はてなキーワード: ピストとは
今は風当たり強いから黙ってるけど、ちょっとでもトランプが正しそうな空気になると「ほら見ろ」って感じで一斉にニョキニョキ沸いてくる。
そういう仕草を繰り返すあいつらを観察してて気づいた共通点がある。
結局、「ウエメセ」が大好きなんだよ。
トランプの本質は、どんなに追い詰められても、どれだけ「裸の王様」扱いされても、絶対に強気のポーズを崩さないところにある。
相手が折れるまで、どれだけTACOとバカにされようが「ディール」を迫り続ける。
ぶっちゃけ、トランプにはそれしかできないだけなんだけど、その「ウエメセ仕草」が一部の人にはものすごく刺さるんだよ。
日本の隠れトランピストたちが本当に欲しがってるのは、あの傲慢な優越感の擬似体験でしかない。
結局のところ、彼らが支持してるのは政治思想よりもそういう
まあそういう見方もあるとは思うよ。
ただアメリカとしても、イランの代理勢力であるフーシ派の海賊行為による損害が無視できないレベルだったんだよね。これはペンタゴンからも結構資料が出てる。数万円のドローンを数億円のミサイルで撃ち落とし続ける防衛コストの不均衡を解決するには、もはや代理勢力ではなく、その司令塔であるイラン政権を直接叩くのが最も経済的に合理的だと判断したんだと思う。CIAへの内通者が出るレベルのモジタバ政権の綻びやイスラエルの同調を絶好の好機と捉えたんだろうね。
俺はトランピストではないが、あいつは国家運営の適性はともかく、ビジネス的な損得勘定でアメリカを動かす傑物なのは確かだと思ってる。彼が動く以上、石油の一時的な供給停止という「コスト」を払ってでも、イラン排除による巨大な「リターン」が取れると踏んでいるんだろう。そしてそれはどの国にも当てはまるリターンだったから、トランプとしてもイラン攻撃への国際的な支持は取り付けられるという算段だったのかもしれない。結果は見ての通りだけどね。
手を汚したくないけど、海賊排除によるリターンを得たい他国は倫理面で懸念を示しつつトランプの行為を強くは止められないという感じじゃないかな。
底辺高卒浅学者のワイからみてもブクマカがイランに関してかなりトンチキなことばっかり言っとるから、ワイの知る範囲でイラン革命から今の今までを指導者の変遷を中心に書く。
最初に言っておくが、ワイは別にイスラエル推しでもでもトランピストでもない。〇〇派は~みたいな見当はずれの突込みやウヨサヨ認定は勘弁やで。
あと、これは昼休憩の50分ぐらいでがががーっと雑に書いたから、突っ込みどんどん頼むで。
今回の問題を理解するには今のイランの状況と死んだハメネイの評価を知る必要があるんやが、それを理解するには、まず、イラン革命を知る必要があるんや。
革命前のイランは王朝がイスラームの国民に西洋化を押し付けながらSAVAKっつー秘密警察をつかったクソ抑圧的な統治が行われていて、国民は疲弊しとった。
で、そんな中、イスラーム法学者としては最高位クラスのガチ宗教エリートかつ天才アジテーターのホメイニっつー奴が反政府運動を始めるんや。運動は一旦、王政によって鎮圧されるんやけど、ホメイニは亡命して、自分のメッセージを入れたカセットテープをイラン国内に撒いて国民を鼓舞し続けて、最終的に王政を打倒したんや。大した男や。これはカセットテープ革命とも言われとるな。
亡命先からホメイニが帰ってきたときの映像はたまにTVの報道記録でも流れるんやけど、ホメイニの乗った車を取り囲んでバンバン叩いてる民衆の熱狂がマジで凄いで。当時のホメイニはマジでカリスマで預言者みたいな扱いやったんや。
ホメはそのあと圧倒的な支持をバックにイスラーム法に基づく統治をおこなったんやけど、統治機構を全部入れ替えるような状況だったので、革命前に約束してた色々はなかなか実現できんかった。無料の水とか交通機関とかな。でもまあ、圧倒的な支持を基になんとかイランっつー国をまとめ上げたんや。
ちなみにイラン革命は宗教勢力だけやなくて左派とか民族運動も参加しとったんやけど、最終的にホメイニ派が主導権を握ったんや。政治的にもホメイニが他勢力より一枚上手やったことがわかるな。KOEI の歴史シミュレーションなら政治・知略オール90オーバーで他も80超えの神人材と言ってもええな。
で、こういう民衆の支持で成り上がった統治者が一番困るのは後継者や。
ホメイニもその辺はちゃんと考えていて、後継者として指名した側近がいたんやけど、政権末期にそいつを意見の対立から更迭してしまうという大チョンボをやらかすんや。
ホメイニはイスラム法学者としては最高位クラスのガチ宗教エリートで、思想もカリスマもあってイスラーム国家の指導者としては文句無しというパーフェクトイスラームボディやったんやけど、逆に言えばそんな人材なかなかおらんくてな。なんとか擁立しようとしてた後継者を更迭したせいで、後継者候補は皆無の状況になった。アホやけど、英雄の晩年はこういう話多いな。
で、後継者の育成が間に合わずにホメイニが死ぬんやけど、そこで後継者になったのが、最近死んだハメネイ。
こいつはいわゆる政治家タイプの男で革命家とか思想家って感じじゃない。政治的手腕で政権に食い込んでいて、ハメネイが死んだ後に後釜にちゃっかり座ったんや。
ただ、問題はこいつがイスラム法学者として最高宗教権威じゃなかったところや。最高宗教権威の一個下ぐらいやな。
当時のイランは憲法で「最高指導者はイスラム法学者として最高宗教権威級の自信ニキじゃないとあかんで」って決まっとった。ハメネイはそれだと指導者としての正当性に問題が出るんで、一旦、ごり押しで指導者にしてもらって、あとから憲法改正で「まあ最高位じゃなくてもイスラム法学自信ニキかつ、それなりに位が高かったらええで」ってしてしまったんや。
