はてなキーワード: 午後一とは
あの日、ぼくはいけないことをしてしまいました。小学校五年生頃です、おるすばんをしていたぼくのお家に誰かがやって来ました。
「こんにちは、だれですか?」と聞いたら
しゃがれた声で「あなたを殺す者です」と
誰かは言いました。
ぼくはいたずらに違いないと思い
「ばーか、殺せるならやってみろー」と
扉に向かってあっかんべーしました。
大きなノコギリの刃が伸びました。
幸い、距離は置いていたので、ぼくはけがする事は無かったですが、これはまずいなと
ぼくは困りだしてしまいました。
でも、困ってばかりいればただのいいこだったのでしょう、人はそうもいられません。
そうだ、この人をなんとかすれば色んな人からちやほやされるのでは?ぼくはなぜだそう
思い、扉から更にきょりを置いて、にやぁと
笑いました。
まずはこう言ってみました
「そんなことしたらおかあさんが悲しんじゃうよ」
テレビで見たのです、悪い人はこれで悪いことをやめることがあるって。
ところが誰かさんは
「わたくしの両親はここ数十年、顔を合わせておりません。生きているかどうかも知ろうとしない私がおかあさんなどでこの殺意を消せるはずがありません」と言うのです
「そうですか…」ぼくは心臓の動くのが少し
早くなるのを感じました
どうやら失敗みたいです
ならばこう
「ぼくを殺してけいさつにたいほされたら
だから最後にあなたを殺しておきたいのです。お願い…だからここをあけて」
だから以降は泣き出しそうな言い方でした。
そう言えば読んでいる人の中には「けいさつを呼んだらいいのでは?」と思った人もいるでしょう、だけどぼくのうちは数年前に固定電話をやめてしまったし、携帯電話はお母さんとお父さんしか持っていないのです。
それでもういいや、逃げちゃえと思ったぼくは勝手口から外に出ようとしました。しかし、勝手口のドアノブを回そうとしたその
瞬間
もっとめんどくさい事になったなぁ…ちぇっ
ぼくはいらいらして、つい台所のゴミ箱をけっとばしてしまいました。
もう一度、ぼくは扉に戻り気になっていた
事を質問してみました
答えが返ってくるまで数分…願いむなしく
転校した田中湊月を覚えていませんか?」
誰かはそう言いました
田中湊月…確かに小学校一年生の時にお別れをした中でその名前の女の子がいました。だけど、聞こえてくる声は大人、しかも男の人です。これは嘘だ…はっきりぼくはわかりました。でもそうだったらおかしな事があります、扉の向こうにいる誰かさんは湊月の名前を知っているのです。
「湊月…?そうならさくらの公園に埋めた動物がわかるはずだよ。答えてくれ」
「ちぇ…っ」
とりあえず、ぼくはコップひとつの水を飲み、心を冷やしました。
「それで?もしぼくを殺せなかったらどうするんだい?」ひどくぶっきらぼうにぼくは扉の向こうに話しかけました
「その時は隣の家の人を代わりに殺します。
それが出来なかったらその隣でもいい」
「めちゃくちゃだよ、あなた」
重なってぼくを苦しめている様でした
乱れた呼吸のまま、今度は二階に行ってみる事にしました。二階からなら誰かの姿が分かるかもしれない、そう思ったからです。
ところが、二階の窓からは屋根と道路しか見えません。かろうじて庭が見えましたが、そこに誰かの姿はありませんでした。
こうなったらぼくも恥ずかしいとかそんな
扉のすぐ近くまで来たぼくは大きな声で
「いやだぁ…こわいのやぁだ…あっちいってぇ…」と言いながら、めそめそ泣いてるふりをしてみたのです。ところが聞こえて来たのは気持ちがいい程の大笑い
「はるったら…相変らず演技へたっぴだなぁ!
誰かは言いました。それを聞くと、忘れていたはずなのにみんなの前で着ている服を全部盗まれたみたいに身体が熱くて熱くて逃げ出したくなってしまいました。
そして、本当にぼくは泣いてしまいました。
家の中いっぱいに響くぐらいに大きな声で
そうしたら、とびらの向こうから小さく
「ごめん…言いすぎた」と聞こえてきました
「じゃあ、殺すなんて言わないでよ!」ぼくは
叫びました
「それは変わらない、私はあなたを殺さなければいけないんだよ」やはり誰かはそう言いした。ぼくはもうその場から一歩も動けなくなってしまいました。
しばらくして誰かがこう言いました
「かけ?」ぼくはなんとか立ち上がりました
それはまた変わった"かけ"でした。誰かが
勝手口かとびらの前に先に立つ、ぼくが開けた時、目が合えば負け、合わなければかち。
それだけの話
まず先に誰かがどちからの扉に立つために
五分、ぼくが待ちました。時計の針がかちり
となったらぼくは考えました。勝手口かとびらかどちらか
水をたくさんのみました、はいてしまいました。冷蔵庫のけーきを手づかみでたべました。こんな時でもケーキはあまくておいしかったです。そうして、ぼくは勝手口に向かいました、が、やはり扉に戻りました。
そう思ったからです
耳をドアにくっつけてみました。なんにも
聞こえません
「おーいおーい」と呼んでみましたが、返事がありません。水道が涙をひとつこぼしました。そう、もっと大切にしてあげたかった
なにもかも
ぼくはドアをあけました、あけてしまったのです
そこには学校に向かう道と前のおうちのへいだけがありました。きょろきょろして見ましたが、誰も見つかりません
ひざをついて、その場に座った時、プラークまみれの口の中いっぱいに空気がおしこまれるのを感じました。ぼくはたしかに生きていた…らしいのです
「どうしたの?人でも殺してきた様な顔をして」おとなりのおばさんがぼくにそういいました。
ぼくは無理やり笑って
「しあわせって…きづかないものだね」と
言いました。
三四郎はあきれ返ったような笑い方をして、四人のあとを追いかけた。四人は細い横町を三分の二ほど広い通りの方へ遠ざかったところである。この一団の影を高い空気の下に認めた時、三四郎は自分の今の生活が熊本当時のそれよりも、ずっと意味の深いものになりつつあると感じた。かつて考えた三個の世界のうちで、第二第三の世界はまさにこの一団の影で代表されている。影の半分は薄黒い。半分は花野のごとく明らかである。そうして三四郎の頭のなかではこの両方が渾然として調和されている。のみならず、自分もいつのまにか、しぜんとこの経緯のなかに織りこまれている。ただそのうちのどこかにおちつかないところがある。それが不安である。歩きながら考えると、いまさき庭のうちで、野々宮と美禰子が話していた談柄が近因である。三四郎はこの不安の念を駆るために、二人の談柄をふたたびほじくり出してみたい気がした。
四人はすでに曲がり角へ来た。四人とも足をとめて、振り返った。美禰子は額に手をかざしている。
三四郎は一分かからぬうちに追いついた。追いついてもだれもなんとも言わない。ただ歩きだしただけである。しばらくすると、美禰子が、
「野々宮さんは、理学者だから、なおそんな事をおっしゃるんでしょう」と言いだした。話の続きらしい。
「なに理学をやらなくっても同じ事です。高く飛ぼうというには、飛べるだけの装置を考えたうえでなければできないにきまっている。頭のほうがさきに要るに違いないじゃありませんか」
「そんなに高く飛びたくない人は、それで我慢するかもしれません」
「そうすると安全で地面の上に立っているのがいちばんいい事になりますね。なんだかつまらないようだ」
「女には詩人が多いですね」と笑いながら言った。すると広田先生が、
「男子の弊はかえって純粋の詩人になりきれないところにあるだろう」と妙な挨拶をした。野々宮さんはそれで黙った。よし子と美禰子は何かお互いの話を始める。三四郎はようやく質問の機会を得た。
