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2025-10-24

伊香保 寺田寅彦

 二三年前の夏、未だ見たことのない伊香保榛名を見物の目的で出掛けたことがある。ところが、上野驛の改札口を這入つてから、ふとチヨツキのかくしへ手をやると、旅費の全部を入れた革財布がなくなつてゐた。改札口の混雜に紛れて何處かの「街の紳士」の手すさみに拔取られたものらしい。もう二度と出直す勇氣がなくなつてそれつきりそのまゝになつてしまつた。財布を取つた方も内容が期待を裏切つて失望したであらうから、結局此の伊香保行の企ては二人の人間失望させるだけの結果に終つた譯である

 此頃少し身體の工合が惡いので二三日保養のために何處か温泉にでも出掛けようといふ、その目的地に此の因縁つきの伊香保が選ばれることになつた。十月十四日土曜午前十一時上野發に乘つたが、今度は掏摸すりの厄介にはならなくて濟んだし、汽車の中は思ひの外に空いて居たし、それに天氣も珍らしい好晴であつたが、慾を云へば武藏野の秋を十二分に觀賞する爲には未だ少し時候が早過ぎて、稻田と桑畑との市松模樣の單調を破るやうな樹林の色彩が乏しかつた。

 途中の淋しい小驛の何處にでも、同じやうな乘合自動車アルミニウムペイントが輝いて居た。昔はかういふ驛には附きものであつたあのヨボ/\の老車夫の後姿にまつはる淡い感傷はもう今では味はゝれないものになつてしまつたのである

 或る小驛で停り合はせた荷物列車の一臺には生きた豚が滿載されて居た。車内が上下二段に仕切られたその上下に、生きてゐる肥つた白い豚がぎつしり詰まつてゐる。中には可愛い眼で此方を覗いてゐるのもある。宅の白猫の顏に少し似てゐるが、あの喇叭のやうな恰好をして、さうして禿頭のやうな色彩を帶びた鼻面はセンシユアルでシユワイニツシである。此等の豚どもはみんな殺されに行く途中なのであらう。

 進行中の汽車から三町位はなれた工場の高い煙突の煙が大體東へ靡いて居るのに、すぐ近くの工場の低い煙突の煙が南へ流れて居るのに氣がついた。汽車が突進して居る爲に其の周圍に逆行氣流が起る、その影響かと思つて見たがそれにしても少し腑に落ちない。此れから行先にまだいくらも同じやうな煙突の一對があるだらうからもう少し詳しく觀察してやらうと思つて注意してゐたが、たうとう見付からずに澁川へ着いてしまつた。いくらでも代はりのありさうなものが實は此の世の中には存外ないのである。さうして、ありさうもないものが時々あるのも此の世の中である

 澁川驛前にはバス電車伊香保行の客を待つてゐる。大多數の客はバスを選ぶやうである電車の運轉手は、しきりにベルを踏み鳴らしながら、併しわり合にのんきさうな顏をしてバスに押し込む遊山客の群を眺めて居たのである。疾とうの昔から敗者の運命に超越してしまつたのであらう。自分も同行Sも結局矢張りバスもつ近代味の誘惑に牽き付けられてバスを選んだ。存外すいて居る車に乘込んだが、すぐあとから小團體がやつて來て完全に車内の空間を充填してしまつた。酒の香がたゞよつて居た。

 道傍の崖に輕石の層が見える。淺間山麓一面を埋めて居るとよく似た豌豆大の粒の集積したものである。淺間のが此邊迄も降つたとは思はれない。何萬年も昔に榛名火山自身の噴出したものかも知れない。それとも隣りの赤城山の噴出物のお裾分けかも知れない。

 前日に伊香保通のM君に聞いたところでは宿屋はKKの別館が靜かでいゝだらうといふことであつた。でも、うつかりいきなり行つたのでは斷られはしないかと聞いたら、そんなことはないといふ話であつた。それで、バスを降りてから二人で一つづゝカバンを提げて、すぐそこの別館の戸口迄歩いて行つた。館内は森閑として玄關には人氣がない。しばらくして内から年取つた番頭らしいのが出て來たが、別に這入れとも云はず突立つたまゝで不思議さうに吾々二人を見下ろしてゐる。此れはいけないと思つたが、何處か部屋はありませうかと聞かない譯にも行かなかつた。すると、多分番頭と思はれる五十恰好のその人は、恰度例へば何處かの役所の極めて親切な門衞のやうな態度で「前からの御申込でなければとてもとても……」と云つて、突然に乘込んで來ることの迂闊さを吾々に教へて呉れるのであつた。向うの階段の下では手拭を冠つて尻端折つて箒を持つた女中が三人、姦の字の形に寄合つて吾々二人の顏を穴のあく程見据えてゐた。

 カバンをぶら下げて、悄々しをしをともとのバスの待合所へ歸つて來たら、どういふものか急に東京へそのまゝ引き返したくなつた。此の坂だらけの町を、あるかないか當てにならない宿を求めて歩き※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はるのでは第一折角保養に來た本來の目的に合はない、それよりか寧ろ東京の宅の縁側で咲殘りのカンナでも眺めて欠伸をする方が遙かに有效であらうと思つたのである。併し、歸ることは歸るとしても兎も角も其處らを少し歩いてから歸つても遲くはないだらうとSがいふので、厄介な荷物を一時バスの待合所へ預けておいてぶら/\と坂道を上つて行つた。

 宿屋が滿員の場合には入口に「滿員」の札でも出しておいたら便利であらう。又兎も角も折角其家を目指して遙々遠方から尋ねて來た客を、どうしても收容し切れない場合なら、せめて電話温泉旅館組合の中の心當りを聞いてやる位の便宜をはかつてやつてはどうか。頼りにして來た客を、假令それがどんな人體であるにしても、尋ねてくるのが始めから間違つてゐるかのやうに取扱ふのは少し可哀相であらう。さうする位ならば「旅行案内」などの廣告にちやんと其旨を明記しておく方が親切であらう。

 こんな敗者の繰言を少し貧血を起しかけた頭の中で繰返しながら狹い坂町を歩いてゐるうちに、思ひの外感じのいゝ新らしいM旅館別館の三階に、思ひもかけなかつた程に見晴らしの好い一室があいてゐるのを搜しあてゝ、それで漸く、暗くなりかゝつた機嫌を取直すことが出來たと同時に馴れぬ旅行疲れた神經と肉體とをゆつくり休めることが出來たのは仕合せであつた。

 此室の窓から眼下に見える同じ宿の本館には團體客が續々入込んでゐるやうである。其の本館から下方の山腹にはもう人家が少く、色々の樹林に蔽はれた山腹の斜面が午後の日に照らされて中々美しい。遠く裾野には稻田の黄色い斑の縞模樣が擴がり、其の遙かな向うには名を知らぬ山脈が盛上がつて、其の山腹に刻まれた褶襞の影日向が深い色調で鮮かに畫き出されて居る。反對側の、山の方へ向いた廊下へ出て見ると、此の山腹一面に築き上げ築き重ねた温泉旅館ばかりの集落は世にも不思議な標本的の光景である。昔、ローマ近くのアルバ地方遊んだ時に、「即興詩人」で名を知られたゲンツアノ湖畔を通つたことがある。其の湖の一方から見た同じ名の市街の眺めと、此處の眺めとは何處か似た所がある。併し、古い伊太利の彼の田舍町は油繪になり易いが此處のは版畫に適しさうである。數年前に此地に大火があつたさうであるが、成程火災の傳播には可也都合よく出來てゐる。餘程特別防火設備必要であらうと思はれる。

 一と休みしてから湯元を見に出かけた。此の小市街横町は水平であるが、本通りは急坂で、それが極めて不規則階段のメロデイーの二重奏を奏してゐる。宿屋お土産を賣る店の外には實に何もない町である。山腹温泉街の一つの標本として人文地理學者の研究に値ひするであらう。

 階段の上ぼりつめに伊香保神社があつて、そこを右へ曲ると溪流に臨んだ崖道に出る。此の道路にも土産物を賣る店の連鎖が延長して溪流の眺めを杜絶してゐるのである。湯の流れに湯の花がつくやうに、かういふ處の人の流れの道筋にはきまつて此のやうな賣店の行列がきたなく付くのである。一寸珍らしいと思ふのは此道の兩側の色々の樹木に木札がぶら下げてあつて、それに樹の名前が書いてあることである。併し、流石にラテン語の學名は略してある。

 崖崩れを石垣で喰ひ止める爲に、金のかゝつた工事がしてある。此れ位の細工で防がれる程度の崩れ方もあるであらうが、此の十倍百倍の大工事でも綺麗に押し流すやうな崩壞が明日にも起らないといふ保證は易者にも學者にも誰にも出來ない。さういふ未來の可能性を考へない間が現世の極樂である自然可能性に盲目な點では人間も蟻も大してちがはない。

 此邊迄來ると紅葉がもうところ斑に色付いて居る。細い溪流の橋の兩側と云つたやうな處のが特に紅葉が早いらしい。夜中にかうした澤を吹下ろす寒風の影響であらうか。寫眞師がアルバムをひろげながらうるさく撮影をすゝめる。「心中ぢやないから」と云つて斷わる。

