はてなキーワード: らくだとは
前提として、自分は生成AIでイラストを生成・加工したことはないし、これからするつもりも全くない。
理由としては、生成AIはいろんな人の絵や写真を無断学習しており──という事ではない。単に、自分の手で描く方が楽しいから絵を描いている。プロンプトでのイラスト生成より、ペンで線を引く方が、自分の思ってるものを出すには早くて楽だ。だからAIでの画像出力には興味がない。
その上で、絵師をアイデンティティにしてる連中の生成AIアレルギーが最近どうにも気持ちが悪い。
言っておくが、もちろん「この経緯だとそりゃAIを嫌いにもなるよな」と感じる反AI絵師ももちろん知っている。AIを使って嫌がらせを受けたり、自分の絵柄を模倣したAIで悪意あるイラストを生成されたり。そりゃあ嫌にもなると思う。
その上で、「「絵師」というカテゴリーの人間は全員生成AIが敵である」という絵師たちの空気感が気持ち悪くて仕方がない。
個人的な意見だが、今の絵描きたちは、AIよりもむしろAIを嫌うものたち(絵師たち自身を含めてだ)のほうに攻撃されていると思っている。
Twitterひとつとっても、綺麗な絵に「これは生成AIだ」と決めつけるツイートが毎日のように投稿されている。
AI認定の論拠はさまざまだ。指が6本、細部が溶けているという明確な理由のものから、原作デザインと細部の模様が違う、指の数を間違えているなんて手描きでも当然のように出てくるミスまで、山ほど。
そして悪いことに現代インターネットは「悪者」を燃やすことに命を賭けられる人間が目立ちすぎる。その中で分かりやすい「生成AIを使う絵師もどき」はそりゃあ格好の餌だ。本当にAI製だなんて本人以外にわかるはずもないのに。
下書きが雑なのにいきなり線画が綺麗になるからどうした。一発描きで美しい絵を描ける人間なんていくらでもいる。絵柄が典型的なAIだからどうした。その人は2020年からもうその絵柄を確立させている。
話は変わるが、とある可愛らしいマスコットがインターネットで人気を博しているのは知っているだろうか。教育番組をテーマにした、あの非常に可愛らしい大人気のマスコットだ。
かのマスコットを描いた絵師が、あえて生成AI風のイラストを公開し、あとからタイムラプスを添えてそれが手描きであると証明したことがある。
そのイラストに対してあったのは、最初は大批判、手描き証明のあとは大賞賛だった。
生成AIの画風(と言っていいのか定かではないが)を誰にも見分けがつかないよう模倣するその技術力は素直に賞賛ものだ。本当にすごい絵師さんだと思う。
だが、それを見ているものはどうだっただろう。
同じイラストを見て、AI製だと思ったらゴミと殴りつける。手描きだと思ったら神と崇め奉る。
変だ。
例えば、ここに料理があるとする。
そこで料理したのが人間のシェフではなく機械調理だと知ったならば、その料理をゴミ箱へと捨てるべきなのか。
人が考えたレシピをそっくりそのまま調理して作られた料理でも、それはゴミとしていいのか。
人間のシェフにとっては、美味しいと喜んだ人間も、それを調理した機械もゴミとなるのだろうか。
おかしい。
そして何より、機械調理をゴミだと呼ぶシェフたちが、同じ料理人たちに向かって「機械は悪だ」「お前も機械を使っているんじゃないか、ならばお前も敵だ」と殴りかかっている。
こんな事態が起こっているのは、少なくとも自分の観測範囲では我々イラスト界隈くらいなものだ。
プログラマーというAIに近しい人々は勿論、コスプレイヤーだって画像加工にAIを使用しているし、字書きだってAIと共に作った作品を文学賞に出して選考を進んでいる。
勿論プログラマーもコスプレイヤーも字書きも「生成AIは嫌だ」と言う人はいるだろう。それは個人の自由だ、制限することも批判することもない。
だが、こと絵描き界隈においてだけは「生成AIを使う人間は畜生以下だ」という暗黙の協定ができてしまっている。
生成AIへの強すぎる嫌悪と晒し上げが、自分は本当に嫌だし怖い。
ほんの少しの悪意に見つかってしまえば、自分は本当にAIを使わずに手で描いていたとしても「AIだ」とレッテルを貼られる。「AIかもしれない」という偏見はその後ずっと残り続ける。
以前Twitterには、絵描きの絵を引用しては「これはAIだ」と判定するだけのアカウントがあった。自分も何度か覗いたが、本当にめちゃくちゃな因縁の付け方も数多くされていた。それでも絵師たちはそのアカウントを見て「こいつはAIだ」と引用されたアカウントを敵視した。
その後、そのAI判定アカウントはフォロワー数が集まったところで売りに出された。
AI嫌悪の絵師たちの過剰に煽られた怒りは、それ以上の悪意によって金にされるだけのものなのだ。
どうにかこの絵師界隈に蔓延る「生成AIを使うやつはみんなの敵だ」「だからAI信者は探し出して吊し上げるべきだ」という空気感から逃げたい。
ひとくちに絵師と括っても、中にいるのはAI嫌悪たちの大好きな人間そのものなのだ。AIが嫌な人間もいれば、私のようにAIをあまり嫌だと思えない人間だっている。その方向性は全員違う。巻き込まないで欲しいと言うのが本音だ。
今はまだ、AI判定吊し上げの当たり判定は「画像」という範囲に収まっている。だがそれでもその当たり判定はどんどん拡大しているように思う。
最初は生成AIでのみ作られた絵を叩いた。次に、AIイラストを加筆した絵を叩いた。その次は生成AIをトレス元に使った絵を叩いた。最近は生成AIを模写したものまで叩かれるようになっている。ここまで来たらもう、疑われた時点で終わりだ。AI不使用の主張は悪魔の証明と化している。
おそらくだが、このまま行けば「AIを使ってイラストの構想を練った」「AIでネタ出しした」くらいまでは叩かれるようになるんじゃないかと思う。このネタはAIっぽい、この構図はAIっぽい、そんなことまで言われてしまえばもう終わりだ。もし自分に悪感情を勝手に抱いた誰かが自分にAIの難癖をつける引用ツイートをしたら簡単にこれまでの歩みは終わるようになる。
絵描き以外は、各々の方向でAIと付き合い、活用し、和解し、共に歩もうとしている。どうして絵描きだけこうもヒステリックなのか。どうして「自分は線を引くのがただ好きなだけだ」という心に戻ることができないのか。本当に恐ろしい。
生成AIの何がそんなに嫌なんだ。AIで嫌がらせされるのはそりゃあ自分も嫌だが、じゃあAIに過敏なあいつらは全員AIを使って集中攻撃でもされたのか。
自分の描いた絵よりも生成AIの方が数字が伸びることが許せないだけだろう。
もうみんな、数字を伸ばしたい承認欲求を満たしたい、だから自分より楽してみんなに認められ数字を稼ぐあいつらが許せない、になっていないか。
