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2025-12-09

anond:20251209111100

前作「竜とそばかすの姫」は興行収入トップ、とか言うやついるけど、あれって何の反論のつもりなんだろうか

それだけ多くの人が観た→それだけ多くの人に見限られた→果てスカ爆死、という流れに何の淀みも生まれないはずだが

2025-12-08

anond:20251208111329

未来のミライと竜とそばかすの姫が続けてって感じだった人間なんだけど未来のミライは良かったと思ってる人も少ないと思ってるんだが違うんか?

あーだこーだいうけど

果てしなきスカーレット酷評されてるけど前作の竜とそばかすの姫が微妙だったから今回スルーされてるだけじゃないの?

そんなに難しいことなのかな

2025-12-05

竜とそばかすの姫

世界50億人がやってるネトゲ日本人日本語ばっかりなのなんでなん?

主人公以外カスみたいなキモいビジュアルなのにリセマラしないのなんでなん?

2025-12-01

映画監督作家ではない問題

もしくは映像作家ではあっても物語作家ではない。

もちろんごくまれにその両方の才能を持つ傑出した天才というものも現れるが

多くの場合映画監督演出家というものは物書きとしての才能はない。

ワイ氏の尊敬する作家深沢美潮氏が「誰でも一生に一作は小説を書ける」とい名言があり

これは一生を生きていれば一作の小説になるくらいにはドラマティックなことが起きるはずだという希望提示であり

逆に一生に一作しか書けないようでは作家にはなれないという警鐘でもある。

多くの映画監督はこの「一生の一作」を作り上げる能力はある。

しかし彼らは作家ではないので一生の二作目くらいまでは行けても三作目、四作目は厳しい。

はっきり言ってしまえば、むしろそんなに書くことがある人間のほうが異常なのだ

細田守の新作の果てしなきスカーレットを見たけど、いや、竜とそばかすの姫の前の未来のミライから

もう明らかに細田守には書きたい作品がないんだろうなということを感じている。

からそばでは美女と野獣をパクったし、果てスカではハムレット神曲をパクった。

未来のミライ最後のあがきだったと思うが、むしろあれで自分の中がスッカラカンなのを確信したのだと思う。

細田必要なのは脚本家だと言われ続けているけど、それは彼の作劇が酷いからというのはもちろんあるとしても

描きたい物語がない人間物語をひねり出すことほど苦痛なことはないと思う。

しかし彼には突出した演出力がある(と世間ではされている)。

山崎貴なんかもそうだけど本来その能力を持たない人間に無理やりなんかやらせるべきじゃないと思う。

そりゃ黒澤明宮崎駿天才だったよ。

でもそのごくごく珍しい天才のせいで「作家性」というものが過剰に信奉されすぎている気がする。

映画監督映像作家なんだから映像作家性を表現すればいい。

脚本プロに任せていいんだよ。

どうしてもやりたい渾身の一作が書けた時だけ自分で書けばいい。

細田山崎みたいにその辺のパク、オマージュみたいなスカスカ作品を無理に作る必要はない。

そういう意味では脚本家映像技術を身に着けたほうが"成り"やすいな。

海外でもその系統両刀使い監督が多い気はする。

からたぶん本来映画監督演出って技術職なんだよ。

 

まぁワイ氏の所感としては細田守っておジャ魔女デジモンでも「敢えて人がやらないことをやってドヤる」タイプ逆張りおじさんとしての評価が高いだけだと思っているので、あん大衆監督として評価すべきじゃないと思ってるんやけども。

果てしなきスカーレットの大爆死は竜とそばかすの姫でサマーウォーズ貯金を全部使ってしまっていたのに制作サイドは誰も気がついていなかったんだと思う

2025-11-30

細田守映画監督やらせたら駄目だよな。

AIの返答

正直、細田守に「一人で全部背負わせる」のは、もう限界だよな。

才能はある。

絵作りは上手いし、日常ディテールは抜群に上手い。

商業的な動員力もある。

でも「脚本監督原作」を全部一人でやらせると、

毎回同じ穴に落ちる。

  • テーマが先にあって、キャラが後
  • 感情より「感動の形」が優先
  • 都合のいい展開で強引に着地
  • 他人(観客)の痛みを本気で想像しない

これ、もう10年以上同じパターンだよ。

時かけ』→ 演出筒井康隆脚本奥寺佐渡子

(=他人原作脚本があったから傑作になった)

サマーウォーズ』→ 脚本奥寺佐渡子

(=これも他人が入ってたから、まだマシだった)

それ以降は全部「細田守完全オリジナル」になって、

どんどん「自分世界」に閉じこもっていった。

まり細田守天才的な演出家ではあるけど、

脚本家としては致命的に欠陥がある。

もう結論シンプルだ。

細田守は、優秀な脚本家と組めばまだ救いがある。

でも一人でやらせたら、もう駄目だ。

『竜とそばかすの姫』とか、まさにその証明だったよな。

誰も止められなかったから、ああなった。

から映画監督やらせたら駄目」っていうのは、

「今のままの一人監督やらせちゃ駄目」って意味では、

完全に正しい。

もう誰かが本気で「いや、それ違うよ」って言える人が必要だ。

宮崎駿には鈴木敏夫がいた。

新海誠には川村元気がいた。

細田守には、そういう人がいない。

からもう、

細田守ブランド」は終わらせた方がいい。

次に何か作るなら、

脚本は別の人に任せて、演出だけ細田守

にするか、

もう完全に引退してもらう

かのどっちかしかないと思う。

……悲しいけど、これが現実だよな。

才能はあったのに、

「誰も止められない独裁者」になっちゃったんだよ、細田守は。

最近細田守作品って

顔もスタイル性格もいいのに、服のセンスだけ終わってるイケメンもしくは美女みたい。

なぜか本人は服のセンスに自信があってスタイリストの話を聞かないどころか、むしろスタイリストセンスがないとボロクソに言っちゃう

ただ本当に服のセンス以外は最高なので、みんな離れられない、みたいな。

と、「竜とそばかすの姫」を見て思った。

2025-11-29

加野瀬未友氏とスカーレット

加野瀬未友

@kanose

·

11月24日

『果てしなきスカーレット』すぐ見る予定はなかったけど、公開3日目の日曜でも良い席が空いてたので見てきた。もともと予告で面白そうと思わなかったので、期待値は低かったんだけど、どこぞの宗教団体が作ったアニメ映画(二作ぐらいしか見てないが)みたいだなと思ってしまった


