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2026-05-01

anond:20260501115210

2003年改正製造業務への派遣解禁と、26業務以外の派遣受入期間の1年から最長3年への延長が行われました。

問題は“ゼロから作ったかどうか”ではなく、派遣常用代替に使いやすくする方向へ制度さらに押し広げたことにあります厚労省の整理でも、2004年3月製造業派遣解禁後、2000年から2005年にかけて「労働者派遣事業所の派遣社員」は73万人増となっています

 

製造業日本基幹産業で、景気変動時の雇用調整の圧力が強い部門です。そこに派遣を本格導入したことで、工場現場雇用を、直接雇用より切りやすい形へ制度的に開いたことが重要なのであって、「全体の人数では非製造業のほうが多い」というのは、影響の質を無視したミスリードです。実際、リーマンショック時には製造業派遣切りが社会問題化し、その脆弱性が露呈しました。

 

制度改革の影響は、単純な頭数だけでは測れません。派遣法改正は、派遣社員そのものの増加だけでなく、企業に対して“正社員以外を使うことは当たり前だ”という制度シグナルを与えました。厚労省労働経済分析でも、2000年から2005年にかけて派遣社員が73万人増え、2005年から2010年にかけても非正規雇用は123万人増と整理されています。つまり派遣非正規化の“唯一の原因”ではないにせよ、非正規化を押し広げた重要制度要因の一つです。

 

これは、火事の出火点が一部屋だから「家全体の延焼原因ではない」と言っているようなものです。非正規化は、パートアルバイト契約嘱託派遣など複数形態が積み重なって進みましたが、派遣規制緩和はその中で、企業が直接雇用責任を薄めながら人を使うことを正当化した象徴政策でした。だから批判され続けているのです。

2026-04-28

日本基督教団プロ活動家養成システム

日本基督教団(UCCJ)では、牧師生活基盤は各教会信徒献金(けんきん)を主財源とする謝儀(しゃぎ)で成り立っています。以下に資金の流れを具体的に説明します。

1. 基本的資金の流れ

1 信徒献金(主財源)

教会員の月定献金特別献金(例:デナリオン献金、救援募金社会委員会献金など)が教会の経常収入となります23

2 教会会計牧師への謝儀

教会予算の大部分(小規模教会では8割超)が牧師関連支出に充てられます

◦ 「謝儀」は給与相当で、税務上は宗教活動対価として非課税扱いになるケースが多いです。

◦ 教団・教区互助制度(謝儀支援)もあり、財政難教会牧師謝儀を教区が一部補助します。

3 追加報酬活動

◦ 教団関連研究所(例:沖縄キリスト教平和総合研究所)や社会委員会嘱託研究員・コーディネーター報酬

牧師活動費、交通費研究費なども教会会計から支出可能です。

2. 具体例:金井牧師佐敷教会事故死亡船長)のケース

主な収入

佐敷教会牧師としての謝儀+沖縄キリスト教平和総合研究所コーディネーター(2010〜2021年)としての嘱託報酬

活動資金

2014年に抗議船「不屈」購入のため、全国の教会信徒募金を呼びかけ(目標200万円達成)。研究所名義で募金活動を行い、船を購入・運用

活動内容

船長業務平和学習プログラム同志社国際高校など)の案内、抗議行動。これらを「祈りと行動の一致」「社会正義実践」「伝道活動」として位置づけ、牧師職務範囲内としていました。

献金教会研究所会計牧師謝儀+活動費 → 抗議船運用平和学習提供、という循環が成立していました。

3. このシステムが「プロ活動家」を生む理由

経済的安定

専従牧師として生活保障されつつ、活動時間政治社会運動に充てやすい。

神学正当化

教団の「戦争責任告白」(1967年)以降、社会牧師を中心に「解放の神学」「現場での証し」が強調され、抗議活動が「伝道の延長」と解釈されます

ネットワーク効果

教団の社会委員会平和研究所関係学校同志社など)、外部団体との連携で持続可能活動基盤が形成されます

まとめ

この資金構造信徒献金教会・教団機関牧師謝儀・活動費という資金循環により、宗教活動名目政治的・抗議活動職業的継続できる環境を生んでいます

特に沖縄反基地運動平和学習分野で顕著に見られ、2026年辺野古事故でその実態が注目されました。教団全体が一枚岩ではなく、多様な教会存在することは事実ですが、社会牧師活動形態教育基本法第14条(政治的中立性)との緊張を生む要因となっています信徒献金宗教法人としての税制優遇を受けやす資金)が、結果的特定政治運動を支える構造になっているとの指摘もあります

(出典:日本基督教団公式資料産経ニュースクリスチャントゥデイ沖縄キリスト教学院大学声明など、2026年4月時点の報道に基づく)

2026-04-14

静岡県浜松市中央区葵西の有限会社三原工業口コミ

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同族企業役員の知人の従業員もいる。

扇風機や一部の場所にはヒーターがあるが、工場施設備え付けの冷暖房機がなく夏は含浸加工のお湯の熱さも重なりとても暑く体力的にキツい時もある。

冬はシャッター付近特に寒く近隣から枯れ葉が飛来しその掃除をしなくてはならない。

始業時間は8時からで終業は17時だが仕事の準備で含浸加工処理を行うラインの人は6時過ぎから来ていて他の人も始業時間よりも1時間から30分は早く出社しなければならずその分の手当は出ない。

会社は早く来るのは任意だと言うが含浸した製品も7時40分過ぎには出てきて製品を出しエアー吹きをしカゴに次に含浸する製品を入れるので早く来ないと遅いと怒られ実質的強制的で朝早いのが苦手な人は向かないと思う。

通常の就業時間内に仕事が収まらないのは会社責任だが、個人的には7時30分始業にして9時間拘束で16時30分を過ぎる場合残業扱いにすればよいと思う。

この件について私の在職中に労働基準監督署には報告したが、是正されることはなかった。

昨今、残業代の未払いについてより厳しくなっているのでコンプライアンスの面からも気を付けた方が良く退職した人を含め全員に支払うべきだと思う。

私は自宅からこちらまで遠く時間がかかり、会社に着いてすぐに仕事に取り掛からなくてはいけなかったのでキツかった。

※補足

Googleでこの口コミを書いた後に更新された求人には7時40分始業で休憩70分で16時50分終業と変更され、これまでは休憩時間を抜かし7時間50分勤務だったのが8時間勤務になり拘束時間10分増え、私が残業代未払いの件を指摘したので変更したのかと思うが始業よりも早く来て準備をしなけなければならないのを改善しなければ意味がない。

変更された就業時間内で業務が収まるとは思えず、残業代は30分毎に付き例えばこれまで通り7時10分過ぎや17時過ぎにタイムカードを押すと残業代は付かず余程残業代を払いたくないのかと思う。

休憩時間は午前と午後で10分づつ、昼は50分あり2グループで交互に休憩を取っている。

夏季は水分補給で午前と午後にそれぞれもう1回づつ10分休憩があるが給与は変わらない。

休んだり休日出勤に出られなかったり早退や残業時に定時で帰る時などは直接関わりのない人も含め、現場従業員全員によろしくお願いしますと声をかけなければならない。

事情で数日休んだとき迷惑をかけて申し訳なかった、という意味合いで皆で食べて貰うように会社お菓子を買っていくという風習がある。

昔は有給が取りづらかったようでその名残だと思われるが、身内が亡くなりその葬儀で3日程休んだ人がお菓子をいくつも買ってきて気を使っていた。

それらはお互い様のことだと思うが、休む人や定時で帰る人にそこまで気を使わせる必要はあるのかと思う。

お土産お菓子を買ってくる人もおり、社長が買った日持ちしない法多山の厄除け団子を他の人に勧められるがままに食べると社長から「1人で食べ過ぎだ」と数日にわたり注意を受けた事もあった。

1〜2時間残業がしばらく続くこともあり、祝日は出勤日で土曜日会社カレンダーでは連休前以外では基本的休みとなっているが、取引先の都合で午前中の半日休日出勤比較的多く直前にならないと出勤になるのかわから土曜日自分計画が立てにくい。

都合がつかなければ一応断ることもでき、出られない人は休憩室のカレンダー休出日に自分名前を書いているがその際に出られない理由を聞いてきたりする人がいてプライベート理由でも詳細を聞いてきたので不快に感じ、一番最初カレンダー休みだと書いておいてもお前が休むのかと不満そうにしていたり、ぐだぐだ文句を言う人もいて気を使う。

