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難民申請4回却下でも解体業を経営する「川口市のクルド人」の本音(前編)|「僕らがいなければ建設現場は回らない」
https://www.fsight.jp/articles/-/50220
難民申請4回却下でも解体業を経営する「川口市のクルド人」の本音(後編)|「なぜ難民が貧乏でなきゃいけないんだ!」
https://www.fsight.jp/articles/-/50220
「僕は(本来は入管施設に収容されるが、健康上の理由などで身柄の拘束を解かれる)仮放免ですよ。解体業の会社は株主になっているだけで、あとは奥さん名義でやっている。株主で会長だが、働いてはいけないといわれている。
2008年かな、退去強制令書が出ているし、難民申請は5回目を出したきり、インタビューも何にもなし、呼ばれてもない。(兄も難民認定されていないし)入管は僕の一族にやさしくない。結婚してもう9年で、妻と知り合ったのは、妻が14歳で僕は17歳の時、日本で。妻はオヤジが日本人の日系ブラジル人。子供は娘10歳、7歳、息子4歳がいて、僕以外は定住者の在留資格がある。東日本入国管理センター(茨城県牛久市)への収容は、一度もないです。珍しいケースだけど、5回難民申請して捕まっていないのはわずか何人かしかいない」
A氏とは、今年(2023年)3月21日に地元で行われた、クルド人の新年祭「ネウロズ」の会場で知り合った。「一度、話を聞かせてくれないか」と話しかけると、快諾したので、同月末に彼の事務所でインタビューする運びとなったのだった。 事務所の中に入っていくと、初老の日本人男性がパソコンの前に座り、奥の部屋には中年の日本人女性が座っていた。2人とも事務所で働く日本人従業員だった。
「雇っているのは20人位。日本人6人。あとキューバ、ブラジル、パキスタン、ウズベキスタン人。在留特別許可の人、普通のビザの人といろいろ。仮放免の人はアルバイトの形にして、ずっとは雇わない。彼らが自分の生活費を稼ぐくらいは、入管も見逃している。会社は成功しており、(周りにあるヤードなど)土地も全部うちのもの。名義は奥さんだけど、事業は基本的に私がやっています」とA氏は説明した。
「うちは解体以外のこともしたい。土地の造成とか、生木の受け入れ、ウッドチップを作る仕事の方が環境にいいし見た目もいい。解体事業はやめないけど、本業は解体という風にはもっていきたくない。業者が多すぎて、教えられた法律とは無関係にみんなやっているし、アスベストも厳しくなっているが、その基準を守らない。昔の日本人の業者はブローカーになっていて、外国人は皆その下でやるから、基本的に安くなっている。クルド系の解体業者は、お金稼ぐことがよくわかっていないから、普通より少し上回ればいいだろうという考えの人が多い。100万円の仕事で40、50万円稼がねばならないところ、5万残ればいいくらいの感覚でやっている。ちゃんとした会社はやっていけない。社会保険、給料を払うとなると、それはできない。日本人のブローカーが誰でも仕事をやらせてしまう。不法投棄も増えているし、ブローカーが安くやらして、その中で儲けるにはそうした手しかないんだ。」
政治家に会ったり、ボランティア活動も10年以上やったりしているし、ある程度、(日本社会からも)評価されているんじゃないかと。感謝状とかもらったりしているし。(事務所の壁には新型コロナ対策に協力したとして、奥ノ木信夫・川口市長からの感謝状が飾られていた)知事も、最初会ったときクルド語で話してびっくりしたよ。(大野元裕・埼玉県知事と一緒に撮った写真も飾られていた)東日本大震災の時は、宮城県気仙沼に3週間いました。それが見えているかはわからないけれど、まだ捕まってはいない((注))」
(注)同一の人物か不明だが、今年に入って大野氏が難民申請者に表彰状を送ったことが報じられた。
<独自>不法滞在のクルド人男性に埼玉県の大野知事が感謝状 難民申請中に100万円寄付
https://www.sankei.com/article/20240122-QPXRJTE2CJN2BNTL262HBD5VBI/
「入管の人間を3回殴ったことがある。血だらけにしたこともあるし、捕まったことはないが。今はいいんだけれど、僕らを人間として見ていなかった。娘が5歳の時に、『この人本当にあんたのパパなの』と5歳の子に聞いた。外にいる日本人と入管の日本人は同じ日本人かと思う位だ。(入管職員が)お父さんの耳を引っ張ったんだよ。俺、入管職員ぼこぼこにした」
こうした発言に対しては、「入管職員も法律を守らせねばなりませんよ」とややたしなめるように言うと、こんな答えが返ってきた。
「法律の問題じゃない。法律は法律、それはわかる。けど、人間という存在の感覚がない。入管にもいい人がいて、子供のころから知っているよ。入管が古い人から片付ける、となると大問題になる。難民を日本が2回の申請で追い出しますと言ったら世界はどうなる。うちは税務署来たことないし、それなりに税金を払って、近所とも仲良くやっている」
難民申請を事実上2回までに制限する改正出入国管理・難民認定法が成立し、川口市ではクルド人を念頭に置いた「一部外国人による犯罪の取り締まり強化を求める意見書」が採択された。半年後に再度取材を試みると、インタビュー時は日本社会のルールを守る重要性を語っていたクルド人の男性は、「強制送還するならやってみろ」と激高した。
いま、凄い夢を視た。
