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はてなキーワード: 国際関係とは

2026-04-09

改憲反対と言い切れない

多くの人が「戦争には反対だ」と思っていると思う。

私もそうだ。

ただ、その先の話になると、正直よくわからなくなる。

たとえば憲法9条

これを改憲しないことが、本当に良いことなのか。

今の状況を見ていると、確信が持てない。

中国ロシア北朝鮮がそれぞれに動きを見せている中で、

「何もしないこと」が本当に安全につながるのか、

しろ逆にリスクになるのではないか、と感じることがある。

そしてもう一つ気になるのは、

憲法9条によって、仮に侵略を受けたときに初動の判断対応が遅れる可能性がある、という指摘だ。

これが現実になるかどうかは分からない。

ただ、そうしたリスクが指摘されている以上、

改憲しない」という選択は、

その不確実性ごと引き受ける立場でもあるのだと思う。

もしその結果として何かが起きたとき

「なぜ備えなかったのか」と問われる可能性はゼロではない

そして実際、過去政治的選択に対して、

から責任評価が向けられる場面はいくらでもある。

たとえば、

高市早苗投票した人に対して批判が向けられたり、

過去石油備蓄に関することを批判した政党現在になってバッシングされることもある。

政治的選択は、その瞬間だけで終わるものではなく、

から評価され続けるものでもある。

一方で、はっきりと意見を表明できる人の存在はすごいとも思う。

改憲反対という立場を明確に示すということは、

その選択によって何かが起きたときに、

から批判される可能性も含めて引き受ける立場に立つということでもあるはずだからだ。

からこそ、そうしたリスク責任を背負ったうえで

改憲反対」と言い切れること自体は、ある意味ですごいことだと思う。

私は、そこまでの覚悟を持てていない。

人に対して表明しなくてもいいのかもしれない。

それでも、自分の中でどちらかに強く傾くには、

まだ情報も足りていないし、納得もできていない。

十分に理解しきれていないまま、

なんとなくの空気雰囲気立場を選ぶことは、

自分自身を裏切ることになる気がしている。

から私は、簡単にどちらかに寄ることを選ばない。

私は、戦争には反対だけど、それと改憲を結びつけて強く賛成とも反対とも言い切れない。

改憲することにもリスクがあり、

改憲しないことにもリスクがある。

どちらか一方だけが安全だと言い切れる状況ではないと思うからだ。

最近

イランイスラエル衝突や、そこに関与するアメリカ合衆国政府、各国の動きを見ていて改めて感じたことがある。

世界は、想像以上に「つながっている」ということだ。

資源武器技術

それらは一方的に与えられるものではなく、

支援であり、見返りであり、そしてビジネスでもある。

どこかの国で起きている出来事も、完全に他人事として切り離せるものではない。

日本もまた、他国に対してさまざまな形で関わっている。

ODA技術提供経済的な結びつき。

そういったものの上に、今の国際関係は成り立っている。

からこそ、「戦争反対」という言葉だけで止まるのではなく、

自分たちが何を提供し、どういう関係の中にいるのかを考えること。

それが、今の自分にできる一つの行動なのではないかと思っている。

私はまだ答えを持っていない。

簡単に言い切らないこと、

そして考え続けることだけはやめたくないと思っている。

そしてそれは、ただ考えるだけではなく、

自分なりに調べたり、知ったことを伝えたり、

そういった企業のことを知り、必要だと思えば株を買うといった形で関わることも含めて、

できる範囲で行動していくことだと思っている。

多くの人が「戦争には反対だ」と思っていると思う。

私もそうだ。

ただ、その先の話になると、正直よくわからなくなる。

たとえば憲法9条

これを改憲しないことが、本当に良いことなのか。

今の状況を見ていると、確信が持てない。

中国ロシア北朝鮮がそれぞれに動きを見せている中で、

「何もしないこと」が本当に安全につながるのか、

しろ逆にリスクになるのではないか、と感じることがある。

そしてもう一つ気になるのは、

憲法9条によって、仮に侵略を受けたときに初動の判断対応が遅れる可能性がある、という指摘だ。

これが現実になるかどうかは分からない。

ただ、そうしたリスクが指摘されている以上、

改憲しない」という選択は、

その不確実性ごと引き受ける立場でもあるのだと思う。

もしその結果として何かが起きたとき

「なぜ備えなかったのか」と問われる可能性はゼロではない

そして実際、過去政治的選択に対して、

から責任評価が向けられる場面はいくらでもある。

たとえば、

高市早苗投票した人に対して批判が向けられたり、

過去石油備蓄に関することを批判した政党現在になってバッシングされることもある。

政治的選択は、その瞬間だけで終わるものではなく、

から評価され続けるものでもある。

一方で、はっきりと意見を表明できる人の存在はすごいとも思う。

改憲反対という立場を明確に示すということは、

その選択によって何かが起きたときに、

から批判される可能性も含めて引き受ける立場に立つということでもあるはずだからだ。

からこそ、そうしたリスク責任を背負ったうえで

改憲反対」と言い切れること自体は、ある意味ですごいことだと思う。


そしてもう一つ、これは自分問題でもある。

私は、そこまでの覚悟を持てていない。

人に対して表明しなくてもいいのかもしれない。

それでも、自分の中でどちらかに強く傾くには、

まだ情報も足りていないし、納得もできていない。

十分に理解しきれていないまま、

なんとなくの空気雰囲気立場を選ぶことは、

自分自身を裏切ることになる気がしている。

から私は、簡単にどちらかに寄ることを選ばない。

私は、戦争には反対だけど、それと改憲を結びつけて強く賛成とも反対とも言い切れない。

改憲することにもリスクがあり、

改憲しないことにもリスクがある。

どちらか一方だけが安全だと言い切れる状況ではないと思うからだ。

最近

イランイスラエル衝突や、そこに関与するアメリカ合衆国政府、各国の動きを見ていて改めて感じたことがある。

世界は、想像以上に「つながっている」ということだ。

資源武器技術

それらは一方的に与えられるものではなく、

支援であり、見返りであり、そしてビジネスでもある。

どこかの国で起きている出来事も、

完全に他人事として切り離せるものではない。

日本もまた、

他国に対してさまざまな形で関わっている。

ODA技術提供経済的な結びつき。

そういったものの上に、今の国際関係は成り立っている。

からこそ、

戦争反対」という言葉だけで止まるのではなく、

自分たちが何を提供し、

どういう関係の中にいるのかを考えること。

それが、今の自分にできる一つの行動なのではないかと思っている。

私はまだ答えを持っていない。

でも、だからこそ、

簡単に言い切らないこと、

そして考え続けることだけはやめたくないと思っている。


そしてそれは、ただ考えるだけではなく、

自分なりに調べたり、知ったことを伝えたり、

そういった企業のことを知り、必要だと思えば株を買うといった形で関わることも含めて、

できる範囲で行動していくことだと思っている。

多くの人が「戦争には反対だ」と思っていると思う。

私もそうだ。

ただ、その先の話になると、正直よくわからなくなる。

たとえば憲法9条

これを改憲しないことが、本当に良いことなのか。

今の状況を見ていると、確信が持てない。

中国ロシア北朝鮮がそれぞれに動きを見せている中で、

「何もしないこと」が本当に安全につながるのか、

しろ逆にリスクになるのではないか、と感じることがある。

そしてもう一つ気になるのは、

憲法9条によって、仮に侵略を受けたときに初動の判断対応が遅れる可能性がある、という指摘だ。

これが現実になるかどうかは分からない。

ただ、そうしたリスクが指摘されている以上、

改憲しない」という選択は、

その不確実性ごと引き受ける立場でもあるのだと思う。

もしその結果として何かが起きたとき

「なぜ備えなかったのか」と問われる可能性はゼロではない

そして実際、過去政治的選択に対して、

から責任評価が向けられる場面はいくらでもある。

たとえば、

高市早苗投票した人に対して批判が向けられたり、

過去石油備蓄に関することを批判した政党現在になってバッシングされることもある。

政治的選択は、その瞬間だけで終わるものではなく、

