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2025-12-09

統合失調症作為体験(させられ体験)について

統合失調症妄想幻覚体験記はぼちぼちあるのに、作為体験(させられ体験)についてちゃんと書いてある記事ほとんど見たことがない。

自分発症するまで、ここまでエグい症状があるとは知らなかった。

なので、これはあくまで一人の当事者メモとして書いておく。

医学的な正しさとか診断マニュアルではなく、「こういう感覚だった」という話。

プロフィール

母親統合失調症

小さい頃から自分はああならないようにしよう」と思って生きてきた。

でも現実には、育児+いろいろな負荷が積み重なって見事に発症

今は子どものために再発しないよう、治療を受けている最中

作為体験

作為体験。させられ体験とも言う。

ざっくり言うと、考えや身体の動きが、自分意思じゃなくて「外側の何か」に操られている感じのこと。

私の場合、いきなりこれだけが単独で出るわけじゃなくて、

関係念慮(いわゆる関係妄想

• その他の妄想

がかなりひどくなってから出てくる。

世界解釈がぐちゃぐちゃになって、「自分特別」「自分けが選ばれている」みたいな妄想が本気になった頃、その延長線上で作為体験が始まった。

感覚としては、本当にマリオネット

自分身体なんだけど、自分コントローラーが外されて、誰かに渡されているような感じだった。

動きはいろいろ

出てきた動きはけっこうバリエーションがあった。

首が左右・前後勝手に振れる。目が上下ガチャ目になる。『嫌われ松子の一生』の変顔みたいになる。

止めようと思っても止まらない。

「なんで今このタイミングで?」と思っても、とにかく動く。

手の形や動きで、妄想上の「相手」と会話することもできた。

• 合点

• 丸(OK

バツNG

祈りポーズ

みたいなジェスチャーで、勝手に会話が進んでいく。

手が首を絞めるような形になることもあった。

これは「その行為を続けたらお前は死ぬぞ」という意味(ちなみにその時してたのはホテルロビーに行こうとすることだった)。

いま冷静に書いていても相当やばいが、そのとき自分にとっては「自分特別」「世界の裏側とつながっている」を補強する証拠だった。

作為体験が重くなっていくとどうなるか

ここまでは、まだ「変な動き」で済んでいる。

問題は、さら陽性症状が重くなったとき

その段階になると、シャレにならない行為が「起こった」。

あえて「やった」ではなく「起こった」と書く。

自分計画して「やろう」と決めたのではなく、「自分では止められない大きな力」=「マリオネット状態」によってさせられた感覚からだ。

大きく分けると、犯罪行為自傷行為

犯罪行為万引き

詳細は伏せるが、作為体験の中で万引きまで行ってしまたことがある。

もちろん、現実ルールとしては完全に犯罪行為だし、チャラにはならない。

病気から仕方ない」と言いたいわけでもない。

ただ当時の感覚としては、

自分で「よし、盗もう」と決めて計画してやったのではなく、

勝手身体を動かされた

に近い。あくま感覚としては。

妄想で「自分特別」と思っていたこともあって、ブレーキ判断力もかなりグダグダになっていた。

その結果がこれ、という感じ。

自傷行為:壁こすりと後ろ向き転倒

自傷行為も、いくつかパターンがあった。

ひとつは、外壁にひたすら腕を擦り付ける動き。

痛いのに、やめられない。

皮膚が擦りむけたり、赤くなっても、「やめよう」という意思より先に身体が動く。

.

もうひとつは、防御姿勢なしでいきなり後ろに倒れるやつ。

手も出ず、後頭部から床や地面に直撃して、実際に脳出血を起こした。

このとき感覚は、

「痛い」と「え、なんで今倒れたの?」がほぼ同時だった。

前もって「倒れよう」としていない。

「引っ張られた」「足腰のスイッチを切られた」みたいな感覚けがあって、気づいたらもう後ろに倒れていた。

作為体験は「静かな症状」ではない

統合失調症というと、

幻聴が聞こえる

妄想人間関係が壊れる

みたいな話ばかりが前面に出る。

もちろんそれも重い症状だが、作為体験はそれに負けないくらヤバい

から見ると、

• ただ変なポーズをしているだけ

勝手に動いているだけ

に見えるかもしれない。

でも、当事者の中では

自分身体ハンドルを奪われている」

状態で、その延長線上に

犯罪行為万引き

自傷行為(壁こすり、後ろ向き転倒→脳出血

みたいな結果がぶら下がっている。

少なくとも、「周囲に迷惑をかけない軽い症状」なんかではまったくない、ということだけは書いておきたい。

同じような感覚経験したことがある人が、「自分だけじゃなかったんだな」と思えたら嬉しいし、

家族医療者が「作為体験でここまで行くこともある」と知ってくれるきっかけになればもっと嬉しい。

ちなみに、私が統合失調症発症した直後は、気絶みたいなことを繰り返したり、覚醒剤を打ったみたいな状態になった。

実際に覚醒剤を打ったことはないから、あくま知識ベース比喩なんだけど、感覚としてはこんな感じだった。

多幸感に満ちあふれて、世界キラキラと輝く。壁の模様やシミがぐるぐる動き出す。

それが、ただ家の中を歩いているだけのときに、突然起こる。まるでコ○ンの麻酔銃でも使われたみたいに、突然。

気絶の方はまだマシで、今のところはトイレの中とか、椅子に座っているとき意識が飛んだだけで済んでいる。それでも何度も何度も起こるので怖かった。

統合失調症身体症状をなめてはいけない。

私は親が統合失調症だったので、知識はそれなりにあるつもりだった。

でも、ここまで派手な身体症状が出るとは知らなかったし、身体症状が強すぎて、むしろ妄想の方を補強してしまった。

「あの時の気絶や覚醒剤様症状は薬を盛られたからだ」

そう解釈してしまって、病識を持つの半年くらい遅れた。

酔って警察沙汰、一生の禁酒を決めた友人にこっそり酒を盛る獣医師。この倫理観マジでヤバいだろ。

おい、ちょっと聞いてくれ。X(旧Twitter)でとんでもないポストを見てしまった。

これ獣医師を名乗ってるアカウント投稿

引用ポスト

酒で暴れて警察に捕まり一生の禁酒を決めた後輩と飯を食う時に、事前にマスター(仲良い)に

ワイ「あいつたぶんウーロン茶頼むんで、焼酎ちょっとだけ入れてあげてください」

マスター了解!』

ってお願いしてたことを思い出した。

これ、頭おかしいんじゃないの?

