はてなキーワード: 外伝とは
前提として、メガフラエッテそれ自体がどうとかはどうでもよく、対人対戦ゲームでソフト内でプールが完結しない構造そのものや嬉しさの少ない余計なハードルを採用した判断をこそ批判したくて書きました。
これで手に入らない物がフラエッテナイトでもガブリアスナイトでも何か弱いアイテムでも関係なく、他のゲームのクリア後コンテンツをやらないと使えないプランが存在することへの不満です。
ですが、事実使用できなくて話題なのはメガフラエッテなので便宜上メガフラエッテとして以降書きます。他のZA連携で貰えるメガストーン組で読み替えていただいても問題ありません。
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HOMEとの連携は良いと思います。過去作で一緒に戦ったポケモンでチャンピオンズに挑めるのは素晴らしいシステムです。
ただ、HOME経由でしか入手できないポケモンがあるのはおかしい。
「全ての人に」と謳っておきながら、その実使用可能なキャラクターに差があるのは、公平なゲーム運営をしようという姿勢に見えません。がっかりしたとしか言いようがありません。
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過去の本編シリーズでHOMEを介した連携や限定配布ポケモンがいることにはなんら不満はありません。本編シリーズはあくまで一人用RPGがメインであり、対戦は付随要素だったからです。
チャンピオンズは対戦がメインのゲームですし、本編シリーズでもありません。ジャンルも"ポケモンバトル"とあります。
対戦ゲームであるなら、そのゲームはタイトル内で公平さを保つべきです。「シャドウバースは神撃のバハムートと連携しないと一部のカードは使えません」とか言っていたら困惑しますが、チャンピオンズはこれをやっています。
ユナイトやポケポケではそんな仕様はなかったのに、チャンピオンズではなぜかそれを良しとしてしまいました。
他の対戦ゲームでも寡聞にして聞いたことがありませんし、もし前例があったとしても「素晴らしい施策だった」と評されているとは思えません。
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仮にランダムガチャや課金パックのように、タイトル内でメガフラエッテの入手手段があるのなら文句はありませんでした。
既プレイヤーはHOME経由で楽に手に入れられて、新規プレイヤーは追加のコストをかければ同じことができる。その程度の差であったなら何の不満もありません。
ソフト一本で解決しないというのが、対戦ゲーム運営の姿勢としてシンプルに信頼できないのです。
既プレイヤー優遇自体はあって良いと思いますが、限定スキンだとかアイテムパックだとか、対戦それ自体に直接影響しないものでなければゲームが不公平でしょう。
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そして、メガフラエッテがZA未クリアだと手に入れられない仕様にすることで得するユーザーなんていないのではないでしょうか。
これを機にZAをやったら面白かった、という人もいるでしょう。でも「バトルをやったら本編に興味が出た」ではいけないのでしょうか。
「チャンピオンズってZAクリアしてないと使えないポケモンいるんだ!ステキ!やってみたい!」とは、普通はならないでしょう。否定派か無関心派しか生まないマイナス施策です。
「チャンピオンズだけで過去作をやらなくても全部対戦で使えるんだ。ならやってみようかな。」という層を削るだけで、積極的肯定派を生みません。せいぜいが「こういう面倒なゴネ方をする奴を隔離できてよかった」みたいな皮肉を言える程度の利益です(利益とは言いません)。
個体値の撤廃などシステム周りの変更は賛否あるのは十分わかります。なくなって嬉しい人、なくなって残念な人が両方います。でもメガフラエッテだけは嬉しい人が想像できません。
・持ってないし使いたいがZAをやりたくないから嫌だ
であって、嬉しいパターンがありません。
Twitterの反応でも、「ZA未プレイでメガフラエッテ使えないのはおかしい」という不満と、その不満に対する不満や反論は見ますが、「ZA未プレイ勢がメガフラエッテ使えなくて嬉しい」という意見は見かけません。
メガフラエッテが使えて嬉しい人は見つけましたが、もしフラエッテナイトがチャンピオンズ内で手に入ってもその人の喜びは変わらないはずです。
