はてなキーワード: 財政赤字とは
米国の道路がボロボロなのは、それが金貸しにとって利益を産まないからであり、外国で戦争をするのは、それがドル覇権という名の収奪システムを維持するための必要経費だからだ。
マイケル・ハドソン(Michael Hudson)の経済学的視点、金融資本主義 vs 産業資本主義の対立構造からこの問いを読み解くと、その答えは優先順位の間違いではなく、米国経済の寄生的な構造そのものにある。
彼の分析によれば、今の米国はもはや物を作る国ではなく、レント(経済的地代・不労所得)を徴収する国へと変質しているからだ。
彼は、現代の米国を不労所得を追求する金融勢力が支配する利権追求型エコノミーと定義する。
本来、道路、橋、鉄道、水道などのインフラは、社会全体の生産コストを下げるための公共の資本だ。しかし、金融勢力はこれに公金を投じるよりも、老朽化させて民営化し、利用料を徴収する対象に変えることを望む。
自国のインフラを更新しても、それは国民の生活を楽にするだけで、ウォール街に利子や配当をもたらす負債を産み出さない。金融資本にとっては、国民の生活向上よりも、株価や不動産などの資産価格の維持の方が圧倒的に重要だ。
なぜ遠い国の戦争には、湯水のように金が流れるのか。それは軍事力が、米国が世界から貢ぎ物を吸い上げるためのドルの強制力を支えているからだ。
米国の軍事支出の多くは、兵器産業への支払いを通じて米国内の特定の勢力を潤すだけでなく、他国を米国のドル経済圏という安全保障に従属させるためのコストである。
ハドソンは、米国の貿易赤字および軍事支出によって世界にばら撒かれたドルが、結局は他国の外貨準備として米国債の購入に充てられ、米国の財政赤字を補填するというスーパー・インペリアル主義の循環を指摘する。
軍事的解決が存在しなくても、軍産複合体やシンクタンクにとっては、解決しない戦争が続くこと自体が、予算という名の国富を収奪し続けるための最適解だ。
アメリカ人が自国のインフラをケチるのは、彼らが産業資本主義(物を作って国を豊かにする)を放棄し、金融・不動産・独占(FIRE)セクターによる支配を選んだからだ。
産業を重視する国、例えば中国にとって、インフラは投資だ。しかし、金融資本主義の米国にとって、国内のインフラ整備や教育への投資は経費でしかない。
東大生がコンサルという収奪の管理業務に流れるのと同様、米国のエリートもどうやって物を安く作るかではなく、どうやって他国の資源や労働からレントを吸い上げるかに知性を使っている。
米国の道路がボロボロなのは、それが金貸しにとって利益を産まないからであり、外国で戦争をするのは、それがドル覇権という名の収奪システムを維持するための必要経費だからだ。
アメリカの一般市民は、自国のインフラ崩壊という形でそのコストを支払わされ、同時にイラン、中国、ロシアが悪いというプロパガンダによって、その不満を外部へそらされている。
たぶん、円安を先送りするためと、長期金利を抑えるためかなあ?
日銀が利上げしても円安になるのは、日本の巨額の財政赤字と、貿易赤字転落が理由。円を買う理由がない。だからドルが買われる。
本来はもっと金利を払わないといけないけど、そうすると利払いだけで死ぬから、それは抑えたい。
でもその結果円の価値が落ちて、円安になっているのではないか。
このまま円安を抑えられなくなると、輸入品の価格はさらに上がり、国民の不満も高まる。
だから介入して円安を先送りしているんだと思う。長期的に見れば全戻ししてまた160円を超えるんだろう。
それにインフレ政策をやると言っている人を首相にして、国民がその高市首相を支持しているわけでしょ?
長期的には全戻しして、160円超えるでしょ。
本当に腐敗してるなら、
https://honkawa2.sakura.ne.jp/4640.html
https://www.boj.or.jp/statistics/sj/sjexp.pdf
なんて状況になる訳が無い。
--- ここから続き ---
https://monoist.itmedia.co.jp/mn/articles/2507/30/news002_2.html を読むと分かりますが増田のサイトで挙げてる数字は元々2倍(65歳以上では3倍)位あるのを再配分で抑えた結果の値です。
https://www.mhlw.go.jp/content/12600000/001532334.png (https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_21511.html)
https://www.mof.go.jp/policy/budget/topics/special_account/r8yosan_kibo.pdf
を見ての通り、使途は社会保障給付と主に保険料の不足穴埋めで生じた国債費が殆どです。
https://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/condition/a04.htm#a02
↑を見ると法人税を下げたタイミングで財政赤字を含む負担率=増田の言うところの真の負担率が急上昇してるのが見て取れますが、これは要するに法人税軽減を消費税ではなく国債で穴埋めしたのです。
また法人税を上げれば負担率も当然上がるので、法人税軽減と負担率の高さの両方を批判するのはダブルバインドってやつです。
とりあえずここまで。思い付いたら追記する。
ニック兄さんの提示する分類は、一見すると政治思想のラベリングに過ぎないようでいて、実は典型的な価格理論的フレームで再解釈できる。
すなわち、ネオコン・リベラル・本物の保守という三分類は、それぞれ異なるインセンティブ構造と情報制約の下での行動様式であり、その帰結として自己放尿が観察されるのである。
これはMilton Friedman的に言えば、個人の選択と市場の価格メカニズムを自動操縦装置として信頼する立場である。
したがって、あらゆる政治的言説もまた、合理的個人の選択の集積として理解されるべきであり、自己放尿とは単なる愚行ではなく、特定の制約条件下での合理的(だが社会的には非効率な)選択の結果である。
ニック兄さんの言うように、ネオコンはアメリカ式民主主義の輸出を志向し、そのための戦争を正当化する。
ネオコンの意思決定主体は、自らの効用関数にイデオロギーの拡張や覇権維持を組み込む。
一方で、そのコスト(戦争費用、人的損失、財政赤字)は広く分散される。
ここで発生するのが典型的な集中利益・分散コストの構造であり、結果として過剰な軍事介入という自己放尿が均衡として出現する。
つまりネオコンの自己放尿は非合理ではない。むしろ、歪んだインセンティブの下での合理的自己放尿である。
