はてなキーワード: 干渉とは
現代の戦争が「内政干渉を目的として起こるものか、それとも別の要因が主で、内政干渉は正当化のための大義名分にすぎないのか」という問いは、非常に興味深い視点を含んでいます。
現代戦争に関して言えば、後者の考えのほうが現実に即していると考えられます。その理由を以下に説明します。
1. 戦争の主な要因
現代の戦争は、以下のような多様な要因が絡み合って引き起こされています:
- 地政学的要因:資源の争奪、重要地域の支配、経済的利益を守るため。
- 経済的要因:天然資源や貿易ルートの確保、経済危機の転嫁。
- 権力闘争:地域の勢力均衡や、国家間の競争。
- テロリズムや反乱の抑制:国家の安定性を維持するため、他国が介入することがある。
- イデオロギーの対立:民主主義、独裁主義、宗教的要因、国家主権とグローバル化の衝突。
このように、内政干渉を直接の目的とするというより、資源や安全保障、権力維持などの目的が先にあり、その手段として内政に干渉することがある、という方がより現実に合っています。
2. 内政干渉は正当化のための「名分」
歴史的に見て、現代の多くの戦争では「内政干渉」が正当化のための口実として用いられることが多いです。たとえば:
この場合、「内政干渉」という名目はあくまで表面的な理由であり、実際には資源、地政学、経済的な利益、または戦略的要因が裏にあることが多いです。
例えば、アメリカのイラク侵攻は「大量破壊兵器の存在」と「民主化支援」を大義名分としましたが、その背後には石油資源や中東地域の安全保障という要素が強く関わっていました。
3. 現代の戦争とグローバル化の影響
グローバル化が進展することで、国家間の相互依存が強まり、伝統的な領土紛争に加え、経済、技術、テロリズム、情報戦が要因となる新しい形態の戦争が現れています。こうした状況では、内政そのものが国家間の争いに巻き込まれやすくなり、内政への干渉は戦争の一側面に過ぎなくなっています。
たとえば、経済的制裁や情報操作を通じて相手国の内政に影響を与え、相手の安定性を揺るがすことで間接的に優位性を確保するケースも多くなっています。
結論
「内政干渉が戦争そのものの目的である」という考え方は限定的であり、現実には「内政干渉は戦争を正当化するための大義名分や手段」として機能するケースが多いです。つまり、経済的利益、権力闘争、資源競争、安全保障といった要因が根本的な動機となり、それらを合理化し、正当化するために内政干渉という枠組みが使われるのが現実です。
この視点に立てば、「内政干渉が主目的」という考えよりも、「他の要因や目的が主となり、それが正当化の口実として内政干渉を用いる」という考え方の方が、歴史的な事例や現代の国際情勢においても現実に即していると考えられます。
現代の戦争が「内政干渉を目的として起こるものか、それとも別の要因が主で、内政干渉は正当化のための大義名分にすぎないのか」という問いは、非常に興味深い視点を含んでいます。
現代戦争に関して言えば、後者の考えのほうが現実に即していると考えられます。その理由を以下に説明します。
1. 戦争の主な要因
現代の戦争は、以下のような多様な要因が絡み合って引き起こされています:
- 地政学的要因:資源の争奪、重要地域の支配、経済的利益を守るため。
- 経済的要因:天然資源や貿易ルートの確保、経済危機の転嫁。
- 権力闘争:地域の勢力均衡や、国家間の競争。
- テロリズムや反乱の抑制:国家の安定性を維持するため、他国が介入することがある。
- イデオロギーの対立:民主主義、独裁主義、宗教的要因、国家主権とグローバル化の衝突。
このように、内政干渉を直接の目的とするというより、資源や安全保障、権力維持などの目的が先にあり、その手段として内政に干渉することがある、という方がより現実に合っています。
2. 内政干渉は正当化のための「名分」
歴史的に見て、現代の多くの戦争では「内政干渉」が正当化のための口実として用いられることが多いです。たとえば:
この場合、「内政干渉」という名目はあくまで表面的な理由であり、実際には資源、地政学、経済的な利益、または戦略的要因が裏にあることが多いです。
例えば、アメリカのイラク侵攻は「大量破壊兵器の存在」と「民主化支援」を大義名分としましたが、その背後には石油資源や中東地域の安全保障という要素が強く関わっていました。
3. 現代の戦争とグローバル化の影響
グローバル化が進展することで、国家間の相互依存が強まり、伝統的な領土紛争に加え、経済、技術、テロリズム、情報戦が要因となる新しい形態の戦争が現れています。こうした状況では、内政そのものが国家間の争いに巻き込まれやすくなり、内政への干渉は戦争の一側面に過ぎなくなっています。
たとえば、経済的制裁や情報操作を通じて相手国の内政に影響を与え、相手の安定性を揺るがすことで間接的に優位性を確保するケースも多くなっています。
結論
「内政干渉が戦争そのものの目的である」という考え方は限定的であり、現実には「内政干渉は戦争を正当化するための大義名分や手段」として機能するケースが多いです。つまり、経済的利益、権力闘争、資源競争、安全保障といった要因が根本的な動機となり、それらを合理化し、正当化するために内政干渉という枠組みが使われるのが現実です。
この視点に立てば、「内政干渉が主目的」という考えよりも、「他の要因や目的が主となり、それが正当化の口実として内政干渉を用いる」という考え方の方が、歴史的な事例や現代の国際情勢においても現実に即していると考えられます。
この戦争の原因として考えられるものは以下のどちらがより適切と思われますか?
