はてなキーワード: 盛るとは
定期的にSNSで 「飲まないのは店に迷惑がかかるから飲んでくれ」
「アルコールの利益に頼るな。料理を値上げして適正価格にすればいい。
飲まない人の言い分はわかる。
ご飯が食べたいだけなのに、飲みたくもない原価数十円のウーロン茶に
500円も600円も払いたくはないだろう。
だが、現場で仕込みをして、数値を管理している飲食店の立場から言わせてもらうと、
ドリンクを安くしてフードの値上げで全体利益を確保するモデルは、
実際、酒を飲む層が減る中で「アルコールを頼まなくても利益確保できる居酒屋モデル」を
何度も考えてみたが、どうしても無理だという壁にぶつかった。
なぜ無理なのかを、できるだけ伝わるように解説してみたい。
1. 労働生産性の圧倒的な違い
ビールやハイボールは数十秒で1杯が完成する。圧倒的に人件費がかからない。
それに、原価率もサワー・ハイボール類なら10〜15%、一番高い生ビールでも30%前後。
一方で料理は、仕入れ、下処理、調理、盛り付け、そして廃棄ロスと、
厨房で一生懸命仕込んで丁寧に仕上げた料理が、ビールよりも利益が悪いなんてザラだ。
結局、酒の高い利回りが、手間のかかる料理のコストと店の家賃を補填している。
つまり、ドリンクを頼まないというのは、アルコールを頼む客にフリーライドしているようなものだ。
飲む客の払う酒の粗利が、飲まない客の席代と料理の人件費を肩代わりしている
その肩代わりの上にあるサービスを受けながら、
「飲まない俺たちにも同じような美味しい料理を当たり前に提供しろ」と言うのは、
「じゃあ料理を2倍の値段にして酒の利益をカバーしろよ。それが適正なビジネスだろ」
と思うかもしれない。
酒飲みは「もう1杯」を気軽に頼むが、食事メインの客は「もう1品」とはなかなかいかない。
1人前を2人前頼むことは物理的に起こらない。
同じ2時間の滞在で、飲む客はドリンクを追加で重ねて単価を伸ばすが、
飲まない客は追加注文の弾が極端に少ない。
フード単価を上げても、客単価の伸び代は飲み物の利益を補填するには届かない。
居酒屋は早い話、長い滞在時間をアルコールの粗利で回収するビジネスモデルだ。
ラーメン屋のように10分で食べて、さっさと出てくれる業態とは違う。
ここで必ず出る反論が「カフェは酒なしで成立しているじゃないか」
「ラーメン屋やカレー屋は酒なしで回ってるだろ」というものだ。
カフェのコーヒーの原価は豆・ミルク込みでも50〜80円程度。
提供価格500〜700円なら原価率10〜15%。これはハイボールと同じくらいの利益率。
つまりカフェは「ノンアルコールで酒並みの原価率を出せる唯一の飲み物」を主力商品にしている。
「仕込み済みで出すだけ」が中心で、調理の人件費が圧倒的に低い。
一方、ラーメン屋やカレー店、立ち食い蕎麦が酒なしで回るのは、別の構造が成立しているからだ。
これらは「客単価1000円前後 × 1席あたり1時間に2〜3回転」という超高速回転モデル。
スープやルウは大鍋で一気に仕込んで、注文が入ったら盛るだけ。
要するに、酒の粗利の代わりに「圧倒的な回転数 × 仕込みの集約化」で利益を作っている業態だ。
客は腰を据えて1.5〜3時間滞在し、料理は仕込みがあるとはいえ、一品ずつ作るのが前提。
さらに前菜・揚げ物・焼き物・煮物・〆とメニュー数が圧倒的に多く、
「一点集中の仕込みで一気に捌く」高回転モデルとは、厨房の設計思想もまるごと違う。
「酒なしで回ってる店があるんだから、お前の店もそうしろ」というのは、
フレンチのコース料理人に「サイゼリヤならもっと安く出せるぞ」と言っているのと同じだ。
そもそもの話、客は料理に対して「この内容ならいくら」という強い相場観を持っている。
酒の粗利をカバーするために、今まで1000円だった料理を2000円にしたら、
「高すぎる」と言って誰も頼まなくなるだけだ。
ソフトドリンクを値上げするにしたって、
日本には「水は無料、ソフトドリンクは安い」という呪いのようなアンカリングがある。