リベラルについてニック兄さんは「LGBTQなどどうでもいい議論に集中」と批判するが、これもまた価格理論で説明可能だ。
政治参加における一票の影響は極めて小さいため、有権者は合理的無知を選択する。
その結果、複雑な財政問題や制度設計ではなく、低コストで意思表示できるシンボリックな問題(LGBTQなど)に関心が集中する。
これは自己放尿であるが、同時に合理的でもある。情報収集コストを最小化しつつ、道徳的満足を得る行動だからだ。
ニック兄さんの言う本物の保守(小さな政府、伝統重視)は、制度的安定性を重視する効用関数を持つ主体と解釈できる。
彼らは長期的なルール(言語・宗教・文化)を公共財として評価し、それを維持する最小政府を志向する。
この場合、自己放尿は比較的少ない。なぜなら、ルールベースの政策は裁量的介入よりも政府失敗を抑制するからである。
ただし問題は、現代の保守が20年前のリベラルであるという点だ。
これは嗜好の時間的不安定性、すなわち選好のドリフトを意味し、結果として政策一貫性が失われ、新たな自己放尿を誘発する。
解答は明確だ。自己放尿を禁止するのではなく、そのコストを内部化させることである。
これにより、ネオコンの自己放尿は高コスト行動となり、均衡から排除される。
重要なのは、自己放尿そのものを道徳的に否定することではない。
ネオコンの自己放尿も、リベラルの自己放尿も、制度設計次第で抑制可能だ。
価格システム、ルールベース政策、そして政府の限定。これらが揃えば、自己放尿は局所的なノイズに収束する。
逆に言えば、これらを欠いたとき、自己放尿は国家規模で増幅される。
まず結論から言おう。これは市場の失敗ではない。政府の自己放尿である。
中東情勢の悪化とホルムズ海峡閉鎖リスクという外生ショックに対して、価格システムという自動操縦装置を無効化し、資源配分の情報機構を自ら破壊している。
価格は情報・インセンティブ・分配の三機能を持つ。供給制約が生じたとき、ガソリン価格の上昇は希少性というシグナルを社会に伝達する。同時に消費削減と代替行動への誘因を与える。
しかし補助金はこの価格シグナルを歪める。消費者は本来より安いと誤認し、需要を維持あるいは拡大する。供給は制約されているのに需要は抑制されない。これを何と呼ぶか?そう、自己放尿だ。
ここで重要なのは、これは単なる財政問題ではないという点だ。これは制度的インセンティブの問題であり、合理的無知と政治市場の帰結である。
個々の有権者はガソリン価格の歪みの長期的コストを精査するインセンティブを持たない。一方で、補助金の短期的利益は可視的かつ集中している。
この非対称性が、政策決定者にとって補助金という自己放尿を合理的選択に変える。
さらに悪いことに、この政策は時間整合性を欠く。初期には緊急対応として導入されるが、政治的には撤廃が極めて困難になる。なぜなら、補助金は既得権益化し、受益者は組織化されるからだ。
一方、負担は広く薄く分散される。ここでもまた、自己放尿である。しかも持続的な自己放尿だ。
これは価格統制を伴う暗黙の数量制約の導入であり、超過需要の制度的生成である。
結果として何が起きるか?効率性は低下し、死重損失が拡大する。これもまた典型的な自己放尿ルートだ。
そして極めつけは、財政面でのフィードバックだ。補助金は財政赤字を拡大させる。
もしそれが金融拡張でファイナンスされれば、インフレ圧力が生じる。つまり補助金とインフレのダブル放尿である。
価格を抑えようとして、別の形で価格上昇圧力を生む。この滑稽な自己放尿構造を理解できないなら、価格理論の初歩からやり直した方がいい。
価格に任せろ。つまり補助金を廃し、価格システムを復元することだ。価格上昇は痛みを伴うが、それは資源制約という現実の反映であり、適応を促す唯一の分散的メカニズムである。
代替エネルギー、節約、輸送構造の変化、これらは価格シグナルなしには生まれない。
原油価格の高騰という外生ショックに対して、政府がガソリン補助金という形で介入する姿は、まさに価格メカニズムという自動操縦装置を自ら破壊し、その破片を浴びる自己放尿に等しい。
価格は単なる数値ではなく、情報・インセンティブ・分配の三位一体の機能を持つ。
原油価格の上昇は、希少性の増大というシグナルであり、消費削減・代替エネルギーへのシフト・投資の再配分を促す。
この調整過程こそが市場の本質である。ところが補助金は、このシグナルを鈍化させる。
結果として、消費者は本来より多くガソリンを消費し、生産者は非効率な構造を維持し続ける。これは典型的な自己放尿である。
さらに、この政策は政治的市場における合理的無知と利益集中の問題を露呈する。
補助金の便益は広く薄く配られる一方、そのコストは財政赤字や将来の増税として分散される。
個々の有権者にとって、そのコストを精査するインセンティブは乏しい。
したがって、政治家は短期的支持を得るために自己放尿的政策を選好する。
これは政治的企業家が票を最大化する合理的行動の帰結であり、決して偶然ではない。
加えて、補助金は価格統制の一種として機能し、需給均衡を歪める。
ここに、価格統制・財政膨張・資源誤配分のトリプル放尿が成立する。
特に戦争による原油供給の不確実性が高まる局面では、価格の柔軟性こそがリスク分散の鍵となる。
市場は分散的知識を集約し、最も効率的な調整を実現する。しかし政府介入は、この分散情報の集約プロセスを遮断する。
中央集権的判断は、分散された個別情報に比して劣位にあるため、結果として誤った資源配分を招く。
善意の政策ほど危険なものはない。ガソリン補助金は、消費者保護という名目のもとに導入されるが、その実態は市場の調整機能を麻痺させる自己放尿政策である。
短期的には痛みの緩和として歓迎されるが、長期的にはより大きな痛みを増幅する。
「国債を無限に発行しても財源問題はない」というMMTの主張は、経済理論というより壮大な自己放尿の体系である。
自分のズボンに向かって自己放尿しながら「温かいから問題ない」と言っているのと同じだ。短期的には暖かい。しかし長期的には濡れて寒くなるだけである。
これは単なるレトリックではなく、価格理論・貨幣理論・制度分析から論理的に導かれる結論だ。
MMTの主張は要約するとこうだ。
つまり物価は最終的に貨幣供給の問題である。これは金融史の経験から導かれた事実である。
MMTはここでこう言う。 「政府は通貨発行者だからいくらでも支出できる」
経済学の中心命題は価格メカニズムが資源配分を調整するというものである。
これはアクセル全開で崖に突っ込み、崖の手前でブレーキを踏めばいいと言っているようなものだ。
つまり放尿してからズボンを洗えばいいという後出し自己放尿理論である。
経済学が強調するのは、
すると何が起きるか。
そして「まだ濡れてない!」と言い張る。
なぜなら政治家は
