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はてなキーワード: 性自認とは

2026-05-08

[]社会学者の分類と傾向

社会科学 vs 「ストーリーテラー

社会学には2つの極端なアプローチがあります。一方は、統計的因果推論的に厳密にデータ解釈を分離し、反証可能性担保する科学手法です。

もう一方は、自分イデオロギーナラティブ構造的抑圧、弱者発見権力批判など)を支えるためにデータを「都合よく選ぶ」(cherry-picking)手法です。この記事では後者を「ストーリーテラー(Storyteller)」と分類します。

1. 根本的な対立軸

実証社会学者(Empirical Social Scientist)


統計・大規模調査因果推論手法(差の差法、操作変数法、傾向スコアマッチングなど)を用い、相関関係因果関係を明確に区別

データ事実(Results)と研究者解釈(Discussion)を厳密に分け、矛盾するデータ提示し、反証可能性と頑健性(robustness)を担保する。社会科学として「科学」の基準を守る。

ストーリーテラー(Storyteller)


「社会科学」の看板を借りて、自分イデオロギーナラティブ物語)を広める人。データあくまで「自分ストーリーを魅力的に補強する道具」に過ぎず、都合の良い部分だけ選び(チェリーピッキング)、相関を即因果すり替え解釈データに混ぜ込む。文学的運動アプローチが強く、X(旧Twitter)やメディアで声が大きい loud minority として目立つ。

2. ストーリーテラーを見分ける実践チェックポイント

1 データの選び方

自説に有利な数字・事例だけか、全データ範囲と感度分析を示すか。

2 因果と相関

相関を即「構造的抑圧が原因」と断定し、因果推論手法名を明記しない。

3 データ解釈の分離

結果セクションですでに文学的ナラティブ(「これは権力証左」)が入っていないか

4 方法

質的研究批判理論(Foucault、Butler、上野系)が先行し、計量・因果推論論文引用が少ない。

5 態度

批判されると「文脈が違う」「差別者」とレッテル貼りするか、データ再検証提案するか。

6 発信スタイル

X・メディア構造批判弱者発見PC擁護が熱く、エンゲージメントが高い。

論文発言・X投稿をチェックすれば、9割以上見分けられます

3. ストーリーテラーの詳細分析

ストーリーテラーは、社会学を「科学」ではなく「物語を語る運動の場」に変える存在です。彼らはデータを使いつつも、最終的に一貫した

ドミナントストーリー」(支配的な物語

を構築・拡散します。これは、イデオロギーを補強するための選択物語化です。データは「証拠」ではなく「感情を揺さぶ小道具」として機能し、矛盾データ無視するか、「より大きな構造のせい」として相対化されます

なぜ社会学で目立つの

• 1970-90年代の「質的転回」(qualitative turn)でインタビュー参与観察理論解釈が主流化した歴史的土壌がある。

• X・メディアでは「弱者発見」「構造批判」といった感情に訴えるストーリーエンゲージメントを稼ぎやすい(loud minority効果)。

• 結果、学問の「科学性」が薄れ、活動家ごっこイメージが強まる(古市批判の核心)。

ストーリーの主な種類と特徴

1 弱者発見ストーリー


「弱者弱者のままで尊重される社会を」「頑張っても報われない人がいる」
→ 努力個人責任を「環境構造のせい」に還元し、永遠被害者像を描く。


例:東大入学式祝辞のような「恵まれ環境のおかげ」強調。データ合格率差)を使っても、逆差別努力差はスルー

2 構造的抑圧ストーリー

「家父長制・資本制・権力構造がすべてを決めている」
→ 格差ジェンダー移民問題を「システムのせい」に帰結解決策より批判が優先。


例:家事=「不払い労働」、教育格差を即「構造的抑圧」と断定。

3 日本人原罪ストーリー


「日本人多文化に耐えられない」「加害者性・反省不足が原罪」
→ 戦後教育の延長で、日本人全体を「構造加害者」に位置づけ。


例:日本社会の「単一民族神話批判や、歴史問題での自虐的ナラティブ

4 PCLGBTジェンダー構造ストーリー

異性愛規範・性二元制がマイノリティを抑圧」「性自認尊重正義」
→ ポリティカルコレクトネスを「進歩物語」として語り、反対意見を「差別」と一蹴。
例:女子枠反対を「弱者男性のワガママミソジニー」とレッテル貼り

5 権威主義ストーリー


「政府権力干渉学問の自由を脅かす」「新政権ツッコミどころ」
→ 学術会議問題などで「権力 vs 専門家」の二元論を展開。


例:法人化法案を「戦前回帰」「学問統制」と位置づけ。

6 ダブスタレッテル貼りストーリー

相手差別者歴史修正主義者・ミソジニー」
→ 都合の悪い女性政治家を「中は男」と属性攻撃するなど、二重基準を隠した攻撃ナラティブ。
ラベリング理論武器化。

これらのストーリー相互に連動しやすく(例:構造的抑圧+日本人原罪論)、データが出ても「より大きなナラティブ」で締めくくられます

結果、社会学は「文学亜流」や「運動の道具」と見なされやすくなります

4. 代表的社会学者のリスト

ストーリーテラー寄り(ナラティブ文学的イデオロギー重視。X・メディア学術会議ジェンダー/PC分野で発言多め)

上野千鶴子(東京大学名誉教授家族社会学ジェンダー研究)


代表的発言:「あなたたちが『がんばったら報われる』と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひとたちがいます。」(2019年東大入学式祝辞)


弱者発見構造的抑圧・ダブスタ代表
本田由紀東京大学大学院教授教育社会学

代表的発言:「女子枠に反対するのは弱者男性のワガママ」「ミソジニールサンチマンに溢れた快哉を叫ぶコメント」(2026年頃、女子反対論に対するnote引用投稿


→ レッテル貼りPC擁護差別者ラベリング
田中優子法政大学名誉教授・前総長)


代表的発言:「安倍さん女装して現れた」「言っていることは安倍さんのものだ」「だから、中は男でしょ。安倍さんでしょ」(2024年立憲民主党集会での高市早苗批判


→ ダブスタ属性攻撃の極み。
宮台真司(元東京都立大学教授など)


代表的傾向:「病ませる社会」が弱い人を症状化させる(近年、人生相談社会病理関連発言)


体制批判社会病理ストーリー
西田亮介(日本大学教授など、メディア政治社会学)


代表的発言:「なんで、いま、みんな日本学術会議に関心を持ってるの? 新政権ツッコミどころからというだけでしょう」(2020年学術会議任命拒否問題時)
→ 権威主義体制批判

小熊英二慶應義塾大学教授歴史社会学)


ネット右翼を「1%未満の愉快犯」と矮小化するなど、日本社会構造歴史ナラティブ批判

隠岐さや香東京大学教授科学史)


学術会議法人化法案が可決されてしまいました。日本は、アカデミー自律性を弱めることに加担した国の列に加わりました。」(2025年、X投稿)
→ 学問の自由危機ナラティブ

江原由美子東京都立大学名誉教授ジェンダー研究)


ジェンダー秩序・権力構造理論批判

瀬地山角東京大学教授ジェンダー論)


大規模講義構造抑圧・PC視点を展開。

岸政彦(京都大学教授生活史・質的研究

生活史・質的ナラティブ中心の文学的アプローチ

実証派・バランス派(データ駆動因果区別反証意識論文調査中心でXは控えめ)

筒井淳也立命館大学教授、計量社会学家族社会学)


大規模調査データ家族格差統計分析因果推論を意識した学術告知中心。

古市憲寿(社会学者・著述家)
社会学文学的偏向を自ら批判

データ現実観察のバランス感覚。

釜野さおり(国立社会保障・人口問題研究所)
 SOGI調査などジェンダー家族定量分析実証アプローチ
瀧川裕貴(東北大学など、計算社会学分析社会学)


計算手法因果メカニズムを組み合わせた実証研究

金澤悠介(立命館大学など)

戦後社会意識変化の計量研究

中井美樹(立命館大学など)

社会階層・ジェンダー平等の計量分析

樋口耕一(立命館大学など)


計量テキスト分析情報行動研究

5. 全体の傾向まとめ

X・メディア学術会議ジェンダー/PC分野で目立つのは圧倒的にストーリーテラー。彼らのナラティブ感情に訴えやす拡散されやすい一方、実証派は論文データで静かに勝負するため声が小さい。結果、社会学は「科学」より「物語を広める運動」が強まりやす構造になっています社会科学を本当に科学に戻すには、実証派がもっと積極的に声を出していくことが重要です。

関連記事:社会学者のアホ発言

https://anond.hatelabo.jp/20260507222858

2026-05-05

anond:20260505205435

日本が落ちぶれたといってもほとんどの途上国より豊かなのに裕福だとは思わんからなあ

自己申告で貧困決めるのは性自認性別決めるみたいなおかしさがある

2026-05-04

朝日新聞連載Re:Ronメディア公共記事 インタビュー 9条だけでない、憲法という「自己拘束」の知恵 木村草太さんに聞く 2026年5月3日 7時00分 聞き手大内悟史

