はてなキーワード: 配偶者とは
たまに「これは厚生年金制度にだけ存在する異常な制度である」という理解の元で話をしている人がいるが、そんなことはなく、協会けんぽや健康保険組合など、健康保険制度の方が扶養制度は手厚い。
協会けんぽなどは、扶養家族が増えても保険料が上がらない。これはあまり遡上に上がらないが、子ども3人専業主婦ひとりの5人家族でも、同じ収入の独身者でも健康保険料は同じである。
同じ構造であるにもかかわらず、3号被保険者だけが誤った認識でやり玉にあがるのは「ずるい」と言う様なシンプルな感情による者だと思われるが、それを削減することが良いとは言えない。
単純に3号を廃止したあと、無職の配偶者に何が起こるかというと、今まで強制的に収入から徴収されていた保険料が徴収されなくなるので、家庭内で調整を付けて、収入を得ている人のお金から無職の人の国民年金保険料を支払ってもらわないといけなくなる。
が、それがスムーズに出来る場合ばかりではない。払ってもらえないとどうなるかというと、無年金まっしぐらである。
例えば妻が内助の功的に支えている……といえば聞こえがいいが、妻を働かせず閉じ込めていた様な輩の場合、こうなってくると妻に自動的に入っていた年金資産が入ってこないことになって、余計経済的な自立を阻害するのである。何があっても離婚できないし、依存はさらに高まる。
こういったことがないように、また現実問題、適用されるのは女性が圧倒的に多いわけだから、女性を保護するための制度であるという事を頭に入れておかないといけない。離婚するときに婚姻中の資産配分交渉をすれば得られるものはあるが、3号の場合はそもそも交渉の必要なく保証される。
その点で、連合会長の芳野らは、女性の敵は女性であると言う事を体現していて、なぜフェミニストから称讃されるのかが私には理解できない。
2号被保険者の加入義務のラインを激しく下げて、一週間に5時間程度でも働いただけでも加入を義務化するべきだ。しかしそれでは当人達の負担が大きくなってしまう。
そこで、基礎年金の部分は当人らだけが支払うのではなく、厚生年金全体で支える仕組みにする。言わば基礎年金部分の全労働者3号化だ。週5時間、月25時間=月給2万5千円程度働けば、2万円の国民年金保険料を支払わなくても良いと言うインセンティブにするのである。また、自営業などの1号についても、無職の家族に週5時間程度働いた事にして賃金を支払えば、国民年金保険にシンプルに加盟するよりも有利だという環境と制度を作る。
そうして3号被保険者の割合をさらに減らした上で、3号の制度は引き続き継続する。
3号廃止論は、扶養の壁があるからそれ以下で抑えてしまう人がいる、と言う問題もこれで解決する。確かに手取りは減ったように見えるが、それは将来自分が受け取る年金である。全体では損がないと言う事を周知していくのだ。
単純に廃止すると、社会保障の網で捉えきれずに落下して致命的な事になる人が多く出る可能性がある。
重要なのは社会的なマクロな公平性であって、個々のミクロな公平感ではない。
廃止は行うべきではない。
犬との生活がつらい。かわいいんだ。すごくすごく。でもつらい。
散歩に朝2時間、夜1時間必要。リモートワークの日はいいが通勤に往復1.5時間かけている日は就業時間9時間くらいとあわせると13.5時間。残りは10.5時間。8時間は眠りたいとすると自由時間はない。
世の子育て中の方々はこんなものかもしれないが、それが嫌で子供を持たない選択をした自分には今の生活がつらくて仕方ない。
飼い始めて初期でノイローゼ気味になったので基本的に散歩は配偶者がしてくれている。本当にありがたいが、配偶者の自由を奪っている気がしてならず罪悪感で押しつぶされている(が、自分の都合を優先して散歩を代わるわけではない自分に愛想を尽かしつつある。でも散歩したくない。)
散歩の時間は無くなったが、配偶者の都合のつかない日は代わらなくてはいけない。
静かに本を読もうにも犬が邪魔してくる。仕事で疲れてたくさん寝たいのに朝早くから散歩に行くため起こされる。
1人になりたい…好きに生きたい。