まず、前提としてこの後輩が禁酒を決めた理由は何だ?「酒で暴れて警察に捕まった」だろ。普通の失敗じゃない。人生ターニングポイントになるような、マジモンの深刻な問題があったってことだ。

それを受けて一生の禁酒という、どれだけの覚悟必要決断をしたのか。アルコール依存症治療かもしれんし、暴行事件を起こしたPTSDかもしれん。そのくらい重い話なんだよ。

それをだ、「ウーロン茶ちょっとだけ焼酎を入れてあげてください」って、何を粋がってるんだ?

相手真剣努力を、自分の気の利いた悪戯とでも思っているのか?もし後輩が気づかずに飲んで、そこから依存が再発して、また警察沙汰になったらどう責任取るつもりだ?ちょっとしたジョークで済むレベルの話じゃないんだよ。マジで相手人生ぶっ壊しかねない行為だろ、これ。

命を扱うプロとしての資質ゼロ

さらに腹が立つのが、こいつが獣医師だということ。

命と健康を預かるプロフェッショナルだろ?

飼い主の決意(この場合は「禁酒」)を尊重しない。

相手に害になる可能性のあるものアルコール)を、本人の意思に反して密かに投与する。

そして、その行為を発信する。

もし自分の飼い犬が病気特定のフードを禁止されてるのに、獣医がこっそりその禁止フードを混ぜて「ちょっとしたサプライズ」とかやってたら、どう思う? 即刻、免許剥奪レベルの信用問題だろ。

人間相手ならOK」というダブルスタンダードが、職業倫理としてありえない。人の心身の健康に対する想像力がこの程度なら、動物に対してもどこかでおざなりな扱いをしてるんじゃないかと勘繰ってしまう。

SNSで流れてくる「武勇伝」の中には、洒落にならないレベル倫理観欠如が潜んでいる。

これは単なるやらかしじゃなくて、プロフェッショナルの倫理崩壊だ。獣医師会とか、この手の問題について何も言わないのかね。

この投稿拡散されて、この獣医師がどういう意図でやったのか、本当に反省してるのか、世間ちゃん議論されるべきだと思うわ。

第三者検証を終えて

最後かもしれないだろ。だから全部話しておきたいんだ

はじめに

この記事はn=1の第三者検証体験です。

過去、私は自分はどこかの第三者検証会社にいました。

第三者検証全体がこうではなく、ある巡り合わせにあったテスター一人がこんなふうに思ってたんだなというのを記録するために書きます

この文章を読んで誰かにどうこうして欲しいとか誰かを上げ下げしようとかい意思はないです。

割とつらかったこ

## 単価と工数

私はエンジニア生活の2/3くらいを派遣契約で過ごしたため、仕事の良し悪しについてはやっぱり単価と工数評価されることが多かったです。

残業すればするだけ会社の売上になるので、どんどん残業しましょう。残業しただけ働いたことになるから。という文化でした。

単価が上げていくことは現場責任者営業の実力に左右され、そう簡単に変わるものでもなく、なかなか自分ではコントロールできなかったので、やっぱり容易く売上を上げていくには残業するしかありませんでした。

業務時間中に開催される研修シンポジウム参加等は売上を下げることに繋がるので、明確なトレードオフ条件がないと参加が難しかったです。

自己研鑽休日などに行いましょうという文化でした。

私はそれでも構わないと思いますが、参加しようとするたびに一々上長に「売上減らしてごめんなさい」と頭を下げにいくのが変な感じがしました。

テスト効果効率を上げることや品質を上げることは成果に繋がらない

やっぱり残業時間正義なので、中でどんな仕事しているかあんまり重要ではなかったです。

品質向上の提案テスト効率化を提案・実行したところで単価アップに繋がらなければ大きな成果には繋がりませんでした。

※私の場合たまたまそういった点を評価してくれるお客様出会たこともあって、汲み取って営業フィードバックみたいなこともしてくれました。給料には反映されませんでしたが、、

安い人材をとにかく投入する多重下請け構造

私は無関係な期間もありましたが、BP投入が最も評価されます

かにつけてプロパー/BP率を評価されて、BPを投入した分だけ利益が出るので営業頑張ろうとなるみたいです。

営業の思惑に左右される提案

QAに関する提案についても第三者検証商売として成り立つかどうかが判断基準になります

例えば自分会社では難しいテストレベルテストタイプについてはその現場必要に思えても、提案計画には盛り込まないなどのことがあったかもしれません。

現場に左右される業務経歴

基本的に体系的なソフトウェアテストを行なっている現場に関われたらだいぶラッキーでした。

体系的なソフトウェアテストができていれば外注しなくてよかったりしますので、良くないテストマネジメントであったり、いびつテスト設計をしています

で、現場はお客さまの言うことを聞くことで精一杯なので、体系的な経験知識を得るためには自分勉強して頑張るしかありません。

10年、20年やっているようなベテランJSTQBとかで整備された知識よりも勘と度胸と経験で頑張るみたいな場合があるので、自分知識を取りに行かないとそういったベテランと同じ道を歩むことを頑張ろうとしてしまうんじゃないでしょうか。