2.ウクライナの政策がロシアの経済的逼迫を起こしてて武力で苦境をはねのけるしかなく、ロシアが戦争関連産業をカンフル剤にしないと経済保てないため
ウクライナ戦争の原因について考える際、多角的なアプローチが必要です。ご指摘の両点について検討します。
ロシアによるウクライナへの内政干渉: ウクライナ戦争の主な触発要因の一つとして、ロシアによるウクライナの内政への干渉があります。これには、ウクライナの政治的方向性、特に欧州連合(EU)への接近を妨害しようとするロシアの試みが含まれます。また、ロシアはクリミアを2014年に併合し、その後も東ウクライナの分離主義者を支援することで、ウクライナの主権を侵害しています。
ウクライナの政策がロシアの経済的逼迫を引き起こす: この観点は、ウクライナがロシアの経済や安全保障に対して直接的な脅威を形成しているというものです。ただし、実際にはウクライナの政策がロシアの経済に直接的な圧力をかけているわけではなく、むしろロシアの経済的苦境は内部的な問題、国際的な制裁、石油価格の変動など、より複合的な要因によるものです。また、ロシアが戦争を経済的なカンフル剤として利用しているとの見方もありますが、これは一面的な解釈である可能性があります。
総合すると、第1の視点、つまりロシアによるウクライナへの内政干渉がウクライナ戦争の主要な原因として考えるのが適切です。これには地政学的な動機やロシアの地域的な影響力の維持と拡大という要素が含まれています。第2の視点は、戦争の結果としての経済的側面を強調していますが、直接的な戦争の原因としては十分な説明にはなり得ません。
この考えが悪なら悪で良いよ。
・助けてもらって当然と考える
・脅迫して助けさせようとする
・自分のためには平気で嘘をつく
国籍問わずこんなテイカーな連中には関わりたく無いから、善なる皆様には干渉しないで欲しい。でもこんな連中助けるためにも、わずかとは言え自分の払った税金が使われるんだもんなぁ。日本人に使われる生活保護ならまだ許せるけど。
って言うと、次は「国が税金で支援しなければ治安が悪くなって日本人にも被害が出る!」って言い始めるよね。上の3番目そのまんま。納税者にとってはやっかいでしかないけど、迷惑料と思ってあきらめるよ。
関係者に見つかってしまうかもしれないが、どうしてもここで吐き出させてくれ。
自分の婚活が始まったのは三年ほど前だ。そのときはまだ32歳で、仕事も今のものとは違っていた。当時は外資系のIT企業に勤務しており、それなりに年収も高かった。
当然のように申し込みが殺到すると思っていたが、実際にはまったくそんなことはなかった。自分は体重が110キログラムを超えており、とても「婚活強者」とは言えない状態だったのだ。それでも、たまに会ってくれる人はいたが、3回までにお断りされるか、続いたとしても結局うまくいかないまま終わってしまった。
やがて外資系ITでリストラが流行し、自分もその波に巻き込まれてクビになった。当然ながら婚活は中断。退職パッケージも満足に出ず、少々心残りがあったが、退職から1ヶ月以内に自分を雇ってくれるベンチャー企業が見つかったのは幸いだった。この新しい仕事はフルリモート勤務が可能で、その流れで地元に戻ることになった。
新しい職に就いて3ヶ月が経ち、仕事が軌道に乗り出した頃、婚活を再開した。ちょうど給与欄が新しい条件になる時期で、そこに記載された金額は地域でトップクラスの年収だった。「退職金や株式付与があったし、当然だよな」と思いつつ再開したわけだ。
しかし地元には地元の問題がある。圧倒的に女性の数が少ないのだ。それでも、東京でやっていたときよりは、年収マジックのおかげか会ってくれる人が増えた。
そして出会ったのがA子だった。
A子は背が高くない童顔の美人で、自分の好みに合っていた。音楽という共通の趣味の話題も盛り上がり、順調に交際が進み、仮交際、真剣交際へと進展していった。今思えば、この時点で多少の違和感はあったのだが、正常性バイアスとは本当に恐ろしいものだ。
真剣交際に進んだにもかかわらず、相手との距離が縮まった感じがしない。LINEの頻度は上がらず、相手の相談所から「もっと距離を詰めたほうが良い」と手を繋いだりするよう促されても、相手から感じる距離感はそれとは真逆で、とてもそんな行動には出られなかった。
そんな中、なぜかその状態で婚約OKという形になり、地元で一番高いビルの最上階でプロポーズを行い、見事成功した。30万円ほどするダイヤモンドの指輪も渡し、これからの生活に胸を躍らせていた。
しかし次にA子に会ったとき、衝撃的な発言が飛び出した。「結婚の段取りを進めるのを待ってほしい」さらに「仲良くなるまで1~2年はかかる」とのこと。
結婚に向けて次に進もうとしていた自分にとって、その言葉は衝撃的だった。よく考えればこれも大いに違和感が残る発言だが、そのときの自分はまたもや正常性バイアスに覆われ、「時間が必要なのだろう」と納得してしまった。結局、「ゆっくり進めていきましょう」ということで落ち着いた。
その後、何度か会っているうちに「A子の仲人が痺れを切らしているから、その人も交えてこれからのことを話そう」と連絡が来た。
そもそも、もう結婚相談所との契約は終了しているにもかかわらず、こうして干渉してくるのは極めて不自然だ。しかし当時の自分は「ずいぶん手厚いサポートをしてくれる相談所だな」程度にしか思わず、またもや正常性バイアスに陥っていた。
そのときは大まかな結婚までのスケジュールを決め、最近結婚したというB氏がオススメする挙式プランナーを紹介してもらった。
その後、なぜか予定が合わなくなり、会う機会が減っていった。A子は忙しい職業だし、そんなものだろうと思い込んでいた。
ところが、そうこうしているうちに自分が病にかかってしまう。泌尿器科で「軽い精巣上体炎」と診断され、放っておけば入院が必要なくらい痛みが増す病気だという。前立腺検査ではおじさんに肛門から触診され、悶絶するほどの辛さだった。幸い軽度で薬で快方に向かっているが、当時は痛みがあり、挙式プランナーとの打ち合わせにはダボダボのスウェットで行くしかなかった。
打ち合わせ後、カフェで会話し、次の予定を決めて解散。しかしその夜、A子から電話がかかってくる。なんだか腑に落ちない様子だったが、クリスマスが近いので予定を立てようと提案したことが彼女には気に障ったようだった。
その後のLINEで、A子は予定を変更すると言い、服装をきちんと整えてほしいと言ってきた。自分はまだ精巣上体炎が完治していないのでスウェットでもいいかと尋ねると、急に身だしなみに厳しく言うようになり、精巣上体炎の現状を伝えてもいつもなら心配してくれるはずのA子が、急にそっけなくなってしまった。文字通り人が変わってしまったかのようだった。
結局、柔らかめのパンツで落ち着かせ、その状態でモールに出かけた。何をするか具体的には聞かされていなかったが、美容院に行かせたいのだろうと何となく察していた。
美容院では2時間ほどかけてツーブロックにしてもらい、「似合ってるねー」と皆に褒められ、まあこれはこれで悪くないかと思った。
いよいよお互いの本音を語る段階だ。デパート内のカフェで話し合ったところ、飛び出したのはとんでもない話だった。