を選ぶからだ。だからこそルールベース政策が重要である。政府の裁量を縛るためである。
MMTはその逆をやる。
つまり
これはまさにズボンの前と後ろの両方に自己放尿している状態である。
MMTの魅力は単純だ。
市場は最終的に調整する。
江戸時代の「小判の改鋳(かいちゅう)」を「信用創出」と捉えるのは、非常に鋭く現代的な視点ですね。
厳密な経済学用語としての「信用創出(銀行が預金と貸し出しを繰り返して通貨量を増やす仕組み)」とは少し異なりますが、「通貨発行益(シニョリッジ)を得るための財政政策」、あるいは「マネタリーベースを強制的に拡大させるリフレ政策」という側面で見ると、おっしゃる通りの性質を持っています。
江戸時代の改鋳(特に元禄期の改鋳)がどのような意図で行われたのか、整理してみましょう。
金銀の含有量を減らした新しい貨幣を作り、古い貨幣と交換する際に、余った金銀でさらに多くの貨幣を鋳造します。その差額が「通貨発行益」として幕府の懐に入りました。
豆知識: 元禄の改鋳を主導した勘定吟味役・荻原重秀は、「貨幣は国家が定めるものであり、たとえ瓦(かわら)であっても通用する」という趣旨の発言を残しています。これは、貨幣の価値を「素材(金)の量」ではなく「公的な信用」に置こうとした、当時としては極めて先駆的な**「管理通貨制度」**に近い考え方でした。
慶長年間(江戸初期)に決めた貨幣流通量では、元禄期の発展した経済規模(商業の活発化)を支えきれなくなっていました。
デフレ状態の回避: 商品流通量に対して貨幣が足りないと、物価が下がり景気が冷え込みます。
通貨供給量の拡大: 金の含有量を減らしてでも枚数を増やすことで、市場に流通するお金を増やし、経済を回そうとした側面があります。
改鋳は魔法の杖ではありませんでした。
デメリット: 貨幣の質が落ちたことで「貨幣への信頼」が揺らぎ、激しいインフレ(物価高)を招いた。
特に、その後の新井白石による「正徳の治」では、逆に「貨幣の質を元に戻す(金の含有量を増やす)」というデフレ政策がとられましたが、これは市場から通貨を消滅させ、深刻な不況を招くことになりました。
江戸時代の改鋳は「貴金属の呪縛から逃れて、公的な信用によって通貨量をコントロールしようとした試行錯誤」だったと言えます。現代の中央銀行が行う金融緩和に近い発想が、300年前に既に実践されていたのは非常に興味深いですよね。
今回のトリプル安は、前回のような内政的自己放尿だけではない。きっかけは中東の軍事緊張と原油高騰という外生ショックだ。
だが問題はショックそのものではない。それにどう反応するかという政策的自己放尿だ。
今回の出発点は明確だ。
ここでエネルギー価格が上昇すれば、同じ資本・労働でも実質産出は低下する。
こうした供給ショックを需要刺激で埋め合わせることを警戒すべきだ。
原油高 → 期待インフレ上昇 → 利下げ期待後退 → 債券売り。
これは合理的反応である。インフレ期待が上がれば、名目金利も上昇圧力を受ける。
市場はこう読んでいる。「原油高でインフレが再燃するなら、金融緩和は遠のく」
同時にドルは、
だがここで政策が景気下支えと称して再び大規模緩和に傾けば?
これは極めて素直な因果だ。
エネルギーコスト増は企業マージンを圧迫し、消費購買力を削る。したがって株安は当然である。
これは悲観でもパニックでもない。実質ショックの価格化である。
供給ショックそのものは避けられない。問題は、政治がそれをどう扱うか。
市場はこう問うている。「このショックを、また自己放尿で乗り切るのか?」
もし答えがYesなら、
1970年代に、供給ショックは実質的問題であり、それを貨幣で解決しようとすればインフレになるという現象が起きる。
つまり
今回のトリプル安は、「第一段階:原油高という外的衝撃」だが「第二段階:それにどう反応するか」
ここで歴史は分かれる。
それとも、財政拡大・金融緩和という安心感の自己放尿で乗り切ろうとするのか。
トリプル安はまだ警告にすぎない。
ケインズ派は、総需要管理という名の下に国家を万能の調整者へと祭り上げ、その結果としてインフレ、財政膨張、資源誤配分、そして自由の侵食をもたらしてきた。
これは単なる政策ミスではない。理論構造そのものが誤っているのである。
ケインズ派の基本命題は単純だ。不況は「総需要不足」によって生じる。ゆえに政府支出を拡大せよ、と。
しかしシカゴ学派の価格理論から見れば、これは市場の調整機構を根本的に誤解している。
価格は単なる数値ではない。価格は情報であり、インセンティブであり、分配メカニズムである。
市場は需要と供給が一致する点で価格が決まるという均衡で求まる。
価格が自由に動くならば、労働市場でも財市場でも、超過供給は価格(賃金)の低下によって調整される。
ケインズ派はここで「賃金は下方硬直的だ」と言う。だがそれは多くの場合、政府規制・最低賃金・労組保護といったトリプル放尿の制度的硬直性の結果である。
原因を政府が作り、解決も政府に求める。これは自己放尿的政策循環に他ならない。
フリードマンの核心的命題は明確である。インフレは常にどこでも貨幣的現象である。
これを数量理論で書けば、
長期的に実質産出量は実物要因(技術・労働・資本)によって決まる。よって貨幣供給を増やせば、最終的に上がるのは物価である。
しかしケインズ派は短期の非中立性に執着し、中央銀行を景気調整装置に変えた。
その帰結は何か。
合理的期待の導入以降、体系は明確になった。政府が予想外の自己放尿刺激を与えられるのは一度だけである。
持続的に失業率を自然失業率より低く保とうとすれば、必要なのは加速するインフレ率である。
つまり、失業率を自然水準以下に固定するには、インフレ率を自己放尿的に永続的に加速させ続けなければならない。
ケインズ派は乗数効果の自己放尿を信奉する。政府支出が増えれば、民間需要も増える、と。
政府支出が増えるとは、増税、借入、あるいは貨幣発行のいずれかである。
すなわち恒常所得仮説により、一時的な財政刺激は消費に大きな影響を与えない。
左翼思想の本質は、市場に対する不信と国家への過信という自己放尿である。
だが公共選択論が示す通り、政治家も官僚も利己的行為者である。
これを社会正義と呼ぶのは、倫理的レトリックの乱用であり、自己放尿である。
安定的な制度的枠組みの下で、貨幣供給の増加率を一定の定数に固定する。
ケインズ派は「裁量」を信奉して自己放尿する。裁量は時間的不整合を生む。
その帰結がインフレ期待の上昇、リスクプレミアムの拡大、そして潜在成長率の低下のトリプル放尿である。
1. 恒常的財政赤字
4. 実質成長率の低迷
国家債務の持続可能性は、債務残高が国民所得に対して持続可能な範囲にあることに依存する。
そのとき必要なのは緊縮かインフレか。どちらも政治的に困難である。