 湯元迄行つた頃にはもう日が峯の彼方にかくれて、夕空の殘光に照らし出されて雜木林の色彩が實にこまやかに美しい諧調を見せて居た。樹木の幹の色彩がかういふ時には實に美しく見えるものであるが、どういふもの特に樹幹の色を讚美する人は少ないやうである

 此處の湯元から湧き出す湯の量は中々豐富らしい。澤山の旅館の浴槽を充たしてなほ餘りがあると見えて、惜氣もなく道端の小溝に溢れ流れ下つて溪流に注いで居る。或る他の國の或る小温泉では、僅かにつの浴槽にやつと間に合ふ位の湯が生温るくて、それを熱くする爲に一生涯骨を折つて、やつと死ぬ一年前に成功した人がある。其人が此處を見たときにどんな氣がしたか。有る處にはあり餘つて無い處にはないといふのは、智慧黄金に限らず、勝景や温泉に限らぬ自然の大法則であるらしい。生きてゐ自然界には平等存在せず、平等は即ち宇宙の死を意味する。いくら革命を起して人間の首を切つても、金持と天才との種を絶やすことは六かしい。ましてや少しでも自己觸媒作用オートカタリテイツク・アクシヨンのある所には、ものの片寄るのが寧ろ普遍現象からである。さうして方則に順應するのは榮え、反逆するものは亡びるのも亦普遍現象である

 宿へ歸つて見ると自分等の泊つてゐる新館にも二三の團體客が到着して賑やかである。○○銀行○○課の一團は物靜かでモーニングを着た官吏風の人が多い。○○百貨店○○支店の一行は和服が多く、此方は藝者を揚げて三絃の音を響かせて居るが、肝心の本職の藝者の歌謠の節※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はしが大分危なつかしく、寧ろ御客の中に一人いゝ聲を出すのが居て、それがやゝもすると外れかゝる調子を引戻して居るのは面白い。ずつと下の方の座敷には足踏み轟かして東京音頭を踊つて居るらしい一團がある。人數は少いが此組が壓倒的優勢を占めて居るやうである

 今度は自分などのやうに、うるさく騷がしい都を離れて、しばらく疲れた頭を休める爲にかういふ山中自然を索たづねて來るものゝある一方では又、東京では斷ち切れない色々の窮屈を束縛をふりちぎつて、一日だけ、はめを外づして暴れ※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はる爲にわざ/\かういふ土地を選んで來る人もあるのである。此れも人間界の現象である。此の二種類の人間相撲になれば明白に前者の敗である後者の方は、宿の中でも出來るだけ濃厚なる存在を強調する爲か、廊下を歩くにも必要以上に足音を高く轟かし、三尺はなれた仲間に話をするのでも、宿屋中に響くやうに大きな聲を出すのであるが、前者の部類の客はあてがはれた室の圍ひの中に小さくなつて、其の騷ぎを聞きつゝ眠られぬ臥床ふしどの上に輾轉するより外に途がないのである。床の間を見ると贋物の不折の軸が懸かつて居る、その五言の漢詩の結句が「枕を拂つて長夜に憐む」といふのであつたのは偶然である。やつと團體の靜まる頃には隣室へ子供づれの客が着いた。單調な東京音頭は嵐か波の音と思つて聽き流すことが出來ると假定しても、可愛い子供の片言は身につまされてどうにも耳朶の外側に走らせることの出來ぬものである。電燈の光が弱いから讀書で紛らすことも出來ない。

 やつと宿の物音があらかた靜まつた後は、門前のカフエーから蓄音機の奏する流行小唄の甘酸つぱい旋律が流れ出して居た。併し、かうした山腹の湯の町の夜の雰圍氣を通して響いて來る此の民衆音樂の調べには、何處か昔の按摩の笛や、辻占賣の聲などのもつて居た情調を想ひ出させるやうな或るものが無いとは云はれない。

 蓄音機と云へば、宿へ着いた時につい隣りの見晴らしの縁側に旅行蓄音機を据ゑて、色々な一粒選りの洋樂のレコードをかけてゐ家族連の客があつた。此れも存在の鮮明な點に於て前述の東京音頭の連中と同種類に屬する人達であらう。

 夜中に驟雨があつた。朝はもう降り止んではゐたが、空は低く曇つてゐた。兎も角も榛名湖畔迄上ぼつて見ようといふので、ケーブルカー停車場のある谷底下りて行つた。此の谷底停車場風景は一寸面白い。見ると、改札口へ登つて行く階段だか斜面だかには夥しい人の群が押しかてゐる。それがなんだか若芽についたあぶら蟲か、腫物につけた蛭の群のやうに、ぎつしり詰まつて身動きも出來さうにない。それだのにあとから/\此處を目指して町の方から坂を下りて來る人の群は段々に増すばかりである。此の有樣を見て居たら急に胃の工合が變になつて來て待合室の腰掛に一時の避難所を求めなければならなかつた。「おぢいさんが人癲癇を起こした」と云つてSが笑出したが、兎も角も榛名行は中止、その代りつい近所だと云ふ七重の瀧へ行つて見ることにした。此の道筋の林間の小徑は往來の人通りも稀れで、安價なる人癲癇は忽ち解消した。前夜の雨に洗はれた道の上には黄褐紫色樣々の厚朴の落葉などが美しくちらばつてゐた。

 七重の瀧の茶店で「燒饅頭」と貼札したものを試みに注文したら、丸いパンのやうなもの味噌※(「滔」の「さんずい」に代えて「しょくへん」、第4水準2-92-68)を塗つたものであつた。東京下町若旦那らしい一團が銘々にカメラを持つてゐて、思ひ思ひに三脚を立てゝ御誂向の瀧を撮影する。ピントを覗く爲に皆申合せたやうに羽織の裾をまくつて頭に冠ると、銘々の羽織の裏の鹽瀬の美しい模樣が茶店に休んでゐる女學生達の面前にずらりと陳列される趣向になつてゐた。

 溪を下りて行くと別莊だか茶店だかゞあつて其前の養魚池の岸にかはせみが一羽止まつて居たが、下の方から青年團の服を着た男が長い杖をふりまはして上がつて來たので其のフアシズムの前に氣の弱い小鳥は驚いて茂みに飛び込んでしまつた。

 大杉公園といふのはどんな處かと思つたら、とある神社杉並木のことであつた。併し杉並木は美しい。太古の苔の匂ひがする。ボロ洋服を着た小學生が三人、一匹の眞白な野羊を荒繩の手綱で曳いて驅け※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)つてゐたが、どう思つたか自分が寫眞をとつて居る傍へ來て帽子を取つてお辭儀をした。學校の先生と間違へたのかどうだか分らない。昔郷里の田舍を歩いて居て、よく知らぬ小學生に禮をされた事を想ひ出して、時代が急に明治に逆戻りするやうな氣がした。此邊では未だイデオロギー階級鬪爭意識が普及して居ないのであらう。社前の茶店葡萄棚がある。一つの棚は普通のぶだうだが、もう一つのは山葡萄紅葉てゐる。店の婆さんに聞くと、山葡萄は棚にしたら一向に實がならぬさうである。山葡萄は矢張り人家にはそぐはないと見える。

 茶店の周圍に花畑がある。花を切つて高崎へでも賣りに出すのかと聞くと、唯々お客さんに自由に進呈するためだといふ。此の山懷の一隅には非常時の嵐が未だ屆いて居ないのか、妙にのんびりした閑寂の別天地である。薄雲を透した日光が暫く此の靜かな村里を照らして、ダリアコスモスが光り輝くやうに見えた。

 宿へ歸つて晝飯を食つてゐる頃から、宿が又昨日に増して賑やかになつた。日本橋邊の或る金融機關の團體客百二十人が到着したのである。其爲に階上階下の部屋といふ部屋は一杯で廊下の籐椅子に迄もはみ出してゐる。吾々は、此處へ來たときから約束暫時帳場の横へ移轉することになつた。

 部屋に籠つて寐轉んで居ると、すぐ近くの階段廊下を往來する人々の足音が間斷なく聞こえ、それが丁度御會式の太鼓のやうに響き渡り、音ばかりでなく家屋全體が其の色々な固有振動の週期で連續的に振動して居る。さういふ状態が一時間時間[#「二時間」は底本では「二間時」]三時間と經過しても一向に變りがない。

 一體どうして、かういふ風に連續的に足音や地響きが持續するかといふ理由を考へて見た。百數十人の人間が二人三人づつ交る/″\階下の浴室へ出掛けて行き、又歸つて來る。その際に一人が五つの階段の一段々々を踏み鳴らす。其外に平坦な縁側や廊下をあるく音も加はる。假に、一人宛て百囘の音を寄與コントリビユートするとして、百五十で一萬五千囘、此れを假に午後二時から五時迄の三時間、即ち一萬八百秒に割當てると毎一秒間に平均一囘よりは少し多くなる勘定である。此外に浴室通ひ以外の室と室との交通、又女中下男の忙はしい反復往來をも考慮に加へると、一秒間に三囘や四囘に達するのは雜作もないことである。即ち丁度太鼓を相當急速に連打するのと似た程度のテンポになり、それが三時間位持續するのは何でもないことになるのである。唯々面白いのは、此の何萬囘の足音が一度にかたまつて發しないで、實にうまく一樣に時間的に配分されて、勿論多少の自然的偏倚は示しながらも統計的に一樣な毎秒平均足音數を示してゐることである。容器の中の瓦斯體の分子が、その熱擾動サーマルアヂテーシヨンのために器壁に反覆衝突するのが、いくらか此れに似た状況であらうと思はれた。かうなると人間も矢張り一つの分子」になつてしまふのである

