はてなキーワード: 稀有とは
世界中のメディアがイーロン・マスクを天才経営者として讃えるたび、心の奥底に沸き起こるのは猛烈な反発心だ。彼の壮大なビジョンや野心的な計画がもたらすインパクトは計り知れない。電気自動車での革新、宇宙事業への投資、さらにはSNSプラットフォームを買収して世界の言論空間を一変させようとする姿勢――どれをとっても、彼が稀有な才能を持つリーダーであることは否定できないだろう。しかし、その裏側には、人を顧みない強引さや、誰もが乗り気でない環境を一方的に変革しようとする独善性が垣間見える。彼は常に「未来を創る」と言うが、その方法に正当性はあるのか。私は強い疑問を抱かずにはいられない。
特に、彼がSNS上で見せる軽率な発言は、私の中にある嫌悪感をさらに増幅させる。刺激的なツイートで株価や暗号通貨の相場を乱高下させ、批判者を嘲笑し、炎上を煽るかのような行動を繰り返す姿は、リーダーというより権力を得た“トリックスター”のようだ。彼の言動を追いかける投資家や支持者は多く、SNSでは絶え間なく祭り上げられている。しかし、そうした「熱狂」が生まれるほどに、私は逆に強い反発を覚える。確かに並外れた頭脳や行動力を持つ人物ではあるが、その影響力をどう使うかという点で、彼はあまりにも無自覚ではないだろうか。
テスラの急成長がもたらした電気自動車市場の拡大は、間違いなく自動車産業に大きな変革をもたらした。それまでガソリン車が主流だった市場をひっくり返し、世界的な環境意識の高まりに合わせて時代を先取りする――その功績は称賛に値する。だが同時に、「内部告発を試みた社員への圧力」「過酷な労働環境」などが報じられるたび、私は苛立ちを禁じ得ない。美しい未来を掲げる一方で、その裏では「効率化」「革新」という名のもとに弱い立場の人々を切り捨ててはいないか。企業トップとして、多大な責任を負っているはずの人物が、利益とスピードのためなら人間性を犠牲にしても良いと思っているのではないか――そんな疑念が拭えないのだ。
さらにツイッターを買収したことによって、彼の性格がより露わになったと感じる。コンテンツ規制や言論の自由をめぐって賛否両論あるのは当然だが、長年にわたって築き上げられてきたプラットフォームの秩序を、一夜にして根本から覆そうとする様子には乱暴さを感じる。彼が純粋に「言論の自由」を守りたいと考えている部分もあるのかもしれない。だがそのやり方は、あまりにも一方的で、議論よりも強制が先に立っているように見えるのだ。市場やユーザーコミュニティに計り知れない影響を及ぼすのに、まるで実験場のように扱っている――そんな印象を拭えない。
イーロン・マスクを支持する人々は、彼の天才性に魅せられているのだろう。既存の常識を打ち破り、火星移住やハイパーループなど、大胆不敵な夢を語る。そのビジョンの壮大さは、多くの人の心を掴むだけのパワーを確かに持っている。だが私は、その華々しい夢の裏側を常に見てしまう。膨大な資金を動かし、何千何万という人々を働かせ、社会のルールを変えてしまうほどの権力を持っていながら、彼の言葉からは「共感」や「謙虚さ」が感じられない。むしろ「自分だけが正しい」という慢心が透けて見え、周囲を振り回すことで注目を集めているようにすら思う。
なぜここまで拒否反応が強いのか。それはひとえに、彼が持つ「影響力の大きさ」にある。誰かが極端な意見を言うこと自体は、表現の自由の範疇だろう。しかし、イーロン・マスクほどの知名度や資本力を伴う人間が放つ言葉は、社会全体を揺るがしかねない重みを持っている。ところが、その発言や行動に時として慎重さがまるで感じられないのだ。「自分はあくまで一般人としてツイートしている」というような言い訳をするが、何千万・何億というフォロワーがいる「一般人」など存在するはずもない。こうした言動を繰り返す彼に対して、憎しみすら覚えてしまうのは、私だけではないだろう。
また、彼のコミュニケーション・スタイルがしばしば相手を嘲笑するように感じられることも、嫌悪の理由だ。議論や批判に対して真摯に向き合うより、自分の正当性を訴え、批判者をからかったり攻撃したりする。そのような姿勢は、強いリーダーシップというよりは、単なる攻撃衝動に近いものではないかと思う。カリスマ性を持つトップがそのように振る舞えば、多くの人が追従し、さらに対立や分断が深まる構図が生まれるだろう。まるで、大きな声で威圧した者が勝つかのような、乱暴な言論空間を助長しているようにさえ感じる。
もちろん、メディアは過剰に彼を煽っている部分もあるかもしれない。私たちが知るイーロン・マスク像は、メディアとSNSを介して編集された一面だけだろう。しかし、そこから受け取れる情報だけでも十分に「過激」であることは間違いない。もし彼に穏やかで思いやり深い一面があったとしても、表に出るのは挑発的な発言や、予測不能な行動ばかり。まるで、彼は注目を浴びるために、あえて波風を立てているようにすら見える。そして、その姿勢こそが彼のカリスマを強化し、信奉者を増やす一方で、私のような反発を覚える人間を確実に増やしているのだ。
私はイーロン・マスクの実績をすべて否定するつもりはない。電気自動車市場の発展は、環境問題への意識を高め、産業構造を大きく変えるほどの影響力を持った。また、宇宙事業への参入によってスペース業界全体が活性化した面もあるだろう。だが、それらの「功績」がすべて肯定されるべきかというと、そうとは思えないのだ。なぜなら、そのプロセスや彼の姿勢に数多くの疑問や問題が散在しているからである。テスラの工場では社員への過重労働が報じられ、Twitter社の買収後には大量解雇が行われた。一方的なリストラは、社員だけでなく利用者の信頼も損ねる結果になったはずだ。
「革命児」と呼ばれる彼だが、そもそもその革命は誰のためのものなのか。人類全体の未来を切り開くために行動しているのか、それとも自己顕示と自己満足のためなのか。もちろん、野心や自己顕示欲が全否定されるわけではないし、彼のような強烈なビジョンに突き動かされてこそ社会が進歩する面もある。だが、そこに「協調」や「周囲への配慮」が欠けていれば、残るのは混沌と犠牲だけではないだろうか。彼の一連の言動を見ていると、より良い未来を本当に望んでいるのか、それとも周囲を振り回しながら称賛を得ることに酔いしれているのか、判断に迷ってしまう。
彼のメディア露出やSNSでの動向は常にセンセーショナルだ。発言のひとつひとつが見出しになり、多くの人が熱狂的に反応する。その状況がさらに彼の影響力を拡大し、支持者は彼を「現代の発明王」として崇拝する。だが、それは彼自身が意図して作り出しているイメージ戦略でもあるかもしれない。自動車からロケット、そしてSNS運営まで、多岐にわたる分野で「既存の常識を壊す男」としてのブランドを強烈に打ち出す。その裏には、おそらく綿密なマーケティングも働いているはずだ。
こうした「自己プロデュース」の巧みさもまた、私の嫌悪感をあおる。もし彼が本当に未来のためだけを思って行動しているのなら、わざわざ挑発的な言動を繰り返したり、周囲を見下すような態度を取ったりしないのではないか。むしろ、その尖った姿勢こそが注目を集める秘訣であり、巨額の利益を生み出すエンジンになっている――そう考えると、ますます彼への不信感が募るばかりである。
また、彼のビジネス戦略や資金調達の手法も、ときに「投機的」であるとして批判されてきた。彼のツイートひとつで暗号通貨の価格が乱高下する様子は、社会全体を巻き込む大博打のようにも見える。もちろん、投資家たちはリスクを承知のうえで参入しているのだろうが、そこに新たに巻き込まれる一般層もいるだろう。巨大な影響力を手にした人物が、その力をどこまで自制しているのか、外からは判断がつきにくい。彼がいかに「自由」を標榜したところで、そうしたパワーバランスの偏りは真の自由からはほど遠いのではないか。
イーロン・マスクが嫌いだ、と口にすると、彼を称賛する人々から「嫉妬」や「時代遅れの思考」と批判されることもある。しかし、それでも私は彼の一挙手一投足に警戒心を解くことができない。彼のような存在が絶対的支持を集める社会は、一種の危うさを孕んでいると感じるからだ。リーダーが強引に物事を推し進めることで、一見スピード感のある変革が進んでいるように見える。しかし、その過程で切り捨てられる価値観や人々の声を、私たちは本当に無視してよいのだろうか。
私が彼を憎む理由は、こうした「社会的影響」を踏まえてもなお、彼があまりにも自己中心的に感じられるからだと言えるかもしれない。自分のビジョンこそが絶対に正しいと信じ、批判する者には容赦なく噛みつき、さらには軽率な一言で世界中を混乱させる。そのカリスマが絶大だからこそ、多くの人が振り回されてしまう。それが彼の望む未来の形であれ、人々に「ついていかざるを得ない」状況を作り出すことこそが、彼の真の目論みなのではないか。そう疑ってしまうほど、彼の支配力は強力だ。
もちろん、この強烈な拒否感は私自身の問題でもある。彼のように型破りな人間を受け入れられない、自分の閉鎖的な思考が投影されているのかもしれない。あるいは、あれほど自由奔放にふるまいながら次々と成果を上げていく姿への嫉妬心や劣等感もあるのだろう。しかし、それでもなお、「イーロン・マスクが憎い」という感情は消えない。むしろ、その感情が湧き上がるほどに、彼の存在が大きいこと、そして社会全体に与えるインパクトが桁外れであることを痛感させられる。
だからこそ、私は敢えて彼を批判し続ける必要を感じている。イーロン・マスクのような人物を「天才」「革命児」として無条件に称賛する風潮は、危うい夢を見せると同時に、多くの問題を覆い隠してしまう可能性がある。私たちは、彼のような突出した才能を「絶対の存在」として祭り上げるのではなく、その言動の裏にある思惑や影響力の行使について常に疑問を持ち、検証し続けなければならない。彼がもたらす革新が本当に世界を良くしているのか、それとも特定の価値観や層だけが恩恵を受け、他の多くが犠牲を強いられているのか、冷静に見極める必要があるのだ。
最終的に、イーロン・マスクをどう評価するかは人それぞれだろう。彼の型破りな行動力こそが新しい地平を切り開く鍵になると信じる人もいれば、私のように憎しみや反発を覚える人もいる。しかし、多様な意見が存在することこそが社会を前進させる。この「憎しみ」の声すらも、一つの大切な批判的視点として意義があるのではないかと思う。彼の眩いばかりの成功とカリスマに目を奪われる一方で、その裏側で踏みにじられているかもしれない人々の声に耳を傾ける必要がある。そうでなければ、未来を創るという名のもとに、ただ独裁的な支配が生まれてしまうかもしれないのだから。
私は、イーロン・マスクの存在自体をすべて否定するわけではない。むしろ、彼ほどの影響力を持つ人間が、もう少し「他者に対する配慮」や「謙虚さ」を備えていれば、今よりももっと多くの人々から純粋に支持されるだろうに、と残念でならない。そして、この憎しみの感情は、そんな「あり得たかもしれない別の姿」への期待を裏切られ続けてきた結果なのだろう。私は彼の言葉を聞くたびに、ああ、また無責任な発言で誰かを傷つけているのではないか、と心配になる。その繰り返しが、私の中の反発心を強固なものにしているのだ。
