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はてなキーワード: 老成とは

2025-04-10

お前は実の子じゃないって言われたんだが

知ってたよ、私もうアラフィフなんだけど・・・

歳とるにつれパスポート結婚やらで戸籍見る機会がいくらでもあるから、そういうのは10代や20代の頃にやるイベントだよって教えてあげたかった。

更に言えば折り合いが悪く親子の情みたいなのが乏しい関係でやるイベントでもないしね。

だって「そうなんだ」「やっぱり」で終わってしまうじゃない、実際そうなったし。

もったいぶって話した継母は私がショックを受けなかったことにお冠だったが、「あなたの血を受け継いでなくて安心した」とでもいえばよかったのかな。

強がってるわけでもなんでもなく本当に今更なことだったんだよね。

からどうしようもなかった人は歳とってもどうしようもない人のままなんだな、老成なんてありえないんだなって改めて感じた。

2025-02-26

anond:20250224222211

10代の頃も20代の頃も、大人になった自分を思い描いたことは一度もなかった。

「こんな風になりたい」と思える像は老人ばかり。

中年男性にカッコよさを見出せることは稀だ。

仕事ができることや金を稼げることをカッコいいと思ったこともない。社会的成功にも興味がない。

老成して、哲学的雰囲気を漂わせ、世の中を一歩引いたところから見通してるような人に憧れる。

社会活躍することに対する憧れは…どうだろう。

うまく仕事をやりたいとは思う。

自分が世の中の役に立ってると実感できるやり方で、正しいことをしていると信じられる限りで。それ以外の仕事に身が入らない。

かと言って、上記のような仕事を見つける努力もしていない。

人生は長いようで短いというから、こんな調子じゃろくでもないまま終わってしまいそうだ。

人生の期限的には、まだ全然間に合うんだろう。

自分のことをよく知って、それに向き合って、努力することができるなら。

自分のことをもっと知らないといけない。

こうして文章を書くこともそのための手段の一つだ。

行動して、考えて、止まって、また行動して、その繰り返し。

何で子供の頃から働くということにリアルイメージや好感を持てなかったんだろう。

カッコいいと思える大人がいなかったからかな。マンガの読みすぎだったのかもしれない。

私のカッコいいは、人とは随分ズレているようだ。

今の自分がカッコいいかと言えば、全然カッコよくない。仕事もできないし、精神的にも幼稚だ。頭も思っていたほどよくない。

困ったものだ。

一つ一つ積み上げていくしかない。

かなあ。

カッコよくはありたい。

自分が思うカッコよさで良いんだけど。

モテもしたいけど、それとは別にして。

2025-02-16

コンビニバイト日記

去年の初め頃に前オーナー引退して店が新オーナーの物になり、従業員たちもまるっと好条件で再雇用された。以降、前オーナーの店だった頃の悪習が断たれて当店は売上を回復し、まぁまぁ平穏な店になった。

とはいえ、昼間の売上はいまいち伸びないらしく店長オーナーの息子で準夜・夜勤担当)は頭を悩ませている。問題だらけだった夕方の売上は劇的に改善されたが、それは不真面目モンスターアルバイト不正しづらくなったことに見切りをつけ一度に去り、比較的真面目な奴らだけが残ったためであり、昼勤の人たちには加齢してみんなおばさんになった以外特に何も変わったことはないので、改善する余地特にいから仕方ない。

昼勤の人達メンバー交代せずみんなおばさんになったことは、男性客の入りにはちょっと影響がありそうではある。やっぱりピチピチの若い女の子集客力はエグいし、美人で若く見えるアラフォーの女というのも男から見て気安い様で客を集めがち。ちなみに、単に若い女の子というのはあまり客を集めず、空気の様に存在感希薄で顔も覚えて貰えないがち。それよりは癖の強めの若い男の子の方が、からかいがいがあるらしくおじさん・おばさんから人気があると思う。しらんけど(しらんのかい

昼勤の人たちは、6年前私が当店に勤めだした頃は美人揃いだったが、全員だいたい同じ頃に一気に老けて誰? って感じになった。しかも派手めなギャルママ達だったのがお硬い接客業の女(フライトアテンダントとか古のデパートの案内係)みたいな感じに一斉に路線変更したので個体識別が難しくなり、ポケモンジョーイさんとかジュンサーさんみたいに一族同一労働をしている・クローン人間ばりにゲノム遺伝子の発現にブレのない人達がうようよしてるようになった。なお、私は元からそういう路線の女なので、昼勤の誰かと勘違いされて変なおじさんダル絡みされるようになった。

正直言うと、ファッションを真似されたうえにしかもみんな私の上位互換ということにぐぐぬる気持ちは無きにしもあらずだが、基本的に昼勤の人達とは接点がないのでまあいいか

気がつくと準夜で旧オーナー時代から残っているのは私と高専6年生だけになった。高専6年生は来月卒業でこの春から就職して社会人となるので、私が最後の準夜古株になる。私も高専6年生も特にお客様から好かれるタイプでもないのだが、不変な事に価値を置くお客様も少なからずいるので、高専6年生の卒業は残念に思われそう。

だが、去年から当店に勤めているスリランカ人が準夜のアイドルと化していてお客様たちからめちゃめちゃ愛されている。近年は外国人アルバイトはすっかりお客様たちから受け入れられているとはいえスリランカ人の愛されぶりは異常。天然自然に人たらしで、この人すごいなぁと感心する日々だ。

あとはちょっと残念な感じの高校生バイト3人組と、ダブルワークの30代男性が準夜のいつメンなのだが、ダブルワークの30代男性は今月一杯で辞めるらしいしコイツお気持ち繊細ヤクザで面倒臭いのでまあいいか別にいなくてもと個人的には思う。店長には痛手と思われているらしいが、人を見る目がないなと思う。お気持ち繊細ヤクザ、楽してお金をもらうのが信条で隙あらば仕事を手抜きし、下の者には偉そうにしてるけど?

