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はてなキーワード: 医科大学とは

2024-11-01

anond:20241031161601

2代目が会社をひきつがなかったはずだ社長って誰?

医科大学に行って医者になったのですね。親からはこの会社を継ぐよう言われていたのですか?

それとも、「この会社は嫌だ、絶対技術を身につけてここから脱出する」と思っていたのですか?

2024-10-26

船井電機創業者の息子が医師であることは興味深い事実です。

彼は最初から船井電機を継ぐ意志がなく、医学の道を志したようです。

医科大学を目指すということは、彼が学業に秀でていたことを示唆しています

また、彼が船井電機の将来について何らかの予見を持っていた可能性も考えられます

これは、彼のすぐれた知性を二重に示すものかもしれません。

ところでわたし父親創業者であった、しかし後を継がなかったです。

地方国立医科大学なら進学可能であったかもしれませんが、医科大学出身ではないです。

家業を継ぐかどうかは個人選択であり、それぞれの道にはそれぞれの価値があります

船井電機創業者の息子が医師としての道を選んだこと、あなた父親と別の道を選んだこと、

どちらも尊重されるべき選択です。

2024-09-30

 三四郎はこの時ふと汽車水蜜桃をくれた男が、あぶないあぶない、気をつけないとあぶない、と言ったことを思い出した。あぶないあぶないと言いながら、あの男はいやにおちついていた。つまりあぶないあぶないと言いうるほどに、自分はあぶなくない地位に立っていれば、あんな男にもなれるだろう。世の中にいて、世の中を傍観している人はここに面白味があるかもしれない。どうもあの水蜜桃の食いぐあいから、青木堂で茶を飲んでは煙草を吸い、煙草を吸っては茶を飲んで、じっと正面を見ていた様子は、まさにこの種の人物である。――批評家である。――三四郎は妙な意味批評家という字を使ってみた。使ってみて自分うまいと感心した。のみならず自分批評家として、未来存在しようかとまで考えだした。あのすごい死顔を見るとこんな気も起こる。  三四郎は部屋のすみにあるテーブルと、テーブルの前にある椅子と、椅子の横にある本箱と、その本箱の中に行儀よく並べてある洋書を見回して、この静かな書斎の主人は、あの批評家と同じく無事で幸福であると思った。――光線の圧力研究するために、女を轢死させることはあるまい。主人の妹は病気である。けれども兄の作った病気ではない。みずからかかった病気である。などとそれからそれへと頭が移ってゆくうちに、十一時になった。中野行の電車はもう来ない。あるいは病気が悪いので帰らないのかしらと、また心配になる。ところへ野々宮から電報が来た。妹無事、あす朝帰るとあった。  安心して床にはいったが、三四郎の夢はすこぶる危険であった。――轢死を企てた女は、野々宮に関係のある女で、野々宮はそれと知って家へ帰って来ない。ただ三四郎安心させるために電報だけ掛けた。妹無事とあるのは偽りで、今夜轢死のあった時刻に妹も死んでしまった。そうしてその妹はすなわち三四郎が池の端で会った女である。……  三四郎はあくる日例になく早く起きた。  寝つけない所に寝た床のあとをながめて、煙草を一本のんだが、ゆうべの事は、すべて夢のようである。椽側へ出て、低い廂の外にある空を仰ぐと、きょうはいい天気だ。世界が今朗らかになったばかりの色をしている。飯を済まして茶を飲んで、椽側に椅子を持ち出して新聞を読んでいると、約束どおり野々宮君が帰って来た。 「昨夜、そこに轢死があったそうですね」と言う。停車場か何かで聞いたものらしい。三四郎自分経験を残らず話した。 「それは珍しい。めったに会えないことだ。ぼくも家におればよかった。死骸はもう片づけたろうな。行っても見られないだろうな」 「もうだめでしょう」と一口答えたが、野々宮君ののん気なのには驚いた。三四郎はこの無神経をまったく夜と昼の差別から起こるものと断定した。光線の圧力試験する人の性癖が、こういう場合にも、同じ態度で表われてくるのだとはまるで気がつかなかった。年が若いからだろう。  三四郎は話を転じて、病人のことを尋ねた。野々宮君の返事によると、はたして自分の推測どおり病人に異状はなかった。ただ五、六日以来行ってやらなかったものから、それを物足りなく思って、退屈紛れに兄を釣り寄せたのである。きょうは日曜だのに来てくれないのはひどいと言って怒っていたそうである。それで野々宮君は妹をばかだと言っている。本当にばかだと思っているらしい。この忙しいものに大切な時間を浪費させるのは愚だというのである。けれども三四郎にはその意味ほとんどわからなかった。わざわざ電報を掛けてまで会いたがる妹なら、日曜の一晩や二晩をつぶしたって惜しくはないはずである。そういう人に会って過ごす時間が、本当の時間で、穴倉で光線の試験をして暮らす月日はむしろ人生に遠い閑生涯というべきものである自分が野々宮君であったならば、この妹のために勉強妨害をされるのをかえってうれしく思うだろう。くらいに感じたが、その時は轢死の事を忘れていた。  野々宮君は昨夜よく寝られなかったものからぼんやりしていけないと言いだした。きょうはさいわい昼から早稲田学校へ行く日で、大学のほうは休みから、それまで寝ようと言っている。「だいぶおそくまで起きていたんですか」と三四郎が聞くと、じつは偶然、高等学校で教わったもとの先生広田という人が妹の見舞いに来てくれて、みんなで話をしているうちに、電車時間に遅れて、つい泊ることにした。広田の家へ泊るべきのを、また妹がだだをこねて、ぜひ病院に泊れと言って聞かないから、やむをえず狭い所へ寝たら、なんだか苦しくって寝つかれなかった。どうも妹は愚物だ。とまた妹を攻撃する。三四郎おかしくなった。少し妹のために弁護しようかと思ったが、なんだか言いにくいのでやめにした。  その代り広田さんの事を聞いた。三四郎広田さんの名前をこれで三、四へん耳にしている。そうして、水蜜桃先生青木堂の先生に、ひそかに広田さんの名をつけている。それから正門内で意地の悪い馬に苦しめられて、喜多床の職人に笑われたのもやはり広田先生にしてある。ところが今承ってみると、馬の件ははたして広田先生であった。それで水蜜桃も必ず同先生に違いないと決めた。考えると、少し無理のようでもある。  帰る時に、ついでだから、午前中に届けてもらいたいと言って、袷を一枚病院まで頼まれた。三四郎は大いにうれしかった。  三四郎は新しい四角な帽子かぶっている。この帽子かぶって病院に行けるのがちょっと得意である。さえざえしい顔をして野々宮君の家を出た。  御茶の水で電車を降りて、すぐ俥に乗った。いつもの三四郎に似合わぬ所作である。威勢よく赤門を引き込ませた時、法文科のベルが鳴り出した。いつもならノートインキ壺を持って、八番の教室はいる時分である。一、二時間講義ぐらい聞きそくなってもかまわないという気で、まっすぐに青山内科玄関まで乗りつけた。  上がり口を奥へ、二つ目の角を右へ切れて、突当たりを左へ曲がると東側の部屋だと教わったとおり歩いて行くと、はたしてあった。黒塗りの札に野々宮よし子と仮名で書いて、戸口に掛けてある。三四郎はこの名前を読んだまま、しばらく戸口の所でたたずんでいた。いなか物だからノックするなぞという気の利いた事はやらない。「この中にいる人が、野々宮君の妹で、よし子という女である」  三四郎はこう思って立っていた。戸をあけて顔が見たくもあるし、見て失望するのがいやでもある。自分の頭の中に往来する女の顔は、どうも野々宮宗八さんに似ていないのだから困る。  うしろから看護婦草履の音をたてて近づいて来た。三四郎は思い切って戸を半分ほどあけた。そうして中にいる女と顔を見合わせた。(片手にハンドルをもったまま)  目の大きな、鼻の細い、唇の薄い、鉢が開いたと思うくらいに、額が広くって顎がこけた女であった。造作はそれだけである。けれども三四郎は、こういう顔だちから出る、この時にひらめいた咄嗟の表情を生まれてはじめて見た。青白い額のうしろに、自然のままにたれた濃い髪が、肩まで見える。それへ東窓をもれる朝日の光が、うしろからさすので、髪と日光の触れ合う境のところが菫色に燃えて、生きた暈をしょってる。それでいて、顔も額もはなはだ暗い。暗くて青白い。そのなかに遠い心持ちのする目がある。高い雲が空の奥にいて容易に動かない。けれども動かずにもいられない。ただなだれるように動く。女が三四郎を見た時は、こういう目つきであった。  三四郎はこの表情のうちにものうい憂鬱と、隠さざる快活との統一を見いだした。その統一の感じは三四郎にとって、最も尊き人生の一片である。そうして一大発見である三四郎ハンドルをもったまま、――顔を戸の影から分部屋の中に差し出したままこの刹那の感に自らを放下し去った。 「おはいりなさい」  女は三四郎を待ち設けたように言う。その調子には初対面の女には見いだすことのできない、安らかな音色があった。純粋の子供か、あらゆる男児に接しつくし婦人でなければ、こうは出られない。なれなれしいのとは違う。初めから古い知り合いなのである。同時に女は肉の豊かでない頬を動かしてにこりと笑った。青白いうちに、なつかしい暖かみができた。三四郎の足はしぜんと部屋の内へはいった。その時青年の頭のうちには遠い故郷にある母の影がひらめいた。  戸のうしろへ回って、はじめて正面に向いた時、五十あまり婦人三四郎挨拶をした。この婦人三四郎からだがまだ扉の陰を出ないまえから席を立って待っていたものみえる。 「小川さんですか」と向こうから尋ねてくれた。顔は野々宮君に似ている。娘にも似ている。しかしただ似ているというだけである。頼まれ風呂敷包みを出すと、受け取って、礼を述べて、 「どうぞ」と言いながら椅子をすすめたまま、自分は寝台の向こう側へ回った。  寝台の上に敷いた蒲団を見るとまっ白である。上へ掛けるものもまっ白である。それを半分ほど斜にはぐって、裾のほうが厚く見えるところを、よけるように、女は窓を背にして腰をかけた。足は床に届かない。手に編針を持っている。毛糸のたまが寝台の下に転がった。女の手から長い赤い糸が筋を引いている。三四郎は寝台の下から毛糸のたまを取り出してやろうかと思った、けれども、女が毛糸にはまるで無頓着でいるので控えた。  おっかさんが向こう側から、しきりに昨夜の礼を述べる。お忙しいところをなどと言う。三四郎は、いいえ、どうせ遊んでいますからと言う。二人が話をしているあいだ、よし子は黙っていた。二人の話が切れた時、突然、 「ゆうべの轢死を御覧になって」と聞いた。見ると部屋のすみに新聞がある。三四郎が、 「ええ」と言う。 「こわかったでしょう」と言いながら、少し首を横に曲げて、三四郎を見た。兄に似て首の長い女である三四郎はこわいともこわくないとも答えずに、女の首の曲がりぐあいをながめていた。半分は質問があまり単純なので、答に窮したのである。半分は答えるのを忘れたのである。女は気がついたとみえて、すぐ首をまっすぐにした。そうして青白い頬の奥を少し赤くした。三四郎はもう帰るべき時間だと考えた。  挨拶をして、部屋を出て、玄関正面へ来て、向こうを見ると、長い廊下のはずれが四角に切れて、ぱっと明るく、表の緑が映る上がり口に、池の女が立っている。はっと驚いた三四郎の足は、さっそく歩調に狂いができた。その時透明な空気の画布の中に暗く描かれた女の影は一足前へ動いた。三四郎も誘われたように前へ動いた。二人は一筋道廊下のどこかですれ違わねばならぬ運命をもって互いに近づいて来た。すると女が振り返った。明るい表の空気の中には、初秋の緑が浮いているばかりである。振り返った女の目に応じて、四角の中に、現われたものもなければ、これを待ち受けていたものもない。三四郎はそのあいだに女の姿勢服装を頭の中へ入れた。  着物の色はなんという名かわからない。大学の池の水へ、曇った常磐木の影が映る時のようである。それはあざやかな縞が、上から下へ貫いている。そうしてその縞が貫きながら波を打って、互いに寄ったり離れたり、重なって太くなったり、割れて二筋になったりする。不規則だけれども乱れない。上から三分一のところを、広い帯で横に仕切った。帯の感じには暖かみがある。黄を含んでいるためだろう。  うしろを振り向いた時、右の肩が、あとへ引けて、左の手が腰に添ったまま前へ出た。ハンケチを持っている。そのハンケチの指に余ったところが、さらりと開いている。絹のためだろう。――腰から下は正しい姿勢にある。  女はやがてもとのとおりに向き直った。目を伏せて二足ばかり三四郎に近づいた時、突然首を少しうしろに引いて、まともに男を見た。二重瞼の切長のおちついた恰好である。目立って黒い眉毛の下に生きている。同時にきれいな歯があらわれた。この歯とこの顔色とは三四郎にとって忘るべからざる対照であった。  きょうは白いものを薄く塗っている。けれども本来の地を隠すほどに無趣味ではなかった。こまやかな肉が、ほどよく色づいて、強い日光にめげないように見える上を、きわめて薄く粉が吹いている。てらてら照る顔ではない。  肉は頬といわず顎といわずきちりと締まっている。骨の上に余ったものはたんとないくらいである。それでいて、顔全体が柔かい。肉が柔かいのではない骨そのものが柔かいように思われる。奥行きの長い感じを起こさせる顔である。  女は腰をかがめた。三四郎は知らぬ人に礼をされて驚いたというよりも、むしろのしかたの巧みなのに驚いた。腰から上が、風に乗る紙のようにふわりと前に落ちた。しかも早い。それで、ある角度まで来て苦もなくはっきりととまった。むろん習って覚えたものではない。 「ちょっと伺いますが……」と言う声が白い歯のあいから出た。きりりとしている。しかし鷹揚である。ただ夏のさかりに椎の実がなっているかと人に聞きそうには思われなかった。三四郎はそんな事に気のつく余裕はない。 「はあ」と言って立ち止まった。 「十五号室はどの辺になりましょう」  十五号は三四郎が今出て来た部屋である。 「野々宮さんの部屋ですか」  今度は女のほうが「はあ」と言う。 「野々宮さんの部屋はね、その角を曲がって突き当って、また左へ曲がって、二番目の右側です」 「その角を……」と言いながら女は細い指を前へ出した。 「ええ、ついその先の角です」 「どうもありがとう」  女は行き過ぎた。三四郎は立ったまま、女の後姿を見守っている。女は角へ来た。曲がろうとするとたんに振り返った。三四郎赤面するばかりに狼狽した。女はにこりと笑って、この角ですかというようなあいずを顔でした。三四郎は思わずうなずいた。女の影は右へ切れて白い壁の中へ隠れた。  三四郎はぶらりと玄関を出た。医科大学生と間違えて部屋の番号を聞いたのかしらんと思って、五、六歩あるいたが、急に気がついた。女に十五号を聞かれた時、もう一ぺんよし子の部屋へあともどりをして、案内すればよかった。残念なことをした。  三四郎はいさらとって帰す勇気は出なかった。やむをえずまた五、六歩あるいたが、今度はぴたりととまった。三四郎の頭の中に、女の結んでいたリボンの色が映った。そのリボンの色も質も、たしかに野々宮君が兼安で買ったものと同じであると考え出した時、三四郎は急に足が重くなった。図書館の横をのたくるように正門の方へ出ると、どこからたか与次郎が突然声をかけた。 「おいなぜ休んだ。きょうはイタリー人がマカロニーをいかにして食うかという講義を聞いた」と言いながら、そばへ寄って来て三四郎の肩をたたいた。  二人は少しいっしょに歩いた。正門のそばへ来た時、三四郎は、 「君、今ごろでも薄いリボンをかけるものかな。あれは極暑に限るんじゃないか」と聞いた。与次郎はアハハハと笑って、 「○○教授に聞くがいい。なんでも知ってる男だから」と言って取り合わなかった。  正門の所で三四郎はぐあいが悪いからきょうは学校を休むと言い出した。与次郎はいっしょについて来て損をしたといわぬばかりに教室の方へ帰って行った。