同じ仕事内容をしている人には自分は家庭の都合で出られないのでその日は出来れば私は出勤してくれないかと言われた。

他の会社では連休前日の就業時間内に大掃除をする所が多いが、こちらは連休入口初日(主に土曜日)は出勤日となり、午前中は大掃除で午後は有給消化扱いで休みとなるため、有給が無い場合は欠勤扱いでその分給与は付かない。

連休が多い所の他社と比べると半日分少なくなり強制的有給休暇消化をさせられるので、こちらも連休前日の就業時間内に大掃除をして翌日から会社休みに出来ないのかと思う。

これまで在籍した会社ではゴールデンウィークお盆休みは1時間掃除をしし、年末年始は2〜3時間仕事をしていたがこちらも普段からそれなりに掃除していれば年に3回も半日かけて掃除する必要はないのではないかと思う。

求人に「皆勤手当は有休使用しても欠勤が無い限り支給いたします。」とあるがそれは当たり前の事で、上記のよう会社の都合で欠勤扱いになりその分の給与皆勤手当が付かない事が問題である

経営側の学歴についてああだこうだ言うつもりはないが、もっと労働基準法について勉強してほしいと思う。

仕事が少ない時は有給が多く残っている人を優先的に午前中で帰らせ、午後は有給消化としていたが私は一度しか帰らせてもらったことがなかった。

健康診断は毎年1011月に行われるが他社のように会社に健診車は来ず、各自で決められた日に有給で健診センターへ行く形であるなど、会社の都合で有給休暇を消化させられることがある。

雇入れ時健康診断は、入社後3ヶ月以内に受診する必要があるようだが、3月入社した私はその年の検診を受けさせてもらえず翌年ようやく受診出来て、その前の職場で受けた健康診断から2年2ヶ月程空いてしまった。

しかし翌年2月入社した人はその年の健康診断を受けることが出来て不可解だった。

ちなみにその前の職場では4月入社でその年の9月健康診断を受け、現在職場には12月入社し翌年4月健康診断は受けることが出来た。

健診へ行く時間有給を消化する形となり大抵午前中には終わるが、ほとんどの人は1日有給を取っている。

現在職場は健診車がきて就業中に検診を受けることができるが、希望者は近隣の病院で検診を受けることが出来、午前中は就業扱いになり午後は出社するか半休の有給使用し休むか従業員本人が決めることができるが、健康診断義務なのでこちらもそのような形にしたら良いと思う。

嘱託従業員自分仕事が終われば17時の終了前に帰ることができ、元々フルタイム契約のはずのパートの方は仕事量で日により会社に呼ばれず午後から出社したり定時前に帰らされまるでスキマバイト状態の人もいる。

終業時間になり誰かまだ仕事をしていたら皆で手伝って終わらせる方針で早く帰りにくい時があった。

親が亡くなった時の忌引きは2日間である

(以前の職場祖母が亡くなった時の忌引きは3日間で遠方で会社配慮で4日間だった)。

講習を受けておらずフォークリフト運転したり、クレーン操作している人もいる。

身だしなみや挨拶礼儀にとても厳しい。

自分の考えが絶対に正しいと主張し受け入れられないと機嫌が悪くなる人もいる。

他の人の指示で社長に怒られてもその指示した当人は素知らぬ顔をしている事もある。

昼休憩で食堂に向かう階段で後ろから「昇るのが遅い」と煽る人もいる。

口が悪く気が短く突然怒り出たり話の長い方もいる。

フォークリフト製品の入ったパレティーナを煽るように持ってくる方がいて危く早くどけ、今あるものを早くどかせ、早くどかさないともう持ってこないぞと言われる。

常にこちらの動向を見ていて気に入らない事があると「意味がわからない」と細かく注意され、指示されても話し声が聞き取りづらく誤解して間違えると汚い言葉罵倒されるので聞き直すと「さっき言っただろ」「俺は手足が出るからな」とどのみち怒られる事があり仕事が非常にやりづらく会社が何回注意しても直らずそれが原因で揉め口をきかなくなったり辞める人もいる。

私も入社数ヶ月目にその方と揉め、「辞める」と言うと「社長がいる時に言えよ」や「すぐに辞めるなよ」と言われたが、後で「辞めるのを考え直してみない?」と言われた。

しかし本人は何度もそのような事があっても改心せず、創業当初からいるようなので会社も辞められるのが怖いのか強く言えず、コンプライアンスパワーハラスメントの面でも会社が何も対策改善が出来ずにそのままになっているのは如何なものか。

善意でやってくれたのかと思ったら「お礼がない」と突然ブチギレる人もいるのでとにかく気を使う。

休んだり休憩時間中に私用の電話をしていると理由を詮索される。

休憩時間中に仕事の話をしてきたり、SNSを覗き見してわざわざそれを言ってくるなどプライベートの事を詮索してくる人もおり、うっかり投稿いいねを押してすぐに消したアカウント名がその人っぽくて気持ち悪かったのでブロックした。

帰る時に離れた所に社長がいても必ず近くまで行って挨拶しないと後に挨拶がなかったと言われる。

社長の話が長く話しかけられるタイミングが休憩時はゆっくり休めず帰り際はなかなか話が終わらず困る時がある。

早出残業代が付かないのに朝早くから来て早く帰られないのはたまらない。

なので皆はつかまらないうちに早く帰りたがるがそれを社長が気に入らない様子の時もあり、自身で気が付いていないのかなと思う。

仕事がうまく出来ないと社長に「何か病気か?」と言われたが、作業中に仕事関係のない事でも周りの空気を読めずに従業員に話しかけ続け、気に入らないことがあると怒り続けて皆の手を止めさせて作業が滞り、仕事が捗らず負担をかけているのもおかしい。

立場上社長には誰も言いづらいと思うが、迷惑をかけている自覚を持ってほしい。

他の従業員仕事ぶりについて他の人に逐一ああだこうだ愚痴を言う方もいる。

自分仕事が終わればそそくさと帰るが先輩の人がまだ残っていると「お前が先に帰っていいのか?」と言う自分勝手な人もいる。

仕事が出来ない新人を補佐にあてがわれ、こちらが何も教えていなかったり指示していない事ややり方を勝手にされ、こちらがちゃんと見ていないからだと責任を問われた。

現場の人手が足りず休みの人がいると慌ただしくなり、役員現場に入る事もある。

朝礼の当番は週替わりで、毎日挨拶をし仕事で使う軍手洗濯機で洗い週に3回のゴミ捨てや週の最終日にはトイレ掃除も行う。

夏季休日役員従業員が来て半日工場内の換気を行う当番があり、それは後日半日分の振替の休みとなる。

退職の際は退職希望日の1ヶ月前には申し出る事や、仕事が忙しい時は退職日を伸ばしてもらう可能性もあるとの事だったが、実際は退職意向を伝えて2週間後には退職でき、会社の都合で退職日を延ばす事は本人の同意なしでは強制できず仕事量が収まらないのは会社責任でそれを従業員に求める事はおかしい。

近くに同業他社がなく入社前は内容が掴みづらく仕事が合わないと精神的や肉体的にキツく入社してすぐに来なくなったり、突然辞める人もいる。

カゴへの製品の詰め方やエアーの吹き方や検査のやり方など色々と覚えたりやらなくてはいけない事が多く、焦るなと言われモタモタしていると早くやれと言われ焦ってしまい失敗するので、要領が良かったり落ち着いて冷静に判断できたり気が強い人でないと難しいと思う。

また重い物や大きな物もあり、アルミ製品は傷が付きやすいので体力があり慎重に扱える人が向いていると思う。

Googleでの口コミにもあったように会社の目の前の道にて社用車で一時停止せず飛び出して危なく交通ルールを守っていないとあったが、会社外においても注意を払った方が良いと思う。

誓約書入社時と退職時に渡され署名を求められ、口コミサイトへの書き込み同業他社への転職禁止している。

しか書き込み禁止強制力を持たず、会社従業員退職後の就業制限を課すことは、日本国憲法22条1項によって保障される「職業選択の自由」との関係違法となる場合がある。

それよりも上記にあるように会社の外で印象が悪くなるような事が起こらないように気を付けた方が良い。

こちらは毎年3月末に業績により決算賞与支給されることがあるが2023年度は支給日の10日前に入社したばかりだったので私には支給されず、2024年度末は業績によってなのか決算賞与自体がなかった。