その気持ちは、貴方たちの大嫌いな「生成AIイラストで承認欲求を満たしたいだけのアカウント」と何が違うんだ。
自分の満たされなさで他人を攻撃しないでくれ。AIイラストにたくさんいいねがつくのなら、それはAIイラストだったとしてもこれは素晴らしいと思った人がそれほどの数いたということじゃないか。
だからといって自分の絵がAIイラストに劣るという証左になるわけでもないだろう。絵が伸びるかは、昔からずっと、ただの運だ。ガチャを回して、自分は目当てを引けず誰かが目当てが引けたからと言って、自分の価値が下がると本気で思うのか。
つらい。
こんな増田の自己開示なんてだれも当てにしないとは思うが、自分だってそれなりに人に見てもらえる方の絵描きだ。見てもらって喜んでもらえることは嬉しい。だからって、他の絵師を見て「あいつのほうがどうして喜ばれてるんだ」と逆恨みすることはない。自分が絵を描いていて楽しいのなら、他人の絵の評価なんて気にしなくていいじゃないか。これが美大受験やコンクールなら大いにわかるが、ただのSNSなんだぞ。
ニュージーランドの教育は個性尊重、日本のような全体主義的な性質もなく、子どもたちにとって最高の教育システムが提供されていると信じてやまない日本人がどうもいるようだが全くそんなことがない話をする。
ニュージーランドの義務教育は日本とほぼ同じだが、高校課程までが義務教育、と言ってもやめても構わないがやりたければ無条件で受けられる、となっている。
小学校や中学校まではおそらくだが勉強が嫌いにならないことや、ニュージーランド社会で生きていくために最低限の教育だけをしているのだろうが、日本の教育とは質も量もかけ離れている。
ニュージーランドに来た日本人の多くが子供に対して与えられる教育の内容と質に愕然としているか、「そんなことはないこれこそが子どもたちを真の意味で伸ばす教育だ」とイデオロギー的に信じ込んでいるかどちらかだろう。
ニュージーランドの教育は家庭の経済によって格差が露骨なほどに現れる。金持ちの集まる学校ほど潤沢な資金で優秀な教師を雇って質の高い教育を施すことができ、貧乏人の学校ほど最低限(必要十分ではまったくない)の教育しか施されないため、貧困が凄まじい勢いで固定化されている。
などという話はもうかなり昔から言われていることだが、国はもうどうすることもできない現状なのでもうどうしようもない。
いずれにせよ、ニュージーランドの教育は、教師と子供の間に不可侵の壁が出来上がり、突っ込んだ教育が一切できないために放置せざるを得ない、というのが個性尊重や進んだ教育の正体でもある。
今回したい話は、子どもたちの出席率が90%を下回ると親が国から罰金や告訴を受けるかもしれない制度が2026年から始まるというものだ。
ニュージーランドではスクールホリデー中の渡航費が高いため、少し早めに学校を休んで海外旅行に行く、という人がそれなりにいるのだが、これをやったら罰金になる制度が始まる。
罰金を払って安い航空チケットを買うか、罰金を払わずに高い航空チケットを買うという選択肢になる。
またこの他にも、学校を15日以上休むと両親が国から訴追を受ける可能性が発生する。これも法律として制定されるので、回避しようがない。
日本から来た親が感じているこの国の教育の素晴らしさの一つに出席しようが欠席しようがあまりとやかく言わない、教育以外の大事なこと(笑)も子どもたちに経験させることができるというのがあるのか無いのか私は知らないが、今後こういったことはできなくなる可能性が高い。
これらの制度を作っている政治家はデビッド・シーモアというニュージーランドの極右政党ACTの党首だ。
極右政党と言っても軍国主義者というわけではなく、超保守とでも言えばいいと思うが、この政治家はニュージーランドのアンタッチャブルでもあるワイタンギ条約の破棄も目指していることでマオリからは蛇蝎のごとくに嫌われている。
そんな彼が目指しているのは、子どもたちの学校出席率90%だ。そしてマオリ以外からも嫌われることを目指していると言っても過言ではないだろう。
学校に行きさえすればいいのかというとそんなことはないが、この国の問題の一つに半数以上の子どもたちの出席率がかなり低いというものがある。
そこで親には訴訟や罰金をちらつかせることで子どもたちの出席率を上げようと言うのが今回の法律の要点でもある。
とても民主的とは思えないこの制度に対してマスコミはなにかしているかというと特に何もしていない。
おそらく今後ニュージーランドに日本よりもいい教育を期待して来る人はいなくなるか、いたとしたら温かい目で残念だったなと言うようになるのかもしれない。
今回のナショナル政権ははっきり言ってひどいの一言であり、全く何もできていない。
もしかするとジャシンダ・アーダーン率いるレイバーの負の遺産があまりにもひどくてそれどころではないのかもしれないが、レイバーは今の政権がいかに無能かを騒ぎ立てている。何いってんだと思わなくもないが、実際ダメだと思う。
デビッド・シーモアのせいで私の宿敵でもあるウィンストン・ピータースが全く目立たなくなってしまったが、彼はやばいときはどんどんと影になっていくので、彼なりの政治センスの可能性もある。
デビッド・シーモアはちなみに言うと国民が次の首相になってほしい政治家の一人でもあった。この国の人々のセンスのなさが凄まじい。
「人間扱い」について調べた。
…「清潔感」とセットでパートナーを得るために不可欠とされていて、古来よりアドバイスされているけれど、しかし改めて調べてみて分かったんだが、ほとんど詳細は語られてない様子。おそらくだけど、男性のコミュニティでは全く馴染みがない考え方なのではないか? 男性の愚痴と思しき人気コメントでは「清潔感と同じで意味のないバスワードだよ」のようにも言われていた。
なんで恋人が欲しいわけ?それがわからない。結局アクセサリー的に欲しいだけなら上手くいかんだろう。男女性別は違うけど、相手はアクセサリーではなく人間です。
複数人集まって女性だけ抜いて割り勘しちゃうのは、一人前の人間扱いしてないように思えて嫌な感じ。省かれた女性陣は純粋に喜んでるんだろうか
なんか、誰も相手を人間扱いしてない感じがするね。相手を人間だと思えないような出会いや付き合いしか出来ない環境になったのなら、そりゃハードモードだろうよ。だって、相手の自分も人間じゃないんだもん
自分の清潔感を気にするのは好きにしたら良いが、同時にどんな隣人も人間として扱うことを覚えような。匂いや振る舞いに気に入らないところがあっても、ひとりの人間だからな
[B! 健康] 男女問わず35歳からは清潔感への配慮を1段階上げたほうがいい、インナーを買い替えるとか口腔ケアを念入りにするとか→みなさんが気をつけてケアしてることって何?