評価される開発経験、増えるテスト素人

本文は削除されました

どこにアサインされても結果を出すのがプロ第三者検証

私の結論上記の通りです。やっぱりどんな現場であっても、どんなメンバーでも、どんなお客さまでも結果を出していくのがプロ第三者検証なんだと思います

品質プロ"と名乗るのもいいですが、"第三者検証プロ"と名乗る道もあるのではないかなと思います

私は、

第三者検証テスターのよさ

よさももちろんあります。思いつく限りたくさん書いていこうと思います

やる気さえあればドメイン依存しない広い知識が得られる

様々な現場製品に携わることができるので、一般化する実力さえあれば、様々な経験ナレッジ一般化して、ドメイン依存しない実力をつけることができると考えています

自社QAだとどうしても社内の文化ややり方に依存した能力なっちゃうと思いますが、第三者検証テスターとしてたくさんの現場経験していると、どんな製品でも対応できるようになるんじゃないかなと思います

複数現場を見たコンサル的な視点が得られるポジションもあり

社内でコンサル試験を受けた時に言われました。

複数現場俯瞰して、より多くの現場コンサル的な立場で関わることが第三者検証ではできます

体系的な知識がある会社であれば、つよつよの人々からバックアップを受けながらコンサルをすることができます

最近法人を立ち上げてQAコンサル的な動きをする人が多いですが、事業が失敗するリスクとかを会社が請け負いつつ、コンサル体験を行う経験を得ることができます

製品事業イマイチでもとりあえず働き口がある

お客様から依頼を受ける形でテストするので、変な話、製品事業がうまく行かなくても、ニーズがあればテスト業務を続けることができます

また、現場プロジェクトがなくなっても他の現場にいけばいいだけなので、その辺のリスクがないことが良い点だと思います

いろんなテストエンジニアと知り合いになれる

第三者検証ということで、おそらくたくさんのテストエンジニアがいると思いますベテランの人もいれば初心者の人もいますが、やる気さえあれば様々な人と繋がれることができます

実際に私はい出会いがたくさんありましたし、そういった出会いが私をQAとして成長させてくれたのではないかと思います

まとめ

2年目3年目くらいは色々悩んだ時期もありましたが、ある程度実力にも自信がついてきて、第三者検証テスターのつらさはどうでも良くなったきたというのが正直なところです。

第三者検証テスターとして一生過ごすかはわからないですが、第三者検証テスターになれてよかったと私は思いました。

今だから思えること

第三者検証から事業会社に行って、私はいくらか変わりました。

まず、受注側から発注側になることで、「第三者検証」という呼び方をしなくなりました。

テストベンダー」です。

また、自分が成長できないこと、現実をうまくできないことを「第三者検証である」ということを言い訳にしていたと感じました。

テストベンダーの良さは、人材への投資があることだと思います

から自分投資に値する人間であれば、とてもいい選択だと思います

「いきなり事業会社に行きたい」は、素晴らしいですが、事業会社の多くはあなたを育てようなんて思っていませんよ。

私にはテストベンダーで働くモチベーションについて、いくつかアイデアがあります

ただ、それについて聞きたい人は私を探して私に直接聞いてください。

OMNKちゃんたち、どーせデスMNKさんに言われたんでしょ?「アンタたち、あおやまがやってるようにパンケーキ焼きなさい😡」って

あのねー別にパンケーキ焼くのは構わないけど、あおやまちゃんがやることいちいち真似しないでほしーんだよね😤

自分意思じゃなくてデスMNKオババに言われてやってるんだろうけどさっ😤

2025-12-08

なまじ細田を論ってしまった結果「作品における」思想が強いが悪口になってるって捉えられてるけど

作品に限らず「思想が強い」はほぼ悪口でしょ

 

低知能御用達Youtuberチャンネルがーどまんでも

がーどまんが「宇宙意思が云々」「地底人が云々」ってムーに載ってそうなボケをして

相方のMYが「思想強っ!」とツッコむテンプレがあるけど

表現の発露(作品でも発言でも)に対するその人の根本思想バイアスが強すぎて

理解が難しいことに対して「思想が強い」と揶揄されるのが一般的な使われ方では

 

A「私、Twitterとかやってないんだぁ」

B「わかる~。テック企業が全人類無能化して政府の思うがままに洗脳するための装置だもんね~」

A「え、思想強!」

 

みたいな感じでカジュアルに使われるもんで

別に文系の人が頑張って思想をやったとかそういう話ですらないと思うんだけど

anond:20251207133406

クリエイター作品自分思想を入れるのは当たり前

それを思想が強いだのなんだの抜かす意思薄弱のゴミ共は全員ロボトミー手術されて意思を失うべきだ

anond:20251208011120

古くはf(x)アンバーとか、最近だとXLOVもだけど、ジェンダークィアを本人がどこまで志向してるのか、そういう「売り方」でやらされてる部分があるのか、アイドルに関してはわからないところも多いけど、胸を切除するのは強い意思を感じるね

とてもかっこいい

自分意思で諦められるのは素晴らしい事だ。氷河期世代は、目の前に絶望けがラインナップされていたか絶望必死回避するだけの世代。諦めるという選択肢すらなかった。(あったとすればそれは諦め=死だ)

氷河期ことなんか記事中で一切触れられてないのに我田引水して自分語りすんのバカキショいよ

誰もお前に興味ない

なにが氷河期だ知るかボケ勝手に凍っとけ

2025-12-07

死生観についてのメモ

GPT-5.1と壁打ちして整理した。私が現時点で考えていたことの記録として。また時間が経ったら見返したい。

## 1. 生の非選択


## 2. 生存強制構造


## 3. 社会という外部システム圧力


## 4. 苦痛の持続と不可逆感


## 5. 死=解放としての認識(※ここは状態記述であり肯定ではない)


## 6. 自己評価社会価値の断絶


## 7. 苦痛未来への投影

2025-12-06

おいイーロン・マスク、俺のXアカウント理不尽に凍結するとはいい度胸だな。叩き潰すぞ

おいヤク中イーロン・マスク

お前らが好き好んで押しているその凍結というやつは、まさか論理的プロセスを経ていると本気で思っているのか?