お気持ち繊細ヤクザが辞めるにあたって、新しい人員が補充された。この春から近場の大学に進学する高校3年生の男の子なのだが、初見仕事仲間たちが口を揃えて「三十代かと思った」と言う、謎に老成した言動をする人だ。二十歳前後男子の見た目が何歳くらいか紛らわしいのはよくあることだが(何故かアラサーよりも老けて見える二十歳前後の子って、よくいるよねー)喋り方がナチュラルボーン営業マンなのは珍しい。

入店初日と二日目は、先輩風吹かしまくりのお気持ち繊細ヤクザから「俺のいる間に完璧に仕上げてやる」とか言われて大人しくアヒルの子の様にあとをついてまわりしごかれていた。だがお気持ち繊細ヤクザは元々勤務時間が他のバイトよりも短く、私や高専6年生やスリランカ人よりも担わされている仕事は少なく特別なことはやっていないのだから別に今直ぐにお気持ち繊細ヤクザコピーになる必要別にないのだ。

みんな、わけの分からない状態から半分ずつ仕事を覚えて相方役割を交代交代しつつ出来る仕事を増やしていくので、一度に何もかも覚える必要なんかない。

お気持ち繊細ヤクザの手が空かないときに私が高校3年生の面倒を見ることになったが、案の定一度に沢山詰め込まれてテンパっており、さっきお気持ち繊細ヤクザから教えられていた事がもう頭から抜けて出来なくなっていた。それを私が復習させているとお気持ち繊細ヤクザが戻って来て、「それはもうさっき教えたから今度はこっちやるぞ」と呼ばれて高校3年生はわたわたと繊細ヤクザを追いかけていった。

果たして高校3年生はお気持ち繊細ヤクザ

辞めるまで当店に残るか怪しい感じがする。大学ではどの学部に入るの? と暇な時に聞いたら経済なんとか学部と言っていたが、なんとなく無益なことも嬉々としてやるタイプじゃなさ気な進路選択をする人っぽいけど、当店はこの人に選ばれるのだろうか。

私の公休日高校3年生が3回目の出勤で、お気持ち繊細ヤクザまたまたしごかれていた様だが、21時を回った頃にクソ客が現れた、とお気持ち繊細ヤクザ談。接客対応をしたのはお気持ち繊細ヤクザだったが、クソ客なお客様から

ホットのS」

と頼まれてその時の対応の仕方が拙くてクソ客なお客様激怒させたらしい。お気持ち繊細ヤクザはわざわざクソ客なお客様

ホットのSってレギュラーのことですか?」

と聞き返したのだ、それでイラッとしたクソ客なお客様から

「あったりめーだろテメェ。一々ンなこと確認すんなや」

と言われて、

「当フランチャイズにはコーヒーはSもМもLもなく、レギュラーラージの2種類になりますので、間違いのないよう一応確認させていただきました」

無自覚的にクソ客なお客様煽り倒してブチギレさせ、新人の前でそんなくだらない事で長時間のお説教を喰らうという恥ずかちい事になったのだが、お気持ち繊細ヤクザはそれを恥と思わず「クソ客の言い方が酷くて傷ついた」と思い、反省もなく高校3年生に「世の中には嫌な客もいるから気をつけろよ」などと言ったらしい。

ホットコーヒーのS」

と注文されたら


「は〜い、ホットコーヒーのSですねぇ〜、お待たせしましたぁ〜」

でいいし、



フランクフルト一本」

と注文されたら


「は〜い、フランクフルト一本ですねぇ〜今お取りしますぅ〜」

と言ってビッグポークフランクをお出しすればよいのです。

なんか間違え過ぎてて何が欲しいのか分からんっていう時は、一旦探しに行って戻って

「すいません、忘れちゃったんでもう1回言って貰っていいですか?」

と再度言って貰うか、あたし耳が遠くてぇ、と言いつつお客様について来てもらい指差しで注文して貰えば舌打ちされるくらいで済む。



お客様の注文の微妙な間違いには気づかなかったフリをして言われたとおりに復唱して正解を出す。これがコンビニ接客のコツの一つであるコンビニ店員は何でも出来る馬鹿だと思われており店の格が奈落の底だからこれでいいのだ。


お気持ち繊細ヤクザからちょっとの事で回避出来るトラブルを悪い客に当たった不運の招く不可避なものとしてふき込まれ高校3年生が、それをそのまま頭に刷り込んでいないことを願うが、そもそも接客対応をしたのが高校3年生だったら同じことを言ってもお客様はそんなに怒らなかったんじゃないかという気もする。


