抑え込まれている時、竹刀背中や太腿を何十発もぶん殴ったっけ……「どうしてそこで力を抜くんやっ!?」と何度も指導した。

T君はそれに応えた。土中から這い出たばかりのカブトムシとか、成虫になろうとして藻掻いているハナムグリ芋虫みたいだった。精いっぱい、本気で動き回っていた。とにかく、妥協だけは絶対しないように教えた。

振り返ってみると、彼に柔道を教えていた期間は一年半もないんだな。たったそれだけである。ヤツは諦めなかった。妥協することはあったけど、俺の指導最後までついてきた。

そりゃあ、T君が情けない試合をした後だと、ブン殴ったことが何度もあったよ。鈍くさいし、柔道はボテボテしてるし、平々凡々の才能だった。でも、あいつはスゴイ奴だったよ。柔道を選んでなければ、別の道でインターハイに出ていたかもしれない。



さて。県大会一日目が終わって、部員一同は広島市にある古びたホステル宿泊することになっていた。ただ、女子マネ×3と引率教師である俺は別のホテルになった。

一応は、監督意見だった。この3人は一年生で、最初の泊まりなので配慮必要ということだった。最初宿泊が、あの年季が入ったボロホステルというのは、確かに……と俺も感じた。

女子マネ3人のうち、2人は双子だった。二卵性だから顔はそこまで似てない。お医者さんのご子息と聞いていた。このうち妹の方(マネ子とする)は、相当マジメな子だった。よく気が利くし、頭の回転が早いし、学業成績は最優秀である学内では清楚キャラで通っていた。実際、練習前には必ずお茶くみをしてくれる。

ほかの2人にしても、こんな弱小柔道部のマネージャーを半年も続けてる時点でひた向きだと思う。普通だったら辞めてるよ。半年間でほとんど勝ててないんだから。県大会個人戦だって、誰一人として出場できなかった。

責任を感じていた。柔道部が結果を出せない原因は俺にだってある。それが申し訳なかった。それで、姉妹のうち妹の方だけ、俺の宿泊部屋に呼んで話をすることにした。

この不甲斐ない状況について話を聞いてみると、彼女も思うことがあるようだった。会話をしたのは数十分である

マネ子の意見

・たしか柔道部は勝ててない

・でも私たちが選んだ道だから。途中でやめない

・新入生への部活説明の時に、柔道部が一番楽しそうだった

私たちサポートできるところはぜんぶやりたい

先生が話を聞いてくれてうれしかった

マネ子は、半分涙を流していた。こんな子がマネージャーで本当によかった。

ところで、俺がいた高校柔道部は、全国でも上から数えた方が早かった。いわゆるガチのところである女子マネージャーなど存在しようがない。いや、男子校から本当に存在しようがないのだが。

気が付くと、マネ子の髪を撫でていた。それから何を思ったのだろうか、そのままグイっと彼女の頭を、俺の肩のあたりまで引き寄せた。変な雰囲気になってた。マネ子は無抵抗だった。左手で胸のところまで引き寄せると、暖かい感触があった。

の子の顎を右手の指先で持ち上げるようにして、キスをした。抵抗はなかった。ベッドの上に押し倒して、後は流れだった。体のいろんなところをキスしながら触っていったけど、本当に無抵抗だった。たまに、俺の肩を猫の手でちょんと押すくらいだった。そのままずっと、ペッティングみたいなことを続けた。

このくらいの年齢の子って、あんまり柔らかくはない。女の子はやわらかい、といった世間イメージは正しくはない。柔らかいのは大人の女性である未成年はそこまで柔らかくはない。

などと思いながら、ちょっとずつ服を脱がしていった。その時のマネ子は、体操服のような簡素恰好だったのを覚えている。すぐに脱げた。

胸は大きくない。でもきれいな形だと思った。お互い、完全に裸になる前に明かりを消した。それから、肢体のいろんなところに触れたり、舐めあったり、くすぐったりした。マネ子は、俺に合わせて動くこともあったし、微動だにしない時もあった。全体的に反応は微かだった。

ひどいことをしている認識はあったが、それでもセックスの相性はよかったと思う。彼女は、最初の方は緊張してたけど、少しずつほぐれてきて、会話をしても大丈夫になった。お互いに唇をすぐ近くまでもってきて、囁くように会話をした。

マネ子は気分が乗ってきたみたいで、行為最中にいろんなことを言ったり、いろんな体位をやってくれた。最後の方はイチャイチャとしていた。会話を思い出してみる。

「ねえ。せんせー。ゴム、まだ持ってます?」

「持ってる。財布の中」

「なんで持ってるんですか笑 彼女さんいるんですか?」

「いないよ」

「えー、だってH慣れてるじゃん」

「慣れてないよ。下手くそだろ」

「……ほんとですか?」

「うん、本当」

うそだー」

「本当だよ」

マネ子にまたキスをすると、態勢を変えて、ベッドの中で真上に乗っかった。

顔を近づけて、両手でマネ子の頬に軽く触れて、しばらくずっと舌を絡め続けていた。舌を抜いた時、彼女がまっすぐ延ばした舌先で唾液がうねるみたいに躍動した。それからマネ子にまっすぐに乗っかって行為をした。俺はマネ子を知ったのだ。