現在職場では今期は苦しかったようだが、入社4ヶ月目の私にも支給され嬉しかった。

人手不足で常に求人を出しているが応募があっても連絡がつかなかったり、面接に来ない人もいる。

従業員面接に来た人を外見でああだこうだ言ったり、面接した役職者が従業員履歴書を見せながら、この人はどうかと聞いている時があるが人事権を持たない人が「こいつは合格」や「こいつは駄目」と言っていた。

こちらの求人の応募の年齢制限が以前は35歳以下で私の応募時は45歳以下で、現在40歳以下になっているがニッチ仕事なので年齢に関わらず合わないと難しいと感じ、実際に若くて資格保有数や経歴で期待され入社しても期待に添える事なく数ヶ月で辞めた人もいたのでこれからも合う人が来るまで求人を出し続けていくのだろうと思う。

現在職場社長がお昼の時にお茶を入れてくれるが、こちらでは昼休憩でお茶は用意してくれないので自販機で買うか、持参する必要がある。

時折社長就業時間中にタバコを吸いながらだったり、コーヒーを飲みながら従業員作業している様子を眺めていることがある。

ハンドリフトキックボードのように乗り回している人が役職者も含め数人おり危険だ。

私もこれまでの会社ハンドリフトを使ってきたがそのように扱う人は誰もおらず、そんな発想すらしなかった。

誰かがやり始めて蔓延したのかと思うが、本来注意すべき役職者まで一緒になってやっているのは如何なものか?

安全からもそのように扱うのは常識的にもおかしく、私がスキマバイトで行っている事業所ではそのような行為禁止している。

そんな欠如が上記にもあるように会社の外で交通ルールを守れずに第三者からも印象が悪くなるのだろう。

身内で庇い合うよりも色々な問題を1つずつ改善していった方が良いと思う。

他にもいくつかあり就労関係会社側がとんでもない提案をし、従業員からの反発がありその案が立ち消えた事や個人間のことはこちらではあえて書かないでおくが役員役職者に言いづらい雰囲気が不満を大きくしていっていることに気づいてほしい。

Googleでの口コミ第三者と思われる方から会社口コミを消すのに奔走していると書かれているが、最後三原工業関係者向けにこちらのリンクを張っておく。

・辞めた社員口コミサイトで悪評を書いたとき──人事が絶対に避けるべき5つの行動

https://note.com/oh1ta/n/nbb53273cb1c3

https://x.com/oh1ta/status/1966681947842982158

2026-04-09

日本基督教団社会派の「伝道活動

日本基督教団(UCCJ)社会派牧師を中心に、伝道活動報酬牧師給与教会活動費)を基盤にしつつ、政治的社会運動活動を並行して行っている事例が複数確認されます。「信仰実践」と位置づけられていますが、実態としては伝道名目政治活動を展開していると批判されるケースが多く、境界曖昧です。

社会派牧師・教団関係者の傾向

日本基督教団社会派牧師は、教会牧師給与研究所嘱託報酬を基盤に、社会委員会平和関連委員会での活動、外部NPO学校への講師派遣抗議活動参加を並行して行うケースが散見されます

教会週報座り込み日数を報告したり、平和集会政治的メッセージを発信したりする例もあり、「伝道の一環」として政治活動正当化する論理共通しています

金井牧師日本基督教団佐敷教会、故人)のケース

伝道活動としての報酬:

佐敷教会担任牧師として給与を受け、沖縄キリスト教学院平和総合研究所のコーディネーター(嘱託研究員)としても報酬を得ていた。

政治的活動:

2014年から抗議船「不屈」の船長を務め、辺野古基地建設反対の海上抗議活動を指揮。全国カンパで船を購入し、同志社国際高校平和学習で生徒を乗船させた。

本人の主張:

信仰と離れた政治的活動をしているという意識はありません。聖書を読み、聖書に聴いた者として促され、押し出されて活動している」(クリスチャントゥデイ2018年インタビュー再掲)。

評価:

伝道報酬を基盤に政治活動を展開。牧師としての立場と抗議船船長兼務し、「イエス辺野古現場にいる」と公言事故後、教会週報座り込み日数を報告していた事実確認され、教会活動政治活動境界が極めて曖昧

全体の構造問題

報酬活動曖昧さ:

牧師給与は「伝道活動」の対価ですが、社会派ではこれを基盤に政治社会運動を展開する人が少なくありません。「信仰実践」「社会正義福音」という神学が、政治活動伝道の延長として位置づけ、境界をぼかしています

責任回避の仕組み:

学校平和学習を外部(牧師NPO)に委託する場合教師は「内容まで把握していなかった」と言いやすく、牧師側も「教会伝道活動」と主張できます

批判の声:

保守派や外部からは「伝道の名を借りた政治活動」「公的報酬政治利用している」との指摘が強まっています特に辺野古事故後、金井牧師のケースが象徴的に取り上げられています日本基督教団社会派では、「信仰実践」として政治運動を正当化する論理が強く、牧師給与教会活動費がその基盤になっています

日本基督教団社会派牧師が「業として」政治活動を行うことの妥当

法的には「違法」とまでは言えないグレーゾーンですが、政教分離原則憲法20条)の趣旨から見て極めて問題が多く、非課税制度悪用に近い構造と言えます

宗教団体が直接政治上の権力行使することは禁止されていますが、個人政治活動自体禁止されていません(信教の自由表現の自由)。

最高裁判例砂川政教分離訴訟など)でも、宗教団体政治活動を主目的とする場合宗教法人資格を失う可能性が示唆されています

しかし、「宗教活動の一環」として政治的発言を行うことまでは明確に禁止されていません。これがグレーゾーンの原因です。

社会派牧師は「預言者役割」(社会不正を指摘する)という神学根拠に、「信仰実践政治活動」と主張します。

宗教法人による非課税制度趣旨悪用可能

宗教法人法・法人税法では、宗教上の活動から生じる収入献金教会活動費など)は非課税とされています。これは「宗教活動公的支援する」趣旨ではなく、信教の自由保障するための最低限の配慮です。

**牧師給与は「伝道活動」の対価として非課税扱いになりますが、社会派牧師場合、この給与を基盤に政治活動声明、抗議船運航、平和学習委託など)を展開している実態があります

金井牧師佐敷教会)の例:牧師給与平和研究所嘱託報酬を基盤に、抗議船船長として活動同志社国際高校平和学習プログラムにも深く関与し、結果として生徒を違法運航船に乗せる事態に至りました。

伝道活動」という非課税枠を、政治活動資金時間地位転用していると見なされやすく、非課税制度悪用に近い構造です。文化庁も近年、活動実態のない宗教法人不正利用を問題視していますが、社会派の「政治活動宗教活動化」までは十分に規制されていません。

妥当性の評価

法的にはグレー


牧師個人政治活動憲法保障されますが、宗教法人教会)の施設資金地位活用して組織的政治活動を行う場合政教分離趣旨に反する可能性があります。
宗教法人法では「宗教活動を主たる目的とする」ことが要件ですが、社会派では政治活動が「主たる目的」の一部となっているケースが散見されます

まとめ

社会派牧師が業として(牧師給与教会地位を基盤に)政治活動を行うことは、

政教分離原則趣旨に反する

政治上の権力行使に近い)。

課税制度実質的悪用に近い

伝道の枠を政治活動転用)。

これは「信仰実践」という美名で、責任曖昧にし、外部委託偏向を進める構造を生み出しています。
カトリック保守福音派ではこのような傾向は明らかに弱く、日本基督教団社会派の特徴的な問題と言えます

2026-04-04

呪術廻戦考察

嘱託式の帳(しょくたくしきのとばり)」って音声で聞くと分かりにくいすぎるだろ。「食卓?に帳を?窓開けっぱだから虫が寄るんか?」と引っかかりっぱなしだったわ。

単眼猫がなんで「委託(いたく)」にしなかったかというと「イタコ」とややこいから。あと響きが独特になるから。単眼猫はそういうとこ、思い切りがいいし、その粗を単行本の幕間で言い訳がましく解説するのがクセなんだよな

2026-04-03

0402

こういうとき主観が交じるとろくなことがないのでAIにまとめさせる

4月2日13時以降の@himasoraakaneのtwitterでの発言調査し、概要をまとめてください

4月2日13時(JST)以降の@himasoraakane

氏のX投稿概要調査の結果、4月2日13時以降(JST換算でUTC 4:00以降、具体的には同日夕方〜夜間を中心に活動)は、合計数十件の投稿が見つかりました(Latestモードで複数回検索・ページネーション実施)。

