はてなキーワード: 言い逃れとは
蕎麦の食べ方として最も美味しいのは釜揚げ蕎麦だと最近実感している。
釜揚げ蕎麦は出雲などで食されているが、私は別に出雲出身でもなければ出雲に親戚筋がいる訳でもない。
ただ単に自分で色々な食べ方を比較してみた結果、やはり釜揚げ蕎麦が最高に美味しいのである。
釜揚げ蕎麦の作り方は極めて簡単だ。乾麺か生麺の蕎麦を鍋で茹で、それを(ザルに落として冷水で洗ったりはせずに)そのまま茹で汁ごと丼に入れ、そこに薬味の刻みネギと麺つゆを直接投入して食するのである。インスタントラーメン並みに簡単に調理できる上に、もり蕎麦、ざる蕎麦、かけ蕎麦などよりも蕎麦の香りと味わいが実感できて最高に美味しい。
ところが、実際に自分で釜揚げ蕎麦を作ろうと思うと、様々な精神的攻撃が発生する。
まず、茹で上がった蕎麦をトングで挟んで丼に入れ、その次に茹で汁を丼に注いでいると
「おいおい、蕎麦は茹でたらザルにあげて冷水で締めるんだよ。そんなことも知らないのか?この馬鹿が。野蛮人かよ?w」
「釜揚げ蕎麦?そんなものはねえよ!釜揚げうどんはあるけれど釜揚げ蕎麦なんてねえよw馬鹿かお前w」
と俺を罵倒してくる。
こういう馬鹿は無視して茹で上がった蕎麦と茹で汁を丼に入れて食卓に運び、そこに薬味の刻みネギと麺つゆを投入しようとすると、今度は別の奴が現れる。
「何やってんのあんた、釜揚げっていうのはね、別の小さな器に温かいつゆを用意して、薬味もそこに入れて、釜揚げした麺をそれにつけて食べるの。あんた馬鹿?」
そこで俺はこう言う
「いや、それは『釜揚げうどんの』食べ方だろ?釜揚げ蕎麦の場合は、麺つゆと薬味は釜揚げの蕎麦の上に直接投入するんだよ。何故だか分かるかい?蕎麦の茹で汁は『蕎麦湯』といって飲む習慣があるが、うどんの茹で汁、いわば『うどん湯』を飲む習慣はない。だから釜揚げうどんではわざわざ別につゆを用意するが、蕎麦湯をに飲む蕎麦文化では、直接つゆを入れていいんだよ」
すると奴は言う
「なーに言ってんのよ、アンタはただ茹でた蕎麦を冷水で冷やしたりするのが面倒くさいだけなんでしょ?ズボラなだけなのに分かったような理屈で言い逃れしてんじゃないわよこのバーカ」
このような罵声に耐えつつ、やっと釜揚げ蕎麦を食べる。美味い。なんと美味いのだ。実在しない暴言で傷つけられた心を癒すように優しい味が口の中に広がって行く。
こういう精神的問題を過去にネット上で精神科医に相談してみたことがあったが、これらが自らの空想、想像であることを自覚できている時点で統合失調症でも解離性障害でもないとの回答を得た。
コープみらいの尿配送事案だけど、生協側の説明ではまとめ記事の写真の状態になるのは考えにくく、納得感がない。
自分の印象としては、故意に行った証拠がないので言い逃れをしているように感じた。
直ちに調査を行った結果、配送委託先の従業員が配送業務中に、車両荷台内において生理現象(尿意)を催し、荷台内にあった廃棄予定の配送器材(発泡スチロール容器)に排尿した事実を確認いたしました。蓋をして荷台の床に置きましたが、その後足下のスペースがなくなり、被害のあった組合員様の配送器材の上に載せてしまいました。当該の器材には穴が開いて破損があったため、漏れ出した尿が下段にあった組合員様へお届けする配送器材に移り、内部の冷蔵商品を汚損させた状態で配達が行われました。
https://mirai.coopnet.or.jp/info/2026/05/082280.html
【閲覧注意】生協で注文し届いた品物の袋に謎の黄色い液体が...配送員、変質者のいたずらや動物を疑う声もある中、警察へ通報したら「本当に何でそんなことしたのか」
学術の領域では、分析の作法に対してかなり厳密なことが決まっているが、企業内の意思決定に関わる分析実務では(会計などの特定分野を除き)基本的にルールがない。コンサルの分析が怪しいのはそこである。
彼らに課題が与えられると、該当企業の売上データや業界全体に関わる公開データから、魔法のように美しいデータを出してくる。その美しさは彼らが提案するストーリーに沿っているという意味での美しさである。だが、そこでの分析過程においてどのような加工が行われたのかはあまり問題とされない。よくネタにされる、グラフの描き方による誘導などではなくて、データの恣意的な選別やミスリーディングな指標の作成、比較対象の恣意的な設定など、結果自体が操作されていると思った方がいい。多少恣意的なことをしてでも「きれいなデータ」を出すことで、コンサル側の管理者やクライアント側の担当者も両方喜ぶ。
コンサルは理系の院出身者が多いと思うが、その時に学んだ研究倫理が彼らの頭の片隅にあるが、その経験は、分析の恣意性みたいなところの指摘を受けた際に、それっぽい言い訳や言い逃れをする際のテクニックとして使われているのが実態だと思う。
逆に言えばだが、学生時代に研究室でどれだけ実験を繰り返しても綺麗なデータが出なかった人でも、コンサルになってしまえば、口やかましい研究倫理に縛られることなく「自由に」結果を操作できるのでとても楽しいのではないかと思う。
チック・リット(英語: chick lit)は大衆小説のジャンルで、「個々の主人公の試練と苦難に焦点を当てた、ヒロイン中心の物語で構成されている」もののことを指す[1]。このジャンルは多くの場合、現代における「女性らしさ」の問題(恋愛関係や女性の友情、職場での問題など)をユーモラスで軽快な方法で取り扱っている[2]。
このジャンルが始まった当初、チック・リットの主人公は「独身、白人、異性愛者、イギリス人かアメリカ人の女性、20代後半から30代前半、大都市圏在住」である傾向が高かった[1]。このジャンルは1990年代後半に人気が出てきて、チック・リットの小説がベストセラーとなったり、チック・リットに特化した出版社ができたりした[3]。チック・リットの批評家の間では、チック・リットのジャンルの始まりはイギリスの作家キャサリン・アリオットのThe Old Girl Network(1994年)であり、チック・リットの「原典」として広く知られているヘレン・フィールディングの『ブリジット・ジョーンズの日記』(1996年)は、これにインスピレーションを受けたものであるということで合意している[4]。