『果てしなきスカーレット』後半の唐突な展開が連発する辺り、なんかリレー漫画みたいだと思ったけど、舞台演劇だという指摘を見かけて理解した



プライムビデオ配信してた『竜とそばかすの姫』の冒頭を流し見してたんだけど、いろいろと仕掛けがあって楽しめたんだよなー。ikuraの声の演技上手い!とか。『果てしなきスカーレット』は死の世界巡りを退屈に感じてしまった


『果てしなきスカーレット細田守氏によるざまあ物という雑な見方はできるが、大衆蔑視が強い細田守氏が興行収入という形で大衆復讐されるざまあ物という見方もできてしま



『果てしなきスカーレット』と『CASSHERN』を同じ箱に入れている人がいたけど、 紀里谷和明氏は綺麗事を本気で信じている感があるけど、細田守氏は信じきれてない感がある


『果てしなきスカーレット綺麗事といえば、スカーレットが聖を「よいこちゃん」というのは、なんか現代人っぽ過ぎるなと思ってしまった


『果てしなきスカーレットTOHOシネマズ新宿28からの上映を見たら、IMAXは4回から1回に、4回あったDolby Atmos上映は消滅、通常上映は4回から5回になったが小さいスクリーンに変更となっていた

東スポが『果てしなきスカーレット』を“今作はカップルで見ても家族で見ても、もちろん一人で見ても、面白い一本になっていると思いました”と紹介していた。どんな嫌がらせ

https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/367956

『竜とそばかすの姫』の評判が悪いから『果てしなきスカーレット』に観客が呼べなかったという説があるけど、興行は『バケモノの子』より下がっていて、大好評といえなかった『未来のミライ』が前作の『竜とそばかすの姫』は初動から成功したんだから、前作の評判ってそんなに大きな要因に思えない

やはり初動は予告から受ける印象で決まるのでは。『竜とそばかすの姫』は予告で『時をかける少女』や『サマーウォーズ』みたいな夏アニメとわかるところがあり、観客はそれを期待して見に行ったと思える。『果てしなきスカーレット』の予告は観客が期待できる過去細田アニメ要素はなかった

『果てしなきスカーレット』は細田守氏における『星を追う子ども』(新海誠氏の劇場作品で唯一の赤字作品)になって、振り返る材料になりそう。ただ『星を追う子ども』と違って、額が桁違いに大きいだろうけど


 

そばかす映画

最期のほうの東京遠征でムカついている人が多いけど

俺はそこに行きつくまでに既にかなり嫌な気持ちになったので

逆に東京のシーンでは醒めてしまっていて、皆のようにはムカつかなかった。

この映画ですごく気になったのが「特別」の在り方で、

初めてUに入ったベルが歌いだしたところですごく注目されるところは

その「特別」は本当にかつてないほどの「特別」だったのか、

仕掛けや出自なしでそんなにヒットし得るものなのかということを

Uの規模から考えると相当無理がある。

他のAsケモノ率高めで、ベルのような美人がいなかったのが

仕掛けといえば仕掛けなんだけど、それはメタな話だしね。

で、ベルは竜の城に行くけれど

竜に興味を持ったり、知り合いたいと思ったAsなんて

きっと星の数ほどいるはずで、

なのになんでベルはそう言うのは自分だけだみたいな思い込み

竜にずかずか踏み込んでいくのか、

あなたは誰?」ってやたら言ってたけど

なぜそれをお前に開示しなければならないのか。

もうほんと、特別意識が強すぎて閉口した。

あれはJKの万能感/中二病とはちょっと違うよね。

2025-11-28

anond:20251128115514

竜とそばかすの姫はサマーウォーズOZっぽい人気の世界観がちらっと見えたし、

各所も今回よりちゃん宣伝してた気がする

果てしなきスカーレット、初週興収2.1億で竜とそばかすの姫の4分の1だって

3日間だけの話だから見た人の悪評に影響されたわけでもないし、なにがそんなに受けなかったんだろうな?

竜とそばかすの姫もそんなにキャッチーな予告じゃ無かったような気がするんだが

追記

なるほどなあ、MVとかジュブナイルっぽい雰囲気ファミリーにもオタクにも受けるわかりやすい要素だな

特に歌は個人的あんまり興味が無いから見逃してたわ

2025-11-27

細田監督におけるバルミューダフォンって何?

