はてなキーワード: 草木とは
ChatGPTによる調査をしてみた
・昭和36年と昭和37年の北海道で集落に降りてきた羆による獣害対策に自衛隊が派遣された記録あり
・熊の縄張り主張の生態が的確
・森に餌が少なくなると人里に動物が降りてる生態が的確
・狩猟者が手首足首を重点的に守るのは草木で四肢が擦れるためで描写が的確
・マキリはアイヌの基本装備
・フクロウはアイヌ神話のコタンコロカムイと呼ばれ集落を守護する神
・アイヌの槍の長さは150cmほどで日本の伝統的な槍よりも短い
・昭和30年代に祖父が婚姻したと考えるならばその10〜20年前は終戦時期で学徒動員などから民兵訓練を受けていた可能性が非常に高く、日本陸軍の銃剣術は下段もしくは中段構えが基本
「爺ちゃんの傍さ離れんなよ」
孫は聞いているんだか聞いていないのだか「うん!」と答えるが、その辺で拾った良い感じの木の枝を振り回し遊ぶ。木々が生い茂って独特の静寂さを持つ山中を老人とその孫、そして愛犬の五郎は進んでいった。
後年、知ることになるが本州の山林とは違い、ここ北海道の山は本州のそれとは違って非常に視界が悪い。本州の山林のほとんどは林業を営む方々が手入れをし真っ直ぐに樹木は伸びるが、北海道ではその圧倒的な森林面積により人の手が入っていない部分が数多く残り、文字通りの原生林として山の威容を示し、伸び放題となった木々は山中を行くあらゆる生命の視界を遮る。
老人とその孫の身なりは帽子、長袖長ズボン、長靴、本革製の手袋と手足首を覆う手甲と足甲は老人の妻、即ち孫から見れば祖母の手製だ。ハイキングならばまだしも老人と孫の装備は見るものが見ればひと目で生業を特定できる。猟師だ。可能な限り肌の露出を抑え、特に四肢を重点的に防護する見た目は娯楽ではない事を表す。
老人の右手には大鉈、左手には老人の背丈と同じ程度の狩猟槍、肩に猟銃を下げていた。孫は武器らしい武器はほぼ無いが猟に出る際にだけ持たされるマキリと呼ばれる小刀は腰に差されていた。マキリの持ち手には滑り止めを兼ねたフクロウを模した見事な装飾が施されており、この持ち手の作者は孫の目の前を行く祖父である。
この日は週のうちに何度も繰り返す山道の整備と捕獲罠の点検だ。祖父は大鉈で不要な草木を打ち払いながら進み、樹木の肌やその根本を観察する。昨今の報道でも知られるようにクマは樹木へ爪で傷を付け自身の縄張りを主張する。そして熊だけでなく多くの野生動物は排泄をする際に隠れるため木々の近くでする事が多い。
「爺ちゃんコレ!」と孫が樹木を指差す。孫はマーキングを見付けたと祖父へ伝えた。「おぉそうだよく見付けたべなぁ。クマが出っかも知れねぇから気ぃ付けろぉ」と孫を促す。当然ながら孫よりも先に祖父はマーキングに気が付いている。しかし孫の"発見"を褒めてくれるのだ。一応の確認として猟犬としてよく訓練された五郎へ目を配り何も反応がない事を知ると前へ進んだ。
いくつかの罠を巡ると、くくり罠に雄のエゾシカが捉えられているのを見付けた。祖父はそっと猟銃と大鉈を地面へ置き、槍を構えてエゾシカへ近付いた。そこそこの歳を重ねているであろうエゾシカはその場へ伏せていたが祖父を視界に収めると立ち上がるものの一切の抵抗を見せない。エゾシカはまさに威風堂々と言った立ち振舞いをし祖父を見つめている。祖父が音もなく踏み込み、首元から深く入るたったの一突きでエゾシカは倒れた。
馬ほどの体格を持つとは言え、素人目からするとたかが草食動物を容易に倒したように見えるが首元から様々な骨を避けて心臓まで一閃する達人の技だ。
実は昭和30年代に北海道で冷夏が相次いで森が飢饉状態となりエゾシカやヒグマ、キタキツネなど野生動物が人里へ大量に押し寄せる状態となったことがあった。その際に多くの民衆がヒグマに襲われるという事故が頻発し、若き日の老人は槍一本のみで日夜ヒグマを狩り続け、多いときには月に20頭以上、日に3頭ものヒグマを狩った。この若者は周囲の村落で大いに語られる槍の名手として名を馳せた。
その男気を聞きつけて槍を習おうとする男衆に混じり見物に来ていた女性は槍の名手の男に惚れ込んでそのまま押し入り女房となったという。それが孫の祖母である。
「奥義は下段」
孫は槍の名手たる祖父から毎日のように槍を習った。槍を習うとは言っても「まだ早い」と言われ穂の無い槍、すなわち単なる長い棒であり来る日も来る日も孫は祖父お手製の"槍"を振った。
祖父は口癖のように「奥義は下段」と言った。漫画の中で見るような敵を大きく吹き飛ばしたり環境大破壊を伴う派手な技でない。単に獣へ対して半身を取って穂先を地面すれすれに落とす構えこそが祖父の槍、アイヌの槍の奥義なのだという。
「槍を振った」と前述したが、実のところ槍を振り回すことはお説教を招く動きだった。「振るなァ!突かんかァ!」という祖父の怒号は今でも頭の中で鮮明に響き渡るほど毎度毎度同じ説教を貰った。
