はてなキーワード: 祝日とは
(追記:予定日直しました。動揺のまま書いたので素で間違った)
妊娠した。生ではやってたが中出しはしていない。40歳。結婚して6年め、不妊治療は行っておらず、子どもを持たない人生なのだろうと思っていた。今後のお金の計画もそのように立てていた。
生理きてないけど、もともと不順気味で過去に何度も二週間程度遅れたことがあった。一か月飛んだことすらあったから、今回もガチで妊娠かもとは正直思っていなかった。
なので昨日お酒も飲んだし、今朝もスタバでコーヒーを飲みました。検査薬やろうと思ったのも、やったら妊娠してないのわかるからほっとするだろうと思って。でもそれは、単にそう思いたがっていたのかな? とも思う。五分五分とまではいかないけど、どこかで妊娠してるかも、の気持ちもあった。だから職場のトイレで陽性反応出たとき、まさか!!!!! という気持ちはなく、「ああ」という感じだった。ただ、「ああ」という気持ちながらも動揺はしていたようで、トイレの個室を三回くらい出たり入ったりはした。
「どうしようどうしよう」の気持ちでいっぱいだったが、わたしが妊娠したという事実がそこにあるだけであって、別にもうどうしようもないなと思ったし、うろたえたところでどうなるわけでもないので目の前の仕事をこなしたり、世間話もふつうにしていた。
その傍らですぐ近くの婦人科を調べ出したんだけど、やっぱりどこか冷静じゃないみたいで、ブラウザを見る目がすべってしかたない。それでも職場から三分くらいの婦人科と、10分くらいの産婦人科を見つけて電話。3分くらいの婦人科は電話は一度かけたらつながらなかったので、10分くらいの産婦人科に電話。当日予約は受けてないと言われたが、夜診もあるとおしえていただく。それでもいいかなと思ったが、3分くらいの婦人科にかけなおすと17:00にあきがあると教えてもらったので、そちらをすぐ予約した。で、会社を少しだけ早退させてもらって受診。待合室ではマスクをして、診察室ではマスクを外せという独特のスタイルだった。
「検査薬で陽性だったんだよね?」と言われた。
「はい」
とこたえると、
「こちらでも念のため尿検査したんだけどね、うん、妊娠ほにゃにゃにゃ」
と言われた。ほにゃにゃにゃ、の部分は、先生がなかなかのおじいちゃんだったこと、パーテーションが存在していたこと、患者の座る椅子が先生の机からけっこう離れていたこともあり、普通にききとれなかった。間違いなく人生で一番肝心なところがききとれていない経験となったが、その後の話の雰囲気で妊娠してることはくみ取れた。ききとれなくてもいいんだ、くみとれればいいんだ。
「ここのところ体にかわったところあった?」ときかれ「11日の祝日から猛烈にだるくて、昨日は眠くて、熱もないのに熱っぽいというか」と説明したところ、看護師さんも医師もにこにこして「うんうん、それね、妊娠してたらぜーんぶふつうのことなの」と言われた。お、おう…。全然普通じゃねぇだろ、妊婦やべえな。
ちなみに婦人科を最後に受診したのはいつ、と言われたので、12月に健康診断をうけており、そのときに頸がんと体がんの検査をやったといったら、初診時にかならず行うという頸がんの検査はパスになった。
で、内診。ストッキング脱いでパンツ脱いで椅子に座って股をひらいた。婦人科の内診の椅子、回転しながら股も同時に開くタイプと、回転しきってから股を開くタイプがあるなという超絶どうでもいいことを思った。今回は後者。
で、内診はじまって5秒もせずに「ウン間違いない。通常妊娠してますね」て言われた。間違いなかった。おめでとうございます、みたいな、急におめでとうムードに包まれたがとうていそんな気持ちになれなかった。40歳やでわしゃ。
エコー映す画面を「見えます?」と言われたが、目隠しのカーテンで見えなかったため素直に「見えません」と答えたら、カーテンがちょっとだけあいて画面が見えるようになった。「やってる?」みたいな。やってるやってる。いややってない。まったくやってない。わからない。なにもわからない。
