はてなキーワード: 派生とは
・受験を控えたN高2年
・小1でPCを親から授かるというとてつもない恵まれた環境に育つも
・四次元幾何学にはまったくせに多胞体を一つも発見できなかった、エキゾチック球面の存在も証明できなかった
・巨大数論にはまった癖にローダー数とバシク行列システムの定義を解き明かせなかった
・遺伝的プログラミングと古典的画像処理ベースでDQNを上回る強化学習モデルを発見できなかった
・それどころかプログラムを作るプログラムすら作れなかった(理論上今のAIとはまた違う形で必ずできると信じていた)
・こんな馬鹿げたことばかりやっていたせいで小学生時代まともにプロダクトを世に出せなかった
・数学もITも無理だと悟ってからSCPに逃げ4年も費やすも結局共著の一つしか記事を残せない
・SCPの派生コミュの管理委託をほっぽいて逃げたせいで初代/3代目管理者に迷惑どころではない孤独感や罪悪感、遺恨を植え付ける
・許してもらえたのに結局彼の夢を壊すことを言ってしまい今度こそ縁が切れ彼を鬱にする(今でさえ創作にトラウマを抱えているらしい)
・その後自動作曲の研究にどハマりし、某SunoAIの元ネタ(の一部)の論文共著に参加するが、貢献度が低かったのも相まってカンファレンスに登壇できなかったしポトフォにも書ける立場にならなかった
・その後Xenharmonic・現代音楽の研究にどハマりしDeflate圧縮率の標準偏差やコルモゴロフ複雑性の概念を使い「良いメロディを定量的に計る単位」を考案するが真面目に研究せず興味を失ったため論文にできない
・なんだかんだ今でさえ単著論文を一つも書けていない(無能なラン先輩でさえ11歳で原子論文書いて大学院にお呼ばれされたのに!)
・なんだかんだ今でさえ大学数学コンプできていない(圏論と逆数学が難しい)
・世界史替え歌MADを作っていたことがあるが制作者側のコミュニティで問題を起こし動画全消しして逃げた
・↑の自動プログラミングをなんだかんだ諦められなかったので競プロでテストをしようとしてBANされた
・フリーランスとして仕事をするが、何度も依頼の納期を伸ばして怒られた
・親を殴った
・その借金を返す目的で稼いだバイト代を株を自動化しようとして溶かした
・弟にネットでガイジと呼ばれ晒されたことがある(今は仲は良好)
・これら全ての過ちを重ねた今でさえSNSというレッドオーシャンでうまくやることができていない(アクティブユーザーが数ヶ月単位で何度も3桁と1桁を行き来する、私のガイジムーブが露呈しMisskeyで炎上する)
私は、ある出版社で漫画雑誌の編集をしている。
先日、同業者に面白い読み物が有ると進められて「【完結済】 「合丼来来伝」」を読んだ。
なるほど、確かにこれは面白い。
読んだ感想を一言で言えば
「何者かになろうとして何者にもなれずに、人として落ちる所まで落ちたワナビの物語。珍しくはないが、こういうのを語り継いでいく価値はある。」
になる。
漫画編集者をしているから言えることだが、原稿持ち込みをしてくる人の99.999999999......%がこういったワナビだ。
だが、大抵のワナビは何度も持ち込みをしている内に現実を直視するようになり
漫画家とは別の職を持つようになり漫画家になることを諦める。
何者かになることを諦めきれず落ちる所まで落ちるワナビというのは、大体100~500人に1人ぐらいの割合だと言える。
そこで、何回かに分けて「合丼来来伝」を読んで漫画編集者が持った感想と、
合丼来来伝で語られている「合丼来来」と、派生で語られている「いらじ」「旅交同好会」の三者について
漫画編集者の視点から「彼らは何者かになれる可能性が有るのか?」を述べ、
漫画家・アニメ原作者・ライトノベル作家などを目指す人に有益な話をしようと思う。
三者の中で「私について言及して欲しくない」という人が居る場合は、Youtube又は、Xでこの記事のURLを載せた上で
「私については言及しないで下さい」とお書き下さい。
「世間での言葉の使われ方を観察してその意味を類推したもの」だ。
「世間での言葉の使われ方」こそが日本語の本体であり、辞書はその一部を切り取ったものにすぎないのだ。
すべての言葉を収録できるわけではないし、説明が端的すぎて勘違いが生まれやすくもある。
あるいは観察が足りていないこともあるし、類推がやや外れていることもある。
たとえば、あなたがオタクなら「オタク用語辞典」みたいなものを読んで、
「ニュアンスがちょっと違うな」「文脈を踏まえてないな」と思ったことはないだろうか。
このスラングはこういう出来事があって生まれたから、こういう意味合いも内包していて、
こういう用法でも使うことができるし、別のコミュニティではこういう意味も派生しているのに、
国語辞典なども、もちろん精度の違いはあれど、本質的にはそれと同じなのだ。
だから本当に「言葉の意味」を考えるなら、自分で「世間での言葉の使われ方」を調べていくしかない。
その言葉がどういう文脈で生まれ、どういう形式で使われてきたか、どのように意味が派生し、どのように変化してきたか。
そういう作業を省略して、手っ取り早く「そこそこの答え」を知りたいなら、辞書を参照するのがよい。
ただ、それはChatGPTに聞いているのと同じだ。
ChatGPTも有用ではあるが「絶対的な正解を教えてくれる」とは誰も思わないだろう。
辞書もそのように使うのがよろしい。
[B! NHK] 父親がバラエティを敬遠してNHKみたいな番組ばかりを見ていたが、歳を取ると良さが分かる?「まずBGMがないのが最高」「単純にバラエティ自体つまらなくなった」
「日本のTV番組の演出。V流してる最中にスタジオ出演者の『すごーい』とか『おいしそう』とかの声を被せる演出。いつ始まり、いつ頃増えた?」
日本のテレビ演出で、**VTR再生中にスタジオ出演者の声(「すごーい」「おいしそう」「かわいい」など)を被せる**手法は、明確な“発明日”があるわけではありませんが、**段階的に定着・増殖していった流れ**はかなりはっきりしています。
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* ワイプで表情を抜く
例:
