はてなキーワード: 劇場とは
マリーとの破局よりもピアニストとしての活動を選び、欧州中をわかせていたリストだったが(何しろリストの風呂の残り湯を飲もうとして待機しているファンがいるとかいうレベルである)、1847年にポーランドの大地主の娘であり、キエフの軍人ザイン=ヴィトゲンシュタイン侯爵夫人カロリーヌに出会う。コンサート・ツアーでリストがキエフに来ることを知ったカロリーヌ(別居中)は、娘の誕生日のためという名目でリストを招待し(誕生日に大スターを招待できるというわけでだからどのくらいのレベルの金持ちかがよく分かる)、急速に二人は深い関係になっていく(意味深)。リストはピアニストとしての活動を打ち切り、カロリーヌと一時の同居生活を経たあと、48年からヴァイマールの宮廷楽長としてカロリーヌと共に腰を落ち着けることになる。カロリーヌは長い訴訟を経て婚姻無効を勝ち取るが、リストとの結婚は認められなかった。ちなみに、カロリーヌは博覧強記で雄弁な人だったらしく(リストの多くの作品にも口を出している)、あのワーグナーが引くほどだったということである。カロリーヌの身分を巡る微妙な問題に加えて、音楽界の動向的にもリストはドイツに居づらくなり、約10年で宮廷楽長を辞任する。つまりリストの「中期」は短い。宮廷楽長になったことで、オーケストラ作品が多く書かれるようになった一方、新規のピアノ曲はこの時期にはあまりない。大スターの座を捨てて半分隠退生活に入ったようにも見える。しかし、この時期こそが作曲家としてのリストが確立する重要な時代である。前期の作品の少なくない曲(巡礼の年やパガニーニ練習曲もそうだ)はこの時期に改訂され、より演奏効果は高まり、内容も充実することになる。
リストの代表作の一つ。この時期に改訂を経て完全版になった。長年の改訂を経て磨きに磨き抜かれた。
この曲集の決定的な録音はウラジーミル・オフチニコフ(EMI)だろう。どの曲も非常に質が高く、穴がない(この練習曲集は多彩な技巧のデパートなので、どこか苦手なものが出るのが常)。が、残念ながら入手性は悪い。世間的に有名なのはラザール・ベルマン(Melodiya)で、新旧二種類あるが、新版(1963年)が気合いが入っている。ただ、キンキンとぶっ叩くような録音で、そこまで好きにはなれない。横山幸雄(SONY)は録音も良く、やはり穴も少ない。特に第5番「鬼火」の演奏が素晴らしい。
2. パガニーニによる大練習曲 S.141(1851年出版)
1840年出版のパガニーニによる超絶技巧練習曲の改訂版。元々の第4曲は単音アルペッジョになり大分おとなしくなったが、それ以外の曲については、難易度を落としつつ、同等以上の演奏効果を発揮できるようになった。第3番「ラ・カンパネッラ」はここで非常に完成度を上げて今の形になった。
40年のパガ超と違い録音は多い。有名なのはアンドレ・ワッツ(EMI)だと思う。昔図書館で借りて聴いたことがあるがどれも安定の演奏。その他だとフィンランドのピアニスト、マッティ・レカリオ(Ondine)の激烈な演奏があるが、残念ながら廃盤で入手困難(Naxos Music Libraryにはあったかな?)。フィリペツのパガ超のCD(NAXOS)にも入っており、これまた大変安定した演奏で、パガ超と合わせてフィリペツを聴くのがいいだろう。あと、「ため息」で紹介した福間洸太朗(アコースティカ)のCDにも入っている。これも大変安定していると思う。
(追記)レカリオはNMLにもiTunesにあった(Raekallio Lisztででてくる)。YouTubeにもあった。https://www.youtube.com/watch?v=SkuWa2HDk58&list=OLAK5uy_kN6U4dNkOzK4Cv1DZfZDWoidTcP7yPxr8
ピアノソナタが量産されていたのはベートーヴェン(32曲)までの時代であり、19世紀半ばにはピアノソナタは落ち目のジャンルであった。一方、気合いの入った大曲を書く時にピアノソナタという古典的様式を敢えて選ぶことはその後もあり、ショパンやリストのソナタはその例だろう。リストのソナタは、単一楽章という異例の様式だが、単一楽章の中で多楽章形式の要素とソナタ形式(提示部・展開部・再現部)の要素を融合させ、しかも一つの動機(冒頭のタッタラ~タ~ララ~タラララ~というつかみ所のないアレ)によって全体が統一されているという極めて斬新で前衛的な曲だった。そのため当時はよく言って賛否両論といったところで、現在ではリストの最高傑作の一つとして評価されている。
リストの最高傑作であるからして録音も非常に多く、推薦音源を挙げるのは難しい。取り敢えずクリスティアン・ツィメルマン(Deutsche Grammophone)の演奏が端正であり、技術的にもハイレベルで良いと思う(難所でタッチが浅くならず、深く充実した響きが聞こえるのが良い!)。ぶっ飛び系なので好みは分かれると思うが、カティア・ブニアティシヴィリ(SONY)の演奏をよく聴いている。
なお、この曲と関連する重要作品としてスケルツォとマーチ S.177がある。面白い曲だが泣く泣く割愛した。デミジェンコ(Hyperion/Helios)が良い演奏している(ソナタや「伝説」とカップリング)ので聴いてほしい。
4. バラード第2番 ロ短調 S.171 (1854年出版)
ショパンは1832年にパリデビューし、特にサロンでの繊細な演奏で女性たちの心をわしづかみにした。リストもショパンの演奏に狂った一人である(またかよ)。リストはショパンのことを友人と思っていたが、ショパンの方は割と適当にあしらっていたという話もあり、リストの片思いだったのかもしれない。ただし、ショパンは練習曲作品10をリストに、作品25をマリーに献呈している。つまりリスト夫妻にショパンの練習曲は捧げられたわけで、結構親しい関係にあったことが分かる。リストはショパン死後にショパンの本を書くくらいにショパンには思い入れがあり(最近新訳が出た)、弟子にもショパンを弾けと言っていたようであるが、作曲面でもポロネーズやバラードなど明らかにショパンの影響と思われる様式の曲を書いている。中でもバラード第2番は大変な傑作で、冒頭の重苦しい主題が終盤にロ長調になって戻ってくるところは本当に感動的である。
これまたあまり推薦音源が思いつかないが、アンスネス(EMI)のCDがかなり良かった覚えがある。前期で出したノンネンヴェルトの僧房も入っている。
(追記)スティーヴン・ハフ(Hyperion)がポロネーズやバラードを全部録音しているのを思い出した。ピアノソナタとカップリング。あとショパン弾きで有名なネルソン・ゲルナー(レーベル覚えてない)の演奏がもの凄く良かったと思うのだが、どこで聴いたか・・・(この曲はショパン弾きにこそ弾いてほしい!)。YouTubeに動画をあげまくってCDデビューしたヴァレンティーナ・リシッツァがベーゼンドルファーを使って弾いている動画がある(収録風景?https://www.youtube.com/watch?v=1Qdr3Uvs09o;コンサート https://www.youtube.com/watch?v=uBs4jtWMBj8)。97鍵もあって低音がアホみたいに響くから重たいが、この曲には合っている。ただCD(持ってない)でそこまで迫力があるかな?