俺はオオカミこどもでこれは合わないと思ってその後は見ないようにしてるんだけど

その後の作品の方が時かけサマウォよりも興行収入跳ねていて

なんなら前作そばかす姫がキャリアハイなんだよな

2025-11-26

母親子供殺した事件で「父親は何してるんだ」ははてなでよく見るけど

竜とそばかすの姫の児童虐待してる父親の件で「母親は何してるんだ」って意見は今まで見たことないな

この前、金ローでやってた竜とそばかすの姫を夫と一緒に観てたんだけど、基本ずっと楽しんでいたのにDV父と立ち向かうために主人公東京に向かう場面で、

「は?四国から一人で東京まで向かわせるの!?てかあんな危ない人がいるのをみんな見ていて大人がそんなことできるの!?少なくとも彼氏ヅラしてるお前はついていけよ!」

って言って以降の話が全然に頭に入らなくなっちゃったらしい

細田監督ってそういう突然今までの物語の流れや構築した人間関係からは考えられない行動を登場人物が取り始めることが多い気がする

主人公一人で立ち向かわせたかったんだろうけど、演出優先で人の心がわかってない感じがする

2025-11-25

『果てしなきスカーレット』の動員の少なさ原因考察

最初に言っておくが根拠はない。自分過去作を見た感想や知り合いやネットの声をベースに考えてみた。

国内ターゲット設定の誤り

世間一般的細田守評価ってサマーウォーズ以降の「現代日本(っぽい何か)を舞台にした、登場人物子供メインの青春映画で、(一応)良い話っぽく終わる映画を作る人」て感じだと思うのよ。子供同士で見に行けそうとか家族で見に行けそうとか、良い意味で気楽に見に行けて失敗体験にならない映画を作る人みたいな。だからオタクやめんどくさい人やそもそも映画全般好きみたいな人を除いて、国内細田守作品の動員に貢献してた人ってそういう感じだと思われるのだが、そういう層に対して「現代日本じゃない」「登場人物気持ち大人寄り」「予告ビジュアルが割と暗い」「復習とか愛を知りたいとかテーマが重たそう」とかもう完全ミスマッチじゃんね。これが単館上映のもっと予算短編監督の新たなチャレンジなんです! みたいならわかるけど国内マス向けのように扱うのはどう考えてもミスマッチだろ。

竜とそばかすの姫を高評価した人の加齢による変化

公開当時「中高生メインの若者からは非常に評価が高かった」という話だったが、そこからもう4年経ってるわけで、そういう年齢層が当時はあんま気にならなかった社会ルールというかストーリー上のアカンところに気付いてしまって「映像と歌は本当にいい映画だったけどストーリーちょっとなあ」となってしまい、果てしなきスカーレットについては「いきなり行くんじゃなくちょっと様子見」になってしまったのではないか。あと比較大人からは当時からツッコミどころを指摘されており、かつあれを「良い話っぽく終わった」と評せる人は正直割と珍しいと思うので、竜とそばかすの姫を見た人が「この監督、次は金払って見るのはやめとこ」となってしまったのではないか

から海外での評価が気になる

日本国内的にはそんな感じとして、じゃあ海外で初めて細田守に接する人なら最初から「こういう作風監督なんだな」と受け入れられる可能性はある気がしており、実際どうなるのか見てみようじゃないか

https://anond.hatelabo.jp/20251123041412

ベーダーの興行収入速報@mtt_75058

【「#果てしなきスカーレット」低調スタート

「果てしなきスカーレット」は週末推定2億円で初登場3位スタート

これは「竜とそばかすの姫」の対比23%と厳しい数字で、ラーフォーマットシェア率も大幅に落ち込む結果に。

祝日を含めた4日間は推定2億6400万円で、最終10億円も危うい記録です。

https://x.com/mtt_75058/status/1992954421605761335

2025-11-24

anond:20251123114752

竜とそばかすの姫トップデートムービー需要に応えてるんだろうなあと思った

名前からし美女と野獣ってわかる恋愛ものだし

 

たとえばチェンソーマンレゼ編もデートムービー需要を掘り起こして当てた感あるよね

名探偵コナンファミリー向け(子供の姿のコナンが出る)とデート向け(年一回は新一と蘭のラブを確認しとく)が堅い上で上乗せしてる

 

ファミリー向け需要デート向け需要

「とりあえず有名な人らしいし前作見てないけど宣伝流れてるから見てみようか」

ていう継続的に追いかけるのと別の文脈があること程度は、語りたい人は知っといたほうがいいよね

2025-11-23

映画興行の偉い人、細田守脚本書くなって言えないの?って思ってたが

作品名公開年脚本興行収入備考
劇場版デジモンアドベンチャー1999吉田玲子9億短編(約20分)東映アニメフェア
デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!2000吉田玲子21.66億短編(約40分)同時上映作品との合計
ONE PIECE THE MOVIE オマツリ男爵と秘密の島2005伊藤正宏12単独監督した長編作品
時をかける少女2006奥寺佐渡子3億東映アニメーション退社後
サマーウォーズ2009奥寺佐渡子16.5億-
おおかみこどもの雨と雪2012細田守 / 奥寺佐渡子42億初めて脚本兼任
バケモノの子2015細田守 (単独)58億2015年の年間興行収入2位
未来のミライ2018細田守 (単独)28.8億-
竜とそばかすの姫2021細田守 (単独)66億細田監督作品歴代最高興収



脚本書いたほうが稼いでて草w

こりゃ偉い人もなんもいえねーw










追記

思いのほかトラバブクマあつまったな。みんなサンキュー

トラバブクマあつまったら宣伝していいとのことなので宣伝させて頂きますおまえらイクサガミはもう観たか!?ガチやべーから騙されたとおもって観とけーーー!?

なんか合わんって場合もとりあえず2話の終わりまで見たらすげーから!それでも合わんならもう知らん!


そういえば細田守の話やったな。ワイ独自ランキングは1位👑時かけ・2位🥈サマーウォーズ・34がなくて後藤さんって感じなんだけどどちらも思いのほか興行収入バリ少ないな!3憶……

細田作品はなんかこう普通映画として「あっちの伏線がこっちにハマって……」みたいな仕掛けがまとまってて面白かったんだがあれは脚本とかの力だったのかもな

オオカミこどもも未来のミライもなんかワイには来んかったわ(ケモ観も相違)

まあかといって時かけのころに戻ってくれ~みたいな感覚特にないわな

強いて言えば脚本吉田玲子とかで手堅くお仕事モノみたいなの作ってほしいか

でも今で十分興行収入も強いし独特の感性で国際賞レースも狙えるてるしすごいんやろうな。知らんけど!