anond:20240930192717

2024-07-12

なんかずっと白い血栓がってやってるから拾ってきてあげました

基本、こういうのは英語検索しましよう

 

white clots' to mRNA vaccines

 

 

出てくるやつ→ False claims linking 'white clots' to mRNA vaccines resurface online in Thailand | Fact Check

タイの保健当局によると、虚偽の投稿で共有された画像は、法医学で分類される死後血栓と同じものであり、新しい現象ではありません。

死後血栓

タイ国立ワクチン研究所2024年2月21日声明を発表し、画像に見られる白い血栓mRNAワクチンとは関係ないと明言しました(アーカイブリンク)。 「この主張の画像は、mRNAワクチン接種によって引き起こされた血液障害を示すものではありません」と声明には書かれています。「これは、死後に発生するフィブリン血液の主要なタンパク質成分)の凝集に過ぎません(死後血栓)。」 同じ声明は続けて、「これは、死亡した人の体に一般的に見られる自然現象です。これは、Covidの発生やCovid-19ワクチン使用以前から観察されてきました。」と述べていますバンコクのブミボル・アドゥラデージ病院法医学病理学者であるアッタシット・ドゥルアムヌアイ博士も、白い血栓自然ものであり、死亡した体に一般的に見られると同意しました。 「私は解剖を行うときに常にそのような血栓を見つけます。それはmRNAワクチンとは関係ありません」とアッタシットは2月27日AFPに語りました。 同様に、ハーバード医科大学教育病院であるブリガム・アンド・ウィメンズ病院の肺専門医であるタニー・タニヤヴァーンも、虚偽の投稿掲載された血栓の外観を典型的な死後血栓と同じように説明しています。 「その外観はまさに死後血栓のようです」とタニーは2月23日に述べました。「それは生前血栓のように表面が粗くないので、その主張には疑問があります。」 タニーはまた、死亡した体に白い血栓存在する原因として、肥満糖尿病喫煙さらにはCovid-19感染などが考えられると付け加えました。

https://factcheck.afp.com/doc.afp.com.34KB4DG

 