(再追記)ゲルナーあった!(https://www.youtube.com/watch?v=m90vsN3SjvM)配信もあるのかな。
トムとジェリーで有名なハンガリー狂詩曲もこの時期に改訂が終わって現在の形になっている。リストが採録しているのはハンガリー(マジャール)ではなく、ロマの音楽なのだが、リストは、ロマの民謡を素材に使ってハンガリーの民族叙事詩を作り上げようとしていた(それがバルトークのようなマジャール人からはドイツ人が勝手なことやりやがって・・・という風に見えていたわけだが)。どの曲も重々しいラッサンと華やかなフリシュカという二つの舞曲的なパートから成り立っていて、構造的に単純で、しかもピアニスト時代のようにド派手で豪快な曲が多く、リスト入門に良いと思われる。
ミッシャ・ディヒター(Phillipes)が全曲では有名だと思う。ハンガリーでリストの再来とされていたかのシフラ・ジェルジの録音もあったはず。第2番はホロヴィッツ編曲版を弾いているスルタノフの爆演が好き(https://www.youtube.com/watch?v=_BFalOtwUy8)だが、スルタノフを聴くと大概の演奏が物足りなくなるおそれがある。残念ながらスルタノフは若くして亡くなってしまった。ホロヴィッツ編曲版ではない場合、第2番はカデンツァを挿入する部分があるので、独自のカデンツァが見物になる。その点で一番に言及しなければならないのは我らがスーパーヴィルトゥオーゾのアムラン(Hyperion)で、アルカンの大練習曲 op.76の引用が入り3分以上続く頭のおかしいぶっ飛んだカデンツァだ。日本公演の映像もある(https://www.youtube.com/watch?v=pIMzL2-4bjg/8:30あたりから)。あとは自作のジャズ・カデンツァを用いて全体にやる気がみなぎるデニス・マツーエフ(BMG)、ラフマニノフのカデンツァを使用し爆演系のレオニード・クズミン(Russian Disc)がお勧め。ただしクズミンのCDは廃盤・倒産で入手困難であり、今後他社からの再発が望まれる。
第15番「ラコッツィ行進曲」は何よりもホロヴィッツ本人のいかれた演奏を聴くべきだろう(古い音源なので検索すればすぐ出てくる)。音質は悪いが、聴く価値がある。昔ホロヴィッツ編曲版にチャレンジしている勇者を見つけていたく感動したことを思い出した(https://www.nicovideo.jp/watch/sm10176725)。
なお、15番以降19番までハンガリー狂詩曲はあるが、晩年様式なのでこれ以上は紹介しない。
リストはドイツの宮廷音楽家として、新ドイツ派(当時のドイツにおける管弦楽の停滞(と彼らは考えていた)を問題視し、ロマン主義音楽の再生を志す人々)の頭目的な存在だった。そのため、同じような立場にある人々、特に売れっ子とは言い難かったワーグナーの作品を積極的に上演・紹介したのだが、40年代以降ピアノ編曲もいくつも作っている。リストの最も有名なワーグナー編曲は「トリスタントとイゾルデ」の終曲(愛の死 S.447)だが、自分はタンホイザー序曲が単独では最上の作品だと思う。何よりも前期のオペラ編曲もの同様、豪壮無比な超絶技巧を聴かせてくれるのが良い。
ちなみにリストの次女コジマは夫のハンス・フォン・ビューロー(ワーグナーにとっては恩人)を裏切ってワーグナーと不倫し、リストは激怒する(後に和解)のだが、自分もマリーやカロリーヌにやらせていたことだ。
タンホイザー序曲の録音は意外とない。ユーリ・ファヴォリンの気合いが入った演奏(https://www.youtube.com/watch?v=xJYkouNnuwo)が一番良いのだが、CDは手に入りにくい(一応、ヴァン・クライバーンコンクールでの演奏があるらしいのだが・・・)。スタジオ録音が望まれる。前期作品の時に名前を挙げたロルティ(CHANDOS)も美しいが、技巧的には前者が圧倒的。実は、ワーグナー本人もピアノ編曲を作っているが(https://www.youtube.com/watch?v=KdXPFBcP1bQ/カツァリスのCD「ワグネリアーナ」に入っている)、リストの編曲と比べると一目(耳?)瞭然、どちらが音楽的に充実しているかは明らかである。
30~40年代から書かれている曲だが、やはり最終版になったのはこの時期。もっとも早く書かれた「死者の追憶」(第3稿第4曲)を聴くと、非常に調性が曖昧な曲で、30年代から既に晩年の様式が準備されていたことが分かる。第3曲「孤独の中の神の祝福」はリストの敬虔さが音楽に昇華された隠れた傑作。アムランが好んでおり、2回も録音している(ノルマが入っているMusic & Arts盤とソナタや「補遺」がセットになっているHyperion)。
この曲の中で最も有名なのは、第7曲の「葬送――1849年10月」だろう。非常に暗い曲だが、タイトルが指す通り、ハンガリー革命で奮闘し、鎮圧され死んだ人たちのための追悼音楽。
全曲では先のユーリ・ファヴォリンが録音しているが、筆者は未入手。配信で聴けたかと思う。どうでもいいことだが、デミジェンコのライブ録音(Hyperion/7番のみ)を聴くと、明らかに鼻歌で歌っていて面白い(グバイドゥーリナのシャコンヌでも結構はっきり聞こえる)。
宮廷楽長としての生活の中でリストの前期作品の多くが音楽的に充実されたが、音楽界での軋轢や劇場でのトラブル、カロリーヌの身分を巡る問題で長くは続かなかった。そろそろ次の時代に進もう。
追記:
前期のところに、ベートーヴェンの交響曲のピアノ編曲についてのコメントがあった(anond:20241212215414)。
リストはベートーヴェンの交響曲を全曲編曲しているが、初版出版は1865年で、時期的には後期にあたる。ただし、3、5-7番の編曲は1837年には出来ており、個別に出版されていたようだ。リストはピアニスト時代からベートーヴェン作品の布教に熱心に取り組んでおり、その一環として作られた。ボンのベートーヴェン記念碑の建設のために多額の資金を提供したりもしている(ちなみに同様に寄付を呼びかけるためにシューマンが作曲したのが「幻想曲 ハ長調」だ)。
前提として性加害は絶対に許されない。自分の権限を濫用して隠蔽までしようとしたんだから論外。
しかし今回は女性検事の会見がやたらとテレビ放送されるが、この被害者の態度が苦手。
事実関係はまだ確定してないが、恐らく性加害を受けたのは本当だろう。
なぜもっと早くッ!罪を認めてくれなかったのかッ!!
もっと早く罪を認めてくれていたらッ!!
みたいな感じでいちいち台詞が臭い。号泣どころかもはや激昂の色すら帯びている。
別に性被害者は心に受けた傷で神妙にしろっていう訳では無い。サバサバしてる人もいるし、プンプンする人もいるだろうし、激怒する人もいるだろう。
恐らく性加害は事実なのだからこの人に同情し、被告が厳正なる裁きを受けることを望むのだが、なんというか、記者会見の場に相応しい台詞回しに添削されてほしい。
34歳年収700万の高齢貧困弱者男性なんだが高校から付き合ってた元カレが転職してからDVとモラハラするようになり、34歳で別れて婚活を始めた。
友達の友達がマッチングアプリで結婚したと聞いて同じアプリをやってみたけど出会う人みんなどこかおかしい。
ちなみに相手に求める条件は1歳年下〜10歳年上、年収400万以上、離婚歴あってもいいけど子供はいない、タバコ吸わない、できればインドア派(アウトドアな趣味があってもいいけど一緒にやりたくない)
身嗜みに気を使っていれば顔、体型、身長は気にしない。
そんなに理想高くないと思ってたからすぐ相手見つかると思ってたけど私の考えが甘かった。
最初にマッチしたのは40歳の公務員。「結婚相手を真剣に探してます」ってプロフィールもまともで、メッセージも丁寧だったから期待してたのに、いざ会ったら「俺、昔からモテててさー」って自分語り連発。最初は笑ってたけど、3回目の「元カレが~」で完全に冷めた。しかも、食事代割り勘。「俺、平等主義だから」とか言われても、初デートでそれはないだろって感じ。
次は38歳の経営者。会話は盛り上がったけど、話の内容が全部「どれだけ稼いでるか」「どれだけ良い店を知ってるか」って自慢ばっか。最後に「良かったら俺のビジネス手伝わない?」って言われたときは、さすがに鳥肌立った。婚活してるのか、勧誘してるのか、どっちだよ。
36歳の会社員。ゲームとか漫画が好きで趣味がめっちゃ合う!って思ったのも束の間、「休日はほとんど引きこもってゲームしてる」とか言い出して、私まで引きこもりにされそうな未来が見えた。しかも部屋の写真送られてきたけど、めっちゃ汚い。インドア派って言えば許されるわけじゃないから!
