はてなキーワード: 個性化とは
結婚のために苗字も変えて新居もあれもこれも大変なプレ花嫁!みたいなキャラ付けとか、
うちの旦那ってばこんなんで!みたいな「旦那の文句を言いつつも上手に手のひらで転がして頑張る賢い肝っ玉母ちゃん!」みたいなキャラ付けとか、
面白くて個性的だった友人たちがそういうテンプレを踏んで無個性化し、
明らかに尊重されてないことでさえ「ママ(嫁)は大変!笑」みたいな苦労自慢、不幸自慢して既婚者間で予定調和の会話をしてるのとか
そういうの見てモヤモヤしていたので、わ、わかるわ〜〜!ってなった。
置いていかれる、会いにくくなる寂しさよりも、大事な友だちが大切にされていないことと、それを受け入れるのを良しとしているのが嫌なんだよね。
作っては度々投稿している。
それに「いいね」がつくかどうかで一喜一憂し、他のAIイラストレーターの作品を見ては多く「いいね」がついているとぐぬぬとなる。
そうしたAIイラストっていうのは他のAIイラストと比べて特別秀でているわけでもなく、如何にも「AIで描きました」といった見栄えの可愛いイラストだ。
こうした量産型の絵、似たり寄ったりのものにたくさんの「いいね」がつくのは不思議だった。
だって個性がないというか…人気キャラに実写風のボディをつけたキメラも度々よく見かける。
疑問は「そういった絵が人気なのはどうしてか?」というよりも「そういった絵が飽きられずに人気なのはどうしてか?」と考えた時、そこに昨今のAIイラスト問題の根本的な原因があるように感じたんだ。
結論を先に言えば、それはつまり「見る側」の問題なんじゃないかってこと。
そもそもAIイラストっていうのは楽して高品質なものを出力しようとすると、どれも似たり寄ったりの絵になりがちだ。
だからこそAIイラストにおいても凝ったものを出そうとすれば色々と工夫が必要となる。
このような工夫こそが差異化につながり、その差異化によって個性が際立つまでになれば、そのAI絵師独自の絵を生成することだって不可能じゃない。
そしてオリジナリティ溢れるAIイラストを作ることが出来れば、昨今のAIイラスト叩きで言われる「ただのパクリ」と呼ばれることも少なくなるのではないかと思う。
だって、差異化による個性化は一概に「パクリ」とは呼べない作品を作り出すことなのだから。
しかし現状、そうはなっていない。
安易なAIイラスト絵に「いいね」を押して支援することでAI絵師側も一定のクオリティで満足してしまう。
なら別にこれ以上工夫しなくてもいいやとなってパクリAIイラスト絵を淡々と投稿し続ける。
そしてそれに「いいね」をするという繰り返し。
この負のスパイラルを止めるには安易なAIイラスト絵に「いいね」するのをやめればいい。
結局のところ現状のパクリともとれるAIイラストの氾濫を許容し、促しているのは「見る側」であり、鑑賞する側も実は大きな責任を担っていることを自覚することこそが、今後のAIイラストに対する認識と、AIイラストの存在が許容されるまでの流れには重要になってくるのではないかと思う。
それに当たり前のことを定式化したところで結局主張したいことは当たり前のことに変わりはないわけ。
お前は論文形式にしろみたいに強いるけどそれをする意味というか対価もなく他人に対して負担を強い過ぎなわけよ。
俺だって数学が価値あるものだと思ってるが先日こういうトラバが来て考えが変わった
数学を使わなければ出ないものなんて実生活では使い物にならない。
ただの役に立たない妄想でしょ。
電気で虚数が使われてるというがあれは振動をsin,cosを表現するのが面倒という理由で虚数を代替えとして置いてるだけ。
結局定式化というのは自然言語ならわかりやすく言えるものをわざと小難しく表現する作業に過ぎないのだと。
それなら俺は平易に誰にでもわかりやすく自分の発想を伝えることを志向するね。
ややもすればお前はまた反論するんだろう。
全く一体何が正しいんだよ。
究極的にはどの意見が正しいのかを判断する基準がないのは考えものだね。
かりにそれが間違ったことであってもみんながみんな同じ考えをする社会の方がいろんな考えに翻弄される身にあっては幸せな世界に思えるね。無個性化万歳。
いろんな考えがあってそのなかに正しいことがあったとしても判断する基準がなくて最終的にたどり着けないなら、最初から間違ったことを信じてるのと変わらないだけでなく、後者の方が精神的に楽なんだからな。
https://anond.hatelabo.jp/20220430203312
まずキャラが良い。
話が進むごとに一部のキャラを除いてどんどん没個性化していく原典を先に読んでると「マジかよ!」て思っちゃうもん。
特に最強キャラ人気投票で見事1位を獲得した林冲はやっぱ最高だね。
心の弱さを抱えたままで、作中でいい歳したオッサンになってもまだナイーヴさの残る繊細なオッサンだ。
それだけ聞くとなんかウジウジしてめんどくさそうなオッサンだと思うかもしれないが、そのとおりなのだが、そのくせして本当に強い。
もうめちゃくちゃ強い。個人としても最強キャラの一角だが騎兵隊指揮官としても水滸伝では最優秀指揮官だろう。
北方水滸伝を読んだらお前は精鋭騎馬隊突撃最強厨になること請け合いだが、大丈夫だ、問題ない。