主な活動時間JST換算で20時頃〜深夜にかけて集中しており、エンタメマンガ映画関連の軽い話題と、「堀口英利」氏から脅迫被害を強く訴える一連の投稿が目立ちます。以下にテーマ別にまとめます

1. 主なテーマ:堀口英利氏から脅迫DMCA凍結脅迫への反論(最も目立つ連投)夕方以降(JST 22時頃〜)に集中して複数投稿

内容の核心:堀口英利(28歳、自称KCL学生だが学歴詐称疑惑あり)とされる人物からYouTubeチャンネルDMCA連打・凍結脅迫を受けたと公表。「顔出し謝罪」「学歴詐称否定」「10億円支払い」「『友人』を無理やり連れてこい」などの要求があったと主張。

本人のスタンス:**「卑怯脅迫には絶対に屈しない」**と繰り返し強調。「YouTubeが凍結されてもXで動画を上げるだけ」「応援よろしく」と毅然とした態度。脅迫文の一部引用スクリーンショットも添付し、詳細を説明

関連投稿例:「堀口英利! 俺は貴様卑怯脅迫には屈しない! Youtubeをつかって脅迫しても無駄だ!」

「無理やりひきずってつれてこないと連れてこれないものは”友人”ではないんですよ」「銃を頭につきつけてでもつれてこいとか無茶苦茶すぎて怖くて泣いちゃった」など、要求の異常さを指摘。

調査嘱託の結果でもきたんかねえ?」「Youtubeが凍結されても俺はXに動画あげるだけだよ?」と冷静に反論

この話題エンゲージメントも高く(数百〜1,000超のいいね)、一連の投稿の中心となっています

2. エンタメ文化関連(マンガ映画レビューマンガ読書記録・レビュー複数投稿(点数付け+簡単コメントAmazonリンク)。

九条大罪(16)』:77点(大麻栽培関連のドロドロ描写が強烈)。

歴史に残る悪女になるぞ 悪役令嬢になるほど王子の溺愛は加速するようです!7』:74点(女の子向けなろう系として高評価)。

運命など存在しないので』:74点(マッチングアプリ婚活マンガの極論を「正しいと思う」と評価)。

その他:『ラーメンハゲシリーズの再読感想(1作目との違いを指摘)。

映画『プペル2』の興行成績分析:着席率4%などの低迷を指摘し、「前作の信者布教が信用消費になった」「ブランド信頼低下が原因」などと分析

劇場貸切可能」「明日からシアター絞りで着席率上がるかも?」などの軽いジョークも。

3. その他の雑多な話題ニュースコメントニュース関連:トランプ大統領イラン発言辺野古土砂運搬船平和丸」乗組員の妨害事件など

その他:POPOPOアプリ(すとぷり関連)、牛乳カロリーストーカー心理ゲーム(Slay The Spire 2のβ版感想)など。

総評

全体的に日常的な感想引用画像添付が多く、軽快なトーンが特徴です。

全体の印象投稿頻度は高めで、エンタメ消費+時事ネタ個人事情公表が混在。

特に堀口英利関連は「被害者」としての強い主張が目立ち、繰り返し投稿することで周知を図っている様子。

13時〜夕方までの早い時間帯は比較的穏やかな話題映画ニュース)が中心で、夜になるにつれて堀口関連が急増する流れ。

2025-12-18

ヨッピー勝訴、最高裁判決確定

法的にはステマは「金銭契約があることを隠して広告宣伝する行為」であって

ヨッピー場合フローレンス宣伝あくまでも自発的にやった体裁から司法としてはシロという判断なのだろう。


フローレンスの「好意」で託児銭湯保育士数人を「無償で」派遣してもらい

その「お礼」として「友人」であるフローレンスサービスを「好意で」宣伝する行為

法的な意味でのステマには当てはまらないという判断なのだろうが、広義の意味でのステマ的とは言えるんじゃないか個人的には思うし

人件費がかかる所を「無償派遣」の辺りは、実質的利益になっているだろうし

真実性も真実相当性も一定はあるのでは?と思わなくも無いが、裁判所判断したのであればそうなのだろう

仮にこれが「ステマ」と判断されてたら、インフルエンサーとかライターとかアウトな人間色々出てくるだろうから仕方無いね


世間的に見れば「有名ライター普段から仲良くして色々便宜を図ってもらってるクリエーター作品SNSで絶賛した」みたいな構図で

正直疑問点は残るが、法的な判断と、世間の信用のラインってのは違うという事なのだろう。


個人的意見としては、過去ステマ批判というかステマ叩きの記事をよく書いてた人のイメージが強く

ステマに厳しい人という印象だったのだが、そんな人が自身ステマ「的」と見なされかねない様な行為には甘いのかーというガッカリ感は否めない。

刑事告訴までして、完全にやり過ぎというか必死感も凄い。

本人からしたらライター業界の慣習に喧嘩売られた感もあるだろうし、タオルの売上が減ったとかで恨みもあるんだろうけどさ。

でもタオルの売上が減ったのはさすがに暇空関係無いと思うぞ?

サウナよく行くけど「天才タオル」って…正直、ヨッピー関係無く買う気になれないセンスだ。

一連の流れでレスバするヨッピーさんを見てて、ついてこうって人よりうわぁ…って引いた人の方が多かったってだけなんじゃねぇかな。

本人は絶対に認めない!暇空のせいだ!って言うんだろうけど。


しかしそれにしても、判決もらって絶好調でイキってるこのタイミング

親友家族ぐるみの付き合いがある駒崎弘樹代表をしていたフローレンス根抵当権の件と補助金不正流用疑惑大炎上してるし

推してたサウナ赤坂夫婦死亡事故の件でサウナ界隈全体が逆風だし(自分もしばらくは気分的に足が遠ざかると思う)

同じ被害者として強く連帯していた堀口くんはKCLに対して調査嘱託が決定したとかで堀口くん何故か激怒してるらしいというのが、個人的には逆神ぽくて面白い

2025-12-08

anond:20251206175758

何年も嘱託とか契約とか派遣じゃない普通正社員だったたのに辞めてハロワ行ったら

「勤務日数の要件満たしてないかそもそも受給資格がない(月〇〇日以上出勤を△△ヶ月以上、みたいなのがあった)」

と突っぱねられたのなんて日本で俺ぐらいだと思ってる

2025-11-20

個人的 使わん常用漢字

璽…玉璽

痘…種痘

丙…丙午

舷…右舷、左舷

嫡…嫡男

嗣…嗣子

諧…俳諧

楷…楷書

錮…禁錮

迭…更迭

憾…遺憾

頒…頒布

逓…逓減

瑠…瑠璃

璃…瑠璃

墾…開墾

陪…陪審員

遵…遵守

嘱…嘱託

拶…挨拶

挨…挨拶、それも相俟って

款…定款

沃…肥沃

阜…岐阜

憧…憧憬

憬…憧憬

悼…追悼

惰…怠惰、惰性

旺…旺盛

堆…堆肥

酎…焼酎

寡…寡占

個人的 使う常用外の漢字

2025-10-24

職場すげー静かなのに嘱託老人が突然

「あ れ ?」

とか言って響き渡るのほんときもい

気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い

嘱託老人早く引退して

2025-10-23

anond:20251023113534

お前なんだかんだ嘱託老人の事好きだよな

観察し過ぎや

2025-10-20

嘱託老人が騒ぐので私は退避……

2025-10-02

嘱託になったら年収10分の1になった

みんなも覚悟するべし

2025-09-11

anond:20250911090617

ハローワークキャリアコンサルタント嘱託職員なのか派遣なのか知らないけど、碌なのがいない。

まともなアドバイスできてなくて、全く相談にならない。

よくよく調べてみると、年齢高めで再就職が難しくてどうしようもなくてキャリアコンサルタント資格を取った奴が、

キャリアコンサルタントを名乗ってる。

ハロワ職員なら就職相談に乗ることは有ってもキャリアコンサルタントを名乗ることはないらしいので。


というわけで、ハロワ職員に「キャリアコンサルタント相談すれば」と言われたら、

匙を投げられたと思って間違いない。

幸運を祈る。

2025-09-04

近江一郎氏についての記述

1931年植民』より、「帆船南洋慰問の旅」という記事

五十噸の補助機関つき帆船海峡植民地から東インド約二ヶ年の予定で一周しようといふ企てがある――計画者は神戸市元町三丁目近江一郎氏でボルネオインドに久しく滞留、仏教研究して最近帰朝した岡本春岳師ほか二名の同志の力を得、海外在留民を慰問し、病没者の展墓弔霊燈台守の慰問をなし、併せてわづか五十噸の小舟で南洋を一周すること自体によって海事思想の普及に資し、寄港地では新聞以外に故国事情を知りたいと希望している人々のためには最近東京風景や観艦式などの活動写真を見せるとともに故国の発展ぶりや近情を講演し、商品見本やカタログなどを配って行き、簡単商品見本市を開き希望者には連絡の労もとり、各地にある日本人会の連絡をつけようといふのである。首唱者近江氏の厳父は日露戦役直後東京朝日新聞者がチャーターして満鮮巡遊団を企てた時のロセッタ丸の船長で、今年はその七周忌に当るので、亡父への供養の一端であると大した意気込みで、目下拓務省に補助の支出交渉であるが、それが纏まり次第四五月ごろには壮途につきたいと、近江氏は語る。