41歳の男性。最初の印象は「話が面白いし、リードしてくれるタイプかも」って良かったんだけど、途中から気づいたの。これ、完全に自分のことを舞台俳優か何かだと思ってるやつだって。カフェの店員さん相手に「ここ、僕のお気に入りなんですよ」とか偉そうに言ってて、内心引いた。
37歳、外資系勤務で年収800万、趣味もスポーツと読書で申し分ない。でも、なんか話してて盛り上がらないの。質問しても「まあ普通です」とか曖昧な返事しか返ってこなくて、ついに私も「普通」が口癖になりそうだった。結婚したら何も喋らない生活になりそうで、結局フェードアウト。
35歳、営業職。めちゃくちゃ優しいし、細かい気遣いもできる。デート中も私が話すのを全部肯定してくれる。でも、それが逆に心配になるの。将来、何かあったら全部私が決めることになるのかな?って。しかも、元カレに振り回された話を延々聞かされたときは、正直疲れた。
最後は39歳の男性。最初は普通だったけど、家族の話題になった途端「うちの母が作るカレーは最高」「母が選んでくれたシャツなんだよ」って、母親の話ばっかり。結婚したら、完全に「母と私、どっちが大事?」の争いになる未来しか見えない。
こうやって振り返ると、全員一長一短というか、どっかで「これ無理」ってなるポイントがあるんだよね。
で、何が一番きついって、自分でも薄々わかってんの。「この年齢だし、妥協しないと難しいのかな」って。
でも、妥協したくないじゃん?だって人生のパートナーだよ?下手に妥協してまたモラハラとかされたら、ほんともう立ち直れない。
なんか、理想が高くないって自分では思ってたけど、今の世の中だとそれすら高望みなのかもって思えてきたわ。どうすりゃいいの、これ。
目次
5……はじめに
14……できることをできるって言うのはほら吹きとは違うね。
20……暗望
42……芝居が退屈になったら、客は劇場を出るべきだ。
50……消耗熱のような赤
57……一緒に寝るために。
59……飛び越えるためには幅の広すぎる川のそばに 身軽だった少年たちが今、眠る。
65……でも、お友達はどこにいるの、パパ?
77……聖母マリアは何歳だったのか?
80……コレッジョ性。
84……女子店員レベルの哲学。レヴィ=ストロースはサルトルの哲学の大半をそう切って捨てた。
90……皿洗い。
94……そうです、ヴァージニア
106……驚くべきことではないが。
118……安らかな死に半ば恋した。
135……土曜に死んで、日曜に埋葬
140……しかし行け、そして耳を傾ければ彼女が呼びかけるだろう。
159……誰でもないのが私の名前。皆は私を誰でもないと呼ぶ。
177……白い馬がこちらへやって来る音が聞こえる。
194……私は今日死ねる。もしもその気になれば、わずかな努力で。もしもその気になることができるなら。もしも努力が出来るなら。
・お、おもんなかった…
普通におもんなかった…
りしていた
終盤泣いてる熟女いて
「え?これで?本当に?」
ってなった
・でも頑張って作ってる(光の撮影の感じとか山田孝之の熱演(これがなかったら本当に空中分解してたんではないないか)感じしたし、多分これは「邦画」じゃなくて「グッドルッキングガイ映画」であってネットフォアミーだっただけなんじゃないかと思った
そう、この映画は最近再評価されつつある「邦画」じゃなくて「進化したイケメン映画」だったのだ
・Filmarksて星4つだった+時間の都合がついた+スオミ的な「自分の1人の人物の全然違う側面を知る赤の他人が複数人いて、その各々の人間が集結して当人について話し合う」映画がみたくて(スオミもあったがちょっとコントではあって話し合いてはなかった)みたけどFilmarksも大概信用できねえなってなった
ネタバレ回避のためレビュー文まで読み込まなかったのが仇となった
闇の重松豊だ
・まじで「どんでん返し」とか「視聴者を驚かせるとっておきの隠しネタ」「予告からは気取らせないネタ」がまじでなくて逆に「え?」ってなった
・変装もどうあがいてもその美しい目鼻立ちをと「美しい人間」の骨格は隠せてないし、呼んでますよアザゼルさんの「二重の美女を一重にしたら…涼し気な美女になっただけじゃねーか!」を思い出した
・写真撮られても割と「あっ… …です」(顔を下に背けっ)な主人公くん もっと「やめてください!!!!!」(ブチギレ)フーッフーッ←相手ドン引き 位やるかと思ったし案の定ネットに上げられとる…
・人を信じてみたいゆうとりますけど2/3が色恋由来のものやんけ!性善説というより「イケメンはやはり得(女が勝手にSNSに自慢動画あげて寝首かかれる時もある)」としか思えん
・でもスオミで観たかったけど観れなかった「自分の知らない相手が沢山いてその各々の知人が集結して当人について話し合う」描写が見れたのは満足だったが今回の映画は実質「友情」か「色恋」どっちかしかねえんだよな…それは割と普通の人も全然やるペルソナの使い分けの範囲なんだよな…
・①ニキターン
劣悪な環境で微かに芽生えるダチ!との友情!からの「アレッ…?コイツもしかして…?」「コイツを警察に突き出してお金を…」の感情揺れ動きの描写、すごくよかった
2万回収してきてくれた主人公くんに、その場で主人公くんに1万渡すのすごい「仲間になる」描写として的確すぎたしその直後その1万コンビニ?で使う所が「良くも悪くもバカ」感(自分のために動いてくれた主人公くんと酒盛りしたいとすぐ行動できる素早さ人懐こさ?とそうやってすぐ使うからお金が無くなるんじゃ…)感がすごいよかった
じ、地面師!ライフの方が安いのでおじいちゃんじゃないか!ビジュアルもキャラの世間的な立ち位置もほぼ同じやんけ!
ラストらへんは②ネキと③ネキのような2人と接してる+資格勉強のなかで服が少しずつ脱ドン・キホーテしてて①ニキの変化が感じられてよかった
最後、ジャンプニキの歯、真っ白で「その生い立ちで?」ってなったけど気になったの最後だけだからそこも演出なのかな
・②ネキターン
「なんか急に色々ガバいラブコメ始まった?きみはペットか何か?」「クゥ〜ッ この民放のドラマでよくある「イメージの寄せ集め」のようなオサレオフィスゥ〜ッ!②ネキのちょっとカッチリしたオフィスカジュアルの服装〜ッ 民!放!」「マスコミ系の仕事しててかつこんなにイケメンすぎるイケメンで、飲み屋時点で素顔みて気づかないとかある?」「これ主人公くんの顔がイケメンじゃなかったら家に泊まらせてあげて「次の家が決まるまで、(家に)居ていーよ」はぜってえしねえよなあ???!やっぱイケメン大勝利って事しかわからん…」「え?これずっと続くの?キツ…」「ま、まあお二人が幸せなら、いいんじゃないんスかね…(もうどうでもいい劇場から出ようかな)」
・③ネキ
途中までこの子のご家庭が惨劇の場になるのかと勘違いしてたからそんなことなくて本当によかった…
美人ではないが愛嬌がある ほっぺたがもちもちしてて可愛い しかしロックオンしてからのモーションの早さが怖い これが女子ってもんなの?怖…
最後の「もう、私、逃げない!」って言うほど主人公くんに関わってたか?
