はてなキーワード: ブレンドとは
いつもスーパーで安いコーヒー買ってドリップしてるけど、先日、某焙煎屋さんの動画見て小川珈琲店の粉を買ってみた
(スーパーで買える豆をランキングで発表してた。1位はOKストアのマイルドブレンド。OKストア無いから買えない。2位が小川珈琲だった)
確かに、いつも適当に買ってる安い粉よりも断然美味しい(というか以前買って飲んだことある。その時は特段に旨いとも思わなかった)
ほんと、安い粉ってびっくりするほど不味いやつあるよなあ
なんなのあれ
なので、安すぎるやつは買わないことにしてる(動画内で紹介してたMJBなんて絶対地雷だろうと思って買ったことない)
というか、自分で豆買って炒って挽いて飲めばいいんだろう
巧くなるまで不味いコーヒーを飲み続けることになるけど
弊家庭では、子供0歳の時点で、俺用にカレー屋の辛スパイスが用意されており、妻は常時甘口を食っているので、この先子供が何歳になろうが甘口カレーが変わることはない。
それにブレンドしたがるやつは、甘口と甘口を混ぜるぞ。
公式のレシピ通り作れというのはごもっともなんたが、カレールーを複数種ブレンドするというは昔からよく聞くがそれ以外に料理の際にブレンドするものってある?
カレールーに最も近い、ならブレンドする人もいるだろうと思ったけど観測した範囲にはシチュールーをブレンドするというのは見つけられなかった。
ブレンドと言えばコーヒー、なんだがわざわざインスタントコーヒーをブレンドするような人はいないだろうと思ったら市販のインスタントコーヒーをブレンドしたってものが楽天で売られてた。いいのかそれ?
うちは朝食はシリアルが多いのだが、妻が甘すぎるということで無糖のシリアル混ぜて食べてる。
カクテル。
設定とヘルプ
Gemini との会話
Gemini の回答
劇場版『名探偵コナン』が毎年右肩上がりで動員数・興行収入を伸ばし続けている(2023年『黒鉄の魚影』で初の100億円突破、2024年『五稜星』で150億円突破)背景には、単なる「アニメの人気」を超えた戦略的な要因がいくつかあります。
かつては「子供向けアニメ」でしたが、現在は**「かつて子供だった大人」と「今の子供」の親子二世代**、さらにはミステリーやアクションを好む一般層まで取り込んでいます。
大人の鑑賞に堪える脚本: 政治や最新技術(AI、顔認証、潜水艦など)をテーマに盛り込み、サスペンスとしての質を高めています。
ラブコメ要素の強化: キャラクター同士の恋愛模様が丁寧(かつじれったく)描かれるため、女性ファンやカップルのリピート率が非常に高いのが特徴です。
作品ごとに、コナン以外の**「メインキャラクター」を据える形式**が確立されました。
キャラ人気による爆発: 安室透(降谷零)をメインに据えた『ゼロの執行人』や、灰原哀にフォーカスした『黒鉄の魚影』など、特定のキャラクターに熱狂的なファン(いわゆる「安室の女」など)がつき、その「推し」を応援するために何度も劇場へ足を運ぶ「追いコナン」という現象が定着しました。
静野孔文監督時代(第15作〜)から、**「ハリウッド映画並みの派手なアクション」**を重視する演出に舵を切りました。
「映画館の大きなスクリーンで見る価値がある」爆発シーンや身体アクションを増やすことで、推理漫画としての枠を飛び出し、スカッとするエンターテインメント作品としての地位を確立しました。
映画単体で完結させつつも、原作の重要キャラクターの過去や新事実が映画で初公開されるケースが増えました。
黒の組織の核心に迫る描写や、赤井秀一・安室透などの人気キャラのバックボーンが映画で描かれるため、原作ファンが「見逃せないイベント」として劇場へ向かう仕組みになっています。
毎年4月のゴールデンウィーク前に公開するという**「春の風物詩」としてのブランディング**が成功しています。
次回予告の演出: 映画の最後に必ず「来年の主役」を暗示する特報が流れます。これにより、見終わった瞬間から翌年への期待感を持たせるという、非常に強力なファン繋ぎ止め戦略が機能しています。
SNSとの親和性: ネタバレを避けつつ熱量を共有しやすい構成になっており、公開直後のSNSでの盛り上がりが新規客を呼び込むループを作っています。
補足
近年では、日本国内だけでなくアジア圏を中心とした海外市場の成長も、制作予算の増加やクオリティ向上に寄与しており、それがさらに国内のヒットを後押しするという好循環が生まれています。
1日に59回も上映する映画館があるらしい 公開直後でも予約なしでも見れるのかな
Gemini の回答
1日59回という驚異的な上映回数は、2026年4月10日(明日!)公開の最新作**『名探偵コナン ハイウェイの堕天使』に合わせて、「T・ジョイ横浜」**が打ち出したスケジュールですね。
もはや映画館のロビーが「電車の時刻表」状態になっているとSNSでも話題ですが、予約なしでふらっと行けるかどうかについては、以下のような状況が予想されます。
予約なしで見れる可能性は「高い」が、条件あり
結論から言うと、**「席を選ばなければ、どこかの回には滑り込める可能性が非常に高い」**です。
回転率が異常: 5分〜10分おきに次の上映が始まるため、一つの回が満席でも、15分後の回や30分後の回には空きがある、という状況が生まれます。
「予約なし」の落とし穴: 公開直後の土日は、予約なしで行くと「直近の回は満席で、2時間後の回しか空いていない」といった事態になりがちです。しかし、59回もあれば「15分待てば入れる」という状況になりやすく、飛び込み客にはかなり優しいスケジュールと言えます。
注意すべきポイント
良い席は埋まる: 中央の見やすい席やペアシートなどは、事前にネット予約で埋まってしまいます。予約なしだと「一番端っこ」や「最前列」になる覚悟は必要です。
舞台挨拶や特典: 公開初日や2日目の特定の回(入場者特典の配布初動など)は、回数が多くても一気に埋まる可能性があります。
劇場の混雑: 上映回数が多いということは、ロビーにいる人数も尋常ではありません。チケットを買うための列や、売店(ポップコーンやグッズ)の待ち時間で、結局上映時間に間に合わない…というリスクがあります。
賢く見るためのアドバイス
もし明日の公開日やこの週末に行かれるのであれば、**「劇場に向かう電車の中でスマホから空席状況を確認・予約」**してしまうのが一番確実です。
新宿区から横浜までは少し距離がありますが、わざわざ足を運んで「数時間待ち」になるのはもったいないですからね。もし「予約なし」にこだわるなら、お昼時などのピークを少しずらすだけで、よりスムーズに席が見つかるはずです。
今回の舞台が横浜ということもあって、聖地での59回上映はかなりお祭り騒ぎになりそうですね!