しろ高校3年生はナチュラルボーン営業マンみたいな奴で、細かいことをくどくど説明するのがサマになりそうだしなんとなく雰囲気だけで相手を納得させそうだ。一方お気持ち繊細ヤクザは図体のでかくて緩んだパリピの成れの果てみたいな見た目なので、そんな奴がかしこぶってくどくど喋りだしたら半数くらいのお客様は腹を立てるだろう。私だったら勿論、お客様から量産型ヒューマロイドの一体でしかないと思われているので、流れる様に注文を捌けなかった時点でこのポンコツ! と物を投げられてもおかしくない。

やっぱり、人には人の接客態度ってあると思う。とはいえ人類の半分くらいは単に「説明される」というだけの事自体に傷ついてしまうグラスハートなので、正論からといってみだりにお客様に要らぬ「ご説明」はしないのが無難だろう。

2024-12-10

末っ子長女兄複数人

出会たことある範囲ではなんか達観したしたような老成した雰囲気あったな

増田たちの周りにリアルにいたらどんな人だったか教えて

2024-11-17

あの人と陰謀論についての所感、そして思い出した思い出

注意:思ったことをつらつら書いたので、オチとか主張とか全然まとまってないです。悪いペンの力に振り回された選挙だったけど、ペンの力を信じてた人の影響からか、良いペンの力があれば暴走をある程度防げるのでは…とも信じてる自分がいます

………

あの人の当選が決まったニュースを見た。

もう決まってしまったのは仕方ないので、猛獣を飼い慣らすように、目を光らせながら活動してもらうしかない。

決まったものは仕方ないし、人は簡単には変わらないから、ガンガン通報公表してくしかないと思う。

中の人は職の権限を握られてるかもしれないが、その周囲は全員通報者になりうるので簡単にバレる環境は整ってる。

陰謀論を信じてた人の通り、陥れられ本当に悪くない人なら、この後も全然問題なく活動できるはずだし、どう考えてもオカシナ人のままでも一つずつ事実を積み重ねて対応してくしかない

もうやってしまたことに関しては、これから百条委員会で明らかにして対応してくだろう。これもちゃんと見てないとなぁなぁに流れてしま可能性があるので見てくしかないよな。

…………

ここまで考えた時、ペンは力、というフレーズと、10年以上前、よく飲み歩いてた頃に仲良く議論してた飲み友達のおじいちゃんのことを思い出した。

その人は名古屋本社を置く新聞社記者部門の子会社社長で、言ってみればその新聞における記者トップの人だった。

僕は、IT関連のエンジニアということもあり、その飲み友達のおじいちゃんと話すと、自然新聞未来ネット記事について意見を交わすことがちょいちょいあったように思う。

本人は叩き上げ記者で、ペンの力を信じてたし、メディアのあるべき姿、という理想ちゃんと持ってた。

一方で、時代が変わりゆく中で、そのペンの力を支える記者タダ乗りしてるネット記事に対して、危機感というか敵対心のようなものをもって、面白そうな若者議論しよか、みたいな感じで最初は話してたように思う。

ネット記事適当で信用ならん、とブチギレムーブかますと、いやいや新聞社こたつ記事書くことあるでしょ、なんだ?こたつ記事って……、こたつ記事っていうのは……、みたいな感じ。

新聞紙が売れなってくから新聞ペンの力が死んでしまう……とボヤくと、新聞社におけるペンの力は記者の力であって新聞販売数じゃないでしょ、……とか。

やっぱりネット記事は信用ならん、どう思う!?と毎度思い出したようにブチギレながら話を吹っかけてくるので、あの飲み友達AとかBとかFacebook投稿してみんなに反応もらってるの知ってます?あれも一種記事みたいなものから新聞社記者けがやってた記事を書くことを誰もができるようになった一億人総記時代みたいなもんですよ……とか。

自分記事を書いて自分印刷したいがプリンタの設定が分からん!!うちに来てやってくれんか?と頼まれ、仕方なくお家に訪問し色々作業し終わったところで、八千草薫のような超上品絶対に昔滅茶苦茶美人でイイトコのお嬢さんだったでしょ!!みたいな華のある奥様にドヤ顔で紹介され、俺は飲みに行ってこういう若者と遊んでるんだぞ!!と日頃の自分ヤラカシムーブ言い訳に使われたり……とか。

飲んでるところにただの若者しかない僕に対し、他の酔っ払いおじさんが舐めた態度とったり、説教ムーブが激しかったりすると、僕はただの酔っ払い説教スルーしてたのに、こいつの方がお前よりもちゃんとしっかりしてて考えてる!!見た目は若い老成してる、と代わりにキレるのでなだめたり……とか。

なんかめっちゃ思い出してきた。

うそのおじいちゃんは、とっくの昔に引退してるのだが、今回の一連の事件を話したら、朝まで話が尽きなさそうだ。

もう歳が歳だし、10年近く会ってないので、久しぶりに会って話をしにいこうかな

2024-09-26

anond:20240909000111

のび太と竜の騎士」までは藤子不二雄名義で、「のび太日本誕生」以降、 藤子・F・不二雄なんだけど、

個人的には、「日本誕生」以降はどうも物語スケールが小さくなって、迫力が落ちている感があるのだけど、(敵役が小物すぎたり、話のまとまりが弱かったり、テーマ設定が弱かったり)

「竜の騎士」以前だってFとAは別々に活動していたはずで、

ただのネタ切れなのか、体力の低下なのか、脚本プロットに関わるスタッフなどの制作体制に違いがあったのか……なんなんすかね?