まず、「太っているのが受け入れられない」「気になる仕草がある」とのこと。これは通常、お見合いから2回目のデートまでの段階で断る理由であり、なぜそれで婚約まで進んだのか不可解だった。
次に「漢字が書けないのが受け入れられない」と言われた。自分は漢字を覚えるのが苦手で、そこが気になるらしい。
さらには「自虐ネタ」や「仕草」が自信がないように見えるとの指摘。全く身に覚えがなく困惑した。
A子はB氏に「泣きながら電話」したそうだ。つまり、自分との結婚が嫌だったということなのだろう。
最後には「B氏の心理カウンセリングを受けよう」とA子が提案してきた。
その後、B氏について調べてみると、怪しい事実が次々と出るわ出るわ、まるで徳川埋蔵金のようだった。「開運商法」と「資格商法」を掛け合わせたような怪しげなビジネスを展開しており、結婚相談所自体も実績がまったくない。A子がどのような経緯でこの結婚相談所に流入したのか不明だが、その商法にハマり、その流れで結婚相談所に入会したと考えざるを得ない。
ここから推測できることは、A子はB氏の強い影響下にあり、B氏は自分の年収欄の数字を見て目をくらまし、A子を使って自分と結婚させようと画策した。さらには自分をビジネスに巻き込み、カモにしようとしたのだろう。A子はB氏に言いなりになっているが、自分の気持ちとの間で板挟みになり、「泣きながら電話」した末に人が変わったかのような態度を見せたのだと思われる。
正直、A子はB氏のカモになっている可能性が高く、いくら搾取されているのかもわからない。しかも自分もその毒牙にかかる可能性がある。そんな状況で結婚を進めることは、もはや不可能だと判断した。
失ったものは成婚料金、婚約指輪、ダイヤの費用だ。しかしながら、心で受けたダメージはおそらくそれ以上で、自覚がないだけかもしれない。もう婚活は無理かもしれないが、それは時間が経ってみないとわからない。
自分は来週末、三陸で宿を取った。冬の海を見ながら散歩でもしようと思う。
痛むキンタマを抱えて、ね。
ロシアは動けないとしても、代わりにイランがなんとしても支えるかと思ったが。ちょうど幹線道路を塞ぐ形で米軍基地があり、イラン-イラクが干渉できないようにされていたという話を聞いた。
アサド政権に勢いがあったときのイドリブのHTS勢力の掃討で、トルコの仲介で停戦合意が成立したが、結局、ウクライナで動けないときにトルコに後ろを刺される形になった。
でもこれからどうするつもりなんだ?
HTSってISIS系列でしょ?このあとHTSとシリア民主勢力とクルド勢力とラタキア中心とするアサド政権残存勢力で血みどろの内戦を繰り広げる未来しかみえないのだが。
ロシアはロシアでシリアの楔がとれたとのと、中途半端な停戦するとこうなるという教訓にしてウクライナは徹底的にやるという結論になるとおもうのだが。
どう着地させようとしてるのか全然見えないんだが。
コメでも書いたけど
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布巾や台拭きの代用になる
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ビジホの電源少ない対策。プラグ部が折れてしまえる、差し込み口が小さくて干渉しない、コード長が選べる、携帯用延長電源コード
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朝一発目部屋でコーヒーや紅茶飲みたい人(ワイ)、古いビジホや温泉旅館だと意外とコーヒーカップはなくて湯呑みのみで飲みにくいので、アウトドア用の折りたたみコーヒーカップを持参してる。
10年くらい前からリアルタイムCG、ゲームグラフィックが良くなったが、これはGPUの進化と映像向けのCGの手法の後追いに過ぎなく、言ってみればポリゴンの高密度化とピクセルの塗り方が良くなっているだけとも言える。
これはリアルなグラフィックを求めるユーザーがいてそうなったわけだが、データの制作に金がかかるようになりある時点からインタラクティビティがシュリンクしていく事となった。
分かりやすい例の分岐点でいうとFarcry2から3,4への過程などだ。
高密度ポリゴンでリッチなピクセルをもつデータはなんとかつくれるが、それが壊れたり干渉出来るようにつくるのは非常に手間がかかるしGPUパワーだけでなくCPUパワーがいる。このあたりはポリゴンという三角形の集まりでデータができていることや、キャラクターはボーンと言われる骨のしくみ、つまりポリゴンをグループ化して動かす仕組みがCG黎明期からいまも使われていることが一因であると思う。
ポリゴンにテクスチャを貼るいわゆるUV座標というしくみも、シェーダの登場で柔軟な処理は組めるようになったものの、根本としては立体物に折り紙を貼っていくのと変わらず、アーティストは歪みや切れ目に気を付けてテクスチャを貼る必要がある。(白い球体に折り紙を貼って野球ボールに見えるようにする事を想像して欲しい)
このように進化した、あるいは進化していないゲームグラフィックの10~15年だったが本当に正しかったのかと思う。インタラクティブなCGにはポリゴンではない仕組みが必要だったのではないか。破壊とか今のゲームでもできてるじゃんと思うかもしれないが非常に手間なのだ。つまり金がかかる。
どこでも穴を掘る、キャラクターの腕を引っ張る、服をつかむ。リンゴを切る、コップの水を飲む。ほとんどできない。もしくは大金が消えていく。
1人のキャラクターがテーブルの上に腰掛けたり、道端の縁石に腰を下ろしたりするのを可能にするのも大変だ。いろんなサイズの人間同士で握手させる、肩車、組体操、非常に難しい。
たとえこちらの過失でなかったとしても轢くのが怖い
10代の頃に物損起こしてからは事故も違反も無いけど、ただただ幸運なだけだと思ってる
全く運転に自信がない
歳を取るごとに怖さが増してて、「かもしれない運転」がエスカレートして住宅地だとほぼ徐行してるし、一時停止の交差点は数十cm刻みで進んでは停まって何回も左右見るし、横断歩道は車のピラーの死角に人がいないか・ちょっと先から自転車来てないか・バイクの巻き込みないかとか身体ごと高速で視点動かしまくってめっちゃ確認するし、狭めの歩道で人が歩いてるとかなり緊張して後続確認しながらスピード落とすし、二輪は隣の車線に車がいる状況では絶対に追い越さないし、合流地点では合流してくる車両と干渉しないようになるべく隣の車線に移る努力をするし、自分の反射神経と集中力を信用できないので車間距離もめっちゃ取る
助手席の人に俺の運転を笑われることがあるんだけど、いやいやこっちは大真面目だしマジで怖えんだよ
本音だともっとナーバスに運転したいんだけど、なんか運転してるとたびたび暗黙の了解みたいなのを押し付けられる
まず制限速度より10km以上は出さないとたいてい車間距離を詰められる
そうなるとこっちが焦って運転に支障が出るから仕方なく速度を上げるか、停車して道を譲る
車間距離空けたら空けたでウィンカー出さずに間に入ってくる車がいたりもする(これは暗黙の了解どころじゃないけど)
っていうかみんな車間距離詰めすぎじゃね?怖くねえの?