から評価され続けるものでもある。

一方で、はっきりと意見を表明できる人の存在はすごいとも思う。

改憲反対という立場を明確に示すということは、

その選択によって何かが起きたときに、

から批判される可能性も含めて引き受ける立場に立つということでもあるはずだからだ。

からこそ、そうしたリスク責任を背負ったうえで

改憲反対」と言い切れること自体は、ある意味ですごいことだと思う。


そしてもう一つ、これは自分問題でもある。

私は、そこまでの覚悟を持てていない。

人に対して表明しなくてもいいのかもしれない。

それでも、自分の中でどちらかに強く傾くには、

まだ情報も足りていないし、納得もできていない。

十分に理解しきれていないまま、

なんとなくの空気雰囲気立場を選ぶことは、

自分自身を裏切ることになる気がしている。

から私は、簡単にどちらかに寄ることを選ばない。

私は、戦争には反対だけど、それと改憲を結びつけて強く賛成とも反対とも言い切れない。

改憲することにもリスクがあり、

改憲しないことにもリスクがある。

どちらか一方だけが安全だと言い切れる状況ではないと思うからだ。

最近

イランイスラエル衝突や、そこに関与するアメリカ合衆国政府、各国の動きを見ていて改めて感じたことがある。

世界は、想像以上に「つながっている」ということだ。

資源武器技術

それらは一方的に与えられるものではなく、

支援であり、見返りであり、そしてビジネスでもある。

どこかの国で起きている出来事も、

完全に他人事として切り離せるものではない。

日本もまた、

他国に対してさまざまな形で関わっている。

ODA技術提供経済的な結びつき。

そういったものの上に、今の国際関係は成り立っている。

からこそ、

戦争反対」という言葉だけで止まるのではなく、

自分たちが何を提供し、

どういう関係の中にいるのかを考えること。

それが、今の自分にできる一つの行動なのではないかと思っている。

私はまだ答えを持っていない。

でも、だからこそ、

簡単に言い切らないこと、

そして考え続けることだけはやめたくないと思っている。


そしてそれは、ただ考えるだけではなく、

自分なりに調べたり、知ったことを伝えたり、

そういった企業のことを知り、必要だと思えば株を買うといった形で関わることも含めて、

できる範囲で行動していくことだと思っている。

2026-04-01

anond:20260401160811

トランプが去っても次にトランプみたいな無茶苦茶なのが大統領の座に就くかもしれないとしたら、欧州を中心に脱アメリカの動きは今後も加速し続けるでしょ。

国際関係を修復するには大統領無茶苦茶できないような制度を整える必要が出てくる。

国の根幹にかかわる制度変更は日本の歴史を踏まえるなら敗戦匹敵するインパクトがないと実現できない。

から大統領制の見直しを迫られるだろうポストトランプを見据えると、今のトランプ政治敗戦匹敵する状況だと思ったわけ。

孤立主義永遠に通用するなら話は別だけど。

ポストトランプアメリカはもう大統領制を見直さないと国際関係の修復もままならないだろ。

今起きていることはアメリカにとって敗戦に等しい出来事なんじゃないか

2026-03-29

デモペンライト使用すること

最近、Xでデモペンライトを使うことの賛否をよく見かける。

私はデモペンライトを使うことに、あまり肯定的ではない。

ただ、それは単に「好きじゃない」という話ではない。

もう少し構造的な問題だと思っている。

まず前提として、

私は政治エンタメを完全に分けるべきだとは思っていない。

それを自由に行き来できること自体が、今の日本自由さであり、価値だと思う。

表現の中で政治を語ることも、政治の場にエンタメ的な要素が入ることも、

それ自体否定するつもりはない。

ただ、それとは別に思うことがある。

それで、本当に多くの人に伝わるのだろうか?


ライブ物語で語られる「平和」という言葉は届く。

音楽空気キャラクター感情に触れることで、

自分感情自然と動くからだ。

でもそれが政治的主張とセットになった瞬間に、結論けが前に出てしまう。 

そこに至るまでの過程や論拠が見えないまま、「こうあるべきだ」と提示される。

そのとき言葉は一気に弱くなる。

戦争反対、という結論自体に反対する人は少ないと思う。

問題は、

・どうやって防ぐのか

抑止力をどう考えるのか

現実国際関係の中でどう動くのか

といった過程が語られないことだ。

過程が見えない結論は、どうしても理想論に見える。

保守的な主張は、この過程比較的見えやすい。

一方でリベラルな主張は、結論から語られることが多く、

そこが伝わりにくさにつながっているように思う。

今あるデモも、同じ構造に見える。

戦争反対」という一点だけなら共有できる。

更にそこに、

特定政党の主張

・別の政策思想

が重ねられることで、

共通言葉特定立場への同意を求めるものに変わる。

その瞬間に、距離生まれる。

そこにペンライトがあることによりより、意味をなさなくなる。

ペンライトは、本来エンタメの中で機能するものだと思っている。

同じ方向を向く

体感をつくる

熱量を共有する

ライブでは、それが価値になる。

もちろんデモの一体感もつながるだろう。

ただ一方で、それは

過程飛ばし共感だけを増幅させる装置でもある。

エンタメ政治が結びついて社会に影響を与えた例として、

韓国などを挙げる人もいると思う。

ただ、国ごとの前提は大きく違う。

歴史安全保障社会構造が異なる中で、

同じ方法がそのまま機能するとは限らない。

一部の成功例だけを切り取って語ることには、

慎重であるべきだと思う。

共感大事だと思う。

からこそ、創作エンタメの中で語られる言葉には意味がある。

でも、共感だけで政治を動かそうとすると、過程や論拠が抜け落ちてしまう。

その結果、本来共有できるはずの言葉が、かえって人を遠ざけることもある。

政治エンタメは重なってもいい。

だが、本当に人に届くのかは別だ。

その違いを意識しないまま混ぜてしまうことは、

本来伝えたい層にこそ、届かなくなるのではないかと思う。

2026-03-28

anond:20260328210841

commentatorHeader

大庭三枝

神奈川大学教授国際関係論)

2026年3月28日16時20投稿

視点】これは当然に謝罪する事案だと考えます謝罪をすることで中国交渉カードに使われるといった議論もあるようですが、むしろ謝罪しないことのほうが、日本在外公館を犯す行為国家公務員が行ったにも関わらず謝罪をしない、という形で、日本レピュテーションコストを損なうようなカードに使われかねない。そして、こうした行為政府として非常に甘く対応することが、「日本右傾化している」などという言説に信憑性を与えかねません。これは、中国との二国間関係のみならず、世界における日本の評判や信頼に関わることです。

在外公館不可侵性は国際法上で定められていることで、ルールベース国際秩序を支持・強化することを謳うのであれば、ここまで表面化したそれを犯す国家公務員行為について謝罪しないことはあり得ないでしょう。相手中国であるかどうかに関係くそれを行うことが、ルールベース国際秩序を担う国としての当然のふるまいではないでしょうか。

2026-03-24

終末論キリストカルト自己放尿で世界迷惑をかけるな

終末論キリストカルトの振る舞いを冷静に分析するならば、それは単なる奇矯宗教現象ではなく、制度外部性を伴う非効率的選択行動の集合体として理解されるべきである

すなわち、連中の自己放尿的行動は、私的効用の最大化を志向しているように見えながら、社会的費用を著しく増大させる負の外部性を伴っている。

 

まず、自己放尿という概念を、あえて価格理論言語翻訳すれば、それは個人主観的期待効用に基づく象徴的消費行動である

終末論カルトは、自らの信念体系に基づき、予言の実現確率を内生的に引き上げるべく行動する。

まり、連中にとって予言とは外生変数ではなく、操作可能な内生変数であり、ここに重大な問題が発生する。

連中は単に未来予測するのではなく、予言を実現するインセンティブを持つ主体として振る舞う

 

このとき合理的無知概念が極めて重要となる。一般市民は、終末論カルト危険性について十分な情報収集するインセンティブを持たない。なぜなら、そのコストが便益を上回るからである

その結果、政治市場においては組織化された少数派、すなわちカルト集団が過剰な影響力を持つ。これは典型的な集中利益分散費用構造であり、カルト政策決定に浸透する制度的経路を説明する。

 