他には、途中から戦場で林冲の相棒っぽくなってる索超なんかもいいし、定番の九紋竜史進なんかもクソ生意気で最高だ。
梁山泊を革命勢力だと定義して思いっきりカストロとゲバラに寄せてるのだが、それがまたカッコいい。
もう革命最高、腐敗した権力は打倒せよって思っちゃうもん。クソ皇帝とかクソ宦官とか本当にブチ殺したくなる。
それくらい悪役もしっかり悪役として描いているってことなんだ。悪役が憎たらしいって良いぞ。最高だ。
拷問描写とかこれ絶対狂うよなと思う。俺だったら2時間でゲロっちゃうわこんなん。
で、国vs革命勢力ってことで、梁山泊の財源をちゃんと描いてるのも最高だ。
だいたいこういうのの主人公側って「資金はどこからともなく出てくる」か「作中でご都合主義的に金持ちになる」もんだが、北方水滸伝では何故金持ちなのかがしっかり描かれる。最高だ。
その財源を巡っての特殊部隊同士の暗闘も最高だ。
正規軍とは別に諜報活動とか暗殺とかする特殊部隊がお互いにいて、お互いに闇の中でめっちゃやり合ってる。
主人公を引き立たせるために不自然にアホにさせられる悪役みたいなのに辟易しているお前、心配するな。
悪役側も一部を除いてちゃんと優秀だ。お互いに優秀だからこそ緊迫した戦いになるのだ。
無能な悪役もいるが、無能な悪役としてぶち殺される役回りを完璧に演じてくれるから最高だ。
まあこれ以上俺が語るのも無粋だろう。読め。
1巻だと中盤までひょっとしてちょっとダルいと思うかもしれないが、長編の導入部だ。そこは我慢してくれ。
全巻読んで物足りないなーと思ったら大丈夫だ、続編がちゃんと用意されている。
楊令伝を読んだお前は聞煥章最低だなと思いつつ勃起せずにはいられないだろう。
オッサンになった呼延灼に悲哀を感じ、そして勇気づけられずにはいられないだろう。
それでも満足できなければ岳飛伝がお前を待っている。
・頼むから誤解するな
誤解しないで欲しいのが俺は普通に巨乳キャラがたくさん出る漫画やアニメを消化しまくってる。
エロ本含めたらこの文章を読んでいる10000人中の10000人より読んでる。
ちなみに好きなサイズは顔よりも大きくて乳首も大きめ、パフィーニップルでロケット型が好きだ。
・目元が描かれない事と、その理由
本題に戻るが、単刀直入に言うと「男主人公の目元が描かれていないのが気持ち悪い」。
良く知らない人のために説明すると、エロ漫画において竿役(まんこにちんこを挿す男性役)の個性が強すぎると読者が集中できなくなってしまう現象がある。
それを避けるために竿役男性の外見の個性を減らしていった結果、「竿役の目を描かない」という表現を手に入れたのが現代のエロ漫画だ。
もちろん一般の少年漫画にも内気な少年や物理的に髪の毛で目が隠れてる男性キャラというのは存在する。
でも前者は個性を消すための目消しであり、後者は引っ込み思案や感情を表に出さないという個性のための目消しである。
ここまで説明すれば分かったと思うが、月曜日のたわわの主人公の目元を描かない表現は明らかに前者だ。
主人公は引っ込み思案なキャラでもなければ感情を表に出さないキャラでもない。
ヒロインが性的に魅力のあるキャラとして描かれており、男性主人公は「読者に気を散らさない竿役として個性を減らされたキャラ」として描かれている。
俺はこれこそが本作最大の問題だと考えている。
作中世界の1人格をもつ架空のキャラではなく読者として描いてしまっていることがたわわの最大の問題点なのだ。
作者の比村奇石はリスクを背負ってでも男主人公に人格をインストールするべきだったと思うし、
結局男の人格を生み出せなかった結果、次回作で相当な苦労をすると予想される。
エロ漫画というのは基本的に読者に抜かせることをゴールに作られている。分かりやすく言うと勃起して射精させれば勝ちである。
そのため、過去の時代では爆乳扱いだった胸のサイズも年々増大した結果、今では一般的に巨乳キャラ扱い。
過去の巨乳キャラは普通サイズとなってしまい、過去作を読み返すと違和感を感じるほどになってしまった。
他にはスレンダー派よりもムチムチ体系が主流になりつつあり、ライザのアトリエの下半身ややムチ体系の発達と周知により、グラマーどころかちょい太めまで世間のストライクゾーンとして確立されたのが現代である。
とにかくエロ漫画というのはモテない男性であろうが、モテる男性であろうが抜ければ何でもいいの精神で進化してきた。それがエロ漫画の根幹となる文法なのだ。
同人などで必要以上に胸のサイズが盛られるのも「抜ければ何でもいい」の精神だし、眼鏡かけさせるのも然り、とにかくシコリティ(シコシコしたくなる度合)が高ければ勝ちなのがエロ漫画の世界なのだ。
エロ同人というのは自由なようでいて実際は外的にも内的にも売り上げという数字で殴り合う過酷な生存競争の世界なのだ。
その結果、進化したエロ漫画業界は胸を盛ることを覚え、上半身は太らせずにふとももやケツの下半身をムチムチさせることを覚え、寝取られによって快楽物質を操ることを覚え、
メスガキによってロリコンの需要を満たしつつユーザー層の拡大を増やす手法を覚え、大爆発的な進化を遂げてきたのがこの30年間のエロ漫画業界である。
女性キャラに対して「スレンダー体系から下半身ムチムチ爆乳体系への進化」があったのなら男性はどうか?
