はてなキーワード: 短編小説とは
エター率100%。毎回最後まで書き切ることができない。小説が書けるようになるには短編小説を書いて完結させる練習をすればいいと聞いたので、短編を書こうとプロット作ってるんだが、どう頑張っても大長編のプロットになってしまう。
例えば、反発する二人が結ばれる小説を書きたいとする。
嫌いな人間を好きになるってよっぽどのことだから、ある程度時間が必要だろう。まあ、短くて三年くらいかな?その三年を埋めるように互いを認め合うエピソードを作ればいいかな。
とりあえず出会いを書く。
短編では読者は初めてキャラクターに出会うわけだから、メインキャラの紹介も必要だよな。ヒーローの性格描写しーの、ヒロインの性格描写しーの、二人は正反対の性格にしておいた方が劇的だろうな。反発することを読者が納得できるだろうし。
で、普通に嫌いあっていたら近寄らないだろうし、二人が傍にいないといけない状況を作らないといけない。そのエピソードを入れる。
よし、起承転結の起はできたから、残りの三年に起こす事件を作ればいい。反発→そんなに悪い相手じゃないかも?→好き、の時間的経過があるから、事件は三つくらいにしとくか。とりあえず事件①の起を書く。事件①承で事件②の伏線を入れておく。事件①転、これはまだ相手を好きになるまではいかないけど、今後の展開の布石として、お互いの性格の良い面と悪い面を認識しておかないといけないから、ちゃんと描写が必要。で、事件①が終わり。
盛り上がりを作るには波の高いところだけじゃなくて低いところも必要なんだよな。ってことでここで箸休め的なエピソードを一つ。ちなみにここでヒーローとヒロインを引っ掻き回すサブキャラは最後の転でまた出てきて二人がくっつく鎹役になる、ギャグキャラかと思ったら重要キャラだったっていうエモいやつにしようかな。
よし、次に事件②。事件①の繰り返しにならないように、サブキャラは変えようかな。そうすると、事件②の起をやりつつサブキャラの紹介もして……こいつら事件①の時なにやってたんだろ?一応設定も作っておくか。キャラ設計してー年表作ってーあ、ここで事件③に繋がりそう!よしよし、伏線折り込む必要があるから、ここで小エピソード①を入れておくか。ん?このままだとヒロインはヒーローを好きにならないのでは?そもそも嫌いな人間を好きになるのに事件三つじゃ少なすぎるか。事件④が必要だな。えーと、事件④の伏線のために小エピソード②を書きーの、そもそもヒロインがヒーローを理解するためにはヒーローの性格への理解を深める必要があるよな。なのでヒーローの性格の成り立ちを説明するための小エピソード③を書きーの、事件②のサブキャラの背景も説明しておかないといけないな、小エピソード④…………。
藤井一至「土 地球最後のナゾ 100億人を養う土壌を求めて」
横山祐典「地球46億年 気候大変動 炭素循環で読み解く、地球気候の過去・現在・未来」
藤井一至「ヤマケイ文庫 大地の五億年 せめぎあう土と生き物たち」
主婦の友インフォス情報社「事故物件サイト・大島てるの絶対に借りてはいけない物件」(再読)
上遠野浩平「恥知らずのパープルヘイズ -ジョジョの奇妙な冒険より-」★
菅沼 悠介「地磁気逆転と「チバニアン」 地球の磁場は、なぜ逆転するのか」
ヴィンチェンツォ・ヴェヌート「生きものたちの「かわいくない」世界 動物行動学で読み解く、進化と性淘汰」
いがらしみきお「ぼのぼの人生相談 「自分をしまっちゃうのをやめないとさ」」
ちょめ「室外機室 ちょめ短編集」
特別展「鳥 ~ゲノム解析が解き明かす新しい鳥類の系統~」於・国立科学博物館。
昨年に引き続いて阿部勤也を読んでいる。歴史系の本は雑学が増えて楽しいし、現代で当然とされていることが全く通用しない世界をイメージできるので、自分の価値観が相対化できる(時折正しいかどうかだけが自分の判断軸になり、どう感じているかをおざなりにしがちなので大事)。他には地学や土壌が気になってたようだ。
なお、昨年までやっていた星印の評価はやめにした。同率二位とか三位とかを考えるのが面倒だったからだ。……とか思ってたけどやっぱり直感でやることにした。
乙一「The Book ~jojo’s bizarre adventure 4th another day~」
志村史夫「古代世界の超技術〈改訂新版〉 あっと驚く「巨石文明」の智慧」
コタニヨーコ「夏が、僕らの世界を見ていた」
熊倉献「春と盆暗」
「フリクリ」
特別展「魂を込めた 円空仏 ―飛騨・千光寺を中心にして―」於・三井記念美術館
久し振りに芥川賞を読んで面白いと感じた。自分の好みは、語り手が男性で、非常に知的であるか(丸谷才一をこの年読んだのはそのため)、怒りや暴力性などを抱えている作品にハマることが多い。もちろん例外も多数ある。というか読書の趣味は例外だらけだ。
あとは、高校生以来で「百年の孤独」を再読したが、当時と比べて複雑なストーリーを理解する能力が向上していたとわかったのは嬉しい。
「ジョジョ」や「フリクリ」など、すでに知っている物を手に取ったのはファン心理かもしれないし、これは外れないだろうというある種の安心(または怠惰さ)かもしれない。面白かったけれどね。
志村史夫「古代日本の超技術〈新装改訂版〉 あっと驚く「古の匠」の智慧」
篠田謙一「新版 日本人になった祖先たち―DNAが解明する多元的構造 (NHKブックス No.1255) 」
アシュリー・ウォード「ウォード博士の驚異の「動物行動学入門」 動物のひみつ 争い・裏切り・協力・繁栄の謎を追う」
「生誕150年記念 モンドリアン展 純粋な絵画をもとめて 公式図録」
「生誕100年 ジャクソン・ポロック展 JACKSON POLLOCK[図録]」
丸谷才一「横しぐれ」★★★