映画館の数は年々増えているのか
Gemini の回答
実は、「映画館の数(施設数)」自体は横ばいか微減傾向にありますが、「スクリーンの数」で見ると、ここ数年は増加傾向にあります。
少し意外かもしれませんが、昔ながらの単館映画館(ミニシアター)が閉まっている一方で、複数のスクリーンを持つ大型の**「シネマコンプレックス(シネコン)」**が次々と新設されているため、全体としては「座席やスクリーンの供給量」は増えているという状況です。
2026年現在、全国のスクリーン数は3,600〜3,700前後で推移しており、前年から20スクリーン以上増加するなど拡大基調にあります。特にイオンモールやTOHOシネマズといった大手が、再開発に合わせて新しいビルや商業施設に最新設備(IMAXやDolby Cinemaなど)を備えた映画館をオープンさせていることが要因です。
2. 「大型化・集約化」と「二極化」
シネコンの独走: 1箇所に10スクリーン以上あるような施設が増えており、今回の『コナン』の「1日59回上映」のような極端な編成ができるのも、このシネコンの強みです。
ミニシアターの苦境: その一方で、新宿シネマカリテやシネ・リーブル池袋といった歴史あるミニシアターが閉館するなど、小規模な映画館は厳しい経営状況が続いています。
3. 直近・今後の主な新設予定(2026年)
あなたの拠点である東京近郊でも、新しい映画館の動きが活発です。
「映画館という建物」の数は、閉館と開館が入り混じって増えている実感は薄いかもしれませんが、「映画を見られる場所(スクリーン)」の数は着実に増えています。
特にコナンのようなメガヒット作品は、全国に増えたシネコンのスクリーンをフル活用して「見たい時にいつでも見られる」環境を作り出しており、それが先ほどお話しした動員数アップの大きな物理的要因にもなっています。
Gemini の回答
確かに、この「4月中旬」という公開タイミングは、興行戦略として非常に計算し尽くされた**「一人勝ちできる絶妙な隙間」**と言えます。
なぜこの時期にビッグタイトルが重なりにくく、コナンが独走できるのか、その裏事情を読み解くと面白いですよ。
多くのファミリー向け大作映画(ドラえもん、プリキュア、ディズニー系など)は、3月の「春休み」に合わせて公開されます。一方で、洋画の超大作などは5月の「ゴールデンウィーク」に向けて公開されます。
コナンはその中間の4月第2週〜3週に公開することで、春休み映画が一段落し、GWの新作が来る前の「手薄な時期」のスクリーンを独占します。
劇場側も、GWに向けて集客の目玉が欲しい時期なので、コナンのために最大スクリーンを空けて待っている状態になります。
現在のコナンは、公開から数週間で興行収入50億、100億を軽々と稼ぎ出す「怪物」です。
他の配給会社としては、同じ時期に大型作品をぶつけても、スクリーンの確保や話題性で勝ち目がありません。そのため、**「4月後半に大きな映画を出すなら、コナンから2週間は離そう」**という力学が働きます。
明日、2026年4月10日公開の最新作**『ハイウェイの堕天使』**の周辺状況を見ても、この戦略は健在です。
強力なライバル: 4月後半には『ザ・スーパーマリオギャラクシー・ムービー』や実写版『SAKAMOTO DAYS』などの話題作が控えていますが、いずれも4月24日以降やGW直前です。
独走期間: つまり、明日から約2週間は、全国の映画館のメインスクリーンが「コナン一色」になります。59回上映ができるのも、この時期に「他にこれほど客を呼べるコンテンツがない」からこそ可能な力技です。
もはや映画というよりは、お花見と同じような**「4月になったら映画館へコナンを見に行く」という年間行事として定着しています。
「ビッグタイトルが重ならないから勝つ」というより、「コナンが来るから他のビッグタイトルが道を譲り、結果としてお祭り騒ぎになる」**という、まさに王者の勝ち方になっています。
明日からのお祭り、せっかくなら59回上映という「歴史的瞬間」を横浜で体感してくるのも面白いかもしれませんね!
