はてなキーワード: 下士官とは
どんなものであれ、若い女の着けているものは必ず欲情の対象になるということを示す例としてネットで好んで使われてる逸話あるじゃん
「セーラー服はもともといかつい軍人の服を着せて少女を性欲から守るために制定された」という有名な話
デマです
セーラー服を子供が着るようになったのは1846年のイギリスのアルバート皇太子が下士官制服を着たことに由来する
男児の服だったわけだがズボンをスカートに替えて女児も着ていた
1900年代に入ると海を越えてアメリカでも女学生のセーラー服が流行
日本はこれを真似したというわけ
"いかつい軍人の服を着せて少女を性欲から守る"という流れはどこにもない
「メイド服は隠し子問題が起きないように色気のない服として設計された」というバズったツイートももちろんデマ
白と黒のあのメイド服はヴィクトリア朝時代に成立したものだが、これがメイドを性欲から守るためというのは増田の知る限り英語圏の文献を漁っても書いてない
As a general rule, ladies do not like to see their maids dressed in the clothes they themselves have worn - except in wearing a black or a dark-coloured silk - the difference in the social scale of mistress and maid renders this unpleasing.
Cassells Household Guide, c.1880s
ざっくり言うと「女主人は自分のドレスが使用人ごときとカブるのが嫌だから絶対カブらない服を着るように」と書いてある
「エロ」の英雄物語のために、ありもしない「エロの敵」との輝かしい戦いが作り上げられたというわけだ
少子化って、どっからどう考えてもイキ杉田労働環境の悪化が原因なのに未だに非常に多くの業界で
「うちの業界は土日も無償で勉強して一生アップデートする奴隷以外はいらん」
「うちの業界はサビ残パワハラにこの先生きのこった奴しかいらん」
が蔓延ってるじゃん
別にプロ野球だとかごく一部のなんか職人みたいな趣味的な職ならいいけど、そんな選民主義で一部しかいらん、残りの大量の愚民は全部死ねとかやってるからこんな超高齢化国になってるっていうのに
未だにこのマッチョイズム続けるのはさすがに辞めて欲しい
子供持てなすぎて女性人口の平均年齢が50歳超えてる国とか、もう既に滅んでるって結論付けていいくらいなんだよなあ
平均年齢50歳はガチで終わってると思うぞ
いつまでこの仕組みを支える大日本帝国時代の下士官みたいな人達の声が大きい国のまま行くのかなあ…1945年の末路と同じじゃーん
あと既に沢山犠牲者が出てるのに
部下の前で四つん這いで泣くのはやめてほしい。
こいつはマジでクソの中のクソ。
手ごわいと判明した連邦の新型戦艦&最精鋭機にたびたび絡みついて行っては
部下を全員犠牲にして一人で帰投する。
なんかみんなで逃げなきゃいけなくなった時に
「振り返るな!逃げ切れるものも逃げ切れんぞ!」みたいなこと言ってたんだが
ばらけることも隠れることも出来ない一本道みたいなとこで
はるかに性能上のガンダムに追撃かけられてると言う絶望的な状況なので
これで逃げるのは最悪の判断なんじゃないのか?と思った。
例によって一人だけ3倍速い自分が先頭で逃げてて逃げ切るんだが
ガンダムに対抗できるおめーが殿軍やれよと誰でも思うはず。
本当に毎回のように無茶かつあんま意味のない出撃をして部下全滅させて帰るので
少なくとも酷いあだ名や悪評はついていい筈。
「これは駆け引きだったのだよ」って言いながら核ミサイル発射するのが意味わからなかった。