イーロン・マスクが語る夢やヴィジョンは確かに魅力的だ。火星移住に胸を躍らせる人もいるだろうし、電気自動車によるクリーンな未来に希望を見いだす人もいるだろう。彼が巻き起こしているイノベーションは、間違いなく人類の歴史に残る大きな一歩でもある。だが、その過程で生まれる軋轢や混乱、そして彼自身の傲慢ともいえる態度を見過ごしてはいけない。そこには、私たちの社会が本来持つべき「相互理解」や「多様性の尊重」が欠けているように思えてならない。
だからこそ、「イーロン・マスクが憎い」という私の感情は、単なる個人の感情以上の意味を持つのだと信じたい。彼のように突出した存在が現れるとき、社会は否応なく揺さぶられ、さまざまな価値観の衝突が起こる。そのとき、無批判に称賛するだけでは、本質的な問題には気づけないかもしれない。むしろ、強い反発心を抱く人々の声にこそ、彼の手法や態度が孕む危うさが映し出されていると考えてもよいのではないか。
私たち一人ひとりが彼をどう捉えるかによって、社会の未来は微妙に変化する。もしイーロン・マスクが真に誰もが幸せになる未来を望んでいるのなら、批判や反発の声にも耳を傾け、何が問題とされているのかを真摯に考えてほしい。その一方で、私たちもまた、自分たちが彼に何を求めているのかを見直す必要があるのだろう。彼の冒険心に夢を見たいのか、それとも彼が作るかもしれない新たな秩序に身を委ねたいのか。そして、そうした未来像に抵抗を覚えるならば、なぜ覚えるのか。その理由を自分自身に問い続けることこそが、彼のような巨大な存在に対する「本当の対抗手段」になるはずだ。
私がイーロン・マスクに憎しみに近い感情を抱くのは、彼が象徴するものが、私たちの社会の抱える矛盾や欲望をはっきりと映し出しているからかもしれない。彼の波乱万丈の行動は、私たちの心の奥底にある「常識を超えたい」「歴史に名を残したい」という野心を代弁している。同時に、そのためには他者を踏みにじってもよいという暗黙の了解すら示唆している。私はそこに嫌悪感を覚えずにはいられない。より良い未来を見たいと思いつつ、その実現手段にどうしようもない違和感を覚える。この相反する感情が「憎しみ」という強い言葉となって表出しているのだ。
最終的に、イーロン・マスクを憎むかどうかは個人の価値観によるだろう。彼を救世主のように思う人もいれば、私のように嫌悪感を募らせる人もいる。ただ、どちらの感情も社会にとっては大切な警鐘であり、そこから生まれる議論や検証こそが真の進歩へと繋がっていくのではないかと思う。彼が生み出す革新の光と影を直視し、その功罪を冷静に評価する。それこそが、私たちが「イーロン・マスク」という巨大な存在と向き合うために欠かせない姿勢ではないだろうか。私が「イーロン・マスクが憎い」と感じるのは、きっと彼が放つまばゆい光の強さに目が焼かれ、影に潜む危険を見逃せないからなのである。彼は目を背けられないほどの影響力を持っているがゆえに、私たちに葛藤を強いる。だからこそ、その存在について問い続けることが、社会の未来にとっても重要なのだろう。
例えば私はTRPGっていうゲームで遊んでいて、そのゲームの細かな説明は省くけど、所謂コミュニケーションが大事なゲームで、会話をしたりサイコロを振ったりしてゲームが進む。
その時、例えば2PL(プレイヤーが二人)のゲームで、関係性が親友だったりバディだったり、そういうわりかし大切な関係性で、例えばNPC(ゲーム側から用意されたキャラクター)がいたりして、相手がそのNPCを好きになって、こちらに協力してくれなかったり、会話を放棄されたり、そのあとの伏せったー(ネタバレを防ぐためのツール)で全く触れられなかったりすると、「必要とされてないなぁ」って思って、面白くなる。
悲しいのも勿論ある。だけど、自分のせいだな、とも思う。
例えば私は仕事を辞めた時に、辞めた職場の人ひとりからしか連絡が来なかったりするし、しかもそれは今の職場についてだったり私の病気について探りをいれたいだけで心配の連絡ではなかったりして。
でも、それも自分のせいだな、って思う。
そもそも私は「とっても必要とされる」ことが苦手で、依存されると引いてしまう。
依存する方が好き、という言い方は適切ではないけれど、追う方が好きだとは思う。
好きな人に必要とされてみたいけど、「とっても必要」とはされたくない。
わがままだなと思う。
自分のせいだな、って思う原因は、ここまで読んでくれた稀有な人なら分かると思うけれど、私が努力してこなかったせいだ。
「いてもいなくてもいい存在」に甘えて生きてきたんだと思う。
遊びに誘ってもらえると勿論嬉しい。けど、フットワークが軽くないから半分の確率で断る。
私から遊びに誘うことはほぼほぼない。20回に1回あればいい方。
「必要とされる人」って、そこのところちゃんとしてるよなぁ、と思う。
生まれ持ったものなのか、努力してそうなってるのか分からないけど。羨ましいなと思う。
努力しているのなら、羨ましがる権利はないけれど。だって私は努力してないから。
日記なんてはじめて書いた。
私は自分の感情がはっきりしていないし、人の感情もよく分からないからこうやって書き綴ることが本当に苦手なのだけれど、たまにはいいのかもしれない。
これからも「必要とされない」んだけど思う。それを面白いなぁと思う事も続くと思う。
同じ人はいるかな。同じように思う人がいたらそれも面白いなぁと思う。
これからも「いてもいなくてもいい存在」に甘んじて生きるんだと思う。
結婚相談所で成婚して1年ぐらいたった。3年ほど活動していただが、初めから知っていたら役立っただろう事項をここに記す。
結婚相談所での活動がつらいことが多いが、自分自身を改善する機会と捉え、頑張ってもらいたい。基本的には男性向けだが、女性にも適用される事項はあると思う。
ここに書いてあることは旧Twitterで学んだことや自分で思いついたことを記載している。仲人から教えてもらったことは記載していない。
相談所で活動し始めると、土日が婚活で埋まってしまうため、自己改善(例えば、ニキビ治療など)に利用できる時間が無くなってしまうため、時間がかかるようなものは相談所での活動を始める前に開始したほうが良い。ただし、結婚相談所では年齢はお見合いを組める重要なファクターであるため、もし誕生日が間近(2,3か月後)なら結婚相談所との入会して並行して自己改善に努める方が合理的だと思う。
どのような事項を改善すべきかは、人ぞれぞれであるが、基本的には自分のコンプレックスを改善することに努めるのが良いと思う。以下の事項は一般的な項目だが、僕がやった項目を示す。
結婚相談所では検索で体重で足切りされてしまうため、適正体重(BMI22.5前後)を維持することが重要。もし肥満体形ならダイエットすることを推奨。ダイエットするなら、個人的には、これまで運動をしていなかったのであれば、散歩からはじめリングフィットアドベンチャー、フィットボクシング、チョコザップなどで運動するとよいと思う。運動を始めるとプロテインを飲みたがるが、プロテインはカロリー超過になりやすいので食事をしっかりとして改善し、プロテインドリンクは飲まない方がよい。高プロテイン食を自分で作るのが難しければ、ナッシュなどを活用するのが良いと思う。ちなみにナッシュは個人的にはあまりおいしくなかった、と思った。
もし髭が濃いのであれば、髭脱毛はおすすめ。ただし、6回程度では髭脱毛は終わらないので注意が必要。僕は20回以上髭脱毛をしたけど口髭と顎髭はまだ残っている。蓄熱式と熱破壊式があるが、僕は蓄熱式ではほとんど効果がなかった。大量の回数をこなさないといけないため、回数制限なしのコースが良いと思うが、最近は美容皮膚科がつぶれて被害を被った方もいたので、注意が必要。
僕はニキビ跡と赤ら顔がコンプレックスだったので、これらのついて治療したが、ニキビ跡については結婚相談所と並行して治療していたため侵襲的な治療(サブシジョン、TCAクロス等)ができず、あまり効果がなかった。肌治療は治療に長期間がかかるため、可能な限り早期に開始したほうがよい。ただし、肌治療は沼なので自分の中で期限など決めて終わらせるタイミングを事前に決めておいた方がよい。
まともな結婚相談所を選ぶことは結婚相談所で活動するために最も重要な項目である。結婚相談所の選び方についてはいくつかyoutubeとかで解説記事が出ている(例えば、どんなことを聞いたらよいかなどいろいろあるので自分でしっかりと調べてほしい)ので僕が個人的に重要だと思う項目を記す。
これは女性が注意すべき点だが、例えばあなたがハイスぺ婚で宣伝している結婚相談所に所属していることは、お見合い相手・仮交際相手の仲人は把握していることを注意しなければならない。お見合い相手・仮交際相手の仲人はあなたがハイスぺ婚の相談所に属していることを会員に教えることはない。しかし、あなたのことをハイスぺ婚を目指す女性であると色眼鏡で見られること、特に会員が複数の仮交際から一人を選ぶ段階になったときにお相手の仲人があなたを推してくれるか、考えてみよう。
一方で、ハイスぺ婚の相談所はそれだけ男性に選ばれるためのノウハウがあるので一長一短。
結婚相談所の選び方解説記事でも言及されていると思うが、必ず複数の結婚相談所の無料面談を受けること。成婚率の高い相談所はそれなりのノウハウを持っているので成婚率の高い相談所を中心に無料面談を受けるのが良いと思う。
結婚相談所のシステムを理解すると、まともな仲人を選ぶことが重要であることに気づく。個人的に重視していたことは、SNSで強い言葉で意見を発しないこと(SNSでバズらせるために極端な意見を言うなど)、べき論で他者(及び他相談所)を非難などしないこと、結婚相談所で活動している人を馬鹿にしないこと、など人としてまともであることが重要。
これは、結婚相談所では、二人の仲人を介して会員の気持ちなど確認する必要があり、変な仲人が介在するとうまくいくはずだった交際も破綻する。お相手の仲人はあなたが選ぶことはできないが、自分の仲人は選ぶことができる。であれば、人としてまともな仲人を選ぶべきである。
お見合いですべきことは基本的にはただの雑談である。たまに、僕がどれだけすごいか自慢をしている男性がいるが、それはやめた方がよい。誰もあなたの自慢に興味はない。お見合い1回あたりのコストは場所にもよるが3000~6000円なので無駄なお見合いをしないように一回一回を丁寧にやること。
ホテルラウンジなどのお見合いでは、1時間前に到着し、汗を落ち着かせてから席取りをする必要がある。ただし、長時間席を占有するとラウンジに迷惑をかけてしまうため、込み具合を確認しながら席を確保するとよい。1時間も前に来るとさすがにだいぶ余裕があるので、相手プロフィールを再確認するなどした方がよい。ただし、お見合い4連チャンなどするとお見合い相手のプロフィールが混ざるので確認しすぎには注意。
女性は席を確保する必要はないが、少なくとも15分前に待ち合わせ場所に到着できるようにした方がよい。事前にメイク等を確認する場合は、会場に複数のトイレがある場合は待ち合わせ場所から離れたトイレでメイクの最終確認をするとよい。近い場所のトイレだとお見合い相手と遭遇してしまう可能性があるので注意。
たまに、女性の中には席を確保していることが当たり前、と勘違いしている方がいるがそれは違う。相手があなたのために時間を割いて席を確保していることにしっかりとお礼を言った方がよい。