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## ② はっきり増え始めた時期
この頃から
背景:
特徴:
* 「えー!」
* 「すごっ」
* 「うまそう」
この頃はまだ
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## ③ 決定的に定着・常態化
決定的要因:
特徴:
* スタジオ音声
* 効果音
* テロップ
が同時に入る
ここで
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## ④ さらに増えた・濃くなった時期
**ほぼBGM化**
理由:
→ 音だけでも内容が伝わる必要
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→ 誰かが横で一緒に見ている感覚
傾向が強いのと対照的。
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## まとめ(超要約)
つまり
👉 **「90年代に生まれ、2000年代に日本的文法として完成」**
という演出です。
もし興味あれば
ワイプだけでなく声まで被せる演出、増えたのもっと後の時代の印象だったんだけど。
まあいいや。
更に質問。
「あえて~系譜、は?」
いいところ来ましたね。
では **「あえてVにスタジオ声を被せない/最小限にする」日本テレビ演出の系譜**を、**思想別・時代順**でまとめます。
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### 系譜
### 特徴
👉
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### 系譜
### 特徴
👉
(リアクターではない)
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### 系譜
### 特徴
👉
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### 系譜
### 特徴
👉
「すごい」「かわいそう」を言わない勇気。
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### 系譜
### 特徴
👉
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### 系譜
### 特徴
👉
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## 全体を一言で言うと
この二つは
「うるさい vs 静か」ではなく、
次は
更に質問。
「『【視聴者の感情を誘導しない】というNHK的倫理観。』日曜美術館で絵を見せてる時にBGM被せるの。感情誘導されてるようで嫌なんだけど。あれはどういう意図、倫理観?」
とてもまっとうな違和感です。
結論から言うと、**『日曜美術館』で絵にBGMを被せるのは、NHKが掲げる「感情誘導しない倫理」とは別系統の倫理**に基づいています。矛盾ではなく、**価値観の優先順位が違う**。
整理します。
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まず重要な前提。
NHKが避けているのは主に:
* すごい/感動/かわいそう 等
一方で
NHK内部では
という序列がある。
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『日曜美術館』(1966~)は
### 制作者側の前提
* 落ち着かない
になる人が多い
> ではなく
という位置づけ。
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## ③ なぜ無音にしないのか
### 無音のリスク
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これは意図的で、
---
## ⑤ それでも「誘導」じゃないのか?
あなたの感覚は、**美術鑑賞にかなり成熟している側**です。
でもNHKは:
この線引きが
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という批判があり、
---
## ⑦ 一言でまとめると
ただし
その違和感は正しい。
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もし踏み込むなら:
このへんも続けられます。
チャッピーの返答、そのままコピペしたのでタグが変になってるが直すの面倒なのでこのままで。
この辺りで終了。
ふたばのアレを思い出したが、何て呼ぶのが正しいのかがわからない
(OS娘だったかOSたんだったかとらぶるうぃんどうずだったかだと思うが、どれかが原名で、どれかが商業利用した作家に反発してできた変名で、どれかが派生二次創作の名前だったように記憶してる)
「砂糖って甘いんだよなぁ」という素朴な感想にもクソリプは無限につけられる。「世の中には味覚を感じられない人もいるのだが??」「みんなの総意のように言うな」「砂糖が甘いと言うのなら、塩のしょっぱさにも言及すべき」「私は砂糖を禁止されて生きてきました。そう言えるのが羨ましいです」等々。以下、読んで欲しい。
「数年前、まだXがツイッターだったころ話題になった『クソリプの分類図』というものがあって、非常によくできているので、これを活用しながらクソリプについて考えてみたい。
話題になったのは石榴さんという人のツイートで『どんなに当り障りのないツイートも、拡散されるとクソリプがくるという法則について考え、クソリプを分類してみた』とあり、具体例として『砂糖って甘いんだよなぁ』に付く典型的な八つのクソリプを示し、命名している」
八つとは、具体的には次の八つを指す(元ネタのツイートもリポストしているので参考まで)
①主語決めつけ型
個人の感想であるつぶやきの主語をわざと大きくし、すべての人がそうではないのだから決めつけるなという言いがかりをぶつけてくる。→例:「国民の総意みたいに言わないでほしい」