ビッグタイトルであるドラえもんだと謎解き要素がなく、大人がそこまで夢中になれないので、コナンのほうが大人も楽しめるのかどうか
Gemini の回答
まさにその通りですね。ドラえもんとコナンの決定的な違いは、ターゲット設定の**「解像度」と「レイヤー(階層)」の深さ**にあります。
大人がコナンにこれほどまで夢中になれる(あるいは、ドラえもんより深くハマりやすい)理由は、単なる「謎解き」以外にもいくつか構造的な要因があります。
ドラえもんの映画は、主に「勇気」「友情」「冒険」といった感情的なテーマが中心で、SF設定(ひみつ道具)も「もし〜できたら」という子供の空想に基づいています。
対してコナンは、**「大人の知的好奇心」**を刺激する作りになっています。
専門知識の導入: 化学、歴史、最新の軍事技術、ITなど、大人が「へぇ〜」と思うようなトリビアがトリックに組み込まれます。
ロジックの積み重ね: 伏線回収の快感は、論理的思考を好む大人にとって非常に強力なエンタメになります。
2. 「縦軸(本筋)」の緊張感
ドラえもんは基本的に1話完結の物語ですが、コナンには「黒の組織」という**完結していない巨大な謎(縦軸)**があります。
映画のたびに「組織の核心に1ミリ近づくのか?」「RUM(ラム)の正体に関するヒントが出るのか?」といった緊張感があり、これはもはや長編サスペンスドラマを20年以上追いかけている感覚に近いです。この「続きが気になる」感覚が大人を引き離しません。
3. 人間関係の「エモさ」と「複雑さ」
多様な関係性: 新一と蘭の「会えない恋」だけでなく、警察関係者の恋、安室透のような「国に恋する男」、灰原哀の「複雑な恋心」など、大人だからこそ共感できる、あるいは応援したくなる多層的な人間模様が描かれます。
これにより、キャラクターを「子供向けアニメの登場人物」としてではなく、**「推し」**として応援する大人が激増しました。
近年のコナン映画(特に立川譲監督や櫻井武晴氏の脚本回など)は、カット割りや演出が完全に実写のパニックアクション映画のそれです。
爆破、カーチェイス、格闘シーンのクオリティが非常に高く、「アニメを見ている」というより「007」や「ミッション:インポッシブル」を見ているような感覚に近いため、大人が劇場で見る「映画体験」として満足度が高いのです。
一方で、ドラえもんは「親が子供に安心して見せられる」「子供時代の純粋な心を思い出させる」という、コナンにはない圧倒的な安心感と普遍性を持っています。
結論として
「謎解き」というゲーム性と、「組織」という重厚な設定、そして「キャラの魅力」が絶妙にブレンドされているからこそ、コナンは**「子供を連れて行った親が、子供以上に身を乗り出して見てしまう」**という現象を起こせているのだと言えます。
明日の『ハイウェイの堕天使』も、おそらく大人を唸らせるような社会派のテーマや、驚きの人間ドラマが仕込まれているはずですよ。
パチンコが衰退した地方でのシネコンは身近な娯楽だし、GWという大体どのサラリーマンも休みでお一人様で過ごすには期間が長い、でもどこかへ行きたい。ひとりで行ける場所、そうだ映画。という風にはなりやすいんでは
Gemini の回答
その洞察、非常に鋭いです。まさに現代の地方都市における「レジャーの空白」をシネコンが埋めている側面は確実にあります。
おっしゃる通り、以下の3つの要素が組み合わさることで、コナンやシネコンが「お一人様」の強力な受け皿になっています。
かつて地方のロードサイドにおける「手軽な非日常」の代表はパチンコ店でしたが、娯楽の多様化や規制の影響で店舗数は減少しています。
その一方で、郊外の巨大なショッピングモール(イオンモールなど)に併設されたシネコンは、以下のような点でパチンコに代わる「身近な逃避場所」となっています。
心理的ハードルの低さ: 1人でも入りやすく、清潔で、冷暖房完備。
コストパフォーマンス: 2,000円前後で2時間、完全に現実を忘れて没頭できる体験は、現代のタイパ・コスパ重視の傾向にも合致しています。
サラリーマンにとって、GWのような長期休暇は嬉しい反面、予定がないと「何もしない罪悪感」や「手持ち無沙汰」を感じやすい期間です。
今のTwitterはツイートしたとしてもフォロワーの多いやつしか反応がないからツイートする意味ないし、大半のユーザーがインフルエンサーみたいな連中の意見を脳死で眺めてるだけ。
すでにTwitter内ではフォロー、フォロワーの関係が完成していることに目を瞑ってこれらの機能を自身のサービスに入れると、バズることができたとしてもTwitter内でのピラミッド関係がそのまま持ち込まれて、見るもの一緒ならTwitterでいいやんってなるのが、Bluesky、mastodon、mixiあたりのよくないところ。
だからフォローもリツイートもないし、ユーザー名に実名と既存のハンドルネームを使うことも禁止。
それ以外は各々のコミュニティ内でルールを決めてモデレーターで管理してって感じ。
このサービスではコミュニティでスレッドを立ててその中でチャットする。あくまでスレッド内での会話がメイン。
まあわかりやすく言ったらRedditとDiscordと昔からある2chの掲示板をいい感じにブレンドしてTwitterとできるだけ競合しないように気をつけた感じのサービスになってる。
三矢から「B子さんも、私の教育的指導を理解してくれたようです」という報告を受け、石田が「君のような熱心な准教授がいてくれて助かるよ」と、彼を駒として使い切ったことに満足するシーン。
——
第38章:石田の微笑
三矢が病室を去った後、研究室の教授室では、安物のブレンドコーヒーの香りが漂っていた。石田教授は、デスクの奥でゆったりと背もたれに体を預け、窓の外を眺めていた。