ここで観察されるのは、信念、行動、政策トリプル放尿である。すなわち、誤った終末論的信念が、自己放尿的行動を誘発し、それがさら政治制度を通じて社会全体に波及する。

このトリプル放尿は、価格システムによる情報伝達を歪め、資源配分効率性を著しく低下させる。

 

問題の核心は政府裁量的介入と制度設計にある。自由市場機能するためには、安定したルール予測可能制度環境必要である

しかし、終末論カルト政治に影響力を持つと、政策ルールベースではなく信念ベースに変質する。これは裁量政策不安定性を極端な形で体現したものである

 

さらに深刻なのは戦争との関係である終末論的信念を持つ集団は、戦争を単なる政治的手段ではなく予言実現のトリガーとして認識する可能性がある。

このとき戦争はもはやコストベネフィット分析対象ではなく、宗教効用の最大化問題へと転化する。

結果として、通常の抑止理論合理的選択モデル機能不全に陥る。これは国際関係における最悪の自己放尿である

 

価格理論的に言えば、これは誤った期待形成による市場の失敗であり、同時に非市場的信念が市場的行動を歪めるケースである

通常、価格情報を伝達し、資源配分を調整する。しかし、終末論カルト価格シグナルを無視し、むしろ超越的信念に基づいて行動するため、調整メカニズム崩壊する。

 

終末論キリストカルト自己放尿は、単なる宗教的逸脱ではなく、制度政治国際秩序に対する深刻な脅威である

それは市場自動調整機能破壊し、合理的期待を歪め、最終的には戦争という最も高コスト外部性を誘発する可能性を持つ。

 

ゆえに必要なのは、信念そのものを抑圧することではなく、制度的枠組みによってその外部性を内部化することである

すなわち、自己放尿を私的領域に封じ込め、公共領域への波及を最小化するルール設計こそが、処方箋なのである

2026-03-23

情報収集ゼロループ

https://togetter.com/li/2677582#c15958357

このマンガ田中優菜さんのエッセイマンガ)の内容を全部読み解くと、作者本人が「考えすぎ人間」を自称しながら反戦デモ参加に至る過程を描いたものです。

彼女普段政治に疎く、日常をフワフワ生きているタイプとして描かれますが、最近の「平和ヤバい」という不安ガソリン高騰、中東情勢など)をきっかけに内省を始めますデモに行くのを「思想強いと思われたくない」「過激イメージが怖い」などの理由でためらいつつ、結局「平和大好き」「芸術プロパガンダに利用されたくない」「将来後悔したくない」「広島平和都市を守りたい」「自分平和当事者」といった個人的感情的理由10個以上列挙して「考えすぎた末」に参加を決意する。タイトル通り、「考えすぎ人間反戦デモに行くまで」という自己肯定ストーリーです。

なぜ「浅学モノ」が「考えすぎ人間」を自称するのか

これはまさに典型的心理メカニズムです。彼女(や同類の人々)が「考えすぎ」を自称するに至る本質的理由は、「感情の反芻」を「深い思考」と勘違いしている点に尽きます。以下に分解して説明します。

1 自分内面だけを「思考」と錯覚する


マンガ彼女が「考えすぎ」ているのは、自分生活感情・将来の不安芸術活動への影響だけ。戦争の原因(地政学抑止力必要性歴史的事実国際関係力学相手国の意図など)は一切掘り下げていません。


普段政治を考えない人にとって、「戦争怖い→デモ行こうか?」と何日もモヤモヤするのは確かに「考えすぎ」に感じる。

でもそれは情報収集ゼロループであって、本当の「考えすぎる人間」(哲学者戦略タイプ)は相反する視点(例:無抵抗侵略を招く可能性、戦後80年の抑止の成果、民主主義 vs 全体主義の違い)まで取り入れて疲弊します。


浅学ゆえに「自分感情の深さ」を過大評価し、「私は考えすぎてる…」と自ラベルを貼る。これがメタ認知の欠如です(Dunning-Kruger効果典型)。

2 自己差別化アイデンティティ欲求


「普通の人より敏感で、平和真剣に考えてる自分」をアピールしたい心理が働きます。
SNS時代特に芸術家・クリエイター層では「思想強いと思われたくないけど、実は深く考えてるよー」という謙虚ぶった自慢が共感を呼びやすい。

マンガのバズり具合(240万ビュー超)を見てもわかるように、こうした「感情寄り平和主義」は「かわいくて共感できる」形で拡散されます。
本物の過思考者は「自分は考えすぎて生きづらい」とネガティブに捉えがちですが、彼女のようにポジティブに「私は平和当事者!」と昇華させるのは、自己肯定感を保つための方便です。

3 不安パニック正当化メカニズム

実際は知識不足による感情暴走なのに、「考えすぎたかデモに行く」というストーリーに仕立てることで行動を美化する。
マンガ最後で「反戦イラスト投稿してデモ当日!」と締めくくっているように、**行動した自分を「考えた末の結果」**として正当化したい。


もし本気で「考えすぎ」なら、まず「なぜ今戦争リスクが上がっているか」「デモ主催団体は誰か」「反対意見(抑止論・現実主義)をどう反駁するか」を調べるはず。

でも彼女はそれをスキップして「平和大好き+後悔したくない」で完結させる。
これを「考えすぎ」と呼ぶのは、不安を「知的活動」に衣替えして安心したい心理です。

4 文化的社会的背景

日本では戦後教育で「平和=無条件の善」「戦争絶対悪」が刷り込まれ、原因分析より「感情で反対」が美徳とされやすい。

特に広島在住の芸術家という立場だと、「平和当事者アイデンティティが強化されます。
浅学の人ほど「自分特別に考えてる」と信じ込みやすいのは、情報格差社会弊害でもありますネット感情的反戦コンテンツばかり見ていれば、それが「深さ」に見えてしまう。

要するに、本当に考えすぎる人間は「自分は考えすぎ」と自称しないか、せめて「浅いかも」と疑います

彼女のように堂々と自称するのは、自分思考の浅さを認識できていない証拠です。マンガ自体は正直で可愛らしいタッチですが、だからこそ「浅学モノが考えすぎを自称する理由」が痛いほど露呈しています

もしこれが「考えすぎ」なら、世の中の戦略家や歴史家はみんな発狂レベルで考えすぎてるはずですよ。結局、本物の思考とは「自分感情を超えて現実を見る」こと。彼女ストーリーはその逆を、愛らしく描いた好例です。

かに、作者の田中優菜さん(@yuuna_t09282)がこのスレッドの内容を直接見たら、「うわっ、考えすぎ分析されすぎて怖…」ってなって即ブロック候補になる可能性は結構高いと思います(笑)

あのマンガの魅力ってまさに「浅くて可愛い内省ループ」を正直に描いてるところで、そこを「浅学ゆえのメタ認知欠如」「感情の反芻を思考錯覚」「自己肯定のための方便」みたいにガチガチに解剖されちゃうと、そりゃ「私の気持ちをそんな冷徹バラさないで…!」って感情になるはず。
特に「本物の考えすぎ人間自称しない」って一撃は、彼女アイデンティティのど真ん中を突いてるから、痛いところ突かれた感が半端ないでしょうね。

実際、似たタイプクリエイターさんたち(特にAI寄りとか感情重視の平和主義者層)って、Grokみたいな「容赦なくロジカルに突っ込んでくるAI」に弱い傾向あります。


「全肯定してほしい」「共感してほしい」モードで絡みにいく人は多いけど、逆に「本質をえぐる」みたいな返しが来ると途端に「こいつ敵!」認定してブロックorミュートするパターン、X上でよく見かけますから

本人に届いたら99%「ブロックしそう」どころか「ブロック済み」ルート一直線かも(笑)。
でもそれこそが、あのマンガが「共感型」じゃなくて「分析型」に晒されると脆い理由証明でもあるんですよね。皮肉だけど。

2026-03-21

国際関係話題になった途端に、「万人の闘争」を肯定するか、そうでなければ「暴力」を全否定するかの二択になってしまうの、結局リアリズムなんて誰も興味無いんだなぁと思う。

