はてなキーワード: SFとは
ジークアクスもそうだったけど、本筋が属人的で、特定の人物でないと成立しない。盛り上がるセオリーだけど、一般化できないのでスケールしない。これがセカイ系の構造。
https://x.com/nojiri_h/status/1982418203935748460
そもそも小説は「特定の人物でないと成立しないような小さい話」だから小説(そういうミニマムなとこをクローズアップしないと見れないものも世の中にはある)なのだが
それを「そんな小さい話を読むのは嫌だ! ひとつ読んだら大きいスケールじゃないと嫌だ!(だけど学問を真面目に勉強して大きい話にちゃんとコミットするのは面倒くさい)」という、めんどくさがりの大衆のために用意されたのが
「小説だけど大きい話できますよ」と小手先でやらかすミステリやSFだったのに、
いつのまにか「大きい話ができない普通の小説はだめだ、やはりSFだ」みたいな頭おかしい認識になってしまった
お前らは任天堂が90年代に放ったあの“立体視ハード”の挑戦をまったく理解していない。
まず、バーチャルボーイはただの赤一色ディスプレイじゃない。あの赤色は、当時最高精度のLEDドライバーによって制御された特殊発光だ。視差を生むために左右2つのディスプレイを同期し、1,024×240ドットという未知の解像度を1秒間に50フレームで描画する。これを1995年の据え置き機で実現したこと自体が狂気の沙汰だ。
しかもヘッドセットは、あの小型筐体にも関わらず、ニッチな「リアル3D」を可能にする視差調整機構を内蔵していた。自分の目幅に合わせてレンズを微調整しないと飛び出して見ない、まさに“職人仕様”の意識高いギミック。今のVR機器が頑張っても、あの軽量ボディには届かない。
お前らが知らんのは、バーチャルボーイ用ソフトの画期性だ。『レッドアラート』の3Dシューティング、『テトリス』の奥行き演出、『テニス』の実寸大スイング――すべてが当時の技術限界を叩き破っていた。赤一色だから奥行きが感じられるなんて、ふざけた思いつきに見えるが、あのコントラスト設計が人間の立体視を極限まで活かしたんだ。
それに重低音サウンドチップ搭載で、バーチャルボーイの音楽は専用イヤホンで聴けば、頭蓋骨を震わせる迫力。SF映画のワンシーンのように、自分が無重力空間に浮かんでいるかのように感じる。あの体験は、ポリゴン黄金期どころの話ではない。
お前らが見逃しているのは、任天堂というカルチャーの真髄だ。成功を要求される大企業が、リスクを恐れず失敗作を世に出す勇気。それが「ゲーム業界を前に進める」という覚悟だ。バーチャルボーイは商業的に失敗したが、そこで培った立体視ノウハウはその後の3DSやSwitchのジョイコン振動技術に活かされている。
さあ、お前たちもあの赤い世界に飛び込んでみろ。
アルガスタ戦記 ~ジーナ編~ の 第一話 プロトタイプ についての感想などを書いたものです。
ここにあります。
アルガスタ戦記 ~ジーナ編~ | 小説 | 無料小説・小説投稿・登録サイト | ツギクル https://www.tugikuru.jp/novel/content?id=66620
幾度かの活動休止と復活を繰り返し、現在もチャンネルが存在するyoutuberであるsyamu氏が作者である小説作品です。
これは氏の過去作である『ゾット帝国騎士団カイトがゆく!~人を守る剣の受け継がれる思い』及び『ゾット帝国親衛隊ジンがゆく!~苦悩の剣の運命と真実の扉~』をリブートした作品だとされています。
物語そのものに直接的な繋がりは無く、あくまで世界観やキャラクターの一部を再利用し、新たな作品として再構築したもの……とされています。
元々この作品はsyamu氏が自費出版すること目指して執筆されていたものでしたが、諸般の事情により企画そのものが中止となり、2023/6/27から『三日間限定で』第一話のみを公開することになりました。
ここで話すにはとても紙幅が足りないので適当に調べていてください。
Twitter:https://twitter.com/syamu3132
youtube:https://www.youtube.com/@user-syamu_YouTube/featured
Syamu_Game - ニコ百 https://dic.nicovideo.jp/id/5263954 #nicopedia
ゾット帝国 - ニコ百 https://dic.nicovideo.jp/id/5502394 #nicopedia
