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はてなキーワード: 人類とは

2024-12-14

すまんリモートワークはやっぱり無理やったんや。

これ以上は言えん。

けどホンマすまん。

ワイらも残念やねんで。

でも無理やったんや。

人類にはまだ早すぎたんや。

素人の性行為規制すべし

素人同士で性行為を行うからトラブルが起きる。

免許事業所免許保持者のみが提供できるサービスとして規制すれば性トラブルの多くは解決できるだろう。

男女ともに性行為を行った時点で逮捕案件なので、非同意強制なのかの捜査が行われるし、童貞処女だのクソみたいなマウンティングもなくなるだろう。

子どもが欲しければ体外受精科学進歩が進むのを待ち人培養を進めれば妊娠によるトラブル解決できる。

なによりも先進国になると少子化になるという、人々のライフスタイル経済状況という不確定な要素に悩まずに人口生産調整も行える。

国が人口生産教育を行うことで素人教育ではなく、プロフェッショナルシステマティックな、そして計画的効率的な質の高い教育幼児期から行える。

親の能力経済依存するという不幸な子どもがいなくなるということは、とても人権的ではないのだろうか。

もはや我々人類動物と同じような生態を行えるほど野生ではない。

文明活動をするためには野生を捨て、人類の叡智となる科学を大いに利用し、多くの人々が幸せに、そして不幸を減らすべく人間的生態を進歩させなければならない。

---

なんて現実的ではなく、現在道徳倫理観から外れた意見を書いてしまったのだろうか。

実に恥ずかしい。

anond:20241214103055

でも目の前に1億殺せるボタンがあったら押しちゃうのが人類からなあ

三大、孫さんの実績

WindowsOfficeを普及させて日本OA生産性を上げた(ソフトウェア

ブロードバンドを半額以下にしてモデムを配って高速回線を普及させた(通信

Appleを救ってスマホを普及させた(デバイス

ARM買収と成長に成功してCPU歴史に一石を投じた(プロセッシング)

AI啓蒙おじさんと化して人類進化に貢献する(人工知能)New!

あとひとつは?

パスキーパスワードを無くす(キリッ)

とか傲慢なこと主張してたのはずっと忘れない。

要はもともとはFIDOのキーを端末に埋め込んでしまえというだけのアイディアです。

ssh の 鍵方式と何も変わりません。

この鍵が自宅のワークステーションの中にあり、内部に入るための鍵が必要だったり、ケンジントンロックで縛られてるのであればセキュリティリスクも低いでしょう。

でもスマホにいれるとなると話が変わりますよね。

パスワードは人類には早い。パスワードを無くしたい。と言う気持ちはわかりますが、じゃあブラウザパスワードを記憶させれば良い。

え?ブラウザパスワード記憶を信じられないですって?

そんな危険ブラウザアンインストールして一生webを見ないでください!😂

という感じです。

すでにパスワードマネージャー(ブラウザパスワード管理機能)が対応できているものを、別の穴を開けて作り直している。複雑な機構を作って混乱しています

パスワードマネージャーならパスワード認証サイト全てに対応します。パスキーは?

パスキー最初パスワードをなくせるとか夢物語すぎる、無理だろう。って思ってました。

そのうち大手とかが本格的にやるって言ってて、ええ?GoogleとかAppleが言うなら実は本当にパスワードを無くしてセキュリティ上がるのか!?って思ってました。

今では端末壊れても大丈夫なように鍵をバックアップするとか言い出してて、それデバイスの中に鍵をいれる必要ないよね。鍵複製できてるよね、複製した鍵をGoogleとかAppleバックアップ取るよね、ベンダ間での相互の鍵をやり取りする試みまで提案される始末で、安全とは?セキュリティとは?みたいになっている。

トラスト、信用が必要対象が盤面に増えすぎてて、明らかにセキュリティ強度が下がっている。

パスワード単体であればセキュリティ問題自分自身だ。

大企業から「お前はパスワード一つ扱えないバカから俺が鍵を預かっててやるよ」という傲慢な態度が伝わってきます

さてパスワードすら扱えない猿が、私にすら意味不明で複雑怪奇パスキーを扱えるとおいますかね?無理では?

最初アイディアは飲めるよ。

デバイスに鍵を入れておく。

そのデバイスの鍵で署名してデータを送り出してサーバー側で本人であることを確認するんだ。

とても単純です。パスワードが鍵になったんです。

パスキーですよ!なんてシンプルで単純なんだ。

でも、デバイスが壊れたら?デバイスPC連携は?バックアップを誰がどこで管理するの?

さぁ、地獄の扉は開かれました😉

本当にセキュリティ強度が上がると主張するのなら、きっとTORブラウザ真っ先に実装してるはず…

え!!ええええええ!!!TORブラウザはパパパパスキー対応していないいいい!???

えええ、パスワードよりもセキュリティが上がるはずのパスキーを、セキュリティ極北であるTORブラウザさんが非対応ですててえええ!!?