・現実の「女」同士の場合、②ネキと③ネキが邂逅した際に②ネキが主人公くんについて語る瞳から「信用」ではない「色恋」の熱を感じて「ハ?私が目を付けていたんだが??(主人公くんに出会っているのは②ネキのが先だし居た期間も質も多い)」ってなる③ネキは全然あると思いますがまあそこは要らないからね 仕方ないね
・公開2週目平日30〜40人くらい
女性3/4 年齢40〜50代多め
・今まで「自分の感性はズレてる」って思って悩んでたけどこの作品を「いい」と判断するのが大多数なのを見てると「イケメンに目眩ましされて情緒の判断材料がザル通り越してワクなのにそれっぽい大まかな流れに流されすぎる大味すぎる感受性はどうかと思うから…まあ…ズレてて…ええか…!」って自分の感性に自信を持てた
その②ネキがちょっとおねえさんで「婚期逃すぞー」と
そこの匂わせ嗅ぎ取らず無邪気に絶賛しててええんか…?
と思った
最近のゲーマーは「ゲームを遊ぶよりプレイ動画を見ている時間の方が長い」との調査報告。“ゲームを動画で楽しむ習慣”定着か
https://automaton-media.com/articles/newsjp/game-playing-watching-20241203-320326/
これは個人的にはよくわかる。「プレイ動画」と言うとやや異なるが。
自分がやっている原神/スタレ/ゼンゼロでは、キャラのスキル説明文を読むだけではどういう性能なのかがよく分からず、実際に触ってみてもなんとなくしか分からない。
どういう意図でどういう組み合わせで使われることを想定して作られたキャラなのかを把握するには、全キャラクターの仕様に精通した人が批評してくれないと深く理解するところまで行けない。
だから色々な人が解説動画をあげて、このキャラをどうビルドすべきか、どういう編成で光る可能性があるのか、立ち回りのコツや動作仕様のtips、さらには内部的な数値や計算式を考慮にいれるとこう差別化されているだとか、今後こういうキャラが来たら化ける、という未来予測に至るまで、考えるべきことが多岐にわたっている。
それが悪いとか不満という話ではなく、複雑に作り込まれているからこうなっていて奥深さの核でもあるということは実感しているのでいいのだが、それはそれとして。
キャラ取得を悩む人で慎重にスルーするか否かを判断したい人は、これらの情報に向き合うことになる。
月に数千円くらいまでの課金の人は全キャラ取得・育成は難しいはずなので、一般的プレイヤーのほとんどはこのような情報収集に割く時間が必要になるはずだ。
公式側でも非常に念入りな実戦紹介動画や推奨育成方針の提示はあるものの、「ぶっちゃけどうなの」に踏み込めるのはユーザーによる解説に分がある。
もちろん性能を気にせず好みだけで引くという考え方もあるが、好みで引いたキャラの性能を万全に発揮できるような手持ちがないとビミョーだ。
好みのキャラだけ引いたり凸したりしても、適した手持ちを揃えている場合と比べて活躍させるための費用対効果が悪すぎるので、ある程度戦略的に取得計画を練っていくのもゲームのうちだと思う。
それを運営側もよく分かっているので、次verや次々verに登場するキャラ情報をある程度早めに段階的に公開してくれる。
また、インフルエンサーはテストサーバーに招かれて、先行プレイによって検証行為をしやすいように環境を整えてくれているので、それなりの余裕をもって解説動画をつくれるようになったようだ。
こういった攻略系動画はもはやゲームと不可分のもので、コミュニティにしっかり組み込まれていると感じる。
また、シナリオも何度も見返したいくらい魅力あふれる作りになっているので、自分で1回プレイしたあとで、実況者がプレイしているものを何名分か見たくなる。
そうすると特に詳しい人によるコメントの助けで見落としがちなネタなどを拾い上げてくれていたりして、見るたびに気づきも得やすい。
もちろんそういった側面を抜きにしても、劇場でいうところの応援上映を見ているかのような楽しみ方もできる。
なので、自分でゲームを触っている時間よりも動画サイト上で過ごす時間の方が何かと長くなりがちなのだ。
これは決して、ゲームをやらずに動画で満足しているというわけではない。automatonのデータでも実プレイが7.4hに大して動画試聴が8.5hという割合だそうだ。
記事はどちらかというとF2Pの対戦FPSのような実況動画の花形、対戦ゲームのジャンルを想定しているようだが、RPG系でもその傾向は大いにあるだろう。
というか、ある程度の開発規模で定期的にアップデートの入るF2Pゲームすべてが、動画ネタが供給されるという面で動画寄りになる可能性がある。
あくまで準決に向けたワイルドカードだが、ハライチさんが勝ち上がった2021年の敗者復活、オズワルドさんが勝ち上がった翌2022年の敗者復活と同じ匂いを感じた人は多いと思う。
二年連続で「人気投票じゃねえか」「入れた奴ネタ見てねえだろ」とあまりに叩かれすぎて、2023年に大幅にシステムが刷新されるに至ったあの悪夢。
あれら事件が、明確に当事者となった芸人さんのイメージを悪化させた……あるいは、それまではそこまで顕在化してなかったヘイトが一気に噴出するきっかけになったのは間違いない。
とくにハライチの岩井さん。我が家さんの面白くないYouTube企画でひとり気炎を吐いて舌鋒鋭く場を盛り上げて賞賛され、ゴッドタンでブイブイ言わせていた彼が、あの敗者復活(と、共演者のサブカルいっちょがみ未成年に下手すりゃ中学生の頃から手を出してたんじゃないかというロリコンぶりが発覚したこと)を契機にここまで凋落したのだからゾッとする。
M-1を甲子園のような感覚で観ているファンは多い。運営側も、「そういうもの」として演出していることは多くの方が指摘する通りだと思う。夢に向かって努力する男の子たちの感動のサクセスストーリーを見せるのだと。
これはMおじ武智氏やMおじ川瀬氏らが折に触れて言っているところだが、それゆえにM-1の客は「漫才・劇場のお笑いにひたむきに見える人」「まだテレビ露出など一般的な認知度は低い人」を応援し、「(ネタ番組・お笑い番組でない)テレビの人気者」「漫才の外から来た人」には冷たいという傾向がある。「俺たちの」M-1戦士じゃないと嫌だというわけだ。
その点に関して、野田クリスタルさんが令和ロマンさんの戦略の凄さを語っていた。「メディア露出を抑えて舞台にたくさん立つことで劇場人気をキープし、M-1の客に嫌われないように立ちまわっている」。
「M-1と漫才を本気で愛して、本気で向き合ってますよ」というポーズを上手に取れることが重要なわけだ。
ロングコートダディさんはこれまで確実に「俺たちの」サイドを歩いてきた人たちだった。実際にはテレビにもいっぱい出てる売れっ子なのだが、賞レースで歴々、華々しい結果を残し、特に堂前さんが「ストイックなネタ師」というイメージをしっかりとキープできていたのがデカい。もちろんめちゃくちゃ面白いしね。
だが、それら実績が今回のことで一気に、「ラストイヤーの人気者が、大してウケてもなかったのにファン投票で上がっちゃった」に反転してしまった。
ご本人たちが「当日の15時に集まってから4時間くらいで作った卸したことない新ネタ」「ギャンブルしたくなった」「やったことないからガタガタ」「しっかり滑ってた」とラジオで公言してしまっている(もちろん実力者なのでつまんないわけではないが、確かに粗いし、ああいう無茶振り大喜利みたいな笑いって、「ネタを用意してきましたよ」じゃなく当意即妙にその場で答え合うみたいな形で見せてもらった方が楽しいんだろうな…とは思った)のも、こうなるとなんだか後味が悪い。
「そんなナメた態度で出て、人気投票で勝ち上がりですか」に見えてしまう。もちろんそんな意図はご本人たちにはないけれども。
まぁとはいえ、ハライチさんの時の金属バットさんと男性ブランコさん、オズワルドさんの時の令和ロマンさんとは違い、今回「嘱望されながらも行けなかった人たち」は赤ちゃんとニューヨークの阿部寛なので、そこのヘイトは軽微なものだとは思うけど……
「人間劇場は聞き飽きた」「もっと抽象数学を語れ」と叫ぶ割に、結局その数学や超弦理論を深く語れるわけでもなく、有名な話(フェルマーの最終定理、超弦理論)を並べているだけ。
エドワード・ウィッテンやリサ・ランドールの名前を出して「高尚だ」と悦に浸っているが、結局は他人の偉業に乗っかって自分もその一部にいる気になっているだけでは?