法学者としての位ってのは別にテストとかに合格する必要はなく、「アイツはイスラーム法学詳しいな」って他の法学者から認められる必要があるってだけやから、国内の法学者を丸め込んでとりあえず手打ちにしてもらった格好やな。ただ、明確な基準がないということは、逆を言えば国内外問わず自分たちのイスラーム学派内のコンセンサスを取るという合意形成が必要だったということでもあるんや。ハメネイはいったんそれをごり押しで無視したんや。
ハメネイは国内的には何とかうまくやったんやけど、自分たちのイスラーム学派内での合意形成を無視したことになって、ハメネイはその地位に対する宗教的正当性をやや失ってしまったんや。
当然批判も出るんやけど、そこは革命防衛隊みたいな強力な治安・軍事組織を使って押し付けていくんや。王政期のSAVAKと全く同じ組織ではないんやけど、結局は反対派を抑え込む抑圧国家になっていったのが皮肉やな。
死ぬ寸前のハメネイの評価としては、保守宗教層、地方民、革命支持層には人気があったけど、国家と宗教の結合を守るよう(*)に権力を使って強く抑圧していて、更に経済が停滞したせいで都市部の国民からは嫌われてる感じやった。(* この辺一旦は宗教権威を無視した部分と矛盾するんやが、ここにハメネイの統治のうまさとイランの抱える問題の根源があるんや。おもろいから各自で調べてみてな)
子ハメネイはイスラム法学者としては中位で、ぶっちゃけ全然宗教的正当性がなかった。
日本語版Wikipediaでは最高位の一個下ぐらいの位(アーヤットラー)って書かれてるけど、ロイターの6月時点の報道だと普通に中の上ぐらいの位(ホッジャトルエスラーム)なので宗教的正当性は父以下なんや。当然高位の法学者グループからは反発があったんやけど、後ろ盾になってる革命防衛隊がごり押ししたんや。
議論なんてもんじゃなく、文句言ったら死ぬぐらいの空気だったらしいから、今のイランは軍事政権に近いと言ってもええな。
もちろん子ハメネイも父の下で政権のメンバーとして働いとったし、それなりに実務能力はある。
ただ、宗教的な後ろ盾がなく、革命防衛隊が権力の正当性を担保してる状況だと、傀儡とまではいわんが、自分で動ける範囲はかなり限られるやろな。
ハメネイが国内でどう思われていてイスラーム社会での評価がどうあるのかというのをまず理解しないと、イランの問題を正しく理解することが難しいから書きなぐってみたで。
おまけ:
ワイが書いたことに加えて、今回の攻撃について理解するにはイラン核合意(JCPOA)やイスラエルの動向、アメリカがJCPOAを抜けたことやそのあとのイランの動向も知らんといかんのだが、時間がなさすぎるから各自で調べてな。
諸外国にメッってされたから、イスラエルが核の曖昧保有を維持してる中イランだけが厳しく監視されるなんて条約を受け入れて大人しくしてたのに、トランプに一方的に条約破棄されたんで、アメリカ戻るまで1年マージン取った上で、条約に違反しないよう筋を通して核開発再開したら、いきなりイスラエルに攻撃され、更にアメリカに空爆されて国のトップぶち殺されとる。イスラエルの立ち回りがうますぎて国消えてまうレベルの損害受けるってさすがに可哀想すぎんかって思うわ。
憲法15条3項は普通選挙を定めているが、合理的判断能力の有無に無関係に選挙権を等しく賦与する民主政には、残念ながら、有権者の不合理な事実認識によって政治的決定が左右されるという、政治的無知への脆弱性の問題がある。政治的選択に関連する事実的知識や判断能力に応じて、高能力者には複数票を与えるとか、低能力者には選挙権を与えないといった政治制度は智者政(エピストクラシー)と呼ばれ、政治的無知の影響を免れやすいとされる。選挙権の行使は国民一般に重大な影響を与えるのだから、医療行為のように一定の能力水準を満たした者にのみ許されるべきだと考えてはいけないのだろうか。我々は拙劣な医療にさらされない権利を有するがごとく、拙劣な政治にさらされない権利を有してはいないのだろうか。だが、それでもなお多くの政治理論家は智者政を斥け、誰もが政治参加しうることの価値を重視し、民主政を擁護する。
既に多くの人が指摘している通り、「安藤氏が智者政を推奨している」という批判は明らかに誤読である。「それでもなお多くの政治理論家は智者政を斥け、誰もが政治参加しうることの価値を重視し、民主政を擁護する」と、智者政に否定的な一文があるからである。上記の引用部分における、この否定的な一文の直前までの文章は智者政の要約に過ぎず、安藤氏が智者政を擁護しているわけではない。
しかし、参政党が政治参加の観点から高い評価を受けるべきことを指摘しつつ、以下の最後の結論に至るのは不可解である。
参加の価値は合理性の価値を打ち負かすに足るか。私は果たして選挙権を有するに値するか。現代の民主政の実情が否応なしに突きつける難問である。
なぜ不可解かといえば、第一に民主政擁護論の主要な根拠に触れていないこと、第二に民主政がもたらしうる非合理性を抑止する諸制度が既に現代の民主主義に組み込まれている点にも触れていないこと、これらの二点に依る。これらの二点に言及せずに上記のように「民主政は智者政を打ち負かせるのか」と問題提起しても、論理が飛躍しているように思われる。
第一の、民主政擁護論の主要な根拠とは何か。論者による意見の違いは大きいが大まかにいえば、「何の政策が正しいかを、究極的には合理的な議論によって決定できない」にも関わらず、民主政は決定された政策の正当性を担保できる点にこの制度が擁護されるべき理由がある。(以下、便宜的に「何が正しいかを究極的には合理的な議論によって決定できない」性質を『合理的議論非決定性』と呼ぶ)。民主政はどのように政策の正当性を担保するか、それは民主主義という手続き的正義で担保するのである。
