はてなキーワード: 青年とは
ニコニコ例のアレカテゴリに『替え歌拓也』というジャンルがある。
ここでは最近の替え歌拓也の現状を、例のアレ界隈の流行と併せて整理する。
誤認があれば指摘をお願いしたい。
2025/9/3、タラバ記念日によって『替え歌拓也合作2025』が投稿される。同時に四国めたんを主人公とした初の合作でもあった。
投稿後数日間ランキング首位を維持し、現在再生数は25万に到達している。
参加投稿者を見ると、
2022年、遅くとも2023年には替え歌拓也を多数投稿していたタラバ記念日、つくぺん、害虫などの第一世代と、
早くとも2024年後半から参入した毳毳(keke)、55%、かっぱそるじゃー、ITなどの第二世代に大別できる。
人数としては第二世代が多い。
当合作は、第一世代が確立した替え歌拓也というジャンルに、第二世代が参加した形であり、その集約的な位置づけといえる。
合作がジャンルに与えた影響を、替え歌拓也タグ付き動画の投稿数から確認する。
なお、11/5発生の『のべっちショック』(*1)による動画削除はAI拓也領域に限られていたため、ここでは考慮しない。
| 8月 | 30 |
| 9月 | 69 |
| 10月 | 43 |
| 11月 | 23 |
ここから以下の点が読み取れる。
これらを第三世代と呼ぶことにする。
松川スュが代表例で、替え歌拓也初投稿は『顧客に嫌われている。/ 四国めたん』。
10月以降、投稿数は減少し、11月は合作前の8月を下回った。
12月の投稿数は3件(12/8現在)であり、このペースではさらなる減少となる。
その他の第三世代投稿者の多くは活動が停滞していると見られる。
第一・第二世代の投稿者も、合作前後を比較すると替え歌拓也の投稿頻度が低下している。
この実証のため、合作参加者の替え歌拓也動画最終投稿日を確認した。
合作単品は除外する。
| リアッテエロ | 4/10 |
| 害虫 | 5/1 |
| つくペン | 6/11 |
| (合作投稿) | 9/3 |
| 蜂宮 | 9/3 |
| 毳毳(keke) | 9/29 |
| 55% | 10/1 |
| IT | 10/19 |
| タラバ記念日 | 10/31 |
| ずんだもんすこすこ | 11/2 |
| ドヤヨン | 11/9 |
| かっぱそるじゃー | 11/27 |
| 車窓。 | 12/6 |
| ぢゆてぃま | 12/7 |
| (ざらめ・カラーひよこ・PowerPoint・ぶたまる・こひらば) | そもそも替え歌拓也を投稿したことがない |
合作後に複数投稿しているのは、IT(5作品)、かっぱそるじゃー(5作品)、車窓。(3作品)、55%(3作品)、ぢゆてぃま(2作品)、タラバ記念日(2作品)の計6名。
また11月以降の動向を見ると、
IT・55%はAI淫夢楽曲カバー、つくペンは音MAD、ドヤヨンは旅行ボイロ動画など、
別ジャンルへ移行または元々得意としていたジャンルへ回帰する投稿者もいる。
現在も継続して替え歌拓也を投稿していると明確にいえるのは、かっぱそるじゃー、車窓。、ぢゆてぃまの3名だろう。
以上より、合作をピークとして替え歌拓也は減少傾向にあると判断できる。
要因として、sora2(10/1リリース)によるAI拓也動画の急増が大きいと考えられる。
10〜11月のランキングでは、上位10作品の多くがAI拓也で占められていた。
初期はCMが多かったが、後に動画生成と楽曲/文章生成を統合した作品が登場し、完成度の高い制作風潮が形成された。
『【MV】マネ×拓『ウリで狂ったあと』.AI』や、『AIを使って拓也さんを遣隋使にする』は、AI拓也という一大ジャンルの集大成とも言える完成度を誇っている。
また、音MAD領域では変態オ●ニー青年アキラをテーマにしたものが継続的に投稿されており、
拓也を除き長らくスターが不在だった淫夢において、期待を寄せる投稿者も多いことだろう。
こうした状況の中で、替え歌拓也の人気、ひいては投稿者の投稿意欲が低下する要因が存在することは確かである。
一方で、四国めたんや宮舞モカなどボイロ文化と淫夢ジャンルの結び付けにおける影響は大きく、ジャンル形成上の役割も見逃せない。
(*1)2025/11/5、AIのべりすと運営会社である株式会社Bit192が、公式キャラクター「とりんさま」(AI拓也における呼称は「のべっち」)の利用方法に対して注意喚起を行い、これを受けて複数の投稿者が動画を削除した事案。
ゾンビ映画好きはこんなもん何本あってもいいんですけどねって感じだと思うけど、おんなじ映画何本見せられる年と思うタイプにはたぶん退屈だと思う。俺は後者だったのでだいぶいつものやつだなぁって感じだった。
時はスペイン内戦時、将軍派の主人公はとあるミスの挽回のためにある手紙を遠地の基地に届けに行くことに。途中で墜落したイタリア機のパイロットを助けに行ったことで政府軍と衝突。しかしゾンビ化したイタリア軍パイロットが襲い掛かってきたため一時休戦し共同戦線を張ることに。途中で隠れていた将軍派とも合流し原因究明と脱出のため、全員で基地に向かうことに。
で、ゾンビを作ってたのはナチでしたっていういつものやーつになるんだけど。
スペイン産のゾンビ映画ということで、我々ニッポニーズにはあんまりなじみのないスペイン内戦が舞台となっており、登場人物はスペイン内戦の縮図となっている。
将軍派は特権階級のエリート、修道女、モロッコ人、ごく普通の市民。
スペイン内戦が根付いている国ではニヤリとできるんだろうと思う。
それぞれが思想の違いで対立しながらもナチが持ち込んだゾンビという「悪(Malnasidos)」に対抗するために結束していく。というのがスペイン内戦~第二次世界大戦を風刺しているものと思われる。
また冒頭で結婚式をあげている村に将軍派(のドイツ人)がやってきてバカにされた彼らが虐殺を行いその村で実験を開始しそれがゾンビ爆誕のトリガーになっているというのもガルシア=ロルカの殺害を風刺しているのかもしれないしそうでないかもしれない。
ということがわかった上で見てもごくごく普通のゾンビ映画なので特筆すべきことは少ない。
まぁ今回はほとんどが軍人およびそれに類する人なのであんまバカがいないのはよい。機関銃乱射するシーンが結構あるんだけど、あんだけ撃ったら何発かは脳天直撃するだろと思うんだがビックリするくらい頭にだけ当たらないのはご都合主義的すぎるかな。
あとは最後はゾンビに襲撃された基地で大乱闘スマッシュブラザーズする展開になるんだけど、敵も味方もゾンビも大量にいて予算感が出ていてよかった。っぱいっぱい出てきてなんぼなんよ。ただ、軍の基地で軍人ゾンビもいっぱいでてくるのに弾切れだ!ってなっちゃう展開は、さすがにどうかと思う。みんな持ってるよ、銃。しっかりして!