「突き引きが遅い!」「力任せに振るな!」「穂先を目線より上げんな!」「下段から何を出来るか考えれェ!」と覚えの悪い孫は何度も何度も同じ説教を受け続けたがコレがまたなかなか上手く出来ないものだった。祖父が用意してくれた的へ次々と素早く当てようとするとどうしても槍を振ってしまうのだ。
後年、孫は祖父の教えの真髄を1つずつ理解するようになってきた。
特徴と言えば祖父の槍、つまりアイヌの槍は内地(本州)の槍よりも短い。前述したが長さは使用者の背丈前後程度。これには理由があり樹木が生い茂る環境で内地の槍は振るうこと叶わず、まさに無用の長物となるのであった。内地の槍の長さは人間同士が平地で争うための長さだ。
これが理解できれば"樹木が生い茂る環境で槍は振るうこと叶わず"であり、槍は基本として突かなければならないというのも理解できるようになる。槍を振れば周囲の樹木へ当たる。しかも槍を使っているということは獣とまさに相対している時である。森林で槍を振るということは自らの死を招く愚行なのだ。
「下段を奥義」とするのも獣と相対した際の死活問題から来ていると今では推測している。半身で構える下段は体当たりしてくる四足の獣の動きへ穂先の反応が遅れたとしても槍の柄が使用者と獣の間に残り、槍の柄で防御へ転じられる。これが上段や中段の構えであれば穂先の反応が遅れた瞬間に獣の一撃を直接身体へ貰うことになるだろう。下段から何が出来るか?攻撃と防御が同時に出来るのである。
孫は何度か祖父が槍のみでヒグマを打倒するところを見たことがある。法令上、猟銃が使用できる範囲は限られ、猟銃使用許可のある場所であっても射撃方向に民家があると使用できなかったりするためだ。
「遠くへ行ってろ」と言われ祖父から離れるが、ギリギリ祖父を視認できる距離で見ていた。猟犬五郎は祖父の指示を受けるまでもなく孫が祖父から離れると護衛のように孫へついて行く。
奥義の下段を忠実に構える祖父の気迫は幼い孫が遠目で見ても物凄く伝わってくる。じりじりとヒグマとの距離を詰め、痺れを切らしたヒグマが祖父へ体当たりを敢行する。祖父の動きは音がしない破裂音である。パンッと鳴ったと錯覚するような鋭く素早い動きでヒグマの体当たりを回避したかと思えば、ヒグマは自ら後ずさりする。祖父の槍の穂先がヒグマの血で赤く染まっていた。
ヒグマの口から鼻先が切り裂かれているようだ。瞬く間に祖父はヒグマから後の先で呼吸を奪った。命のやり取りという極限のストレスの中で呼吸が難しくなるというのは息をする者にとってはかなりの重荷を背負ったことになる。時間が経てば経つほどにその巨体が自らに重くのしかかり、逃げることすら困難にさせる。
体当たりは分が悪いと悟ったヒグマは祖父へ怒涛の勢いで距離を詰め、右前腕での引っ掻きを狙うが右前腕の起こりに合わせ祖父は瞬時に熊の手を下段から貫いた。ヒグマはあまりの激痛からか唸りとも呻きとも取れる声をあげて四足を地へ付く姿勢に戻ろうとするが右前腕は軽く浮かせたままである。
三足となったヒグマは再び必死の体当たりを敢行するが祖父は素早く真横へ体当たりを回避し、三足となり横方向の動きが制限されたヒグマは祖父の動きを視線でしか追えず首へ必死の槍を受けた。祖父は力なく地へ沈むヒグマの様子を見ると距離を取り2分3分と下段の構えを解かずヒグマの様子を伺い続けた。
短いようで長い時間が経つと下段の構えを解き、祖父が手を振って終わりだと合図したことを察した孫は祖父へ駆ける。仕留めたヒグマは体調2mを優に超える大物だ。「すごいすごい!」と興奮する孫をよそに祖父はニヤリと意地悪く笑って孫へ「血抜きすんぞ」と告げた。
ヒグマはメートル100キロ、2m超のヒグマは200kg以上である。これを老人と幼き孫が気合いで持ち上げ木へ吊るして血抜きするのである。祖父との狩猟で最も楽しくないのが大物の血抜きという重労働であり「忘れてた!」と声を出さずともわかる表情を孫は浮かべた。
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父が「来月から毎日山を見て回るぞ」と言うので幼き日の思い出を書きました。
私が1人でヒグマを獲ったのは二十歳を越えた頃、何かあったときのために祖父が後ろで見守りながらだったという、祖父とは違って槍下手なのですが私程度であっても昨今の情勢で何か社会のお役に立てれば幸いかなと。
では、行ってきます。
子供ってさ、いろんなものをいろんないじり方をして、そこから学ぶわけじゃん。
いろんなものを水に投げ込んで、これは浮かぶ、これは沈む、ということを学習する。
高いところからモノを落とすと壊れるのをみて、落下中に加速するということを学習する。
叩いて、切って、落として、水没させて、風や水流に乗せて、そういうことが学習なんだけど、そういうことって、なかなかできない。