その中の1つの表現や文法として「竿役の徹底的な無個性化」と「テンプレート化」が行われた。
竿役の無個性化は先ほど説明したように男性に必要以上に個性を持たせない徹底的な引き算の美学だ。
竿役が奇妙な語尾を使ったり竿が2本だったりあまりにも不細工だったりギャグ風のデフォルメだったりすると
女性キャラよりも男性キャラが目立ってしまいエロシーンに集中できないという読者は少なくない。
というか男性に個性は要らないと思うシコり手の方が多数派なので改善すれば数字として必ず結果が出るくらい鉄板と言われてる。
一方、無個性化の発達と共に「テンプレート化」も発展を遂げる。
ここまで書いたけど横道にそれ過ぎて長くなるし眠いので寝よう。
言いたいことは
たわわはエロいから問題でもないし巨乳だから問題じゃなくて、「エッチな青年漫画」ではなく、「エロ漫画の文法で描かれたエロ漫画が青年漫画のフリしてる」から気持ち悪い。
ふたりエッチはエロいけどエロ漫画じゃない。でもたわわはエロ漫画なんだ。ふたりエッチは「エッチの勉強として読める」けどたわわは「エッチの勉強として読める」か?
トラブルはエロいけど少年漫画なんだ。でもたわわはトラブルより肌の露出なくてもエロ漫画なんだ。「トラブルはラブコメディとして読める」けど「たわわをラブコメディとして読める」か?
いちご100%はエロいけど恋愛漫画なんだ。というか恋愛漫画って結局恋愛という戦場でのバトル漫画なんだ。たわわをバトル漫画として読めるか?
たわわを最近流行ってる人気のラブコメ漫画やファミリー漫画みたいに角度や解釈を変えることで読むことができるか?できないだろ?
エロ漫画なのが悪いんじゃない。エロ漫画の文脈で描かれたエロ漫画なのに青年誌で連載している。ルールから逸脱してるのが問題なのだが、それについて作者本人が全く気付いてない。
なんとも説明しづらいんだが、なぜフェミ婆から標的にされるのかというと、そういうことなんだ。
エロ漫画の文法は表に出しても知らない人は知らないが、感覚的に本質はバレてしまう。
しかし知らない人にとっては原因が分からず不快感だけをずっと抱え続けることになり、最終的に攻撃という行動に出てしまう。
昨今のフェミ問題の根底にはエロ漫画の文法・表現は表の世界に出してはいけないというオタク・製作側の自制心が欠けているのではないか。
もちろんこれはBLや行き過ぎたジャニーズの裸露出にも言えることだ。
確かに表現の自由は守られるべきだがエロ漫画の文化というのは裏に隠すからこそ発展してきた歴史がある。
それをもう一度考え直してくれないか。
・少年漫画から「女の裸」が日常的に消えたことによって起きた問題
・当事者が誰も気づかないフェミニストが攻撃的になってしまう最大の理由
・女性の権利を守りつつエロティシズムという芸術を子供に継承するためには
・「月曜日のたわわに対する批判の正体」と「フェミニズムによるグラマー女性(実在・非実在)への表現規制活動」は別軸で考えるべき
・無個性男性キャラは男の読者から非実在キャラと向き合うリスクを消失させかねない
でもたわわ、おまえという作品は創作の世界において守るべきルールを破っている。
まずそれから反省しなければこれからも問題は起き続ける。まず個人として解決しろ。
「りぼん」に新連載「りぼんの拳伝承者」を掲載して売り上げトップ飾って雑誌に貢献したとしても、それは絶対に許されないことなんだよ。
https://note.com/hoikushioto/n/n34e37b42e52a
このNoteの奴みたいな主張って、リベラルの中でも過激派というか、
ブコメ見ると思ったより肯定的な意見にスターがついてて驚いた。
「将来は若くてきれいな人と結婚するんだ」(したいって思うことだよね)
「イケメン」という言葉にも「社会がフューチャーして使う言葉ではありません」
(「フューチャー」という言葉の誤用は置いておいて)と切り捨てている。
こんなこと、リアルで言ってる人がいたら「やば…近寄らんとこ」としか思わないよね。
自衛隊も含めて全部武力放棄しても話し合えば平和外交できる!って言ってる頭のイカれた左翼にも似てる。
要するに現実を一切見てない、穏当に言っても現実と折り合いつけることができないバランスを欠いた人。
率直に言って、「容姿の美醜」という非常に深い、人間が実生活上はもちろん、芸術上のテーマとしても深く掘り下げてきたテーマを、
「間違った価値観」「古い価値観」と言ってしまえるのは、どれだけ自分が進歩的だと自惚れていればできるんだろう?と不思議でならない。
まして、思春期の少年が例えばヒロスエや、ガッキーや、バッサーと結婚したいと願うのは「間違った価値観」なのだと。
どう考えても間違ってるのはお前の頭だよ。
さらに、結婚したい相手に年齢を考慮するのも差別だというのだから、芦田愛菜も瀬戸内寂聴も同じ条件で考えろというのだろうか。
それがポリコレを突き詰めた末にたどりつく結論なのか? 頭が悪すぎる。
もちろんルッキズム・エイジズムに基づいて、公衆の面前で他者を評価するのは今の世の中ではセクハラに該当するだろうし、誹謗・中傷は許されることではない。
ただ、個人が他者との関わりの中で、その付き合い方の中で容姿や年齢を考慮することを断罪しようだなんて、あまりに行きすぎた考えだと思わないのだろうか。
そしてルッキズムを排除することは、突き詰めれば外見の没個性化に行き着くのだが、それがお望みなのだろうか。
もちろん、アイドルや俳優の存在などもってのほかで、芸人やスポーツ選手も顔ファン防止のため全員アバヤ着用が義務付けられる。
個人も「人格」によってのみ他者を評価するため、結婚を決めて初めて素顔を見ることができる。
あ、声による差別も防がなければならないので、ボイスチェンジャー装着も義務化だ。
身長なんかも差別のもとなので、全員年齢に応じて決まった身長になるよう靴底で調整するのかな。
まぁそこまですればルッキズムによる「差別」はなくせるかもしれないけど、それが理想の社会なのですか?