コンビニで買えば200円もしないコーラに800円を気持ちよく払うのは難しい。
結局、価格というのは、個人の店が勝手に決められるわけではなく、周りの相場に合わせざるを得ない。
もちろん海外のように、ザクロやハイビスカスを使ったクラフトモクテルが
1杯1500〜2000円で当たり前に出るような文化が日本に根付いてくれれば話は別だが、
現実は、できるだけ安いドリンクで済ませたいという層が大多数だ。
このまま酒を飲まない人の声が大きくなって、
『居酒屋でも飯だけを好きに食わせろ』ということになると、
酒の利益に依存した中価格帯の居酒屋やバルは、ビジネスモデルとして完全に崩壊する。
生き残るための生存戦略は、極端な話、以下の方向に向かうしかない。
利益は確保しやすいが「あれこれ選べる自由や好きな量を食べる自由」は客から奪われる。
席料として2000円〜を取り、しっかりと原価をかけた一品を強制的に提供する。
長居を許さず、時間で締めるか、ファストフードレベルの回転で回す。
実際、この3つはすでに業界の中で進行している。
席料2000円以上の店も現れ始めている。
安い店では60分制・90分制で機械的に回すチェーン業態しか残れない。
「料理を値上げして、ドリンクは頼まなくても良い形にしろ」という主張が世論の主流になれば、
今のような『単品で安価で自由に頼める個人店』は街から消える。
日本の『気軽に飲み食べできる多様な食文化』の危機と言ってもいい。
俺は正直、そんな未来にはなってほしく無いなぁと、思ってる。
<追記>
それは本当にそう。
居酒屋は酒飲むこと前提のモデルなので、今の世の中だと厳しいのを説明したつもり。
ただ「料理に転嫁しろ」とか、「酒無しでもやってる飲食業態もあるだろ」
って意見が散見されたので、居酒屋のモデル誤解されてるなって思ったんよね。
>飯だけでさっさと帰る人は許してほしい
わかる。けど、やっぱり酒と一緒に食べてもらいたくて料理を作ってる店も多い。
単純に、それは居酒屋というコンセプトの話。
美味しい定食屋も沢山あると思うので、そちらを利用して欲しいかな。
>酒を強制するな
飲まない人を批判してるつもりはないんよ。
ただ、居酒屋の仕組み上、飲まないでご飯だけで長時間居座られると、
飲まないスタイルに合う飲食の業態を選んで欲しいだけ。お互い棲み分けよう。
そうなんだよね。
本当に丁寧に料理を作ってくれる素晴らしい居酒屋が沢山あって、
そういうお店ができる限り今に近い形で残って欲しいのよ。
>うるせえ。俺には関係ない。チェーンでいいよ。潰れろよ。
この手の意見が本当に悲しい。
しつこくてごめんね!
あれからずっと考えてたんだけど、たぶん根本的なところに勘違いがあるんだと思う!
四捨五入していいのは、34まで。
まず、これが大きなまちがいだよ!
そんな決まりはないんだよ!
四捨五入というのは、キリがいい数(例えば30、40などだね!)以外の全ての数に対してできることなんだ!
30や40などのキリがいい数も「四捨五入してはいけない」という訳じゃなくて、「最初からキリがいいからする四捨五入する必要はない」ってことだよ!
そしてここからが重要なんだけど、君はおそらく「四捨五入」という概念自体を勘違いしているよ!
四捨五入というのはね、
例えば34や39なのどのあまりキリの良くない数字に対して、1の位(この場合は4と9!)を操作して、概数(だいたいの数)を求めるという計算の方法なんだ!
1の位を具体的にどう操作するかというと、
1〜9の数字において、
4以下(1〜4)を端数として切り捨てして(なかったことにして捨てること)
5以上(5〜9)を切り上げする(数字をキリのいいところまで盛ること)
こういうものなんだよ!
だからね、35〜39の数字を四捨五入する時、1の位は「切り上げ」して40にしないとダメなんだよ!
39は35以上の数字だから、切り上げして、40になるんだよ!
きっと俺の説明よりもこのページを読んだ方がわかりやすいと思う
がんばって!