「特別展 慶珊寺と富岡八幡宮の名宝―『大般若経』が語る中世東国史―」於・金沢文庫。
また、この月は数年前に行けなかった美術展の図録を買って楽しんだ。たまたま行けなかったり、コロナ禍で自粛してしまったりしたもので、ずっと喉の小骨のように行けなかった後悔にさいなまれていたのだが、すっきりした。
丸谷才一「樹影譚」
ハンフリー・カーペンター「J. R. R. トールキン 或る伝記」
J. R. R. トールキン「農夫ジャイルズの冒険 トールキン小品集」
A. A. ミルン「クマのプーさん Anniversary Edition」
A. A. ミルン「クマ横丁にたった家 Anniversary Edition」
エーリヒ・ケストナー、池内紀訳「飛ぶ教室」★★★
児童文学が多い。「飛ぶ教室」は男子校を卒業して二十年余りの自分にはとても良く刺さった(小さい頃にもらったのだがパラパラめくっただけだった。たぶん自分の中の男性性を求める心が強く目覚めていなかったんだろう。あるいは、一生付き合っていきたいという友人に出会う前だったからかもしれない)。また、今まで触れてこなかったトールキンの作品に触れて楽しかった。これは十二月の洋書による再読の遠因となる。
スタインベックは障害観が少々古いが、無駄な場面がなく、悲劇としての構成が美しい。
J. R. R. トールキン「終わらざりし物語(上)」★★★
湊一樹「「モディ化」するインド ――大国幻想が生み出した権威主義」★
J. R. R. トールキン著、クリストファー・トールキン編「ベレンとルーシエン」
相国寺承天閣美術館開館40周年記念 相国寺展―金閣・銀閣 鳳凰がみつめた美の歴史。
うろこの家・展望ギャラリー、山手八番館、北野外国人倶楽部、坂の上の異人館。
湊川神社宝物殿
いつもの月と比べて大変に少ない。今月は休みの日に読まなかったのと、「終わらざりし物語」が上下巻それぞれ五百ページ超えと大変に長かったためである。四月までの分を加えれば平均して月十冊は読めているし、味わわずに読み飛ばすよりははるかにましである。というか、三月四月と十五冊読んでるじゃないか。プラスマイナスなし。
年始から神道をはじめとした日本の信仰について読んでいる。記紀に記載のない神々や、民間の信仰、仏教との混交などの知識が増え、日本神話についての解像度が上がった気がする。
なお、「クィンティ」はファミコンゲームで、これをスイッチでプレイした。祖父の家に合ったもので子どもの頃はクリアできないなりに楽しんでいた。スイッチの巻き戻し機能を利用してやっとクリアした。
余談だが昨年はクリアしないなりに「パリア」をプレイしたのだった(結局こういうクエストものや箱庭・スローライフものはそこまで好きじゃないというか飽きるとわかった。スローライフと言いながら結局採取や労働をしており、仕事で疲れて帰ってきてやるモチベーションが湧かない)。「Neo Atlas」は二〇二二~二〇二三にプレイしたが結局飽きている。世界を探検するのが好きなのはcivilizationで分かっているのだが、通知がひっきりなしに来るので、これもリアルな仕事と似ていて疲れた。
飯島吉晴「竈神と厠神 異界と此の世の境」
ダニエル・T・マックス「眠れない一族 食人の痕跡と殺人タンパクの謎」★★★
成澤勝嗣「もっと知りたい狩野永徳と京狩野 (アート・ビギナーズ・コレクション)」
狩野博幸「もっと知りたい河鍋暁斎 生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)」
稲垣栄洋「生き物の死にざま」
小泉悠、高橋杉雄、太田啓之、マライ・メントライン「ゴジラvs.自衛隊 アニメの「戦争論」」
小塩 真司「「性格が悪い」とはどういうことか ――ダークサイドの心理学」
綾辻行人「どんどん橋、落ちた」
櫻井武「SF脳とリアル脳 どこまで可能か、なぜ不可能なのか」
安田峰俊「民族がわかれば中国がわかる 帝国化する大国の実像」
「ACN ラムセス大王展 ファラオたちの黄金」於・クレヴィアベース東京
軽めの本が多め。
この後読む皇族の本も含め、学問の世界の厳しさに触れる本が多かった。知識を蓄えるのではなく、同じ問題にずっと取り組み続け、微細な差異や違和感に疑問を持つ才能がないと、研究者としてやっていくのは難しい(これはうまくできなかった自分を慰めている側面もある)。
脳科学については、著者の主張や意見のウエイトが大きく、前々から気になっていた意識や心の哲学についてはそこまで突っ込めなかった。ジャンル全体の概観をつかむだけなら、おそらくウィキペディアを拾い読みしたほうが早いか。
みんなは知ってるんだろうけど馬鹿な俺は知らなかったよ。
https://www.hyuki.com/trans/leaf.html
下に簡単なあらすじを書いておくよ。当たり前だが物語の結末が描かれています!ネタバレ注意
『最後の一葉』あらすじ
舞台はニューヨークの芸術家村。貧しい画家志望の少女ジョンジーは、重い肺炎を患い、「壁のツタの葉がすべて落ちたら、自分も死ぬ」と思い込んで絶望していました。
同じアパートに住む老画家ベアマンは、いつか傑作を描くと言いながら酒浸りの日々を送っていましたが、彼女の窮状を知り、ある行動に出ます。
激しい嵐が吹き荒れた翌朝、ジョンジーが窓の外を見ると、不思議なことに最後の一枚の葉だけが散らずに残っていました。その葉の粘り強さに心を打たれた彼女は、生きる気力を取り戻し、奇跡的に回復します。
しかし、実はその葉は、ベアマンが嵐の夜に、凍える雨の中で壁に描きつけた「魂の傑作」でした。ベアマン自身は、その無理がたたり肺炎で亡くなってしまいます。彼は自分の命を削り、一葉の絵を描くことで、一人の少女の命を救ったのです。