俺はそんなアップデート、したくないです。
20水先案名無い人2012/12/09(日) 22:54:51.80ID:6+ES5Qvf0
461 名前:没個性化されたレス↓[sage] 投稿日:2008/10/10(金) 19:48:43
腐女子から見て憧れを感じ尊敬出来る相手はルックスも人柄もよい優れた高潔な人である。
そういう人は腐女子を叩くはずがない。
男だってキモオタだって優れた人と比べたら劣っているんだから、腐女子を叩く資格などない。
という思考。
何故腐女子である自分が叩かれるのかに考えが及ぶことは永久にない。
480 名前:没個性化されたレス↓[sage] 投稿日:2008/10/11(土) 22:55:04
461
「男が憧れる男」(百合に手を出す腐女子なら「女が憧れる女」も同様)なんてものを、
「自分もああなりたい」対象として人間的に尊敬しているのだと素直に解釈するより、
「好き=恋=肉欲=ドロドロに溶け合うまで愛し合いたいんじゃね?」と読み解きたがる。
要するに、優れた人物を、「自分に何かしてくれる人」や「自分を高めてくれる人」としか想定できてない。
それは結局、ノーリスクで自分を受け入れてちやほやしてくれる素敵な王子様が欲しいというだけで、
尊敬する対象を辱めないよう、自分もしっかりしなければならないなんて自覚には繋がらない。
いつまでも思春期の精神性のままでいることを肯定してくれるという点で、
BLって間違った意味で精神のアンチエイジングというか、人間的成長を拒む魅力があるんだと思う。
21水先案名無い人2012/12/09(日) 22:59:11.01ID:6+ES5Qvf0
483 名前:没個性化されたレス↓[sage] 投稿日:2008/10/12(日) 11:11:31
優れた人を、「自分に何かしてくれる人」や「自分を高めてくれる人」としか想定できてない
こっちのみだな。
484 名前:没個性化されたレス↓[sage] 投稿日:2008/10/12(日) 11:31:00
だからサイトとかで「あれ書けこれ描け」メールを送り付けたりするのか
485 名前:没個性化されたレス↓[sage] 投稿日:2008/10/12(日) 11:47:46
意識してるか無意識(無自覚)か関わらず、世の中で一番なのは自分と思ってるから
そんな人が誰かを尊敬したりできるとは思いにくい
賞賛できないといけない。
486 名前:没個性化されたレス↓[sage] 投稿日:2008/10/12(日) 11:58:33
うまく発達せず周りとの差が広がるにつれて
22水先案名無い人2012/12/09(日) 23:15:06.75ID:6+ES5Qvf0
487 名前:没個性化されたレス↓[sage] 投稿日:2008/10/12(日) 12:34:31
480
自分にシックリ来る逃避用偽同性愛物語を生産してくれる作者に向けて。
488 名前:没個性化されたレス↓[sage] 投稿日:2008/10/12(日) 13:24:41
480
お姫様願望とピーターパン症候群がごちゃ混ぜになったような感じか。
自分の事だけを見てくれて、大事に守ってくれて、一生懸命尽くしてくれて、どんなわがままも聞いてくれて、
いつでも常にリードしてくれるような都合のいい王子様にもパパにも下僕にもなりうる男性を求め、
自分はそんな男性に無条件に保護されちやほやされ愛される対象である永遠の少女でありたがるから、
腐女子には自らの言動に責任を持つとか自立(自律)するという意識が極めて薄い。
したがって自立(自律)した大人の女になることは自己責任の必然にかられ、
庇護の対象から外れてしまう事を意味するからそうなることを徹底的に避けようとし、
永遠に理想の王子様を夢見ることのできるBLを心の拠り所にするわけだな。
489 名前:没個性化されたレス↓[sage] 投稿日:2008/10/12(日) 13:26:00
487
それも自分にとって都合がいい話を書いてくれる間だけだけどね
途端に親の敵とでも言わんばかりの憎悪を見せてくるけどね
受け止める能力が乏しい
23水先案名無い人2012/12/09(日) 23:19:35.31ID:6+ES5Qvf0
492 名前:没個性化されたレス↓[sage] 投稿日:2008/10/12(日) 13:47:36
485
二人で完璧な「カップル」になるという形で、優れた特性を自分の価値として取り込むことができる。
まあ、ここまではそこらの少女漫画でもないわけじゃないけど、
腐女子は半端に「女性が守られる側だなんて納得できない!」という後ろめたさを抱えており、
「男同士だから対等なんだもん!」という風に、何か高次元に昇華してるような感覚を作り出す。
しかしそれは結果的に、完璧超人の王子様に引け目を感じるヒロイン(=自分)程度の自覚すら拒絶し、
正面から王子様願望と向き合ってそれをどう乗り越えるかというテーマを回避することに繋がってる。
そのせいで、表面的に「リアル男になんて期待してねーよ」というポーズを取りながら、
今時の中学生ですらキープできないような「王子様への期待感」を保ち続けていられる。
24水先案名無い人2012/12/09(日) 23:27:27.18ID:6+ES5Qvf0
493 名前:没個性化されたレス↓[sage] 投稿日:2008/10/12(日) 14:43:48
脇役の状態が受け入れがたい
なんかフィクションを読み続けることで、生来の自分との乖離が発生
感情は矛盾したままだが、自分(女)が関わらないBLは感情が逆立てられないから
楽なんだろうなと思う
25水先案名無い人2012/12/09(日) 23:30:18.74ID:6+ES5Qvf0
533 名前:没個性化されたレス↓[sage] 投稿日:2008/10/16(木) 09:14:51
530
ウジウジ悩ませて、時には別の男にレイプされてプライドをズタズタにされる様を妄想し、
それを眺めてその「可愛さ」を見出してやれる自分を礼賛したがるんだよ。
男尊女卑どころか、発想としてはその逆だったりする。
また世間で自由を謳歌する腐女子以外の女が増えるほど、劣等感によって女尊の自信を持てなくなる。
だから、
自分≧王子様>BLを理解する選ばれし乙女たち≧乙女達がネタにするイケメン>スイーツ>ブサメン
こういう構図を使って、ブサメンに対しては「スイーツ」の側に立って嘲笑い、