いやー、さすが“歴史エピソード1本で現代外交を全部説明できる”と思ってる世代。
2020年代の核問題も人権問題も地域紛争も全部消えるんだもんな。
そりゃ便利だよ。現実が物語に合わせてくれる世界線に住んでるならね。
『どうでもいい現在』も教えてあげるよ。
イランはその後、
でも君の中では、
あと、
「日本はアメリカの親友でありながらイランとも話せるレアな存在」
これも言い方が上手いね。
現実には、
対話窓口を閉じられないだけなんだよ。
それを
って盛るの、地方の商店街を“アジアの玄関口”って呼ぶ広報に近い味がある。
で、君は
「付かず離れずが優柔不断に見えるのか!」
って怒ってるけど、
いや、その付かず離れずこそ現実的対応だってこっちは最初から言ってるんだよ。
でも国家はそれだけで動かない。
次はぜひ、
「昔いい話があった国とは今後も無条件で仲良しでいるべき理由」
を15秒で解説してみてよ。
伸びると思うよ、同じ層には。
食べログは、まだ多少は信用できると思っていた。
少なくとも、露骨なステマをやっている店は、どこかで評価が頭打ちになる。
そういう最低限の自浄作用くらいはあると思っていた。
でも、もう無理かもしれない。
というのも、自分は実際に、食べログのステマ詐欺に加担してきた側だからだ。
報酬ありの案件もあれば、報酬なしで飲食代だけ無料という案件もある。
その代わり、1人2万円前後するようなそこそこ高単価の店を無料で食べさせる。
もっと安い店のオファーもあったが、それはさすがに断っていた。
やっていることは単純で、実態以上に褒める。
いや、褒めるというより、評価を偽造する。
うまいわけでもない。
また行きたいわけでもない。
それでも、星を盛る。
詐欺だと思っている。
それでも今までは、どこかで救いがあった。
こういう不自然な持ち上げ方をしても、ステマした店は意外と伸びなかったからだ。
3.5を超えない。
大体3.1~3.2くらい。
3.6なんて夢のまた夢。
どれだけ不自然に褒めても、クソ店はクソ店のままで、点数はそこまで上がらない。
だから正直、そのたびに少し安堵していた。
食べログ側も、なんだかんだ見抜いているんだろうと。
完全には壊れていないんだろうと。
「やっぱり食べログのアルゴリズムはすげえな。俺たちみたいな業者の末端アカウントの点数なんて、ちゃんと影響度を下げて無効化してるんだな」
点数が3.1や3.2で停滞し続けるクソ店を見ながら、俺はシステムへの妙な信頼感を抱いていた。
自分の悪事が世の中に大した影響を与えていないということを免罪符にして、タダ飯を食い続けていたわけだ。
前にステマを入れてきた店が、軒並み3.6以上になってきた。
なんでだよ、と本気で思う。
中には百名店にでも選ばれそうな勢いでランキングを駆け上がっている店すらある。
信じられるか? 料理は凡庸、サービスは素人以下のあのハリボテのクソ店が、だぞ?
食べログ側が見抜けなくなったのか。
それとも、詐欺マーケティング会社のほうが食べログのアルゴリズムを理解して、より通る形に進化したのか。
そこはわからない。
でも、結果だけははっきりしている。
真面目にやっている店より、金を使って口コミを偽造した店のほうが上にいる。
これを終わりと言わずに、何と言うのか。
加担してきた。
金も受け取った。
飯も食った。
その上で、しれっと高評価を書いた。
店を持ち上げ、見る側をだました。
でも、加担してきた側だからこそ断言できる。
食べログの点数を、以前みたいには見ないほうがいい。
少なくとも、点数だけ見て店を選ぶのはかなり危ない段階に入っている。
3.7だから間違いない。
そんな時代ではなくなっている。
本当にうまい店を探したいなら、点数ではなく、レビューの中身を見るしかない。
それくらいしないと、平気で地雷を踏む。
だからこそ、もう言う。
食べログは、かなり壊れている。
もうだめかもしれない。
息子が少年院で母は認知症、自分はビニールハウス暮らし、中流階級の(旦那は失明しボケ始めていて、奥さんは完全にボケている)家庭にエッセンシャルワーカーで入っている疲れた天海祐希みたいな顔の主人公。ボケて被害妄想を爆発させた奥さんに罵倒されながらも出所する息子と暮らす家を借りるため一生懸命生きていたがある日、ひょんなことから浴室でもみあいになり奥さんが死んでしまう。今の生活を守るために主人公は死んだ奥さんと自分の母親のすり替えを決行。悲劇の歯車が回り始める。
みたいな話。