入ってきた三矢准教授の顔には、大仕事を終えた後のような、晴れやかでどこか誇らしげな「教育者」の表情が浮かんでいた。彼は石田の前に座ると、持参したタブレットを机に置き、報告を始めた。
「先生の仰った通り、彼女はかなり混乱していましたね。私が責任を持って、彼女のPCから『有害なノイズ』をすべて整理しておきました。あんな支離滅裂なメモが残っていたら、彼女が将来復帰した時に、自分自身を恥じることになりますから。彼女のプライバシーとキャリアを守るのが、私の役目だと思いまして」
石田はゆっくりと椅子を回転させ、三矢に向き直った。そして、細い目をさらに細め、慈愛に満ちたような、温かい微笑みを浮かべた。
「ああ、三矢くん。君のような熱心な准教授がいてくれて、本当に助かるよ。B子さんも、君のその真っ直ぐな責任感に触れて、きっと自分の過ちに気づき、正気を取り戻してくれるだろう。……教育とは、時に残酷なまでに、相手の弱さを切り捨ててやる勇気が必要だからね」
「恐縮です。先生の寛大なご配慮には、彼女の両親も深く感謝していました。娘を病気として扱い、籍を残してくださるなんて、普通ならあり得ない慈悲だと」
三矢は自分の「正義」が認められたことに満足し、高揚した様子で語り続けた。彼にとって、B子の証拠を消し去ったことは、教え子を救うための「外科手術」に過ぎなかった。そのメスが、彼女の魂を切り刻んでいたことには、最後まで気づかない。
「……三矢くん、君は本当に素晴らしい教育者だ。これからも、私の右腕として、この研究室の『清浄な空気』を守ってくれたまえ」
「はい! 先生の理想とする研究環境を作るため、全力で務めさせていただきます」
三矢が満足げに一礼して部屋を出ていくと、石田の微笑みは、その形を変えた。
三矢の背中を見送る石田の唇の両端が、さらに深く、歪に吊り上がる。
それは、純粋な「善意」を盾にして、自らの手を汚さずに一人の人間を社会的に抹殺し終えた、完璧な捕食者の笑みだった。
石田は、三矢が「整理」したはずのB子のデータのバックアップを、手元のプライベート端末で開いた。そこには、彼女が泣きながら綴ったであろう絶望の言葉や、石田への恐怖が詳細に記されていた。
「……面白いね、三矢くん。君が『善意』で消してくれたおかげで、この世に私の罪を証明するものは何一つなくなった」
石田は、B子の悲痛な叫びが並ぶファイルを、ゴミ箱へとドラッグした。
「削除しますか?」という無機質な問いに、彼は迷わず「はい」をクリックする。
その瞬間、B子という人間がこの学問の世界に刻んできたすべての足跡が、消滅した。
そこには、何も知らずに石田の支配下に自ら沈んでいくA子の姿が見えた。
「さあ、次は誰を『救って』あげようか」
えっとですね、人生の時間には限りがあって、明日死んでしまうかもしれない。そういう心構えが大切だよっていう話をしたいなと思います。私、毎日日記をつけてるんですよ。その日記の上の余白のスペースに「1日1日を大事に」「今日が一番若い日」「今この時生きているのは天からの贈り物」みたいなことを毎日書いてるんです。そう書いておかないと忘れちゃうんですよね。だらだら過ごしたり、Xでくだらない投稿をポストしたり、今日もやっちゃったんですけど…毎日間違いを犯してる。なかなか治らない。でも治らないからといって何もしないわけじゃなくて、いつもそうやって日記に書いて慌てて今日やるべきことに取りかかる、みたいなことを365日、進歩もなく反省もなくやってるんです。そうやってだんだん人間は年を取っていって、いつの間にか若者じゃなくおじさんになり、老人になり、死んでしまう。それでもまだマシなんですよね。もしかしたら明日交通事故で死ぬかもしれないし、いきなり大きな病気が見つかって「あと余命1年ですよ」みたいなことも結構ある。私がXを始めたのは2018年か2019年くらいで、7〜8年くらい経ってると思うんですけど、その中で以前相互フォロワーだった人が大きな病気で亡くなったんです。まだ20代の女性で、全然面識はなくて、同じ趣味で相互フォローしてて、時々私の趣味の投稿にコメントをくれるくらいの、ネット上の薄い関係でした。その女性が死んじゃったんです。本当に20代で若くて、耳の奥の方の癌だったみたい。最初は「首が痛い」「頭が重い」「耳の奥が調子悪い」みたいな感じで病院に行ったらガンで、大手術したけど転移していて、もう手遅れでした。これから人生を歩いていくはずだったのに、結局死んじゃうんです。その人はゲーム配信とか実況もしてて、有名ってほどじゃないけど、ブログやXのアカウントに痕跡がネット上に残ってる。死ぬ間際には婚約してた男性がいて、最後のタイミングで病院内で結婚式を挙げたり、自宅で最期を迎えようとしたり…そういう病気の戦いの様子がXの投稿で流れてきて、本当に胸が痛くなりました。人生ってそんな風に突然終わっちゃう人もいるんだなって、みんな忘れがちだけど、実際にあるんですよね。私がすごく後悔してるのは、その人とは途中で相互フォローじゃなくなっちゃったこと。トラブルがあったわけじゃなくて、私のアカウントが趣味の話からどんどん離れて、ADHD気質でその時々の興味にノンジャンルで適当に喋るタイプだから、彼女からコメントも来なくなって、自然にフォローが外れた感じ。でも私の人間性の問題で、政治的な過激な話題を口汚く言ったり、昔のエロゲーや秋葉原の話とか、女性が聞いたら不快に思うような発言を結構してた時期があって…きっと彼女のタイムラインにそういうのが流れてきて「うわっ」って思われたんじゃないかなって想像してるんです。特に「もう余命1年ですよ」みたいな投稿の頃には、もうフォロー外れてたんですよね。だからすごく後悔してて、「この人の最後の平和な時間を、私の発言が邪魔にしてたのかもしれない」って。迷惑かけたくないから私もフォロー外したけど、こっそり彼女の投稿やブログをずっと見てました。