アプリの緊急連絡ツールで遅刻しそうな旨を早めに連絡すること。電車に乗った時点ですでに遅刻するか、待ち合わせ時刻に間に合うかわかると思うので、遅刻しそうになったら先手を打って連絡する。連絡する際はお待たせしてしまうのは申し訳ないので、先に席で待っていてくださいなど記載する(というか定型文を先に作っておくのも可)。
服装はスリーピースのスーツにしとけ。あとネクタイは必須。スーツについては結婚相談所に入会後に仲人と相談して体形に合わせて購入すること。
お見合い会場(例えば、神宿にあるホテル)によっては、10人を超えるお見合いが同時に開催される。ぶっちゃけ、結構盛られた写真だと顔の判別がつかなくなるので、少なくとも服装はお見合い写真と同じにすることが必要(女性も同様)。
男性側がお見合い15分前を目途に、確保した席からお見合い会場に移動し、緊急連絡ツールで以下を連絡する。
・会場に到着していること
・席を事前に確保していること
お見合いを楽しみにしていること
お見合いは基本的には1時間で終了させる。注意しなければならないのは、お見合い中に時計を見る行為はご法度(つまらないから時間を確認している、次のお見合いの心配をしている、とネガティブにとられる)。一方で、ホテルのラウンジには時計は設置されていない。おすすめは掲載のアラームで音楽を流さないでバイブで時間を管理する。15分前にお見合い会場に移動すると15分前に到着している稀有な女性もいるので、初めのアラームは45分、二回目は1時間で設定する。
なるべく失礼のないように、時間は大丈夫ですか、と確認する。どのように話を振るかは仲人に相談してくれ。
基本プロフィールの内容に沿って、雑談する。ただし、プロフィールの内容を一つ一つ確認するのではなく、話題を広げていくこと。雑談に仕方はamazonで本があるので検索してさがしてくれ。
などなど。リストは自分で構築しろ。突然質問を振ると不自然なので雑談の中で、AND YOUの法則をうまく活用する。
プロフィールの内容は正直不要な情報が多いので、お見合い前日の夜にプロフィールの内容をiphoneのメモ帳などに箇条書きでまとめておく。また、余裕が事前に質問も作成しておく。作成したプロフィールをベースに、お見合いで会話したこと、仮交際中のデートで話したことなど追記していくこと。これは、仮交際を5人ぐらい並行すると誰と何をしゃべったかマジでわからなくなるため。
暇があったら一回お見合い会場のラウンジで気ままに一人でカフェでもしてみて、お見合いしている人たちの姿勢を見てみるとよい。大変姿勢が悪いことに気づく。
めんどくさくなってきたのでここで終了。仮交際時の注意事項までたどり着かなかったわ。
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本当だすげー
凶悪犯罪ってのは非常に稀有、分布の裾の方の出来事で、そういったことする人には世間一般のこうだろうというのはあまり当てはまらなかったりする。あと、そもそも結婚できない人というのは昔からそれなりの数がいるけど殆どは事件を起こしていないでしょ。
森博嗣は現役時代(自称引退、続々出版中)厨二だとかなんとか言われたけど、今の評価はどうだろうかと思う。
確実に、定期的に森博嗣の本にハマる若い世代を見るし、いろんな形でおすすめする人もいる。
平成初期だと森博嗣の書くキャラたちの行動はもしかしたらキャラ性が強い、非現実的なもののように受け取る人が多かったのかもしれない。
でも今ならどうだろうか。孤独に進む人はたくさんいるのではないか。
昨今、いろんな若者の意見を見ていると、孤独を感じている人は、おそらく森博嗣を読めば救われる人が多少いるのではないか、と思う。
自分もそうだった。なお孤独がやわらぐという話ではない。孤独を受け入れる。孤独が好きになる。そういう意識転換をすることで、楽になる人は多いはずなのだ。
森作品は触りだけで読むと勘違いされがちだが、しっかり読めば決して選民思想でないことも重要だ。
孤独でなにが悪い?と言う人はYouTubeにいっぱいいるだろう。
天才を描く人も美形を描く人も。森もそうだ。
でも森作品をおすすめできるのは、否選民思想の部分、もしくは自分にある思想に抗おうとしている部分だ。
普通にデビュー一作目から読んで、一作目で終わらずそのシリーズを追ってみてほしい。言わんとしていることがなんとなくわかってくる。
今後どうすればいいか深く考えたいと思い、思考を整理したくて書いた。無駄に長文。
こうした節目の季節や長期休暇の頃合いになると、決まって親から帰省の催促がなされる。
不快な思いをしながら、適当な言い訳を付けて断るのをもうずっと続けている。家族とは今のところ折り合いが非常に悪く、諸々の事情からもう帰らない(帰れない)と心には決めている。
その気持ちを明言してしまい状況が変わってしまって面倒なことになってしまうのが嫌で、対話を避けてはっきりさせない気持ち悪い状態をずるずる続けている。
ただ、既に私もいい年だし、逃げ続けるのも良くないのではないか、もう親に影響されずに気持ちよく年を越したいと思い、これまでの半生を振り返ってどうすればいいか考えている。
私自身としては自らの親のことを毒親だと思っているものの、多分世間一般のラインからすれば普通の家庭なんだろうと思う。親も人間であり完全ではない、そんなこともわからずに、SNSに毒されて親に対して求めるもののハードルが上がっていて、それを満たせていないから親が嫌なんだと。そんなふうに考えている自覚もある故に、割り切れないところもある。昔は本気でそんな思いだったものの、もう30を超えた今は流石にそれが間違いであることはわかる。でも親が憎くて嫌いなのは変わらない。そのあたりのおかしなバイアスを指摘されたりするとわざわざ公開された場所に乱文を残す価値もあるんだろうと思う。
私は地方の田舎で生を受けた。しばらくして妹も生まれた。家族は父母姉妹の4人だった。
きっと嫌なことが多かったんだろうと思う、年齢が一桁の時の記憶はほとんど無い。うっすらと、親に暴力をふるわれた事や、血筋の中でも頭が回る方で小学1か2年生くらいの最初はそれを褒めてくれた事は覚えているような気はする。
その時の母親の口癖は、「私があなたの頭を殴って大きなたんこぶを作ってから頭が良くなったんだ。」というものだったと思う。曖昧な記憶でも、これは間違いなく覚えている言葉で、今でも子どもに対して暴力を振るいあまつさえそれを誇るような言動をするなんてとんでもない倫理観の人間だと、親を嫌う理由の一つとなっている。
母親は専業主婦であり、家事を一通り終わらせたら延々ネットゲームを行っており、家にいても常によく知らない誰かとボイスチャットをしていたのをよく覚えている。とにかく世間体を一番とする。痩せていると世間体が悪いからという言葉で少食なのに無理に食べさせられて今でも食事に苦手意識があるのと、拒否しているのに美容院に連れて行かれてそれらしい髪型を強制されたのも記憶にあるところ。また、家族間では一切の秘密を許さないとのことでプライベートの全てを否定していたこともあった。うっかり見てしまったことがあるが、あなたのパートナーが影で隠れてアダルトビデオを見ていることも把握しているのだろうか?ヒステリーを良く起こす方で、父親とは仲が良いようには思えず、常に離婚をちらつかせて喧嘩していた印象がある。たまに課金のためにコンビニに連れて行ってもらい、ついでにお菓子を買ってもらったこともあった気がする。総じて印象が良くない。
そんな母親に対して、父親には正直印象が無い。何をやってるのかよくわからない、たしか何らかの肉体労働だった気がする、氷河期世代で割の良くない仕事に早朝から遅くまで関わっており、休日が不定期なこともあり、ほとんどコミュニケーションが無かった。もちろん低賃金ゆえ常に貧乏家庭でもあった。休みの日はもっぱらパチンコ漬けのようだった。社会人になってから思うと申し訳ないと思う気持ちはあるものの、正直普段同じ場にいない人間とは話が合わないし取れるコミュニケーションなんて限られてると思うし、今更仲を良くする価値も感じないところ。
そんな親の元過ごした小学生や中学生の時代、確かに頭は良い方で学校の成績は5本の指に入るくらい良かった。ただ、その代わりに子供らしさというのを何処かに捨ててしまったらしい。良く言えば控えめで物静か、悪く言えば根暗コミュ障。外に出て運動をするより部屋で本を読んでいたほうが良い。そんな子どもらしくない子どもは、世間体を重視する母親のイライラゲージを溜めてしまうらしい。頭の良さを褒められることも最初だけで、ある時からそれが当たり前で褒められることも無いし些細なミスで詰められたり、そんなようになってしまった。
一方で妹の方は私に比べればマシな人間だった。学校の成績は普通だが、いわゆる子どもらしい子どもであり、また、悪知恵も働いた。もちろん親は頭でっかちな姉よりも妹を好み、悪知恵により陥れられたことも何度もある。その都度姉なんだからと我慢させられた経験は山ほどある。
中学の頃、決定的な事が起こる。運悪く治安が最悪な世代に混ざってしまった中学時代。いじめは横行するし自殺未遂の話もあった。そんな殺伐とした空間で思春期を過ごして平常でいられるわけがなく、必死で生きようとして荒んでいた時。妹との扱いの差や親のおかしなところに気が付き始める時。今でも解決してない自身の性別に対しての悩みを持ち始める時。そんな難しい時に家族と買い物に出かけることになった。その時にとても不機嫌な対応をしたんだと思う。帰って自室に戻って一休み。催してトイレに行こうとした際に、両親のいる居間から「なんで◯◯なんて産んだんだろ、産まなければよかった」という声が聞こえてしまった。私が近くにいないと思ってそんな話をしたんだろう。実際可愛げのない私はいらない存在だったんだろう。それ以降、両親のことは一切信用しないことにした。喧嘩をしたとかの直接的な言い合いがヒートアップして出てしまったならまだしも、影でそのようなことを言うなんて、いっときの気の迷いとかではなく本気なんだろうなと妙に腑に落ちたところがあった。
以降の高校時代はそういう恨み言が続くだけ。勉強はできたので大学は行きたかったけれど、貧乏な家庭の上に当時の奨学金に対してのバッシングも相まって、大学は諦めることになり結局私自身も親と同じ高卒になってしまった。中学時代に仲が良く一緒に勉強を頑張った当時の友人は東京の有名な大学に行ったらしい。世の中は平等にできていないことを強く認識することになった。就職が近づくと老後は頼んだとか寒いことを色々言われた気がするが、もちろんもう何も信用してないのでさっさと親は捨てて一人で生きていくことを考えていた。一応長子だったので、そういう老後の世話や家を継ぐことを期待されたのも多かったと思う。
高校卒業後は当時のネット友達を頼り、地方を出て東京で職を得ることができた。
こんな得体のしれない高卒の人間を総合職として採用してくれた小さなベンチャー企業も、今では大きくなり比較的良い待遇で仕事をさせてもらっている。パートナーもできてプライベートも充実した。