どこかの文化ホールのような所。視点はステージ側。そこに居る。味噌汁の注がれたお椀を両手で受けて立っていた。なんだかナーロッパに出て来そうなカタカナ名前と風貌でフォーマルな格好、いや典型的なステージ衣装の青年歌手がこれからオンステージなのだ。(ま、たまにはこういうのもいいやね)とおもいつつ、彼の斜め後ろ位置の視点で立ち見のようにして観劇?するのがきょうの私の立場()らしい。それにしても若手というのにエラく人気者のようで、歌い始める前の挨拶の段階でさかんに声をかけられ、いちいちそれに個別に丁寧に返事をしている。お、そろそろ歌唱がスタートしそうだぞ。ん?んん?そのナーロッパ風の洋風青年歌手の両脇から、新沼謙治と五木ひろしが寄り添うように、忽然とステージに現れた。ケンジ・ニイヌマールは言う「すみませんねぇ、彼、正規の手順?教育?(筆者:この辺り上手く聴きとれなくて不明)を受けていないので」唐突にしかしごくさりげなくでも素早くマイクロフォンの先を口に近づけて、コ、コォーンと音を発した。するとまるで水面上を衝撃で輪が拡がってゆくように私と会場の観客の意識は吸い寄せられて、たたみかけるように続いた怒濤のような伴奏と彼等の歌声に、濁流に呑まれて流された聴衆は、会場の壁を通り抜けて!ますます大きくなる音の奔流と共に!青年歌手と五木ひろしとケンジ・ニイヌマールと歌声と演奏と聴衆はみんな渾然一体となって文化ホールから外へ外へと去って行く!!そうかそうなのか!私もゆくのだな!しかしなかなか存在がホールの壁を通り抜けてくれないッ!とくにこの味噌汁?!豚汁ッ?!のなみなみとそそがれて両手で捧げ持ったお椀がァッ!!妙にそれが意識されるからだめなのか、壁の材質に引っ掛かるようで、なかなか通り抜けてくれない。どんどん遠ざかって聴こえる音楽になんとか意識と身を任せようと焦っているうちに、無理やり居場所から引きちぎるようにして、会場の外、山の中を切り拓いて造成したのか未だ未舗装の山道や土地が開けた場所に、ドサりと転がり落ちるように転移できた。周囲には、やはり私と同様に苦労して抜け出てこられた方々が、疎らにクルマに乗ってあの音楽を追い掛けようとアタフタとしている。それの最も手前に居たのに私も同乗しようと駆け寄ろうとしたが、どうもそれは会場の計らいではなく、その方の家族?の方のものらしい。なんだって?!焦ってキョロキョロして私は事の次第を説明してくれそうなスタッフを探して目線で訴えると、疎らに立って応対していた人たちのひとりから「ええ、行きたくても行けなかったということは、そういうことですから」暗に察して欲しいという含みのこもった声をかけられた。あっ、そーゆーことね…
今回はそこでがっかりして目が醒めたら、敷布団の下にセットしてたホットカーペットの温度調整が効き過ぎてたみたいで、背中からふくらはぎの裏まで汗かいてた。
ナーロッパ青年エンカ歌手君のことはわからんけど、五木ひろしは、一昨日の休日に田原俊彦と『ハッ!として、Good』を唄ってたYouTube動画を視ていたのと、だいぶ以前に何かの拍子でたまたまみつけた、彼が若手の頃にソウルミュージックを、それもガチのをステージで汗だくで熱唱するアルバムがあるのを知って、それも捜して聴いていたからだとおもう。新沼謙治は、なぜかゲームのサントラに関わったのをどこかで調べたら出て来たのでインタビューもみつけて読んだら自分は普通の演歌歌手ではない!(あと「演歌の前はドラムやってた」て言っていた)と盛んに発言していた記述をおぼえていたのと、やっぱりおとつい視てたYouTubeのCMまとめ動画に出て来たからだとおもう。
東京圏というか神奈川、就中で横浜(駅周辺)がひど過ぎるだけでは、というのが新宿から横浜に引っ越してきた俺の感想。ここと比べたら日本中どこでも住みいいよ。
横浜はとにかく人が多い。平日もかなりだが土日祝日はもうそれはそれは酷いレベル。神奈川県民は週末に横浜駅へ出ないとならない定めでもあるのかって思う。新宿から引っ越してきてそう感じるくらいだから相当なものだよ。そしてその人の多さが街をゴミゴミさせている。比喩でなくゴミで汚い。おまけに輩が多いのか、次の日の朝に街を歩くとどこかしら血痕が見つかる。夜にケンカでもやってるんだろう。また、歩きタバコも多い。電子タバコなんて、吸っちゃだめという認識さえなさそう。これも普段、歌舞伎町で飯食ったりしていた俺がげんなりするレベル。当然、吸い殻のポイ捨てゴミでも溢れている。加えて、元が沼地で造成されてからの期間が短いからか、下水機能が追いついてないのか、街全体がカビ臭いんだよな。
だから、名古屋はいいところだと思っているようだけど、というか実際コンパクトに作り込まれたクリーンな街でいいところだけど、神奈川からやってきたんだったら名古屋に限らずたいていどこに行っても住みやすいいい街だと思うはずだよ。
なんとなく思ったまま書いてみた。
ニュースでも報道されているので知ってることも多いだろうが京葉線の通勤快速は蘇我を出ると途中新木場と八丁堀にしか止まらない。
途中にある駅をほぼ全部通過して速達化していて京葉線の先にある内房外房の都心通勤の足になっていた。
各駅停車化されると20分の所要時間増になる。オマケに通勤快速のダイヤに特急が入っているので金を乗せない分には
本数が減って混み合う未来が見えている。通勤客を蔑ろにしていると思われても仕方のない真似をしているのだ。
更に外房線沿いは基幹産業が弱い為自治体がバブル期にニュータウンを造成したのもあり都心通勤民が多く反発の声が強かったと言うのもあるだろう
真っ先にキレた千葉市は外房線の鎌取、土気、内房線の浜野の宅地開発を進めていたし、隣の大網市も同様である。
(とはいえ、内房線沿いは工業地帯なので外房に比べれば東京通勤民は多く無かったのでリアクトが遅れたと思われる)
今回の改正でJRが何回も「朝夕の全列車を各駅停車化し、ダイヤを平準化する事により混雑緩和を狙っている」とあった。
全部の列車を各駅停車にして1番得するのは何処かを考えたが、新習志野と市川塩浜だろう。どちらも快速が止まらない駅なのは
新習志野は各駅停車しか停まらない駅だが時刻表を見てみると朝方7時代前半に東京方面に向かう電車が20分来ない時間帯が存在する。
勿論全く電車が来ないわけではなくてその時間には西船橋に行く武蔵野線の電車がやってくるのだが東京には行けない。
隣の南船橋で乗り換える必要が出てくる。手間が発生するし、数字の上では極めて通勤に不向きに見えてしまう。