白い血栓については日本語検索しても出てくると思うけど、AIちゃんにまとめて貰いました

### 白い血栓(白色血栓

 

構成成分:

 

形成メカニズム:

1. 血管内皮の損傷や異常が発生

2. 損傷部位に血小板粘着・凝集

3. 血小板活性化され、凝固因子を放出

4. フィブリノーゲンがフィブリンに変換され、血小板を結合

5. 白血球(主に好中球)が集積

6. 血小板とフィブリンネットワーク形成され、白色血栓が完成

 

白色血栓は主に動脈系で見られ、血流が速い部位で形成されやすいです。

 

 

### 白い死後血栓(死後白色血栓

 

構成成分:

 

形成メカニズム:

1. 死後、血液の凝固が始まる

2. フィブリノーゲンがフィブリンに変換

3. 白血球(主に好中球)が集積

4. フィブリン白血球ネットワーク形成

5. 重力の影響で赤血球が沈降し、上層に白い死後血栓形成

 

白い死後血栓は死後に形成される特殊血栓で、生前の白色血栓とは異なります。主に大血管内で観察されます

 

anond:20240712175024

2024-06-06

タリバン復帰後のアフガニスタンリアル

redditアフガンカテゴリーでのぶっちゃけ話を総合すると日本報道とは全然違って驚いたので備忘録として残す


Q.メディアで目にするものは本当でしょうか?女性は本当に車の運転禁止されているのでしょうか?女性ブルカの着用を強制され、仕事学校に行くことを禁じられているのでしょうか?

 車の中で音楽聴くことは許可されていますか?音楽を聴いているところを見つかったらどうなるのでしょうか?アフガニスタンは良くなると思いますか?

A1.多くの州では女性は車を運転しませんが、一部の州では運転しています公立学校12歳以上の女子は閉鎖されていますしかし、お金があれば私立学校に通うことができます仕事が見つかれば働くことができます

 車の中で音楽聴くこともできますほとんどの人は検問所で音楽オフします。または、オフにしない人もいます。昨年は女性タクシーの前の席に乗れませんでした。今年は乗れるようになりました。ブルカ義務付けられていません。

 私はアバヤとヒジャブを着用しました。より保守的地域ではニカブフェイスマスクを着用しますが、他の地域では必要ありません。美容院は閉鎖されており、今では人々の家で行われています

 今後は良くなると思います。1年前からすでにかなり変わっていました。人々が体制に慣れてきたからなのか、それとも何か他の理由があるのか​​はわかりませんが、今年は検問所が以前ほど多くなく、それほど緊張しているようには見えませんでした。

A2.そんなことはない。まず、タリバン以前の多くの家庭では、女性家族から離れて車を運転することは許されていませんでした。また、国のどこの出身かによっても異なります。一部の都市や村では、常に厳しい規制が敷かれています。 

  女性運転許可している家庭では、女性運転許可しています女性運転でき、音楽聴くことができ、結婚式などで好きな服を着ることができます。もし捕まったらどうなるのでしょうか?

  まあ、彼らは無視するか、コーランやナシードを聞く方が良いと言うかもしれません。

  学校について 学校が閉鎖されているのは事実ですが、いくつかの学校は開校しています医科大学保育園はまだ開校しています私立学校大学コースはまだ開講しています女性も働くことができ、奨励されています

  男性中心の職場にいた女性は、給料をもらって働くことが許可されています。私のいとこは2年間働いていて、給料をもらっていますバランスの取れた職場にいる人は、そのまま残っています

  ブルカはチャデリのことですか?義務ですか?いいえ、義務ではありません。ヒジャブを着用することは義務です。報告する場合は、解除されるまでフェイスマスクを着用する必要があります。髪の毛の20%ではなく、80%程度を覆う必要があります

  好きな服を着てもいいですか? いいえ、体を覆う必要があり、タイトな服は許可されていません。メイクしますか? はい、軽いメイク許可されていますが、大胆な真っ赤な唇や華やかなメイクプライベートイベントでのみ許可されています

  その結果、どんな良いことがありましたかハラスメント、ルチャクバジ・キャットコール通りすがり男性に触られることが減った。捕まった人はボコボコにされる。

  道路が整備され、より安全になった。以前は、警備がいない限り、女性と一緒の長距離運転はできなかった。誘拐強盗が非常に多かったからだ。

  幹線道路が復活した。住宅政策が厳しくなり、好きな場所建物を建てられなくなった。

2023-12-03

東京一極集中世界一位をキープだ、広州に負けるな

医科大学はすべて東京にもってこい

附属病院地方に置いていていいか

2023-11-12

anond:20231111204806

氷河期人類「言うほど都合いいか?」

93万年前の人類気候変動で滅びかかっとるんやが」

「我々は人類歴史について何か大きなことを発見したと気づいた」この論文の著者で、ニューヨークマウントサイナイ医科大学計算生物学者であるワンジー・フー(Wangjie Hu)は、ニューヨーク・タイムズ(NYT)にこう語っている。この研究による予測の1つは、約93万年前に約9万8000人の生殖可能個体が1280人にまで減少し、集団ボトルネックが生じたことを示唆している。その後、個体数が回復するまで11万7000年かかったという。https://www.businessinsider.jp/post-274753

万年前の人類せやな

スタンフォード大学研究者による個別研究が推測したところによると、人類は7万年前には世界わずか2000人にまで激減、消滅しかけていたことがわかってきたそうです。https://gigazine.net/news/20080425_extinction_70000_years/

2023-10-19

anond:20231018225709

睡眠研究はもちろん大学でやってるよ。日本にも世界的な研究者がいる。だけど、そういう一分野だけの研究教育のための大学なんて作るわけないだろ。総合大学とか医科大学の中でやってるんだよ。その他の分野もね。性科学とか消化器内科とか

2023-07-25

anond:20230725162612

あれ?

大学入試男女差別って完全解消されたんでしたっけ?特に医科大学

学歴差別女性差別、二重苦ですから根深問題ですよね~~

2023-06-21

大学無償化の年齢差別ヤバい マジでやばい

今年、20台半ば過ぎにしてついに俺は大学に受かった。

具体的に言うと北海道大学医学部医学である

俺は昔から医者になりたかった。中学生ときにはもう医者になろうと思っていた。

しか現実非情であった。俺が高校1年生に上がった頃、俺を女手ひとつで育て上げてくれた母がぽっくりと逝ってしまった。

そこで北海道祖母の元に預けられることになったのだが、祖母はすでに70歳を超えており、さらに軽度の認知症であった。

必然的高校は転校か退学を迫られたわけだが、祖母の強い要望により俺は高校を退学して働くことになった。

これが10年ぐらい前の話だ。

とはいえ、俺は医者になる夢を諦めるつもりはなかった。

祖母の友人のパン屋にて最低時給で働きつつ、少しづ大学進学資金を貯め、高校卒業認定試験に受かった。

しかし19歳のころ、今度は祖母が死亡。俺は天涯孤独の身になった。

20代も半ばに過ぎたころ、ついに生活に余裕が出てきたので俺は念願の医学部受験に挑戦することにした。

俺はことさら不幸自慢をするつもりはない。と言うか、自分が不幸だと感じたことはない。俺と同じ待遇でのたれ死んでいるやつは確実にいるはずだし、これが俺の標準だからだ。自分の状況に文句を言っているだけでは、明日の飯も食えない。

さて、医学部受験の話に移る。俺は北海道に住んでいたので、道外の大学に行くことは資金的に不可能であった。

北海道では大昔から医師不足が叫ばれ、コロナから自然医療崩壊していると指摘されて久しいが、その割には医学部が3つしかない。北海道大学札幌医科大学旭川医科大学の3つだ。

これが首都圏だったならば私立医科大学という選択肢視野に入るのだろうが、資金的に無理だった。私立医科大では受験料に10万円近くかかるし、そもそも受かったとしても授業料借金だけでは賄えない。この仕組みを知った時、「そりゃ、医者の息子は医者になるわ」と思った。俺のような貧乏人は受験料すら払えないが、彼らはガンガン払える。スタート地点からして違うのだ。