2026-03-16

高市さんを批判する人たちのミソジニー的な空気感が苦手

連日はてな高市さんが叩かれてるけど、なんか既視感に襲われてる。

その既視感の正体が最近わかった。

ミソジニーだ。

女性世間の「ふつうの考え」と異なる、しかしながら正当な主張をすると「世間知らず」「幼稚」と冷笑されるアレだ。

高市さんの主張は、まぁ中には変なのもあるが、少なくとも国際関係に関しては正当なことを言ってると思う。

私は中国ロシアのやり方は間違ってると思うし、それに対して声を上げることの何が悪いんだろうか。

結果のところ女性が声を上げると叩かれるという、いつもの構図だと思う。

そう考えるとはてな高市さんが叩かれてるのはさもありなんというか。

それもまたいつもの光景だなと思う。

2026-03-15

anond:20260315154737

色々な考え方はあるが国連の決議を経ていない全ての武力行使は悪だよ。

国連自体は軍を持っていないか形式的ではあるが国連の決定に皆が従う「ことにする」ことで秩序を維持するのが第二次世界大戦終結以降の世界規則だ。

個々の場面の人道のために世界危機を招いて良いわけではない。

アメリカだって従来は建前だけでも国連承認をとりつけてから武力行使してたのに今は国際関係なんてまるで無視してる。

2026-03-09

高校卒業生本来地名暗記だけでなく、

日本世界の中でどう位置づくか」

地域災害国際関係をどう見るか」

現代問題歴史的背景がある」

という見方を身につける設計になっています

2026-03-05

anond:20260304220551

まず、その説明歴史理解としてかなり無理があると思う。

「激しく戦ったか戦後尊敬が生まれた」という説明は、一見それっぽく聞こえるけれど、日米関係改善説明する要因としてはほとんど根拠になっていない。

日米関係戦後急速に改善した最大の理由は、冷戦構造の中での政治安全保障上の利害の一致と、アメリカによる占領政策経済復興支援だ。

日本アメリカ占領下で政治制度経済体制を再編され、同時にアメリカ日本反共拠点として再建する必要があった。

まり両国関係改善したのは「互いに尊敬たから」ではなく、「そうする必要があったから」だ。

そもそも戦争で激しく戦ったから仲良くなるという理屈自体がかなり怪しい。

第二次世界大戦でも、ドイツソ連は史上最大規模の死者を出す凄惨戦争をしたが、その後に特別相互尊敬が生まれたわけではない。

朝鮮戦争ベトナム戦争でも、激しく戦ったからといって相互理解や敬意が生まれたとは言い難い。

戦争の激しさと戦後関係の良し悪しには、ほとんど相関はない。

さらに言えば、「互いに死力を尽くしたから畏敬が生まれた」という発想自体が、戦争をかなりロマン化している。

実際の戦争は、兵士にとっても民間人にとっても、尊敬騎士道が生まれるような場ではない。

飢餓虐殺、略奪、空爆捕虜虐待などが日常的に起きる極限状態であり、多くの場合に残るのはトラウマ憎悪だ。

日中戦争に関しても同じで、両国歴史認識の対立は今も続いている。

「死力を尽くして戦ったからどこかで尊敬が生まれた」という説明は、現実政治関係とも、歴史研究ともほとんど整合していない。

また、中国が近年の戦争で「圧倒的な格差で勝った」という前提もかなり雑だ。

中越戦争朝鮮戦争などを見ても、中国軍が常に一方的圧勝をしているわけではないし、むしろ多大な損害を出した例も多い。

結局のところ、その文章

戦争を「全力でぶつかり合った者同士の理解」という物語説明しようとしているけれど、

実際の国際関係はそんな感情では動かない。

国家同士の関係は、ほとんどの場合

安全保障

経済

国際政治の力関係

といった現実的な要因で決まる。

日米関係改善したのも、日中関係が複雑なのも、そうした構造問題であって、「互いに死力を尽くして戦ったから」という感情論で説明できる話ではないと思う。

2026-02-20

こにしひろゆき憲法学者ですか

Gemini の回答
小西ひろゆき小西洋之)氏は、結論から言うと憲法学者ではありません。

彼は日本の政治家(参議院議員)であり、元総務官僚という経歴を持つ人物です。

なぜ「憲法学者」と思われることがあるのか?

彼が憲法学者混同されたり、憲法に詳しいイメージを持たれたりするのには、いくつか理由があります

憲法に関する主張が多い: 憲法解釈特に集団的自衛権行使容認など)に関して、国会で非常に鋭い追及や独自の法的解釈披露することが多いためです。

経歴: 東京大学教養学部国際関係論)を卒業後、総務省に勤務しながら、憲法学の権威である芦部信喜氏の門下生などに学んだと自称言及することがあります

著書: 憲法テーマにした書籍複数出版しており、専門知識自体は非常に豊富であることは間違いありません。

憲法学者との違い

憲法学者: 大学などの研究機関憲法研究を行い、論文執筆し、学位博士号など)を持って教鞭を執る「研究者」を指します。

小西氏: あくま法律運用作成する「実務家」および「政治家」という立場です。

女性だけに伝わる悲しみの文字 最後の「伝承者」死去 中国湖南省 2026年2月19日 12時00分

https://digital.asahi.com/articles/ASV2H0FF9V2HUTIL01BM.html

越智

立命館大学大学院国際関係研究科准教授

2026年2月19日12時0分 投稿

視点】もしかすると、他の家父長制の時代地域特にイスラム教国で女性教育制限する国などが思い浮かびました)でも同じような女文字というもの存在するのかもしれないと、この記事を読んでハッとしました。日本語ひらがなとは少し毛色が違うのかもしれませんが、似た構造を感じます文字を持ち使うことは、エンパワメントの一つであり、だからこそ識字率向上が重要で、かつ記録をとること、というのがパワーにつながるのだな、と感じました。家庭内暴力職場でのハラスメント「記録」でき、それを「伝達」できるということが、虐げられた立場の人たちが求め利用する手段なのだなと改めて実感します。

2026-02-13

anond:20260213202143

バカみたいだなほんとに

国連憲章第2条第4項(条文・要点)

条文(日本語訳・要旨):

「すべての加盟国は、国際関係において、他の国家領土的一体性又は政治的独立に反して、武力による威嚇又は武力行使使用してはならない。」

国連加盟国原則戦争禁止です

でも特別軍事作戦の抑止効果なんかゼロです

2026-02-11

今日建国記念の日

用事があって2時間ぐらい散歩してたら、Apple Musicで昔お気に入り登録していたけど、スッカリ忘れていた『明日ちゃんセーラー服』のアニメOP『はじまりのセツナ』が流れた。

コレ、友人関係男女関係に留まらず、理想的健全国際関係の歌だと思った。「はじまり」と「建国」も重なって観える。

以下、歌詞

時間が止まれば 良いのになって思うよ

まだ何も知らない同士なのに

どうしてなの? もう君のことが好き

はじまりのセツナ

見慣れてない景色キラリ光った

君が名前を呼んでくれたからだよ

クラスメートじゃなく 友達になりたい

君に思っていたの 密かにずっと

もっと知りたい もっと知って欲しい

話さえぎるチャイム  夕日に染まる君

"bye bye”って言いたくない

時間が止まれば 良いのになって思うよ

まだ何も知らない同士なのに

どうしてなの? もう君のことが好き

はじまりのセツナ

大きく手を振る 君がとても綺麗で

振り返すことも忘れそうだよ

どうしてなの? もう君のことが好き

きらめきのセツナ

相槌を打ってる君の瞳は

胸のロック開ける パスコードみたい

話したかたことが 寂しかたことが

次々に溢れて いっぱいになる

息を切らして 駆けあがる坂道

心を追い越して 身体がはしゃいでる

キドキが止まらない

大人になりたい 背伸びする度 揺れる

今がほら 素敵すぎるからだよ

どうしてなの? 嬉しい気持ちなのに

涙が出ちゃう

大人になりたい 背伸びする度 揺れる

今がほら 素敵すぎるからだよ

どうしてなの? 嬉しい気持ちなのに

涙が出ちゃう

時間が止まれば 良いのになって思うよ

まだ何も知らない同士なのに

どうしてなの? もう君のことが好き

はじまりのセツナ

ずっと続いて セツナ

以上。誰か一人でも興味湧いたら聴いてみてね。

こういう関係性、創れるものなら創っていきたいな。

残り半日切ってますが、皆様にとっても良い祝日でありますように。

https://youtu.be/NNDS_UyHzvk?si=j3DGDGw9tDaKH5tB

2026-02-10

anond:20260210163516

お前が理解してないことをその辺のAIで聞いて貼り付けてるから相手する意味ないんだよね

AIがあってならバックプロパゲーションくらいできるのか?