めちゃくちゃ童貞いじりされる運転手の気弱な青年が最後、噛まれている自分を圧して手りゅう弾をもって基地に特攻するシーンで最終的に侵入できずに撃ち殺されるんだけど、そこからゾンビになって復活してさらに特攻を繰り返し会心の一撃を与える展開はちょっとエモかった。
政府軍と敵対していたシスターが政府軍の軍曹を逃がすために自ら鉄格子に鍵をかけるシーンもこれこれ!って感じで、ゾンビ映画で見たい勘所はしっかり押さえてはいる。心優しいマッチョはちゃんと序盤で気弱な童貞を救って死ぬし。
なもんで、スペイン内戦ていう日本ではあんまメジャーじゃない戦争をお勉強するつもりで、ちゃんとしたある程度予算かけたゾンビ映画見たいなって人にはある程度おすすめ。ネットフリックスで見れます。
『果てしなきスカーレット』は、復讐に失敗したデンマーク王女・スカーレットが、現代日本からやってきた青年・聖とともに、広大な《死者の国》を旅し様々なイベントをこなしつつ、父の敵クローディアスを倒し《見果てぬ場所》へ至ることを目指すオープンワールドRPGである。
フィールドで雑魚を五人倒すと、HPに拘わらずスカーレットが倒れてイベント発生。聖が仲間になる。
トゥルーエンディングを観るためにはこのイベント発生までに聖を仲間にしておく必要がある。
コーネリウスのパンチ攻撃に注意。タイミングよくパリィして反撃しよう。
・コーネリウスを虚無に還す → コーネリウスは退場。
・コーネリウスを治療する → 終盤でコーネリウスが仲間になる。
コーネリウスの上位互換。防御不能の銃撃を放ってくる。銃撃はパリィできないのでモーションが出たら回避しよう。
聖が仲間になっていると、戦闘開始時にイベント【献身】が発生し、戦闘後には選択肢が出現する。
・ヴォルティマンドを虚無に還す → ヴォルティマンドは退場。
・ヴォルティマンドを治療する → 終盤でヴォルティマンドが仲間になる。
コーネリウスとヴォルティマンド、二人とも治療しているとキーアイテム《父の言葉》入手。
このイベントが発生しているとヴォルティマンド戦のあと、聖がスカーレットを治療する。
キャラバンのお手伝いイベントを4つ以上こなすと【異民族のダンス】が開始。
《楽器》入手後にフィールドでキャンプをすると選択できるようになる。
中難度の音ゲーイベント。C~Sの評価により、絆ポイントがアップする。
絆ポイント5以上の状態でS評価を出すと、イベント【TOKYOダンス】発生。
S評価を出すと髪型《ショートカット》がアンロックされるとともに、キーアイテム《未来への希望》入手。
乱戦になるので、囲まれないように注意して戦おう。
髪型《ショートカット》を装備していると、戦闘中にイベント【スカーレットのために】が発生。
聖がスカーレットのために敵に弓を放つ。
ムービーギャラリーに《恥ずかしがるスカーレット》が追加されていると、キーアイテム《本当の記憶》を入手。
最高難度の戦闘。
ただし、コーネリウスとヴォルティマンドを治療しているとここで仲間として駆けつけてきて、戦闘をスキップできる。
ラスボス戦。
3つのキーアイテム《父の言葉》《未来への希望》《本当の記憶》をすべて入手していると戦闘開始時に選択肢が出現。
→勝利すると、通常エンディング「果てしなきスカーレット」へ。スカーレットは復讐を果たすが《見果てぬ場所》への扉は開かない。スカーレットと聖は二人で永遠に終わらない《死者の国》を治めることになる。
→トゥルーエンディング「栄光のスカーレット」へ。聖が死者でスカーレットが生者だったことが判明する。《見果てぬ場所》への扉が開き、スカーレットが目覚める。
このとき、絆ポイントがマックスになっていれば、ムービーギャラリーに《キス》が追加。スカーレットは父の後を継ぎ、女王となる。
現在、全国の映画館で、わずか2時間でトゥルーエンディングに到達したRTAプレイ動画が公開中。みんなで観よう!
・主人公はさえない中年男性 若いころはひとかどの人気者だったが今はさえない雇われホワイトカラー
・仕事はがんばってるが、家庭のことはいまいち。こどもは愛している。自動車で学校まで送っていく父親の仕事はなんとかこなしているが、今日も大事なこと(発表会とか、誕生日とか)を忘れるたぐいのヘマして子供には愛想つかされそうで胸が痛い。きれいでやさしかったしっかり者の嫁も今は主人公へのあたりが厳しく、離婚の危機…
こんなセットアップから、マジカルなキャラクターがあらわれ、非日常の冒険にまきこまれていく。そしていろいろあって、主人公は自分の欠点を知り、変容を遂げ、満たされない日々は去り、自信を取り戻し、家族仲も再度円満、元鞘または離婚危機回避して前向きに歩き出す。 Happy end…
いろんなバリエーションがあって、窓際刑事、会計士(セントラル・インテリジェンス)、自動車教習所の教官(ドライブ・ハード)、など。 変わりだねで2児の母で第3子を妊娠中のアラフォー女性(タリーと私の秘密の時間)
近くて遠い作品として、砂漠で満たされない生活している青年ルークスカイウォーカーや、打ち切りが決まった落ち目の37歳未婚女性ラノベ作家(ヤング≒アダルト)も無理やり入れてもいい。
本作「ジェイ・ケリー」も、シャーリーズセロン含むマークハミル除く、いわゆる「中年の危機」ものということになる。
以下パターンの違い
・用語「ミッドライフクライシス」は40~50代中心らしいけれど、本作の主人公ジェイケリーは60歳超くらいという設定。だいぶ年齢高め。(セントラル・インテリジェンスの主演俳優は当時実年齢37歳。ジョージクルーニーは実年齢63.64歳くらい)
・というわけで離婚はとっくの昔に済んでいる。良い関係を取り戻したい相手は二人の娘。長女は34歳次女は高校卒業の年。
(離婚の理由を娘になじられ、言葉では説明できないくらい色々あって別れたんだよと説明するのには納得)
・ジェイケリーは大スター。金銭的にはめちゃくちゃ富豪。マネージャー、エージェント、ヘアスタイリストを引き連れ(ちょっとちがうがたけし軍団とか松本人志のとりまきみたい)リムジンで移動は当たり前、自家用ジェットを飛ばし、パーティー出席のお願いも気に入らなければ断り、急に気が変わって参加しようとしたりしてマネージャを困らせる。若くして成功したこともあって、自分では何もできないがマネージャにわがままを言えば何でも通る。娘に向かってヘリを出して迎えに行かせるからとナチュラルに口走る。
・大ヒット映画に何本も出演・知らぬもののない有名人。クランクアップしたばかり、次の作品も決まっている。でも満たされない。イタリアで功労賞を授与したいと言われるが乗り気にならない。もうオレは終わったのか?と。本当の幸せがほしい・・・そうだ!次女と一緒の時間をもっとすごそう!>次女からの塩対応