②斜め上から型
配慮が足りないという非難。例:「世の中には味覚を感じられない人もいるのだが??」──ただし、若干学ぶところもある。「発信する前に一呼吸おいて、想像力を働かせ、不快な気持ちになる人がいないかを点検する習慣自体は大切」なのはそうだからだ。
③一概には言えない型
この世のほとんどすべてのことは色々あって一概には言えない、という総括。例:「砂糖の甘みにもいろいろあり、人が感じる甘味は糖度だけでなく形状にもよる。一概には言えない」
④自分語り型
感想や意見を言うとみせかけて、結局は自分のことを語っているにすぎないクソリプ。例:「砂糖を毎日食べていますが、甘いと感じたことはないですよ」
より高いクオリティを相手に求めることで、相手を下げ、何か言った気になるクソリプ。問題を解決することが目的ではなく、相手をもっともらしく攻撃することが目的になっている場合が多い。例:「砂糖が甘いと言うのなら、塩のしょっぱさにも言及すべき」
⑥家庭事情申告型
これは、④の派生型。生い立ちや生育環境をからめ、否定や無視がしづらいやっかいなタイプ。例:「私は砂糖を禁止されて生きてきたので、そう言えるのが羨ましいですね」
⑦独り言型
ただモノ申したいだけの毒にも薬にもならない独り言。例:「うーん、砂糖が甘いというのは一理あるけど、レモンを酸っぱいと思うのは自分だけ?」
⑧バカ
「社会的な活動に力を入れている人の発言に、この手のクソリプが付いているのをよく見かける。たとえば〇〇地区の貧困問題について問題提起をしているツイートに『〇〇地区だけではないですよね』『△△地区のことは、どうなんですか?』というように。△△地区にも問題があると感じるなら、あなたが問題提起すれば? と思うのだが、そういう気配はみじんもない。
根底にあるのは、善を為す人への反感や不信感のようなものだろう。善そのものは否定できないので、見落としているとか偏っているとかいう言い方で、なんとか貶めたいのだ。あるいは、自分はこういう問題にも気づいているというマウントが混ざっていたり、そもそもの思想が対立していたりもする。
より高いクオリティを相手に求めることで、相手を下げ、何か言った気になるというクソリプである。
しかしどういう立場でそのクオリティを求めているのかは明らかにされないままだ。
『その視点はありませんでした。もっとお話を聞かせてください』と歩み寄ることで、建設的な対話になる……という例は、残念ながら私は目撃したことがない。問題を解決することが目的ではなく、相手をもっともらしく攻撃することが眼目なのだろう。その魂胆を見抜いて、自分を消耗させないことも、ひとつの知恵である」
そして、このような言葉を語ってくれた上で、著者はこのくだりをこう締めくくる。
「トゲのある言葉を投げられて、傷ついたり消耗したりせぬよう、クソリプの構造を知って見抜く目を持っておくのは、賢明な自衛策だ。ネット時代を生きる知恵と言ってもいい。そして万が一にも、自分がクソリプ製造機にならぬよう気をつけることも、もちろんである」
思えば俺は自分から彼女に対して自分の好みを相手から聞かれる前に表出させたことが殆ど無い。今日も前と同じようにそれをあなたに指摘された。なぜだか自分に中身が無いって言われているように受け取ってしまいかなり喰らってしまった。だけど実際の問題点は俺の中身の有無、そこでは無いような気がする。
もちろんモノの好みは俺にだってある。最近あまり聴けてなかったけど、音楽はKroiとKingGnuが好きだし1・2年前にはフェスやライブにも参加していた。最近は彼女の影響の派生できゅるしてのMVやパフォーマンスビデオを観ていたりしている。ご飯だったらタコライスが好きだし美味しいラーメン屋に友達とだったりないし1人で通ったりする。アニメや漫画もゲームもあの本もあの芸人のライブもあの映画も、どれも割と王道な趣味嗜好だし、そんなにヒト離れした好みでは無いはず。
そしてもちろん、付き合って間もない頃、彼女の前で自分の好みを言ったたことはある。どこどこのラーメン屋にお昼ご飯に行きたい。このアニメが好きで昔から見てる。このドラマが面白いからずっと繰り返し見てる。○○の単独ライブが面白かったから観てみてほしい。あの映画観に行きたい。とか
それに何かと理由をつけて結局興味を持たずにそのままにしているのはあなたなんだけどな。このラーメン屋は元カレと行ったことがあるからヤダ。SFっぽいのあんま興味出ないからそのアニメは見てない。何か思ってるのと違くて1話であのドラマ見るのやめちゃった。忙しくて結局視聴期限切れて単独観れなかった。私は興味ないから他の人と行ってくればいいじゃん。
俺はあなたのことが好きだけど、あなたは俺の好みを理解しようとしない。単純な好みの差でしかないかもしれないけど、思えば上述のように、あなたが俺の好きなことに興味すらも持ってくれてない場面、実際にそれを体験するのを放棄する瞬間が両手に収まりきらないほどあるような気がする。
俺はあなたが興味があることを俺も観てみようって思って実際に体験する。全く興味が0の状態からでさえも。何ならちょっと最初は嫌いなものでも、割と食わず嫌いせずにとりあえず観てみたり読んでみたりする。その方がお互いに楽しいはずだと思って。彼女がキングダムが好きだから長かったけど俺もアニメ見たし、彼女がアイドルソング・K-popが好きだから俺も何も興味・知識が無い状態から初めて聴いたし、その人らのSNSのフォローもしたし、あなたが好きなYoutuberも一応観てチャンネル登録したりしているし、珍しく彼女が本を読んでいたからその本をわざわざ図書館で借りて彼女が読み終わるよりも先に読み終えて自分なりに考察していつでもあなたに話せるように準備していたりする。最初の興味の度合いがどれほどであれ、体験し終わった後はどれもすべて面白かったし、良かったものばかりなのに。
こういう今まで何となく見過ごしてきた妙な悲しさが俺の彼女に対する自発性を奪ってきたのだと思う。理解しようとしないなら、そりゃ言わなくもなるよね、あなたの好みにずっと合わせていた方がうまく行くから。それでいて何かそっちも言ってよとか言わないでよ、どうせ少しの興味も示さないくせに。
すごくうまいんだけど、発売当初は鳥羽シェフ監修で顔写真と本人の手書き文字がパッケージに入ってたのが、今や存在ごと消されてる