『明中教育十年』より、「明石中學校十年史」の1932年2月1日の項。

南洋調査団(鎖国丸)長拓務省嘱託近江一郎氏一行十名ノ為ニ市公会堂ニテ送別会開催ニツキ山内校長出席

直木由太郎編『家信 みとせのはるあき 上』より、1932年の「五月十六日 神戸より」。

近江一郎氏の鎮国丸は最近琉球沖で難破し、船員一名死にました。詳細不明

1934年宗教文化誌 法華』より、音馬実蔵「看雲雑記」。

主義者近江一郎君はまだ知らぬ人だが、其著「小舟を住家に南洋へ」は近来非常におもしろく感ふかく読んだ書物の一であるので一筆書いておく。

第一此書は君が鎮国丸という小船に乗じて南洋に向ふ途中、琉球近くの与論島に於て、船が暗礁に乗り上げ大破、九死に一生を得たこの死線突破体験を本として、其遭難顛末と共に南洋開拓に就て、かねて諸方面に就き自ら準備のために取調べた生きた心得の数々を教へ示さんとするもので、世に机上の空論は多くてもこの書の如く命をかけて出来た書物まこと稀有と云ふべきで、この点に心ひかれるものがあるのである

『楚人冠全集』より、1937年杉村楚人冠バルサ」という記事

逓信省船舶試験場で、近頃絶対に沈まない救命艇とかを作った。(中略)沈まない船といふのは、バルサを用材にして作ったとの事だから、何も今に始まった新案でも何でもない、現に私の友人がこれで救命艇を作って、特許を願ひ出た次第は、一昨年の十一月の「グラフ」に私が書いている。彼は特許が許されないので、気前よくその船を私に呉れて行ったので、私はこれを手賀沼に浮べて、時々漕いで出るのを楽しんで居る次第も、その時に書いた。この贈主の名を近江一郎といふ。朝日新聞社明治三十九年の夏満韓巡遊の船を仕立てて、日本で初めて新聞主催団体旅行を企てた時、その乗艦ロセッタ丸の船長だった林橘治君が、即ちこの近江君の実父であった。

1940年『斜めに見たる神戸一中』。

近江一郎の著書で、第一神戸中学校のおそらく1935〜1939年頃の同窓会報に掲載されたコラムを集めたものである。内容としては、神戸一中の卒業生がこんなにすごいことをやった、こういう面白いことをやった、といったもので、下記の「中村文夫(日本板硝子社長)」や「川西実三(埼玉長崎京都東京知事歴任)」なども登場する。卒業生には海軍関係者が多かったようで、特に奥田喜久司とは親しそうな書き方がされている。内容としては、笑いあり涙ありの平和ものだが、支那事変日中戦争)が始まったことや、誰それが戦死したというようなことが書かれていたりもする。近江一郎自身のことはあまり触れられていないが、母親名前が「朝子」ということ、娘がいて神戸野田高等女学校入学させたこと、第一次大戦の青島の戦いに従軍していたこと、などが書かれている。

1959年『新民』より、寺岡謹平「祖国の礎 特攻観音縁起について」という記事

昭和二十一から神戸の人近江一郎という老人がおりまして、南洋貿易をしておったのでありますが、戦争たけなわになりますと、日本航空隊では油がだんだんなくなる。潤滑油をなんとかして作ろうということで満州にわたって白樺から潤滑油を作る研究に目鼻がついた、ということを軍令部に進言致しました。そのときには戦争が終ってしまったので、戦争に敗けたのはわれわれ国民の協力が足りないため、ということを考えまして、なんとかして戦死した御霊をなぐさめたいということで、まず特攻隊の遺族を弔問しよう。御霊に参拝しようという念願を立て、二十一年二月から、全国、北は北海道、南は九州のはてから、ずっと単独で廻って歩いた。

(中略)

はじめのうちは簑笠にカーキ色の服を着た坊さんが現れると、これは押売りか物貰いだろうと思って、虐待された。いろいろ考えた末、各県の世話課に頼んで遺族の住所を調べ、予め紹介してもらって参りました。そこで今度は順序よく運んだ。行くと、先ず以て仏様の前にいってお経を読んで焼香をする。そして般若心経を半紙に書いたものを一枚奉納する。

これは神戸の友人で美田禾山翁という書家がおりまして、その人の仏心で般若心経を沢山書いてもらった。海軍特攻隊の遺族は、二五二五名おりますから、美田先生も老齢ではあるし、耐えられなくなった。そこで誰かに書いてくれということで、私も何百枚か依頼されましたが、電報で何枚どこそこに送れと、こういうふうにくる。

(中略)

そういうものお土産にもって廻って、六年間というもの休みなく廻りました。とうとうしまいには病気になりまして、二十七年一月二十一日に亡くなられた。その間に約一、九〇〇名の遺族を弔問しております。残ったのは東京東海北陸の一部で、東京都を最後に残したのは、終ったところでお上特攻隊の遺族の状況を奏上する、というのが狙いでございました。

吉川英治対話集』より、1959年の対談での吉川英治発言

近江一郎という無名の人がいるのです。軍に徴集されて、なにかのことで満州塾長をしたのです。開拓民の塾長じゃないかと思うのですが、終戦になってこっちに帰ってきて、さる人の紹介で、私が吉野村に疎開していたときに、杖をついて帰還者の服を着たままでやってきましたよ。そのころ、もう年齢は六十近かったでしょうか。

「いったい君はなにして歩いているんだ?」

「私は帰ってきて、たくさんの死んだ兵隊たちの家を一軒一軒歩いて、そうしてそこに年寄がいたら、年寄を慰め、仏壇があったらお線香の一本ずつもあげさせていただくのを生涯の念願にしている」「収入というものはどうしているんだ?」「収入はありません」「じゃ、どうして食べている?」「子どもが一人あって、女房神戸区役所人夫をしている」女人夫ですね。「子ども小学校に行っている。お父さんは好きなことをしていいと言うから、私はそれをやる」それから復員局で住所を調べましてね、全国を歩いていました。ほんとうに驚くべきものですよ。あるときその男と話をしまして、こういうふうに戦死者の家を歩いていると、ずいぶんひどいことを言われることがあるでしょうといったら、はじめてその男が炉辺でボロボロ涙を流しまして、このごろは復員局で言ってもらえるのでわかってきたけれども、いちばん最初九州、あのへんの山間を歩くんですね。なにしにきたとどなられる、弟を死なせたという兄貴がヤケ酒を飲んでいるところにぶつかって、「戦死したものの供養にきたと、それで死んだものが生きてかえるか」と上りかかったところを蹴落とされた。そんな目にも会いました。そういうふうにけとばされたり、つばをされたり、なぐられたりするたびに、「これは陛下の罪滅しになると思って私はしのんできました」というのです。

『あすへの話題』より、1965年中村文夫のコラム

近江一郎というのは私の中学時代のなつかしい同級の剣友であるが、五年の時、神戸一中を去って大阪天王寺中学に転校し、偶然にも、草鹿さん(註:草鹿龍之介)と同級となり、いずれ劣らぬ剣友同士の間柄だったのである

近江君と私は一年の時からの同級で、しかふたりは一時、剣道部の両雄として互いにしのぎを削った間柄で剣友として忘れられない一人だが、まことに気骨のたくましい一風変わった偉丈夫であった。それかあらぬか、一時は満州国に行って馬賊になったとまでうわさされたのであったが、敗戦となるや、彼は決然起って、あの戦争末期の花形として雄々しく散っていった海軍特攻隊の遺族を尋ねて全国行脚の壮挙を思い立ったのである