合理的議論非決定性を理解するために、合理的議論決定性(=何が正しいかを合理的な議論によって決定できる)の具体例を見ていこう。例えば安藤氏が言及した医療は、何が正しいかを究極的には合理的な議論によって決定できる。「何故、この病気Aに対して治療法Bを行うのか」と医者に問えば、「複数の治験を比較した結果、この治療法Bが最も高い治療成績だと確認できたから」と答えるだろう。医療における合理的議論とは治験の比較であり、医療関係者はこれによって何が正しい治療かを決定できる。
そして、合理的議論決定性がある領域で、議会制民主主義を行っても無意味であろう。選挙に当選した国会議員が多数決で「病気Aに対して治療法Bが有効である」と決定しても意味がない。
しかし政策には合理的議論決定性がない。例えば、先の選挙で「給付金か、減税か」が論争になったが、どちらの政策が正しいかを合理的な議論のみによって最終的に決定することはできないはずだ。もちろん、それぞれの政策には一定の合理的な根拠があるが、医療における治験の比較検討のような決定的なものではない。そうすると、「給付金か、減税か」の決定の正当化は、議会制民主主義に依る他ない。政策決定をした後に記者に「なぜ給付金(あるいは減税)を実施するのか」と問われれば、最初に首相はその合理的な根拠を説明するだろうが、もしも記者が「それは何故?」と5回ぐらい繰り返したならば、その究極的な正当性の根拠として「選挙に当選した国会議員が多数決で決めたから」と首相は答える他ないだろう。
まとめると民主政は、民主主義という手続き的正義によって政策決定の正当性を担保することにより、政策決定における合理的議論非決定性の問題を解決(あるいは回避)する制度であるといえる。
もちろん、政策には合理的議論決定性がないからといって、合理的議論そのものが政策決定の過程に存在しないのではない。安藤氏の不可解さの第二の根拠として挙げたように、民主政の非合理性を抑止する諸制度が既に現代の民主主義に組み込まれている。具体的には、国会議員は公開の場で審議せねばならず、有権者に幅広く報道される。議事録も自由に閲覧できる。当然、議員が合理的に議論しなければ、有権者の支持を失い次の選挙で落選するだろう。加えて、三権分立、法治主義、参政権とそれに密接に関連する基本的人権(表現の自由など)の手厚い保護が、民主政による非合理を抑止するように働いている
さて、安藤氏の論考に戻ろう。同氏は「参加の価値は合理性の価値を打ち負かすに足るかもしれないし、打ち負かすに足らないかもしれない」と示唆し、それが「現代の民主政の実情が否応なしに突きつける難問である」と問題提起している。しかし上で述べたように、現代の民主政には非合理性を抑止する諸制度が広範に組み込まれているのに、なぜこの点に言及しないのか。そして、そもそも政策には合理的議論非決定性がある以上、参加の価値が合理性の価値を当然に打ち負かすはずである。打ち負かせないならば政策には合理的議論決定性が存在することになるが、そうであるならば安藤氏はその存在を論証すべきであろう。そして、政策における合理的議論決定性が存在することを論証したならば、もはや政策決定を民主政で行う意義もなくなる(少なくとも大幅に薄れる)のだから、「現代の民主政の実情が否応なしに突きつける難問である」と問題提起も不要になる。
ファイアーウォールの余地はありません。There is no room for firewalls.
”ファイアーウォール”は欧州の政治においては単なる防火壁ではなく、ニュアンスが乗っかってしまう
https://jp.reuters.com/world/security/HEI6CUNYKNKPFFIZENIBZ23OGE-2025-02-14/
”ナチスの過去を持つドイツでは極右政治がタブー視されており、主要政党間ではAfDとの協力を拒否する「ファイアウォール」と呼ばれる合意が形成されている。”
”ショルツ独首相は独メディアとのインタビューで、バンス氏の発言を「非常に異例」と批判。ピストリウス国防相も「米副大統領がドイツだけでなく欧州全体の民主主義を疑問視した」と強く反発した。
ドイツ政府報道官も「友好国も含め、外国人が選挙期間中にこれほど激しく選挙運動に介入するのは適切ではない」と非難した。
トランプ米大統領の側近である実業家イーロン・マスク氏も、これまでにAfD支持を公言している。
バンス副大統領の事務所によると、同副大統領はこの日、AfDのワイデル共同党首と会談した。ワイデル氏の広報担当者もこれを確認し、両氏がウクライナ戦争やドイツの国内政策、言論の自由について話し合ったと述べた。”
バンスのこの煽りはドイツ政界にとってはentrenched interests既得権呼ばわりとセットで苛つかされるでしょうね…
これからお目にかける雑文は、データにもエビデンスにも専門知にも基づいたものではない。
むしろ一市井の人間の有限(どころか乏しい)観察と未熟な想念、そして「何か書かなければならない」という衝迫のみを支えとしている。昔風に言えば標題のとおり印象批評だし、現代風に言えば単なるお気持ちである。
それでも、虚言や流言、罵詈雑言が猖獗を極めるクソッタレインターネットへ供する一服の清涼剤たらんという意志を持って草した文であり、そのように読まれることを希う次第である。
以下に続く文章は、主語がデカすぎるだの、事実認識がお粗末だの、構成がなってないだの様々な批判に晒されるであろうことは最初から織り込み済みである。いずれも筆者の能力の至らなさに起因するので「ごめん!」としか言いようがない。
もっとよりよい認識や知見の給源は他にあると思うので、それらに接するのが一番いいと思う。そのような批判を恐れずにあえて書く理由は、まさに標題で仄めかした「民主主義を虚無に捧げてはいけない」という信念を擁護するために自分でできることをしようと思った、ただそれだけである。
この文を書こうと思った直接のきっかけは昨日の兵庫県知事選挙である。
つい1週間ほど前に太平洋の向こう側でトランプが当選し、「MAGAくんさぁ……」という軽侮の念を抱きつつも、どこか他人事の如く受け止めていた自分がいた。