そして、画面見ながら「赤ちゃんの部屋ができている。ここからここまで2センチ。これがあると妊娠は確実です」と示された。「柿の種くらいの部屋の中に、いくら粒くらいの膜がある。この中に赤ちゃんがいるが、今はまだ見えない」と言われた。柿の種…か…。おつまみだな。赤ちゃんの部屋はかたちも柿の種に似ていた。今思ったら切ったからすみの断面にも似ていた。おつまみだなあ…。同時にわたしは産みたいとか全然思えていないので、できればこういうのを見たくなかったなとおもったが、医者の方では既婚の女がのそのそやってきて「妊娠したかも」言うてるわけだから、そんなセンシティブな感じになってるとは微塵もおもっていないようすだった。そりゃあそうだ。そうだけどさ…。エコーの写真も渡された。
「正直、年齢も年齢なので妊娠は全然想定していなくて」と先生に言うと「不妊治療はしていたの?」ときかれた。「してないです」と答える。中出しもしてないですって言おうと思ったが、中出しの有無は妊娠には関係ない(外出しは避妊にはならない)のはまあ常識なんで、言わなかった。言いたかったけど。
内診が終わって、パンツ履いてストッキング履いて診察室に出て行ったら「予定日は10月8日です」って言われた。爆速。展開がはやい。産みたいとか産みたくないとかの意思確認もなく、突然予定日から入られて動揺した私は「はやっ! はやくないですか!?」と意味不明なことを聞いてしまった。いやでも実際猶予がねぇ…ジャン…!
「あっという間よ」とのことだった。看護師さんもにこにこしていた。
いつ生まれるのかは教えてくれたが、いつできたのかは教えてもらえなかったので「わたしはいつ妊娠したのでしょうか?」ときいたところ「んーとね。最後の生理が12月29日だから……ま、だいたい1月の半ばくらい」と言われる。
「職場は近いんだね?」と言われ(問診表にここを受診した理由を職場最寄りだと書いてたので)「あ、そこの○○ビル…」とありのままにつたえると「ほんほんそりゃいいね」と言われた。いいのか?
前後関係はよくおぼえていないが「ここの生まれ?」 「いえ△△です」 「旦那さんはここの生まれ?」 「はいそうです」 「じゃ旦那さん病院知ってるかもしれないね」などという会話もあった。いやー世の男そんな産婦人科しらんのやないかな。
「しばらくここでみるけど、ここじゃ産めないから、最終的に紹介状書くことになると思います。確かに高齢出産の部類だからね、大きい病院がいい。おうちが××だったら、□□病院がいいんじゃないかな。●●病院も南の方にあるね。▲▲病院まではいいとおもうけど。うん、□□病院が一番いいんじゃないかな」などと言われる。ぜんぜんわからん。
「あの私もう今年41歳で(中だしもしてないし)とてもこころの準備ができてなくて、」というようなことを言っていたためか、「この2・3か月は確かに流産もしやすいです」とも、なんかの話の流れではっきり言われた。
「次はね二週間後でいいんだけど、あなた予期せぬことですごく動揺してるみたいだから、一週間後に来てください」と言われた。
「生む頃41ですわ」というのを無意識に何度もアピっていたのか、医師には「確かに高齢だけど、自慢するほどの高齢じゃない」看護師には「上には上がいるわよ!」と言われた。多分不安をね、やわらげようとしてくれてたんだろう。「まだ若い!」と言われ「若いですかね!?」ときいたら「「若い若い!」と断言された。若いことになった。
「あのわたしほんと妊娠してるとか思いもしなくて、昨日も酒飲んで朝もコーヒー飲んで1月から数えたら4日くらいは飲酒の機会がありました」ってみずからの不行跡を白状しつつ、妊娠とはつゆしらずあまりのだるさにユンケルファンティー飲んだの言うの忘れてたがそこは「でも無事でいるからね」と言われてその話はさっと終わった。刺激物はやめたほうがいい、アルコールももうやめたほうがいいけど、ほかは気にしなくていいと言われる。
「食べたほうがいいものとか気を付けたほうがいいことありますか」
ときいていて、わたしは「ああ、自分はどうやらいまやどっている人らしいものについて、いなくなってくれとかどうにでもなってくれとはとても思いきれないらしい」と感じていた。この気持ちを、まだどう言い表していいかわからない。
「気にせず好きなものおいしいもの食べていいよ。つわりはじまったらこんなものたべたくなんの? っていうくらい嗜好変わったり、食べられなくなったりするから」とも言われた。
急だよ!! 超絶的に急だ!!!!