日本法律では映画著作権監督にはなく制作会社製作委員会が得る。(著作者人格権はある)。一方、脚本家は原著作者として著作権を得る。これが売れた監督自分脚本をやるようになる理由の1つ。

はーそういうのもあるのな。そういえば細田脚本作品原作細田だけど原作ってだけじゃいくら権利あってもカネ的な意味では扱い軽かったりするんだよな?たしか

鬼滅の刃の作者でも映画原作料はちょっとだけみたいな話あったな。

細田守は『ハムレット』を一行も読んでいない。

『果てしなきスカーレット』を観た。

細田守云々を抜きにしても激クソにつまらない映画であり、業界人がかろうじて擁護している映像美的な部分も近年の人気作品指輪とゲースロとマッドマックスアナ雪とエルデンリング)の寄せ集めでしかなく陳腐まりなかったのだが、それは俺個人の感想で、別に他人が褒めようが貶そうがどうでもよい。はっきりいって細田守と見れば何でも叩こうとする今のネット環境のほうが異常だ。むしろ、今細田作品擁護しようとするほうが勇気ある人間だと言っていいだろう。

そう思い、SNSでは感想を控えてきた。


が、そのSNSで見てしまったのである

「『果てしなきスカーレット』がわからないやつはシェイクスピアという古典がわからないやつだ」とほざいているスカ褒めポストを。



はあああ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜????????????



おまえ、『ハムレット』観たことある? 誰の訳でもいいから、読んだことある??????

筋とかキャラクター、知ってる?????


もし知ってたら、「『果てしなきスカーレット』を理解できないやつは『ハムレット』を知らない」なんて、口が裂けてもいえねえぞ。


『果てしなきスカーレット』を『ハムレットベース物語として観た場合基本的には「『ハムレット』を読んだことのない人間イメージで作った」という結論に至るのが自然だ。


前提として、ある古典を、それも何百年も前の物語に則って何かを作ろうとする場合原典より、より濃く、深く、複雑に作ろうとするだろう。最低でも、原典の味をそのままにしておこうと考えるはずだ。

それをあろうことか、細田守は鍋に大量の水をぶちこんで薄めてしまった。

たとえば、敵役たるクローディアス。『スカーレット』でも『ハムレット』でも主人公が付け狙う憎き叔父だ。

スカーレットの終盤(ネタバレ?知るか)、クローディアスは後悔をにじませながら天上の存在祈りを捧げる。

始めは俺も「おや」と思った。

というのもこれは『ハムレット』にもあるシーンだからだ。クローディアスが前王殺害懺悔する(しているように見える)場面。

それまでシンプルな悪役だった『スカーレット』のクローディアスにも事情があって、実は複雑なキャラクターの持ち主だった……とひねるのは、展開的にも今の世界を描くというテーマ的にも効果的ではないかもしかして、多少は脚本がうまくなったのか、細田守


だが、その期待は十秒後に裏切られるクローディアスの懺悔は偽の懺悔だったのだ。彼はどこまでも単純な悪でしかなかった。


この調子で、一事が万事原典キャラクターたちが改悪されていく。

ローゼンクランツとギルデンスターンは多少しょうがないとはいえ母親のガートルードはひどい。『スカーレット』ではマクベス夫人的な要素を持った「悪女」として描かれるが、その背景となる物語動機ほとんど描かれないので、ただの淫奔な毒親しか見えない。『ハムレット』では、わけのわからん息子と現在の夫とのあいだで板挟みになって苦しむかわいそうな人だったのに。

しかし、一番かわいそうなのはレアティーズだろう。ハムレット恋人オフィーリアの兄にしてハムレットの良き友人。しかし、ハムレットが原因でオフィーリアが死んでしまたこから仲違いし、最終的には殺し合うことになるという、ハムレットもっとも激アツなキャラのひとりだ。

このレアティーズが『スカーレット』では「クローディアス率いる悪の組織幹部C」くらいのポジションになり、特に深堀りも見せ場もないまま、小悪党として惨めに退場していく。

ハムレット』を一行でも読んだことある人間なら、まずこんな扱いは思いつかないはずだ。


とはいえ細田守が『ハムレット』を読んでいないとは思わない。タイトル釣りだ。

読んでいる証拠は、両作にとって重要なくだりである「父王の亡霊が語りかけるシーン」にある。

ハムレット』では冒頭に死んだ父王が現れ、ハムレットに「復讐せよ」と語りかける。これがそもそも悲劇の始まりなのだが、『スカーレット』では父王の亡霊を逆にラストに置き、「復讐」や憎悪とは正反対優しい言葉をかけてスカーレット復讐呪縛から解き放つ。つまり、父の言葉が『ハムレット』では呪縛、『スカーレット』では解放になるわけだ。

巧い反転だとは思う。そもそも物語と話運びがカスでなかったならば。

ハムレット』にはこういう嘆きがある。「この世の関節が外れてしまった」。弟が兄を殺し、その妻を奪い、正統な後継者である兄の息子から王位簒奪する。狂った世界である。こういう狂った世界を正すには自分が狂うしかない、というのは『ハムレット』のひとつの読みだ。

スカーレット』で描かれる現代世界鏡像としての作品世界も「関節が外れてしまった」世界といえる。だから、『ハムレット』をベースにするのはある意味で正解ではあった。だが、狂い方に失敗してしまった。狂えなかったのだ。だって細田守って世界とかたぶんどうなっていいって思ってる人だもん。常に「個人」と「自分」を描いてきたことは、これまでの作品証明している。