あとは、初めて通る道の先が狭くなってて逆方向の車とえっちらおっちらすれ違いになった時、その車を運転してたおっさんに「この道は暗黙の了解でみんなそっち側からは通らないんだ、顰蹙買うからあっちの道通りな」と迷惑そうな顔で言われたことがある
そういうことはおっさんの後続に車が何台かいる状態で初対面の俺に小言みたいに言うんじゃなく、この道路の公的なルールを作ってる人たちに一方通行にしろとか訴えて欲しい(既に訴えてるけど実現しないからおっさんもイライラしてたのかもしれんけど)
今現に運転してる俺に言われても、俺は焦るだけなんだよ
道路の作りも怖くて、直前のいくつかの交差点で直進レーンだった車線がいつの間にか左折レーン・右折レーンになってたりとか
俺が青看板見逃してただけかもしれんけど、いや見逃す時点でもう俺みたいな奴が運転するのは怖いんだって
毎度、休憩場所とか目的地に着くと目とメンタルがすげえ疲れてるのを自覚する
運転中は身体中強張ってるから、車を出たらまずストレッチしまくる
はあ
なんか知らん人が返信してたらから今更返すけど笑
なんというか俺的には斎藤当選の選挙に関して、陰謀論が展開されてた感じはべつにしないんよな。立花とかが再選挙が斎藤を引き摺り下ろしたいがための既得権益の陰謀だ!とかもし言ってたらその支持者も「陰謀論」に乗っかったことになるんだろうけど。じゃなく普通に斎藤県政への評価+当該の件に関する判明している事実で批判が起きてた気がしてな。
まずその感覚があったから「陰謀論」ではなく、あたかも「陰謀」に嵌ったようなって認識になってたんだと思う俺の中で。別に斎藤信者陰謀論に嵌ってなくね?斎藤信者とか言っちゃう(ねらー的概念構造)方がまるで陰謀論じみてねって言いたかったわけで。
そのコメ主の中では聞いた知人の状態を「陰謀論」に嵌ったって判断したのだろうし、指摘の内容もそこにあると思う。だからそれは真面目に有難くて、今自分もよくわかったんだが、俺そのコメ主がその知人の状態を漠然と悪しく捉えてる(要介護に手こずってるみたいな)感じがすんのが嫌だったんだよ。
どっちが正しいかって俺その知人の方が正しいと思うぞ。整理し直せば特に妙な事言ってなかったと思うし、コメ主が単に事情を知らないだけの第三者で、歪んだ解釈してね?って思うんだが…。
てかこれは別の話になるけど、まじ信者とかどうとかネットの範疇だけで言われてたノリでいまだに何かを言う方々がいて、自分はそれに恥ずかしくなるけど、それが現実の概念(指向対象が同じだから)に干渉するもんだから事態がややこしくなる気がするんだけどどうなんすかね。ネットであれこれ議論すんのやめてほしいわー。
相手から映画見に行こう、ごはん食べ行こう、好きな漫画や音楽をおすすめしあったりライブいこう、カラオケいこう、夜から朝まで通話したり、なんか異性やったら付き合ってるのかこれみたいになってる
同性というだけで付き合う付き合わないとか、
お互いそう思ってる気がする
つか、他に友人はいるけど、誰に対してもこんなこと思ったことないんだよね ただ普段の他愛のない意味のない会話は他の友人たちとの方がよほどしてるし気を許している
生業としてることに相手側から応援してるというようなファンレターをもらったのが知り合うきっかけなので、
自分が作るガワを好かれているのは理解してるからなのか、なんか嫌われたくないと思ってしまって本音はいつまでも曝け出せないのかもしれない
でも一部の友人もそこからはじまってるけどこんなじゃない
付き合いたいとか そんなの一切ないけれど
これ以上仲良くなりたいような、なりたくないようか不思議な感覚
最終的には嫌われると思うから
嫌われたくないから会いたくないのに誘われると嬉しいから二つ返事でオッケーしてしまう
なんなんだこの感覚は
インテリ層の良くない部分が出ているので、あえて名指しで批判する。
シロクマ先生の書き方は良くないです。今すぐに謝罪して記載を改めるべきです。どんな人間も馬鹿にされたことは敏感に感じ取ります。
もしも本当に、心の底から馬鹿にするつもりも嘲るつもりも無かったのであれば、全ての比喩表現を直接的な表現に改めて、その上でどのように受け取られる可能性があるか考えてみてください。
シロクマ先生の以下の記事は、齋藤知事のパワハラと全く同じです。
皮肉が良くないと受け取られてしまったため、本記事の趣旨を追記します。
まとめると、「選挙民を馬鹿にし、自己批判は無く、現状を嘆き、陰謀論で締める」のは、インテリ層の振る舞いとして最悪なので即刻止めるべき、です。
シロクマ先生の記事が、善意から皮肉と言う形で選挙民に気づきを促すという趣旨で書かれていたとしても、それは理路として齋藤知事のパワハラと同じ構造を持つ、
"良い民意"を持つシロクマ先生が、"悪い民意"を持ってしまった相手を変えてあげようという意図をもって記事を書いたのであれば、その手法は、パワハラを正当化する構造と同じですよ、という指摘です。(そんな意図ではない、そういう文脈ではない、よく読めばわかるはずだという反論をされないために、具体的に個別例を挙げています)
皮肉からは悪意を感じ取るのが通常の感性ですし、悪意を感じ取った相手は嫌悪感を覚えることはあっても好意を持つことはありません。その結果、より立花氏に優位になる記事になっていますよ、という意味です。こういう記事の表現の積み重ねが、立花氏の活動を補助しています。
皮肉とは、「悪意ある民意との記載にそうだそうだと同調するキミら(私も含む)は、動画にコメントした彼ら彼女らよりも選挙に至るプロセスを理解していただろうか?」という、自己批判もしくは悪い感情を持っているぞと伝えたい相手(例えば齋藤兵庫県知事)にするべきです。
追記ここまで。
ビバ! デモクラシー!
