はてなキーワード: 聴覚とは
同じくフルタイム勤務でASD児の登校渋りを体験した者として体験談と自分が知ったサービスなどを残しておく。
子も二次障害のうつっぽくなって登校渋りが長引いたし、無理やり連れていくことで登園にプロセスが嫌になってしまうので、無理はさせない方がよい。
無理やり連れていったとしても、おそらく園での生活で馴染めていないことが、登園渋りの原因だろうから何も解決しない。
ASD児は定型発達の子より多くの困難を抱える。感覚過敏(聴覚、味覚等)、コミュニケーションの困難さ(友達と好きなものが合わない、コミュニケーションが独特で馴染めない等)、睡眠障害(寝つきが悪く昼寝をしにくい、逆に過眠等)などなど。その時期の子どもは自分の思っていること、嫌なことを言語化できないので、おそらく何が嫌なのかまだ本人もわからないのだろう。けれども「嫌」を察知しているから、登園渋りに繋がっている。
仕事を辞めることはいつでもできるが、同じ会社にもう一度入社することは困難である。辞める選択肢はなるべく最後のカードとして取っておく。(私も何度も辞めようと思ったが、結局辞めなかった。発達障害児はお金がかかるので、これは賢明な選択だった)
辞めないためにできることは、
→看護、介護休暇(年5日)、介護休業(年93日まで)のような制度でまずは数か月休めないかを検討する。子にASDの診断がついているから診断書を用いると介護休業が使えそう。詳しくは「育児・介護休業法」で検索して。
②訪問型支援を利用する(市役所から保育園に専門の職員を派遣してらって子どもの様子を確認して助言してくれるサービス。お住いの自治体にありますように)
③保育園と調整して合理的配慮を依頼する(自分の子が苦手な場面を少しでも和らげられるような工夫を園とともに検討する)
→①主治医での服薬調整
→相談支援事業所に相談してみる。(精神+子どもを見られる事業所が少ないこと、相談員がなかなか見つからないのがネック)そこで相談員から紹介された福祉サービスを利用する。(移動支援など)
ということができそう。(素人がまとめた内容なので、間違っていたら申し訳ない)
とりあえず、まずは一週間は保育園をお休みしてみることをお勧めする。そしてあなたも何もしない日を一緒に過ごす。それで子のエネルギーが溜まってきたなら行ってみればいいし、難しそうであれば休業を勧める。登校渋りは長期戦になる人も多いので(我が家も登校渋り10年選手くらい)親のエネルギーを消耗しないことが大事。親子でよく食べてよく寝て。
そして登校渋りが延長戦になって小学校以降に続いたとしても、小学校以降は一人でお留守番もできる年齢になってくるし、学校に放課後等デイサービスの人が迎えに来てくれるサービスもある。フルタイムを諦めたくなるだろうけれども、正念場は数年~5年くらい。そこを乗り越えられますように。この親子に幸あれ。
VRChatを2年くらいやってる。多様なゲームワールドで遊んだり、有志が開く音楽イベントとか演劇とかを楽しんだりしている。ボドゲも釣りもアクションもFPSもできるし、イベントの類は全部無料。もちろんフレンドと話すのも楽しい。現実ではないもうひとつの社会を毎日謳歌している。
そうして健全にVRChatを楽しんできた人間が、なんでかVR上でセックスをするようになった。
個人的に興味深いテーマなのだが、誰にも言えないのでこっそりとここに記しておく。
VRChatでの性行為(Justなどと呼ばれる)は、端的に言ってしまえば相互オナニーに過ぎない。相手と接触があるわけでもなく、気持ち良くなれるかはお互いの想像力にかかっている。それなら1人でマスかくか現実で誰かとする方が気楽ではあるが、また違う良さがあるのも事実だ。
Justでは動きと言葉が要になる。突然脱ぐとかベロチューするとかではなく、相手の肌や顔、服の上でまずはゆっくり手を滑らせる。早く動きすぎると相手がVR酔いを起こしかねないし、まずリラックスさせるのが先決だ。
触覚はどうしても与えられないので、言葉や音のギミックで補完する。相手の胸に手を当てて「どきどきしてる?」とか言ってみたり、ゆっくり抱きしめたら心音が聞こえるギミックを入れたり。
触覚の補完以外に、頭や顔を撫でて「かわいいね」「好きだよ」と優しく話しかけるのも効果的だ。