このときの悩みは今の仕事がどれだけ続けられるかというところと節目でやってくる親の帰省の連絡だった。親からのメッセージの通知が来るたびに心臓が早鐘を打ち不眠になる。最初は真面目に帰省していた。わざわざ親の好む服装・髪型にして。ここでの転機はコロナ禍の時だった。コロナ禍で帰省を自粛していた頃合いだったが、流石に間が空きすぎたのとある時波と波の合間で落ち着いてきたタイミングであったことから断りきれず、久しぶりに帰省することになった。久々の帰省で大きなストレスを受け、パニック発作を起こすことになってしまった。そこからこじらせてしまい、本格的なパニック障害になり家から出ることもままならなくなってしまった。年単位で時間をかけてなんとか仕事を続けられる程度には回復したが、未だに外出を行う際には辛さを伴うし、一人で遠出をすることもできない。なんとかある程度回復した症状をぶり返すようなこともしたくない。人生の全てが閉じられ終わってしまうようなあの感覚をまた感じたくはない。かくして帰省はしないものからできないものになってしまった。もっとも、世間体を気にする親は子の精神疾患なんて認められないだろうし、あるいは無理に連れ帰らせる、会おうとしてくるなど余計なことしかしないだろうことが想像できるので、この件も話してはいない。
このような人生を送り、この日記を書いた現在に至る。家族は嫌いで精神も壊した。それでも、一人で生き抜くことを決意してハードワークして作った資産もできた。昨今の好調な株式市場のお陰でこれもかなり大きくなり、もう当分お金に困ることはないだろう。そうなるといよいよこの親との関係をどうするのかというところが割合として大きくなってくる。お金と一緒に順当に年も増え、もう30を超えてしまった。そんな年齢になってまで未だに身近にいない親を恐れ嫌いな親の期待に応えようとすることが馬鹿らしく感じ、整形なんかにも手を出したりもした。親が期待した娘は部分的にこの世から消えた。あまり実感がないものの、幼い頃の暴力が未だに影響しているような気がしていて、親のことは嫌いなのに親に直接刃向かうようなことを実行するのに未だに抵抗を感じてしまって辛くなる。そういう精神的なところから親を振り払うとともに、関係性もなんとかしたいと思うところ。
こんな長文をここまで読まれている方は稀有だろうと思うが、世間体と好みと役割を気にして私を直視しない私の憎む親と同様に、私もまた親のことを理解しておらず、対話を避け一方的に親を嫌っている事には気がつくだろう。私には色々な悩みや聞いてほしいことがあった。今の生活だって盤石ではないし、何かと家族と連絡がついたほうが生きやすいところはある。そういうのを全て過去の親の言動を延々に引きずり信用できないと切り捨て全部抱え込んで生きてきたのが今の私だ。これまでの言動や行動からどうせ否定されるだろうと決めつけ、またしまい込むのは簡単だが、どうしても筋が通ってないように思う。どうせなら自分が過去のそういう言動で深く傷付き親を信用していないこと、自らはこういう悩みを抱えていて生きにくい事、その上で、あなた達が受け入れる気があり、私が許せるのであればマイペースに付き合っても良い。悪口というのは加害者は覚えてないだろうから、受け入れる受け入れない以前にそれでも許せるのかというのは難しいところではあるが。一方で理解できないこともあるんだから受け入れなくてもいい。誰にも迷惑をかけずひっそり生きていても、セクシャルマイノリティは迫害の対象なのが昨今だし、別に親がそういう人間であっても不思議ではないし、むしろたまたま親になっただけの存在にそんなのを期待すること自体が贅沢なんだと思うようになった。それ以外にも複数嫌われるべき理由もあるし、そういう場合は縁を切ればいいだけ。そういう選択肢くらいは親に与えても良いのではと思うようになってきた。別に縁を切られたってこれまでの人生計画は親無しでやっていくつもりだったんだから、支障はないしむしろ公式に縁が切れれば親からの連絡に怯える日もなくなる。受け入れてくれるならそれもまた良いだろう。人間年を食うと丸くなると言うし、期待はしてないがそんな可能性もゼロではないだろう。人間関係が希薄な令和の社会で、一人でも話ができる人間はいるに越したことはない。戸籍制度等のせいでどうやっても親と絶縁することが不可能な日本社会において、親との関係性は悪いよりは良い方が良いに決まっている。もしこのルートで進むのであれば、将来親の葬式をポジティブに主催したいと思えるようになれたらなとは思う。最近始めた新しい趣味の話とかができたら良いなとは思う。本質的に私は寂しがり屋で、一人で生きるよう常に努力しているが、親という存在を欲しているんだなというのも俯瞰してると思うところ。
ここまで書いたら、支離滅裂な長文乱文な割に随分思考が整理されてスッキリしてきた気がする。私は親を許すつもりはない一方で理由も分からず対話もせず消えてしまうのは筋が通ってないように思う。私は私の力で過酷なこの時代をなんとか生き抜くスキルを身につけられたと思っているが、認めたくはないものの、親の影響もそれなりにあるんだろう。少なくともこの年齢まで生き、ある程度の職と資産を得られた時点で虐待によって命を落としてしまった子ども、家庭の都合で高校にも行けず不本意な中卒でもなんとか生きる子ども、歪んだ教育で犯罪に走ってしまう子ども、それらの親であるところの真の毒親よりよほど良い親であったこともまた過程はともかくとして事実なんだろう。だから、今回の帰省もキャンセルして、しばらくしたら思っていることをぶつけ、筋は通そうと思う。そんな厄介な子と関係を続けたいのか続けたくないのか、ボールは親に投げられる。今の時代は覚悟さえできればスマホでポチポチして三行半を叩きつけることができる。行動を起こすことでメンタルは悪化するだろうが、こんな年齢でこんな馬鹿げたことをしているのに耐えられなくなってきたし、じわじわ心を壊されるのも終わりにしたい。だから気持ちは伝える。これが結論。未来の自分や他人からしたら甘いと思われそうではあるものの、縁切りも気持ちよく行いたい、そんな気持ちが強い。それに、双方納得の上で関係性を定義できれば、これ以上の干渉の無い理想的な形で終わらせることができる。頼もしい人生の味方を得られるかもしれない。だから、きちんと気持ちを伝えて、この気持ち悪い曖昧な関係を終わらせようと思う。
FXの楽しさを語るなら、それは単なる言葉遊びではなく、魂を燃やす冒険そのものだ。市場という名の壮大な劇場に足を踏み入れた瞬間、全身を駆け巡る興奮と、計り知れない可能性に心を奪われる。その感覚は、誰もが一度は夢見る自由な生き方を、ほんの一瞬でも手にしたかのような錯覚を与えてくれる。そして、その一瞬が現実に変わる可能性があるのが、この世界の醍醐味だ。
相場が動き出す瞬間の緊張感、それは心臓が跳ねるような感覚だ。チャートを見つめながら、「ここだ!」と思うポイントにエントリーするその瞬間、全身の感覚が研ぎ澄まされる。その一方で、ミスをすれば大きな痛手を負うかもしれないというリスクが、まるで生きていることを実感させてくれるようだ。恐怖と歓喜が交錯するその刹那こそが、FXを特別なものにしている。
そして、何よりも魅力的なのは、FXが極めて個人的な戦場であるという点だ。他人の目を気にする必要もなければ、上司の顔色をうかがう必要もない。ただ自分自身の判断が全てを決める。その自由さは、現代社会において稀有なものであり、同時に恐ろしくもある。だからこそ、勝ったときの達成感は何にも代えがたい。
また、FXを通じて得られる学びもまた、計り知れない価値を持つ。テクニカル分析の奥深さや、経済指標の影響力、さらには心理戦の重要性など、市場で勝ち続けるために必要な知識は多岐にわたる。その過程で、自分の弱さや限界にも直面するだろう。しかし、それを乗り越えたとき、単なる「トレーダー」ではなく、自信に満ちた「戦士」としての自分がそこにいる。
もちろん、すべてが順風満帆ではない。連敗が続くとき、眠れない夜を過ごすこともあるだろう。しかし、その苦しみさえも、FXの本質を知るための重要な一部だと思える。なぜなら、それがあるからこそ、勝利の味がより甘くなるのだから。
最後に、FX 10万円チャレンジが楽しい理由を一言でまとめるのは難しい。それは、人生そのものが持つ複雑さや可能性、そして挑戦の全てが詰まっているからだ。勝つ喜びも、負ける悔しさも、すべてが自分の糧となり、新たな挑戦への原動力となる。そう、FXは単なる金儲けの手段ではなく、人生そのものを楽しむための究極の舞台なのだ。
参考文献
https://anond.hatelabo.jp/20241215222347
・チェック項目が大量にあるけど求めてることはぶっ飛んでない
・返報性やフェアネスがある
こんな人間性なら多少…ごめん失礼なこというけど、かなり御面相がまずい人でも結婚できるんだよな。
バイタリティがあって頭悪くない女は外見的に強く敬遠される要素(プロ野球の有名なキャッチャーに顔がそっくりとか、縦にも横にも巨とか)があっても余裕で結婚できてる。
ってことだと思う。
バカ女というのはこれが出来ない。
ただただなんか不満。なんか嫌。なんか物足りない。
(この精神状態をフェミニズムとかがオルグしさらに脱線させて幸福から遠ざける。)
美貌や若さだけで勝つ女もいるかもしれないけどそれは不敗の強さじゃないし
旬を逃したり無限の不満に拘泥したりすれば強みがあっても負けていく。
おそらくバイタリティのあるブスは成長過程で自己観察や自己統御を要求される機会が多いので
負け犬ムードに陥らずに成人まで到達したブスは不敗の強さを持っていることが多々ある。
でそんな女は少ない。
十分ちやほやされる程度の容姿の女が増えたし
カバー可能範囲のブスで美容にばかり注力して人格が研がれなかった女も多いし
カバー不能ブスでもへこたれないバイタリティがなく引っ込み思案に生きる女が多数派。
金の草鞋を履いてもバイタリティのあるブスを探せと。
俺が言いたいのはそういうこと。
さて、保険金殺人未遂犯と思われるひき逃げドライバーとその周辺(病院や東京都や国や保険会社)を訴えた民事裁判は、裁判官忌避申立や書記官忌避申立の甲斐も虚しく口頭弁論が終了し、判決は2月後半となりました
ドライバー本人の証人招致が却下されたことを考えて、判決は「訴えの利益がない」として棄却となる可能性があります
今回は5年前にワタシが訴えられて一部和解し、改めて訴え返す形の裁判だったので少しマシですが、私はうっかりS弁護士の懲戒書を証拠に出したので、工作員団体(裁判所と検察と弁護士の一部)に敵視されている可能性が高いです
なせなら郵便物の化学物質汚染があったのは、今回訴えたときではなく、裁判官を忌避したときです。なので担当裁判官が工作員であることはほぼ間違いありません
相手方弁護士らは控訴の準備で既に担保による仮執行差止めを主張していますので(私を油断させる目的もあると思われますが)、被告が控訴するに至る判決になる可能性もある
いずれにせよ二審に至るであろうし、全員が控訴するなら、裁判所には裁判手数料が入ります(あと4万8千円×当事者8名)
2審のシナリオももう描かれていると思います(第1回口頭弁論で終結。手間はかけない)
したがって、いかに当事者に控訴させるかが、一審工作員裁判官の腕の見せどころです
これは以前、S弁護士の裁判資料横領未遂等を訴えたときと非常に状況が似ているのです
(このときの横領は裁判所が指示していたと見られます。なぜかというと、かの無責任な東弁ですら、私の代わりに横領物を本人から取り戻すという、稀有なサービスをしたからです)
これは私の祖先が損保大手の工作員で一家殺人のうえ資産乗っ取りをした(明治の背乗り)ため私に不承諾の生命年金保険をかけてあったから、軍人教授の孫だから、原発安全事業に関わった人の娘だから、母親が米軍関係者の親戚だから、という4つの説があります
いかがでしょうか?