とはいえ文句を言っていても仕方がない。

俺は北海道大学医学部医学科を焦点を当て、ついには受かった。1年間集中して勉強に捧げたため、生活費はとっくに底をつき、受からなければ首を吊るしかないという状況であった。

当然、入学費や授業料が自前で払えるわけがないので、日本学生支援機構借金をして入ることとなった。

さて、ここでぶち当たったのが「給付奨学金制度」というやつだ。

これは比較最近まれもので、生活の苦しい学生学費給付するという制度だ。

さらに、「給付学生」になると国公立ならば大学授業料無料(!)になるというおまけ付きだ。

なんという良い制度であろうか。

俺は早速申し込んだが、却下された。

理由は「年齢」である

というのも、この給付奨学金制度では「高校卒業2年以内(20歳以下)」でないと対象外になり、問答無用で失格となるのである

俺は高校卒業認定をとっていたが、これも「1 8歳から5年以内(23歳以下)」でないと対象外。どれだけ貧しかろうと、どれだけ生活に困窮してようと、23歳以上に給付奨学金絶対的に出ないのである

「それならば仕方がない。なら給付奨学金は要らないので、授業料免除だけしてほしい」と言ったところ、これも却下であった。

なぜならば「給付学生」でないと「授業料免除」には該当しないのである

それならば給付奨学金が無い時代授業料免除はどうなっていたのか?それは大学独自学生収入を元に授業料免除できていたのだ。

その頃には20代、30代だろうが、収入が少なければ授業料免除になる可能性が高かった。

しかしながら「給付奨学金制度」が出来たことにより、「授業料免除制度」は「給付奨学金制度」の一部分扱いになり、20代は問答無用借金をしなければいけなくなったのだ。

俺は愕然とした。

というのも、ほとんど俺と同じ待遇医学部に入った5年生の先輩と話す機会があったからだ。

その先輩は給付奨学金制度がない時代20代後半で大学に入り、大学独自授業料免除制度でなんとか大学に入ることができたのである。彼が卒業するまでは免除対象であるという。

これはひどい。いや、ヤバい不公平感が半端ない

国は「学び直し」を声高に叫んでいるが、これが今の実態である

謎の線引き、謎の境界線

まるでヨーロッパ人勝手国境を引かれたアフリカ人のような気分だ。

追記:

給付奨学金」は経済的困窮者が大学に行けるようにするための制度だが、果たして高校卒業してから2年以内に大学に進学しようと決められる困窮者が大多数なのであろうか?

経済的困窮者は高校卒業後、「大学に行く」というメリットがありつつも、働かなければ生活がままならない者が多いはずだ(俺は高校すら行けなかったが)。

そういった人々が成人を迎え、「大学に行こう」と決めても、国が一律かつ絶対的に決めた「高校卒業から2年以内まで」という謎の縛りで困っている人はたくさんいるはずだ。そんな気持ちでこの記事を書いた。

国に問い合わせて見ると、「卒業から2年以内」を変える予定は無いようだ。「どうして卒業後3年や4年や5年以内ではなく、2年以内なのか」と質問しても「そう決まっているから」としか言われなかった。俺たちは制度の中で生きているので、制度の内容によって人生は大きく変わるし、それは納得できる。しかしながら、「なんとなく」で決められた制度人生を大きく左右されるのはキツイ

追記2:

【これまでの授業料減免制度

大学収入を報告する

大学学生の年齢など関係なく困窮具合を判断

授業料減免

【今の授業料減免制度

日本学生支援機構給付学生として採用される

20歳以上は申し込みが絶対的に不可。理由不明

給付奨学金を受けた人のみが授業料減免を受けられる

2023-06-02

医学部浪人してい女性は点数差別ではない

医学部9浪、母の殺害に至った壮絶な教育虐待

家出を試みるも、探偵を雇った母に連れ戻される

https://toyokeizai.net/articles/-/659824?page=2

あかり小学校時代から成績優秀で、母親の妙子は娘のあかり医師にしたいと考え、それも国公立大学医学部入学させたいという強い希望を持っていた。あかりも期待に応えようと勉強を続け、医学部受験を目指していた。

あかりは二〇〇五年に県内キリスト教進学校卒業し、母の希望通り医学部を目指して受験を繰り返したが果たせず、二〇一四年に医科大学看護学科に進学した。その間、なんと九年もの浪人生活を送っていたことも明らかになった。

母が娘に医学部受験強要し、9年間も浪人させた。その事実は異常な学歴信仰や、いびつな親子関係想像させる。近年、親が子どもに過度な期待をかけて勉強させ、成績が上がらないと暴言暴力を加える「教育虐待」という言葉が知られるようになったが、あかりの母の厳しさは熾烈だった。

このエネルギーが点数差別というありもしないものを生み出した。

この意味でも弁護士マスコミにも学者にも女性はいらない。ばかで無責任

2022-10-18

美瑛町ドラマPICU」への抗議は適切だったか

結論から言うと、やや勇み足だったのではと思う。お前誰だよって話だが、ただのしがない一町民である

美瑛町によると、実際は町の病院を経ずにドクターヘリ旭川病院に直接搬送することがあるという。放送後、町議フジテレビに「実態と異なる」と電話で指摘したところ、12日に番組関係者が来町。角和浩幸町長が「フィクションとはいえ医療過疎、住みにくいという印象を与えて残念だ」と抗議したという。

https://news.yahoo.co.jp/articles/52f840229039f3f4f4caff46e37bef41e950a2e7

そんなに適当なもんを作ったんか、まああってもおかしくねえよなフジだし(偏見)と思って、試しに一話を見てみた。

指摘部分に係わる話の流れはこう。美瑛ロケ地で体調を崩した子役女の子救急車を呼ぶか迷うも、最寄りの病院までは一時間距離救急車が来るにも時間がかかるということもあり、女の子とその母親スタッフ(?)の運転で町の病院美瑛記念病院モデル美瑛町病院だろうか?)に車で向かっていたが、その途中で嘔吐さらには吐血と容態が悪化した。焦った母親は町の病院電話をしたが、母親は気が動転していて情報を伝えられず、電話を受けた若い医師も、母親を落ち着かせるような話術の訓練が足りていなかった。一旦は町の病院に運ばれ状況をみたが、大きい病院に運んだほうがよいという判断がなされ、道北医科大学病院(おそらくモデル旭川医大だろう)に搬送され救急が行われるが、小児専門の外科医がいないために根本的な治療は行えなかった。ドクターヘリ北海総合大学病院搬送されるも、そこのPICU救急を受け入れられず、残念ながら女の子は亡くなってしまう……。これが数年前の話。

美瑛旅行中に車中で苦しむ女の子を偶然目撃していた主人公は、小児科医師として働いていたが、突然の辞令で丘珠に新設されるPICUに配属になり……という風にお話に関わってくるのだが、そこは割愛

まず指摘からいくと、美瑛町から町の病院まで1時間というのは、ロケ現場がかなり奥地だったとしても、ちょっと盛っている。北海道の車で一時間はだいたい道のりで50kmぐらいである。美瑛町内だとほとんどの場合ぶっとばして30分以内だと思う。が、まあフィクション範疇で済むかなと思う。(追記あり

ただ、それを別にすれば、別に話として破綻はしていないと思った。たしかに、初手から救急車を呼べていればドクターヘリを現地まで呼ぶなり別の対策があったかもしれないが、当初は救急車を呼ぶかどうか迷っていた程度の容態だし、救急車を呼ぶのに躊躇した理由についても「救急車を呼ぶと結局倍時間がかかる」と言及があり、(それが本当であれば)車で送ることを選んだ理由になっている。町の病院に運ばれるまで大きい病院に送る判断ができなかったのも、母親医師とのコミュニケーションがうまくいっていなかったことで説明つくし(ここで原因を医師の腕のせいにせず、情報の伝達がうまくいっていなかったとするのも巧いなと思う)、そもそも全てが上手く行っていたとしても、道内救急を受け入れるPICUはなかったのだから、結果が大きく変わらなかった可能性は高い。登場人物全員が全員なりに良いと思う選択肢を取ったが、それでも救えなかった、という理由けがかなり丁寧になされていると思う。

町の病院まで一時間は盛っていると思うが、そこから旭川病院まで20分というのはかなり正確な数字で、ちゃん北海道の地理を調べて設定を作っていることが伺える。美瑛からちょっと車で走ったら函館に着いたどこぞの映画とは大違いである。