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夏にはクロスプラットフォームでスマホにも展開してさらに間口が広がりますが、Switchを持っている人しかメガフラエッテは手に入れられないとなるとますます不公平感が強まります。SwitchやSwitch2は広く普及したゲーム機ではありますが、スマホでしかゲームをしない層も多いです。彼らにとってはよりハードルが高く感じるでしょう。
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直近のタイトルとリンクさせて相互に盛り上がることを期待したのだとは思いますが、メガフラエッテを人質にするようなやり方しか本当に手はなかったのでしょうか。
もっとキャラプールに偏りをつけない方法(限定スキンなど)でファンサービスは十分できたのではないかと思います。
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念のため主張をまた書きますが、対人対戦ゲームのソフト内でプールが完結しない構造そのものや余計なハードルを採用した判断をこそ批判したいので、以下の話は全部私の主張とはあまり関係ありませんが。
「メガフラエッテはストーリーで特別な立ち位置のポケモンだから」
ストーリーを削ぎ落として対戦にだけフィーチャーしたゲームなのキャラ設定やストーリーは関係ありません。
今後伝説や特殊なポケモンが実装されるならそれら全てがHOME経由専用実装にならないとその理屈は通りませんし、そうなるはずもありません。
強弱を語る気はないのですが、始まって数日程度のゲームでキャラ評価が完全に決まってしまったと思っているならそれは早計だと思います。将来のアップデートで意外なキャラが意外な活躍を見せるなんて対戦ゲームではありふれたことですし、今の環境だって結論はまだ出ていません。
「ZA買ってやればいいだけ」
冷静に考え直していただきたいのですが、ゲーム機を買ってソフトを買って20〜30時間もやりたくもないゲームをやるのは苦行です。本当にお手軽なら文句は言っていません。
ポケモンが大好きなら楽しいかもしれませんが、ストーリーをやらずに対戦だけできるという触れ込みのゲームで、他ゲームのストーリー(しかも本編ありきの外伝タイトル)をやらされるのは普通に意味不明ですし嫌です。
「嫌ならやらなければいい。」
ご尤もです。
私がチャンピオンズで遊ぶ日は来ないでしょう。公平なゲーム体験を提供することより抱き合わせ販売まがいのやり方を優先するチームが運営する対戦ゲームは願い下げなので、これを書きました。
エロゲ黄金時代にそこそこエロゲーをやり込んだ人間なら「あーあったねそういえばそういう作品」と思い出す様なあるメーカーの作品群がある。
そのメーカー自体は2000年代後半には解散したのだが、代表作を書いていたライターは確認できる限り2010年代頭までライターとして活動していて、そこから忽然と姿を消していた。
もう2000年代の流行オタク業界の話なので、こういうことはよくあることなのだが、往時にはそこそこ活躍していたオタク界隈の中である種名声があった名物クリエイターで、今では足を洗ったのか、消息知れずの人たちは結構いる。
当時流行っていた学園物で、どこか2000年代のネット/アキバ界隈特有の、あのゆるい開放感のある自由な雰囲気でのコメディが得意で、とにかく優しくて面白くて「楽しい」、ノーテンキな世界観が心地よかった。
そのメーカーは音楽に特に定評があり、ライター謹製の作詞と、2000年代のオタク系音楽特有のフュージョン、ニュージャックスイング、コンテンポラリーR&B系の透明感ある音楽と相まって、いい感じに肩の力抜いたふざけた歌詞とあっていて、未だに思い出の音楽としてXなどでも結構話題に上がるくらいだ。
そんなわけで、今でもXやyoutubeを探せば、そこそこ音楽や作品を評価して名前が結構上がるくらいには、まだファンも多いライターだった。
数週間前、ゲームwikiを見ていてふとその懐かしいタイトルの記事があるので目を通していた。内容は、ハッキリ言って1から10まで覚えているのだから見る必要もないかなと思っていたのだが。
そこで、あるURLが目に付いた。
15年近く消息不明だった、そのライターの消息が分かった瞬間だった。
クリックして読んだ先の作品は、25年も前に完結したライターの代表作シリーズの続編兼ある種の最終回の様な短編だった。
あの時代の空気も雰囲気もそのままに、主人公やヒロインや悪友キャラ達が再開し、再び「面白い物を探して」、青い空の向こうへと歩き始める物語
あの頃と何もかも変わらない、古い友人というか、昔よく言った店がまだやっているような安心感とノスタルジーを覚えた。再びあのキャラや時代に出会う事が出来て、嬉しかった。