憲法学者木村草太さんインタビュー

 

時は来た」と高市首相憲法をどう変えたいのか 持論は「国防軍

 ――戦後日本社会と人々の暮らしを支えてきた憲法は、地に足のついたものになっているでしょうか。

 

 憲法が示している戦後日本の基本原則は揺らいでいないと思います平和主義国民主権人権尊重を捨て去りたいという人はごく一部でしょう。ただ、気になる点もあります憲法学者として人権差別解消の問題に長く取り組むなかで、昨年出した『幸福憲法学』ではこう指摘しました。

 

 「本来は『人権』という言葉を使うべき場面で、それを避ける例もある」「『人権』という言葉は避けられている」と。

 

 ――80年近くを経て、憲法価値観空洞化しているということでしょうか。昨夏の参院選では外国人政策が急に争点化し、排外的政策を掲げる政党政治家が広く支持を集めました。

 

 社会経済の先行き不安や怒りが広く存在するとき、人はその原因を何かに帰属」させようとします。何が不安や怒りの原因かは目に見えるほど明確ではないので、その帰属先はしばしば操作されます哲学者スローターダイクは、中世カトリック教会共産主義が、人々の怒りの矛先を操作して自分たちエネルギーしたことを論じています。怒りや不安を人の属性帰属させれば、差別の出発点となります

 

 例えば、外国人に見える観光客マナーが悪かった時、その人の問題とするべきですが、外国人差別を煽(あお)る人は「外国人観光客全員」あるいは「在留外国人も含む外国人全員」の問題とする操作します。

 

 ――メディアも、目に見える誰かのせいにして差別に加担しないようにしたいです。

 

 差別を防ぐには、不安や怒りを安易に誰かのせいにしないという意味での「自己拘束」が必要です。メディアが、因果の流れを丁寧に説明する必要があるでしょう。例えば、原油高に伴う物価高のメカニズムを報じることは、日常イライラを「外国人」に向けず、適切な対策を打たない政府や、戦争を続けるロシアイスラエル問題意識させることにつながります

 

プライバシー権と「差別されない権利

 ――不安や怒りのはけ口を探して、誰かを標的にする。そうして自分感情操作された結果、差別に加担するのは嫌です。

 

 憲法の掲げる人権差別解消の理念は、憲法学が最前線で扱うテーマの一つ。最近研究では、プライバシー権をめぐる議論差別問題とつなげながら掘り下げて考えています

 

 プライバシー権は、個人尊重幸福追求権を定めた憲法13条にもとづき、発展してきました。

 

 プライバシー権は「一人で放っておいてもらう権利」に由来します。この権利は、他者自分を標的として認識されない状態を守る権利とでも言いましょうか。あの人は、一人暮らし女性だ、老人だ、と認識されると、犯罪に巻き込まれリスクが高まり、緊張します。そう認識されないことで安心する。その安心感を守ろうというのが出発点です。

 

 その後プライバシー権は、人に知られたくない個人情報を知られずに、隠したいことを隠すための権利として発展しました。さらに、性的指向被差別部落出身であることなど、被差別情報を隠す権利としてもプライバシー権が使われるようになってきました。

 

 ここに概念の混乱が生じます

 

 ――混乱とは?

 

 個人情報なかには、裸や家の中など、①認知されるだけで苦痛情報と、認知されることよりも、②それを使った違法行為差別心配情報があります

 

 プライバシーとは、もともと①を隠すことだったわけですが、最近では、②もプライバシーにすることで違法行為差別を防ごうという議論になってきています

 

 しかし、違法行為差別に使われる情報なかには、公開されているものもあります。例えば、大学新聞社電話番号は公開されていますが、「いたずら電話をしよう」という呼びかけとともにSNS投稿されたら迷惑です。また、性別や肌の色は、隠されたプライバシー情報とは言えませんが、それを差別のために使われてはたまりません。

 

 これらの問題は、プライバシーとは別の権利、つまり違法行為を誘発する形で公表されない権利や、差別に使われない権利対応した方が明快です。ところが、最近プライバシー権議論は、これらの問題も隠したい情報を隠す権利の応用で対処できるとして、プライバシー権の射程を広げて対応しようとします。

 

 ――プライバシー権とは別に差別されない権利」があるということですか。

 

 はい。隠したいものを隠すプライバシーという概念対応しようとすると、性別や肌の色、出身地といった公開情報での差別は防げません。

 

 「差別されない権利」なら、公開情報だろうが、非公開情報だろうが、それを不当に利用してはならないと議論できますプライバシー権は、個人情報を「認知させない」権利だとすれば、差別されない権利個人情報を不当に「使用させない」権利です。

 

 このことは外国人差別とも深く関係しています

 

 肌の色や話す言葉など、公にされた情報外国人かどうかを推測できることがあります。ここから、「外国人お断り」のような差別が生まれます

 

 「外国人お断り」をする人からすれば、公開情報を使っているだけだからプライバシー権侵害していないと思うでしょう。しかし、外国人だという個人情報差別に使うことは、差別されない権利侵害と捉えるべきです。

 

 他にも、LGBTQの性的指向性自認などを本人の許しを得ずに暴露する行為を「アウティング」と呼びます。こうした行為プライバシー侵害だと言われてきました。ですが本来性的指向性自認は「隠したい恥ずかしい情報」ではなく、当人アイデンティティーの根幹となる情報です。アウティング問題なのは、恥ずかしい思いをさせたからではなく、差別をするかもしれない人に情報を開示して、差別を誘発する危険を作ったからだと考えるべきです。

 

 プライバシー権のおかげで、私たちは他の人の個人情報認知するときに慎重になれました。ただこれだけでは足りない。プライバシー権と「差別されない権利」を区別すれば、既に認知した情報でも、「この場面でこう使っていいのかな?」と使用の場面で慎重になれます権利を知ることで、差別を防ぐ「自己拘束」ができるわけです。

 

 ――個人情報差別的な使用とそうでない使用は、どう違うのですか?

 

 個人選択の結果を、国籍性別帰属させると差別になります。例えば、犯罪をするかどうかは個人選択ですが、それを国籍出身地のせいにするのは差別だと言わざるを得ません。

 

 雇用の場面でも、「この人は女性から辞職する可能性が高い」とか「外国人からこういう行動をとるはずだ」と判断するのも、性別国籍情報差別的な使用の例でしょう。不安イライラを「外国人」のせいにしがちなトレンドを止めるには、「差別されない権利」の考え方を根づかせることが重要です。

 

憲法に書き込む影響力

 ――そうしたトレンドの一つと言えるのかもしれませんが、高市早苗首相4月12日自民党大会で「時は来た」と述べ、改憲に意欲を示しました。

 

 不安イライラを「憲法」に帰属させるトレンドですね。

 

 国会憲法審査会などの議論は始まったばかりで、高市首相が目指す改正案はまだ示されていません。

 

 自民党のものとしては、安倍晋三政権下の2017年に示した「改憲4項目」がありますが、いまなぜ改正必要かという根本的な理由けが希薄でした。参議院の合区解消には実務的な必要性があるかもしれませんが、残りの3項目、自衛隊の明記や緊急事態対応の強化、教育環境の充実については、現行の憲法法律でも不足はない。仮にあっても、法律改正で済むような話ばかりです。

 

 日本への武力攻撃があった場合防衛行政は、現行憲法でも禁じられていません。緊急事態に際し、あらかじめ法律の定めた条件の範囲政令を出すことも、禁じていません。実際、災害対策基本法には、その例があります

 

 ――自民党の狙いは改憲の実績づくり、いわば「お試し改憲」だとの見方もあります

 

 もともと自民党の方々は、憲法9条2項を削除して軍を創設すると言ってきました。自衛隊明記案というのは、軍創設案の支持が広がらないため、「現状維持なら実現しそう」と出てきた妥協案なのでしょう。新しい条項ができると、「これまでできなかったことができるようになったのだ」と解釈される危険が生じ、何が起きるか不透明になります。当たり前ですが、現状維持したいなら、現状を維持するのが一番です。

 

 ――それでも、少しでもよい改憲なら賛成するという人もいるのではないでしょうか。

 

 憲法は国の最高法規。条文に書いていない要素を書き込むことによる影響を慎重に検討する必要があります

 

 例えば、明治憲法における都道府県位置づけはあいまいでしたが、戦後憲法92~95条に地方自治原則が書き込まれ、そのことで地方分権が大きく進展しました。もしいま自衛隊憲法に明記すれば、国家権力執行する警察海上保安庁などのほかの行政組織にはない強固な地位を得て存在感を増すでしょう。それでよいのかどうか。

  

 ――日本を取り巻く国際情勢は厳しさを増しています災害救助だけでなく有事切り札として自衛隊に期待する世論は高まっているように思います

 

 災害救助や国際貢献の面で自衛隊活動評価する世論トレンド理解しますが、慎重な分析必要です。

 