ミルク系ハードキャンディが好きで新製品も色々チェックしてたんだけど、まさかこんな黒歴史が生まれるとは思わなかったな……
ついでに書くと、ミルク系ハードキャンディ界隈において、UHA味覚糖の特濃8.2は本当に良いブランドだと思う
安定した美味しさで、値上げはしても比較的安価で内容量も多くコスパが良い
1990年からのロングセラーである特濃8.2を猛追したのが2012年発売のカンロの金のミルクだけど、プレミアム路線なだけあって、原材料を見ると特濃は砂糖と水飴の次に粉乳が来るが、金のミルクは三番目に生クリームがくる
乳脂肪のリッチさでは金のミルクに軍配が上がるが、いかんせん近年の値上げでかなり内容量が減った
シンプルな原材料にも飴メーカーとしてのプライドとこだわりを感じる
カンロのミルク系と言えば、フルーツフレーバーとミルクフレーバーがマーブルになったミルフルッツも佳品だった
一度廃盤になって復活し、再び廃盤になってしまったが、他のメーカーのフルーツミルクフレーバーよりも甘さが優しく自然な味わいだった
その「他のメーカーのフルーツミルクフレーバー」として真っ先に思いつくのがノーベルの俺のミルクキャンデー北海道メロン味なのだが……
ノーベルの俺のミルクシリーズは、マーガリンやチーズパウダー、人工甘味料が使われており、人工的な味と言えばそんな気もする
嫌いではないが、単価が高く、少しくどく感じることもあってあまり買わない
しかし同じノーベルの無添加はちみつ生姜ミルクのど飴は、その名に違わぬシンプルな原材料
舌触りなめらかではちみつの風味も良く、冬場しか売ってないが寒い時期は鬼リピしている
もう1つメジャーどころを挙げるなら春日井製菓のミルクの国になるだろうが、近年ブームになったミルクを味わうタイプの飴よりずっと昔から販売されていることもあり、言ってはなんだがチープでノスタルジックな「昭和の味」と言う感じ
たまに食べると「あー、これこれ」と思う
最近めっきり見かけないので廃盤になっているのかもしれないが、春日井の女王のミルクはある意味で金のミルクを超えていた
まろやかな乳脂肪感では他の追随を許さなかったが、どうも販路が拡大しなかったようで、あまり売っている店舗を見かけなかった
ミルクキャンディと聞くと不二家のミルキーが思い浮かぶ人も少なくないだろうが、ミルキーのハードキャンディバージョンであるミルキーカッチコチという商品もある
ミルキーらしい練乳を感じる味わいで、万人に好かれると思う
変わったところでいうと、榮太樓のバニラミルク飴や抹茶ミルク飴(百貨店で扱っている方ではなく、袋入りの市販品)が成城石井などで売っていたりする
これは個人の感想だが、榮太樓の市販品は総じて「飴のうまさ」というか、砂糖を味わわせるものになってると思う
カンロとはまた違った方向性で、よく言えば上品、悪く言えば少々物足りなく感じるかもしれない
濃厚なミルク感というより、飴として食べやすい、丁度よいバランス
砂糖ではなくグラニュー糖が原材料の筆頭になっているのも珍しい
ミルク系からの派生として考えるなら、キャラメルキャンディ界隈も熱い
冬場は濃い甘いものが欲しくなることもあり、密かに売り場が盛り上がっている
ヴェルタースオリジナル、魔性の塩キャラメルキャンディ(カンロ)、塩の花(UHA味覚糖)、キャラメルがとろ〜り出てくるキャラメルキャンディ(ノーベル)……といった定番の顔ぶれに、今秋からはミルクキャラメルの森永からハードキャンディタイプが加わった
疲れた時の甘い物として飴を摂取するので、個人的にはどうしても「最後に勝つのはヴェルタースオリジナル」になってしまうのだが、カンロの魔性の塩キャラメルはしっかりほろ苦さとしょっぱさがあり、魔性というにふさわしい大人の味
新商品として魔性のピーナッツバターというクランチキャンディも出たばかりだ
クランチ(噛んで食べるタイプ)では、いちごみるく飴で有名なサクマからバタースコッチキャンディも今秋発売された
バタースコッチといえば、在りし日のチェルシーのバタースカッチは美味しかったなあ
つい長くなってしまった
なんでこんな話してたんだっけ
英語での「piggyback」の意味について詳しく説明します。
「piggyback」は、元々はおんぶや背負うという意味で使われる言葉です。具体的には、何か(または誰か)を他の人の背中に乗せて運ぶ、または背中に乗ってもらう行為を指します。子どもが大人の背中に乗る時などに使われる表現です。
• 例文:
• “The child was giving his father a piggyback ride.”(子供は父親におんぶしてもらっていた。)
「piggyback」は、物理的な「おんぶ」や「背負う」の意味だけでなく、比喩的に使われることも多いです。以下のような意味で使われます。
何かを他のものに「乗せて」進行させる、もしくは他のものに依存して動かすという意味で使われます。この意味では、物理的な「乗る」という感覚が比喩的に使われています。
• 例文:
• “The new software runs on a piggyback system of the existing platform.”(新しいソフトウェアは、既存のプラットフォームを基盤にして動作する。)
• “The small company is piggybacking on the success of the larger corporation.”(その小さな会社は、大企業の成功を利用している。)
2.2. 一緒に運ぶ/追加する
何かを主となるものに「追加して」進める、あるいは別のプロジェクトやタスクに「加える」という意味で使われることもあります。
• 例文:
• “We will piggyback a marketing campaign on our product launch.”(製品発売に合わせて、マーケティングキャンペーンを一緒に行う予定です。)
2.3. 一時的な付加
何かが既存のシステムや方法に追加的に加えられるという意味でも使われます。特に、主となるものに追加的に乗せて使う場合に使われます。
• 例文:
• “The new feature is piggybacking on the old version of the app.”(新機能はアプリの古いバージョンに追加されている。)
3. 他の使い方
• Piggyback ride: おんぶや背中に乗ることを指しますが、特に遊び心のある、軽い意味で使われます。
• Piggyback jump: 競技やトレーニングにおいて、他の選手の背中に乗ってジャンプする動作を指すこともあります。
まとめ
「piggyback」は、もともとおんぶや背負うという意味から派生し、比喩的には「何かを他のものに乗せて運ぶ」「依存している」「追加する」といった意味でも使われます。特にビジネスやテクノロジーの分野では、既存のシステムや成功に依存して新しいプロジェクトやアイディアを進めるという意味で広く使われています。
https://x.com/MurasakiScience/status/1995432076150223346?t=vxyqDGr4fOouuHDfhoRMmw&s=19
そもそも『料理研究家名』信じてるからなミームは「あかり信じてるからな」から。
あまりに簡略化され、どんな味になるのか想像もつかないレシピからまさかの美味しい料理ができる長谷川あかりレシピを作る際にそうポストした女性がバズったのが始まりだ。
リュウジ信じてるからなは、料理と関係ないポストも目立っていたが、それに乗っかりエロ露出巨乳垢の女が男向け宣伝で乳をバルバル揺らすダンス動画を上げ、それをリュウジが引用リツイートで晒し上げ、それを見た男のツイートが上のこれ。
女が楽しんでいたミームを男も使い始めた結果、男向けにエロアカウントが宣伝投稿し、それをリュウジがわざわざ晒し上げ宣伝の手伝いをした話で、女が参入したから終わったとか言うのは図々し過ぎると思うが結構バズっててびっくりした。
料理と関係ないクソ面白くないポストの中でエロ垢だけ晒し上げるの、リュウジのミソジニーがにじみ出ててネチャネチャしててきめえんだよ。
「あたシコ営業ってなんだよ」ってなる方が多いと思うのではじめに用語の解説をしたい。
今回は「あたシコ営業」=「女性絵師がファンボックス等の支援サイトで本人の写真をあげたり自分自身をモデルとした漫画を描いたり自分の性経験を語ったり肉声をあげて支援者を増やすこと」を指す。
目的は問わない。承認欲求だろうが性欲だろうが金のためだろうがなんでもいい。
とにかく女性の絵師が絵以外の自分自身を切り売りすることで支援者の性欲を煽って支援者を増やすことだと思ってもらえればいい。
ちなみに男性のあたシコ営業は見たことがないので今回は割愛する。
いや、好きだしシコれるよ。あたシコ営業。それ見るために支援してる人いるし。
嘘でも本当でも生々しさがあってシコれる。
神絵師とそれに群がる男たちの剥き出しの性欲めちゃくちゃシコれる。
あたシコ営業してる記事だけいいねやコメントが多いのすげえシコれる。
支援サイトの月額料金みたいな、安くはないけど女を買うには安すぎるような端金で自分を切り売りしちゃうの超シコれる(される側としては支援者数によっては端金どころじゃないんだろうけど、支援する側からしたら端金だ)
神絵師なんてどれもそんじょそこらの一般人以上に満たされてるはずなのに。バグって満足できてないのかそれとも何らかの理由で満たすことができていないのか。なんでなんだろうね。
でもそれって「十分な実績や知名度を備えて絵も上手い神絵師ですら承認欲求とか性欲に抗えずそういったものを公開しちゃう」っていうシチュエーションに興奮してるのであってその人の絵自体に興奮したり評価してるわけではない気がするんだよ。本当に申し訳ないけれど。
才能に恵まれ努力も重ねた神絵師だからシコれるのであって、そこらへんの素人がやっても全然響かない。
多分俺のようなゴミカスじゃ絶対に敵わない手の届かない存在が欲に負けて、今までの功績を使ってでも満たされるためにわざわざ堕ちてくるのが興奮するんだと思う。
でも一回そういうの見ちゃうと、他の絵を見ても全部あたシコ営業が頭の中でちらついちゃう。
美味しい料理があっても全部マヨネーズがついてるような感じ。あたシコが侵食してくる。
あとXであたシコ絵師のプロフィール見た時に「○○さんがフォローしてます」ってのが目に入ると○○さんはこの人の絵とあたシコどっちが好きなんだ?って疑心暗鬼になる。
R18コンテンツ作ってる人に性欲があるのは当たり前なんだけど、見たくないものを見てしまった気分になる。少年漫画の主人公がセックスしてるエロ同人を見たような感じ。
絵師本人はどうなんだろう。
一回あたシコしちゃうと
「この人たちは自分の絵なんてどうでもよくて、絵を通して自分を見てるだけなんじゃ?」って疑心暗鬼になったりしないんだろうか。
でもめちゃくちゃ興奮するんだろうなと思う。
安全圏で身の安全を保障しつつ普通に生活してるだけじゃ味わうことのないであろう山ほどの性欲を向けられて、絵と自分自身の両方を評価されて数字が増えてお金も入る。自分なら絶対おかしくなる。こんなの危ない薬と一緒なんじゃないか?
あたシコ営業は別に犯罪じゃないんだから悪いことでもないし何よりシコれる。
それにこういうのも営業の一種であるはずで使えるカードを切ることに問題はないはず。
でもモヤモヤするんだよ。
あと好きな絵師や漫画家にはできればあたシコ営業してほしくない。
あたシコ営業した瞬間から、「尊敬する神絵師」から「絵のうまさやこれまでの実績を踏み台にして自分を切り売りして承認欲求や性欲を満たして金を稼いでる人」になっちゃう気がする。貴方はイラストレーターなんだ。俺が貴方に抱いてる感情はシコれる作品を作る尊敬の念であってあなた自身でシコりたいわけじゃないんだ。あたシコ営業したらシコるけど。
でもうまく言えないけどすっげえモヤモヤするんだよ!!
絵師はアイドルみたいなもの、みたいな言葉を聞いたことがあるしこれも一つのやり方なんだと思う。
vtuberしてる神絵師もたくさんいる。それの派生みたいなものなのかもしれない。avtuber絵師的な。
だから俺の好きな神絵師はどうかあたシコ営業せずにそのままでいてくれ。我儘なのはわかってるけど、俺の尊敬する神絵師のままでいてくれ。
例えばさ、ある時期にお前のGithubで公開したコードが一世風靡したとするだろ?