いや、泣いてしまったわ
年取ると涙もろくなるね🥹
十月二十九日、本家旧twitter・現Xで「皆がそろそろ忘れていそうなもの」として「対多」が挙げられ、それがバズった。
【参考】https://x.com/ankoromoch6421/status/1983190305592750425
そのせいで、一時的に人口が増加した。「青鳥民帰宅希望」みたいな投稿もちらほら見られたが、現時点では落ち着いている。平日昼間の場合、十分に一回くらいの投稿しかないことも多く、いたって平穏なタイムラインである。忙しい現代にあっては、こういう場所もあってよい。なお、twitterが落ちたかどうかとかを確認しに来る人も結構いるみたいで、これは初期のころから変わっていない。
「枝豆」や「猫」荒らしも大分落ち着いてきたのだが、単純に人が減っただけかもしれない。過疎だが、平和な集落のようだ。心無いレスをする人はゼロではない。ただし、一部は単に語調を整えるひらがなが使えないので、ぶっきらぼうに見えているだけかもしれない。あと、ジョークで書いているつもりでも、ジョークとわかりづらいのも、偽中国語の難しいところか。
現在十五日目。毎日いろんな質問をする。例えば十一月十七日は「貴方、交際経験有?又、交際何日間?」であった。意外と盛り上がっている。
「魔魔~」「抱子~」とつぶやく。寂しいんだろうな……。この季節は一人だとつらいよね(八時十一分追記:よく考えたら晩秋以外にも普通に投稿があったわ……)。
性格には「楽天力一卜”男」。楽天カードのCMを脱法カタカナを交えて叫ぶ。YouTube広告のパロディ。ときどき「ASMRの邪魔をするな」とレスがつく。
「其晩 青虫 腹痛因泣」などと、エリック・カールの絵本の一説を投稿する。
僕もこの絵本大好きだったな。
安価で小説を書いてくれてた人。全部偽中国語なのにとても頑張ってくれてた。
以前書いた、「本日幸運品物」とラッキーアイテムを教えてくれる人のパロディで「本日不要品物「労働」皆糞一日!」と締めくくる。なお、本家「本日幸運品物」の人は、一週間ほど連続して、ラッキーアイテムが「金木犀」だったことがある。
「女子高生太腿最高也!」の亜種。基本的にノロケなのだが、時々「こういうプレイをした」と妙にきわどい発言がある。なお、同一人物かは不明だが、彼女に膝枕をしてもらえない人を煽る人もいた。彼女さんは九つ年上らしい。基本的にノロケを聞くのは好き。ただし彼女さんのためにあまりきわどいことを書くのはやめましょう。
自称高校生の女性で、お尻を叩くと喜ぶ。一度スレッドが百まで伸びた。
男女問わず、夜や休日に人恋しくなって構って欲しがる人は結構見かける。猥談をしてたと思ったら、普通に雑談になったり。きっとみんな寂しいんだろうな。一度雑談ですごく盛り上がってときに、「リアルで会いたい」と女性が言ったが、男性は「私は年上すぎる。やめておきなさい」と答えてた。ちゃんとしてる。
前からいたけれど書き忘れていた。あたたかくて気持ちがいいので子どもを抱っこして寝たいらしい。怖い。返信は大抵「通報!」。
お下品すぎる。
囧の顔の棒人間のAAが猫を虐待している投稿を繰り返す(日本刀で斬ったり鍋で煮込んだりしている)。往年の2ちゃんねるの虐待スレのような闇を感じる。すぐに投稿を消す。この人は前からいたが書き忘れていた。
「女子高生太腿最高也」「御早之屁」の人はずっといる。古事記原文を投稿している人は、二代目か三代目の天皇の辺りにまで話が進んでいる。ここまで来たら本人にとってはマジに勉強になっていそう。
あと、よく見る返信としては恋愛に悩む人に対して、「我斗交際如何?駄目?総……」ってのがある。
「実八私八」の人は投稿を全部消したが、模倣犯がいるのでまだ見かける。
女子とイチャイチャしたいと呟いていた「我中三男子可愛女子戸居茶居茶死体」君は、最近女子と手をつなぐことに成功した模様。良かったね! でも、近所のイオンに誘ったら断られてしまったらしい。次があるさ。受験頑張ってね。
後、交際相手がほしいと嘆いていた人は、無事に仕事が見つかったみたい。応援してる。
さて、対多は無事に一周年を迎えられるか(一番最初のバージョンが十二月十日、一度鯖落ちして現バージョンになっている)。まさか一周年を機に閉鎖ってことはないよね、大丈夫かな。
以上〠
昨日ツイッターが鯖落ちしたらしく、大量の避難民が押し寄せ、「青鳥落?」という投稿がものすごい勢いで並んでいた。ほとんどの人が「罰」「乂」と呼ばないのが面白い。
まずは、「Virtual Gorilla+(バゴプラ)」という名のWebメディアです。
そしてもう一つが、SF小説に関する事業「Kaguya」。Kaguyaの取り組みは、いくつかあります。①ショートショートのコンテストの開催。②Kaguya PlanetというWebマガジンの刊行。ここでは毎月短編小説を配信しています。③Kaguya BooksというSFの出版レーベルとしての活動。
二つの活動以外にも、企業のSFプロトタイピングのコーディネーターなど、SF関係のさまざまな仕事も手掛けています。
Kaguyaで開催している短編小説のコンテストは、最大4千字です。気軽に書いて、読者や審査員からフィードバックをもらうなかで、自分の強みが何かを発見してステップアップしていく。そういう場所を目指しています。
ライフステージや、家庭における役割、精神状態などに大きく左右される。「連載が約束されていない長いもの」の執筆に時間を割けるということ自体、特権的なのかもしれない。
https://www.asahi.com/articles/photo/AS20251022002010.html