市川塩浜は朝は本数が多いが快速が走る18時代の千葉方面は京葉線と武蔵野線が4本ずつしか設定されていない。
周辺の倉庫や工場からの通勤客で武蔵野線方面は特に混み合い押し合いへし合いになり危険な状況だったりする
19時代になると快速が無くなるのでその分本数に余裕ができるため、尚の事本数が必要との声があったと思われる。
先の報道でJRは早朝に発車する快速2本を運行する事を発表したが、朝6時代に出る元々需要がやや薄い時間帯の電車な上、
先に話した新習志野の東京方面が来ない時間帯の快速電車である。各駅停車にすれば新習志野から東京へ行く電車が設定できたにも関わらず
敢えてそこだけ残した辺り、自治体に対する意趣返しの様にも見えてしまう。
しかも通勤快速は廃止されるので内外房民は結局通勤時間が増える事に変わらない。
夜の快速は結局廃止されるので市川塩浜の危険は回避されそうだが、押し合いへし合いが若干マシになるだけで
終わりそうだし、武蔵野線方面の本数が増えると決まったわけではなさそうなのであまり幸せにならなそうである
通勤快速と快速の本数は現状維持にして、快速を東京方面を朝だけど新習志野に、千葉方面を夕方だけ市川塩浜に
停車させればよかったのではと思う。とりあえず混雑の緩和にはなっただろう。外房線も停車駅を弄れるのだからできるはずだろうに。
https://news.yahoo.co.jp/articles/f4e31d9a7afc6316be31c6f868f9362febc2bcbb
阪神タイガーズの本拠地は西宮にあり、優勝パレードを大阪都心部か神戸市内でやるべきかという論争が話題になっている。
大阪の阪神ファンが阪神タイガーズを自分たちのものにしていることに対して、言いたいことはわかるよ。
「昔は大阪タイガーズだった」「西宮市一帯は摂津国で事実上の大阪」「親会社であるH2Oリテイリングの本社は大阪」など。
この論争は戦後一貫して続いているらしいが、正直言って大阪人もうんざりしている。
なので大阪の政財官業界も、この論争が始まってからなのかははっきり言えないが、兵庫県内に大阪人がよく使う大規模施設を作らなくなっている傾向があるのではないか。
戦前は、大阪の財界が阪神甲子園球場や西宮球場、宝塚劇場などを兵庫県内に作ってきた。
1.千里ニュータウン(1961年)
戦前は大阪人が多く住む場所は阪神地方(西宮・芦屋地区)であったが、戦後は豊中・吹田の千里丘陵を開発して関西随一の中流・上流階級の大阪人が住む場所に発展した。
大阪に移住する東京人の人達も、どこに住みたいかといえば阪神地方ではなく千里丘陵の方がいいという人が多い。
2.長居スタジアム(1964年)
今は使っていないがセレッソ大阪の本拠地であった長居スタジアム。
ガンバ大阪の本拠地である吹田スタジアムと共に、どちらも大阪府内に本拠地を置いている。
やはり甲子園球場が兵庫県内にあることの反省なのか、阪神タイガーズ並みの人気を持つプロサッカーチームの本拠地は大阪府内に設置することになった。
3.大阪城ホール(1983年)
大阪城公園内に建っている関西最大規模の多目的アリーナである大阪城ホール。
プロアーティストの関西エリアのライブは大阪が独占することになり、これは当然といえば当然の話でしょう。
4.インテックス大阪(1985年)
東京ビックサイトと幕張メッセに次ぐ規模を誇る国内第3位の国際展示場。
狭い神戸港ではなく、広大な埋立地である大阪南港に作ったのは、これも当然だろう。
大阪空港の国際線分離のための関西空港であるが、当初は神戸沖に造成する計画だったのは有名な話である。
しかし「新空港は甲子園球場とおなじく兵庫県のもの」とうるさく言われるのを嫌ったのか、神戸沖ではなく泉州沖に作った。
6.USJ(2001年)
西の東京ディズニーランドを目指して、桜島に建設されたUSJ。
東京ディズニーランドは千葉県浦安市にあるが、当の千葉県民は「ディズニーは千葉県のもの」とは言わない。
施設の性格上、尼崎市内に作られてもいいような気がするが、これも兵庫県のものにされるのを嫌ったのかわざわざ大阪市内に作った。
「甲子園球場は大阪人のものか」問題を解決する方法が一つだけある。
それは現在の甲子園球場を大阪市内に移転してしまうことである。
これによって阪神タイガーズは名実共に大阪人のものとなり、兵庫県人も納得するだろう。
住むなら都市の中心部、さもなければ自然に接近した田舎だと思っている。
自然の一部である人間が作り出した有機的な面白さがそこにはある。新宿東口に広がる、あの整然としていない猥雑な感じに私は自然を感じる。生き物としての人間が作り出した街。渋谷や秋葉原も、それぞれにいいね。
増田が、駅の形が個性的で画一的ではない、と言っているのはそういうことかな。
一方で、賢しらな人間が、みみっちい打算としみったれた妥協の末に作り出した人工物たる街が嫌いだ。
おしゃれ感を装った駅前のショッピングモール、区画整備された造成地にならんだコピペ住宅。
つまらない人間の臭いが染みついた場所に、家を買って住む人の気が知れない。
総理息子が大学生っぽいバカ写真撮ってた問題だが、息子を馘首した事で単に政局として報道が止みそうだ。
だがそんなのどうでもいい、岸田さんが総理を続けていいから報道をもっと掘り下げて欲しいのだ。なんでかというと、「官邸で何やってるかよくわからない」「誰が出入してるかよくわからない」という問題があるからだ。「なんか怪しい」し、「なんか変な人が出入り」している。
例を挙げよう。
やまもといちろうは鳩山政権で何とか会議に呼ばれ、官邸で何とか会議に出席していた事を嘗ては誇っていた。官邸に出入してる事でハク付けしてたわけだ。
この事は今ではやまもとは言及しない。最近氏はまたネトウヨっぽい文章ばかり書くようになってきたので民主党との関わり触れられるとイヤなのかもと思うので、この事で突いてあげると面白いかも知れない。
この時に参加していた会議の名前は既に官邸HPにも内閣官房HPにもない。それでいいのか?