しかし何分にも当時世をあげて戦後の虚脱状態にあり、特別関係者以外はだれ一人としてこれを支援しようとする者はなかったが、彼は毅然として、すげがさ、負いずる姿のいでたちで、全く乞食坊主そのままの行脚を続け、全国にわたる戦没英霊実家を歴訪してその冥福と遺族の慰問精魂を打ち込んだのであった。

戦後の軍当局と連絡をとったものらしく、一地区ごとに行脚を終わると必ず大阪に私をたずねて来訪し、つぶさにその難行苦行の実情を物語ってその感想録と写真を見せてくれたものだが、ほんとうに涙なくしては聞くことも読むこともできなかった。当時在阪の草鹿さんともいっしょに、時々は三人で食事を共にして、近江君の労をねぎらい、かつ旅情を慰めたものであった。

1974年川西実三の『感銘録』より。

私の中学校の後輩で近江一郎という男がいて、父親船長だった関係もあり、南方の島の資源開発を思いたった。ここが素人の私にはわからないことだが、それには沈まない船をつくらなければならないというので、あちこち設計を頼んだり資金相談にきたりした。

この話を川西さん(註:川西清兵衛)が聞いて、近江君を助けてやろうということになったらしい。そして近江君の希望どおり不沈船が竣工して南方へ出発したと聞いた。ところが、どうしたわけか帰りがけに台湾沖で沈んでしまったという。なんともロマンチックな話だ。

2025-08-12

とある氷河期増田の半生

anond:20250811001013

※これは上記増田を読んで作った創作です。


1

1980年代前半に10万人ぐらいの都市に隣接した町で生まれた。

町立保育園/小学校中学校ときて、工業高校商業高校農業高校、そして普通科松竹梅みたいな選択肢の中、普通科の梅に進学した。

父親食品系仲卸問屋勤務で、母もそこでパートで働いていた。裕福な方ではないが、特に金で特別な苦労を強いられたことも無かったと思う。両親どちらも高卒就職していて、父親実家土地に建てた一軒家住まい

からか、大学に行くということは特に考えていなかった。だったら商業にいけば良かったのだが、はっきり言うと、学力が足りなかったのだ。

当時は手に職があるのが強いと言うことで、中の上ぐらいの学力が無いと商業高校には入れなかった。工業高校ヤンキーイメージが合って、根暗な俺には無理だったし、学校でもヤンキー共がそこにいくと言うから避けたいと言う、今思うとお前何考えているんだって理由で避けた。がんばれば商業高校にも入れたと思うが頑張るモチベもなくそのまま進学した。

2

時は就職氷河期のまっただ中だったが、父も母も比較的安定していたので「世の中不景気っていって大変だねえ」ぐらいで実感なんてあるはずもなかった。

しかし、卒業が近付いて進路という段階になって、先生が進学を特に勧めるようになって実感が出てきた。先生は誰もが厳しいと口にし、進学を勧めてきた。その中に専門学校もあった。

先輩が就職できなかったが、フリーターで楽しく働いている、それも悪くないよ、そんな話も聞こえてきたが、父の会社フリーターを使う立場でもあって、そのころになってフリーターだけは絶対にだめだと言われるようになっていた。

しか現実問題として就職が苦しいとなった頃で、Windowsインターネットがぽつぽつ使われ始める時代だった。それで、地元コンピュータ勉強できるビジネス専門学校への進学を決めた。決めた上で、高校生活の残りは部活にのめり込んだ。

専門学校名前さえ書いて入学金を振り込めば自動合格するような所だった。

3

専門学校では、同級生の半分以上が年上だったりだぶっていたりとするような人々だった。上は40歳ぐらいもいたと思う。ここでだ。本格的に社会不景気を実感したのは。

ここで危機感を覚えて本格的に勉強を始める事になる。父に頼んでエプソンパソコンを家でも買ってもらい、勉強して、当時ギリギリ「二種」から基本情報」へと名前を変えた基本情報技術者試験に合格した。学生時代では最も必死勉強したと思う。その他にもCCNAなどの取れる資格はみんなとった。資格数としては学年トップだったはず。その上で、来ていた求人でいくつか会社を回った。その中で、工場生産システムを専門に運用して面倒を見る部署から来ていた求人があり、一番沢山パソコンを触れそうと言う理由で決めた。

4

当時この生産システム通称ホスト」と言われてていて、汎用機コボルで書かれたレガシーシステムであった。これを面倒見るために一から勉強して日常ジョブ投入とかは問題なく面倒が見られるようになりつつも、伝票類の物理的な運搬とか、時には入力ヘルプに入るなど、総務と経理小間使い的な仕事をこなしていた。

入社翌年、ホストからオープン系にリプレイスするという話が来た。

当時、ITバブルが始まってきて、オープン化という事が中小企業営業にも言われ雨量になってきた。それと同時にホスト保守費用の値上げが来て、あたらしいもの好きの社長オープンシステムへのリプレイス決断オープン系(と言ってもUnixi系)にシステムを載せ替えた。

これが相当なデスマではあったが、今になって思うと元々のシステムを作った古老がまだ嘱託仕事をしていた時期でもあり、最後タイミングだったであろうと思う。結局リース契約は1回更新する事にはなったが。ここで基礎スキルを身につけることになる。今に至るまで製造業生産ERPを専門として、扱うパッケージは何度も変わっているが、それで喰っている。

5

さて、実はオープン系にするというプロジェクトにはもう一つ、係員にしか知らされていない理由があって、それは海外への生産移転対応できるようにすることであった。

売上の8割以上を依存している大手企業が、海外工場移転するに当たって、現地に団地を作るので下請けも一括して来い、と言う話があったのである。それが大々的に発表されたのは、システムが上手く稼働できなくて必死になっていた頃であった。稼働を始めた頃には中国工場が稼働を開始し、集中ケア期間を終えて安定稼働に移る頃には工員が中国に多数出張にでて技術を教えている段階だった。

生産ライン移転され、パート従業員派遣社員派遣切り。そんなことをやっている頃に、リーマンショックが来た。

6

システムの面倒を見ていると、会計情報や売上の情報なども入ってくるので自然と知ってしまう訳だが、会社の実情はそれほど急激に悪化はしなかった。だが、リーマンショックに乗じてついに国内ラインの大規模閉鎖とそれに伴う工場閉鎖、従業員解雇が発表された。正直バブル崩壊トラウマてきな反応だと思う。

その対象自分は直截入っていなかったが、その頃、システム更新担当した会社の方から転籍の打診があった。会社同意の上で、より良い給料提示するから転籍しないかというのであるホストオープン系に乗せ替えるという経験を、ユーザ側でした経験をかうと。

それまでの会社は、IT系はバックオフィス系の事務員賃金であり、30手前で手取り20万円いかなかった。基本的残業禁止で、サビ残がある割には稼げないという環境

現場は月20時間残業が前提になっている給与で、それと基本的賃金テーブルが同じなため、残業が無い分だけ低賃金になってしまうと言う構造的な問題があった。

それでも実家暮らしだったので暮らせていたし、周りの環境もそうだったし、何より専門卒の同級生の中では比較的まともな感じだったのでこんなもんかな、と思っていた。

が、その転籍企業提示した待遇は月額40万円というもので、近隣の大都市オフィス勤務となるがかなり待遇が上がる。その他にも福利厚生が付いてくると言う事も魅力的で、一人暮らしもしてみたかった俺は、転籍をすることにした。

ところが、1ヶ月の有休消化期間と退職手続きをして転職先に手続きにいったら、内容は正社員じゃなくて契約、偽造請負であった。

7

かに月額40万円だったが、年俸で500万という意味であった。厚生年金は入れないので国民年金国民健保。報酬からはしっかりと席料2万円が引かれ続け、パソコンなども指定のものを時前で買わされた。とはいえ、前職よりは100万程度手取りは増えたのでこんなものかなと思ったし、やる事やってもらえれば大丈夫から、元の会社仕事を中心に降るし、と言われてはあそうですかと受け入れた。というかそれ以外に選択肢がなかった。

ただ、システム知識はかなりあったし、ユーザー側ではなく開発側の資料自由アクセスできるのは純粋に楽しく、サビ残をする為にこそこそする必要も無くなった。当時は自由に働ける新しい働き方みたいな事を真に受けていたので。

8

転機になったのは東日本大震災の時である仕事が飛んだ。結果、その間の報酬が飛んだ。どんぶり人月契約すると言う動きだったので、東日本大震災プロジェクトが止まった間、無報酬になってしまったのである