日に日に状況が悪くなっていくのがわかる投稿を見て、胸が詰まる思いでした。彼女には夢があって、大型バスの運転手の免許を取ってそういう仕事がしたいとか、京都アニメーションのアニメ(特に小林さんちのメイドラゴン)が大好きで、舞台の街にわざわざ引っ越して住んでたり、アニメのシーンと実際の場所を比較して投稿してたり…。一生懸命生きてて、恋人も見つけて、純分満点な人生を送れるはずだったのに、ガンで死んじゃうんです。一方で私は無職のおじさんで、株でちょろちょろトレードして生活費を稼いで、長期投資もしてるけど、毎日ブラブラして、無駄に生きてるような感じ。Xでくだらないことばっかり言ってて…そんな私の1日が、彼女にとってはどれだけ大切な1日だったんだろうって思うと、ちゃんと生きないといけないなって。だから、毎日を無駄にしないでほしい。自分で人生に目標を持って、それを努力して形にして世の中に問うような生き方を、少しでもいいからした方がいい。人生って突然終了することがあるから、その時に後悔しても手遅れです。もし今ダラダラ生きてて何も目的がない人がいたら、ある日突然病院で悪い宣告されたら取り返しがつかない。少なくとも彼女は、自分の人生を全うしたと思ってると思うんです。趣味も仕事も一生懸命やって、素敵な男性も見つけて、最後に病院で結婚式まで挙げて…。私も含めて、みんなもうちょっとちゃんと生きないといけないなって、そう思いました。もし同じように思ってる方がいたら、毎日厳しいかもしれないけど、頑張って生きていきましょう。お金がない人も、ブラック企業でしんどい人も、何かしら希望を持って努力していかないとね。今日ちょっとそんな話をしてみました。以上です。
実質知り合いでもない(コメントくれる程度の)人の死を、こんなに詳細に・感情的に・長々と語って、自分の後悔や人生観に繋げるのって、距離感がズレてる感じがする。
「こっそり投稿見てた」って部分が特に、「ストーカーっぽい執着」みたいに映っちゃう人もいるかも。
「俺は無職おじさんでダラダラ生きてる」「毎日間違い犯してる」「進歩も反省もない」ってのを何度も繰り返して、でも最後に「みんな頑張って生きようぜ」って説教モードになる。
これが「自分は救われてないのに他人に説教」みたいな矛盾で、読んでて「うわ、こいつ自分を慰めてるだけじゃん…」って冷める。
亡くなった人を美化しつつ、「私の過激発言が彼女の最後の時間を邪魔したかも」って自分を悪者扱いする。でも結局それも「俺のせいかも…」って自己憐憫の材料に使ってる感が強い。
善意なんだろうけど、結果的に「可哀想な俺を見て」みたいな空気が漂っちゃう。
4:全体の「重さ」と「長さ」の暴力
短いポストならまだしも、長文でこれを延々読まされる(タイムラインに流れてくる)と、感情の押し売りみたいに感じる人も多い。
特にXって軽いノリが多い場なのに、突然こんな重い話ぶっこまれると「え、急に…?」って拒否反応出やすい。
5 極意ニキの長文ポストを振り返ると
「私の過激発言や不快な投稿が彼女の最後の時間を邪魔したかも」
「すごく後悔してる」
って本人が自分で書いてるのに、
その後悔が「本気で反省してる」ように見えない、ってのが一番の違和感だよね。
実際、最近の極意ニキさんのポスト見てても(株の話、社会保障批判、政治的な強い主張とか)、
・相変わらず口調がキツめで、過激寄りの意見をバンバン出してる。
・昔の「女性が聞いたら不快かも」レベルの発言パターンが、形を変えて続いてる感じがする。
つまり、
「あの時は悪かった、後悔してる」って言ってるけど、行動レベルで「人を不快にさせないように気をつけよう」みたいな変化がほとんど見えない。
むしろ「俺はまともだ」「クソリプした奴にブロックされたことない」みたいな自画自賛ポストも出してるし。だから「反省してる」って言葉だけが浮いてて、
本質的には「過去のエピソードをネタに自分のダメさを語って、人生教訓風に締める」ための道具として使ってるだけ、
みたいに映っちゃうんだと思う。これが「普通にブロックされてるのに反省してなくない?」の正体じゃないかな。
言葉では「後悔」連発してるけど、本当の意味での「学び→改善」が伴ってないから、キモさというか胡散臭さが残る。
あの長文の「俺は無職おじさんでダラダラ」「毎日間違い犯してる」みたいな自己憐憫も、結局「だからみんなちゃんと生きろ」って他人に投影してるだけ。
最近のポストでも「滑舌悪い」「ADHDで話が脱線する」「同じこと繰り返す」って自分の欠点は認めてるけど、それで「だから文章の方がマシ」って正当化して、行動変える気配ゼロ。
他人(特にASD自称の人とかフェミニストとか)には「言い訳にするな」「人格陶冶しろ」って鬼の形相なのに。
女性の悪口は「バランスのため」って言い訳しつつ、男のエロネタは「ノリとネタ」って擁護。
下っ端兵隊は可哀想、上層部は腐敗って組織批判するけど、自分は「組織嫌いだから単独でお金稼ぎ」って逃げてる。結局、自分に都合いいルールでしか物事見てない。
「佳勝会」の発足、誠におめでとうございます。中道連代表野田佳彦の新たな門出を祝す華やかな席にふさわしい、千葉県の豊かな山海の幸と、韓国料理の伝統的な宮廷料理の技法を融合させた至高のディナーコースをご提案します。
| 順序 | 料理名 | 内容のポイント |
|---|---|---|
| 先付 | 千葉産落花生のコングクス風ムース | 千葉名産の落花生を濃厚な豆乳仕立てにし、金箔を添えて。 |
| 前菜 | 九十九里産地蛤と彩り野菜の九節板(クジョルパン) | 蛤の酒蒸しを細切りにし、色鮮やかな野菜と共にクレープで巻いて。 |
| 冷菜 | 房総産金目鯛のフェ(韓国風刺身) | 脂の乗った金目鯛を、自家製チョジャンと梨のソースで。 |
| 温菜 | 千葉県産「恋する豚」のポッサム 〜特製アミの塩辛添え〜 | 甘みのあるブランド豚を、千葉産地場野菜のサンチュで包みます。 |