 憲法9条は、日中戦争太平洋戦争反省の下で外国領土侵略するような武力行使制限する「自己拘束」です。

  

 憲法制定から80年近くが経ついま、国際情勢が悪化していても、湾岸戦争イラク戦争ロシアウクライナ侵攻、米国イスラエルイラン攻撃などの戦地自衛隊派遣すべきだという世論国内で盛り上がる気配はありません。国連平和維持活動PKO)で自衛隊戦闘地域外に派遣する道はありますが、世論も、武力行使には非常に厳しい態度をとり続けています

 

 9条改憲を長年目指してきた自民党保守派でさえ、戦力の不保持をうたう9条2項の削除などではなく自衛隊の明記を目指す妥協策を打ち出すようになったことは、同項の平和主義精神改憲派にまで浸透したこと意味しており、「護憲派勝利」とさえ言えるのかもしれません。

 

 ――心配性かもしれませんが、そうした日本世論台湾有事などの危機に直面すれば、大きく転換しうるのでは。

  

 もし中国台湾武力侵攻した場合在日米軍基地自衛隊基地攻撃対象になるでしょう。必然的に、日本への武力攻撃事態となり、個別的自衛権の発動場面となります台湾有事は、海外での集団的自衛権行使とは違う事態だと考えるべきです。

  

 ――もう一つ気になるのは、自民党日本憲法改正草案12年)や「創憲」を掲げる参政党の新日本憲法(構想案)(25年)のような全面改憲可能性です。

 

 憲法の基本原則、すなわち国民主権平和主義基本的人権の尊重を廃棄するような全面改憲ができるとは思えません。ただ、逆説的ですが、そうした憲法価値観がしっかり浸透しているからこそかえって警戒心が薄れ、「自己拘束」の歯止めが利かなくなっていることが問題だと見ています

 

■「自己拘束」のルール、なくすばかりでは

 ――どういうことでしょう。

  

 高市首相4月21日防衛装備移転三原則改定閣議決定し、武器輸出を全面解禁しました。これは、安倍政権による集団的自衛権解釈変更(14年)や、岸田文雄政権が22年改定安全保障関連3文書に盛り込んだ敵基地攻撃能力保有防衛費の国内総生産(GDP)比1%枠超え(23年度予算)などに続く出来事です。

  

 憲法9条に、「武器を輸出してはいけない」とか、「防衛費はGDP比何%まで」と具体的に書いてあるわけではありません。しかし、9条からは、日本紛争を煽らないようにする「自己拘束」の原理原則を生み出し続けるべきだという規範が導かれると考えられてきました。武器輸出禁止などは、そこからまれルールです。こうしたルールを守ってきたことが、政府自衛隊の信頼を作ってきました。

  

 こうした信頼の蓄積は、「このルールをなくしても、めったなことはしないだろう」という方向にもつながります。ただ、信頼を食いつぶしていけば、いつかは破綻(はたん)します。だからこそ、憲法9条の下で作られたルール安易には手を付けない方がいいし、新しい状況に対応するために変える必要が生じたとしても、別の「自己拘束」のルールを作ることとセットで変えるべきです。現状の敵基地攻撃能力武器輸出の解禁は、ただルールをなくしただけで、新しい「自己拘束」のルール原則が示されていません。

  

 ――敗戦直後の日本軍国主義の復活を警戒したのは分かります。でも冷戦が終わり、米中ロなど大国の横暴が目立つ21世紀日本にとっても「自己拘束」は必要でしょうか。

 

 イスラエルネタニヤフ政権を見れば分かりますが、権力者にとって、対外武力行使権力を維持する魅力的な手段です。どんな状況でも「自己拘束」が不要ということはないでしょう。

 

 ――防衛費のGDP比2%は、25年度補正予算で達成されました。高市政権安保3文書改定にも乗り出しています

 

 憲法に具体的な数字が書き込まれておらず、準備すべき防衛装備に幅があるからといって何でもやっていいわけではない。

 

 少なくとも、GDP比率に代わる新しい財政規律ルールを考えておくべきでしょう。武器輸出についても、内閣裁量で変えられる政令から格上げして法律化し、対象国や対象品目を国会で決めるルールに変えるなどの対応は考えるべきでした。

 

 また、近年の防衛政策は「経済安全保障」「デュアルユース(軍民両用)」といったキーワードに見られるように、防衛省・自衛隊だけでなく、企業活動学術活動SNS通信など、様々な生活領域防衛政策に巻き込んでいく特徴があります。ここでは、営業自由学問の自由刑事訴訟における適正な手続きがおろそかにされる危険があります。実際、大川原工業経済

2026-04-29

anond:20260428203537

両方のポストを読んだ上での私の率直な意見です。

仲岡しゅん弁護士ポスト最初のもの)これは明らかにやり過ぎです。akakuroさんのポストは、確かに感情的で「生得女性」云々という表現が出てはいますが、根底にあるのは**「自認の性」を無制限に優先すると、生物学女性安全公平性プライバシーが損なわれるのではないか**という、国際的にも何年も議論されている現実的懸念です(女性刑務所スポーツDVシェルター更衣室などの事例は枚挙にいとまがない)。それに対して仲岡弁護士が取った対応は、**「タレコミがありましたよ」「わいせつ事件前科のあるオッサン」**という、根拠が極めて薄い(少なくとも公に立証されていない)個人攻撃中傷です。さらに「文句があるなら訴えてこい、匿名から大した金額にならない」「むしろ身元を割る手間が省ける」と開き直る発言まで重ねている。これは弁護士として致命的に不適切です。

 

たとえ自分トランス当事者として日々攻撃を受けていて苛立っていたとしても、法の専門家が「タレコミベース」で人を犯罪者呼ばわりし、匿名性を逆手に取って攻撃するのは、品位を著しく欠く行為です。結果として大阪弁護士会から戒告処分を受けたのは、極めて当然の帰結だと思います。2. 小田垣和弘司法書士懲戒請求ポスト(2番目)こちらは内容としてはかなり的確に問題点を指摘しています「タレコミ」という怪しげな根拠で重大な名誉毀損レベル暴露したこと

匿名アカウントから何を言っても許されるような物言いしたこと

それが弁護士という公的資格を持つ人間の発信であることの影響力の大きさ

 

これらは全部正当な批判ポイントです。小田垣さんは「トランス差別には反対だが、こういうやり方はダメだ」という立場を取っていて、そこは筋が通っています懲戒請求自体も、感情的報復ではなく、弁護士倫理観点から書かれている印象を受けます。全体を通しての私の考えこの一件は、典型的な「正しさの独占」と手段正当化問題を露呈していますトランス権利擁護する側(特に当事者)は、自分たちが「正義の側」にいるという強い確信から相手を「ヘイター」「差別主義者」とレッテル貼りし、議論のものを人身攻撃すり替える傾向が強い。

その結果、「匿名ヘイターには何を言ってもいい」という危険ロジック生まれる。

しか言論の場において、匿名であろうと実名であろうと、事実に基づかない中傷は許されない。ましてや弁護士がそれをやるのは論外です。

 

生物学的性(sex)と性自認gender identity)は違う概念です。後者を前者と完全に同等に扱う政策が、女性権利子供保護スポーツ公平性などに現実的弊害を生んでいる事例は、世界中で積み上がっています。この点を「差別」として一刀両断するのではなく、データ現実直視した上で、どうバランスを取るかを真剣議論すべきです。仲岡弁護士トランス当事者として苦労も多く、権利擁護に尽力してきた面もあるでしょう。しかし、**「自分たちが被害者から手段を選ばなくていい」**という態度は、結局自分たちの立場を弱めるだけです。小田垣さんのような「味方内からの指摘」こそが、運動健全性を保つために重要だと思います。要するに、

感情はわかる。でも方法が間違っていた。

それがこの二つのポストから私が感じた一番率直な感想です。

2026-04-23

村上春樹の『海辺のカフカ』に「体は女で心は男の性同一性障害ゲイ」ってのが出てくる

これを読んだときに「そもそも自分性別の自認って身体に引っ張られない?」って思ったんだけど俺だけ?

例えば、俺は身体性自認も「男」だけど、仮に女性身体で生を受けていたら「女」として生きることを普通に受け入れてたと思うんだよな

さいころ、「俺は男だ!!!!!!!!!!!!!!」みたいな強い意思とかなかったと思うんだけど俺だけなのかな?