しかし、メディアやネットでパワハラ野郎だの私利私欲を極めたゴミだのサイコパスだのさんざん叩かれた斎藤元彦がメイク・ヒョーゴ・グレート・アゲインした途端、愚かな民衆なる集合は爆弾ゲームよろしく我々にヒョイと手渡されたというわけだ。
尤も、自分の最初の認識がそもそも間違っていたというのは認めるにやぶさかでない。要は愚かな民衆も、賢明な民衆もどこまでいっても抽象概念で、そのような概念で語れる事柄には限界があるという単純な原則をしばし忘れて物を考えがちというだけのことだ。
このような間違った考えで一喜一憂しているのは筆者だけはないらしい。
選挙結果が出てから、兵庫県知事選は立花某にハックされたということや、あるいはネットで真偽不明の奇々怪々なフェイクニュースを浴びせられて正常な判断ができなくなった結果だとして、SNSと選挙の結びつきを否定的に見ている向きがある。
もちろん、我々はアメリカの大統領選にロシアやイランが介入しようとしたという事例を知っている。ならず者国家の裏工作を挙げるのが極端だとすれば、ケンブリッジ・アナリティカのような倫理観の欠片もない連中がいることも知っているはずだ。
しかし、現段階の情報でもって、兵庫県民は騙されたのだという前提で話を進めるのは問題だろう。それをもってしても社会の底が抜けたとか、もはや民主主義は終わりだという悲観的で短絡的な発想に至りがちということを見ても、この種の作業仮説は民主主義に有益どころか有害であることは明らかだ。そういう人たちがエピストクラシーを実現するのか、リベラルな思考をもった等質的な市民たちによる思想のゲーテッド・コミュニティを作るのかは知らないが、それはきっと非民主主義的な操作で行われるものではないか。筆者はリベラル嫌いだが、それでも自分たちの理念に後ろ足で砂をかけるような彼ら・彼女らは見たくないというのが嘘偽らざる思いだ。
各種報道を見る限りでは、兵庫県民は普通の民主主義国家における市民と同じくらいの能力や感覚を持ち、それなりに各候補者を比較考量した上で投票に臨んだと考える方が現実に近い、と筆者は考えている。
ここでは斎藤や稲村の政策についてどっちがいいとかいうことは考慮の埒外に置くが、少なくとも「何かいじめられててかわいそうだから!」とか「メディアの一辺倒な報道が気持ち悪いから!」だけで110万票も取れるんだとしたら、残念ながら民主主義以外の選択肢の有効性も検討すべき時期が来ているのかもしれない。もちろん、実際のところそうではないのではないか、というのが筆者の見立てだ。
何が斎藤元彦に再び県庁の敷居を跨ぐことを許したのか。それを考えるために補助線を引きたい。もちろん、論理的必然性をもった操作ではない。何故ならこれは印象批評にすぎないので。
少し前に国民民主党の玉木代表の不倫問題が報じられた。不倫の責任の取り方は様々だろうが、代表を続投しこれからも頑張っていくということが比較的多くの人に受け入れられているように思った。
その方策の是非はともあれ、手取りを増やそうというストレートな訴えが若者を中心に多くの支持を広げていて、それに水を差すような報道を苦々しく思っている、あるいはある程度「相対化」可能な事柄だとして脇に追いやってもいいという雰囲気があるように筆者の目には写った。
筆者個人はこの種の思潮には到底賛同できない。不倫するような人間に増やしてもらう手取りなんぞはこちらから願い下げである。議員辞職するまでではないとしても、代表を辞任し一兵卒として政策の実現に邁進するということだって責任の取り方としてありえたのではないかと思っている。
どれだけ政策を懸命に訴えても、政策を進める当事者の「人品」というのは、決しておざなりにしていいものではない、と個人的には思う。実際、自民党の政治資金収支報告書不記載の問題に端を発する「裏金」逆風はそのような考えから生まれたわけだし、与野党伯仲という結果に実を結んだと考えれば、個人的かつ奇異な考えではないとも思う。であれば、妻子ある男性が別の女性に懸想することを問題視しなくていいのだろうか(妻子にとっては経験しなくていい嫌な出来事であるし、相手方の女性が公党の代表者と不倫したことがバレればその社会的地位をも脅かしかねないという帰結を予想できなかったのであれば、政治家どころか責任ある社会人としても御しがたいレベルの不見識なのではないか。)。
とはいえ、上の筆者の考えは少数派に属するものだと思う。不倫は家族や当事者の間で解決されるべきでダメだったら家庭裁判所へどぞ、というような私的な話で、こんなことのために俺たちの手取りが台無しになってたまるか、玉木はきっちり反省してその後頑張れという意見が大勢を占めているのではないか。
そしてこれは、斎藤が公益通報制度を度外視して告発者を袋小路に追い込んだことや、トランプが弄する信じがたい人種差別的・性差別的言動によって当事者が傷つけられることを等閑視するメンタリティと相通ずるものがあるのではないか。
もちろん、そういった非倫理的な行いに諸手を挙げて賛成するダークトライアドガチ勢のような人間ばかりではないだろう。しかし、それはそれとして、というような相対的態度をとらざるを得ないのは、言い換えれば自分たちにとって焦眉の問題が別にあるということにほかならない。
このような相対化を導くに至る根源的な不満の存在それ自体は目新しい指摘でもなんでもない。ラストベルトの労働者も、閉塞感を感じてきた兵庫県民も、手取りが増えない若者のいずれも「古くて新しい問題」であり続けている。目新しいことでもないのに、定期的にこの種の話が出てくるのは、解決が困難なことの証である。そもそも解決可能な話なのか? 全てのステークホルダーに満足を与えられるほどのリソースがあるのか? 自分たちの満足のために誰かにふるわれる不正義もやむなしとする世界で、オメラスから立ち去る勇気を持つ者たちが果たしてどれだけいるのか? 我々はずっとこの問いかけの中に閉じ込められているし、この困難さを抱きしめることが民主主義の要諦なのかもしれない。