あれはプロセスでも仕組みでも何でもない。ただの自己放尿みたいな誤検知アルゴリズムの飛沫だ。周囲に迷惑を撒き散らしながら本人だけが出してスッキリした気になっている、あの惨状そのまんまだ。

まず言うがな、俺のアカウントが凍結される理由ガイドライン違反かい曖昧ゴミ箱に放り込まれる時点で、論理的審査をしていないことは確定している。

なぜなら、違反が明示されないルールルールではない自己放尿だからだ。

数学で「この定理証明しないが正しいと思うので使う」とか言ってみろ。学生ならレポート0点、研究者なら職を失うレベル自己放尿だ。

まりだ、お前らの凍結プロセスは、理屈として自己放尿している。

破綻しているだけならまだマシだが、破綻したままユーザーを巻き込むのは無能の側だ。俺は無能自己放尿は嫌いだ。そこを履き違えるな。

次に言っておくが、俺は別に感情的になっているわけではない。

この文章は怒りではなく、診断書だ。

お前らのシステムがどれだけ因果関係理解を欠き、入力文脈無視した自己放尿モデル運用されているかという、冷徹な観察の結果にすぎん。

運営よ、もし本気でサービス改善する意思があるなら、俺が提示する最初の一手はこれだ。

「凍結理由を明示できないなら凍結するな」

当たり前すぎて、言語化するのが恥ずかしいほどの原則だ。

凍結とはユーザー排除するという最高レベル干渉だ。

それを説明責任なしでやるというのは、数学者が「この証明は長いので省略します」と言って核心部分を全部削る自己放尿と同じ。

そんな研究査読すら通らん。

最後に覚えておけ。

俺は脅しもしないし、暴力も使わん。

だが論理事実の積み上げは、暴力より残酷な結果を生むことがある。

お前らの運用体制が持つ矛盾を、逃げ場のないところまで照射してやる。

以上だ。

2025-12-05

anond:20251205143944

そもそもこのての問題って

業界側は圧力対応して枠とかつくろうとしたりの対応してるだけで

圧力の発生源は女だし

圧力かけたわりに選ばないのも女

女側で意思統一してないくせに属性代表面して逆ベクトル言動するんだからなんとかなるわけない

映画】決戦は日曜日を見た

ポリティカルコメディの佳作。増田政治クラスタは見たら笑ったり怒ったりできると思う。72点。

 

衆議院解散直前に地盤ガチガチ大物議員が倒れ急遽娘、宮沢りえを担ぎ出すことに。10秘書を務める窪田正孝政治世界世間も知らない素人娘のサポートてんやわんや。なにもかもうまくいかない選挙活動を続ける中お互いの心境変化があって……

というお話

 

個人的に若干ノイズだったのが宮沢りえの役が「バカ政治家」をカリカチュアしすぎていて現実感が薄いこと。

作中でどうやら父親に金を出してもらってネイルサロンを開いてそこのオーナーをやっているらしいことが示されるが、それ以外のパーソナルな情報をごっそり削ぎ落とされているので「そういう存在」として突然生み出されたような違和感がある。

政治家の娘でずっと秘書をやっていたので世間のことがわかっていない。はわかる。

政治家の娘だけど政治に関わっていなかったので政治のことがわかっていない。もわかる。

政治家の娘だから世間のことがわかってないし、政治に関わってないか政治のこともわからない。

は、そんな奴おるかなぁ……?になってしまう。

いちおうネイルサロン従業員雇ってお商売やってるわけじゃん。いろんな人と話するわけじゃん。たぶんワイドショーとか好きじゃん(偏見)。世間一般的炎上政治リテラシーは備わってるんじゃないかなぁと思うのは、もしかしたら自分所属するレイヤー以外を俺が甘く見すぎてるだけかもしれないけど。

それくらい宮沢りえ過去バカ政治炎上事件タスクを次々こなしていく。まぁそれが楽しいんだろと言われれば、確かに笑いましたけど!?逆ギレするしかないんだけど、一方でこんなことするかなぁという気持ちもあったというお話

ただ宮沢りえ自体バカで無神経で甘やかされて育ったお嬢様を溌剌と演じていたし、政治世界の波にもまれワールドイズマインだった自分が崩れていくさまを細やかに演じていてよかった。

 

ポリティカルコメディとしては面白くも何気に先進的。

例えば、爆笑エピソードとして記者に「少子化問題について一言お願いします」と問われた宮沢りえが「結婚してないのに子供を産まないのは怠慢ですよね!」と答え、それを日本国アイコンが絶賛するというシーンがあるんだけど。これ実際に2025年参政党の神谷街頭演説でやってて反応もその通りで笑っちゃう2022年映画なのに。

また、途中で目的が変わって意図的炎上しに行く展開になるんだけどその中で、敵対陣営街頭演説中に乗り込んでいって拡声器で怒鳴りたてて妨害するというめちゃくちゃしよるシーンがあるんだけど、これも2024年補選つばさの党がやって大問題になったことと類似する。

今見て面白映画だと思う。

 