1.異性を異性として過剰に意識しすぎず(友情段階であれば)同性と同じようにフラットに接する。 2. "男性""女性"全てが同じ思想を持った何かのような扱いをするのをやめる。 3.性差より個人差が大きいことを知る。 100文字では限界がある
まるでフェルマーの最終定理のようだ。ぜひ続きを語ってほしかった……。
パトレイバーはEZYの番宣みたいなのも少しみたけどクイズ番組になってて司会がgdgdで監督話してるのにそれさえぎってクソクイズ始めるし最悪と思ってみるのやめた
夜2か月ぶりにごみ出した
サニーでサンポーの焼き豚ラーメンがちょっと安くなってたから買い込んだ
あとひな祭り系のが割引になってたからももあじのキャラメルコーんかった
荷重組は量減らさず値上げしてるんだよな
昔は70円くらいで買えてたのに2倍くらいする今は
せっかく買ったけどもう歯磨きしちゃったしキャベツでおなかふくれてるから食べるのは我慢する
我慢っていうほど食欲はないけど
いつもならもう日付かわった今日は月曜なんだけど三連休だから今日日曜でまだ休みなんだよな
やっぱ3連休いいわあ
子どものお小遣いがキャッシュレスになる、という記事を読んだのだ。
そこに書かれていたのは、だいたいこんな筋書きだった。火付け役になったのは海外発のデビットカード・サービスで、親はアプリの画面をひらくだけで、子どもがいつどこで何にいくら使ったのか、一円単位までつぶさに把握できるらしい。
まるで冷蔵庫の中身を確認するみたいに、子どもの財布の中身をのぞけるわけだ。ヨーグルトがあと何個か、ビールが何本か、そういうのと同じノリで。
でも、ちょっと立ち止まって考えてみる。
もし僕たちが子どもだった頃、親にお金の使い道を完全に把握されていたとしたら、嬉しかっただろうか。
放課後の駄菓子屋で、友達とどうでもいい話をしながら、よく分からないガムとか、体に悪そうな色のジュースとかを買った、あの感じ。
あれを、ぜんぶどこかのクラウドに記録されて、リビングのソファに座った親が、晩ごはん前に指先ひとつでチェックしている図を想像してみる。
別に、やましいことをしていたわけじゃない。
小さなウソとか、どうでもいい見栄とか、ちっぽけな秘密なら、そりゃ多少はあったかもしれないけれど、それだって成長過程のサイドディッシュみたいなものだ。
でも反抗期のど真ん中で、自分の小さなサイドディッシュまで、親に成分表示を全部読まれるのは、やっぱりごめんこうむりたい。
自分の呼吸の回数までカウントされているような、そんな感じがしてしまうからだ。
数字やグラフでお金の出入りを見せれば、子どもは早いうちから経済感覚を身につけることができる——らしい。
きれいに磨かれたツヤのある理屈だ。音のよく通るアコースティック・ギターみたいな理屈だ。
でも、そのギターをかき鳴らしているうちに、何か大事なものが、ケースに入れっぱなしのまま忘れられていくような気もする。
たとえば、「どこまで見られたくないか」を自分で選ぶ感覚とか。
あるいは、「親に言わないでおこう」と一瞬ためらってから、それでも話してみる、あの微妙な逡巡のプロセスとか。
そう、聞こえの悪い名前だ。
でも世の中には、聞こえの悪い名前をしていながら、けっこう切実な需要に支えられているサービスというものが存在する。
イメージしてみよう。
決済履歴にはきちんと、「スーパー〇〇 〇〇製菓チョコレート菓子 100円」とか、そういう無害な文字列が並ぶ。
しかし現実には、その場で行われるのは自国通貨をドルや元と交換するどこかの国の怪しげな闇の両替商での行為のようなものだ。
彼らは子どものスマホに届いた電子マネーを、その場で「買い取る」。
100円の電子マネーに対して、99円とか、95円とか、場合によっては90円の現金を手渡す。
差額が、彼らの取り分になる。
その子はちょっとした手数料を払うかわりに、使い道の見えない現金を手にする。
実際のところ、そこにはお菓子なんかひとつもなくて、薄い財布と、手持ち無沙汰な指先と、少しだけ浮き立った心持ちがあるだけだ。
それでも明細の上では、それは安全で教育的なお買い物として記録される。
でももしサービスが軌道に乗って、うまく口コミで広がれば、99円とか、99・9円といった、ほとんど損のない水準まで上げられるかもしれない。
その頃にはもう、ほとんど誰もそれを「マネー・ロンダリング」とは呼ばないだろう。
もっと耳にやさしい、たとえば「こどもプライバシー支援プラットフォーム」とか、そういう感じの名前に着替えている。
親はアプリを開いて、「ああ、うちの子はまたポテトチップスを買っている」と思う。
でもその向こう側で、子どもは友だちと映画館に行ったり、ゲームセンターでくだらないUFOキャッチャーに挑戦したり、あるいは誰にも言えないような本を古本屋の隅で買っていたりするかもしれない。
その線引きを、誰がどこで決めるのか。
ランニングマシンの上を走るみたいに、速度も距離も消費カロリーも、全部ディスプレイに表示される。
そこでは「ムダな一歩」は存在しない。
でも、僕たちが本当に覚えているのは、表示されない一歩の方だ。
雨上がりのアスファルトの上で、予定よりずっと遠回りしてしまった帰り道のことなんかを、妙にくっきり覚えていたりする。
子どものお金の使い道を完全に把握できる世界は、きっと効率的で安全だ。
統計の上では問題が少なく、グラフの線もなめらかに右肩上がりになるだろう。
だけどその世界では、おそらく「こっそり回り道する自由」も、同じくらいなめらかに失われていく。
マネー・ロンダリング・サービスなんてものは、単にその失われた自由の影の部分に、ささやかな値札をつけて売っているだけかもしれない。
あり得るかって?