この文では、貧しくあってもせめて人並みの倫理ぐらいは持てよバーカ、とか、人民の悲しいまでの想像力の欠如を嘆かん、という倫理的お説教や慨嘆を述べ立てるつもりは毛ほどもない(そういうリベラルへの嫌悪感を筆者は多くの人と共有するものである。)。政治家に自分たちの方を向いてほしい、助けてほしいというのは当然だし、その願いが届くのが民主主義のいいところではないだろうか。
だが、その時、もしかしたら誰かを犠牲にしているのかもしれないという一抹の不安は感じてほしいなとは思っている。それが望蜀に属する話だとしたら、民主主義の皮を被った椅子取りゲームを続けるべく、我々はいつ鳴りやむか分からない音楽に耳をそばだて、減り続ける椅子を横目に生きていくのだろう。これがいいとは、筆者は決して思えないが。
「あの青年は人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむことのできる人だ。」
大人になってから『のび太の結婚前夜』を改めて見た時に、「なんて当たり前のことを言ってんだ。よっぽど褒める言葉が見つからない時用の言葉って感じだ。」という冷笑的な感想を持った。しかし、今ならのび太が全くもって稀有な人間であったと痛感せざるを得ない。
立花が言うように元県民局長がどんなに酷いことをしていても(逆にどんなにいいことをしていても)、斎藤の拙速かつ強引な統治手法(このことは必ずしも立証されていないが、その後の百条委に至るまでの対応を見ればそう思わざるを得ない)に問題意識を感じて声を上げたこと、そして斎藤がそれをこれまた拙速かつ強引に対峙し、県政停滞のハードランディングに至ったのとは別の問題である。その対応に関する法的な問題などはこの際措くとしても、百条委で問われた道義的責任を「わからない」と述べた斎藤が、再選で得た民意を盾にこの問題を「相対化」しようとする危険性がないとは決して言えないだろう(当選後、記者団に対して「知事部局として一緒にやっていくのは公務員としての責務」と述べたのは、県職員に対して「俺は民意を得たんだからお前らがついてくるのは当然だよな?」と釘を刺した形とも言えるし、先行きは不透明だ。)。
斎藤に投票した人は、せめてそういう状況が棚上げになったままであることを認識した上で、自分たちの居心地の悪さに素直に向き合ってほしいと思う。(元県民局長が死んだのは別の理由であるという卑劣な矮小化をするのではなく、)たとえ拙速で強引でも斎藤が自分たちにとっていい兵庫県を作ってくれると信じて投票したのだとすれば、その結果誰かが痛い目を見ることになるかもしれず、それはひょっとすると顔見知りかもしれない。その時、その人の不幸を悲しみ、その人の幸せのために何かできるだろうか。そういった考えを頭の片隅に置き続けることが、民主主義のレジリエンスを形作る重要な要素だと筆者は考える。清廉潔白完全無欠な政治家が存在しない世界で、民主主義を選び取った全ての清廉潔白完全無欠でない我々にとって、「それがいちばん人間にとってだいじなこと」ではないだろうか。
日々の生活に汲々として自分の人生にやりきれなさを感じながら 「人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむ」というのはそうそうできることではない。とはいえ、できていないなと思うだけでも、「あの時できなかったから次こそは」という思いにつなげられるかもしれない。
体育会系クラブなのだろう、元気が有り余っている感じで歩道で爆走する奴ら。なんというか微笑ましさはあるが速度が出ているので普通にとても危ない。てか通勤通学時間帯でそれなりに人の歩いてる歩道を爆走するのは本当に止めて欲しい。歩道走る時はチャリも徐行(個人的には15㎞/h以下)がお約束だぞ!
ロードと書いたがクロスバイクや最近ほぼ見なくなったがピストを含む。スーツスタイルのリーマンが多い。こいつらはやたらスピードを出す割にヘルメットと手袋をしていないので勘違い野郎だとすぐわかる。場合によっては裾止めもしてない。なお車道走行と歩道走行を都合よく併用する奴が多く、別にそれ自体を否定はしないが歩道を走る時はだから徐行しろと言いたい。
電動アシストの「立ち上が軽く簡単にスピードが出る」との特性を最大限に活かし普通のママチャリでは有り得ない加速(ロードとかよりも立ち上がりだけは早い)で一気にスピードにのり歩道を爆走する危険な存在。電動アシストってチャリ本体の重量が30㎏くらいあるし、オバハン本体の、最低でも45㎏くらい以上の重量が乗るので、人をはねたら普通に殺せる乗り物なのだが何故かその危険性はあまり周知されていない。本人は気分よくスイスイ走っているのだろうがアシストにより20㎞/h以上普通に出ているため本当に爆走としか言いようがない。あと歩道上で平然と別のチャリ等を追い越そうとするし、とにかく全体的にマナーがカス。歩道で遭遇したら絶対に近づいてはならない。
https://anond.hatelabo.jp/20241106140729
音楽ゲームの波に乗って、ポップン版も独断と偏見で書いてみた。一応曲の良さだけでなく、ポップン史的に重要な曲って軸で選んだ。
現在収録曲数は1000曲超え、現在26周年のKONAMI製アーケード音楽ゲームポップンミュージック
初期ポップンを代表する人気曲。ポップン6の人気投票では4位を獲得した。その際1〜3位ももちろんいい曲ではあるが、とかくキャラ人気が高い曲だったのもあって、実際曲だけでいうならこの曲が1番人気だったのでは…という意見も見たことがある。(諸説)
7ではLONG版がプレイできるようになった。ピチカートファイブを想起させる渋谷系の楽曲で、明るい曲調と言葉遊びのような歌詞、そしてボーカル杉本清隆のハニーボイスが魅力的な曲だ。