現代社会には、叩いちゃいけないモノ、切ってはいけないモノ、落としてはいけないモノ、水没させてはいけないモノが多すぎる。
というより、家の中のほとんどのモノはそうだ。
じゃあ、野外に行けばいいのかといえば、野外だってそうそう自由にできるものは少ない。
歩道橋から道路に石を落としていいはずがないし、川に紙やビニールを投げてはいけない。
草木は抜くな、動物は殺すな、他人のモノは触るな、と言われてしまう。
自然科学よりも、人間社会のルールを先に覚えなければ生きていけない。
禁止事項が多すぎる。
というよりも、許可されたエリアで許可されたモノに対して許可されたことだけしかしちゃいけないようになってる。
例えば、赤信号では止まる、それを覚えないと都会で生きてはいけない。
もちろん、とりあえず理屈は抜きに周りの真似をするということは、現代社会じゃなくたって必要なスキルだ。
たとえ、サバンナで暮らしたって、不用意にライオンに近づかないとか、そういうことは覚えないといけないだろう。
しかし、それにしたって、現代社会のルールの数は子供には多すぎる。
前置きが長くなった。
本当につらかった。
興味が向くまま全部やって、怒ってもぜんぜん効かないんだもん。
人が生きていける程度に草木があり生き物が豊富にいて飲み水もある広い島でたかだか断崖絶壁如きで脱出できないかね
未来少年コナンのような設定があるんだろうか
年金で老人を支える、社会福祉で弱者を支えるなどの制度がない環境で子供が必要な理由はなんだ
日本は賦課方式だから次の子供が必要なだけでその前提がなくなった無人島で子供が必要な理由はないんじゃないか
ちょっと育っても予防接種がないから破傷風あたりで簡単に死にまくる
自分達の種を残したいのであれば残念ながら不可能な状況と人数だ、諦めろ
その島の島民は滅亡確定なのに無駄に死ぬ子供を増やしても可哀想なだけ
欲しい答えに対して設定が悪すぎる気がする
岩手県内陸北部を2つに分けるとすれば、国道4号周辺と国道282号周辺となるだろう。国道282号沿いが八幡平市である。
名前の通り、ここの一番の見どころは八幡平である。八幡平そのものはなだらかな山ではあるのだが、岩手山の裏側からこの山周辺までがだいたい八幡平扱いされている。最近一番注目されているのは鏡沼。雪解け時の、沼の周辺だけ雪が融けて中央部に残っている状態を"ドラゴンアイ"と名付けたのは台湾の人らしい。というわけでここはこれが見られる6月上旬だけ典型的なインバウンド観光地となっている。ただ、Google Mapsでも開いて探してみてもらえばわかるが、この鏡沼、八幡平市にはない。八幡平は岩手と秋田にまたがった山で、この沼は秋田県に属した場所にある。まあこの場所のPRはなぜか岩手が励んでいるのではあるけれどね。夏はこの沼からほど近いところにある八幡沼近辺の方が見どころかもしれない。秋には山全体で紅葉の名所となる。
ドラゴンアイが見られる近辺の季節にはまだこの辺には雪が残っていて、八幡平山頂近辺まで登る道路だけが除雪される。この結果この道路、八幡平アスピーテラインは雪の回廊となる。立山ほどの高さではないが、それでも7mはある雪の回廊はそれだけの見どころになる。
アスピーテラインに沿って登る最中にコンクリートのアパート廃墟と思わしき建物が見えてくるが、これが松尾鉱山宿舎跡。ただこの宿舎の建物に近づくことはちょっと難しい。あくまで道路周辺から見守ることしか出来ない。いちおう松尾鉱山の中和処理施設(事前予約で団体のみ見学可能)に行く途中に1棟だけある建物(旧独身寮)の側に行くことは可能。ただこちらも建物には入れない。これらの廃墟に興味がある向きは、さらにアスピーテラインを降りたところにある松尾鉱山資料館を訪ねるといい。入場無料で資料が充実している。この近辺が八幡平のリゾートととしての入口(別に中心ではない)である。
アスピーテライン側から川(松川)を渡ると、その近辺のエリアが八幡平温泉郷である。個人的にはそのほぼ入口にあるトラウトガーデンが、5分で釣りを楽しめる釣り堀としてお勧めだったのだが随分前に閉鎖して、今はクラフトビールの工場になっている(見学は基本受け付けていない)。八幡平温泉郷はいくつも宿泊施設があるのだが、そのいくつかだけが日帰り入浴解放していて他は宿泊者のみ利用可だったりする。たぶん日帰り入浴施設として作られた森乃湯を利用するのが一番わかりやすい。
この近辺から松川に沿った道を登っていくと松川温泉があり、さらに登っていくと藤七温泉があるのだが、松川温泉から藤七温泉への道路は現在通行止めで通れない。藤七温泉に行くためにはアスピーテラインの頂上付近から降りる必要がある。
八幡平市は漫画家・小田ひで次の出身地であり、282号で八幡平市の入口近辺となる大更周辺は彼の著作で舞台になったこともある。そんな大更にある酒蔵が鷲の尾。いちおうここも見学を受け付けている(要予約・期間限定)。ただ、県外では幻の酒扱いされているけど、岩手県内ではそれほど珍しくなく飲める酒なので、盛岡に泊まった時に飲むほうが馴染みがいいかもしれない。