人間の脳ときたらチョロいので、こうやって視覚と聴覚を責められるとすぐ認識がバグる。触れられているような、人肌が温かいような気がしてくる。やっている方も相手に集中するので、本当に相手が愛おしくてたまらなくなったりする。
ちなみに、嘘こけwwwと積極的に冷笑する人間ほど、歴戦の猛者に出会うとコロッと陥落させられていることが多い。
さていざ本番となっても、局部を弄るのは自分の手だ。ある程度相手のリズムに合わせつつ、あとは自分の良いように手を動かす。相手が気持ちよくなっているところを見て自分も気持ちよくなり、お互いに高め合って果てることができるわけだ。
現実だとガシマンやらガン突きから逃れる術がないので、下手なプレイは自分の肉体で受けざるを得ない。が、VRならノーダメージだ。激しい責めを受けつつ自分の方はソフトタッチで終わることもできる。
バーチャルセックスは性行為における「コミュニケーション」の部分だけをいいとこ取りしている、とも見ることができる。
互いに性感染症の心配もなく、傷つきもせず愛し合えるのだ。だからか、深みにハマる者は多い。
冒頭のようなキラキラ明るい界隈がVRChatの表側なら、性愛のいろいろは裏側に当たる。
本来VRChatでは、NSFWコンテンツを公の場で出してはならない。スケベな自撮りも性行為も恋人探しも、往来ではなくマッチングの場などを経て、自分と特定フレンドしか入れない場所でひっそり行われる。みんな、VRでまで恋人(お砂糖と呼ばれる)を作ったりセックスの真似事をしてみたりする。
日本のVRChatコミュニティに関してはこういうセンシティブな部分が取り上げられやすい。自分としてはロールプレイイベントや演劇、ライブイベントなどにバズってほしい。
それでも先日不思議な縁でお砂糖ができ、"センシティブな部分"そのものを体験して、なるほどこれも悪くないな、と感じた。
要は現実と変わらないのだ。みんな人肌恋しい。みんなエロいことがしたい。相手を慈しみ、可愛がり、腕の中に閉じ込めたい。傷つく肉体がない分奔放になりすぎるだけなのだと思う。
興味が出たらデスクトップからでも、スマホからでも始めてみると良い。
沼の底で君を待ってるよ。
podcastに移行した年だった。
YouTubeやNetflixみたいな視覚をもっていかれるコンテンツがきつくなって
聴覚経由の発話縛りという面白さ、移動しながら場所を選ばず楽しめるpodcastに親しんだ年だった。
真空ジェシカはとくにすごくて、言葉が音になることで意味とイメージのつながりが曖昧になる瞬間を
しつこくこすってくる。まぁ、下ネタがおおいわけだが。
本提言は、AI技術による人格再生が「死」の不可逆性を揺るがす現代において、人間が単なる「データ資源」へと堕することを防ぎ、死後もなお主体としての尊厳を保持するための倫理的座標原点である。これは固定された教条ではなく、次世代が技術の変化に応じて更新し続けるべき「暫定的な基本原則」である。
死後の人格権を、以下の二つの領域に明確に分離し、異なる法理を適用する。
公益・アーカイブ目的(非営利領域): 教育、歴史研究、公共のアーカイブ目的。厳格な透明性のもと、故人の生前の意志を損なわない範囲で限定的に許容される。これは「過去との対話」であり、未来への遺産として扱う。
商用・興行目的(営利領域): 広告、エンターテインメント、特定の企業利益に資する活動。「死後10〜15年」の原則禁止期間を設け、例外は生前の明確な「質の高いオプトイン」がある場合に限る。「文化の継承」という美名のもとでの搾取を論理的に遮断する。
形式的な署名や包括的な権利委譲を防ぐため、以下の要件を満たさない同意は無効とする。
具体的範囲の限定: 商用利用の可否、表現可能な思想・政治・性的表現の限界を明文化していること。
第三者による解釈拡張の禁止: 興行主や遺族が「本人ならこう言ったはずだ」と恣意的に人格をアップデートすることを禁ずる。
撤回権の保障: 本人存命中は理由を問わず無条件に撤回可能であること。
若年・社会的弱者への配慮: VTuber等の契約において、将来の技術進化(AI化)を予見できない状況下での包括的同意は「人格の不当な囲い込み」として無効とする。
倫理を技術的強制力で担保するため、興行主および開発者に以下の義務を課す。
不可逆的ウォーターマーク: AI生成物には、視覚・聴覚的に「合成人格である」ことを示す消去不能なメタデータ・識別表示を義務付ける。