「くだらねえ」と他人の日常を切り捨てることで、自分の価値を証明しようとしている。しかし、抽象数学や超弦理論にどれだけ触れたことがあるのか?自分自身が「くだらない」と切り捨てている日常から抜け出せない苛立ちを、他者に投影しているだけだ。
「数学の美しさ」「宇宙の真理」などと言葉を飾り立てるが、本当にその領域に踏み込んだ経験があるのか?美しさや深遠さを理解するには、膨大な時間と努力が必要。それを実践するどころか、「俺は知ってるぞ」と言いたいだけの表面的な知識の羅列に終始している。
恋愛や仕事の愚痴、家族の問題を「くだらない」と一蹴する姿勢からは、他人の苦労や感情に対する共感能力の欠如が露呈している。他人の悩みや喜びをくだらないと見下すのは、自分がそれ以上の価値を提供できないからではないか?
5. 「目を覚ませ」て欲しいのは自分自身
「人間の可能性は狭い世界では収まらねえ」と豪語するが、実際に自分が挑戦している形跡が見えない。自分がその「狭い世界」に囚われ、苛立ちを周囲にぶつけているだけでは?真に目を覚ますべきは、他者ではなく、自分自身だ。
総括
この人物は、自分が特別な存在だと思い込みたい一方で、その証明ができないことに苛立ち、周囲を見下すことで自尊心を保っている。高尚な話題を語る自分に酔いしれ、日常の平凡さを否定することで、自分が平凡である現実から目をそらしているに過ぎない。結局、壮大な知識や宇宙を語る割に、足元に転がる小石一つも動かせない無力さを抱えた、典型的な理想主義者の姿が浮かび上がる。
Chat GPT
センセイどうしても腰椎が取れませんといって総合病院の整形外科に行く
するとドクリーマンはプラ支柱の入ったへにょへにょの白いゴムの腰痛帯とか勧めてくる
んなもん役に立つかクソがマニュアル捨てろ?と言いたいが押売屋はタチが悪いだろうから黙って買っといて差し上げる
現実にはもう、ワクワクマンとかに置いてある伸びない腰痛帯を買っている
ゴム輸入屋はドクリーマンにゴムも売らせるし、白いポスターカラーもよく売る
へんご士のきくちが、私も腰痛なんです辛いですと主張したがったので、見ればまた、へにょへにょの、ばいさんばい劇場用の小道具
ついでに金ノコとアルミがあったので、気に入ってた補助具のデザインをちょっとパクってやった
でも法服は商売にならないと思って雛壇のうえから上目遣いで睨んできて、「訴えの利益がない!」とさも不満げに書いてくる
保険屋はそういう意見封筒の汚染臭加工が得意で、郵便屋やサワガニを使って届けてくるし、そいつもハンコを横向きに押してやっても何も気にしない
最近、有名ブロガーが増田やはてブで取り上げられて、否定的なブクマコメントがたくさん付くことがあった。
それで、ちょっと思ったことがある。どんなに人気絶頂にあったブログ書きでも、一定の年齢になる老害化するのでは?という懸念だ。
ぶっちゃけて言うと、①シロクマ先生と、②ふろむだと、③斗比主閲子さん である。
以下軽く、一例ずつ挙げたい。内容はあまり触れない。
いずれも、私が若かりし頃に読んでいた、大好きだったブロガーである。
https://anond.hatelabo.jp/20241120130054
最近上がった増田のエントリ。私もシロクマ先生は、現在はブロックワードにしてはてなサービスで出てこないようにしてる。
最近のシロクマ先生は、こういう悪い意味で尖ったというか、社会や世間をバカにして皮肉るような記事を書いている。
もっと前のやつだと、『葬送のフリーレン』が流行った頃に、オタクはフリーレンみたいに介護されたい~という記事を書いて、「こいつ何言ってんの?」という反応がはてブコメントで付いていた。スターがたくさん。
この頃はまだ、年を取っても全員がこういう傾向が出るわけじゃない、個人差だって思っていた。
https://anond.hatelabo.jp/20241125054238
最近、はてなで人気記事に上がったもの。プチバズったのレベルだ。説得力はそれなりだった。
このふろむださんも、2000年代後半は、いろんなネット界隈で神扱いだったと思う。
この方は、多分いい大学に行って、いい会社に入って、海外とかたくさん行って、ベンチャー経験が豊富なんだろうな~と感じて、若者だった頃の私はブログをお気に入り登録していた。
……社会人をやって10年以上経った今ではわかる。今のこの人のブログ記事は、ゴミだ。救いようがない。自分で自分の信者を囲っていて、胃の中の蛙じゃないにしても、お山の大将状態になってる。
だから、ここまで恥ずかしい世論誘導のブログ記事を書いて、はてブで悪い意味で取り上げられるようになった。なんでこんなに堕落してしまったの?
https://topisyu.hatenablog.com/entry/2024/11/25/073000
かつての昔は、旧帝大卒→一流企業→子持ちキャリアウーマン という経験を活かして、きわめて含蓄のある記事を書かれていた。
ここ5~6年は、社会のほの暗い話題とか自慢話とか、政治の話題、特定の人や組織を(当てこすりのようにやんわりと、罪にならないレベルで)侮辱するようになった。ブクマ数も昔に比べると明らかに減っている。
一番いやだったのは、自分の子とクラスメイトのほかの子を比べて、「うちの子は賢い」というのを遠まわしに表現していたことだ。
比べられた子というのは、いわゆる頭の足りない子だった。シチュエーションは確か、小学生のクラスで自分に都合のいい嘘を付いている子が複数いて、その子が学級内トラブルの原因をクラスメイトに聞いていくんだけど、それらの嘘が見破れずに堂々巡り……という内容だった。
まさか、トピ主さんがこんな反人権のような記事を書くとは思わずに、憤慨ととともに悲しい気持ちが込み上げてきた。
別の視点で、どんな人が老害化を回避してるかと言うと……私の中ではほぼいない。強いていうと、ザツの人とか、から揚げの人とか、マイクロソフトで働いている人とか、基本読書の人とか、紙屋高雪さんとか、レディジョーカーさんとか、ダイダラボッチさんとか、いわゆる知性が凄い人達である。
普通の有名ブロガーが老害化を回避しようとすると、投稿ペースを落とすとか、半ば引退するとか、ネット界隈の別のポジションに就くなどしてブロガーをやめるしかない。
私と同年代(※少し年上)のブロガーだと、らくからちゃさん、借金玉さん、本しゃぶりさん、とかである。あの人たちは、約十年前にはてなブログで活動を始めて、たった数年でスターダムに昇った。
けど、今ではあまりブログを書いていない。もしかしたら、わかっているのだろうか。段々と書き続けていく度に、自らが老害になってしまう現象のことを。
あの人達も、今はおそらく40才くらい。賢い人だから、自分のことは自分でわかってるのかもしれない。
早く寝られるようにと思ってるのよ。
ついつい夜ご飯を食べちゃったりすると
遅くなりがち。
とはいえ、
食べないわけにもいかずー
そんでさ、
気が付いたんだけど
何時間後に入れておいた洗濯物が開始される時間か終了する時間かは定かではないけれど、
だから
帰ってから洗濯物をすぐに干せる体制にタイマー運用しちゃおうか!ってところに気付いたの!
私って賢くない?