"chick"は英語で「雛鳥」を意味し、転じてアメリカのスラングで「若い女性」を意味する。"lit"は"literature"(文学)の短縮形である。チック・リットの研究者は、この用語の初出は、1995年のクリス・マッツァ(英語版)とジェフリー・デシェルが編集したアンソロジーChick Lit: Postfeminist Fictionであるとしている。これは、マッツァとデシェルの「ポスト・フェミニストの作品を」という呼びかけに応えた22の短編小説を収録したものである[5]。1990年代半ばには、女性作家が女性読者のために書いたフィクションを指す言葉として、様々なメディアでこの言葉が使われるようになった。
この用語を、この用語が生まれる以前の同様の女性向け作品についても適用して、"chick lit in corsets"(コルセットを着たチック・リット)と呼ぶことがある[6]。また、このジャンルの要素と青春物語を組み合わせた、若い読者向けのチック・リットのことを"chick lit jr."(チック・リット・ジュニア)という[6]。
論争
チック・リットは、読者の間では非常に人気となったが、批評家の大半はこのジャンルを支持しなかった。『ニューヨーク・タイムズ』紙の書評において、アレックス・クジンスキー(英語版)はフィールディングの小説を特に非難し、「ブリジットは男に狂わされた無力感に浸っている哀れな姿であり、彼女の愚かさは言い逃れできない」と書いた[7]。作家のドリス・レッシングはこのジャンルを「すぐに忘れられてしまう」とし、ベリル・ベインブリッジ(英語版)は「泡のようなもの」(a froth sort of thing)と呼んだ[8]。編集者エリザベス・メリック(英語版)は、2005年にアンソロジーThis Is Not Chick Lit(これはチック・リットではない)を出版した[9]。メリックはこの本の紹介文の中で「チック・リットのお決まりのパターンは我々の感覚を麻痺させる」と主張した[9]。編集者ローレン・バラッツ=ログステッドは、メリックの本に対抗して2006年にThis Is Chick Lit(これがチック・リットだ)[10]を出版し、このプロジェクトは「怒りから生まれたものである」と述べた[10]。
このジャンルの作家たちは、その弁護に乗り出した。チック・リット作家のジェニー・コルガン(英語版)は、すぐさまレッシングとベインブリッジに反撃した[11]。『グッド・イン・ベッド(英語版)』(2001年)や『イン・ハー・シューズ(英語版)』(2002年)など数多くのチック・リット小説を著したジェニファー・ウェイナー(英語版)は、常にチック・リットを擁護した[12]。『スレート』誌2013年5月22日号では、『ウーマン・アップステアーズ(英語版)』(2013年)の著者である小説家クレア・メスード(英語版)が、女性の小説と主人公の好感度について語ったコメントに対する、ウェイナーの記事を掲載した[13]。ウェイナーはその記事の中で、商業小説、特に女性の商業小説に存在する偏見に疑問を投げかけた。ウェイナーは、『ニューヨーク・タイムズ』紙に"The Snobs and Me"を執筆するなど、チック・リットに対する人々の認識に挑戦し続けている[14]。この記事では、自分の作品を軽視する文化的風土の中で、自分の作品を信じようとする彼女の個人的な葛藤が綴られている[15]。
ダイアン・シップリー[16]などの他の作家もこのジャンルを擁護している。特に、フェミニストのグロリア・スタイネムがウェイナーの意見に共鳴し、女性の文学に対する偏見に注目しながら、自分たちがこの言葉を使っていること、そしてこの言葉が女性や女性の小説について何を語っているのかを問うよう人々に求めた[17]。
その後の状況
出版社がこのジャンルをプッシュし続けているのは、売上が高い状態が続いているからである。作品の市場性を高めようとして、この用語の様々な派生語が造語されてきた。
『リファインリー29(英語版)』のライター、ローレン・ルヴァイン(Lauren Le Vine)は、2016年3月に"The Chick-Lit Books That Won't Destroy The Feminist Inside You"(あなたの中のフェミニストを破壊しないチック・リット本)と題して、女性が女性のために書いた8冊の本を紹介した[18]。ルヴァインは、女性を題材にした小説の文学的伝統には、時に、買い物に夢中になって夫とはぐれた女性が夫を探すという物語が含まれており、このような本はフェミニストの価値観と矛盾しているということを認識している。しかし、ルヴァインはヘレン・フィールディングの1996年の小説『ブリジット・ジョーンズの日記』を紹介する際に、「一人の女性が個人的な満足感(それは彼女にとって愛、キャリアの成功、身体の受容を意味する)を見つけようとすることにのみ焦点を当てた本であり、それはフェミニズム(どの波に乗っても)とは何かということである」と書いている[18]。
『パブリッシャーズ・ウィークリー』誌の編集者であるサラ・ネルソン(英語版)は、2008年に、チック・リットというジャンルの中で考えられるものの定義が、より完成度が高く、「成長した」ものになってきていると示唆している[19]。