更にこの会議の内容となると最初から公開されていないのだ。「誰を呼んだか/出入してるか」は微かにしか判らず、「何を話し合ったのか」「どんな資料が交付されたか」は全然判らないようになっているのだ。安全保障に関わる事でもないのに秘する必要はあるだろうか?
これはやまもと氏がどこの馬の骨とも知れずという話じゃなくて会議の参加を公言している人でも会議内容がよく分らないという例なのであしからず。
そして第一次と民主党政権を挟んで第二時以降の安倍政権の特徴として「これら会議を作りまくる」というのがあった。
現在の官邸は2002年に完成したとされているが、実際には2005年くらいまで内装工事や造作替えが続いていた。
この工事は付近の地上げと造成を含む大がかりなもので、2005年くらいから付近はゴーストタウンとなって、誰もいない宅地に警察官が立哨しているという変な光景が見られた。
それで周りの道路も潰して超大型化した官邸が完成した。床面積は10倍近く拡大されたのではないかと思われる。今の官邸は低層ながらオフィスビルと同等の規模がある。前の官邸は屋敷だが今のはビルである。
Wikipediaのフロア図には官房長官控室とか執務室、会見室などTVで見る部屋ばかりが書いてあるが、
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Prime_Minister%27s_Office_of_Japan.jpg
それだけであれだけの床面積を使う訳がない。
各階に大小様々の会議室やオフィスがあり、デカいビル故に、調理室、冷暖機械室、変電室などもある。そう、高圧受電するほどの規模なのだ。311と福一事故後の電力自由化で高圧受電するコンビニなども出てきたが、それ以前で高圧受電するのは大マンションや工場、高層オフィスビルだけだった。
そして重要なのは第一次安倍政権では、この増やしまくった会議室が満杯で新たに間仕切りするほどに会議を開きまくっていた。所謂お友達問題だ。
第一次安倍内閣はお友達内閣とマスコミに揶揄されて書かれたが、その特徴は閣僚人事だけでなく官邸の政策会議も然りだったのだ。
そして誰が出入してるかについてはマスコミもちゃんと書かない。でも「どういう感じの」人が出入りしてるかは噂話として流れてくるわけだ。
前述の通りに官邸はオフィスビル化した。すると出入する業者も多くなる。機械メンテや調理、産廃、什器の購買廃棄、清掃など、設備と管理要員、営業マンが多数出入する。
官邸では入場者のIDチェックと公安問い合わせをしているが、派遣業自由化によってこれらの人員は派遣ばかりとなっている。その為に短期間での人の入れ替わりが多い。
すると官邸に変な人たちが出入してるよとかのスキャンダラスな噂話はすぐに広まる。派遣社員が同僚に話す、他の派遣先で話す、それを聞いた社員が家族に話す…となって「面白い話」は広まりやすい。
因みに、第一次政権で安倍総理が病気辞職したのを仮病だという人が居たが、政権末期に安倍氏がずっとおかゆだけ食べているというのは有名だった。だから実際に体が持たなかったのだと思われる。
ところでこれらの問題で安倍氏は自分の利益になる事があっただろうか?
桜を見る会に自分の選挙区の人らを招待していた事を除いてそうではなかった。役人を他人に便宜は図らせるように使役して問題になったのばかりだったのだ。
例えば森友学園では第三次政権が成立すると早速校長が総理と総理夫人明惠に接近している。
この公人への接近と距離が詰まるスキームは校長の特段の能力ではなしに、お友達会議が轍となったのではないか?
桜を見る会では反社会勢力に近い政治ゴロが招待されていたのが問題になった。招待状を出したのは内閣府の役人だ。
ではなぜそんなコネが出来ていたのか?それはお友達会議のメンバー経由ではないのか?
三浦瑠璃の旦那がソーラー発電関係の詐欺で逮捕され、瑠璃氏自身も失脚状態にある。
これを旦那の犯罪と本人の評価は別だと擁護する人もいる。一般にはそれは妥当な判断だ。
だが気になる報道がある。
旦那の会社がソーラーサイト予定地近傍の、ソーラーサイトと送電網接続部の土地を買占めており、相場とかけ離れた売価を要求したという報道だ。
ここで思い出したのは東海道新幹線予定地と西武鉄道(コクド)だ。
東海道新幹線の基礎は戦中の弾丸列車計画で要点の所どころ工事もされていたが、平地など細かいルートは変更の余地があった。
そして正確なルートが発表されて国鉄が地上げの交渉に入る前に奇妙な事が起きていたのである。
・「競走馬の練習場」と偽り偽装会社を通じて新横浜駅付近の線路用地をピンポイントで西武の堤が取得していた。
・伊豆箱根鉄道という三島のローカル私鉄がとっくに廃線となり線路も路盤も無くなった路線で鉄橋の建設を始めた。鉄橋が跨ぐ障害物はない。そこはピンポイントで新幹線予定地だった。そして伊豆箱根鉄道は西武鉄道の子会社である。
上のうち伊豆箱根鉄道鉄橋のほうは失敗したが、新横浜駅付近では多額の土地代金を国から得ている。騙されて売ってしまった農家たちは訴えを起こしている(請求棄却)。
この情報がどこから漏れたか?が問題となった。堤と運輸大臣の関係が怪しいとされている。
さて三浦瑠璃の夫は許認可事業であるソーラーサイト予定地の情報をどこから得たのか?