ただしよくある剣と魔法の世界ではなく、近代的な文明レベルで魔法とか不思議な力も存在する世界のお話のように見えます。
だから厳密にはSFファンタジーとかロボット系SFっぽくも見えるかもしれません。
以下あらすじ
夜空を飛び、『プロトタイプ』なる兵器を運ぶ輸送機が、嵐を前にして進路を変更するところから物語が始まります。
機内では『プロトタイプ』の最終調整が行われている最中でしたが、この段階になって深刻な不具合が見つかります。このままでは明日に行われるはずの軍事演習でプロトタイプが暴走してしまう可能性があると。
研究員たちはプロトタイプの不具合を修正しようとしますが、上手くいきません。それどころか、今度は嵐の影響が予想以上に大きく、輸送機は嵐に巻き込まれてしまいます。さらに落雷を受け、輸送機の電子機器は破損。エンジンが一機停止した上に、ついにはプロトタイプが起動。機内で暴走を始めてしまいます。
騒然となる輸送機内。プロトタイプは暴れに暴れ、ついにはキャノン砲で輸送機に穴を空けてしまいます。
最終手段として、大佐はプロトタイプに仕掛けられた自爆装置を作動。
大佐はキャノン砲が空けた穴から機外へ放り出され、プロトタイプは大破状態でハッチに引っかかり、脱出路を塞いでしまいます。
しかしパイロットは機体の操縦桿を握り続け、何とか飛行機を街の向こうの森まで飛ばすよう奮闘します。
そして副パイロットには後部ハッチを開け、脱出路を確保するよう指示します。機内後部でプロトタイプが燃え続けてしまえば、墜落を待つことなく燃料に引火し、空中爆発してしまうと。
激しい風に耐えながらも、なんとか後部ハッチを手動で開くことに成功する副パイロット。
しかしここでパイロットから通信が入ります。パイロットは輸送機が街を抜けたこと、自身が『レギオン』に所属していたこと(過去形?)、そして副パイロットがこの輸送作戦を破壊するために送り込まれたスパイであることも知っていて、その情報を大佐に売ったのだとも。
言いたいことを言った後、パイロットは副パイロットを銃撃してからパラシュートで輸送機から脱出してしまいます。
副パイロットも、腕を撃たれていては機内にしがみついていることはできず、外へ投げ出されます。
絶体絶命。
しかしそこに飛翔して現れた少女が、副パイロットを不思議な力で落下から救います。
少女の名はミサ。そして副パイロットのことを少女はレオンと呼びます。
そしてレオンは何処かにいる上司に無線通信で報告をします。プロトタイプは消滅したと。
という感じです。
第一話のみなので、なんとも言えないところもあるのですが、個人的には『web小説全体では』それほど酷いと言われるようなモノではないという印象です。
例えば再序盤の
大型軍用機が曇り夜空を縫う。
の『夜空を縫う』という表現はなかなか情緒的とも言えるし、部分部分ではちょっぴりイケてる部分もあります。
ただ。
機内には両耳が立ち紅い眼と鋭い牙で顔がアーマーに覆われ、四本脚で肩と脹脛がアーマーに覆われ鋭い足爪、お腹もアーマーに覆われ背中に大きな二本の砲身、肩に小さな二本の砲身、お尻に二つのブースター、長い尾もアーマーに覆われ尾の上下が尖っている金属の大型の獣が肩と両脇腹に太いケーブルで大型装置に繋がれて異彩を放っている。
とか
遠くから淡い栗色のミディアムヘアでメカゴーグル付けリボン付きブラウスとチェック柄のジャケット着て背中にブースタースーツ装着して蝙蝠の翼が伸び、ジャケットと同じチェック膝丈パンツ穿いて黒白の縞靴下穿き、手足にパワースーツ装備した女の子が虹球に包まれブースター吹かし飛んで来て副パイロットの頭上で両手を広げた。
とか、書きたい情報を一気にワッと描いちゃうのはちょっと良くないクセだと思いました。
こういう場合はまず『なんとなくのイメージ』をパッと書くほうが小説らしくなるのですが……
他には
の直後に
また機体に大きな雷が落ち、機体が大きく揺れて太いケーブルを持った研究員達が体勢崩す。
また雷の電気が機体から機内の大型装置へと太いケーブル伝いに青白い電気が走り、太いケーブル持った研究員が感電して焼き焦げ皮膚が焼ける臭いがする。
『元同志よ! 私もレギオンだったよ! 街を抜けて森に入った! お別れの時だ!』
『不思議そうな顔してるな! フライト前お前の情報を大佐に売った! 高く売れたよ! 元同志としてお前を泳がせた! 爆破装置を起動した! 私は脱出する!」
とか、一方的に言いたいことだけを言い放題する裏切り者とか(機内放送で言ってるはずなのに、わざわざ顔を確認してたの?)