2000年、『シドニー・モーニング・ヘラルド』は、女性読者を対象とした小説の新しいトレンドについて、次のように述べた。「ポスト・トーリー、ポスト・グランジの軽やかさの精神が、雑誌を読む女性やテレビを見る女性たちの間に広まっていった。この小説は、『チック小説』(chick fiction)または"chicfic"いう『出版現象』の誕生であり、主題、パッケージ、マーケティングによってすべてが統一されている。キャンディ・ブライトで、ピンクと蛍光色の重い表紙、『キャンディ・ブライト』なタイトルにより、簡単に消化しやすく、良い笑いを提供することをほのめかしている。そのような本は、雑誌の記事、小説や小説化されたもの、テレビと、自宅で一晩で消化できる快適な食べ物のハイブリッドとして市場に位置づけられている[20]。」
チック・リットは一般的に女性が主人公であり、プロットの中でその女性らしさが重要なテーマとなっている。ほとんどの場合で現代世界を舞台としているが、歴史上の時代を舞台とした作品もある。扱われている問題は、しばしば消費主義よりも深刻なものである。例えば、マリアン・キーズ(英語版)の『子持ちクレアの逆転勝利』(Watermelon)は、現代世界で母親であることに悩む主人公を描いている。宗教的なチック・リットの市場も成長している。他のタイプの大衆小説と同様に、著者や出版社は多くのニッチ市場をターゲットにしている[3]。主人公の民族、年齢、社会的地位、配偶者の地位、キャリア、宗教などは様々である。goodreadsでは、チック・リットは恋愛小説のサブジャンルとしては扱われていない。それは、チック・リットは、プロットに恋愛の要素が含まれていることもあるが、恋愛関係と同じくらいにヒロインの家族や友人との関係が重要であることが多いからである[21]。チック・リットのやや厳しいジャンルルールにより、チック・リットの作家が異なるジャンルに進出するのは難しくなっているが、チック・リットは歴史小説に結びつくこともできる。
女性作家の中には、自分の作品が「チック・リット」というレッテルを貼られるのを避けるために行動している人もいる。例えば、『ガーディアン』紙の2010年の記事によれば、ユーモア作家のD・J・コンネルは、自身の作品がチック・リットとされるのを避けるために、ペンネームを「ダイアン」から「D・J」というイニシャル表記に変更した[22]。コンネルは、女性名でユーモアを書くことは、自身の作品を危険にさらすことになり、チック・リットのレッテルが貼られた場合、その作品は真剣に受け取られないだろうと言った。別の例では、作家のルース・ギリガン(英語版)は、自身の作品がチック・リットとみなされることで、どのように一般の人々、エージェント、出版社から軽蔑されたかについて書いている[23]。ギリガンは、大学のキャンパスでの性的暴行についての小説で新しいスタイルを試したが、出版社は明るい花のような表紙を提示し、ギリガンはこれを失礼だと感じた。
J.L. オースティンは、従来の哲学者が陥っていた「言葉の役割は事実を記述すること(真偽を判定すること)だけである」という「記述的誤謬」を批判し、言葉が世界に働きかける「行為」としての側面を明らかにしました。
・事実確認的発話: 事態を記述し、報告し、事実を述べる発話。真か偽のいずれかとして判定されます。
・遂行的発話: 何かを行うこと自体が、その言葉を述べること、あるいはその一部となっている発話。これは「記述」ではないため、真偽を問うことはできません。
遂行的発話の例:
・賭けの際の「明日は雨が降ることに100円賭ける」
これらの例では、言葉を発することによって「結婚」「命名」「譲渡」「賭け」という行為が成立しており、単に自分がそうしていることを報告しているわけではありません。
遂行的発話は「真偽」では判定できませんが、代わりにそれが適切に成功したか、あるいは失敗したかという「適切」か「不適切」かの基準で評価されます。オースティンは、遂行的発話が適切に機能するための6つの規則を提示しました。
特定の慣習的効果を持つ手続きが存在し、それが言葉の受諾や特定の状況・人物を含むものでなければならない。
b. 適切な対象と状況:
その手続きを用いる人物や状況が、呼び出された手続きにとって適切でなければならない
c. 正確な遂行:
d. 完全な遂行:
e. 誠実性の要件:
手続きが特定の思考や感情を前提とする場合、参加者は実際にそれを持っていなければならず、その後の行動もそれに従う意図がなければならない
f. 事後の振る舞い:
実際にその後の行動において適切に振る舞わなければならない
行為そのものが成立せず、無効となります。例えば、既婚者が結婚の誓いをしたり、権限のない人が船に命名したりする場合(”安倍晋三”というはてなのコメント)です。
行為は一応成立するものの、中身が伴わず「虚偽」や「空虚」なものとなります。例えば、守る気のない約束をする場合(不誠実)(「俺のいうことを聞けば、46を卒業できるよ」)などです。
重要な発見は、事実確認的発話も「不適切」になり得るという点です。
例えば、「フランス国王は禿げている」という文は、フランスに国王がいない場合には「前提」の欠如により適切に機能しません。これは遂行的発話における「不発」に似ています。また、事実確認的な「言明」も、話し手がそれを信じていなければ「濫用(不誠実)」の一種とみなせます。存在しないフランス王を禿げだと言っても中傷したことにはならない、と主張する人がいますが、フランス王はだれかのシンボルかもしれません。
このように、真偽を扱うはずの言明にも「適切さ」の問題がつきまとい、遂行的発話の中にも「事実との照合」が必要なケース(例:警告が事実に基づいているか)があることが明らかになり、最初の二分法は維持できなくなります。
「言うことにおいて」行われる行為。その発話がどのような「勢い(force)」を持つかを指します。質問する、約束する、命令する、警告するなどがこれに当たります。