だが、それもリンクから15年の間何をやっていたのだろうと、探してみると、失望へと変わっていった。
惨めな氷河期世代のオッサンやニートだとか、他責思想丸出しのテンプレのようななろう主人公や療育放棄された頭の病気の様な悪役令嬢、そんな判で押した様なテンプレなろう系ばかりの作風ばかりになっていた。
どこかの素性不明の本でとってつけたような兵站論や物流論、軍事理論の講釈を垂れて粋がるバカ主人公
スラップスティックとただの奇行の区別もつかない悪役令嬢が、〇狂いじみたことを喚きながらトー横のメンヘラの様に暴れまわる頭の病人の様な主人公
貰い物のチートだとか、現代知識で無双をして、ヒロイン以外同性の友人すら出てこないあまりにも惨めな主人公
そんなものばかりだった。人気はそこそこあったのかもしれない、だが、そこにはなぜこんなメンタルでまだシャバにいられるのか、という様な煮詰まった読者欄に生息するなろう系の負け組オタクばかりがテンプレを評価する蟲毒だった。
子供のころ、石の裏をひっくり返して蠢く虫や蛞蝓を見たような気分を思い出した。
唯一救いがあるとすれば、書いていたライター当人も何か思うところがあったのか、2020年に入る前には活動を停止していることだった。今となっては作品はどこかのブログや魚拓でサルベージされた場所でしか見ることはできない。
あの時代の市場規模の中で活動していたのだから、ネットで言われるなろう系市場が実態と以上乖離して「儲からない、将来性がない」というのを体感的に察知して筆をおいたのか、それとも何か別の理由でもあるのか、あまりにも現実と乖離したなろう系オタク達に心が侵食される様な苦痛を感じて逃げ出したのか、それは今となってはわからない。
それは、世界というものがひどく狭く、しかし同時に、どこまでも広がっているかのようにネットで、秋葉原で、オタク界隈で、個々の若者たちの人生で感じられた2000年代という時代の産物である。
日常は終わることなく続き、青春は一瞬でありながら、画面の向こうの主人公やその親友やヒロインたちも、そして画面を見る側の当人たちには永遠に似た手触りを持っていた。
いわば、ぬるま湯の様な富裕な日本の穏やかな時代の産物だった。
何より哀しかったのは、なろう系を書いている以外で、かつて自身が手掛けた作品群の続編や外伝の様な短編を書いているときだけは、その感性や才能が色鮮やかに蘇っているところだった。
それは、失われていたはずの完成が色鮮やかに息を吹き返す、セピア色の黄ばんだ写真が綺麗にあの頃の青春の空気と、匂いと、青空と、温度が戻ってくる様な感触に思えた。
そこには、成り上がりや美少女や承認欲求を求めて銃や刃物を手に他人を殺傷する極悪人の様ななろう主人公はいない、他人が落ちていくのを「ざまあ」と笑うあまりに惨めななろう主人公も悪役令嬢もいない。
書類の数字で講釈を垂れながら、見ることもない兵隊や一般人を「致し方ない犠牲」と平気で切る血も涙もない人非人の様な、なろう系主人公もいない
まるで場末のキャバ嬢か、脳に何らかの寄生虫でも入ってるかの如く主人公をマンセーマンセーと褒め称えて股を開くヒロインもいない。
そこにあるのは、ただ、あの頃と変わらぬ「人間」たちであった。
あの頃と何も変わらない、他者や世界を逆恨みすることなく、加齢で余裕がなくなって承認欲求と劣等感で精神がおかしくなって認知が歪んでいるわけでもなく、
心が歪むことなく、いつまでも続く「終わらない文化祭」のような毎日と、静かに流れる「なんとなくぬるま湯の様な優しい世界」で、また面白い事を探して次は何をしようか、と仲間やヒロインと探して軽口を言い合って青空の下を歩いていく、
「さあ、また旅に出よう、あの青い空しか見えない、青い階段を上がれば出口だよ」
「結局俺達は、まだ何も見てないんだな」
「だってそうだもの、"見る"キミがいてこその世界だからね。だからもう一度世界を見て回ってきてほしい。」
「そうかもね、それだけ君を信用しているということさ。おっと、僕は遅れてから行くよ、そろそろ時間だ。また会おう。」
「ああ、また、どこかで」
このやりとりの中に、彼等と俺達と、そしてあの時代の世界のすべてがある。
ああ、彼等や彼女らだけが、永遠に続く様な錯覚でなく、本当に永遠の中にいるのだ。
青い階段を昇りつめた後に広がった青空と夏の街を一望できる白いビルの屋上の景色が広がり、
主人公は持っていた腕時計だけを青空に向かって放り投げる、そしてこう言った
ああ、それは時間というしがらみからさえ自由になるために離脱するという意味する行為なのだと、俺は感じ取った。
現実と時間という世界から、本当に旅立ってしまったのだ、「永遠」の方へと。