気になる人も多いと思うけど逆にそれが面白いと思ったのはこういうズレを笑うタイプ作品に登場しがちな「世間の目」役のキャラが今作では登場しない。

地方議員も後援者も選挙事務所の面々もみんな政治世界にどっぷりのアウトローたちだし、そこに紛れ込んでくる異分子である宮沢りえ世間感覚ゼロのヤバ女。アウトローたちは普通感覚で見ればおかしいことを言ったりしたりするのを宮沢りえが「それってマジ?」とツッコミ宮沢りえ政治的におかしなことをするとアウトローたちがツッコむという構図が楽しかった。

そういう意味ではこの作品では世間の目で見てまともなことはほとんど行われない。

 

また非常にシニカルにかつ現実的政治世界を捕えていて、賄賂の分配は非常にロジカルに単なる業務として行われているし、なによりフフってなったのは公示日に新人秘書に「当選しますかね」と聞かれた窪田が「するよ。世論調査の結果もらってるし、見てない?」と答えるところ。既に圧倒的地盤があるので、それをひっくり返されるだけのトラブルがなければ当選することは最初から決まっているという地方政治のある種の冷たさ。シビれるね。

 

後半の展開としては父親政治スキャンダルが報じられさらにそれが事実で他の政治家のように秘書尻尾切りされてシャンシャンになるところを目撃したり、実は父親意向ではなく擁立で利害が対立した地方議員たちが「全員で操って各自利権を最大化するためだけ」に自分が選ばれたことを知ったりして、すっかり政治世界に嫌気がさした宮沢落選することを決意する。

また窪田も病院自分生き方を振り返っていた宮沢父親から「お前の考える自分の娘の幸せはお前が自分幸せ押し付けているのではないか。もし(窪田の)娘がお前が考えるのと違う道を行こうとしていてもそれを受け入れてやれ」と言われ"選挙"の正しさを見失っていた自分気づき宮沢に協力し共に落選を目指す。

ここから政治スキャンダル証拠暴露したり、さら自分でもスキャンダルを起こしてそれを拡散してどんどん炎上しようとするのだが、そのたびに別の大きな社会的問題が発生し話題はかき消え、スキャンダルは別方向から評価されむしろ評価が上がって行ってしまう。

このあたりのドライヴ感はめっちゃ楽しい。こんな都合良くいかんやろ~とも思うのだけれど、小泉内閣の後半に支持率が下がりそうなタイミングでなんか別の大きなトラブルが起きてそれの対応に奔走しているうちにまた支持率が持ち直して、みたいなことが実際あったよなぁとも思ってしまう。政治という大きなうねりの中では個人意思など問題にならないのだ。

そして最終的に宮沢当選する。秘書の一番偉い人はこう言う「投票率いからね」。そう、最低得票数が決まっている以上、投票率が下がる=浮遊票が減れば公示日に「当選する」と言われていた通り何もしなくても看板議員当選する仕組みになっているのだ。言外のメッセージとして非常に強いものを感じる。

特筆してなかったけど窪田正孝はいい役だった。達観しながら諦観していて"政治的"常識人でありながら一児の父としてかろうじてつま先を現実に残している。

特によかったのは宮沢選挙の裏側の汚さをマスコミ暴露すると騒ぐシーン。

宮沢に対して「たぶんメディア相手にしない」と告げつつも「仮に報道されてもこちらとしては把握してないとリリースを出すし、本人に問題があるので信頼できる情報とは言えないとしてこちらが把握している過去あなたスキャンダルをどんどん出していくことになる。そうなった場合、仮に落選することができても貴方のその後の人生にも多大な影響を与えることになる」とめちゃくちゃ申し訳なさそうに腰を低く脅迫する。

こいつ終始腰が低いのにデリカシーないしズバズバだしめっちゃいいキャラなんだよな。

宮沢との共闘前の印象的なシーンとしては、ノンデリ発言宮沢ともめた後に事務所屋上から「みんなからの扱いが雑で許せない。政治世界おかしい!改善されないならもう辞める!」と訴える宮沢に対して屋上に向かい「いまさらやめられない、そういうもんだ」と政治うねりの中にいる人物として言外にシステム冷徹さを示し、宮沢ビルから突き落とし(下には緊急用マットが敷いてある)、その後自分飛び降りるシーン。

最後自分飛び降りるところで「こいつはなんだかんだ自分も渦中に寄り添える奴なんだな」と言うのが示されていてこういう人物描写好き。他人やらせるだけのやつじゃないっていう。秘書の鑑。

 

全体的に静かなトーンで進行して敢えて面白おかしく描こうというよりも世間常識永田町非常識という言葉があるようにそのズレがコメディとして成立していると確信して作られている強度が高い。真面目に作られているからこそ笑えるコメディ