「今のは何のお話なんですか」
「なに空中飛行機の事です」と野々宮さんが無造作に言った。三四郎は落語のおちを聞くような気がした。
それからはべつだんの会話も出なかった。また長い会話ができかねるほど、人がぞろぞろ歩く所へ来た。大観音の前に乞食がいる。額を地にすりつけて、大きな声をのべつに出して、哀願をたくましゅうしている。時々顔を上げると、額のところだけが砂で白くなっている。だれも顧みるものがない。五人も平気で行き過ぎた。五、六間も来た時に、広田先生が急に振り向いて三四郎に聞いた。
「いいえ」と三四郎があとを見ると、例の乞食は、白い額の下で両手を合わせて、相変らず大きな声を出している。
「やる気にならないわね」とよし子がすぐに言った。
「なぜ」とよし子の兄は妹を見た。たしなめるほどに強い言葉でもなかった。野々宮の顔つきはむしろ冷静である。
「ああしじゅうせっついていちゃ、せっつきばえがしないからだめですよ」と美禰子が評した。
「いえ場所が悪いからだ」と今度は広田先生が言った。「あまり人通りが多すぎるからいけない。山の上の寂しい所で、ああいう男に会ったら、だれでもやる気になるんだよ」
「その代り一日待っていても、だれも通らないかもしれない」と野々宮はくすくす笑い出した。
三四郎は四人の乞食に対する批評を聞いて、自分が今日まで養成した徳義上の観念を幾分か傷つけられるような気がした。けれども自分が乞食の前を通る時、一銭も投げてやる了見が起こらなかったのみならず、実をいえば、むしろ不愉快な感じが募った事実を反省してみると、自分よりもこれら四人のほうがかえって己に誠であると思いついた。また彼らは己に誠でありうるほどな広い天地の下に呼吸する都会人種であるということを悟った。
行くに従って人が多くなる。しばらくすると一人の迷子に出会った。七つばかりの女の子である。泣きながら、人の袖の下を右へ行ったり、左へ行ったりうろうろしている。おばあさん、おばあさんとむやみに言う。これには往来の人もみんな心を動かしているようにみえる。立ちどまる者もある。かあいそうだという者もある。しかしだれも手をつけない。子供はすべての人の注意と同情をひきつつ、しきりに泣きさけんでおばあさんを捜している。不可思議の現象である。
「これも場所が悪いせいじゃないか」と野々宮君が子供の影を見送りながら言った。
「いまに巡査が始末をつけるにきまっているから、みんな責任をのがれるんだね」と広田先生が説明した。
「わたしのそばまで来れば交番まで送ってやるわ」とよし子が言う。
「じゃ、追っかけて行って、連れて行くがいい」と兄が注意した。
「追っかけるのはいや」
「なぜ」
「なぜって――こんなにおおぜいの人がいるんですもの。私にかぎったことはないわ」
「やっぱり場所が悪いんだ」と野々宮が言う。男は二人で笑った。団子坂の上まで来ると、交番の前へ人が黒山のようにたかっている。迷子はとうとう巡査の手に渡ったのである。
「もう安心大丈夫です」と美禰子が、よし子を顧みて言った。よし子は「まあよかった」という。
坂の上から見ると、坂は曲がっている。刀の切っ先のようである。幅はむろん狭い。右側の二階建が左側の高い小屋の前を半分さえぎっている。そのうしろにはまた高い幟が何本となく立ててある。人は急に谷底へ落ち込むように思われる。その落ち込むものが、はい上がるものと入り乱れて、道いっぱいにふさがっているから、谷の底にあたる所は幅をつくして異様に動く。見ていると目が疲れるほど不規則にうごめいている。広田先生はこの坂の上に立って、
「これはたいへんだ」と、さも帰りたそうである。四人はあとから先生を押すようにして、谷へはいった。その谷が途中からだらだらと向こうへ回り込む所に、右にも左にも、大きな葭簀掛けの小屋を、狭い両側から高く構えたので、空さえ存外窮屈にみえる。往来は暗くなるまで込み合っている。そのなかで木戸番ができるだけ大きな声を出す。「人間から出る声じゃない。菊人形から出る声だ」と広田先生が評した。それほど彼らの声は尋常を離れている。
一行は左の小屋へはいった。曾我の討入がある。五郎も十郎も頼朝もみな平等に菊の着物を着ている。ただし顔や手足はことごとく木彫りである。その次は雪が降っている。若い女が癪を起こしている。これも人形の心に、菊をいちめんにはわせて、花と葉が平に隙間なく衣装の恰好となるように作ったものである。
よし子は余念なくながめている。広田先生と野々宮はしきりに話を始めた。菊の培養法が違うとかなんとかいうところで、三四郎は、ほかの見物に隔てられて、一間ばかり離れた。美禰子はもう三四郎より先にいる。見物は、がいして町家の者である。教育のありそうな者はきわめて少ない。美禰子はその間に立って振り返った。首を延ばして、野々宮のいる方を見た。野々宮は右の手を竹の手欄から出して、菊の根をさしながら、何か熱心に説明している。美禰子はまた向こうをむいた。見物に押されて、さっさと出口の方へ行く。三四郎は群集を押し分けながら、三人を棄てて、美禰子のあとを追って行った。
ようやくのことで、美禰子のそばまで来て、
「里見さん」と呼んだ時に、美禰子は青竹の手欄に手を突いて、心持ち首をもどして、三四郎を見た。なんとも言わない。手欄のなかは養老の滝である。丸い顔の、腰に斧をさした男が、瓢箪を持って、滝壺のそばにかがんでいる。三四郎が美禰子の顔を見た時には、青竹のなかに何があるかほとんど気がつかなかった。
「どうかしましたか」と思わず言った。美禰子はまだなんとも答えない。黒い目をさもものうそうに三四郎の額の上にすえた。その時三四郎は美禰子の二重瞼に不可思議なある意味を認めた。その意味のうちには、霊の疲れがある。肉のゆるみがある。苦痛に近き訴えがある。三四郎は、美禰子の答を予期しつつある今の場合を忘れて、この眸とこの瞼の間にすべてを遺却した。すると、美禰子は言った。
「もう出ましょう」
眸と瞼の距離が次第に近づくようにみえた。近づくに従って三四郎の心には女のために出なければすまない気がきざしてきた。それが頂点に達したころ、女は首を投げるように向こうをむいた。手を青竹の手欄から離して、出口の方へ歩いて行く。三四郎はすぐあとからついて出た。
二人が表で並んだ時、美禰子はうつむいて右の手を額に当てた。周囲は人が渦を巻いている。三四郎は女の耳へ口を寄せた。
女は人込みの中を谷中の方へ歩きだした。三四郎もむろんいっしょに歩きだした。半町ばかり来た時、女は人の中で留まった。
「ここはどこでしょう」
「こっちへ行くと谷中の天王寺の方へ出てしまいます。帰り道とはまるで反対です」
「そう。私心持ちが悪くって……」
三四郎は往来のまん中で助けなき苦痛を感じた。立って考えていた。
「どこか静かな所はないでしょうか」と女が聞いた。
谷中と千駄木が谷で出会うと、いちばん低い所に小川が流れている。この小川を沿うて、町を左へ切れるとすぐ野に出る。川はまっすぐに北へ通っている。三四郎は東京へ来てから何べんもこの小川の向こう側を歩いて、何べんこっち側を歩いたかよく覚えている。美禰子の立っている所は、この小川が、ちょうど谷中の町を横切って根津へ抜ける石橋のそばである。
「もう一町ばかり歩けますか」と美禰子に聞いてみた。
「歩きます」
二人はすぐ石橋を渡って、左へ折れた。人の家の路地のような所を十間ほど行き尽して、門の手前から板橋をこちら側へ渡り返して、しばらく川の縁を上ると、もう人は通らない。広い野である。
三四郎はこの静かな秋のなかへ出たら、急にしゃべり出した。