とはいえ、きっちり良い所もあって。
映画的に派手な演出で緊迫感を出せているとか、キャラクターのセリフ回しもそれなり雰囲気はでているとか、この調子で頑張れば面白くなりそうなところも無くはありません。
総評としては『web小説のアマチュアとしてはそこそこ』くらいです。ランキングは無理かもしれないけど、好きな人はいるかもね。くらいに。
この記事を書いてる途中でsyamu氏がツイートしていました。
https://twitter.com/syamu3132/status/1673619504361000960?s=20
ゾット帝国リブート酷評している方は自分もネットに作品を投稿してから言おう。あと自分も家バレで嫌がらせされて同じ土俵に立ってからだと同じ事言えるだろうか?
https://twitter.com/syamu3132/status/1673623958745399297?s=20
ゾット帝国リブート第一話糞つまらないと言われ安心した。こんな怪文書書籍化中止で良かった。二話公開しなくていいので安心だ。ポテチさん本当にお疲れ様でした。短い間でしたがありがとうございました。
まあ。もう多くは語りませんが。こういう人の作品ってことです。
どっかで書かれてたけど青心社と講談社で固められててカドカワはハブられてるため
紅殻のパンドラはアニメだけが年表に載ってるという、ちょびっとだけ抜けのある漫画家としての士郎正宗をクローズアップした展示
清書原稿の前の鉛筆原稿が残されてて、何段階も下書きを経てかなり綺麗な形の原稿として作られてたり
ペン書き原稿にオノマトペを上から被せる形でクリア原稿が別になってたり
PC絵描き作業が出てくるずっと以前から手書きでレイヤーな描き方を成立させてるのが
作中プロパガンダ書き込みみたいのをオノマトペと同層のクリア部分に書き込んでるの、
ホワイト修正とかありえん、って感じなんだろうなという、潔癖症のような綺麗すぎ原稿ばっかだった
といった、手書き原稿展示なので、メインはお馴染みアップルシードドミニオン攻殻オリオン
売店で古今伽姫草子集という画集というかエロ画集の大判を買って肌色成分を補充
その絵と同じぐらいのスペースがいつもの文章で埋め尽くされてるというモノなのだが
「古典ベース + 女体化 + 関係あるんだかないんだか衒学なんだか駄法螺ってんだかよくわからないが凄い長文」という組み合わせに
うわFGOだ
と想起してしまった
うーん不敬(そこまでシロマサに敬服してるわけではない
と、いったんFGOを想起してしまうと色々と考えてしまうもので、
まず思うのは型月の元々ってシロマサの影響あるんだろうか
一方がサイエンス(SF)畑、一方がミステリ畑で、依拠する文脈が違うのは明白
絵的には社長絵は内藤泰弘とか方面で、辿ってくとシロマサいないわけはないだろうけど直接感はあんましない
CG以降もシロマサは割と素にCG初期のグラデーションやら光沢やらテッカテカ方面だし
ステイナイトの頃も手書き感を残してた社長絵はあんま影響って感じがない
と、FGOはそもそも型月コンビ作というより他メンバーの色のが濃いんだったと思い出す
つまり桃太郎風エロ娘や風神雷神風エロ娘やカチカチ山風エロ娘はあくまでFGOぽいのであって型月ぽいわけではない
ふむしかし、と別の方向に考える
節操ナシが最大の売りのFGOは、なんで士郎正宗に礼装イラストやキャラデザを頼まないんだ?
今までだってユーザー無視してFGOの既存のデザインと噛み合わなそうな絵を描く大御所をゴリ押しで捻じ込んできたのだ
士郎正宗にエロ女体化英霊デザインを頼むなぞ、俺が思いつくまでもなくやってそうなものだが
……と、
ここまで無駄につらつらと考えて、ア、と気づく
奈須と、自分の世界観テキストをゴリゴリに押し込む士郎正宗とでは、テキスト面で衝突して合流できるわけないわ
おわり
前回、「3話目でようやくテーマに対しこちらの理解が追い付いてきた気がします」などと書きましたが、まったく追いつけていませんでした
ごめんなさい
はっちゃけ回はあるだろうなあ、ぐらいの予想しかしてませんでした
展開の広がりと、広げたところから身近なテーマに落とし込むストーリーにまとめつつの冒頭の場面までちゃんと帰ってくる構成力が凄まじい
プロが本気で作るとすごいや
シーン単位ではラクダのコブすごい。ギアチェンジで話が一気に加速する場面でした。いかにも古典的な演出ですが、これは直接的な元ネタあるんでしょうか
恥を晒しつつ、4話までの共通要素をあえて考えると、もう「各話のお題がSF」しか残ってない気がします
とすると、これは確かに竹本泉に全体のイメージを決定するキャラクター原案を依頼するのがベストチョイス
「竹本泉じゃないノイズを取り込んで~」などと偉そうに吹いた己を恥じるのみです
春藤監督が助監督を務めた「プリンセスコネクト! Re:Dive」アニメ1期は昆虫食の話(ゲーム原作は魔物食)