杉本清隆は初代からボーカル歌唱という形で参加しており、6ではサウンドディレクターも務めていた初期ポップンを支えていたコンポーザーの1人である。
初代の参加曲「ポップス/I REALLY WANT TO HURT YOU」もまたポップンの代表曲として、今でもKAC(公式大会)の表彰などで流れている。
6を最後に退社、個人の音楽活動に集中する形になったものの、その後もたまに曲を提供してくれる
近年だと公式大会で決勝初出・かつパーカッシヴシリーズの続編曲ということで速度変化が大変なことになっている「西馬込交通曲」、ソフトロックの続編曲として発表された「le mal du pays, numéro 1」が収録されている(ポップン25 peace)
ポップン6は様々な要素が従来から変化したシリーズである。サウンドディレクターの変更(5で務めていた杉本清隆が抜け、同職だったwacが1人で担う形に)、メインデザイナーの変更(犬千代、P-CATがチームから抜け、shio中心の体制に)、版権曲の収録、キャラアニメがドットから現在のようなアニメーションになったなど……。
そんな折、突如現れたのがこの曲である。
それまでのポップンではあまりなかった力強い日本語ラップ曲。そして途中で高速になる独特の譜面。
この曲の公式コメントで「この曲に美味しいところを持ってかれちまうであろうことも。…大体当たったよね?」とあったことから当時の人気が窺える。
キャラクターのサムライ男性キャラの六も高い人気を誇っている。ちなみに現在公式大会で11連覇している選手もこのキャラを愛用している。
作曲者のDes-Row自体は5から曲提供していたが、この曲で一気に人気に火がつき、さまざまな名義でpeaceの頃まで楽曲提供をし続けていた。
ヒップロックシリーズはその後もコンスタントに(3の倍数がつくナンバリング)続編曲が作られた。
当時のポップンに少なかった力強い男性ボーカル・少し大人びた歌詞に当時女性を中心に凄まじい人気があったらしい。
また、キャラクターの狼男・アッシュも人気が高かった。ドラムの彼とベースのスマイル、ボーカルのユーリというキャラ、彼らの組んでいる「Deuil」というバンドは当時の女子ポッパーの心を大いに掴んだ。その人気からか、25 peaceでは、「Deuil」として数少ない書き下ろしキャラアニメ枠として新曲を引っ提げた。
新堂曲に関してはどれをピックアップするか悩んだが、多分氏の曲の中でも人気が高い、8でライブバージョンも収録されたということも加味してこの曲を選出。
その後もポップン11に至るまで曲提供をし続けていたが、諸般の事情(詳しくは検索)でポップン12では彼の曲は全削除、ポップンから姿を消すことになった。
その後、ポップン17、ポップン24では氏の曲をオマージュした楽曲が作られた。(24に関しては担当キャラもアッシュ)
beatmaniaの生みの親にしてポップンミュージックの名付け親、南雲玲生作曲。ちなみに前述のポップス
/I REALLY WANT TO HURT YOUの作曲者でもある。
透明感のある女性ボーカルと、アンニュイな曲調は人気が高く、ポップン9ではロング譜面が作られた。
この曲はキャラクターも特徴的である。ポップン7では、キャラクター数名の名前を公募で決めるという試み「PaPa*MaMa 7」を行なっていた。
この曲の担当キャラは「かごめ」という名前に決定し、影のある少女という属性も相まって大変人気のあるキャラとなった。
ポップンでは10のお星様にお願い、20のみんなでつくろう ポップン20などさまざまな形でユーザー公募のイベントを行うが、ポップン7のイベントはそのはしりと言える。
氏の楽曲は退社後のゴタゴタで多くの曲が削除されてしまったが、こちらの曲は運良く削除を免れ、今もプレイ可能だ。
版権曲に関しては初見の人がプレイすることが多いということで低難易度の譜面が作られることが多かった。
ポップで可愛い風体のポップンに収録された筋肉少女帯。同じアーティストの「日本印度化計画」と共に8に収録された。
レベルは最高難易度級、おどろおどろしい歌詞と、ノーツが微妙にずれて非常に押しにくい譜面、おまけの辛判定とまさに(当時のレベルなら)トラウマ級の譜面。
キャラアニメのミミは、本来可愛らしいキャラのはずなのだがこの曲では怪しい雰囲気の絵柄になってしまっている。キャラ説明文を見ると「不思議な夢」ということらしい…。
長らく収録されていたが、版権曲の定めか、ポップン21にてついに削除されてしまった。
ポップンで1番有名な曲。
作曲はbeatmaniaやギタドラでヒット曲を生み出していたTOMOSUKE、作詞はポップン12で雫というヒット曲を出したあさきというBEMANI的には豪華なメンツ。和風ロックなこの曲は大ヒットし、ポップンは知らないけどこの曲は知っている、なんて人もいるくらいだ。他機種にも移植されまくり、ひなビタもカバーしている。近年だとVtuberもカバーしたりしており、人気の高さが窺える。
16では初のAC出身最高難易度43・トイコンテンポラリーという曲が作られ、その譜面の超密度部分は「わけのわからないもの」と恐れられた。
ピアノの濁流がノーツとなったその譜面は「どうしようもないもの」と呼ばれる。スタッフはそんなに難しくないと思ったらしく、レベルは最高難易度一個下の42に設定されていたのもユーザーを恐怖に陥れた。
その反省か、次のポップン18のボス曲(ふること)は譜面難易度が大幅に下げられた。
その結果、当時の音ゲー板では「ポップンはガチ機種じゃないからこれくらいでいい」派vs「トイコンサイレント並みの譜面をよこせ」派で論争が起きていたのを見かけた。
KONAMI公式大会9thKACではポップン14からのボス曲(+J-テクノ)がメドレーとなったPopperz Chronicleという曲がお披露目され、ランカー達を驚かせた。