一般の男に対しては腐女子の一方向的妄想による優越的地位を感じ、
同じ腐女子に対しては「王子様」を一枚噛ませることで優位に立ち、
その王子様の内面を完璧に支配し、できれば王子様に尽くさせる側になるべき自分が一番偉い、となる。
534 名前:没個性化されたレス↓[sage] 投稿日:2008/10/16(木) 11:36:33
格上げしてあげる!と
なんというか王様が下賜するといった感じ
26水先案名無い人2012/12/10(月) 01:18:31.93ID:ocZen2Ux0
■腐女子の壁
1. 第一関門
「私は絶対間違ってない」の壁
↓
2. 第二関門
「私が間違ってるとしても、優しく見逃してあげるのがいい大人でしょ?」の壁
↓
3. 第三関門
「看過できない間違いがあるとしても、
そんな当たり前のことをあげつらうお前は何様!?」の壁
↓
4. 第四関門
なぜか被害者意識を持って
「(○○は)容認されてるのになんでアテクシたちだけ!?」と逆ギレ
↓
5. 第五関門(最後の砦?)
過去の自分の言動と動機を都合よく改竄または捏造して、意図的または無意識的
に責任逃れに腐心する
「実は自分は♂野郎として厨腐女子を注意してきた賢い子の側なんだぜ」等
27水先案名無い人2012/12/10(月) 01:21:29.96ID:ocZen2Ux0
11 名前:水先案名無い人:2007/01/11(木) 23:16:20 ID:ofNbkHEE0
19 名前:水先案名無い人 投稿日:2006/12/21(木) 18:43:27 ID:FjvBmXsN0
948 名前:水先案名無い人[sage] 投稿日:2006/12/20(水) 22:46:39 ID:HBR9ehwq0
933 名前:水先案名無い人[] 投稿日:2006/12/20(水) 21:53:49 ID:5+6/t8Y/O
お前ら腐女子を叩いてる暇があったら、誰かのために何かやって見ろ。
腐女子を叩くのはその後でも遅くないだろ。
殿堂入りだな
949 名前:水先案名無い人[sage] 投稿日:2006/12/20(水) 22:57:18 ID:cPIgtjGm0
改変してみました
お前らアーアー言ってる暇があったら、誰かのために何かやって見ろ。
死にたいわけではなくて、生きていてはダメな存在だと思っているだけ。
多分自分自身にハンディキャップを持たせて、自己陶酔に近いんだと思う。
鬱とかではない。甘えといっても過言ではない。
ネットで探してもアフィブログしか出てこないから、解決に繋がらない。
海外は知らんが、日本って人気のあるテーマほど、アフィブログばっかりで、情報が汚染され始めている気がする。
(ダイエットや語学、メンタル、医療、占いあたりは顕著)、良くも悪くも没個性化している。
少し話が逸れたが、おそらくどんな人でも似たような感情を覚えたことがあるだろう。
立ち直るまでが長い。何か作業をしていてもふと頭の片隅からまた全体へ侵食してくる。
内容が繰り返しだから、自己分析にもならないから生産性は皆無どころか、他の作業の邪魔をしているから、マイナスになっている。
もちろんこういう症状が起きるのも自分の過去の行いが悪いからだからだろうし、それについては常に改めなければならない。
上手な対処療法があるなら知りたい。
冒頭に脱線するがヤクザの様式についてマインドセットを準備したい。
金持ちが服装に金をかけないという話は自己啓発本やセミナー系の情報で見かける。
実際金のかかった服はあるだろうし平均以上であるかもしれない。
しかしよくわからない模様の布地で金のチェーンをして黒塗りの高級外車を乗り回さない。
金持ちであることをわざわざ毎回広告する必要がないし、外見と存在で金を稼いでいるわけではないためだ。
ではななぜヤクザは見た目で高級感を出すのか。それは高級感が目的ではなく「1番」であることを主張したいがためである。
実際の統計で数値的に1番というものではない。庶民や噂などを流布する層の一般が想像しうる「一番のもの」を選択する。
ここにタトゥー、入れ墨の問題もつながってくる。一旦派手の話はここまで。
二番目に、ヤクザというのは実際金があるからそういうものを買っているだけ、ではない。
商売の種類として見た目でするものであるから、広告業者が広告を出しているのとおなじ。
ラーメン屋の賄いがラーメンなのと同じ。一番をコレクションしている人間である必要のために持ち物が一番なだけなのである。
商売としては不人気商売、被差別商売、問題解決(非合法)、貸金業(非合法)などを行ったりするにあたり、問題解決に使うのが「1番」である。
1番高級な服を着て、1番高級純金アクセサリをして、1番高級外車に乗っている1番のおやっさんの言うことが、なぜ聞けないという交渉方法。
1番がものを言っているのだから黙れよ、1番の下には2番以降が控えているんですがそれらが何番かわからないあなたの上にのしかかってきますよ、困りませんか?という方法だ。
それはもちろん困らせに来るのだから困るだろう。
しかも1番と言われて実質なにかしら1番(実質の1位ではなく想像できる最上位の類のもの)を身についけている人間、ほぼ人物として1番であるという人間との交渉だ。
貸付金の取り立てや問題の和解、商売の風説などは実際に商品価値が高ければとか確実であれば法に則って正規の解決ができる、というものではない。
関係者の譲歩を引き出したりした結果、合意を得られた時点でのもので、合意の後の責任も果たせる範囲で強要されることはない。
強引に法的に取り立てたりすることはできるが法的回避方法がないわけでもない。
それを逃がさず大きな取り立てで強制的に回避できない方法で介入してくるとなると、それは太刀打ちできると判断される相手では物足りない。
「1番」がそれを執り行ってくるのだから、勝てないという精神的な屈服感を与える必要がある。
ここまでの「1番」や「高級」はイメージの問題で、その価値基準が一般市場に支えられているものだから庶民からの目線でそうみえるようにということである。
この話を私がしたところで、「私に」それがどうしたんだ、意味のない、という意見は寄せられるだろう。私もおなじ庶民なのでそう言われても仕方がない。
では実際にそういう格好をしている人に言えばいいじゃないか、と私が同じ庶民として進言すると、できるだろうか?