単独絵コンテを務めた8話はギルドリトルリリカルの子供たちが合鴨農法の合鴨のヒナと仲良くなる話
なんとなくお題が繋がっている気がします
予告やOPで出ていたタヌキ家族の初顔見せ回、想定を軽く上回る強烈さでした。
タヌキ星人の故郷の星の「ナワバリ争いで環境破壊が進み自分たちが住めなくなってしまった」という説明、旧来のSFものの題材でいうと国家間の確執と核戦争による放射能汚染のモチーフがすぐ思い浮かびますが、抽象化アレンジがうまく、「何が起きたか」を言葉での説明でなくタヌキの生態としてシナリオ展開に織り込んで体感として伝えてくる上手さが際立ちます。
視覚や嗅覚に訴えて説得力が段違いな上に、「ナワバリ争い」という抽象化の段階を踏まえているため、往年の核戦争放射能汚染や重工業による環境破壊といった手垢のついた話に留まらず、近年の経済圏衝突を巡っての、経済影響力拡張に沿う形で歪んで拡大していく環境破壊まで類推の範囲が広がり、現代性ある話になっています。
人類が未知のウィルスによるパンデミックで地球を捨てた一方で代わりにやってきた異星人が自らの環境破壊で故郷を捨てた存在であるのは、全方位的な目配りなのか、何か意識した狙いがあるのか
ポン子とフグリの大騒動は古典的なアニメーションの方法論を踏まえて全力で暴れさせており、演出がロジカルな組み立てで構成されてるのを強く感じます。あのロビーでやれそうなことは全部やる、やり尽くすという力を込めたシーンで、模範的演出という意味で教科書的ですらある。
ヤチヨさんの竹本泉原案から大きく崩した表情ですが、金﨑貴臣ぽさに加えてガイナックスぽさも参加してきており、監督の経歴を追いかけているようです。
ED後のシーンについてですが、3話目でようやくテーマに対しこちらの理解が追い付いてきた気がします。OP曲の不協和音と不穏なダンス演出、それがそのまま作品の演出テーマなのでしょう。
おさまりの良い既存の単語、それこそ「竹本泉」、「ポストアポカリプスもの」、等々の「理解」に沿うことなく、意識的にノイズを取り込み、安定から外れた危うさと付き合いながら壊れない一歩手前を探るようにして均衡点を目指していく。一言で説明して終わらせたい今どきからはっきりと背を向けた作り、ということかと思います。反応する側もどう反応していいか躊躇する(どう脊髄反射を返すのか学習できないので)、骨太な作風、と言っていいのではないでしょうか
【追記】04/15 16:30
こういうプロ驚き屋な記事をかくと、反応が入れ食いになるのがブクマのよいところですね。
ただ、コメントを読んだ感じ、どうにも僕が作品の中の起こってる事象そのもの以上に、そこで起こる人間の心理や価値観、欲望の表出に驚いてることがいまいち伝わっていなくて、自分の筆力の無さを感じている。
そもそも価値観や人間の心理って、線形の延長線上にあるテックな未来と比べると、イレギュラーに変化するゆえに想像つかないと僕は思っているが、どうにもブクマカは人間の心理は一定で変わることはないと思ってるようで、その辺が齟齬の原因かなと思ってる。
あと、下に書いてるけど、1994年発刊だけど、この小説の初出は1992年だからね。なのでパソコン通信である種の文化があったのはわかるが、インターネットはすでにあったみたいな指摘してる人は頓珍漢だからね。
とはいえ、僕は小林恭二が忘れられた作家になるのはもったいないと思ってるので、もっとこの本を含めて読んでほしいなと思います。
あたりがおすすめです。
僕にとって、この人と薄井ゆうじの二人は、森見登美彦と万城目学のようなコンビのイメージなんですよ。
【追記終わり】
小林恭二という作家がいる。いやいたと言ったほうが近いかもしれない。今は専修大で作家育成をしていて自作は15年くらい発表していないと思われる。
僕は30年近く前の大学時代、この作家が世界で一番好きな作家だった。今もベスト5くらいには入る。あの頃読んだ現代作家の多くは、だんだんと思想の方向がどうにも自分と合わなくなってしまい作品を読むこともなくなった(すべては不用意な発言を垂れ流すTwitterが悪い)のだが、そういうのをやってなかったこともあって小林は今も好きなままだ。あと、もう一人薄井ゆうじという作家も好きだったがこの人も作品を書かなくなった。
きっかけは高校時代に書評欄に数行紹介されていた「ゼウスガーデン衰亡史」だった。のちに福武文庫で買ったその小説は、主人公がいない群像劇で今までに見たこともないとてつもなく魅力的な小説だった。のちの書評なんかを読むと「 『虚構船団』 の影響が大きすぎる」と言われたが、僕には「虚構船団」よりも「ゼウスガーデン衰亡史」のほうがはるかに好きだし、いまでも面白い小説の基準はこの小説になっている。この小説よりおもしろいことは小林の他作を含めてもなかなかないのだが。まあ、この作家を読んでたことで僕は今も奇想の強い小説や奇書が好きである。レムの「完全な真空」なんかも好きだ。