駆け引きならミサイル撃つぞといったのはブラフだったとか、全然別の手を用意してるとかじゃないのか。
普通に事前宣言通りの条件でミサイル撃つのの何がどう駆け引きなのかわからなかった。
連邦側の「ガンダムあれを切れ」というガバガバ指令もすごかった
なんかもう大半忘れてるんだけど
リアル戦争アニメの泰斗だと聞いて見始めたから違和感が凄かった。
ランバラルぐらいまでキてるとああアニメキャラねって思うけど。
https://www.nids.mod.go.jp/publication/senshi/pdf/200703/5.pdf
これによると上官殺人については、代表的なものとして以下の事例を確認できる。
概要: 輜重兵第3連隊第1中隊において、下士官7名と兵32名が中隊長代理および中隊将校に対して集団暴行を行い、中隊長代理を殺害した事件。
原因: 中隊長代理の過激な軍紀粛正に対する反感が引き金となった。
処罰: 首謀者の曹長は死刑、中隊長代理も職権乱用の罪で懲役1年6ヶ月に処せられた。
概要: 第59師団第53旅団隷下の独立歩兵42大隊第5中隊で、兵6名が中隊幹部に対して暴行を行い、中隊長を殺害した事件。
処罰: 本事件の詳細な処罰については記載されていないが、軍内で大きな衝撃を与えた事件として記録されている。
概要: 昭和18年度には、上官殺傷事件が合計で45名にのぼり、特に中隊長以上に対する犯行が多数発生していた。
原因: 上官の粗暴な態度、軍事能力の欠如、指導能力の不足などが原因として挙げられている。
殺人を取り上げたが、対上官犯の発生傾向を全般でみると、戦況の悪化に伴い増加していた模様。
昭和16年度の対上官犯は341名であり、前年の202名から約1.7倍に増加している。
昭和17年の上半期だけで、対上官犯は126件、152名に達している。
昭和18年度には対上官犯が428名に増加し、前年と比較しても著しい増加傾向。
昭和19年には対上官犯がさらに増加し、1月から7月の間に既に347名に達しており、前年の一年間の総数に近づく勢い。
対上官犯の増加についての背景について、戦況悪化と士気低下の影響と分析している。
ガダルカナル撤退後、第一線も後方も士気が低下し、対上官犯や奔敵逃亡が増加する傾向にあったという。
補給不足や飢餓状態が士気を低下させ、逃亡者や対上官犯の増加に繋がったとのことだ。
戦闘が激化し、士気が低下することで、上官への反発や不満が顕在化しやすくなり、対上官犯の発生が増加したと考えられる。
これに対して、陸軍は戦陣訓による教育的指導で意識改革を図ろうとした。(戦陣訓かよ。。。)
PDFは・・・以上のような内容の文書のようだ(AIによると)。
なるほど。面白い。
しかし、そもそも、満州事変にしても陸軍中央の一部幕僚と関東軍の連携に遂行され、それは政府や陸軍首脳の方針に反して行われたものだったし、226事件にしてもクーデターだ。陸軍内部には長い間、皇道派と統制派の対立があってそれがクーデターにつながったもの。
犬養毅首相を武装した陸海軍の青年将校たちが暗殺した五・一五事件(1932年)の時点で、もはや【軍務による制約】がすでに機能していなかったといえる。首相殺害って上官殺しどころの次元じゃない。下剋上すれば何かを変えられると信じていたということだ。
日本陸軍の歴史を振り返ると、ある意味、組織に内在する”下剋上”的な雰囲気が戦争へと突き動かしていたことがわかる。
それは当然ながら戦陣訓といった組織内規律でコントロールできる範疇を超えるものであり、根本的なガバナンスが問われていたことは間違いない。
そのダイナミックな動きをもっとも恐れていたのは昭和天皇だったかもしれない。