たぶん、あり得る。
人間が「見られたくないもの」と「どうしてもやってみたいこと」を同時に抱えている限り、そういうサービスは、形を変えながらいくらでも生まれてくる。
論点が整理できてないよ。
まず脳の成長について。脳の成長は、若年期、壮年期、老年期で分けて考えないと駄目だ。
15歳以下の年齢に限定してみると、女児のほうが脳の成長は速い。特に言語能力の発達は女児のほうが圧倒的に早い。
幼稚園に行けば一瞬で理解できるけど、女児は5歳ぐらいで普通に会話ができ、忖度まで出来る。一方で男児は幼稚で粗暴だ。
そして脳は15歳以上でも成長する。わかりやすい例だと、言語野は40台、60台でも、死ぬまで成長することが知られている。たとえば高齢者のほうが語彙が多く、作文や手紙の体裁も整っている。
しかし15歳以上での脳の男女差については要因が多すぎてまだはっきりしていないことも多い。(解剖学的には栄養状態が良ければ25歳ぐらいまで脳みその重量が増えるんだっけ?具体的な数字は忘れた)
テストは学習到達度を評価するために設計されたもの。授業をちゃんと聞いて、真面目に宿題をして、真面目にテストに回答すると得点があがる。
でもそれは能力の1側面を計ったに過ぎない。
たとえば、アインシュタインはテストの成績はあまり良くなかった、という逸話がある。
この逸話は、テストではアインシュタインの潜在能力を正しく評価できなかったと解釈することも出来る。
たとえば、国語の平均点は女児のほうが高い、数学の平均点は男児のほうが高いが、国語の得点差に比べて数学の得点差は小さい、という結果があったとする。
この結果は、国語のテストの1点差と、数学のテストの1点差を直接比較してなんの意味があるのか?同じ1点差でも、その意味は違うのでは?という疑問を生む。
ちなみに先に断っておくと、zスコアや偏差値で正規化すれば国語と数学の得点でも比較できるじゃんって思ったなら、それは短絡的すぎる発想だ。
なぜなら能力差を議論しているってことは、能力差は正規分布じゃないよね、たとえば男女で分布が違うよね、なんらかの交絡因子があるよねって前提があるわけ。
前提に従えばデータを見るときも正規分布を仮定してはならないし交絡因子を常に考える必要がある。zスコアや偏差値を持ち出すと、方法論レベルで議論が破綻する。
現状合成テクノククラシー色が強く”見える”のは同意で、それはまぁ「ハンロンの剃刀」…政治経験がないだけだと思ってる。
増田はデジタル民主主義の優先順位を下げてるように見えるかも知れないけど、政党としては元々、デジタル民主主義運動から登場した政党であるというところで、ゴリゴリに優先度が高いというか、そもそもそのための政党であるって事を覚えておくと良い。
例えば、AIによって政策を実現していく、と言うところには、AIで全てを決めてしまえと言うように表面的に見えるし、そう言う理解の人も多い。
例えば、一人の政治家が対話できる人数というのは物理的に限られているが、AIを触媒とすることによって多くの人と対話ができる。
これ、表面上はAIが政治家のかわりになって考えを広めるだけに見えるが、あるべき姿としては入力された対話の内容などは記録されていて、政治家本人にもフィードバックされるようになっている。
(ただ、おそらくだが、現在はそこまで実装はできていないと思われる)
マニフェストに対する考え方もそれで、変更提案をAIと対話してブラッシュアップしてコミットできるようになっているが、AIには他の色々な考え方も学習されている。AIとだけ対話しているように見えるが、その先にある多くの考え方の集合体と対話しているというわけだ。
まあでも、ここら辺は興味ないとわかんないよなあ。表面的に追っているだけじゃ分からん。
それは各党の政治理念やマニフェストも同じなんだけど、チームみらいは、ちゃんと中身を理解しようとすると技術の事もある程度のリテラシーが要求されると言う問題があって
そこをどうやって解決していくかというのが、今回の棚ぼた的勝利から、安定的な政党、強いてはデジタル民主主義を日本に定着できるかというところの鍵になりそう。
SNSを見ていて、あ、これわかるな~と思ったポストが「繊細ヤクザ」と揶揄されていた。
それは「ファンのせいで、その人の推しのイメージが悪くなった」という内容だった。
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私は規模の小さい個人VTuberを応援している。同接10もいかないような人だ。
ゲームがうまいわけではないし軽快なトークを繰り広げるわけでもない。だけど人を楽しませることが好きで、ぽろっと出てくる発言が面白く、また、真摯で何にだってまっすぐないい人だ。
その人は某大手事務所のVTuberが最推しで、個人Vを見るのは初めてだと言った。
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規模が小さいファンコミュニティの中で、大手から流れてきたその子は私の推しに対して大手Vと同じ対応(コメント量、タイムスタンプ、スパチャ額、祭壇など)をし、いわゆるトップオタと呼ばれる存在になった。
その子につられて他の人たちもスパチャを頻繁にするようになったりファン活動が活発になり、良い相乗効果が起きて私は嬉しかった。
だけどその子は次第に「ガチ恋」をこじらせて、周りのリスナーにマウントを取るようになっていった。
それが単純にスパチャ額や祭壇の派手さでのマウントならよくあるものだったのだけれど、その子は「推しにリスナーとしてではなく、恋愛対象として好かれている。推しからセクハラのような発言をされていて困っている。」と周りに相談することでマウントを取り出したのだ。
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私の知る推しは女性耐性があまりなく、下ネタもあまり得意ではない人だったから、最初にその話を聞いたときは面食らった。