その当時の古参ファンが感想に古い友人を訪ねる様に感想欄に現れていた、それはまるで、亡き友の家や墓を訪れるように…なろう系オタクは誰一人といない、その落差があまりに悲しいと俺は感じた。
なろうやカクヨムに続きが書かれた時点で、本当に彼等は「死んでしまった」のだろう。とすると、続編は全て主人公が死んだ先に見た夢の中を、俺達が追体験しているだけなのかもしれない。
別のタブで開いているyoutubeで再生している、あの頃の作品の主題歌は、きっとあの時代と彼等への鎮魂歌なのだろう。
気の抜けた明るい歌詞が流れている、だがそれは、本当に永遠の世界へと旅立っていってしまった彼らと彼女たちの、あまりに悲しい鎮魂歌だった。
それは、明るさを装いながら、すでに失われた時代とその中に生きた人々と、あの日の世界にとらわれ続けた俺をひそやかに弔っている。それは同時に、青青の時代とそこに生きた彼らへの静かな挽歌でもあった。
彼等はすでに旅立っている…きっとそれも、帰ることのない永遠の方へ。
彼等は帰らぬ旅へ出た。
彼等はすでに去った。
次の「面白い事」…青い鳥を探して、帰ることのない旅路へと赴き、時間の流れから離脱した。
――去ったのだ。
青い鳥を探しに、
二度と帰らぬ道へ。
そして今、彼らはもはや、
魔王アスタロト編というパタリロの数多くの外伝の中でも屈指の名作と名高いシリーズの中にその悪魔出てくる。
太陽は西から登って東に沈む、とか言った幼稚なことから始まって、とにかく何から何まですべてが嘘、本当は一つも言わないのだ。
しかし、これはその悪魔が必殺の技を使うための入念な下準備なのだ。
そう、そのとおり。
この悪魔は、ここ一番、千年一万年に一度だけ本当のことを言うのだ。
周りは嘘しか言わないと思っているので、その逆が真実であると思う。
これをやられることで主人公のアスタロトはとんでもない窮地に立たされることになる、、、、という具合にストーリーが進んでいく。
トランプが例によって突拍子もないことを言い出して、周囲はビックリしつつも、どうせいつも通りタコるだろ、って観測してたら、そのたったひとつだけはタコらない、ってやつを。
どういうことか?
狂人のような言動を行いつつ、いつものパターンで最終的にはイランとの交渉を始めてる。
周りにトランプがタコってると思わせといて、イランへの地上部隊投入を突然やったりだとか。
そういうことを、もっと過激な行動でやることは十分に考えられる。
一般庶民にはあんま関係ないと思うかもしれないが、例えば投資とかやってるやつは、そういう万が一にタコらないトランプを一応は警戒するに越したことはないと思うぞ。
色々後回しにしすぎてる感じがある。
とりあえず何やろう?
あと1年?
ヤバない?
SEKIROクリア(ボスラッシュ完全制覇)するのに2ヶ月かかったことを考えると同じ事したら6本で終わり???
ヤバくない?
どうするどうするどうする?
本読むか本?
三体0まだ読んでなかったから読むか?
いや待ってもっとメジャーな奴読んでないわノーベル賞作家の一通り読むか?
本もだけど映画は?
映画はなんかある?
そうだ七人の侍は見たいな。
あっでもそれぐらいしか思いつかね。
アニメ・・・ドラマ・・・あーうんこの辺はひと通り見てると思う・・・。
創作?
1年で?
やるなら星雲賞ぐらいは目指したいんだけど1年は流石に無理だろ星新一賞でAIガチャ狙うぐらいしか出来んよ流石に。
大ヒットアニメ映画「超かぐや姫!」、Netflixのアニメ映画を多数制作するスタジオコロリドだけど大丈夫?と思っていた。
私はそれほど嫌いではないんだが、スタジオコロリドの「好きでも嫌いなあまのじゃく」は6000人アニメ映画(6000人のコアなアニメ映画ファンしか見ないといわれる作品)の代表格だし「雨を告げる漂流団地」も評価があまり高くないようだ。
そんなわけで、昔見たNetflix独占配信(おそらく)アニメについて思い出してみる。オススメ一覧ではない。
WBC関係なく「超かぐや姫!」となぜか映画版だけNetflixにしかない「ブラッククローバー 魔法帝の剣」を見るためにNetflixに入って、すぐに目的を果たしてしまった。
どうすればいいのかよくわからないまま、昔レンタルして時間がなさすぎて見ずに返却した「THE 有頂天ホテル」や昔知人に強くすすめられた「プロメテウス」や、安定の映画ドラえもん「のび太の絵世界物語」を見たりしている。
しかしせっかくNetflixに入ったのだからNetflix土産をってことでNetflix独占配信の「三体」を見始めたが、SF脳ではない私にはまだあまり面白さがわからない。
ポケモンはポケットモンスターシリーズ(所謂本編)は赤緑から欠かさず遊んでるし、外伝ゲーム、アニメ、漫画類も