まぁ将来的に実装する可能ゼロではないんだろうけど、多分TORパスキー実装しないだろう。その前にパスキーの煩わしさとかが巷にあふれるようになって誰も使わなくなる。

んで、使いたいという人がいなくなって明確に実装しないって決定が出そう。

パスキー筋悪いと思うんだが、何でみんなパスキーに期待してるんだろうか。

この鍵は俺が俺自信であることを証明するための鍵であって、この鍵をGoogleApple管理するならば、それはもう俺の鍵ではないし、関連するアカウントは全て汚染される。

いやまぁ信じているならばそれで良いんだが、自分が誰と一体何の契約を交わしているのか、パスキー使ってる人がわかってるとは思えん。

量子力学義務教育

 最近、「量子力学って不思議学問だよなあ」と考えることが増えた。正直、量子力学専門家向け、大学以上で初めて学ぶ高難易度な分野とみなされている。けれど、私はむしろこの「目に見えない世界を扱う学問」こそ、義務教育で触れさせる価値があると思っている。なぜなら、この学問には「人間は目に見えることを当たり前に信じているけど、それは本当に正しいの?」という重要な問いが詰まっているからだ。

 私たちの多くは、日常生活で「見たもの現実」として受け止めている。リンゴが転がっていたら「そこにリンゴがある」と疑わないし、机が固くて動かないのは当然のこととして受け入れている。光が差せばそこに物が見え、目の前にある風景世界のすべてだと思ってしまう。この「当たり前感覚」は便利ではある。私たちは、見える世界をそのまま理解し、そこに順応して毎日を過ごせる。だけど、よく考えてみると「見えるから信じる」って、本当に頼れる基準なのだろうか?

 量子力学は、この「当たり前感」を根本からさぶる。ミクロ世界では、粒子は同時に波であり、状態観測するまで決まらない、というまるでSFのような現実がある。これは「観測者が見ていないとき、物はどうなっているのか?」という奇妙な問いを突きつける。日常とはかけ離れた話のようだけど、「見ていないときに本当にそこにあるか?」なんて、普段は考えもしない。しか量子力学は「それが重要問題だよ」と言ってくる。

 もし子どもたちが、義務教育の早い段階でこうした不思議な考え方に触れたらどうなるだろう? 最初は「意味不明」「難しすぎ」と思うかもしれない。でも、わかりやす実験やたとえ話で、「物は見ていないとき確定していないかもしれない」といった発想を伝えることは、必ずしも不可能じゃない。たとえば、シュレーディンガーの猫という有名な例え話がある。箱の中の猫は、開けて見るまで「生きている状態」と「死んでいる状態」が重なっている――そんな非日常的なイメージが、量子力学象徴している。

 これを子どもが聞けば、最初は戸惑うだろう。「見ていないときに、猫って何なの?」と混乱するかもしれない。でも、この混乱こそが大事だ。「見える世界がすべてだと思ってたのに、見ないとわからないなんて、どういうこと?」という疑問は、当たり前を疑う力になる。大人私たちですら、社会で日々目にする情報を「映像があるから本当だ」「写真があるから確実だ」と思い込みがちだ。だけど、量子力学的な発想があれば、目に映るものに対してもう少し慎重になれる。「観測自体が結果を左右することがあるなんて、実は不思議な話だ。見る側も、ただ受け取るのではなく、世界状態に影響を与えている。

 こうした「世界は実はそんなに単純じゃない」という感覚は、私たち人間中心の固定観念から抜け出す手がかりになる。人間はしばしば、自分が見た範囲こそが全世界だと思いがちだ。だが実際は、私たち宇宙のほんの片隅にへばりついた、ちっぽけな存在しかない。視界が及ぶ範囲なんて、全体のほんの一部にすぎない。量子力学を学ぶと、世界には人間感覚ではとらえ切れない不確定な要素が広がっていて、そのうちごく一部を「見ている」ときにだけ「確定的なもの」として捉えているにすぎない、という見方が芽生える。

 これを知ると、自分が大きな宇宙自然の中でいかに小さな存在か、深く感じられるはずだ。「今ここで見えるもの」に頼り切ってしまうと、「自分たちが一番」「ここが世界の中心」という錯覚に陥りがちだ。でも、量子レベル世界想像してみれば、私たち確信なんてあやふやもので、宇宙もっと広大で奇妙な場所なのだとわかる。すると、少し謙虚になれる。「自分が見ている世界は限られていて、実際にはもっと不思議なことがあるんだな」と。

 現代ネットメディアなどで大量の情報が目に入る時代だ。しかし、その情報鵜呑みにしてしまうと、知らないうちに操作される危険性がある。見えているか真実と信じるのではなく、そもそも「見える」ってどういうことか、観測とは何なのかを考え直す力が求められている。量子力学的な視点は、そんな思考訓練にもってこいだろう。子どもたちが若いうちから、この不思議世界観に触れていれば、「見た目がすべて」「映像真実」という単純な思い込みにとらわれず、批判的な目で物事判断できるようになるかもしれない。

 もちろん、義務教育量子力学を教えるには工夫が必要だ。理論を詳細に教えるのは難しいだろうし、数学的にはかなり高度だ。だけど、基本的な考え方、世界観を絵本実験動画簡単ワークショップ体験することはできるのではないだろうか。たとえば、「観察されるまで色が決まらない玉」の実験モデルや、日常物のアナロジーを使って「結果が確定するのは私たちが見る瞬間」というイメージを伝えることは不可能じゃない。