私の推しも、巷でよく聞くリスナーと繋がって女性を食い荒らすような下衆な人間だったのか…?と不信感を募らせた。あまりにもその子の主張が真剣だったから。
来る日も来る日も、推し君からこんなことを言われた。こんなDMが来る。だけど配信者としての彼が好きだから逆らえない。応援は続けたいから私が我慢すればいいだけ…という話を聞かされて、私は純粋な心配と、推しに対する憤りを感じ始めていた。
そして、本来はしてはいけないことなのだけれど、推しに「リスナーがあなたの言動で困っている。やめてほしい。」とDMをしてしまった。
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返ってきたのは「そんなことしてない」という返事だった。
自分の罪を簡単に認める人はいない、そりゃそう返ってくる…と思ったのだが、私の推しは前述したように、真摯で、まっすぐな人だった。
私がこういう話を聞いた、と伝えると、その時の会話をひとつずつ思い出しながら、時にはDMのやりとりを探し出してスクショまで見せてくれながらすべてを説明してくれた。
そのほとんどが事実を湾曲させたもので、私が彼女から被害だとして聞かされたもの、見せられたDMの断片は「最推し大手Vの束縛彼氏ボイスみたいな対応をされてみたい」とせがまれてしたことだったり、彼が彼女が望むからと応えてあげていたサービスのものばかりだった。
中には推しの対応が甘かったと思う部分もあったのだが、彼はリスナーに対してガチ恋してるわけではないし下心があるわけでもないことを長い時間をかけて言葉を尽くして説明してくれて、私は彼の主張を信じた。
彼は「そういう風に使われるなら、今後はそういうリクエストに応えるのはやめる」「リスナーとの距離感が近すぎたという反省がある、今後は気をつける」と言ってくれた。
実際、その後の彼はそれを実行したようで、ガチ恋の子は次第に「彼からの返事がそっけない」「DM返信が遅くなった」「こんなにお金使ってるのに」などの愚痴ツイートが増え、見るのが辛くなった私は彼女のフォローを外した。
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最初の話に戻る。
「ファンのせいで、その人の推しのイメージが悪くなった」と言った人が繊細ヤクザだと叩かれていた。
確かに、その主張は推しを人質に取って行動を制限させるずるいやり方としても使われる。
だけど私は、ガチ恋リスナーの子と関わってこの言葉を実感した。
彼女が最推しとしていた大手事務所のVに対して、私はそのVを見る度に彼女がよぎりうまく説明のできないもやっとした不愉快さを感じてしまうようになり、そのVをブロックしたし切り抜きが流れて来ても一瞬でスワイプするようになった。
元々推してはいないにしろ好意的に見ていたVなのに、彼が最推しだと掲げながら虚言とマウントで一瞬でも私の心を推しから離した彼女のことを思い出すと、どうしてももう笑って見れないのだ。
また、おそらくだが彼女の虚言を信じて私の推しと距離を置いた人が何人かいるようだった。彼女は「他のリスナーにも相談したんだけど…」と言っていたし、彼女と仲が良かったリスナーが一人、また一人と配信コメントから消えていったのを見ている。
これは元の主張とは少しずれたイレギュラーなパターンだと思うのだけれど、規模が小さい場合このように意図的に推しのイメージを悪くさせ、人を減らして推しを独占しようとする人間もいるのだ…と思った。
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繊細ヤクザだと言われようが、事実として、ファンの言動は推しのイメージを左右する。
自分自身も推しを公言しリスナーとして活動するのであれば、言葉ひとつ、行動ひとつを気を付けていかなければと、深く実感した。
それじゃあ駅前で出ているあのラーメン屋たちは偽物で、キミたちの愛する「本物」とやらのラーメンに比べたらくだらなく価値のないものと言い切れる代物なのか?
と口から零れそうになる。
その際一番困ったのは食である。
長ければ2、3ヶ月、昼夜の業務を織り交ぜながら滞在し続ける仕事で、
そういう環境だといつでも食べられる食事というのは貴重なもので、その際一番心強かったのはチェーン店であった。
「どこでも同じあの味が食べられる」というのは救いで、
それこそ上記の町田商店からなるチェーン店は、特に寒い冬の夜勤後に染み入る旨さだった。
ところがネットを漂っているとそうしたチェーン店は「偽物」と断じてやまない方々がかなり多く見られる。
エコーチャンバーのかかった意見なのかもしれないが、そういった意見に同調する方々は決して少なくない。
そしてその意見を読み解いていくと「スープを店で炊いているか否か」といったところに着地しているように見受けられる。
スープを店で炊いただけで本物を名乗れるなら、
陰気と獣臭漂う店内で出された、旨味より先にえぐみの来る豚骨ラーメンのあの個人店も、
旨味も無く、ぬるいラーメンを提供してた何十年も前の山岡家のあの店舗も本物であったんだなぁと感想を抱いてしまう。(一昨年くらいに行ったら美味しい山岡家になってました)
これは邪推になるが、かのラーメン系YoutuberのSUSU●U氏も、「店炊きのスープ」といった単語を誉め言葉として用いてるあたり、
ラーメン愛好家の間ではそうしていない店には偏見がある(あるいは店炊きの店に強すぎる敬意がある?)のだろうか・・・
自分は個人店、店炊きスープのラーメン屋と両方で苦々しい経験があるため、
「工場をドカンと構え、いつどこでも店の味を変えない」という行為を素晴らしく感じる人間であり、
また、ラーメンは食事として好きで、「こういった背景があってこうだから店炊き以外は偽物」という背景にまでは興味のない人間である。
だから私はチェーン店の町田商店が好きだ。その上で山岡家やラーメンショップも好きだ。
これができてる人は相当少ないが、最重要だと思っている
その会話が接客なのか、会議なのか、雑談なのか、口説いてるのか、断ってるのか、怒られてるのか