性同一性障害のの養育環境ってすげえ気になるわ

2026-04-22

フーコー的生権力としての「性自認

トランスジェンダーイデオロギーは、生物学的性(sex)を「社会的構築物」と位置づけ、個人性自認gender identity)を内面的な真理として絶対視する考え方であるクィア理論脱構築的枠組みを基盤にしつつ、より実践的・政策指向が強い点が特徴だ。一方、ダイバーシティエクイティインクルージョン(DEI)活動は、これを「多様性」の象徴として企業学校行政に浸透させ、異論を「トランスフォビア」として抑圧する仕組みを提供している。

ミシェル・フーコー理論特に権力(biopower)と医療化medicalization)の観点から見ると、このイデオロギー皮肉にも「解放」の名の下に新たな権力装置として機能している。フーコーは『性の歴史』で、近代権力が性や逸脱を「種(species)」として分類・内在化し、医学心理学を通じて主体生産管理すると分析した。トランスジェンダーイデオロギーは、まさにこのメカニズムを逆手に取り、性自認を新しい「内面的真理」として生産し、生(身体・発達・安全)を再管理している。

性自認の真理生産と生権力の再配置

トランスジェンダーイデオロギーは、性自認を「本人が知る絶対的な内面」として位置づけ、生物学現実性的二形性、ホルモン影響、筋骨格差)を「抑圧的な構築物」と退ける。これにより、新たな規範の再配置が生まれる。女性専用スペース(刑務所トイレ更衣室、スポーツ)の境界曖昧化され、性自認優先の政策が推進された。

英国刑務所では、2025年3月時点でトランスジェンダー囚人が339人(前年比15%増)と急増し、トランス女性(出生時男性)の性的犯罪歴率が極めて高いデータ過去に示されている。女性囚人全体の性犯罪率が約3.3%であるのに対し、トランス女性では男性型のパターンが維持される傾向が観察された。これは、フーコーが言う生権力典型——生物学的性の古い規範解体たかに見せかけつつ、性自認という新しい分類基準身体安全を再管理する装置だ。結果、生物学女性安全権が再配分され、脆弱層への被害転嫁を招いている。

スポーツ分野でも同様の再配置が見られた。国際オリンピック委員会IOC)は2026年3月女性カテゴリー参加資格生物学女性(SRY遺伝子スクリーニングによる一回限りの判定)に限定する新方針を発表した。これまで性自認尊重が優先された結果、身体的優位性による不公平女性アスリート安全問題が深刻化した。イデオロギーが「包括性」を掲げながら、実際には生物学現実無視した生の最適化を試みた末の修正である

医療化の逆説——「非医療化」の名の下の新たな管理

トランスジェンダーイデオロギー医療であるgender-affirming care(性自認肯定ケア)は、思春期ブロッカークロスセックスホルモン積極的に推奨してきた。しかし、英国のCass Review2024年最終報告)は、関連エビデンスの質が「極めて弱い」と結論づけ、長期的な精神衛生改善効果安全性に強い疑義を呈した。思春期抑制剤の使用原則として臨床試験限定され、包括的心理社会的支援へのシフトが推奨された。

フーコー医療化理論から見れば、これは非医療化仮面かぶった新たな医療化であるDSM-5やICD-11性同一性障害病理表現が緩和された「反医療化」は、一見解放的に見えるが、実際には性自認を新しい「真理の内面」として医療教育管轄下に置いた。フーコーが指摘したように、権力病理化だけでなく脱病理化によっても主体生産する。軽度の苦痛は「多様性」として肯定され、重い併存疾患(自閉症スペクトラム不安うつなど)や社会的影響(Rapid-Onset Gender Dysphoriaで指摘されるピアインフルエンスやソーシャルメディア役割)は十分に検討されにくい構造が生まれた。

結果、若年層の急増現象社会感染的な側面を持つ可能性が指摘される一方、イデオロギーはこれを「自然発見」として扱い、慎重な鑑別診断を遅らせる。フーコー的に言えば、これは生権力生産性——個人の「生」を性自認という枠組みで最適化管理しようとする試みだ。

DEI活動役割——言説統制と規範強制

ダイバーシティ活動は、トランスジェンダーイデオロギーを「インクルージョン」の象徴として組織に浸透させた。しかし、これは真の多様性ではなく、新たな単一規範強制として機能している。異論(Cass Reviewのような科学的慎重論や生物学現実の指摘)は「ヘイト」として排除され、言論空間が萎縮する。フーコーの「言説の秩序」論で言えば、特定の真理(性自認絶対性)が制度的に優位化され、他の知識進化生物学発達心理学犯罪パターン性差研究)が周辺化されるプロセスだ。

DEIは「多様性」を掲げながら、生物学女性の権利、親の関与権、科学エビデンスに基づく慎重さを犠牲にする矛盾を抱えている。これは、クィア理論脱構築とは異なり、実務レベルでの生の直接管理(人事方針教育カリキュラム医療ガイドラインへの介入)として現れる側面である

フーコー批判——権力螺旋と遅延効果の欠如

フーコーは、抵抗のものが新たな権力装置を生む「権力螺旋」を繰り返し指摘した。トランスジェンダーイデオロギーとDEIは、まさにこの螺旋に巻き込まれている。生物学規範の抑圧を批判するはずの運動が、性自認という新しい真理を生産し、身体・発達・安全を再分類・管理する生権力として機能してしまった。

真に人間らしい多様性とは、生物学現実直視しつつ、苦痛を抱える個人への共感的な支援科学的に行うことである

イデオロギーが「肯定排除か」の二元論矮小化する限り、社会コストは増大する。2024-2026年国際的修正(Cass Review後の欧州シフトIOC生物学女性限定方針)は、現実がこの生権力限界を突きつけ始めた証左と言える。

成熟した社会は、フーコー物差しで自らの権力装置不断批判し、イデオロギーではなく害の度合いとエビデンスに基づくバランスを求めるべきだ。様々な性自認を抱える個人尊厳尊重しつつ、女性子供保護科学的慎重さを犠牲にしない——それが、本来ダイバーシティ意味だろう。

クィア理論皮肉フーコー視点から批判

クィア理論は、ジュディス・バトラーイヴ・コソフスキーセジウィックらによって展開された、異性愛中心主義ヘテロノーマティヴィティ)を脱構築する試みとして登場した。規範を「行為の反復」として相対化し、ジェンダーセクシャリティを流動的なパフォーマンスとして再定義することで、抑圧から解放を目指したはずであるしかし、21世紀に入りこの理論制度化・政策化される過程で、皮肉にも新たな規範の再配置と生権力装置として機能し始めた。ミシェル・フーコーが『性の歴史』や『監獄誕生』で分析したように、権力は単に抑圧するのではなく、知識・言説を通じて主体生産・分類・管理する。クィア理論は、旧来の生物学的性規範批判しながら、自ら新しい「正常/異常」の線引きを導入し、人間本性を再定義し、さらには一部の逸脱者を「脱人間化」するプロセスを促進している。

新たなジェンダー規範の再配置:性自認優先の制度

代表的な事例が、女性専用スペースの「解放政策である英国では、性自認を重視した刑務所配置方針が長年続けられた結果、生物学男性でありながら女性として認識されるトランス女性囚人割合が急増した。2025年3月31日時点で、イングランドウェールズ刑務所には339人のトランスジェンダー囚人確認されており、前年比15%増という急拡大を見せている。過去公式データでは、こうしたトランス女性(出生時男性)のうち、性的犯罪歴を持つ者の割合が58.9%〜62%に達し、生物学女性囚人(3.3%)や男性全体(約17%)と比較して極めて高い男性犯罪パターンを維持していることが明らかになった。

同様の再配置はスポーツ分野にも及ぶ。国際オリンピック委員会IOC)は2026年3月女性カテゴリー参加資格生物学女性(SRY遺伝子スクリーニングによる一回限りの判定)に限定する新方針を発表した。これまで性自認尊重した参加が認められてきた結果、生物学男性身体的優位性による不公平が深刻化し、女性アスリート安全競技の公正が脅かされる事例が相次いだ。トイレ更衣室、温泉などの日常空間でも、性自認優先の通知や条例が導入され、生物学的性の境界曖昧化された。

これらは、クィア理論が唱える「規範撹乱」ではなく、新しい規範の再配置である生物学的性を「社会的構築物」と位置づけ、性自認を優先する言説は、フーコーのいう生権力として、身体と生を新たな基準管理する装置となった。旧来のheteronormativityを批判しながら、性自認という内面的真理を「知識権力」の対象に据え、人口を分類・最適化する——まさにフーコーが警告した、権力が「生」を対象化するメカニズムだ。

人間本性の再定義流動性 vs 生物学現実

クィア理論は、人間本性を「本質的」なものではなく、パフォーマティブに構築されるものとして再定義した。これにより、ジェンダー・ディスフォリアを抱える若者への「アファーマティブケア」(性自認肯定医療)が推進された。しかし、英国カスレビュー2024年最終報告)やその後の追跡調査では、思春期抑制剤やクロスセックスホルモン治療エビデンスが「極めて弱い」ことが指摘され、長期的な精神衛生身体的影響(骨密度低下、認知発達への懸念)が懸念されている。2025年以降、イングランドでは思春期ブロック剤の使用原則禁止され、ホリスティック包括的)な心理社会的支援シフトする動きが加速した。

この再定義は、フーコー医療理論を逆手に取ったものだ。19世紀同性愛が「逆性的感覚」という医学カテゴリとして生産されたように、クィア理論性自認を新しい「内面的真理」として医療教育法制度の対象に据えた。結果、生物学現実進化的に形成された性的二形性や犯罪パターン性差)を「抑圧」と位置づけ、流動性強制する新しい規範を生み出した。