多分世の中の人はこれくらいのことは我慢したり折り合いをつけて生きていくのだろう。私だって今までそうしてきたはずなのに、なんで我慢できないんだろう。
家を出たい。
でも家を出るのは今まで犬との生活をしてくれている配偶者を悲しませる。
通勤が辛い。Back to Officeの風潮が徐々に強まる一方で、一回知った蜜の味(リモートワーク)が忘れられず苦しんでる。
うちはいわゆるDINKS。配偶者はコロナ前からフルリモート。配偶者は家賃が安く環境のいい田舎に住みたい。私は職場の近くに住みたいが、だめならせめて座って通勤したい。希望と家賃のせめぎ合いの中、最寄駅から始発が出ているため私が座って通勤できる駅、かつ駅近物件に住んでいた。
そんな中に私がコロナ禍によるフルリモート。そして住んでいた物件からの立ち退きを求められた。
今回は「環境のいい田舎に住んで犬を飼いたい」という配偶者の意見と、希望の賃貸物件が見当たらないため「購入できる物件」を優先し、隣駅の駅から15分の物件に引っ越した。
そして数年経ちBack to Office。通勤が辛い。駅が一つ異なるだけで座れない。駅まで遠くて通勤時間も伸びた。
さらに犬。かわいいのだけど、朝の散歩に2時間、夜の散歩に1時間。9〜10時間仕事していてこの散歩時間を確保して通勤時間が加わると自由時間がない。犬種のリサーチが甘かったとしか言いようが無いけど、つらい。
フルリモートで残業がない配偶者がほぼ散歩をしてくれているのでなんとかなるが、配偶者と犬と犬仲間世界ができあがっており、そもそもわたしはこの家庭に存在価値があるのか疑問になってきた。知らない犬仲間の近況に興味もないし。配偶者と共通の趣味がないことがここで痛手になってきた。話すことがない。
辛かったら会社を辞めていい、と配偶者に言われている。仕事はストレスフルだけど割と気に入っているし辞めたくない。それに収入は配偶者の倍だ。自分の老後資金を考えても、今の年齢(50)を考えても、いま辞めたくない。
転居については犬のこと(犬仲間と離れるのが辛い、犬にとっては都心の環境より今の方がいい)、通勤の辛さを忘れた配偶者に阻まれている。家も購入してしまったし売るのも面倒。
いまは別居したいという気持ちと、20年近く人と住んできて今更1人暮らしなんて寂しくて出来なさそう、下手に1人暮らしが楽しかったら帰らなそう(配偶者を悲しませそう)、無駄にお金がかかる、のせめぎ合いで苦しんでる。いつこの気持ちに決着がつくのだろうか。
Back to Officeの辛さというか、自分の見込みの甘さを悔やんでる。悔やんでも仕方ないのでどうしたものか悩んでる。
週休3日制なんていうと、暦とした制度みたいに聞こえますが、一人法人のフリーランスです。
フリーランスで生計を立てられるようになって12年くらい、法人化して7年が経過した。
いわゆる、つよつよエンジニアではない。
強みは技術力ではない。ディレクターの意図を汲み取って、空気読んでいい感じに仕上げるのが得意なだけ。
都内在住。配偶者と二人暮らし。自宅でフルリモートで昼寝し放題。
リリース時などは柔軟に対応しますので都度ご相談ください。よろしくお願いします。」
いや、驚いてたのかもしれないけど、ほとんどSlackやメールで連絡したので、反応はよくわからん。
理由を聞いてきた人も迷惑がっている感じはなく、素朴な質問だった。
「ちょっと働きすぎだと思っているんですよね」と言っておいた。
実際そう。
これまで依頼がきた仕事は可能な限り受けていて、時期によっては昼夜兼行で仕事してきた。(平日の昼間から昼寝したりするわけだけど)
フリーランスの働き方は自分に合っているので、長時間仕事し続けるのはそれほど苦ではない。
クライアントから依頼されて作っているものは、自分のものではない、自分がやらなければいけないことではないという思いが強くなってきた。
さらに言えば、大元のクライアントは大資本だったりするわけだが、正直この社会になくても構わないものばかり作っているなと思ってきた。(依頼を受けた以上はしっかりやるけどね)
お金はそれなりに稼いだのだけど、実はそんなに使いどころがない、というのもある。