 室に寐ころんだ切り、ぼんやり此んなことを考へてゐる内に四時になつた。すると階下の大廣間の演藝場と思はれる見當で東京音頭の大會が始まつた。さうして此れが約三十分續いた。それが終つても、未だその陶醉的歡喜の惰性を階上迄持込[#「持込」は底本では「持迄」]んで客室前の廊下を踏鳴らしながら濁聲高く唄ひ踊る小集團もあつた。

バス切符を御忘れにならないやうに」と大聲で何遍となく繰返して居るのが聞こえた。それからしばらくすると、急に家中がしんとして、大風の後のやうな靜穩が此の山腹全體を支配するやうに感ぜられた。一時間前の伊香保とは丸で別な伊香保が出現したやうに思はれた。三階の廊下から見上げた山腹の各旅館の、明るく灯のともつた室々の障子の列が上へ上へと暗い夜空の上に累積してゐ光景は、龍宮城のやうに、蜃氣樓のやうに、又ニユーヨークの摩天樓街のやうにも思はれた。晝間は出入の織るやうに忙がしかつた各旅館の玄關にも今は殆ど人氣が見えず、野良犬がそこらをうろ/\して居るのが見えた。

 團體の爲に一時小さな室に追ひやられた埋合せに、今度はがらあきになつた三階の一番廣く見晴らしのいゝ上等の室に移され、地面迄數へると五階の窓下を、淙々として流れる溪流の水音と、窓外の高杉の梢にしみ入る山雨の音を聞きながら此處へ來てはじめての安らかな眠りに落ちて行つた。

 翌日も雨は止んだが空は晴れさうもなかつた。霧が湧いたり消えたりして、山腹から山麓へかけての景色を取換へ取換へ迅速に樣々に變化させる。世にも美しい天工の紙芝居である。一寸青空が顏を出したと思ふと又降出す。

 とある宿屋の前の崖にコンクリート道路と同平面のテラスを造り其の下の空間を物置にして居るのがあるのは思ひ付きである。此の近代設備の脚下の道傍に古い石地藏が赤い涎掛けをして、さうして雨曝しになつて小さく鎭座して居るのが奇觀である。此處らに未だ家も何もなかつた昔から此の地藏尊は此の山腹の小道の傍に立つて居て、さうして次第に開ける此の町の發展を見守つて來たであらうが、物を云はぬから聞いて見る譯にも行かない。

 晝飯をすませて、そろ/\歸る支度にかゝる頃から空が次第に明るくなつて來て、やがて雲が破れ、東の谷間に虹の橋が懸つた。

 歸りのバスが澁川に近づく頃、同乘の兎も角も知識階級らしい四人連の紳士が「耳がガーンとした」とか「欠伸をしたらやつと直つた」とか云つたやうな話をして居る。山を下つて氣壓が變る爲に鼓膜の壓迫されたことを云つて居るらしい。唾を飮み込めば直るといふことを知らないと見える。小學校や中學校でこのやうな科學的常識を教はらなかつたものと思はれる。學校の教育でも時には要らぬ事を教へて要ることを教へるのを忘れて居る場合があるのかも知れない。尤も教へても教へ方が惡いか、教はる方の心掛けが惡ければ教へないのも同じになる譯ではある。

 上野へついて地下室の大阪料理で夕食を食つた。土瓶むしの土瓶のつるを持ち上げると土瓶が横に傾いて汁がこぼれた。土瓶の耳の幅が廣過ぎるのである。此處にも簡單な物理學が考慮の外に置かれてゐるのであつた。どうして、かう「科學」といふものが我が文化日本で嫌はれ敬遠されるかゞ不思議である

 雨の爲に榛名湖は見られなかつたが、併し雨のおかげでからだの休養が出來た。讀まず、書かず、電話が掛からず、手紙が來ず、人に會はずの三日間で頭の疲れが直り、從つて胃の苦情もいくらか減つたやうである。その上に、宿屋階段の連續的足音の奇現象を觀察することの出來たのは思はぬ拾ひものであつた。

 温泉には三度しかはひらなかつた。湯は黄色く濁つてゐて、それに少しぬるくて餘り氣持がよくなかつた。その上に階段を五つも下りて又上がらなければならなかつた。温泉場と階段はとかくつきものである温泉場へ來たからには義理にも度々温泉に浴しなければならないといふ譯もないが、すこしすまなかつたやうな氣がする。

 他の温泉でもさうであるが、浴槽に浸つて居ると、槽外の流しでからだを洗つて居る浴客がざあつと溜め桶の水を肩からあびる。そのしぶきが散つて此方の頭上に降りかゝるのはそれ程潔癖でないつもりの自分にも餘り愉快でない。此れも矢張り宿屋蓄音機を持ち込み、宿屋東京音頭を踊る Permalink | 記事への反応(0) | 18:19

2025-08-13

広島に行った。

もともとはマツダ広島阪神戦を見る予定だったのだが、大雨の影響で中止となった。中止の連絡が遅いのはどうにかして欲しいと思う。

まあ広島に着いたときには半ば中止だろうなと思っており、時間もあるので中学修学旅行ぶりに原爆ドームを見に行こうと思い立った。正直なところ、当時の記憶殆どない。

雨の広島をとぼとぼ歩く。知らない街を歩くのは好きだ。くにまつで汁なし担々麺を食べた。うまい。期待を超えるほどの味ではなかったが。

本通りアーケードを抜けて、平和記念公園への橋が見えてきた。ものすごい人の数だ。海外から旅行者も多い。

橋を渡らずにまず原爆ドームに向かう。いつもを知らないが川が増水している気がする。あの階段はいつもどこまで浸かっているのだろう。

原爆ドームを見る。中学時代記憶なのかTV記憶なのかはわからないが、自分脳内にある通りの原爆ドームだった。雨が鎮魂の雰囲気を増していたかもしれないが。

一周しようと思って写真を撮りながら見ていく。いい画角を探したりしながら。誰に見せるわけでもないのだけれど。

半周したところに碑文があった。読む。おそらく修学旅行ときは読んでいない。最後宣言を読んだ時に、この建物を見る角度が完全に変わった。

「これを永久に保存する」

原爆ドームはただの歴史的な遺構ではなく、ここに人とその意思が在り続ける限り永久に在り続ける建物だった。そんな建物は他にどれだけあるだろうか?

街は景色を変える。それは全く悪いことではない。ただ、この広島の街の景色がどれだけ変わろうとも永久に保存されるものがここに在ることに感動を覚えた。

橋の向こうから、今の広島の町並みの中に在る原爆ドーム写真を撮った。いつかまたこの街に来たときに同じ角度から写真を撮ろうと思う。

2025-07-09

闇堕ちしたらどんなに楽に過ごせてるのか【仕事版】

自分の手本にしている人が居た

いつも冗談をいいながら、キツイ局面でも怒ることな

イライラもすることなく、そういう事もあるので次に活かせば良いぐらいの感覚でやってると言っていた

あれから転職して今に至るが、その手本通りにやっても昨今は上手くいか

これはそろそろやり方、というか型を変える必要が出てきたんだと感じる

もしくは、やはり今いる会社特殊なケースでマッチしてないが故の事象かもしれない

ああ、そう考えてみると大分楽にはなるな

文を書くとあたまが整理されて良い

ともすると、尚の事俺はこの会社が合わないんだな、いやー失敗したわ!

次にいこう!!

もしこれを読んで、転職しようかなと思ったそこのキミ、動いてみようぜ

2025-04-20

anond:20250420162248

ここで言う「上手い」とは、機械的にとにかく手本通りに弾けるようになるのを至上としており

ここは問題文に無いから書き過ぎ(想像で補完し過ぎ)。

問題から言えるのは「犠牲(に)した」。ドイツ式日本式よりも犠牲しないということは分かるが、そこでいう「犠牲」が何なのか(手本通り音楽創造性なのかもしれないし、単に子供の楽しさや余暇時間かもしれないし、それ以外の何かかもしれない)は特定できない。

この文章意味を正しく解釈できてる自信がない

程塚繁樹(指揮、作編曲プロデューサースタジオアリア @chaminade

日本の中高の吹奏楽海外の人が聴いたら卒倒するほど「上手い」です。卒倒する理由はもう一つ。中高でそんなに「上手い」ことです。「上手い」ことのために犠牲したものに驚くのです。私のドイツの友人が言っています音楽を本気で教えたらこんなに「上手く」はなれない」と。

https://x.com/chaminade/status/1913609001876521010?t=7_9r85sgYqqp44fiH-7hhg&s=19



この文章イマイチ上手く解釈できてる自信がない。

特に最後の、「私のドイツの友人が言っています音楽を本気で教えたらこんなに「上手く」はなれない」と。」が難しい。

引用ポスト見ながら解釈を試みた。

個人的

日本人の中高の吹奏楽は、厳しい指導の下「上手い」音楽となる

・ここで言う「上手い」とは、機械的にとにかく手本通りに弾けるようになるのを至上としており、海外的には間違い。よってこのポスト内ではネガティブ意味で扱われている?