んで、お前がXでこんなコードを作りましたと言っても、お前のXアカウントは信頼されない。
なぜなら、そのGithubアカウントがお前のXアカウントを同一人物として判別するには、プロフィールの相互リンクが不可欠だから。
たぶん、Google検索もこういったトランスランクを加味している可能性が高い。
だから結局、トラストランクというのは内容そのものの良し悪しよりも、主体の一貫性が外部から検証可能かどうかで決まるんだよ。
技術的に正しいコードを書いても、それが誰による成果物なのかが曖昧なら、評価システム全体は防御的に振る舞う。
これはSNSでも検索エンジンでも同じで、なりすまし・スパム・宣伝アカウントを排除するための基本的なリスク管理構造だから。
そして、これらのサービスは互いのデータを直接共有しているわけじゃない。
個別に主体の実体を推定しようとする。そのとき一番効くシグナルが相互にリンクされたプロファイルなんだよ。
片方向リンクは主張に過ぎない。相互リンクは検証可能な関係性になる。
つまり、X → GitHub だけでは本物かどうかは確証できない。
GitHub → X のリンクが揃ったとき初めて、システムはこれは同一主体の操作だと判断しやすくなる。
これはWebのリンク解析が昔から採用している相互性から生まれる確からしさと同じ構造だ。
そしてGoogleがこれを無視する理由はほぼ存在しない。なぜなら、主体の正当性を誤判定すると検索品質そのものが崩れるからだ。
品質維持のためには、リンク構造・アカウント間の整合性・外部発信の一貫性をスコア化せざるを得ない。
これはPageRankの派生というより、E-E-A-Tやスパム防御の延長線上に自然発生した要件と考えるほうが合理的だ。
だから、どれだけ良いコードを書こうが、どれだけ正確な技術記事を書こうが、主体の整合性が弱ければ情報は正当に扱われない可能性がある。
話題になってたので観てきました。
・予習としてハムレットとダンテの神曲のあらすじを頭に入れて挑む。物語の下地にはなっているのだろうけど、個人的には知らなくても問題なかったな。
・ハムレットからの換骨奪胎ぶりが面白いとの評判だったが、個人的にはそもそも悲劇を描こうとしてないしハムレット派生作品として見るもんではないなと思った。単純明快な勧善懲悪の作品に思った。細田守らしい子供向けを意識する。ハムレットとしては、王様が意地悪に叔父に殺されて復讐心に燃えるハムレット、毒で殺すつもりが毒で死ぬ叔父、まぁ様々イベントは似たことが起きる。が、知ってても知らなくてもどうでもよく思う。レアティーズいないし。
・神曲への解像度は私は低い。世界文学的にものごっつい大事な作品で、地獄から煉獄、天国への長い旅を、様々な著名キャラと出会い別れながら進む神聖なる喜劇、的な理解。あんまり知らない。スカーレットでは舞台としては準えてるけど、下地として何か作用しているようには感じなかった。棺桶のシーンとかは関係してそうに思ったけど、それは神曲を知ってないといけないかと言われるとそうは思わなかった。それともそれは重要なシーンを無理解に進んでしまった私の不甲斐なさかもしれない。
・時をかける少女が宣伝に持ち出されたのは、まさに時をかけていたから、かな?安直だけど。
・一つ一つのシーンの絵作りは前評判通り、どれも美しく素晴らしい。
・特にスカーレットが可愛すぎる。表情ひとつひとつが愛おしい。
・シーン一つ一つが夢の中って感じ。私は村上春樹の世界の終わりとか、海辺のカフカとか好きなので、こういうの好きぃ…ってなった。
・現代に生きる私を写像した先のスカーレットが写像する世界ってのは、ナーロッパ的な中世であって、銃が存在し、僧がおり、アフリカとか南米とか、色んな文化が表層的に混じり合う。作中では、過去も未来も生も死も混じり合う世界とわかりやすく何度も表現される。細田守最高だぜ。こういうファンタジーへ大衆を入門させてくれてありがとうだぜ。私はこういうのが好きだ。
・服飾考証しっかりしてるとの事前情報通り、私はよく知らんけど多分しっかりしていたと思われて、その解像度のおかげで、地獄の狂い具合が鮮明で面白い。混じり合って混沌としている。
・産業革命以降の武力が作中に存在しないのは、それが我々にとっての現実の脅威だからだと思う。この作品はファンタジーなんだ。力強い線引きを感じた。
・渋谷ダンスシーン、きたきたぁ!!ってなった。幾原的な心象風景かと思ったら丁寧に前段から渋谷という箱の舞台を歪にチラ見せしたりしてて、思ったより浮いてはいなかったかな。いや画としてはバチクソ浮いてたけど。まぁ意図はかなり明快に伝わった……と思ってる。でも現代の子どもがこの渋谷や踊りを自分ごととして捉えられるかというと疑問よなぁ。現実を描写できない制約の中でのスカーレット心象の箱庭、非現実の作中での現実としての非現実としては面白い画だった。私→スカーレット→聖→スカーレット→渋谷。クール。
・宿の主人、てのが登場人物紹介にいたが、作画として特徴的だなと思ったが映画の中では短いシーンだった。でも重要な役割だったんかなぁ。
・スカーレットの成長を見守るおじさんの気分になった。私も歳をとったなぁ。
・聖、なぜお前は矢を放った……?抑止力はその装置を発動させてしまったら終わりだ。それはお前の思想と矛盾しないのか。観終えた後、ダンテでいうと七つの大罪のシーン中だと振り返ってみるが、結びつけるには苦悩する。いやこんなん結びつけなくてええかってなった。……いやでもまじで意味わからん。知りたい。
・雑魚雑魚悪役にレアティーズとかいう名前が付けられてるのも何か関係あるんか……?
・ハムレットにおけるクローディアスの懺悔は本物の神への懺悔。現代日本では神への信仰が薄く、物語でもあまりに薄情。
・最後のキスと涙が商業的すぎて泣けなくて泣いた。しかし世の中の大衆はそれが好きなのだろう。届ける先のニーズに応えようとする様はえらい。これを描くには時間が足りない。
・争いよりも友好を、憎しみよりも愛を。これはもっともっと丁寧に描いてほしい。もう1時間割いていい。3時間でいい。…でも忠実に2時間に収めて偉いなぁ。細田守はすごい大衆作家だ。
文学的な作品として観たら不評の嵐になるのはなんとなく感じるが、私は素養がないのでその辺はノータッチで。
芝居も映像はやっぱ最高のクオリティだ。映画館で観て良かった。地上波でも家でも観たくない。
価値観も好きだ。物語の壮大さも好きだ。でも、ラストだけはちょいと心残りだなぁ。
オマツリ男爵もだけど、細田さんはラストへの拘りや興味があまりない……?