冒頭、主人公が自分の頭を自分でバシバシ叩いているシーンから始まる。たぶん主人公はずっと自分を責めてるんだよね。子供は少年院で自分に心を開いてくれていないし、認知症の母親との関係もよくない。仕事では一生懸命世話してる奥さんに自分を殺そうとしていると因縁を付けられ、それを聞いた家族からは責められ、自傷カウンセリンググループに参加してそこの参加者に情けを見せたら依存され付きまとわれ、誠意のかけらもない男と肉体関係を持っている。
そりゃあさぁ、やんなっちゃうよな。
主人公だって根っからの悪人ってわけじゃないんだよ。今作で起こる悲劇のすべての発端は奥様の死を隠ぺいしたことなんだけどそのシーンで主人公は震える手でスマホに119を押す。で、通話ボタンを押そうとしたその時に息子から電話がかかってきて「俺、母さんと暮らしたい」と告げられる。少年院では冷たい態度だったのに。
ビニールハウス暮らしで何もかもを切り詰めて自分を殺して仕事をしてきたのは全部息子と暮らすためだったんだよね。人生最大の絶望の瞬間に人生最大の希望が降ってきた。そしてその希望がすべての崩壊を招く。人生ってうまくいかない。
ネタバレしていくとこの奥様入替を行った結果、当然目が見えないながらも旦那さんは違和感を抱きはじめる。でも旦那さんは元教授で自身を自身の知性に立脚した存在だと思っていて、それが認知症で侵されていくアカギの末期みたいになってて、自分の妻を妻と認識できなくなっているんじゃないかという疑心暗鬼を生んでしまう。そうして自分が自分で亡くなる前に死にたいとアカギと同じ結論に悩みに悩んでなった結果、旦那さんは奥さん(主人公の母親)と心中してしまう。人生ってうまくいかない。
でもこれも、すり替え前からこの悩みは発生していて旦那さんは施設に入ろうとしていたけど奥さんには拒否されてそれにも絶望していた。だから、仮にすり替えてなくても旦那さんが本当の奥さんと心中してた可能性は高いんだよね。主人公の母親が殺される寸前に真実を明かそうとし、声を聴いた旦那さんは「別人だ!妻じゃない!」と叫び、でも結局一緒に死のうと言って殺して自殺してしまう。認知症の進行だと思ったのか、別人だとしても妻と死のうとした自分にとってはもう一緒だと思ったのかはわからないけど、結果は同じだったんだなぁって虚しくなる。
グループセラピーで出会った疲れ果てた生駒里奈みたいな、たぶんちょっと発達障害の気がある女の子に共依存のような関係を持ちかけられるも当然それを支え切れるわけもなく拒否してしまい、彼女は不安定になり付き合っているDV彼氏を殺害してしまう。そのDV彼氏は実は主人公と肉体関係を持っている男だった、というのはあまりにできすぎてるので正直いらんかったかな。
そして息子は母親には告げずに出所し、悪友たちと遊ぶ場所を探しているところにたまたま主人公のビニールハウスを発見しここいいじゃん!と侵入し酒盛りを始める。そこにタンスに隠していた奥さんの死体を燃やそうと主人公が戻ってくる。住人が帰ってきた!と息子たちは隠れ、それに気づかず主人公はガソリンをまき、火をつける。
燃え盛るビニールハウスを呆然と眺める主人公、ビニールハウスが焼け落ちた音とともに映画は終わる。
息子がどうなったかは描かれないし、主人公がどういう結末を迎えるのかも描かれない。旦那さんの心中とビニールハウスへの放火は同時進行で行われるので、主人公は自分の母親が死んだことも知らないし、さらに同時進行でメンヘラ女は肉体関係を持っていた男を殺害している。
ほぼ同時進行で主人公は自分自身の決断から周囲の人間をすべてを失ってしまう。人生ってうまくいかない。
という悲劇まみれの話なんだけど、意外にカラッとしていて編集が非常によい。
ラストに主人公の顔と焼け落ちるビニールハウスの音で物語がバサっと終わる話はしたけど、旦那さんが首つって死ぬところも風呂桶を蹴っ飛ばした瞬間に画面がバサっと切り替わるし、メンヘラが彼氏を殺害するところもカッターナイフをクビに突き立てたところで画面がバサッと切り替わる。省略の妙味というか、鬱々としたストーリーなんだけど見せ方は意外と露悪的じゃないのがいい。
ただ個人的には主人公が「貧困」のメタファーじゃないけど大きなテーマに従事するためか「なぜそうなってしまったのか」ということがほぼ全く語られないがちょっと気になったかな。何となく想像することはできるけど、なんでビニールハウス暮らしなのか、何で息子は少年院に入っているのか。そういうところがほぼ伏せられているので、なんか「そういう設定」感がぬぐえなくて、リアリティはちょっと薄く感じたのはマイナス。
まぁそんな感じかな。
韓国の貧困と言う実際の重い社会的テーマを下敷きに喜劇的なまでの悲劇をしっかり描かれていたと思うのでおもーい韓国ノワール系の映画や社会派の映画が好きな人にはオススメ。