・だから音楽を本気(=ドイツにおける正しい教え方ってこと?)で教えたら、「上手く」はなれない

という意味か? と思ったのだが……

学生時代現代文結構得意だったんだが、最近本読まないのもあって読解力が衰えてきたかな……

2025-01-08

尾道訪問

11月尾道にいったらあまりに良かったので、あまり間を置かず、年始にまた行ってきた

港湾駐車場

四国から行ってるので、旅はしまなみ海道を渡るところから始まる 旅っつうか、片道一時間なので全然旅ではないんだけど、しかし、精神的には旅みたいなもんですよ なんせ良いところだ

しまなみ海道渡りきったら車を港湾駐車場に停める 港湾駐車場はおそらく尾道でも屈指のでかさの公営駐車場で、屋上(2階)から尾道水道が見えるのがうれしい

まあ尾道水道は尾道にいればガンガン目に入るんだけど、スタート地点からもう見えてる!っていうのはひとつ大事な要素だと思う

駅前

尾道観光に来たのだからラーメンを食べずに帰るわけにはいかないので、港湾駐車場から歩いてラーメン屋の多い方向に向かう その方向には駅がある

駅前にはまさに広場という感じの広場があり、カッコいいでかいロータリーがあり、尾道水道の前は一面ウッドデッキで、ベンチなんかも結構設置されていて、とにかくイイ 適切に運営されている観光地だと感じる 気概を感じる

駅前あたりからは千光寺という有名寺社のある山がみえ

山の頂上には、細長い、特徴的な形の展望台(PEAK)がある

前に来たときロープウェイでその山に登って展望から尾道を一望したため、俺は逆に下界からPEAKをハッキリと認識することができた

おそらく、PEAKにいる人間にとって下界はすべて「景色」でしかなく、そこから逆に覗き返されているとはつゆほども思っていまいと思う

だが俺は見ている 実際、見ていた 

見ているぞPEAK、と言う

彼女がそれを聞き、PEAK好きやねえ、と言う

(俺はPEAKが好きなのか?)

本通り商店街ラーメン

ついたのが丁度昼どきで、年始休みなので、文字どおり全てのラーメン屋に行列ができていた

行列があるってことはあそこにラーメン屋があるんだな、という推測すら成り立った

行列のないラーメン屋はないかなあ、などと言いながら、本通り商店街とよばれるアーケードを歩く

本通り商店街はかなり栄えていて、普段シャッターの降りた店がほとんどない 今回は三が日だったのでさすがにそれなりにシャッターを見たが、そのほとんどに年始挨拶文やちょっとした正月飾りが貼られていて、かえって賀正の素敵な雰囲気が醸し出されていた

そして行列のないラーメン屋はなかった

それならば、ということで、逆に人気店に行くことにする どこに行ってもそう変わらなそうだから

前回行った人気店(まるぼし)の横の人気店(牛ちゃん)に向かった

店の近くにチーズケーキ屋があって、彼女が寄ろうという 寄ってチーズケーキをふたきれ買った

前回行ったまるぼし側の行列っぷりは常軌を逸していて、おそらく一時間以上待つことになるだろう長さだった ややビビりながら、牛ちゃんの列に並んだ まるぼしサイドの列に比べればかわいらしい行列だが、30分は待ちそうだ 尾道ラーメン、恐ろしい

その行列に並んだところで、彼女チーズケーキを食べようと言う メシを食う前にチーズケーキを?と一瞬思うが、並びながら食べるつもりで買ったんよ、と言う姿がかわいい

並びながら食べることにする おそらく皿の上でナイフフォークなんかを使って上品に食べられることが想定された、上質なチーズケーキだった 素手で空中で食った 美味

そして実際30分くらい並んで、ラーメンにありつく

うまかった

尾道ラーメン、食べた瞬間の爆発力みたいなものはそこまでないが、しみじみとうまいというか、ずっとうまい感じがする 飽きにくい

ちゃん尾道ラーメンは、焼肉屋でもあるという店の特徴を反映してか、脂の甘みを強く感じた

卓上のかつお節を加えるとまた風味が変わってうまい

宿へ

駅前さくらホテルに泊まるのは前回に続いて二回目なので、勝手知ったるものだ 残念ながら前回に続いて低層階だったが、全室シービューで、低層であることでかえって近くに尾道水道が見えた ということにしておこう

宿を出て山に登ろうかとも思ったが、前回登ったからまあいいか、ということで、部屋でくつろぐことにする

晩飯

前に行ってよかった居酒屋にまた行く というか、この店が年始にもやっていることがわかったか尾道に来た、という因果ですらあった

出汁と酢をフィーチャーした豆皿料理の店、というのがコンセプトで、そのコンセプトから期待されるもの完璧に満たしてくれる店だ

出汁や酢の効いたいい感じにシブい料理ちょっとずつ出てきて、日本酒なんかを飲んだりして、いい気分になる しかし純和食というわけではなく、チキン南蛮とか魚のフライなんかもあって、適度にカジュアル

また出汁サワーという謎のサワーがあり、これはサワー出汁昆布煮干しが入っているというイロモノっぽいものなんだが、なぜか妙にうまい

しかもこう、探し出す必要のないうまさというか、「よく味わったら実はうまい」とかじゃなくて、ひと口目からストレートにあっこれうめえ!ってなる

食い物もお通しから全て安定して美味しい

わりといいお値段がするが、いい店だ……

夜の尾道

日が落ちて静まった本通りを通って、ホテルに帰る

メチャクチャ寒い 本当に寒かった

酒に酔った彼女ゆっくり歩くので、背中を押して歩くスピードを上げてもらう 人間を押して移動させるのは、ミニゲームみたいでちょっと面白い

ホテルの前の海岸通り街路樹イルミネーションが飾られていて、しか結構気合が入っているというか、単色なんだけど密度が高かった

でも超寒いからすぐ帰った そして寝た

朝の尾道

揚げたてのがんもどきをメインにした朝食を出している小さい店があるということで、心惹かれたので行った

7時半からやっているが、ついたのは8時 全然早朝ではない時間

でも気分は早朝だった 冬の朝に早起きして、ちょっといい感じの朝食を食べに出るという気分だった

店はかなり良かった

店内ではストーブの上で鍋に入ったおでんが温められていて、雰囲気が非常によろしかった

揚げたてのがんもどきうまい 通常のがんもどきとはまったく別で、食感としてはもうクリームコロッケとかの方が近いくらいに柔らかく、いい味だった

店主さんの前に置かれたケースに揚げる前のがんもどきタネが大量に入っていて、食事を終えてそのケースをふと見ると、大量のタネがすべてだんご状に丸められていて、その感じもよかった

帰り道、尾道駅の裏手を歩いていると、具体的な内容は忘れてしまったが、地元学校放送部によって録音された、「自転車には鍵をかけよう」とか、「ヘルメットを被ろう」とか、そういう内容の録音が聞こえてきた

結局そういうのがいちばんグッとくるんだよな

踏切が開くのを待っていたら、近くにネコがいたので、観光地だから人慣れしているだろうと思って近づいたら、迷惑そうな顔をして逃げていった

結局そういうのがいちばんグッとくるんだよな

パン屋航路

朝の本通り商店街は多くの店がまだ開いてなかったが、パン屋航路はやっていた

尾道にゆかりがあるらしい(読んだことない)小説暗夜行路から名前をとっているらしいと聞いて、かなり好感度が上がった店だ

店内はかなり狭いが、並べられたパンはかなり多く、キッシュフォカッチャベーグルクロワッサンと、各カテゴリ取り揃えられていた

いくつか買って帰る いい感じのパン屋で買ったいいパンを所持していることは、精神にいい影響を与える

向島

ホテルをチェックアウトして、向島に行く

尾道水道を挟んだ向かいにあるのが向島だ 直線距離だと200メートルもなさそうな感じで、すごく近い

渡し船が何航路かあるというので、一番近い乗り場に行く 時刻表なんかは無くて、10分くらいの間隔で運行しているらしい

運賃はなんと60円 本当に60円で、なんやかんやオプションで結局320円くらいになったりもしなかった

なんせ近いので、船は3分くらいで向島に着く

向島に行ったのは、フォカッチャの店があったか

パッファーフィッシュフグロゴにしているその店はパッファーといい、本場イタリアっぽいフォカッチャや本場イタリアっぽいケーキを売っていた かなりイタリアっぽい空間だった 向島、やるなと思った

(フォカッチャは家に帰ってから食べたが、リベイク

してオリーブオイルをつけて食べることで真髄が発揮され、抜群にうまかった)

パッファーのあるあたりは、道がひらけていて、店が並んでいて、何というか妙に「駅前」っぽい

駅はないんだけだ、雰囲気が完全に駅前なんだよな

駅がないと分かっていても駅をつい探してしまう 駅がないことが直感的に受け入れられず、ちょっと不安になる そんな場所だった

あと、近くに「悶舌飯店 MONSITER HUNTEN」という中華料理屋があって、全体として、やるなあ向島!と思った

向島スーパー

フレスタというスーパーが近くにあったので、寄ってみた

「ぶちうま」というポップが目を惹いた 

広島みやげの菓子の袋に「ぶちうまいけぇ」と書いてあるのを見て、ハイハイ、どうせこれは観光客向けの接待方言なんでしょう、こんな分かりやすもんじゃねえですよね方言は!なんて思っていたが、もしかしてマジで言うのか?「ぶちうま」って……

惣菜パンが充実しており近所にあれば通うだろうスーパーだった

帰る

向島からまた渡し船に乗り、尾道に戻って、昼飯を食って帰った 駐車場の向かいにあったイタリアン、ポルタ・ディ・マーレなんてカッコいい名前のところで、ここもサラッとレベルの高いメシが食える感じで大変よかった ランチセットが1400円くらいなんだけど、食後のデザートアールグレイ風味のパンナコッタが紅茶とともに出てきて、味も非常にいい感じで、パンナコッタと紅茶のセットって喫茶店で食ったらかなり安くても600円くらいはするよな、と思うと、じゃあガチイタリアンのカルパッチョサラダ+本格パスタで800円程度ってことなのか?ということになり、メチャクチャ安かった気がしてくる

イタ飯を食い、満足したところでひきあげることにする

パン屋パン、フォカッチェリアのフォカッチャプリン屋のプリン土産が大量にあるので、寂しさよりも楽しみの方が勝つ 総合的に見て、かなりいい体験だった

さら尾道、また来る日まで!