なので、"町の病院を経ずにドクターヘリ旭川病院に直接搬送することがある"という町議の指摘は、この話への指摘としては不適当だと俺は思った。そういう選択肢があったとしても、この事例では結果として使うことができなかったのだ、という理由がしっかり説明されていると思うし、見ている人にも伝わると思う。実際の地名使っておいていい度胸してんじゃねーかと見る前は思ったが、見終わったあとではべつにそういう感想は出なかった。つーか普通に良いドラマだ。みんなフジ月9だと思って毛嫌いしないで見た方がいい。安田顕がかっこいい。

まあ、でも、コレを見て、「美瑛って旭川の隣なのにクソ田舎でろくに病院も無いんだな」と思われる可能性は大なので、そういう意味で「医療過疎で住みにくいという印象を与え」という町長の言はまぁわかる。実際俺もこれが地元だったか違和感を覚えただけで、アメリカの話だったら「アメリカってそうなんやー」って思うもんな。まあフジテレビも「住みにくいと思われるだろ」と言われても困るだろうが。

あとこれは余談だが、美瑛は意外と医大日赤も近く、それでなくても旭川の隣なので、道内でも医療へのアクセスはかなり恵まれているほうではある、という事情があるし想起できるところなので、女の子の一件の舞台(兼、主人公旅行先)として美瑛を選んだのは単純によくわからない。知床とか、それこそ離島あたりにしとけばツッコミ余地もなく最寄りの救急病院までも遠い、という状況は作れた思うが。それだと最初からドクターヘリ出動に考えが及ぶから逆にリアリティに欠けるとか、単純に映える景色が欲しかたかロケが楽だったとか、そういう事情なのかな(旭川空港に近く、羽田からアクセスが良い)。

と、ここまで書いて、こんな記事も見つけた。

こうした声を、美瑛町はどのように受け止めているのか。あらためて美瑛町役場総務課に聞くと、フジテレビ職員との話し合いがあったことは認めたが「報道では抗議という表現されているが、フジテレビ様のほうから、うちのほうにご来庁されて、その話(ドラマの内容について)の説明があった」と、報じられているほどの苛烈声明ではなかったという旨の返答があった。

https://smart-flash.jp/entame/205590/1

道新とsmartflashどっちを信じるかは難しい問題だが、これが事実なら、町議がやや暴走しただけで、フジの人はわざわざ説明に来てくれた誠実な人で、町長は建前上否定的コメントを出しただけで、道新がそれを恣意的美瑛がキレてるかのように記事を書いただけの可能性が高いな……。フジを叩くつもりでこの記事を書き始めたが、道新の株が下がる結果となったとさ。ちゃんちゃん

追記

日刊ゲンダイからこんな記事が出てた。

 美瑛町役場広報担当者はこう話す。

美瑛町の1次救急体制として、救急車が到着するまでに2時間もかかるということはあり得ません。さらに、救急医療に関しては、ドクターヘリ運用も含めて、旭川市とも連携しており、美瑛町内の病院を経ずに、旭川病院救急搬送する体制がありますフィクションとはいえ子育て世代などの移住定住政策推し進めている中で、実態とは違う表現で、美瑛町の小児医療体制が整っていないかのように描かれ、マイナスイメージを持たれてしまたことは残念です」

https://news.yahoo.co.jp/articles/6e4a71eefb3d01a78af41868147aea1bce2f2427

記事内にもあらすじの説明があり、前半はまっとうな指摘であると思う(ただ、救急車が到着するまでに2時間というのは不正確な表現で、劇中での説明は、片道一時間から救急車が来て病院患者を運ぶまでに往復で2時間、ということだろう。救急車一般の車の半分の速度で走るわけがない。ただ、どちらにしろ1時間かかることもまずあり得ない)。コメントにもあったが、俺はフィクションで済むと判断した部分だったが、誤った印象を与えるとして、町として抗議したのだと思う。

後半の指摘については的はずれだと思う。どれだけ体制が整っていても、母親スタッフ救急車を呼ぶという判断をしなかったのだから病院にできることはない。そして、片道一時間という設定を受け入れてしまえば、大人たちが救急車を呼ばなかった理由にも一応の理屈は立っているのだからあくま理屈が立つというだけであって、正確には容態が急変した時点で車を止めてでも119して指示を仰ぐのが正しい判断だろうと思うが)

が、翌日、同じ日刊ゲンダイからこんな記事が出てた。

ドラマにおける町の描写医療過疎、住みにくいという誤った印象を与えかねず、現実乖離しているため、遺憾の意フジテレビ側にお伝えしました。町から隣の旭川市の病院までは車で30分まで移動ができ、1時間以上かかることはありません。町としても医療体制救急搬送には力を入れていますドラマであった患者たらい回しみたいな事は起きておりません」

https://news.yahoo.co.jp/articles/0edd3e9afa7f989125e0eac6303a312fecf5ee9e

こっちの記事はひどい。

旭川市の病院までは車で30分」については、上で言及した通り、「美瑛記念病院から道北医科大学病院まで20分」とあるのでむしろ正確である

患者たらい回し」についても、女の子の症状は最初体調不良かと思われたのだが、どんどん容態が悪くなりPICU必要があることがわかってきた、という筋書きであって、たらい回しにされたわけではない。

なんで2日続けてこんな内容の違う記事が出るんだ。担当者コメントの内容がまるで違うので、同じ人物が書いた記事ではありえなく、どっちかは(あるいはどっちも)ろくに取材もしないで書いたんだろうと思う。たぶん記事ペラから見て下のほうなんだろうなあ。一応ソースもあたってみたが、記者名は当然書いてなかった。日刊ゲンダイも信用できねーなぁ。

あとは余談だけど、この記事で(おそらくただのいちゃもんとして)あがってる、稚内医者訪問するとき普通列車で行くか?という指摘。西稚内駅は架空の駅なので、稚内まで飛行機で行ってから駅弁買って宗谷本線(的な架空路線)に乗ったという理屈は、まあ普通に立つ。こういうところを見るに、ちゃん架空地名を作る配慮が無いわけではないんだよなあ。なんで美瑛は伏せなかったんやろ……?それで全部丸く収まったのに……

2022-09-27

anond:20220927075442

差別は便利。

便利なものは無くならない。

男性医師の不足が問題になってる時は、女子医科大学入学制限差別しておけば、男性医師が増えて便利。

黒人犯罪率が高い時は、黒人入国制限しておけば、治安が維持できて快適。

トイレの使い方を知らない中国人が多ければ、中国人を泊めないように宿泊拒否しておけば、トイレは汚れない。

2022-08-01

果物身体に悪いらしい

結局、果物って一見身体によさそうなイメージだけど本当は食べちゃ駄目って事でいいのかな

美味しいから食べないのは辛いけど……


https://gigazine.net/news/20220724-fruits-bad-effect-to-nafld/

果物野菜にはビタミンミネラル豊富であり、野菜に含まれる一部のビタミン活性化合物は抗酸化作用や抗炎症作用を発揮するので、NAFLDにプラス効果をもたらすことが示されているとのこと。しかし、2017年に発表された研究では、「野菜の消費はNAFLDの有病率と逆相関していることはわかったが、果物の消費は逆にNAFLDの有病率と正の相関があった」と論じています。つまり果物はNAFLDを悪化させている可能性が示されたというわけです。

そこで、ウルミア医科大学研究チームはイラン大学病院でNAFLDと診断された18歳以上の患者66人を2グループに分け、一方のグループ(FRD群)には1日当たり少なくとも4食分以上の果物摂取させ、もう一方のグループ(対照群)は1日当たり2食分以下の果物しか与えられませんでした。実験2020年10月から2021年3月まで行われ、実験前後に行われた血液検査でチェックを行いました。

その結果、BMIウェスト周囲(WC)・ALTALP・AST・γGTPLDLコレステロールインスリン抵抗性血糖値において、FRD群は対照群と比べて有意に高い数値を示したとのこと。このことから研究チームは果物中心の食事はNAFLD患者脂肪肝と血糖コントロール悪化させることが示されたと述べています

2022-04-25

anond:20220424115617

男性男女平等であればそれで構わないので。わけのわからない謎理論で、女を優遇することが無ければ、そこにあるのはただの競争社会なので、競争社会が駄目ならばまた違ったレイヤーの主張になる。

簡単に言えば、女は「男女雇用機会均等法」による調整済みの状況を男女平等と捉えているが、男は本来男女平等は、そういう調整の無い、自然の需給法則が働く状況を指している。この認識の差が、どちらがゲタを履かされているのか、の認識差になっている。

何の規制も無い男女平等社会ならば、男が圧倒的に有利であるので、男はそれを自然状態デフォルト状態と捉えている。女の不利は「能力の欠落」だ。女はそれを「男がゲタをはかされている」と言うが、それは実際にはかなり無理がある。法制度的な優遇があるわけではないし、慣習的な優遇もそれは男性の優位性の結果であって、原因ではないからだ。ありとあらゆる歴史、国において結果的には男性優位社会帰結していったと言うのは、それが恣意的作用によるものではない根拠の一例だろう。

例えば社会女性医師ではなく男性医師が欲しいと言う状況に関しても、医師国家試験に、体力(耐久力)、持続可能性を能力としてカウントする要素があればおのずと収斂するはずだが、そうならないのは、座学でのお勉強だけを「」付きの能力とすると言う、女性側の操作が入るためである。それだけではなく、女性医科大学などの制度的な優遇措置もあり、このゆがめられた状況下で、女性がゲタを履かされていないと言う見方はかなり難しい。

要はデマンドサイドの理屈に沿って、市場原理に従って処理すれば、能力の結果によっておのずと女性排除されてゆくので、男性にとって男性優遇措置は必要ない。「優遇措置全般」を排除すればいいのであって、スタートライン男性女性が同等であると見なすこと自体、それは女性傲慢であり、いか女性優遇されているのかを無視する鈍感である

2021-12-06

同人日記

大学いってないか大学ネタやれない」って悲しんでる人あつまれ!オレが大学ネタおしえてやるから一緒に書こうぜ!