まだ試してないけれどどうなるかは分かんないわ。
全てを全部任せてしまって自分の担当作業時間をいかに短くタスキに長くしたいのよね。
だからこないだ寝不足気味だったシーズンは日中眠たくって眠たくって。
何度もアルプス山脈で活躍している救助犬に助けられそうになったことか。
まさにそんな感じなのよ。
私の目標としている6時間を切り出している平均値を叩き出していて
私は今シーズンなのかしら?ちょっと落ち着いた頃に食べても美味しい鰹のタタキに舌鼓を打ちながら
今日こそは!って寝るつもりでいるんだけど
ついついそこは遅くなりがち。
なんで遅くなってるかってのを自分で分析しないと分析できないわよね。
なんかついにHDDレコーダーが特定のチャンネルが映らなくなったので、
いや間違えた!
今さら新しいHDDレコーダー買うのもどうかしら?って思うし、
家電量販店で聞くところによると、
私の雰囲気イキフン調べなんだけど
そんな声も聞くし、
そうそうテレビってもう見ている暇がない!ってちょっと格好をつけているわけでも無いんだけれど、
『おむすび』ね!
麦わら帽子みたいなことを言い出すもんだからビックリしたところよ。
てっきりお腹を空かせたギャルにおにぎりを振る舞って助ける令和版アンパンマン物語おむすび編かと思っていたけど、
ちょっと違うみたい。
でもさ、
その時助けられた橋本環奈ちゃん主人公演じる「むすびん」が助けたギャルの仲間の「すずりん」が社会人になっても都合つけて「むすびん」の気になる高校野球球児の最後の試合に駆けつけてくれるのには胸熱だわ!
いつ行われてるか分からない昼間の高校生の甲子園出場を掛けた試合に駆けつけてくれるぐらいきっと麦わら帽子の物語熱いことがあって、
その恩義を多分「すずりん」は忘れずにいて
たぶん有給休暇を取ってきてくれたんだと思う!
泣けるー!
誰もそんなこと気にしてないわよ!って思うけれどたぶんそんな設定よ。
そんで、
いきなり今度は栄養士になる!って
多分これから私が予想するに主人公の橋本環奈ちゃん演じる「むすびん」が
そうよ!
あの糸島らへんの「むすびん」が暮らしていた故郷をモチーフにした駅弁を作ってプロデュースして、
そのお弁当に巻かれる紙の包みの
お弁当のタイトルと書道の力をここで発揮させる伏線回収の超展開!
これだわ!
そんでお弁当のタイトルは「松阪牛特製弁当」ってぜんぜん糸島も福岡も関係ないじゃん!ってさりげなく輝く松阪牛!ってジワるわ!
たぶんそうなると思う。
そんでさ、
橋本環奈ちゃん演じる主人公の「むすびん」がプロデュースするそのお弁当は、
今でもまだ間に合う駅のホームでまだやっている駅弁の立ち売りでやんの!
それで糸島どころか、
まあそもそもとしてナレーションのリリーフランキーさんも北九州っちゃ北九州だけど。
どちらかというと福岡県北部が盛り上がりそうな気配でこれからの展開が楽しみなのよ。
そして福岡も糸島もなにもぜんぜん関係ない上等な松阪牛を使った「松阪牛特製弁当」
いや「松阪牛・幻の極上霜降り炭火焼きと十二種の宝石食材が織りなす贅沢絢爛究極弁当~至高のひととき和風トリュフ仕立て~」ってなるの!
そしてそのお弁当のタイトルと書道の伏線回収で書く筆で書くんだけど
それぐらいの書き切れない勢いの長さのタイトルで
もうぜんぜん福岡名物とか入れるつもりないじゃん!って思うほど
それはなぜか松阪牛なのに折尾駅の駅弁の立ち売りで売られる爆売れして人気出るの!
それが私のこれからの展開だと思うわ。
私的にはぜんぜん福岡名物関係ないもはやトリュフが入っているところがどうしてもジワるわ。
でも福岡県の松阪さんが丹精込めて育てた松阪さんの育てた牛弁当って言ったら通用するかも知れないしきっとセーフだわ。
分からないけれど、
まだまだ先は分からないわね!
うふふ。
最高にネバネバ!
そうこなくっちゃ!って感じよ。
まあ、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
EPUBをこしらえている中のデータ回収の副産物で生まれた、アトランダムで5つの増田をまとめたPlaceholder Version第2号よ!
地味に作業を進めてるけれど、たくさんありすぎて途方もないわ。
まあそのお茶をヘソで沸かして濁して淹れた急須の綾鷹よりかはどうか分からないけど、お茶を濁せるかも!
こっちは適当にまた5つ集めてみたわよ。
自分が信じたい迷信を事実だと思い込んでいるはてブ民が兵庫県民を誹謗中傷している件 - ふろむだ@分裂勘違い君劇場
どうやらid:fromdusktildawn 氏は、はてブの注目コメントシステムの悪いところばかり見ているようですね。
一方私は、はてブもなかなかやるじゃないか!と思わせてくれる出来事を最近見かけたので、紹介したいと思います。
[B! 健康] 科学的根拠に基づく健康に良い/悪い食べ物|ふろむだ@分裂勘違い君劇場
id:fromdusktildawn という方が書いた2万文字を超える超力作noteに付いた、はてなブックマークで起きた出来事です。
時系列はこんな感じでした。
↓
この調子でホットエントリ上位まで上がってくるか?と思いきや、「note筆者が主張する、信頼できる健康情報の見分け方が滅茶苦茶である」という趣旨の批判ブコメが書き込まれる。
↓
この批判ブコメにスターが集まっていくなか、今度は国立健康・栄養研究所による健康的な食事法解説ページをブコメで貼る人が現われる。
↓
すると、これをきっかけに国立健康・栄養研究所へ代わりにバズが発生。なんと822ブックマーク。9月の月間ブクマランキング入り。
まとめると、はてブの注目コメントシステムによって、怪しいインフルエンサーの自己流健康術がさくっと淘汰され、代わりに派手さにかけても堅実で信頼できる情報が広まったのです。
なお、id:fromdusktildawn 氏は黙って記事を削除しました。
批判ブコメを深夜に書いて寝て起きたら、朝にはもう記事が消えていたのでほんとびっくりしましたよ。判断が早い。
記事はなぜ削除されたのでしょうか?
id:fromdusktildawn 氏は後日、「なぜ記事が消えたのか?圧力があったのか?」と問うファンに対し、
と答えています。いくらなんでも発表して1日経たずに消すというのは尋常ではないと思うんですが、本当に「それだけ」なんでしょうか。
冒頭に上げたのは、そーんな人、注目コメントに一本取られたはずの人が書いた、はてな注目コメントシステム批判。
なんと、id:fromdusktildawn 氏が書くようなデマ修正の長文ブログは読まれず、はてブにはあちゃーな注目コメントが並び続けるんですって。自分の信じたいものを信じているだけかも!
id:tyouaniki そもヒョーゴ人(や大阪人)は維新を支持する人種だという前提が抜けてる。この辺の人種にとってパワハラ云々なんて大したマイナスじゃない。
id:fromdusktildawn 氏が槍玉に上げるのはこのブコメ。省略の多い日常の言語で書かれているので、分析しやすいように整理すると、要は以下の2つの三段論法が含意されているものと解釈できますね。
で、id:fromdusktildawn 氏の反論。
なんの反論にもなってないですね、これ。たぶん id:fromdusktildawn 氏は論理学でいう裏と対偶とを取り違えているんだと思うんですよね。
「維新を支持する県民」⇒「パワハラを大したマイナスだと思わない」の裏を取って、
「〇〇県民は維新を支持していない」⇒「〇〇県民はパワハラをマイナスだと思う」にすれば、確かに「維新が弱い他の県にもパワハラOK民はたくさんいるのでは?」がクリティカルな否定根拠になります。
しかし裏を否定したところで、元の命題の真偽は一切関係しません。 id:fromdusktildawn 氏は無駄な議論をしています。
2つ目の id:fromdusktildawn 氏の反論。
投票した人の多くは、「パワハラは大したマイナスじゃない」と思ってるから投票したのではなく、動画を見て「問題になるほどのパワハラはしてなかったんだ」「マスコミの方が間違っていたんだ」と思い込んじゃったから投票した、という可能性もありますよね。
そんな話、id:tyouaniki 氏はしていないですよね。
ここでid:fromdusktildawn 氏が想定している論理はおそらく、
だと思うんですが、id:tyouaniki 氏は、「兵庫県民は維新支持だからパワハラOK民だ」と述べたのであって、「斎藤支持だからパワハラOK民だ」と述べたのではありません。
なので、「パワハラ不祥事の候補に投票する県民は、パワハラを大したマイナスだと思わない」を否定したところで、意味がありません。 id:fromdusktildawn 氏はまた無駄な議論をしています。
id:tyouaniki 氏を批判したいなら「維新を支持する県民はパワハラを大したマイナスだと思わない」というものすごく強い前提を否定すればいいだけじゃないかなと思うのですが、有名ブロガーのid:fromdusktildawn 氏が論理迷子になってしまう理由が全然わからないですね。
次。
事実かどうかはっきりしないことを事実だと思い込んでしまうなんて、はてブ民もよくやってますよね。
信じられない?