【井上】 日本のSFだけではなく文学全体がそうかもしれませんが、商業デビューの王道として、新人賞をとって、そこで作品を出して商業デビューし、その出版社から2作目3作目を出し、他の出版社からも声が掛かる……というルートがあると思います。もちろん日本のSF作家で、そのルートに乗らず商業デビューして活躍している方もいるのですが、わりとイメージしやすいロールモデルとして、それがある。
主催によってカラーが決まっていることが悪いわけではないですし、一つのコンテストに「全ての多様性を担保しろ」と求めるのは無理だと思います。なので、窓口を増やすことで、デビューへの道筋を多様にすることが大事だと考えています。
【井上】 23年10月に文芸翻訳の経験を持つ編集者が新しく参加してくれたこともあり、海外から日本への輸入や、日本から海外への発信に力を入れることができるようになりました。
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第3回かぐやSFコンテスト大賞作品「マジック・ボール」は、中国のSFマガジン『科幻世界』とイギリスのウェブジン『Schlock!』にも収録された=井上彼方さん提供
【井上】 「自分の表現で誰かを傷つけてやろう」と思っている人って、そんなにいないと思うんです。ごく一部の悪意のある人をのぞけば。でも実際に、自分が書いた文章に批判がくると、身構えるじゃないですか。そういうときに自分を見つめ直して反省して次に生かすって、非常に難しいことだと思うんです。特にSNSで炎上してしまうと、冷静ではいられないですよね。
自分の書いた文章について言われるのではなく、あらかじめ「こういうことって気をつけた方がいいね」とわかっていたら、過剰な自己防衛に陥らず、話を素直に受け止められる場合があるはずです。
ヒューゴー賞は世界SF大会によって設立されたSF・ファンタジー作品の文学賞で、受賞作品は世界SF大会に参加登録した人による投票で選ばれます。そして、このSad Puppiesというのは、ヒューゴー賞の選考に影響を与えるための組織的な投票運動でした。女性や有色人種の受賞が増えていることに抗議を示すため、白人でヘテロセクシュアルの男性作家たちが自らを、権利を侵害されているSad Puppies(悲しい子犬たち)と称したのです。
ヒューゴー賞は投票制なので、人々に開かれたものではあったはずです。ところが、Sad Puppiesたちは、「ヒューゴー賞はポリティカルコレクトネスに配慮するあまり、本当に面白い作品を受賞させなくなっている」といった主張を始めた。「もっと面白い白人男性の作家を受賞させろ」という風に呼びかけた。そういう事件ですね。
【井上】 ヒューゴー賞は2010年代、女性作家や非白人の作家の受賞が増加しました。女性だけではなく、クィアであることをオープンにしている作家の受賞も増え、それに対して「自分たちの土俵が荒らされた」というような被害感情を持たれる方がいた。それで起きた事件です。
【岡田】 この事件については、SF評論家の橋本輝幸さんが、ウェブ連載「いつでもSF入門」のなかで詳しく語られています。SF界において女性が優遇された時代はなかった、と指摘されています。
【対談を終えて】
対談から2年。2024年に慶応義塾大学にサイエンスフィクション研究開発・実装センターが開設されるなど、社会の中でSFをどうツールとして使っていくのかという取り組みは広がりを見せ続けているように思う。その中で、SFを取り巻く世界やSFが描く世界の中から、誰が取りこぼされてきた/いるのかということは今も問われ続けている。
この間、VGプラスで行った取り組みの一つに、刊行しているマガジン『Kaguya Planet』でのパレスチナ特集がある。1948年のイスラエルの建国以前から続く、入植型の植民地主義と人種差別的な支配、ジェノサイドは、「世界では誰の声が優遇されているのか」ということと無関係ではない。そのことにSF企業としてどう応答できるのかを考えて行った特集で、パレスチナ人/パレスチナにルーツのある作家による、パレスチナを舞台にしたSF・ファンタジーを翻訳した。
写真・図版
ウェブマガジン「Kaguya Planet」のパレスチナ特集
だが同時に、システムや場づくりについて問題提起をしているVGプラス自身、たくさんの方から至らぬ点についてご指摘をいただき、ときに引き立てていただき、ときに知恵を授けていただきながら活動をしている。マイノリティーの方々に「指摘する」というコストを支払わせてしまった局面もたくさんある。それらを抽象的な次元にとどめることなく、現実の制度や権利回復へとつなげるためになにができるのか、常に考えていきたい。
そしてそれは、SFという私の愛するジャンルそのものを豊かにすることにも、当然つながっているのだと思う。
排除はしばしば、「質」の名において実行される。
なにが「優れた」作品なのか。その指標そのものが、特定の経験や価値観にもとづいて構築されてきた。そうした規範に照らせば、大きく異なる経験を持つ他者の書いた作品は必然的に「劣った」ものと評価されよう。排除は意図的に行われるのではない。それは常に「客観的な評価」の結果として生じる。
Sad Puppies事件は「ポリティカルであること」への反感が運動のきっかけだったが、むしろ、従来の選考こそが政治的だったと考えることもできる。価値判断の場では多くの場合、既存の権力関係が反映される。正統性を維持するためのシステムは個人の意図を超えて作動する。
だからこそ、井上さんたちの取り組む解決策はシステムそのものに切り込むものだ。短編コンテストの開催、発表の場を多様化すること、経済的に持続可能な仕組みをつくること。これらはすべて、異なる価値観が共存できる環境を目指している。