当然失業保険の手当などもでない。周りの似たような仕事をしている社員は出ているのに、出ない。教育を任されていた後輩…といってもプロパー社員も出ているのに、出ない。

これを転機に、転職活動をして、別の会社正社員で雇われたいと思うようになった。

9

しかし、全くだめだった。転職サイトに登録しても専門卒では全然応募しても駄目で、専門卒でも許容しているのはSESの様な会社ばかり。面接に進んでも今と同じかそれ以下の待遇こちらのスキルなんか全くみてないようなものばかり。東日本大震災による契約停止は1.5ヶ月ほどで済んで、その後プロジェクトが再開されたため仕事も戻ったこともあって切実度が下がったが、それでも続けていた。

さらに、そもそも大卒でないと検索しても表示すらされないと言う話すら聞いて、そこからサイバー大学入学した。

10

ただ、結局大卒資格を取る前に、正社員登用された。契約している会社元請けから内部監査がかかって、触法する可能性のある偽造請負是正すると言う話が出たためである

月給は手取り20万ちょいに下がったが、人生で初めてボーナスが出る待遇となり、手取年収はほぼ同じとなった。その上で、厚生年金に復帰し、さらIT関係の健保など福利厚生が使える様になった。ここで、ここまで身分によって待遇が違うのかと言う事を実感した。

とはいえ、やる仕事過去と変わるわけでも無い。

11

実は今、最初会社に戻っている。理由簡単で、父親コロナ禍で倒れて後遺症が残り、地元に戻らなければならなくなったためである。元の会社生産システムを強化していて、の後も繋がりはあったので、その伝手で戻る事になった。

年収はほぼ変わらずに入社できたのは幸運だったが、定期昇給はなくなり、ボーナスも定期的には出ない待遇になったが、こればかりは仕方が無いと諦めている。

2025-07-16

療育手帳ほしいけど「子どもの頃の記録がない」で詰んでる

増田は、20代精神科の診察室に座っていた。これまで自分他人と同じように生きていないこと、周囲とどこか違うと感じ続けてきたことは、もう誰にも説明できないほどの負担となっていた。やっとの思いで精神科を訪れ、知能検査を受け、軽度知的障害の診断を受けた瞬間、私は一瞬の静けさを感じた。診断結果を受け入れるまでに少しの時間必要だったが、次第に納得が湧いてきた。「なるほど、私はずっとこうだったんだ」と、自分の中で何かがつながったような感覚に包まれた。その瞬間、ふとした希望も感じた。「これで療育手帳が取れたら、障害者雇用やいろんな福祉支援サービスが受けられるかもしれない」と、わずかながらの期待が胸に湧き上がった。自分が今まで経験してきた苦しみや不安が、少しでも軽くなるかもしれない、そんな思いが増田を包んだ。

しかし、その期待はすぐに打ち砕かれることになる。

増田療育手帳申請を行い、知的障害者更生所で再度知能検査を受けた。その結果、精神科での診断と同様に軽度知的障害とされる数値が出た。しかし、それでも結果は「非該当」となった。理由は「18歳以下で知的障害状態だったことを証明する資料が不足している」というものだった。私はその理由愕然とし、困惑した。過去自分証明する手段ほとんどなく、結果的にそれが障害者としての支援を受けるための唯一の鍵だと思っていたのに、最初申請却下されてしまった。

増田は諦めきれず、資料集めに月日を費やした。

過去の知能検査結果について、病院に行ったことはないため通っていた学校支援者が問い合わせると知能検査は行われていたが5年で廃棄処分していると言われ、入手することはできなかった。他には、テストの結果や成績表、担任証言書を集め、再度申請することを決意した。これでなんとかなる、そう信じていた。

申請受理され、知的障害者更生所で再度話し合いが開かれた。支援者も同行し、増田自分過去証明するために、何度も何度も訴えた。

「私は、子供の頃に診断を受けなかっただけで、今でも支援必要だと感じているんです。過去の成績や担任証言で、私がどれほど苦しんでいるか分かってほしいんです」

増田は何度も言葉にしようとしたが、結局うまく伝えることができなかった。コミュニケーションが苦手で、他人自分気持ちをどう伝えるべきかが分からない。増田言葉を選び、伝えようとするその過程は、いつも思うようにいかない。判定職員には、私の苦しみがどれだけ深いものであるか、どれだけ長い間その苦しみに耐えてきたのかは、うまく伝わらなかった。

支援者は、増田がこれまでどれだけ真剣証拠を集め、過去の困難に立ち向かってきたのかを理解し、判定職員にそれを伝えようと尽力した。しかし、何度も話し合いをしても、その答えは変わらなかった。

証明が足りません」「18歳以下の証拠がありません」「過去の成績や担任証言だけでは、交付することはできません」

その言葉が、再び私の心を冷たく締め付けた。必死に集めた証拠証言が、すべて無駄に終わった。再申請しても、結果は同じだった。増田はその現実愕然とし、次第に、自分がどれだけ過去証明しようとしても、全てが無駄なことだと感じ始めた。証拠が足りないという一言で、過去のすべてが無視され、再び壁にぶつかっているような気がした。

増田は、この世界において自分の声が何も届かないと感じていた。過去証明する手段が限られていて、いくら努力しても結果に繋がらない現実、どんなに訴えても理解されないという事実に直面し、深い絶望に陥った。自分気持ち他人にうまく伝えることができない。これまでの人生でずっとそうだった。学校でも、職場でも、自分の思いをうまく言葉にできず、苦しんできた。支援者にさえ、心の奥底にある本当の苦しみや切実な願いを伝えることができなかった。たとえうまく伝わったとしても、その後何も変わらなければ意味がない。私の中で、無力感が膨れ上がっていった。

「どうして、こんなにも分かってもらえないんだろう…」

過去証明する手段が限られていて、結局それが自分を助けるための唯一の鍵だと思っていたのに、それすらも認めてもらえない現実に、増田は深く絶望していた。自分子供の頃は助けを求めることさえできなかった。大人になった今、勇気を出して助けを求めても、誰も相手にしてくれない。耐えられなくなった。

話し合いが終わり、再び私と支援者は帰路についた。途中、私は無言で歩いていた。支援者が少し間を置いて、静かに口を開いた。

増田さん、もうこれ以上頑張っても、無駄だってこと、分かってるでしょ?」

私はうつむきながら歩き続けた。支援者は少し間を置いて、さらに言った。

いくら証拠集めて頑張ったって、あっち側の決まりがあるんだから、どうにもならないんだよ。この現実を受け入れるしかない。あなたがどうしたって、この社会理不尽だらけでできている。このことを受け入れなきゃ、あなたはこれから働くことも、生きていくこともできない。」

私はその言葉を耳にしながら、心の中で反発していた。どうしても受け入れたくなかった。けれど、支援者の言葉が、どこか冷たく現実を突きつけてくるのを感じていた。

納得するしかない。唯一の味方だと信じるしかなかった支援から何度も繰り返される説得に、次第に身体が重くなっていくのを感じる。

「受け入れるしかない…」

その言葉が、増田の頭の中で何度も響く。これまでの人生を振り返ると、どれだけ努力してきても、結局は何も変わらなかった。学校職場も、適応できなかった。自分が他の人と同じように生活することなんて、どうしてもできなかった。

療育手帳があれば…」

福祉支援を受けられれば、少しでも楽になれると思っていた。けれど、その希望も絶たれた。自分がどれだけ証拠を集め、努力しても、結局は非該当のままだ。どうしてこんなに頑張ったのに、何も変わらないのだろう。

歩きながら、増田は心の中で叫んでいた。自分の声がどこかに届いてほしい。誰かに理解してほしい。でも、どんなに叫んでも、届くはずもないということを、もう増田は知っていた。

やがて自分実家が見えてくる。家に帰るたびに感じる、親の無関心が、彼の心に重くのしかかる。

増田自分の部屋に戻ると、ドアを静かに閉めた。

自分の悩みや障害のことを話そうとするたびに、面倒な顔をして避けるような態度をとる。どんなに傷ついても、親にはその気持ちを伝えることはできない。

知的障害者更生所の職員が「担任教師から聞き取り調査を行ったところ当時あなたの様子から親に養護学校を勧めたと言っていた。でも、養護学校を勧められた程度では療育手帳を取得できる根拠にはならない」と話していた。増田はそのことを当時親からいたことはなかった。長年隠されて、なかったことにされていたのだ。さら知的障害者更生所の嘱託医は「子供の頃に検査してるか、実際に養護学校に行ってないとダメだよ」と主張する。