「どうです、ぐあいは。頭痛でもしますか。あんまり人がおおぜい、いたせいでしょう。あの人形を見ている連中のうちにはずいぶん下等なのがいたようだから――なにか失礼でもしましたか」
女は黙っている。やがて川の流れから目を上げて、三四郎を見た。二重瞼にはっきりと張りがあった。三四郎はその目つきでなかば安心した。
「ありがとう。だいぶよくなりました」と言う。
「休みましょうか」
「ええ」
「もう少し歩けますか」
「ええ」
「歩ければ、もう少しお歩きなさい。ここはきたない。あすこまで行くと、ちょうど休むにいい場所があるから」
「ええ」
一丁ばかり来た。また橋がある。一尺に足らない古板を造作なく渡した上を、三四郎は大またに歩いた。女もつづいて通った。待ち合わせた三四郎の目には、女の足が常の大地を踏むと同じように軽くみえた。この女はすなおな足をまっすぐに前へ運ぶ。わざと女らしく甘えた歩き方をしない。したがってむやみにこっちから手を貸すわけにはいかない。
向こうに藁屋根がある。屋根の下が一面に赤い。近寄って見ると、唐辛子を干したのであった。女はこの赤いものが、唐辛子であると見分けのつくところまで来て留まった。
「美しいこと」と言いながら、草の上に腰をおろした。草は小川の縁にわずかな幅をはえているのみである。それすら夏の半ばのように青くはない。美禰子は派手な着物のよごれるのをまるで苦にしていない。
「もう少し歩けませんか」と三四郎は立ちながら、促すように言ってみた。
「ありがとう。これでたくさん」
「やっぱり心持ちが悪いですか」
三四郎もとうとうきたない草の上にすわった。美禰子と三四郎の間は四尺ばかり離れている。二人の足の下には小さな川が流れている。秋になって水が落ちたから浅い。角の出た石の上に鶺鴒が一羽とまったくらいである。三四郎は水の中をながめていた。水が次第に濁ってくる。見ると川上で百姓が大根を洗っていた。美禰子の視線は遠くの向こうにある。向こうは広い畑で、畑の先が森で森の上が空になる。空の色がだんだん変ってくる。
ただ単調に澄んでいたもののうちに、色が幾通りもできてきた。透き通る藍の地が消えるように次第に薄くなる。その上に白い雲が鈍く重なりかかる。重なったものが溶けて流れ出す。どこで地が尽きて、どこで雲が始まるかわからないほどにものうい上を、心持ち黄な色がふうと一面にかかっている。
「空の色が濁りました」と美禰子が言った。
同人女界隈はまぁドロドロとしてるので頭おかしい女がサークルに突撃してくることもあるのね
そういったのを除けるために男を置いておくことがあるんだけど、
あるサークル主がイケメン彼氏(一般的にはの話。絶世のイケメンとかではない)を連れてきたばっかりに
彼氏と絡む客が多発。彼氏もまぁ優しいし彼女のことで大事にしたくないからって来るもの拒まずで接してたら
サークル主が鍵垢で爆発してた。
その時期にジャンルは離れたから見てはないけど、勝手知ったるフツメンのオタク友達を連れてきてたらしい。
サークルにすっごいイケメンがいて「あれ誰?」「誰かの彼氏?」とかなってたんだけど、実はサークル主だったパターン。
普段は男性向けで描いてるらしく、内容的にはBLというよりブロマンスくらいの軽さ。
だいたいが顔を2度見して近づいて本を買っちゃうから珍しく午後一で完売、
朝一の会議に参加しようと在宅勤務用ラップトップPCを開くと、新卒一年目の後輩から会議用チャットにメッセージが届いた。
「じゃあ後輩さんは欠席らしいので、揃いましたかね」
「体調悪くなるほど会議に出たくない私情、よっぽど皆さんと話したくなかったんですね。心配です」
上司が堪えきれず笑った。ミュートになっている他の参加者もきっと笑っただろう。別のお調子者の後輩が続けた。
「いや-、自分も午後一の打ち合わせ、私情で欠席したくなってきたなぁ」
「いや、それ自分との打ち合わせでしょ。そんなに嫌われてたの?」
昼休み、朝の出来事を趣味の仲間が集まったSlackに書き込むとその中の大学教員が反応した。
と言ってリンクを示す。
『この時期は特に就活イベントやら面接やらの″私情″で休む奴だらけよ』
『変やで、とは逐一伝えてるけど客員やってる関東の大学生も使ってるから特定の地域に限らず相当広まってると思う』
大学教員が示した記事を読むと、20代と30代を境に『私情』が『個人的な感情』に加えて『個人的な事情』の意味も持つと考える割合が大きく増えている。
『若者言葉って事なんですかね。こう言う事態に直面するとおっさんになったのを実感しますね』
私事や私用という便利な言葉があるのにわざわざ紛らわしい表現を使う理由が理解できない。しかし言葉の意味合いは変わっていくし若者言葉として浸透し始めたなら抗っても仕方がないという気持ちもある。そんなモヤモヤとした気持ちを抱えたまま昼休みが終わった。
午後一の会議の雑談で、昼休みのモヤモヤを少しでも解消すべく話題をふる。
「朝、私情で欠席ってメッセージを茶化したけどこれって若者言葉なんですね。後輩さんも使うんですか?」
「自分は紛らわしいと思うので仕事では使わないですね。ただ個人の事情を表したいときに私事や私用よりも私情って言う言葉がなんとなくしっくりくる感覚はわかります」
なるほど若者の感覚が私情という表現を選んだのであればもはや何も言うまい。若者の感覚に合った言葉が今は不合理だとしても、未来の日本人の気持ちをよりよく表せる表現が私情なのだろう。
そう納得したからかその後の午後の仕事には集中して取り組むことができ、珍しく定時には勤務終了となった。
特に予定が入っていたわけではない夜、時間を持て余した自分はデリヘルを呼ぶことにした。
『清楚系・巨乳現役女子大生』という男の心をくすぐる文字が並ぶ。新人のようなのでレビューはないが、新人であればこそ年齢は大きく外さないだろう。今日はこの娘に決めた。
30分後、あらわれたのは同年代と思われる30代中盤の嬢だった。
「よろしくお願いします。えっと、ゆみさん、ですよね?21歳の」
女性の年齢は見た目だけでは分からない物だ。干支での年齢確認.....は設定と一回り近く違ってそうなこの嬢では意味が無いだろう。服を脱がされながらも年齢を確認するための手段を求めて頭を回す。
21歳のゆみが聞く。自分はここだと思い渾身の回答をぶつける。
「いやぁ、今日は私情で仕事を休んだんだよね。ゆみちゃんは私情で休んだりとか出来るの?」
「私情?私用のことかな?予約とか入ってなければ出来るけど、あんまり当日休みすぎると怒られるよ」
30代中盤のゆみはそう答えた。
年齢は偽りで特に清楚さも感じられなかったゆみだったが、巨乳は真実だった。またベテランの風格を感じるサービスも素晴らしく、最終的に自分の私情はゆみの胸に包まれ決して未来の日本人へは繋がらない場所へと果てた。
全6曲。
落ち着いたアレキサンドロス。よく聴いてるわけじゃないけど『kick&spin』とか『閃光』とかのイメージが強くて意外な気もしつつ、耳触りのよい英語が結構好き。何言ってるのか分かんないけど。
日本語で歌うパートにくると歌詞の内容が分かりだす。「午後一時半の小田急線」——どうやら、一度出勤したけど風邪気味だから午後休取って早退したやつの話らしい。サボってる学生や、楽しそうな主婦がいたりする時間帯だ。うんうん、わかるわかる。
そして彼は、最寄りに着いたところでふと気付く。このまま乗っていれば実家に帰れる、と。そして実家で猫に会い、(おそらくは親に)小言を言われ、おいしい味噌汁を飲む——。
は?