 こんな教育がもし実現したら、子どもたちは「当たり前を疑う力」を身につけるはずだ。大人になればなるほど、人間自分の知っている感覚に閉じこもりがちだ。けれど、小さなから世界には不確定なものがある」「見ていないとき世界はどうなってる?」「物理学は単に落下や運動の話だけじゃない」という刺激を受ければ、将来、新しい発想やアイデアを生み出す土台になるかもしれない。さらには、ネット情報映像を見たときに「これって本当なの?」と問い直し、より多面的世界理解できる大人へと成長できるだろう。

 人間は、どうしても自分たちが中心で、自分たちが見える範囲世界が確定しているような気分に浸りやすい。でも、量子力学は「君たちが見ているのは、巨大な舞台のほんの一幕にすぎないんだよ」と教えてくれる。舞台裏では、目に見えない無数の可能性や不確実性が広がっているのだ。そう考えると、人間いかにちっぽけで、世界理解が限られているかがよくわかる。

 その「ちっぽけな存在である私たちが、自分たちなりに世界を知ろうとすることは悪いことじゃない。むしろ謙虚さと探究心を持って、見えない仕組みに目を向けることは、これから時代必要姿勢だ。量子力学は、私たちが当たり前と思っている感覚価値観を揺さぶり、「本当にそうなの?」と問いかける貴重な手段になる。だからこそ、義務教育量子力学エッセンスを伝えることは、子どもたちの未来にとって有益だと思う。

 見えている世界がすべてではない。そのことを早い段階で知れば知るほど、私たちはより柔軟な思考謙虚さを持って生きられるはずだ。人間は見ることに頼りすぎている。けれど、量子力学を学ぶことで「見えるもの」がいかに不完全で、小さなスケールに縛られた断片的な真実なのか、思い知ることができる。それは、人類が新しい知覚と理解を手に入れるための、初めの一歩だと思う。

量子力学義務教育

 最近、「量子力学って不思議学問だよなあ」と考えることが増えた。正直、量子力学専門家向け、大学以上で初めて学ぶ高難易度な分野とみなされている。けれど、私はむしろこの「目に見えない世界を扱う学問」こそ、義務教育で触れさせる価値があると思っている。なぜなら、この学問には「人間は目に見えることを当たり前に信じているけど、それは本当に正しいの?」という重要な問いが詰まっているからだ。

 私たちの多くは、日常生活で「見たもの現実」として受け止めている。リンゴが転がっていたら「そこにリンゴがある」と疑わないし、机が固くて動かないのは当然のこととして受け入れている。光が差せばそこに物が見え、目の前にある風景世界のすべてだと思ってしまう。この「当たり前感覚」は便利ではある。私たちは、見える世界をそのまま理解し、そこに順応して毎日を過ごせる。だけど、よく考えてみると「見えるから信じる」って、本当に頼れる基準なのだろうか?

 量子力学は、この「当たり前感」を根本からさぶる。ミクロ世界では、粒子は同時に波であり、状態観測するまで決まらない、というまるでSFのような現実がある。これは「観測者が見ていないとき、物はどうなっているのか?」という奇妙な問いを突きつける。日常とはかけ離れた話のようだけど、「見ていないときに本当にそこにあるか?」なんて、普段は考えもしない。しか量子力学は「それが重要問題だよ」と言ってくる。

 もし子どもたちが、義務教育の早い段階でこうした不思議な考え方に触れたらどうなるだろう? 最初は「意味不明」「難しすぎ」と思うかもしれない。でも、わかりやす実験やたとえ話で、「物は見ていないとき確定していないかもしれない」といった発想を伝えることは、必ずしも不可能じゃない。たとえば、シュレーディンガーの猫という有名な例え話がある。箱の中の猫は、開けて見るまで「生きている状態」と「死んでいる状態」が重なっている――そんな非日常的なイメージが、量子力学象徴している。

 これを子どもが聞けば、最初は戸惑うだろう。「見ていないときに、猫って何なの?」と混乱するかもしれない。でも、この混乱こそが大事だ。「見える世界がすべてだと思ってたのに、見ないとわからないなんて、どういうこと?」という疑問は、当たり前を疑う力になる。大人私たちですら、社会で日々目にする情報を「映像があるから本当だ」「写真があるから確実だ」と思い込みがちだ。だけど、量子力学的な発想があれば、目に映るものに対してもう少し慎重になれる。「観測自体が結果を左右することがあるなんて、実は不思議な話だ。見る側も、ただ受け取るのではなく、世界状態に影響を与えている。

 こうした「世界は実はそんなに単純じゃない」という感覚は、私たち人間中心の固定観念から抜け出す手がかりになる。人間はしばしば、自分が見た範囲こそが全世界だと思いがちだ。だが実際は、私たち宇宙のほんの片隅にへばりついた、ちっぽけな存在しかない。視界が及ぶ範囲なんて、全体のほんの一部にすぎない。量子力学を学ぶと、世界には人間感覚ではとらえ切れない不確定な要素が広がっていて、そのうちごく一部を「見ている」ときにだけ「確定的なもの」として捉えているにすぎない、という見方が芽生える。