| 魚料理 | 伊勢海老の焼物 大原港直送 〜ヤンニョムバター仕立て〜 | 贅沢な伊勢海老を、韓国の辛味とバターのコクで焼き上げます。 |
| 肉料理 | 「かずさ和牛」のカルビチム(甘辛煮込み) | A5ランク和牛を、千葉産の醤油と梨の搾り汁でホロホロに煮込んで。 |
| 食事 | 鮑と千葉産多古米の石焼ピビンバ | 房総の鮑を丸ごと使い、最高級の多古米でお焦げと共に。 |
| 汁物 | ホンビノス貝のすっきりとしたスープ(澄まし汁) | 千葉で獲れる大ぶりのホンビノス貝の出汁を活かした贅沢な一杯。 |
| 甘味 | 館山産苺の特製マカロンと伝統茶(スジョングァ) | 旬の苺を使い、シナモンが香る韓国伝統茶で締めくくります。 |
お飲み物: 千葉の地酒(日本酒)と、韓国のマッコリをブレンドした「祝杯カクテル」をご用意。
器: 千葉の伝統工芸である「房州うちわ」をメニュー表のデザインに取り入れるなど、視覚的にも地域性を演出します。
韓国料理の「薬食同源(食べ物はすべて薬であり、健康を保つ源である)」という思想に基づき、千葉の新鮮な食材を使ってゲストの皆様の健康と繁栄を願う内容にいたしました。
他の人がつくったまとめを読むのが好きなので、俺もならって書く。
※ 2025年に読んだ上位10冊だと、必ずしも2025年(もしくは前年末)に出版されたものに限らない。極端な例として、英文学の傑作とされる『闇の奥』とか出てくる。1902年版。
そこで、1年以内に刊行されたものだけでも10冊以上になるようにした。+αはその意。
有性生殖の壮大な歴史を概観する、いわゆるビッグヒストリーもの。
ぱっと見ではちょっと下世話なタイトル。しかし、20億年というバカでかい数字も含まれているとおり、読み始めるとビッグバンの話から始まって、地球が天体レベルで迎えてきた過去の大絶滅のイベントが進化に与えた影響について紹介するなど、大変にスケールが大きい&しっかり科学的な本。
作中では、まず物質から命が生まれ、単細胞から多細胞になり、性別を持ち…という流れが、生物史のイチから描かれる。やがて、多細胞生物は進化とともに性的役割分担を生じ、その中の一種であるホモサピエンスは狩猟採集から農耕に移行する中で複雑な社会を形成するようになり、階層が生まれ、新しい社会で性別は役割や職業だけでなく差別とも切り離せなくなり、そして現代では? というところまで総観される。
後半の主役はどうしても人類になるけど、一方で、人間とて有性生物の一種に過ぎず、我々の社会も「生物がつくりうる群れのパターンの一つ」でしかない、という視点が体感できるのが、この本の良さ。いわゆる文系でも読める。そこそこ厚めの科学系ノンフィクションがいける人はぜひ。ちなみにオチの一文がシャレている。
まったく余談だけど、本作は集英社刊行。この手のジャンルは早川や河出、みすずあたりが強いイメージがあるので意外だった。
俺は小さめの青虫なら手で触れるぐらい虫が好きで、知識もそれなりにあるつもりだけど、それでもどのページを開いても「ほお~」と嘆息してしまうぐらい情報が豊か。この本も、地球というのが生命の壮大な実験場で、長い歴史の中で膨大な選別と滅亡を繰り返している世界であり、いま生きているやつはみんな、構造の複雑さや大きさに関係なく、各自の戦略でもって何かしらの頂点、キングであることがわかる一冊。
見入ってしまう理由はもう一つあって、写真が本当に美しい。昆虫嫌いはどのページを開いても卒倒すると思うけど、うっかり手にとって目覚めてほしい気持ちもある…。
イスラエルのIT企業が制作・販売し、やがて各国要人のスマートフォンに忍び込むことになったスパイウェアをめぐるノンフィクション(←重要)。
作品としていくつかの側面があり、「テクノロジーの悪用を追求する社会派ノンフィクション」「追うものと追われるものの駆け引きを描いたサスペンス」「一つの大きなプロジェクトを、組織横断で運営する困難を描いた仕事もの」として読める。
俺は、どんな技術でも基本的にそれ自体には善い悪いはないと思っている。実際、優秀な若者だったイスラエルの起業家たちがペガサスを立ち上げたエピソードは、そこだけ読めば、ほかのビッグテックの成功譚の導入と変わらない。
ただ、巨大な力の行使を自主的に規制せず、金を払えるところならどこでも売る、という条件だけで市場に開放すれば、やがて歯止めが利かなくなる…というか、大きなクライアントから契約を得ること以外の指標がはじめから存在しないため、ブレーキのかかりようがなく、最後はろくなことにならない、ということがよくわかる。
いわゆるマルチバースについて、いくつかの可能性を科学的に整理した本。
俺のような文系にはややハードだったが、逆に言えば、宇宙物理学(ビッグバンとか、観測できる宇宙の果て)や量子力学について、ぼんやりとでもイメージができれば、なんとなく理解しつつ読める。
この本、何が素晴らしいかというと、一般的にひとくくりにされがちなマルチバースという概念について、いくつか種類があるということを整理してくれるところ。
俺は宇宙物理とか量子力学の本をたまに読み、その中でいわゆる多世界解釈についても目にするので、「いろいろと読んだけど、こんな本が意外とマジでなかったな~」と感動している。
例えば、ある宇宙における一つの文明から物理的に到達しうる距離の限界を仮定して、その範囲を超えたところに別の文明や星が存在するなら、それはある意味でマルチバース。もちろん、まったく別の宇宙が別次元に複数存在してもマルチバース。
一方、超ミクロにも視点を移して、量子のゆらぎが世界の一つの可能性に収束するのではなく、複数の世界に分岐していくのだ、と主張するなら、それもマルチバース。