トレーサビリティの表示: 出力の根拠(生前のどの発言に基づいているか)と、AIモデルによる推論・編集の比率を明示する。
外部監査制度: 大規模な人格再生興行においては、独立した第三者委員会による「倫理監査」を必須とする。
AI人格を主体(Persona)として扱わず、常に**「運営主体(Principal)」の拡張**と見なす。
法責任の帰属: AIの言動による名誉毀損、差別、虚偽の流布は、すべて興行主が「自らの発言」として直接的に刑事・民事の責任を負う。
透明性の確保: 運営主体、学習データのソース、アルゴリズムの責任者を常時明示する。
国際的倫理原則: 「人間をデータ資源として扱わない」という原則は、国境を越えた普遍的倫理(Civilizational Ethics)として確立されるべきである。
更新可能性: 本提言は、未来の人間が「死」や「自己」の定義を再考した際に更新されるべき「暫定の灯火」である。私たちは、次世代が自らの足で立ち、新たな倫理を築くための「背中を押す」存在であり続ける。
幼いころ、猫が飼いたいとさんざん言っていた私。
10歳の9月、何気なく立ち寄った場所で、偶然にも犬や猫の譲渡会が開催されており
「すぐ帰らなきゃいけなくなったから!」
当時、猫を迎える準備などは何もしておらず
ただ、母親と12歳の誕生日に猫を買ってもらうという口約束を交わしているだけだったが
そこで出会ったのが、後の「ミー」くん。
ミーはとても小さくて、1カ月ほどだと言われた。
本当に本当に小さくて、10歳の私の両手に収まるような小ささだった。
家からかなり離れた場所での譲渡会だったが、説明担当についてくれた獣医さんが
そういう偶然も重なって、とんとん拍子にミーとの生活がスタート
ごはんもしっかり食べる。健康診断も毎年問題なしの優良猫だった。
ミーは本当に人間が好きな子で、初めて会う人も、最初はビビリもしていたがなでられたらすぐなついた。
病院は苦手そうだったが、暴れず騒がず、獣医さんに撫でられてとてもうれしそうだった。
そして、記憶力が良い子だった。
たまに会っても怯える様子も一切なく、自分から近寄って行ったりしていた。
寂しがりやで、遊ぶよりごはんより、何より人が好きだった。
年を取り、もうあと数年か…と感じるようになってきた。
もともと少し太り気味だったが、13歳を過ぎたころから少しずつ体重が減っていった。
それでも4キロ近くあり、獣医さんからは「もう少し痩せても大丈夫ですよ」と。
様子が変わったのは突然だった。
10月2日、ごはんを一切食べず、ほとんど動かない状態になっていた。
夜だったがすぐに獣医さんに連絡して、時間外だったが急遽診てもらえることになった。
事前に記載しておくが
私は、生き物の延命治療については「痛みや苦しみが無いなら、取り除けるなら」行うべきだと思っているが
自分や親、家族などの人間であっても変わらない。苦しみがある人生はつらいと考えているからだ。
脱水もあった。
私は2年前に実家から離れて月に1~2回しか会えていなかったので、気が付くのが遅かった。
もっと早く気づいていれば、もっとしんどさを軽減させてあげられたんじゃないか、今でも考える。
とにかく水分を取れるようにだけ、苦しくないようにだけを念頭に置いて過ごした。
ミーはかつお節が好きだったが、いわゆる猫缶やちゅーるなどは元々そこまで好きじゃなかったので
ドライフードにかつお節をたっぷり入れてあげるくらいしかやってあげられなかった
強制給餌はしなかった。ミーは強制的に口を開けさせられるのが嫌いだったから。
フライドチキンや刺身、ツナ缶、ステーキ、ごはん、色々試した。
どれも食いつかず、やっぱりかつお節がかかったドライフードが一番だった。
一時的にキャットタワーに登れるほど回復したが、それも2日程度しか保てなかった。
みるみるうちに歩くのもやっとなほどになった。
ミーはえらいもので、最後までトイレミス等の粗相は一切しなかった。
いよいよだった。
胸騒ぎがした。今日は実家に帰る予定にしていなかったが、帰らなければ一生後悔すると感じた。
ミーはもうずっと布団にいるだけだった。
でも、この日は珍しく何度か鳴いている様子だった。
体調が悪くなってからほとんどしていなかったのに、その日は実家の母にすり寄っていた。
夜21時、仕事を終えて駆けつけた。
ミーは私を見て、3回鳴いてくれた。
こういう様子は本当に久々だった。
そして、つらいだろうに、私に顔を向けてくれた。