家は買わない主義。車は10年前に中古で買ったのを大事に乗っている。愛着が湧いて手放せない。
接待されて嬉しいタイプではない(むしろ居心地が悪い)ので、どかんとお金を使うところがない。
外食行った時に値段を気にしないで注文したり、旅行の際に気軽にグリーン車やタクシーに乗ったりできるのは嬉しい。
で、昨年イギリスで週休3日制の社会実験が行われたというニュースを耳にして、
これはいい、私もやろうと思った。
良い。
フリーランスなんだから、ほんとうは全ての時間を自由に決められるんだが、この日は仕事しないと宣言することには意味があった。
収入は前年の8割くらい。でも、私の収入は毎年2-3割のブレがあるので、通常のブレの範囲内。
始めた頃はさすがに金曜に稼働しなければならない状況は結構あった。
これは私が仕事を終わらせることができなかったのではなく、先方の都合で仕様の確定や素材提供が遅れてしまうのが原因であることが多かった。
あと、私が金曜に働かないというのを忘れてたり、知らなかったりする人が金曜にタスクを投げてきたりしていた。
でも、ここ数ヶ月は私が金曜日働かないマンであることがかなり浸透してきて、ほぼ休めている。一応Slackの通知は見ているけど。
どなたも二つ返事でご理解いただけてありがたい限り。
親友の配偶者が亡くなる夢を見た。起きてまずなんて夢を見てしまったんだと自己嫌悪した。
だけどそのあと、希死念慮が薄まったような気がした。あのひとがあんなに憔悴した姿をみたことがない。夢の話なんだけど。
自ら死を選んで、その結果、こんな自分に良くしてくれたひとの心を大きく乱してしまうかもしれないことが、なんか嫌だと実感できた気がしたんだ。
ブコメの「そもそも外国人との国際結婚なら認められている夫婦別姓が日本人同士の結婚だと認められないのがおかしな話」について。
これは外国人配偶者が「姓のない名前」だった場合、そもそも同姓にする、ということが無理なので、それぞれの今までの名前を引き続き使えるようにしておくということだと思う。
結果的に夫婦別姓にもなることもあるし、日本人は姓のある名前、外国人配偶者は姓のない名前のまま、ということができるように。
例えば、モンゴル人力士が帰化するときに日本人の妻の姓を使うのは、そもそもモンゴル人に「姓」がないのも大きいと思ったりする(普段は父称を姓代わりに使ってるが、あくまで父称なので、配偶者が名乗ることはない)。
なるほど・・・考えてもみなかった
自分も国際結婚で夫婦別姓で自分の姓のままだけどもし配偶者が帰化したら夫婦同姓ルールの中に引き摺り込まれてしまうのか そうしたら複合姓かな
PRまで取れたら満足という在留外国人が多数と思うからあんまり気にしたことなかったけど中国韓国だと地理的にも近いし帰化は全然あるし悩ましいね
通勤が辛い。Back to Officeの風潮が徐々に強まる一方で、一回知った蜜の味(リモートワーク)が忘れられず苦しんでる。
うちはいわゆるDINKS。配偶者はコロナ前からフルリモート。配偶者は家賃が安く環境のいい田舎に住みたい。私は職場の近くに住みたいが、だめならせめて座って通勤したい。希望と家賃のせめぎ合いの中、最寄駅から始発が出ているため私が座って通勤できる駅、かつ駅近物件に住んでいた。
そんな中に私がコロナ禍によるフルリモート。そして住んでいた物件からの立ち退きを求められた。
今回は「環境のいい田舎に住んで犬を飼いたい」という配偶者の意見と、希望の賃貸物件が見当たらないため「購入できる物件」を優先し、隣駅の駅から15分の物件に引っ越した。
そして数年経ちBack to Office。通勤が辛い。駅が一つ異なるだけで座れない。駅まで遠くて通勤時間も伸びた。
さらに犬。かわいいのだけど、朝の散歩に2時間、夜の散歩に1時間。9〜10時間仕事していてこの散歩時間を確保して通勤時間が加わると自由時間がない。犬種のリサーチが甘かったとしか言いようが無いけど、つらい。