 これを知ると、自分が大きな宇宙自然の中でいかに小さな存在か、深く感じられるはずだ。「今ここで見えるもの」に頼り切ってしまうと、「自分たちが一番」「ここが世界の中心」という錯覚に陥りがちだ。でも、量子レベル世界想像してみれば、私たち確信なんてあやふやもので、宇宙もっと広大で奇妙な場所なのだとわかる。すると、少し謙虚になれる。「自分が見ている世界は限られていて、実際にはもっと不思議なことがあるんだな」と。

 現代ネットメディアなどで大量の情報が目に入る時代だ。しかし、その情報鵜呑みにしてしまうと、知らないうちに操作される危険性がある。見えているか真実と信じるのではなく、そもそも「見える」ってどういうことか、観測とは何なのかを考え直す力が求められている。量子力学的な視点は、そんな思考訓練にもってこいだろう。子どもたちが若いうちから、この不思議世界観に触れていれば、「見た目がすべて」「映像真実」という単純な思い込みにとらわれず、批判的な目で物事判断できるようになるかもしれない。

 もちろん、義務教育量子力学を教えるには工夫が必要だ。理論を詳細に教えるのは難しいだろうし、数学的にはかなり高度だ。だけど、基本的な考え方、世界観を絵本実験動画簡単ワークショップ体験することはできるのではないだろうか。たとえば、「観察されるまで色が決まらない玉」の実験モデルや、日常物のアナロジーを使って「結果が確定するのは私たちが見る瞬間」というイメージを伝えることは不可能じゃない。

 こんな教育がもし実現したら、子どもたちは「当たり前を疑う力」を身につけるはずだ。大人になればなるほど、人間自分の知っている感覚に閉じこもりがちだ。けれど、小さなから世界には不確定なものがある」「見ていないとき世界はどうなってる?」「物理学は単に落下や運動の話だけじゃない」という刺激を受ければ、将来、新しい発想やアイデアを生み出す土台になるかもしれない。さらには、ネット情報映像を見たときに「これって本当なの?」と問い直し、より多面的世界理解できる大人へと成長できるだろう。

 人間は、どうしても自分たちが中心で、自分たちが見える範囲世界が確定しているような気分に浸りやすい。でも、量子力学は「君たちが見ているのは、巨大な舞台のほんの一幕にすぎないんだよ」と教えてくれる。舞台裏では、目に見えない無数の可能性や不確実性が広がっているのだ。そう考えると、人間いかにちっぽけで、世界理解が限られているかがよくわかる。

 その「ちっぽけな存在である私たちが、自分たちなりに世界を知ろうとすることは悪いことじゃない。むしろ謙虚さと探究心を持って、見えない仕組みに目を向けることは、これから時代必要姿勢だ。量子力学は、私たちが当たり前と思っている感覚価値観を揺さぶり、「本当にそうなの?」と問いかける貴重な手段になる。だからこそ、義務教育量子力学エッセンスを伝えることは、子どもたちの未来にとって有益だと思う。

 見えている世界がすべてではない。そのことを早い段階で知れば知るほど、私たちはより柔軟な思考謙虚さを持って生きられるはずだ。人間は見ることに頼りすぎている。けれど、量子力学を学ぶことで「見えるもの」がいかに不完全で、小さなスケールに縛られた断片的な真実なのか、思い知ることができる。それは、人類が新しい知覚と理解を手に入れるための、初めの一歩だと思う。

量子力学義務教育

 最近、「量子力学って不思議学問だよなあ」と考えることが増えた。正直、量子力学専門家向け、大学以上で初めて学ぶ高難易度な分野とみなされている。けれど、私はむしろこの「目に見えない世界を扱う学問」こそ、義務教育で触れさせる価値があると思っている。なぜなら、この学問には「人間は目に見えることを当たり前に信じているけど、それは本当に正しいの?」という重要な問いが詰まっているからだ。

 私たちの多くは、日常生活で「見たもの現実」として受け止めている。リンゴが転がっていたら「そこにリンゴがある」と疑わないし、机が固くて動かないのは当然のこととして受け入れている。光が差せばそこに物が見え、目の前にある風景世界のすべてだと思ってしまう。この「当たり前感覚」は便利ではある。私たちは、見える世界をそのまま理解し、そこに順応して毎日を過ごせる。だけど、よく考えてみると「見えるから信じる」って、本当に頼れる基準なのだろうか?

 量子力学は、この「当たり前感」を根本からさぶる。ミクロ世界では、粒子は同時に波であり、状態観測するまで決まらない、というまるでSFのような現実がある。これは「観測者が見ていないとき、物はどうなっているのか?」という奇妙な問いを突きつける。日常とはかけ離れた話のようだけど、「見ていないときに本当にそこにあるか?」なんて、普段は考えもしない。しか量子力学は「それが重要問題だよ」と言ってくる。

 もし子どもたちが、義務教育の早い段階でこうした不思議な考え方に触れたらどうなるだろう? 最初は「意味不明」「難しすぎ」と思うかもしれない。でも、わかりやす実験やたとえ話で、「物は見ていないとき確定していないかもしれない」といった発想を伝えることは、必ずしも不可能じゃない。たとえば、シュレーディンガーの猫という有名な例え話がある。箱の中の猫は、開けて見るまで「生きている状態」と「死んでいる状態」が重なっている――そんな非日常的なイメージが、量子力学象徴している。