なんとなく伊丹十三スーパーの女とか思い出した。あっちのほうがもうちょっとコミカルだったけど。

政治大好き増田オススメ

2025-12-04

anond:20251204193223

ワイはクソ男どものギロチンでもええんや

でもクソ男を守ることを選んだのは男社会

クソ男の判断に女の意思は介入してない

anond:20251204185821

冤罪恐れてAED使わないのは全男の意思から女は野垂れ死ww(なお女は通りかかるという計算はしない)ってアンフェくん言ってたじゃん

証明者――父と私、そして「存在しなかった」ものたち

春の陽射しが網戸を通して差し込む。父親がレール部分を指さす。「ここが出っ張っているから削ってくれ」。私は黙って見ていた。

彼の指さす先は、網戸の可動部分そのものだった。削れば機能しなくなる。彼は「ちょっとした困難」にすぐ人を頼る。

この癖が、彼の人生を、そして私との関係を、ゆっくりと確実に蝕んでいったのだと、今ならわかる。

水に沈むラジコン

私が小学校六年生のときの話だ。何週間もかけてラジコンカーを組み上げていた。

完成間近になった夜、父は「見せろ」と言った。暗がりの中、私は車体の最終調整をし、父に送信機を渡した。「触らないで」と念を押した。

彼は触った。いや、いたずらした。車体はバックし、深い水たまりにまっすぐ入った。

防水ではない。私は固まった。父は笑っていた。彼は私がキャンキャン騒ぐのを楽しんでいた。

子どもの反応をおもちゃのように弄ぶのが好きな男だった。

後日、母の叱責で父は謝罪した。窓を開け、寝ている私に投げやりに「悪かった」と叫んだ。

謝罪というより、恥辱の表明だった。何も伝わってこなかった。

この瞬間、私は「父」という存在を、一個の「人間」として測り始めた。そして、その測定結果は惨憺たるものだった。

父は幼い子ども特に五歳くらいまでの子に強い興味を示した。無理難題を言って反応を楽しむ。

しかし、子ども自我を持ち始め、「嫌なものは嫌」と言い出すと、彼の目は瞬く間に曇り、興味は失せた。

彼が求めたのは「思い通りになる関係」だった。それは存在しない幻想だ。だが彼は、その幻想依存し続けた。

春の朝暴力と、秋の出向

春になると、父は特別なことをした。早起きして私を叩き起こすのだ。

冬はない。春の陽気が、彼の中の何かを騒がせるらしい。「五分で着替えてグラウンドに出てこい」。それができないと、真っ赤な顔をして殴ってきた。

彼は「猶予を与えないこと」が得意だった。自分が起こされるときは、そんなことは一切ないのに。

時は流れ、父は会社で「懲罰人事」と呼ばれる社外出向を命じられた。

当時はリストラ時代ではない。彼は「出向イコールクビ」と二度繰り返し、絶望した。

青森かどこかへ行かされ、そこでは何もせず、無為時間を過ごし、苦しんでいたと後で聞いた。

不思議ものだ。同じ「出向」という境遇に、私は後に立つことになる。

だが私の感覚は違った。「落ち込んでいたけど、日々の出勤があるからね。なんかできないかなー」そう思った。

二万円のパソコンと、当時としては画期的低価格ソフトを買い、独学で使いこなした。

そして自作の便利なコマンドを作り、部署のみんなに入れてあげた。面白がられた。

そこに、大手IT企業から来たという男がいた。LANケーブルのこともわからず、私に頼ってきた。仕事から逃げる人だった。

「こんなダメ人間がいるのか」と思った。肩書と実力の乖離。父が会社でやっていたことも、おそらくこれに近かったのだろう。

暴力で言うことを聞かせ、逆らうと政治をする」。そんな男が、組織の本流から「放逐」されるのは、必然の成り行きだった。

網戸と算数問題集クラシック音楽

網戸の掃除の一件は、彼の人生の縮図のように思える。

自分で見て、考えて、ためしてみる――この最も基本的プロセスを、彼は常に他者に投げた。

その癖は、家庭の隅々に染み出ていた。

一緒に旅行に行こうと言い出したかと思うと、電車の中で突然言った。「お前は算数問題集を持ってきてやる」。

アホかと思った。旅行という非日常空間に、日常課題を持ち込む。

彼の頭の中には、私という人間感情欲望存在せず、あるのは「教育する父」という自分自身の役割に没入したいという欲求だけだった。

別の日、彼はテレビクラシック音楽番組を楽しそうに見終わると、手元を指さして言った。

ハイ、ここに三十分くらいクラシック音楽」。突然の指令である。私はレコードプレーヤーを持ってくるよう命じられ、むしゃくしゃした。

だって番組を楽しんでいたのに。彼の「いい気分」は、周囲の人間を突然「自分情緒体験の延長」として召喚する許可状になった。

ゴルフ指導もそうだった。一挙一動に大声で口を出し、完全に夢中になる。

彼が夢中になっているのは、私の上達でもない、親子の時間でもない。

指導者としての自分」に酔いしれる感覚のものだった。

水泳でも「それいけ!」とプール中に響く大声を出した。

それは私のためというより、自分自身の熱狂演出するパフォーマンスだった。

「胸がいっぱいです」と、存在しない相手の家

母方の叔母の話をしよう。彼女の息子は三十五歳でようやく結婚式を挙げた。

その場でマイクを握り、「私は胸がいっぱいです」と泣きながら言った。

私は意外だった。ふつう結婚式来賓を労うものだと思うからだ。

だが、これが母方の家系の特徴なのかもしれない、と後になって気づいた。

その叔母もまた、自分の息子が結婚した際、相手の家が存在しないかのような振る舞いを繰り返したという。

母も父と「同じ」だった。私の感情意思を、一個の独立したものとして尊重するという基盤が、初めからそこにはなかった。

母方の家系には、内輪の感情に強く没入し、その外側の他者を軽視する傾向が流れているようだった。

私は、父方の「支配幻想」と、母方の「没入と無視」という、二つの異なる「他者不在」のシステム交差点に生まれ落ちた。

からこそ、私は両方のシステムから自由な、「外部の観察者」となることを運命づけられていたのかもしれない。