病院主治医相談しても「療育手帳は県が決めることだからこちらはどうしようもできない。」という考えで、深く関わろうとしない。

「どうして…」

私は床に座り込み、ただぼんやり天井を見つめていた。支援者が言っていた「受け入れるしかない」「あなたは運がなかったね」という言葉が、どんどん増田を圧しつける。受け入れることなんてできるはずがない。受け入れて生きることなんて、考えられない。

「このまま、ずっとこんな人生が続くんだろうか。」

心の中でその問いが繰り返される。周囲と適応できず、苦しみながら生きてきた自分を、誰も理解してくれなかった。過去は変わらない。障害があることも変わらない。療育手帳を取って、少しでも支援を受けることで、この人生が変わることを期待したけれど、その望みすら叶わない。

私はその道のりを自分人生のものとして感じていた。どれだけ頑張っても報われることはない。過去の出せる資料は限られているし、結局は認められないという現実

そして、私はその夜、自分の中でひとつ決断を下した。絶えることのない無力感療育手帳を手に入れることができなかった希望に対する苦しみが、増田を追い詰めていった。

その後、増田は静かに命を絶った。

誰にも告げず、何も言わず、ただひっそりと。増田人生は、その静かな死によって終わりを迎えた。

2025-06-06

anond:20250606235406

60で再雇用嘱託になったら給料がっつり減っちゃうけど、それでも良いなら

2025-06-03

やっぱ独り言多いわ鼻啜るわ咀嚼音うるさいわ気に食わないことにはすぐキレるわ、そんなじいさん気持ち悪いと思っても仕方ないよね

相手が悪いんだろうけど周りに無関係な人がいるところで電話で怒鳴らないでくれ、相手と二人きりでやってくれ、怒鳴り声を聞かなきゃいけないこっちの身にもなってくれ

耐えられない時は席を外してロッカールームかに避難するけど、その間私の仕事は進まずにストップするんだよ、月初忙しいんだよ

しかも朝6時45分に出勤して夜8時半以降に退勤するから、勤務時間ズラして避けるのも不可能だった

その上責任感があるから若い社員問題に巻き込まれてると俺が解決してあげなきゃって途中から首を突っ込むものの、頑固かつ理解力あんまりから質問しまくるし全てを理解しないと気が済まない性格なので、問題のものプラスじいさんへの説明さら時間がかかる

そして管理職の中では『またこのじいさんキレ散らかしてるわ〜〜〜』って多分舐められてるからじいさんの話ほとんど通ってない

俺は真面目な若い社員の味方だ、嫌われ役は俺が引受けるから、って顔してるけど私はじいさんのことが無理、だってじいさんへ何か話しても解決には全然至らないし無駄時間が溶けていくだけだから

まりにもキツくて耐えられない時は髪で隠してこっそりノイキャンイヤホン付けてたけど電話鳴った時とか話しかけられた時とか困るし、本当に早く引退してほしい

嘱託管理職のじいさん

本当に無理

2025-05-06

anond:20250506103919

リンク先見たけど、一地方法務局OKって言ってるだけだよね?その職員専門家レベルで測量内容を説明できる、という留保付きで。

こういうのは最低でも、所管である法務省本体が「差支えない」旨の通知とか出さないと、全国的にその取扱いが通じていると言えないのでは。

あなたもご存じかと思うが、行政職員資格持ちの人は極めて少数。大抵は一般事務で入庁した、土木を学んだ経験がない人達なんだから

※大きい自治体だと土木通暁した人が用地の部署にいると思われる

参考までに、リンク先の他ページに

Q2.地積測量図の作成者欄に,嘱託官公署の職員は記名押印してはいけないのですか?

というのもあった。昭和61年法務省通知だけど、「その図面に表示された土地について実際に調査,測量した者(官公署等の職員であると,私人であるとを問わない。)が作製者として署名押印すべきである。」とある

なにも意地悪で絶対だめだと言ってるんじゃない。ぶっちゃけ道路作る事業だったら、(仮に違法であっても)測量士登記用の地積測量図を作ってもいいと思うよ。それで道路できて生活が便利になるんだったら、それでいいじゃん。

ただ、法的な建付けと、実際の状況が違うのが気になっただけ。

2025-04-24

氷河期悲惨な話

割と好きなんでみなさんの経験を教えてほしい。

大卒後、ずっと非正規雇用とか、

公務員嘱託(2年満期)とかを繰り返しているなど。

私の周りでは医学部でて医師免許取って留学したけど就職できない人(研究希望のため)がいた。

2025-04-20

団塊ジュニア貧乏くじ引いてばかりの世代

まれからずっと不遇なのは団塊ジュニアだよ。71〜74年生まれ


71〜74年生まれは各年で200万人超えていた。今年の出生数は72万人だから3倍近い人数だ。

人数が多いということは「受験過酷」ということ。

早慶でも倍率10倍当たり前。20倍の大学もあった。

浪人当たり前。予備校大繁盛。

また上の世代が「夜の校舎窓ガラス壊して回った」り「盗んだバイクで走り出す」アホが多かったせいで日教組教師ヤクザ化しており超管理教育

過酷受験を考えると内申点悪くしたくないので、暴力教師にもおとなしく従う教育を強いられ、以降理不尽にも声を上げられない体質になる。

就職氷河期自体は長かったが正直80年前後に生まれた奴らには「あんたら受験はまだマシだったろ」と言いたい。ヒロスエ早稲田入れたくらいなんだし。


そうやって耐えて耐えて競争に勝ち抜いてようやく難関大学に入りました。これから大手企業での高給ライフが待ってます、と思うだろ?

就活時には軒並み採用減。

関大でも中小企業すら「今年は採用しません」

まだバブルの最終駆け込み就職できた高卒の方が良い会社に行けたよ、という無常感。

大量採用する会社は大量早期離職するブラック企業しかなく、入ったら入ったで何ランクも下の大卒の先輩に「お前〇〇大出ててなんでこんなとこ入ったの?」とか聞かれる始末。


転職繰り返してなんとかまともな大手にたどり着いたけど、いつまで経っても収入増えないのよ。

昇進もバブル大量採用時代の「上が詰まってる」から上げてもらえず。

で50になったら今度は「若手にチャンスを!」だってさ。笑うしかないわ。


大学時代彼女結婚したけど、妻は出産と同時に退職した。今みたいに母親子供育てながら仕事なんて無理無理、苦労して就職しても辞めるのが常識みたいな風潮だった。

会社住宅補助等の福利厚生は軒並み廃止ボーナスはなくて当たり前。郊外に家買っても1馬力からローン地獄

今は子供医療費15歳まで無料だって?俺ら子供が熱出す度に金普通に払ってたよ。

給食学費高校まで無料だって?うちの子もう大学生なんだけど。貯金なんかなくなったよ。

子供奨学金大学行っているので、20歳やそこらで借金背負わせて申し訳ないと思ってる。


この先、年金は70まで貰えないとか、人手不足から超安月給で70まで嘱託で働けとか、老人も医療費もっと負担しろとか、絶対なるよね。

そうなる未来が見えてるわ。


死ぬまで上世代と下世代にいいように扱われる、それが団塊ジュニアだよ。

2025-03-24

同僚女のフキハラが始まって3週間が経過した

弊課終わってて最年少の女(31)が唯一の社員で、あとはミドサー、アラフォーアラフィフアラカン非正規嘱託老人数人で回ってる

その唯一の社員の女が3週間前からずっと不機嫌

きっかけは非正規押し付け仕事炎上して社員に戻されたか

フキハラの内容はこうだ

挨拶さな

返事しない

課内の誰とも喋らない、

強めのタイピングで不機嫌をアピール

ため息連発

無言で離席、1時間近くサボってから戻ってくる

他の課の人間上司には媚を売るように話しまくる

誰よりも早く帰る

必要な連絡しても無視稟議さえ通らない

弊課終わり過ぎてて、上司だけ毎日在宅で

この地獄感を誰も理解してくれず

報連相をする相手がいないので問題放置

社員のくせに取り繕うのもできねぇのかよ

そもそも非正規より倍近い年収なんだから仕事押し付けんなよ

とか色々思うことはあるけど

機嫌良いと良いでうるさくて不快なのでこのまま静かにしててもらいたい気持ちもある

転職したいな〜

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