「言うことによって」もたらされる効果や結果。説得する、驚かせる、怖がらせる、感銘を与えるなど、聞き手に生じる心理的・行動的変化を指します。
発話の手続き自体は成立しているものの、話し手が適切な思想、感情、あるいは意図を欠いている状態を指します。
⭐️手続きは行われるため、行為(例えば「約束」)は一応成立しますが、その中身が伴わないため「空虚」なものとなります。
「心の中ではそう思っていなかった(私の舌は誓ったが、心は誓っていない)」という『ヒッポリュトス』の例では、これが道徳的な不謹慎さを招くことを指摘できます。また、誠実さを欠いた「言明」は、一種の嘘に近いものとして機能します。
政治家が、自分にその権限がないことを知りながら、あるいは適切な状況ではない中で特定の行為を行おうとする場合、これは「誤用」に分類されます。
⭐️ 適切な人物や状況が欠けているため、その行為は「無効」となります。
・政治的例: 権限のない官僚や政治家による「任命」や「宣言」。例えば、正式な手続きを経ていないのに「私はあなたを任命する」と述べることで、既成事実化を狙うなどの手法です。
特定の言葉が「遂行的(行為)」なのか「事実確認的(記述)」なのかが曖昧な事例。
⭐️ 発話が記述なのか警告なのか、あるいは単なる意図の表明なのかを意図的に不明確にすることで、後で批判された際に「単なる予測(記述)だった」と言い逃れる道を残します。
・政治的例:
○「野原に雄牛がいるぞ」という発話は、単なる景色の描写(記述)とも、避難を促す「警告(行為)」とも取れます。
○ 政治的な場面で「私はそこにいるだろう」と述べる場合、それが「約束」なのか、単なる「予定の予測」なのかを曖昧にすることで、行かなかった際の発言責任を回避できます。
発話が、劇中や詩の中、あるいは「真剣ではない」状況でなされる場合、それは通常の言語使用から外れた「寄生的な」ものとみなされます。
⭐️ 政治においては「冗談だった」「誇張だった」という防衛線として利用されます。
・政治的例: 物議を醸す発言をした後で「あれは比喩(詩的表現)だった」あるいは「ジョークだった」と主張すること。これは言語の通常の使用を一時的に停止させ、行為としての責任を無効化しようとする不適切さの利用です。
このように、政治的発話では「真偽」よりも、発話が持つ「発話内的な力(Illocutionary force)」をいかに有利に制御するかが重要視されます。
そんなでかい声で
デモに参加!
改憲反対!
アメリカにすり寄るな!!
ってイキり発言しながら一生RPしてるくらい政治()に興味あるくせにどう折り合いをつけていくか自分の意見言わないの?
で、それでなにかあったときの言い逃れできるための保身しか考えてない。
あなたが正しい人には見えません。
堀口英利くんとなぜか株式会社ピクスタとかいう聞いたことない会社やneko800からまとめてDMCAがきてYoutubeアカウントが一旦ロックされました
とりあえず侵害箇所についてみるとツイート(ポスト)とかだけで申告してきて、裁判で争えると思うんで全部異議申し立てしますが・・・
事前に予告してくれなくて対応してなかったら危なかったですね
ふー全件異議申し立てた
裁判でやりたいならどうぞ
(異議申し立てはロボット判定でたまに戻ってくるけど何回かうてばとおる)
損賠いけるか・・・?
https://ogatama.theletter.jp/posts/66dcb960-7924-11ed-aa13-f50a128518b7
これ思い出すよね
俺も今一時凍結くらっちゃった
note紹介して内容の読み上げもせずに概要の説明と感想言ってるだけの動画で堀口英利くんはDMCAしてきてます
堀口くんって過去にもDMCAうちまくってるよね 全部印刷して警察にもちこんでもらうか
そうか DMCAうったのがニセモノの堀口英利の可能性もあるのか
もうすでにその画像購入してお詫びのメールを公式フォームに送ってたからなりすましだったら分かると思う
初手がDMCAだったって話で、別にYoutubeでアーティストとかいらすとやがDMCAとばすのは普通だろ
それより俺と連絡とりあってからDMCAきたとかいう読解になるのは頭おかしいの?読解力を小学校に置き忘れてきた?
ちょっと対応で忙しくなるのでしばらく無言かもしれないけど心配しないで
リンクはリプ欄
3,793,304円使用
累計202,998,559円、残額18,750,657円
「31日に京都新聞が発表した情勢では浜田聡が現職に並んだ」というデマがでてきて拡散しています。
2枚目の画像にあるとおり、
「現職が優位、新人2人が並ぶ状況」
が真実です。
これを読み替えた?
過去に何度か言ってるんですが
②髙橋Xのような怪しいアカウントとDMグループでつるんでいること(そこに招待されて入ったら怪しい人たちもいた)
「勘違いでした」と言い逃れる余地(通るかはしらんが)をつくって選挙に関するデマを拡散する非常に悪質な行為だと思います
うんうんわかるよ つらかったよね はなしきこか? じゃ入れるね
ダルいけど今日は一日フロアの上から下から回って色んな人に挨拶して回ってたら特にそんな話はしてないのに「よう耐えたなあ全く」って言われてやっぱり筒抜けだったんだなって
びっくりしたんだけど
この動画で著作権侵害として申告されてるのはアイコンだけで、しかもメールアドレスもどうもなりすましっぽい(いたずらでとったみたいな変なメアド)
むちゃくちゃだな
Xアイコンをポスト引用で著作権違反とする画期的裁判ですかね やるならやってこいよ
さんから裁判で勝った賠償金25万5000円が振り込まれたそうです
過去に猫八から送られてきたメール画像にあったメールアドレスと、今回申し立てられたメールアドレス全くの別物なんでこれも全部まとめて警察にだすか
猫八をなのろうとしてるけど、
どういうことだろうね
なにっ 田中東子さん(BL作家黒澤多香子・東大教授)がマネモブだと?!