この曲は、俺のような英語のリスニングもできない片田舎の人間が風邪をひいた時に聴く歌ではない。ただただ、恵まれた環境にいる人間が風邪をひいた時の歌なのだ。
「いや、そんな恵まれてもないだろ」と思う方もいるかもしれないが、2番の日本語パートで彼自身もこう内省している。
「思えば恵まれた生活をこう/与えられてたこの坊ちゃんが/ロックンロールなんて/叫んでいいんだろうか?」
彼は会社員というよりはロックを叫ぶバンドマンのようである。アレキサンドロスの人そのものを描いているのかどうかは分からないが(まあどちらでもよい)、芸術系とか創作系・表現系に全ベットできる人間の実家が太いというのはままある話である。
彼の悩みに答えは出ず、玄関まで送りに出てきた親(おそらく)の顔も見ることができずに電車に乗り込む。「一人部屋のアパートに帰ろう」——ロックで売れまくってるってわけでもないようだ。
曲を聴くというよりは歌詞を読みふけってしまった。この曲で描かれる人物は俺とは全然違うところを生きているけども、好感が持てないかと言えば全然そんなことはないし、そういう人間が風邪をひいた時の情景を描いた歌として、うん、よかった。しっとりしたアレキサンドロスも良い。
名前だけは見たことあるけどちゃんと聴いたことのなかったamazarashi。
ピアノのイントロから入っていきなり「37℃の微熱」、うん、風邪の歌だ。
そしてなんか、フィロソフィーとか運命とか必然とか言い出したな……と思ってるうちに曲が終わった。歌詞サイトを見る。さっきのアレキサンドロスでも見ていた。
2回目の再生ボタンを押すと、なんとこの曲1分55秒である。そりゃすぐ終わるわけだ。
しかし改めて歌詞を見ると、この曲で描かれる風邪を引いた人間もまあ、全然共感できない類の人間だ。部屋にはソファがあるし、彼女がいるし。フィロソフィーとか運命とか必然とか言い出すあたり、俺には話を合わせることもできなさそうである。
彼は「ごめんちょっと調子が悪いだけなんだよ本当に」と言い訳をし、「かれこれ数時間/便器にしがみついて/朦朧と/うわ言」。うわ言だったらフィロソフィーとか言うのもやむなし……か?
2分に満たない短い曲の中で、「朦朧と」のフレーズが繰り返される。印象に残る曲だ。全然好きだ。好きだ、amazarashi。もっと俺の調子がよくて、なんか小難しいことを考えたいときに聴きたい。
恋風邪じゃねーか!
でもまあ、Vaundyは好きなので(数曲しか聴いたことないけど…)楽しみである。
これ前に聴いたな……。
Apple Musicは自動再生で似たような曲や売れ線の曲を流してくるので、Vaundyなんかは知らぬうちに受動喫煙しているのだ。
「恋風邪にのせて」というタイトルには、いわゆる恋の病的なものを風邪に例えた「恋風邪」と「風にのせて」言葉や思いを吐き出す行為がかかっていて、全編的にそんな感じの曲である。俳句みたいな技法で割とすき。
しゃらくせぇ曲だなあとは思うものの、そのしゃらくささがVaundyの魅力だとも思う。いい曲。
「くだらない愛で/僕たちはいつも笑っている」
旧Twitterのフォロワーにこの人のファンがいて、ちょくちょく名前と情報が目に入っていた。実は曲を聴いたことはないのだが、シャニマスが好きみたいなので信用の持てる人だと思う。
そして肝心の『風邪』。風邪をひいた舞台役者・脚本家?のつらさを綴った曲のようである。あんまり面白くない舞台であんまり上手くない芝居をして、叩かれて、病んでいるようだ。そんな感じの「風邪」ニュアンスを感じた。
自らの作品や表現の稚拙さに苦しむというのは、個人的には結構わかる。わかるけれども、今食べたい料理はそれじゃない。それじゃないんだ……全然上流階級の人間を描いてていいからがっつり熱出して寝込んでてほしかった……。こういう形の風邪も全然あるんだけども。こういう形の風邪の話だよね?解釈に失敗してるような気もする。
それはそれとしていい曲だと思うし、小林私のボーカルも結構すき。やはり信用の持てる人だと思う。元気になったら(あるいは精神的に病んだら)他の曲も聴いてみようかな。
この曲もしっとりした雰囲気で、熱が出てぼーっとしたいときに合っているような気がする。
歌詞としては、風邪が治った直後の情景が描かれている。まだ少しぼんやりとしつつ、でも体の軽さがある、そんな感じ。早くこれになりたい。
「君の手のひらはbutterfly」「僕の額をその翅で慰めた/あぁ」
どうやらこいつにもパートナー的な人間がいるらしい。だけど、不思議と嫉妬のような気持ちは湧いてこない。キリンジの、この曲のふんわりとした雰囲気ゆえだろうか。
曲は終盤に1分ほどbutterfly…を連呼して終わる。すごい余韻である。風邪のときってこれぐらいの余韻がほしいというか、ぼーっとしたい。いい曲だ。好きだ、キリンジ。
間違いなく1番ひどい。
検索しても歌詞は出てこないし、そもそも歌詞というか一般的な曲の体をなしていない気がするし……音楽に決まったルールなんてねえんだよと言われたらそれまでだけど……。
昨日の飲み会で、経緯は覚えていないが出世だなんだという話になった。
たまたまその場で1番出世が早かった人間だったことや、新人含めた若手に持ち上げられたこともあり、やや説教くさい話をしてしまった。
今までの経験やら社内で積み上げてきた結果についてベラベラと偉そうに話していたが、正直どれも運良く話が転がってきて、たまたま結果が付いてきただけものに過ぎず、それに見合う努力も何もしていないことは自分が一番知っているので、話せば話すほど嘘をつき、見栄を張っているような気持ちになって非常に恥ずかしかった。
そもそも別に若手だって俺に媚びを売りたかっただけで、本心から俺の虚栄まみれの武勇伝が聞きたかったわけではないこともわかっていたしな。
こんな午後一発目から増田に入り浸っているような人間の話を長々と聞かせてしまった罪悪感で、昨日同席した若手と仕事するのが妙に気まずい。
もう彼らの中では偉そうなおじさんという枠に入れられて、そのまま辞めていくまで変わらないんだろうな。
なんか書いたけどクソ長いから外国の精神科措置病棟が気になるやつは下までスクロールしてくれ。
お前らは精神科に入院したことはあるか?俺は一回もなかった。でも精神科/心療内科に通院はしてた。俺はADHDだから、毎日ストラテラを飲まないと仕事にならない。ストラテラは処方薬だから医者に行かねば貰えない。毎回医院に行って1分話して処方箋貰って金払うだけ。
ある時、俺は海外に一身上の都合で引っ越した。医療制度というのは国毎に大幅な差異がある。引っ越した先の国では生憎ストラテラは18歳以下のみの保険適用だった。やっとのことで見つけたクリニックの先生は、ビバンセを勧めてきた。言うには最新の作用機序でリタリンよりODの不安もない。そして保険適用。かつてコンサータがまるで駄目な方にしか効かなくて3日でやめた記憶もあったものの、軽い気持ちでスイッチしてしまった。