・この辺が「冴えない主人公」作品の逆で、恵まれすぎている故のギャップが可笑しい。
・で、主人公にとっての非日常が「乳母日傘」「蝶よ花よ」の丸がかえ生活からの逸脱 「え。あのジェイケリーがわれわれと同じ普通車に乗って移動してる!」と言われるレベル。
ビバリーヒルズ(かな?)の自宅豪邸から最初は自家用ジェット、専属ヘアスタイリストもマネージャーも去っていく。彼女らにも「自分の人生」があるのだ。イタリアのど田舎までの長い移動の間に自分のあやまちに気づいて、よりよい人間になっていく・・・という流れのディテールの巧みさ。
・この一種のロードムービーのなかで、若かりし日の思い出が要所要所でインサートされていく。映画撮影にかまけて幼い日の娘と過ごさなかった思い出、大人になった長女に久しぶりに会ってぎごちなかった日の回想、今は疎遠な父親との生活・・・
・その回想シーンの入り抜きが映画ならではのマジカルな演出で、詳しくないんですが、もしかしたら大林宜彦ってこんな魂だったのかな?と思いながら見ました。
・最後の長女との電話のシーン、薄暮の林という画面もあって、非常に印象的でした。
・ノアバームバック 名前はよく聞くけどあんまり知らない監督でした。
あいつらは、アニメが嫌いとかじゃないんだよ、誰か他人を叩いてないといられない人種なの…😟
多分だけど、彼らが家とかで、何か別の物から攻撃されてるからだと思うんだよ
長い間、彼らのような人種から被害にあって、見えてきた真実はそれで、
で、彼らの特徴としては、他人に自分が殴られたら、自分は別の誰かを殴る権利がある、
と思ってるんだよね、本当に、彼らに共通してるんだよ…😟
だから、他人を差別して攻撃しまくってる人は、実際はその人も誰かの攻撃を受けてるとか、
まあ、なんかストレスをかかえてる、
それで、且つ、その手の人は、自分がストレスを受けている=他人に俺はストレスを与える権利がある、
って本当にそう思ってんの、そういう家庭で育ったり、そういう考え方の親だったり、そういう教育を受けたり、
あと、そういう考え方でないと生きていけない周辺環境で生きてきたので、彼らなりの処世術なんだよ、
他人を差別して、他人を攻撃して、徒党を組んで他人を差別攻撃することで、自分を安心させてるの…😟
はっきり言っておくけど、それって犯罪者で多い考え方だからね…😟
山上は可哀想だし、そうなるのも仕方がないとは思うものの、他人に危害を加えられたから、他人に危害を加える権利がある、
というのは、人を呪わば穴二つの考え方であって、
最終的に穴に落ちるのは、他人を差別したり、攻撃してるあなたたちの方ですよ…😟
因果応報とまでは言わないが、この世界はどこかよくできてるところもあって、
何かを押しすぎれば、何かが凹んだり、そういう報いは、何らかの形で自ずと自分に返ってくるものです、当然私もそうですよ、ええ…😟
そういう人たちに言いたいのは、まあ、そんなことやってたって、つまらなくないですか?どうせすぐに飽きないですか?ということです…😟
面白い、飽きないというなら、サイコパスとしての素質がありますが、
それはそれで、かなり頭がいいとか、高学歴だったりとか、学歴低くても頭が切れないと、サイコパスとして成功しないんですよ
成功しないサイコパスなんて、それもまた犯罪者予備軍ですよ…😟
そんなことより、多分マイルドヤンキーとして成功した人は、子育てとか、アルファードとか、青年会とか、消防団とか、楽しんでると思うし、
他人に迷惑をかけるのが楽しい、という気持ちも人間なんで分からんでもないけど、
俺みたいに絵とか音楽とかプログラミングってのはないにしても、自分がやってたり興味があった範囲で言うなら、
スキー、スノボ、水泳、サーフィン、自転車、ボクシング、みんな楽しいじゃないですか…😟
俺を殴ったり蹴ったりしてたヤンキーとか、ヤンキー以外とか教師もみんな俺は恨んでますけどね、二度と会いたくないですし…😟
深い森の奥に隠遁する老人の住む小屋に、迷子になった青年のハイカーがたどりつく。青年は助けを求めるが、老人は「おまえは殺人鬼かもしれない!」と猟銃を突きつける。緊張感が漂うなか、老人に隠された“恐ろしい秘密”が徐々に明らかになり始め…。
このあらすじから何となく感じる違和感、ねじれのようなものがこの映画のすべてと言える。
あらすじだけ見ると「やべー老人の家に迷い込んだ青年が怖い目に合う作品」の青年が主人公の作品に思える。が、このあらすじ最初の主語は「老人」なのである。実際に映画も老人が目が覚めるシーンから始まる。老人が目を覚ますとラスカル(おそらくアライグマと考えられる)がいない。ラスカルを探しているとドアが叩かれ、青年が現れる。彼は「道に迷った、助けてほしい」と言ってくるが……という導入。
その後、老人は青年に向けて自分だけ銃を持っているのをいいことにネチネチネチネチとパワハラを繰り返す。
例えばこうだ。
老人「お前は俺が話していいというまで話すな!わかったか!(理不尽)」
青年「……わかりました」
老人「おい、油断するな。俺がいつ話していいと言った!(理不尽)」
しかもこの老人ボケているのか詮無きことを延々と話し続ける。パワハラボケ老人、最悪の存在である。
そして途中で青年に「もの食った(飲んだ?)らひどい目にあったことがあったんだよなぁ」などと言いながら、青年に物を食わせる展開があり(これもひどい話だ)、これで青年が意識を失って拷問パートに入るんだろうか、などと思っていたら別にそんなことはなく、いっぱいお喋り(パワハラ)をした結果、なんとなく仲良くなりはじめる。
そうすると今度は青年側の違和感に気づき始める。まぁ、これは生まれつきの顔の問題もあるんだけどどうも無機質でのっぺりとした顔をした青年がだんだん怖くなってくる。しかも彼はこの家に来るまでの記憶がないと言う。しかも家族ともうまくいってなかった模様。デカいナイフも持ってるし。
もしや彼のほうが殺人鬼かなにかで老人がやべー奴かと思いきや、この青年のほうがヤバい奴だったのかと思いきや別に何も起こらず老人が青年をパワハラセラピーをしながら徐々に老人と青年がシンクロし始める。もしやこれは「アイデンティティ(映画)」なのでは?と思い始め、それは頂点に達した時、青年が消え、冒頭で行方不明になっていたラスカルが帰宅する。
ラスカルはアライグマではなく黒ずくめの男で顔は何と青年と同じ。彼は老人の過去の罪を責め立て謎の水を飲ませ彼を箱に押し込める。その先は老人の過去で、過去の老人は青年で(ややこしい)、青年の老人は妻の不倫現場を目撃、不倫相手を猟銃で銃殺、妻をデカいナイフで刺し殺す。
そう、青年は山奥の家に逃げ込んできた大昔の老人で老人は青年の未来の姿なのだった。ふーん!