大更から282号を南下すると道の駅にしねがある(別にここで自殺勧告をしているのではなく、この近辺が旧町名"西根")。この近辺から岩手山方面に向かうと焼け走り溶岩流がある。これは数百年前に岩手山が噴火した時に出来た溶岩流の跡地で、現在も溶岩流だったらしき岩石で覆われていて草木はほとんど生えていない。これは一見の価値がある。
大更から282号を北上すると、平舘を経由して安比高原に近づく。安比高原は春~秋もリゾートとしていくつかの施設が稼働しているけれど、基本的には宿泊者向け(日帰りでも使えるけど)。温泉的には、そこから少し北に行ったところに日帰り入浴できる施設が2つあり、どちらも個人的にはお勧め(ただ、片方は最近閉館したらしい)。さらに北に走っていくとふうせつ花という豆腐店があり、ここの豆腐ドーナツは(豆腐よりは)日持ちもするし、お土産に買うにはちょうどいいと思う。さらに北に行ったあたりが東北自動車道の安代JCTで、これに面した新安比温泉(ここまでの説明の通り、安比高原からはかなり離れている)は岩手唯一の強塩泉で泊まるときも日帰り利用もどちらもお勧めである。
匿名なので叩かれてもいいやと正直に書きました。失礼に感じたり、何様?という部分がいくつもあると思います。
それでも、心のもやもやを少しでも緩和させたく、ここに吐き出させてもらいます。
たった一度の片思いはすぐさま砕け、誰とも付き合うことなく、いいなと思う人もなく、ついに28歳になりました。
男性なら30前半くらいまで、お金持ちならもう少し歳を取っていてもまだモテるでしょう。
しかし、女性はそうじゃない。30歳で足切りされることが多いと思う。
私の初恋は18歳、大学一年のとき。毎朝同じ電車に乗る男性に一目惚れをした。体格が良く、やや細めのタレ目が魅力的だった。
私の恋は始まる前に終わってしまった。
それから10年。もともと人と関わることが苦手で、趣味はインドアで、女子大だったため、男性と話す機会がほとんどなかった。そういう場に行こうとも思わなかった。駅で名刺をもらい、告白されたこともあったが、全て断った(東京ってすごい)。
28歳。そろそろ30歳になってしまうので、誰かと付き合ってみようとマッチングアプリをやってみることにした。向いていないとわかっていながらも、もしかしたら、なんて淡い期待を抱いていた。
正直に申し上げると、28にもなって恋愛経験が皆無なため、誰かと付き合ってみることがゴールだったのかもしれない。恋愛適性が少しでも自分にあるのか確かめたかったのかもしれない。結婚したいかと訊かれたら、正直わからないし、子供が欲しいかなんて考える余地なんてない。いや、出産は想像しただけで泣けるくらい痛そうだし、不自然に飛び出たお腹の女性を見かけるたびに恐ろしくてしょうがなくなる。大変申し訳ございません。
この年齢で、こんな心構えで異性と付き合ってみようだなんて本当に最低だ。
私のことを書いておく。
都内、年収600万円、158cm、45kg、97年生まれの28歳。
仕事は残業が多く、基本1人で業務全てをこなし、たまに詰められることもあるので、うつ病になる人が多い部署だ。
私は仕事が本当にできない。上司に呆れられている。それでも日系企業の会社員なので、どうにか居座っていれば給料がもらえる。心を殺してひたすら手を動かす日々だ。手を動かしていれば、できないなりにも仕事は片付いてくれる。
私は周りの人と比べてこだわりが強い方だと思う。
そのせいか、アプリで会おうと思える男性が現れるのは約2、3か月に1人というペースだ。そもそもド陰キャなので、短スパンで初対面の人に会うのは精神的に辛いものがある。だからこれでいい。
実際に会った男性は、いい人ばかりだった。ネットや噂で聞くような、危険な人はいなかった。クセのある人は少々いたが、普通に話せる。いろんな職業の話が聞けて面白かった。こういうことを書くと、金しか見てないのかよゴミ女!と自分を罵りたくなるが、高収入な人ばかりだった。
(アプリをしてわかったのが、私は地味で頭のいい人が好みらしい。昔からカースト上位男子が大の苦手で、クラスの隅でラノベを読むような男子の方が話しやすかった。運動の得意な陽キャが心底嫌だった)
会った人は男子校出身で女性慣れしてなさそうな弁護士の人、いい意味で性格は普通・高身長で、仕事が忙しく専業主婦になって欲しいと言う人など様々だった。年齢はみんな20代後半〜30代半ばくらい。
私は、なぜだかみんな断ってしまった。向こうから断ってくれるような、相手の条件に合わないようなこともわざと言った(失礼にならない言葉で)。おそらく多くの女性にとって理想的な人ばかりだったのに。