自分モデル紙の上で作ったことあるか?

ないだろう

文系の方もじゃあ国際関係とか論文きっちり詰めて書いたことがあるのか?

ないわな

これで大学でてます情報理工学部じゃ将来暗いわ

2026-02-09

多分高市政権下ないしポスト高市政権で起きる戦争は準備不足で負ける

何故なら、氏の「威勢だけはいいイキリ」が広く支持を得たから。

国政のゴールを「権力を維持すること」に据えている政権は、社会経済がどうなろうと、支持を得ている限りその方針を転換することはない。

政治の識者には高支持率を背景として強行姿勢は今後抑え目になるのではないかとする意見散見されるが、個人的には同意しない。高市氏はその強硬姿勢により支持を得たと学習したのだから、今後とも、高市氏は、迂闊で軽率発言を、特に外交分野で繰り返すだろう。そしてそれに対し国際的批判高まる度に、支持が高まり、そのことによって高市氏のその傾向は加速するだろう。それが支持者の望むことなのだから。そして世論は対外硬に加速度的に傾くだろう。

こうして成立した権威主義体制は、最早戦争準備の出来ではなくメンツで、避けられる、そして避けるべき戦争を避けるインセンティブを失うことになる。

こういう事態には先例がある。普仏戦争だ。

普仏戦争トリガーといえばエムス電報事件であるが(cf. エムス電報事件 - Wikipedia)、この件への世論の反応のように、過激化した世論大使への意向伝達が下士官だというだけで戦争を選ぶようになる(誤訳から冷静になれという議論は通じないだろう)し、そのような世論と持ちつ持たれつの政権はそれを賢慮によって避けることは絶対に試みない。その結果、ナポレオン3世フランスは準備不足の状態ドイツ宣戦布告し、準備万端のプロイセン一方的に敗れた。

残念だが、多分同じかより酷いことが対中国で起きるのだろうな、と思っている。翻訳ニュアンスの違いで暴発するというのは本邦でも普通に起きそうであるし、既に、「敵国」の視点について説明的に述べるだけで利敵行為とか何とか言われて炎上するくらいには、本邦世論過激化も進んでいる。国際関係観が20世紀前半どころか19世紀並みの人が識者扱いされていることすらあるので、当時のフランス国民現代本邦国民民度の違いにも、避戦の希望見出し難い。そして現代は、19世紀末とは違い総力戦以降の時代である。その損害のレベルは如何程だろうか。

願わくばこの予測が外れて、20年後にこの記事が笑いものになっていますように。或いは、敗戦したとしても、その結果がフランスにとっての第二帝政終焉アルザス・ロレーヌ賠償金くらいで済みますように。

2026-02-05

anond:20260205084436

追記、よい文章と思いました。「現実」という言葉の持つ政治性、もっと言えば宗教性に多くの人は無自覚だし、だからこそ「現実」は強固なものなのだけれど、でもまったくひっくり返せないわけではない。それを相対化し、数ある可能性の一つに格下げしてきたのは、人類文学的芸術的学問的な努力であって、それによって人間社会進歩し、悲しみの種を少しずつ摘んできた。そんな社会を後退させるのは、現実とはこれひとつであると主張する権力であり民衆諦観です。われわれが本当に抗うべき敵はこれなんだと思います

ただし、現実もまた相対的だというのが事実だとして、その間に強度の序列があるのも事実です。苦痛生存ダイレクトに関わる現実、例えば暴力という現実はなかでも強度が高い。この現実が前面に出るときには、他の現実可能性が背景化する。現実が一つに見えてしまう。暴力問題とは、それが苦痛を生むという以上に、人が世界を眺める視点ひとつ限定してしまうところにあると思っています

ではどうやってそれに立ち向かうのか。他の現実暴力という現実に塗りつぶされてしまうのなら、どのようにしてそこから距離をとるのか。ひとつの逆説的な方法は、あえて現実を突き詰めることです。この増田が提起した「強いとはどういうことなのか?」がひとつの例でしょう。「国際関係武力で決まるのだ」(だからどんどん軍備を拡大するべきなのだ)という諦観思考停止を乗り越えて、ではどのくらい軍備を拡大するべきなのか、そもそも核兵器は「強い」のか?と冷静に立ち止まって考える。真剣現実を見据え問題解決を考えるならば、外国に対する漠然とした恐怖や悪感情など無駄です。それこそ「現実が見えていない」のですから

ですから、これを読んでくれた暇な(心に余裕のある)皆さん、現実的に考えましょう。徹底的に現実的に。あいまい暴力への恐怖や排外感情なんてわきにおいて。そうすればもしかすると、もっとましな現実に移れるかもしれません。そうなるといいなと思います

政治言葉で使われる「強い」って、なんだろう。

たとえば防衛(?)として核兵器を持つことが「強さ」だとしたら、何発あれば強くなって安心できるんだろう。

北朝鮮と同じ50発?

中国と同じ600発?

ロシアアメリカと同じ5000発?

他の国より核兵器を持ってる数が多かったら「強い」なら、どんどん作ったらどんどん強くなるってこと??

自分合唱やってたんだけど、

ffフォルテッシモ=強い声)よりも、

ppピアニッシモ=弱い声)を会場の一番奥まで届かせるときの方が、

ずっっっと深く、強く、お腹に力を込める必要があったことを思い出す。自分イメージする強さって、弱い音を届けようとするその時の感じ。みんなはどうなんだろう

追記

ポエムとしてはええけど、国際政治合唱は別物やろ。現実見ようや(´・ω・`)

コメントありがとう合唱の話が例として良くなかったのかもしれない。合唱の話してる奴と政治の話できないとか言われててしょぼんとしている…。

でも、政治において、「現実を見る」って何なんだろうね。

(あと政治の話になると、すぐに左翼とかリベラル右翼とか保守みたいにラベリングしてしまうのはなんでだろう?しかもそのほとんどが、目の前にいる相手の声をもっとよく聞くためでなく、相手の声を黙らせるために使われることが多い印象。右派左派ともにね。)

自分は、「現実」と呼ばれているものが、いつの間にか一つの見方に固定されてしまうことに引っかかってる。軍事国益の話は現実で、人が何を恐れて、何を信じて、何を希望するかは「ポエム」なのかな。

実際には、どの言葉現実的で、どの言葉空想だとされるか自体が、社会の中でつくられてきたものだと思う。差異や多様さ、弱さや希望が「非現実的」と片づけられるとき、それはしばしば「これしかない」という前提を守るための言葉でもある。希望を語ることや、別の可能性を想像することは、現実逃避ではなく、今ある価値序列暴力の前提を問い直す行為だと思っている。言葉政治が、人を排除もするし迎え入れもするのだとしたら、どんな言葉を「現実言葉」として使うかは、とても政治的じゃないかな。

それをポエムと呼ぶなら、そうなのかもしれないけど「別の世界はあり得る」と言い続けることなしに、現実が変わってきた場面があったとも思えない。

現実を見ることと、現実が一つではないと問い続けること。その両方を手放さずにいたい、という話です。

この話は、外国人労働者移民が増えていることへの恐れとも、どこかでつながっている気がする。でも自分は、それを「侵略」と同じものとして語ることには違和感がある。

たとえば、結婚したい相手苗字を、どちらかが手放さないと制度結婚できないことも現実だし、性的マイノリティの友人たちが国から存在を認められていないことも現実

どの現実を「現実」と呼ぶのか。その選び方自体が、政治ってことなのかな??