老人は自身の犯した罪を思い出し、ラスカルに導かれるように眠りにつく。そして映画冒頭のカットが再び繰り返される。
つまりこの作品は、罪の意識にさいなまれる老人が当時の自分をネチネチネチネチといたぶり、その後の自分に自分がいたぶられ罪の意識に苛まれて眠りにつき、また同じ一日を繰り返すとセルフSMプレイ映画だったということになる。どんな映画だ。
でも何となく最後までのっぺりと見られた。たぶん老人役の役者がよかったからだと思う。ドント・ブリーズの盲目おじいちゃん。これキャストが効いてて「ドント・ブリーズおじいちゃんだからこれは青年がさぞひどい目に合うホラー映画なんやろなぁ!」という勝手な先入観がうまく働いていた。
実際には……こういう映画なんて言うんや?うん、みたいな映画だったんだけど。
まぁ積極的におすすめするような映画じゃないんだけど、これ何の映画なんやと思いながら見られる割と面白い映画体験ができる映画なのでめっちゃ暇だけどもう大概の映画見ちゃったしなぁってときにオススメ。
自分の中では過去最高に珍しい事件だった。ここが高島屋であることを一瞬忘れるくらいに。帰りの地下鉄の中でも何度も思い出した。
閉店間際の値引きタイムだった。店員さんが来て、「まもなく○%オフシールを貼ります」とはアナウンスしてないけど、常連の人はわかってる雰囲気だった。
試しにひとつ割引シールを貼ってある商品(博多のから揚げ?)は相当お得だった。20%オフとかじゃない。もっともっと、さらなる割引だった。
みんな、獲物を狙うハイエナみたいな目つきになってた。惣菜はけっこう残ってる。十年前のアニメで、半額弁当だっけ?を肉弾戦で争うコンテンツを思い出した。
その時さ、20代と思われるが、くたびれた雰囲気の青年がいたのだ。
彼はなんと……カゴの中に、「白身魚カレー」(追記:白身魚のフライが乗ったカレーです)を3パックもキープしていた。あれは、完全に「割引シール貼り付け待ち」の確信犯的な作戦だった。
そして、店員さんが元々カレーがあったと思しき位置に来ると、彼は勝ち誇ったようにカゴを差し出し、「貼ってください」とばかりに促した。
しかし、その店のベテランっぽい女性店員さんは……こんなことを言ってた。全部は聞き取れてないけど。
「申し訳ございません。割引シールは、一度に多くのお客様がお買い求めるため、このスペースに、一度完全に戻してください。それから商品ごとの順番で貼らせていただいております。カゴの中の商品には対応できません」
「おかしいやろ!こっちは待ってたのに」
って、奴は言った。威圧されてはいたけど、店員さんは毅然としてた。「当店のルールですのでご理解ください」って。
その奴はさ、「ひどい商売するなよ」とか言ってた。この時点で、周囲は凍り付いていた。誰もが関わりたくないと思っていた。もちろん自分もそうである。
そしたら、別の場所から、また別の男性客がスッと歩み寄ってきたのだ。
これも全部は聞き取れなかったが、記憶の限りで要約する。
「店員さん、それはルールなのですか?ルールで決まってないんなら、間違ってますよ。そのお客様が先に選んでいたんだから、融通を利かせてもいいのでは。ここ百貨店でしょう。マネージャーさん呼んだら?」
そのリーマン風のおじさん客は、割引をねだった青年を擁護した。
それからまた悶着あって、なんだか混沌としていた。そしたらさ、女性店員さんが、割引シール貼りをやめてどっかに行こうとした。
「店員さん、マネージャーさん来てください!!お客の意見を無視して逃げられてます!!来て!!!」
って、すごくうるさかったよ。本当に迷惑だった。
最終的に、この事件がどうなったのかはわからない。正社員と思しき人がダッシュでこっちに来てるのを見たところで、バカバカしくなってその場を立ち去った。ほかのお客さんは、暇な人だと最後まで観てたんだろうな。
デパ地下ではあったけどさ、ここが高島屋だったのは間違いない。都会の方だから、お金持ちが多いんだろ。最低でも中流以上のはずだ。
でも人間って、値段のことで揉めると、場所の格式なんて関係なくなるんだな。お金持ちでも、半額シールはやはり気になるのだろう。
10年前にスタバでMacを使っていたけど、最近富士通のLIFEBOOK(14.0型/Core Ultra 7/32GB)を買ってめちゃくちゃ良い。何よりも軽い。本体で630gぐらい。この軽さは革命的。キーボードも良い。業務でMacBook Pro (14インチ/M4/48GB)やたまに以前使っていた MacBook Air M1使っているけど、何が良かったのか分からなくなってきた。windowsでwsl使えば、linux環境作れるし。スタバも行くけど、どちらかといえば最近行きたいのはすかいらーくのラオハナ。10年前にスタバでMacを使っていた青年は微妙に国産のものに回帰しているが、あのとき周りに居た人たちは元気にしているだろうか。
職場に還暦を過ぎたおばさんパートがいて、干支二周り年下の私を何故か目の敵にしている。
彼女は私のやることなすこと気に入らないらしく、舌打ちしたり無視したりでかい音を立てて物に当たって威嚇してきたり、やった仕事にいちいち難癖を付けて来たり、ネチネチ嫌味を言ってきたり、そういう行動が3年ほど続いていた。
しょうもない人間だと思ったし、周囲も「あの人はそういう人だから相手にしないように」と諦めて開き直るように促してきたけれども、毎日悪意を向けられるというのはかなりのストレスで、そのうちメンタルが大分削られてしまった。
人事に相談したところ彼女は注意を受け、最近は多少大人しくなったが、人間の本性というのはそうそう変わるものではない(というか、変化できる柔軟さや客観性のある人間はそもそもそういう性格にならないんではないか)ので、いまだに思い通りにならない事があると勝手にイラついてなぜか不機嫌をこちらに向けてくる。
彼女の中では、この世の全ての嫌な事はあの小娘(私)のせいで、だからあいつには悪意を向けて良いということになってるのだろう。
(ちなみに人事に相談した後も、彼女は「私は何もしていないのに加害者扱いされてショック」と被害者側に立ち、事あるごとに私の評判を下げるべく悪評を広めるために頑張っているらしい。
幸い彼女は私に輪をかけて人望がないので実害には至っていない)