https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20241119/1732024800
斎藤氏はパワハラ疑惑を巡る認識を問われると、「よい県政をしていきたいという中で業務上の指導や注意を厳しくしたことはあった。これがハラスメントに当たるかは第三者委員会などで審議されることになる」と語った。
小学生を含めて(個人的な感覚では、不満を表明できるのは小学三年生前後)、悪意には非常に敏感です。どのような言葉遣いであっても馬鹿にされたかどうかは瞬時に理解します。
「インターネットで民主主義が加速して良かったですね」という「良かったですね」という物言いは、対象を嘲る言い方です。自覚が無いのであれば今すぐに改めるべきです。
以下、具体的に指摘します。
「今回の選挙は、民主主義を正しく反映したと言えるのではないだろうか」という書き方ではいけなかったでしょうか。
なぜ、「民主主義が三度の飯より好きな人には」と、民主主義を好ましいと思う人を「三度の飯より好きな人"には"」という表現にして限定しましたか?
今回の選挙結果を、揶揄する意図が無いのであれば即刻改めるべき表現です。
他の支持者との一体感を体験しやすい仕組みのおかげで、「いいね」や「シェア」ぐらいでも推し活気分や選挙活動気分を味わえたりする。
「自分は、いいねやシェアボタンを押す行為は、選挙活動とは言えないと思う」と書き方ではいけなかったでしょうか?
なぜ、「推し活気分や選挙活動気分を味わえたり」という、自身で「参入する敷居がものすごく低い」と書いているにもかかわらず、「気分」や「味わえる」という表現にしましたか?
他人の選挙についての関わり方を見下すつもりが無いのであれば即刻改めるべき表現です。
SNSや動画にじかにコメントする、という方法もある。なにもコメントが秀逸である必要はない。凡庸なコメントでも、論理的に破綻したコメントでも、事実関係の怪しいコメントでも、別に構わない。支持する人への応援コメントでも、敵対者への批判や非難のコメントでも、数多く集まりさえすれば強力なコメントたり得る。どんなにしょうもないコメントでも、200も300も連なれば有意味だ。誰が言ったかや何を言ったかだけでなく、何人が言ったかも重要であることを、いまどきのネットユーザーが知らないわけがない。
「どんなコメントであっても、200も300も連なれば有意味になってしまう。論理的に破綻したコメントでも、事実関係の怪しいコメントでも、いまどきのネットユーザーにとっては、何人が言ったかが重要になってしまう。私はそれを好ましいとは思わない」と言う書き方ではいけませんか?
どのようなコメントであっても数が連なれば有意味になることが好ましくない、もしくは危険だと思うのであれば、そう表現すべきではありませんか?
なぜ、「事実関係の怪しいコメントでも、別に構わない」と許容したのにもかかわらず、「どんなにしょうもないコメントでも、200も300も連なれば有意味だ」として、自分と同じコメントをする人が200や300ある人たちを「しょうもない」と馬鹿にしたのですか?
他人のコメントの書き方を馬鹿にする意図が無いのであれば、即刻改めるべき表現です。
それらは従来型のマスメディアが機能した帰結でなく、双方向メディアとしてのインターネットが普及し、猛威をふるった結果として起こった。だからインターネットがテレビになったというのは不十分な表現で、テレビを超えた、いや、テレビ以外の何かとしてはびこるようになった、と表現すべきだったと思う。
「それらは従来型のマスメディアが機能した帰結では無く、双方向メディアとしてのインターネットが機能した結果として起こった。だからインターネットがテレビになったというのは不十分な表現で、テレビを超えた、いや、テレビ以外の何かとなった」という書き方ではいけませんか?
もしくは「双方向メディアとしてのインターネットは、従来型のマスメディアの機能とは異なり、より積極的に他人に干渉するようになった」というような書き方ではいけませんか?
従来型のマスメディアを超えることによるなにがしかに危機感を覚える、好ましく思えないのであれば、それを直接表現すべきではありませんか?
「猛威をふるった」や「はびこるようになった」という書き方に、従来型のマスメディアよりも双方向メディアとしてのインターネットを貶める意図が無いのであれば、即刻改めるべき表現です。
特にこの表現は顕著なので注記しますが、「ならばマスメディアが猛威をふるいはびこっていた従来よりも良くなったでは無いか」と返答されるとは、本当に思いませんでしたか?
その返答に対して「マスメディアの方が優れていた」以外の回答を持っていますか?もしも持っていないのであれば、それは双方向メディアとしてのインターネットを見下した表現です。
「投票率が上がり、選挙活動への参加が増えたことは良いことだ」と言う書き方ではいけませんか?