「竜の騎士」と「日本誕生」の間の年に、体調不良原作描けずに作られた映画パラレル西遊記」があるのだけど、

やはり体力の低下が大きかったのかな。

まあ、「竜の騎士」以前が良い!ってのは主観的感想だけど、そこまではやっぱり物語エネルギーが満ちてると思うんだよね。

宇宙西部劇とか、海洋冒険とか、秘境冒険映画とか、スター・ウォーズみたいな話をやりたいとか、恐竜隕石での絶滅説で一本やりたいとか、素直な創作衝動があってよいのだ。

作家としての成長、老成から、関心がよりファンタジーな方向に行っただけかもしれないけど、それもよくあることか。

2024-06-15

ポリコレもの考えるのが苦手な人間お祭り

追記あり】Mrs.GREEN APPLEMV炎上おかし

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20240613203515

このコメント欄が酷い。

「なぜあの表現を焼くべきなのか」説明出来てる者がいない。

少なくとも人気順上位には一人もいなかった。

なんじゃこれ。

  

「ただの感想だし!規制検閲じゃないし!」

wata300

コロンブスMVの「主役」に据えた時点で、あの猿を「先住民」だと思うのは極めて自然連想から

「誤解」「勝手連想ゲーム」だと言われても困る。視聴者感想を述べる権利はある。 増田

2024/06/13 リンク yellow100yellow

また始まったよ。

人に向かってポリコレ死刑を宣しておいて

そこに反論を受けると「ただの感想だし!」「感想を言う権利はあるはずだろ!」まで後退する。

もう飽き飽きする変わらない小ズルさ。

どっかの社会学者の時から一歩も進歩してねえなこいつら。

  

  

「わかっててやってるだろ!」←何を?

kohakuirono

無知だとか意図しないだとかいう人がいるけどバッファローの角の飾りとか猿にひかせる人力車とか

乗馬ピアノを教えるとかお前分かっててやってるだろとしか思えない表現だらけなんだがな。

2024/06/13

表象がおぞましく感じられる!」

はあ、それで?

  

というかこれだけ大騒ぎして

結局作った奴の意図すらよくわかんねえ、

MVや歌詞の内容をどう解釈すべきかよくわかんねえ、

それでも「分かっててやってるだろ!」などといって死刑判決を下せちゃうのがすごい。

 

作品に対して一意の意図すら確定しなくても死刑に出来るらしい。

表象から「むむ!こいつはわかっている!(なにが?)」という霊感を受け取れればそれだけで死刑であると。

大したもんだわ。知能が。

 

なんか私が忌まわしいと思う物がおおいです!だから死刑です!

  

 

小吏に向いてるタイプ

ko2inte8cu

擁護派が、贔屓の引き倒しをしてくれるおかげで、

論争が長引き大きくなり、アーティストがいちいち謝罪せにゃなくなるのは、

高い授業料だが、まぁ、しゃーない。

植民地主義 差別 人種

2024/06/13 リンク yellow67yellow

こいつの言ってることわかる?

 

こいつって何が問題かとか適否とかを論じよう争おうって気すらないの。

「おらおらー 抵抗するともっと酷い目に遭っちゃうぞーう?w」ってニタついてるだけ。

  

これとこれに☆つけた奴等は本当にすごいと思う。

入植者側で原住民いじめる俗悪小役人とかに向いてるよね。

ネイティブアメリカン処遇に抗議に来たら話を一切取り合わず

「あーあ!反抗的からもっと締め付けますねw授業料高かったねえwww」とか言って嬉しくなれそうじゃん。

 

これが人気上位に来るってことは

自分達の言ってることがアヤシゲな「正義」ですらない

「誰かをいびれる勝ち馬」でしかないってことを自覚してる奴結構いるんじゃねえの?これ。

  

たとえ原理主義者であれ狂信者であれ、少なくとも自分のやってることを正しいと信じている人間

こいつみたいに人から反論牽制しようとしたり議論を封じ込めようとしたりはしない。

 

  

「線引き」  

mobileprince

からかい」がイジメになり得るように、差別意図関係ないよ。

差別の線引きを社会でどうしていくのかの議論が常に行われているわけで、

差別だと思ったら差別」みたいな自由競技ではない

2024/06/14

線引きがどこにあるんだよ。

お前の話の何処に議論があるんだよ。

しろ誰一人きちんと基準ラインを示せないじゃねーか。

まさかコロンブス最近評判が悪い厄ネタである」が線引きなのか?

 

評判悪い奴をネタに使ったらアウトなの?

それが線引き? 

自明でもなく明示的でもなく論理性の欠片も無いガバガバリンチルールが線引き?

 

どう見ても自由競技ですらないただの暴徒じゃねえか。

お前等は何かに線を引けるような意識のはっきりした思考の持ち主なのか?

自分達で自分達の知能程度をどう評価してんのマジで

 

  

入植者たちはおぞましい奴等だったんだぞ!」 

lady_joker

ラス・カサスの『インディアスの破壊〜』辺りを読んでれば

コロンブス以降の入植者がどれほどおぞましい虐殺を行ったかが分かるし、

人類全員が考えるべき暗部能天気PVにして上げている姿勢は私は心底不快だったよ

2024/06/13

入植者の連中がおぞましかったら人類全員が「考えるべき」なのはなぜ?

「考えるべき」ってのは具体的に何についてどんな思考をすることなの?