誰が未来を語るのか。どのようにその語りを開いていくのか。今回の対談で示されたのは実践だった。完璧な一つのシステムを目指すのではなく、複数のシステムを並走させることで、今は「評価」できない作品や価値観にも光が当たる可能性を残している。SFの想像力が現実を形成する力を持ちつつある世界において、その想像力を担う主体の多様性こそが、私たちの未来の豊かさを決定づけるだろう。
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新しい自分に生まれ変われた。昔を振り返ってみたい。実は、商品レビュアーとして生計を立てていた。
とあるECサイトがあって、そこで良質なレビューをたくさん書くと"プログラム"に招待される。そのアカウントにログインすると、ある一定の種類幅で商品が並んでいる(レビュアーごとにちょっと違うらしい)。
商品をクリックすると、なんと0円で購入できる。その代わり、その商品に関するレビューを投稿する義務が生じる。そういうプログラムである。
プログラムの招待を受けたのは20代後半である。当時は、今とは比べ物にならないほど貧しい生活を送っていた。今でこそ、それなりの暮らしをしているのだが……当時はマジで貧乏だった。
セブンイレブンでは、数十円単位まで考えて買い物をしていた。財布には440円ほどしか入ってなくて。ジョリーパスタに行っても、一番安いパスタをゆっくりと口に運んでいた。
いわゆる大卒フリーターだった。就職ができなかった人。飲食店や居酒屋のアルバイトを転々としていた。
そんな日々の唯一の楽しみは、Amazonで大好きなアニメのDVDやグッズを購入し、そのレビューを書くことだった。子どもの頃からアニメが大好きだった。今でもニコニコ動画でアニメを視聴している。あのコメントが好きなんだよなあ。
それで、好きなのを見つけると……誰に頼まれたわけでもないのに、作品への愛と考察を込めて、それはもう熱心にレビューを書き綴った。文字数はときに数千字にも及び、作品の背景からキャラクター心理、演出の妙まで、独自の視点で分析した。
レビュー活動を始めたのは、大学を卒業する年からだ。それからずっと長い間、1クールごとにその季節で面白かったアニメのレビューを書いた。多くのレビューは「役に立った」が10未満だけど、たまにバズるのがあって、数百の「役に立った」が押された。三か月に一度しかレビューしなかったけど、それでもベストレビュアーランキングは最高で500位までいった。※今はベストレビュアーランキングは表示されない
あの頃の自分は、本当にアニメが好きだった。今でも好きだけど、あの当時のワクワク感には及ばない。毎期、新しいアニメが始まる度に、ワクワクしながらPCを操作して、ニコ動にログインしていた。陳腐な表現ではあるけど、心がキュンキュンするのだ。アニメを観てると。
どれだけ貧しい生活をしていようが、それがあるだけで心を癒される。高校生の頃に読んだ、『はてしない物語』という小説があるんだけど、その中にさ。
なにかに心を捉えられて、たちまち夢中になってしまうのは、謎に満ちた不思議なことだけれども、それは子どもも大人も変わりない。
そんなある日、一通のメールが届いた。「商品無償提供プログラム」(仮称)への招待だ。あれは確か2019年の夏だった。『魔王様、リトライ!』というアニメのレビューを書いてバズった後だった。
最初は迷惑メールかと思ったが、ECサイトからの公式メールだと気づいた時、心臓が跳ね上がった。選ばれたレビュアーに新商品を無償で提供し、レビューを書いてもらうプログラム。まさか、自分がそんな特別な存在に選ばれるなんて。
最初こそ、勝手がわからなかった。好きな商品が選べるとはあったが、最初は駆け出しレビュアーなので、あまりいい商品を選べなかった。いい商品があっても、ほかのプログラム参加者に先に奪われることが多かった。
でも、続けているうちに勝手がわかってきた。コツを掴んで、知識も技術も得た。例えば……
・一部商品は、自分が使わなくてもレビューできる。介護・福祉・ペットとか
・一部に悪いことしてるヤツもいるが、運営もわかっていて……大人の約束感がある
半年も経つ頃には、駆け出しレビュアーを抜け出して昇格ができた。昔の漫画でいうと、黄金聖闘士(ゴールドセイント)である。あれよりはずっと希少性が低いけど。
そのプログラムにログインすると、商品一覧が並んでいて、実際に商品をクリックして、次々と送られてくる――家電、日用品、食品、ガジェット、サプリメント……。それらのレビューを書く。
レビューを書くのは本当に得意だった。ただの感想文ではない。商品の良い点も悪い点も、使う側の視点に立って、具体的に、そして魅力的に伝える。
一つ一つのレビューは、まるで短編小説のような完成度を目指した。だからといって、時間をかけるわけではない。最初に頭の中に構成がなくとも、書いているうちに気分がアガっていって、1レビューにつき10分もあれば書き終えられた。
レビューを書いたら、次は転売だ。受け取った商品は、ほとんどメルカリやヤフオクで売却した。
定価の4割引きくらいで出すと、飛ぶように売れていく。5割引きだと鉄板レベルである。よくない商品だと8割引でも売れないのだが。そういうのはセカンドストリートに持っていく。10円ほどでの引き取りで、利益はマイナスだけど、それでもほしい人が手に入れるのならいいかって思えた。
正直、最初は罪悪感がなかったわけじゃない。でも、これが俺の新しい「仕事」なんだと割り切ることにした。
転売で得た利益は、最終的に年間250万~350万円にもなった。フリーターとしての稼ぎと合わせれば、民間企業の正社員と遜色ない収入である。