作家をメタれば、前半の苦悩や憤怒の感情はきっと描きたいものであったとは思う。
でも作品として本来目指す描きたいものは、それなりに人間の根源的なもの、思春期の頃に精一杯みんなが考えて悩んでほしいことで、大人になっても向き合って向き合って考えていきたいことだとは思う。
その勧善懲悪は良いが、憎しみへの向き合い方としての成功例としてこのように描くにはご都合が良すぎるように思った。特に聖の矢とクローディアスへの天罰。
現実でいうと、例えば中共がオラオラしてるのを武力を持ってやめろやめろと脅すまではいいけど実際に刃を抜いたら戦争なっちまうやん、対話で友好を目指そうぜっていう作品にしたいのにさ、殺しちまったらそれは勝てば官軍ストーリーやん。現実では為政者が落雷で都合よく命を落とすわけないやん。殴ってきた相手を殴り返してはい終わりになるわけないやん。スカーレットが殺してなくても、殺す味方が代わりに殺してくれたありがとーは、私は、同罪だと思う。目を逸らすな。私はそれは嫌いだ。
利己的な活動と、利他的な活動のバランス。攻撃性と社会性のバランス。自己家畜化した我々が、より家畜化できる先を目指したいんだ。攻撃すんなと説くだけでは、攻撃的な人間が独裁的に得をするゲームバランスは崩れない。我々は山上を生まないですむ社会にしなければならない。そういう思想のもとで、細田守は何をどう伝えたかったのだろう?だから、聖が矢をもって暴力を振るったことへの解説をまじで教えてほしい。教えて!!
実は先日 自殺の名所新小岩にて開催されていた第2回無職サミットに参加していた
第1回は 駒沢オリンピック公園にて開かれていたらしいのだが
千葉に住んでいる人間にとって 駒沢はあまりにも東京の端っこすぎて遠いなー
とか思っていたら完全に参加を逃してしまった
ということもあり 私にとっては初めての無職サミットの参加となる
無職サミットと名はついているが 実際には 現在の資本主義それ自体に違和感を覚えていたり
体感 ちゃんと?無職をやっている人間は多分2,3割くらいだった印象
適当に生活費をなんとかしている人間なので まあ同じかなーといった感じ
14:00時に開始との情報が入っていたので
まあ12:00くらいに出れば間に合うやろーという適当な感じで出発
途中お腹が空いたので 餃子の王将にて餃子とビールをゆっくり飲んでいたら
すっかり 開始に遅れてしまった
おそらく到着したのは15:30くらい
幸いなことに すぐに人の集まりを見つけることができた
麻雀やっているセクションも存在したのでタイミングがあれば混ざりたいなーとか考えるつつ参加してみる
来たら どうやら名札をつけるシステムになっているらしい
少し離れたところに なんというか場に似つかわしくない爽やかな人間がいて
おお やっぱ雰囲気違うな...
とか内心思う というかなんでこんな爽やかな人が無職界隈にいるんだろう
開始に遅れてしまったので 既に人の集まりみたいな塊が形成されていたので
適当に 端っこの方で駄弁っていた2人組に混ざってみる
どうやら酒もおいてあるらしい
ありがてーって思って一番搾りをいただく
着いた席にて 話を聞いてみると
"昔ITのエンジニアしていたが 疲れてしまった ゆーて 実家は裕福だし まあ別にやろうと思えばfireできる なんとなく寂しくてこのサミットに参加した"
とのこと
あれ 意外と随分 俗っぽい悩みだな...
"悩みとかありますか?"
とか聞かれたので
これもまた あまりにも正直に
という受け答えをする
ごめん だって本当に悩みとかないんだもん
食べるものも飲み水もない
という状況にまで追い込まれれば それは純然たる悩み というか生存に直接影響する問題となるが
逆に言えば そのレベルでなければ俺はなんも思わないんだなとか考えて
"虚しくないんですか?"
とも聞かれたけど 別に人生なんて虚しいものだろと考えていたら言葉に詰まってしまう
俺はひょっとしたら会話が下手くそなのかもしれない
そう なんか全体的な感想として
思ったより俗っぽいなあ
という
そう そんな感想
いや 理想を言えばさ
テクノロジーが加速して 労働によって人間が疎外されていく世界で これから人類は何をするべきか
とか
とか
そういった ことを考えるための思考のヒントみたいなものが 得られたらな
とか思っていたので
こういったことを改めて実感するよね
しばらくしたら 少し離れたところにて
前に出て話をしてくれるらしい
冒頭で なぜベーシックインカムが必要であるのかと客席?に投げかけていたので
つい "現状のシステムだと 社会の維持が不可能だからですかねー"みたいな解答をする
まわりをみたら 他の人は手を挙げていたので
あ これ手を挙げてから発言する系の場なんだーと気づいてちょっと恥ずかしくなる
話を聞いてみると 事業を起こして そこで得た収益をベーシックインカムのような形でコミュニティに配っているみたいな話だった
誰かが エージングマネー(時間経過につれて価値が減少する貨幣)の導入はどうかみたいな発言をしていて
これについては私も同じこと考えてたなーみたいなことを思う
まあ どっかで聞いたことはある感じの話からは逸脱することはないかなくらいの印象
政府主導によって国債を発行し これによってベーシックインカムを導入した場合
といった議論に進みたかったが ちょっと発言するタイミングを逃してしまった
生活保護をもらっているという婆さんが 生活保護に加えてベーシックインカムがもらえたら
推し活に金を使うと言っていて
それに対して 主催側が素晴らしい!!という反応
おお 素晴らしいのか
うーん 俗である
もっと現代の世界に存在する根本的な問題点とかを解決する手段の1つとしてベーシックインカムが有効なのではみたいな議論がしたかったけど
発言のタイミングを逃してしまったのも相まって まあ仕方ないか
ドストエフスキーの罪と罰から見るロシア人の倫理みたいな話を少しだけ
罪と罰なんて一回読んだきりで 内容をちゃんと把握しているのか自分自身でもかなり怪しいのだが
多分知っている風には
なんやかんや ここでの会話が一番 議論っぽくて楽しかったなという感想
やっぱ金がうんぬん さみしくてうんぬんみたいな話 根本的に興味ないんですよね
多分 これが俺を社会不適合者足らしめている最大の要因であると感じる
適当におでんを食べながら話していたらいつの間にか 日が落ちていた
5:00にはチャイムとか鳴るっぽくて それに伴い無職サミット終了
食べていたおでんを片付けながら
汁を花壇に捨ててしまったけど おそらく塩分とかを考えると植物に良くないから
その後 二次会会場を見つけるために百鬼夜行の如くぞろぞろと移動
移動している際にちょうどゆるふわ無職さんと話すタイミングがあったので
前日の文学フリマ寒くて断念したけど
誰かはニーマガ持ってるんじゃないかなという話をしながら
1冊だけ残っていた二ーマガを直接購入
あとビールを頼む
適当にタバコ吸って席に戻ってみると 地元トーク?みたいなもので盛り上がっていた
隣に座っていたエンジニアの方と向かいに座っていた方が岐阜出身だとかで
あと信長?