ケインズ派は常に「あと少しの刺激」を要求する。しかし刺激の累積は制度の破壊という自己放尿で終了する。
ケインズ派は市場の不完全性を誇張し、政府の失敗を過小評価する。
シカゴ学派は逆に、政府の失敗を体系的に分析し、市場の適応能力を信頼する。
世界を終わらせるのは不況ではない。世界を終わらせるのは、自由の漸進的侵食である。
そしてその侵食は、善意の名の下に、「総需要管理」という自己放尿から始まる。
まず出発点は明快である。
これは Milton Friedman の最も有名な命題であり、シカゴ学派の中核テーゼである。
Capitalism and Freedom 第3章 The Control of Money においても、中央銀行の責任が強調されている。
数量方程式
MV = PY
π = μ + ν - g
パンデミック期に観察されたのは、歴史的規模のμの急増である。FRB・ECB・日銀を含む主要中央銀行は、実質的な「ヘリコプター・マネー」に近い政策を採用した。
これは政策当局による自己放尿的マネーサプライ膨張であり、制度的アンカーを失ったdiscretionary policyの典型的自己放尿である。
フリードマンは一貫してconstant money growth ruleを主張した。これは金融政策の自動操縦である。
裁量主義はtime inconsistencyを内包する。短期的な安定化の誘惑が、長期的なインフレ期待のアンカーを破壊する。
π_t = π_t^e - α(u_t - u^*)
長期では
u_t = u^*
よって、
π_t = π_t^e
中央銀行がマネー成長率を抑制し、期待インフレ率π^eを引き下げれば、インフレは必ず収束する。
しかし重要なのは収束は即時ではない。これはフリードマンが自然失業率仮説で強調した点である。
フリードマンの実証研究では、金融政策の効果にはlong and variable lagsがある。
2. 需要刺激
3. 労働市場逼迫
4. コアインフレ拡大
という順序で波及した。逆に言えば、マネー伸び率が鈍化しても、インフレは慣性をもって持続し自己放尿する。
コロナ期にはVが急低下した。そのため一部の論者は「マネー増加は問題ない」と主張した。
これによりVが反転すれば、νがプラスに転じ、インフレ圧力が持続して自己放尿する。
ここにシカゴ学派の洞察がある。マネーは短期的に眠っていても、最終的には物価に現れる。
が必要である。ここで重要なのは、中央銀行のcredibilityである。
フリードマンは中央銀行に過度な裁量を与えることに懐疑的だった。
なぜなら、政治的圧力は必ず貨幣供給の過剰拡張へと向かって自己放尿するからである。
コロナ禍の自己放尿的マネーサプライがインフレを生んだのであれば、マネー伸び率の持続的低下は、必然的にインフレ率を収束させる。
しかし
シカゴ学派的に言えば、問題は「インフレは収束するか」ではない。 問題は「中央銀行がルールに戻る覚悟があるか」である。
保守政治家による「積極財政(政府支出の拡大・減税・国債発行の活用)」が支持される理由は、いくつかの思想的・現実的要因が重なっています。
保守思想では、
インフラ整備
食料・エネルギーの自給
そのため、
という発想になりやすい。
例として、
安倍晋三 の経済政策(いわゆるアベノミクス)では、大規模な金融緩和と財政出動が組み合わされました。
「小さな政府」よりも
特に:
などに波及しやすく、地方票を持つ保守政治家にとっては支持基盤と結びつきやすい。
日本では、地方重視の政策と積極財政が結びつきやすい構造があります。
たとえば:
ロナルド・レーガン は減税と軍拡を行い、結果として財政赤字は拡大しました。
「小さな政府」を掲げながらも、
減税
国防費増大
を同時に行えば赤字は増える。
つまり、
のです。
これらは自由放任では実現しにくく、国家支出が必要になります。
そのため、
という組み合わせが増えています。
不況や停滞期では、
増税 → 反発
特に高齢者や地方層では「政府が守ってくれる」という安心感が支持につながります。
まとめ
地方経済との結びつきが強い
もしよければ、
Gemini の回答
日本の政治において、本来「小さな政府」や「規律」を重視するはずの保守政治家が、なぜあえて積極財政(政府がどんどんお金を使う政策)を掲げ、それが支持されるのか。
これには、日本特有の政治的背景と、現代の経済状況が複雑に絡み合っています。主な理由は以下の4点に整理できます。
国土強靱化: 地震や台風などの災害が多い日本において、老朽化したインフラの整備や防災対策は、国民の命を守るための「投資」と捉えられます。
安全保障: 防衛力の強化には莫大な予算が必要です。これらを「借金が増えるから」とケチることは、保守のアイデンティティである「国を守る」ことと矛盾するため、積極的な支出が正当化されます。
日本の保守政党(特に自民党など)の支持基盤は地方にあります。
公共事業による雇用: 地方では建設業などが経済の柱であることも多く、公共事業は直接的な景気刺激策になります。
伝統の維持: 経済が衰退して地方から人がいなくなれば、伝統行事や地域コミュニティも消滅します。これらを守るために、財政出動で経済を支えることが「保守的な価値観」に合致するのです。
長年の不景気を経験した結果、保守政治家の中にも「緊縮財政こそが日本を弱らせた原因だ」という考えが浸透しました。
経済成長による国威発揚: 経済が成長しなければ日本は国際的な地位を失います。「まずはお金を使って経済を回し、日本を強くする」という考え方は、強い日本を望む支持層に響きます。
MMT(現代貨幣理論)の影響: 「自国通貨建ての国債なら破綻しない」という理論が一部の保守派に支持され、財政赤字を過度に恐れる必要はないという空気が生まれました。
自由放任(リバタリアン的な小さなおい政府)ではなく、国家が主導して産業を育てるべきだという考え方です。
戦略的投資: 半導体や次世代エネルギーなど、他国に負けられない分野に巨額の補助金を投じることは、経済安全保障の観点から「保守的な国益」に叶うとされます。
まとめ:なぜ支持されるのか
結局のところ、保守政治家を支持する層にとって、積極財政は単なる「バラマキ」ではなく、**「日本という国を形作り、守り、次世代に引き継ぐための必要経費」**として映っているのが大きなポイントです。
国の借金 将来世代へのツケになる 投資をしないせいで国が衰退する方がツケになる
政府の役割 市場に任せ、介入を減らす 国家の生存と成長のために、戦略的に介入する
このテーマは、最近の「防衛増税」や「少子化対策」の財源議論とも密接に関わっています。特定の政治家の発言や、具体的な政策について詳しく知りたい部分はありますか?