「付き合う人をどうやって決めるんですか?」と愚かな質問を何人かにしたことがある。「ピンと来た人」、「なんとなくフィーリングの合う人」とあいまいな回答をもらい、そのとき私は内心首を傾げていた。なにしろ恋愛偏差値ド底辺なのだから。
どちらかというと地味で、ちょっと変わっていて会話がしやすく、なんとなく居心地のいい人が現れてしまった。が、悲しいことに、たまに言動がモラハラっぽかったり、金銭感覚が合わなさそうだったりと、いくつか迷うところが目についた。良くも悪くも、今まで会った人で、こんな人はいなかった。
もう少し様子見した方がよかったのに、つい空気に流されて気づけば彼の告白をOKをしてしまっていた。私は人の頼みを断るのが苦手だ。
LINEのやり取りをいくつかした。返事に悩んだときはこれでいいのかChatGPTに添削してもらったこともあった。会って間もない人なので、テンションが上手く掴めず返信が面倒になるときもあったが、まあまあ楽しかったのかもしれない。まるで高校生の恋愛だ。28歳なのに。どうしようもない奴。
結局、3回だけデートして交際は解消となった。理由は想像にお任せします。大した理由じゃないです。デートはもちろん健全だし、喧嘩もしていません。
解消した日はどことなく気分が沈んだが、寝て起きたら何事もなかったようにいつも通りになっていた。たまに飛び出すモラハラ予備軍のような発言にぎょっとすることがあったので、これで正解だと安心さえしていた。
会った人数は10未満なので時期尚早かもしれないが、もうアプリはやめようと思う。いい人が多かったのに、誰とも心から付き合いたいと思えなかった。これまでの誰とも付き合わない人生に、不満を覚えたことはなかった。この文を書いている今だってそうだ。
それに、万が一のことがあり結婚し、子供ができてしまうとする。家事育児をしながらフルタイムで働くなんて無理だ。キャパオーバーだ。病気になってしまう。
もしかするとアプリを始める前の私は、好きな人ができて、相手も私の事が大好きで、そしてその人は素晴らしい将来に私を導いてくれる……なんて心のどこかで痛々しいことを夢想していたのかもしれない。そんな将来あるわけがない。絵に描いたようなシンデレラ症候群だ。28にもなって夢の世界にいるだなんて、手の施しようがない。「1人で立派に生きろよ、低脳」と頭の中の冷静な部分が、考えの甘い愚かな私を軽蔑している。
もう私は都会の生活に疲弊しきっている。仕事はできないし、このまま都内で暮らし、年に100万円くらいを貯める生活をずっと続けるのは難しい。投資をしてみたが、3年で150万円ほどのプラスなので早期退職もできない。でも、このままだと心と体が壊れてしまう。
どこか暖かい地方にでも移住しようか考えている。私は田舎出身だから、そっちの方が合っているかもしれない。地元は最寄りのコンビニまで徒歩25分。昔あったお店は廃れ、年々空き家が増えていく場所。外は誰も歩いておらず、ごくごく稀にお年寄りを見かけるくらいの立派な過疎地だ。
きっと私はネットと本さえあればどこでも暮らしていける。都会は何でも手に入るけれど、欲しいものなんて特にない。
去年の初夏、私の故郷である東北の海沿いに、久しぶりに帰省した。庭の草木が思い思いに伸びていて、羨ましかった。陽に透けた葉の、やわらかな黄緑色をいつまでも眺めていたかった。夜は電気なんか必要ないくらいの月明かりで、広い空にはたくさんの星が瞬いていた。最新のプラネタリウムよりずっと、ずっと、きれいだった。上京するまでは気づかなかったけれど、久しぶりに戻ってきたら、あまりにも自然が美しくて、1人だったので泣いてしまった。
東北の冬は厳しい。私にとって冬は、刑期のような暗い季節だった。だから暖かい地方に行って、のんびり暮らすのが自分にとっていいのかもしれない。環境を変えるのはものすごく怖い。初めてすることももちろん怖い。失敗するんじゃないか、この選択は間違っているのではと常に疑い、後悔することも多々あると思う。でも空が狭くて、どこへ行っても混んでいて、身を縮めて人と人との隙間をすり抜けながら進むのはもう疲れた。こんなウサギ小屋に大金を毎月払いたくない。新鮮な空気をめいいっぱい吸いたい。
倫理について考えてた。
そこでふと考えた。
まず、倫理についておさらいすると、客観的な正しさについての定義、およびそれを考える学問ということになる。
催眠洗脳セックスには被害者はいない。妊娠でもさせたら別だけど、そうじゃないなら被害を感じる人間はない。
「いや、被害を感じてなくても彼女は被害者だろう」という反論は思いつく。
でも、「じゃあ君は蟻や草木を踏みと知らない間に踏み潰したりしてないのか?」と言える。
さらにはダニアースやゴキブリホイホイを使ったことはないのか?とも言いたい。逃がせばいいだろ!
しかし、あたなも僕が催眠洗脳セックスをしているときに、それを認知することはできないのだ。
諸賢はどう思う?