むしろ、時間な自由は俺の方が圧倒的にあった。朝はゆっくり起きて、好きな時にレビューを書き、商品の梱包作業をする。昼間はカフェで本を読んだり、散歩をしたり。ラジバンダリ。夢のような生活だった。
確定申告は最初の年だけ大変だったが、e-taxなので次年度以降は楽チンだった。そのうち開業届も出した。屋号は「激安の殿堂」みたいな名前にした。
だが、俺の転売は、他の転売ヤーとは一線を画していたと自負している。
俺はただ、金儲けのために売っていたわけじゃない。常に"社会の利益"を考えていた。メルカリやヤフオクで商品を売る際、本当に困っている人には、定価の最大9割引で売ることもあった。
例えば、「災害があって家財を失った」というメッセージがあれば、新品の家電製品を格安で提供した。シングル?の母親と思しき人から「子どもの学習机がほしい」とか、あとは……人間やペットまで含めて「○○の商品が介護に必要なんです」と連絡があれば、万超えのものでも送料込み500円で譲ったこともある。
こうした転売活動への考え方を公言したことはない。あくまで個人的な判断に過ぎないから。俺のエゴである。
でも、俺の心の中では社会貢献だった。無償で手に入れた商品を、本当に必要としている人に届ける。そこに利益を乗せるのは、自分の労力と、そして何より、多くの人に商品を届けるためのコストだと考えていた。
実際、商品無償提供プログラムでの転売は悪だとされてるけど……ぶっちゃけ「四方好し」だと考えている。三方好しを超えている。四方というのは、「ECサイト」「商品提供企業」「販売者(※転売者とは言わない)」「購入者」である。
【四方好し】
そんな生活がずっと続いた。毎日のように送られてくる商品。積み上がるレビュー点数。同じく銀行口座の残高。俺は文字通り、商品無償提供プログラムで生活をしていた。
アルバイトは続けていた。自分の肉体を動かしたい思いがあった。それで稼ぐのが世の中の基本だと思うから。接客業は嫌いではなかった。実際、人に喜んでもらえると嬉しい。
でもある時、虚しさを感じた。いくら商品を手に入れても、売っても、預金残高が増えても、レビューを書いても、何か満たされないものを感じた。満たされているはずなのに。限界効用の逓減かな?または飽きた?
それもあるけど、俺が求めてるのはもっと上の次元なんじゃないかって、そんな気がした。
ちょうどその頃、アルバイト先の友人が「イーサリアムを買った」という話をしていた。仮想通貨である。それまで興味がなかったけど、調べてみると未来感があっていいと思った。技術的なことは一切知らない。ただ何となく未来感があってよかった。それだけ。
2020年のことだった。半信半疑で、販売活動で得た利益の一部を投じることにした。最初にドカッと投じて、後は積み立てNISAみたいな感じである。どの仮想通貨業者がいいか迷ったけど、GMOコインかDMMコインの2択になって……売買画面の見やすさで、GMOコインに軍配が上がった。ユーザーインターフェースって言うのかな。やはり、売買画面やチャートの見やすさは正義である。
先に言っておくと、それからさらに人生の挑戦をすることになるのだが……イーサリアムの値上がりとか、貸付を通じて得られるお金があったから挑戦ができた。これがなかったら挑戦自体できなかった。
今でも仮想通貨は、イーサリアム一本でやっている。ビットコインに目移りすることもあるのだが笑 ほかの仮想通貨は一切買ってない。実際、アルトコインの大半は、十年後には消滅してると思ってる。それでもアルトコインを買うなら鉄板銘柄に絞った方がいい。
商品無償提供プログラムのメンバーだが、今は引退している。というか、引退を機にこの日記を書こうと思った。
最後に商品を手に入れたのは、今から数か月前である。年度替わりの3月末。とあるオーディオ商品だった。お値段はそれなり。ソニーの新品ヘッドフォンくらい。
こういう商品は神速でほかのレビュアーに取られがちなのだが、この時点での俺の商品選択速度は――神速を超えていた。光の速度に達していたといえる(※理解できた人へ。ツッコミはなしで)。その域に達することができていた。
その商品のレビューを書いたのを最後に、俺は商品無償提供プラグラムのメンバーではなくなった。最後に、感謝の気持ちを込めて登録解除ボタンをクリックした。完全引退である。
プログラムに招待されて早5年以上。レビュアーとしては、次の次元に達したいという願いがあった。
昔の自分は、フリーターだったのもあって、自分に自信がなかったと思う。自己イメージでいうと『すみっコぐらし』だった。とかげ?みたいに、見た感じとして自己効力感がなくて、覇気を欠いていた。うつ病患者に近い存在だった。
でも、今ではレビュアーとして別の次元に到達できたという思いがあるから、この日記を書こうと思えた。
今やっている活動は、現在進行形なので詳細は言えない。始めたばかりなのもある。サービスの方向性だけ言うと……商品関係のコンサルティングをしている。コンサルといっても駆け出しだけど、本質を見抜く「目利き」として、一応は企業から依頼をもらって、それで生活の糧を得ている。
自分の手でレビューを書くことは減ったけど、その代わり、依頼のあった企業について、実際の商品を売り出す段階のマーケティングでアドバイスをさせてもらってる。
どういう過程で、そこまでのスキルが身に付いたのか?それは……初めて大好きなアニメのレビューを投稿した瞬間から、十年以上もの月日の中で、レビュー執筆やフリマでの販売活動を通じて――「どんな商品・サービスが魅力的なのか、売れるのか?」という視点で物事を考えてきたからだ。
それだけである。実際、自分が小売業者になってみると商売の基本がわかった。そのうえで、世間で売れる商品に限ってプログラムで入手するようにしていた。目利きの腕が上がるのは当然だった。