私に執着する理由が何なのかは本当に心当たりがない。まあ私がいなければ私ではない人に悪意を向けてるんだろう。元々私は口下手でおとなしく、現在の見た目が無難な感じなのもあり、ぶつかりおじさんや酔っ払って気が大きくなってるようなカスにもナメられやすく絡まれやすい。
ぶつかりおじさんに限らず、きっと悪意のある人間はその場にいる弱者を嗅ぎ分けようとするんだろう。
今日の勤務でもおばさんは機嫌が悪かったらしくカリカリしていて、帰り際、こちらから義務としてした挨拶はガン無視された。よくある事だが、こちらも挨拶したくてしているわけではないので無駄にストレスを感じて、ますます疲れてしまった。
一方で彼女は外面は異様に良く、他部署の人や上司にはワントーン高い声で挨拶をしているのだった。
彼女はそうして序列を作らないと、さらに序列の中で明確に自分より下の人間がいると信じていないと不安になってしまうのかもしれない。
そういう内面を持つ人がいることを、理解はできても感覚としては「底意地の悪いクソババアがよ〜」と思ってしまう自分がいる。
悪意を向けられると自分まで性格が悪くなってしまうのが本当に困りものだ。
そんなこんなで疲れながら帰路に着き、帰りにスーパーで買い物をすると、時々見かける感じの良い男性店員がレジにいた。
彼は同僚に対しても客に対しても温和で、過剰すぎもしないがそっけなくもない、ほどよい態度で接する、印象の良い青年だった。
年齢は私と同世代くらいだろうか。服装や髪型も無難なもので、目立つタイプではなく、私同様おとなしく見られそうな感じでもある。
今日はカップスイーツを買ったのだけど、彼は私が何も言わないうちに、小さいスプーン入れておきますね〜とさりげなく言い、小さいスプーンを付けてくれた。
ポイントカードを出そうとしてもたついていると、「ゆっくりでいいですよ」と言ってくれたりもした。
それは顧客への配慮であったかもしれないが、人を人とも思っていない対応に疲れた私は、そのささやかな気遣いにすさんだ心が洗われるような思いがした。
そして会計をし、レシートが出てくるのを待っていると、ふと彼の名札が目に入った。
ひらがなで書かれたその苗字は、偶然にも、さっき会社で私の挨拶をガン無視した意地悪クソババアと同じものだった。
一瞬「あっ」と思ったが、誰に共有できる感情でもないので、顔には出さずレシートを受け取り、財布にしまって店を出た。
帰り道にしみじみと、うめざわしゅんの『パンティストッキングのような空の下』を思い出した。
色んな人間が生きている。
二回り年下の社員に嫌がらせを繰り返す主婦歴数十年のクソババアもいるし、名前も知らない客にさりげない気遣いを向けることができるスーパーの青年もいる。
非正規雇用の青年には彼の痛みがあり、それをどこかで発散しているのかもしれないし、子供を持たないまま誰かの妻として生き、老いを迎えつつあるクソババアにはクソババアの人生の悲しみがあるのかもしれない。
色んな人間が生きている。
とりあえず私は、クソババアの名前を見たとき、しょうもない嫌がらせではなく、レジの青年が良い奴であったことを思い出すこともできるのだ。
10. 『イーブイをエーブイと呼ぶ男』の友人は、驚愕し、狼狽しながら答えた。
「すまない……。君がそんなに気にしていたなんて、思いもしなかったんだ。
それに君は、何をやっても器用で、欠点なんてほとんどないだろ?
だからこそ、『エーブイ』の件だけが、どうしても目についてしまったんだ。」
彼は少しだけ息を整えると、静かなトーンで答えた。
「君こそ、エーブイのことでからかう以外は、本当に素晴らしい友人だったよ。
もっとも——私はエーブイを『エーブイ』と呼ぶことを、欠点だと思ったことは一度もないけどね。」
11. 彼は、幼少時に両親に「イーブイ」を「エーブイ」と呼ぶことを注意されても、決して自分の信念を曲げなかった。
そのため、彼は生まれてから一度も「イーブイ」のことを「イーブイ」と呼んだことはない
12. 彼の両親は、彼が決して「イーブイ」を「エーブイ」と呼ぶことを直さなかったため、彼が十二歳になる年に、養子に出した。
それから、彼らが再び会うことはなかった。
13. 彼は、「イーブイ」を「エーブイ」と呼び続けたために、
実の両親と離れることになるとは、夢にも思っていなかった。
この出来事は、まだ幼い彼の心に深い傷を残した。
14. それでも、『イーブイをエーブイと呼ぶ男』が養子に出された家の人々は優しかった。
その家には、彼より少し年上の娘がいた。
15. 『イーブイをエーブイと呼ぶ男』は、養子として迎えられた家庭で健やかに成長した。
彼は娘に惹かれていたが、次第に娘も、彼に対して男性としての好意を抱くようになった。
16. 養父母もまた、彼の誠実な性格と勤勉さに触れるうちに、少しずつ信頼を深めていった。
やがて彼らは、「この男になら、娘を託してもよい」と考えるまでになった。
彼は「イーブイをエーブイと呼ぶ」ことを除けば、
概して優秀で、善良な青年であった。
17. しかし、些細なきっかけから、養家の人々もまた、彼が「イーブイをエーブイと呼ぶ」ことを知ることになる。
それでも、頑なに「エーブイ」という呼称を改めようとしない彼を目の当たりにするうち、次第に養父母と彼との関係に亀裂が生じはじめた。
18. 冗談交じりではあったが、養父から告げられた「その呼称を改めれば、娘との結婚を許す」という言葉に、『イーブイをエーブイと呼ぶ男』は深く動揺した。
それ以降、彼は友人の軽い冗談にも過敏に反応するようになり、ついには激しく怒りをあらわにしてしまった。
二人の関係が、完全に元通りになることはなかった。
そんな中、唯一態度を変えなかった娘だけが、彼にとって心のよりどころとなっていた。
『全体主義者の公式集〜科学から空想への移行は如何にして行われるか?〜』
はじめに
本公式集は読者の皆さんのような虐げられている優秀な人々が既存の支配階級を打倒するために必要な理論武装を助け、また、その実践を導く為のものであります。下記の公式は実際に100年以上にわたって多くの全体主義者の手引として使われ、国家権力の奪取から官庁や大学での予算の掌握まで、実に多くの不朽の業績を残してきました。本公式集を使い今後さらに多くの全体主義者が大衆を正しく導いていくことでしょう!