初音ミクはポケミクまでいることは知ってるけど千本桜とGoogleのCMのことしか知らないぐらい。
貧乏人には高い買い物だけど、ポケミクにミクを教えてもらって毎日の通勤でずっと流してるので買っちゃった。
ポケミク以外のボカロ曲全般もそれなりに聴くようになってと趣味が豊かになって嬉しかったんだ。
楽しみな曲6選でも書いて気持ちを高めようと思う。
こうして27曲揃ってから改めて聴くと、全然1曲目っぽくないし、ミクらしさの解釈も色々あるんだけど、この曲にメロメロになったからポケミクを聴き続けることになったので、楽しみ。
・ミライどんなだろう
ポケモンのオタクなのでポケモンの名前が沢山出ると嬉しいしかない。
アニポケっぽい世界観なのでゲーム本編世界観っぽいライブミクがどう歌うのか気になる。
(ライブミクがゲーム本編の登場人物感があるの、たびだちのうたとクロスロードがそういう曲だっただけかもしれない)
・ゴー!ビッパ団
エモ曲も沢山あるけど、僕が一番エモーショナルな感情を揺さぶれるのはこれ。
「ふしぎなポケモンたちといつまでも旅を続けよう」のところで毎回鼻の奥がじっとして「まちがいなーーーい!!!」と一緒に歌いたくなる。
・PARTY ROCK ETERNITY
僕は悪タイプが大好きで悪タイプポケモンばかり使うトレーナーなので、わるだくみ、ちょうはつ、かみくだくなど悪技が沢山入ったこの曲が大好き。
悪ポケ自体はヘルガーしかでないし、ロケット団に悪タイプのイメージは薄いので、悪の組織の曲で悪タイプの曲はいつか別に欲しいなと言う欲求はある。
・アフターエポック
「怪獣のような心臓が」のところ、ポケモン遊びながらよく思うぐらい刻まれた歌詞になってしまったので。
アフターエポックのミクはパシオに行けそうなぐらい本編ゲームシリーズのキャラっぽいので、ポケマス初音ミクコラボしたらホウオウの服着たマジコスミクで実装されて欲しい。
・たびだちのうた
タイプミクいっぱい見た後普通のミクが出てきて、1008エンカウンターして、ライブミクになるの大好き。
あと悪ミクが一番好きなので、他のミクが旅をしてたりパートナーポケモンと趣味を楽しんでる中、悪ミクは悪の組織っぽい奴らと対峙してるの、悪タイプがポケモンの中でも異質なタイプ(現象とか性質じゃなく価値観じゃんって言う)なのをトレーナー側でも表現してるようで好きなんだ。
やっぱAIって凄いわ。
元:三浦建太郎 * ジェネリック側:スタジオ我画(森恒二 監修)
色: 師匠の逝去後、親友の森恒二氏とアシスタント集団が「三浦建太郎の絵と魂」を再現。もはやジェネリックを超えた「遺産継承」ですが、筆致の再現度は驚異的です。
元:小畑健
色: 『アイシールド21』時代から顕著ですが、小畑譲りの「圧倒的な画力と質感の描き込み」を継承。さらにアクションの動態保存という独自の進化を遂げています。
ある作家が作った「型」が、そのジャンルの標準語(OS)になったケースです。
元:鳥山明
ジェネリック側:とよたろう
色: 徹底的に鳥山明の線の抜き方、コマ割りを研究しつくした「公式ジェネリック」。違和感なく『ドラゴンボール』の続きとして読める再現性を持っています。
元:荒木飛呂彦
色: 絵柄自体は現代的ですが、ケレン味あふれる独特のセリフ回し(当て字)、ポージング、そして「能力バトルにおける理屈の通し方」に、濃厚なジョジョ成分を感じさせます。
色: 冨樫義博的な理詰めバトル、久保帯人的なポエム・演出、そして藤本タツキ的な「キャラが死ぬことへのドライさ」を高度にミックス。読者が今欲しがっている成分を完璧に調合しています。
特定の作家への愛が強すぎて、作風がその作家の「進化系統」に見えるケースです。
元:大友克洋
色: 緻密な線画、写実的な人体把握、退廃的な空気感。大友克洋が拓いた「リアルな絵」の地平を、独自の残酷美学でさらに深掘りしています。
元:高橋留美子
色: キャラクターの掛け合いのテンポ、コミカルな崩し顔、ヒロインの可愛らしさ。るーみっくわーるどの持つ「少年漫画×ラブコメ」の黄金比を現代に受け継いでいます。
レジェンドの「味」を、SNS時代に合わせて高解像度化したケースです。
代表作:『アオのハコ』
色: 読切版から顕著ですが、あだち充的な「余白の美」や「スポーツ×静かな恋愛」という成分を、現代の繊細な少女漫画的タッチでコーティングしています。「あだち充の切なさを、今風の綺麗な絵で読みたい」という需要を射抜きました。
「ジェネリック」という言葉の本来の意味(成分が同じで、後から出されるもの)に最も忠実な、**「公式が認めた、あるいはファンが納得せざるを得ないレベルの完コピ・後継者」**たちですね。