時は令和、空前の「自然派グルメ」ブームが最高潮!オーガニック野菜とか、ジビエ料理とか、みんなが「本物の味」と「新しい食材」を求めてた20XX年。そんな中、京都の鴨川沿いに、マジで浮世離れしたおじいちゃん…ではないんだけど、なんかこう、優しくてちょっと陰のある、風流なオーラをまとったお方。「え?お坊さん?詩人?」ってみんなが遠巻きにしながらも、その圧倒的な存在感に目を奪われてたらしい。
え?マジで?あの『方丈記』の著者で、世の無常を悟って庵にこもった、鴨長明様!?ゲキヤバ!って文学好きのギャルたちがスマホで速攻ググり始めた瞬間、その超絶クールなお方、もとい長明様は、あたりをキョロキョロしながら呟いた。「ここは…都ではない、か…?ずいぶんと賑やかで、しかし見慣れぬものばかりですな。」って、マジで鎌倉時代からタイムスリップしてきたみたい!「マジありえん!」ってみんな心の中でツッコミつつも、その研ぎ澄まされた眼差しに、何か深い知性を感じてたらしい。
そんな長明様に、恐る恐る話しかけたのは、京都のカフェでバイトしてる、古都に詳しいギャル、アオイ。「あの…もしよかったら、何かお困りですか?」「…うむ、少々。この『スマートフォン』とやら、いかような作法にて動かすものか…」って、意外と丁寧な言葉遣い!アオイ、その真面目そうな雰囲気にちょっとキュンとしつつ、「アタシ、アオイ!京都のことなら、何でも聞いて!長明様、マジで渋いから、アタシが案内してあげてもいいよ!」って、キラキラ笑顔で声をかけたんだって。
次の日、アオイに連れられて、長明様は初めて現代の京都を体験!清水寺とか、最新の商業施設とか、マジで全てが新鮮!でもね、長明様が一番興味を示したのは、山間部の道端で、草木に絡みついてたもの。「…この、土のような小さな玉は、何というものでございますか?ずいぶんと素朴な形をしておりますな。」って、マジ真剣な眼差し。アオイ、まさかの渋すぎるチョイスに驚きつつ、「あ~、これ、むかごですよ!山の芋の赤ちゃんみたいなやつで、美味しいんです!」って教えてあげたんだって。
長明様、一口食べてみたら…「な、なんなのだ、この奥深き味わいは!?噛みしめるたびに広がる、ほのかな甘みと、土の香り…まるで、わが人生の無常、そして庵にこもった清貧のようである!これこそ、余が求める、真の糧よ!」って、マジで『方丈記』っぽい表現で感動してたらしいよ。
そこから、長明様のむかご愛がマジで爆発!毎日色んな山や畑を巡って、むかごを使った料理やスイーツを食べまくってたんだって。「むかごの種類、採れる場所、調理法…研究しがいがありすぎる!」って、もはやむかごマイスターレベル!
でね、ある日、長明様、マジで天下取りの野望を語り出したの。「我は、このむかごをもって、再び天下を…とは言わぬが、この甘味の世界において、人々の心に深く響き、真の『安らぎ』をもたらすパフェを創造してみせようぞ!これこそ、余が目指す、『方丈パフェ』よ!」って!
え?むかごパフェで天下統一?しかも「方丈」とか!マジで壮大すぎる!でも、長明様の「世の無常を悟った知恵」があれば、きっと何か成し遂げるに違いない!ってアオイも思ったらしいんだけど、長明様の目はマジだったんだって。世を捨てた文人の哲学が、令和のむかごパフェに新たな戦場を見出したのかもね!
そっから、長明様のむかごパフェ天下統一計画がスタート!まずは、SNSで「#鴨長明の方丈パフェ道」ってハッシュタグ作って、毎日自作の超絶ヘルシーだけど美しいパフェの画像をアップし始めたんだって。その斬新すぎる見た目と、長明様の哲学的なコメントが、一部の健康志向ギャルや、グルメな人たちの中でじわじわバズり始めた!
「むかごパフェって、意外とアリかも…?」
SNSは長明様のむかご愛でじわじわ盛り上がり!しかも、長明様、ただ作るだけじゃなくて、全国各地の珍しいむかごや、むかごに合う最高の和の食材、そして日本の伝統的な甘味料を探し求めたり、甘さと塩味、そしてむかごの旨味の「調和」を追求したり、マジでストイック!「天下のむかごパフェ」を目指して、日々試行錯誤を繰り返してたんだって!
で、ついに!長明様は、京都のど真ん中に、自分のプロデュースするむかごパフェ専門店「HOUJOU PARFAIT - 無常 - 」をオープンさせちゃったの!お店の内装も、方丈の庵をイメージした、質素ながらも洗練されたデザインで、長明様の哲学を表現。店員さんも、僧侶風のモダンなユニフォーム着てて、マジでクール!
オープン初日から、健康志向のギャルや、グルメインフルエンサー、そして日本の伝統文化に興味を持つ人々まで、行列を作って押し寄せた!「SNSで話題のむかごパフェ、マジで挑戦してみたい!」「長明様って、なんかカリスマ!」って、新しいファンが続々!でね、一口食べたら、みんなその奥深い味わいにハマっちゃうらしい。「うわっ、最初はビビったけど、甘いのにむかごのほのかな土の香りが最高!」「食べた後、なんか心が安らぐ気がする!」「長明様、マジで神!」って、賛否両論ありつつも、リピーターが続出!口コミが広まりまくって、HOUJOU PARFAIT - 無常 - はあっという間に人気店になっちゃったの!
しかもね、長明様、ただお店やってるだけじゃないんだよ!定期的に店内で、自らパフェの「無常」について熱弁したり、むかごの歴史を語る「無常パフェ会」を開催したり、マジで独自のスタイルでエンタメ業界を盛り上げようと奮闘してるんだって!
テレビや雑誌の取材も殺到!「令和の鴨長明」「むかごパフェの文人」とか呼ばれて、マジで時の人!長明様の研ぎ澄まされた感性と、むかごパフェの斬新な組み合わせが、新たなブームを巻き起こしたんだね!
でさ、最終的にどうなったかって?もちろん!長明様のむかごパフェは、全国のスイーツ好きに愛される定番メニューになったんだって!お取り寄せスイーツとしても人気が出て、全国のコンビニやスーパーでも「長明印の方丈パフェ」が発売されるほどに!まさに、むかごパフェでスイーツ界に新たな旋風を巻き起こし、天下を獲った!マジですごすぎ!