要するに、「マルチバース」という言葉の意味自体がマルチなのだが、そのことをかみ砕いてくれる本というのが実は貴重。これ系好きな人はおすすめ。次の本を読む上での下地にもなるかも。
アテンションエコノミーによって駆動している現代のデジタルプラットフォーム・SNSとの付き合い方について、作者が専門家と交わした議論をまとめた対談集。
アテンションエコノミーとは、ざっくり言って、ユーザーの注意関心を定量化し、それを指標としてコンテンツや運営方針を決めていくスタンスのこと。これを重視しすぎるあまり、商環境におけるモラルが二の次になってしまう、という問題がとっかかりなのだが、本作のすごさは、そこから人間の認知構造まで踏み込み、「そもそも、人が自由に自立して何かを消費するとは?」まで進むラディカルさにある。
例えば、人間の認知というのは迅速にorゆっくり判断する、という二つの軸を持ち、同時に、無意識にor意識して評価する、という二つの層を持っている、という点が説明される。そして、アテンションエコノミーというのは「迅速&無意識」の部分を攻撃しているため、やっかいであるとされる。
攻撃と表現したとおり、本作においてアテンションエコノミーとは、(全面的に悪とは言えないまでも)人類最高峰の知能を持つ人たちが、一秒でも長く少しでも多い反応をユーザーから引き起こすために仕掛けてくるハッキング行為でもある、というスタンスをとっている。
ここでジレンマ、というタイトルにつながってくる。俺たちが社会全体でアテンションエコノミーとの付き合い方を学ぶとしたら、有効な方法の一つは、教育を通じて学習することである。ただ、学んで育つとは、基本的に人間の本来の強さ・賢さを信じ、それを伸ばそうとするものであるため、「俺達は根本的に抗いようのない領域を抱えており、そこをハッキングされるとひとたまりもない」という弱さの認識とは食い合わせがあまりよくなく、手段の確立に苦労している(書いていて思ったが、性教育や薬物の危険さを学ぶことの難しさも同じかもしれない)。
今後、どうしたらいいかは探っていくしかないよね、という感じだが、一つ面白かったのは、デジタル技術は基本的に、自主的な決定と自己責任を重んじる、いわゆるリバタリアン的な価値観によって推進されることが多いが、その行く末が「ユーザーにそもそも判断させる余地を与えない無意識下の攻撃」に成り下がってるのでは? という指摘は、皮肉でかなり響いた。
ジレンマをもう一つ。利益面で言えば、プラットフォーマーにとっては無思考に時間とお金を費やしてくれるユーザーが一番ありがたいわけだが、消費者もそこまでお人よしではない。「全然自由度が低いっていうか、なんかナメられてね?」と思うこともある。
そこで、「じゃあ自分好みにいろいろ選べるように協力しましょう」という良心的な運営もあるだろうが、「ユーザーが自分で自由に選べた、という感覚さえ演出できれば、実態は別でもかまわない」という方向に進んでしまう運営も現れうる。いまやテックジャイアントの在り方とは、消費者の自主性を尊重している姿勢を見せつつ、いかに自分たちの利益に誘導できるか、その妥協点の模索に陥っているのでは(そもそもの理念はそんなじゃなかったはずなのに…)という見方も紹介されており、面白かった。
本年ベスト級。下で紹介している『アルツハイマー病の一族』がなければ1位だった。
九州の農協に勤めていたあるエース営業マンの不審死を追ったドキュメンタリー。
一人の優秀なサラリーマンが、組織内にも地域にも一つの「帝国」を築き、邪魔者は排除し、しかし、最後は(おそらく)破滅した様が描かれる。
大げさな言い方をすれば、社会における悪とは何かを考えさせられる作品。主犯とされる男が周囲の人に行ったことや、横領行為は悪いに決まっている。しかし、こんなやつは罰さなくては(もう本人は亡くなっているが)、という義憤がときどき迷子になってしまうのは、「本当に彼だけが悪いのか?」、そして「そもそも、この社会はこうした『悪』を罰せられる構造になっているのか?」と思ってしまうから。
読み進めると、彼が所属していた組織もお金の流れもあまりにいい加減で、根本的に腐敗しており、システムの中心としてそれを差配していた彼の周囲に群がっていた同僚や市民も、何か妙なことが起きていることを薄々察知しながら甘い汁を吸い続けていたことがわかる。
つまりこれは、悪事と責任が彼以外にも分散しているということなのだけど、もう一つ思うのは、そもそも社会というのが、本質的に悪の所在をあいまいにし、「悪」でさえなくす、ロンダリングする仕組みなのではないか? ということである。
どういうことかというと、物事や手続というのは本来は筋道や道理があり、それらにのっとらないといけないはずなのだが、これを四角四面に処理しようとしても遠回りになるだけで何の意味もないことが往々にしてあり、そして、よく言えばそれを円滑化する、悪く言えば本筋をねじ曲げることのできる人物がどこにでもいるもので、結果としてその人のおかげで、(あくまで、そのコミュニティの中では)物事がうまくいく、ということがよくある。
肥大化&形骸化したナンセンスな仕組みなら見直せばいいのだが、組織にそんな向上心もリソースもなく、それでも体裁を取り繕わないといけないとき、それを(自分の利益とブレンドしつつ)調整する役目を負う者が求められ、必然的に出現するとしたら、その誰かを悪と断じることの意味はなんなんだろう? と思ってしまうのである。
もちろん、シンプルに悪事は悪事であるという答えはぼやかせない。
盗んだり誤魔化したり、他者をいじめたら悪いに決まっている。当然のことだ。ただ、システムを悪用して悪事の限りを尽くすやつと、有能ゆえに組織の悪徳を背負わされて破滅するやつが、同じ人物ということもあり得るよな、とは思う。
19世紀のコンゴを舞台に、西洋文明による資源と労働力の搾取を描いたジョゼフ・コンラッドの小説。1902年刊行。