上記文書の対上官犯罪の増加について戦陣訓で対応したとあるが、こうして下剋上的な力学が全体で強く働いていたなかでは、戦陣訓ごときで風紀の乱れなど押さえきれるものではなかっただろう。
その戦陣訓を考案したとされる陸軍大将の畑は、昭和20年8月6日、たまたま広島駅近くで被爆し、その体験をもって上京、御前会議の前の元帥会議に臨んだ。他の元帥が主戦論を張るなか、ただ一人、本土決戦など不可能である旨を天皇陛下へ奏上、敗戦に至ることになる。
歴史にもしはないが、天皇陛下に奏上できる立場の陸軍首脳が原爆被害に遭っていなかったら?・・・もしかすると、当時の地震災害を黙殺したみたいに、原爆被害も知らされず黙殺されて、もう数発くらい落とされていたかもしれないし、ソ連の侵攻も相当進んでいたかもしれない。
このことからわかることは、各都市が焼けようと沖縄がどうなろうと本土決戦を諦めなかったにもかかわらず、原爆の威力を肌身で理解した元帥が奏上できたということは、人間誰しも当てはまることで、いくら想像力があっても、現場にいかないかぎり現場のことはわからないということだ。
なお、畑に随行していた参謀は宮城事件(クーデター)に巻き込まれ、青年将校に殺害されたとwikipediaに書いてあった。
特撮に関しては100点満点です。こんなにナチュラルな、そらぞらしさ・嘘っぽさのない映像効果はハリウッド映画でもなかなかない。そらオスカーも獲るわと思った。
特に、海、波、しぶきの演出が素晴らしい。海上シーンは最高です。
稚拙もいいとこ……。
致命的なネタバレを含むので、これから見ようって人は以後は読まぬがよろしい。
プロット以前に全体として語彙が貧弱で、「あたまわるいひとががんばって書いたセリフ」という印象ばかりが目立った。素人ラノベみたいな感じ。
言葉遣いもそう。当時の言葉遣いそのままである必要はもちろんないけど、終戦直後の昭和20年代という舞台にふさわしい言い回しが多少は使われていないと奇妙な感じになる。テレビ時代劇だってマイルドにアレンジはされてるけど一応「ござる」とか「そのほう」とか言うでしょ。そういう、時代を映すムード作りがセリフにない。
そして「さすがにその時代、そんな言い回しする? その単語あった?」みたいな現代的な表現が出てきては興を削ぐ。
こんなの、専門家にちょっとリファインさせるだけでぐんと真実味が増すと思うんだけどなあ。
あと秋津(佐々木蔵之介)が野田(吉岡秀隆)に対してガクシャと渾名をつけて呼び捨てにしたりタメ口なのも違和感がある。学者は技官とは言え元将校という設定で、元下士官の秋津が気安く茶化したりイジッたりできる階級ではなかったんじゃないだろうか。ガチガチのタテ社会での上下関係は、組織を離れてもずっと続くものだ。渾名で呼び捨てなんてちょっと信じられない。関係ないけどガクシャが船に乗ってると「ガンバの冒険」を思い出す。
そしてプロット。
物語の背骨になっている「大戸島玉砕は主人公のせい」という前提がまず苦しい。実際にあのとき零戦の機関砲でゴジラが撃退できたかどうかは不確実で、少なくとも「敷島が撃てば確実に撃退できた」と言えるバランスのゴジラではなかった(どっちみち敷島が特攻から逃げなければあの島にはいなかったのだし)。敷島(神木隆之介)が気に病むのも橘(青木崇高)が敷島を恨むのも当人たちの思い込み以上の根拠が薄く、物語を駆動するトルクがまったく足りない。
まして「大戸島玉砕は橘の責任というデマを流したら腹を立てた橘が現れる」という敷島の幼稚な策略。なにこれ。子供? 子供なの? もうちょっとマシな作戦なかった?
敷島家の隣人澄子さん(安藤サクラ)の役柄も最後まで謎だった。復員してきた敷島に繰り返し毒を吐いていた前半のサイコな印象と優しく敷島家をサポートする後半の印象とがまったくチグハグで、ずっと身構えていなければいけなかった。前半のサイコキャラ必要?