ファンの中には「これまでの得意分野を捨てて新しい領域に挑戦したこと評価すべき」との声もあるが、ファンタジーも古典もなめくさった扱いしかできないのに、なにを評価しろというのだろう? 人には向き不向き、そして心を込められるかどうかがある。

『竜とそばかすの姫』は駄作だったかもしれないが、少なくとも細田守の魂が幾分かは込もっていた。だが、『スカーレット』は? これこそ、虚無以外の何物でもない。


おそらく、『ハムレット』の「生きるべきか死ぬべきか」という名台詞に「生きること」という作品テーマ見出したのだろう。別に間違っているとまではいわないが、安易にすぎる。全体的に、安易にすぎるのだ。序盤で、坊主頭の聖を始めてみたスカーレットが「僧侶か? なら寺に行け!」というセリフがある。素でよくわからないギャグだろう。これは『ハムレット』でハムレットオフィーリアにかける「尼寺へ行け!」という有名なセリフオマージュだ。

なるほど。だから

からない。俺にはなぜここで「尼寺へ行け!」の引用が出てくるのかまったく説明できない。意味脈絡もない。

スカーレット』の問題は、『ハムレット』にかぎらずあらゆる要素がすべてそのような安易さの織物で出来ていることだ。どこかで聞いたようなセリフ、どこかで見たような展開。すべてが軽い。


からSNSの民よ。

俺の前のもう二度と「古典がわからないやつは『スカーレット』がわからない」などと言ってくれるな。お前も『バケモノの子』で『白鯨』がどんな扱いされてたか、観ただろ? ああいうやつだぞ? 細田守っていうのは。お前たちはどうせ『スカーレット』を映画館で一度っきりしか観ないのだろう。SNSマウントを取る目的で観て、明日にはもうきれいさっぱり忘れるのだろう。

だが、俺は今日も観る。初日と土曜で一回ずつ観て、また今日も観る。なぜって?


細田守ファンからだ。

『果てしなきスカーレット』見てきたので感想

細田守監督いじめててごめんね……許してください……

という感じになりました。いじめっ子の悔恨

しかに「またケモショタかよwwwwww」と僕たちオタクは好き放題彼の作風をイジってきたし、『竜とそばかすの姫』のときも「あーはいはいこの竜が喋るんでしょ?」と思ったら本当に喋ったので笑っちゃったし、『未来のミライ』は残念ながら見損ねてしまったんだけどもショタ尻尾バイブでアナル絶頂CMが流れてきたときは「自重wwwwww」などと思ったわけだが、「よっしゃ、じゃあケモショタ抜きで作るぞ」という決意表明のもとお出しされた作品を見たとき感想「ケモショタのほうが良かった……」という感じになってしまった。

そもそも僕は細田守にケモショタを捨ててほしいわけではなかったのだ。むしろ個人的には彼の描くショタ制服少女はすごく好きだ。監督を「またケモショタw」とイジるというのは、まあ愛情表現のようなものであって本気でやめるべきだと思っていたわけではない。彼に対してネット民辛辣だったというのも、アンケートなどを取ったわけではないので実際に「皆」がどう思っていたかはわからないのだが、少なくとも増田としては「細田くん! 君に一般向けは向いてない! オタク向け作品を作ろう! ファミリー向けを取りに行くのはあきらめて、ポスト宮崎駿への色気も封印して、オタク向け作品で好きなだけ性癖誤用)を描こう! ショタケモノやケモショタやイケオジや可愛いけど薄味な女子高生理想郷を作ろう!」というつもりだった。

要するに、「一般向けのつもりで作っときながらケモショタ出してんじゃねえよ」というのは「ケモショタ出してんじゃねえよ」という意味ではなく「一般向け作るのやめなよ」という意味だったのだ。しか細田守は前者の意味解釈したようで、今回は一切ケモショタ抜きの作品をお出ししてきた。国民アニメ監督という立ち位置にありながら『すずめの戸締まり』で本気の足裏サービスカットをぶち込んできた新海誠とは逆方向への覚悟の決まり方だが、そういうことじゃねえんだよな~~~~~~~!!!1!!

ただ、「面白いと思ってこいつのことイジってたら、真に受けてほんとにやりやがったw」というのはまごうことないじめっ子のセリフであり、細田守監督がどれだけネットの声を気にしていたかはわからないが、彼の作風をイジっていた者の一人としては真剣反省せざるを得ない。無神経にイジっててすみませんでした、監督

で、本編の感想なんですが。

日本オタクからイジられすぎて海外向けに舵を切った?」という感想になりました。わかりやすハムレットの導入(でもハムレット踏まえといてレアティーズのあの扱いは何なの!? 友として死ねよ!)、しかし主役は女性、途中で謎の多様性演出が挟まり(おお、DEIに栄光あれ!)(ちゃんハワイ語ハワイ舞踊の監修入れてたのは偉いと思うよ。ハワイ文化が出てくる必然性を気にしないのであれば)、脈絡もなく歌って踊ってのシーンを挿入しコミカルでお間抜けな敵を配置し(このあたりはマジでディズニー感があった)、いわゆるアニメ絵的なキャラ造形を封印してものすごい迫力の映像美に力を入れる、というのは、従来の「日本アニメ映画」だった細田守作品から脱却しようともがいているように思われた。それが良いかいか価値観次第だが、「日本アニメ映画」を期待していた者としては寂しいものがあるというか、僕は細田守作品キャラデザ好きだったよ……という寂しさに襲われてしまった。

問題海外向けアニメ映画だと割り切って見たところでストーリーの出来などが色々と厳しいというところで、ちょっと思ってた以上に脚本支離滅裂というか、「これはきっと僕の理解力が低くて筋を追えてないんだろうな」と思いながら見てたけどネット上でも不評でちょっと安心した。『おおかみこどもの雨と雪』は今改めて見てもよく出来てたよ。やはり奥寺佐渡子……奥寺佐渡子はすべてを解決する……!