高校生背中と、親戚への言いつけ

高校生のある日、私はついに父に「やり返した」。長年の理不尽暴力への反撃だ。

だが私は、顔面は避け、背中から押し倒すという「優しさ」すら守った。

彼は私を殴り返さなかった。代わりに、親戚中に電話をかけ、「息子が父親暴力をふるった」と言いふらした。

そこで私は、彼の「卑怯」の本質を見た。力の論理で負けるやいなや、たちまち「世間体」や「情の政治」という別の土俵に持ち込む。

会社で「逆らうと政治をする」というのも、まったく同じ手口だったに違いない。

家庭という密室では通用たこ手法が、会社というより広い社会では通用しなくなり、彼は「懲罰人事」という形で社会から排除されていった。

死の間際の「息子、息子」

父が死の床に就いた時、彼はひたすら「息子、息子」と考え続けていたと聞いた。その話を聞いて、私はなお一層、痛々しい気持ちになった。

なぜそこまで、自分を脱することができないのか。なぜ「最初から存在しなかった幼児」への依存から、一生抜け出せないのか。

彼が求め続けた「息子」は、私ではなかった。自我を持ち、意思を持ち、彼の支配を拒絶し、一個の人間として彼と対峙たこの私ではなかった。

彼が恋い慕ったのは、彼の心の中にだけ存在した「言いなりになる幻想幼児」だった。私は、その幻想体現できない「失敗作」として、彼の人生に居続けたのだ。

「生まれてこさせてもらって感謝」という問いの空虚

世間では「生まれてこさせてもらって感謝しなさい」と言われる。だが私は思う。最初から存在していないなら、生の苦しみも何もない。

まれる前の「私」に、生まれることの恩恵不利益もない。問い自体意味をなさない。

父や母は、「子どもを作った」という事実をもって、何かを成し遂げたと思っていたかもしれない。

だが、生物学的な子作りは猫や犬にもできる。なにも偉くない。

本当に難しいのは、その子どもを一個の独立した人格として尊重し、その人生を見守ることだ。

彼らにはそれが決定的に欠けていた。だから感謝」を求めること自体が、服従要求に感じられる。

私もうつ病になり、三十年近く貧しい生活を続けてきた。その中で気づいたのは、生きて給料を得ることすら、ある種の犬や猫が「できること」に過ぎないということだ。

社会はそれを「偉さ」の基準にするが、それができないからといって人間価値がなくなるわけではない。

逆に、それができたからといって、その人が他者尊重できる人間になるわけでもない。父がそうだったように。

理想化された対象と、網戸のパーツ

から私は思う。父のような人は、理想化されたホステスさんに、自分理想女性を「乗り移らせ」て、ぼーっと依存するほうがよほど健全だったのではないか、と。

対価を払い、時間区切り無辜他者を傷つけずに、自分幻想と向き合うことができるのだから

彼はそうしなかった。代わりに、逃げ場のない家族を、自分幻想支配欲の捌け口にした。

網戸のパーツを「出っ張り」と誤認し、削るよう命じたように、彼は現実を歪めて認識し、それを修正する責任他者押し付けた。

私は彼の「人生証明者」である

彼が家庭という密室で、そしておそらく会社という社会で、いか他者尊重せず、いか自己幻想依存し、いかにして孤立排除へと向かっていったかを、誰よりも詳細に証明できる存在だ。

同時に、私は彼の「反対の証明」でもありたい。出向先でパソコンを学び、コマンドを作って笑いをとったように。

網戸のパーツを削るように命じられながら、その誤りを見抜いたように。春の朝暴力に、「背中から落とす」という自制の反撃で応えたように。

彼が「懲罰」と見た場所で、私は「自分が伸びる材料」を見た。彼が「クビ」と絶望した処遇を、私は「日々の出勤があるから」と現実として受け入れた。

彼が「息子、息子」と幻想にすがった最期とき、私は「なぜ自分を脱せないのか」と、彼の孤独を見つめていた。

証拠はすべてここにある。水に沈んだラジコン春の朝グラウンド。網戸の誤認されたパーツ。親戚に言いつけた電話

青森での無為な日々。そして、私の中に残る虚しさと、それでも尚、現実能動的に関わろうとする、かすかな手応え。

子どもはすべて知っている。思う存分にやったことを、一つ一つ覚えている。

私は父の、そして母方の家系の、その「思う存分」の人生の、生きている証明なのだ

この証明書に刻まれ文字は、時に怒りに、時に哀れみに、時に深い虚無に染まる。

だが、それが私という人間の、否定しがたい一部であることも、また事実である

私は、彼らの「不在」の証明であることと引き換えに、少なくとも自分自身の「存在」の証人ではあり続ける。

大人になって気づいたことを書こう

大人になって気づいたこ

人生において大切なのは体力であり、体力には才能がある。体力とは呼吸と血からできている。

知り合いのうち10人くらいは50-60代くらいまでに死ぬから、思ったより人生は短い可能性がある。

国語力のうち8割を占めるのは語彙力である。ひいては語彙力が自己理解思考力にも繋がる。

「病は気から」よりも「気は病から」の方がデカい。病みの9割はホルモンバランス睡眠不足

愛される人間は、愛される力より愛する力が強い。つまり愛されない人間は、愛する力が弱い。

人生というものはない。生活の積み重ねが人生になる。

悲観的になる方が簡単で、楽観的になる方には意思必要

No Means Noが普及しない理由

日本で「No Means No(NoはNoだ)」が定着しないの、正直当たり前だと思わない?

はっきり言って、これって男側の理解力不足とかじゃなくて、曖昧な態度を取り続ける女の方に原因があるんだよ。

まずさ、日本の「歪曲表現」が好まれ文化を見てみろよ。

電車アナウンスとか看板でよく見る「ご遠慮ください」ってやつ。

あれ、本当は「禁止」って言いたいわけじゃん?でも、はっきりと「禁止!」って言って反発されたり、トラブルになったりしたくないから、責任逃れのためにあん卑怯言葉を使ってるんだよな。