無論、官邸経由という証拠もない。だが三浦夫婦が如何なる会議に出席してどんな情報を得、どんな書類を交付されたかが全く判らないから官邸ではないだろう、という根拠すらも無いのだ。
第一次安倍政権を引き継いだ麻生政権はこの官邸で収容しきれないほどの会議を整理して変な人士の出入を制限したが、その後の民主党政権ではかなり徹底して整理され、これら会議の出席者たちはお払い箱になった。
民主政権は更に徹底していて出入り業者の殆ども変更した。多くの業者が仕事を切られたのだ。
自民党が返り咲いた第二次安倍政権では意趣返しのようにまた業者を入れ換え、秘書官も2人を残して首を切った。
その二人のうちの一人が強姦事件捜査隠蔽で有名な中村格である。
立憲の泉代表は岸田総理息子の官邸狼藉問題で岸田総理の世襲的任命責任と情報漏洩のセキュリティー問題として追及してるんだが、政局しか頭にないのが見え見えだ。
前者の世襲任命はその通りだが、前述のように変なやつが出入してておかしな事やってる方が問題なのだ。そんな事を隠したってしょうがない。
安倍明惠がV系入れて階段で耽美写真撮ってたって構わない。それが分かればいいのだ。お客を呼んで観光写真っぽいサービスしてもいい。国会てもホワイトハウスでもやるだろう。
そうじゃなくて岸田総理息子は官邸が昔のフジテレビみたいな身内受けの場になってるのを知ってるからあんなことをやったのだろう。そこに常識の無さはない。隠れて常識が無い政治ゴロが出入していた名残があるのが問題だろう。
だから政局なんてどうでもいいし岸田総理の進退なんて問わなくてもいいから、変なやつらが出入してるのが見えないって事を問題にして欲しいわけ。
オフザケ写真が漏れてもセキュリティ問題なんかにゃならない。だが新幹線や許認可事業の未発表資料が漏れるのはセキュリティ問題なのだ。一度政権に就いたのだからそういう細かいところを指摘して欲しいものである。
知っている人は知っている、というよりも明治神宮周辺の森は右派が日本の科学界の偉業として国粋的に持ち上げてきた。
何故なら明治神宮の森、これは通称「鎮守の森」と呼ばれるが鎮守の森は人工森林なのだ。
鎮守の森は森林の自然形成を科学をもって予測し、人工的に段階を踏ませることで森林を形成できるのではないか?という試みの元に造成され、その予測は見事的中した。
大正の時代の時点で開発によって自然破壊が進むことが懸念されていた背景があり、更には大政奉還を果たした明治天皇であるから日本全国はもとより、中国・台湾・朝鮮などから樹木が提供され、鎮守の森は現在の左派が懸念する越境・外来種の樹木によって一部が成り立っている。
鎮守の森はまったくもって自然ではなく、当時の最新科学が用いられ、外来種によって日本原産種を追い込む手助けすらしている人工造成プロジェクトであり、それを守ろうとしているのが明治神宮外苑再開発反対に加わる一部の左派なんだ。
右派が明治神宮外苑に反対しているのであれば「またネトウヨか」「天皇制好きだよね」「はいはい日本すごい日本すごい」「外来種で国威発揚してんじゃねーよ」と嘲笑して済むのだが、何故か今回の明治神宮外苑再開発へ反対しているのは左派だ。
何故この明治神宮外苑再開発反対へ坂本龍一氏が興味を示したのか定かではないが、結局は明治神宮外苑再開発反対が達成されても右派が鎮守の森の偉業を喧伝するだけなので、明治神宮外苑再開発へ賛成しようが反対しようが無視しようが右派の手柄になってしまう。
明治神宮外苑再開発問題へ関わる一部の左派の中にはおそらく雰囲気で反対している人も多数居るだろうが、結局最後は得するの右派だぞと一応は伝えてあげたい。
(´・ω・`)「…濃いぃ一日でしたやで」勤務先としては何の物質的金銭的な協賛もしてないのにハッシュタグ付けて宣伝してあげた手前、たとえ午後以降の夕方手前という時間から野暮用が入ってもワイは行くのだ!…ちゅーて見に行ってきましたで「NT高の原」!近鉄の奈良線に大阪市内から乗ったのも初めて、でも車両は乗り入れしとる阪神電車(笑)で西大寺で乗り換えしてもやはり京都府から乗り入れしとる京都市営地下鉄烏丸線車両(笑)に偶々あたって認識が混乱しかけそうやったけど。しかし沿線の風景がまた興味深い!日本橋を過ぎてから地上に顔を出したら鶴橋の町並みの屋根の上を通る高架、あーじゃあこれからどんどん建物の間隔が空いてくるんやろ?とおもったらこれがまた東京みたいに密集した街のままでずべらーっと西へ拡がってて意外だった、しかしそのうちに木々やら丘やら増えてきて段々と山に向かって傾斜が付いて、突き当たりの山肌を斜めに横へ駆け上がっていく!眼下にさっき感嘆してた拡がった街並みを見下ろすのがいい感じ、そしたらその駆け上がった山を最終的には正面からトンネルで穿ち、抜けた所が生駒の駅でやたら開けたニュータウンという面持ち、さらにそこからまた下りつつも小さな山をやはり抜けて大和西大寺、ここで同じホームに全然ちがう路線の車両が交互に発着しているという初見デンジャーな乗り換えを無事にこなし、二つほど北上したらそこが高の原だった。
高の原はしかしここも山の上を拓いて造ったニュータウンの雰囲気がバンバンしてて(京都府乙訓西山民なら桂の西の奥の例のやつで身近なアレ)、なんだか造成がやたら立体的に作ろう作ろうとしてんのな空中通路の祭典みたいな。極めつけのダメ押しに駅の直近のイオンモールも正面玄関が唐突に二階へ上がるエスカレーターというね…(突風の吹く雨や雪の日にはそこらじゅうで傘が反り返りまくりなんでは?)