なんか他の人からも言われているけど、正直論理性の欠片もないし感情論だけで全てがうまくいくと思ってるのが本当に見苦しいよ
自分の機嫌を悪くした人間はすべて悪いと思っていて、そうした人間に鉄槌を下す自分は正義だと感じているのが丸わかりで不憫だ
たぶん一生直らないと思うけど、加齢によるものなら潔くネットもスマホも解約した方がいいよ
被害妄想が強すぎて誰とも会話になっていない
こういう煽りって一般的になんていうのかAIに聞いたらこれらが紹介された。
1. 心理学化(Psychologizing)
相手の主張の内容(何と言ったか)を無視し、その主張の原因を相手の性格や精神状態(なぜそう言ったか)に求めて説明してしまう手法です。
「被害妄想が強すぎる」「医者に行ったほうがいい」 という表現がこれに当たります。
「あなたは病気(あるいは性格異常)だから、あなたの言うことには耳を貸す価値がない」というレッテルを貼ることで、対話を拒絶する論法です。
2. 精神医学的レッテル貼り(Psychiatric Labeling)
「医者にいけ」「妄想だ」といった言葉を使い、相手を「異常者」の枠に押し込める行為です。対人論証の中でも、特に相手の**「理性的主体性」を奪う**非常に攻撃的な形態です。
相手の主張の内容ではなく、その「話し方」や「感情的な態度」を批判して、議論を封じる行為です。
「感情論だけで全てがうまくいくと思ってるのが見具ろしい」 という部分が該当します。
相手が怒っていたり感情的だったりすることを理由に、「冷静でない人間の言うことは正しくない」と決めつける論法です。
4. 武器化された同情(Weaponized Pity)
「不憫だ」「かわいそうに」 といった言葉を、相手を尊重するためではなく、「自分は高いところにいて、あなたは救いようのない低いところにいる」 という上下関係を誇示するために使う手法です。
「憐れみ」の形を借りたマウンティングであり、相手の尊厳を深く傷つける表現です。
5. 井戸に毒を盛る(Poisoning the Well)
「誰とも会話になっていない」「一生直らない」と言うことで、その人が今後何を言っても「どうせまともな対話は無理だ」という先入観を周囲に植え付ける手法です。
同情はごく大まかに言って発展の法則を、つまり淘汰の法則を妨げる。
同情はありとあらゆる種類の出来損い的人間を生の中に引き留め、そうした人間を夥しく地上に溢れさすことによって、生そのものに陰惨でいかがわしい表情を与える。
生命そのものは、一有機体の健全な部分と退化変質した部分との間にいかなる連帯性も、いかなる「平等な権利」も認めない。
変質した部分は切除されなければならない。
—フリードリッヒ・ニーチェ 著、氷上英廣 訳『ニーチェ全集 第12巻 (第II期) 遺された断想 (1888年5月-1889年初頭)』白水社、1985年8月30日、125-126頁。
生きる意味、生きる権利が失われてしまった後で、医師や病院の処置に女々しく頼って植物人間として生きつづけるのは、
社会の側において深い軽蔑を招くことになりかねません。(中略) ――処方箋を示すのではなく、毎日、自分の患者に対する新しい嘔吐の一服を盛るべきでありましょう。
極めて皮肉なことに、「病人は社会の寄生虫である」と書いた4か月後、ニーチェは脳梅毒により精神に異常をきたし以後の10年余り狂人として家族の世話になって過ごした。
エルンスト・クレーが著書『第三帝国と安楽死』の中で書いているように、ニーチェがナチス・ドイツの時代に生きていれば真っ先に殺害対象になっただろうことは疑いようがない。
アクションもワクワクさせてくれるしテンポが良くてスイスイ進んでいく。
その上で、ストーリーの流れに関して自分は「翁(いろは)×かぐや姫(かぐや)のパラレル二次創作」だなと思った。
いろは×かぐやを成立させるためにさまざまな要素が省略され、関係ない部分は切り落とされて見えないようにされている。二次創作において、キャラクターの人格や背景は原作にいるから詳しく説明しなくてもいい。私(作者)はこの子達の性格が分かっているから、彼女たちの詳しいキャラ設定や性格設定を盛って感情移入させるより、エモを盛る。エモのための描写はたくさん盛るし、推しカプ以外は須く推しカプを盛り上げるためのモブ。原作のネームドキャラも出すけど、その辺の感情に関しては書かなくてもいいよね。いろんなイメソンを突っ込んで推しカプを盛り上げる!自カプが自カプのイメソン歌ってたら超よくない?