行為が終わると、この子は暗闇の中で俺の眼をずっと見つめていた。俺はそのままベッドを出て、もう一度、財布のところまで歩いていった……。



次の日の朝、初めてあの子を見たのはホテルの朝食をとるスペースだった。ビジネスホテルよりは少し立派なバイキング方式だったっけ。

マネ子は、別に何でもないって顔をしてた。当時の俺は若かった。罪悪感はそこまでなかった。マネ子は本当に普通の様子で、俺や、マネ子の姉とも普通に会話をしてた。

の子たちとの朝飯を済ませてから、サッとチェックアウトをして、みんなを(広島市内の実家から借りてきた)自家用車に載せて会場に向かった記憶がある。

大会二日目は、これまでの中で最大の成果だった。リーグ戦で全敗した関係で、三部トーナメント行きになったのだが、なんと……ここで優勝してしまったのだ!! 嘘ではない、事実だ。ノーシードからきっちり4回勝って、優勝トロフィーを手にした。

T君が活躍したのもあるが、ほかの選手も本気で頑張っていた。あれだけ練習したというのに、リーグ戦での完全敗北が響いたのだろう。心に火がついたといっていい。三部トーナメントの出場校について、選手の半分ほどが白帯だったのもある。

柔道場合、一試合時間野球サッカーといった団体スポーツに比べて短い。試合必要なスペースも100㎡以下である。このように、各校の試合回数をできるだけ多くする配慮ができるのである