さてここで午後から入った予定のために先を急ぐワイくんは間違いをおかしてまいました、家でWi-Fiつかって検索したルートを細切れにスクショ撮って、それをファイル閲覧アプリで見ながら徒歩で会場を目指したこと!アホー
もうね、汗だくになって迷いつつ、なんとか開場時刻の10分過ぎくらいに着きましたわ…素直に駅から1時間に2本のバスに乗っときゃあ、額の汗を気にしながら開場内を周回することもなかった。(中略)
https://anond.hatelabo.jp/20230326003519
の続き
https://www.marymond.jp/post/%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E5%A4%A7%E5%88%87%E3%81%AA%E3%81%8A%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%9B :<マリーモンドからの大切なお知らせ>]
マリーモンドを応援してくださっている皆様、ありがとうございます。
既に韓国では公表されているのでご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、マリーモンドは2021年11月をもって、活動を休止することになりました。
マリーモンドは2013年に韓国の若者たちが立ちあげました。「慰安婦」にされた女性たちの尊厳を取りもどすために、一人一人の人生を学び、彼女たちを象徴する花を選び、その花をモチーフにしたアイテムを販売し、その利益を「慰安婦」問題の教育や支援に寄付していくというスタイルで、多くの人々に支持されるブランドとして成長してきました。また、その活動は「慰安婦」問題にとどまらず、児童虐待の被害者支援、性暴力被害者支援へと拡大し、暴力のない、人権が尊重される社会を実現するために行動する企業として歩みを進めてきました。
2018年にマリーモンドジャパンをたちあげ韓国の運動に連帯してきた私たちも、今回のマリーモンド本社の活動休止を、辛く悔しい思いで受け止めています。
マリーモンドが休止に追い込まれた背景には、フェミニズムに対するバックラッシュ、人権や平和を守ろうとする運動に対するバックラッシュがあります。「慰安婦」問題に取り組み続けてきた団体への理不尽な攻撃や、メディアによる誹謗中傷にも関係者は苦しめられてきました。それはマリーモンドが継続できなくなるほどの力となっています。
そのバックラッシュの空気は、「慰安婦」問題に関わり続けてきた私たちには痛いほどわかるものです。だからこそ今、韓国のマリーモンドが切り拓いた希望や、意思を絶やさずに継続させ、韓国との連帯の意思を表明するための取り組みを、日本から発信したいと思います。そのため2022年以降、当面の間、マリーモンドグッズの販売は日本を中心に行っていきます。
(略)
新しい商品の制作の準備や、韓国の休止に伴う商品の整理などにしばらく時間を要しますが、これからのマリーモンドジャパンの活動を、多くの方のご協力をいただきながら進めてまいります。韓国のマリーモンドと共にある、これからもある、という思いでブランドを大切に守っていきますので、今後ともマリーモンドを一緒に育てていっていただけるよう、心よりお願い申しあげます。
マリーモンドジャパンは2018年12月にはじまりました。3回目の冬は、すこし寂しいお知らせになってしまいましたが、新たな出発の月にもなりました。
皆様への感謝を込めて、ポップアップショップ・セールを開催します。東京と大阪で同時開催です。ぜひ皆様、ポップアップショップにいらして下さい。
ところが法人が解散してしまった。するともう韓国のマリーモンドどころか、人身取引組織の支援者である希望のたね自体も再生が課題となってしまった。
JudyさんはTwitterを使っています: 「@himasoraakane @YouTube 「あの団体」御一行様ですが… 3月22日 正義連の水曜集会に参加していました。 https://t.co/okcohd1eWW」 / Twitter
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23.03.21 16:32l最終更新23.03.21 16:33l
ユン・ソンヒョ(cjnews)
希望種子基金日本青年たちは3月20日に陽山を訪れ、「キム・ボクドンの道」を通った
日本の青年たちが日本軍「慰安婦」被害者であるキム・ボクドン(1926~2019)、祖母の慶南(キョンナム)量産生家を探して22日、ソウルで開かれる「水曜集会」にも参加する。
21日、キム・ボクドン平和公園陽山市民推進委員会(下記推進委)は、希望のたね基金(代表ヤン・ジンジャ)が日本の青年20人余りと一日前日(20日)の陽山を訪問し、「キム・ボクドンの道」を歩いて関連活動を行ったと明らかにした。 。
2017年6月に日本で結成された「希望のたね基金」は翌年から韓国で青年ツアーを進めてきている。 コロナで中断されてから3年ぶりに日本の青年たちと一緒に訪れたのだ。 この団体は2015年慰安婦関連した日韓合意以後、日本で「若い世代に事実を正しく知らせよう」という趣旨で結成された。
「キム・ボクドンの道」は、メギドゥル村学校で量産を人文学の観点で体験するために開発した地域化教育プログラムの一つで、キム・ボクドンおばあちゃんの生家から小説<スラド>の中の日本軍慰安婦共出場所である土橋まで続く区間だ。
特に非営利団体の「キム・ボクドンの希望」が民主化運動記念事業会とともに昨年10月末に「キム・ボクドン希望学校」を開き、量産を訪れて「キム・ボクドンの道」を回答しながらさらに知られた。
ヤンジンジャ代表は「コロナ19で青年期が中断されている間に状況が変わった。 なくなった」とし「これまでおばあちゃんたちはずっと帰ってきて、もう直接会える方を見つけるのが大変な状況になった」と話した。