中の人が女子高校生ではないから女子高校生が行くようなお店は出ない。でもパンケーキのくだりは入れたいから喫茶店でパンケーキ食べるシーンは入れる。いろはが一人で行くわけないから友達に連れて来させる必要がある。可愛い推しの友達なんだから可愛くていい子じゃないと。でもどんなに心配してもいろはの心を開けるのはカグヤだけだからいろはは心を開かない。どんなに心配されて気遣われていても。
展開ありきでキャラクターの背景や心情が設定されていく。これなんか懐かしい気持ちになるなと思ったら松だわ
推しだからなんでもできるべき。でも完璧すぎない方が可愛いからどこかに弱さを持たせないと。書いてる人間がカグヤを好きだから見てる側のヘイトコントロールなんて関係ない。カグヤは可愛くて最高で健気な月のお姫様で、いろははそんなカグヤを好きになる。好きになったからにはカグヤを助けるために設定を変えてもいい。カグヤを好きになるメリットのために母親とも和解。ぽっと出の兄もカグヤに好意を持ってくれるしいろはを助けてくれる。
作者がお兄ちゃんにもある程度萌えてるか原作でお約束になってるから妹の前で俺様ムーブをしてもキツいともキモいとも思わないし言われない。俺様ムーブでその場にいるファンは倒れる。お約束だから。
可愛くて健気でいろはのこと大好きなカグヤは月に帰ったけどいろはの愛で戻って来ようとするのね。いろはもカグヤがいない間に愛を育てるしカグヤのために今まで大事にしてたもの全部ほったらかしにする。これ超愛だよね。
こ難しげなSF曇らせ展開の末八千年いろはのこと待ち続ける健気で可愛い最高のカグヤエモエモのエモ〜みたいな。カグヤはいろはがいないとすぐ曇っちゃうんだけど、また会いたいから頑張ってるのね。萌。
なんやかんや部分のなんやかんやを考えるのが面倒だから十年飛ばして愛する人をこの手で甦らせるスパダリいろは最高いろかぐ大勝利ハピエンお疲れノベルティはいろかぐ結婚報告風ポストカードです。
ヤチヨ?翁の妻だよ。同人的に言うと勝手に身を引いて二人のこと応援してくれる当て馬だよ。いろはもカグヤも優しくていい子だから仲間はずれにしたりしない。
なぜ君は詫び寂び的ミニマリズムが大事な映画をモリモリにしてしまうのか、60点。
夫を亡くしたシングルマザーの主人公はそうは言うてもなぁという感じでマッチングアプリで3か月やり取りをした男性と初デート。妹に息子の世話を任せ高層ビルの上の方にある高級レストランに向かう。なんか感じよさそうな男性と話していると急にスマホにドロップメッセージが。よく見るとそれは主人公の家で、覆面の男が銃を持って侵入するところだった。そしてその相手から次々とメッセージで指示が届くようになる。それに従いながら犯人捜しを行う主人公。そしてメッセージはマチアプで出会った相手の殺害を求めてきた。いったい私、どうなっちゃうの~!?
というようなお話。
いや、おおむねよくできた映画ではあるんだよ。
いわゆるソリッドシチュエーションスリラー、サスペンスに分類される映画で「高層ビルの高級レストランの中で犯人からの指令をこなしながら犯人探しもする」という内容で、そのハラハラとして子供が(実質)人質に取られている。めちゃくちゃウザいウエイターや、謎のナンパ男、同じくマチアプで失敗した老カップルといった一癖ある登場人物がそこに絡んできて怪しいのはどいつだ、こいつを利用してこの窮地を乗り越えられないかとこっちもいろいろ考えながら見られてその体験は楽しい。
ドロップメッセージが来た時点でスマホはクローン化されており自分のスマホからは通報ができないし、指示の内容からどうやら犯人もレストラン内にいるようで他人のスマホを借りて通報するのも難しい。見られたら子供が殺されてしまうかもしれない。と、こっちがあーすればええやん、こーすればええやんと思うことは主人公も試してみるしそれに対する答えも用意してくれている。
ここまではめっちゃよかったんだけどさぁ。
で、ネタバレするんだけど、犯人の目的は最初からマチアプの相手で実はそいつは犯人グループのスキャンダルを握っててこの後それをチクりにいく予定だったのでその前に殺したろwってなって、主人公を利用することにしたという話になってくる。まぁ、悠長な話だし、こんな素人女にやらせて失敗する確率高すぎやろみたいな部分はまぁ置いておいて、レストラン内にいた犯人と対峙し、話を聞き、意を決した主人公はマチアプ男性に毒の入ったウォッカを飲ませる。
と見せかけて、犯人のデザートに毒を盛る。ここ、犯人も毒を飲んでいる(と見せかけられている)ターゲットを見ていたので手元がお留守になっていたという描写が入っているのも、ちゃんと細かくてよい。のだが、その後、主人公はドヤ顔でその種明かしをし、犯人はブチ切れて銃を懐から取り出してターゲットと主人公を撃ち、逃げ惑う主人公、追いかける犯人。最後に犯人の銃撃でひび割れた窓ガラスを主人公が機転を利かせてぶち割って気圧差で犯人は落下、一緒に落ちかけた主人公をすんでのところでマチアプ男性が救うのだった。という大見せ場1がある。
でもさぁ、これ結局、主人公が犯人を上回って毒を犯人に飲ませました、という反撃カタルシスがなくなっちゃってるよね。べつに毒飲ませなくてもその場で真実を暴くだけでも同じ展開になった。