そういえば仁藤夢乃さんが今回敗訴した参政党街頭演説転倒事件、記者会見のときは神原弁護士とかのりこえねっとがいたのに、いざ松下奈央さんから訴えられたら神原弁護士は代理人についてくれなかったんだね 不思議
↓リンクはリプ欄
同志社国際ボート転覆事故の遺族のnote読んでたら、サマースクールの学生証をうけとって喜びながら撮った記念写真があって、そうだよな、堀口英利くんもとりそうなのにそういう写真なかったよなと思いました
ステータス保留になったわ
異議だせばカウント解除されて、その後裁判になってもBANはないのかね?公式Helpとかみてると
猫八をなのる佐賀って人、住所も堀口英利くんのいってた箕浦有見子のときと違ってて草
まあ何が違うかは教えませんが不思議なこともあったもんだ
popopoがエヴァコラボしたのにダウンロードは全くされてなくて草なんだ
いやまあゼーレのモノリスだけで話題にすらなってないから当たり前だが
Youtubeで異議申し立てが通れば申請としては良くて、あとは日本の裁判所でやるだけなんだが・・・
しかしYoutubeの異議、コピペして複数だしたら通ったのと差し戻しがあってガバガバすぎるだろ
まじで全く同じ文章コピペで異議申立てしたのに複数通って複数差し戻しなってんのあってガバガバすぎるだろ・・・1個ならミスかな?ってなるけど
エイプリルフールとかいうクソオブクソイベントが終わりましたね・・・そういえば
ただ、こういうdmcaの報告例もあって、これは2022年(声明後)なのでわかんないね。結果待ち
これ一件しか見当たらない
ほんとだ
ピクスタは違反者にできるだけ連絡をDM等でとる、と過去に声明してるのか
ピクスタの素材をググったら出てきたサンプルを気付かずに利用したことはすでに素材を購入して申し訳なかったとわびたんだけど、もしピクスタのdmcaがなりすましだったらやったやつは犯罪だね。
問い合わせ返事待ち
まあ問い合わせの結果待ちやし、ピクスタの問い合わせ結果は報告しないことにします。警察に相談とかになるかもやし
まあピクスタからの正式なdmcaだったなら申し訳ないとしか言いようがありませんが、なりすましが多発してるのでなりすましのケースを想定してるだけです
しかしYoutubeの異議、コピペして複数だしたら通ったのと差し戻しがあってガバガバすぎるだろ
まじで全く同じ文章コピペで異議申立てしたのに複数通って複数差し戻しなってんのあってガバガバすぎるだろ・・・1個ならミスかな?ってなるけど
Youtubeで異議申し立てが通れば申請としては良くて、あとは日本の裁判所でやるだけなんだが・・・
popopoがエヴァコラボしたのにダウンロードは全くされてなくて草なんだ
いやまあゼーレのモノリスだけで話題にすらなってないから当たり前だが
まあ何が違うかは教えませんが不思議なこともあったもんだ
猫八をなのる佐賀って人、住所も堀口英利くんのいってた箕浦有見子のときと違ってて草
ステータス保留になったわ
異議だせばカウント解除されて、その後裁判になってもBANはないのかね?公式Helpとかみてると
同志社国際ボート転覆事故の遺族のnote読んでたら、サマースクールの学生証をうけとって喜びながら撮った記念写真があって、そうだよな、堀口英利くんもとりそうなのにそういう写真なかったよなと思いました
そういえば仁藤夢乃さんが今回敗訴した参政党街頭演説転倒事件、記者会見のときは神原弁護士とかのりこえねっとがいたのに、いざ松下奈央さんから訴えられたら神原弁護士は代理人についてくれなかったんだね 不思議
↓リンクはリプ欄
なにっ
しかしこれ、つくづく思うんだけどいったいどれだけの人間を黙らせてきた手法なんだ?
すげーどうでもいいことだけど Googleでヘルプデスクにといあわせたら 相手の苗字が水原で奇遇だった
あれ堀口英利くんからのDMCAが2件消滅した 堀口英利が取り下げたのかYoutubeが無効と判断したのかしらんが消えたし消えた理由の通知きてない なんじゃこれ?
まあまだロックはされてるんですけどね
過去カナロコとかいろんなところからDMCAきたけど、みんな時間切れで消えていったんだが、時間切れ前に消失したのは初めて。 時間差で通知くるんかな?なんできえたんだろ 取り下げかYoutubeの削除だと思うが・・・
いやでも対象の動画は再生できないな ・動画は復活してない ・でも違反申請は消えた なんじゃこれ?なんかすごいことがおきてそうだな
なんで今対応してるかっていうとGoogleのオンラインサポートは9-18時というホワイト窓口だったからですね
まあ2個きえたけどロックされてるのは続いてるんで 警察いくしかないっすねえ~
https://anond.hatelabo.jp/20260329181120#
経営をしていながら増田で他人を攻撃している人は、それがうしろめたくないことだというなら自分の会社を一意に同定可能な形で開示すべきだろう。
その結果こんな奴が経営していたのかと悪い評判が立って業績が落ちるというならむしろそれがあるべき姿というもので、受けるべき社会的制裁はきっちり受けるべきだ。
dorawiiより
https://anond.hatelabo.jp/20260331180852#
匿名の場というのはその匿名性を盾にして悪さをしないという性善説がとられているのであって、悪さしている人間からは匿名性が剥奪されるべきだと考えられるのは当然だろう。
dorawiiより
自分の思い通りにならなければ、相手が制裁をうけるべきという歪んだ思考が絶好調
親戚オジにも「顔も合わせたくない」と言われるのも納得の異常性
さらに自分が無職ニートだから何をしてもいいという順法精神皆無もセット
https://anond.hatelabo.jp/20260331182959#
私は犯罪者ならなんて言ってないですね。悪いことしてるなら匿名でする権利は停止されて当然だというだけです。
でもそちらがそう主張するのなら、まず隗より始めよ、でしょうね。
dorawiiより
「私は経営とかしてないから悪いことをしてもまあいいのである。」と書いた次の瞬間にこれを言える精神性が理解不能w
https://anond.hatelabo.jp/20260331192049#