政治家に対する理性的批判とは、公共選択の枠組みにおけるインセンティブ構造、情報の非対称性、貨幣的・非貨幣的コストの帰着、そして制度設計の一般均衡効果を分析する行為である。
これは感情ではなく、価格理論と合理的選択理論に基づく演繹的・実証的営みである。
それを「イジワル」と呼ぶ者がいる。この瞬間、その者は理論的に自己放尿している。
なぜか。
シカゴ学派の基本命題は単純明快だ。人間は目的関数を持ち、制約条件の下で効用最大化を行う。
彼らの目的関数は再選確率、権力維持、名声、予算規模の拡大などで構成される。これは官僚の予算最大化仮説とも整合的であり、公共選択論の標準的前提である。
それは、
これらを数量化し、政治家の政策選択が社会的余剰を減少させるか否かを検証する作業である。
これを「イジワル」と呼ぶ?
それは価格メカニズムを否定しながら市場で買い物をするのと同じ自己放尿だ。
一票の限界影響がゼロに近いなら、有権者は政策の詳細を学習しない。
ここまでは理解できる。
だが問題は次だ。
情報コストを払わない者が、情報を払って分析している者を「イジワル」と断罪する瞬間、連中は自らの無知を規範化し始める。
これは単なる無知ではない。無知の道徳化である。そして無知の道徳化は、制度的劣化を加速させる。
ゆえに、理性的批判を排除する社会は、自ら規律供給をゼロに近づける。
価格を隠して「優しさ」で取引しろと言うのは、経済的幼稚性の自己放尿だ。
シカゴ学派の核心は、市場失敗を認めつつも、政府失敗を同時に分析することにある。
だが愚民はこう言う。
「もっと思いやりを」
思いやりは予算制約を超えない。善意はインセンティブを無効化しない。
規制が強化されれば、参入障壁が上がり、既得権益が固定化される。
それでも「イジワル」と言うなら、それは経済学的現実拒否と感情依存のダブル放尿である。
「どうしてこんなことに?」
答えは簡単だ。貴様が理性的批判を「イジワル」と呼んだ瞬間から、制度の自己修正機能を切断したからだ。
それは自分の足に向かって放尿し、「なぜ濡れているのか」と泣くのと同じだ。
経済学は優しさの代用品ではない。それは現実の制約を暴露する学問である。
制約を指摘する者を排除する社会は、最終的に制約に叩き潰される。
理性的批判を「イジワル」と呼ぶ愚民は、政治家を守っているのではない。
それを何と呼ぶか?
そして今日もまた、感情で制度を語る者たちは認知的自己放尿と財政的自己放尿のダブル放尿を誇らしげに続けている。
以上。
「政府の成長投資」は本質的に裁量的介入であり、条件次第ではインフレ圧力にもなり得る、というのが基本的な見方になります。
Capitalism and Freedom でフリードマンは明確に述べています:
したがって、政府が「成長分野」を選ぶこと自体が市場プロセスへの介入と見なされます。
なぜなら、
です。
ここは重要です。
増税で賄うなら、
ただし、
ここがフリードマン的に最も警戒される点です。
Milton Friedman の有名な命題
もし成長投資が
特に、
マクロ的に
MV = PY
成長投資が M を増やさず、Y を本当に増やすなら → インフレ圧力は弱い
この場合
ΔM > ΔY
となり、
ΔP > 0
になります。
おそらくこう言うでしょう。
つまり、
これこそが「最大の成長政策」。
あります。
もし、
| 観点 | シカゴ学派の評価 |
| 裁量か? | はい |
| 介入か? | はい |
| インフレ圧力? | 財源次第(特にマネタイズされれば強い) |
| 成長効果? | 市場より優れている保証はない |
ケインズ派の有名なセリフに「長期的には我々は皆死んでいる」がある。
一見すると現実主義の香りがする。だが、これは経済学的にはかなり危険な言葉だ。
なぜならそれは、長期の制度設計やインセンティブ構造、期待形成、貨幣価値の信認といった経済の骨格を軽視し、短期の裁量政策で全てを解決できるかのような幻想を正当化する免罪符になるからだ。
そして最悪なのは、その短期対応が、実際には今生きている人間の購買力と資本形成を破壊し、生活を貧しくしていくことだ。
つまりケインズ派は「長期は死ぬから知らん」と言いつつ、短期の名目数字を弄ぶことで、短期の現実生活すら破壊する。これがケインズ派の自己放尿である。
経済とは、政府が需要を注入すれば都合よく回るような単純な水槽ではない。
市場とは分散的情報処理装置であり、価格とは情報であり、貨幣とは信認であり、利子率とは時間選好とリスクの価格だ。
ここに政府が景気刺激という名目で介入し、財政赤字と金融緩和を混ぜたドーピングを打ち込めば、確かに一時的なバブル的繁栄は演出できる。
しかしその代償は、期待インフレの上昇、資源配分の歪み、そして生産性の劣化として必ず現れる。
ケインズ派は失業を需要不足と呼び、政府支出で埋めれば解決すると言う。
だが失業とは市場の調整過程であり、名目ショックと情報の遅れ、賃金の硬直性が生む現象であって、政府が需要を盛れば根本解決するものではない。
むしろ政府が短期の失業率に過剰反応して介入すればするほど、自然失業率を無視したインフレ圧力が蓄積し、最終的にスタグフレーションという形で国民が請求書を払う羽目になる。
「景気が悪い?財政出動だ。金利が低い?もっと刷れ。株が下がった?政府が買え。実質賃金が下がった?インフレで調整だ。」
これは市場調整を信頼せず、政府の裁量を過信する中央計画的思考であり、マクロを口実にしたミクロ破壊である。
特に問題なのは、インフレを「景気回復の副作用」くらいに軽く扱う点だ。
インフレは単なる物価上昇ではない。貨幣価値の希薄化であり、貯蓄への課税であり、固定所得者への攻撃であり、将来計画の破壊である。
インフレ税は議会を通さずに国民から徴税する裏口であり、最も卑怯な政策手段だ。政府はこれを「景気対策」と呼ぶが、実態は貨幣錯覚を利用した略奪である。
つまりケインズ派は、短期的なGDPの名目成長や株高を成果として掲げる。
だがその裏で、実質賃金を削り、生活コストを上げ、貯蓄を目減りさせ、将来の資本蓄積を破壊する。
これは今生きている人間の生活を犠牲にして、統計上の景気を演出しているだけだ。
そして連中は言う。
「景気が悪いから仕方ない」
「供給制約のせいだ」
政府の失敗を市場のせいにし、貨幣の破壊を必要なコストとして正当化する。
そして最後に残るのは、購買力を奪われた労働者と、紙屑化した通貨と、歪んだ資本市場だけだ。
つまり、物価が上がるのは供給が悪いからでも、企業が強欲だからでもない。
貨幣供給が過剰だからだ。政府と中央銀行が通貨を増やし、名目需要を膨らませた結果として、通貨の価値が下がる。これ以上でも以下でもない。
ケインズ派とは「短期の需要管理で全てを制御できる」という傲慢だ。
その傲慢が生むのは、政策ラグの無視、期待形成の軽視、そして時間整合性問題だ。
政策当局は「今回だけ」と言って通貨を薄めるが、市場は学習する。
期待インフレが上がり、賃金要求が前倒しされ、名目金利が上昇し、結局は景気刺激が効かなくなる。
すると政府はさらに刺激を追加する。これがインフレ・スパイラルの政治経済学であり、典型的な裁量政策の罠である。
短期フィリップス曲線を信じて「インフレで失業を減らせる」と錯覚し、長期で垂直になる現実にぶつかり、失業もインフレも高い世界に突入する。
これは歴史的にも1970年代のスタグフレーションで既に決着がついている。
なぜか?