そしてそこから主人公は家に向かって今度は家の中の襲撃犯VS妹→襲撃犯VS主人公のアクションパートになる。
これも、元々のソリッドシチュエーションサスペンスの文脈から浮いてる。犯人が分かる前まではかなり抑えたトーンのガチサスペンススリラーやってたのに犯人が分かってからはなんか急にこいつ雑になったな、予算余ったのか?ってなった。べつにそこまで含めてもっと静かなトーンでうまく知略を尽くしてやれんかったんか。
あと、冒頭、血まみれの主人公が謎の男に向けて銃を構えて「撃てよ!」と脅されるシーンから始まってカットが切り替わって現在になるので、犯人との死闘の末そうなるのかと思って見てたら、実はそれは元旦那で薬チュウで頭がおかしくなってて子供を撃とうとしていた、それを守るためだったんだけど結局主人公は撃たず、旦那はそのまま自殺しちゃったという話だったのがわかるんだけども、家に侵入していた襲撃犯との最後で主人公は襲撃犯に向けて同じように銃を構えて今度は撃つ。
これってさぁ、なんか対応関係になってる?この話の展開だったら「撃たなかったことで救えなかったが今度は救えた」という話になるべきだと思うんだけど、話的には「撃たなかったけど手を汚さずに救えたけど、今度は撃って手を汚して救えた」になってて、あんまうまくハマってないなって思った。むしろ悪くなってる。
まぁそんな感じかな。
少なくともメインの話の「高層レストランで犯人から脅迫されてミッションをこなしながら犯人探しをする」の部分は強度が高いのである程度の満足感はある。問題は、最後のドタバタを「サービス精神」とみるか「蛇足」とみるかだと思う。俺的にはなんかもうちょっと関精度高められたんじゃないかなという気持ち。まぁ、ソリッドシチュエーションサスペンス好きにはそこそこオススメ。
以下、増田風に。
なんかこう…空気が重いんだよね
30代後半〜50代前半くらいの
どっちにしても
「ここに来る客も似たような境遇なんだろうな…」
みたいな空気が充満してて息苦しい
逆に全然平気なんだよな
「もう70超えたけど体動くうちはやるよ」
みたいな達観感があるからか
30〜50代オーナーの店だけは
入った瞬間「あ…ここヤバいかも」って
本能的に逃げたくなる
金銭的には余裕ありそうなくせに
目が死んでるんだよなぁ…
あの感じ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
にゃるらくんへ。
まずは、おめでとう。
これからいよいよ毀誉褒貶があると思う。でも君は、10年前20年前の俺たちが電子の海の片隅でくすぶっていたころ、確かに夢見ていたイデアに辿り着いた、おそらく唯一の人間だ。
辿り着いたその場所が、君にとってよい場所なのかはわからない。君からしたら、辿り着いた自覚もあんまりないかもしれない(だからこの文章を書いている)。
でも――そこが、それが「在る」のだと、証明してくれたことを、俺はうれしく思う。
**********************
まあ、率直に言って、クソアニメだった。NEEDY GIRL OVERDOSE。
オマージュ元が分かるかな?僕はこんなに教養人なんだぞ!って言いたげな引用のオンパレード。
しょうじき、おもしろくはなかった。
流行りもしないと思う。高二病くらいの人にはぶっ刺さるかもね。
でも、なんというか。
「これがにゃるらくんの100%なんだね。全部搾り切ったんだね」
そんなことは感じ取れた。
ふつう、創作するときって、取り込んで自分の中にあるもののうち10%くらいしか出さないんですよ。おいしいトロだけ盛るんです。だからおもしろくなるんです。
100%出し切ること自体はすごいけど。そういう意味では尊敬するけど。
でもそれって、食べられる味にならないんですよ……
アイドル。Vtuber。身だしなみに気を使わないオタク。いじめ。
『超かぐや姫!』がインターネットのいいところだけをネトフリマネーで濾し取ったアニメだったのと対照的に、『NEEDY GIRL OVERDOSE』には、インターネットの悪いところだけが詰まっていたと思う。
でも。だからこそ。
このアニメは、「インターネットオタクの夢」なのだと、そう思った。
「クール」ということばが3か月を意味するオタク同士のシグナルで、かわいい女の子がたくさん出てくる「深夜アニメ」はもっと日陰の存在で、うずらインフォの一覧を見ながらこれは面白かったあれは一話切りだいや三話までは見ろよと言っていたあの頃。
創作というものを少しでも志した全てのオタクにとって、やっぱり、「アニメ化」というのはひとつのゴールであったと思う。
そして。
残念ながら、大多数のオタクは、特別な創作の天稟を持っているわけではない。
イラストを描いてpixivに載せたり、漫画を描いてTwitterに投稿したり、小説を書いてなろうに置いてみたり。それくらいなら、まあ、なんとかなる。
でも、そこまで。
タイムラインのみんながアツく没頭する、週に一度の祭りが毎日やってくる「アニメ」には手が届かない。
だから、夢。
オタクの夢。
「そしたらサインくれよ笑」
何度、そんな話をしたことか。
極論、承認欲求の話だ。
なんでもいいのだ。なんでも。