聖くんがあれだけ忌避してた殺人に手を染めたところに何のフォローもないのってどういうことかしら? あれだけ登場人物気持ちを全部言葉に出しちゃうマン細田守監督なのにこのシーンの聖くんの感情がいっちょんわからんので「???」ってなってしまう。彼はどういう決意でもってあのひとたちを射殺そうと思い至って殺したあとはどう考えていたの? いや、「お前そういうのはいちいち言葉にするもんじゃなくて表情や動作から読み取るものなんだよ。それが映像作品を見るうえでの読解力だろ」ってのはそれはそうなんだけど、上述のように「でも細田守はこれまでいちいち言葉にしてたじゃん」っていうのと、すみません! 僕には読み取れませんでした!」っていうのが両方ある。みんなは読み取れましたか? 読み取れたひとは根拠を添えて教えてほしい。マジでわからんかったので。

最後のほうは「宗教映画?」って感じでした。ラスト演説はもうしょーもない。主人公にそこまで言わせるなら共和政に移行させろよしか言えないファンタジー作品ってままあるよね(『BASARA』の「それが、それこそが新しい国ぞ!」っていうセリフは今でも印象に残ってる)(『汝、暗君を愛せよ』はちゃん主人公共和政への道を敷いてる作品なのでみんな読もう!)(全然関係ないけど最近プリキュアって主人公意識高いこと言わせる割に王国とか女王とか王女とか出てきて彼らが(象徴的な君主制ではなく)実権を保持してる描写もあるので何でそこだけ封建的なんだよって言いたくなりません?)。

あとヒロイン名前スカーレットファンタジー風のPVだったので「なるほどヨーロッパ風のファンタジー世界なんだな!」と思って見始めたら16世紀デンマーク王国舞台と冒頭で明言されててビックリ仰天。スカーレットって英語ですよね……? なんで歴史上のデンマーク王国王女名前採用されてるんです……? 「たまたま異世界デンマークっていう国があるんだよ」っていう逃げは本編の展開で潰されてるのでマジで現実世界デンマーク舞台からねこれ。正気? それとも「一度も現実世界日本のことだとは言ってないです」って言い張る? っていうかクローディアス王の配下でコーネリウスっていうやつが出てくるんだけどクローディウス」「コーネリウス」か「クローディアス」「コーネリアス」のどっちかに統一しろって思った。もしかしてこの2つが同じ語尾の名前だと気づいてないんです? いやまさか、そんなそのへんに一山いくらで転がってるなろう作家並のファンタジー世界構築センスしか持ってないのに歴史ファンタジーの大作映画を作ろうなどと考えていたなどということはないだろう……ないよね? そもそも論で言うとさぁ、シェイクスピア登場人物日本では英語読みに基づいた表記をされてるのはシェイクスピア英語で書いた前近代作家からであって、現代日本作家が何でデンマーク人名英語読みするんだよ!

あ、最後に目覚めてからの断髪スカーレットちゃん可愛かったね。身体ラインピッチリ出るドレス姿、『おおかみこどもの雨と雪』での花の造形にも繋がるフェティシズムを感じて良き。もしかして細田守って腋チラ描写が好きだったりする? 新海誠の足フェチと違ってそこまでわかりやすくないから僕の節穴アイでは気づかなかった。反省。服を切られて恥ずかしがるスカーレットちゃんの声エロくて良かった。あと映像美はすごいよ。『サマーウォーズ』とか『バケモノの子』とか『竜とそばかすの姫』とかで見た浮遊する巨大生物演出が研ぎ澄まされていた。あれは映画館で見る価値があった。時間の都合で何も考えずにIMAXにして正解だったわ。これ『時をかける少女』で見た! みたいな感慨に襲われる演出もあったし「お前タイムリープしてね?」みたいな話の筋だったからもうなんか実質『時かけ』ってことで良くない? 良くないですかそうですか。

結論としては、万人向けではないけれども、まあ、オタクなので、話題作の情報を手に入れるために、そして同好の士と語らうために見に行っても、まあ、うん、数千円ぶんの損しかしないと思う。見たあとに同好の士と語らいたくなるという意味では非常に優れた映画だと感じた。映画会社はそろそろ懲りろよというか、スクリーン配分の見直しをしよう? な?

2025-11-22

そばかすを見た上でスカーレット初日に見に行ってるオレ映画詳しい民って誰よりも早く酷評書いてバズりたいだけやん?とは思った

評価が定まってから観るコスパ民にサマーウォーズ流行るんかもしれんの

ネタバレたくさんあり】果てしなきスカーレットを観た

 珍しくふと、映画館映画を観たいと思った。最後映画館に行ったのは11年前、中学の頃親と一緒に行ったっきり。自力映画館に行ったことも無いのに、なぜかそんな気持ちになった。

 細田監督の最新作「果てしなきスカーレット」が、ちょうど公開されるらしい。小学生の頃、金ロー放送された「サマーウォーズ」を録画して、繰り返し観た記憶が蘇る。これは観るしかねえと思い立ち、TOHOシネマズに向かった。

 結論としては、良いところはあるものの、やはり細田脚本には問題があると言わざるを得ない出来だった。本当に現状のままでいいのか、細田監督を問いただしたい理由をまとめた。

(1回見ただけなのでおかしいところや思い違いがあると思うけど、容赦してね。)