公式①「xはyである。人間もまたyである。故に人間(とその社会)もxに過ぎない」
公式②「①の故に地球上の諸問題はxの適切な科学的使用によって解決できる、つまり、yの専門家に全てをまかせればzは必要ない」
公式③「②の結果すべての人々が最大の幸福を味わえる素晴らしき新世界が誕生します、このことは科学的必然なので理性有る人々なら容易に理解できます」
えっ!たったこれだけで?と思われる読者も多いでしょう、しかし偉大な公式ほど美しく洗練されシンプルなのです!一つずつ順を追って細かくご説明しましょう。
公式①「xはyである、人間もまたyである、故に人間(とその社会)もxに過ぎない」
以下は公式①をつかったマルクス主義者の主張の古典的一例です。注1
「x物質はy弁証法的に発展している、人間とその社会もまたy弁証法的に発展している、故に人間もx物質に過ぎない」
この文は「弁証法的って何?」などと考えずに公式➀の構造をしているという点に注目して下さい、わかりやすくするためにもっと簡単な言葉を代入すると次のようになります。
「xバナナはyアミノ酸を合成する生物である、人間もまたyアミノ酸を合成する生物である、故に人間もxバナナに過ぎない」
そんなバナナ!と思われる読者も多いでしょう、しかし次の文はどうでしょうか?
「xコンピューターはy情報を処理するシステムである、人間もまたy情報を処理システムである、故に人間もxコンピューターに過ぎない」
いかがでしょう?当世風に言葉を変えると急に信ぴょう性があるようにみえますね!※注2
単語ではなく文の構造に注目すると、これらは実は全く同じ型の主張なのです。
特に公式➀では『人間は〇〇に過ぎない』論を強調するのが肝心です、全体主義の先人達は全員この論法を駆使しました。例を挙げますと、全体主義の先人曰く、
人間は動物に過ぎない…人間はゼンマイ時計に過ぎない…人間は蒸気機関に…人間は物質に…、人間は酸化過程に…人間は経済的下部構造に規定される存在に過ぎない…人間は自己の利益のみを最大限にしようとする利己的存在に過ぎない…人間は〇〇システムに過ぎない…人間は〇〇に操られる存在に過ぎない…のです。
注1:マルクスが本当にこんなことを言ったかどうかは問題ではありません。実際にこの論法が大衆を正しく導くのに有効だった、ということこそが重要なのです。
注2:むしろバナナも人間もアミノ酸を合成していることは実証されており、人間はバナナとDNAを50%も共有しているといいますので人間=バナナ論のほうがより科学的といえます。
「人間は〇〇に過ぎない論」は内容がショッキングでセンセーショナルで有るなら有るほど大衆に人気が出ます。※注3なぜならばこれらの真理を発見した人は頭が良く、この論理を信じる人達もまた同じように進歩的かつ賢いのだ、ということになるからです。
また、この公式➀の応用としてこの公式の「人間は〇〇に過ぎない」の部分を以下のように、
〇〇人種は〇〇民族は〇〇国民は〇〇人は〇〇族は〇〇地域の人間は〇〇階級は〇〇主義者は、〇〇〇教徒は…〇〇にすぎないのだ、と代入することもできます。
さらにxとyにもどのような単語でも代入できますので、同じ公式を使い以下のように
「x猿はy血液型にB型が多い、〇〇人種はy血液型にB型が多い、ゆえに〇〇人種は猿に近い」ですとか
「x牛馬はy体が大きく労働に適している。〇〇人もまたy体が大きく労働に適している。故に〇〇人はx牛馬と同じで肉体労働用の人種である」
と簡単に証明でき、また同時にそれを客観的に証明することができる「『我々』は『彼ら』よりも優秀な人間なのだ」という事実も同時に科学的に証明できます。
さらにこのテクニックを応用すれば「芸術は経済的下部構造に規定されている人間活動の産物である。イデオロギーもまた経済的下部構造に規定されている人間活動の産物である。故に芸術はイデオロギーである」とか、
「疑似科学である西側の経済学はブルジョア階級によってつくられた、〇〇学もまたブルジョワ階級が作った、故に〇〇学は西側の経済学と同様のブルジョア疑似科学に過ぎない」
というように、例外無くありとあらゆる人間活動の党派性を暴露することもできます。
このテクニックは、後々読者のみなさんが権力を掌握した時に全体主義に反抗的な芸術家や学者を処理する時に素晴らしい口実となりますので是非覚えておいてください。
注3:実際にこれら主張を口にだすときはできるだけ「ああなんて私は頭が良いんだ!あなたたちの大半は理解できないでしょうけどね!」と 自信満々に半目で薄ら笑いをうかべましょう!
公式②「①の故に地球上の諸問題はxの適切な科学的使用によって解決できる、つまりyの専門家に全てをまかせればzは必要ない」
この公式で私達全体主義者に権力を集中することを正当化しましょう。公式②の緻密な論理的整合性は権力を握った後で考えればいいので、それまで大衆受けする言葉を考えることに集中しましょう!下記の例文は社会主義国で実際に使われた理論を簡略化したものです。※注4
「➀の故に現在の建設途中の我が国に見られる諸矛盾はx全ての生産設備を国家が所有することによって止揚される。y政府に全て任せればz一般人民による市場経済は不要である」
「➀の故に現在建設途中の我が国に見られる諸矛盾はx全ての権力をソヴィエト政府に集中することによって止揚される。yソヴィエト政府に全て任せればz一般人民による民主主義は不要である」
もしお好みならばこの例文の「全てを〇〇に任せれば〇〇は不要である」を少しいじって
「ちょうど良いさじ加減で産業を純血のアーリア人種or白人の政府が所有すれば市場経済は重要ではない!」
として、簡単にナチズムやアパルトヘイトのテーゼに変更することもできます。
もちろん私達が権力を掌握した後も頭の悪い保守反動分子どもは難癖をつけてきますが「今はまだxが足りないだけだ!来たるべき〇〇革命の地平において全てはyに任せられる!」と根気よく啓蒙しましょう。※注5
今日ではこの公式①をつかった理論としては次のようなものが大変人気です。
「人間はコンピューターなので地球上の諸問題は人工知能の適切な使用によって解決できる。つまりy人工知能に全てをまかせれば、z民主主義も、市場も、責任ある人間の決定も必要ない」
ただ万能のソヴィエト政府を万能の人工知能に変えただけですが、実に現代風になっていますね!