kuzudokuzu
その子供について産まれたか否かが明確に語られていないところがキモかもしれん。
こいつはいったい何なのか。
こいつに☆つけてる十数名はいったい何なのか。
この人たちは一体どうなっちゃってんのか。
結婚式の準備、新居の準備など、やることは山ほどあったし、家事の分担もしっかりできていた。
料理好きの夫は、わざわざパンやケーキまで焼いてくれた。私は結婚したことを嬉しく思っていた。
2年目になると、なんとなく夫のテンションが下がってきた。
料理が簡単なものになり、趣味だと豪語していたパンやお菓子を作らなくなった。
以前は定時で帰ってきて土日も家にいたのに、不在が増えた。
夫曰く、部署異動により飲み会が増えた、資格の勉強のために土日はカフェなどにいるとのことだった。
家事分担がやや私に偏り始めたが、私も一人暮らしが長かったし、そこまで気にはしていなかった。
3年目が近づいた頃、夫が無断の外泊や、突然の旅行の予定が増えた。
私も友人と旅行に行ったりするのであまり気にしていなかったが、結婚記念日前後やクリスマスも出かけたり旅行の予定を入れたりするので、さすがに抗議した。
夫は、自分たちは別に恋愛結婚じゃないんだし、イベントにこだわらなくてもいいのでは?と返してきた。
それはそうなんだけど、もモヤモヤした。
これ正答できない感じの人たちってもう何もしなくてよくない?
ネットで自由な何かを読んだり感想述べたりする必要ねえっつうか
日常会話とメシとクソの話だけしてろよと思ってしまうんだけど。
kuzudokuzu
その子供について産まれたか否かが明確に語られていないところがキモかもしれん。
俺こういうのが人がましいツラしてるのが一番腹立つんだよな。
「かもしれん。」ってなんだよ?
なになんか「文中に隠された筆者の心」とか読もうとしてんだよ日本語も読めねえくせによ。
こんな、母国語の、中学1年生でも読めなきゃちょっとどうかなレベルの文章を読めない分際で、
何かがキモであると示唆して、もっともらしく「かもしれん。」とか言ってるんだぜ。どんな探偵なんだよ。
意味とは?ってこっちが聞きてーんだよな。
日本語も読めない奴が何か思索(笑)を巡らせてわざわざ他人様の目につくところに意味のねえこと書きつける意味とは?
俺が見た時150ブクマぐらいでこのコメントが4位ぐらいに着けてたからね。
たまたま一人がバグってたんじゃなくてこれが支持されるぐらいにはみんなでバグってんだよな。
俺こういうの見るたび
お前ヤバいだろこいつらヤバいだろはてな民ヤバいだろって言ってきたんだけど
ここ数年でようやく気づいちゃった(遅い)。意外に人類がこのレベルなんだよな。人類を大幅に買いかぶってた。
母国語で大した内容じゃないことが書かれててもその内容パッと把握できるのは稀有な才能なんだよな。人類のスタンダードは文盲気味なんだわ。
殆どの人類は「仕事で繰り返し触れたパターンの文章ならわかる」ぐらいの感じ。それで上等な方。
だから腹立つ腹立つって書いたけどこの人たちを馬鹿にしたり憎んだりするのはやめます。
PlayStation® Partner Awards 2024 PARTNER AWARDを受賞したゼンレスゾーンゼロでは、作中のゲームセンターにおいてミスタードリラークローンであるソウルハウンドIIIというミニゲームが遊べます。
4人のオンライン対戦モードやスコアボード機能もあるほか、実績達成でわずかばかりのガチャ石がもらえるなど、やりこみがいのある作りとなっており、ドリラー系のゲームジャンルでプレイヤーコミュニティが現在でも機能する稀有な存在となっています。
こちらは基本プレイ無料でPC/PS5/モバイルに対応したマルチプラットフォームの3Dアクションゲームとなっています。ミニゲーム部分は完全無料です。ゲームのリリース当時はドリラーファンがこぞって集まっていた本作に触れてみませんか?
大まかにはこういう設定だ
・国王は、オデコに生まれつき緑色に光るアザを持って生まれた者が血筋に関係なく就く。
・アザは神が授けたものだとされ、アザ持ちは実際、あらゆる天賦に恵まれた傑物に育つ。
・現国王は、祖父も甥もアザ持ちの、神に愛された一族に生まれた。14歳の甥が15歳になり成人したら譲位する段取り。
・主人公は辺境の村で育ち王制度をよく知らなかったが、実はアザ持ちで、史上初の「同時代に生まれた次の王候補」で、王都に連行される。
・初期は全能力値ゼロの薄汚い文盲の主人公でも、ときメモみたいにパラメーター上げていけばもう一人の王候補者に勝って次の王になれる。
・無性別で生まれて15歳で成人したら性別が生えてくる種族で、14歳の主人公は男女どちらとも恋ができて最終日に成人して結ばれることができる。同性愛は禁じられている。
・愛情エンドの他、友情・憎悪・裏切・殺害などのエンドもある。
サニャは16歳女性、王城へ引っ張り出され戸惑う主人公の世話係になったメイドさんだ。
田舎者の主人公が気後れしないよう、サニャも田舎出身のそばかすのある純朴な子で、敬語が下手くそなドジっ子だ。
ときメモなど世のギャルゲー・乙女ゲーでは、大抵主人公はパラメーターを上げれば上げるほどキャラの好感を稼げる。
しかしサニャは、主人公が才覚を見せるとビビって去ってしまう。
主人公が取り柄のないぼんくらな時は、田舎者同士としてのほのぼの恋愛をやってくれるが、
頭角を現すと「立場をわきまえず申し訳なかったです」と、身を引く。
ろくな教育を受けず文字の読み書きすら不得手なサニャは、主人公が成長すると気後れしてしまう。
「ちょっと優秀」ぐらいの能力に抑えて王以外の一般職に就いて結婚するか、王になった上でサニャには日陰者の愛人になってもらうかのエンドの方が簡単だ。
サニャを王妃にするのは非常に難しい。だからこそ達成できた際の満足感が大きくドラマチックだ。
ヴァイルはもう一人の王候補者で、帝王学を学んできた正当な後継者であり、まだ14歳の無性別。
成人したら男になると宣言しているが、主人公と恋愛関係になった場合、主人公が男になると合わせて女になってくれる。主人公が女になれば、当初の望み通り男になる。
「無邪気な男児」っぽい振る舞いを意識的にしつつも、特殊な立場に生まれついたことで厭世的な部分を持つヴァイルは、主人公と関わらない多くのエンドでは「一族は彼にて断絶した」と表記され、誰とも結ばれずに敢えて「王が多く生まれる家系」を途絶えさせたことがわかる。
何故か、憎悪監禁エンドにおいても「断絶した」の表記はなく、また通常は男性になっているところを憎悪エンドでも主人公の性別に合わせてくるので、男女どちらにせよ主人公に子作りを強いているようだ。
ヴァイルは主人公と一度恋愛関係になった上で、主人公にある行動を起こされ地雷を踏まれると愛情が反転して憎悪に変わり、他にいろいろ条件が重なると、王位を継ぎ、王の強権により主人公を自分の部屋のそばの一室に監禁するようになる。
一定の条件により、「強い感情」が全く逆の方向に「反転」するのはこのゲームの特徴の一つだ。
記憶がリセットされるわけではないので、愛情経由の憎悪エンドでは愛憎入り混じりながら主人公と子作りする。
また、このゲームは「最終日」に誰かに会いに行って告白すると愛情エンド、殺害すると殺害エンド、という流れになるのだが、ヴァイル憎悪は最終日の翌日のイベント経由で発生するので、他キャラエンドとの並行が可能である。
主人公が監禁された場合に、神官と友人関係だと「神殿が王と対立」となるし、アウトサイダーと恋愛関係だと「監禁された主人公をさらって逃げた」となり、他キャラとの組み合わせによるバリエーションの豊かさもヴァイル憎悪エンドの魅力だ。
17歳のタナッセは現在の王の息子で、王子という立場でありながらこの世界の特殊な王制から彼には継承権がない。
親とイトコと曾祖父が王なのに、自分は神に選ばれなかったという立ち位置が彼を屈折させている。
突然現れたアザ持ちである主人公に初対面時から憎悪度高めだが、主人公がひたすら好意的に接していると次第にデレる。
しかし、態度が和らぎはしても、途中で愛情度にキャップがかかりそれ以上なにをやっても上がらず、正攻法では愛情エンドには到達できない。
タナッセと結ばれたい場合には、ひたすら彼に悪態をつき、タナッセの私物を奪い取ったり、タナッセを池に引きずり込んで溺れさせたり、そうやって互いに憎みあい、命を奪われかける域に達した後での反転でこそ、ようやく愛情エンドを迎えられる。
お互いのクソさと弱さを知り尽くした上で与える赦しこそがタナッセの心を真に開くことができる。
魔法の類はお伽噺のような扱いの世界で、本当に各種の魔術を操れる。
ある目的のために警備の厳しい王城にも魔術を使って侵入を繰り返しており、親しくなれば主人公も彼女から魔術を学べる。
14歳まで性別のないこの世界では同性愛も発生しやすそうだが、同性愛者ばかりでは国が立ち行かないため法律や倫理が同性愛を禁じる。
15歳になった時に恋愛相手と同性を選択するのは、強い拒絶の意思表明のような扱いだ。
他のキャラは主人公が同性を選択すると「裏切られた」とショックを受けて関係が破綻し「裏切エンド」になってしまう。
しかしルージョンは闇に隠れて生きるアウトサイダーなので通常の倫理は持ち合わせず、主人公が同性になっても恋愛関係を保つことができる稀有な存在だ。
神の寵愛を受けたとされるアザ持ちの主人公と、神に背いたとされる魔術師ルージョンが、誰にも知られず森の中でひっそり共依存気味に百合百合するエンドだ。
気を張ってツンデレしているルージョンは男主人公にはツンデレのままだが、女主人公には幼児帰り気味に弱さを見せてくれる。