ヤン代表は「生存者に会えない世代として記憶を継承していくためにどんな活動をしなければならないのか考えなければならなかった」とし「そんな中、「キム・ボクドンの道」の存在を知り、記憶を継承する良い事例だと思った」と付け加えた。 。
青年たちはこの日ソウルからリョウサンに来て、推進委執行委員・会員たちが出て歓待した。 パク・スヨンさんは、金の祖母の生家で故人の生涯を日本の青年たちに聞かせた。
当時通っていた住民も関心を見せて応援した。 参加者たちはキム・ボクドンおばあちゃんも歩いた道に沿って量産南部市場サムジ公園に移動した。
サムジ公園には日本軍慰安婦被害者を称える「少女像」がある。 推進委はここで「金福洞平和公園、平和の少女像」を市民の手で作ろうとする意義と進行経過を話した。
この時、日本のある青年は「どんな力が市民をこう動かせるか」と尋ねた。 これにイ・ホンスさん(ヤンサン)さんは「あまりに遅く分かるようになったごめん」とし「キム・ボクドンおばあちゃんの訃告」を新聞で報告書だと量産での日本軍慰安婦の病気の歴史を知ることになってごめん、故郷で一緒に戦わずキム・ボクドンおばあちゃんだけ 苦軍奮闘させた申し訳ない」と答えた。
続いて参加者たちは春秋公園にある春秋園寺を訪れた。 ここはキム・ボクドンおばあちゃんが1947年帰郷して壊れた体と心を療養したところで、おばあちゃんが療養される前には母親が石火を持って置いて引かれた娘が無事に戻ってくるためにいつも訪れた場所として知られている。
当時、キム・ボクドンおばあちゃんの母親が持っていた石仏は、まだ法廷の隅にある。 日本の青年をはじめとする参加者たちは石仏の前にお寺に参拝もした。
イ・ジヤン執行委員長は「切る姿は痛みを一緒に覚えている人々の切実な祈りだった」とし「春秋原師を出る道には天理香の香りがいっぱいだ。 同行する私たちの心が天理万里に広がり溢れることを望む心だったはずだ」と話した。
希望のたね基金青年ツアーは最後の場所として通道士白蓮がんを訪れた。 ここにはキム・ボクドンおばあちゃんが立てた石などがある。 彼女は1992年に公開証言を皮切りに日本軍慰安婦問題解決のために国内外活動し、以後釜山にしばらく拠点を置いてここに石などを建てた。
李執行委員長は「おばあちゃんが証言し、日本軍の戦争犯罪証拠が生きて証言するにも日本は認めようとしなかったし、日本軍慰安婦問題は解決の兆しがなかった」とし「おばあちゃんは休息のため釜山に降りてきて、その年が 1999年だ。1947年の帰郷ほど体も心も疲れただろう」と話した。
彼は「釜山に降りてきて、おばあちゃんは通道師白蓮岩に石灯を見た」としながら「石灯を見てどんな心だったのか私たちは推測すら難しい。 ソウルに行った」と説明した。
キム・ボクドンおばあちゃんを最後まで祀ったキム・ドンヒ「キム・ボクドンの希望」運営委員も青年期行に共にした。 彼は「おばあちゃんは「私は希望を持って生きています。私に従ってください」と言われました。 心を読む"と目を覚ましたりもした。
希望のたね基金青年ツアーは推進委に平和公園の造成に使ってほしいと20万ウォンを寄付し、推進委は「平和の少女像」が描かれたバッグと「キム・ボクドンバッジ」をプレゼントした。
推進委は22日から今後毎週水曜日午後4~6時の間、量産イマートの前で「キム・ボクドン平和公園、平和費少女像作り水曜活動」を繰り広げる。
去る18日韓国を訪問した希望種子基金青年たちは22日景福宮見学に続きソウルで開かれる'第1588次水曜デモ'に参加した後日本に帰る。
김복동 생가터 찾고 소녀상 앞에 선 일본 청년들 - 오마이뉴스
20万ウォン?不正送金としか言いようがない。事故がなかったのが幸いだ。もし事故が起きたらアイセックのように誰が責任を取るのかよくわからない状態になっていた。
またこのお金はどこから出しているのか。法人はもうないのである。本来は法人の名前では出せないはずである。
登記をこのままにして活動することはできない。会社のような法人と違い、税金はかからないのだろうが。
契約はすべて取り消すことができる。なぜなら、法人格が存在しないからである。おそらく課税されないから放置しているのだろうが。
しかし、その一方で登記を再生するには、まず過料に処せられる可能性がある。
募金をいくら正確に扱っていようが、そもそも韓国国内の活動が違法である。
認知プロファイルすると、この団体の法人登記住所には誰もいないため、法務省からの通知も気づかなかったのだろう。つまり実態のないペーパーカンパニーであることがわかる。
ということであれば、韓国へ旅行している以上、希望のたね基金は全く実体がなく、양징자が寄付金を一人で使っていたにすぎないということになる。
オーマイニュースには希望のたね基金のツアーと書いてあるので、個人的な旅行だという主張は無理である。
さらに正義連は批判されこそすれ、同情する余地は全くない。慰安婦をかわいそうだとか、なにか支援したいと思うときには絶対に正義連の関係者と取引してはいけない。こいつらは完全にクズだ。
以上から、この団体には実態がまったくないうえに、代表者が個人的にお金を使い込んでいる可能性が高い。
以上から、寄付したり、マリーモンドの製品を買ったりしてはいけない。
HPにもある通り、もはや慰安婦とは関係がないことが明らかである。
さらにもとの正義連自体が韓国で刑事告訴されている。他ならぬ慰安婦の証言をきっかけに、である。したがってファクトチェック以前に直ちに謝罪すべきなのである。
でなければ慰安婦の告発を無視する以上、慰安婦なんて本当はどうでも良くてお金儲けの道具にすぎないという連中でしかない。
また、法人格はない以上、現時点では契約したり、お金を受け取ったり支払ったりはできない。例えばマリーモンドの商品を買おうとしてお金を支払っても商品は来ない。なぜなら、法人格がないのでそのお金がどこに行くのかがわからないからである。
风光一时的郭文贵,在蚂蚁们的吹捧下,俨然成为了救苦救难的菩萨,为何郭文贵能一度辉煌无比,一度忽悠了成百上千的无知群众,其实就是在他不停的为自己抹上一层“意见领袖”的外衣,让我们扒开他的这层外衣,看看里面到底藏了一些什么鬼东西。
一、材料再加工的大忽悠