 これを子どもが聞けば、最初は戸惑うだろう。「見ていないときに、猫って何なの?」と混乱するかもしれない。でも、この混乱こそが大事だ。「見える世界がすべてだと思ってたのに、見ないとわからないなんて、どういうこと?」という疑問は、当たり前を疑う力になる。大人私たちですら、社会で日々目にする情報を「映像があるから本当だ」「写真があるから確実だ」と思い込みがちだ。だけど、量子力学的な発想があれば、目に映るものに対してもう少し慎重になれる。「観測自体が結果を左右することがあるなんて、実は不思議な話だ。見る側も、ただ受け取るのではなく、世界状態に影響を与えている。

 こうした「世界は実はそんなに単純じゃない」という感覚は、私たち人間中心の固定観念から抜け出す手がかりになる。人間はしばしば、自分が見た範囲こそが全世界だと思いがちだ。だが実際は、私たち宇宙のほんの片隅にへばりついた、ちっぽけな存在しかない。視界が及ぶ範囲なんて、全体のほんの一部にすぎない。量子力学を学ぶと、世界には人間感覚ではとらえ切れない不確定な要素が広がっていて、そのうちごく一部を「見ている」ときにだけ「確定的なもの」として捉えているにすぎない、という見方が芽生える。

 これを知ると、自分が大きな宇宙自然の中でいかに小さな存在か、深く感じられるはずだ。「今ここで見えるもの」に頼り切ってしまうと、「自分たちが一番」「ここが世界の中心」という錯覚に陥りがちだ。でも、量子レベル世界想像してみれば、私たち確信なんてあやふやもので、宇宙もっと広大で奇妙な場所なのだとわかる。すると、少し謙虚になれる。「自分が見ている世界は限られていて、実際にはもっと不思議なことがあるんだな」と。

 現代ネットメディアなどで大量の情報が目に入る時代だ。しかし、その情報鵜呑みにしてしまうと、知らないうちに操作される危険性がある。見えているか真実と信じるのではなく、そもそも「見える」ってどういうことか、観測とは何なのかを考え直す力が求められている。量子力学的な視点は、そんな思考訓練にもってこいだろう。子どもたちが若いうちから、この不思議世界観に触れていれば、「見た目がすべて」「映像真実」という単純な思い込みにとらわれず、批判的な目で物事判断できるようになるかもしれない。

 もちろん、義務教育量子力学を教えるには工夫が必要だ。理論を詳細に教えるのは難しいだろうし、数学的にはかなり高度だ。だけど、基本的な考え方、世界観を絵本実験動画簡単ワークショップ体験することはできるのではないだろうか。たとえば、「観察されるまで色が決まらない玉」の実験モデルや、日常物のアナロジーを使って「結果が確定するのは私たちが見る瞬間」というイメージを伝えることは不可能じゃない。

 こんな教育がもし実現したら、子どもたちは「当たり前を疑う力」を身につけるはずだ。大人になればなるほど、人間自分の知っている感覚に閉じこもりがちだ。けれど、小さなから世界には不確定なものがある」「見ていないとき世界はどうなってる?」「物理学は単に落下や運動の話だけじゃない」という刺激を受ければ、将来、新しい発想やアイデアを生み出す土台になるかもしれない。さらには、ネット情報映像を見たときに「これって本当なの?」と問い直し、より多面的世界理解できる大人へと成長できるだろう。

 人間は、どうしても自分たちが中心で、自分たちが見える範囲世界が確定しているような気分に浸りやすい。でも、量子力学は「君たちが見ているのは、巨大な舞台のほんの一幕にすぎないんだよ」と教えてくれる。舞台裏では、目に見えない無数の可能性や不確実性が広がっているのだ。そう考えると、人間いかにちっぽけで、世界理解が限られているかがよくわかる。

 その「ちっぽけな存在である私たちが、自分たちなりに世界を知ろうとすることは悪いことじゃない。むしろ謙虚さと探究心を持って、見えない仕組みに目を向けることは、これから時代必要姿勢だ。量子力学は、私たちが当たり前と思っている感覚価値観を揺さぶり、「本当にそうなの?」と問いかける貴重な手段になる。だからこそ、義務教育量子力学エッセンスを伝えることは、子どもたちの未来にとって有益だと思う。

 見えている世界がすべてではない。そのことを早い段階で知れば知るほど、私たちはより柔軟な思考謙虚さを持って生きられるはずだ。人間は見ることに頼りすぎている。けれど、量子力学を学ぶことで「見えるもの」がいかに不完全で、小さなスケールに縛られた断片的な真実なのか、思い知ることができる。それは、人類が新しい知覚と理解を手に入れるための、初めの一歩だと思う。