馬鹿にする意図が無いのであれば「良かったですね」という表現は即刻改めるべきです。
単独の文言では無く、前後の文脈から、この文章を読み取った相手が「投票や選挙活動への参加を馬鹿にされた」と受け取らないと、本当に信じていますか?
「なるほど、コイツはインターネットで情報収集したり、いいねで応援したり、コメントを書いたり、自分で考えて投票した俺を、子ども扱いしているんだな」と受け取られる可能性が無いと思っていますか?
真摯に相手の人格を尊重してなおその表現しか出てこないのであれば、おどけた調子の文章を書くのは止め、少なくとも真面目な話題ではビジネス文書のように書くべきだと思います。
インターネットも含めた諸々をとおして、投票所により多くの人が足を運んだこと、より多くの人が選挙活動に参加したことだ。それって民主主義にとって基本的で必要不可欠なことでしょう?
段落内のおそらく骨子の部分である、この部分はとても良い書き方をしているだけに残念でなりません。
民主主義はタテマエとしてずっと、全員参加を謳っていたし、少なくとも欧米ではだいたいうまくいっていた。 まれに、チョビ髭の伍長のような人物を輩出するとしても、だ。
その前段の、民主主義論に関する部分は私自身の主義主張とは異なるが、それは捉え方の違いだろうと思う。
(「"良い民意"が"悪い民意"に変わってしまうとしたら、民主主義は壊れるのがお似合いではないだろうか」というのは、どのように書き換えてもアリストクラティア(優秀者支配制)を意味すると思うが、そこは民主主義の捉え方の違いだろう)
「民主主義は、時としてヒトラーのような独裁者を生み出すとしても、全員参加が理念であった」という書き方ではいけませんか?
前段の主張も含めて、文脈からは「民主主義とは、建前としては全員参加だが、本音ではバカは参加しないものとして上手く回っていた。バカが参加して壊れるのは制度の限界だ」としか読み取れません。
それ以外の意図を持つ文章として文脈を構成しているのであれば、全面的に書き直すべきです。おちゃらけた書き方をしようとするあまり、文脈上そう受け取る人がいても非難できないと思います。これよりのちの文章を読む限りではこの読み方をして欲しいと想定するしかないです。
(また、ヒトラーの例えを出しておいて「マスメディアという制御弁が民主主義政体を安定させる効果があったのは、たぶんそうだろう」と書く意図は量りかねます。ナチ党の躍進にラジオが大きな役割を果たしたことには一定の了解があるはずです)
いまどきの民主主義の理念を作り上げた人というと、ロックやルソーやジェファーソンといった近世~近代の思想家を思い出す。ところが彼らが生きていた時、末端の大衆にまで選挙権が行き渡り、末端の大衆の選択までもが民意にフィードバックされる民主主義を想像するのは難しかったのではないか。たとえば、民主主義の始祖たちの眼中に、立花氏がバカと呼んだ人々はどこまで含まれていただろうか?
少なくとも、ジェファーソンの名前を出して合衆国独立宣言で最も有名な一節である "We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal,"を無視するのは看過できません。
このall men (すべての人々)に、大衆(シロクマ先生の言うところの「末端の大衆」)が含まれていないと推測するのは侮辱でしょう。もしもよく知らないのであれば名前をあげるべきではありません。
トーマス・ジェファーソンが、いかにマスメディアに悩まされていたか("nothing can now be believed which is seen in a newspaper. truth itself becomes suspicious by being put into that polluted vehicle")を知らずとも、
ほんの少しでも興味があれば、ジョン・ロックが人はみな生まれながらにして公平であるが、そのままでは不都合なので、人の承認のもと政府を作るであるとか、ジャン=ジャック・ルソーが間接民主制すら否定していたことなど、見聞きしたことがあるはずです。
彼らが、貴族や選良市民のみを対象として考えていただろう、末端の大衆(シロクマ先生が想定するのが、教育を受けていない人、政治に詳しくない人だとすると、当時の農民や奴隷、犯罪者等)は考えていなかっただろうと想定して枕詞に使うのは、不適切です。
(その後の段落は、シロクマ先生の想像や思いが書かれているので、別に問題は無いと思います)
個別の選挙結果が未来の制度設計の材料になっていくのも、民主主義のいいところだ。亀のようにゆっくりと、しかし着実に。ただし、こうした民主主義のドタバタを、ほくそ笑みながら眺めている国もあるだろう。未来が明るいといいですね。
この段落でも、その前段の、民主主義論に関する部分は私自身の主義主張とは異なるが、シロクマ先生の考え方を述べている部分なので良いと思う。
ただし、文脈上「全員参加という民主主義の建前を維持したまま、インターネットが深く介在する場合には"悪い民意"を取り除き、"良い民意"を選び取れる制度設計を、末端の大衆ではない我々が行うべきである」としか読み取れませんが、そういう主張でないとすれば記載を改めるべきです。
(私はそれをアリストクラティア(優秀者支配制)だと思いますし、良くないものだと思いますが、主義主張の違いなのでそれについて表明することは良いことだと思います)
「ただし、制度設計が改善される前の現在の良くない状態を、他国が狙っているかもしれない。改めるべき点は早急に改めるべきだろう」と言う書き方ではいけませんか?
「ほくそ笑みながら眺めている国もあるだろう」というのは、陰謀論と何が違いますか?何を意図して記載したのでしょうか。
「未来が明るいといいですね。」というのは、皮肉では無く本心からそう思っているのだとすれば、記載を即刻改めるべきです。
また皮肉を書いたつもりであれば、誰を皮肉ったのでしょうか?今回の選挙に参加した誰を馬鹿にする意図をもって表現されましたか?