選挙までの数年間を乗り切るには最高の麻薬であり、国民もまた貨幣錯覚で騙されやすい。結果として政策は常に未来からの借金になる。
経済を成長させる理論ではなく、経済を操作して人気を取る理論だ。
ここで行われているのは、資本主義の精密機械に対する素人のハンマー介入である。
そして最も滑稽なのは、連中が「人々を救うため」と言いながら、救っているのが政府支出に近い人間だけである点だ。
恩恵を受けるのは資産保有者と政治コネクションのある産業であり、最後にインフレと増税で殴られるのは普通の労働者だ。
「長期的には皆死んでいる」という言葉は、思想的には怠慢の宣言であり、政策的には責任放棄の免罪符だ。
しかも実際には、その場しのぎ政策が「短期」すら壊す。生活必需品は上がり、賃金は追いつかず、貯蓄は削られ、将来不安が増幅される。つまり今生きている人が死ぬほど困る。
貨幣を薄め、価格シグナルを壊し、資源配分を歪め、インセンティブを破壊する。
自己放尿どころではない。
これは、財政赤字、金融緩和、インフレ誘導のトリプル放尿である。
処方箋は明確だ。
インフレ期待を安定させよ。
それを理解せず、数字をいじって「景気回復」を演出するのは、経済政策ではなく統計マジックであり、未来に対する詐欺である。
長期的には皆死んでいる?
違う。長期的には制度が残る。通貨の信認が残る。資本ストックが残る。インセンティブ構造が残る。
そしてそれらを壊したツケは、必ず今生きている人間が払う。
「積極財政で成長できる」「政府支出がGDPを押し上げる」「財政出動こそが景気のエンジンだ」
この手の議論は、日本語圏ではもはや宗教儀式に近い。だが、ドルベース実質GDPという冷酷な尺度の前では、こうした主張はほとんどの場合、ただの自己放尿である。
なぜなら、ドルベース実質GDPとは、国内での名目取引の盛り上がりではなく、国際市場における購買力と生産性を測る指標だからだ。
つまり世界市場という審判が「お前の国の生産物には価値があるか?」と問うているのであり、国内で政府が札束を回して景気ごっこをしても、審判は鼻で笑う。
積極財政論の致命的な誤謬は、マクロ経済を「需要の総量の問題」としてしか見ていない点にある。これは典型的なケインズ的短期主義であり、名目変数の撹乱を実物変数の改善と勘違いする貨幣錯覚の制度化である。
政府支出は、確かに国内の名目GDPを押し上げることがある。だがそれは、通貨供給と財政赤字を通じた総需要の膨張であり、実物の供給能力、すなわち労働生産性・資本効率・技術進歩を直接生むわけではない。
要するに、政府が金を撒いて一時的に回転率を上げることはできても、その国の生産関数が進化するわけではない。
そしてドルベース実質GDPの評価軸に入った瞬間、このカラクリが露呈する。国内でインフレを起こし、通貨の信認が毀損すれば、為替は下落する。
つまり円の購買力が低下し、ドル換算した実質GDPはむしろ押し下げられる。これは「国内では景気が良いように見えるが、外から見ると貧しくなる」という現象であり、貨幣錯覚が国家規模で発動した状態だ。
ここで重要なのは、為替レートが単なる投機の気まぐれではなく、長期的には金融政策の信認と相対的生産性を反映する価格だという点である。
為替とは「マネタリー・レジームへの市場投票」であり、財政拡張が中央銀行のファイナンスに依存する限り、その投票結果はほぼ決まっている。
積極財政論者は「財政支出で需要を作れば企業が投資する」と言う。しかしこれは、因果の向きを逆にしている。
投資は、将来の実質収益率が期待できるときに起こるのであって、政府の赤字によって割り当てられるものではない。
政府支出が民間投資を刺激するというストーリーは、実際にはクラウディングアウト(資源配分の押しのけ)を無視した、都合の良いフィクションである。
政府が市場から資金を吸い上げれば、金利は上がるか、あるいは中央銀行が国債を買い支えることで通貨供給が膨張する。
前者は民間投資を圧迫し、後者は通貨価値を毀損する。どちらに転んでも、生産性の源泉である民間部門の資本形成には毒だ。これは財政拡張と金融抑圧のダブル放尿である。
しかも日本の場合、潜在成長率が低下する局面で、政府が需要だけを膨らませればどうなるか。
インフレ圧力が高まり、実質賃金は遅れて毀損する。ここで起こるのは景気回復ではなく、単なる価格体系の攪乱である。
インフレとは常にどこでも貨幣的現象であり、財政赤字を貨幣化する国家は、通貨の希少性を自ら破壊する。
そして通貨の希少性を壊した国は、国際市場で安く買い叩かれる。ドルベース実質GDPが伸びないのは当然だ。むしろ伸びる方が奇跡である。
さらに悪いのは、積極財政が政治的インセンティブと結合した瞬間、政府支出が票田への再分配へ堕落する点だ。
公共事業、補助金、バラマキ、規制産業の延命。これらは生産性を高めるどころか、ゾンビ企業と非効率部門を温存し、資源配分を歪める。市場の創造的破壊を止め、全要素生産性(TFP)の改善を阻害する。
つまり積極財政とは、短期の数字を盛るために、長期の能力を食い潰す装置になりやすい。これは経済政策ではなく、時間軸を無視した会計トリックである。
「積極財政で成長できる」という議論は、国内通貨建ての名目GDPに酔いしれ、為替と実質購買力という現実を無視している。
言い換えれば、国際価格体系における自国通貨の信用を、単なる会計単位と勘違いしている。
結局、ドルベース実質GDPを押し上げるのは、財政出動ではない。制度改革による資源配分の改善、規制撤廃による競争圧力、技術進歩を促す投資環境、そして信認された金融政策による通貨の安定である。
市場が成長を生むのであって、政府の帳簿が成長を生むのではない。
積極財政を唱える者は、政府支出を万能薬として扱うが、それは政府が需要を作れば供給がついてくるという幻想だ。
だから「積極財政がドルベース実質GDPの後押しになる」という論調は、経済学の皮を被った自己放尿である。
高市さんに支持者が期待する「変化」は、具体的な政策がどうこうというより、空気をひっくり返してくれそうな感じへの期待に近い。
長く続いた自民党政権の中で、景気が良くなった実感もなく、将来像も語られず、政治はただ管理しているだけ、という低温の停滞感が溜まっている。