撫でてあげても、もう頭を強く押し付けてはくれなかったが、相変わらず嬉しそうだった。
水やおやつを口元に持って行っても
もういらないという仕草をされた。
0時、寝る前に声をかけた。
おやすみって。
ミーとは別の、一緒に飼っている猫がミーを心配そうに見ていた。
その子はミーとは折り合いが悪く、あまり好き同士ではない子だったので珍しかった。
そこでミーの呼吸がすこし早く、深くなっていることに気づいた。
既に死戦期呼吸が始まっているのではとよぎる。
ミーはもう虚ろな状態で、恐らくすでに意識は失っていたものと思う。
それでも、聴覚だけは最後まで生きていると聞いたことがあったので、必死に声をかけた。
撫でてあげた。
それに反応してか、ただの筋肉痙攣か、声に反応して足をうごかしていた。
家族もみんな揃って、たくさん声をかけた。
そして10月23日の2時13分、ミーは家族全員に見守られながら旅立って行った。
力なく垂れるミーの体が、死を伝えていた。
ミーの体が重く感じた。あんなに軽かったのに、ミーの体はまた重くなったように感じた。
意識のある生き物が軽く感じるのは本当なんだと思った。
ミーは少しずつ冷たくなっていった。
でも、まだ動きそうだった。
また起きて来そうだった。
朝になると、ミーは硬くなっていた。
死後硬直って本当にあるんだと思った。
生き物だと思えないくらい硬くなっていた。
冷たくて、硬くて、ミーの置物みたいに思えた。
でも、ベッドに寝かせてあげると、ただ寝ているみたいに思えた。
とてもとても可愛くて、大好きなミーがいた。
火葬は早かったが、ミーの体が傷んでしまうのも怖かったので、その日の内に行った。
雲一つない快晴だった。
火葬場も、23日だけは予約も一切なく、いつでも対応可能だった。
そういうところも、ミーのおかげなのかな?と思った。
きっと全部、ミーの思い通りに進行したんだと思った。
陽の光のおかげで、ミーはとても暖かかった。
あーでもさ、もっと早く気づいていれば。
通常、腎不全が進行すると、口臭がひどくなる・痩せる・水をたくさん飲む・嘔吐や下痢などの症状が現れる。
ミーの場合、半年ほど前からだんだんと口臭がすこしだけ強くなっていたし、痩せては来ていた。
しかし元々5キロ以上あって普通に太っていたので、ようやく標準体重になったころだった。
加齢によって体重が減るとも言われていたので、そういうものかと思っていた。
とか考えられてたらなあ…
いま生きている猫と過ごしている人たちは、つらいだろうけど猫の病気についてしっかり学んだほうがいい。
もしくは、もしもの時の覚悟と方針を、しっかりと心に刻んでおいた方がいい。
そして、残念ながらもうすぐ最後の日を迎えようとしている動物とすごしている人。
たくさん写真を撮るといい。
顔はもちろん。他の物と一緒に撮ると、大きさがよくわかる。
横顔や後ろ姿、いろんな角度で撮ろう。
手足は意外と撮る枚数が少ない。動物が元気なら、足形を取るのは結構ありかもしれない。
私は、ミーが永眠してからだが、その体をスマホアプリで3Dスキャンした。
スマホアプリでのクオリティは期待できないが、ざっくりと姿を残すことができる。
猫が元気な間にスキャンできる人はおすすめ。カメラでぐるっと撮るだけでできる。
さて、もうすぐミーの四十九日が来る。
私はあまり虹の橋や天国などの概念的なことは信じていない質だが
そういう話で心が落ち着くのは今回とても理解できた。
正直なところ、ミーが亡くなってからも
四十九日が来たとて、何も変わらない。
ミーの今回のことの思いや感覚を忘れたくなかったので、文章化したまで。
世の中には突然その日に失ってしまう命もある。
きっと私はまた猫を飼う。
失う怖さや辛さよりも、それを大きく上回る幸せな思い出や経験をくれる。
また里親だと思う。
生体販売(ペットショップ)は出来る限り減っていくといいと思う。
そして何より、猫や犬の腎不全の進行を軽減できるような研究が進めばいいと思う。
なんと、令和9年春を目安に猫の腎臓病の新薬が使えるよう、色々と進んでいるらしい。
よかったね。これからの猫たち全員に幸あれ。
そろそろ締めようと思う。
今回分かったこと
・虫の知らせはある。
・病気の初期症状を調べておいて、すこしでも変化があったら相談すると良い。
・ChatGPTに飲水回数やトイレ回数などを伝えて表にしてもらっていた。とても便利だった。