「アルマーニのスーツきて純金の喜平ぐるぐる巻いてでかいベンツ乗ってるけどなんなん?借金の取り立てを明らかに回りに迷惑がかかる方法でしてくるのは違法ってわかってんの?水商売とかくだらん仕事しやがって」
といえるかどうかである。言えないような仕組みのために、その仕事で幅をきかせるためにそのような恰好をしているのである。
ここで服は借りて着まわせばだれでもそのポストにつくことはできる。それよりも上の人としての価値(前述までの高級感)を上げるにはどうするか。
入れ墨である。体に特徴を持たせるのである。顔面の傷などもそうである。指がないといったものもそうである。
ここでまた話は脱線するが、僧侶は坊主である。なぜか。特徴をなくすためである。個人ではなく組織としての一部であるためである。
また、僧侶は結婚しない。社会的に生産をしない、継続をしない。するために自分の資産、持ち物を必要とする社会生活をしない。そのために自分の行動や行為は独善的なものをできるだけ排除してある。
僧侶が親切をしてくる、教えを説くのは独善的なものはできるだけ含まれていないという証明のためである。
何々をしなさい、という教えは僧侶が収益をあげ資産を築くためではない。個人として利益を得るためでもない。宗教は収益を与えるためではなく歴史の蓄積と人としての最善な選択への補助であることのためである。
この意味がもはや失われ自由化されているが、人がわざわざそのような立場に置かれる必要性もなくなっているためこの習慣が失われるとともに、人がそこに位置する意味と理解も失われている。
これとまったく逆が、超個性化である。ファッションで一番めだつ、はだかになってもだれかわかる特徴をもつ、莫大な財産を築くことである。
ただのマークではなくそこにメッセージを込めるというタトゥー、入れ墨がその立場を示すというだけであればファッションとなりえる。
海外でファッションになっているのは、人がどんな命を込めたメッセージでも、簡単に否定もできるし批判される側もその程度だと理解している。
個人がどれだけ大切に思って居ようが他人からしてみればゴミ同然なことが相互理解されているのだ。
なので大事だというものは相手にとっては大事なのだろうという理解もある。
主義主張を否定されると、日本では囲まれてボコられるという最終結果についてその順位と内容を吟味する必要がある。
外国人が入れ墨や個性の主張がなぜ自由なのかというと、最終的に銃撃戦で決着をつけることができるからだ。
入れ墨に問題があるか、入れている名前をバカにされたり、すてきだと言われたりする。その個人に踏み込んで問題がおきたとき最大の解決方法は殺し合いである。
最終的に相手を殺すことで決着するというのは対人の交渉でほぼ最大にして最終的に近い。これを緊急的にとはいえ選択できる状態、銃の携行があるということは、各個人の自由はかなりの広さで主張できて、相手もそれをまず認める方向になりえるし、ならざるを得ない。
その二番手である「かこんでボコる」ができるというのは組織力、どこに組織しているか、組織を指摘してくるかということである。
タトゥー、入れ墨を入れることができる、入れている、そういう側というなんとなくの組織感と、個人が特別な主張をしているという表現、これに銃を持たない入れ墨をしていない服装もふつうの人間が並んで立つと、どうなるだろうか。
どうもならなければ問題がないが、一旦会話が始まってしまったり交流したり、交渉が発生したときにどうなるかは考えないだろうか。
隣に立っている人間だとしても、一生なにも関係性は発生しないという安心感を持てるだろうか。
いま現時点でとなりにいる時点で因縁を感じざるを得ないしなんらかの問題が発生することを危惧されないだろうか。
そうなったとき、見た目やファッション、そしてタトゥー、入れ墨が個人の発言などに影響を及ぼしてくると想像される。
「おまえの一番愛するものに名前をきざんでもいないやつがそれ本当に大事といえるの?ちょっと貸してくれや」と交渉をされたとき
「命を賭してまもると決めてますんで」といえるだろうか。そしてまもるための最終手段を持っているだろうか。
持っていないという不安につけこんで、最大限安全な退路の選択をさせられ不利益を与えられる可能性が危惧されないだろうか。
「されない、どんな暴力にも屈さないし9条が守ってくれる」というならそれで守れるだろう。
しかし、実際ここで殴られた、引きはがされた、もっていかれたを解決できないかもしれないという不安が一瞬よぎったら、そこにあらゆる1番が押し掛けてくる。
たたみこんでくるように準備されているものと、突発的に不安な事象と遭遇する一般人、これで平等な交渉がなされるだろうかといえば不安ではないか。