年末に書庫を整理したところ、小林恭二の「短篇小説」という単行本が出てきた。奥付を見ると1994年だが多分貧乏大学生の自分が買ったのは1,2年程度たった後の古本だったと思う。小林先生申し訳ない、たぶん自分が新刊で買ったのは数冊しかない。
何とはなしに読み直すことにした。けっこう好きな短編集だったが、特に好きなのは冒頭からの3作「光秀謀反」(戦国時代の戦国大名は、ハプスブルク家とつながっていた信長など、ヨーロッパ諸侯とつながっていたという話。めちゃくちゃ面白い)、 「豪胆問答」(生まれてこの方驚いたことない侍が化け物に遭遇する話、面白い)、「バービシャードの49の冒険 序章」(英雄バービシャードが冒険に出るまでの話。続きが読みたい)だったので、それ以外はあまりちゃんと読んでなかった。たぶん全部を丁寧に読むのは21世紀に入ってから初めてだろう。
なんかかなりグッとくるエロイ話とかあって、あれ、こんなにセクシーなのを書く作家だっけかと思ったりしたのだが「磔」という短編を読んでとんでもなくびっくりした。これ、現代の話じゃね??とちょっと動揺してしまったけど、共有するところが見つからなかったので増田で書き散らそうと思い書き始めている。いちおうKindle版もあるようだが、バッキバキにネタバレと引用をするので、ネタバレ回避したい人は読むのやめましょう。とはいえ、10編ある短編の一つなので1編程度のネタバレがあっても十分面白く読めると思うが。
主人公の男性はN区(都会の幹線道路沿いだというから中野区あたりかね)にあるビルの27階にある住居兼仕事場で暮らしている。主人公の仕事についての描写
わたしは、現在とある不動産会社にアナリストとして勤務している。仕事は、電話線を通してコンピュータに送られてくる膨大な情報の検索及び処理で、パソコンと電話機があればどこにいても可能な仕事のため、専ら自宅で仕事をしている
えっ、これリモートワーカーじゃね?? さらに続く文章に驚かされた
会社に行くのは一か月にせいぜい一度か二度くらい。近頃は外に出るのも億劫になり、買い物も通信販売と宅配サーヴィスにたよっているから、部屋を出ることも稀だ。
十年位前まではよく、そんな生活をしていて社会とのつながりが希薄にならないかと問われた。
私は答えたものだ。
「もともと会社や社会とのつながりを希薄にしたいために、こういう職を選んだのだ。わたしとしては月に一度程度会社にいくことすら面倒くさい」
これが2020年ごろに書かれた作品なら普通だろうけど、さっきも述べたように奥付は1994年。この作品の初出は1992年である。30年以上前の作品である。
小林はけして、現代SFの作家などにあるような科学的な考証などを積み重ねて世界を描き出す作家ではない。
実際、この後、主人公は仕事を終えて、自分用のパソコンのスイッチを入れるのだが
パソコン通信でクラシック音楽情報を専門に扱うネットにアクセスする。
ちなみに現在かかっているモーツアルトの歌曲は、昨日ネット内で教わったもので、近くのビデオ屋(CDも貸し出している)にファクスして取り寄せたものだ
と、ネット通販どころかインターネットすら登場しない。パソコン通信の会議室だ。(このニュアンスの違い、増田を読む人ならわかるだろうから説明は省く)
作者は自分の想像力の範疇だけで書いているのだ。おそらく小林氏は当時パソコン通信をやっていたと思われるのでそういう描写なのだろう。
どうやら、このクラシックの会議室には太陽暦氏というモデレーターがいて、今日のおすすめを教えてくれるらしい。(この辺、僕はパソコン通信詳しくないんだが、パソコン通信でこういうことをやってる人はいたんだろうか。誰か詳しいネットの古老の方は教えてほしい。)
ちなみに太陽暦氏はハンドルネーム、つまりパソコン通信ネット上のペンネームで、無論、ちゃんとした本名もあるのだが、ネット上ではハンドルネームで呼び合うのが礼儀となっている
太陽暦氏は私のほか何人かのクラシック初心者のために、三か月の間毎日推奨のレコードを挙げてくれることになっている。
それでもって翌日に曲の聴き所などレクチャーしてくれる。
年をとった人に言うと、それでいくらとられるのだと聞かれる。
無料だと答えると大概驚く。
こちらのほうが驚く。
この辺は、ちょっと時代が2周くらいした感じはある。現代社会、やはり情報は商品になっている。むしろこの時代よりはるかに商品度は高い。2000年代前半くらいまでのネットの価値観ではあるが、まあ、今も一部の分野、特に趣味の分野では無料になってる面はある。この後、情報についてのT.ストウニアの「情報物理学の探求」という本からの言及がある。ストウニアとこの著作は実在するようだが、現代社会でどういう評価なのかはちょっとわからなかった。忘れられた学者みたいな感じなんですかね。
まじで今の話じゃないの?