「信じられない?」って(笑)。当たり前の事実でしかないですね。はてブ民批判なんて増田の人気コンテンツじゃないですか。
この先7500文字もかけてオリジナルの具体例が続くんですが、これ書くくらいなら、過去の誰かが書いた増田(私が書いたやつでも良いよ!)を引用すればいいだけじゃないすか?
パワハラを大したことだと思わないような邪悪な人種だからそう投票したのではなく、多くのはてブ民と同じように、単に事実かどうかわからないものを事実だと思いこんじゃったからそう投票しただけの可能性もあるわけです。
先程述べたように、id:tyouaniki 氏はまったくそういう主張はしていないので、この結論は全然意味をなしませんね。
しかたないので読み替えましょう。はてブ民の id:ssig33 氏さんがちょうどこんなツイートをしてました。
前回とくらべて斎藤知事の得票は、得票率という点ではさほど変動がないので、「もとからの支持者がパワハラぐらい別にええやんと判断した」という出来事であって、兵庫県民が極めて邪悪な人達であるということが分かったという出来事だと思うんですけどね。立花はそこにタダ乗りしてむしろ県外向けの情報戦で勝った感じでは。
斎藤知事に投票した兵庫県民のほとんどはパワハラを積極的に肯定し公務員を虐待すべきと考えている極めて邪悪な人々なのであって、パワハラはデマなどという怪しいネットの情報を信じる情報弱者は極一部だと思いますよ。極一部といっても数万人はいるのでパニックが演出された。
「ロシア人はプーチンの嘘に騙されてる」「兵庫県民は立花孝志に騙された」そんなわけないじゃん。騙されるバカもいるかもしれないけど極一部でしょ。彼らは情報をちゃんと把握した上で極めて邪悪だから邪悪な政治家を支持してるんでしょ。
https://x.com/ssig33/status/1858675694571844093 https://x.com/ssig33/status/1858676135334494240 https://x.com/ssig33/status/1858676521424351700
id:fromdusktildawn 氏は id:ssig33 氏のこのツイートを批判したのだということにしましょう。
で、id:fromdusktildawn 氏の結び。
真相はどうかわからない段階で、人の行動の理由を「その人が邪悪な人間だから」と決めつける行為の方が、よっぽど邪悪ではないでしょうか。
ようはハンロンの剃刀ですね!「無能で十分説明されることに悪意を見出すな」。
ただいくつか気になるところがあって、
まず、なぜはてな民(id:ssig33)にはハンロンの剃刀を適用しないのでしょうか。こちらも単に無能であるだけ、でいいんじゃないでしょうか。
次に、「〜〜の方が、よっぽど邪悪」というからには、比較対象が存在しますが何でしょうか。「パワハラ知事だとわかってそいつに投票すること」でしょうか、「デマに騙されてパワハラ知事に投票すること」でしょうか。
まあ前者だとさすがに邪悪度が高すぎるので、ブクマカの方が邪悪というのは考えられそうにない。
よって「デマに騙されてパワハラ知事に投票すること」をid:fromdusktildawn 氏が比較対象にしたと考えますが、その場合にしても、はてな民/兵庫県民に共に短慮の責任を問う問題である点は同じですよね。
となるとまた、大きな疑問が湧き上がるのですが、常識的に考えて、はてブの軽率な1コメントする責任と、知事選挙で軽率に1票を投じる責任とであったら、後者の方がよっぽど重いものではないでしょうか。
我々は民主主義国家の1主権者として真剣に知事を選ぶ責任があります。この重い責任に比べたらブコメなんていくらでもテキトーに書いて良いはずです。
両方に短慮を前提とするならば、邪悪という言葉が適切かは置いといて、罪の重さははてブ民よりは兵庫県民の方がよっぽど大きいと言えるでしょう。
「どっちもどっちで、はてブのほうが邪悪!」論は成り立ちません。
飛ばした7500文字、「はてブ民が事実かどうかはっきりしないことを事実だと思い込んでしまう」の具体例の方へ戻りましょう。
本論と比べて「例えば〜」の箇所が滅茶苦茶に長い文章ってどうみても崩壊してるんで、id:fromdusktildawn って人が主催してるらしい文章力クラブとやらに見てもらえば良いんじゃないかと思うんですが、それはともかく。
前半はさほど問題ないと思います。もし増税に賃上げ効果があるんだったら偉い先生が論文書いてるはずだろという反論は説得力高いです。 昭和的企業は地方零細企業としてまだまだたくさんあるんじゃないの?という点は気になりますが。
ただ、後半のid:sds-page氏への非難は意味不明でしょう。id:fromdusktildawn 氏が省略した部分も含め、id:sds-page氏のブコメを完全引用します。
経費計上できる設備投資と経費計上できない金融投資を意図的に誤解させようとしてる奴いない? 「内部留保は現金じゃありませ~ん」みたいな欺瞞がいつまで通用するか https://www.jiji.com/jc/article?k=2024090200824&g=eco
ブコメ元の記事が「法人税減税は投資・賃上げに繋がらなかった」という研究者の意見を紹介する記事であることを踏まえて、このブコメがどういう文脈で書かれたのかというところを推測すると、
おそらく、
というところではないかなと思われます。以上の記述は、大企業における内部留保の構造とその活用という論文を参照しながら書きました。
私個人の意見としては、内部留保を賃金に回せ理論は共産党色強すぎて、党派性的にネットでは嫌われてるだけじゃないかなと思うけれど、
id:sds-page氏が言うように、企業が内部留保を金融投資に向ける方が得する側の人間がポジショントークで誤解を広めているというのも、可能性レベルの話ならばありうる話でしょう。
この良識ある意見を、勝手に「経団連がはてなブックマークに工作員を送り込んで、世論操作して法人税を上げさせないようにしている」などという極論に書き換えたのはid:fromdusktildawn氏にほかありません。これはわざと曲解してませんか?