あともう典子(浜辺美波)。典子関連はもう完全に意味わからなかったしどうでもよかった。
初対面の敷島の家に転がり込む初手から「は?」っていう感じだった。バックグラウンドもキャラクターもフワフワ、敷島への思慕の念もまともに描かれず、自立したいって働きだしたわりにいつまでも敷島の家に居候してるし、ゴジラが咥え上げた電車から振り落とされても誰もが即死と確信する爆風に巻き込まれてもキレイな顔で生きていた。不死身か。ゴジラ並みの回復力じゃねーか。
キャラクターがフワフワと言えば、ほかならぬ主人公敷島クンのフワフワぶりも目を覆うものだった。薄っぺらくありきたりなメンヘラ演出は神木隆之介クンの演技力とは関係なく説得力ゼロだったし、意志薄弱なのか臆病者なのかただのボーッとしたやつなのか人物造形がまったく不徹底だった。そのせいで「典子の死をきっかけに自分の中の戦争を終わらせる決意を固める」という重要な心境の変化もヌルッとしていたし、当の典子は死んでなかったっていうんだから吉本新喜劇のように全員ズッコケてしまう。敷島の行動原理のコアとなる「敷島の中でまだ終わっていない戦争」というテーマからして扱いがぞんざいで、もっと丁寧に描きこむべきだったんじゃないだろうか。まあ、特攻から逃げたとかはともかく大戸島玉砕に関しては前述の通りなので、いくら描きこんでも説得力は生まれ得なかったのかもしれないが。
それはそれとして、典子との死別は非常に重く重要な節目であり、〈実は生きてましたぁ!よかったよかった!〉と簡単に済ませていいような出来事ではないと思う。だったら話は違ってくるじゃん、となるレベルの卓袱台返しであり、典子は安らかに死なせておくべきだったと思う。
歯科 麻疹 司会者 シシカバブ 奈良シカマル ヤクシカ 可視化 石狩支庁 石川県 石川啄木 石川五右衛門 石川さゆり 石川佳純 石川島播磨重工業 西川史子 西川きよし 士官 史観 アシカ 海鹿島 足利 足枷 エシカル 押角 起死回生 串カツ 串かつ けしからん 腰掛け 腰かけ 差し替え 弟子屈町 都市化 西海岸 西葛西 西神田 西関東 西観音町 西春日井郡 西鹿児島 西川貴教 西勝間田 石川工業高等専門学校 石川島 石狩市 牛飼 下士官 貸方 既視感 ケシ科 都市間 無資格 もしかして 吉川市 吉川 具志川市 具志川村 具志川 具志頭村 資格 視覚 刺客 死角 母子家庭 死活問題 しかみ像 死海 鹿内 カモシカ 鹿追町 仕掛品 シカゴ 志方町 師勝町 しかと シカト 志賀島 鹿ノ下通 鹿部 色麻町 飾磨郡 飾磨区 鹿町町 しか 然別 鹿渡 鹿賀 チェブラーシカ 公使館 大使館 監視カメラ 電子化 電子回路 電子カルテ 電子殻 原子核 原子価 男子会 篤志家 投資家 明石海峡 アカシカ 東京医科歯科大学
作った経緯
全国に拠点を持ってるクライアントがあって、その顧客データは津々浦々の拠点毎に別々のExcelファイルに入っていた。
電話してきた顧客の住所を検索する必要があり、毎回この住所は津々浦々のどこ?と複数のExcelをひっくり返さないといけなかったから作った。
1.各支店の顧客のExcelデータをAccessに個別のテーブルとしてインポートする。
2.個別のテーブルを一つのテーブルに成形する。(何のデータが何列目に入ってるかが拠点毎に不揃いで面倒だった。)
3.成形したテーブルから氏名・住所・電話番号をAnd検索できるUIを持ったフォームを作る。(データの抽出はSQLで行うようにしてみた。あんま複雑なことはできず精々Group byでダブりを見つける程度。)
4.新しい拠点ができたときにインポート時のデータ成形方法を指定する必要があるため、データの新規/更新/削除登録ができるUIを持ったフォームを作る。
今はこれを複数クライアントに対応できるようにする作業をしてるのと、データ管理者/未来の保守担当者宛てのマニュアルを作っている。