高市さんの強い言葉や断定的な言い回し、はっきりした敵の設定は、「少なくとも現状肯定ではない」という印象を与えていて、それが支持につながっている。
そこには「日本は本来もっと強かったはずだ」という郷愁も混ざっている。
軍事国家になってほしいとか、統制を強めてほしいというより、自信を持って言い切る態度、遠慮しない姿勢を見せてほしい、という願いに近い。
さらに一部には、官僚主導や既得権益を壊してくれるかもしれない、アメリカにもNOと言うかもしれない、という日本版の改革者ファンタジーも重なっている。
ただ、象徴的な変化はあっても、構造的な変化はほぼ起きないと思われる。
高市さんは体制の外から壊す人ではなく、自民党という枠の中で体制を強める立場にいる。
表現やメッセージ、儀礼的な振る舞いは変わるかもしれないけれど、予算配分や税制、雇用制度、人口構造といった生活を直接左右する部分は動きにくい。
少子高齢化や社会保障費の膨張、財政赤字、米国依存の安全保障といった問題は、個人の思想でどうにかなるものじゃない。
実際に起こりそうなのは、防衛や経済安保での言説と予算の強化、価値観をめぐる論争の前面化、対中・対韓・対メディア姿勢の硬化、保守層に向けた象徴的なメッセージが増える、といったレベルだ。
サプライサイド経済学というのは、表向きは「成長の源泉は供給能力だ」「税を下げて労働・投資のインセンティブを回復させろ」という、いかにも正しそうな顔をしている。
だが現実の政策運用では、これはしばしば理論の皮を被った政治的アリバイ装置に堕して自己放尿している。
つまり「減税したい」「規制緩和したい」という結論が先にあり、その正当化のために供給側という言葉が貼られているだけだ。
そしてこの手の政策がインフレ局面で何をするか。ここが本題だ。インフレを自分の責任として引き受けず、外部ショックに責任転嫁し、金融要因を直視せずに逃げる。
インフレの本質はきわめて単純だ。インフレとは「貨幣の購買力の低下」であり、長期的・持続的な物価上昇は、結局のところマネーサプライの過剰成長によってしか説明できない。
貨幣数量説を教科書の古典として片付けるのは簡単だが、現実は古典がしぶとい。
なぜなら貨幣は取引の潤滑油であり、供給を過剰にすれば、最終的に価格体系そのものを歪ませるからだ。
貨幣を増やして、物が増えないなら、価格が上がる。これを否定するのは、重力を否定するのと同じ種類の幼稚さだ。
サプライサイド経済学が問題なのは、「供給を増やす努力」それ自体ではない。
供給能力を拡張する政策は、本来は重要だ。資本蓄積、技術進歩、労働参加率、規制コスト、税制の歪み、こういう話は全部まともだ。
だが、インフレ局面でそれを万能薬のように唱え、金融的現実から逃げる瞬間に、理論は自己放尿へと変質する。
供給制約があるなら、供給を増やすべきだろう。しかしそれはインフレの主原因の説明ではなく、一部の緩和策でしかない。ここを混同するのは知的怠慢であり、政治的欺瞞だ。
しかも、連中がやる典型的なムーブがある。マネーサプライがインフレの原因であるのに、ウクライナだの、輸入物価だの、エネルギー価格だのに責任転嫁して自己放尿する。
もちろん戦争が供給ショックを起こすことはある。輸入物価が上がれば短期的に物価は上がる。
だがそれは「物価水準の一回限りのジャンプ」を説明するだけだ。持続的なインフレ率、つまり上がり続ける現象は、貨幣の過剰供給がなければ維持できない。
にもかかわらず、政治はこの混同を利用する。供給ショックを口実にすれば、中央銀行と政府の金融・財政の共同責任を曖昧化できる。
つまり「インフレは外生的だ」「我々は被害者だ」「戦争が悪い、国際情勢が悪い」と言いながら、裏では金融緩和と財政膨張を続けてダブル放尿する。
これは政策当局の典型的な責任回避ゲームだ。貨幣を増やしている側が、原因を外に投げる。
国民は複雑な説明を好む。「海外要因のせい」と言われたほうが納得しやすいからだ。
こうして、通貨価値の毀損は“不可抗力”として処理される。要するに、責任を取らずに済む。
善意だろうが悪意だろうが関係ない。貨幣を増やせば、遅れて物価が上がる。
しかも遅れて上がるから政治家は調子に乗る。短期では景気が良くなったように見える。
雇用が増えたように見える。資産価格が上がる。だから選挙に勝てる。
ここで政治が学習するのは、「貨幣を増やすと一時的に気持ちいい」という事実だ。
麻薬と同じだ。そして副作用としてインフレが来る頃には、原因は別の誰かに押し付ける。
これが政治経済学の基本構造だ。人間は合理的だが、責任を負うようには合理的ではない。
サプライサイドがこのゲームに加担するのは、「供給を増やせばインフレは起きない」という幼稚な物語を提供できるからだ。
減税して投資が増える、労働供給が増える、生産性が上がる、だから物価は上がらない。
これ自体は条件付きで一部正しい。だが、現実には供給の反応は遅い。
政治の時間軸と市場の時間軸は違う。設備投資には時間がかかる。労働参加率の変化も遅い。規制改革も遅い。技術進歩などもっと遅い。
にもかかわらず、貨幣供給の拡大は今すぐできる。財政赤字の拡大も今すぐできる。金融緩和も今すぐできる。といって自己放尿する。
つまり政策当局がやっているのは、遅い供給改善を口実にして、速い貨幣膨張を正当化することだ。これは構造的に詐欺的にならざるを得ない。
そして当然の帰結として、価格シグナルが壊れる。価格とは情報だ。価格は希少性を伝える信号であり、市場参加者の分散情報を統合する計算装置だ。
だがインフレが起きると、価格は「相対価格の変化」と「貨幣価値の変化」が混ざったノイズになる。
企業は需要増なのか通貨安なのか判別できない。労働者は実質賃金が上がったのか下がったのか分かりにくくなる。
こうして誤配分が起きる。ミスアロケーションだ。資本が生産的用途ではなく、インフレヘッジの投機に吸い込まれる。
住宅、土地、株式、あらゆるものが価値保存の器として買われる。市場は本来の機能を失い、ただのインフレ回転装置になる。
この状態で「減税すれば供給が増えて解決だ」と言うのは、火事の中でガソリンを撒きながら「いや、建物の耐火性能を上げれば大丈夫」と言っているようなものだ。
耐火性能の議論は重要だが、今燃えてる火を無視してる。燃料の供給を止めろ。貨幣の供給を止めろ。インフレ期待を潰せ。実質金利を正常化しろ。これが先だ。