【以下、ネタバレ










 まずは簡単にあらすじを紹介。愛する父親を殺された王女スカーレットは、父親を殺した叔父クローディアスの暗殺に失敗。死者の国で目を覚ますスカーレットは死者の国で、現代日本からやってきた看護師・聖と出会う。スカーレットは聖と共に、かたき討ちのためクローディアスを探す旅に出る。

 本作が題材にするのは報復連鎖細田監督自身インタビューでそう語っており、私もその予備知識ありでスクリーンに臨んだ。では、憎しみと復讐連鎖に伴う辛さ、やるせなさが描かれているのかと言われれば、十分に描かれているとは言えなかった。

 正直なところ、憎しみや復讐の描き方は「進撃の巨人」の圧勝こちらの方が断然よくできている。本作は「進撃の巨人」と比べて、憎しみと復讐が続いてゆく辛さ、やるせなさが身に強く迫ってこなかった。

 その理由はいくつかある。

 一つは、愛する父が暗殺される→クローディアスの暗殺に失敗→死者の国へ、という冒頭の流れが説明であること。スカーレットが抱える憎しみとその辛さは理解できるものの、それが自分の身に起こったかのように感情移入できなかった。「物語への圧倒的没入体験」を掲げる本作であるが、没入できないもどかしさが最後まで続いた。

 もう一つは、クローディアスが一貫して悪人として描かれていること。「進撃の巨人」では、主人公たちが相手を憎むのと同時に、相手側が主人公たちを憎む様子も丁寧に描いていた。絶対的な悪など無く、対立する両者がお互いに痛めつけあうやるせなさ。それが、本作にはほとんど見られない。長期連載作品である進撃の巨人」と、二時間に満たない尺の本作を比べるのはフェアじゃないかもしれないが、復讐や憎しみを描くうえで、そこは外してほしくなかった。

 しかし、復讐や憎しみを題材にしている本作であるが、より深いテーマを感じた。それは、「自分の好きなように生きよ」というメッセージである

 物語の序盤、スカーレットは父の敵討ちに燃え、死者の国で現れる敵を次々と殺してゆく。「王女としてそうあるべき」という義務感をスカーレットは抱いており、それが復讐モチベーションになっていることが描かれている。看護師である聖は、好戦的スカーレット対照的に、敵味方差別なく治療を施し救おうとする。それも、「看護師としてそうあるべき」と聖が考えているからだ。

 敵を殺そうとするスカーレットとそれを好まない聖は、一見対照的キャラクターに見える。しかし、「自分立場にとらわれて、本当はどう生きたいのか分からない」という内面は同じなのである

 スカーレットと聖は交流を重ねる中で、互いの心情に変化が生まれてゆく。スカーレットは、敵との戦闘になっても剣を鞘に納めたまま戦い、むやみに人を殺めなくなる。人を殺めるための短刀を、自分の髪を切る(新しい自分になる)ために使うシーンは、スカーレット内面の変化を印象的に描く。逆に、人を殺めることを否定していた聖は、弓矢でクローディアスの手先を殺めてしまう。物語の序盤、「人を殺めるな」とスカーレットに散々言ってきた聖が人を殺めてしまうシーンは大きな批判を生みそうだが、聖が自身の黒い感情に対して正直になった、もしくは抑えられない、という内面の変化が描かれる良いシーンであったと思う。憎しみという黒い感情否定しないことは、本作の美点の一つである

 一見対照的な二人だが、共に同じ苦悩をを抱えていて、それが変化してゆく、という構成は好印象だった。ただし、スカーレットについては憎しみに関する描写が強すぎて、「王女としてそうあるべきだから復讐燃えている」という内面理解しにくかった。物語の序盤も序盤、スカーレットの父が「王女としてではなく、女の子として好きなように生きなさい」と幼少期のスカーレットに語るシーンがあるのだが、さらりとしすぎている。スカーレット死ぬ前に、クローディアスの暗殺民衆が熱望していて、スカーレットがそれにプレッシャーを感じているようなシーンがあると良かった。

 クライマックススカーレットは死者の国から元の世界へと戻り、王女となる。王となったスカーレット民衆に、「民を救うこと」「子供絶対に死なせないこと」を宣言する。これは、スカーレットが「王女としてそうあるべきだから」と考えているからではなく、心の底からそう思っている。スカーレットは死者の国での交流を通じ、「私はこうありたい」という自発的な強い意志を手に入れて、物語は幕を閉じるのである

 そのようなクライマックスを踏まえると、「果てしなきスカーレット」は、憎しみの連鎖を描いた物語というよりは、少女自分生き方を決める物語なのだ個人的には思った。本質的には、「おおかみこどもの雨と雪」(主人公が、おおかみ or 人間、どちらかの生き方を選ぶ)や、「バケモノの子」(人間世界 or バケモノ世界、どちらで生きるのか選ぶ)など、細田監督過去作品にも通ずるテーマであるといえるだろう。

 本作は他の細田作品と同じく、演出特にメタファーの使い方に優れる。特に水というモチーフが良い。序盤、空が荒れた海のようにうねる様子をまじまじと見せつけつつ、水一つない砂漠風景を延々と見せておいて、最後スカーレットを雨に打たせる流れが良かった。雨はスカーレットの心の痛みであると同時に、乾き続けた心を潤す恵みの雨でもある。スカーレットが抱く矛盾した複雑な感情を、水や雨というモチーフを使うことで、端的に表すことに成功している。物語全編を通じて砂漠風景が続くのは単調で少ししんどくもあったが、クライマックスに良い形で回収されたのは良かった。

 カラスモチーフも良い。本作ではカラスが度々出現するのだが、物語の終盤、クローディアスと対峙するシーンでザワザワとカラスが集まり、散ってゆく演出が良かった。黒い感情やざらつきが、スカーレットの胸に広がって去っていく描写である。このシーンでは、スカーレットが抱く感情にある程度没入することができた。