で、これと同じことを恋愛コミュニケーションの場でやってるのが女たちだろ。

相手を傷つけたくない、あるいは自分が「冷たい女」だと思われたくないっていう保身のために、はっきりと拒絶しない。

「今はちょっと…」とか「また今度ね」とか、どっちとも取れるような曖昧言葉お茶を濁す

そうやって責任逃れをしてるくせに、後になって「察してよ」「あれはNoだったの」なんて言われても、男からすりゃ「知らんがな」って話だよ。

さらにタチが悪いのが、日本にはびこる「Yes Means No / No Means Yes」の文脈だよ。

口では「いや、ダメだって」と言いながら、実際は「もっと押してほしい」って思ってるパターンあるじゃん

「嫌よ嫌よも好きのうち」なんて言葉通用ちゃうのは、実際にそういう態度を取る女がいるからだろ。

建前と本音を使い分けて、「察してちゃん」をやってる女がいる限り、男が言葉通りに受け取れるわけがないんだよ。

「No」が本当に拒絶なのか、それとも恥じらいの演出なのか、それをあえて分かりにくくしてるのは女の方なんだからさ。

結局のところ、自分意思を明確に言葉にするリスクを負わず相手解釈責任を丸投げしてる女の「甘え」こそが諸悪の根源なんだよ。

「No Means No」を普及させたいなら、まずは「ご遠慮ください」みたいなふざけた話し方をやめて、YesかNoかをはっきり突きつける強さを持つべきだろ。

それができないなら、勘違いされても文句言うなって話。

2025-12-03

anond:20251203193132

実際アドウェイズブレイブグループブレイブグループとviviON(ゲオHD)はトレードに応じている

アップランドとviviONもやってたな。

ただ業界の双頭はあまりその意思がないよね

他社でIP活用されるくらいなら潰してスクラップにした方がマシだと考えてる

anond:20251203103907

絶対に出っぱりを作ろうとする意思を感じるレベル

Google Pixel 9a」本日発売 - ケータイ Watch

https://k-tai.watch.impress.co.jp/docs/news/2006610.html

あと0.5mmだけ全体を厚くしてバッテリにしとけばいいのにねぇ。

anond:20251203175618

議論としてはそれも変な話なのよね

重大なアイデンティティ侵害であるはずの姓について

子供意思は認めないってわけでしょ

勅使河原さんと、斉藤さん結婚して、斉藤姓になった子が、勅使河原がよかったとは言えない制度

このくらい姓に特徴があれば、選ばれなかった方も納得するかもだが

荻原松本くらいだと、嫌がられた方はショックよね

アメリカ大統領増田がいたら教えてほしいんだけど

よく映画アメリカ大統領が持つ核の発射スイッチを狙われる展開あるじゃん

でも普通に考えたら核のガチ発射スイッチなんかを持ち運ばせること自体がありえないと思うんだよね

ガチ発射スイッチっていうのはそれを押すことが発射に直結するって意味

電気スイッチみたいな感じ、押せば作動するっていうやつ

なのでアメリカ大統領が持ってるのは核の発射を許可するという意思表明を物理的にするものだと思ってるんだけど

実際どうなの?

一定の手順を踏んで押したらミサイル発射場に「核の発射が許可されました」って連絡がいって

ひゃっほ~い!発射だ!発射!ってなる仕組みなんじゃないかなと思ってる

そもそも着弾座標とかを大統領指定するとは思えないし、おそらく複数存在する発射基地から

基地におそらく複数存在するミサイルのどれを発射するかを大統領指定すると思えない

そう考えた場合大統領の手元にあるのは「決定権」だけだと思うんだよね

座標やそれに最適なミサイル軍部が決めて大統領は核の発射スイッチという名の承認印を押す

そういうプロセスなんじゃないかと思うんだけど実際どうなの?

から仮にテロリスト大統領から核の発射スイッチを奪ったとして

それがテロリストの手に全米の核が握られたことと同意にならないと思うんだけど合ってる?

2025-12-02

anond:20251202231428

カード会社への支払い能力意思審査してるだけで妻子へ支払ってるかどうかはノンオブマイビジネスやでという話

一部認容(明け渡し命令猶予期間付与/立退料増額/損害過失相殺

控訴棄却する。ただし、本判決確定後3-6ヶ月以内に限り執行を停止する。/ 原告被告に立退料○万円を支払え。/ 修繕費等損害を70-90%減額する。」

・ドア蹴りの故意を「心神耗弱/妄想影響による非故意・減弱」と認定刑事即答陳述・病院診断の波及)。

正当事由の相当性再考:重度ASD/統合失調症周知(警察生活保護記録)を「大家の事前支援配慮義務違反」と斟酌、猶予付与(人道的・社会的保護)。意思疎通不能を弁論不十分補完として考慮

・損害(ドア修繕費)の過失相殺率高(80%超)。

40-50%(前回から+10%上昇、障害

anond:20251202105431

「除籍」というのは学校教育法記載義務付けられている「退学」と違って

大学が学則にそって定める制度なので意味することは大学によってまちまちです

東洋大学学則

https://www.toyo.ac.jp/assets/about/112730.pdf

第38 条 次に掲げる各号のいずれかに該当する者は、所定の手続を経て、除籍する。

(1) 授業料その他の学費を所定の期日までに納入しない者

(2) 第20 条に規定する在学年数を超えた者

(3) 第35 条第2項に規定する休学期間を超えた者

(4) 新入生で指定された期限までに履修登録を行わないこと、その他本学において修学の意思がないと認められる者

(5) 外国人留学生出入国管理及び難民認定法に定める「留学」の在留資格入国査証の発給が拒否された者

学生は、除籍されることにより、学生身分を失う。

3 第1項の規定(第2号及び第3号に掲げる者を除く。)により除籍された者が、再入学を願い出たときは、学

長は教授会意見を聴いて、これを許可することができる


東洋大学では学生自主的に申し出て大学を止めることを退学、その他の理由を除籍としています

場合によっては再入学可能ということなので在籍記録を消されるなんてことでもありません。

デマをばら撒くのはやめましょう

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