「来週来てね」 「受付で予約をするんですね」などという会話を経、わたしは「おめでとう」 「おめでとうございます」と診察室を送り出されてしまった…。ようしらんけど、有史でいえばエヴァンゲリオン以来じゃん…?
金を払い、うっかり予約を忘れそうになりながらも来週の予約をして、なか卯で牛あいがけ親子丼食べた。
受診おわってから考えてたんだけど(まあ行く前も考えてたんだけど仕事してたからそっちに集中気味だった)、もうなーこれ年も年だし流産するとか、全然そういうことは想定されると思っていて。
こんな高齢で、はじめての、想定しても望んでもいない妊娠で。自分が母親になれるような人間とはとても思えないし、正社員だけど零細企業でさあ。経済的に大丈夫かなとか。
それから皮膚のアレルギーが遺伝したら気の毒すぎる。生きづらいだろう。私が高齢だから、なんらかの障害をもっていることだって全然考えられるし。
全部不安すぎる。
でもなんでなんだろうな、今、じゃあ積極的に中絶します、というふうな気持ちはどうしてもなれない。
私は母親にならないという人生を積極的に選んだわけでもないと思っていて、単にそれは自然の流れだった。晩婚や、子どもができないことに、ただ抗わなかっただけだった。そういう人にも今は居場所があるでしょう。日々戦争みたいなSNSから距離を置けばなおのことよ、いい時代です。
でも妊娠した。
それでまあ、この後どうなっちゃうのかわかんないけど、いろいろなことがとてもとてもこわいけど、困惑してるんだけど、さっきも言ったけどやりなおせるなら絶対に妊娠しないでいたいんだけど。だけど。いまわたしとともにここにある不可逆的なものについては、わたしの意思で、どうこうすることはどうしてもできないと考えている。
それを産みたいという言葉にできるのなら、わたしは産みたいのだろうというのが今現在の率直な気持ちなんだけど、どうにも頭がぐちゃぐちゃだ。ほんとうにそうなのかもわからない。
まだ誰にも言ってない。
追記:
予想外に読んでいただいておどろいています。たくさんのあたたかいお言葉をありがとうございます。おめでとうというおことばも、わたしの綴ったことを見るにおめでとうとは口にしがたいというニュアンスのおことばも、産んでみなはれというお言葉も、産まないのも選択というお言葉も、すべて骨身にしみてうれしいです。予定日書き間違えて混乱させて申し訳ない。
昨日には書く余裕がなかったのですが、身近なところで、高齢での妊娠で残念ながら…というようなケースがいくつかあり、まっさきにそのことを思い出してもいました。
異様に細かいことを書いているのは昨日おこったことをできるかぎりで忘れたくなかったからかもしれません。この先どうするにしろ、どうなるにしろ、二度と読み返せる気持ちじゃなくなってしまったとしても、年齢的に一生に一度のことだろうから。
医院の予約をとる電話のくだりなんか、心底どうでもいいけど記録しておきたかった。
やはり年齢的にNIPTについては考えざるを得ないと思います。でもNHKの報道番組で、信頼できる機関ばかりではない(結果だけ出してフォローはないことも多い)こととあわせて、陽性反応が出たが覚悟して産んだら障害はなかったというケースを取り上げていて。それを思い出して葛藤しています。命を選別するという行為に直結する可能性が極めて高く、いまはまだ信頼できる医院もなにもわからない状態で。体調に変調がないうちにいろいろとしっかり調べないといけないですね。
これ以上書いていてもとりとめのない不安ばかりが噴出してしまいどうしようもないので、これにとどめておきますが、あたたかいお言葉をありがたく拝読したことをお伝えしたかったので書きました。
ワイ底辺SES民なんやけど、偽装請負の香りがしたりしなかったりする
ただこれを労基に言ったところで何か慰謝料とか貰えるんか?メリットが無かったら労基に相談するのも面倒なんや
ググっても「会社に罰金が〜」ばっかりで、それはワイとは関係ないんだよなと思ってしまう
ただググリの中でいいなと思った例は「契約解除・クビになった際に偽装請負で裁判起こして金を貰う」だった。多分趣旨は「実態からしてガチガチの契約なのにそんなポンポンクビはあかんから雇え」だったかな?知らんけど
まあこの例ぐらいかな。ワイはまだクビの気配ないし、転職もまだ先でいいし(案件がまだ途中だから)、明日も元気に偽装請負!どんとこい違法労働!