・子猫のうちから自動トイレや自動給餌器を設置して、健康状態をしっかりと管理できると最高。
以上。
ベッドで横になりながら考え事してるとさーなんか考えてることが支離滅裂になってるになってきてしかもそれがある程度に時間差でしか気づけないほど頭がおかしくなってるってことない?あれって半分夢見てるようなもんなのかな別に視覚や聴覚をはじめとした五感は現実と乖離したものにはなってないんだけど
dorawiiより
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映画館でスマホ使うなって叩いてる連中、時代遅れにもほどがある。
今の映画館では、聴覚や視覚にハンディがある人がスマホで字幕や音声ガイドを受けて映画を楽しんでる。
スマホ=マナー違反って硬直した考えで排除しようとするやつは、その事実を知らないか知ってて目をそらしてるだけだ。
暗闇で光るから迷惑だって言うやついるけど、本当に迷惑なのは他人の事情を想像もせずに決めつけて叩く態度だ。
自分の快適さを守るために誰かを締め出すのが正義だと思ってるなら、それはただの無知であり差別だよ。
映画館にスマホ席作ればいいだけの話を、何も考えずにマナー論で潰すやつは、結果的に障害者の観賞権を奪ってる。
静かに見る権利も大事だけど、スマホ利用を一律に敵視してるやつの正義感ほど危険なものはない。
要はリテラシーの問題だ。技術で誰でも映画を見られる時代に、排除で安心を得ようとするのはもう通用しない。
う~~~ん。現代ゾンビ映画指標で見たら悪い部類に入るかもしれないけど将来性に期待して51点。
原題は「Abadi Nan Jaya」でインドネシア語で永遠の栄光というような意味。
インドネシアの有名な愛国歌である「Indonesia Pusaka」の中の有名なフレーズでもあり、この楽曲は作中でも確か流れていたはず。
インドネシア映画の中である程度予算をかけて初めてつくられたゾンビ映画とのことで、過去のジャンル作品へのリスペクトが感じられきっちりゾンビ映画のツボは抑えながらも地域性が見られる点はなかなか興味深かった。
けっこう銃を撃つシーンがあるんだけど毎回ちゃんと当たると部位欠損していてGood。ここを手を抜く作品は信用できない。車で轢かれたゾンビの腸飛び出しもよき。ある程度リアリティのあるゴア表現が続き、"ちゃんと"ゾンビ映画しようという気概が感じられた。
今回のゾンビは目が完全に濁っていておそらく視力がない。なので音に反応する形になっている。
そんな中で警察署に立てこもった主人公たちが行き詰っているときに遠くから礼拝の声が聞こえ(インドネシアはイスラム教圏)ゾンビがそちらに向かって走り出し、これが神の救いか!と思ったら礼拝の声が消え悲鳴が聞こえるという皮肉な展開もよい。
また、急に大雨が降りだし聴覚を奪われたゾンビたちが立ちすくむ中脱出するシークエンス中に急に雨が止み再び追いかけられるという展開になるのだが、俺たちからすれば都合のいい雨やなと思うんだろうけど、現地の人からすれば「スコールあるある」みたいな緊張感がおそらくあるんだろうと思う。
こういう地域性を活かした展開はよかった。
ほかは、まぁ悪かったかな。
ホラー映画あるあるのバカで考え無しな登場人物たちが大集合してわっちゃわっちゃする。こいつらどうせ耳しか聞こえてないんだからずっと静か~~~に立てこもってればそのうちどっか行ったんちゃうんか?という疑念が絶えない。知り合いがゾンビになるんだけどいろいろあって殺さずにおいておいた結果、大ピンチになる。
わかったわかった、もうそれとっくに見たよ。という展開がほぼほぼを占めているので、それこそがゾンビ映画というのもわかるのだがどうしても得点は上がらないという形になってしまった。
今回の作品は田舎の漢方薬企業が作った新作漢方試作品が原因でゾンビ化するというジェネリックバイオハザードみたいな感じだったんだけど、これも漢方ビジネスが一般化していて民間療法が日本の1000倍は信じられていて一種の社会問題にもなっているインドネシアならではの切り口だなと。
最後の最後でその試作品が実は大都会にも送られていて……という続編を期待させるオチで終わるのもテンプレでよい。
あのさあ、家主っていうのは貸家の持ち主(大家)のことを指す言葉なの。そのマンションが賃貸なら家主じゃなくて借主って言うんだよ。一人暮らしデビューしたての学生さん?