順序を間違えるな。順序を間違えるのは無能か、あるいは意図的な詐欺だ。
ここでサプライサイド派がよく使う逃げ口上が「インフレは一時的だ」「供給制約が解消すれば下がる」だ。
これもまた、政治的に便利な麻酔薬だ。だがインフレ期待というのは、そんなに素直に消えない。
人々が「どうせまた通貨を薄める」と学習した瞬間、賃金交渉も価格設定も前倒しでインフレを織り込む。
これが自己実現的にインフレを固定化する。金融当局が信頼を失った経済では、インフレは単なる物価上昇ではなく、制度への不信の表現になる。つまり、通貨が信用を失う。
なぜなら改革をしているフリをしながら貨幣膨張を続ければ、改革への信頼まで毀損するからだ。
減税も規制緩和も、本来は市場メカニズムの復権のためにあるはずなのに、インフレを伴うと単なるポピュリズムに見える。
市場派が市場派であることをやめる瞬間だ。これが思想の腐敗でなくて何だ。
サプライサイド経済学が自己放尿する最大のポイントは、「供給能力を上げる」という正しいテーマを掲げながら、「貨幣供給の過剰」という不都合な真実を直視せず、外部要因に責任転嫁し、政治の短期利益に奉仕することだ。
ウクライナ、輸入物価、エネルギー価格のトリプル放尿で責任を散らし、マネーサプライの増加という核心から逃げる。
市場は強い。だが市場が強いのは、価格が情報として機能し、貨幣が安定している場合に限る。
通貨価値を政治が破壊すれば、市場は情報処理装置として壊れる。
貨幣をまともにできない政権が、供給改革などできるわけがない。できるのはスローガンの量産だけだ。
インフレは天災ではない。インフレは制度の失敗であり、政策の失敗であり、何より責任逃れの帰結だ。
サプライサイド経済学がもし本当に供給能力の拡張を語るなら、まず通貨の安定を前提条件として守れ。
日本経済の長期停滞を説明する理屈はいくらでもあるが話は驚くほど単純だ。
原因は需要不足でもデフレ心理でもない。ルールを破壊し、価格シグナルを歪め、貨幣を政治目的に従属させたことだ。
ケインズ派の基本動作は、景気が悪いと見れば政府が需要を作り、財政赤字と金融緩和で穴を埋めることにある。
だが成長は支出から生まれるのではなく、生産性とインセンティブから生まれる。
それを中央銀行と財政当局が踏み潰す行為は、市場という分散計算機に砂糖水をぶちまけて自己放尿するようなものだ。
日本で起きたのは、貨幣の中立性を信じない政策当局が、期待形成を自分たちで管理できると誤信した結果だ。
量的緩和でマネタリーベースを膨張させ、金利をゼロに貼り付け、将来の不確実性を消せると考えた。
しかし合理的期待の世界では、予見可能な政策はすでに価格に織り込まれる。予測可能なインフレ目標は、予測可能に無力化される。
ここで起きるのは刺激ではなく、リスクの社会化とゾンビの温存だ。
退出すべき企業が退出せず、資本は低生産性部門に拘束され、全要素生産性は下がる。
財政側も同じ構図だ。公共投資で需要を作ると言いながら、実際には政治的配分で資源を歪める。
限界効用の低い支出に税と国債を投じ、将来世代に負担を転嫁する。
リカードの等価定理を完全に満たさないにせよ、将来増税の予想は現在の消費を抑制する。
さらに悪いのは、金融と財政の結託である。中央銀行の独立性を空洞化させ、財政規律を金融で肩代わりする。
これは金融抑圧と財政拡張のダブル放尿だ。金利という最重要の価格を潰し、政府の予算制約を見えなくする。
市場参加者は学習する。将来のルールが恣意的だと分かれば、長期投資は萎む。短期の裁定だけが増える。
k%ルールに象徴されるように、裁量ではなく予測可能性が重要だ。
日本は逆をやった。状況に応じて目標を変え、手段を増やし、説明を付け足した。
その結果、政策はノイズになり、期待は不安定化した。貨幣は中立でなくなり、しかも望ましい方向には動かない。
これらは症状であって原因ではない。
原因は、価格システムを信頼せず、政府が最適配分を計算できると考えた傲慢さだ。
日本で観測されたのは、ケインズ派の自己放尿が制度化され、止めるブレーキが外れた状態だ。
結論は地味だが冷酷だ。
貨幣政策は予測可能に、財政は制約を可視化し、退出を許容する。
それができない限り、自己放尿は続き、成長は戻らない。
2026年、中央銀行がドルの信認を回復させれば、金高騰は終わる。そういう事は出来るのだろうか。
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高金利でインフレ期待をへし折って実質金利を大きくプラスにすることだったけど、今は米国の債務比率は100%を超えており高金利を維持すると政府財政が厳しくなる。特にトランプは財政赤字をかなり嫌っているので、すでに実質金利がプラスになってるのに利上げというブレーキは厳しい。さらに実質金利がプラスにも関わらず金価格は上昇してしまってる。
中国とインドなどの中央銀行はかなりのハイペースで金を買い、米国債を減らしてる。世界の中央銀行の準備資産において、金の保有額が米国債を逆転したという話もある。利上げの上限というキャップが薄っすら存在している以上米債を買い戻す行動は中々おきずらそう。
貿易政策で基軸通貨維持を手放しそうだった。政治リスクも勘案すれば金利を上げただけでは完全にドル信認は戻りにくい。さらにドル円のレートチェックまでしてる。
まとめ
中央銀行がドルの信認を高める政策はトランプ政権中はかなり難しいのではないか。金が下がるのは厳しそう。1980は「高金利=信認回復」が効いて、資金がドルに戻る回路があった。いまは分散が進んでいて、一度“ドル不信プレミアム”が付くと、金利だけでは剥がれにくい。ここで言う“信認回復”は、①実質金利を十分プラスにする、②資金がドルに戻る、の2点。80年代は②が起きたが、今は②が起きにくい(=プレミアムが剥がれにくい)。
ドル建てのゴールドが下がる条件は中銀によるドルの信認回復だったけど、円建ての場合も似たようなパスはありそうだ。日本の場合は巨額の財政赤字もあるけどインフレで歳入は増えたし、金利も上昇局面。金融正常化のパスにのれば下落リスクは結構あると思う。実質金利がプラスに浮上したら目安として、金の積み立てやガチホは再検討すべき。