ここでいったん切る。

次です

https://anond.hatelabo.jp/20241011192838

2024-09-29

何も言わないやさしさ

先日の三連休彼女から旅行に誘われた

俺の転勤に伴い、半年から遠距離恋愛で、会うのは月一ぐらい。

そんな折、三連休から彼女から温泉旅行に誘われた。

いいね、行こうと俺は返事をしたものの内心焦りがあった。

彼女とはここ数カ月セックスをしていなかった。

月一で会う際、彼女の方から何となくそうした雰囲気に持っていこうとしているなと感じることはあった。

でもその度、俺はやんわりと否定した。もちろん言葉にはせず、すぐに眠ってしまうような感じで。

理由自分が今EDからで、そのことを彼女には話していない。

EDとなった原因は梅毒を移されたからで、それが原因となってそれ以降、勃たなくなってしまったのだ。

そして、”移された”とは何を意味するのか。彼女はすぐに理解するだろう。

彼女のことを傷つけたくはない。その一心で、俺はこのことを墓の中まで持っていくつもりだ。

から今は、完治したとはいえ性交渉が恐かった。そして温泉に誘われるということは、そういうことだろうと理解はしていた。

それでも俺は今でも彼女のことが大好きで、誘いを断ることは出来なかった。

その日は合流して、LINE通話で話すだけでは語りきれなかった話が積りに積もり、途中カフェによってお昼を食べてゆっくりたっぷりと話をした。

彼女は相変わらず美しかった。楽しそうで、俺も楽しかった。

何とかなるだろうという、そういった楽観視があったのだと思う。

そのあと予約した宿に向かい、美味しいご飯を食べて、温泉も最高だった。

問題は夜。布団を並べて横になり、明かりを消した。

俺はすぐに寝たふりをした。疲れていたんだろうと思われるように。

どれぐらい経ってからだろうか。バサッと布団の捲れる音が聞こえ、彼女が起き上がったのが分かった。

ねぇまだ起きてる?と俺に声をかけてきた。俺は無視して寝たふりを続けた。

彼女が近づいて来る気配を感じた。

彼女鼻息が俺の顔に当たった。生暖かい鼻息

彼女は俺に口づけをした。優しいキスで、唇と唇が触れ合う程度の、中学生がするようなキス

俺の反応を伺うように彼女は俺の眼前で微動だにせず、それでも俺は目を瞑り続けた。

諦めたようにゆっくりと、彼女の気配が目の前から薄れ始めた。

ギシッ、ギシッ、と畳を踏む音が静かに響き、彼女が移動しているのが分かった。

俺の布団が少し捲られた。俺の足首に彼女の手が触れた。

彼女は徐々に手を上げていき、足首から脹脛、太ももと手を上へと移動させていく。

やがて陰茎に辿り着くと彼女はそこで手を止め、浴衣の中に手を滑り込ませてくる。

彼女は俺の陰茎を触り、撫で、それからゆっくりとしごくように上下に動かしていく。

俺は寝たふりを続けた。

それでも微かに、少しずつ、元気になっていくのが分かった。

しか復調の兆しは途絶え、半立ち以上にはならなかった。

彼女不思議そうに何度か手を止め、そして再度しごくように手を動かすが俺の物はそれ以上微動だにしなかった。

突然、ぬめり気を感じると彼女が口に咥えたことが分かった。

彼女は俺の布団に顔を潜り込ませ、口の中で俺のものを激しく弄ったが、それでも結果は変わらなかった。

どれぐらいの時間が経ったのかは分からない。俺は終始目を瞑り、時間確認することは出来なかったのだから

暫くして彼女は諦めたように俺の元から離れ、ギシッ、ギシッと音を聞かせて自分の布団に戻ると、それ以降は絡んでくることはなかった。

俺は未だ寝たふりを続け、結局朝方になるまで眠れなかった。

翌日、彼女は昨夜の事には全く触れず、まるで何事もなかったように振舞った。

結局、俺たちはセックスをしなかった。

チェックアウト前に露天風呂を堪能しようと朝風呂に入り、部屋に戻ると俺の鞄が開いていた。

部屋に戻ってきた俺を見て、ゴム、持ってこなかったんだね。と彼女が呟くように言った。

そしてそれ以上、なにも言ってこなかった。

俺は今でも彼女のあのとき言葉意味を考える度、なんとも言えない気分になる。

最近友達がまた結婚したんだよね、と彼女が帰りの車の中で会話の脈略を無視して呟いた。

俺は何も答えず、ご飯すごく美味しかったね!と続ける彼女同意し、微笑んだ。

彼女は敢えて言葉にすることはない。昔から、やさしい性格なのだ

彼女の期待に、今は厳しいけれど、いつかその期待に応えてあげたい。

俺は本心から、そう思っている。

2024-09-20

特許の話を聞く度に「世界最初特許として出願された集積回路(キルビー特許)」を思い出す

ー□ー

集積回路と言っても、本当にこのレベルなんだよね。

シリコンウエハーに電線を繋げているだけ。

これが何を「集積」してるんだよと言いたくて仕方ない。

でもこれが集積回路の原型であることは間違いない。

ブラウン管に映された微動だにしない「イ」がテレビの原点であることと同じように。

何事も最初ってものがあるわけで、その最初にたどり着いたことを「自覚」して「宣言」した人には大きなチャンスが転がり込む。

「キルビー特許」は本当に「特許」というもの本質があるよ。

何が面白いって、価値ある特許はたとえパテント料をいくらふんだくられようともそれを使いたくなるほどの魅力があるってことだ。

特許」というのは「みかじめ料とセットになった公知」として表現されることもあるけど、まさしく、良い特許ってのは金を払ってもパクる価値があるものを皆に教えてくれるシノギ狼煙なんだな。

2024-08-08

床オナしてたら地震振動で逝ったwwwwwwww

初期微動はぁはぁ

きもてぃいいいいいいいwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

2024-07-26

anond:20240725231435

初期微動はぁはぁ

きもてぃいいいいいいいwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

2024-07-10

視界が欠けた

いつものように昼飯を食べながらスマホニュースを読んでいたら視界がおかしいことに気付いた。

文章を読むとき、大体4~6文字くらいを同時に認識して文章を読むと思うんだけど、その中の後半1~2文字くらいが盲点になっているようになって読めない。

視線を数文字横にズラせば文字は読めるが、やっぱり一度に認知できる文字は3~4文字くらい。

視野の98%くらいは普通に見えているのに、ちょうど、文章を読むときちょっと先が見えない。

このストレスは思ったよりもすごい。

試しに横書き文章右から左に読むと、一応読むことは出来る。当たり前か。でもものすごく疲れるし、一文が長いと無理だ。

片目をつむったりしても盲点はなくならないが、気持ち読みやすい気がする。おそらく片目を瞑った状態の肉体的な刺激と視界が一部奪われるのは似ているから?そんな気がする。