トッズは年齢不詳の怪しげな商人の男で、およそ恋愛ゲームの攻略対象キャラとは思えないモブのような風貌だ。
彼はただの商人ではなく裏の顔を持つアウトローで、正体が割れた場合、展開によっては極刑にすらなる。
許されて取り立てられた場合は主人公を愛し仕えるようになるが、ルージョン同様に到底公的な結婚が認められる立場ではない。
このゲームにはキャラから主人公への好感度だけでなく、プレイヤーが各キャラに対して割り振る「印象度」がある。
トッズは恋愛展開になった場合、「お前が他の誰かとめあわされても立場上仕方ないが、心だけは俺を一番に思ってほしい」と重い愛を告白してくる。
主人公の愛情印象度が、トッズより他の相手に対して1ポイントでも高いとトッズの愛情は反転して憎悪と化しヤンデレエンドを迎える。
印象度で主人公が好き好き状態だと釣られて愛情度が上がっていくキャラもいれば、主人公の心情に全く気付けず釣られないキャラもいるのだが、1ポイントの違いで反転してくる敏感さはトッズだけだ、
モゼーラは王城内の図書館に仕える文官だ。識字率が低く書物が貴重な世界で、平民出身ながらエリートバリキャリだ。
地味顔の22歳で、恋愛遍歴は多いが思想が強いせいで結婚に至らず、この世界では行き遅れなことを気にする清楚ビッチ婚活女子だ。
恋愛面においてはちょっと優しくされるとチョロく惚れてくる彼女だが、その本質は革命烈士である。
王とは人民のためにあるもの、そうでなければ滅ぶべきだとの強烈な思想を持ちルートによっては現王暗殺ですら成し遂げる。
血筋に関係なく神が選ぶはずの王が、実際には一つの貴族家系に偏って生まれるここ数代の流れに不満を持つ彼女は、14歳まで平民として育った主人公にこそ希望を見出す。
彼女のチョロさと思想の強さ両方を汲み取り、二人で腐敗した貴族たちをぶっ倒してこの国を変えるぜエンドだ。
他の平民キャラは王妃にするのが難しかったり、立場・性格的に完全に結婚は無理で内縁にしかなれない中で、モゼーラは王の傍で国を改革するという強い意思があるのですんなり王妃になってくれる。
魔術師ルージョンとは生き別れの双子で、妹ルージョンと瓜二つの女性的な美貌を持つ男性だ。
アウトサイドへ堕ちた妹との関係修復を最大の願いにしてきた彼だが、主人公と恋愛関係になった場合には主人公を最愛の人として妹のことは諦める。
最愛の妹を永遠に失うことになった彼は、次の相手は絶対に手放さないという決意があり、最終日に主人公がティントアではなく別の人に会いに行きその人エンドを迎えようとすると、横入りして主人公の行動をキャンセルさせ強引にティントアエンドにしてしまう。
また、最終日の後で主人公は成人後の性別を選択するが、「男」を選ぼうとしても、ティントアに勝手に「女」にされ、進路もティントアと同じ神官にされ強制的に結婚させられる。
選択肢を選ぼうとしたらティントアが勝手に選んで消去してしまう下りはゲームならではの恐怖がある。
体格が良く実力がある反面、上がり症などメンタルの問題によって出世の場である御前試合で勝てず、辞めて地元に帰ろうかと悩んでいる。
ときめきメモリアルシリーズでは、陸上部の女を落としたいなら陸上部に入って活躍、美術部の男を落としたいなら美術部に入って活躍、が定石である。
そのノリで、剣士グレオニーと仲良くなるため剣術を鍛えると、すぐに御前試合でグレオニーを超える活躍を見せてしまい好かれるどころか嫉妬され憎悪度がガンガン上がってしまうという罠がある。
肉体派成人男性の戦いの場に、二次性徴も迎えていないクソガキが出てきてチート無双したら反感を買うのは当たり前だ。
真剣に部活やってるのに高校から始めたようなぽっと出の主人公に抜かれて嫉妬しないときメモの奴らは人間が出来ている。
アザ持ちチートがいかに異常で持たざる者の心をかき乱すかを示す展開の末に、主人公を殺めかけたグレオニーが処刑されるエンドだ。
リリアノは現在の王であり、タナッセの母、ヴァイルの叔母にあたる36歳バツイチ。
いかめしい言葉遣いで王らしい王として振る舞いあまり感情的にはならないが、立場上息子の育児をあまりやれなかったこと、息子がものすごい捻くれたクソガキに育ったことが心残りである。
主人公が幼く無垢に甘えて見せるだけで母性を持て余すリリアノの好感度はぎゅんぎゅん高まり恋愛エンドは容易だが、憎悪エンドは難しい。
田舎から出てきたクソガキに憎まれ口を言われたぐらいでは彼女は憎み返してくれないし、物理的な嫌がらせをするには警備が固い。
そこで使えるのが彼女の最愛の息子であり、アザコンプレックスを持つ息子を焚き付け破滅させ死に追い込むことで、ようやくリリアノは主人公を仇敵と見做してくれる。
厭世的なリリアノは多くのエンドでは権力者故に命を狙われ、譲位後は抗わずにあっさり死んでいるのだが、憎悪エンドでは次代の国王となった主人公をぶっ潰すため生命エネルギーに満ち溢れ死亡を回避してくれる。
ローニカは主人公に使える侍従であり、攻略対象中最年長52歳の老翁である。
優しく穏やかな好々爺に見えるローニカだが、王に命じられるまま政敵を葬る暗殺者としての姿を持ち、それこそが本業である。
彼の本性を見抜いた上で38歳の年の差も超えて結ばれる恋愛エンドも難しいが、憎悪エンドはゲーム中トップクラスの難易度。
主人公の名前はデフォルトでは「レハト」で、マスダでもなんでも好きな名前をつけられる。
ローニカは基本的には過去を隠して優しいじいちゃんとして振る舞うので初期好感度は愛情(許容)も友情(共感)も高いのだが、
彼が深い因縁を持つ今は亡き人物と同じ名を名乗ると、序盤で大幅に愛情度を削れるというギミックがある。
必ずしもその名にしなくても憎悪エンドへは辿り着けるが、その名にしていると「やはり貴方は彼の再来だ」とたびたび同じ名の人を思い出し、ローニカは暗殺者全盛期の過去のトラウマに苦しめられ、主人公を憎むようになる。
このゲームの好感度は「愛情⇔憎悪」と「友情⇔嫌悪」の二軸なのだが、憎悪エンドのローニカの心情は複雑であり憎悪と友情が突出し、感情名が「離れていく写し身」「その憎悪は友情の上を」などあまり見ない名称になってかっこいい。
ユリリエは17歳の貴族令嬢で、華やかで優雅な物腰の美少女だ。
誰一人にも唇すら許していないが、多数の男の間で浮名を流す愛の求道者系処女ビッチである。
貴族界の底辺の家柄だったが、親族が現国王リリアノと玉の輿結婚したことで家格が上げられ、しかし離縁したため家格は維持されたが社交界では日陰者である。
ユリリエは無性別の頃は男性的な気質であったが、玉の輿をもう一度夢見る一族により、「将来男になる」と宣言しているヴァイルと結婚させるため本人に選択権がないまま女にさせられた過去を持つ。
神に誓って決める自身の性別や結婚すらままならないユリリエと恋をした上で、主人公が成人後の性を「女」にすると、「愛を試し、敢えて茨の道を行くのか」とユリリエは感銘を受け、スキャンダラスな同性愛の道を受け入れてくれる。
ルージョン百合エンドが愛情エンドと形容され、ユリリエは裏切エンドなのは何故か意見が分かれるところだが、主人公が常識を裏切っておもしれー女であることを示したからではないか。
【逃亡エンド】ルージョンに魔術を習い、それを駆使して一人で王城から逃亡し自由を得るエンド。
【地方貴族エンド】故郷の村への印象度が良い場合、故郷へ帰りその地を治める領主になるエンド。
【ヴァイル愛情A】ヴァイルと結ばれ、主人公が王、ヴァイルがその配偶者となるエンド。告白シーンでは唯一歌詞付きのBGMが流れメインヒロイン的特別感がある。
【ヴァイル裏切】ヴァイルに告白し将来を誓いあい大人になってからの互いの性別を約束するも、裏切って同性になることを選択するエンド。敢えて同性を選ぶのは最大の拒絶であるため、ヴァイルは激しいショックを受け上手く性別分化を起こせず死亡する。
【タナッセ友情A】初登場時から主人公への憎悪・嫌悪が一方的に高いタナッセを徐々に軟化させ友情を築くエンド。恋愛エンドはお互いに頭がバグったどさくさに恋愛感情が発生したような展開なので、友情の方が正統派な親睦が描かれる。
【タナッセ憎悪A】タナッセが女になったヴァイルと結婚するエンド。主人公がヴァイルと恋仲になり将来まで誓い合ったのに何故か放置していると、それでも諦めきれないヴァイルが男を選んだ主人公に合わせて女になり、タナッセに拾われてしまう。
【リリアノ・モゼーラ友情A】現国王リリアノと革命烈士モゼーラという相容れない二人の架け橋となるエンド。リリアノの前代王の死の真相を巡る話となる。
【ローニカ愛情A】年齢差38歳の爺さんを落とすためには命もかけないといけないエンド。
【サニャ憎悪A】結ばれた後に何故か主人公が憎悪反転し、サニャの故郷を焼き討ちにするエンド。
【サニャ憎悪B】サニャをいびり倒しつつ権力を得て、逃げたらお前の家族を故郷ごと滅ぼすと脅して支配するエンド。愛情・友情などポジティブ系エンドでは普通にいい子なサニャが追い詰められてダークサイドを見せてくれる。
【モゼーラ裏切B】裏切りエンドの多くは「愛の告白したくせに同性を選んだ」エンドであり、その場合相手は大抵ひどく悲しみ打ちひしがれる。しかしモゼーラはさっさと見切りをつけて他の男と結婚してしまう強メンタルを見せる。
【ティントア愛情A】タイトル回収セリフのあるエンド。「神の印を持つ者は政治ではなく宗教の世界にこそ進むべき」という考えが神殿側にはあり、主人公は Permalink | 記事への反応(0) | 01:45
ほぼ週一で猫の通院に10時間かけているので、インパクトを持つタイトルであるか否かの感覚も既にかなり曖昧になってきている。
所定労働時間?