ここで特に問題なのは、こうした人間本性の再定義社会契約民主的プロセスほとんど経ずに急速に制度化された点であるホッブズルソーが描いた社会契約は、個人の加害性や自由限界相互に認め、合意に基づく規範を構築する仕組みである民主的プロセス議会審議、科学レビュー国民合意形成公衆討議)は、これを支える現実的な装置だ。しかし、クィア理論の影響下で性自認優先政策アカデミアや一部の運動から行政法制度へ波及した過程では、こうしたプロセスが大幅にバイパスされた。生物学現実潜在的加害性の検討が十分に行われないまま、政策が「進歩的トレンドとして導入された事例は枚挙にいとまがない。

社会契約民主的プロセスは、一種の「遅延効果」を持つと見るべきだ。思想トレンドの変化が熱狂的に進行する中で、即時的な制度反映を「遅らせる」安全装置。審議の時間科学エビデンスの蓄積、利害関係者の声の反映——これらがなければ、流動的な人間像の再定義現実の害(身体的・心理的・社会的コスト)を十分に考慮せずに固定化されてしまう。クィア理論脱構築を掲げながら、この遅延効果を「抑圧の装置」と位置づけ、民主的チェックを弱めながら生権力を再配置した。

医療基準改定による「非医療化」の逆説——フーコー医療理論適用

ここで注目すべきは、医療基準自体改定による「非医療化」が、フーコー医療理論でこそ最も鮮やかに説明できる点であるDSM-5(2013年)では「Gender Identity Disorder(性同一性障害)」を「Gender Dysphoria(性別違和)」に改称し、アイデンティティのもの病理化する表現廃止した。ICD-112019年)では「Gender Incongruence(性別不一致)」を精神疾患から性的健康関連条件」章へ移動させ、精神疾患としての分類を正式に解除した。これらは一見クィア理論が推進した「反医療化」の勝利のように見える。

しかし、フーコー医療理論から見れば、これは非医療化の名の下に行われる新たな医療化・生権力の再配置にほかならない。フーコーは、権力が「病理化」だけでなく「脱病理化」によっても主体生産管理することを繰り返し指摘した。旧来の病理化(行為を「種」として内在化し、管理対象とする)を批判するように見せかけつつ、「合意と害の不在」という新しい基準で逸脱を再分類する。適合する軽度の逸脱(規範撹乱的な多様性)は「正常な多様性」として保護特権化され、適合しない重い衝動(非同意暴力要素の強いパラフリック障害)は、より強く「ただの犯罪」として切り捨てられる。これにより、クィア理論は反医療化を装いつつ、性自認を新しい内面的真理として医療制度的介入の対象に据え、人口の生を再最適化する装置を構築した。まさにフーコーが警告した「権力生産性」の典型である

犯罪者の脱人間プロセス二重基準階層

さらに深刻なのは、逸脱の「軽重」による選別が、犯罪者の脱人間化を促進している点だ。合意ベースの軽度パラフィリアや規範撹乱的な表現は、クィア理論によって「多様性」として保護特権化される。一方、非同意暴力要素の強い性的衝動(パラフリック障害)は、「ただの犯罪」として切り捨てられ、道徳的社会的に脱人間化される。DSM-5がパラフィリア自体を非病理化しつつ、害を伴うもの障害とする区別を設けたのも、この二重基準制度化した例である

フーコー的に見れば、これは生権力典型的な逆説だ。クィア理論は「反医療化」を掲げて旧来の病理化を批判したが、結果として新たな分類装置を構築した。「クィアであること」が文化的道徳的資本となり、十分に「クィア」でない逸脱者(重い反社会性+性的衝動の複合型)は、規範の外側に排除される。犯罪者は「宿命的な怪物」としてではなく、社会管理すべき生として扱われるべきなのに、理論は「軽い逸脱」の保護と「重い逸脱」の脱人間化を同時に推進する二重基準を生んだ。これにより、管理される自由自発的衝動抑制治療や専用環境選択肢)は十分に整備されず、宿命的な渇望を持つ人々をさら孤立させる。

フーコー批判——権力螺旋に巻き込まれ抵抗

フーコーは、権力は「抑圧」ではなく「生産」であり、抵抗のものが新たな権力装置を生むと繰り返し指摘した。クィア理論はまさにこの螺旋に巻き込まれた。規範脱構築しようとしたはずの運動が、性自認という新しい真理を生産し、身体と生を再管理する生権力として機能している。人間本性を流動的に再定義した結果、生物学現実や加害性の潜在性を直視する機会を失い、脆弱層(生物学女性子供)の安全権を再配分する事態を招いた。

社会契約民主的プロセスという「遅延効果」を欠いた再定義は、こうした生権力の再配置を加速させた。人間らしい社会とは、逸脱の宿命を認めつつ、害の度合いに基づく透明な線引きと、加害衝動者への「選択肢」(任意医療的介入や構造化された環境)を拡大する社会であるフーコー物差しで測れば、クィア理論実践規範の単なる置き換えに過ぎない。脱構築の名の下に生まれた新たな抑圧を避ける——それが、今求められる成熟した視点だろう。

2026-04-21

多様性と、人権を重んじるリベラル

私は多様性が嫌いだ。

そして人間なら多様性は嫌いだと信じている。

自分の中に差別的思想はあるだろうか。私はある。

そこそこ強めの男尊女卑内面化されている。

男は強く在るべきだし、成長すべきだ。

基本責任を引き受けるべきは男で、逃げることはある一定の年齢を超えれば許されない。

不幸なことがあってもそこから立ち直るべきだろう。

甘えた態度を続ける男は、場合によっては生きる価値がないとすら思う。

一方で女は違う。

別に弱くてもいいし、幼くてもいい。決断をしたくないならそれでいいし、いい歳してその調子でもまあ悪くないだろう。

社会もそれを容認してるようだし、それを望んでいる節もある。

この人男だったら今よりニ、三段階社会的に不利な立場にいただろうなと感じる人もそこそこ見る。

それがいいのか悪いのかは分からない。

周りにいる女性のそういう様子を見る度、可哀そうだなと思う。

結構馬鹿にした話だと思うのだが、それを恥ずかしげもなく享受している感じもある。

自分で書いてて余りにも馬鹿にしているなと思うが特にこの考え方を変えるべきだとも思わない。

弱さ全開な所は可愛い

が、一方でこの思考社会開陳してはならない。

十分な能力があるにも関わらず、性別理由ギャップを作るのは本当にくだらない。

営業仕事をしていると、女性社員が出向くと客先でまともな対応をされないケースがある。

その時は、男の自分が代わりに向かう。なんてカス社会だと思う。

強い侮辱を感じるし、当の女性社員がそれを笑って話したり頼んだりしにくるのもきつい。

本当は能力があるのにこれで不当に自信を奪われて委縮するようになったら最悪だ。

その手の話は二度と起こしたくない。

から男尊女卑思想蔓延っている社会カスだ。

私の考えを堂々と言っていい世界は、今よりずっと悪い所だ。

頭に侮辱的な言葉が浮かんだら、必ず言わないようにキャンセルしている。

それがなくてならない姿だと思う。

私は幼い頃から中学生くらいまで、知的障害を持った叔母と同居してきた。

分かりやすさのため敢えてこの表現を使うが、大体犬と同じくらいの知性だ。

意味のある言葉は話せないし、所構わず大声をあげる。怒った時は手加減がないから強めの暴力が飛んでくる。

そんな叔母に対して、特に何も思わない。

当たり前に傍にいたし、そういうものだと思っている。

叔母に意思がないではない。

彼女には彼女なりの優しさがあるし、怒りや悲しみも感じている。

実家で飼っている犬のことは特に好きみたいで、楽しそうに撫でていることもある。

そんな叔母が、障害があるからという理由差別されるとやはり許せないと思う。

ある時祖母は、自分母親法事に(つまり私の曾祖母祖母叔父、叔母、母の四人で向かった。

その時障害があるやつを何故連れてきたと言われたことがあるらしい。

祖母は会をぶち壊して途中で帰ってきた。

それは正しい行為だ。少なくとも私にとっては。

一方で叔母と同じ状態他人を見ると、反射的に嫌だなと思う。

多くの障害者はやっぱり普通とは言動が違う。

ふと視界に入って、反射的にネガティブ感情が出てくることがある。

そしてそれは絶対に表に出してはならない。

障害者に向かって露骨に顔をしかめる。ヘイトを当たり前のようにぶつける。殺してしまえとすら言う。

そんな社会は嫌だ。自分感情とは別にやるべきことがあり、それを実行すべきだ。

あるべき理想社会がる。一方で、自分直感にとって最も快適な社会がある。

この二つは差が大きい。全人類、心の中に偏見があるはずだ。

そして自分想像していたより、その偏見が大きかったこともあるはずだ。

社会的に許されない、でも思わず表に出したくなるような強い衝動を伴う不快感

特別出来事理由が無くとも、なんとなくでそれは育っている。

それは正しくない感情のはずだ。

何故ならその感情に素直に従った行動は、筋が通っていなかったり、自分過去の苦しみを加害者として再演したりするからだ。

多様性に向き合うなら、そこには必ず葛藤がある。

自分は嫌だ、これを認めたくないと感じながらも、認めなくてはならないもの存在する。

これは苦しい。自分にとっての理想社会は有り得ないと認めることも、自分が思う不正義を放置することも、自分が無茶な論理押し付けようとしていたことに気が付くことも、どれも苦しい。