あの時、京都の街に静かに佇んでいた文人が、令和の時代にむかごパフェで新たな道を切り開くなんて、マジで誰も想像してなかったよね!まさに、方丈の庵がパフェの城に変わり、新たな伝説を創り出した瞬間!
アオイも、「まさか長明様が本当にむかごパフェでこんなに有名になるなんて!アタシ、マジで感動して泣いた!」って、号泣してたらしいよ。
長明様は今も、さらなるむかごパフェの可能性を追求して、日本全国を旅しているらしい。「わが方丈の道に、終わりはございません!」って、マジでストイック!
こうして、鴨長明は、令和の日本で、むかごパフェという新たな武器を手に入れ、見事、スイーツ界で唯一無二の地位を築いた!天下統一…ではないかもしれないけど、その強烈な個性と哲学は、多くの人々の心に深く刻まれたはず!めでたしめでたし…ってことで、マジでゾクゾクする衝撃的な物語、完全燃焼したわ!むかごパフェ、マジ卍!
ジャングリア沖縄。オープンして1週間経たず、速攻で有給とって行ってきたわけ。 CM見て、まあ期待してたよ。やんばるのジャングルで大冒険!みたいな。
でもさ、なんかこれじゃない感すごくね?
目玉の恐竜サファリ、作り物感すごくね? USJのジュラパ知ってる世代からすると、正直ちゃっちい。もっとこう、リアルな恐怖をくれよ!って感じ。草木が生い茂ってるのはいいけど、肝心の恐竜がこれじゃ萎える。
なんでトゥーム・レイダーにしなかったんだよ!
謎の遺跡を探検して、罠をかいくぐって、財宝を見つける!みたいな。そっちのほうが絶対面白いだろ!沖縄の自然にも合うし。アンジーみたいな美女が駆け巡る方が、恐竜より100倍テンション上がるわ。
もうアンバサダーはキンタロー。でいいよ。あいつなら面白おかしくやってくれるだろ。
「トゥーム・レイダー!」
って叫んでほしい。
宮崎駿という人は、何と言うか、どうにもこうにも現場主義で、手ぇを動かさない奴には用はねえ、というかそもそも会話すら成立しないんじゃねえの、と思うような、ある意味では徹底的に頑固な御仁である。
曰く、「見る前に描くな」「感じる前に考えるな」「触れずに知った気になるな」と。なんだそりゃ、こちとらAI全盛、ワンタップで全情報網が脳味噌に刺さる時代だぞ、と言いたくなるのをグッと飲み込んで、しかしまあ、宮崎氏の言葉というのは、一度耳に入ると腹の底でごろごろ鳴って、なんだかんだ消化せざるを得ない。やっかいだ。
彼はいう。「お前は消費者で終わるのか? それとも何かを生む者になるのか?」と。問いかけるようなフリして、もはや選択肢など無い。やれ。手を動かせ。まず、触れろ。まず、歩け。まず、汗をかけ。そう言って背中をどんと押してくる。逃げ場は無い。圧だ。
褒める人はたくさんいる。「本物だ」「魂の人だ」「まなざしが違う」「風の質量が違う」とか、いろいろあるけど、まあ、そうなんだろう。アニメの中の草木が揺れる、その揺れに人生が詰まってるっていうんだから、それはもう宗教だ。
ただね、それが万人にとっての救いかと言えば、どうにも違う。若いもんにプレッシャー与えすぎじゃないか? 精神論だけで乗り切れるほど世の中甘くないよ。時代はもう、ペンタブとクラウドとカフェラテだよ。っていうツッコミも、まあまあ正しい。
けれど、どんなに時代が進んでも、「自分の目で見た景色」「自分の指で触れた土」「自分の耳で聞いた風の音」――そういうものに根ざした表現というのは、どこかで人の心にズシンと来る。たぶん、それだけは変わらん。
だから結局、言いたいことは一つ。
立場というものがあるし、失うものがでかいとなれば自重するのが自然なこと。
それはそれで良いことなんだとは思う。
しかし。
メリハリに欠けていた。
ワクワクするようなことがない。
毎日、同じような業務をこなし、独身四十過ぎともなれば休日もルーティーン化してしまう。
刺激に飢えていたのかもしれない。
たいていのことは体験してきたつもりだった。
そのときふいに「あ、野ぐそしたことないな」と気がついたのだ。
ほんの冗談みたいな思い付きだったものの、翌日日曜にやることもなく、昼間から怠惰にビールを飲むよりは有意義なことなのではないか?と酔った頭でそう考えた。
何処でする?
不思議とそこでの迷いはなく、自分のイメージでは何故か野ぐそ=山と決まっていた。
ではどの山にするか?
スタイルはどうする?
ジーパンは駄目だ、脱ぎにくい等と熟考を重ね、翌日の昼過ぎには家を出た。
車で一時間ほどの距離にある登山用の山で、登山客も程々。無人の山では駄目だ。それでは野ぐそであって野ぐそでない。これは理屈でない。しかし重要な直感であった。
腹のコンディションは悪くない。事前に牛丼の大盛りを平らげ、昨日から排便はない。
幸い当日は小春日和のような陽気な暖かさのある春の日で、私は軽装で山を登り始めた。
じんわりと汗をかき、首にかけたタオルで顔と汗を拭いながら進み、登山客はたまにちらほらとすれ違う程度であった。
ちょうど30分ほど登ったところだろうか。
……きた!!