私はサービス業のバイトで、社員から暇な時間にエクセルでも勉強したらいいよと言われて始めた。仕事中にちょいちょいネットで調べながら色々作って、できたものを納品して使ってもらっている。基本的に自分がこういうの必要だなと思ったもののざっくりした仕様を社員の人に伝えてお伺いを立てて、OKをもらえればその後進める感じでやらせてもらっている。自分に裁量がある仕事って素晴らしい。てか社員の人も素人が独学で作ったものをよく仕事で使おうって気になったもんだなあ。
職場がめちゃくちゃアナクロなところで周りに相談できそうな人がおらず、この技術がどのぐらいの価値を持つのか、よそで通用するものなのかわからない。ちなみに時給は1円も上がってない。まあ仕事中に遊んだり勉強したりしてるようなもんだからいいのかも?ぼーっと生きてしまって年齢が嵩んだので転職できる気もあんましない。今の仕事はバイトリーダーというか下士官的ポジがバイトが到達できる一番上で、私は他人に指示する才能があんまりないみたいなのでそこにはいけない。ヒラのままだと仕事中ずっと生体部品かな?みたいな働き方しないといけなくてきつい。更に年齢がいって踏ん張りがきかなくなったら無理になるかも。
なので、今の働き方ができなくなったときに備えられないかなあと思っている。クラウドなんちゃらみたいな内職サイト的なところにVBAの仕事があるっぽいから経験を積めたりしないかなー。いい身の振り方教えてください。
元増田です。
が、ごめんなさい。身バレを危ぶんだばっかりに元同期から聞いた話をそのまま載せました。(元会計科ではないです)
なのでなんで給与計算かはわかりません。(聞いたときは給与計算大事だしなと納得して終わった)
デスクワークがメインと思われてるところでも、野外演習、行軍、穴掘りはどこに行っても大体ついて回ります。
そんなところです。
iroha2_hohe 自衛隊の彼氏がいた友人の話を聞く限りクズばかりの印象があったので、セクハラとかすごくありそうなイメージではあった/部署が違うと天地が変わるほどの違いがありそうだし被害は事実なので参考程度かと
これは本当にそうで戦闘職種か非戦闘職種かや勤務地など諸条件で全くちがってくるので私の話はあくまでも20年前の1/15万の話です。
非戦闘職種でおじさん比率が高く、勤務もそこまで激務じゃなくてそこそこ余裕があったからそういうのが発生しにくかったのかなと。
r_riv “あそこにいた大多数の人たちは、まともで普通の人たちだったと思う。”かもしれない。が、少数のまともじゃない人たちを律する(罰する)機会を組織が当初は放棄したことこそが問題だと思ってる。
sippo_des そんな昔から対策されてる部署もありながら、ですね。トップの問題なのでは。なんで加害者は公表されないんだろね。あんな稚拙な文さらされるのもなかなか読む方にもメンタル来るけど。
幹部も上に行けば行くほど、事なかれ主義になっていくので上の問題が大きいと思います。(2-3年で異動していくし)
駐屯地全体の行事で部隊関係なく作業に駆り出されるとたまに無能オブ無能みたいな幹部の下につくこともあり
ああいう人ばっかりなら問題は先送りもしくは握りつぶすのは当然かもしれない。
(余談だけど無能オブ無能の下についたときは作業員全員がいらいらがたまりすぎて途中から
指示を仰ぐことなく勝手に行動しだして、反乱とはこういう風に起こるのかと思った記憶)
駐屯地で一番偉い人(駐屯地司令)は1等陸佐で、兵卒からみたら雲上人だけど
市ヶ谷にいけば1佐はうようよいて、さらに陸将捕やら陸将やら超えらい人もいるけどそんなに途方もなく偉い人も
防衛省というくくりでみれば背広組からみたら全然偉くなくてと、現場ではどうしようもないところで