彼らは単なる「影響を受けた人」ではなく、**「その作家がいなくなった世界(または描けなくなった領域)を埋める存在」**として機能しています。
1. 筆致・構図の「完全模写」型
師匠のペンタッチからコマ割り、キャラクターの等身までを完璧にトレースし、新作として提供するタイプです。
代表作:『バキ外伝 烈海王は異世界転生しても一向に構わんッッ』
濃厚ポイント: 線の震えや筋肉の描き込み、独特の「タメ」の演出まで板垣イズムを完コピ。本家が描かない「スピンオフ」という形で、ファンが一番見たかった「味」を再現しています。
濃厚ポイント: ギャグ漫画でありながら、画風は全盛期の原哲夫そのもの。劇画特有の重厚なハッチングを再現しつつ、聖帝サウザーを崩壊させるギャップは、本家への深い理解(と愛ある悪ふざけ)がなければ不可能です。
2. 世界観・イズムの「憑依」型
単に絵が似ているだけでなく、その作家特有の「狂気」や「ロジック」までを継承しているタイプです。
濃厚ポイント: 福本氏の独特すぎるパース、尖った顎、そして何より「心理描写のねちっこさ」を完璧に継承。『HERO』は『アカギ』の正式な続編(後日譚)として、福本氏本人が描いていると錯覚するほどの緊張感を保っています。
元:手塚治虫
濃厚ポイント: 手塚プロ公認。単に似ているだけでなく、手塚治虫が存命なら描いたであろう「メタ発言」や「スターシステム」の扱いまでマスターしています。線の「丸み」と「艶」の再現度は、もはや解析レベルです。
とよたろう氏のように、作家の引退や多忙に伴い、名前を並べて「続き」を託されたケースです。
濃厚ポイント: 絵柄は岡田氏の個性が強いですが、車田氏の「様式美(必殺技の叫び、星座の加護)」という成分を誰よりも濃厚に抽出し、現代のハイディテールな作画に落とし込みました。車田氏のネームを最も派手に、重厚にアップデートした成功例です。
濃厚ポイント: 質問にも挙がった錦ソクラ氏は、もともと「池上遼一の絵柄でバカをやる」という技術において天才的でしたが、今や「劇画の伝統工芸士」として公式に重宝される存在になっています。
特定作家の成分を極めて高い純度で再現できる作家が少ないのには、技術的・心理的・商業的な観点からいくつかの高いハードルがあるからです。
一言で言えば、**「クリエイターとしてのエゴを殺し、他者の脳内を完全にコピーする」**という作業が、表現者にとって最も過酷な道の一つだからです。
1. 「手癖」という呪縛の打破が困難
漫画家にはそれぞれ、無意識に引いてしまう「手癖(線の太さ、カーブの角度、目の位置など)」があります。
技術的難易度: 他人の絵柄を完全に再現するには、自分の肉体に染み付いた数十年分の描き方を一度解体し、他人の神経系を上書きするような作業が必要です。
偽物感の壁: 表面的な模写はできても、**「その作家が迷ったときに引く線のニュアンス」**まで再現できる人は、単なる「絵が上手い人」の中でも一握りしかいません。
漫画家を志す人の多くは「自分にしか描けない世界」を表現したいという強い欲求(エゴ)を持っています。
アイデンティティの消失: 特定作家のジェネリックに徹するということは、**「自分の名前ではなく、他人の看板を磨き続ける」**ことを意味します。
クリエイティブの葛藤: 自分のアイデアが浮かんでも「これは〇〇先生なら描かない」と切り捨てるストイックさが求められます。多くの才能ある新人は、この制約に耐えられず自分の色を出してしまい、結果として「似て非なるもの」になります。
公式続編を任されるレベルの作家は、対象となる作家の全作品をセリフ一行、背景の石ころ一つに至るまで暗記するほど読み込んでいます。
思考プロセスのコピー: 「このキャラならここでどう動くか」ではなく、**「この作者なら、このキャラをどう動かして読者を驚かせるか」**という、作者の思考回路そのものをインストールしなければなりません。
時代性のギャップ: 昔の作家を模倣する場合、当時の紙質やペン先の種類、さらには当時の社会情勢まで理解していないと、特有の「空気感」が出せません。
ジェネリックとして成功するには、版権元(出版社や遺族)からの厚い信頼と、公式な場でのマッチングが必要です。
ニッチな需要: 「本人が描かないなら、似た人の絵でもいい」とファンが納得するケースは稀です。多くの場合、ファンは「偽物」に対して非常に攻撃的になりやすいため、出版社側も慎重になります。
キャリアの固定化: 一度「〇〇先生の代筆者」として定着してしまうと、そこから自分のオリジナル作品でヒットを飛ばすのが非常に難しくなります。
「ジェネリック」は、少しでもクオリティが落ちれば即座に「劣化コピー」「パクリ」と叩かれる宿命にあります。