 しか最後最後、黒い竜がカラスとなり散っていくシーンは解釈が難しかった。カラススカーレット内面を表しているのであれば、竜が悪役に雷の制裁を加えるのはご都合主義すぎる。スカーレットの黒い感情の高まりが、直接悪を成敗しちゃってました、ってことになってしまわないだろうか。私の読解力では、一本芯が通った演出として理解できなかった。

 その他、聖のキャラクター人間味が無いとか、スカーレットの母が謎だとか、細田監督らしく突っ込みどころは沢山あるしキリがない。しかし一番の問題点は、わかりやすカタルシスに乏しいことだろう。「見果てぬ場所」を目指すとか、最後に聖とキスして永遠のお別れをするとか、カタルシスを作ろうという工夫は見られるが没入感が無く、わかりやすく感動できない。

 唯一カタルシスを感じたのが、劇中歌「祝祭のうた」(フルバージョンがストリーミングにある)をバックに、スカーレットが炎の中に吸い込まれ現代日本へとワープするシーン(このシーンはYoutubeでチラッと見ることができる)。なんだかよくわからないけれどいい感じにエモい歌が鳴っていて、スカーレットが「うわああああ」ってなってて、吸い込まれてゆく映像美も(IMAXなので)すごい。「コレだよコレコレ!このわかりやすい感じ!」と思ってスクリーンの中に身を任せたのだが、その先の現代で踊るシーンは作り物感が強く、映画館座席の上にストンと戻されてしまった。復讐だけのために生きてきたスカーレットが新しい自分を見つける、という背景を意識するとそれなりにエモく見えるのだが、直感的に感情移入してダラダラ涙を流すためにはあと一歩か二歩足りなかった。

 「君の名は」ほどではなくてもいいから、馬鹿でも分かるような感動が欲しかった。まず、分かりやすく感動できること。そのあと二回、三回とリピートしていくにしたがって、細田監督演出の上手さが生きてくる。水や雨、聖がおばちゃんから貰った楽器などのモチーフや、登場人物些細な変化。それに気づいていくことで、回数を重ねる度により深く物語へと没入することができる。

 個人的に大好きな「おおかみこどもの雨と雪」には、それがあったと思う。揺らいだカーテンに隠れた雪がおおかみの姿に変身する激エモシーンや、嵐が去った駐車場で花と雨がお別れする涙腺崩壊シーンなど、音楽(激エモ)と映像美(激エモ)の力を借りた分かりやすい感動ポイントが、まずあった。そのあと繰り返し鑑賞してゆくにつれ、瓶に入ったお花の描写や、おおかみであるとは?人間であるとは?といったテーマ理解度が深まり没入していく。そんな作品だった。それこそが「物語への圧倒的没入体験」だと思うのだけど、皆さんはどう思いますか?

 それを踏まえると、やはり奥寺佐渡子さんの脚本に戻してほしいと切に願う。復讐や憎しみを題材にしながら「自分の好きなように生きよ」というメッセージ細田監督から投げかけられた私は、素直に胸を打った。しかし、カタルシスに乏しく物語に没入できてないので、そのメッセージが深くまで刺さってこないし、未消化感が残る。上映が終わった後、前の席に座った女性大学生くらい?)の二人組が、「何の話か分からない……」と漏らしていたのが印象的だった。監督が伝えたいメッセージが観客に伝わらないのは、あまりにも大きな問題ではないか

 奥寺氏が脚本に嚙まなくなった「バケモノの子」以降、細田監督作品脚本の弱さを批判され続けてきた。しかし、「竜とそばかすの姫」はそれなりに売れてしまったわけだし、商業的にやっていける限り細田脚本は続いていくだろう。

 しかし、本当にそれでいいんですか?

 「あなた脚本だと、メッセージが観客に上手く伝わってないみたいですけど、本当にそれでいいんですか?」と、細田監督に問いかけたくなる。「好きなように作って満足!」みたいな同人誌的な態度の映画作りで細田監督が満たされるのであれば、現状維持でかまわないと思う。我々はスクリーンの前で、感動ではなく悔し泣きの涙を呑むしかない。

 しかし、莫大なマネーステークホルダーを巻き込み、作品を広く世に知らしめる力を持つクリエイターとして、「自分メッセージを世の中に投げかけ、沢山の人の気持ちを揺さぶりたい」と細田監督が考えているのであれば、勇気をもって奥寺脚本に戻していただきたい。

 ちなみに奥寺佐渡子さんのことを調べたところ、最近脚本を手掛けた「国宝」なる映画がとてもすごいらしい。昭和ど真ん中の時代に、任侠の息子が歌舞伎役者として成長していく話なんて教養がない私にはとても敷居が高いんだけど実際どうなの????教えてエロい人。

PS

 TOHOシネマズBGMってあるじゃんピアノの曲。超久しぶりに映画館に行くので、あの曲が劇場で流れている雰囲気も楽しみにしてたんだけど、開場して五分後に入場したらすでに広告が始まってて聴けなかった。放映終了後も、「忘れ物に気を付けてください」の画面が出てくるだけで聴けなかった。開場直後に滑り込めばこのBGM聴けるの?これもエロい人がいたら、ついでに教えてほしい。

 仕方がないので、その曲を無限リピートさせながらこの記事を書いている。ちなみに、TOHOシネマズBGMは「ナッシュスタジオ」という、業務用向けのBGM効果音を専門に販売する会社のもので、ハードオフの店内放送曲や天神CM、デデドン絶望)もこの会社作品らしい。"Nash Music Library"で調べればストリーミングで聴ける。

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