私が言っているのは失うべきものを失いなさい、経営しているならそのつけを払いなさいってことでしかない。
私は失うものが無いから晒す晒したところで失うものが無いから晒す理由がないんだよ。
dorawiiより
明確な矛盾点を突きつけられて、必死に自分だけ情報を晒さなくていい理由をこじつけている哀れな末期患者
どれだけ醜く言い逃れようとしたところで、ダブスタが丸見えになるだけ
哀れ
2024年に中国・深圳で日本人男児刺殺事件が起きて、当然のことながら当時中国への厳しい批判のコメントが多くなされたわけだけど、自衛官が中国大使館に刃物を持って侵入するというとんでもない事件が起きた今、改めて当時の中国批判のコメントを見返すと中国と日本を入れ替えるだけで今の日本への批判コメントとして成り立つようなものが多くてしんどいな。
登校中に刺された日本人学校の男児死亡 総領事館明かす 中国・深圳:朝日新聞
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASS9L4301S9LUHBI01MM.html
長年共産党主導で「反日教育」が時に推進、時に容認され、昨今ではSNSでの日本ヘイトが商売になる状況を放置している結果なんじゃないかな。現状を正確に報道しないと、日本でもおかしな「反中」が広まりかねない。。
犯人の弱き子供へ刃を向ける卑怯さもさることながら、中共が自分らの失政から目をそらさせる為に日本への憎悪表現を放置したその挙句にこの事件は起こった。中国史や中国文化好きだが中共嫌いの自分は怒りしかない。
100年近く前の9.18柳条湖事件を利用して反日ヘイトを煽り続けてきた中国共産党と民衆が、この児童狙いのヘイトクライムと全く無関係とは思えないな。中国政府の奴隷でもなければ、あちらの発表を鵜呑みにすべきでない
この件で一番邪悪なのは、事件自体が中国国内では報道管制で一切ニュースになってないって所だよな。本当にどうしようもない。自浄作用にも期待できない
日本も反中感情を政権支持を取り付けるのに利用してるし、報道の扱いも事件の重大性に比べれば妙に小さいし、なによりネットでの反中煽りが商売になってるってのは言い逃れできない事実だしな。
試しに今ログアウトした状態でYoutubeで「中国」で検索してみた結果、上位に出てきた検索結果の動画タイトルがこんな感じ↓
「太陽光発電、半導体、すべてが詐欺だった」中国政府の債務爆弾崩壊の兆候が現れ、史上最悪の危機に直面した習近平は呆然としている
個人的に美意識がいちばん出るのは顔でも服でもなく、スマホだと思っています。
そこが汚れているのに平気でいられるというのは、単に掃除が甘いとかそういう話じゃなくて、自分が日常で何を見落としているかがそのまま出ている気がします。
服が少し乱れていても人は外に出る前に直します。
髪も鏡を見れば気にする。他人の目が入るものには修正がかかります。
でもスマホは違います。あれだけ触るのに、汚れにもヒビにもくたびれたケースにも慣れてしまいます。
人は他人から見える自分は整えるのに、自分がいちばん接触しているものは平気で放置できるというところが。
だからスマホのきれいさって、見た目の話というより、自分との付き合い方の話なんじゃないかと思っています。
毎日使うものを拭く。画面を割れたままにしない。ケースが汚れていたら替える。やっていることはごく普通のことです。
しょうもないんですが、こういうしょうもない部分って、意外とその人の生活の芯に近いんじゃなかなと思います。理由としてはそこには見栄が入りにくいからです。
ブランド物を持つことは演出できますが、画面の皮脂を拭くことにはあまり演出の余地がない。だからこそその人の感覚が出る気がします。
困らないけど整える。誰にも言われてないけど気にする。ここが美意識の本当の意味なんだと思います。
私は毎日いちばん触るものが汚いままなのって、かなり鈍い状態だと思っています。
目の前にずっとあるものに無関心でいられるということだからです。
無関心って楽なんですよ。慣れれば何も気にならないし。でも、それが続くと机の上も、部屋も、言葉も、だいたい同じ流れで雑になっていくと思います。
スマホってその入口としてちょうどよすぎるんです。小さいし、毎日使うし、しかも言い逃れしにくい。
だから美意識を意識するなら、まずスマホをきれいにしたほうがいいと思っています。
高いものを買うのではなく、いま持っているものを見える状態に戻すだけです。大事なのは何を持つかより、毎日触るものをどう扱っているかだと思います。
右手薬指にほくろがある。
幼い私が見たほくろ占いによると、右手薬指のほくろは芸術的センスの持ち主らしい。
当時から絵を描くことが好きで、逆に絵以外の何にも興味を持たなかった私にとって、このほくろ占いの結果はもはや啓示であった。事あるごとに「でも私の右手薬指にはほくろがあって、それは芸術センスがあることの証だもんね♪」と根拠のない自信でネガティブをキャンセルしていた。
中学になる頃にはほくろ信仰をやめていたが、それでもまだ右手薬指にほくろがあることが嬉しかった。もう8年は前のしらん海外のグランプリで取った一回の優勝をずっと擦り倒してるラーメン屋も突き詰めるとこのマインドなんだろうか。尺度も基準も曖昧だがなんか自分を肯定してくれたことが嬉しくて、アイデンティティになったりしてるんだろうか。
美術の専門学校を卒業する頃まで、右手薬指のほくろを見るのが癖になっていた。信じてないけど、まだほくろが消えていないことを確認して、じゃあまだやれるなと、才能ゲージの指標みたいにしていた。ほくろが消えた時が、私がもう創作で何者にもなれないことの、完全な言い逃れできない証拠になるんだろうと勝手に不安になっていた。
もう社会に揉まれて10年くらい経とうとしている。芸術方面で順調という事は全くなく、かといって創作することに無関心になったりもしていないが、右手薬指のほくろはいつの間にか意識の一角から退いていた。
以前からこの手のニュースでは見かけておりほんのり違和感を覚えていたのだけど、今回乱用されているのを見てイラっとしてきた
寄り添うってなんだよ、相手の気持ち無視かよ、相手が「寄ってくんなボケ」かもしれない可能性は考慮しないの?