結論としてどんなアウトプットを得るの?

 

意味がわかんねえよ。意味わかんねえ。

そして入植者の連中がおぞましくて人類の暗部で「考えるべき」ってんなら

それはまずアメリカに言えよ。コスプレコロンブスなんかより。

たとえばアメリカ国歌あんなに気分の高揚する誇らしい感じのものであることにケチつけてみたら?

  

アメ公あいつらはすげえぞ。

人類全員が『考えるべき』おぞましい暗部」の真上で生活しとるぞあいつら。

しかあいつらの血は人類全員が『考えるべき』おぞましい暗部」の直系子孫だぞ。

これらに関しては黒人だろうが白人だろうがメキシコ系だろうがネイティブアメリカンだろうが同じなんだ。

だってあいつらもう相当血も交じってるし。

あいつらの生活は全て強奪された国土資産の上に成り立ってるのだし。

 

コスプレコロンブスなんかよりずっと問題のある存在アメリカアメリカ人だろ。

けがらわしい鬼畜末裔強盗したプロパティの上で暮らしてるのがアメリカという国と国民じゃねえか。

 

過去入植者所業のおぞましさによって現代人間が裁かれるべきだとお前らが信じるならば、

まずアメリカに向かって「お前らは永遠に能天気表現とか一切するな」って言ってこいよ。

アメリカアメリカ人がちょっとでも明るい顔をしてる限りはまずそっちにクレーム付け続けるべきだろ。

    

それに引き換え。

あのK-POPみたいなお化粧したバンドは何かおぞましいことをしたか

誰かを虐殺収奪たか?→してねえ

そのような行為をけしかたか?→してねえ

人種優越主義を唱えたか?→してねえ

なんもしてねえ。コスプレMV作っただけ。

  

ネイティブアメリカンと似たような肌の色と身長アジア人コロンブスコスプレMV撮ったら猛烈に怒られて

土地人間「おぞましい暗部」100%たるアメ公どもが堂々とした顔で空気吸って飯食ってクソしてるのは何故なのか、

まずそれを説明して見ろよ。なあ?

     

賭けてもいいけどこれ書いた奴もこれに☆付けた奴も誰一人答えらんねーぞ。この程度のことすら。

自分達で言ってることやってることの説明求められると困っちゃう

紅潮した加害顔引っ込めて被害者ヅラになってブツブツブツっと話を逸らして逃げておしまい

一方的に殴れると思って高揚してただけだからツッコミなんかされると被害感情で一杯になる。

   

なーにが「考えるべき」だ。マジで。 

お前らが何を考えてるっつーんだよな。

そもそも俺は「考えるべき」みたいなぼんやりしたキュー出す奴が何か明晰に考えてるのを見たことねーよ。

 

「考えるべき」とか言う奴が実際にイメージしてることはせいぜい

葬式に出席する時みたいな顔を作れ」なんだよな。

なんか真面目な顔作って下向いて時間過ぎるのを待ってなさいっていうあれだろ?

それ考えじゃねーから

 

まったく昭和体育教師ぐらい論理的で精緻思考レベルですことよ。

脳が腐るほどアホくさい。 

お前らが何を考えてるっつーんだよこのトーンポリシングケガレ思考呪術師どもが。

  

  

抵抗しないかリンチして殺しただけ。ボクチンたちわるくない。」

esbee

自分としては本気で皮肉としてつくってたなら表現自由としてむしろ応援たかったけど、

すぐ引っ込められたからアレレ……本当になにも考えてなかったの?……覚悟持ってやってくれよ……となった

2024/06/13

出た出た。考えなしにリンチちゃう奴等あるある

問い詰められるとリンチ被害者の態度に問題押し付けるんだよな。

ちゃん反論しないからみんなで吊るして扼殺しちゃったよ。アレレ?ぼくちんたちはわるくない。こいつ覚悟が無い。」    

てめえらは何も考えずにリンチしてるくせに吊るされた奴に「何も考えてなかったの?」だとよ。

   

   

「貫き通さないのが悪い」   

zazenzazen

MV音楽を広めるための手段なので受け手不快なら失敗なんだから仕方ない。

意図を汲み取って表現尊重して欲しければそれはアートなので、炎上しても貫き通せ。

2024/06/13

これもね。

いやいやいや、否定的感想とかはもちろん受け止めるべきだぜ?

 

でもお前らがやってるのは?

露骨社会道徳的キャンセル掛けにいっただろ?

自分達はそういう場外乱闘的なやり方で殴りにいってるのに

相手には「クリエイターなら貫き通せ」みたいなこと言って自分達の責任回避するのマジなの?

これ書いてる奴がキャンセル野郎かは知らん。

けどこれを人気上位に押し上げたはてな民たちは

大多数が今回のキャンセル肯定しているよな?