・年度と年齢

通常の大学卒業に4年かかるので1年生(19歳)~4年生(22歳)が混じって生活している。関西では1~4回生とも呼ぶが、関東では1回生学校立直後の入学生をいうぞ。

短大は2年(20歳まで)、医科大学は6年(24歳まで)。卒業後に大学院にいけば修士2年(24歳まで)、博士修士+4年(28歳まで)。その後も大学にいられるのは助手助教授教授採用されつづけて進めれば最短あたまよさげコースだが、職にあぶれて学生っぽい「ポスドク」になって大学に居残るひともいる。30歳くらいだな。

理系文系

算数理科を専門でやろうとしてるのが理系学部医学部とか理学部とか工学部とか情報学部とか。それぞれ医者とか工場とかITとかで働くぞ。男が多く女との出会いは少ないぞ(数少ない理系女子特別リケジョとよんでほめたりする)

例外的に、栄養学とかは理系でも女性が多いぞ。

国語英語社会が中心になってるのが文系学部普通にサラリーマンかいろんなとこで働くぞ。女性が得意な分野も多いぞ。図書館学とかもあるぞ。

他にもどっちにもわけられない芸術大学とか、体育大学とか、音楽大学とかもある。さがせばたいていの好きな科目を専攻できる学部日本のどこかにはある。残念ながら地方大学にはすくないので単身上京してバイトしながら好きなことをやる若者もいるぞ。

すきな進学先を探したら大学じゃなくて専門学校しかない場合入学はしやすいが卒業後の就職先が少なくて狭き門だったりするから、よほど地元でその特殊な業種が流行ってるのでないかぎり、少子化ではみな大学のほうを選びがちだぞ。

文化系体育会系

サークルという部活動みたいなのがあって、体動かすのが体育会系インドア文化系だぞ。グラウンドにいるのが体育会系で、文化系サークル会館とかにいるのが文化系サークルだぞ。現代視覚文化研究会アニメ漫研)が大人気だとおもうだろうがそうでもない(癖がつよい)

コマ・限

90分1コマで午前2コマ(1限と2限)、午後が3コマ(3~5限)だ。

もし5限の授業を選択せずあいてたら4限まででたあと帰ってバイトにでもいくか、サークルの部室にでもしけこんで漫画読んでる。

2限・3限の空き時間があると食堂でだべってたりするが、先生もその時間帯に授業を開くのが好きなので、意外と人数が少ない、というか留年して去年2~3限だけとりおわってるやつとかがメインだったりする。

理系は空きコマ自体が少ないぞ。理系に多い実習単位単位数が少ないので集めるのにせっせと働かなきゃいけないのだ。

医学生が昼間から遊んでる描写があると嘘くさいぞ。

学費

高いぞ。国立大比較的安いが私大は遠慮なしに高いぞ。奨学金はもらいっぱなしでいいのと、借金として返さなきゃいけないのがある。就職先によって借金が返さなくてよくなるタイプのもあるが、それの一つが教職なので、「でもしか教師しょうがなくやってて子供を導く意欲がない)」が多くなるんじゃないかとオレは思う。国によっては大学全員全額無料にしてる国もあるから留学したほうが却って安い場合があるぞ。

以上!あとはぐぐってくれ

2021-09-22

我が子が乳児期の全身麻酔により高次脳機能障害になった話

我が子は難病指定の症状で誕生した。

生後4ヶ月に、全身麻酔での手術が必要になった。

手術はなんとか終えたが、執刀痕があまりにも汚すぎて、10年近く経った今でも痛々しい跡がくっきり残っている。

あの時、この医科大学附属病院ではなく、もう一つの大学病院選択していたらこんなことにはならなかった。

我が子は、記憶が飛ぶ。

様々な事が覚えられず、字も汚いし、他人とうまく関われない。精神年齢は3歳程度である

執刀回数の経歴欲しさに、この医大附属病院で手術されてしまった。

生後4ヶ月だから、もちろん喋れないし、全身麻酔前との違いが私も医師も分かるわけがない。

ただ、明らかにおかしいし、信用できない行為の多い病院だった。

後悔しても手遅れだ。

乳児の手術には、必ずセカンドオピニオンをした方がいい。一生取り返しのつかないことになる。

2021-08-17

anond:20210817123649

エリザベスブラックウェルがジェネヴァ医科大学から学位を授与されたのは1849年

楠本イネ東京築地産科医として開業したのが1871年

イネちゃんのほうが後じゃね?

そもそもエリザベスちゃんのほうは「学位を授与されて医師資格を得た」というのがポイントのようだし。

民間療法レベル医療従事する女性がいた、ってのとはまた別の話なんじゃね。

それこそ古代女性シャーマンとかが「世界最初女医」かっていうとちょっと違うじゃん。

2021-08-05

アメリカ医学生も投入

リカ場合は、感染拡大が厳しい状況になると、あらゆる専門の医師だけでなく、医科大学院の学生外国医師免許保有者まで現場に投入しました。また、余裕のある州から臨時に要員を融通することもしました。

https://www.newsweekjapan.jp/reizei/2021/08/post-1239.php

アメリカって医者徴兵されるんだな

2021-06-26

国内医師ら450人がワクチン接種中止を求めて嘆願書を提出

https://www.sanspo.com/article/20210624-IOQJULJCVRMBXMZXIDJG6SDUHA/

個人的には、ワクチンを打たない自由はあるべき(疾患や体質、また症例から打つことへの不安もつことは悪いことではない)とは思う。

しかも、記事本文に下記のことがあると、説得力がなんとなくある気がしてしまう…!

嘆願書同意したのは国内医師390人と地方議員60人

気になるので調べたよ。

発起人

高橋

ウィスコンシン医科大学名誉教授統合医療クリニック徳院長。関西病院で消化器外科を専攻した後、渡米。ミシガン大学助手デューク大学教授ウィスコンシン医科大学教授を経て、ウィスコンシン医科大学名誉教授。2016年名古屋市に『統合医療クリニック徳』をオープン

病院サイトを見にいったが、何を治すために伺えばいいのかさっぱりわからなかった。

漢方での対処療法とか…そういうときかな…。

プロフィールから、渡米した結果、何を学んだのかよくわからなかった。

そもそも、消化器外科先生なんだよね…?

求人サイトから職員構成が見れた。

スタッフ構成

院長 1名

医師非常勤)2名

看護師非常勤: 精神科ショートデイケア専任)1名

ヨーガレイントラクター非常勤)2名

ロマセラピスト非常勤)1名

スピリチュアルヒーラー非常勤)3名

気功師鍼灸師非常勤)1名

気功療法師(非常勤)1名

鍼灸師非常勤)2名

カウンセラー非常勤)1名

瞑想指導非常勤)1名

整体師(非常勤)1名

スピ…?めいそうしどう…??

署名に参加したのはどんなメンバーなんだろと調べてみる

気を取り直して、参加者を調べよう…!

参加される方のブログみっけ。

https://www.kaneshiro-honest-clinic.com/2021/06/21/624は『新型コロナワクチン接種中止』の嘆願書提/

クリニック徳 高橋徳院長が中心になって作成された『新型コロナワクチン接種中止』の嘆願書に対し医師約180名、歯科医約150名、議員約50名の同意が集まり同意者の名簿を添えて6/24厚労省に提出する事になり

えっ、お医者さんの約45%は歯医者さんなの…?!

歯医者さんは医師だけど。尊敬してますが、なんとなく、趣旨違わない…??

6/14現在での発表で新型コロナウイルスで亡くなった方は14132人ですが、60歳未満は450人足らずしか居ませんので働き盛りの60歳未満は無症状であればマスク不要自粛せずに仕事をして、どんどん外食もして経済を支えてもらえば良いですし当然、ワクチンなんて不要です。

??感染を広げようみたいなこと言ってて怖くなったのでブログをそっとじ。

(ここで力尽きたサラダ🥗)

2021-04-11

フェミさんは「弱者男性を救わなくていい」という議論が「じゃあ女性別に救わなくていいな」という意見になって返ってくることを想像できないほどの知性しかないの?