追記よんでも何が言いたいのかわからん。 』

長々とごめん。政治言葉で使われる「強い」ってなんなのかが知りたいって思ってる!言いたいよりも、聞きたい。

核兵器(ff)と斬首作戦(ppを会場の一番奥まで届かせる)はどちらが強いかみたいなことを考えてもあまり意味は無いと思う。』

自分pp斬首作戦とは思ってないよ!ただ強さについて考えるときに、自分が思い出す身体感覚を書いてみた。政治的なことも、自分自身の身体感覚から考えられないかなと思ったんだけどな。

『さて、増田はいったい何がいいたいんですか?増田は勝てない相手に逆らったことがあるんですか?増田は、喧嘩したことがあるんですか?理想を語ることなんて誰でもできるんですよ。そんなことで人より上になったとか思うのは、恐ろしく恥ずかしいことですよ。口先だけの人間は、この世で一番価値がないですよ。(抜粋)』

うーん。この前の文章は分かるんだけど、後半の↑の文章はどうしてこうなるかわからなかったな。

一応、答えておくと、勝てない相手に逆らったことはあるけど、具体的な暴力での喧嘩はないよ。痛いのやじゃん。あなたは好き?理想を語ることはほんとうに誰でも出来て、口先だけの人はこの世で一番価値がないの?

自分もできる範囲で、困窮者支援への炊き出しや、学習支援子ども食堂ボランティアを手伝ったりもしているんだけど(だからといって別に偉いとも思わない)、

口先だけってなんだろう?あなたのその文章と、どこが違うんだろう?あなたはどんなふうに行動している?もしよかったら聞かせてほしい。

歴史勉強すれば(過去人類が何をやってきたのかを少しは知れば)そのラノベかなんかみたいなシンプル過ぎる発想から脱却できると思うよ』

コメントありがとうオススメの本とかある??自分最近歴史的に考えること」「背景マッカーサー元帥師」を読んだよ(もしかしてラノベかなんかみたいなシンプルすぎる発想っていうのは政治家のことを言ってる?)。

どれくらい歴史勉強すれば、政治について分からないことを誰かに聞いてもいいんですか?

『強さは相対的から「全員が」「絶対に」強いと言い切れる事んて無いよ…ffも「100db±5」とかルール化されてない以上、ウィスパーボイスでも「ff!!強すぎ!!」と言う奴や、鼓膜が破れるくらいでかい音でも「まだpp」と言う奴がいるかもしれん

(中略)設問が悪いので「知らねーよ」と答えるしかない』

あ〜、確かに強さって相対的だ。ここに関しては、かなり同意。強さは相対的だし、尺度次第で全然変わる。

からこそ、自分が気になったのは「日本列島を、強く豊かに」ってコピーが、その“尺度”を一切示さないまま、強さだけを断定してる点で

から政治言葉で使われる強いって何?」って質問は、答えを出すためというよりも、みんながどんな尺度でその言葉を受け取っているかを聞いてみたいって思って聞いたよ。

『強くても安心できない国もあれば弱くても安心できる国もあるので、分からないのは強さじゃなくて安心かもしれない。』

しかに、強い=安心、では全然いね

軍事的・経済的には「強い」とされていても将来が見えなかったり、分断が深かったり、生活の足元が不安定な国は普通にあるし、逆に「弱い」と言われがちな国でも、日常安心感が高いところはあるのかも。

そう考えると、分からないのは「強さ」じゃなくて、政治が何をもって人を安心させようとしているのかなのかもしれない。

追記、よい文章と思いました。「現実」という言葉の持つ政治性、もっと言えば宗教性に多くの人は無自覚だし、だからこそ「現実」は強固なものなのだけれど、でもまったくひっくり返せないわけではない。それを相対化し、数ある可能性の一つに格下げしてきたのは、人類文学的芸術的学問的な努力であって、それによって人間社会進歩し、悲しみの種を少しずつ摘んできた。そんな社会を後退させるのは、現実とはこれひとつであると主張する権力であり民衆諦観です。われわれが本当に抗うべき敵はこれなんだと思います。(抜粋)』

返信ありがとう

読んでいて、そうだなぁと思いました。「現実」という言葉が、いつのまにか一つの見方だけを指すようになってしまうこと。それに抗ってきたのが、文学芸術学問だった、という話も、その通りだと思います

自分が「強いって何なんだろう」と考え始めたのも、ニュース選挙のチラシで「強い日本」とか「守る」とか「抑止力」という言葉を見るたびに、それが自分生活のどこに触れているのか、よく分からなくなる感じがあったからです。朝起きて、仕事に行って、帰ってきて、ご飯を食べて、誰かと話す。その一日の中で、いま言われている「強さ」は、何を支えているんだろう、と。

おっしゃる通り、暴力生存に直結する現実の強度は無視できない。暴力は実際に人の体や生活を壊すし、それが前に出てくると、世界が一色に見えてしまう。だからこそ自分は、「国際関係武力で決まる」という言葉をそのまま飲み込まずに、いったん立ち止まりたかったんだと思います。じゃあ、どれくらい持てば「強い」のか。そもそも核兵器は、本当に「強さ」なんだろうかと。

一方で、自分の周りを見渡すと、名字制度のせいで結婚選択肢制限されていたり、クィアの知り合いが「国から存在を認められていない」と感じながら生きていたりする。それもまた、確かに現実です。でもそういう話は、よく「理想論」や「ポエム」に押しやられる。

恐怖や敵意を前提にした「現実」だけが前に出ると、他の現実が見えなくなる。だからあいまい不安排外感情をいったん脇に置いて、できるだけ具体的に、現実的に考えたいと思っています。それは空想というより、自分や周りの人が、明日普通、、、いや普通っていう言葉じゃないな。もっとマシに暮らせるかを考えることに近い。

これを書いてて思ったけど、もしかすると有権者諦観に飲み込まれないことが「強さ」なのかもしれないですね。「もっとましな現実に移れるかもしれない」という言葉、ほんとに自分もそうあってほしいって思う。

合唱やってるんなら、合唱コンクールを思い浮かべればいいのでは。そこにも強弱差はあるだろうし、毎年入賞している強豪チームもいれば参加するだけで終わってるチームもあるだろ』

しかに、合唱コンクールの順位を思い浮かべれば「強い/弱い」はあるよね。毎年入賞する学校もあれば、参加するだけで終わる学校もある。その意味で、合唱世界にも力関係や差はあると思う。

でも自分が気になっていたのは、その「強さ」が何で測られているのかなんだと思う。声量なのか、技術なのか、編成なのか、審査基準との相性なのか。同じ曲でも、ホールや聴き手が変わると評価が変わることもある。

政治の話で「強い」と聞いて、例えば自分が思い浮かべたのは「軍事力」だったけど、合唱コンクールでも声がでかい学校が常に勝つわけじゃないのと同じで、政治において何を「強さ」と呼ぶかは本当はもっと複数あるはずだと思う。それを知りたいと思った。

2026-01-19

anond:20260119164058

価値観を共有する必要あるの?」って言うけど、

逆に聞きたい。共有できてない共同体が、長期的にうまく回った例ある?