たぶん今年中にもう一回くらい行くんじゃないか

いいですよ尾道

前に行った山方面もかなりよかったし、ゲストハウス旅人文化みたいな部分も素敵だと思う

メチャクチャいいと思う

2024-09-23

anond:20240921223015

前提:アニメは見ない

チェンソーマン

「3巻から面白くなるから!」と複数人から薦められて、1巻からつまんねーのを我慢して3巻まで読了したが、1ミリ面白くならないのでやめる

スパイファミリー

お手本通りに描きました感バリバリの設定とストーリー

売れてるからにはそのうち既視感を裏切ってくるだろうと期待したが、何ひとつ面白くないままお手本通りな話が進む

作者が作品愛情感じてない、との話に同情を禁じ得ない

売れっ子から趣味で描きたいもん描く時間も取れないだろうし

ダンジョン飯

異国パーティが入ってきたあたりで読むのダルくなってきて、妹に飯食わすだの何だのやってる辺りで完全に飽きた

キングダム

王騎が死んだ当たりから読む気失せてフェードアウト

主役食うくらい魅力的なキャラスポット的に使うのが定石なのは分かってるが

3月のライオン

三姉妹の次女のクラスいじめのやつ

それこの漫画でやる意味ある?どこに行きたいんだこの話は?となった

(多分この漫画の売りの一つの)長女の作る飯が全然美味そうに見えないのも理由

炭水化物と脂質過多の昭和臭い貧乏

2024-07-06

anond:20240705161533

本通り釣り

タイトルにオトコとかオンナとかいれとくと食いつきが良い。

・内容はちょっと間違っている方がつっこみたい人がいて食いつきが良い

2024-06-12

なんか最後まで雰囲気運転してるままに教習所を出た感がある。

実技では、次に右折するのが確定した時点で予め右車線を走れと言われるけど、座学でそんな事言ってたっけ……何なら追い越し車線に居座るのはよろしくないって言ってなかったっけ……とか思いながら、言われるがまま運転してた。

いやまあ個の理屈としては全然分かるんだけど、公道全体で考えるとどうなんでしょうねぇという話をしてたじゃん。

別に本通りの走り方をするとは思ってないけど、少なくとも教習所では理想の走り方を叩き込まれるもんだと思ってた。5km/hならオーバーしても構わん、むしろ後ろがつかえるからもっと速く走りましょうとか言われるし。

なんか一応標識とかも気にしながら走るけど、それは何度も同じ道を走ってたり予習したたり教官がそれとなくプレッシャーを放ってきたりするから出来てるんであって、普通に走っててこれ出来るのかよという思いは常にあった。

それでもよっぽど変な運転しない限り、なんか雰囲気で周りに合わせてればなんとなく走れてしまう恐怖感みたいなのがあった。

学科の内容も本免学科終わってほぼ全部忘れたし。

新しく覚えたのってググれば分かるような車の操縦方法だけで、その他の最低限の知識免許取るまでもなくなんとなくは知ってるし、そうでない細かい知識は全部忘れた。

これって教習所入る前とほとんど変わってないじゃんって思った。

ただ運転エアプだった時は夢の中に車が出てきてもまともに動かなかったけど、今はたまに動く。走った方が速いけど。

2024-05-06

自分を愛するってことがわかった

昔、父に塗り絵を代わりに塗ってもらっていたことを思い出した。

決まった形に色を塗ることが苦手で、自分がやるより父がやるほうが、見本通り、上手に出来上がるからだった。

今、自分自分のために、決められた形をきれいに塗ることができる。

あの頃子供のために手を止めて、丁寧に丁寧にぬりえに色を塗っていた父のように、

自分のために手を止めて、丁寧に丁寧に、自分のしたいことをしてあげられるのだと思ったら、それが愛じゃないかなって思った。

2024-02-14

人権意識があまりにもクッソ低い国、日本

安楽死合法化に賛成する人がたくさんいるようだ。

それが正常に運用されるのは国民全体の人権意識が高い国のみだと思う。

日本にはまだ早い。

SNSニュース日本人の人権意識の低さを見るたびに暗い気持ちになる。一番嫌なのは一人一人が「自分の」権利にめちゃくちゃ無頓着なところだ。

マジでつらい。自分のことを理解してない、認めてない、優しくできてない人があまりに多すぎる。毎日自分を抑圧しながら、我慢しながら、見て見ぬフリしながら(もしくはその自覚もないまま)生きてる人が多すぎる。そんな状態で他の人に優しくなんてできるわけがない。そりゃそうよ。

平等多様性について説かれたところで聞く余裕なんてもてるわけない。自分を愛せなくてしんどいから、「世の中にはこんな酷い目にあってる人もいるんですよ」と言われると、あなたは身勝手な奴だ、甘えんなと責められてるような気がしてしまうんすよね。そんなことないのにね。

若いから年寄りまで、自分蔑ろにしている人があまりに多すぎる。日々がキッツイので(我慢や、臭いものに蓋をしたままの無理矢理な栄養補給にもカロリーは消費する)、新しいことして変に傷つくくらいなら慣れた環境でのらりくらりやるのがマシよね、むしろ利口よねって雰囲気。そういうのが国全体に蔓延してたらそりゃなんの話も進まないし、なんでもかんでも停滞し続ける、さすがにこんなの無理耐えられんって言う人がいれば、甘えんなって叱られる、みんな我慢してるんだからあんたも我慢しなさいって。昔親にめっちゃ言われませんでした? 言われた記憶あるけど、令和になってまで何で全国民我慢比べ大会を開催しとんねんと思うよな、ちょっと意味わかんないわ。

その生ぬるい停滞が、我々の肩に降り積もり続けている、真綿で首しめ続けられてる感じだ。苦しい国だ。

しか日本学校教育からは、『目立たず騒がずお手本通りに長いものに巻かれて大人しくしてろ』というメッセージしか受け取れなかった記憶しかないので、肩書き所属他人と比べてどうこうやらにしがみつくようになるのはさもありなんという気もしており、これもまた悲しい)

ふだんはあまり見ないようにしてるけど、最近SNS人権意識の無さを垣間見勝手に悲しくなったので書いた。

それはお年寄り延命やめようで、超絶悲しくなったが、

数年経った今でも忘れられないのは、

自死を選んだ人に対する、「本人がそう思ったのなら、意思尊重しよう」という言葉が、良い意味拡散されていたことです。

優しさに包んだ絶望的な冷たさだと思った。

と同時に、スゲー日本ぽいなとも思った。

日本良い国になってほしい、少しでも人権意識あがってくれ、みんなが自分のこと許せて好きになって、他人のことも愛せるようになってほしい、今年の初詣はそういうことをお祈りしました。終わり

2024-01-22

anond:20240122111714

「コン、コン」は○○○の空室確認から、もしこれをやると、

就活生『コンコン』(マナー本通り

面接官「はいってまーす」

になってしまう。


正しくは

就活生「コン、コン、コン」

面接官「どうぞ...」、

だろ。

anond:20240122111017

就活生『コンコン』(マナー本通り

面接官「どうぞお入りください」

就活生「失礼します」

面接官「どうぞお座りください」


だろ。

2023-07-25

ナツマ釣り

最近、天敵が少なくなったからよく釣れるようになったよと釣具屋の親父から聞く

夕暮れごろの神社境内に、赤い提灯を仕掛けておくのが狙い目だとのこと

早速、バケツと竿を持って、釣り場を探す

参道には姿は見えないが先客がちらほらいるらしい

世代の古いお面やら、角のつぶれた玩具の箱やら、尾びれの股が分かれすぎた出目金やら、的屋場所借りした仕掛けから狛犬首に巻いた赤い布や、灯篭の根元に置かれたきんちゃく袋みたいな古典的な仕掛けまで