田母神さんとかみてると偉くなりすぎるとやばくなっちゃうの?とピラミッドの上の人が心配になる。
あとは、仕組みで防ぐなら人を固定させすぎないことかな。ずーっと同じところにいると権力ができて腐敗していくので。
そこで当たり前になってる感覚を他に行って披露すると周りがドン引きして自分のおかしさに気づくとかあるだろうし。
自衛隊の特性上、あまり盛んに人事交流はできないだろうけども。
自分で書いておいてなんだけども、これは長いものには巻かれろ的な非常に日和った意見で現状を仕方ないと
本当は、どこにいこうがそんなことおかしいといえてやばいやつをちゃんと正しく処分できる組織じゃないといけない。
exciteB この人大卒だから士官(幹部候補?)なのでは。兵卒の現場とはぜんぜん違うだろう。/軍隊の経理補給の漫画なら「大砲とスタンプ」かな
就職氷河期真っ最中で民間企業の内定はもらえず、一般(任期制)で入りました。なので陸士でした。
大卒で一般ではいったので逆差別みたいなのはありました。「さすが大卒様は言う事が違いますね」みたいな。
tetsu23 「先輩女性隊員がきっぱり守ってくれたので」という言葉にちょっと引っかかりを感じてしまった。守らなければいけない状況はあったということかな、と。
上からの理不尽に対して守ってくれたという意味です。仕事を押し付けられそうになったりとか。
私がうけたのはどこに発注して作ったのかよくわからない俳優さんたちが上官役、下士官役を演じる再現ドラマをみながら
講師役の教育担当が適宜、一時停止しながら「はい、ここアウトです。まずい点が3つあります。」みたいな形式でした。
上意下達においては当たり前だけどすごく丁寧でした。
あ!ほんとだ。ご指摘ありがとうございます。
私がいたところは本当に平和だったけど平和な自衛隊生活でも色々とあった。
一番大変だったのは営内(寮)で共有の冷蔵庫にいれたお菓子とかの盗難事件。
でかく名前書いてあるのに盗られたり、飲みかけのジュースがなくなったり、物がなくなる頻度が
やばすぎてみんなが疑心暗鬼でピリピリしているなかそれでも盗ってく犯人が怖かった。
犯人は判明せずいつの間にか、物が盗られるのはなくなったけど。
五ノ井さんの件はせっかく憧れて自衛隊に入って、がんばってやっていこうとしてる人をこういう形で失うのは
元いた人間として情けなく思う。
私が入隊したころは自衛隊に対する印象って悪くはなかったけど「人殺し集団」みたいに言う人もいて
建築会社で、現場からの叩き上げがその後設計を学んで設計士になるのが理想かと言えば、多分そんなことはなくて、叩き上げは現場の親分として若手を仕切ってくれるのが最も適していると思う。そして、稀に設計的なマインドを持っている人がいても、その人は自ら図面をひくのではなくて、設計士に的確なアドバイスをするのがいいはず。
軍隊でもそうであって、兵器を扱って戦闘をするのと、兵士を指揮するのは別の仕事。ただし、新任士官の最大の教師は、古参の下士官。下士官がいてくれて、兵士を指揮していく方法を身につけていく。
真実を伝えたい。約70年前に結婚の約束を交わした日本人女性を探しています。
当時のペギー・ヤマグチさんの写真
アメリカのアイオワ州に住む91歳のデュエイン・マンさんは、海軍時代に駐屯していた日本で出会った女性、ペギー・ヤマグチさんを、約70年間探し続けている。
2人は愛し合い結婚まで約束していたが、ある出来事がきっかけで結ばれることはなかった。
マンさんはヤマグチさん、もしくはその家族を見つけ、真実を伝えたいという。
彼はその願いを込めて、Facebookに自身のストーリーを投稿した。
海軍に所属していたマンさんは、1953年から1954年にかけて日本に駐屯。1952年に日本政府に一部返還され「東京国際空港」(羽田空港)となった「ハネダ・エアベース」で海軍連絡係として働いていた(全面返還は1958年)。彼は空軍の下士官クラブの利用を認められており、ヤマグチさんはそのクラブでクローク係として勤務していた。