友人なのか、同僚なのか、恋人なのか、親子なのか
など、TPOと関係性で目的というのが大きく変わるし、それによって何が正解かもガラッと変わる
目的はもちろん、人それぞれあるので、合致する時・反発する時・目的が迷子のときもある
例えば、片方は「事実関係を知りたい」と思ってて、相手は「謝ってほしい」と思ってると言い争いになる
2種類の定義ができる
ビジネスでは前者であることもあるけど、日常では後者が重要になると思う
これはほとんどの人は意識していなくて、難しい行為だと思うけど、できるとめちゃくちゃ強い
本当は「今の会話の目的はなんですか?」と聞けるといいが、そんな奴は残念ながらキモいと思われる事が多いので(※仕事だと評価される)
お互いにすり合わせていく必要がある
ここで一旦、相手を「見知った同僚」、場面を「ちょっとした会話の場面」という状況だとすると
大抵の目的は「雑談してお互い話して仲良くなる」あたりになると思う
例えるなら「一緒に楽しく踊りましょう」に近い
ただ、「見知った同僚」「ちょっとした会話の場面」であっても、「雑談してお互い話して仲良くなる」じゃない違うケースも有る
深刻そうな顔をしていたら「相談に乗って欲しいのかもしれない」し
相手が黙ったら「話したくないのかもしれない」し
怒っていたら「なにか非難される」のかもしれないし
泣きそうだったら「話を聞いて慰めてほしい」のかもしれない
なので、察しなきゃいけないんだけど、その方法は書ききれないので一旦脇に置いとく
相手がしたいことを察して、それに合わせたら、それで会話は成功の域だと思う
増田が言ってる方法論は、どれも「相手が話を聞いて欲しい時」のものに見える
なので、相手の目的がそれだったら非常にスムーズに話が進むんだけど
なにより、おそらくだけど増田は「自分がどういう会話をしたいか」を持たずに会話に挑んでるのかもしれない
すると相手は目的を合わせようとするのに、何も無いから、困ってしまう
A「雑談したい」
B「議論したい」
A「じゃあ雑談するか」
が理想で
A「雑談したい」
B「議論したい」
A「なんだと!雑談だ!!」
これがよくある破綻で
A「雑談したい」
B「いいよ、合わせるよ」
A「なんか会話しよう」
B「いいよ、合わせるよ」
A「何か話題ない?」
B「合わせるよ、なんか言って」
世の中によくある「傾聴力」「聞く力を大事にしよう」は、実は話したがり(「目的」を相手に押し付けてくる)に向けて言ってることで
「聞きたがり」「相手の発言を待つタイプ」へのアドバイスではないんだよね
でも実際の所、両方バランスよく持ってないと会話は上手く成立しないから、それだけじゃダメなはずなんだけど
ただ、発話の方もムズいじゃん、なら相手に合わせようという戦略は間違ってはいないけど、やはり相手は「目的形成の失敗」で困ってしまう
以上を踏まえてなんだけど
https://anond.hatelabo.jp/20260202143617
■ガールズバー経営者だけど色恋営業なんて存在しないと語りたい
以前、ガールズバー/コンカフェ経営の実態を書いたのだが、記事が削除されていたため、改めて書き直す。
Xなどで「女は色恋営業しているんだろ」という意見をよく見かけるが、
ガールズバーや一般的なコンカフェにおいて、色恋営業を能動的に行うことはありえない。
せいぜい店前で声をかけるか、HPやSNSで日記を書く程度で、外に出て個別に関係を作りに行くような営業形態ではない。
多くのキャストは、他の仕事やレッスン、学業などを抱えている。
その中で、外で色恋営業を仕掛けるような時間や体力があるかといえば、現実的ではない。
実態として多いのは、キャストがやんわり距離を保っているにもかかわらず、客側が勝手に好意を膨らませ、課金を始めるケースだ。
断られても、「これはまだイケる」「もっと金を使えば状況が変わる」と解釈し、無理な支出を重ねていく。
そして期待が満たされなかったときに、「色恋営業をされた」「裏切られた」と言い出す。
「ありがたいけど、あまり身を崩すほど使わないでください」
周囲が制止しても、勝手に燃え上がり、勝手に詰み、勝手に逆上する。
情報のある部分だけをまとめ、空疎かつおもんない部分を全削除した。
おもんない通り越して可読性を下げていたため講評の為に整理しているが、
内容のある部分は極力そのままにしてある。
あり得ない。
実名やidを出してるとサクサク消えるがそうでなければ消えないのが増田だ。
お前は自分で消したはずだ。
おそらくだが別のガルバ関係者にニワカっぷりを突っ込まれてたので、
反論や酷評に激しい反応をするタイプなのはビンビンに伝わってくる。
せいぜい店前で声をかけるか、HPやSNSで日記を書く程度で、
ここはもう意味不明で、
どうも路上でのキャッチもしくはいわゆる店外をすることだけを「色恋営業」と定義したがっているのがわかるが、
一般的には店に来た人間にキャストが気のあるような態度を示すことを幅広く「色恋営業」という。
もちろん濃淡はあるが、基本的にはそういう態度を作って取れるだけ取るのが水商売だ。
この増田がわざわざ狭い定義を作ってから「色恋なんかやってない」との主張を試みたことから考えれば
ガルバ業界では通常の定義の色恋営業は広く行われていることが推測できる。
つーかそんな推理とかせんでも、水商売は色恋要素抜きには成り立たないのだ。
風俗なら射精という着地点があるので「淡々と抜く」というスタイルも成り立つが
ガルバだのキャバクラだのは別に話なんかなんも面白くないねーちゃんと酒飲んで話すんだから
ここにはなんらかの疑似恋愛性がなければなりたたない。
水商売の「色恋やってない」は
「ありがたいけど、あまり身を崩すほど使わないでください」
パンクするほど使わないでほしいというのは本音だろうが(トラブルになったらめんどくせーし)
もちろん全員がそんな都合のいいところで止まらないのでトラブルは起きる。
あと細かいことを言えば「身を持ち崩す」だ。
水商売やっててこんな定番定型句も正しく出てこないということは