  

感想じゃない圧力掛けて潰しにいったり、そういう圧力肯定してる連中が「貫き通せ」じゃねえんだよ。

アンフェア攻撃ぶつけながら「屈したならお前等が弱かったのが悪い」「お前等の気持ちはその程度」って抜かすやつ、

昔の野球漫画に出てくる序盤の中ボス理不尽校長なのか?お前らは。

 

なんかさ、こいつ等って普段とあるごとに体育の授業の恨みや体育会系への恨みをぐちぐち言うくせに

自分が強い立場に立ったと感じた時の振る舞い方は完全に体育会系カスのものなんだよな。 

なーんだ、お前等そういう理不尽いじめ自体は好きなんじゃん。

自分がやる側になれなかったから何十年も恨んでるだけで。      

  

  

名前言ってはいけないあの人」  

u4k

MVなくても曲名コロンブス」がそもそもヤバい

現代では触れてはいけない人物から

今はファーストネームを使って「賛否わかってる感」を出すテクニックがあるから

曲名クリストファー」にすればよかったか

2024/06/13 リンク yellow28yellow

端的でよろしい。

からはっきりわかるけど、これもう「穢れ」の発想だよね。

触れてはいけないものに触れた、

名前言ってはいけないあの人の名前を口にした、

から罰されてもしゃーない。

これがこいつらの偽らぬ中核感情だろう。

    

それはわかったんだけど、そのうえで、

その中世の土民みたいなお気持ちで人を吊るすのやめてくれねーか。

なあ。

 

バカ多数決だけで死刑判決出されても困るんだけど。

ジッサイこいつらの脳髄は中世

 

 

コロンブスは評判が悪いんだぞ!」

soyokazeZZ

米国では記念日名前も変えられるくらい評判の悪いコロンブス

ホームパーティって時点で表現者としての勉強が足りてないよね。

逆張り的に知っててやってる芸風でもないし。

2024/06/14

最近評判の悪い人間だったら何なのよ。

その米国コロンブス評にひれ伏さなきゃいけないのはなぜ?

 

「評判悪い奴をみんなと一緒にエンガチョ出来ない子はいじめられてもしかたないよねー。」

お前等は女子中学生か?

   

まあ脳髄が分別の無い女子中学生ぐらいのレベルから進歩とまった人間なんて沢山いるんだよな。

なのに○十年生きてるとかい理由だけで自分老成した知性や判断力を獲得してると考えてる。 

   

はてな民の平均年齢ってもうアラフィフぐらい来てるだろ?

それでこれって悲しくならないか

皴と白髪が多いだけの女子中学生どもがよ。

 

 

意図せず含まれることがある。その時には無知を開き直らず。」

todomadrid

差別歴史に根があるし、何世紀もかけてイメージ固定化されてきたから、

私たち言動にも、過去から続く差別意図せず含まれることがある。

その時には無知を開き直らず、謝罪撤回して繰り返さなければそれでいい

2024/06/13

すごいよねこれ。

中身が何もない「ボクチンは殊勝なよいこです!」宣言してるだけの文。

みんなが言ってるから。根があるから。開き直らずに。

差別が含まれることがあるから別に自分で何か確認したわけじゃないケド。

  

ここには思考が何もない。

憲法保障した権利への市民としての責任感もない。  

        

「お前の発言差別から撤回せよ謝罪せよ」って言われた時に

差別であるという理路がきちんと明示されて説明し尽くされていて

それに対してお前が納得したなら撤回すればいいよ。

   

けど理路もねえ、説明も尽くされねえ、

ただ「なんかヤバいでしょ」「おらサッサと謝れよ笑」「みんなが言ってるよ?」「評判悪いよ?」「素直な態度にならないと損するよ?」なんて言われてる時は

断固として抵抗しなきゃいけないし横から弁護と支援をしなきゃいけないだろうが。

    

本当のよいこってのは道理の通らぬ強要には能う限り抵抗する子であって   

お前らはただの権威主義と土民イズムが合体しただけの、

尾田栄一郎徳弘正也が描くタイプの救いようがない感じの蒙昧モブなんだよな。

  

なんか厄いもの・なんか強いものにひれ伏してるだけ。

誰かが石投げ始めたら理由もわからず嵩にかかって参加するだけ。

マジでお前らワンピースの中のどっかの王国に入植してろよ。めっちゃ馴染めるよ。

 

頭は悪い、やる気もない、

殊勝そうな態度だけ作るのが得意。和を乱した奴リンチするのが得意。

毎度のことながら内申点だけ優等生っていうタイプだよなお前等は。

 

 

総評  

猿がいるならお前らだよ。

 

アメリカ人様の間で近年評判の悪い人物能天気PVにしてしまってごめんなさい!」

なんつってアメリカ人が何か言うより前にリンチを始めて

虐殺もなんもしてない奴等をなんでリンチしてるんだ」って聞かれると答えられなくて

アメリカ人のガバガバ道徳受け売りケガレ思考しか出てこない。

そんなざまなのに社会の全員に自分達と同じひれ伏しをさせたくて仕方ない。 

 

どう思う?

この精神自由のもの奴隷のものか。

人間か猿か。

  

  

おまえらシッティング・ブルのような誇りも知性も抵抗意志もねえ、

それどころか自前の思考道徳すら持ち合わせないのだから

コロンブスに飼ってもらえば丁度いいじゃねえか。

人間のふりなどやめたらいいじゃねえか。

 

誰かが言ってる非論理的な相場に従うのが好きなんだろ。

権威を背負って和を乱した奴リンチするのが気持ちよくてたまらないんだろ。

ほんとにもう猿の中の猿だおまえらは。

 

白人がやたら少人数でも搾取統治がうまくいった地域っていうのは

現地からお前等みたいな徴税人志願者がいっぱい出たんだよ。

権威の取り決めに従って誰かをリンチしてる時だけ自己効力感を感じるタイプのくっだらねえ無能入植者様の手足になった訳よ。

 