月延べ40時間、猫の通院に時間をかけている今は、人生を振り返ってみてもかなり稀有な体験をしている時期だ。
この記録を残そうと思うにあたり、まず、担当獣医師、及び飼い猫(順不同)に敬意を払いたい。
健康だった時期の飼い猫を知っている身としては、通院に時間を費やさなければならない現状に文句たらたらではあるが、獣医療と猫に対しての敬意だけは常に忘れてはならないと感じている。
担当獣医師は、少なくとも飼い猫を診せる日は、おそらく10時間以上勤務しているはずだ。重病を抱え、寿命がそう長くはないであろう犬や猫が集まる医療センターで10時間、ないしはそれ以上の勤務、それによる凄まじき労苦は想像に難くない。
対して飼い猫は、朝から晩までの間、檻に入れられているか、抗がん剤の投与をされている。週に一度とはいえ、人間のエゴイズムによりそんな訳のわからない目に遭わせてしまって、心底申し訳ないとは思っている。
担当獣医師と猫に敬意を持ち、それぞれの境遇にも思いを馳せながら、文章を記すことにする。
猫は現在15歳の老雄猫である。約一年前にがんであることが発覚し、経口薬その他による対処や諸々の検査を経て、約二か月前から血液投与による抗がん剤治療を開始した。
チャーミングな見た目についても少し記しておこう。
毛並みはサビ模様と白い胸毛(および腹毛)、靴下のような白い足先がトレードマークで、なかなか洒落た雰囲気だ。
耳の形は猫らしい三角形ではなく、丸みを帯びていて、常にぴん、と立っている。
猫らしからぬその耳の形状故に、電車の隣席に座った女性からケージを見つめながら「うさぎちゃんですか?」と訊かれたことがある。猫です。
そんな茶目っ気すら感じる飼い猫が、がんにより闘病中だ。なかなか、ままならないものである。
10時間も何するんすか、と改めて思うが、時間割としては以下の通りである。
1) 午前8時~午前9時(1時間):往路(自宅から病院まで)
2) 午前9時~午後13時(4時間):猫を病院に預け、抗がん剤投与前の検査
3) 午後13時~午後16時(3時間):検査結果確認後、抗がん剤投与
4) 午後16時~午後17時(1時間):医師との面談、薬の処方、会計
5) 午後17時~午後18時(1時間):復路(病院から自宅まで)
1)、5)の往復路にかかる時間や、4)に関しては大した話ではない。
2)、3)が曲者だ。
「通院」の大部分を占める7時間をどのように過ごすか。
医療センターは辺鄙な立地にあり、周辺に存在している施設はごく限られたものになる。
飲食店で過ごすのも手だが、せいぜい潰せる時間は2、3時間程度である。
そもそも、猫の検査結果や現在の体調、検査中の猫の姿を思いながら過ごす時間というのは、憂鬱であり、賑やかな飲食店で過ごすには心が落ち着かない。
少し足を延ばせばラブホがあるが、毎週ラブホに行くのも滞在費が嵩んで仕方がない。観光できるような場所も近くには存在しない。
そうなると、行きつく先は自然と定まってくる。
通院時間のメインである7時間を過ごす場所として最終的に落ち着いたのは、インターネットカフェ、通称「鬱箱」である。(これは世間一般における通称ではなく、私が便宜的に名付けたという意味での通称です)
人々が蚕の繭のように小箱に収納されており、その小箱は窓がなく、暗い。曇っていようが晴れていようが、空が見えない。常に暗い。
パソコンの画面には、よすがを求める者に向けた結婚相談所の広告や、行く当てのない者に向けた入寮可能、即金の仕事を勧める広告が忙しなく踊っている。
そんな小箱の中で、猫のことで気を揉みに揉みながら7時間過ごす。
しかしながら、7時間という迫力のある長い時間を過ごすには、やはり鬱箱以外にはなかなか見当がつかない。
7時間のうち2割はパソコンでの作業に充て、1割は食事や病院との連絡に充て、4割は眠り、3割は『あたしンち』(これ以外に鬱を加速させない漫画を知らない)を読む時間に充てる。
不穏な時間の中、暗闇で読んでも鬱が加速しない漫画を知っている人がいたら、ぜひ教えていただきたい。
ここまで散々陰鬱でトホホな文章ばかり記してきたが、救いはある。
猫が元気なのである。
猫は少々痩せてはいるが、闘病中ながら食欲は大変旺盛で、便通も申し分ない。家の中を悠然と徘徊し、腹を天に向けて放り出し、ぐうぐうと眠る元気がある。
先日も通院から帰宅し、屋内に開放した途端に人間の足元に纏わりつき、ニャンニャンと大声で啼いて飯の催促を始めた。もちろん大盛りの猫缶を食わせてやった。処方された薬も忘れずに。
投薬の効果か否かは定かではないが、本当にがんなのか疑わしいほどの生活ぶりだ。
ともあれ、本猫に今、有り余る元気があるのは何よりなことだ。
猫が生きて十五年を過ぎ、これからもまだ元気でいてくれるなら、通院10時間も苦ではないと思っている。
いや、少ししんどいが。会計の金額を見て、毎回眩暈がするような思いをしているが。頑張りたいと思っている。
朝病院を訪れて、病院から猫を連れて帰る頃には日がとっぷり暮れていようと、鬱箱に7時間籠ろうと、猫が元気ならば、頑張りたい。
猫も、もしまだ人間の寝床に潜り込んでくることが楽しいのならば。申し訳ないが病院へ連れていくことを、どうか許してほしい。
NHKがインターネットユーザーから受信料を徴取したがっている、という話を聞くたびに何かにもやもやしていたのだけど、ようやく言語化できたので書く。
現代社会でもっとも野放しになっているものは「広告」ではないだろうか。
広告媒体のオーナーにとっては原価がほぼ発生しないか固定費に近い性質であるのに、その価格は状況によって青天井(リアルタイムではないにしろオークション的に決まる)で、かつ需要が実質尽きない(政治方面にまでニーズがあるから)。
しかも、じっさい広告が増加することと引き換えに棄損されているものは一般大衆の時間と集中力(アテンションというべきか)であり、受け手にとっては原則迷惑データであるためにある種の公害を生み出している(あと電力や電波帯域あるいは紙資源を浪費してすらいる)。
通信または印刷物を介して対価を得て依頼者の指定する情報を不特定多数に配信することを業とするもの全般を広告業者として登録を義務付け、売上金額に対して一定あるいは累進的(巨大な広告企業であるほど暴利を得る傾向にあるので有効であると思われる)な税率を設定し、日本国民に対して広告を配信する場合には広告業者は納税の義務を負うと定義して法整備することに何の不利益(国民および行政府にとって)が発生するというのか。何せそもそもがオークション的性質のある販売価格であるために「税金分料金を値上げします」と業者が言ったところで元々顧客企業の支払い能力で決まっているため税抜き価格での相場が下がるだけなのだ。
これほどに規制されてしかるべき性質を備えているにもかかわらず、実質なんらの社会に対する補償義務も課せられることなく巨額の利益を上げているのが広告産業であることには驚愕を禁じ得ない。そして広義の広告業には対価を得て商品の宣伝をする個人も含まれるべきである。また広告は、搾取色の強い商売をしている米国ビッグテック企業の非常に大きな収入源でもあるので、それらに対する対抗策も必要だという事を考えあわせれば一石二鳥の施策と言える。また同様の法制はほぼすべての国で採用できると思われるので最終的には条約的な枠組みに発展させてグローバル商法に対抗する端緒ともできる筈である。
問題があるとすれば、このように有効な法制がいままで導入されている国の話を聞いたことがないのは広告企業のロビイングの成果である可能性があることだけだろう。だが、もし強いロビイングの動きがあるわけでもなく野放しだという稀有な状況であるならば、酒税やたばこ税同様に課税対象(支払うのは大衆ではなく広告主と業者の側だが)とすることは公共の議論の対象にふさわしいものである筈だ。
これからお目にかける雑文は、データにもエビデンスにも専門知にも基づいたものではない。
むしろ一市井の人間の有限(どころか乏しい)観察と未熟な想念、そして「何か書かなければならない」という衝迫のみを支えとしている。昔風に言えば標題のとおり印象批評だし、現代風に言えば単なるお気持ちである。
それでも、虚言や流言、罵詈雑言が猖獗を極めるクソッタレインターネットへ供する一服の清涼剤たらんという意志を持って草した文であり、そのように読まれることを希う次第である。
以下に続く文章は、主語がデカすぎるだの、事実認識がお粗末だの、構成がなってないだの様々な批判に晒されるであろうことは最初から織り込み済みである。いずれも筆者の能力の至らなさに起因するので「ごめん!」としか言いようがない。
もっとよりよい認識や知見の給源は他にあると思うので、それらに接するのが一番いいと思う。そのような批判を恐れずにあえて書く理由は、まさに標題で仄めかした「民主主義を虚無に捧げてはいけない」という信念を擁護するために自分でできることをしようと思った、ただそれだけである。
この文を書こうと思った直接のきっかけは昨日の兵庫県知事選挙である。
つい1週間ほど前に太平洋の向こう側でトランプが当選し、「MAGAくんさぁ……」という軽侮の念を抱きつつも、どこか他人事の如く受け止めていた自分がいた。
しかし、メディアやネットでパワハラ野郎だの私利私欲を極めたゴミだのサイコパスだのさんざん叩かれた斎藤元彦がメイク・ヒョーゴ・グレート・アゲインした途端、愚かな民衆なる集合は爆弾ゲームよろしく我々にヒョイと手渡されたというわけだ。
尤も、自分の最初の認識がそもそも間違っていたというのは認めるにやぶさかでない。要は愚かな民衆も、賢明な民衆もどこまでいっても抽象概念で、そのような概念で語れる事柄には限界があるという単純な原則をしばし忘れて物を考えがちというだけのことだ。
このような間違った考えで一喜一憂しているのは筆者だけはないらしい。
選挙結果が出てから、兵庫県知事選は立花某にハックされたということや、あるいはネットで真偽不明の奇々怪々なフェイクニュースを浴びせられて正常な判断ができなくなった結果だとして、SNSと選挙の結びつきを否定的に見ている向きがある。