フルリモートで残業がない配偶者がほぼ散歩をしてくれているのでなんとかなるが、配偶者と犬と犬仲間世界ができあがっており、そもそもわたしはこの家庭に存在価値があるのか疑問になってきた。知らない犬仲間の近況に興味もないし。配偶者と共通の趣味がないことがここで痛手になってきた。話すことがない。
辛かったら会社を辞めていい、と配偶者に言われている。仕事はストレスフルだけど割と気に入っているし辞めたくない。それに収入は配偶者の倍だ。自分の老後資金を考えても、今の年齢(50)を考えても、いま辞めたくない。
転居については犬のこと(犬仲間と離れるのが辛い、犬にとっては都心の環境より今の方がいい)、通勤の辛さを忘れた配偶者に阻まれている。家も購入してしまったし売るのも面倒。
いまは別居したいという気持ちと、20年近く人と住んできて今更1人暮らしなんて寂しくて出来なさそう、下手に1人暮らしが楽しかったら帰らなそう(配偶者を悲しませそう)、無駄にお金がかかる、のせめぎ合いで苦しんでる。いつこの気持ちに決着がつくのだろうか。
Back to Officeの辛さというか、自分の見込みの甘さを悔やんでる。悔やんでも仕方ないのでどうしたものか悩んでる。
減点方式で人付き合いしたらそりゃ誰に会っても「まとも」には見えないよね。
あなたの親族や友人は「どこも」おかしくないひとたちなの?そんなことないんじゃない?
不倫っていいことなのかという話なんだが、まず民法なんかでは不貞行為と言って違法なことになっている。
というか、結婚した以上配偶者以外と肉体関係を持ってはならないという「義務」がある。
だからルール違反の悪いことですよ、というのは一つの説明になるだろうが、「不倫が悪いこと」というのは「私にとって納得感のある不倫の良し悪しについての説明があるか」という問いであり、そこには法とか倫理とかそういうものではなく、「私が一番気持ちよくなれる回答チャレンジを開始します!」というものでしかないのでくだらねーなという質問でしかない。
そもそも様々な相手と肉体関係を持つことはいいことである、という文化の世界では不倫なんて言うものは成立しない(そんな文化があるかはしらないが)。
中世くらいまで遡れば、偉い人、強い人、尊敬を集める人というのは多くの相手を手に入れることができたのだから、こういう世界では不倫などという概念はなく、たくさんの相手を手に入れる強者と一生相手に出会うことはない弱者という存在しかいないことになる。
ではそんな彼らは「悪い人」だったのだろうか?「果たすべき義務を果たす人」でしかなかったはずだ。だから善悪という概念ではそもそも見ていなかっただろう。
女性が不特定多数の男性と肉体関係を持つ、男性が不特定多数の女性と肉体関係を持つ、ということに対して「善悪」であるとか「倫理」と言った尺度が持ち込まれたのは日本では明治時代だ。
このときに欧米のプラトニックラブという概念が持ち込まれ、そのときに「特定の相手以外と肉体関係を持つべきではない」という浅はかなルールのみが導入された。
明治以前はそうでもなかったのなら、不倫を開くと断じるもっと根源的で客観的な理屈はあるのかとなる。
そう考えるならば、「ない」が答えになる。
というかこういう質問をする人は「悪と(または善と)断じる理由がなくなるまで聞き続けるタイプ」でもある。
もうちょっと言うならば私はルールに従いたくないのでそれを正当化したいですが質問の意図でもあるが本人は絶対に認めないだろう。
「私はただ納得がしたいだけなの!」とさも探求しているふりをしているが正体は「私に一番都合のいい答えが来るまでひたすらのらくら交わし続けるからね!」でしかない。
おわり
配偶者には、家でゴロゴロしてれば良い。お手伝いさんが家事も料理もしてくれるし、外出時は運転手付きという条件で結婚して海外駐在に同行させた。
好きな人が家にいてくれるだけで良かったんだけど、やることが無いと人は病むらしく、どんどん精神状態が悪化した。
小さなすれ違いで発狂したり、「自分が正しい」と思うことなら私を数時間詰めることも厭わず、不眠のせいで夜中に毎日起こされてこちらがしんどくなった。
離婚の話も出て来たけど、紆余曲折あって料理掃除洗濯などの一切を任せることにしてみた。
こういう人は配偶者を見つけることが無理でしょ