大切なのは流行りの言葉を使うことです、例えば世がバナナダイエットブームならば
「人間はバナナであるが故に地球上の諸問題はxバナナテクノロジーの適切な科学的使用によって解決できる。故にyバナナ専門家に全てまかせればzバナナ以外の炭水化物は必要ない」
と言うような理論を作りましょう。
以上の例はこの公式集が不変かつ、永久に有用であることを示す好例といえます。
注4:マルクスが本当にそう言ったかどうかは大した問題ではありません。実際にこの論法が大衆を正しく導くのに有効だった、ということこそが重要なのです。
注5:この理論の公表に際しては大衆が読み切れないくらいの厚さの論文や本を用意し、その中で公式➁は公式➀に基づく科学的必然性による真理なのだと証明しましょう。啓蒙書は最低でも厚さ10cm程度は必要です、それより薄いと枕にしにくいですし、本で反抗的大衆の頭をブン殴って修正することも困難です。
さて、最後に公式③をご説明します、あと一息ですのでがんばってください!
公式③「②の結果すべての人々が最大の幸福を味わえる素晴らしき新世界が誕生します、このことは科学的必然なので理性有る人々なら容易に理解できます」
公式③のみ少々使い方が異なり、この公式は大衆に提示したときにちゃんと心酔するか否かの反応を観察することで大衆を以下の2つに分類でき、革命の行動部隊となる同志を見つけるのに使えます。
・第Ⅰ層「革命家」
つまり第Ⅰ層の「革命家」は私達の理論を本心から本気で信じてくれる、優秀かつ大変従順で純粋な革命の前衛であり、幸福な新世界を夢見る若き同志達です(もちろんみんなバナナ大好きですよ!)
初期の同志は主に傍流の青年官僚やノンキャリ組の地方公務員、貧乏将校、大学を出たのに仕事がない人達(特に職のない弁護士)つまりはルサンチマンを溜め込んだぱっとしない2流インテリの中に多くいます、そこから経済的不満を抱えた労働者階級へと浸透して行きましょう。
彼らは公式③を理解でき、科学的理性の何たるかを知っています。
第Ⅱ層の「保守反動分子」たちはこの公式③を受け入れられない頭が悪い人たち及び既得権を持つ保守反動階級であり、つまり、彼らは人間はバナナであるという科学的かつ客観的な事実さえ理解できない党派的ドグマに凝り固まった人たちです。
まったく彼らの権力への異常な執着はどこから来るのでしょうか?
ソヴィエト共産党や巨大テクノロジー企業やバナナの専門家が権力を握ることの何が悪いのでしょうか?
しかし、どのような理由であれ我々進歩的全体主義者には人類全体の幸福のために彼らの横暴を止める責任があります。
以上で公式③の説明はおわりです、今皆さんは新世界を作るための革命理論を手にしました!
ですが「理論」の次に皆さんは「実践」も学ばなければいけません。
今日の超高度情報化社会において我々の革命理論を広める為にはメディア戦略が重要です。
まず、メディア産業へと浸透します。メディア露出を初めた当初は我々もイロモノ扱いされて半分小馬鹿にしたような扱いを受けるでしょうが、メディア上でセンセーショナルな言動を繰り返す内に大衆は
「人間バナナ論か、この新人芸人さんのいうことは本当かもしれない…なにせマスコミがいってるんだ」
と思い(理由はまだ未解明ですがなぜか大半は男性です)熱狂しはじめ、それを再びマスコミが勝手に取り上げてくれるようになります。
メディアへの浸透段階では保守反動知識分子は次の2つの反応を示します。
・1 無視
・2 日和見的支持
1の知識人たちは「バナナエンジニアに全て任せろと?バカバカしい!」と、自身の愚かさ故に無視するかメディアとの関係を悪くしたくないので黙りこみます。
2の知識人たちは自身もマスコミに出ている芸人ですが「バナナテクノロジーで全人類が幸福になれる?おもしろいことをいう!それでこそ次世代を担う人間だ!俺様ほどではないが面白い考えだ!」と、自分の若さと柔軟さをアピールするために我々を支持してくれます、こうして段々と全体主義者の主張がメディアに取り上げられていき、我々とメディアとの共闘関係が強固なものへとなってゆきます。
そして次に革命家同志たちを前衛党員へと教育しなくてはなりません。
現代の若者は承認欲求が大変強いので、まず彼らにクールなグループ名をつけてあげます「国家社会主義労働者党」とか「インターナショナル第一バナーヌ戦線」とか「ハイパーメディアクリエイターズ」「民族と伝統の守護騎士団」とか、14才程度の若者が好きそうな創作語や外国語をたくさん並べたものが良いでしょう、また、あとで「看板に偽りあり!」とか言い出す反動分子が必ず現れるので、出来るだけ「NS」や「インターナショナル」などクールでヒップな略称で呼ぶようにしてください。そうすれば大衆は本来の名前の意義をすぐに忘れてくれますし、同志内での専門用語は連帯感を高め「我々」と「奴ら」を強く区別して対立を煽るのに役立ちます。
そして「君たちは優秀で、賢い、特別な存在だ!バナナ革命の闘士なのだ!」と煽り、階級名やバッジ、旗、独特なポーズやコスプレ衣装、ノートパソコンに貼るシールなどをあてがい行動に駆り立てます。
最初はあまりノリ気ではない人も行動をしている内に失ったものの大きさ(仕事や友人や社会的地位)ゆえに引き返せなくなるものですし、そもそもいつの時代も幼稚な若者は自分たちは文明の大転換を起こせるとーっても優秀で特別な天才なのだと思いたがるものなのです。
さて、理論と世論の支持そして行動部隊がそろったならば好機を待ちましょう、戦争や恐慌は絶好のチャンスですし、行動部隊をつかい非常事態を演出するのも良いですね!
そして!その日!!その時!!大通りに!立法府に!裁判所に!家庭に!工場に!老人ホームに!そしてバナナ畑に!!革命の旗が翻り全体主義の歌がこだますのです!
しかし、時ここにいたってもなお、反動分子の犬共はこう言うことでしょう。
「そもそも君たちの理論とやらは三段論法を誤用した誤謬の上に誤謬を積み重ねた無内容な詭弁であり、過去百年以上にわたって悪魔的所業をしてきたイデオロギーの哀れなパロディだ!君たちはただ権力に飢えてルサンチマンに凝り固まった愚か者だ!このバナナ野郎め!」などと…
ああ!!革命の度に毎回毎回どこからか湧き出てくるなんて救いようが無い人種!