だからタトゥー、入れ墨はダメなんだ、という現状はある。しかし私も完全否定はではないし、好みで選択すればとは思う。
それについてはその不平等な交渉の発生のために自分を飾るということが無ければという前提のもとにだ。
メメント、などである。忘れてしまうから体に刻んだなどである。
先般のりゅうちぇるについても、親が龍を背負っていたから自分はどうなった、というわけでもなく、龍をせおった父親はほかの父親の息子に対する愛よりふかかったのか、といえるわけではないはずである。
入れ墨をいれていない父親はよわいのでくじけておれるだろうが、芸能人になれた僕の父親はドラゴンの入れ墨をしていた、と言えるのか。
どうしてパパは僕を応援するために入れ墨をしてくれないの?などと子供が言い出したりするような言い回しでなければ、だ。
パパは弱くて忘れっぽいので、みんなとずっと一緒であることを忘れないために刻んだんだ、といえば、私も同情の念を抱かざるを得ない。
https://twitter.com/Miyki_Ono/status/1032259138384887813
まさにこれ、強くてパワーがあるのを嫉妬してるんでしょ、一番が怖いんでしょ、うらやましいんでしょ、という輩がでてくる。
こういった威力を感じて有用性を感じる人間が、ただ自分が満足するために体にほった名前ではない、人にみせて何かに使うため、少なくとも羨望や嫉妬を招くためにしているという前提を持つことが問題である。
それを交渉につかう、少なくとも現在SNSで自己の優位性主張のために利用しているという、この利用のために使われるべきものではないという事である。
それを使うから否定され敬遠さえるという事自体に気が付くべきだ。
個人の思いれだけの話である、という相互理解で入れ墨を見て、ほんとに守るべきと感じたならだれでも最終手段を持ち出せる、それが自由と平等の立場である、という環境だからこそ広くタトゥー、入れ墨が公に一般化している社会もある。
いまの日本では、より強い主張というものがあり、より多くの人間が威力としてあるぞという主張のために使われたり、それを手段として準備をするという優位性を感じて満足しようとする部分がある。
その差別性についての精神に、差別を指摘され差別されるべきところではある。結果として人には差があるという主張にブーメランで差別をされるべきという平等性がある。
なぜなら個人が暴力によって解決をするという手段がもとより否定されはく奪されているからである。銃や武器の携行の否定、復讐や実被害未然の防衛のための無力化攻撃の否定などである。
日本でタトゥー、入れ墨するなら、自分が弱いからという主張か、絶対に見せないという前提がなければむつかしいという現状くらいはわかったうえで
それでもなお入れざるを得ないという状況に自分が差し迫っているということでもなければ主張はできないだろう。
タトゥー、入れ墨をしているほかの人間もみな平等に自分の思いを主張しているわけではない。
隠していたり弱さゆえだったり、知らないところに入れている人間はいるだろう。それらを全員掘り起こして否定したいわけでもない。
主張をするなら、日本では反発をうける、その理由は前述のとおりで、それを超えて受け入れられ主張をしたいのではれば、方法としてなくはない、ということである。
子供になぜパパは一番じゃないの?最高はあらゆる高級品と体に印があって家族を愛してくれてるけど、うちにはなにがあるの?と聞かれて、答えるすべを庶民に残しているかということである。
洋楽好きを「オタク」と表現するのは腑に落ちない。下の図式だと【サブカル】の側だろう。
----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
・[目覚める時期] 幼年期~少年期(ローティーン) 少年期(ミドルティーン)~青年期(ハイティーン)
・[価値観] 「生活保守」主義? 「従属」は恥、「反抗」は善の《不良文化》? ※古くは映画館、ジャズ喫茶
・[住環境] 実家暮らし? 独立志向(一人暮らし、共同生活、同棲)?
・[趣味と性体験] 童貞か処女かは「不問」 童貞・処女は「恥」
・[傾向性] 「ネットの交流」で平均(没個性)化? 個性化、(他者との)差異化・差別化を重視・優先する「厨二病」?
・[ポリシー?] オナニー・スイーツ・集団アイドル?? Sex・Drugs・Rock'nRoll??
・[社会的認知] 非公認、未公認? 団塊世代が「数の力」で『若者文化』として「社会的な椅子(地位)」を獲得?
・[趣味対象と国] 自国モノに愛着(国内志向)? 外国モノを崇拝(海外志向≒出羽守タイプ)?