ところで、騒音出てて自分なりの対策、たとえば耳栓もしないわけ? 騒音出てるって主張してるのに頑なに耳栓を拒む人って、発達障害で感覚過敏(そして当然のように聴覚過敏)の人か、統合失調症で幻聴が聞こえてる人の二択のケースが多い印象。
つうか騒音に耐えられないなら増田が引っ越すか、集合住宅に向いてないみたいだからお金を貯めて一軒家を買うべき。
木造アパートなんかだと隣の人の屁やため息の音すら聞こえるけど想像できる? あんた自覚ないだろうけど実家の居心地の良さに慣れきった贅沢野郎なんだよ。東京じゃなくてあんたが○○べき。
東京で生まれ育った、東京が故郷だという人もいるってことすら想像つかないカス。東京に出てきたものの、自身の能力不足で適応できずストレスためてるだけの自業自得野郎が「東京が悪い!」「隣人が悪い!」って他責に走ってるだけ。能力不足なのに背伸びして東京に出てきて勝手に狂ってる一部のヤバい増田のようなやつが悪目立ちしすぎている。とっとと巣に帰れ。
だらだらとした長文の愚痴は病んでる人にしか見えないし、ガチで幻聴の可能性も考慮すべき。
まあこの手の人って病識ないから病院には行かないよね。東京が悪い、で思考停止しておしまい。あらゆる可能性を考慮できない。知能が低い人が多い(統失は発症するとIQが20くらい下がる)から仕方ない。
こういうエピソード読むと、共同生活を送る上でパートナーの感覚プロファイルを把握してすり合わせするのは重要だよなあと思う。
妻は聴覚が過敏なので、大きい音がしたりざわざわしたりする環境にいるのが苦手。例えばパーティー会場や混雑した駅構内だと明らかに気分が悪そうになるし、パチンコ店の前を通り過ぎだときに扉が開いて店内の騒音をうっかり聞いてしまうと両耳を押さえてへたり込みそうになる。
単に大きい音が苦手なのかというとそうでもなく、例えば講堂内でオーケストラの演奏などはデシベルでいえばパチンコ店よりよほどうるさそうだが、平気なようだ。どうも無秩序な音を聞くのが苦手なよう。
結婚当初はあんまりそういう感覚が分からなかったので、人の多いところに連れて行っては妻の気分を悪くさせてしまっていた。それから何度か会話を重ねて、今はできるだけ閑静なところや混まないところに出かけるようにしてる。(ちなみに防音器具の使用も勧めたが耳に圧迫感があるのが嫌らしく、使っていない)
今になって思うのは、生活する上での明るい/暗い、静か/うるさい、暑い/寒いというのは人それぞれ違うので、相手は自分が感じているようには感じていないことがあるということを前提に生活したほうが仲良くいられると思う。
撮り鉄を鉄道会社がパージできないからあんなことになり、マナーが悪い中国人をパージできないからスラダン聖地はあんなことになっている。
中国人差別じゃないぞ。インバウンド初期は中国人の金持ちのほうが日本人よりも金払いが良い上客だった。
スラダン聖地は無料なんだ。そもそも観光地じゃなく住宅地だから無料で滞在できるのも当たり前ではあるんだが。
それでどうなっているかというと、観光客がそこらに人尿人糞を残していくという事態だ。金払いが良い層ではなく、ケチでマナーが極度に悪い層が無料観光地に集まってしまい、糞処理コストだけ生じているのが今だ。
「無料」や「コスパが良い」は、広く人を集められるが、悪質な層をパージできないし、悪質な層の割合が高まりすぎて治安崩壊するリスクも内包している。
スタバは金払いが悪かったりお呼びでない客をパージする雰囲気作りがうまい。スタバの企業価値はコーヒー単体ではなくパージの絶妙な上手さなのではないか。
「コンビニコーヒーは安くてそこそこ美味いのに、なぜコスパ悪いスタバなんかに行くのか?」というのは根本的に分かってない議論だ。