こうなった場合はもはや「最終的解決」しかありません!!最終的解決とはつまり例を挙げると……
…ヘーゲルはどこかで、全ての偉大なる世界史的な事件と人物はいわば二度現れると述べている、しかし彼はこう付け加えるのを忘れてしまった、一度目は偉大なる悲劇として、二度目は哀れなる喜劇として。
彼がまだ鬼夜叉と呼ばれた青年のころ、ある日、師匠の鐘巻自斎に向かってこう言った。
聞いた自斎は大いに怒って「未熟者が何をいうか」と罵ったが、彼は平然として、
「しかし先生、妙とは心の妙である以上、自分みずから悟るほかないではありませんか。決して、師から伝えられるものではないと思います」
と言って一歩も譲らなかった。こんな押し問答が何度か繰り返されたのち、それではというので師弟の間で技を戦わせることになった。ところが師の自斎は三度たたかって三度とも敗れてしまったので、大いに驚いてその訳を聞くと、彼は曰く、
「人は睡っている間でも、足の痒いのに頭を掻く馬鹿はありません。人間には自然にそういう働きが備わり、その機能を完全に働かせることが剣の妙機というものだと思います。先生が私を打とうとされるとき、先生の心は虚になっています。それに反し、わたくしはいま申したような自然の機能(はたらき)で危害を防ぎますから実です。実をもって虚に対すれば勝つのは当然でしょう」
そう説明されてみれば、いかにも当然の理屈なので、自斎もうなずくほかなかった。
—— 『剣と禅』
―スコール・レオンハート、FF8リメイク未発表に沈黙を破る
氷のように冷静な瞳の奥で、怒りが燃えていた。スコール・レオンハート――1999年、PlayStation時代の金字塔『FINAL FANTASY VIII』の主人公が、ついに沈黙を破った。
「……言いたくはなかった。でも、もう限界だ。」
■「僕たちは“過去”じゃない」
『FF7リメイク』が三部作として華々しく展開され、『FF9リメイク』の噂が世界を駆け巡る中、唯一“取り残された存在”としてファンの間で囁かれるのが『FF8』だ。
スコールはその扱いに、苦笑を浮かべながらも鋭く切り込む。
「僕たちは“実験作”じゃない。
あの物語は、仲間と出会い、愛を知り、そして“時間”という宿命に抗った、ひとつの青春なんだ。
なのにスクエニは、まるで“忘れたい記憶”みたいに扱っている。」
その言葉には、過去に“SeeD”として運命を背負った青年の誇りが宿る。
「『FF8』は当時、挑戦の塊だった。GFシステムも、ジャンクションも、ムービーとゲームのシームレスな演出も。
でも今のスクエニは、それを“説明不足な失敗作”みたいに扱っている。
違う。あれは『挑戦の象徴』だったんだ。」
「“わかりやすい王道”しか作れない時代に、僕らは“わかりづらくても本気で作る”道を選んだ。
その精神を、リメイクという形で受け継ぐ勇気が、今のスクエニにあるのか――。」
最後に、彼は一瞬だけ目を伏せた。
そして小さく、しかし確かな声で続けた。
「リノアは“僕の心を開いた人”だ。
過去を懐かしむんじゃない。未来を、もう一度見つめたいだけだ。」
沈黙。
やがて彼は立ち上がり、短く言葉を残した。
止めたのは、スクエニだ。」
その背中には、あの頃と同じ孤高さが宿っていた。
“氷の騎士”は再び剣を抜いた――今度の敵は、時の流れそのものではなく、忘却という名の企業の怠慢だ。
―スコール・レオンハート、FF8リメイク未発表に沈黙を破る
氷のように冷静な瞳の奥で、怒りが燃えていた。スコール・レオンハート――1999年、PlayStation時代の金字塔『FINAL FANTASY VIII』の主人公が、ついに沈黙を破った。
「……言いたくはなかった。でも、もう限界だ。」
■「僕たちは“過去”じゃない」
『FF7リメイク』が三部作として華々しく展開され、『FF9リメイク』の噂が世界を駆け巡る中、唯一“取り残された存在”としてファンの間で囁かれるのが『FF8』だ。
スコールはその扱いに、苦笑を浮かべながらも鋭く切り込む。
「僕たちは“実験作”じゃない。
あの物語は、仲間と出会い、愛を知り、そして“時間”という宿命に抗った、ひとつの青春なんだ。
なのにスクエニは、まるで“忘れたい記憶”みたいに扱っている。」
その言葉には、過去に“SeeD”として運命を背負った青年の誇りが宿る。
「『FF8』は当時、挑戦の塊だった。GFシステムも、ジャンクションも、ムービーとゲームのシームレスな演出も。
でも今のスクエニは、それを“説明不足な失敗作”みたいに扱っている。
違う。あれは『挑戦の象徴』だったんだ。」
「“わかりやすい王道”しか作れない時代に、僕らは“わかりづらくても本気で作る”道を選んだ。
その精神を、リメイクという形で受け継ぐ勇気が、今のスクエニにあるのか――。」
最後に、彼は一瞬だけ目を伏せた。
そして小さく、しかし確かな声で続けた。
「リノアは“僕の心を開いた人”だ。
過去を懐かしむんじゃない。未来を、もう一度見つめたいだけだ。」
沈黙。
やがて彼は立ち上がり、短く言葉を残した。
止めたのは、スクエニだ。」
その背中には、あの頃と同じ孤高さが宿っていた。
“氷の騎士”は再び剣を抜いた――今度の敵は、時の流れそのものではなく、忘却という名の企業の怠慢だ。
そもそも幼馴染の頃の思い出っていったって無理矢理夜中に廃墟の探索させられたとかかなりしょーもないし
「君たちは、笑いながら“壊されている”んだよ!」
かつて“戦うこと”の意味を知った青年、カミーユ・ビダンが、任天堂を真っ向から批判した。
「画面の中で誰も怒らない。誰も、苦しまない。そこにあるのは“快適さ”だけ――だがそれは、魂を抜かれた快適さだ」
彼の言葉は鋭い。だが、その指摘は痛いほど的を射ている。
いまや任天堂は「家族の笑顔の象徴」ではない。むしろ、「感情を均質化する巨大システム」だ。
人間が怒り、悩み、失敗を経て成長する――そんな“生の実感”を、彼らは次々と削ぎ落としていった。
「ポケモンを見てみろ。勝っても負けても、誰も本気で泣かない。感情の振れ幅を、“商品”として最適化してしまった。あれはもう教育じゃない、調教だ」
ビダンは語気を強めた。
彼の目に映る任天堂とは、「消費者を穏やかに“管理”する帝国」である。
“安全な遊び”という名のもとに、怒りや悲しみといった人間の核を削除し、“従順な幸福”を植えつける。
「人間を子どものままにしておくのが、彼らの戦略なんだよ。大人になるとは、感じること、苦しむこと、そして立ち上がることだ。だけど任天堂の世界では、永遠にリセットできる。――それは、生きることをやめることだ」
彼の言葉に笑う者もいるだろう。だが、見て見ぬふりをしてはいけない。