精神的プレッシャー: 常に本尊(オリジナル)と比較され続け、本尊を超えても「違う」と言われ、下回れば「下手」と言われる、非常に報われにくいポジションです。これを職業として選び、完遂できる精神力を持つ人は稀です。
彼らは**「高度な技術」と「職人気質の献身」、そして「オリジナルへの狂気的な愛」**が奇跡的に同居した存在です。
例えるなら、名画の修復師が「自分の筆致を一切残さず、当時の巨匠の筆使いを再現する」ようなもので、芸術家というよりは**「超一級の技術者(アーティザン)」**に近い特殊技能と言えます。
結論から申し上げますと、この「ジェネリック作家(超高度な作風継承者)」による作品は、今後**「二極化しながらも、商業的には増える傾向」**にあると予想されます。
かつては「パクリ」と忌避されたこの領域が、なぜ今、確固たる市場として成立し、拡大しようとしているのか。その背景にある需要と供給のメカニズムを分析します。
読者のニーズは、かつてないほど「保守的かつ安定的」になっています。
完結・未完への恐怖: 巨匠の逝去(三浦建太郎氏、鳥山明氏など)や長期休載(冨樫義博氏など)に対し、ファンは「物語の続きが見られない」という強い喪失感を抱きます。
「あの味」のブランド化: 現代はコンテンツ過多の時代です。新しい未知の漫画を開拓するより、すでに知っている「ジョジョ味」「カイジ味」を安心して摂取したいという「ブランド消費」が加速しています。
世代を超えた継承: 親世代が読んだ名作を、現代の画力(ジェネリック作家によるアップデート)で子供世代が楽しむという循環が生まれています。
出版社にとって、過去のメガヒットIP(知的財産)は「眠れる獅子」です。
リスク回避: 新人のオリジナル作品をヒットさせる確率よりも、既存の超人気作のスピンオフや続編を「限りなく本人に近い絵」で出す方が、商業的な打撃(爆死)が少なく、計算が立ちます。
公式の「延命措置」: 作家本人が高齢化・引退しても、とよたろう氏や錦ソクラ氏のような「影武者」的な才能を確保できれば、そのIPを数十年単位で維持・収益化できます。これはディズニーがミッキーマウスを守り続ける手法に近しいものです。
3. 今後の傾向:なぜ「増える」と言えるのか?
今後、AIが作家のタッチやクセを学習する精度が飛躍的に向上します。
変化: これまでは「人生を捧げて模写した人」しか到達できなかった領域に、AIを補助輪として使う作家が到達できるようになります。
結果: 「見た目だけ似ている」作品の供給量は爆発的に増えるでしょう。
『バキ外伝』や『北斗の拳 苺味』の成功により、「本編はシリアスだが、ジェネリック作家による外伝はコメディ」といった、**「本尊を汚さない遊び場」**としての市場が確立されました。この手法は今後、中堅ヒット作にも波及すると見られます。
③ 才能の「職人化」への許容
「自分の色を出したい」というアーティスト志向だけでなく、「憧れの先生の続きを描けるなら本望」というリスペクト先行の職人型クリエイターが、SNSを通じて可視化され、公式にピックアップされやすい環境が整っています。
一方で、以下の理由から「本物と呼べるレベル」の供給は限定的であり続けます。
魂の欠如: AIや技術で「絵」は真似できても、「絶妙なセリフの間」や「哲学」まで継承できる作家は依然として希少です。
オリジナリティの欠乏: 全員がジェネリックを目指せば、業界全体の創造性が枯渇します。「新しい味」が生まれなければ、将来的に継承すべき「元ネタ」が無くなってしまうというパラドックスを抱えています。
市場としては**「メガヒットIPの維持装置」として、ジェネリック作品はますます一般化していくでしょう。
しかし、読者の目は肥えており、単なる「形だけの模写」は淘汰され、錦ソクラ氏らのように「作家の魂まで理解して現代に召喚できるイタコのような作家」**だけが、今後も特別な成功を収め続けると考えられます。
「この作家の続きが見たい、でも本人はもう描けない(描かない)」という切実な飢餓感に対し、今後ジェネリック作品が登場する可能性が高い、あるいは待望されているケースを予測します。
現在の漫画界の動向(2026年時点)を踏まえると、以下の3つの領域で「究極のジェネリック」への期待が高まっています。
作家の体調や逝去により、物語が止まってしまった伝説的作品です。
○ご飯
○調子
むきゅーはややー。おしごとは根性。色々あって来週は忙しそう。
体調は発熱がようやく治ったようで久々にずっと平熱で過ごせた。
まだ首と喉の痛みが続いているし、頭がボンヤリしている。
青ヒヒって新しい使い道ができたんだっけ? 天星器を割ると貰えるやつと交換できるのかな?