すごくおばさんだった

生成AI(※)嫌いが多い

たまたまSNSで見知らぬ人とちょっと絡みが発生しそうになって、プロフ見に行ったらAI嫌いの人だった

配信とかもやってる人みたいで、ちょっとアーカイブ再生してみたら、おばさんとしか思えない声、喋り方だった

いや、おばさんが悪いんじゃないけど、自分の中のおばさん(とかおばさん入口女子)って、一番、自然でないものを拒むイメージがある

ほとんどがうちの母と母に影響受けまくった姉の印象だけど

母は早逝したので姉のそれは別口かもしれないが

しかったのもでかいとおもうが、変な宗教っぽやつ、プラッチックの密封容器、洗剤とか色々ハマりつつ

旨味調味料を嫌い(そのくせ昆布かつお節もケチるので旨味が無い料理を作る。塩も控える)、無農薬に惹かれ(売ってなかったり高かったら普通に野菜買う)、肉より魚を選びがち(そのくせ生協合鴨とかは買う。魚に関しては今自分も魚好きなので子供時代自分との相性)。自然っぽさがあればそれでよく、夏場はそうめんばっかりで(好きだからいいけど)、めんつゆ普通に売ってるやつ。(こだわりのやつとか売ってなかったか見つけれなかったか

馬鹿しかないとは思うが、自分も何か否定的情報が流れてくると、自然ぽさが少ないものは他と比べて避けようと思ってしまうし(コーヒーは避けないが、甘味料とかはだめかなと思ってしまう)、

自然信仰みたいなのはあるのだろうなと思う。ポッと出のものよりも何千年と人類が使って来たもののほうが信頼度が高い気がする。(実際気がするだけで、検証すらしてないもののほうが多かったりするのだろうが)

自分たまたま仕事コンピュータに関連深い業種で、学部化学とか(触りだけ)つまんでて、避けようと思った時に、ちょっと考えることが出来るので、変なこだわりは少ないほうだとは思うけど、

わかった上で気休めでも根拠がないけど安心っぽいとか、逆に根拠はないが体にいいっぽいに倒れることは多いし、よほどのことでないかぎりは、そういう気休めとかもあったほうが生きていきやすいんだろうなと思うし、話のネタが他にあんまりなかったりするのもでかいのかもなぁ




※ 生成AIって言い方もよくないのかもしれない

AIなんてそもそも何かは作るもので、コンピュータもそんな感じだ。出力がないと意味がないんだし、動いたら何かは出るんだし。

賢そう、怖そうみたいなイメージついちゃってんのかも。はちみつとか(作ってるわけじゃないけど)ハチの巣とか(作ってるけど何に使えるか知らない)みたいにもっと人間使役してるとか、人が強奪してるみたいなニュアンスだったら嫌悪感減るのかも?

言語ではどうなんだろう

2024-12-13

anond:20241213234943

ほうれん草は茹でて軽く洗ったらシュウ酸を大幅に取り除けるぞ

でもシュウ酸はあらゆる野菜お茶に含まれてるから

人類は必ず尿結石になるぞ

人類が発展する宗教人工的に作ってみて欲しい

項目が知りてえなー

発展とは何を指すのか?

始まって

私の考えた最高な宗教

図鑑にまとめてふんふん読みたいだけ

anond:20241212175829

クッキークリッカーだのFactorioだのDysonSphereEngineerだのSatisfactoryだのも大好きだぜ

ただやはり人類競争の生き物なので、皆と同じ空間で成果を競い合うのもまた楽しいんだよなあ

anond:20241213142434

家事が大変だっていう人もいるんですよ。

人類の半分は偏差値50以下なんだから配慮してください。

選挙宣伝工作で5000万円ぐらいは既に普通じゃない

「便宜を測ってもらったことで実質的に数億円の利益」みたいな形になっている場合だったらいくらでも前例があるよね?

自民党共和党もそこらの市長町長選挙ですらそういった「何らかの形で利益をチラつかせることで宣伝してもらう」はやってきてて、その裏ではとんでもない金が動いてないか

今更驚いてる人達に逆に驚いてしまうよ。

政治どころか単なるスポーツ大会ですら無数の人達自分ポッケに金を突っ込んでもらうために白いカラスを黒いと言い張ってきたのが人類だろ?

anond:20241213035528

から聞くんだけど、イスラエル人の同僚さんは一体全体なぜイスラエルを支持できるんだい?自分の国のやることは何でも全肯定ちゃう愚か者なのかい?少しでも知性や良心があれば、今イスラエルがやってることは自衛戦争ではなく虐殺だとわかりそうなもんだが。心底ユダヤ人イスラエル人の頭の中が不思議でならない。

歴史とか宗教とか政治とか、複雑な要素があってもなくても、数十万人を殺すのは虐殺だ。きっかけになった音楽祭のテロは1000人超が殺されたが、ソレへの報復として200,000人殺すのは絶対にやり過ぎで虐殺だ。細かいことはいいんだよ、とにかく殺し過ぎだバカタレと生卵でも投げつけてやってほしい。イスラエル人類平和に対する敵だ。

絶対ネズミより猫の方が吉兆

日本の伝統的に、ネズミと言えば大黒天の使いの吉兆、金運アップ商売繁盛子孫繁栄シンボルだ。

干支にも選ばれ子年にはネズミの置物も多数作られる。

でもネズミは米を食うし病気は運ぶし、ろくなことをしない。

医療も未発達で食料の乏しい昔の人にとっては尚更ネズミ被害は深刻だったはずだ。

何でそんな人類の敵を持ち上げてきたのだろう。

から人間とともにありネズミ駆除してくれた猫こそ吉兆シンボルになるべき存在だと思うが、西洋では魔女が連れてたりくっそイメージが悪い、日本では招き猫で愛されまだマシだけど、発祥は諸説あり江戸時代末期とか戦国時代とか、そこまで歴史のある縁起物ではない。

絶対猫の方が吉兆とされるべきだろうに何故だろう。

anond:20241213101946

シャハハハ

魚人を人類なんかと同じに考えてんじゃねぇ

anond:20241213101214

タコは八刀流だったけど

魚人族は人類じゃないとかいう?