其实,郭文贵从一开始就想把自己打造成一个被迫害的意见领袖形象。在拉扎斯菲尔德等人提出的“两级传播”理论中,信息先由大众传媒流向意见领袖之后再流向公众,因此,意见领袖这一中介者无疑成了传播的“二把手”,将信息“解释并加工”成符合自己所属群体特性的内容并继续传播扩散。对于有利的内容,他们会主动传播,而对于不利的,则会一概去除。所以显而易见,郭文贵从不谈及自己被讨债,犯罪等问题,其总是非常擅长转移注意力,通过信息的加工和再解释,把一些广为人知的东西重新包装,附上阴谋论、迫害论,就可以快速的组装成一个抓人眼球的“爆料”。可惜,谎言经不起时间的推敲,为了维护好自己的形象,也就造成了现在我们看到的一个谎话连篇的郭文贵。
二、无信无力的大骗子
郭文贵为何总能有小蚂蚁跟随,从根源来看,就是他所给自己形象的包装和打造,有着支配引导,协调干扰的作用。他以意见领袖的形象,成为群体、人际传播中的重要角色,蚂蚁们所拥趸的对象,必须有着或权威、或可信、或专业的特性,对某一事件具有独特看法,深受大众或群体个人的信任。因此,从最早不知出处的老领导、纽约时报、班农等等,他在努力向关注他的人传播一种信息:他有强力的可信度。他通过所谓的爆料,迎合部分人群的想法,而在社会价值观解构,公众理性丧失,自身判断力减弱的情况下,其也在一段时间内,有效借助自身意见引导舆论,对已有信息产生或协调、或干扰的引领作用。但是,很快的,他的困扰缠身,导致了公信力的急剧下降,他精心打造的形象开始崩塌,用毫无根据、毫无逻辑的谎言编织而成的战神郭文贵,终究会被所有人唾弃。
三、扯着虎皮的大混蛋
在拉扎斯菲尔德的理论中,意见领袖社交范围广,拥有较多的信息渠道,对大众传播的接触频度高、接触量大,同时意见领袖常常关注那些身边的事件和新闻,并适时发表自己的观点。郭文贵的发布会、全球直播等种种做法与上述理论不谋而合,可以看出其别有用心,正所谓酒香不怕巷子深,他为何一而再,再而三的强调自己与重要人物、重量级媒体的“亲密”关系,原因就是他希望能掌握到一些信息,体现出自己的能量,从而为继续扩散和编造谎言打造一个强有力的虚拟背景墙,他希望通过扩大影响力,从而裹挟民意,为自己的政治庇护提供帮助。可惜,郭文贵拙劣的演技已经使得美国人失望,他最终的结局就是穷途末路。
想借意见领袖外衣,用民意武装自己,妄图期待以此获取美国的政治庇护,满嘴谎话的郭文贵这招看似管用,但是抛弃了最基本做人原则的他,怎么可能继续潇洒下去,越来越多的人,开始看清他的真面目,不断萎缩的蚂蚁帮就是最好的证明,他,已无路可走。
地方は言えない
住民はお前の素材じゃねえっつーの
盛り上げるってなんだよ、具体的に言えよ
KPIどこだよ
ん?あー、それ成功してないよね?
え?もう他に知らないの?
ふーん、あ、そう
ブランディングってなんだよ
何を売るの?どこに?
え?できないの?じゃあお前要らないじゃん
戦略っつって語ってるけど思いつきとどう違うの?
売れねえっつーの
差別化どうすんの?
だーかーらー
お前が言ってんのは皆知ってるっつーの
リスクも取らずネットのペラペラの記事しか知らずに語るなっつーの
おう、がんばりや~
ムラの行事に出ろっつーの
畦道に一歩たりとも入るなよ?
風向き見ながら野焼きもするやで~
後からムラハチブサレマシターって言うなよ?
うちのムラの人口が減ったのは昭和半ば、農業と林業でメシが食えなくなったからや
税金でおまんま食べさせてもらってるお前と違って、普通の人間は産業のあるところに行くんや
誰にもそれは止められん
あそこだけで4000世帯食わしとるんや
勢い
買った順
911 Operatorの続編。通信指令センターとなって実際の地図上に配置された警察消防救急ユニットを動かして街を何とかする
前作とゲーム的には何も変わらないが安定して面白かった。こういうのでいいんだよ
正直自分がプレイしたときはサンドボックス感強く感じた。ちょっと放置している
ゲームメーカーをつくろう。前作と同じくゲーム業界の抽象化が上手い
アタリショックが起きる理由、アーケードが死んだ理由、ゲーム制作費の肥大化、全部なぞれる。難易度は低い
エロゲ。実はこの時点で発売はしていないのだが、テスターとしてめっちゃプレイした。めっちゃ頑張った。
でもデバッグチームでバグ全然取りきれてなかった。プロの技はあります
上のテスターの報酬で頂いた。のにプレイできてませんごめん!!!
今更語るまでもない22年のヒットゲーム
カジノのスロット製作者という射幸心を煽るプロがゲーム業界に殴り込んだ結果。ソシャゲ業界も頑張って!
開拓ゲーム。どう発展するかは手持ちのカードに左右されるのが特徴
工場建てて在地勢力を支援してガッポガッポするのが楽しかった。ゲームが重たくてアチアチになるので夏にやれなかった
重機を運用して土地を造成したり海を埋め立てて工場を作る。楽し……楽しい
これからに期待
どうやっても攻撃受けたら船が沈むシビアなところがちょい苦手。でも面白い。アップデート待ち
買っちゃった。1836年から100年間頑張って国を切り盛りするゲーム
どんな小国でもGDP1位にできるのでバランスはこれから。でも楽しい。ボーア植民地で世界征服しよう!
造成地の住宅街なので周りに新築の家がいっぱい作られてるんだけど
周りの家を見てみるに「失敗だろうな」と思うのが結構ある
好みの問題とか将来的にリフォームでどうにかなる失敗は別にいいと思うんだけど
圧倒的に多いのが「開放感のある大きな窓」だな
当たり前だけど丸見えなんだわ
最近は窓ガラスやサッシの技術が進化したから大きな窓を付けることができますよ!って言われて付けたと思うんだけど
あんまり気にならないような角度に窓を向けてる家とかあるけど最終的には万年カーテンが付けられてる
狭い家で生活リビングの窓を開放にしたらそりゃ丸見えになるんだよね
高層マンションとかに住んでるとカーテンいらないからそのノリでやっちゃったんだろうけど戸建てには向いてないよ
隣の家の壁方向に中庭を作って大きな窓付けてる家もあるけど、そうなるとまた開放感無いから何やってるかわからん
まぁ、うちも「開放感のある大きな窓」を付けてしまったけどな!