結局お前等の自慢は人の役に立つ能力や取り組みではなく

ただ非論理的な禁忌について勉強してる」「弁えてる」ってことだけ。

クラス空気読めてるから自分は偉くて読まない奴をイジメ権利が発生すると確信してる中学生と同じ。

人の役に立つ能力を一切持たないのに自分有用知識人だと信じてる無能社会学者と同じ。

未成年ならまあ未来に期待できるけどお前等は一体何歳なんだよ。

 

思考力が欠落してるのに論客気取りのお前等みたいなののハレの日ってのは

こうやって権威に従ってよくわかんないまま誰かをリンチする時で

要するにポリコレっていうのは人の役に立つ能力の無い無能のための御祭神なんだよな。

  

コロンブスよりおぞましいのは

コロンブスに媚び諂うリンチ猿であって

現代で最もおぞましい暗部とはお前等みてえな奴等だよ。 

 

 

猿が激おこ

cinefuk 「どうだ、おれを論破してみろ!おれは説得されないぞ!」と最後まで立っていた奴が優勝する。みんなが立ち去ったあとに、自らトロフィーをかざすが、見ている観客はいないし、匿名から名誉もない。2chカルチャー2ch ひろゆき

2024/06/15

要約「グキキーー!クキー!キィー――ッ!!(怒)」

  

不快の念だけは伝わってくるけど

人語による反論ゼロっすね。

  

こんな言葉しゃべれねえ歯を剥いてる猿の吠え声がこのエントリに不満な勢力の人気1位コメなわけよ。

な?猿だろ? 

こいつらから話の噛み合う再反論が返ってきたらそれだけでかなり見直しちゃうね。

 

ちょっと詰められると基本この「くやちい!勝利宣言!逃走!」しかないのよこいつら。

中学生掲示板ならいいけど、4050の歳で長年ネット論客ごっこしていながらこの仕上がり。

厳しいって。人生無駄使いだって

頭や言葉を使う才能が欠落してんだからもっとから下を多く使う別の趣味探せばいいのに。

  

 

伝奇ホラー

otihateten3510

何で本件の炎上に噛み付いてるはてなーがいるのか理解に苦しむ。どうみても燃えるだろ。

2024/06/15

A「リンチをやめろ!せめて彼がどのような罪で火刑に処されるのか説明しろ!」

B「……?どう見ても忌まわしいだろ」

  

完全に因習ホラーだろこれ。

会話以前のなにかが全く疎通してない。

お前ら本当にこれがなにかもの考えてる人間に見えるのか?

 

2024-04-30

anond:20240430074732

30年後に80歳人口が最大となる地域は、現在50歳人口が最多の地域

まり首都圏をはじめとする都市部だ。

現在でも地方に住む親を一人暮らしが無理だからと言って都市部の息子娘が近隣に引き取る例もある。60代で退職して地方実家に戻る例もある。どちらが多いか不明だが、想像したら後者は少なさそうだ。

都市部老成した人が、自らの意思であるいは実子の意思田舎老人ホームに移動することはないだろう。

2023-09-21

anond:20230921091217

シャアって年齢が若い割には老成したような物言いをするよな。軍人だし、苦労してきたからそうなんだろうけど、やっぱりちょっと他人を見下す傲慢さの現れでもあるんだろう。

2023-03-21

70,80、90になってもdmmR18のゲームとかやってるのかなあ。想像できないんだけど。どうにも老成ちゃう二次元文化から離れてしまイメージがある。

でも老人語使ってる人間は我々から想像できなくてもそいつ子供のころから老人語使いだったはずだし(その年代の標準の言葉だっただけ)まあそんなもんなのかなあ。三つ子の魂ってやつ。

2023-01-22

漫画家絵師キャラ老成すると表情が硬くなる現象

これ、なんでや?

描写の歪みはなくなって洗練されるんやが、相反してキャラの表情はハンコ絵みたいにバリエーションが減って硬い表情になってくやつ

本人たちはどう認識しとるんやろう?

2023-01-06

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

2022-08-06

anond:20220805163042

心が体より先に老成するとかわいげより威厳をもちたいのよ

若い子みたいに白馬王子様を無邪気に待ってられるかケッくらいの気持ちでね

そういえばじじいもじじいって自称できるくらい枯れればそこそこモテるのにね

2022-06-06

アクダマドライブ最終話を見ながら榊原良子氏のwikiを読む

榊原さんがハマーン役やったのはなんと声優デビューからわずか5年目のこと

それであの演技かー(年齢的には29歳当時なので、20代前半ハマーン様の若いながらも老成した感じを出すのに丁度良いっちゃ良い)