おはよう

おはます

次元狭間をするりとぬけて

ネコちゃん洞穴にもぐりこみ

ひっそりと過ごしたい

ネコちゃんたちとじゃれあうたび

ネコ色のそよ風が吹いて

それはやがて地球全体を包み込み

人類に眠りの祝福を与えます

好きだったYouTuberの“トランプ万歳”に違和感。これって普通

正直、最近好きだったYouTuberを観るのがしんどい

例えばナオキマンやtoland vlog。彼らの動画はこれまで陰謀論世界の謎みたいな内容が中心で、そういう不思議コンテンツが好きな自分にとっては最高だった。でも、ここ最近、彼らがやたらトランプ推しというか、アメリカの極端な右派的な価値観を全面に出してきてるのが目立つようになってきた。

そしてそれ以上に驚いたのがコメント欄

彼らの「トランプすごい」「バイデンが全ての元凶」みたいな発言に、「そうだそうだ!」と同調するコメントで溢れている。さらに、トランプを少しでも批判する意見には、「目を覚ませ」「お前は洗脳されている」みたいな攻撃的なリプライがつく始末。あれ、ここ、かつて私が楽しんでいた世界ミステリーを語る楽しいコミュニティじゃなかったの?

陰謀論好きとトランプ支持はセットなのか?

かに陰謀論を扱う界隈には、昔から極端な思想がつきものだった。

メディアは嘘ばかり」「政府は裏で人類を操っている」みたいなテーマ陰謀論鉄板だし、それがトランプ支持層親和性が高いのもわかる。でも、ちょっと待ってほしい。私は不思議な話や未知のものに興味があるだけで、極端な政治思想を支持するつもりなんて全くない。なのに、彼らの動画を観ていると、まるで「トランプを推さないとこの界隈に属してはいけない」みたいな空気を感じる。これっておかしくない?

しかも、トランプ自身も大量の嘘をついてきた政治家だ。メディアの嘘を批判するのはわかるけど、どうして彼の言葉だけは「真実」だと信じられるのか、その理屈が私には理解できない。

以前は彼らの動画を観て、「そんなバカな!」と笑いながら楽しむ余裕があった。でも最近は、再生ボタンを押すたびに「またトランプ持ち上げてるのかな」と構えてしまう。コメント欄を見れば、見事に同じ意見しか残っていない。異論が許されない空間って、こんなに息苦しいものなんだと気づいた。

しかも両方ともコラボしてるのが饗庭(あえば)浩明…元幸福実現党党首よ?あんな輩とトランプ万歳してるのはほんと見るのも辛い。

2024-12-12

やっぱりこの世界スリザリオなんだよ

マスク氏の純資産人類初の60兆円超え

AIのやつ手のひらクルクルしすぎ

自分AI反対派なのよ。


著作権とか芸術性とかは正直どうでもいい。

AI技術が発展すると仕事が難しくなる上に作業量が増えるのよ。絶対に。

昔は手紙を他部署に届けるだけの人が会社内にいたのに、今じゃ業務連絡はメールでポイだもん。

技術の発達は簡単仕事を奪って労働者価値を下げる。当然、給料相対的に減るから貧困格差も加速する。

自分死ぬわけにいかいかAIは使うけど、労働環境悪化社会崩壊が目に見えてるからスタンス的には反対派。




最近X(Grok)で画像生成が簡単に出来るようになった。そしたら、AI反対!とか抜かしてた人が手のひらクルクル画像生成で遊んでやがる。

おまけに、文章生成はセーフとかクリーンAIからとか訳わかんない主張もある。



AI絵師は盗人w」「AIのくせに絵師名乗るなよw」とか言いながら結局あいつら、羨ましいがってたんだよ。

AI画像生成となると、サイト次第で英語必要だったり課金必要だったりPCスペックや最低限知識必要で、全員がAI享受を受けられなかった。



からどうだ、AI画像生成が誰でもカンタンに出来るようになってきたら、どいつもこいつも使いやがる。

そして手のひらクルクル大回転。

使うのは構わないが最後まで主張は通せよ。

個人だけじゃなくて、企業社会も「AI怖いですねぇ」みたいな顔して水面下ではAIジャンジャン進めてやがった。

(国は最初からAI推進だったかも、まあそうよね…)


AI絵師イラストレーター嫉妬したように、反対派の殆どAI使えないやつがAI絵師嫉妬してただけだった。

AI技術に関しては、夢があると思う。

スマホ世界が変わったように、AI技術想像できなかった未来があるかもしれない。

電脳世界が実現するかもしれない。

働かない社会もあるかもしれない。

すごく夢がある。




ただ、使う人間本体ゴミすぎるからどうしようもない。マウント取るし、欲に任せて行動するし、他人任せの自己中だし、人類協力もクソもない。

ちょっとAI技術の発展は早すぎる。

もう少し初期インターネット時代みたいに緩やかに変わって欲しかった。

子供について産まれたか否かが明確に語られていないところがキモかもしれん。」👈この人たちどうなっちゃってんの?