あいわかった。

そうやって優先順位をつけるなら、層が広い女性を救うのは後回しだ。当然だよなあ?

まずは入国管理局に捕らわれている人たちを助けなければいけない。

次に障害者リソースをつぎ込もう。

まずしいシングルマザーを助けよう。AV被害者を助けよう。

弱者男性よりはるかに恵まれ立場で何をぜいたくなこと言ってんだ。

なに?医科大学女性差別?そんなん後回しに決まってんだろバカか。

女性管理職の数が知らない?

うるさい。

まずはシングルマザー貧困を全て解決してからだ。

だって、お前らがいったんだぞ。

それほどかわいそうじゃない人間や、自業自得人間を救うのは後回しでいいと。

言葉責任を取れよ。

結婚している女性が家庭で旦那の態度が悪い?DV被害を受けてないだけましだな。却下

今後はそういう贅沢な悩みを述べてる女性

1回ツイートするごとにDV被害避難している女性支援する団体に1000円寄付しろ

2021-03-22

孤独

当時私は二十五歳の青年で、丸まるの内うちのあるビルディングオフィスを持つ貿易商合資会社S・K商会のクラークを勤めていた。実際は、僅わずかばかりの月給なぞ殆ほとんど私自身のお小遣こづかいになってしまうのだが、と云ってW実業学校を出た私を、それ以上の学校へ上げてくれる程、私の家は豊ゆたかではなかったのだ。

 二十一から勤め出して、私はその春で丸四年勤続した訳であった。受持ちの仕事会計の帳簿の一部分で、朝から夕方まで、パチパチ算盤そろばんだまをはじいていればよいのであったが、実業学校なんかやった癖に、小説や絵や芝居や活動写真がひどく好きで、一いっぱし芸術が分る積つもりでいた私は、機械みたいなこの勤務を、外ほかの店員達よりも一層いやに思っていたことは事実であった。同僚達は、夜よな夜なカフェ廻りをやったり、ダンス場へ通かよったり、そうでないのは暇ひまさえあればスポーツの話ばかりしていると云った派手はでで勇敢で現実的な人々が大部分であったから、空想好きで内気者うちきものの私には、四年もいたのだけれど、本当の友達は一人もないと云ってよかった。それが一際ひときわ私のオフィス勤めを味気あじきないものにしたのだった。

 ところが、その半年ばかり前からというものは、私は朝々の出勤を、今迄いままで程はいやに思わぬ様になっていた。と云うのは、その頃十八歳の木崎初代が初めて、見習みならいタイピストとしてS・K商会の人となったかである木崎初代は、私が生れるときから胸に描いていた様な女であった。色は憂鬱ゆううつな白さで、と云って不健康な感じではなく、身体からだは鯨骨くじらぼねの様にしなやかで弾力に富み、と云ってアラビヤ馬みたいに勇壮うそうなのではなく、女にしては高く白い額に左右不揃いな眉まゆが不可思議な魅力をたたえ、切れの長い一ひとかわ目に微妙な謎を宿し、高からぬ鼻と薄過ぎぬ唇が、小さい顎あごを持った、しまった頬ほおの上に浮彫うきぼりされ、鼻と上唇の間が人並ひとなみよりは狭くて、その上唇が上方にややめくれ上った形をしていると、細かに書いてしまうと、一向初代らしい感じがしないのだが、彼女は大体その様に、一般美人の標準にはずれた、その代りには私丈けには此上このうえもない魅力を感じさせる種類の女性であった。

 内気者の私は、ふと機会を失って、半年もの間、彼女言葉も交わさず、朝顔を見合わせても目礼さえしない間柄であった。(社員の多いこのオフィスでは、仕事共通ものや、特別に親しい者の外は、朝の挨拶などもしない様な習わしであった)それが、どういう魔(?)がさしたものか、ある日、私はふと彼女に声をかけたのである。後になって考えて見ると、この事が、いや私の勤めているオフィス彼女入社して来たことすらが、誠に不思議めぐり合せであった。彼女と私との間に醸かもされた恋のことを云うのではない。それよりも、その時彼女に声をかけたばっかりに、後に私を、この物語に記しるす様な、世にも恐ろしい出来事に導いた運命について云うのである

 その時木崎初代は、自分で結ゆったらしい、オールバックまがいの、恰好かっこうのいい頭を、タイプライターの上にうつむけて、藤色セル仕事着の背中を、やや猫背にして、何か熱心にキイを叩たたいていた。

HIGUCHI HIGUCHI HIGUCHI HIGUCHI HIGUCHI ……

 見ると、レタペーパの上には、樋口ひぐちと読むのであろう、誰かの姓らしいものが、模様みたいにベッタリと並んでいた。

 私は「木崎さん、御熱心ですね」とか何とか云うつもりであったのだ。それが、内気者の常として、私はうろたえてしまって、愚かにも可成かなり頓狂とんきょうな声で、

樋口さん」

 と呼んでしまった。すると、響ひびきに応じる様に、木崎初代は私の方をふり向いて、

「なあに?」

 と至極しごく落ちついて、だが、まるで小学生みたいなあどけない調子で答えたのである彼女樋口と呼ばれて少しも疑う所がないのだ。私は再びうろたえてしまった。木崎というのは私の飛とんでもない思違おもいちがいだったのかしら。彼女彼女自身の姓を叩いていたに過ぎないのかしら。この疑問は少しの間私に羞恥しゅうちを忘れさせ私は思わず長い言葉を喋しゃべった。

あなた樋口さんて云うの? 僕は木崎さんだとばかり思っていた」

 すると、彼女も亦またハッとした様に、目のふちを薄赤くして、云うのである

「マア、あたしうっかりして。……木崎ですのよ」

「じゃあ、樋口っていうのは?」

 あなたのラヴ? と云いかけて、びっくりして口をつぐんだ。

「何なんでもないのよ。……」

 そして木崎初代は慌あわてて、レタペーパを器械からとりはずし、片手で、もみくちゃにするのであった。

 私はなぜこんなつまらない会話を記したかというに、それには理由があるのだ。この会話が私達の間にもっと深い関係を作るきっかけを為なしたという意味ばかりではない。彼女が叩いていた「樋口」という姓には、又彼女樋口と呼ばれて何の躊躇ちゅうちょもなく返事をした事実には、実はこの物語根本こんぽんに関する大きな意味が含まれていたかである

 この書物かきものは、恋物語を書くのが主眼でもなく、そんなことで暇どるには、余りに書くべき事柄が多いので、それからの、私と木崎初代との恋愛の進行については、ごくかいつまんで記すに止とどめるが、この偶然の会話を取交とりかわして以来、どちらが待ち合わせるともなく、私達はちょくちょく帰りが一緒になる様になった。そして、エレベーターの中と、ビルディングから電車停留所までと、電車にのってから彼女巣鴨すがもの方へ、私は早稲田わせだの方へ、その乗換場所までの、僅わずかの間を、私達は一日中の最も楽しい時間とする様になった。間もなく、私達は段々大胆になって行った。帰宅を少しおくらせて、事務所に近い日比谷ひびや公園に立寄り片隅かたすみのベンチに、短い語らいの時間を作ることもあった。又、小川町おがわまちの乗換場で降りて、その辺のみすぼらしいカフェに這入はいり、一杯ずつお茶を命じる様なこともあった。だが、うぶな私達は、非常な勇気を出して、ある場末ばすえのホテルへ這入って行くまでには、殆ど半年もかかった程であった。

 私が淋さびしがっていた様に、木崎初代も淋しがっていたのだ。お互たがいに勇敢なる現代人ではなかったのだ。そして、彼女容姿が私の生れた時から胸に描いていたものであった様に、嬉しいことには、私の容姿も亦また彼女が生れた時から恋する所のものであったのだ。変なことを云う様だけれど、容貌については、私は以前からややたのむ所があった。諸戸道雄もろとみちおというのは矢張やはりこの物語重要な役目を演ずる一人物であって、彼は医科大学卒業して、そこの研究室である奇妙な実験従事している男であったが、その諸戸道雄が、彼は医学生であり、私は実業学校の生徒であった頃から、この私に対して、可成かなり真剣な同性の恋愛を感じているらしいのである

 彼は私の知る限りに於おいて、肉体的にも精神的にも、最も高貴ノーブルな感じの美青年であり、私の方では決して彼に妙な愛着を感じている訳ではないけれど、彼の気難しい撰択に適かなったかと思うと、少くとも私は私の外形について聊いささかの自信を持ち得うる様に感じることもあったのである。だが、私と諸戸との関係については、後に屡々しばしば述べる機会があるであろう。