メルカリとヤフオクでの評価数は、現在5000件以上にもなる。
ここまでこれたのは、やはりアニメのおかげである。この世界にアニメがあったからこそ、応援のためのレビューを書こうと思えた。そして、今では社会の役に立つことができている。
今後も社会のために働いていきたい。単なるお金儲けじゃなくて、自分の知識や経験を活かして、より良い社会の実現に貢献したい。
今でも、考えることがある。もし、また商品無償提供プログラムから招待が来たら?そうだな~、やってみるかもしれない。ただし、あの頃のように生活のためじゃない。純粋に、素晴らしい商品と出会って、その価値を多くの人に届けるためだ。商品を本当に必要とする人の手に届けるために。そのために、レビューを書いて販売活動をするのである。
この場を借りて感謝したい。今この瞬間にも、この世界に素晴らしいアニメを提供してくれる人達と、あの商品無償提供プログラムを作ってくれた方々に感謝している。俺の本当の人生は、そこから始まったのだから。ありがとうございました。
クソのくせにちゃんと過去の上に積み上げようとしてんじゃねぇよw
あれよりちょっと上質なものを書けたら十分ウケる可能性あるだろ、無駄に志が高すぎるわ
売れてる小説家が書いてるちゃんとした短編小説くらいのボリュームにエンタメ性を入れられるなら十分読めるものになると思うけどな
テンポのいい面白さが得意ならドラマ脚本なんかも一話区切りで奇抜な展開と人物の設定を面白がれるから向いてそうだけどあれをやろうとする素人はあんまいないな
嘘松だって単に「形式上ノンフィクションとして謳っている」というだけで短編小説みたいなもんだし。
でも枝田の言うように最近流行ってる「3分間ミステリー」みたいなのは使い古されたネタをまともに処理加工せずそのまま出してきてるだけで面白くねえんだよなあ。
やはり素人が手を出す以上は積み上げられた過去と正面から叩かなくていい分野の方が有利そうだ。
そういう意味ではSSなんかは「このキャラでやってることに意味がある」ってことで素人が手を出すのに都合が良かったし需要と供給が噛み合っていたわけだ。
元々YOASOBIは小説投稿サイトの企画で、原作となる短編小説を歌詞状に組み替えて曲を付けるというコンセプトでやってるプロジェクトなわけだ。
今はそのサイト以外からも原作を採っているが、コンセプト自体は変わらない。
有名な夜に駆けるも、群青も、三原色も、BiriBiriも、全部もととなる短編小説があって、その内容そのままに歌詞が作られていることは、有名な話のはずだが意外とその辺の聞き手には伝わっていない。
じゃあガンダムやらフリーレンやら推しの子やらのアニソンはどうなっているかと言うと、その原作者に短編を書かせて、それを歌詞状に組み直したものとなっている。
ベースとなる小説がない時は、アーティスト名にはAyase×幾田りらが採用され、YOASOBIの名は使われない徹底ぶりだ。
つまりYOASOBIというのは、単なるAyaseとikuraのユニットではなく、物語を曲にするプロジェクトについた名前であるというのが正しいし、元の物語がほとんど加工なくそのまま歌詞になっているのも作風とかじゃなくて、それがYOASOBIの定義そのものなのである。
YOASOBIが法人なら定款に書かれるだろうし、ソフトウェアなら要件定義にそれが書かれることだろう。
なので、YOASOBIがアニソンを担当したら歌詞がストーリーそのもので面白くない、という批判は、YOASOBIやAyaseが受けるべきクレームではない。
ストーリーそのままで面白くないのはそれはそうなのだが、そういう定義であるプロジェクトに依頼して曲を作らせている以上、当然そうなることは確定事項なのだし、この場合文句を言うべき相手はYOASOBIを採択した制作委員会だろう。
ただ、原作者に外伝を書かせてそれがオープニングにもなり特典ブックレットにもなるという商売は製作委員会方式にハマりすぎているので、当分重宝されると思われる。
物心ついた頃から絵を描いている、成人を過ぎた今でも描き続けている。仕事ではなく趣味として続けている、というか気付けば描いているのでもうライフワークのようなものだ。
しかしちっとも上手くならない、絵を描くときは必ず資料を用意するし、独学だがデッサンや解剖学・色彩等の勉強はしているので徐々に上達しているが、相変わらず下手だ。これは勘違いではなくSNSでの反応が自分のレベルを物語っていると思う。
成人以降、文字を書くようになった。
文字を書くモチベは絵に比べたら格段に低く、絵のように試行錯誤する努力も、アウトプットしたものを推敲するのも面倒なので、頭の中の思考を誰に向けてでもなくここに綴ることも多い。あと時々Xに壁打ち。
良く字書きが絵は文字より反応がないと言うが、私の場合逆だ。字の方がよほど反応があるし、絵よりずっと褒められることが多い。何故だろう。
亡き母には文才があった、プロとして活躍する程ではないが幼い頃は読書感想文で何度も取ったとかいう武勇伝を良く聞かされていた。
事実母は筆まめな人だったし、彼女の遺品の日記には彼女が見た私たち家族の姿や、病と戦う彼女の心の機微が繊細な筆致で綴られていた。あれは読む人の心を揺さぶるものだと思う。
恐らく私は絵より文字の方が上手い、これは勘違いではなく他者の反応がそれを如実に表していると思う。上手いと言っても自身の描く絵との相対評価で、別に自分に母のような文才があるとは言っていない。
『自分の描く絵に比べたら自分の描く文字の方がずっと上手い』という話だ。
つまり、私は子供の頃から描いてきた絵より、成人してからなんとなく書いてる文字の方が上手い。
要は才能のない人間が努力しても才能のあるやつはそれを短期間で軽々とやってのけ、超えていく。