そもそもなぜ俺がこの言葉にイラッとするのか、セルフ考察してみたのだが、
まず第一点が語感が嫌
語義は「相手の立場や心情に共感し、気持ちを理解しようと努め、心理的な距離を近づけること」であるが
寄って、添う、わけで「心理的な距離を近づけること」であってるわけだが
見ず知らずの性犯罪被害者と心理的な距離を近づけるの?近づけたいの?添うの?普通に迷惑だろ
日本語、言葉としての間違い、誤用、過剰表現としか思えないのである
書き手はなんの意識もなく慣用句的に「被害者に寄り添う」と書いているのだろう、言葉が軽い
「被害者に慮る」ならまだわかる。
が、寄り添うだと、落ち込んでるんだから見舞って話でも聞いてやんなさい、のニュアンスなわけ
書き手がそういう意図ではないのはわかるが、言葉の定義だとそうなる、普通に考えて大きなお世話だろう
どんな形であっても事件に言及すれば二次被害を誘発しかねないわけで、その誹りを回避するため
そういう意図がミエミエでお下劣なのである。時事ネタで稼ぎたいだけだろうが、クソな言い訳してんじゃねぇよ。
「誰それのコメントは被害者に寄り添ってない」的な指摘をみかける
それ以外の議論は許さない、なんにせよまずは「被害者にはお悔やみ」的なワードを入れろ、感情表明の強要
うぜぇぇぇぇぇ
現代のこの手の非生産的で非合理な様式美には、常々イラッとする
【追記】
いろんなコメントをもらったお陰で俺の違和感の中で言語化できてない領域に気づいた。ありがとう
「被害者の痛みを共有し加害者を糾弾すべし」までを含ませている連中への嫌悪感
つまり、
「犯罪の事実は確定している、当然被害者は苦しんでる、その救いの為ならどのような形でも加害者を攻撃してもよい、被害者もそれを望んでおり、ともに戦わないやつは逃げている、被害者の痛みを理解できない冷徹な非人間である、加害者側の人間だ、この攻撃に批判的な人間も同罪である、被害者に寄り添え」
ここまで理論が突っ走ってる連中への呆れ
解釈裁量を自分に大きく残しつつ万が一の時に言い逃れできる保険、連中は「配慮」を使わない
情報発信そのものが二次被害になったとき「配慮不足」と誹られる
お気づきだろうが俺がこのワードに強い違和感を覚えた発端は弓月森川草津炎上である
バッシング連中の言い分は「犯罪は確定してる、被害者は苦しんでる、だからネットリンチを楽しんでるのに水をさすな」
(「ぶつかり族」って命名おもろいのであえて以下本文ではこれを使う)
日本人ってさ元々世間体を重視するし、なにかあっても我慢して内にとどめる傾向あるじゃん?
だからこそネットでは爆発しがちというか、そういう極端さがあるけど、ぶつかり族ってその観点からするとものすごく日本人っぽい現象だなと。
咎められたときに「たまたま当たっただけ」と言い逃れできる攻撃手段なわけじゃん。
男のぶつかり族は対象が女の場合が多くて、女にどうこうしたいという性的な欲望も内包されてる。
女は、まあこの間のおばさん一例しかないけど、「世間様に迷惑をかける外人」あるいは「迷惑をかけてる者」というエクスキューズのある存在が対象って感じ。
どちらにしろ、パブリックな場で反論も批判もしないのが是とされてる社会で、内面にためたものが噴出してる攻撃手段に見えるんだよな。
ユーザーが提供したテキストは、マンガワン公式のお詫び文の全文(またはほぼ全文)で、https://app.manga-one.com/webview/v3/web_pages?id=3990 に掲載されているものです。
• 作品の対応:『常人仮面』の配信停止と単行本の出荷停止を決定。
• 原作者の同一性:原作者「一路一」氏は、『堕天作戦』の作者山本章一氏と同一人物であることを公式に認めた(これが最大のポイント。ネット特定騒動を事実上確定させた)。
• 過去の経緯:
• 2020年:山本氏が逮捕・略式起訴・罰金刑を受け、『堕天作戦』の連載を中止。
• 2022年:マンガワン編集部が一路一名義で**『常人仮面』を新連載開始**。
• 「何よりも被害に遭われた方に対し、心よりお詫び申し上げます」
• 編集部として責任を重く受け止め、起用判断・確認体制に問題があったと認める。
• 山本氏と被害者間の民事訴訟での和解協議に、編集部(編集体)がLINEグループに参加したことを認める。
• 当初は組織として関与する意図はなかったが、当事者双方の求めに応じて参加。
• 参加時はすでに当事者間で条件が合意されており、編集者は公正証書作成を助言。
• 被害を受けた方(最優先)
• 読者
• 今後:再発防止に取り組む。
• 公開日:2026年2月27日(当日または前日夕方〜夜頃)。
• 発表方法:マンガワンアプリ/ウェブビュー内の専用ページ(ID=3990)。小学館公式サイトやX公式アカウントからは直接リンク・発信なし(アプリ内限定で最小限の露出)。
• ニュース報道:ORICON NEWS、弁護士ドットコムニュース、Yahoo!ニュースなどで即座に取り上げられ、「小学館が同一人物を公式認定」「編集部の謝罪文が異例に詳細」などと拡散。
判決文の記述(特に「ウ」部分)と小学館のお詫び文を厳密に読み比べると、編集部(成田氏)の関与の度合いには明確な段階差・ニュアンス差があり、「単なる一般的なアドバイス」とは到底言えないレベルで当事者的な交渉関与に踏み込んでいることがわかります。
• 成田氏はLINEグループに参加し、同日に原告・被告双方に対して具体的な和解条件を提案した。
◦ 提案内容は4項目+公正証書作成(示談金150万円、連載再開、中止要求撤回、口外禁止、接触禁止)。
◦ これらは編集部が主体的にまとめたパッケージで、**「これでどうですか?」**という形で提示。