まあ
「色恋営業なんかしてない!」なんていう無理のある主張よりは
「廃課金より手前で止めようとはしている!」と主張することの方がまだ筋はいいだろう。
それをもって水商売のキャストやオーナーが無謬だなんて思う人間は殆どいないと思うけど。
・かなり独自ルールな、範囲の狭い「色恋営業」を定義したうえで「色恋やってない!」と主張する
水商売とあまり縁がないはてブみたいな人種にはもっと通じないので
あと変な例えの羅列が本当に面白くない&あまりにも長すぎるので
寄り分けて本体部分を読むことすら困難になっている。
AIか古舘伊知郎に考えさせたみたいな地に足の着かない例えが多すぎる。
自分でやってるならご苦労さんだけど「面白いこと言おう」と考えて捻り出してる感じがする。
そういうのはまず本体がちゃんとわかりやすく読めるように書けて
C.弱男へのボルテージの高い説教 →水商売行くタイプがそもそもはてなには絶無レベルで居ない
という3要素、たぶんやりたい優先度はB→C→Aの順なんだろうけど
組み立てとしてはAがちゃんとできてB、Bがスマートに出来たらCの順なので
Aをしっかりやろうという話。今のお前に需要があるのはAだけ。
まずAで受けそうなネタを探して
それを上手く書けるようになるところからやっていけ。
以上
すげー親切な講評を無料でやってあげました。
おわり。
最近、プロサッカーチームのジュビロ磐田がファンサービス企画の参加者にマスク着用を義務付けるSNS投稿をし、いわゆる“ノーマスク界隈”の方々に見つかって炎上するということがあった。
https://x.com/jubiloiwata_yfc/status/2016451843250098565?s=46
この“ノーマスク界隈”の方々は、自分の主観ではあるがSNSでことあるごとに発生しては多数から白い目を向けられがちな界隈のように見受けられる。
マスクの着用による感染症対策への効果という部分の論点については正直なんでも良い。肯定も否定もしない。
なんなら正直な話、ノーマスク派の人が投稿しているマスクの効果が無い理屈を見ると「ほうほう」となる部分もあることは否めない自分がいるし。
(自分より遥かに頭の良い方からしたらそういった意見も嘲笑ものなのかもしれないが。自分は難しい理屈とかよく分からないので本当にその程度の認識。)
ただ、その上でやっぱり「マスク意味無いから強要するな!」と騒いでいる人に対してはどうしても白い目を向けてしまう。
また、「わたし、“氣”付いてしまいました…」的な陰謀論者に対しても同様。
彼らは恐らくだが、「私たち少数派は分かっている真実に世間の多数は目を向けていない、愚かな世界だ。同調圧力だ。」みたいなマインドなんだと思う。
特にSNSでは少数派のヤバい側扱いをされるような人間が、その理論が正しいかどうかを誰かに対して一方的に捲し立てる光景が見られる。
繰り返しになるが、個人的に思うのはその理論が正しいか正しくないかなんてのは今はどうでも良い。
なんなら時が経てば世間の価値観そのものがひっくり返り、現代において少数派の陰謀論者扱いをされている人たちの方が正しかったとなる時代が来るかもしれない。
現代においてマスク=安全性が高まるという価値観が多数派になっており、それによってマスクを着けていない人を見ることで不安に駆られる人がいるのなら、その人たちのためにその場のルールに従うだけだよねという、本当にそれだけの考え方。
自分がそこにノーマスクで入ることにより、病院の利用者がそれに対して不信感を抱くだろう、それなら何も文句言わずにその場のルールに従いますという…本当それだけ。
正直、「私の方が正しい。正しいことを言っている少数派を迫害するのは同調圧力だ。」と言われても知らねえよという感覚でしかない。
だってそれが正しいとしても、世間の多数派をひっくり返して全員に納得させられるだけの言論活動を出来ていないあなたが悪いんだから。
特定の場面でマスクが云々と喚いてノイジーマイノリティ的な悪目立ちをするくらいなら、然るべき理屈を持って然るべきアプローチをし、多数派を納得させてくださいよとしか言えない。
それこそ「地動説」みたいに誰しもが疑う余地のない絶対的な根拠さえあれば多数派をひっくり返すことなんて容易な訳だからさ。
それが出来ていない時点で所詮お前ら少数派が思い込んでいる「真の正しい話」とやらは現状たくさんあるうちの価値観の一つに過ぎない。
価値観の一つに過ぎないうちは多数派を不快にさせないようコミュニティの中でただ黙って従って大人しくしててください、と思う。
それこそ騒いでいるのに理解されない少数派からしたらあなたたちの自認は「地動説」を唱えた当時のガリレオ・ガリレイなのかもしれない。
悪いけど増田としては当時の時代に生きていたとして、「地動説」を唱えられることで多数派が不安な気持ちに陥るようなことがあったのなら、普通にガリレオを軽蔑していたと思う。
理論や理屈というものは多数派が納得し得るだけの確固たる根拠が提示できないうちは、普通に過ごしている世間一般の人々を不快な気持ちに駆り立てるような行動を取らない、というのが人間らしく社会で生きるためのあるべき立ち回りだと思っている。
話は変わるが、親指を相手に向けて上に立てる「サムズアップポーズ」は日本だとポジティブな意味合いで解釈されているが、イスラム圏だと侮辱的・性的な意味を持っているためやってはいけないらしい。
ノーマスク云々の件で白い目を向けるのって、結局はノーマスクたる理論の正確性云々よりもそういう問題じゃないのかなと思う。
日本人のこちらからしたら別に敵意は無いしむしろ良い意味だよとサムズアップポーズをする。でもそんなの受け取り手からすれば知ったことではない。
それなら多数派の価値観に合わせて不快な気持ちにさせないようにしましょうねというだけの話。
郷に入っては郷に従えとはよく言ったものだ。