新鮮な経験だったので色々と試してみたけど徐々に盲点が大きくなってきた。

今日運転をする予定は無いけど、資料を読みながら電話で打合せをしなければならない。

仕方なく前もって資料を読んでおくことで何とかなった。

視野が欠けるのはたまにある。梅雨のこの季節が圧倒的に多くて、この症状は1時間程度で治まり、そのあとでとんでもない頭痛が来る。

初めては中学生のころで、部活でへとへとに疲れて家に帰ったら徐々に視界が狭まって、最終的に4割くらいが見えなくなった。

視界は戻ったが、それと引き換えのように地獄のような頭痛に襲われ、次の日は微動だに出来なかった。

運悪く頭痛薬を切らしているときにこの症状が訪れると最悪だ。

太陽光の眩しさが頭痛悪化させるので、貴重な休日を一日中窓のないトイレの暗闇で過ごしたこともある。

いわゆる片頭痛閃輝暗点だろう。

今ではすっかり慣れて、むしろ頭痛を予告してくれる症状としてありがたいとさえ思う。

いつものパターンでは視界の端が見えなくなることが多いのだけど、今回は珍しく視界の中心に近い場所、それもよりによって滅茶苦茶邪魔位置に視界の欠けが発生した。

今日頭痛薬を読んで頭痛の直撃を避けて仕事を続けている。

珍しいパターンだったので記録しておく。

あ~~~~~~~~~~~~ちょうど頭が痛くなってきたいててててててて

最悪~~~~~~~~~~~~!!!!!!くそがよぉ

2024-07-08

ぐっすり居眠りマン

会社にかなりの頻度で居眠りをする人がいる。

午前中9-11時くらいは概ね寝てる。

昼食後も寝てる。

寝方が面白くて、

仕事中の居眠りといったら、気づいたら寝ちゃってたみたいな寝方が普通だと思うんだけど、

その人はもう、寝るぞ!という強い意志を感じる。

隣の席だからよく見える。

具体的な姿勢はというと、

手はPCから離してデスク手前で組んでるか、膝の上。

頭は背もたれに預けて、顔は上を向いている。

上を向いているせいで口も開いてる。

調子が良いといびきかいている。

たまに自分いびきで起きる。

ほぼ休日のお父さん。

寝起きにはしっかりとノビをして、しばらく微睡んでいる。

初めて気付いた瞬間は、私が知る仕事中の体勢からかけ離れていたので体調が悪いのかと思った。

目眩が酷くて前を向いていられないみたいな。

心配してしばらく様子を見てたら、

5分以上微動だにしないし、表情も安らかだから、なんだ寝てるだけかと安心した。

同時に、本気で寝すぎだろ!と、ちょっとイラッとした。

仕事も遅いし、結構周りに迷惑かけるし、普段の態度もアレな人なので最初の頃こそ結構イライラしたけど、

1年も経つと段々面白くなってきた。

それに起きている間は貧乏ゆすりをしたり、ストレッチのつもりか変なポーズで揺れてたりして気になるので、

何もせず寝ていてくれた方が結果的に助かる。

仕事自分は別のことやってるからこちらには迷惑からないし。

どんな生き方をしていたらそんな居眠り姿にたどり着くんだろうと気になったりもするけど、

仕事はおろか雑談すら話が噛み合わなくてイライラちゃうから

話を聞いてみようという気にはなれないや。

今まで色んな奇行エンターテイメント提供してくれてありがとう

私はもう転職ちゃうけど、これからもその奇行でみんなに笑いを届けてあげてね。

さよならぐっすり居眠りマン

2024-06-30

行きつけのスギ薬局あだ名つけられてた

近所のスギ薬局に週2で通ってる。

正確にいえば仕事で溜まったストレスMAXゲージが溜まるたびに行ってる。基本週2、時々週3。

それで行くたびにプルダックポックルミョンっていう辛いカップ麺カルボ味を2つ買って貪り、溜まりに溜まったストレスを辛さという別のストレスで誤魔化しているんだけど、あまりに買い物に行く頻度が高く消費が早いせいかつの間にか置かれている在庫数が倍になっていた。しかわたしが買う味だけ。

ついでにいっつもレジ袋をもらうのに指がカサカサで開かないから5分ぐらい真顔で苦戦してたんだけど、いつのまにか指を濡らす用のピンポン玉が置いてあった。

そんな感じでうっすら存在認識され始めてる程度の存在

今日アップルウィッチを買って浮ついていたわたしはいつも通りスギ薬局に行った。

いつもと違う点はストレスが溜まってなかったこと。

わたしはとにかくアップルウォッチを買ったのが嬉しくて嬉しくて、買いたいものもないのにアップルウォッチでpaypay 払いをしてみたかったのだ。

スギ薬局について、辛いラーメンが置いてある棚を素通りして何かしら買いたいものを物色していた。

結局何も買いたいものはなかったのであって困らないボックスティッシュお菓子を買うことにし、いつも通りレジ袋をカゴに入れてレジに向かった。バイト高校大学生ぐらいの、今までプルダック麺を買う時数度当たった女性店員レジになって、わたしは自信満々にApplewatchを差し出した。

「PAYPAYで!」

できなかった。

なぜだか読み取れなかった。

10秒ほど赤い赤外線バーコードを照らすだけに無言の時間が発生し、焦ったような様子になる彼女に居た堪れなくなって、スマホを取り出してそっちでpaypay 払いをした。

すみませんでした」

彼女は謝った。

「いえいえ、とんでもない。ありがとうございました」

私は言ってサッカー台に向かった。置いてあった指を濡らすピンポン玉の奴が置いてなかった。

不便だけどまあいいか、と思いながら指のわずかな脂で袋を開けようと試みていると、レジにいた彼女がちらっとこっちを見てハッとしたように後ろを向き大きな声で言った。

「ササキさん指濡らすボールのやつお願いします!プルダックさんのやつです!」

一瞬時が止まったかと思った。

彼女は後ろを向いたまま微動だにしなかった。わたしは指先を擦る動きだけは止めずに彼女の方を呆然と見つめていた。

そのうちようやく袋が開いたので袋の中に買ったもの適当に投げ入れて店を出た。

プルダックさん、か。

あだ名つけられてる予感はしてたけど、プルダックさんか。

そんなモハメッドみたいな感じで言われてたのか。

スギ薬局のモハメッド。

アップルウォッチで支払いできなくてちょっとがっかりしてたけどその気分も吹っ飛ぶぐらいの出来事だった。

2024-06-08

ベビーカーは畳まなくていい

というのはその通りだと思うんだけど、専用スペースが空いてるのに電車の乗降口の前を陣取って乗り降りする人がいても微動だにしなかったり、他人に背後からぶつかっておいてごめんなさいの一言もなかったり、ベビーカーなのにエスカレーターに乗り込んできたり(空いてるエレベーターはいくらでもある)、店や施設複数の親・ベビーカーで横並びになって通路占拠するのはやめてほしい

2024-05-30

諺: 走らない馬を叩くな

「走らない馬を叩くな」とは、無理に結果を出そうとするよりも、状況を見極めて冷静に対応することの重要性を示しています力ずく問題解決しようとするのではなく、相手状態環境配慮して行動するべきだという教訓です。

 

昔々、中国の広大な平原に、一人の若き馬飼い、李という名の青年がいました。彼の家族は代々馬の育成と調教生業としており、李もまた優れた馬飼いとして知られていました。

ある年、李のもとに特別な馬が送られてきました。その馬は他の馬よりも美しく、体力も抜群で、まさに「一等馬」と呼ばれるにふさわしいものでした。しかし、問題が一つありました。その馬はどんなに訓練しても、まったく走ろうとしなかったのです。