すごいなー

現在65歳

これからも唯一無二の声と演技をお願いしま

2021-11-10

anond:20211110153750

からなんでもない

林原めぐみの演技は微に入り細に入り素晴らしいんだけど

主人公レフとの掛け合いでレフが年下かのようなレベル差になってしまっていて

イリナの精神的幼さをレフが支えていくという関係の醸成感が死んでる

年齢の割に老成してるイリナにレフが振り回され

情けないけど健気なレフにイリナが絆されている感じになってる

anond:20211110153750

からなんでもない

林原めぐみの演技は微に入り細に入り素晴らしいんだけど

主人公レフとの掛け合いでレフが年下かのようなレベル差になってしまっていて

イリナの精神的幼さをレフが支えていくという関係の醸成感が死んでる

年齢の割に老成してるイリナにレフが振り回され

情けないけど健気なレフにイリナが絆されている感じになってる

2021-11-02

anond:20211102020044

それたぶん室町時代でも縄文時代でも先達の何かより後続の新作のほうがって言い出してる話あったと思うよ

結果、老成した文化しか残ってない現状、そういうのは実にならないよ

2021-08-04

本日34歳になる身内の女に

誕生日おめでとう。もうガッツリ中年だな」と告げたら不満気だったので

「単なるおばさんよりもまだ若いつもりのおばさんのほうが遥かに醜悪から

今後はちゃん中年である自覚を持って、自らの精神に歳相応の老成を求めよ」

という忠告プレゼントした🎁親切なので🐴

2021-01-28

日本賃金OECDで下位

https://www.nikkei.com/article/DGXZQODF276MJ0X20C21A1000000

経団連中西宏明会長は27日、連合の神津里季生会長オンライン会談し「日本賃金水準がいつの間にか経済協力開発機構OECD)の中で相当下位になっている」と語った。26日に開いた労使フォーラムによって2021年春季労使交渉が始まり、連日で労使トップ意見を表明した。経団連新型コロナウイルスの影響で一律の賃上げ方針は見送ったが、業績の堅調な企業には積極的対応を求める。

徒に日本アゲをしたい訳ではないが、日本GDP先進国の中で〜位とか、こういう上のようなニュースを見ているとモヤっとするところがある。

日本給与水準物価海外諸国と比べて安くなっているのは事実なのだが、実際にヨーロッパなどに旅行してみるとお世辞にも日本より治安が良いわけでもないしインフラ生活が快適なわけでもない。むしろ日本での暮らしが諸外国と比べても快適なのもまた事実だと思う。日本給与物価が低く抑えられているのは、為替の要因も大きいだろう。それはつまりここ30年くらい経済成長をして来られなかったツケでもある。

から20年も前に東南アジア発展途上国に行くと、物価日本の1/3以下で小銭で豪遊できたのを思い出すが、一方でいまたとえばオーストラリアなどに旅行すると日本より物価が何倍も高いので目を剥くことになる。経済成長著しい諸外国から見て、今の日本立場はむしろ20年前の東南アジアのように映るのだろう。しかし、インフラのまだまだ貧弱だった昔の東南アジアと、一度は世界一まで迫る経済発展をし今でも曲がりなりにも高い工業力を維持している日本とを同列に見ることには少し無理がある。良かった時代残照とはいえ日本がいまだにいくつかの分野で競争力をもった快適なハイテク国家であるのも事実だ。日本は一回りして今の位置にいるのだ。

思うのは、実はこうしたGDP給与水準といった単一経済貨幣による社会の豊かさの比較というのが、日本のような一回りして独自ポジションを築き上げた老成国家に対する物差しとして機能していないのではないかということ。だいたい世界経済教育の水準を測るスタンダードイギリスのような標準規格作成大好き国家自分たちが知っている範囲の狭いクオリアの中から作り出したもので、残念ながら日本をはじめ後発のアジア国家はそういったスタンダードに唯々諾々と甘んじている現状がある。

日本がもう一度世界の中で強いリーダーシップを示したいのなら、DVDなどの工業規格でそうしたように、日本の本当の良さを正当に評価できる新しい指標提唱してそれを元にランキングを発表してみるべきだと思う。そういう新しい価値提案というのも、日本のような老成国家世界に対する責任の一つだろう。

2021-01-23

anond:20210123220519

若害というのもあるし、むしろ若いときのほうが害がおおくて

老成するとともにそういうのをなおすもの

2021-01-12

ハルヒ新刊読んだけどハルヒではない何かだった

何というかハルヒらしい尖りというのかな、それが全部取れてたというか

1巻にあったような思春期感情の甘酸っぱさ、瑞々しさもないし

個人的ハルヒの一番の特徴と思ってるのが語り手であるキョン鬱屈した精神性、

全てを諦観したようでありながら何かまだ諦めきれないような、何者でもない自分を受け入れようとする自意識と何者かになりたい無意識の衝突というか、

何者かであることを諦めず、実際に能力的にも何者かであるハルヒとの残酷さすら感じるコントラストというか

そういったものがあったんだが、新刊では単に老成した窓際族みたいになっちゃってる

考えたら谷川先生もう50台だもんな

瑞々しい感性ラノベを書けっていうのももう酷だよな

後半ほとんどミステリ談義とミステリだったしな

小説読むのと書くのは好きなんだろうと感じたよ

実際、読み手である我々も並行に同じだけ歳を重ねているわけだから、それはそれでいいのかもしれない

だけどそれはやっぱりハルヒではないんだよな

ハルヒキョンは、谷川先生や我々読み手と並行には歳をとっていないのだから

2020-10-05

anond:20201004103436

この人いくつかな。

アラフォーになったらメンタル中年に、アラフィフになったらメンタル初老になって、若い頃とは興味も変わるのが普通、って思ってるよね。若いときはね。自分も思ってた。

変わらねえからね。オタク特にね。

びっくりするほど成長しないし自動的老成とかしないからね。

興味も趣味も、アラサーと変わらないまま戸籍上の歳だけとっていくから

自分もそんなんだと思わなかったからびっくりしてるよ。

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