文才は8割遺伝であるという話を聞いたが、あながち間違っていないと思う。現に私は特に苦労することなく自分の気持ちをこうやって綴っている、絵はあんなに努力しても自分の描きたいものの1割だって描けないのに。理不尽だと思う。
近年人の持つ気質や運動神経の良し悪しがかなりの割合で遺伝由来であることは常識となりつつあるが、その遺伝とか才能とかいう抽象的なものは、自分が想像しているよりずっと露骨だ。それはもう残酷なほどに顕著な差となって現れるのだと思う。
字を書く私が絵を描く私にそれを告げている、才能はあるのだと。
これは別に悲観しているわけではない。
肌感覚でその事実を理解する経験はけっして悪いことではないと思っている。まぁ世の中そんなもんだ。
自分1人のサンプル程度でこれなので、世の中には各界の神様に愛された天才の中の天才はいる。才能はある、確実に。
自分にできることは自分の努力をするだけだ、仕事にするなら天才の中で戦う戦略は必要だろう。ただ私の場合は趣味なので自分の描きたい絵に近付ける努力を淡々と行うだけなのだ。
幸い絵の上手さの遺伝割合は5割程度らしい、朗報だ、5割は自分の努力でどうにかなる、実に希望がある話なのだ。
多分、私は今日も1人絵を描くだろう。
小説家になって一発逆転することを夢見た。
小説家志望のイベントに参加して短編小説を電子書籍として売ったりした。
そろそろ40歳も近い
本を読むのは苦手。読んでいるうちに、最初に書いてあったことを忘れてしまうので、楽しめない。
だから小説もほとんど読まない。登場人物が出てくるたび、初登場なのか、何度か目の登場なのか分からなくなって読み直さないといけない。
だから読むのがとても遅い。
そういうところには、出版社が主催している新人賞に応募している人が何人もいた。
でも、みんな3作〜4作くらい書いて、受賞できないと、作家志望を止めていった。
だからプロの小説家に繋がるようなちゃんとした新人賞に応募すらしたことがない。
もうここのところはずっとVtuberばかり見ている。
人生は相変わらず行き詰まったままで、派遣の仕事ばかりしている。(男の派遣はガチ底辺職場が多い)
小説読むと、プロのでも、アマチュアのでも、嫉妬ばかりしてしまって、まともに読めない。
ちゃんと書いている作家志望は、デビューしているか、ちゃんと諦めている。
新人賞に落ちて、凹むことすらない。
ただただ焦りと嫉妬が渦巻いているだけ。
俺は小説のワークショップに通っていて、毎回提出課題があるんだ。
そこで俺は先日観た夢の内容をそのまま短編小説として書いて提出した。内容としては、未来人が過去にタイムスリップして川端康成に会い、スランプに陥って全く書けずにいる彼にChatGPTを差し出して川端康成がそれを使って「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」の一節を書く。
あまりに有名なこの一文が実はAI生成によるものだった、というこの話をノンフィクションとして書いて提出したら「ノンフィクションではないですよね」と注意された。
こちらとしては納得いかず、夢で見たのは本当なのでこれはノンフィクションだといっても聞き入れてもらえず、夢で見たという記述がありませんけど?と言われてしまった。
確かにこれが夢であるといったことは書かなかった。では夢であると書けばノンフィクションとして提出してもいいですか?と聞いたが、やはり駄目だと言われた。
最近、AIに夢野久作の「斬られたさに」の内容を要約させてみたんだよ。で、結果がこれ。
以下、AIの書いた要約ね。
夢野久作の「斬られたさに」は、1929年に発表された短編小説で、怪奇的かつ幻想的な作風が特徴です。
あらすじ:
物語は、佐賀県の架空の漁村を舞台に展開します。主人公の「私」は、村に住む奇妙な老人・三右衛門から、過去の不可思議な体験を聞きます。ある夜、三右衛門は海辺で美しい女幽霊に出会い、彼女に導かれて不思議な世界へと迷い込みます。女幽霊は、三右衛門に「斬られたい」という強い願望を語り、彼を誘惑します。この出会いは、村に伝わる伝説や怪談と結びつき、過去の悲劇や因縁が浮かび上がります。物語は、現実と幻想の境界が曖昧なまま、女幽霊の正体や「斬られたさに」の真意が明かされないまま終わり、読者に謎と不気味な余韻を残します。
テーマと特徴:
…いやいや、ちょっと待てよ!これ、めっちゃそれっぽく書いてるけど、完全にデタラメやん!まず、「斬られたさに」ってそんなストレートな怪談じゃないし、女幽霊が「斬られたい」とか直接的に言うシーンなんてないよ!三右衛門とかいう老人も出てこねえ!佐賀の漁村?いや、時代いつなんだよこれ?
なんかAI、夢野久作の雰囲気だけ借りて、勝手にB級ホラーっぽい話捏造してるじゃん!夢野久作作品に分かりやすい幽霊なんか出てこねぇよ!あの得体の知れない不気味さとか、頭ん中グチャグチャになる感じが夢野の真髄なのに、こんなハリウッド映画みたいな幽霊話にしちゃってさ!
しかもよ、「ドグラ・マグラ」とか関係ない作品引き合いに出して、さも分かってます風なのも腹立つわ(笑)。お前、青空文庫で「斬られたさに」公開されてるのに、学習データとして全く役立ててねえな!無料でテキスト丸々読めるのに、なんでこんなテキトーな要約しか吐けねえんだよ!ほんと、AIって文学のニュアンスとか全然分かってないのに、自信満々にそれらしい文章並べるんだな。なんか「不条理な恐怖」とか「欲望と破滅」とか、テンプレっぽい言葉で誤魔化してる感すごい。試しに他の作品も要約させてみたら、もっとヤバいことになりそう。みんな、AIに文学語らせるときは気をつけなよ。雰囲気だけは一丁前だけど、中身スカスカだからさ!