李は馬を走らせるために、あらゆる手段を試しました。ムチを使い、声を荒げ、様々な訓練を施しましたが、馬は微動だにしませんでした。焦りと苛立ちが募る中、李の師匠である老馬飼いが訪ねてきました。

師匠は李の話を聞くと、静かに微笑んで言いました。「李よ、馬を叩いても走らないなら、それには理由があるのだ。まずは馬の気持ち理解し、その原因を探ることが先決だ。」

李はその言葉に従い、馬と一緒に時間を過ごし、その行動や反応を観察しました。そして、馬が過去に大きな怪我を負った経験があり、その傷が原因で走ることに恐怖を感じていることを知りました。

李は焦らず、馬の恐怖を少しずつ取り除くために、優しく接し、信頼関係を築くことに努めました。やがて馬は李を信頼し、自らの意志で走るようになりました。その後、この馬は平原一帯で最も速く、最も勇敢な馬として名を馳せました。

この経験から「走らない馬を叩くな」という諺が生まれました。これは、強制や力ではなく、理解共感をもって問題対処することの大切さを示す教訓として、多くの人々に語り継がれるようになったのです。

カメラありのオンラインMTG久しぶりに見たんだけどみんな微動だにしてなくてすごすぎるなと思った。

自分いかに多動かがはっきりわかってしまって話の内容入ってこなかったわ

2024-05-29

仕事から帰宅すると妻がキッチンの前に立っていた。

彼女蒲公英の色の白いドレスを着ていて、余所行きの服のように思われた。

彼女の前にはガスコンロがあり、横から覗くと圧力鍋が火にかけられている。

おかえりなさい。

そういって妻は振り返り、ピカピカのキッチン大理石のように輝いていて、汚れひとつないように見える。

ただいま、と俺は返事し、妻のその後を待った。

だが妻は微動だにしない。

スマイルを浮かべたまま身動ぎせず、じっと、たおやかに表情を維持し続けていた。

俺は動揺した。奥ではシュコシュコと圧力鍋空気の音を立てている。

強火。妻に火を止める素振りはない。

圧力鍋メタファーだ。

怒りのメタファー

それが分かったところで何になる!?

俺は必死記憶をまさぐった。

今日記念日だったか?それとも妻の誕生日

思い当たる節はない。

やがてシュコシュコ音は間隔を狭め、クイズ番組の秒針の如く俺を足早に切羽める。

このままだと圧力鍋は爆発するだろう。

じんわりと、粘り気のある背汗がワイシャツの内にそそり、俺は下痢トイレにこもった時のように神に祈った。

助けてくれ!!

額のダムから眉が決壊しそうになったとき、俺はポケットからハンカチを取り出そうとした。

…あれ?

そのときポケットの中から出てきたのは結婚指輪で、妻の左手を見るとそこにあるはずのものが見当たらなかった。

俺はアーリング・ハーランドばりの膝スライディングを披露して妻の足先に赴くと片膝を立て「僕と結婚してください!」と叫ぶように言い、妻に指輪差し出した。

妻は頬を染め、「…はい」とたおやかに返事をすると指輪をはめた。

俺たちは幸せで、幸福過ぎる感に苛まれ続け、奥では祝砲のように圧力鍋が音を立て続けていた。

2024-05-09

痴漢に遭った。後ろから尻を触られた。あまりにも不快で、怖かった。後ろをチラッと振り向けば、バッグが当たってただけだとか、勘違いかどうか分かるのに、あまりにも怖くてそれもできない。

体をずらしながら無視していたら、明らかに手の、指の感触があり、確信した。少しずつ腹も立ってきたので、大袈裟に後ろを振り返る。内カメを起動して、自分の後ろを捉えるフリもしてみた。違和感がやっと収まって、やっぱり気のせいじゃなかったのか、と心の底から気持ち悪さが込み上げる。不快、あまりにも不快だった。

どんな奴か顔を見てみたいのと、そんなの怖くてできないのとがせめぎ合う。次で降りるべき?せっかく乗り換え無しで帰れる電車に乗れたのに?足でも踏んでやろうか?今からでも手を掴んで声を上げて、警察に突き出そうか?いや無理無理、声すら出せない、恐怖で。

Twitter痴漢盗撮した人をしっかり追い詰めて動画に収め、警察にも届けて注意喚起する人を皆見たことがあると思うが、あの方達は本当に勇敢で行動力があるのだと改めて思い知らされる。

私を痴漢たこいつはまた繰り返して、また誰かを恐怖と気持ち悪さのどん底に突き落とすかもしれない。周りだって味方になって協力してくれるかもしれない。何よりこの痴漢野郎に本当にくたばってほしい。社会的抹殺したい。でも、それでも恐怖が勝つ。手をあげられたら敵わないという事実のしかかる。何も出来ない。

性犯罪に実際に声を上げた方、本当に凄いです。それだけで救いになりますありがとうございます


色々頭を駆け巡って、やっと恐怖より怒りが勝ってきた頃 次の駅に着いた。出口のドアは自分の後ろ、痴漢がいる方だったので、降りる時しっかりそいつの姿を確認して、盛大な舌打ちをしてやった。周りからすれば急にデカ舌打ちをしたヤバい女だけど、"本当に本当に不快だった"という、自分に出来る精一杯の意思表示抵抗だった。これが自分限界だった。