シロクマ先生の「インターネットで民主主義が加速して良かったですね」という記事は、全体としては皮肉めいた、兵庫県知事選挙の結果を受けての現行の民主主義制度への感想でしょう。
これを、面白おかしいものとして読む人がいることは否定しません。(私もホットエントリーにあがってきたので読みました)
パワハラをする側にとって、されたものが右往左往したり泣いたり病んだり職を辞するのを見て愉快だと思うのと同じだという指摘です。
齋藤知事は、「よい県政をしていきたいという中で業務上の指導や注意を厳しくした」と表現しています。
前知事時代のパワハラを問題視した人は、この「業務上の指導や注意」の「やり方」を問題視したはずです。性根や意図、背景では無く、手法に問題があったのだと認識しているはずです。
愛があろうが、心の底から相手のことを思っていようが、パワーハラスメントに該当すれば、それはやはりパワーハラスメントなのだというのが、これからの社会での共通認識で合って欲しいと、自分は思います。
その意味で、シロクマ先生の「インターネットで民主主義が加速して良かったですね」という記事は、インターネットを利用して投票先を決定した人をバカだと呼び、彼らを選挙から排除すべきである、そうしなければ民主主義は壊れる、利するのは他国だ、という記事になっています。
そういう意味で書いたつもりでないのであれば、そう読み取れるようにおちゃらけた書き方をするべきではありません。すぐに改めてください。
Dishonoredは1と2と番外編がある
1では、女王の護衛官をやっているおっさんが、魔術を操る謎の存在に眼の前で女王を殺された上に、「お前が謀反を起こして女王を殺したな」と冤罪をかけられ投獄される
普通は魔術とかない世界なのだが、牢獄で主人公も魔術世界の存在に干渉され超能力を得て脱走
主人公は魔術世界の存在に「心臓」を渡されており、手に持った心臓をにぎにぎすると、心臓が女性の声で語り出し、場所や人物についての秘密を色々教えてくれる
女系の王国なので女王の跡継ぎは一人娘のまだ10歳ぐらいの王女なのだが、女王を殺した一派が傀儡にするために王女を拉致
なんやかんや主人公は王女を救い出し、陰謀者たちを倒して王女が国を治めるようになりハッピーエンド
喋る心臓ってなんなんだ、なんかそういうアイテムってだけでしかないのか
女系って托卵がありえないから男系より合理的だけど、釣り合う家柄とか求められるだろうし未婚の母じゃまずくない?
「女王と護衛官はデキてる」って噂を語るモブがいたが、そいつが言ってるだけで他に描写はない
王女は護衛官を慕っていて「パパ」と書いた似顔絵など制作しているが、シンママの娘が身近な男をパパ扱いしてるだけかな
2ではそこらへんが「皆さんご存知だと思いますが」というノリでタメもなくサクサク開示される
王女の実父は護衛官ですよ
護衛官は実力者で一から立身出世して女王の側付きにまでなったが、血筋もよくわからん田舎者だから女王と愛し合っても結婚なんか許されなかったんですよ
公的に父親が誰かは明かされてないけど、「あいつしかおらんやろ」と公然の秘密みたいなもんですよ
喋る心臓は死んだ女王です、心臓に宿った女王の魂を成仏させるイベントがあります
これはこれで別にいいんだが、恋情や血のつながりなどなくても、ただひとえに忠誠心、愛国心、そういったもので女王殺しの復讐と王女の守護に務める……ってパターンの方が好みではあった
2の冒頭で「王女は私の娘やで」「護衛官は私のパパやで」と語りだしてびっくりした
1だと無口だったのにえらいよく喋るし
1で無垢キッズだった王女が2ではプレイアブルキャラになりつよつよなのは、パパの血が流れてたらそうなるよねと親子設定だけで説得力あったが
「有史以来あらゆる重要な舞台に登場し、人類の歴史に干渉してきた謎の組織…男。米国歴代大統領の全てが男だったとも言われている」
11/15のX利用規約改訂における「AI学習」にまつわる問題で、ここ1ヶ月ほどずっと
の争いや混乱を眺めてきた。
ただクオリティの高い絵が流れてくるTLを見て時々イラストを投稿したかっただけなのに、そんな宗教戦争(もうこう形容するしかない)に巻き込まれてきた。
そこで気づいたことがある。
だって、定型はインターネットお絵描きにもAIが抱える問題にもクソほど興味ないんだから。TikTokとかmeituとかchatGPTで無邪気に遊んでるぐらいだし。
程よい距離を取れずネットに張り付いてる奴はもれなく精神に何かしら障害を抱えてると言わざるを得ない。
今回の件でも比較的冷静に判断して対処してた勢力はみんな売れてるし、コミュニケーションも取れて業界内外の人脈形成にも成功していて、事務作業能力もコンプラ意識もある、定型寄りの人たちだ。
一応ファンアート程度は描く絵描きだと自分のことを思っている。
そして最初は絵師を応援したかったし、AIイラストは疎ましかったが今は登場人物全員憎い状態になっている。
人間という生き物の醜悪さを今回嫌というほど再認識させられた。
元々私はレスバの空気に精神を影響されやすい。自分のメンタルを管理できない。だから診断が下るのだ。
ASDでHSP気質のINFP(たまにINTPになる)の人間に対戦型SNSは向いてなかった。だが、怒りには中毒性があり無意識に時間を取られて追ってしまう。
目を離してる隙に議論が進み、公開アカウントを叩かれてたらどうしようと気になって仕方なくなり、14〜17日は風呂キャン飯キャン寝落ちの生活が余儀なく続いた。お陰でこの数日間で1.5キロ体重が落ちた。
他責思考だが、自分で絵を描くモチベーションもこいつらに食われてしまった。
今回特に目立ったのは「前々から危惧されていた絵師の社会性なさ」「技術職のサイコパス加減」「AIを頭ごなしに非難してインプを稼いだりファンネルを飛ばしてくる反AIの厄介さ」「全勢力におけるとにかくただ乗りしたい乞食精神」である。
これのせいで、どんな絵を見ても「ウォーターマークとノイズ如きで対策できた気になってるの馬鹿じゃないの」「逃げるな卑怯者」「対策の一つもしないなんて随分呑気に危機感も持たずご自身の作品を蔑ろにしてるんですね」「結局こいつらも身内から村八分にされたくないだけだろ」「お前は3D素材とか使わないんか?なんならこっそりAI補正してんだろ」という感情が同時に発生するようになってしまった。