割り切って友情結婚したけど、全然割り切れない

anond:20241212092620

kuzudokuzu

子供が欲しくてムリヤリ結婚したのに、

その子供について産まれたか否かが明確に語られていないところがキモかもしれん。

普通より「子は鎹」の家庭なのに、そこを隠さないと語れないことの意味とは?

2024/12/12

こいつはいったい何なのか。

こいつに☆つけてる十数名はいったい何なのか。

この人たちは一体どうなっちゃってんのか。

  

 

十分推測できる箇所

最初の1年目は、私たちは仲が良かった。

結婚式の準備、新居の準備など、やることは山ほどあったし、家事の分担もしっかりできていた。

料理好きの夫は、わざわざパンケーキまで焼いてくれた。私は結婚したことを嬉しく思っていた。

  

2年目になると、なんとなく夫のテンションが下がってきた。

料理簡単ものになり、趣味だと豪語していたパンお菓子を作らなくなった。

以前は定時で帰ってきて土日も家にいたのに、不在が増えた。

夫曰く、部署異動により飲み会が増えた、資格勉強のために土日はカフェなどにいるとのことだった。

家事分担がやや私に偏り始めたが、私も一人暮らしが長かったし、そこまで気にはしていなかった。

  

3年目が近づいた頃、夫が無断の外泊や、突然の旅行の予定が増えた。

私も友人と旅行に行ったりするのであまり気にしていなかったが、結婚記念日前後クリスマスも出かけたり旅行の予定を入れたりするので、さすがに抗議した。

夫は、自分たち別に恋愛結婚じゃないんだし、イベントにこだわらなくてもいいのでは?と返してきた。

それはそうなんだけど、もモヤモヤした。

はいこの夫婦子供はいるでしょうか?

   

   

より明確な箇所

当たり前だが我が家結婚から現在に至るまでセックスレスである

だというのに性病検査をしているということは、外でセックスしているということだろう。

そんな状態子供を持つなど無理だし、

夫がたまに「もし子供がいたら」「家を買うなら」みたいな話をするだけでこいつ正気か?とおもってしまう。

はいこの夫婦子供はいるでしょうか?

  

   

寸評

これ正答できない感じの人たちってもう何もしなくてよくない?

だって問題文が読めないんだからさ。

回答資格がない。というか回答する意味がない。

  

母国語がこういうレベルの人ってもはや

ネット自由な何かを読んだり感想述べたりする必要ねえっつうか

日常会話とメシとクソの話だけしてろよと思ってしまうんだけど。

 

 

腹立つ

kuzudokuzu

子供が欲しくてムリヤリ結婚したのに、

の子供について産まれたか否かが明確に語られていないところキモかもしれん。

普通より「子は鎹」の家庭なのに、そこを隠さないと語れないことの意味とは?

2024/12/12

俺こういうのが人がましいツラしてるのが一番腹立つんだよな。

 

キモかもしれん。」とか言ってるのがもう腹立っちゃう

なにが「キモ」なんでございますか?

「かもしれん。」ってなんだよ?

  

なになんか「文中に隠された筆者の心」とか読もうとしてんだよ日本語も読めねえくせによ。 

こんな、母国語の、中学1年生でも読めなきゃちょっとどうかなレベル文章を読めない分際で、

何かがキモである示唆して、もっともらしく「かもしれん。」とか言ってるんだぜ。どんな探偵なんだよ。

もはや句点すら腹立つんだが?

  

意味とは?ってこっちが聞きてーんだよな。

日本語も読めない奴が何か思索(笑)を巡らせてわざわざ他人様の目につくところに意味のねえこと書きつける意味とは?

  

 

人類こんなもんかも

俺が見た時150ブクマぐらいでこのコメントが4位ぐらいに着けてたからね。

たまたま一人がバグってたんじゃなくてこれが支持されるぐらいにはみんなでバグってんだよな。

 

俺こういうの見るたび

お前ヤバいだろこいつらヤバいだろはてな民ヤバいだろって言ってきたんだけど

ここ数年でようやく気づいちゃった(遅い)。意外に人類がこのレベルなんだよな。人類を大幅に買いかぶってた。

母国語で大した内容じゃないことが書かれててもその内容パッと把握できるのは稀有な才能なんだよな。人類スタンダード文盲気味なんだわ。

 

殆ど人類は「仕事で繰り返し触れたパターン文章ならわかる」ぐらいの感じ。それで上等な方。 

から腹立つ腹立つって書いたけどこの人たちを馬鹿にしたり憎んだりするのはやめます

   

 

 

……しかし、民主主義なんてのは悪い冗談なんじゃねーかと思うんだよな。

候補が何言ってるか理解して投票してる有権者なんて絶対少数派だろ、人類の仕上がり具合から言って。

anond:20241212174722

うんうん。

ユダヤを生み出した人類のものが悪いな。

手始めに死んでこいや

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