--------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
狂気のゲリラ的バブル型住宅高騰が発生している横浜市は、地価の高騰が社会問題になっている川崎市と隣接している。その川崎市に隣接しているのが東京都。再開発&地上げラッシュが起きている地域だ。通常では考えられない問題が、奇しくも同時期に、近所で起きている。
都市部と地方の格差拡大問題はすでに多くの人に取り上げられてきたが、ここにきて、大きな問題として浮上しているのが、都市問題である。見えてくるのは「負のバブル化する東京圏」という問題だ。
東京圏というと、日本の中心とか、観光地のすがすがしさや、文化情緒などをイメージするものだ。そしてそういう豊かさもあれば自然も文化もあるような、勝ち組の豊富さにひかれた人々が集まった結果日本国民の20%が住む人口の規模に発展を成し遂げたのも事実だ。
ところが、そういう魅力のあった時代は、どれも2011年より前に偏っている。東京都内だって、2012年以降はハッキリ言って無機質な再開発が進むだけで、池袋にせよあるいは下町の極北として知られる23区東部にせよ、その時代は昔に偏っている。
東京圏には街ごとの序列意識がある。実際には、地価も安く店舗や交通網の多い郊外や下町地域の方が住むにはいい場所で、むしろ山手線の内側や中央線沿線の西側は治安リスクとインフラ事情の貧弱さによる問題や何より高齢化の問題を抱えているのだが、東京圏はとにかくそのような事情を無視するのである。
私は2011年以降を「東京圏の黒い時代」と名付けている。都市圏との境目までは延々と個性ある光景が広がる。境界線から都市側に行くと、ある段階で急にその流れが終わる。神奈川県を抜けたら、山手線周辺に入ったら、埼玉県や千葉県を抜けたら、急に、歴史ある土地柄とは思えないファスト的風景や無機質な風景になるのである。
地域性がハッキリしているのが日本の都市とは言われている。阿佐ヶ谷や亀戸のように、駅名だけでイメージがつく。八王子なら高尾山の風光明媚さ、立川なら公園みたいに。しかし、東日本大震災以降の、「東京圏の黒い時代」は、はっきり言って、似たり寄ったりのものが増え続けているのである。
私は東海道線で横浜から東京に行くたびに、電車を降りて駅を出て歩いたときに見かけるあの「同じ都市風景」に、思うことがあった。赤羽でも、秋葉原でも、新小岩でも、渋谷でも、練馬でも、そして東京都の外の川崎や横浜でさえも、既視感のある風景。特別な理由があるわけでもないのに妙に没個性化していて膨大な人や金が凝縮される感じ。
「たまたま職場に近かったから」「たまたま学校に出やすいから」「たまたま住みやすい家があるから」「たまたま生活に便利だから」という、都会人の生活に至る中継点としての、半端な利便性、関係性を抜きにすればあまり成立しないところに、いびつな成長を遂げた姿があるのである。
こういう場所で、このような社会問題が連鎖して起きているということが、私にはとても気がかりなのである。昭和の裏社会もののようなイメージもあるバブル期ではなく、アベノミクス時代の方が実は事態が深刻で、市民が悲鳴を上げていて、頻繁にクローズアップされる現実は、日本人として見過ごせない。
大阪などよりは景気がよく、おまけに賃金水準が日本でもトップクラスで、多様性もある。その代割り、それ以上の価値はあまりないという場所に生きる日本人たちは、いったいどのような意識を形成するのだろうか。私とその家族も、あなたたちも、ほぼ同じ環境にいるはずだ。
しかし、2010年代くらいになると、地方にしかなかったファスト風土的光景が一気に都市部に広がり、凝ったチェーン店や文化はより高次のニーズを満たす街中のそれらに客を奪われる形で潰れ、貧困の高齢化、多文化共生などのあおりを受け、都市部の繁栄の広がりは陰りをみせてきた。
オタクだったら池袋と秋葉原の関係。池袋の方が本来は規模が小さいが、力をつけている池袋側のオタク文化に歴史や多様性以外なにもない秋葉原は負けてしまう。オタク系企業も西に移っている。そして西側の方が多様化が進んでいて成長が著しい。結果秋葉原文化は6年ちょっとでどうなったか。もう、電気街さえ。
じゃあ池袋がいいかというと、多摩地域と同じで一定のインフラ群はあっても、妙にひっそりしていて、千葉の都市部をもっとオーラを悪くした感じなのである。昭和時代に無機質に造成された建物がくすんでいる。人口も減りかけているだろう。
限られた都会の極地以外は、過去のように「勝手に集まって勝手に増えて勝手にぎわう」流れは通用しないでいる。とにかく輝きといえるような流れも何一つない。
しかし、大阪と違うのは外からの「東京圏は人口が最も多く、資源に富んでいて、日本の中では一番豊かで洗練されていて上等な部類に位置している」というイメージはあるということで、やはりギャップに葛藤するのである。不都合な現実、分断、ゆるやかな荒廃。こういうのを一番痛感するのが私たちだ。
でもこの「東京圏の黒い時代」にこそ、社会の急激な流れを感じる人が多い。現在では過酷なセクハラが常態化し「セクハラされた男社会4ね」という女性の叫びがネット上に飛び交う。
この「東京圏の負のバブル化」を本気で考えなければいけないのが、今の東京圏の現状だと思う。これらの場所がオーラを改善させ、2000年代までのような自・他ともに認める固有の性質を各地が確立でき、いびつな偏りのない競争が起きるくらいまで調整する役割を、私たちは放棄してはいけない。
内定を得るということを、仮のゴールとするなら、そのゴールから遠ざかるような行為ばかりしている。
(1)没個性化に走る
とにかく強力な同調圧力によって、髪型から服装からカバンまで、同じようなものにしたがる。
年収ランキングとか、就職偏差値とか、そんな嘘だらけ、無価値の情報にばかり気を取られて、社会の構造を調べようとしない。
上記の(2)からの発展だが、社会の構造を知らないので、結局、有名企業ばかりを狙う。
就職偏差値が高い企業に入ったほうが、何かと良いことがあるなんてことは、まったく保証されていない。
大企業ともなれば、部署ごとがひとつの会社みたいな世界になっていて、配属によっては、ものすごく激務ということだって普通にある。