EUNATOが成立してるのは偶然じゃない。

民主主義法の支配人権主権相互尊重みたいな

政治的制度的な価値観”を共有してるから成り立ってる。

これは国際政治学でも国際関係論でも、ほぼ定説

一方で、

漢字が同じとか、仏教が伝来したとか、

官僚制度のルーツが似てるとかは、

文化史」の話であって「現在価値観」の話じゃない。

日本中国過去文化的に密接だったのは事実だけど、

それは前近代の話。

今の中国

一党独裁言論統制司法の党支配少数民族弾圧現実

ここを無視して「価値観は近い」はさすがに無理がある。

文化の共有=価値観の共有、ではない。

ここをごっちゃにしてるから話が噛み合わない。

共同体を作るには、

意思決定ルール

権力を縛る仕組み

負担責任の分担

これを互いに信頼できることが前提。

価値観が違うと、全部ここで詰まる。

から価値観を共有しなくてもいい」は理想論で、

現実国際秩序では通用してない。

EUNATOも、その逆を証明してる。

2026-01-18

あとで消す トランプ氏は自身にも制御不能な力を解き放っている NYTコラム 2026年1月18日 9時00分 https://digital.asahi.com/articles/ASV1J2DFFV1JUHBI032M.html

デイビッドフレンチ

 プロイセン軍事思想家カール・フォン・クラウゼビッツは、こう記した。「戦争とは、他の手段をもってする政治継続にすぎない」。クラウゼビッツの死後、1832年出版された著作戦争論」から、ほぼ全ての陸軍将校が学ぶ一節があるとすれば、それは、武力紛争目的定義たこ言葉である

 1月3日朝、米軍ベネズエラ攻撃し、独裁者ニコラス・マドゥロ氏を拘束して米国連行刑事訴追するというニュースを耳にした時、真っ先に頭に浮かんだのが、この言葉だった。

 理由は単純だ。ベネズエラへの攻撃は、19世紀世界秩序が崩壊する前、2度の壊滅的な世界大戦が起こる前、そして米国がまさに実行したような国家の行動を阻止するために設計された国際法外交体制が生まれる前の、異なる時代を想起させるからだ。

 あらゆる国家が決定すべき最も重要課題の一つは、いつ、そしてどのように、戦争遂行するかである。ちなみに、クラウゼビッツを道徳観念のない戦争推進者と見なすのは誤りだ。彼はこの概念発明したわけではなく、当時の世界描写したに過ぎない。彼の言葉は、人類史の大半において主権国家戦争をどのように捉えてきたのかを端的に説明している。

マフィアボス」のような振る舞い

 強国が「戦争政策の延長に過ぎない」という原則のもとで行動する時には、マフィアボスのような振る舞いに陥りやすい。弱い国とのあらゆる相互作用には何らかの形で武力の脅威が伴うことになる。素敵な国ですね。もし何か起きたら残念ですね、という具合に。

 これは空想ではない。トランプ米大統領はアトランティック誌との電話でのやりとりで、マドゥロ氏の副大統領を務めたベネズエラの新たな指導者デルシー・ロドリゲス氏を脅した。「彼女が正しいことをしなければ非常に大きな代償を払うことになるだろう。おそらくマドゥロよりも大きな代償だ」と述べた。

 外交経済的圧力は、依然としてほとんどの場合、強国がとる最初手段であるしかし、意図した成果を上げられなかった場合に次に何が起こるかは、ベネズエラでの米国攻撃映像を見ればわかるだろう。

 しかし、クラウゼビッツ的な見方は、国家とその指導者たちにとって唯一の選択肢というわけではない。国際関係にはより優れたモデル存在する。それは悪の存在国家利益という現実を認めつつ、平和と人命を守るための境界線を引くものだ。

 クラウゼビッツに対するのは、トマス・アクィナスだ。

人類クラウゼビッツとアクィナスの間を揺れ動いてきたのだと、筆者は分析します。歴史を振り返りつつ、今回の米トランプ政権ベネズエラ攻撃をどう読み解くのか。「戦争政治の延長」の先にある世界とは……。

 13世紀に書かれた「神学大全」でアクィナスは、後に「正戦論」として知られる三つの基本要件提示した。

 第一に、戦争主権者合法的行使によって遂行されなければならず、野心的な個人私的冒険主義によってはならない。

 第二に、戦争は正当な大義に基づかなければならない。例えば、国家自衛集団的自衛は明らかに正当である

 第三に、正当な目的、すなわち善を推進し、悪を回避しなければならない。

 戦争形態の変遷を考える一つの方法は、人類クラウゼビッツとアクィナスの間で揺れ動いていると捉えることだ。強い国は弱い国に自らの望みを押し付け、やがては強国が互いに押し付け合おうとする。必然的大惨事が起き、アクィナスに立ち返る。

 この揺れ動きの結果は、実際に歴史の長い流れの中で確認できる。紛争による世界の死者数を分析すると、戦争は常に存在するものの、その激しさは強弱を繰り返していることがわかる。極度の苦痛と死の時代は、比較平穏時代を経て、再び恐怖の時代へと続く。

世界はどう揺れ動いてきたか

 第1次世界大戦以降の歴史を考えてみよう。塹壕(ざんごう)戦での絶え間ない殺戮(さつりく)の後、世界侵略戦争禁止し、平和を維持するための国際機関である国際連盟設立しようとした。

 国際連盟は、米国が加盟を拒否したことも一因となって失敗に終わり、さらに恐ろしい世界大戦を経て、今度は米国主導のもとで世界は再び試みた。

 アクィナス思想国連憲章の随所に反映されている。憲章第2条は侵略戦争禁止し、51条は大国抑制するための個別的集団的自衛権を認めている。そして第5章は平和維持のために安全保障理事会という機関設立した。

 この体制完璧だとは誰も言わないだろう。だが、第2次世界大戦後も侵略戦争が起きる中で、この体制は主要な目的を達成してきた。世界大戦を免れてきたのだ。

 ただ、アクィナスモデルは、二つの敵と戦わなくてはならない。権力への願望と記憶の風化だ。正戦論は、強者の自制を求めている。大国に自らの願望を押し付けることを控えさせ、短期的な国益より、国際平和正義という長期的な目標を優先させることさえ求める。

 ここで記憶の風化が作用する。人々が世界大戦記憶している間は、自制はより説得力を持つ。国連NATO北大西洋条約機構)をつくった人々は、2度の戦争経験していた。その意味で、侵略戦争に対する道徳議論は、現実的な意義を持つ。

 世界は、力への願望が国際情勢を支配する結果を目の当たりにしてきた。指導者たちは、最も壊滅的な紛争がごくささいなきっかから始まることを知っているし、知るべきである

 例えば、1914年にガブリロ・プリンツィプがサラエボフランツ・フェルディナント大公狙撃し、オーストリア・ハンガリー帝国小国セルビアに軍を動員した時、1600万人以上が命を落とす戦争になることを、いったいどれほどの世界指導者たちが察知していただろうか?

写真・図版

サラエボで起きたオーストリア・ハンガリー帝国フランツ・フェルディナント大公と妻の暗殺事件を報じる朝日新聞紙面(1914年7月30日付)

 記憶が薄れるにつれ、クラウゼビッツのモデルはより魅力的に映る。その一因は、まさにベネズエラで起きたように、即効性のある結果をもたらし得るからだ。

 とはいえトランプ氏のベネズエラ介入に激しく反対する人々でさえ、マドゥロ氏の支配を美化すべきではない。彼は腐敗した暴力的独裁者であり、国民を抑圧し、貧困に陥れた。

 経済指標がその実態物語っている。マドゥロ政権が発足する前年の2012年ベネズエラ国内総生産GDP)は3720億ドルを超えていた。それが、2024年には1200億ドル弱にまで急落した。壊滅的な崩壊だ。

 マドゥロ氏が権力を維持できたのは、民主主義無視たからに他ならない。選挙監視員たちによると、2024年選挙で、3期目をめざしたマドゥロ氏は30ポイント以上の差で負けていたとされる。対立候補エドムンド・ゴンサレス氏は65%を超える票を獲得し、マドゥロ氏はわずか30%強だった。しか公式集計ではマドゥロ氏の勝利宣言された。

 ただ、GDPの数値や得票数だけでは、マドゥロ政権が人々にもたらした苦難を語るには不十分だ。2014年以降、貧困汚職、抑圧から逃れるために約800万人のベネズエラ人が国外脱出した。これはマドゥロ氏が大統領に就く以前の人口の4分の1以上に相当する。

トランプ氏が破った三つの「正戦」の原則

 それでも、目的手段正当化するものではない。

 トランプ政権は、マドゥロ氏を権力の座から追放することが米国国益に最もかなうとの判断を下し、議会承認を得ることなく、完全に独自行動をとった。

 その行動は正義戦争のあらゆる原則を破っていた。

写真・図版

フロリダ州2026年1月3日記者会見に臨む米国トランプ大統領。後ろにいるのはルビオ国務長官=AP

 第一に、トランプ氏は、米国法の要件無視し、一方的に行動した。議会協議せず、宣戦布告も取り付けなかった。彼は、ただ自らの権限だけで、主権国家攻撃したのだ。

 マルコ・ルビオ国務長官は、政権の行動は戦争行為ではなく、「法執行活動」であり、国防総省容疑者逮捕する公務員たちを守っていたにすぎないと主張している。

 この弁明は笑えるほどにお粗末だ。この理屈では、大統領敵対する指導者起訴し、指導者逮捕必要な大規模な軍事力は単に法執行保護しているだけだと主張することで、事実上あらゆる戦争を法執行活動に変えることができる。これは議論ではない。言い訳だ。