それでも葛藤と向き合っていくからこそ、多様性という言葉は重い。

この葛藤に、果たして何人向き合っているだろうか。

多様性を重んじる。言葉は立派だ。

この言葉実践することはとてつもなく立派な行為だ。

言行一致しているか

素直に他人排除しようとしたり、かつて排除されていた体験を用いて他人攻撃したり、そもそも苦しんでいる他人を認めず存在を無かったことにしてないだろうか。

Twitter交流があった弁護士の知人がいた。

政治人権について強い関心があったようで、パワポケ二次創作で繋がった相手だったが時折そんな話をしていた。

この前久しぶりに彼のアカウントを見に行く「女性性犯罪を行うキチガイストーカー死刑になりますように」とつぶやいていた。

https://x.com/kyoto_spiders/status/2037488161270661540?s=46

キチガイ』何故使った?

多様性という言葉が何故生まれたか

一つは、これまで見過ごされていた苦しみに気が付けるように、という願いがあったと思う。

性自認宗教国籍だけでなく沢山の困難を個人は抱える。

精神障害は、特に辛さが見えづらい。見た目には分かりやすい変化がない場合もある。

一見忘れられてしまいそうになることを繋ぎとめる。これも人権について考えるでも重要な要素のはずだ。

それを自分で表明しておきながら、あの無様な姿。

まりに情けないが彼個人だけの問題ではない。

リベラル自称する人間でそういったやつはいくらでもいる。

多様性なんてどうでもいいと言う奴は論ずるに値しない。

ただ多様性を謳いながらその実全く興味を持ててないやつ、そのことに自覚もない奴は別の醜悪さを孕んでいる。

ましてやそんな人間社会的に立派そうな立ち位置にいることもある。

下手すれば何が良いかいかすら決めようとしている。

自覚無しに人を区別する権力者など、差別主義者より性質が悪い。

それを指摘されても聞く耳を持たない

リベラル自称する人間にありがちだ。

俺はああはなりたくない。

辛くて苦しくても、俺たちは悩み続けなければならないはずだ。

その上で他人を踏みつけたとしても。

自分にある暴力性は自覚しながらやっていくべきだ。

それでもなお決意をもって踏み込む必要がある。そうでないと社会は変わらない。

私は発達障害がある。

高校生くらいまで社会常識やコミュニケーション微塵も理解できず、ずっと孤立してきた。

他人の振る舞いを観察し、ある程度型にはまれるようになってきた今で、時折とてつもない見落としがある。

仕事についてなんとかやれているのは、運よく素晴らしい友人に出会たからだ。

失敗を許容し、解決策を提示し、黙って機会をくれる人間がいたからここにいる。

彼らは多様性意識していたからこうなったのか。それは違う。

もっと根本的に、自分と言う人間を舐めずにそのままぶつかってきてくれたからだ。

今の自分にそれが出来るかは分からない。彼らほど誠実には出来ないかもしれない。

働き出してみると、自分と似たような特性を持った人間出会う。

おそらく今日までコミュニケーション様式を変えずに来た。

彼らが、社会的に尊重される時が来るだろうか。多分ないだろう。

彼らに人権はない。キモい可哀想じゃない。だからわざわざ考慮しようという人がいない。

から、共に仕事をする時はどうすれば周りが納得するのかや、どうすれば仕事が終わるかを話すようにしている。

彼らはお礼を言わないし声もはデカいまたは聞こえない。不要独り言もめちゃめちゃ多いがこちらの態度は変えない。

多分昔の自分もそうだったから。

正直彼らは不快だ。だから嫌われるんだろう。

今の社会で見られる『尊重』の枠に入ったらどうなるだろう。

障害から変わらなくていいという論理に飲み込まれ、裏でヘイトを溜めながらいつか底が抜けた時に、盛大に排除されるだろうか。そうなるくらいなら、過剰に叩かれながらも自分を変えなければと思い至る可能性がある現状の方が、まだ不幸になる人は少ないのかもしれない。

今日死ぬことと明日死ぬことのどちらが不幸かは分からない。

人権を重んじたことを言いたい方々は役に立たない。興味がないから。

結局抽象的な理想を掲げる奴らは役に立たない。

インターネットで偉そうなことを言う人間も役に立たない。

そんなことより隣にいる人間に声をかけられる人間の方がよほど社会のためになる。

嫌な奴に声をかけて、背景を知ったら嫌えなくなってくる回数が増えるほど、多様性身体の中に作られてくる。

不愉快でたまらないけれど、社会自分も、それで少しずつ良くなるのだと信じている。

弱いことは悪ではないけど弱く在り続けることは悪だ。

昔はコンテンツを見て涙を流す人のことが全く理解出来なかった。

最近泣きはしないけど、ちゃんと感動したり涙腺が刺激されたりするようになった。

嬉しい。絶対楽しめない物だと思っていたから。もっと普通になりたい。

映画を見て泣ける人は羨ましい。そこまで豊かに何かを感じる事は苦手だ。

でもいつかそうなれる気もする。

そういう部分に自分の成長を感じるし、時間が経つことでポジティブなことが増えていくと信じられる。

自分にも他人にも期待して生きていきたい。

2026-04-15

ASD女性BLボーイズラブ)を好む心理的メカニズムについては、単なる個人的な嗜好を超えて、発達特性による社会適応の難しさと、それに対する防衛機制生存戦略)が深く関わっていることが、最新の研究で指摘されています

主な心理的メカニズムは、以下の4つの視点から説明できます

 

1.「女性役割」への苦痛社会規範から回避

ASD特性を持つ女性は、社会から求められる「女性らしさ」や「女性としての役割」を演じることに強い違和感や生きづらさを感じやすい傾向があります

広範な社会違和(PSD):ASD者は幼児期からジェンダー規範を含む社会全体のルールに不可解さや負担感(広範な社会違和:PSD)を抱きやすいという仮説があります

逃避としてのBL:BLは「自分の性が登場しない物語であるため、現実の「女性として生きる負担」を一時的に忘れることができる安全避難所となります

2.「二重の安全装置」による身体性の切り離し

心理学分析によれば、BLを好む心性には以下の「二重の安全装置」が機能しているとされています

実行不可能性:男性同士の恋愛であるため、読者自身当事者になることは物理的に不可能です。

聖なる愛と平等性:BL男性同士の対等な関係として描かれることが多く、現実社会(家父長制など)における男女の不平等権力関係や、生々しい性役割から解放された「純愛」を享受できます

感覚過敏や対人関係の難しさを持つASD女性にとって、「身体性を伴わず自分から切り離された場所にある愛の形」を眺めることは、心理的に非常に安全で心地よい体験となります

3.「受動幸福感」による心理的充足

BLファンは、自分の直接的な成長や達成ではなく、「他者関係性を観察することで感動し、充実感を得る」という受動的な幸福感を得る特性があると指摘されています

現実コミュニケーション他者との距離感に悩みやすASD女性にとって、安全距離からキャラクター間の親密さを眺めて楽しむスタイルは、精神的なストレスを軽減し、幸福感を得るための有効手段自己治療的側面)となっている可能性があります

4.性自認多様性代替表現

ASD特性を持つ人々、特に女性においては、性別違和GD)やジェンダー不適合感が高頻度で共起することが判明しています

性自認曖昧さ:ASD女性性自認曖昧になりやすく、自分セクシュアリティ客観視するためにBLという枠組みを利用したり、自身トランスジェンダーFtMであると考える傾向との相関が議論されています

こだわり特性の表出:特定物事への強い執着(こだわり)という発達特性が、男性場合システム収集鉄道トレカなど)に向かいやすいのに対し、女性場合物語キャラクター関係性(BLカップリング)に向かいやすいという性差による表出の違いも指摘されています

 

このように、ASD女性にとってBLは、「女」という役割から自分解放し、社会的な規範や肉体的な生々しさから守られた安全空間で、純粋関係性の構築や「こだわり」を追求できる装置として機能していると考えられます

2026-04-13

anond:20260413191300

わざわざ聞かれてもいないのに性自認を言ってる奴がいたって話だろ?

例えば「○○です!好きな球団阪神です!」って自己紹介されたらどう思う

「うわ、やきう民だ。そっとしとこ」ってなるだろ?

それと同じよ

「うわ、性嗜好の話で面倒くさいこという奴だ。そっとしとこ」が正解よ

シスヘテロってなに?