自由時間にはそこでスロットマシンの修理係としても働いていた22歳のマンさんは、ヤマグチさんとダンスを通じて仲を深め、恋に落ちていった。
約14カ月の交際を経て、式の準備が出来しだい結婚しようと計画していた2人だったが、当時、アメリカの軍人と日本人が結婚するのは容易なことではなかった。
そんな時、予定より数カ月早くマンさんに帰任命令が出た。結婚する間もなく、マンさんはアメリカに帰る飛行機に乗ることになった。
残されることとなったヤマグチさんはその時、妊娠していたーー。涙する彼女にマンさんは「心配しないで。貯金があるから、すぐに君をアメリカに呼び寄せるよ」と話した。
しかし、帰宅すると思いもよらぬ事態が起こっていた。すべての貯金が父親に使われていたのだ。彼はヤマグチさんに手紙でその旨を説明し、仕事を見つけて必ず早く呼び寄せると伝えた。
マンさんは高速道路の建設会社で仕事を見つけ、週6日必死に働いた。その間ヤマグチさんと手紙のやりとりをしていたが、約1カ月後には返信が来なくなった。
約3カ月後、妹が渡してくれたヤマグチさんからの手紙には、赤ちゃんを流産してしまったこと、そして日本で出会ったアメリカ軍人の男性と結婚したことが書かれていた。
実は、その間実家に送られてきていたヤマグチさんからの手紙は、日本人との結婚に反対だった母親によって燃やされていたのだ...。
会って真実を伝えたい
母親に手紙を焼かれて彼女の連絡先を失い、連絡の方法がなくなってしまったマンさん。それから約70年たった今も、未だにヤマグチさんを探している。
「彼女にもし会えたなら、見捨てたんじゃない、ということを1番伝えたい」とマンさんはハフポスト日本版の取材に答え、ぜひこのストーリーをシェアして欲しいと語った。
5月2日に投稿されたマンさんのFacebookポストはすでに700回以上シェアされており、400件以上のコメントが寄せられている。その中には、「見つけられますように」などの応援メッセージだけでなく、情報提供や捜索手段のアドバイスも多くある。しかし、未だに確実な情報は得られていないとマンさんは語った。
彼はすでに2度結婚を経験しており、6人の子どもと18人の孫、そして6人のひ孫がいる。彼らも今回の調査を手助けしている。
【ヤマグチさんの手がかり】
現在ペギー・ヤマグチさんの手がかりとしてわかっていることは、
・1953年~1954年に「ハネダ・エアベース」(東京国際空港)の空軍の下士官クラブ(Air Force Non Commisioned Officers Club)でクローク係(Hat check girl)として勤務していた。
・当時の写真(↑)
・当時、「ハネダ・エアベース」(東京国際空港)すぐ近くの寮に住んでいた。
残念ながら、マンさんは 彼女を「ペギー」と呼んでおり、正確な日本語名を覚えていない。Facebookで彼は「Iyackoだったと思ったが...」と述べており、コメント欄ではAyakoやIchikoではないかとの憶測がなされている。結婚後の姓もわかっていない。
現在、アメリカでもこの投稿は広くシェアされ、ニュースでも取り上げられ調査の輪が広がっている。
【ヤマグチさんは米軍の男性と結婚したとのこと。その後、渡米しアメリカにいる可能性も高いですが、もし何かご存知の情報があれば、件名に「ヤマグチさん情報」と記入し、news@huffpost.jpにぜひご提供ください。編集部からマンさんに連絡いたします】
https://news.yahoo.co.jp/articles/27578dd76d48b1fc7dfe50e37769b7f496f77c7c