いたるところから獲物を待つ小さな針がのぞく

太公望気取りを刺激するのも、糸が絡むのも嫌なので、目立たぬ方に歩みを進めて、自然とついた路地裏に陣取って、電柱赤ちょうちんを仕掛けて、日が沈むのを待った

その辺の店の神棚からかっぱらってきたお神酒と、地べたに盛られた塩を肴にしょうもない時間を過ごし、時折寄ってくる野良猫を追っ払う

火に脂のはじける音がして、草履や法被が参道喧騒を連れてくる

人込みは屋台に気をとられたかと思うと、鳥居をくぐって、音頭のなる方へと流れていく

どうも本通りを外れた提灯には見向きもされず、私の仕掛けは間抜けな明かりで地べたを照らすのみだ

しばらくするとひゅうんと音がして、人々の視線が空へと浮かび、的屋は客の視線を戻そうと声と身振りを大げさにしていく

夜の帳が降りたころが釣りの幕開けなのが粋で、空に火薬の花が開いたら帰る合図だと諦めの早い太公望通りすがりに声をかけてくる

ますます見向きもされない仕掛けを前に、空からの破裂音がむなしく響いた

そろそろ潮時かと片付けの準備をしかたころ、赤提灯の下に小さな影が丸い眼をしてやってきた

年の頃は5、6歳の童が水色の甚平を着て、綿菓子の袋を大事そうに抱えている

坊ちゃん迷子か、こっちだよと優しい声音で引き寄せて、童の腰のあたりまで提灯を垂らした

ゆらゆら揺れて降りてきた灯りを不思議そうに触る甚平の袖に針をひっかける

ほれきたと当たりを喜び、竿をひき、糸を手繰り寄せ、本日釣果を胸に抱く

小柄だが朝餉くらいにはなるかとバケツに放り込むと、童は体に見合ぬ大声で泣きさけび始めた

空に打ち出される火薬玉よりも、音頭を鳴らし続ける太鼓の音よりも、酔っぱらいを運ぶ救急車サイレンなんかよりも、一等大きな声が母を求め、窮地を嘆き、バケツの中で暴れ狂う

遠くから童を呼ぶ女の声がして、共鳴しあうように童が声を張り上げると、女の声もさらに大きくなり、だんだん路地裏へと近づいてくる

面倒だからさっさと帰ろうとしたところ、バケツから生臭の匂いがした

童が勢い余って小便を垂れた上に、懐に入れていた金魚袋を振り回したすえ、紐の握りを緩めて手放したらしい

バケツの底のたたきつけられた金魚とお小水とで、興ざめし路地の隅に童を返して、その場を去った

川辺で汚れたバケツを洗い、宿へと戻る

兄弟に空のバケツを見られ、神社ボウズになりに行ったのかい?とからかわれたので

ちげえよ、ナツマを釣りに行ったんだと返した

2023-05-30

スマホ時代手書き文字を書く機会が減っても「字の汚い人はどんな人?」に興味を持つ人は多い。総じて「字を本気で綺麗に書こうとしてない人」や「時間をかけてゆっくり字を書くつもりがない人」が字が汚い。そのことから、「字の汚さ」と「頭の回転の速さ・思考量の多さ」の相関も言われる。

思考速度(書きたい内容の多さ)に、手の動きが追い付かない」ので、崩した走り書きのような文字になってしまうというあれね。

ただ本気でお手本通り時間をかけて綺麗に書けば、個人差はあれど少しは綺麗な字が書けるはずで、根本は「字を綺麗に書くことを重視してない」や「人から自分の字を評価されることも重視してない」に近いところがある。

美しい文字を書くには、書道でも墨をゆっくり摺る所から始まる。

そこから精神落ち着けた上で、一筆一筆を丁寧かつ流麗に動かす手間のかかる作業なわけだが書道までいかずとも硬筆でも、「とにかく読めて意味が分かればいいだろ・丁寧に書くのは時間無駄」の価値観が強いと、一文字文字丁寧に書き上げるがまだるっこしくて思考速度に合わせて汚い走り書きになる…  

「字が汚い人は頭が良い」の通説は本当なのか?

20年以上、教育に携わってる身から言えるのは、字が汚い人のほとんどは、

「ていねいに書く気がゼロ

「人のアドバイス等を素直に聞く気ゼロ

ってのが大半。

なお本当に天才は、たしかに頭が良すぎて字が汚いけど、論理性に富むし考えはスマートから自分レアケースなのも理解してる。

anond:20230530134430

「字が汚い人は思考スピードに手が追い付かないのです」

から何だ?

言い訳に聞こえてしまう。自分しか見ないメモはどうでもいいけど、読む相手がいる文章相手が読める字で書くのが礼儀じゃない?

言い訳して自分特別に見せようとしてる時点で程度が知れる。

ただ単に努力や才能が足りてないか能力の欠如だろ

都合のいい言い訳ばかり言ってんじゃないよ。

字が綺麗な人はそれなりの努力をしてるから綺麗なんよ。

思考の速度に対して手の動きが追い付かないと感じる時はあったけど、それを日常的に字が汚いのは思考スピードに手が追い付かないから!てされると、いやいやいやいやそれは字を綺麗に書く気がないからでは?になる

思考が速いのではなく、バッファが少ない(思考を一時保存できない)欠陥品なのだろう

障害年金ナマポもらって引きこもっててくれ

健常者の世界に出て迷惑をかけ散らかすな

あと職場人間見てて思うけど、メモ書きはともかく伝言メモの類で人が読めない字を書く人の一部にパワハラ気質のある方がいる感触。なぜなら綺麗に書ける書けないではなく、結局は他人が読むことを想定しているかだと思う。自分しか読まないならどんなに汚くてもいいけど、他人も読むものでも読めないほど汚く書く人間人間として信用してない。

有名な戦国武将明治維新など歴史活躍した頭の良い方々は筆字とてもきれいだ。鍛錬の有無なのでは?

字が汚いなんて別に現代では対してデメリットないんだから素直に認めればいいのに、字が汚いのは思考スピードに手が追いつかないみたいな謎の言い訳をするタイプの人は自分の非とか欠点を認めれないという別の問題がある気がするね一画一画をキレイに書こうとしてないから、に尽きる。

ま、まともな親は注意した方がいいと思う

見せるために書く行為は、「誰かに見せること」までも「思考」のうちに入れなければならないので、言い訳と言われても仕方ない。いい歳した大人他人に「この程度なら何とか解読して貰える」とか期待してるなら甘え。思考スピードに手が追いつかないはただの言い訳

頭フル回転で速書きして雑に書いても字の形が綺麗な人はいる。

思考スピードに字が追いつかないのは、みんなそう。その折り合いを付けられない人だと思う。待てるか待てないかだよ。

いやほんとさ、まだ第三者が言うなら理解できるんだが、自分で言うやつは向上心なくて嫌い。どうしたら上手くできるかを放棄している。頭の回転早いんだから仕方ないじゃん、許して、みたいな驕りを感じる。世の中の字が綺麗な人たち、おのれらよりみんな頭の回転遅いと思っとんか?努力意識じゃボケ

机が汚い人の言い訳と同じで嘘なんだよな。

純粋に字を書くという能力が劣ってるだけだぞ

人によっては、そもそも頭の回転もそれほど速くないぞ

純粋に字を書くという能力が劣ってるだけだぞ

字が汚いのは、汚くても問題なく生きてこれたからだ

書けないと開き直るならミスの予防のためにももうメールとかしろ

何でも苦手だからと放り出す前に、書を習うのも手だと思う。

そもそも汚いことに対して言い訳がましい姿勢が嫌なんよ

元ツイみたいなのは、頭がいいので字は汚くても良いという開き直りを感じる。

字が汚いことは、字が汚いという事実以外の何者でもない。

職場に本当に字が汚い人がいて、こういう感じになりたくないと思い、なぜこの人の字が汚いか考えて、空間(平面?)把握能力がないと気がついて、そこから美術館かに通うようになった

文字とは自分他人知識思考を共有するためのコミュニケーションツールなので他人が読めない文字(あるいは読みにくい文字)はその時点で文字意味をなさない。読めない文字文字じゃないんですよ。

汚さがわかっているなら改善しなさいとしか思えない

自己流でゴルフ練習するようなもんで、汚い字を100回書いても上手くはならんでしょうね。

知り合いの東大生でそういうのは一人いたけど、障害病気かな?というくらい人格あかんやつだったな。

普段はともかく、字を綺麗に書かないといけない場面で綺麗に書けないやつは「物事自己流でやっちゃってお手本通りにできない、色々と勘違いしてる低脳マン」と思われても仕方ない(一般的に)

2023-05-29

小学生時代ひらがなドリルの思い出

私は昭和56年まれだが、某S玉県の小学校入学した。

学校ではひらがな練習をさせられた。

それは、『白抜きで描かれた大きなひらがなの中を、丸(○)を描いて塗りつぶす』という練習方法

普通に本通り文字を何度も書く方が覚えると思うし、図形を「○」で塗りつぶすというのがとにかくダルくて意味がわからなかった。

意味のわからない作業うんざりして、線(////←こんな感じ)で塗りつぶして提出したら、消して塗り直すことを命じられた。

器用な子はうまいこと○で塗っていたけど、私には無理だった。

○を描いても描いても埋まらない白抜きのひらがな、延々と○だけ描き続ける作業発狂しそうだった。

今でもあの練習法は無意味で愚かで馬鹿馬鹿しいものだったと思うが、この話を大学会社で人にしても「そんな授業があるか」と信じてもらえない。

先生手作りプリントではなくて、ちゃんとした練習帳だったはず。

…はずなんだけど、自信がなくなってきた。

誰か同じドリルやった人いない??