今までのは強い人たちが中心だったけど、新しいのは人気者を集める感じなのかなあ?
僕はカードのデザインやフレバーテキストを楽しんでいるので、そういう方向の楽しさを共有できる人が増えるといいな。
周年アプデまでに全部終えれると良いな。
最近、超越をコピーして連打するコンボデッキの人とよく当たるんだけど、流石にもう更新が終わったゲームだけあって特徴的な人とマッチする機会が増えてるのかなあ。
気に入らなかったとこ批判していくから楽しかった奴はブラバしろ
良かったとこはみんな言ってるから言わん
そもそも一緒にやりたいメンバー集めてドラマ作っちゃおうってのが嫌だった
企画から完成まで期間も短いし、仲間内でキャッキャものづくりできて楽し〜🎶みたいな
短い期間なのに頑張ったわ〜💦っていう制作側のポーズよりいち視聴者としては長い時間かけてしっかり作ったドラマを見てえよ
ただいいものを見てえだけなのよ
まず日本統一見てないから俳優でキャッキャできない時点でだいぶ置いてかれる気持ちになる
知ってるだけでファンになりました‼️とかではないし二人が桐生と真島をやるなんてピッタリ🤩とも思わん
使う俳優ありきでドラマ作ってるだろうからキャラの見た目を寄せたり寄せなかったりしてるのも嫌
実写化に際して見た目を絶対原作に寄せるべきだとは思っていない側の人間だけど(緑髪・青髪のキャラクターとかは黒髪にすべき派閥)、現実に存在しておかしくない部分は寄せてもいいんじゃないって思う
シンジが坊主じゃない理由ないよね、演者さんの今後の仕事に響くからできないんだろうけど
そういうの片手間にやってるように受け取れちゃうわ
髪を切ったあとの由美の服はやたらと再現されていたが
セレナのセットを作って完全再現せえよ!とは言わんけど小道具はできるんじゃない?
金属無理でも3Dプリンタに塗装とかすればそれらしいもん作れたんちゃいますの
しない理由がないことをしないのってやっぱ時間がないからじゃない?
3話で真島が嶋野のこと「嶋野の叔父貴」って呼んでるシーンがあり、かなり萎え
2話では嶋野の親父って言ってたからドラマ版の真島吾朗が嶋野の狂犬ではない可能性も排除
誰か気づいてくれよこれは
世に出ちゃってますよ 世に 氣づいて‼️
「ファン向けのビデオです」ってんならここまで文句言わんよ いや言うかも
龍が如くに初めて触れる人がこれを見て3極できるようなドラマにしたみたいな話してたよね
ってことは龍が如くも日本統一も知らない人が満足できるクオリティにしないとダメでしょ
龍が如くファンがニヤリできるようにゲーム画面を使って、たしかにファンの自分は面白かったけど
一緒に見てた何も知らない人(批判的にみてるこっちが悲しくなるくらいボロクソに言ってくる)はただただヘタクソな合成が始まったと思っていた
「あえてこうしている」が伝わらないと、それを本気でやってると思われちゃうんだなって
ティッシュ配りのときくらい突き抜けてれば伝わるんだろうけども
これは余談だけど、ちょくちょく「ゲームを極力再現‼️」って宣伝して竹内涼真のドラマへのあてつけみたいに感じるというか
ドラマ化の気まぐれに付き合わされて汚名を被った竹内涼真がただかわいそう
あんな毎クール連続ドラマに出演してるような人気者が演じてくれたのに……
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かわいいと思い、何気なく観てみたら面白い。フラッシュ版。所々、意味不明だが、中国アニメだからかな。そのうち伏線回収されるのかな。とか思っていた。とりあえず、全13話のうち6話くらいまで観る。
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サムネイルが複数ある。どうやら映画もあるらしい。映画を分割したアニメ版も2話まで観てみる。面白い。しかも今、映画館で2が上映しているようだ。県内は一ヶ所だけだが。サブスクで映画版1を全部観てから映画観に行こうかな、と思いながらも。数週間経過。
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年末にたまたまテレビをつけたら、地上波で映画版が放送していた。全話観る。面白い。
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電子書籍でコミック版の外伝を既刊全巻買う。面白い。フラッシュ版との繋がりが分かる。
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