前述でポップン公募企画の話をしたが、こちらの楽曲は「みんなでつくって20」という企画でボーカル募集をしたものである。
可愛らしく元気な曲調とボーカル、そして何より乙女がいきすぎてストーカーの域に入っているようなキャラ、かおりんが当時話題となっていた。
みんつく20で募集したボーカルはその後も今に至るまでBEMANIに参加してくれているのだが、特にこちらのNU-KOの躍進は凄まじい。
ポップン以外にもオトカドールというACでは全曲のボーカリストを担当、BEMANIのプロリーグでは監督や解説を担当するなど、様々な形で関わっている。近年では声優としてもデビューしている。
昔のポップンはスタッフコメントや質問コーナー等の影響でスタッフとユーザーの距離が近かったゲームであり、まさにポップンだからこそ生まれた曲といえる。
また、作曲のPONは16よりポップンスタッフとなり、おそらく今も主要なサウンドディレクターとしてポップンを支えている。BST騒動以降、スタッフの詳細が隠されてしまったため憶測となってしまうが…。
当時「つぎドカ!」というBEMANI作曲家4人が4機種に1曲ずつ曲を提供し、選曲回数を競うという企画があった。
その中でポップン出身のPONの曲が見事1位を獲得したという曲である。
経緯的にポップン史10選に入れていいのか?と今気付いたが気にしない。
曲はストレートに熱く、少年漫画のOPのような曲。この時期のPONは作曲スピードがとても早く、サウンドディレクターとなった22、ラピストリアでも多数の曲を書き下ろしていた。
また、このつぎドカの曲を担当した4人のキャラ(烈・風雅・鈴花・氷海)はそれまでポップンにいない毛色だったこともあってか人気が高かった。
その結果、ポップン22 ラピストリアのストーリーでは主役級に抜擢される。
ラピストリアは等身高めな絵柄に改変(メインデザイナーもshio→ちっひに変更)、インスト曲の減少とキャラに沿ったボーカル曲の増加、濃いストーリー、ジャンル名の廃止……etcなどポップンのテコ入れと言わんばかりに様々な変化を取り入れた作品。
つぎドカのキャラ4人は、そのラピストリアの変化を象徴するキャラ達と言える。
ちなみにラピストリアの画風(通称ラピス絵)は、現在ではpeaceでは従来のデフォルメ(+厚塗りにした感じ)に戻っている。
こちらはポップン史に大きな影響…という感じではないが〆にふさわしい感じだったので載っけた。
20周年記念ということで、初代より参加していたsana、杉本清隆がボーカルを務め、23くらいまで長らくポップンに関わっていたwacが作曲をしている。こちらの名義も初期の楽曲と同じものが使われている。(メンバーは多少異なる様)また、初代ポップンのBGMが引用されている。
サントラのスタッフ欄はそれまでポップンに関わっていたアーティストやキャラ(!)がクレジットされており、往年のプレイヤーにはグッと来るものとなっている。
peaceの時のポップンには末期感が漂っていた。前作のうさ猫の途中からポップンの最大の特徴とも言えるキャラアニメの書き下ろしがなくなり、次作として発表された「peace」というサブタイトルは、ポップンのスタッフロールの最後によく使われる言葉だった。
稼働前に公式が25のサブタイトル案として出した中にも「climax」「ありがとう」があり、本当に最終作だったのではないか…?と考えるプレイヤーも多かった。
歌詞には「さよならさえも言えないのなら 今その分の思いを込めて歌うんだ」とあり、スタッフからユーザーへの、いつか来る別れのメッセージが込められている。
リフレクビートの様に、実質サ終だが別れの機会を逃してしまった機種があるからこそ、歌という形でさよならを託したのかもしれない。
peaceに関しては、絵柄の回帰、昔の楽曲のオマージュ曲や、人気曲の追加譜面、そして新たな難易度UPPERなどを追加したことで好評な作品となった。
peaceはレッスンやベビーメタルの追加譜面も話題になっていたので本来ならそっちを入れるべきかもしれない。
また、新たなポップンとしてスライダーを追加、ボタンサイズを縮小などされて開発されていた新筐体「NEW pop'n music Welcome to Wonderland!」がおそらく既存プレイヤーから不評+コロナ禍でお蔵入りしたことで、現在に至るまでさよならすることなく無事に続くこととなった。
ポップン初期〜中期を凄まじい曲数と幅広いジャンルで、サウンドディレクターとしてもポップンを支えていた村井聖夜による楽曲。
特にこの曲は初音ミクもまだ開発されていない頃に、PCに歌わせた革新的な曲である。
ボーカリスト、そしてキャラの「Alt」はポップンユーザーの中では人気があったが、他機種においては数年後にjubeatに収録された「隅田川夏恋歌」にて大きな注目を浴びることになる。
可愛らしい曲調と、ロリ天使がおむつを履いているという、絵柄がデフォルメだから可愛く見えるものの、なかなかすごいキャラデザのポエットは人気を博し、その後のシリーズでも新曲・新アニメが作られていった。
特にパーキッツの作曲の方は、ブタパンチなどの名義でパーキッツの可愛い楽曲とは裏腹にハードでちょっとイロモノっぽい曲を収録していくのであった……。
パーキッツに関してはどの曲を入れたらいいかも悩んでしまった…。順当に入れるなら初代かなあ。個人的にはウィッシュが好き。
あとはDJ YOSHITAKAの曲も入れようかと悩んだ。でも他機種に沢山代表曲あるからいいか。
一応最新作まで低頻度なもののプレイしているのだが、昔の曲多めになってしまった。
ただ、ネットの評判やポップンのリアルイベントの開催状況等を見る感じおそらくブームだったのが1〜8、14〜15だったので、その辺に偏るのはさもありなんかも。
ふしぎなくすりは本当に忘れてた…
でも人気と外に与えた影響を考慮するなら絶対に入れるべきだった。と言うわけで書いてみた