だから病院でのマスク着用という話も効果があるないの問題では無く、「効果がある」という価値観が多数派になっている時点でマスクをしない人を見ることで不安な気持ち・不快な気持ちになる人が出てくる訳なので、それはもう理論云々の戦いは一旦諦めて人間らしく社会を生きる上で郷に従いましょうね、というところに着地しないものですかね。
結局あなたたち少数派は自信を持って多数派を取り込めるだけの確固たる根拠とアプローチ方法、プレゼン技術が無いからこうして目先の噛みつけるものに噛みついて醜態晒しているだけに過ぎないんですよ。
どうぞそのまま多数派に理解されない異端者としてバカみたいに生きててください。増田はもう何も考えずに人間らしく、マスクを着けて大人しく社会に帰属しますので。
勿論あなたたちが多数派の言説をひっくり返す大逆転劇を見せる日が来たのなら、増田はそれに従ってのうのうと生き続けようと思うので。
異常にコミカルなファイナルデスティネーションなんだけど妙にウェットな部分もある不思議な映画だった72点。
父親を早くに亡くした兄弟のビルとハルはある日物置でドラムを叩くサルのおもちゃを発見する。ねじを巻いてみたところ乳母が死亡。これはもしや人を殺すサルなのではと思った弟のハルはいじめっ子の兄のビルを殺そうとねじを巻くも母親が死亡。その後も引き取ってくれた叔父、叔母が死亡し恐れおののいたふたりはサルを封印。それぞれの道を行く。数十年後、ビルはろくでなしに、ハルは父親になるも子供の頃のトラウマがもとで子供を遠ざける日々。しかしビルがサルを取り戻しハルへの復讐を企んでいることが分かり……
というお話。
ちょっと予告編がよくできすぎてて期待感が上がりすぎていたのでそれは越えてこなかったなって部分で若干の残念さはあるものの、「理不尽な面白死を楽しむ映画」として「面白死」「演出」のどちらの点も一定以上の強度があるし、「死」をどう扱うべきかという部分で監督の一貫したメッセージ性が感じられるのもよい。
面白死自体はめっちゃ雑で大雑把なファイナルデスティネーションみたいになってる。例えばもっとも愉快なシーンで行くとモーテルのようなところで女性がプールに飛び込もうとしているんだけど、不思議な力によって電線が切れてそれがプールにつながる水に浸かってしまう。あっ、感電死するやつだ!と思って見てると、プールに飛び込んだ女性が爆散して主人公のところに足が飛んでくる。これがめっちゃテンポよく進むので、やりすぎ感と相まってついつい笑っちゃう。
演出面も強くて、叔父の死亡展開。捨てたはずのサルがなぜか叔父の家に置いてあってこれは呪いのサルでねじを巻いたら誰かが死ぬんじゃないかという話を兄弟でする。いじめっ子の兄は「巻いてみようぜ!」と言い出し、弟は「やめとこうよ」と言うんだけど、「やめとこうよ」のセリフを食い気味にシーン転換して叔父の葬式の場面に移る。テンポ良すぎるだろ!で、その後、ちゃんと叔父がどんな面白死をしたのかも映してくれるのもよい。
こういう死のわんこそばみたいな映画って同じようにギミック死が続くだけだから飽きるって問題があるんだけどこの作品はそれを演出面でうまく補完していると思う。
一方でFDシリーズみたいに「面白死アトラクション全振り」ってよりは(実際そういう側面も強いんだけど)監督のわりとウェッティな価値観も盛り込まれていて、主人公たちが母親から告げられ、最後にもう一度大人になった主人公のハルから子供に継承される「死は平等に訪れる、だから生きてる我々は踊ろう」という展開。
出てくるシーンはすげーバカみたいで不謹慎だろ!って思っちゃうんだけど、でもそれも一つの真理だよなと。
主人公のハルと兄のビルは「父の死」に囚われて「死を招くサル」を発見し、大切な人間を次々に失ってしまう。そして今度は大切な人間を失ったことに囚われて兄のビルは弟のハルへの復讐のために人生を捨ててしまうし、主人公のハルは新しくできた自分の家族(幸せ)を遠ざけてしまう。
おそらくだけどこのサルは単なる呪いの道具ではなくて「トラウマ」のメタファーなのかもと感じた。トラウマを無理に覆い隠そう、別のものにしようとすればするほど周りは不幸になり却って自分を傷つける。
こういった作品では普通は呪い道具を破壊して終わるが今作では主人公が息子に「サルはどうするの?」と聞かれて「これは俺が保管する。そしてずっと守って生きていく」と答え息子はそれに同意する。そして車の前を作中でも引かれていたヨハネの黙示録の馬に乗った死が横切り、主人公は軽く会釈をして見送り=死を受け入れ街を去る。
コミカルすぎる様々な死とこのウェッティな価値観の食い合わせが悪いと感じる人は少なくないと思うので、なんか思ってたのと違ったなぁってなる人も多い気はするけど俺は嫌いじゃないかな。
出てくる奴らみんななんかちょっとイカれてて死んでもあんま悲しくないのもよい。叔母が死んだときになぜか遺体搬送を応援してるイカれたチアリーダー部が最後に面白く全滅して終わるんだけど、これは「(死を他人事みたいに楽しんでる)お前らだよ」というメッセージだと思うんだけど、それはそれとしてウェットすぎないカラッとした終わり方でそれもよかった。
音楽の使い方もよかったし、人生に残る大傑作とかでは別にないけど面白死アトラクション映画としてもFDシリーズとの差別化もできているし普通に見てて楽しいし、意外とちゃんとしたメッセージ性もあって普通にいい映画だった。ただその食い合わせが気になる人はいるかなって感じ。
https://anond.hatelabo.jp/20251218074135
ソープに行けってのはどうせ性的に見てるだけだから他の女忘れるとかそういう意味ではないんだよなぁ…。どっちかつーと女慣れして色んな異性と仲良くなれるように頑張りなって意味なんだよね。たぶん。
おそらくだけど、その唯一天使の彼女はキモオタの自分をありのまま受け止めてくれたから特別な存在だったんだろうけど、それじゃごくごく一部の女性としか仲良くなれないよね。
だからオタク辞めてまともな20歳の男になって異性の友達作って今までと違う人生歩むのが一番いいよ。趣味は二次元とVtuber配信ですと言った瞬間に女性にドン引きされて壁を作られちゃうんだよ。