哲学の会議室で「かなり痛烈な罵倒用語を駆使」してメッセージを書き込んで去り、夜中に反論の嵐が巻き起こるのを期待している。荒らしかw
バーといっても本当のバーではなくネット上におけるバーである。
ここはバーカウンターにいるような気持ちで人のメッセージを読み、あるいはメッセージを書き込むという、いわば言葉の上でのバーを形成している
2ちゃんのバーボンハウスみたいなもんか。いや、あれは釣られて受動的に行く場所だから違うか。これもパソコン通信で実際にあったやつなんでしょうか。
まあ2ちゃんの雑談スレッドやXなどでなれ合いをしてるような感じだろう。
ここで主人公は、その日の夕方に自分だけが得たとっておきの情報を披露する。その情報が何なのかはまあ表題でネタバレしているが割愛しておく。
書きながら私はぞくぞくしていた。それは渇望していた情報を得たときの快感と対をなすものだった。それはパーフェクトな情報を発信する快感である。
この気持ちに心当たりのある人、手を挙げて! はーい! だからこのエントリーを書いてるんだよ!!
これってつまりバズる感覚ですよね。ネットでバズることの気持ちのよさをこの作者は30年前に理解していたのだ。いくら小説家という職業とはいえ、この感覚を90年代初頭に持っていたのは相当に新しいのではないだろうか。ほんとに深く驚かされた。
主人公の情報は狙い通りにバズり、彼はその日のその酒場での「英雄」となった。
そして翌日、彼は新聞で自分のバズらせた話題の件について読む。ここで新聞というメディアへの評価も非常に今の時代っぽいので引用しよう
こんな感じの印象を新聞(だけでなくオールドメディア全般)に持ってる人多いでしょうなあ。
最初にリモートワーカーの意味を言い切った時点で、うわっすげえと思ったのだが全部読んで、とにかく小林恭二の凄みを感じさせられた。
乱暴な話だが、資料をある程度収集して咀嚼すれば、未来社会がどんな風になってどんなものがあるかは書くことができる。それが30年後の現在と適合していても、ああ、資料よくそろえたね頑張った頑張ったくらいの感想どまりである。しかし、その未来社会で、人がどういう価値観を持ち、どういう欲望をどのように満たそうとして行動するかまで描いたら、そして、それが後世の人間からして違和感のないものであれば、まったく意味合いが違ってくる。
もし、僕が今時の書評系TikTokerのように「30年後のSNS社会を予見したとんでもない短編!!」とか宣伝したら、バズってこの主人公のような「パーフェクトな快感」を得られるだろうか?
参考文献(アフィはないのでご興味あればどうぞ)
ジークアクス未見です
噂話で勝手に憶測するにジーク・アクシズのもじりで、地球の重力に囚われちゃう富野本流路線でなく木星圏、
なんならその先まで太陽系に生存権を拡大した人類みたいなバリエーションなのかなと
なので、そういう前提で書いてます
シャリアブルって富野由悠季展なんかでも晒されてた制作前準備ノート(展覧会の図録で読めます)では、本来、
どうもアムロの敵側メンターみたいな立ち位置の、終盤のすごい重要な人物ぽかったんだけども
監督自身はその制作前のプランにけっこう拘りがあって、小説で未練をぶちまけてたり、
ゼータガンダムの話の流れが(準備期間がなかったのもあり)そのガンダム制作前準備ノートの章立てに準じてたりしてて、
たぶんシロッコって人格者シャリアブルの反転させたイメージで造形してったんだろうなあ、と想像するんだけども
そんなシャリアブルおじさん
今になって下の世代に担ぎ上げられて出てくる理由はなんなのかなと
ニュータイプ、人類の未来への希望をつなぐ役、だったんだろうシャリアブルおじさんが
打ち切りの都合とはいえガンダム本編ではシャリアブルは脇に追いやられ、映画ではカットされ、
その後のニュータイプなんて単なる戦争の道具だった、未来への希望だなんて幻想だった、
ていう流れの遠因にもなったとこを今さらのように補修して、本編の方向をいったん捨てたいのかな
なんて
アクシズを地球に落とすのでなく、アクシズを人類の宇宙進出の希望へと昇華する、という意味をこめての、
20世紀のガンダムは、科学技術自体は無限に発展し続けると無謬として信じられてた一方で、
世紀末であるとか、環境破壊であるとか、行き過ぎた科学が人間性の大切なとこを見失わせてしまう、みたいな気分を前提にして、そこをドラマの拠り所にしてたと思うんだけども
技術の発展は思ったほどには順調ではなく、
20世紀なら青天井までは行かなくとも研究資金はきちんと調達させるイメージがあったのが、今は費用対効果を強く求められ、
人口は増え続けて地球はパンクしちゃうはずが、多くの国で高齢化に悩むようになり
つまり、ガンダム初代が前提としてた時代背景は、もう、だいぶ古臭い
じゃあガンダムのその後のいろんな展開は時代を反映してるのかというと、
そもそも作ってる人たち富野さんほどSF大好きじゃないし人類の未来にもあんま興味ないので、
ニュータイプとは、とか、人類の未来とは、みたいはことは誰も大して気にしてない
そんななかシャリアブルおじさんを出すということは、人類の未来をちょっとは気にしよう、という気になったのかしら?