2023-03-26

anond:20230324084742

そもそも好きな音程で歌って何が悪いんだろう。別に聞かせるために歌ってるわけでもないのに。お前の字は見るに耐えないからお手本通りに書けと言うようなもの

2023-03-16

anond:20230316003056

はてサ追加推薦

b:id:kiyotaka_since1974

kiyotaka_since1974 2023/03/04 世界中支配された国は宗主国アンチだし、韓国マイルドな方だな。 ネトウヨ これはひどい 保守 あほあたまがわるい アレな人 3K Quality

kiyotaka_since1974 2023/03/03 上念司さんは終わりでいいよ。朝鮮ルーツの人が文化を学んでいるだけの話で、日本人韓国人もいるんだよね。 ネトウヨ これはひどい 保守 あほあたまがわるい アレな人 日本 差別

kiyotaka_since1974 2023/03/03 安倍晋三日本破壊工作がまた… 安倍晋三 ネトウヨ これはひどい 保守 あほあたまがわるい アレな人 自由民主党 マスコミ メディア

kiyotaka_since1974 2023/03/02 暇空茜さんは名誉ある撤退をした方がいいな。こんなのが味方じゃなぁ。 ネトウヨ これはひどい 保守 あほあたまがわるい アレな人 暇空茜 暇アノン

タグ芸人はてサ

韓国ジェンダーとアベの話題によく反応するという、チュートリアルのお手本通りに作ったみたいなビルドをしているが、これもなかなかの古参

b:id:bogus-simotukare

bogus-simotukare 2023/03/15 問題北朝鮮ではなく「特定失踪者」と言うデマを持ち出す巣くう会にあるのに何をバカなことを言っているのか(呆) バカの見本 お前は言うな 蓮池薫 拉致敗戦右翼が巣くう会

bogus-simotukare 2023/03/09 こんな視察に何の意味があるのかと米帝家族会、巣くう会のバカさに心底呆れます。 珍右翼が巣くう会 拉致敗戦 存在自体社会悪 滅べばいいのに 米帝

bogus-simotukare 2023/03/02 事実ならば「河野談話否定安倍の子分で官房長官時代安重根を「テロリスト」呼ばわりしたこの男を選ぶとは非常識にもほどがあります。この男の何処が日韓友好か。日韓関係破壊ではないか。呆れて二の句が継げない これはひどい 嫌韓バカ

bogus-simotukare 2023/02/28 特定失踪者拉致じゃないので「アホと違うか」「バカは黙れ」「味噌汁で顔を洗って出直せ」で終わる話 マスゴミ これはひどい バカの見本 珍右翼が巣くう会 拉致敗戦

今まで入ってなかったのが不思議レベル古参極左

拉致デマによる北朝鮮叩きを許すな!米帝とゼレンスキーを許すな!安重根テロリストではない!

2022-10-05

anond:20221005111906

原爆ドーム付近は多くの人間が通行道路として使っているってそれ本当?広島エアプ?

八丁堀とか本通りでやった方がよくない?

2022-05-16

anond:20220516090125

子供育児本通りに育たないから本を読んでも良いけど参考程度で

「本にはこう書いてる」って奥さん育児邪魔をしない事

2022-04-28

anond:20220427234204

字の書き方って歴史があるくせに綺麗に書く方法がろくに確立されてないの、笑うしかないよな。

「お手本通り書く」前に手指を自在に操る方法を教えろ

2022-04-09

PTAをDXしようとして挫折した話 ※追記しました

去年から妻がPTA仕事をすることになり、仕事でDXをやってるんだったら手伝ってよ、ということで半年から手伝い始めた。

主な課題は2つ

両方ともエクセルを使って実施してるらしいのだがエクセルを使える人が居ないので困ってるとの話だった。

ちなみに妻もエクセルは使えない(編集ぐらいならできる)。

名簿更新作業

現状

PTAの名簿は「PTA名簿(学年).xlsx」というファイル管理されている。

6年生なら「PTA名簿(6年).xlsx」のファイルがあり、そこに各学年の児童名前保護者名前役割などが書かれている。

4月になると6年生のファイルは削除し、5年生のファイルを6年生にリネームする。

更に5年生のファイルに入っている各児童の学年・クラス・出席番号を変更する。

変更が終わればそれぞれの行を「切り取り」「挿入」することで出席番号順に並び替える。

これを全学年行う。1年生は新規ファイル作成する。

変更するときに参照するのは学校から紙で貰う児童名簿で、始業式当日までは厳秘なので絶対に貰えない。

始業式の翌週には役割分担を決めるくじ引きがあるのでだいたい2,3日で名簿を更新する必要がある。

これが凄い大変、ということだったし、もう10年近く同じ作業が行われてきたらしい。

提案

そもそも学校から名簿をファイルで貰えませんか、と聞いてみたがやはり無理だった。

印刷したものは渡しているか印刷前のエクセルファイルUSBメモリに入れてくれればいいですよ、と伝えたが

USBメモリ?」

という感じだったので諦めた。

次に、PTA側に対してエクセルファイルを一つにまとめましょう、という提案を行った。

ファイルは一つにして6年生、5年生のシート毎に分けましょう、という提案だ。これはすんなり受け入れられた。

そして6年生から1年生までを一つのシートにまとめましょう、という提案を行った。

学年の列を追加してそこに6とか5とかを入れておき、フィルターで6だけ選べば6年生だけ見れますよ、ということを提案した。

詳細は後にするがこれは却下された。

最後クラスと出席番号だけ入力して並び替えをすれば「切り取り」「挿入」という作業必要ないということを説明した。

実演もしたしデータが壊れないことも説明した。

だがこれも却下された。

原因

エクセルファイルのA列には「役割免除」「委員免除」などの文言が書かれていた。

例えば会長などの役員を1年務めた人は兄弟がいたとしても永久に何か役割を割り当てられることは無い。

そのため、児童の列の右側に書かれている「2018年 役員」などの情報を元に、当年度の役割免除かどうかを判断し、A列に役割免除記載を行う。

これだけなら簡単自動化できるが、役割免除判断方法は非常に複雑になっていた。

例えば役員をやっても〇〇委員だけは別で役員免除期間は3年となる。

また〇〇委員になった人は△△委員永久免除されるが、□□担当は当該児童に関してのみ免除され、兄弟に関しては免除されない。

こんな具合で複雑怪奇情報PTA規則という名のWordファイルビッチリ書かれている。

これらの情報を踏まえた上で一番左の列に「役割免除」の文言記載しなければいけなかった。

1ヶ月ほど妻と議論しながらそれを読み解き、エクセルファイル上で管理できるようにした。

当該児童2017年の列に「××担当」などと書いておけばいろいろと判断して「役割免除」と勝手に入るようにした。

(ちなみにこれは非常に大変な作業で、子供に紐付く役割情報と親に紐付く役割情報を分けて管理し、整合性を保てるようにVLOOKUPなどを作る必要があった)

さて、この過程で各学年毎のシートに分かれていると兄弟のいる親の管理が複雑になるため、1つのシートにまとめた。

入力場所管理方法も整理し、今後はこのシートを使ってはどうかと提案した。

が、結果しては却下された。

理由はいろいろあるが、「ルールが合っているかどうか分からない」からが主要因だった。

まりPTA規則は実は誰一人として理解しておらず、こちらで作ったエクセルが正しいかどうか分からない、とのことだった。

ちゃんルールに従っているので今後はこのエクセルで良いと伝えたが、そもそもPTA規則が正しいかどうか分からないと言い出した。

例えばクラス以外に各地域での役割があるのだが、それらがどのようなルールになっているか地域によって違うし、その場合役割免除も誰も分かっていなかった。

まりエクセルファイルにはただのメモ書きとして残しておくだけであって、判断は別途行う、という運用だった。

また、クラス替えときエクセル並べ替え機能を使ってはどうか、という提案却下された。

元のエクセルファイルは一部のセルが結合していて並べ替えができなかった。

よく見れば結合には意味が無く、解除すれば並べ替えできる、と伝えたが

「何か意味があるかもしれないから変えないでほしい」

とのことで並べ替えは出来なくなった。

くじ引きによる担当の決定

現状

各学年毎にPTA役割を決める必要があり、4月くじ引きが行われる。

くじ引き校長教頭立ち会いの下で役割を一つ一つくじ引きして決めていく。

この模様は録画されて証拠として残される。

くじは各学年・クラス毎に1ch × 30cmほどの紙が用意され、それを束ねてPTA会長が持ち、教頭先生が引いていく。

委員役割によって免除される人が違うため、同じクラスでも複数のくじが用意される。

黒板に各学年の役割を書き、くじを引いたらその人の紙を貼っていく。

このくじ引き作成が非常に面倒だと言うことだった。

A3用紙に先ほどの名簿を印刷し、裁断機で1cm毎にカットしていく。

これを6学年×3クラス×役割数だけ準備するのでとんでもないことになる。

ゴムで止めて付箋を貼って保管しておくらしいのだが、これをクラス替え発表の後に1週間以内で準備しなければならない。

ちなみに全部作った後に、不備がないか一つ一つ確認作業も行う。

「深夜まで作業していることがある」

と言っていた理由が分かった。

提案

そもそもくじ引きなどせずにエクセルランダムに選出できるということを伝えたが速攻で却下された。

そこで提案したのが割り箸くじだ。

といった提案だ。我ながら名案だと思った。DXは関係なくなったが。

当初はこの案で準備が進んでいたが、結果としては採用されなかった。

原因

まず根本的に勘違いしていたのだが、全ての役割くじ引きでは決まらないということだ。

前年の2学期が始まるときに各家庭に「来年役割希望について」というプリントが配られて各家庭で希望を募る。

そのときに「過去に行った役割」や「兄弟で行った役割」を記載してもらい、それを10月頃に受け取って保管しておく。

ちなみにその情報を元にしてエクセルファイル保全も行っていた。

「変な役割を押しつけられるぐらいなら希望を出そう」という人や、前任の人と仲が良くて引き継ごう、という人がいるので20%ぐらいは希望があった。

希望があった場合、先ほどの「役割免除」のところに「〇〇担当希望」という文字列が入る。

なんと、この文字列が入るとそのセルは赤くなるようになっているのだ。条件付き書式だ。素晴らしい。

そして、この赤いセル印刷したときにグレーになる。

1cm × 30cmのくじを作って束にすると、くじを引く側はエクセルでのA列になるのだが、そこがちょうどグレーのセルになるのだ。

くじを束ねても先端部分の色でグレーなのか白なのかを判別できる。

そのため、くじ引きをするとき教頭先生はグレーの紙を優先的に引くことができるのだ。

希望者が複数いる場合もあるのでくじ引き絶対にしなければならない)