自分は権利侵害(二次創作とそれによる収益発生、画像リプ、MAD視聴、クソコラ、否認可のスクショ掲載他)をしておきながら自分の権利だけ振り翳す絵師軍団をダブスタと罵っていたが、私も変わらないじゃないか。
まぁ、そもそもこれらはAI関係なく人の手によって昔から起きてた問題でもあるんだから、結局人間が悪いんだが。
先ほども言ったが、この状態は軽く鬱に片足突っ込んでる気がする。非常に良くない。
人の心がわからない。
なんでも正論で返して人を傷つける。
何をしたら人が傷つくかわからない。
パターンから外れたことを人や周りがしてくると混乱して発狂する。
プライドが高くてごめんなさいが言えない。
なお、エンジニアには調整能力や交渉能力のような営業職じみたスキルが求められるため、キラキラ陽キャ定型の方が向いている。ここで指す技術屋(反曰くテックカス)はプログラマーのことを言う。
確かにプログラマーの人間なら人脈がなくてもクリエイターごっこできる、ポチポチプロンプトを入力する作業が肌に合ってるんだから生成AIにハマるよな。
その場の衝動ですぐに行動していつも後悔する。
それ故の対人トラブルが多い。
都合に合わせて主張をコロコロ変える。
泣けば誰か助けてくれると思ってる。
プライドが高くてごめんなさいが言えない。
そのわりに統率が取れてないのですぐ瓦解する。
まるで美術部や漫研に属する中学生女子みたいなメンタリティだ。そのまま大人になってしまったのが哀れで仕方ない。
どっちも社会性に欠けており、わがままで自分の思うように事が動かないと癇癪を起こしてしまうのは共通している。
そしてリアルの友人や家族よりフォロワーになってる。フォロワーなんてただ見てるだけの存在で内心何考えてるかわからないんなんだから信じること自体野暮だろう。
きっと現実世界で愛されなかったからここにいるんだね。居場所、奪われたくないもんね
あとこれは推測だが家庭環境に恵まれていない人がTwitterにハマり、ネットで絵を上げることにハマりやすい傾向にある気がする。今回の登場人物、育ちの時点でロクでもないのでは?
ASDとADHDは相互補完で良ペアになるかと思いきや、相互の特性が干渉してうまくいかないことが多い。
今回もそれなのではないか?
私は絵垢とは別のでこれらのことをやんわりと、時には感情の赴くままダイレクトに中立寄りとして言及してきた。
そして反AI過激派勢力(赤枠アイコン系)に集団ブロックされたり、時には本垢やblueskyにまで追いかけられたり、5ちゃんねるのヲチスレに晒されたりした。話を聞く限り赤アイコン連中のブロック監視リストに入れられてるらしい。
曰く、中立派は多少たりとも現行のAIに悪感情を持ってないようであればいくらでも叩き潰していいし、どちらの味方もしないクソコウモリ野郎だから話を聞く価値もないとのことで反AI勢力は誹謗中傷しまくってるがお前ら目的間違えてないか?
倒すべき相手は違法に取り入れたデータを学習し生成させているAI系企業であって、その辺でなんか喚いてる一般人ではない。分かってるのに何故根本解決に動くよりも、何も得られないレスバに力を注ぐんだ。
ここを見れば各々がどんな主張をしているか嫌でもわかると思う。
正直、両者の主張も理解できるし言い過ぎだと思う。
https://itest.5ch.net/mevius/test/read.cgi/illustrator/1731757051/
【Nore more 生成AI】画像生成AI信者ヲチスレ_130【AI○○】
https://itest.5ch.net/lavender/test/read.cgi/net/1731727015/
(いずれも2024/11/18時点)
人間丸ごと嫌いだ。
どいつもこいつも自分のことしか考えてなくて、他人のこと踏み台にして、都合のいい解釈をして、根本的な解決よりも気に入らない人間を叩き潰すことの方に本能的に精が出てしまう。
反AIはAIさえなければこんなことにはならなかったと言うが、そもそも人間さえいなければ争いは起こらなかったのではないか?
まどろっこしい。
こんな醜悪な生き物をこれ以上この世に解き放つな。
そんなことを人間が作った建物の中で、人間と契約した賃貸で、人間が作った服を着て、人間が作ったスマホを介して、人間が繋いだネットワークを利用して、人間が作ったコミュニケーションサービスやイラストのことを考えながら一応人間が思って書き込んだりする。
どの派閥においても、人間の汚い部分が見え隠れしてて嫌になる。
だったら全員死んでくれ。推進派も反AIもリテラシー皆無なクリエイターもまともなことやってるつもりの一般人も何もかも全員。
こんな自分が嫌になる。
隣に住んでいた人が引っ越した。50代くらいの男性で、無口で目立たない人だった。廊下ですれ違う時に軽く会釈を交わすくらいで、名前も知らない。お互い特に干渉せず、近すぎない距離感が心地よかった。
引っ越しの朝、たまたまゴミ出しのタイミングで顔を合わせた。「お世話になりました」とだけ言って、小さく頭を下げていく姿を見た。それが最後だった。
その後、管理会社から手紙が届いた。部屋に荷物が残っているから確認してほしいという内容だった。正直、自分には関係ないと思ったけど、なんとなく気になって覗いてみることにした。
ドアを開けた瞬間、思わず言葉を失った。家具も家電もそのままだった。食器や衣類、本棚の本まで手つかず。まるで「この家で暮らしていた証拠」を全て放置して出て行ったようだった。
その中で、棚に置いてあったノートが目に留まった。開くべきじゃないと思いながらも、どうしても気になってしまった。
「隣の部屋の物音が聞こえると少しホッとする」
「引っ越しが決まった。ここを離れるのは少し寂しい」
最後のページにはこう書かれていた。
「誰にも迷惑をかけずに終わりたい。それが一番だと思う」
その一文を読んだ時、胸が詰まった。隣の人が何を考え、何に苦しんでいたのか、何も知らなかった。話しかけるべきだったのか、それともただ静かに見守るべきだったのか。答えは出ない。
ノートはそっと棚に戻し、部屋を後にした。それからしばらく経つけれど、隣人のことを考える時がある。静かだった隣の部屋から、あの人の足音が聞こえてきそうな気がする時がある。
名前も知らない人のことを、こんなに思い出す日が来るなんて思わなかった。