撫子ロックにポップンで1番有名な曲と書いたが、こちらも同等レベルで有名な曲。
作曲者の上野圭市は主に弐寺で独特な作風の曲を提供しており、前作の16からポップンにも提供を始めた。
こちらの曲についても「ふしぎなくすり飲まされて、渋谷で海を見ちゃったの」という歌詞からお分かりになる様に、なかなかの電波曲である。曲調も相まって大変中毒性が高い。
そんなネタ度の高い歌詞は、曲が出た2009年頃はまだまだ勢いのあったニコニコ動画で大ヒットした。
この曲を使った手描きMAD「ふしぎなくすり のまされて」シリーズはブームを起こし、色んなジャンルで作られたのだった。
こちらのMADで知名度をあげたため、ポップン初出ということを知らない人も多いかもしれない。
上野氏はその後も参加し、peaceでは続編曲とも言える「いつまでやったって、別にいいじゃない!?」を提供。ポップンはいつまでやったっていいんだ。
今、ジャンプで彼方のアストラって作品が連載しているんですよ。 追記:願いのアストロでした
簡単に言うと
これだけ聞くと「え?ワンパンマンでしょ」「ちがうね。スクライドだ!」「ニセコイでは?」ってなると思うんですけど、読んでみると文脈が凄いワンピースなんですよ。
「クソありがとうございました!」とか「美味かった~~~(風船みたいな腹)」みたいな感動部分もバッチリパクってまくすがなにより凄いのが、「うおおお俺の拳は銃弾だー!」でアストロのピストロしてドン!で解決なんですよ毎回。
これだけ聞くと超ど素人の一本目だけに許されるクソぽい新連載なんですけど、これは新宿スワンや東京リベンジャーズで売れに売れた漫画家の新作なんですね。
普通に漫画としてはそこそこ上手い(連載年数全部足したらほぼ20年の人の割には・・・とはなる)んだけど、なにより凄いのが初期ワンピのおもしろ要素を再現してる所。
悪いチンピラを前にして正義のチンピラが損得を考えずに正義のパンチで解決するっていうワンピースの黄金律で話が進むんですよね。
今のワンピってルフィがぶん殴ったら全部解決するかっていうとそうでもないことが多いでしょ?
でもアストロは初期のワンピだから悪い奴をルフィが殴ったら気持ちよく全てが解決するんですわ。
これをジャンプで平気でやるの、新人だったら潰されるっていうか「ワンピは二つもいらないよね」でアウトになると思うんですよ。
でもそれを一流作家が「俺はワンピースで行く!」で通してしまったからこの連載は成立している。
そして、今のワンピが偉そうに大河漫画を気取って初期の爽快任侠路線から離れているから、こんなにもワンピでも共存できてしまっている。
いや凄いな。
新聞記者が障害者が助けられても感謝を言う必要が無い理由を、店員が客に担々麺を掛けた例で説明、「意味不明」との反応が集まる
いわく“社会は健常者用にできていて障害者は不当に割りを食ってるんだから、健常者が障害者に手助けするのは被害回復でありそこに感謝はいらない”
これが意味不明だと言われてるのだそうだが何も難しくはないだろう。むしろその逆で幼児の頭で考えたような単純な理屈だ。もちろんクソの役にも立たない。
こんにちアメリカの大分断を生んでいるのはひとえにMAGAトランピストのキチガイぶりによる、わけではない。争いには相手がいる。一方の「リベラル」勢力が依拠するのがこの原罪思考である。インディアンを駆逐して国土を簒奪した移民の子孫が、ニューカマーを「不法移民」と断じる権利はないという価値観。
エンジニア的な、問題解決型の思考と行動様式である。うるわしき伝統を崇めるより自分の手で不断に社会を改善していく。選挙以外にも多様な機会・手段を捉えて。ただし安易な暴力的手段に流れず。
それでなにか理想の社会を実現しようというのではない。そこまでやってやっと平常運転が保ち得るという諦観がベースにある。
そこにおいて障害者を助けるというのは贖罪なんかではない、単なるチームプレーの一環である。お互い助け合う集団のほうがトータルで強いに決まってるからそうするのだ。
罪深き我々と哀れな犠牲者という(実はめちゃくちゃ上から目線の)関係でなく、対等なマイトシップの発露以外の何ものでもない。
バゲットはある程度の水準をクリアしてればよくて、そこから先はパンに塗るバターでの勝負になってくるんだけど、皆のおすすめのバターを知りたい。
いまのところはよつ葉の「よつ葉パンにおいしいよつ葉バター」で運用してるところ。
なお、バゲットはVironとかPaulあたりのスゴクカタイバゲットあたりでOKといった感じ。
---
【追記】
沢山のおすすめバター情報をありがとうございます!
知ってたけど食べたことはなかったバターから完全に知らないバターまで色んなバターをおすすめいただいたので、片っ端から試しながら楽しいバターライフが送れそうです。ありがとうございます!
大山バター人気ですね!他にもマーガリンやフランスやイタリアバターのオススメもありがとうございます!
トラピストバターは、あの缶に書かれたカタカナで腰が引けてしまっていたので後でチャレンジしてみます!
また、手作りでバターの出来立てを味わえるのも良さそうですね。作り方もみましたが、ちょっとゆるめの仕上がりで美味しそうです。
カルピスの発酵の方とグラスフェッドは食べたことなかったので、これも見かけたら試してみます!
丸ビル地下のフレッシュバター工場の情報もありがとうございました!有楽町のアンテナショップのついでに覗いてみたいと思います!
あとは最近話題になっていた佐渡バターも気になっていたので手に入りそうでしたら試したいですね。
オリーブオイルのコメントもいただいたので、イータリーのオンラインショップを覗いてみました。産地が北部や南部で分かれていたりとここらへんも奥が深そうな感じしますね。(ちなみに普段はカルディの徳用サイズのやつを使ってます)バターに飽きたら試してみたいです。