ちなみに痴漢自分よりかなり身長が低い男で、更に嫌な気持ちになった。

舌打ちまでしたのに全く気分は晴れることなく、やっぱり足も踏んでおけば良かったなと思いながら下りエスカレーター列に並んで電車の発車を見送った。舌打ちした時痴漢微動だにしていなかったので、そのまま乗っているだろうと思いつつホーム下りると、少し離れた所にさっきバッチリ顔を見た痴漢がいた。間違いなかった、一瞬で吐きそうになった。

急いで割り込んでエスカレーターを駆け下りた。

何で?舌打ちしたから?降りないんじゃなかったの?怒らせた?たまたま降りた?それとも追いかけてきてる?こうしてる間に向こうも走ってたどうしよう?どこに行けばいい?、無我夢中で人混みを掻き分けつつ、目に入ったカフェに飛び込んで、奥の方の席を陣取った。パニックになりつつ、入口凝視して、しばらく痴漢が入ってこないことを確認してやっと落ち着いた。

めちゃくちゃ安心した。ちょっと涙が出てきた。

そのカフェで少し休憩してから、また電車に乗った。その電車もなかなか混んでて、後ろの人と距離が近いのが本当に不安で、また1駅で降りてしまった。また休憩して、今度は空いた電車が来たのでやっと途中で降りずに最寄りに到着した。いつもの帰宅より1時間近く遅くなった。

命の危険を感じながらホームから駆け下りたことはあるか?満員電車が怖くて、見ず知らずの周り全員信用できなくて、1駅ずつ降りて家に帰った経験したことはあるか?明日電車に乗れるか不安になりながら寝たことはあるか?

少しでも違和感を感じたら、様子を見守ってあげてほしい。気のせいだったらまた目をそらすなりスマホを見るなりすればいい。これは、と思ったら、身体を向けるなり顔を睨むなりしてみてほしい。その場で声を上げるのが1番だが、難しいのも充分分かるので、"自分は見ているぞ"というアピールを全身でしてほしい。

電車を降りたら、その子に「大丈夫でしたか?」と一言声をかけてあげてほしい。は?という顔をされるかもしれないし、頷くだけでその場を離れてしまうかもしれないし感謝なんてされないかもしれないけど、"あなたを見ていました、心配です。"というその表明が、後々救われることがあります

そして何より性犯罪者を絶対に許さないで欲しいし、自分には関係ないと思わないで欲しい。冤罪を恐れている人はその憎しみを性犯罪者に向けて欲しい。

長ったらしく書いてしまったけど、これは祈りです。

2024-04-27

鳩を掴む

事情で真夜中の国道沿いをファミチキを片手に歩いているとLEDライトの光が落とされ黒とも銀ともつかず輝くアスファルトには不自然なまでに脚を伸ばした大きな大きな例の虫が此方とかろうじて友好的な関係を維持できそうな速度を保ちながら闊歩していたのでその場にて即興で錬成した彼の人格意気投合してみせ敵意を無にして極力刺激を与えないよう歩みを止め片手のファミチキ一口齧り咀嚼しつつ道を譲ってさしあげたところその歩みの先にある礫岩のそのさらに先の彼の棲家を思いつつだろうかい彼女なのだろうかその人格歩道脇のフェンスの下を悠々と凱旋していってしまいそこでふとその脚が不自然に長いと感じたのはひとつ錯覚であって本当は十分に自然な長さだったものをかのLED文明の銀の輝きが太古のある時代より漆黒の住人であるはずの彼もしくは彼女の脚を途方もなく容赦なくあられもなくくっきりと際立たせてしまったがための勘違いだったことに思い至ったがその見てはいけないものを見てしまったような感覚は宙に浮いたまま数秒を漂いファミチキとともに脳ではないような場所へと飲み込まれていった結果LEDライト照射されたその楕円の宇宙の中で完結すべきひとつ物語だったような気がしたので心はそこに区切りを結び大して長くもない脚は再びだらしなく稼働をはじめるとその次の宇宙すなわち隣のLEDライトに照らされた銀の楕円のもっと中央の目立つ位置には土鳩が鎮座と言う外ない堂々とした面持ちで静止していたのでそうか今日はそういう日なのだなと宇宙との共鳴を一瞬で終えるとともにその横を歩き過ぎてみるとその土鳩微動だにしないのでさすがに全く生産性の無いことなのだがだらしのない脚は踵を返し鳩の真横に立ってみても本当に全く微動だにしないので虫の時の思慮深さを前の宇宙に完全に置いてきた心は彼の横にしゃがみ込みいや彼女なのだろうかそのふてぶてしい生命を見遣ると完全に目を最大限に開けた状態のそれと完全にアイコンタクトが成立したので平和象徴でもあるし自転車に轢かれるとまずいのではないかいや白くなければ平和象徴ではないのではないかいや目が合ったのだもう家族のようなものだと逡巡した結果心はぐわしとその土鳩を掴みフェンスの向こう礫岩の地へとそれを投げ飛ばしたところようやく目が覚めたのか羽音をたててどこかへ消えていったトラック国道を過ぎ去った控えめな排ガス匂いがした

2024-03-11

anond:20240311085853

たぶんレジスタンス概念自体暴力的だという思想だろ。

そしてそれは的を得てると思うぞ。

デモ活動労組とかレジスタンス組織は、時に必要不可欠だが、暴力性を伴うことは否定出来ない事実

最近テロとか自殺が、話題性を生み隠れた闇にスポットライトを当たって、今まで微動だにしなかった現状が動き出すとかいう、イカれた世の中になってきてるけど。だけどそれって全然平和じゃない。文明とはいえない。

言論を通じて世界は変わっていくべきだ。

2024-03-07

anond:20240307025640

多様性尊重ということについて異論はないが、子供をその尖兵に使うのは筋が違うと。

大人理想のために子供リスクを負わせるのは正しいことではないと。

まあ、もっともな意見だと思う。

ところでまた別の角度からの話をすると「みんなと違うことは好ましくないのでは」というような価値観問題は、純粋価値観問題としてのみ取り扱う限りは微動だにしないのである

どういうことか?