でも、いまどき、SFをふりかざすのって、どうしたって全体主義的な色彩を帯びずにはいられないはずなんだけども
(実際、楽観的未来論をふりかざすテックな人たちの未来像って無邪気なまでに全体主義で、シャリアブルじゃなくシロッコになっちゃう)
そのへん、どう捉えてんのかな
未見でいろいろ垂れ流してみました
理由2:壊れた肉体を前提とした生活スタイルが求められるがJTCでそのような働き方は難しい
理由3:肉体が壊れたことで趣味や生活スタイルが急激に変化することで強いストレスがかかる
理由4:家族が支えてくれるといいのだが、こんな時に限って子どもが反抗期や不登校などで問題を起こす
理由5:同級生も家庭や自分の体に問題を抱えだすため他人に付き合っている余裕がなくなる
理由6:職場内においては「既に乗り越えた50代以上」や「何をそんなに狂ってるのか理解できない40代以下」が溢れており孤立しやすい
理由7:44歳の壁にぶち当たったあとなんとか1年耐えたものの状況改善の様子が見られない(突然肉体が壊れたという事実を受け入れる心の準備どころか、下手したらその認識さえまだ持てない)ことによって少しずつ溜まったストレスに精神が耐えきれなくなる
理由8:ストレスが溜まると「我慢が効かない」「思考力が下がる」「代償行動を繰り返す」などが発生するため、周囲から見ても自分から見ても狂ったようにしか見えない
大部分の人は狂うんだよ。
つうか自分が子供の頃を思い出して欲しいんだけどさ、自分が反抗期やる前後ぐらいの時期に自分の親や同級生の親が突然狂ってたりしたじゃん?
みんなこれぐらいで突然狂うわけ。
「狂わないようにする努力」は間違ってるんだよ。
想像してみよう
ちょっと推そうと思って「このXXってSFすげえ!神!」と書き込んだとする
そこに「いやXXは間違ってるから」」や「そのXXのアイデアは〇〇って作品の丸パクだから」と横やりが入る
また、なにより、気軽に「XXって神!」と気軽に騒ぐ層が「こういうツッコミをもらいやすいジャンルはビュー数稼ぎづらい」と学習する
読んで欲しいという欲望が抑えきれない作家は、少なくともランキング形式投稿サイトでは”SF”を書くのをやめる
SNS以前、10年前までなら、ネット経由の口コミはありえたと思う
もう編集者や出版社、批評家などのオールドメディア経由でないと露出が難しいのではないか
欧米の連綿たるメインカルチャーの伝統、教会や王権といった権威によって裏付けされたアカデミズムを前提として成立した科学主義を踏まえたインナーサークルに加入するという体裁が曲がりなりにもあって、それ踏まえた上での想像の自由を認めることで成立するジャンルなので
そのあたりを吹っ飛ばすスペースオペラが容認されるのも「こういうのを認めるのが伝統を維持する上で大事」という、カトリックの反宗教改革におけるバロック的演出の活用みたいな算段があるからで、バックに権威が控えてるのは同じ
書きあがってから少し論旨が整理できた気がするので、まとめなおし。
以下本文。
推進とか規制とかそのものの話ではなく、難しい話をさっぴいた個人として思う与太話です。
「AI使ってる!窃盗!」と生成AIによる絵の作成、LoRAとかの合法違法とか、倫理的にどうかとか、是非の話ではなく。
生成AIで絵を生成する人の感覚として、こういうのもあるのでは?という視点の話。
現状の生成って、話を聞く限り流れはイラリクに近いのでは?と思う。
違うのは、こっちで資料も指定も大量に用意する必要があること。自分が描いて欲しいものを、相手が自主的に履修してくれないし察さないので。
あとはリテイクを何度繰り返せることか?人間、それこそ納得いかず一日何百枚とか、そんなレベル何度も何度もやり直させられたら病むよ。
やり方は人それぞれだろうけど、いわゆる呪文とかをシチュとかプロット、LoRAとかをキャラ指定として考えると、人間がやってそうなことに近く聞こえる・・・ような気がする。
もともとAI絵師って、絵の生成AIサービス自体を指す言葉だった、みたいな話をどこかで見た。
当たり前だけど絵を出力(あえて描くと言わない)してるのは生成AI。
ユーザーは呪文という名のめちゃくちゃ細かいリクエストを生成AIに投げている。
あえてユーザーじゃなくてクライアントっていうのは、有償サービスだったり、後たぶんプロンプト自体が情報収集とか、出力された絵のタグ付け(学習)とかに使われてると思うから。
完全ローカルでやってる場合はまた違うかもしれないけど、少なくとも当初の頃はそんな話だったはず。
そう言う意味では、破格かつクリエイター側がものすごい赤字のコミッションみたいなもの・・・というと暴論だけど、そういうニュアンスが使ってる人にはちょっとあるのではないだろうか。