ADHDにはニ種類の薬がある、と俺は思ってる。集中力を高める薬と、気が逸れにくくする薬である。似たような響きだがまるで逆だ。後者が俺の相棒であるストラテラ、前者はコンサータ(どちらも先発名)。コンサータは薬というと聞こえはいいが、どちらかといえばヤクと読むべき、ほぼ覚醒剤である。もちろん患者が薬物依存になるとまずいので、徐放剤といってガツンとキメないように調整はされている。先生の勧めてきたビバンセもこの覚醒剤サイドで、違いといえば覚醒剤原料が体内で覚醒剤に変わるというところである。ビタミンAじゃなくてカロチンなのかくらいに俺は認識していた。間違ってたら教えて。
そうして薬をビバンセに変えたら途端に寝れなくなった。初日なんて考えてるだけで夜が明けた。今思えば当たり前で、覚醒剤なんだから眠れなくなるのは当然だ。でも俺は一日の睡眠が減っても活動できると喜んでいた。季節は夏。高緯度の日照も相まってたいそう便利だった。
しかし季節が進むにつれ、困ったことが出てきた。まとまって考えることができないのである。仕事の都合上ゆっくり腰を据えて考えられないのは致命的だ。家族にも最近まるで話ができないと呆れられている。俺は薬が足りないのだろうと考えた。先生に相談して薬は一日40mgから徐々に増え、ついには120mgまで達した。高緯度では夏昼が長いかわりに冬がとことん暗い。俺史上で最悪の冬が迫っていた。
冬になると俺の考えはいよいよまとまらず、出前一つ頼むにも1時間かかるレベルになっていた。仕事でも当然頭は微塵も回らない。上司は進捗の無さに苛立ちを隠せず、俺は完全に途方に暮れていた。家族は心配してるものの俺にも全く見当がつかない。しっかり薬を飲んでるのに…俺は焦って更に薬を飲んだ。そうして寝室に籠もって考えると、ふと人生とは詰んでいる気がしてきた。人生とは詰んでるから人生は詰んでるのだ!ただの循環論法、小泉進次郎も逃げ出すくらいのアホくさい"証明"だが、当時の俺にはQEDと思えた。そして俺は一切の社会活動をやめた。
俺は恐怖に怯えて布団にこもる。世界は詰んでるから何をすべきかわからない。俺は何日も何週も寝てないように感じた。もはや家族もこの世界を詰ませた陰謀の一角に違いない。俺は家族の一人をその首謀者と断定し、他の家族と俺は囚われているから処分しなければならないと画策した。幸いこの企てはすんでのところで失敗し、家族は俺を行きつけの精神科に連れて行った。そこでも俺は先生に向かっていかに家族が俺の世界をダメにしたか語った。診断は統合失調症、なんか薬を処方されて俺はそれを飲まざるを得なかった。そして俺は意識を失った。
意識を取り戻すと俺は大変なことに気づいた。家族は俺を陥れるのに成功し、完全に俺は世界から分断されてしまった!行動するのは今だ、そう思った俺は誰かに家族の陰謀を告白するたった5,6行のメールを2時間かけてしたためて、覚悟を決めて救急車を呼んだ。俺はこの内容を見せて告発するんだ。しばらくして警察が家に来た。俺はぱっと玄関に出た。あれ、俺は鍵かけて閉じ込められてたんじゃなかったのか?それに警察?でも俺が家族に嵌められてることを説明するには誰でもいいか。そう思い俺は警察官についていった。本当は俺が傷害罪の犯人っぽいから警察署に連れて行かれたんだけど、俺は家族が悪いと信じて決めつけている。警察官も通訳挟んでもまるで話が通じない東洋人にさじを投げたのか、救急車で措置入院と相成った。
救急車は外国っぽい青いライトを光らせて夜の山道をひた走る。救急車に本人として乗るのに怪我一つしてないのは不思議なもんだなと、妙に冷静なつもりの俺は思っていた。どれくらい走ったか、救急車は薄暗い建物の前に止まった。俺は促されるとおり建物に入った。石造りの古い建物で、照明もロクにない薄暗い廊下を右に折れて、15人位入りそうなでかい部屋に通された。巨大な机の向こうに何人か人がいて、書類に何通かサインさせられた。正直何喋ってるのか全然わかんなかった。部屋が暗かったのか、その人たちは顔だけ真っ黒に塗りつぶしたように見えた。その後は夜も遅かったこともあり、すぐ相部屋の寝室に通された。枕元にはスーパーで一番安い炭酸水のボトルが置かれていた。一杯だけ飲んで徐々にせり上がってくる不安に蓋をした。途中同房の人にトイレの場所を聞いたところ、寝ているように見えたもののすぐ教えてくれた。でも何言ってるか分かんなかったから自分で探した。
次の日起きて俺は焦っていた。なんで精神科に入院してるんだ…言ってる意味が全く分からないと思うが、マジで焦っていた。
朝起きたら何もすることはない。みんなおもむろにロビーに出たり朝飯を食べている。それがまず気に食わない。生産的ではない気がする。周りのやつの目が全部死んでるように見える。ここにいたら俺は終わりだと思った。なんのことはない、家族を仮想敵に仕立ててたのが精神科になっただけだ。なんだけど、俺は自分の危機的状況に最悪なリアクションを取った。錯乱だ。
まずはでかい声を出して職員を探した。しかしまるで相手にされない。そのまま逃げようと思って大声を出しながら雪の上を素足で走った。しかし、精神科だけに柵がある。逃げ場はなさそうだ。少しだけの理性で俺は柵をよじ登るのを諦めて戻った。すると職員が騒ぎを聞きつけて何人か集まってきた。外に出れるチャンスか?俺は必死に自分はまともだからここから出せと迫った。しかし職員はつれない態度ですぐ俺を元のロビーに戻して対応をやめようとする。なるほど、騒ぎを大きくすればするほど対応する職員も増えるんだな。それを学習した俺は更に声を荒らげて職員を捕まえた。
彼は俺にこういった。あなたがまともなら、それでいいじゃないですか。俺は焦った、こいつはこのまま話を終わらせようとしている。逆を言えばいいのか?そう思って俺は自分がサイコパスだから危険だから病院から追放したほうがいいと逆張りしてみた。そうすると職員はサイコパスかどうかは血液検査しないと分かんないですねと返してきた。んなわけないだろ、その時の俺ですら分かった。分かったが、検査を受けないと何も変わらない気もしていた。なので必死にサイコパスだね俺は危ないねと話を合わせ、とうとう採血までされるに至った。
しかしどうだろう、検査が終わったら彼は、はい用済みと言わんばかりに俺をロビーに戻すではないか。これまでの会話で勝手に検査=退院と思い込んでいた俺は完全に頭にきて、いよいよ本気で暴れた。そうすると複数の職員が外国語で(当たり前だ)何か言いながら迫ってきた。それがちょうど進撃の巨人の普通の巨人みたいに見えた俺は恐ろしくて走って逃げた。ロビーから裏の通路を通って行き着く先は袋小路。ドアが閉められたとき、俺はそのドアにドアノブがない事に気がついた。