今度は運動による発汗とは別の汗がじんわりと全身から滲み、私は茂みを探すように付近へ目をやった。
道を逸れ、少し進めば適度な茂みは周りに溢れていた。近くに登山者が居ないことを確認すると私はそっと茂みに入り素早くしゃがみこんだ。
濃い草木のにおいに囲まれたまま和式便所方式に足を広げ、踏ん張った。
うん○はゆるゆると私の肛門から溢れ出る。驚くほどすんなりと排便を終えたものの、私は未だドキドキしていた。
私はそれ以来、すっかり野ぐそに嵌まってしまった。気づけば毎週末、野ぐそに出掛けるようになり、適度なスリルとそれに伴う快い解放感…!
実際、野ぐそほど犯罪ではないのにスリルを味わえる行為はないのではないか?と思っている。
私は今でも、週末が近くなると野ぐそのことばかりを考えている。
幼少のころ、ふだんの生活は豪雪地帯かつ小学校でも分校があるような山奥で、年に数回だけ住居の前を路面電車が通るような都会で暮らしていた
村だと目の前の川に保護してなくても蛍が飛び、ローカル線の無人駅の夜間照明には豪雪のようにカゲロウが降り積もり、田植えから稲刈りの間には夜に寝苦しくて窓を開ければ蚊だけでなく稲の葉に居る害虫が枕元まで飛び込んで来て、秋に布団や洗濯物を干せばカメムシのオマケが付属してくるような田舎、雨が降れば樹木や草木の生い茂る葉っぱだけでなく山や野の土の匂いまで漂って来てた
それが街暮らしだと虫がまずほとんど居ないし入り込んでも来ない、微かに日陰の鉄筋コンクリートのような湿った冷たさの香りと側溝のドブのような臭いと下水やそれを消毒する薬品の臭気
…それから数十年たって、今ではそんな生まれ故郷から数百キロ離れた町で半生をとっくに越えてしまったけど、いま住んでいるここもだいぶそんな街の臭いに近づいてきた気がする、なにより虫が夜にほとんど飛ばなくなった…
94年公開の相米慎二監督の映画『夏の庭 The Friends』4Kリマスター版が劇場公開されている。二十年以上気になっていた映画だったので、観に行った。
私は四姉妹の一人として育った。
二十年前に亡くなった父は、男の子が欲しかったというような言葉を娘の前で一度も発したことはないが、たとえば趣味の自転車を走らせて帰ってきた夕方に「河原で休憩していたら少年に格好いい自転車ですねと話しかけられた」と嬉しそうに話したり、深夜にたまたま付けたテレビでやっていた兄弟デュオの平川地一丁目のドキュメンタリーを一人で最後まで見ていたりしたことを覚えている。
あるとき新聞のテレビ欄を見ながら、今夜この映画を見ようと思うと母に話しかけていたのが『夏の庭』だった。普段映画を観る習慣のあまり無かった父だが、この映画の原作を読んだことのあった私は、新聞の紹介文を見て興味を惹かれたのだろうとすぐ分かった。『夏の庭』は小学生の男の子三人と、近所に独りで暮らすお爺さんとのひと夏の交流の物語だ。
その日父が実際にこの映画を観たのかは分からない。少なくとも私は一緒に観ていない。父が別の部屋で一人で観たのかもしれないが、観ていないかもしれない。この映画を見ようと思う、という発言だけが頭の片隅にずっと残っていて、それ以外のことは覚えていない。
二十年以上、その記憶がなぜか消えず、かといって『夏の庭』を観るわけでもなく過ごし続けた。
いい映画だった。少年たちの素朴な存在感がいとおしかった。夏の暑さや庭の草木の匂いが伝わってきて心地よかった。
もし観ていたのだとしたら、たぶん父も好きだったと思う。
貴重な「ゲームを作るには」のインタビューをお前なんかが担当してるんじゃねーよ!
なんでお前なんだよ!
俺にはとても無理だけどさあ、ジスロマック如きにだって無理だろ!
絶対無理だろ!
いつも画像ペタペタ貼りまくって「崩壊スターレイルめっちゃプレイしてるし課金してますピースピース」みたいな記事しか書いてないようなガキンチョだぞ?
こんなやつに何が分かるんだよ!
スマブラは本当に凄いんだよ!
カービィは凄いんだよ!
凄いんだよ!
それの何割が分かるんだよ!
分かってる奴にやらせろよ!
誰が一番分かってるのかなんて俺には分からないけど、俺達やジスロマックなんて相手にもならないぐらい分かってる人にやらせろよ!
自分がしょーもないと思ってた俳優とアイドルが結婚したときの気持ちってこんな感じなのか?
マジで許せねえよ……
声優オタクはこれに「草木にでも生まれたかったか」と書き込んだらしいな?
その程度で我慢できるなんてしょーもねー情熱だな声オタはぁ!!!!!
草葉の陰そのものになろうが「はぁ?!なんでお前如きがあぁ!??」ってなるだろ!!!!
ならねーのか????
その程度か????
しょーもな!
マジでしょーもな!
しょうもねえよ!
しょうがなくはねえよ!
なんとかなれ!!!!!