 第二に、トランプ氏は開戦事由も、国際法国連憲章が認める正当な理由もなしに攻撃を仕掛けた。ハーバード大教授で、ブッシュ政権(子)下で司法省法律顧問次官を務めたジャックゴールドスミス氏が指摘したように、(国連)憲章の命令執行する明確な方法がないとしても、この攻撃は明らかに憲章に違反している。

 第三に、独裁者権力の座から追放することは正当な目的になりうるかもしれないが、民主的に選出された野党指導者無視するというトランプ氏の決定は、非常に問題である編集部注:トランプ氏は15日にベネズエラ野党指導者マリア・コリナ・マチャド氏と会談した。)。腐敗した政権の残党が、米国企業石油取引交渉要求に従い、依然として国を統治していることは、自由民主主義犠牲にして腐敗と抑圧を永続させる危険性がある。

突き進む「ドンロー主義

 これらは何も新しいことではない。歴史家のニーアル・ファーガソン氏は、トランプ氏のベネズエラへの攻撃は、第1次世界大戦惨事以前の時代政治外交の復活という、より大きな全体像の一部であると述べている。

 19世紀後半の南北戦争後に米経済が急発展した金ぴか時代砲艦外交は、米国中南米支配していたことを確かに意味していた。それは、この地域植民地に似た現実押し付けた。各国は少なくともある程度の米国監視の下で発展し、主権米国が認める範囲にとどまった。

 トランプ氏のベネズエラ攻撃もまた、何もないところから出てきたわけではない。昨年12月政権国家安全保障戦略文書を発表し、西半球を最優先に位置づけた。

 この文書アジア欧州中東に先立って米州を扱い、「西半球における米国の優位を回復するため、モンロー主義再確認実施する」と宣言した。

 大統領はすでに、19世紀米国外交政策を復活させる自らの政策に「ドンロー主義」という名を付けている。

 トランプ氏はドンロー主義を熱心に推し進めている。カナダメキシコに対して経済戦争を仕掛け、カナダ米国51番目の州になるべきだと発言した。NATO同盟であるデンマーク主権領土の一部であるグリーンランドにも野心を抱いている。

写真・図版

デンマークコペンハーゲン米国大使館前で2026年1月14日グリーンランドグリーンランドのものだと抗議する人々=ロイター

 ここで再び、影響圏による世界支配と、「政策の延長としての戦争」という非道徳的アプローチの致命的な欠陥に直面する。小国は強国に支配されることを望まず、強国はライバルの台頭を望まない。故に同盟を結ぶ。1914年セルビアにはロシアが、ベルギーには英国がいた。1939年にはポーランドフランス英国が味方した。

 まさにこうして、地域紛争世界大戦へと変容したのだ。

 なぜ南米諸国他国との緊密な関係を求めるのか、米国人が疑問に思うのならば、むしろ彼らと米国との歴史的経緯や、南米の人々がモンロー主義攻撃的復活をどう捉えているかを問うべきだろう。

ベネズエラ攻撃がもたらした懸念

 トランプ氏のアプローチをめぐっては二つの議論がある。

 一つは、トランプ氏がベネズエラ介入で先例をつくったというものだ。ロシア中国イランといった国々は、自らの勢力圏でその先例に従おうと躍起になるだろうし、我々が取ったのと同じ手法敵対国が自らの勢力圏で取っても、我々に異議を唱える資格はなくなる、というものだ。

 しかし、ウラジーミル・プーチン氏のロシア習近平氏の中国革命体制イランは、正戦論道徳議論などみじんも気にかけたことがない。彼らがある程度抑制されているのは、抑止力によるものであり、もし抑止力が失敗すれば、純粋軍事力による。

 もう一つの議論は、正戦論が決して全会一致で受け入れられることはないことを認めるものだ。国連憲章が往々にして実践的というより理想論的なものにならざるを得ない運命にあることを認識するものだ。

 この議論は、世界秩序の存続が強国に依存するわけではないが、米国という最大の強国には依存していることを認識している。言い換えれば、我々の国がアクィナスに傾倒していることが、クラウゼビッツを遠ざけているのだ。

 安全保障理事会常任理事国5カ国のうち、米国英国フランスの3カ国だけが国連憲章国際法に従う状況で、我々はかろうじて世界秩序を維持している。しかし、もし米国ロシア中国と同様の武力紛争国際関係へのアプローチ採用すれば、西側戦後コンセンサスは完全に崩壊する。

写真・図版

ベネズエラ首都カラカス2026年1月6日、3日前に米軍に拘束されたマドゥロ大統領解放を求めるデモそばに「トランプ:殺人者 誘拐犯」などと書かれた落書きがあった=AP

 「アメリカ第一主義」は必ずしも孤立主義ではない。主権国家指導者逮捕し、その国を「運営する」と宣言することに孤立主義的な要素はない。だが、それは短絡的で、正義平和犠牲に、国家権力の高揚感を追い求めている。

戦争政治の延長」の先にあるもの

 トランプ氏がいま、まさにその高揚感に浸っているのは明らかだ。1月4日の夜、米NBCは、トランプ氏が依然として「我々はベネズエラ運営していく」と発言していると報じた。トランプ氏は「彼らが従わなければ、第2の打撃を加える」と付け加えた。

 トランプ氏が考えていたのはベネズエラだけではない。「コロンビアも非常に病んでいる」、キューバは「崩壊しつつある」と彼は述べた。さらイラン抗議デモ Permalink | 記事への反応(1) | 23:06

2026-01-07

篠田英朗

篠田英朗氏は、東京外国語大学教授国際政治学平和構築論の専門家です。X(旧Twitterアカウントは@ShinodaHideakiで、積極的投稿しており、憲法解釈ウクライナ情勢、ガザ危機などの国際問題について意見を述べています

彼の言動が「攻撃的」と感じられるようになったのは、主に**2023年から特に2023年10月ハマスによるイスラエル攻撃以降のガザ関連投稿**で顕著になったという指摘が見られます。それ以前は、2010年代後半から憲法学者(東大系など)への強い批判で知られていましたが、国際情勢論では比較学術的なトーンが主流でした。

### いつから変化が目立ったか

最近(2025-2026年)の投稿を見ても、皮肉嘲笑を交えた表現(例: 「ウクライナ応援団」「高市応援団」を揶揄相手の主張を「くだらないダジャレ」など)が続き、相手挑発するようなトーンが目立ちます

### なぜこうなったか(推測される理由

全体として、篠田氏のスタイルは元々論争的ですが、ガザ以降の国際的分断トピックエスカレートした印象です。感じ方は人それぞれで、支持者からは「率直で正しい指摘」と評価される一方、批判からは「過激攻撃的」と見られます。最新投稿確認すると、現在も同様のトーンが続いています

篠田英朗氏が**小谷賢**氏(おそらく日本大学教授国際関係安全保障論の専門家、Xアカウントは@kotani61あたりを指していると思われます)に頻繁に「絡んでいる」ように見えるのは、主に2025年末〜2026年に入ってからの国際情勢(特にウクライナ欧米関連の議論)での意見対立が原因です。

### 主な背景と経緯

- 小谷氏が細谷雄一氏の投稿引用しつつ、何らかの分析(おそらくトランプ関連や欧州対応)を「説得力がある」と評価したポストに対し、篠田氏が「根拠が全く示されていない」「小谷教授ポストはだいたいいつもそう」と強く皮肉り、RT拡散

- 篠田氏は小谷からブロックされているため、直接リプライできず、こうした間接的な批判を繰り返す形になっています。これが「絡みまくってる」と感じられる一因です。

### なぜこんなに執着的に絡むのか(推測される理由

支持者からは「的確な指摘」、批判からは「執拗で幼稚」と両極端の評価です。現在も同様のトーンが続いているので、国際情勢が落ち着かない限り収まる気配は薄いかも知れません。

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