入った部屋は6畳くらいで、日本人の感覚で言えば十分な広さだった。床はリノリウム、壁はクリーム色一色で、はめ込みの厚い窓が冬の寒々しい景色を切り取っていた。部屋には唯一つベッドが置いてあった。退院するために暴れてたのに閉鎖病棟に入れられるだって?冗談じゃない。俺はドアをバンバン叩くがまるで開けてもらえなさそうだ。覗き窓からゴミを見るような職員の顔がちらりと見える。次に俺は窓を開けようとした。割ろうとも思ってこちらも叩くがなかなか頑丈でヒビひとつ入らない。この時点で俺は寝たら廃人になると思い込んでいた。ここ10日寝てない(体感)から、寝たらパソコンのRAMのように頭に入ってる記憶知識知恵すべてが失われ廃人になるに違いないと。しかし体は完全に疲労困憊していた。トイレに行きたいが行かせてくれる気配もまるでない。いよいよ俺は錯乱して部屋の中で小用を足した。これがもしかたら窓の外から目に止まり救出されるのではと思ったが、あとから思えばもし見えたとて重度の精神病患者が暴れてるようにしか見えないだろう。ともかく俺は疲れ果てて寝落ちした。
どれほど寝ただろうか、気がついたら閉鎖病棟に寝ていた。さっきの部屋だ。少なくとも廃人というには認知能力や記憶の連続性は失われてなさそうだった。あと、漏らして寝たはずなのに服やシーツは取り替えられていた。それには少なくとも満足した。
しかし俺はあまりの空腹と便意ですぐ耐えられなくなった。部屋は暗く時間も何日たったのかすら分からない。とはいえ2大欲求が充たされないことには始まらない。俺は再度ドアを叩いた。しかし飯が全く出されない。トイレも連れて行ってはもらえない。刑務所の部屋にはトイレがついてると聞いたことがあるが、この部屋はベッドしかない。ドアをひたすら叩いてようやく職員から得られたものは、おまるですらない用を足すお椀であった。このとき俺は完全に人権を失ってることを理解した。その後しばらくして食事も与えられた。ツナと冷たいジャガイモを混ぜた犬のエサレベルのもので、俺はさらに人権がないと思って涙をこぼして食べた。こっちはよくよく考えると、実はただのメシマズな賄いだったのかもしれない。ともかく起きた日は俺の人生でも指折りの人権のない日だった。
次の日俺はまたトイレの交渉をしてみた。ダメ元だ。しかしあっさり外のトイレに連れて行ってもらえた。人は一度酷く当たられると、多少でもマシな扱いをされた時いいことをしてもらったのではと勘違いする。その時の俺はまさにそれで、トイレに行けただけで感謝した。同時にトイレに行けない可能性に恐怖した。何も口答えする気がなくなった。そしてその日はパンとバターだけ食ってたまにトイレに出て終わった。
次の日は更に良くなった。部屋の扉を常に開きっぱなしになるように、食事も他の患者たちと取るようになった。もちろん俺はクワイエットルームに逆戻りしたくないから何も口答えはせず唯々諾々と従った。病棟全体には10人ほど入院していた。そのうち数人から閉鎖室に入れられるなんて可哀想にと同情されてしまった。そうして開かれた閉鎖部屋に何日いただろうか、ほどなくして相部屋に移された。
相部屋の相手はまともな学生さんに見えた。挨拶もするし自己紹介もしてくれた。ただ、虚空に向けて話し出すときと、段ボール箱をラジオと称して実際には携帯で音楽を鳴らすときだけはヤバい奴だと思った。実際彼は軽症なのか、一週間ほどで退院していった。他の患者は古株そうに見えた。分かんないけど。常に冷蔵庫に自分の食い物を入れては食べてるおばあちゃん、常に食洗機を回すおばあちゃん、常に電話してるトルコ人の女、2chにいそうな青年、偶数日はクレオパトラ級のゴリゴリメイクで奇数日はサロペットの地味子になる女の子、みんなそれ相応に精神を患ってそうに見えた。
部屋から出られるとはいえ閉鎖病棟で自分のいる階から外には出られない。と言っても中で暮らしていくのは暇な事以外何も不自由はなかった。朝昼晩三食食事は出るし、キッチンで持ち込みの食事を作るのも自由だ。途中から家族に文明IT機器を持ち込んでもらってからは暇潰しも簡単だった。社会に触れるのは怖かったから、オフラインのゲームだけを黙々と遊んだ。ゲームは時間を埋める作業か、あるいは順序立てて行動する訓練のように思えた。ゲームでもいいから何か進捗がないと人間としての価値がなくなるような切迫感を感じてプレイし続けた。
夜は就寝時間があり、あまり遅くまで起きていると当直の人にハロペリドールを飲まされた。すごく頭が鈍くなって好みではなかったが、あの部屋に戻りたくはないから諦めて飲まざるを得ない。
先に書いた通り閉鎖病棟から俺は一歩も出られなかった。当たり前に聞こえるけど、俺だけ外出が禁止されていた。他の患者たちは毎日午後一時くらいにお散歩に出かけていた。たまには俺も外に出たいと思って参加していいか職員に尋ねたが、あなたのズボンと靴がないんですと残念そうにみな口を揃えた。自分の足で歩いて入院したのにズボンと靴が無いことがあるだろうか?しかし何度聞いても埒が明かないので、ズボンと靴は汚れて捨てられたのだろうと解釈した。家族に頼んでズボンと靴を差し入れしてもらった。そうしてズボンと靴が揃ってもなんやかんやと言い訳して外に出れず、入院して2週間たちようやく外に出ることができた。
散歩は病棟の唯一外に出る玄関を職員が開けて、その引率でぞろぞろと歩いてついていく。まず、俺が最初にいた病棟を通った。驚いたことに、この病棟は外の道路からなんの障害もなく行き来できるようだ。柵があって出られないと思っていたが、反対側は正面の入口に繋がっていた。はじめにもう少し理性があったら閉鎖病棟に連れて行かれなかったのにと思う反面、理性がないから入院したわけだし、あの錯乱状態で外に出たら車にはねられてそうだなとも思った。
この散歩、想像していたものよりずっと大規模だった。30分から一時間位精神病院の周りの住宅街を黙々と歩いて回る。歩き電子タバコに歩き火タバコで吸い殻を投げる精神病患者達に近隣住民から苦情は来ないのか、非喫煙者としてはヒヤヒヤする。患者同士しゃべりながら歩いていて、小学校の遠足くらい伸びた列を定期的に立て直す。そしてなぜおばあちゃんが冷蔵庫に食品を蓄えてるかも分かった。多分自分でスーパーに買い物に行ってるのだ。そうなってくると家なんだか閉鎖病棟なんだかよく分からない。散歩で外の空気を吸えるのは嬉しいが、また俺はここにいたら駄目になると思った。今度こそ話で退院に持ち込まねばならない。
職員はのらりくらり退院の話を誤魔化し続け、医師の診察もろくになく、どうなってるのかと思い始めた、入院一ヶ月後。小原ブラス似の職員の引率で卓球とテーブルサッカーを遊んだ帰りに唐突に俺は数日後の退院が告げられた。退院する支度中に、その職員が「あ~ここにあったわ〜」みたいな猿芝居をしながらロッカーから俺のズボンと靴を出してきたが、既に俺にはツッコミを入れる気力は残されて無かった。彼らからしてみたら、話の通じない患者にどうやって秩序を与えるか、自分の気が狂わないか考えた結果がその猿芝居なんだろう。