意味不明の曲解から「反ワクやディープステートを信じてる人と変わらない」つまり「id:sds-page氏は陰謀論者だ」という結論を出していますが、事実に基づかない以上はただの誹謗中傷ではないでしょうか。
これも同様。そんなことid:sds-page氏は言ってますか? どう見ても言ってないですよね。事実に基づかない以上はただの誹謗中傷ではないでしょうか。
超長いけどその分中身あんのかなと思いきや、結局、本論の趣旨である「決めつけの誹謗中傷はやめるべき」という規範を自ら破り、記事の説得力を崩壊させる見事な具体例部だったと思います。
やっぱり7,500文字も書かず、私の書いたブクマカ批判増田を引用で代用した方が良かったんじゃないすか(笑)。
「あちゃーな注目コメントが並び続ける」問題については、ブクマ数2桁代の内に的確な批判ブコメを書ければ、経験上まず間違いなく注目ブコメを入れ替えることができます。
既にホットエントリ上位に上がってからからだと、なかなか間に合わないという問題はあるのですが、その時こそブログ書いてセカンドチャンスを狙うのです。
id:fromdusktildawn は長文ブログは読まれないんだーと書いてますが、これは全くの嘘で、はてブははてブ批判が大好きです。事実として、今回のふろむだ@分裂勘違い君劇場の記事だってトップエントリなったじゃないですか自己矛盾してますよ。
自分が信じたい迷信を事実だと思い込んでいるはてブ民が兵庫県民を誹謗中傷している件 - ふろむだ@分裂勘違い君劇場
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/fromdusktildawn.hatenablog.com/entry/2024/11/24/073631
punkgame 本当に言いたいことは別にあるのにアクセス目的で関係のない見出しつけるのやめてもらえませんかね。兵庫県民が誹謗中傷されてることに関して全く何とも思ってないのにだしに使うのはどうなのかと。
これか。
自分が信じたい迷信を事実だと思い込んでいるはてブ民が兵庫県民を誹謗中傷している件 - ふろむだ@分裂勘違い君劇場
こんな風に、はてブ民があちゃーなことを信じちゃって、それが注目コメントの上位に上がっているなんて、よくあることなのです。
よくあることなのに、なんでみんな気が付かないかというと、説明しようとすると、この記事のように、めちゃくちゃ長くなってしまうからです。
こんな長い記事、みんな、書きたくないし、読みたくないですよね。
ふろむださんが長文で説明されている論理の部分が正しいかどうかをまず気にすると思う。
まともな人の集まりなら最低でもふろむださんが書かれていることについて評価しているコメントに一番スターがつく。
こういうコメントにはてなスターがたくさんついているなら、はてなブックマークは「正常な人が使っているサービス」ということにある。
おそらくこれらのコメントを書いている人は、ふろむださんが何を書いているのかまったく理解もしていないしおそらく途中で読むのをやめている。
自分の求めているものと違うだけで文章が読めなくなるとか、ちょっと難しい話をされると最後まで読めないということ。
そして、文章を読めていない状態で意見をいうというだけで恥ずかしいことなのだから、せめて黙っていればいいのにはてブ民は「読めない人間のほうが多数派」という変なおごりがあるので、こういうときでも自分の知的体力の無さを誇るようなコメントをする。
そして、実際にはてブ民は大多数が文章が読めないくせに一言申したがるという情けない人たちの集まりなので、こういうコメントにスターが集まって人気コメントになる。
sonhakuhu23 なんか斎藤さんが問題とされてる事と直接関係ない事を延々と語られても。
punkgame 本当に言いたいことは別にあるのにアクセス目的で関係のない見出しつけるのやめてもらえませんかね。兵庫県民が誹謗中傷されてることに関して全く何とも思ってないのにだしに使うのはどうなのかと。
dnf63bxf2fbnd3 主語を無駄に大きくして誰かを攻撃してるって点ではこの記事も同じだな。書いた人は気づいてなさそうだけど。
mgto ”※この記事は、文章力クラブのみなさんにレビューしていただき、ご指摘・改良案・アイデア等を取り込んで書かれたものです。”
「なんか言われて悔しいから、言われたことわからないけどとりあえずケチつけてやろう」っていう幼稚園児みたいな精神のコメントにスターがつく
なぜかというとはてブ民にはそれ以上を理解できない&頑張って理解しようという精神が無いからだ。
具体的にいうといかのはてブ民のみなさんは内容が正しいかどうかより「快不快かという思考判断基準しか持たない」ということだ。
これらの方々のコメントは、どれだけ「一見賢そうに取り繕っていても」その土台となる精神性が幼稚園児なので、意味がない。
今日は金曜ロードショーでディズニーの「モアナと伝説の海」が放送される。
これは南太平洋の神話をモチーフにした作品であると同時に、「モアナを主人公とした神話」が生まれるまでの物語でもある。
というのも、今作は、かのスター・ウォーズが参考にしたことでお馴染み(?)のキャンベル神話論(ヒーローズ・ジャーニー)(正確には、それを作劇理論にアレンジしたヴォグラーの「キャンベルの12ステージ」)にかなり忠実に作られており、まさに1つの英雄神話と呼べるものだからだ。
ここでは、劇場公開当時にメモした、ヒーローズ・ジャーニー(キャンベルの12ステージ)と「モアナ」のあらすじの比較を再掲する。
当然ネタバレしかないので、未視聴の方は本編を見てから読んでほしい。
(はてな記法がうまく使えないので折りたためなくてすみません、薄目で見逃してください)
====
→冒頭シーン。幼モアナは村でタラおばあちゃんから伝承を聴いている。
Stage 2:冒険への誘い。
Stage 3:英雄は、冒険に気乗りしない。もしくは、「冒険の拒絶」をする。
→モアナ自身は海に行きたがっているが、父に禁じられて冒険に行けない。また、プアと海に出るも失敗する。
→モアナはおばあちゃんに導かれ、村の過去を知る。そして村の危機を救うために旅立つようおばあちゃんに託される。
Stage 5:第一関門(第一の試練)を突破(門番の撃退)。「特別な世界」へと一歩踏み出す。
→モアナは高波(門番)を越え、珊瑚礁の内側から外洋(特別な世界)へと漕ぎ出す。
Stage 6:「特別な世界」で、「試練」「仲間」「敵対者」に次々と遭遇する。
→モアナは外洋で、舟の転覆などの「試練」、マウイという「仲間」、カカモラやタマトアなどの「敵対者」に遭遇する。
→モアナたちはテ・カァの元へたどり着くが敗北する。
Stage 8:「最大の試練(オーディール)」=「第二の関門」の突破。
→マウイはモアナの元を去り、モアナは自信を失い(第二の関門)一度はティ・フィティの心を海へ返す。おばあちゃんや先祖の霊(?)に励まされ、再び立ち向かう勇気を得る。
→モアナはテ・カァがティ・フィティ(帰路への鍵)であることに気づく。
Stage 11:「第三の関門」を通りぬけ、「復活」を経験する。
→モアナは海の道(第三の関門)を通ってテ・カァと対峙し、ティ・フィティの心を返す。するとテ・カァはティ・フィティとして復活し、マウイの釣り針とモアナの舟を直す。
Stage 12:「宝を持っての帰還」。日常世界へと帰着する。
→島の生命を蘇らせ航海技術も身につけた(宝)モアナは村に帰還し、次期村長としての日常へと戻る。
こうして見てみると、面白いほど当てはまっているように見える。上映当時「モアナはマジで『神話』だから」とツイートした覚えがある。
ブロック2の途中まで
【特別企画】キンタロー。×白組(ゴジラ-1.0)「3D-VFX 顔まねメドレー」今年脱松し独立。以前より攻めたモノマネ。今年オールスター感謝祭などに出た際のシャイニングのモノマネかと思われる
https://togetter.com/li/2405422
過去に浸りすぎてる場合じゃねーよ。ポニテの女の子や「ドラクエ4コマ劇場」なんて、懐かしい思い出として大事にすりゃいいけど、それにばっかり固執してどうすんだよ。過去の栄光にすがって、今を見逃すなんて馬鹿らしいだろ。
振り返るのは大切だけど、それが全てになっちゃダメだって。未来に向かって歩かないと、気づいたらあっという間に時間だけが過ぎていくぞ。だから、今とこれからを大事にしろってことだよ。
あんた、結局過去にしがみついてるだけじゃん。そんなに昔のことばかり思い出して、今の自分はどうなの?「ドラクエ4コマ劇場」だのポニテの女の子だの、あの頃の思い出に浸るのはわかるけど、もう30年も前だよ?あんたが心の中で「もう会うこともない」なんて言ってる時点で、振り返りすぎだってことに気づいてない?
今、ここで何してるんだよ?そんな懐かしい話ばっかりしても、過去に戻れるわけじゃないんだよ。あの頃の自分を大事にしたい気持ちはわかるけど、あんた、未来を見なきゃダメだろ。ポニテちゃんが元気かどうかなんて気にしてる場合じゃない。もうそれはあんたの人生に関係ないことなんだよ。