 それは兎とも角かく、木崎初代との、あの場末ホテルに於おいての最初の夜は、今も猶なお私の忘れ兼かねる所のものであった。それはどこかのカフェで、その時私達はかけおち者の様な、いやに涙っぽく、やけな気持ちになっていたのだが、私は口馴れぬウィスキイをグラスに三つも重ねるし、初代も甘いカクテルを二杯ばかりもやって、二人共真赤まっかになって、やや正気を失った形で、それ故ゆえ、大した羞恥を感じることもなく、そのホテルカウンタアの前に立つことが出来たのであった。私達は巾はばの広いベッドを置いた、壁紙にしみのある様な、いやに陰気な部屋に通された。ボーイが一隅の卓テーブルの上に、ドアの鍵と渋茶しぶちゃとを置いて、黙って出て行った時、私達は突然非常な驚きの目を見交わした。初代は見かけの弱々しい割には、心しんにしっかりした所のある娘であったが、それでも、酔よいのさめた様な青ざめた顔をして、ワナワナと唇の色をなくしていた。

「君、怖いの?」

 私は私自身の恐怖をまぎらす為に、そんなことを囁ささやいた。彼女は黙って、目をつぶる様にして、見えぬ程に首を左右に動かした。だが云うまでもなく、彼女も怖がっているのだった。

 それは誠に変てこな、気拙きまずい場合であった。二人とも、まさかこんな風になろうとは予期していなかった。もっとさりげなく、世の大人達の様に、最初の夜を楽しむことが出来るものと信じていた。それが、その時の私達には、ベッドの上に横になる勇気さえなかったのだ。着物を脱いで、肌を露あらわすことなど思いも及ばなかった。一口に言えば、私達は非常な焦慮しょうりょを感じながら、已すでに度々たびたび交わしていた唇をさえ交わすことなく、無論その外の何事をもしないで、ベッドの上に並んで腰をかけて、気拙さをごまかす為に、ぎこちなく両足をブラブラさせながら、殆ど時間もの間、黙っていたのである

「ね、話しましょうよ。私何だか小さかった時分のことが話して見たくなったのよ」

 彼女が低い透き通った声でこんなことを云った時、私は已すでに肉体的な激しい焦慮を通り越して、却かえって、妙にすがすがしい気持になっていた。

「アア、それがいい」私はよい所へ気がついたと云う意味で答えた。

「話して下さい。君の身の上話を」

 彼女身体を楽な姿勢しせいにして、すみ切った細い声で、彼女の幼少の頃からの、不思議な思出おもいでを物語るのであった。私はじっと耳をすまして、長い間、殆ど身動きもせずそれに聞き入っていた。彼女の声は半なかば子守歌の様に、私の耳を楽しませたのである

 私は、それまでにも又それから以後にも、彼女の身の上話は、切れ切れに、度々たびたび耳にしたのであったが、この時程感銘かんめい深くそれを聞いたことはない。今でも、その折の彼女の一語一語を、まざまざと思い浮うかべることが出来る程である。だが、ここには、この物語の為には、彼女の身の上話を悉ことごとくは記す必要がない。私はその内から、後にこの話に関係を生じるであろう部分丈けを極ごく簡単に書きとめて置けばよい訳である

「いつかもお話した様に、私はどこで生れた誰の子なのかも分らないのよ。今のお母さん――あなたはまだ逢わないけれど、私はそのお母さんと二人暮ぐらしで、お母さんの為にこうして働いている訳なの――その私のお母さんが云うのです。初代や、お前は私達夫婦が若かった時分、大阪川口かわぐちという船着場ふなつきばで、拾って来て、たんせいをして育て上げた子なのだよ。お前は汽船待合所の、薄暗い片隅に、手に小さな風呂敷包ふろしきづつみを持って、めそめそと泣いていたっけ。あとで、風呂敷包みを開けて見ると、中から多分お前の先祖のであろう、一冊の系図書けいずがきと、一枚の書かきつけとが出て来て、その書きつけで初代というお前の名も、その時丁度ちょうどお前が三つであったことも分ったのだよ。でもね、私達には子供がなかったので、神様から授さずかった本当の娘だと思って、警察手続てつづきもすませ、立派にお前を貰もらって来て、私達はたんせいをこらしたのさ。だからね、お前も水臭い考えを起したりなんぞしないで、私を――お父さんも死んでしまって、一人ぼっちなんだから――本当のお母さんだと思っていておくれよ。とね。でも、私それを聞いても、何だかお伽噺とぎばなしでも聞かせて貰っている様で、夢の様で、本当は悲しくもなんともなかったのですけれど、それが、妙なのよ。涙が止めどもなく流れて仕様がなかったの」

 彼女の育ての父親が在世ざいせいの頃、その系図書きを色々調べて、随分本当の親達を尋たずね出そうと骨折ったのだ。けれど系図書きに破けた所があって、ただ先祖名前や号やおくり名が羅列られつしてあるばかりで、そんなものが残っている所を見れば相当の武士さむらいの家柄には相違ないのだが、その人達の属した藩はんなり、住居なりの記載が一つもないので、どうすることも出来なかったのである

「三つにもなっていて、私馬鹿ですわねえ。両親の顔をまるで覚えていないのよ。そして、人混みの中で置き去りにされてしまうなんて。でもね。二つ丈け、私、今でもこう目をつむると、闇の中へ綺麗きれいに浮き出して見える程、ハッキリ覚えていることがありますわ。その一つは、私がどこかの浜辺の芝生の様な所で、暖かい日に照らされて、可愛い赤あかさんと遊んでいる景色なの。それは可愛い赤さんで、私は姉ねえさまぶって、その子のお守もりをしていたのかもしれませんわ。下の方には海の色が真青に見えていて、そのずっと向うに、紫色に煙けむって、丁度牛の臥ねた形で、どこかの陸おかが見えるのです。私、時々思うことがありますわ。この赤さんは、私の実の弟か妹で、その子は私みたいに置去りにされないで、今でもどこかに両親と一緒に仕合せに暮しているのではないかと。そんなことを考えると、私何だか胸をしめつけられる様に、懐しい悲しい気持になって来ますのよ」

 彼女は遠い所を見つめて、独言ひとりごとの様に云うのである。そして、もう一つの彼女の幼い時の記憶と云うのは、

「岩ばかりで出来た様な、小山があって、その中腹から眺めた景色なのよ。少し隔へだたった所に、誰かの大きなお邸やしきがあって、万里ばんりの長城ちょうじょうみたいにいかめしい土塀どべいや、母屋おもやの大鳥おおとりの羽根を拡ひろげた様に見える立派な屋根や、その横手にある白い大きな土蔵なんかが、日に照てらされて、クッキリと見えているの。そして、それっ切りで、外ほかに家らしいものは一軒もなく、そのお邸の向うの方には、やっぱり青々とした海が見えているし、その又向うには、やっぱり牛の臥た様な陸地がもやにかすんで、横よこたわっているのよ。きっと何ですわ。私が赤さんと遊んでいた所と、同じ土地景色なのね。私、幾度その同じ場所を夢に見たでしょう。夢の中で、アア又あすこへ行くんだなと思って、歩いていると、きっとその岩山の所へ出るに極きまっていますわ。私、日本中を隅々まで残らず歩き廻って見たら、きっとこの夢の中の景色と寸分違わぬ土地があるに違いないと思いますわ。そしてその土地こそ私の懐しい生れ故郷なのよ」

ちょっとちょっと」私はその時、初代の話をとめて云った。「僕、まずいけれど、そこの君の夢に出て来る景色は、何だか絵になり相そうだな。書いて見ようか」

「そう、じゃあもっと詳しく話しましょうか」

 そこで、私は机の上の籠かごに入れてあったホテルの用箋ようせんを取出して、備そなえつけのペンで、彼女が岩山から見たという海岸景色を描いた。その絵が丁度手元に残っていたので、版にしてここに掲かかげて置くが、この即席そくせきのいたずら書きが、後に私にとって甚だ重要な役目をつとめてくれ様などとは、無論その時には想像もしていなかったのである

「マア、不思議ねえ。その通りですのよ。その通りですのよ」

 初代は出来上った私の絵を見て、喜ばしげに叫んだ。

「これ、僕貰もらって置いてもいいでしょう」

 私は、恋人の夢を抱いだく気持で、その紙を小さく畳たたみ、上衣うわぎの内ポケットしまいながら云った。

 初代は、それから又、彼女物心ついてからの、様々の悲しみ喜びについて、尽きぬ思出を語ったのである。が、それはここに記す要はない。兎とも角かくも、私達はそうして、私達の最初の夜を、美しい夢の様に過すごしてしまったのである。無論私達はホテルに泊りはしないで、夜更よふけに、銘々めいめいの家に帰った。

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