同じか近い境遇のSES民のみんな、辛い時もあるけど一緒にがんばろうな。下には下がおる、それが底辺たるワイや。明日ガチれば週末やし2月は祝日も多いし、休みが取れると嬉しいよな
なおワイは有給を気軽に取れん模様
○ご飯
朝:たべっ子どうぶつビスケット。昼:わかめうどん。目玉焼き。きゅうり。ギョニソ、人参、大根、エノキのスープ。夜:納豆。冷奴。目玉焼き。きゅうり。ギョニソ、人参、大根、エノキのスープ。りんご。ヨーグルト。間食:ポテロング。ラムネ。アイス。
○調子
むきゅーはややー。おしごとは、祝日なりー。
○ポケットモンスター銀(あくポケモン旅)
そこで見た大人の人間関係が大変いびつであったことを思い出した。
まず、そのクラブの大人のヒエラルキーは大人の貢献度で決まる。
毎週クラブに顔を出し、親が監督やコーチになったり、親でない監督やコーチの世話をしたり、子供たちを試合会場に車で送迎できるとヒエラルキーが高くなる。
また、上の兄弟がスポーツクラブに所属していた過去があれば、その実績値も加算される。
ヒエラルキーが高い親の子供は優遇され、そうでない子は冷遇される。
そして、親のヒエラルキーが高いことによって厚遇されているということが、また親のヒエラルキーに反映される。
親がクラブ活動に貢献しているから、子供がレギュラーになり、子供がレギュラーだから親のヒエラルキーも上がる、といった具合に。
子供の能力もある程度は評価されるが、良いポジションや良い打順は高いヒエラルキーの子供だった。
後に親から聞かされたが、ぼくは能力順ならレギュラーになれたが、親のヒエラルキーが低いので先輩にレギュラーを奪われていたらしい。
ここまでが子供時代に見たことで、大人になって思い出してみると、ますますいびつさが増す。
まず、子供時代に見た、保護者ヒエラルキーは必ずしも親の年収や社会的地位とは比例しないということだ。
むしろ、土日祝日に他にやることもなく、子供の球遊びを熱心に追いかけ、小さな社会での地位競争に明け暮れる人が、自身の属す社会集団でどういう立場であるかは容易に想像できる。
自身の上がり目のない人生に早々見切りをつけ、子供の人生に自分の人生も託して、次世代の競争に賭けていたのだ。
今にして思えば、なんと退屈な人生で、子供に対して無責任な態度なのだろうと思う。
でも、地元の行く末を後追いできる今ならば、彼らが自分の人生に見切りをつけたのは間違いではなかったとは思う。
ただし、子供もスポーツで成功したという話は聞かないので、賭けに勝ったとも言えないのだが。
とはいえ、そんな子供時代やスポーツクラブを呪っているわけではない。
あんな無為で小さな社会で、ぼくのために人生を浪費してくれなくて良かった。
親のヒエラルキーの壁を超えるほどの天才的な活躍ができれば、ぼくも勘違いしてスポーツの道にのめり込めたかもしれないが、そんなことはなかった。
早々見切りをつけてスポーツで上を目指すことを諦めたことは、後の人生を助けてくれた。
そして、歪な親社会にフリーライドできたこともまた事実なのだ。
熱心な親たちのお陰でぼくたちの練習や遠征が成り立っていたし、低ヒエラルキーの子供でも、それなりに父兄は面倒を見てくれた。
彼らの歪な関係性のおかげで、ぼくは楽しく皆と遊べた。
ぼくが親になっても、彼らのようにクラブヒエラルキーを追い求めるのは無理だろう。
今でも全肯定はしないけど、それでも当時はあれで良かったのだと思う。
大人ってあんまり楽しそうじゃないと思っていたけど、子供の頃に想像していたよりは楽しい大人になれているし、ぼくにとっては良い経験だった。