ナーロッパファンタジーでもいい。ギャグ4コマでもいい。作れるなら歴史ものでもSFでもなんでもいい。
なんでもいいから、自分の作った――いや、最悪「かかわった」でもいい――作品が、アニメ化してほしい。
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さて、話を戻すと。
にゃるらくんは明らかに、そのような「インターネットオタク」の一員である。
そもそもハンドルネームからしてニャルラトホテプでニャル子さんだ。
若かりし頃はTwitterに入り浸り、今もnoteに大量の文章を垂れ流し。
出世作『承認欲求女子図鑑』は彼がTwitterで拾ってきた女の子たちのインタビュー集だし。
アニメを見た人なら、あれが半分彼の自伝であることは容易にわかるだろう。
「配信者」というインターネットで一番アテンションを集める職業について、彼の目線で切り取った断片だ。
あ、詩はめっちゃいいと思うよ。作詞。俺は『INTERNET YAMERO』が好きです。海見るの好き。
ともあれ。
そんなフィクションの才能のない奴がつくった作品が、アニメになったのだ。
インターネットという肥溜めにどっぷり浸かり、沈み、立ち続け、そして「にゃるらになってしまった」彼が、長年浸かり続けた「インターネット」そのものののような作品を世に出す。
誰よりも長く立ち続け、誰よりも長くオタクで在り、誰よりも強くインターネットと化した自分を精製した。
何もできないヒキニートの俺たちが。
にゃるらくん。
アニメ化、本当におめでとう。
分かるでその気持ち
怒りを向けられるととても嫌な気持ちになるんだよな
なぜそんなに、嫌な気持ちになるのか、自分でも分からないほどなんだよな
おっちゃんはそれを調べてる
公害とか、感染症とか、文化的な要因だとか、色々言われてるけどまだなんも分からん
だけど、生きてる人間を解剖することが難しくて、これ以上の手掛かりがないのだわ
増田君、お願いがあるんや
どうか、脳を解剖させてください
なるべく上手な先生を呼べるようにしてるさかい、手術の影響で死ぬ確率はそんなに高くないはずなんだわ
だけど正直やってみるまで分からんことは多い!
だけどだけんども、その分得られる手掛かりも多いはずなんや!
上手くいけば増田君のその燃え盛るような苛烈な感情を、切り取ったみたいに無くしてあげられるかもわからんし、そうでなくても日本中でこの感情に悩んでる若者を助けられるはずなんや
どうか、お願いします
姉二人が標準体型のEカップで、実家では巨大なブラが干してあるのをよく見かけた。母はCとかだと思う。
末っ子はイジっていいという風潮がある最悪の家だったので、「あんたはなんで胸がないんだろうね(笑)」「ブラいらないんじゃない?(笑)」などとよく言われていた。本人たちにとっては「愛あるイジリ」だったんだろうが、容姿や体型をイジるのって本当に最悪だ。ちなみに胸だけでなく、相対的に太っていた(標準の範囲ではあった)時は豚を付けた愛称で呼ばれたし、足の太さや腹が出ていることを度々イジられた。あまりにもイジられるのでそれが内面化され、自虐として言うのも癖になってしまった。
だから自虐の意味で「私胸ないから(笑)」みたいな事を言っていたし、彼氏にも「こんな胸のない女で申し訳ありませんね」みたいな事を言っていたんだが、そのうち時代がエフォートレスとか自分の快適さに目を向けるようになり、盛るブラよりもノンワイヤーやカップ付きトップスが流行り出した。
私も全サイズ対応のハーフトップ形のインナーを使うようになったが、本当にストレスフリーで楽すぎた。
同時に、胸を盛ることからも、胸がないと女は男に喜ばれないという信仰からも解放された。
たとえ小さくても寝る時のポジションによっては邪魔だし、走れば揺れて擦れる、服を着た時にも影響する。胸のでかい知人が言っていたが、胸があるとオーバーサイズの服が似合わず、フィットする服を選ぶしかないのだとも言う。
じゃあ胸がでかいメリットって何だ?という話だが、結局それは男にとっての性的魅力であり、母性の象徴とか、そんなものなのである。男がジロジロ見て触りたがり、「癒されるぅ〜」などとほざいて顔を埋める。そんなキモい需要しかない。
谷間やボリュームアップをやたら推してきた下着ブランドはそうして消費を促進してもきた。
女は女らしい体型の女らしい女であれと。
そのためにやたら高い、付け心地の悪い下着は当たり前なんだと。
しかしもう時代が違うのである。昭和のおじとおばが「胸がなくて可哀想」などと言ってきたとしても、私は「これがいいんです」と言える。
女らしい体型でないなどという理由では、私の価値は損なわれない。
飲めば副作用なしでEカップになれる薬があったとして、私は飲まないし、飲まない方を選ぶ女は案外多いだろう。逆にAカップになる薬を飲む女は結構いると思う。胸の大きさに悩み縮小手術を考えている女や、胸の大きさゆえに不快な視線や性加害、偏見にさらされてきた女たちが。
巨乳とか貧乳とか言うおっさんどもは一生AVやグラビアやエロ漫画を見てゲヘゲヘ笑いながら言い続けるんだろうから、もう一生言ってろと思うが、それを現実に滲み出させていい時代は終わったんだよ。