例えば「人間には生まれつき貴賤の別がある」という価値観に対して「人間は生まれながらに平等です」という価値観対置して説教したりみんなで話し合ったりしても何も変わらない。

しか外国から新しい文明文物流入して全く新しい職業バンバンまれると、四の五の言わずとも士農工商なんてどうでもよくなる。

ハード(形あるモノ)がソフト価値観)を強力に規定するのだ。

子供に「多様性大事ですよ」と百万回唱えても無意味である。具体的に違う服や違うカバンを与えて初めて伝わりだすものがある。

そこで起きるかもしれない摩擦のリスクはそれこそ大人責任持って大事に至らないように監視干渉しなければならない。摩擦を起こさせないことが大人責任ではない。

教育本質的暴力的要素を内在させているのだ。正しさは、と言ってもいい。そこのところを忘れてはいけない。

2024-02-25

「だに」って何だよ

微動だにせず


いや、「だに」って何だよ

2023-12-26

氷のBEAT AX DAY1昼〜石像になったオタクたちとゆるアチの公開収録を添えて

タイトルからコイツ変なこと書くんだろと察されている方もいるかと存じますが、BEAT AX DAY1昼公演に行ってきたのですが、めちゃくちゃ良かったです!!!どのグループも素晴らしく、各々がNo.1であったことは紛れもない事実であることを強く強調させてください!(頭痛が痛いみたいだね)本当に良かった、その上で二つどうしても言わずはいられず、ネットの波に流させて頂ければと思います

改めて、アーティストの皆さん素晴らしいパフォーマンスありがとうございました。

では、参ります

一つ目、オタクの皆さん、自分推し以外にあまりにも冷たくねえ〜〜〜?!

エルサもびっくりするよ?!オラフにとって全く危険もなく安心暮らせる環境出来上がってたよ?!

今回、自分の好きなグループと姉の好きなグループジャンル違い)が同じイベントに出演するというめちゃくちゃ稀有状態が生まれ、合同コンサートに行くのが初めて参戦したゆえ歴戦の皆さんからはこんなものだよ〜!とおっしゃられるのかもしれませんが、皆自軍の時とそうじゃない時の高低差激しすぎない?!?!怖くない?!もう怖くて合コン行けないが?!

これは流石にフットボールアワー後藤もびっくりするのでは?!

チケット販売状況を鑑みるにこのグループオタクが多いんだろうな〜〜とは察している+あまり名指しをするのは良くないことは分かっているのでやんわり伏せますが、目の前のベステェおばさんたち!!!後方座席だった私は全部見えてたぞ〜〜〜!!!(ギリ伏せられてなくてすみません自軍以外のグループの時、微動だにしてねえの見えてたぞ〜〜〜!!!

※今回は運良くアリーナの席をご用意いただくことができたので上の方の皆さまは声をあげたりを振られているかもしれません、ライブ中の私はどうしても視野が狭いがちなのでご了承ください。

トップバッターの今年デビューしたばかりのボーイズグループバンドダンスもできるすごい)、会場があったまりきってない+私も含め初見の方が多かったということはあるかもしれないが、百億万歩譲ってせめてペンラは振ろうよ、、、?

(前に共演して交流のあるエンテェームの時はまだギリ乗ってたっぽい?が)

あんな最高パフォしてんのにおい、、まさか、、女だから興味ねえのか?!?!あのダンス歌声を聞いて声すら出ないのはエッ?メデューサにやられた?としか思えずマジで?と普通に引いてしまいました、

思い出せ?君たちの推しだってデビューして1年目は沢山のフェスに出まくって顔を広めていたじゃあないか、(彼らのパフォーマンスが素晴らしいということは大大大前提として)その時暖かく迎えてもらったじゃろ?(「フェスに参加された方、自担を暖かく迎え入れてくれありがとう♡」とか投稿しただろ?投稿しなくてもせめて思いはしただろ?)だから!!!!!それを返すんだよ!!!!!!

まじでちゃんちゃら、、、ハッ!チンチャおかしいぜ!!(使い方が合っているかは知らん、でもエンテェームの人たち最高だった)

MCで「人生色々あるけど、あなたの好きなアーティストあなたいるからこんな素敵な舞台に立ててます、だからずっと愛し続けてください、そしてもしま別に機会で僕たちと巡り会える時が来たらあなたのために歌います記憶力なくてニュアンス)」ってあなた推しがいうてましたが!?!?聞いてる?!?

ファンアーティストの鏡という言葉がありまりますが、皆さん見られてますよ〜〜〜自分推しに恥じないように行動しましょうね☆




乗れねえならマジで合コン来るな!!!