これデートサイゼ問題と同じなんだよ。ラーメン屋・牛丼屋には入りやすいが、レストランはサイゼまでしか入れない、サイゼが入店できる上限ギリギリだという層がいる。
この層は友人や同僚としては差別されないが、恋愛や婚活のような生殖を見据えた場においては非常に差別・排除されがちだからマジギレしているんだ。
特性の強さはグラデーションになっている。最も程度がひどく、友人や同僚としても拒絶されうる層が撮り鉄かもしれない。撮り鉄のちょい上くらいにサイゼが上限ギリギリ層、スタバ入れない層がいる。
確実にASD特性と関連があると思う。ASDのなかに床屋には入れるが美容室には入れないとか、オシャレな空間にどうしても入れないという特性があるんだよ。
特性だからこそ、スタバに入れる側からしたら入れない側のことなど分からない。聴覚過敏でない人に聴覚過敏の人の感覚が分からないのと同じだ。電話が普通に取れる人に電話が取れない人の感覚が分からないのと同じだ。
あらゆる障害の話と同じだな。車いすじゃない人間は、車いすだと行きにくい場所について理解できてないよな?
オシャレに何の価値が?金の無駄では?という問いが昔から匿名のインターネットでは書かれていた。
残酷なことを言うと、「オシャレな空間に入れない人をパージすることで的確に防げる厄介」があって、そこに価値があるのだと思う。
その厄介の最たるものがキセルや住居侵入を繰り返す犯罪者である撮り鉄や、スラダンの住宅地に人糞を残す層の中国人なのだが。
そしてサイゼまでしか入れない男や、スタバに入れない男に口説かれることについて女側が異常なまでに嫌悪感を表明するのは、
パージされる側のDNAを卵巣・子宮レベルで拒絶しているのだと思う。10か月の辛い身重や乳幼児育児の苦労を経てまで、スタバに入れないような男の子供を生みたくないんだ。苦労する甲斐がない、あまりにも報われないんだ。
男にとって閉経後の女を精巣が対象外にするような「最も本能的で抗いがたい無理さ」なんだよ。
男も女も本能で異性を見るのはお互い様であり、片側の性別にだけ本能を禁じるのは性差別だから、スタバに入れない人は死ぬべきとまでは思わないが挙児を諦めたほうが良いと思う。
君たちは実年齢が大学生だろうが、異性から見れば閉経後の女に近い存在なんだ。死ぬべきとは思わないが性的価値を認められるのは諦めたほうがいい。
このタイトルで近く聴覚を失うメタルバンドのドラマー、ルーベンが主人公、と聞くと破天荒なイメージが浮かぶが、この映画はその逆の静かな映画だ。
ルーベンは元ドラッグ依存症、今はバンドメイトで恋人の女性と2人でキャンピングカー暮らし。父親とそりが合わず家を出ており自傷癖もある恋人と支え合い真面目に生きている。
だがルーベンはもうすぐ聴覚を失うことを知り、ヤケになろうとしかけるが恋人やバンドメイト達はルーベンの先行きを心配し、中途ろうあ者が住み込んで生きる力を身につけるコミュニティを見つけてくれる。
ルーベンは「家に帰る」という恋人を心配しつつもコミュニティに入居。最初は馴染めず荒れたりもしたが、徐々に自分の障害やコミュニティでの暮らしを受け入れ、友人もでき、音のない世界での人生を生き始め…
というあたりで映画の半分くらい。
是非見てほしい。
テレビ番組はせめてニュース番組だけでも国会図書館みたいなとこで全部無料で見れるようにすべき。
新聞は納本制度の対象でありそうした意図・理念を考えたらニュース番組は単に新聞でやられていたことを視聴覚資料にしたものと言えるのだから。
民放はワイドスクランブルとかの放送データを国会図書館に納品しなさい。
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