そうして退院して数ヶ月はものすごく不安で仕方なくどうなるかと思ったけどその後はすっかり元通りになった。相変わらずのADHD、薬を飲まねば仕事にはならない。先生も上手いことストラテラを保険で落ちるようにしてくれた。ビバンセは少なくとも依存性は無かったようで、リタリン系の薬を飲みたいとも思えない。元々飲んでキマってた訳では無いからかもしれない。そのあとめちゃくちゃ面倒なことになったんだけどそこは割愛。勝手に敵に仕立てて迷惑一方的にかけたのに見捨てない家族には感謝の言葉しかない。
2段ベッドですでに子供がはしゃぐ。
息子は3回ぐらい天井に頭ぶつける。
娘にやれと言ったらずっと順番来るまで、不安そうな顔でやらなきゃダメ?と聞いてくる。結局俺が喋る。
野外でアスレチック。
楽しいけど歩く距離が長いのでアラフィフの俺と妻にはかなりハード。
食堂でご飯食べてからかぼちゃでジャックオランタン作り。かぼちゃも道具も用意してくれる。
娘と息子が道具を取り合いながら完成。
風呂に入って10時就寝。普段は12時まで寝つけない俺も疲れてたのですぐに寝る。
翌日、朝食も食堂。
薪は用意してあって道具も貸してくれる。
キャンプは全く未経験なので作るのはカレーと串にさしてあって焼くだけの焼き鳥。
火おこしは2回失敗したけど3回目で成功。
飯盒で炊いたご飯は水が少ないせいで固めだったけど、カレーも焼き鳥も普通に旨かった。
焼き鳥は鉄のフライパンで焼いたけど、テフロンのやつよりうまい気がする。
昨晩、妻と仲良くした。本当に疲れた。翌日のダメージがすごいことに!!本日午後一時間以上シエスタしてしまった。本日午前中もゴロゴロしてたから通算の使い物にならない時間は、ものすごいことに!!昨晩の開始時刻が深夜であったこと、薬を事前に服用したこと。昨晩の行為自体はそんなに長時間ではなかったように思うが、クンニが比較的長時間で負荷が大きかったかな?舌の先をとがらせて、アレをなめ上げるみたいな動きは結構負荷が大きい。ところで妻の尿道口付近の開発がすっかりと完了したことを思い知らされた。巨根(?)をくわえこみながら、「クリじゃなくて。。。」と事細かに指示を出す妻。妻は文字通り尿道口で果てた。正確には尿道口ではなくて、カリナという部位らしい。どっかの三姉妹みたいな名前だ。
○ご飯
○調子
むきゅーはややー。
さすがに疲れたし、なんか個人攻撃とかもされたせいでメンタルがクタクタになった。
ある仕組みが最適解じゃないことに気づくとそれを指摘してくるんだけど、こっち言わせれば「いやちょっと待ってくれと、後に出てくるあそこの部分をのためにあるんですよ」みたいなのを説明しないといけないから、ひとまず話を最後まで聞いてほしいのに、議論が始まるとそこを聞いてくれない。
あと、そのうえで「上流工程で決まったこと」を覆そうとするんだけど、それはもう俺の範疇じゃないから勘弁してくれ。
ウォーターフォールに向いてないんだよ……
ちょっと酒をたくさん飲んでしまったのでゲームはゼノディア少しだけ。
ゼノディア周回。
午後一杯つかって久しぶりにいろいろブックオフ的なとこめぐりをした
ここではベターマンのガイドブックと佐々木正勝の同人がなぜかあったから買った
ここではオカルト学院のガイドブックとおじゃまじょどれみの小説2巻を買った
ダンガンロンパのファンブックあってえのしまじゅんこ特集みたいに書いてあって、おまけでモノクマポーチついてるのが900円だったけど、あまりにも内容がしょぼすぎて買わなかった
ここでも設定資料とか見て、いろいろあったけど値段が高すぎて何も買わなかった
初めて2F行った
アニメーターの同人とかエロゲーでプレミアもののショーケース見るの楽しかった
えいるすとかジサツとかもあった
さすがにしょいんはなかったなあ
先輩の家でみた支倉十の狼と香辛料本が12kで売られててワロタw
あとtruetearsのガイドブックも9kだったなあ
アフタヌーン四季賞CHRONICLE5kを買うか迷ったけど帰ってからamazonみたらkindle版540円だったw
外においてある50円コーナーも一通りみたけどとくに何もなかった
まずはエロゲ見た
にんたまの資料集セットで安かったけど興味あるのくのいちだけだしなあと思って買わなかった
ダンガンロンパv3が中古在庫ないから買取3800円ってかいてあって、おっと思った
俺はメルカリでクーポン使って3200円で買ってもうクリア済みでどうしようかなーと思ってたところだったから、
ちょうどいいやと思った
帰りはAGBというリサイクルショップに寄ったけど、何もめぼしいものはなかった
ガンプラ組み立て済みとかがあった
放送当時の1/100のシェンロンガンダムとかあってめっちゃなつかしかった
PS2でぼくのなつやすみがプレイアブルでおいてあったからはじめてプレイしてみたんだけど、
なんでこんな操作にしてんだろ
カメラワークがバイオみたいにちょこちょこかわるから、バイオ同様移動方向維持って意味のためなのかなあ
いやーそれにしてもラジコン式久しぶりに操作するとめっちゃ操作しづらいね・・・
ダンガンロンパを売った
ネットで通信買取だと2900円とかが関の山、オークションとかでよーやく4000円ちかくいく、ただし手数料かかるって感じの相場だったから、
一応他にも抽プレの図書カードとかゾフィーの人形とか持ってったけど、そっちは図書カード定価割れ、ゾフィーはオークションの方が高値つくのが明らかだったから、買取やめといた
初代のときはめんどかったから攻略全部みてクリアしたから、お話としての楽しさしか感じられなかったけど、
これはある程度分岐がわかるから、バッドエンドっぽい終わり方しちゃったら、自力でやりなおすっていう仮想オカリンみたいな感じでチャレンジできるから、ああ攻略楽しいなあと思った
○朝食:ヨールグルト
○調子
はややー。
だのに、朝一で久々のトラブル発生。
バグの解析の仕事のときテンションが違うね、と言われたことがある程度にはテンションが上がるタイプなので、悪夢のことはすっかり忘れて解析に集中した。
午後一には対処法含めて解析ができたので、全員に周知して、また一つこのプロジェクトの秘伝の書である「どうせ販売元に報告しても修正してくれなさそうな不具合一覧」を更新して、完了。
とは言え、日々の業務が止まってくれるわけでもないので、残業。
その上、例の先週金曜日に受領予定のファイルが、今日の定時ぴったりに送られてくるという、面倒な自体。
どうせなら、明日の朝に送ってくれればよかったのに。
とは言え、送られてきたなら、やらないといけないことがいくつかあるので、それをこなした。
終電、ではないけど、そこそこ遅くまで頑張った甲斐があって、受領ファイルの件はだいたい大丈夫。
●DS
4Fに行ったら、うとうとしてたからか、操作をミスって全滅してしまった。
はややーだなあ。
●3DS
未プレイ。
○ポケとる
ログボのみ。
○朝食:ヨーグルト
○夕食:ナポリタン、ツナ缶×2(そのままと、ナポリタンに入れて)
○調子
はややー。
今日は台風で避難警告が出るぐらいだったこともあって、会社の偉い人が「帰れ! 帰れ!」と言い出したので、午後一で帰った。