• 原告側が追加条件(逮捕事実の公表)を求めたときも、成田氏がその場で調整役を担っていた形跡がある(拒否されたのは被告側だが、協議のテーブル自体は編集部がセット)。
• つまり、**「すでに当事者間で合意済みの条件を公正証書にまとめるだけの手伝い」**ではなく、編集部が和解の枠組み自体を設計・提案し、交渉の場を主導的に維持していた。
お詫び文の表現:
「当事者双方からの求めに応じる形で編集体がメッセージアプリのグループに参加した」「参加以前にすでに当事者間で協議されていた条件があり、編集体は公正証書を作成するよう助言」
これは明らかに**「後から呼ばれただけの第三者」「中立的アドバイザー」**という印象操作を狙った書き方です。しかし判決文を見ると:
• 「求めに応じた」 → 実際は編集部が積極的に参加し、提案までしている。
• 「すでに合意済みの条件」 → 判決文では成田氏が同日に4項目+公正証書を提案しており、合意形成のプロセスに深く入り込んでいる。
• 「助言をした」 → 助言レベルを超えて和解案の提示・調整を行っている。
特に決定的なのは**「連載再開+中止要求撤回」という条件を編集部が提案**している点です。
• これは被害者側に一方的に不利な条件(加害者の漫画活動継続を優先)。
• 逮捕事実の公表を拒否した被告の立場を編集部が間接的に擁護する形になっている。
• つまり、**編集部は「被害者と加害者の間立」ではなく、「加害者の連載継続を望む当事者」**として振る舞っていたと解釈される余地が極めて大きい。
• 「協議が成立しているから公正証書にするようアドバイスした」 → これならまだ中立的第三者の範疇。
• しかし実際は**「和解案をゼロから提案し、連載再開を条件に組み込み、交渉テーブルを維持した」** → 明確に当事者的な関与。しかも加害者側の利益(連載継続)を強く意識した関与。
この差は非常に重要で、編集部の「お詫び文」は責任の重さを意図的に薄めていると言わざるを得ません。判決文の記述の方が事実関係に忠実で、お詫び文はダメージコントロールのためのソフトランディング表現に過ぎない、というのが妥当な読み方です。
被害者から見れば「味方だと思っていた編集部が、加害者の連載継続のために私に不利な条件を押し付けてきた」と感じるのは当然の反応でしょう。
普通にツリーで流れ追ってても、dorawiiが意味不明すぎてわけわからんのだよな
その点、まとめは、dorawiiがどういう言い逃れをしてその発言になったのかがピックアップされてるから、わかりやすいんだよ
今回の衆院選で、自民党は単独316議席を獲得し戦後最多の圧勝を記録した。だが選挙戦のハイライトは、立憲民主党と公明党が電撃合流で生んだ中道改革連合(中道)の壊滅的敗北である。
大手メディア(産経・日経を除く)は中道を過剰に持ち上げ、自民を「戦争路線」とレッテル貼りで叩き続けたが、有権者はこうした「数合わせ優先」の胡散臭い合流に対し「否」を突きつけた。
もし立民が旧来の反安保・反原発・9条維持という左派アジェンダを、中露の脅威増大という現実に対応した形で真剣に刷新できていたら、選挙の構図は根本的に変わっていただろう。しかし、立役者の野田佳彦・安住淳両氏は、典型的な「調整型」政治家だったため、政策の本質的刷新を担う能力も意思もなかった。公明側は「中道と公明党の政策は同じ」と説明した一方で、立民側は転向の説明すらろくにできず、ただただ混乱を晒しただけだった。枝野幸男氏は「原発ゼロを主張したことはない」と言い逃れを図ったが、旧立民HPに「原発ゼロ」が堂々と残存し、矛盾は誰の目にも明らかだった。安住氏は「政権担うなら現実的主張を」と過去の公約を暗に切り捨てる発言を繰り返し、辺野古基地問題でも二転三転を演じて信頼を完全に失墜させた。
中道の惨敗は、政策の中身を棚上げした「数合わせ政治」に対する有権者の断固たる拒絶だった。立憲民主党の残党は、理念なき合従連衡のツケを払い続けることになる。
AI導入の扇動家がよく言う「失敗したのはお前らの使い方が悪いせい」ってのも半分は言い逃れなんだよな。
もちろん使い方が悪いのもある。
けど、そもそもAIに会社のことを教える覚悟と準備が足らない場合が多すぎる。
経営のことをAIに聞きたいなら経営判断に必要な情報をAIに渡さなきゃならんが、そもそもそのデータがキチンとどこかにまとめてあるか?
データを端折りまくった報告用のパワポ食わせたってそこに書いてある以上の情報なんかAIは探してくれない。
業務の一部にAIを使いたいならその処理内容がキチンと資料に纏まってるか?
新人教育を終えた社会人向けの資料では不十分で、職場体験に来た高校生に教えるレベルの資料が必要だ。
そしてほとんどの場合はAIの出力を人間がチェックする工程がまだ必要だ。
会社独自の専門用語、部署名やその略称、従業員評価制度、そういった「インターネットに転がってない情報」はAIに教えなきゃならない。
そういうところをよく考えずにチョロっとAI試してみよう、なんて上手くいくわけない。
ミスが許されないところにAIを使いたいなら人間がサポートしなきゃならん。
ミスの可能性は人間にもAIにもあるが、人間と違って現状のAIは経験を積めない。
いつまで経ってもコツを掴むことはないし、モデルがバージョンアップすると挙動が変わる。
扇動家はAIをドライバーのように使えると喧伝するが、実際は工作機械みたいなモンなんだよな。
現状でAIを活用したいなら、教えることが少なくて済む作業を少しずつ任せていくか、教える情報をまとめる仕組みを大金かけて整備してからAI導入するか、どっちかになる。
前者は初期コストは低いけど成果が映えないから次に繋がりにくいし、後者はその覚悟を持ってる企業なんかそんなにない。
難しいよなぁ。