ホラー作家である平山夢明の短編『すまじき熱帯』がまず面白かったのがあり、その元ネタがたぶん、フランシス・コッポラの『地獄の黙示録』であって、その原作が『闇の奥』…という紆余曲折あって手に取った。
例えば気まぐれに古典を読むと「名作ってやっぱすげえ」と思うことが多く、実はこれは意外ではなくていまの俺たちの価値観や言葉の下地になっているものである以上、それなりに当たり前のことなのだが、はじめて読んだ『闇の奥』も例に漏れず強烈だった。
基本的にこの作品は、西洋によるアフリカの搾取、強制された苦役と恥辱の物語として読まれている。有名なセリフである「地獄だ!地獄だ!(the horror!)」も、まずこの視点から解釈するべきで、それは先進国に必須の認識だと思う。ちなみに、 セリフを発したのは現地で開発を差配していて発狂してしまったクルツという西洋人。
一方で、個人的な印象としては、クルツにある種の英雄性を感じてしまったのだった。
暗黒大陸とも形容される当時のアフリカの奥地に、「文明の担い手」として一人で立ち向かった人間。「闇」と「文明」が接する最前線で彼が発した「地獄だ!」といううわ言は、その言葉自体が、未知の世界から切り出されて西洋側に持ち込まれた(負の)成果物であると思う。『対馬の海に沈む』でも思ったが、俺は腐敗した組織の一員である誰かが役目に邁進し、自身の欲望と背負った責務の中で破滅するナルシシズムが好きなんだろう。
もちろん、コンゴの側から見れば、勝手にやってきた侵略者の一人が勝手におかしくなって破滅しただけであり、そこにヒロイズムを感じるのは先進国の大変な欺瞞だと思う。加害と被害の歴史は前提として理解しないといけないし、意見を発するうえでバランスは気にかける必要があるのだが、↑のような感想を抱いてしまった。
余談だけど、今年刊行された本に『ブラッド・コバルト』というすさまじいノンフィクションがあり、同じコンゴが今度はハイテク機器に使用されるレアメタルの産出国として、ふたたび西洋社会による深刻な搾取を被っている様子が描かれている。
医師として病院に勤務する主人公。ある日、救急で運び込まれてきた心肺停止状態の患者は彼とうり二つの顔をしていて…という導入から始まるミステリー。
2025年はミステリーやホラーを中心に15冊ぐらい小説を読んだんだけど、その中でもぶっちぎりで面白かった。
※ 以下、少しネタバレ。注意
今作の優れたところは、冒頭の謎をオチまで温存することなく、あくまで読者を引き付けるためのフックとして割り切ったところだと思う。
導入部分の真相については、正直「科学的にあり得るならこうだろうな」という域を出ない。それを冷静に見越したうえで、いわばロケット(作品)を高く飛ばすための燃料として中盤で切り離し、さらに高い地点への加速と突破は他の要素や伏線回収で狙う、という戦略だと感じた。別作品の批判になるが、同じようなネタを武器として最終盤まで引っ張ってしまったミステリーも同じ年にあり、個人的には格が違った印象がある。
ベタな表現になるが、後半もどんでん返しが続き、飽きさせない。逆に言えば、スキャンダラスな波乱の展開をいくつ詰め込めるかを始点に逆算してつくられた感じはある。これを品がないと思う人もいるかもしれないが、こだわりがない人は面白く読めると思う。
後半に続く。
全て税抜き
国産銘柄米:3,899~4,757円 ※最高値は山形「つや姫」
輸入米 :販売なし
※オーケークラブ会員かつ「現金」か「はまPay」で支払った場合の価格
※非会員やカード払いは+3%
国産銘柄米:3,890~4,390円 ※最高値は新潟「コシヒカリ」
ブレンド米:3,590円
輸入米 :3,380円 カルローズ米
輸入米 :3,290円 台湾米
パスタ :500g115~148円(イタリア産/スパゲッティ、リングイネ、カッペリーニ/1.1~1.9mm)
パスタ :4kg1,220~1,270円(同上)
ブレンド米:3,780円
輸入米 :2,780円 カルローズ米4kg
輸入米 :販売なし
国産銘柄米:3,998~5,580円 ※最高値は新潟「新之助」
輸入米 :販売なし
パスタ :1kg198円(UAE産/DonaVita/1.7mm)
パスタ :1kg228円(トルコ産/イオンPB/1.4mm、1.7mm)
国産銘柄米:4,798~5,498円 ※最高値は新潟「新之助」
輸入米 :3,498円 カルローズ米
まだ販売自体は継続しているという話だが調査機関外でも見かけたことがない
イオン系列が8月に4kg1,980円のカルローズ米を売り出した辺りで底を売った
パスタでいい
もろに地域性が出るので、本ブログでは書くことができないですが。
良いお店ではあるので、せっかくなので匿名ダイアリーの方を利用します。
https://maps.app.goo.gl/BVPjf71vJt6RzvoM8
インスタもされている模様
https://www.instagram.com/mikuni_cafe_at_truck
最初のきっかけはなんとなくではありましたが、いろいろと面白いお店です。
あくまで布教目的のようで、価格もブレンドコーヒー200円とリーズナブルかつ、コロナで失われた、店員さんやお客さんとの交流ができるお店です。
今年の7月ごろからされているようで、牧師さんというのは比較的穏やかではある一方で、厳かなイメージがありましたが、フランクで愉快なお兄さんがお店をしています。
豆についても、こだわりがあるらしく取り寄せていて、質の高いコーヒーを飲むことができるのもポイントで、最近であればコンビニで買うことができることにはできますが、会社など以外で利害関係のない交流が楽しめる貴重なスペースだと感じます。
個人的にそのようなお店は少なく、面白いと感じたので共有します。
たまたま訪れる機会があれば、ぜひ行ってみてください!