希望者がいる場合はその人達だけでまずは割り箸くじ引きをする、などを提案したが、逆に準備や運用時間がかかることが分かり、元のやり方に戻された。

また、ファイルに分かれていたのもその紙の印刷をやりやすくするためであり、全てが紐付いていた。

A列には手書き免除文字が書かれることもあり、それを引いた場合はもう一度引く、といった具合だ。

非常に複雑怪奇になっていたので完全に手を引くことにした。

ルールの明文化

最後に、これらのルールが明文化されていないのが大きな課題から文化したらどうか、という提案をしたが却下された。

PTA総会での議題決議になり、まぁ想像しなくても大変そうだろうなぁと思った。

そんな決議を取るぐらいならいっそのことPTA解散するという決議の方がいいかもしれませんね、という話をしたら会長は苦い顔をしていた。

ITに対する不信感

この数ヶ月にわたってPTA教職員達と触れ合ってきたが、普段相手にしているそれなりの企業人達と違ってITに対する不信感が大変に大きかった。

一部、中小企業ワンマン社長などが似たような感じではあるがその比では無かった。

エクセル自動計算してくれるということを説明しても計算結果を信用しないだけでなく

「そんないい加減なやり方だとダメ」「怠けるのは良くない」

といった反応が多く、日本テレビドラマでたまに見かける

ITで楽してた人が非常時に役に立たず、経験と勘に頼った人がヒーローになる」

というのを目指している感じだった。あの手のドラマが売れる理由がよく分かった。

もちろん、ネットでは見聞きしたことはあったのだが、2022年の現代で、しかも同世代人達でも同じような感覚の人が多いというのは衝撃だった。

また、例えば同姓同名保護者がいて、それぞれに兄弟がいた場合は今のシステム破綻するので各保護者エクセル上で番号を振ってはどうか、という提案をした。

想像の通り、個人番号のように管理するのは如何なものか、というお手本通り拒絶反応を示された。

思えばあの辺りから不信感が大きくなったようにも思う。

最後

これは皮肉ではなく、この半年ほどだったがPTAのDX化(?)に関われて本当に良かったと思う。

資料やそこに書かれた数字として、ITリテラシの低さや地方自治体でのIT化の遅れなどを知ってはいたが、実は分かっていなかったのだ。

ITリテラシエクセルの使い方などの前に、そもそも「楽をして生きよう」という人が少数派なのだと思い知った。

そして民主主義を貫く限り、多数派意見に勝つことは無いのだ。

政治家が時にはバカ政策を立ち上げて、全く効率的で無いことがバカにされるが、実はあれは正しかったのだと思う。

企業活動は「楽をして生きよう」の精神があるにも関わらず、大企業になるほど非効率になるのは同じところに原因があるように思う。

自分自身がこのような視点を持てたことは大きく成長できた部分であり、感謝している。

追記

たぶんこの手の話をみんな大好きだろうから伸びるだろうなぁと思ったらやっぱり伸びた。いろんな人に知って貰えて素直に嬉しい。

いくつかコメントに返信しておきたい。

二重投稿になってたので修正しました。

ネタ扱いしている方へ

もちろん完全に本当の話ではなく身バレを防ぐ為にフェイクを混ぜているが9割は真実だし「本当に?」って思うところは真実だ。

例えば紙のクジは真実なんだ。残念ながら。

USBメモリ?」

の反応はちょっと端折りすぎたかもしれない。実際には

USBメモリ、ああ、USB、ね。ハイ。そうですね。でも、多分使えないんじゃないですかね?容量とか。そういうのが」

という感じだった。

その後もいろいろ話したが、結果的には印刷物をスマホ撮影してExcelに取り込む方法を使ったので業務はかなり楽になっている。

ちなみにUSBメモリセキュリティ観点結構から多くの企業禁止されていることもあって、意外とこういう反応は多い。

会社若い人に「USBメモリ持ってる?」と聞いてみるといい。恐らく持ってないし、使ったことも無い。

エクセルでワンクリック品を納品されても困る

別にやろうと思えばAWS上にReactでWebシステム作って納品してやっても良かったんだが、

仕事でもこういう問題は多々あるので自走できるように配慮する、というのはかなり気を使ってやった。

そもそもエクセルを使って解決しようとしたのもそれがあるからだし、割り箸くじも同じだ。

加えて、例えばExcelも一つのセルに式を押し込むのではなく、複雑怪奇ルールをそれぞれの列に分割したりした。

最低限VLOOKUPは理解して貰う必要があるが、それ以上に高度なことはしていない。マクロVBAなんてもってのほかだ。

PTAから逆に「結果だけ出して欲しい」と言われたが、そうすると引き継ぎ時やルール変更時に困るから、という理由でそこは死守した。

それでいて、入力するところはこの部分、というのをメモ付きで残すなどの配慮はしたのだが、結果は書いた通りだ。

密室会議不正方法で決めたいのではないか

途中でこのような不信感が募ったのだが、正直密室会議で決めるほどの権力名誉も無い役割なので違うと思う。

ただ単に新しいルールを取り入れることへの恐怖のようなものが背景にはあると思っていて

誰かがやり始めたのでそのまま続けるしかなくなっているのが現状だと思った。

許可を得ないで勝手にやる

これは恐らく真実で、自分会長立候補して「変えます」と宣言していたらやっていたと思うし、役員だったとしてもやっていたと思う。

PTAをやっているのは妻で、その手伝いという微妙立場だったのでこんなやり方になってしまった。

規約にも書いてないか勝手にやってしまえば良かったかもしれないが、そもそも動機

「妻が土日にいないと困る」

ぐらいだったのでそこまでやる気は無かった。

子供達の作業が1mmもない

これはその通りでPTA役員会の仕事の9割はPTA維持のための仕事である

ただ勘違いしないで欲しいのはPTAのもの業務というのはいろいろあって、それなりに必要とされている。

まぁ、必要とされているかどうか怪しい仕事もあって、例えばベルマーク集めとか校庭周辺の草むしりなどである

ベルマークは未だに集めているし、なんなら今はWebベルマークなんていうのもある。詳しくは調べて欲しい。

その辺りの業務お金解決できる、という話は度々上がるらしいが、実施されることはない。

名簿作りやくじ引きを見直せ

これはもちろんそう思ったのだが、受け入れ可能な形での提案をするのも大事だとは思っている。

思惑としては割り箸くじをまずは導入してもらい、効率化という意識を高めてもらってから根本的な改革、という流れが良いかな、とは思った。

一般的企業とは違って劇薬は思わぬ副作用を生むのだ。恐らくだが。

また、根本的な話をするとPTAの是非を問うことになるし、実際に会長には伝えたし、来年度以降にそれをやってもいいとは思った。

周りの学区でもPTA廃止されているところは増えてきているし、2,3年後にはうちも無くなりそうだとは思った。

とはいえ教師負担が大きくなった結果の悪影響は未知数だし、ボランティアベースでの活動にも限界があるだろうから何かしらの強制力必要なのではないか、とも思う。

2021-12-22

やな夢を見た・・・

職場で言われたことができず、じゃあ何だったらできるんだ?と呆れられて、とりあえずこれやっといてと教材を渡される

本通りに作りましょうというやつで、見本通りになるよう見比べて作っていた

ある程度進んだところで上司がやってきて、君何やってんだ?と呆れ顔

進め方の手順書を渡しておいただろ!?と手順書を指さす

ああまたやっちまった、すっかり忘れてた、そういやそんなのも一緒に渡されてたな・・・

今ほんとに忙しくて君のこといちいち見てられないか見学の人が帰るまで適当に教材で遊んでてと言われ放置される

そうしてると見学の他社の人がやってきた

他社と言っても昔勤めてたとこの知ってる顔ばかり

新しい環境はどう?久しぶりだけどうまくいってる?とか懐かしい会話をしつつ、見学時間が終わったら仕事をやめると伝えるつもりなんだよな、と心の中で思っていた

・・・というところで目が覚めた

年末のもうちょっとていう時期なのにキツかった

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