もちろん、我々はアメリカの大統領選にロシアやイランが介入しようとしたという事例を知っている。ならず者国家の裏工作を挙げるのが極端だとすれば、ケンブリッジ・アナリティカのような倫理観の欠片もない連中がいることも知っているはずだ。
しかし、現段階の情報でもって、兵庫県民は騙されたのだという前提で話を進めるのは問題だろう。それをもってしても社会の底が抜けたとか、もはや民主主義は終わりだという悲観的で短絡的な発想に至りがちということを見ても、この種の作業仮説は民主主義に有益どころか有害であることは明らかだ。そういう人たちがエピストクラシーを実現するのか、リベラルな思考をもった等質的な市民たちによる思想のゲーテッド・コミュニティを作るのかは知らないが、それはきっと非民主主義的な操作で行われるものではないか。筆者はリベラル嫌いだが、それでも自分たちの理念に後ろ足で砂をかけるような彼ら・彼女らは見たくないというのが嘘偽らざる思いだ。
各種報道を見る限りでは、兵庫県民は普通の民主主義国家における市民と同じくらいの能力や感覚を持ち、それなりに各候補者を比較考量した上で投票に臨んだと考える方が現実に近い、と筆者は考えている。
ここでは斎藤や稲村の政策についてどっちがいいとかいうことは考慮の埒外に置くが、少なくとも「何かいじめられててかわいそうだから!」とか「メディアの一辺倒な報道が気持ち悪いから!」だけで110万票も取れるんだとしたら、残念ながら民主主義以外の選択肢の有効性も検討すべき時期が来ているのかもしれない。もちろん、実際のところそうではないのではないか、というのが筆者の見立てだ。
何が斎藤元彦に再び県庁の敷居を跨ぐことを許したのか。それを考えるために補助線を引きたい。もちろん、論理的必然性をもった操作ではない。何故ならこれは印象批評にすぎないので。
少し前に国民民主党の玉木代表の不倫問題が報じられた。不倫の責任の取り方は様々だろうが、代表を続投しこれからも頑張っていくということが比較的多くの人に受け入れられているように思った。
その方策の是非はともあれ、手取りを増やそうというストレートな訴えが若者を中心に多くの支持を広げていて、それに水を差すような報道を苦々しく思っている、あるいはある程度「相対化」可能な事柄だとして脇に追いやってもいいという雰囲気があるように筆者の目には写った。
筆者個人はこの種の思潮には到底賛同できない。不倫するような人間に増やしてもらう手取りなんぞはこちらから願い下げである。議員辞職するまでではないとしても、代表を辞任し一兵卒として政策の実現に邁進するということだって責任の取り方としてありえたのではないかと思っている。
どれだけ政策を懸命に訴えても、政策を進める当事者の「人品」というのは、決しておざなりにしていいものではない、と個人的には思う。実際、自民党の政治資金収支報告書不記載の問題に端を発する「裏金」逆風はそのような考えから生まれたわけだし、与野党伯仲という結果に実を結んだと考えれば、個人的かつ奇異な考えではないとも思う。であれば、妻子ある男性が別の女性に懸想することを問題視しなくていいのだろうか(妻子にとっては経験しなくていい嫌な出来事であるし、相手方の女性が公党の代表者と不倫したことがバレればその社会的地位をも脅かしかねないという帰結を予想できなかったのであれば、政治家どころか責任ある社会人としても御しがたいレベルの不見識なのではないか。)。
とはいえ、上の筆者の考えは少数派に属するものだと思う。不倫は家族や当事者の間で解決されるべきでダメだったら家庭裁判所へどぞ、というような私的な話で、こんなことのために俺たちの手取りが台無しになってたまるか、玉木はきっちり反省してその後頑張れという意見が大勢を占めているのではないか。
そしてこれは、斎藤が公益通報制度を度外視して告発者を袋小路に追い込んだことや、トランプが弄する信じがたい人種差別的・性差別的言動によって当事者が傷つけられることを等閑視するメンタリティと相通ずるものがあるのではないか。
もちろん、そういった非倫理的な行いに諸手を挙げて賛成するダークトライアドガチ勢のような人間ばかりではないだろう。しかし、それはそれとして、というような相対的態度をとらざるを得ないのは、言い換えれば自分たちにとって焦眉の問題が別にあるということにほかならない。
このような相対化を導くに至る根源的な不満の存在それ自体は目新しい指摘でもなんでもない。ラストベルトの労働者も、閉塞感を感じてきた兵庫県民も、手取りが増えない若者のいずれも「古くて新しい問題」であり続けている。目新しいことでもないのに、定期的にこの種の話が出てくるのは、解決が困難なことの証である。そもそも解決可能な話なのか? 全てのステークホルダーに満足を与えられるほどのリソースがあるのか? 自分たちの満足のために誰かにふるわれる不正義もやむなしとする世界で、オメラスから立ち去る勇気を持つ者たちが果たしてどれだけいるのか? 我々はずっとこの問いかけの中に閉じ込められているし、この困難さを抱きしめることが民主主義の要諦なのかもしれない。
この文では、貧しくあってもせめて人並みの倫理ぐらいは持てよバーカ、とか、人民の悲しいまでの想像力の欠如を嘆かん、という倫理的お説教や慨嘆を述べ立てるつもりは毛ほどもない(そういうリベラルへの嫌悪感を筆者は多くの人と共有するものである。)。政治家に自分たちの方を向いてほしい、助けてほしいというのは当然だし、その願いが届くのが民主主義のいいところではないだろうか。
だが、その時、もしかしたら誰かを犠牲にしているのかもしれないという一抹の不安は感じてほしいなとは思っている。それが望蜀に属する話だとしたら、民主主義の皮を被った椅子取りゲームを続けるべく、我々はいつ鳴りやむか分からない音楽に耳をそばだて、減り続ける椅子を横目に生きていくのだろう。これがいいとは、筆者は決して思えないが。
「あの青年は人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむことのできる人だ。」
大人になってから『のび太の結婚前夜』を改めて見た時に、「なんて当たり前のことを言ってんだ。よっぽど褒める言葉が見つからない時用の言葉って感じだ。」という冷笑的な感想を持った。しかし、今ならのび太が全くもって稀有な人間であったと痛感せざるを得ない。
立花が言うように元県民局長がどんなに酷いことをしていても(逆にどんなにいいことをしていても)、斎藤の拙速かつ強引な統治手法(このことは必ずしも立証されていないが、その後の百条委に至るまでの対応を見ればそう思わざるを得ない)に問題意識を感じて声を上げたこと、そして斎藤がそれをこれまた拙速かつ強引に対峙し、県政停滞のハードランディングに至ったのとは別の問題である。その対応に関する法的な問題などはこの際措くとしても、百条委で問われた道義的責任を「わからない」と述べた斎藤が、再選で得た民意を盾にこの問題を「相対化」しようとする危険性がないとは決して言えないだろう(当選後、記者団に対して「知事部局として一緒にやっていくのは公務員としての責務」と述べたのは、県職員に対して「俺は民意を得たんだからお前らがついてくるのは当然だよな?」と釘を刺した形とも言えるし、先行きは不透明だ。)。
斎藤に投票した人は、せめてそういう状況が棚上げになったままであることを認識した上で、自分たちの居心地の悪さに素直に向き合ってほしいと思う。(元県民局長が死んだのは別の理由であるという卑劣な矮小化をするのではなく、)たとえ拙速で強引でも斎藤が自分たちにとっていい兵庫県を作ってくれると信じて投票したのだとすれば、その結果誰かが痛い目を見ることになるかもしれず、それはひょっとすると顔見知りかもしれない。その時、その人の不幸を悲しみ、その人の幸せのために何かできるだろうか。そういった考えを頭の片隅に置き続けることが、民主主義のレジリエンスを形作る重要な要素だと筆者は考える。清廉潔白完全無欠な政治家が存在しない世界で、民主主義を選び取った全ての清廉潔白完全無欠でない我々にとって、「それがいちばん人間にとってだいじなこと」ではないだろうか。
日々の生活に汲々として自分の人生にやりきれなさを感じながら 「人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむ」というのはそうそうできることではない。とはいえ、できていないなと思うだけでも、「あの時できなかったから次こそは」という思いにつなげられるかもしれない。
例えば、↓ちょうどこのトピックでリベラルと保守が大喧嘩してる。
〈18年前の女児刺傷容疑で逮捕〉「少女が腹部から血を流してると興奮する」男は過去、70件以上余罪も「死刑が怖かった」
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/shueisha.online/articles/-/252087
保守派
tune2011 ↓ 人の心配する前に自分のおつむのチェックをしてくれよ…。この稀有な欲望の異常者とこの間の生協学生が関連するというcinefukさんの主張には1ミリの根拠も科学性もない。感情ではなく理性で発言する様に出来ない?
リベラル派
Domino-R ↓オマエこそ本格的にぶっ壊れてるな。異常者とラベリングすればノーカンか? どうせ正常と異常の間に手前勝手に引いた分割線だろそれ。つかそれが違法かどうかにしか問題性を見いだせないか?
保守派
preciar こんなナチュラル異常者の犯行に、エロマンガが何の関係あるっつうんだよ?あからさまな関係妄想は病気だから頭の病院へ行け <上位コメ/女の子を刃物で刺すのは違法ですよ?
リベラル派
cinefuk ロリリョナ漫画を生協で買えるとアピールした学生の何処が悪い!の延長線にこれがあるのかも知れんのだよ。「合法」(禁止されない)と、「大手を振ってアピールできる」(世間からの許容、常識の範囲)には差がある
保守の皆さんね、エログロ変態漫画を擁護しようとしすぎて完全に変になってんのよ。
社会風紀の維持や犯罪予防というのは、本来は保守派の方がよっぽど大事にしてた価値観だと思ってたけど。