はややーっと言われた通り早引けして帰った。
ただ、この台風で雨音が凄いのが、精神状態を悪くするらしく、ちょっとぐったりしてる。
メチャクチャ今更なんだけど、
既存のニャース、コラッタ、ラッタのリージョンフォームで、悪タイプは出たけど、
ルガルガン(まよなか)は、岩・悪かな? とか思ったけど、岩単だったし。
多分深い意味はなくて、ただの偶然なんだろうけど、早く悪ポケが見たいなあ。
ノー課金。
○ポケとる
ランキングイベントでボーダー内だったため、フーディンナイトとメガスキルアップをゲット。
・ポケモンサファリは中途(エイパム、クルミル、クルマル、モンメン(ウィンク)、エルフーン(ウィンク)、を捕獲)
ログボのみ。
○朝食:なし
○昼食:おにぎり三つ
○調子
おちごとうんちょうんちょ。
って言いながら頑張った。
正直、午後一ぐらいに終わってたんだけど、また早く終わらしてクタクタ言われるのが面倒なので、
アリバイ作り的な仕事なので、見栄えを奇麗にしても意味ないんだけどね。
○王とサーカス
まだ死体すら出てきてない。
なんだけど、これさよなら妖精の続編なんだね、途中で気づいた。
かなりさよなら妖精のこと忘れてるから、読み直してから王とサーカスに戻りたい。
親と連絡とるのタルいから、もう一冊買おうかなあ。
「Killer Instinct」の“アービター”はゼル・ヴァダムではない、343が参戦の背景と幾つかの新情報を紹介
http://doope.jp/2016/0251633.html
お、おう。
小説版も読みたいなあ。
16歳、女子高校生。
毎年1月2日の午後は自宅付近の祖父母宅で父方の親戚の集会がある日と決まっており、物心ついたときから私も父とともに参加させられている。その他の参加者は祖父母、叔父・叔母、大学生のいとこ2人。1年のうち、正月のこの日以外に彼らに会うことは皆無に近い。
いとこたちは祖父母ととても仲がいい。普段から祖父母宅を訪ねたり、一緒に出掛けたりしているのだろう。
メンバーのなかで私だけが浮いている。祖父母にも叔父叔母にも年上のいとこにも敬語を使い、みんながあぐらをかいて車座になっているなかでひとりだけ正座を崩せない。話題も居場所もないので、無言で出された飲み物をすすってばかりいる。幼少のころから、年下のいとこがほしいと何度願ったことか。母が高齢出産だったせいか、父方のいとこも母方のいとこも年上ばっかりだ。
ちなみに祖父母宅では毎年大量の菓子類と飲み物がふるまわれる。飲み物は祖母や叔母によって各自のグラスに勝手にどんどん注がれる。約5時間にわたる集会のあいだ、メンバー全員が平均して2回ほどトイレに行くが、私は今更トイレの場所がわからないと言い出すこともできない。
親戚の集いでやること。
2、お年玉授与式。
4、互いの家庭の近況に関する情報交換。
[1について] いとこたちは良い高校・大学に進学しており意識が高いのか、「教養をつける」「しっかり勉強する」といった立派な抱負ばかり述べる。私はいつも「本をたくさん読みたいです」くらいしか思いつかないのだが、毎年同じことばかり言っていると皆にはバレているのだろうか。
[2について] もっとも重要なイベント。むしろ親戚の集いはこのために行われていると言っても過言ではない。これがあるから、私もうかつに失礼な態度がとれない。
[3について] ゲームを通しての世代(と心の壁)を超えた交流。私を親戚の輪の中に入れるための配慮から企画されているのだろう。ありがたい。しかし早く終わらせて帰りたいというのもまた本音だ。
[4について] これはほんとにクソだ。互いのペットの近況を尋ねるのはもはや恒例だが、うちのペットが今年亡くなったことを告げれば全員が口を閉ざし「あら…ごめんなさい……」と気まずい雰囲気が部屋中に広がるのは間違いないだろう。最悪である。
いままで16回くらい我慢してきたけれどいよいよ本当に嫌だ。年にたった1日、5時間くらいなら耐えろというお叱りもあって当然だと思うが、私は根性なしの気弱なJK(なお教室でもぼっち)なので可能であれば親戚の集いを回避したいと切実に願っている。
そこで今回は『(祖父母宅訪問直前の)午後一番に携帯を置いて家を出て、音信不通のまま公園やマックで半日を過ごし、(集い終了直後の)日没後に帰宅する』という逃亡計画をひそかに練っている。家の玄関に「親戚のみんなで食べてください」として置いておく菓子折りも購入済みという用意の良さだ。祖父母不孝のひどい孫だと自分でも思うし、帰宅後の父のカミナリを免れることもできないだろうが、もう集いへの参加を回避できればなんでもいい。お年玉だってもらえなくて構わない。17回目にしてはじめてのボイコットである。絶対成功させるぞー。おー。
子どものつたない長文を読んでくれた人がいるみたいで、予想外にブクマがついてて驚いています。
『なぜ現時点で16歳なのに参加が17回目なのか?』
ブコメでこんな指摘がありましたが、物心ついたときから参加してるものだから自分でも何回目だか把握してません。
私は夏生まれなんだけど、0歳のときに初参加(1回目)だったとしたら、今回(16歳)は17回目にあたるのではと考えました。ほかにおかしいところがあればまた教えてください。
ブコメを見て。
・文章がしっかりしてる、いい文章書いてるって言ってくれた人ありがとうございます。もともと文章を書くことは好きで、文章力の高いブロガーさんたちへの憧れもあるのですごく嬉しいです。
・集まりをバックレたいのは今年だけです。さぼりたい理由は大きく2つあって、
①今年は2人のいとこのうち年下のほうが東京のいい大学に進学したので、私の進路(将来の夢や大学受験など)のことも話題に上りそうで嫌
②(本文にも書いたけど)飼い猫が亡くなったので、気まずい雰囲気になるのが嫌
・親戚に気を遣いつつ5時間の集いを耐久する苦痛を考えると、お年玉の金額でそれが回避できるのなら安いものだと考えてしまいます。私のメンタルが弱いだけかもしれませんが。
・父に親戚の集まりに行きたくない旨を伝えるということは、父の両親や姉妹(=私の祖父母や叔母)を否定することとイコールにとられてしまう可能性があります。いずれにしてもバックレたら同じことですが…… 父公認で集まりをさぼることは難しそうです。
(2015/12/31 2:14 追記)
たくさんのご意見ありがとうございます。
・父は「行かないなんてありえない、ダメだ」の一点張りで、あまり話を聞いてもらえませんでした。普段からかなり怒りっぽい人なので、これ以上蒸し返すと激昂して爆音で怒鳴ったりものを投げたりしそうです。
・母(私の父方の親戚とはほぼ絶縁状態)は私の話に一定の理解を示してくれたので、当日の計画についても相談してみました。突然のバックレで迷惑をかけるであろう旨を伝えると「仕方ないね」と許してくれました。一安心です。
また何か進展があれば、あるいは当日に何かあればここで報告させていただきます。