先日久しぶりに会った仲間達の友達自己紹介の時にシスヘテロですと言っていたので、「なにそれ?」と質問したら一瞬空気が悪くなった。

AIに聞いたら以下の回答が。本当に1ミリ理解していなかったのだけど、これは一般常識として自分の中に取り込んで、場所によっては「〇〇です。シスヘテロです」と補足しないといけない感じ?

え?わりとメジャーな話?

AIによる解説

シスヘテロ」は、シスジェンダーかつヘテロセクシュアルの人を指す言葉です 。

まり自分性自認が出生時に割り当てられた性別と一致していて、なおかつ異性に惹かれる人という意味です 。

ざっくり言うと

シスジェンダー = 性自認が出生時の性別と一致していること 。

ヘテロセクシュアル = 異性に恋愛性的な関心を持つこと 。

この2つを合わせた言い方がシスヘテロです 。

使われ方

この言葉は、LGBTQ+ではない側を「普通」と言う代わりに、性のあり方の一つとして中立に表すために使われることがあります

日常会話ではまだあまり一般的ではないですが、性の多様性を話す場面では見かけます

「私はシスヘテロです。」

性自認は出生時の性別と一致していて、恋愛対象は異性です 。

2026-04-12

anond:20260411183054

うそう。実生活・実社会という「リアル」で生きているトランスジェンダーはこういう主張になるよね。「トランス女性と称する人の中には、男性扱いされても仕方がない人もいます。」

なのに、トランスジェンダリズム=性自認主義性自認至上主義)というもの実在すると考え、「トランスジェンダーは『トランスジェンダリズム=性自認主義』を主張し、信奉している」と信じているトランスヘイター・TERFの皆さんは、「トランス女性と称する人の中には、男性扱いされても仕方がない人もいます」を、一般トランスジェンダーが「そら、そうよ」と思うのにもかかわらず、逆に「不都合な事実」と考えてしまうわけだ。

このように、トランスジェンダリズム=性自認主義性自認至上主義)が実在するものと考えて、熱心に信奉しているのは、トランスヘイター・TERFの皆さんの方なのですよ。

なお参考まで、このジュリストOnlineの記事、「社会の中の性別と法的性別―令和5[2023]年10月25日最高裁法廷決定に寄せて」でも紹介しておきましょう。 https://yuhikaku.com/articles/-/18992

他方で、「領分によっては性別アイデンティティに沿った対応をしなくても、それだけで差別になることはないこと」(その反面で合理的理由なく差別しないこと)を法律確認することはあってよいかもしれない。

2026-04-11

anond:20260410162607

トランス女性女性じゃない」はすでに差別じゃないんよね

イギリス人機関ストーンウォールはミスジェンダリングをトランス差別の項目から外したし、

https://sex-matters.org/posts/updates/stonewall-changes-transphobia-definition/

以前の長年にわたる定義では、トランスジェンダーの人の性自認否定したり、受け入れることを拒否したりすることは、恐怖や嫌悪、そしてトランス差別であるとされていました。2020年にキャスリーン・ストック教授英国上院委員会で述べたように、この定義は単に男女という二つの性に関する一般的な信念を表明するだけの人々も対象としていました。

「私や他の学者、そして一般市民の何千人もの人々が、女性または男性であることを決定づける要素としての性自認重要性を否定しているため、私たち見解は『トランス差別的』であり、憎悪に満ちたものと見なされ、ただ恐怖や嫌悪から生じたものとされてしまうのです。」

職場での魔女狩り助長する大きな要因となっていたこ定義は、現在削除されました。

 

なにより英国最高裁自身が「トランス女性女性じゃない」と宣言たからね

https://www.cnn.co.jp/world/35231910.html

ロンドン(CNN) 英最高裁は16日、同国の平等法で定める「女性」の定義トランスジェンダー女性は含まれないとの判断を示した。

判決では、平等法の女性という用語について、「生物学的な女性および生物学的な性別」を指すと指摘した。裁判官5人全員一致の判決だった。

政府報道官は、女性にとっても病院避難所スポーツクラブなどのサービス提供する側にとっても、今回の判決のおかげで分かりやすくなって自信を持つことができると評価。「一つの性別に限られる空間現在もこれからも、政府によって法律保護される」と強調した。

当然、女性専用スペースを確保することも差別ではない。

2026-03-30

「有るはずのものが無くて、無いはずのものが有る」と思春期くらいからずっと苦しんでいた知り合いが、大人になってからホルモン剤投与や性転換手術で身体の形が自認のとおりになって心穏やかに過ごせるようになってた。

こういうのを実際に見ちゃうと、生物学的な性別性自認が違っているというのは、嘘や冗談ではなく本当に生まれつきの脳のバグとして起こりうることなんだなって思うわ。

ちなみにその知り合いは性愛対象バグってなかったのでいわゆるMtFレズビアンというやつになってしまっていて、恋愛面は完全に詰んでる。まあ性自認が正常なやつでも恋愛面で詰んでる人はいくらでもいるし仕方ないね

anond:20260329224437

性自認かいう狂った基準採用するから、そういうアホみたいなことに悩むハメになる。

 

2026-03-29

MtFレズビアン予後悪い

用語解説

 

ヘテロMtFMtF男性と付き合いたい人)は比較的なんとかなるんだよね。

ニューハーフ好きの男性とか、工事済みのMtF女性として愛せる男性って一定いるから、需要があってマッチングできる。

問題MtFレズビアン。これがマジでキツい。

レズビアンコミュニティに行っても、純女からは長髪のおじさんにしか見えない。恋愛対象にならない。需要がない。コミュニティ内でもかなり嫌がられるって話をよく聞く。

妻子がいる状態から離婚してMtFレズビアンになるケースもある。「男性としてではなく、女性として女性に愛されたい」って気持ちで妻子を捨てて性別移行するわけ。

MtFレズビアン純女を求める。でも純女純女を求める。純女同士しかマッチングしない。

これをトランスヘイトだって言うMtFレズビアンもいるんだけど、MtFレズビアン自身すら他のMtFレズビアン女性として愛せない。MtFレズビアンのことが長髪のおじさんにしか見えない。体臭もおじさんだし。

精神面もきつくて、妻子のために無理して男性役をやってた頃より、性別移行後のほうが精神状態悪化するケースが多い。

純女レズビアン愛されるために妻子捨てたのに、新しい愛は得られない。8割くらいが女性憎悪に向かう。

ホルモンバランス悪化によって鬱が進行して自殺を選ぶ人も出てくる。幸せになれない。やりたくもない男性役割を演じさせられて辛い人生だと思っていた前のほうが、実はまだマシだったことに気付きそうになるけど、ホルモン療法は取り返しがつかない。

まともなロールモデルがない。MtF戸籍性別変更して男性結婚した人のなかに幸せそうにしてる人もいるのに、MtFレズビアン純女幸せになれるルートがない。純女純女しかマッチングしないから。

これはヘイトじゃなくて、見てきたものをそのまま話してるだけ。

MtFレズビアンは正直、行き止まりに見える。中高年というシスヘテロでも誰でも下り坂の時期にホルモン治療まで入ってもうめちゃくちゃ、心身が崩壊する。

おすすめはVRChat。外科手術やホルモン治療にはどうしたって健康被害リスクもある。男性男性の体のまま生きながら、VRChat上で美少女アバターになって、同じく中身が男性美少女恋愛するのが一番現実的幸せになれる道。

結局のところ、MtFレズビアン本音って「男性役割は嫌だけど女性から性的サービスを受けたい」ってことで、それは「心が女性」とはまた別の話だし、

純女レズビアンからレズビアンとして認識されないのも仕方ない。見た目だけじゃなく中身も、どうしたって純女とは別物。

女性との関係は諦めるべき。「男性役割から降りたいけど性的対象は女体」という本音と辛さをわかり合える男性同士でバーチャル女体で集まれ需要を満たしあえるVRChatは彼らにとって理想的場所だと思う。

そのあたり、若い人のほうが分かっているのでは。若いほうがVRChatを選択中年のほうが現実純女レズビアンに下手に夢を見てしまっているせいで妻子を捨てて、なにより取り返しのつかない性別移行医療に手を出す傾向。金もあるのが良くないのかな。

純女レズビアンに愛されることに期待してると、マジで予後が悪い。崖だと分かっている崖に向かって突っ込んでいくのはもうやめたほうがいい。

2026-03-28

anond:20260328154228

マツコって元男性なの?