そして二つ目、公開収録するならもっとちゃん企画練ってこいよ!!!

今回出演されていた1グループ冠番組シーズン2に入るかつ、このBEAT AXで公開収録というめちゃクソ楽しい空間のはずなのに、なんだ?!大丈夫か?!傍目で、オ・オ・ヤ・ケ・ド、よろしく状態でしたけども?!

※ここから先は来年1月より公開の番組の内容にも関わるため、読まれる方は自衛をお願いいたします※


企画内容としては

・出演されていたアーティストの方が曲中で言ってバズっていた言葉を他のグループメンバーにもやってもらう

椅子取りゲーム

の2つだったのですが、どちらも、、、

ゆるい!ゆるすぎる!本当に大きなお世話だけど撮れ高心配すぎ!!!!本当にテレビか?!

アーティスト軌道修正と笑いポイント作らさすな?(お姉さんと赤ちゃんありがとう

椅子取りゲームなのになぜ背もたれ付きの椅子が準備した?

ねえ〜〜〜ちゃんと準備した?いつこの企画考えた?マズイ、このままだと理詰め外資系コンサル上司になってしまう、、、それくらいの危機感を覚えた、推しバッチバッチにヤケドしてるところなんて誰も見たかないぞ???

そして、これは本が悪いのかもしれない、、、でもMCさんのアーティストたちに投げかける質問が下手すぎるだろ!!!!(そりゃ呼び捨てにされるわ!!!!

明らかに共演が少ないだろうに「お互いの印象は?」の質問はむずすぎるて!!!もっと考えて???クローズドクエスチョンしろ???

めちゃくちゃ困ってたやないか!!!最初はいいけど察して途中から答えやす質問しろ!!!

(皆「音楽番組で共演して挨拶程度」が枕詞に使ってて勝手に気まずくなったよ、)

はい!ババっと書きましたが、やっぱり出演されたアーティストパフォーマンスは素晴らしかった〜〜〜!(これは本当に)どちらかというと普段アイドルのうりゃほい系オタクなので、いざ会場に着いたら浮くかもしれん、、、と思っていたけどバッチバチに楽しめました!(このうりゃほいの血潮のおかげでどのグループのコーレスや振りをその場で覚えて出来た、、、我ながら誇り)

まあ合コンは、また気が向いたら行きます、、ということで、、、

2023-12-22

定期的に臥せっている

病院には何度も行った。といっても最後に行ったのは3年ほど前だが。

定期的に体調が悪くなる。

そうなると布団で横になるしかない。身体を動かすために割く余力が無くなるからだ。

生きるための力のほとんどは脳内言葉に耐えるために使う。

「つらい」「助けて」というネガティブ言葉が多いが「どうしたの」や「何で」などの言葉もたまに聞こえる。問いかけられても困る。

聞こえると書いた通り、それらの言葉自身が考えているのではなく、第三者の声に感じられる。

ただし実際の声として耳で聞いているわけではない。内言に近い。

しか自分の考えである認識していないため、自動思考であるという感覚は無い。おそらくこれは一般的感覚ではないだろう。

並行して、時々身体が動かなくなる。

この時は手足などの身体の一部に力を入れようとしても、微動程度しか動かない。痛覚などの感覚はある。

また、声が出なくなる場合もある。言葉を話そうとしても喉が動かないので、おそらく手足が動かなくなる現象の延長だろう。咳払いはできる。

これらの症状に耐え続ける、あるいは無視し続けていると記憶が飛び始める。

記憶の飛び方は様々で、気が付いたら外を彷徨っているという分かりやすものから、何をしていたかはうっすらと思い出せるがどうしてそれをしようとしたか理解できないというような、記憶以外に異常が出る場合もある。

体調を崩すきっかけは分からない。

周期は不定で、何ヶ月もその状態で臥せっている時もあれば、1 年丸々元気な時もある。

病院には何度も行った。いくつかの病院を訪れ、色々なことを言われた。

脳波に異常はありませんと言われ通院が終了した時もあれば、カウンセリングに通い詰めて貯金が尽きた時もあった。

また、その症状は治療できないと言われ初診で終わった時もあった。

いずれにせよ症状が消えることはなかった。

治療がうまく進みそうな病院に巡り会った時もあった。

しかし、通院を継続できない最大の問題がある。元気な時の自分は、体調を崩している時の自分理解することができないのだ。

記憶に影響が出るからだろうか。元気な時の自分は、体調の悪い時期に関して「なんか知らんが臥せっている」以外の感想を持たない。

体調についてここまで詳細に書けているのは、自分が今臥せっているからだ。

通院できる状態まで回復した自分は、体調が悪かった時に感じた苦痛を何とも思わない。他人事のように感じており、よって通院の必要性を感じない。

また、通院したとしても起こっていた困難を説明できない。なんか知らんが臥せっていたとだけ説明されて、的確な治療ができる医者などいないだろう。

この文章自分しか見られないような場所に保存すれば、体調が戻った時の自分意味不明の怪文とみなされて消されるだろう。そしてまた、体調が悪かった時のことを無かったものとして生きていく。

そこで、これをインターネットの海にでも投げてみる。

一度人目のあるところに公開した文章無責任に消すことはないだろう。おそらく。

どうか後ほどこれを読んだ自分には、困難に振り回されていた事実から目を逸らさず、何かしらの対処必要な事として受け止めてほしい。

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