なんというか全体的に思想が絡まない場合の会話が絶望的に下手だなと実感する
なんやかんやあって
店前で解散
普段 手巻きしない人にとって巻くの難しいから途中まで巻いて渡すくらいでよかったかも
まあいっか
なんか手巻きタバコ吸ってたら1人 戻ってくる
どうやらバンドをちょっと組んでみる?みたいは話が進んでいて その話をするために戻ってきたらしい
話を聞いてみると年単位で引きこもっていたけど 久しぶりに出てきましたみたいな話をしていた
おお 俗ではないが それはそれとして俗から遠すぎるなあとか思いながら
なんか赤いカクテルを頼む
googleのレビュー書いたら酒とセットで500円になってラッキー
久しぶりに投げてみるとなんか妙に 力が抜けていてうまく投げられる
01やったり なんかドラクエみたいな感じで攻略するゲームとか
あとは 引いたカードに書かれた点数に相当する重要性の概念を挙げるみたいなゲームやって
書き出してみると 自分のやっていることがあまりにも俗であることがわかる
お恥ずかしいことですねえ
超弦理論において、物理学はもはや物質の構成要素を探求する段階を超え、数学的構造そのものが物理的実在をいかに定義するかというの領域へ突入している。
かつて背景として固定されていた時空は、現在では量子的な情報の絡み合い(エンタングルメント)から派生する二次的な構造として捉え直されている。
時空の幾何学(曲がり具合や距離)は、境界理論における量子多体系のエンタングルメント・エントロピーと双対関係にある。
これは、空間の接続性そのものが情報の相関によって縫い合わされていることを示唆。
数学的には、フォン・ノイマン環(特にType III因子環)の性質として、局所的な観測可能量がどのように代数的に構造化されるかが、ホログラフィックに時空の内部構造を決定づける。
ブラックホールの情報パラドックスは、アイランドと呼ばれる非自明なトポロジー領域の出現によって解決に向かっている。
これは、時空の領域がユークリッド的経路積分の鞍点として寄与し、因果的に切断された領域同士が量子情報のレベルでワームホールのように接続されることを意味する。
ここでは、時空は滑らかな多様体ではなく、量子誤り訂正符号として機能するネットワーク構造として記述される。
「対称性=群の作用」というパラダイムは崩壊し、対称性はトポロジカルな欠陥として再定義されている。
粒子(0次元点)に作用する従来の対称性を拡張し、紐(1次元)や膜(2次元)といった高次元オブジェクトに作用する対称性が議論されている。
さらに、群の構造を持たない(逆元が存在しない)非可逆対称性の発見により、対称性は融合圏(Fusion Category)の言語で語られるようになった。
物理的実体は、時空多様体上に配置されたトポロジカルな演算子のネットワークとして表現される。
物質の相互作用は、これら演算子の融合則(Fusion Rules)や組み換え(Braiding)といった圏論的な操作として抽象化され、粒子物理学は時空上の位相的場の理論(TQFT)の欠陥の分類問題へと昇華されている。
可能なすべての数学的理論のうち、実際に量子重力として整合性を持つものはごく一部(ランドスケープ)であり、残りは不毛な沼地(スワンプランド)であるという考え方。
理論のパラメータ空間(モジュライ空間)において、無限遠点へ向かう極限操作を行うと、必ず指数関数的に軽くなる無限個のタワー状の状態が出現。
これは、幾何学的な距離が物理的な質量スペクトルと厳密にリンクしていることを示す。
量子重力理論においては、すべての可能なトポロジー的電荷は消滅しなければならないという予想。
これは、数学的にはコボルディズム群が自明(ゼロ)であることを要求。
つまり、宇宙のあらゆるトポロジー的な形状は、何らかの境界操作を通じて無へと変形可能であり、絶対的な保存量は存在しないという究極の可変性を意味します。
4次元の散乱振幅(粒子がぶつかって飛び散る確率)は、時空の無限遠にある天球(2次元球面)上の相関関数として記述できることが判明した。
ここでは、ローレンツ群(時空の回転)が天球上の共形変換群と同一視される。
時空の果てにおける対称性(BMS群など)は、重力波が通過した後に時空に残す記憶(メモリー)と対応している。
これは、散乱プロセス全体を、低次元のスクリーン上でのデータの変換プロセスとして符号化できることを示唆。
超弦理論は、もはや弦が振動しているという素朴なイメージを脱却している。
情報のエンタングルメントが時空の幾何学を織りなし、トポロジカルな欠陥の代数構造が物質の対称性を決定し、コボルディズムの制約が物理法則の存在可能領域を限定するという、極めて抽象的かつ数学的整合性の高い枠組みへと進化している。
物理的実在はモノではなく、圏論的な射(morphism)とその関係性の網の目の中に浮かび上がる構造として理解されつつある。