表現女性型(つまり女装)なだけで、性自認男性だと思ってた。

2026-03-27

ワイはちんちん生えてる性自認が女なんだけど男風呂入るよ

ちんちん見放題

これはギルティ

2026-03-26

anond:20260325201258

自分のことを女性だと思っているか女性の体になる手術をした、男性結婚したい人」

はっきり言ってこれはまったく別の話だよね

性自認性的指向結婚観まで混ざってるし

自分のことを女性と思っていても別に女性を好きでいいし

結婚したくなければ結婚しなくていいし

自分身体を傷つけたくなければ手術だってしなくていい

2026-03-11

anond:20260311125442

「脳の性分化性差研究について  有阪 治」

https://www.jschild.med-all.net/Contents/private/cx3child/2018/007704/002/0310-0318.pdf

このような理解に基づけば,生物学的性と性自認の不一致による性同一性障害Gender Identity Disorder:GID)あるいは自己性別違和感を感じる性別違和(Gender Dysphoria:GD)は,胎生期の脳の性分化過程で生じた何らかの過誤が原因であると考えられる。



上のような、こういう研究結果もあるよ。

私は専門家ではないので、今後研究がどうなっていくかまではわからないけど、上記のことも頭に入れておくといいかもねと思う。

良ければ読んでみてね、おもしろいよ。

2026-03-09

anond:20260308114223

書き方からして、男同士だったら「タチ」或いは「左側」に相当するポジションなのかな。

性自認がどちらなのかも気になる。

男と女は体も精神構造も違うし、同じになる必要はないんだよね。

それぞれ良いところも悪いところもあるんだから適材適所でうまくやっていけばいい。

2026-03-06

anond:20260306140237

性自認女性じゃない男性でも女装していいんだぞ

服装個人自由です

見た目を女性に近づける必要はありません

2026-02-27

ようやくTERFと呼ばれてもノーダメージになってきた話

・他称TERF

私はTERFらしい。自分でそう認識しているのではなく、「こいつTERFじゃねえか!」と他者から言われたのである

TERFとは、トランス排除的ラディカル・フェミニスト(Trans Exclusionary Radical Feminist)」の略語、とのことらしい。私は別にトランス(ここでは仮に、身体性別と自認性別が異なっている状態定義する)の存在否定していない。

しかし、ある時増田で「異性の社会的地位を得たいと考えて、トランスではないのにトランスであると誤認して幼少期に性転換治療を行うと、取り返しのつかないことになるので、十分な判断力がついてから治療をすべき」と述べたところ、TERFだ!こんなやつの言うことは聞くに値しない!といったコメントがつき、それまで語っていた別の話すら否定されるということがあった。

・TERFと認定された意見を述べた理由

その増田では、私がかつて感じていた生きづらさについて書いていた。

その一例として、小学生の頃、「男の子なら勉強していても文句言われない、女のくせにって言われない!」と、男の子に生まれたらよかったのにと思っていたことがある。これは私がいた地域が、「女性勉強をするものではない」という社会観念構造を持っていたが故に抱いた感情だ。もしかすると、私と同じ社会で育った男の子の中には、「女の子ならオシャレしていても文句言われない!」として、女の子に生まれたかったと思っていた子もいたかもしれない。

ただ、私もその男の子も、トランスジェンダーではない。ただ、「決められたジェンダーロールに縛られたくない」という気持ちがあるだけの、シスジェンダーである

もちろん、性別に違和を持つトランスジェンダーの子もいたかもしれないが、今回その子議論対象ではない。「社会構造が原因で、異性のジェンダーロールを得たいと考え、それが異性への変身願望であると誤認したシスジェンダー」の存在が、議論対象である

しかし、私の意見は「TERF」、すなわちトランス排除であると判定された。

最近アニメの話

ここで話はがらりと変わるが、最近アニメで「見た目は女性的だが、性自認身体男性」というキャラクターに対して「彼女トランスジェンダーだ!トランスと認めろ!」という意見をたまに見かける。

彼らの主張をバカ正直に受け取ると、「シスジェンダーのままで、ジェンダーロールに縛られない行動をしてはいけない」ことになる。これはとても「後退的」な主張で、古典的な「男らしさ、女らしさ」の強化をしているだけに他ならない。上のアニメの例で言えば、「女らしい」行動をすれば(身体性別男性であれば)トランスであり、また「トランス女性女性」(TERFとレッテルを貼る人たちがよく言う言葉)なのであれば、「女らしい行動をする人は皆女性である」ということになる。「女らしい」行動をする「男性」の存在は、認められないという結論になる。

まり小学生の頃の私は、女であるままに勉強をしたりはできず、男にならねばならなかったということになる。そんなバカな話があるか。

女装して女性スペースに入る人の話

やめろ。

意見としてはそれだけなのだが、きっとそれでは納得してもらえないので、理由を述べたい。

まず、これまでなぜ男女でスペースが分けられてきたのかといえば、人間が高度に発展して羞恥心というものを獲得したかである

また、男女でスペースが分けられている場所というのは、トイレであったり更衣室であったり、「衣服を着脱する」≒「プライベート性が高くなる」場所であることが多い。

こうした場所は、その性質上、密室に近い状態になり、そのため性犯罪が発生しやすい。そして、誰が性犯罪に手を染めるのかは外観から判断が難しい。

そのため、性犯罪使用されやすい「陰茎」を持った人と持たない人で空間を分けて、ある程度犯罪が起こりにくいようにしよう、ということになった(と私は認識している)。

もちろん、男性から男性への加害は、これでは減らすことはできないが、その話はまた別の問題なのでここでは触れないでおく。

で。その陰茎がある状態で、女性スペースに入れろ、性加害はしないから!性加害する人間とそうでない人間区別できるのか!という主張がなされる。

区別できないから分けてるんだってば。

陰茎を持った人全員が性犯罪者でないことは自明の理である。それでも、陰茎を利用した犯罪類型的に発生しやす場所があるから、そこは一旦陰茎の有無で分けている。

ついでにいうと、事実として女装トランスかどうかは問わない)した人物性別で分けられた場所性犯罪性器の見せつけなども含む)をしているという報道がある以上、女性側としてはやはり陰茎の有無で一旦スペースを分けてほしい。

そして、スペースを分けるということは、「あなたは陰茎を持ってるから入らないで」と言えるということである

これは心理的にも、実質的にも大きな安心感を得られる。「陰茎を持つ人が女性スペースに入ることはおかしい、間違っている」という前提があり、「普通は」これを守るという共通認識が生まれ、実際に陰茎を持つ人が入ってきたら追い出すことに正当性があると判断される。

男性的な女性が入ってきたらどうするんだ!?」と言われるが、そもそもその人は女性なので何の問題もないし、男性的であれ女性的であれ「陰茎を持つのでは?」という疑いがある場合は口頭で確認すればいい。

「嘘かどうか分かるのか!?」わからない。だから、「女です」と言われたら女性スペースを使わせるより他ない。ただ、嘘をついて女性スペースに入っていたならそいつ犯罪者だし、そいつを「犯罪者だ」と言えることが重要なのである

刑法があるからといって、詐欺殺人もなくなるわけではない。「詐欺罪」や「殺人罪」に問えるだけだが、「罪に問える」ことは社会的にとても重要だ。抑止力もそうだし、「これは悪いことだ」と、「社会が許さない」と意思表示していることになる。

・「陰茎」言い過ぎた

男性という呼び方では曖昧になってしまうので、ここでは「陰茎を持つ人」という呼び方をしてしまった。あまりいい気分にはならなかったと思うが、正確性を期するためなのでご容赦いただきたい。

なお、書いていて思い出したのは、JKR女史の「生理のある人?他に呼び方がなかったっけ?」という趣旨言葉だ。そう、他に言葉があるし、私は正直「性別なんだから性器区分で分けろよ」と思う。性別性自認は別のもの、という考え方であるだって性別違ったら出るホルモンも違うんだし、生物学的な分け方は厳然として存在するんだし。

ここまで色々書いたが、端的に言って「陰茎ない人用スペースなので陰茎ある人は入らないでください」が結論である。私は他称TERFだが、トランスジェンダー存在は認めているので、外科的手術で陰茎がなくなった人は、陰茎ない人用スペースに入っても問題はないと考えている。

ただ、他人身体をジロジロ見たり、あまつさえそれをブログに書いたりする行為は、普通性犯罪だと思うので、やめろ。

他称TERFのレッテル貼りがやばかった話

TERFとレッテルを貼れば、それはナチスばりの人種差別主義者であり話は聞くに値しない、という活動をしている人がいた。今もいるかもしれない。

私はTERFって言われるだろうなと思っていたし、女性の権利を守って何が悪い?と思っていたので、ダメージは少なかったが、それでもこの強烈なレッテル貼りには目を瞠った。また、上述のことは、TERFと呼ばれた時から一貫してずっと考えていたことだが、表明するのに躊躇した。

その鬱屈した思いが爆発して、長文になってしまった。まぁいっか、増田なんだから好きなこと書き散らすぞ。

2026-02-22

恋愛においては性自認が男ってことあるんだろうか

普段は女として生きることに何の違和感もないけど、恋愛においては女として見られることに嫌悪感がある

女の身体で男と恋愛するのが嫌だし、男が自分の女の身体に興奮してるのが無理

恋愛するなら男として男と恋愛したいと思ってしま

でもゲイゲイで、男の身体に興奮されるだろうからそれも嫌

異性愛者の男が男の身体の私を愛してくれるのが理想なんだけど、そう上手くはいかないよなぁ…

そもそも性転換するつもりはないから男の身体になるのは難しいし

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