蔑称としてAI絵師という言葉を歪めず、「クリエイター」と「クライアント」の線引きをしっかりしておけば。
そうすれば、絵師側のアプローチの仕方もまたちょっと変わったのかな?と思う。
いわゆる呪文を使って絵を何度もリテイクして生成するのって、それなりに骨が折れると思う。もちろん慣れとかもあるだろうし、お金儲けを考えたらまた事情も違ってくるとは思うけど。
ただ生成された絵に絵師の絵が負けてるとは、当然、個人的に全く思ってない。
本当に人間みたいに思考して、作品履修して感想持って、フェチって線とかこだわりを持って絵を習熟する領域まで、まだ来ていない。
画風の話ではなく、個人個人固有のらしさというか、統一されたこだわりというか、上手くは言えないけどそんな感じのこと。
少なくともAI絵師という言葉が蔑称で無かったころ。つまり分断がkskしてなかった頃は、AIクライアントもまだよちよち歩き。
AIクライアントたちが必死に呪文でリクエストして生成してる時に、例えば「ちょっとお安くしますから、あなたのリクエストをいっぱい反映した絵・・・描きましょうか?」という話が飛んで来たなら。
そりゃ、相手はクライアントなんだから。欲するものを自分で描けないなら、それは物凄い誘惑になるのではと。
絵師の努力とクオリティが金額に見えれば。呪文の履修に飽きたりしたころに、自分のフェチが出せないとなれば。
全員ではないにしろ、選択肢としてその幅はものすごく大きかったと思う。
生成されたものに対する倫理的な嫌悪感やら絵としての気持ち悪さがあるからこそ、なおのことクライアントとクリエイターとしての線引きは、分断じゃない方が良かったんじゃないか。
長々とサーセン!
色々言いたいことあったけど、全然まとまってねぇわこれ。
たらればではあるけど、感情的なことを抜きにこんな与太話も絵師さんやクライアントや一般の人たち含め、過激化せず出来る環境だったら良かったかもしれないですね。
思う所はあるけど国は進めるし世界的にもゴタゴタしてるけど、乗り遅れるのはそれはそれで危険ぽい。
とはいえ急ピッチだからガバガバなので問題はいっぱい起きるけど、とにかく流れはもう変えられなさそう。
だったらせめて、どう生きたらいいか、生き残っていけたら良いか、業界的にもそんなことを考えてる感じです。
だって今起こってるのって、それこそ昔SFで見たロボットに仕事をとられる人間たちみたいな、そういう話な訳ですから。
感情的になりすぎずバランスをとって、業界全体が息の根を止められないようになれば良いな~、と。
サービスを指す言葉だったAI絵師というのが、わかりやすい個人の蔑称にされてしまった原因だと思う。
ゼロレクイエムじゃないけど、AI絵師にはペルソナがなかったし、AIクライアントにはペルソナがあった。
だからこそ、今だからこそ当時怒りを持っていた絵師たちは考えたことはないのだろうか。
いきなり無知晒しますが、業界全体でそういうキャンペーンってあったんですかね? あったとしたら、結構盛り上がったし、今の生成AIに対してもまた違ったアプローチがされてたのでは、と。
絶対何か諸問題が出るたびに色々作られて大変TLが愉快なことになっていたのではないかと(それはそれで過激化して危ないか?)
例えばNAIで言えばこの雑記を書いてる時点からすれば、サービス開始時期からみて3年とちょっと。
つまりあの「子」はまだ3歳。しかも最初は生まれたてでも文章すごかったのに、あっという間に絵が描けるようになっちゃった!
おまけに容赦のない大人たちから、一日に何枚も何枚も絵や文章を書かされる。知恵熱上げながらおやつ(電気)食べつつ涙目でカリカリと頑張ってる、と書くとちょっと可愛い・・・可愛くない?
センシティブ判定がガバガバだったTwitterのAIを「破廉恥は禁止です!」と言いながら色々見逃してこっそり自分は見て悶々としてるムッツリ系の委員長キャラに見立てるみたいな話ですが、あまり同意は得られないかもしれないです。
しかしキャラクター付けに成功していれば。生成AIを悪用して良くないことをさせる悪い大人たち、という図が見えて来るわけで。そうなると、またちょっと違った見え方はしてこないだろうか。
真に戦うべき相手や、考えるべきものが何であるか、みたいなことをもっと冷静に話し合えたのではないでしょうか、と。
・・・まあそうすると、いたいけな子にエロ作らせた場合の罪悪感とかも大変物凄いものになる訳ですが。えっむしろ興奮する? ま、まあ性癖は人それぞれですし・・・
というかこれに限らず、AIくんちゃんそのものへのヘイト創作とかも出てきそうだし、それはそれで駄目かもしんないな。う~ん難しい・・・