はてなキーワード: 家事とは
「風邪の時に迷惑そうな顔をしない優しい人」こういうのって積み重ねじゃないのって普通に思ってしまった。
自然とそれで30代の人と結婚を考えられるこういう人って年齢が上なら売れ残りだし、下なら世間知らずって感じがする。
元増田が相手の収入が自分よりずっと低くてもなんとも思わないようなタイプじゃないなら、その線はないだろうなって思った。
家事・育児負担が相手に全部いくし、病人の世話もしないといけないし、感染のリスクもあるわけで、迷惑そうな顔くらいは許容してやれよ。
でも、誰かと一緒にいたら、「あー、自分このまま死んだら数ヶ月後に腐乱死体になって発見されるんだろうな」とは思わなくて済むよね。
それだけでも大きな違いじゃない?
昔は女が仕事してなかったから「仕事はこんなに大変なことなんだ」と仕切りにアピールしてた
「従業員を守らなきゃ」とか「(私が)仕事に行かないと大変なことになる」とか激務アピールとかね
でも、みんな仕事をする時代になり、みんなが仕事の実態を知ってしまった
大袈裟なアピールは出来なくなり、「仕事をしている」ことの価値は相対的に下落した
パソコンとかいろんな機器が発展してからは仕事の効率があがり、みんなで3日かかってた集計作業が1秒で終わるようになったりと多くの仕事はそんなに大変じゃなくなってきたし
一段と寒い夜、久しぶりに発作があって苦しかった。今ちょっと怠い。
うちは毒親ってほどではないのかもしれない。
衣食住は十分に与えてもらったし。
ただ味の素を毛嫌いして、だって普通の塩はナトリウムだから!(?)と言って天然塩に拘り、白砂糖使用者を馬鹿にしているカサンドラ母と、ガチガチの自分ルールの中でしか生きられない単身赴任の父という環境だった。
幼い頃は熱と咳が出る日が多くて、雪国で車もない中、母がバスに乗って何度も病院に連れて行ってくれたという話は聞いてる。若い頃の父は、朝起きて着替えが出されていないとブチギレていたそうだから当時の母の苦労と苛立ちはそれはもう大変なものだったと思う。
ここで特に診断がないのは小児喘息ではなかったということなのかな、ちょっとわからない。
小学校時代は咳が落ち着いていた記憶だけれど、鼻も悪くて耳鼻科には連れて行ってもらってた。副鼻腔炎にもなった。
喘息というのを知らなないまま運動部に入って、3キロ走るのが苦しかった。
そもそもの運動神経の悪さによるいじめや苦しさもあって辞めたが、後に私が会社を鬱で辞めた時、「部活辞めさせなきゃよかった」と言っていた。そういう父である。
単身赴任の父が帰ってくる土日、両親はよく喧嘩した。険悪な空気の中で母の機嫌を直さなければならない使命感に駆られていて、心臓がばくばくして、その夜は喘息が起こる。お湯とゲロ袋を持ってきて背中を撫でてくれる母に安堵していた。
高校。体育のあとは先生に背中を撫でられながら授業を受けていた。静かにしなきゃと思うほど咳が出る悲しみ。周りも大変な迷惑だったと思う。
冬は苦しくて眠れなくて、母が起きては背中を撫でてくれた。
でも病院には連れて行ってもらえなかった。
ほとんど寝不足のまま、雪降る中を自転車で通学すると学校でまた発作が出た。でも病院には行かなかった。
ベポラップを塗ってもらった。コップのお湯の蒸気を吸わせてもらった。あと蒸気が出る吸入機だったかな、買ってくれてそれでやり過ごしてた。
一度だけ、どういうきっかけだったか病院で診てもらうか、となって婦人科を兼ねてる小児科に行ったことがある。「症状が出てる時にこないとわからないよ」。二度と病院に行くことはなかった。
大学では咳で授業抜け出してた。一人で暮らしていたけどその頃はもう、喘息じゃないっぽいし、病院も諦めていて、治療もないんだと思い込んでいた気がする。もうこういうもんなんだと。今思うと入院するほどの重症じゃなくてまだよかった。
就職後、職場で咳と鼻水が尋常じゃなく、そこで心配してくれた(迷惑もあっただろう)上司たちに、その咳はおかしいから病院紹介してあげると言われて、慣れない土地に暮らしていたこともあって色々と面倒を見てもらいながら通院した。
迷惑かけておいて歪すぎるけど、通院を勧めてもらったのがちょっと嬉しかった。
いきなり良くはならなかったけど初めて喘息の薬をもらって安心感があった。真剣に検査してもらえたことも嬉しかった気がする。
その後いろいろあって心が折れ、実家に戻ることになった。
また発作が起きては吐いて、母が起きてきて背中を撫でられる生活の始まりだ。
子供の頃と違うのは母自身が内科にかかっていたことで、私も連れて行ってもらえた。早朝に点滴を打ってもらうことも何度もあった。毎日吸入してたけど、全然コントロールできなかった。
カレーも味噌汁も作ってる最中に全然匂いがしない。鼻もぐずぐずで痰が溜まるし、顔面が痛い。食事がなんの味かわらかない。味覚が甘い、しょっぱい、酸っぱい、辛い、ざっくりとしかわからなかった。生姜のすりおろし食べながらこれニンニク?とか言ってた。
鼻水も咳も限界で新しい耳鼻科に行った。鼻をカメラで見ながら「これは苦しかったでしょう」と言われた。恥ずかしいけど泣いちゃった。
あまりにも症状が続くから母は話を聞き流していたし、父はほぼ現代医療を信じていないし、まぁ親といえど大人になったら病気なんて自己責任だよな。
けど、大袈裟だけど、それまで数十年間の苦しさをそこで初めて認めてもらえたような気がした。
喘息も鼻水も適当に扱ってきたせいかどうかはわからない。完治しないのかという最悪の気分と、やっと原因がわかった安心感で、家に帰ってまたちょっと泣いた。
幸いにして何度かの手術と治療しつつ嗅覚は継続して快調だ。喘息もだいぶいい。人生で今が一番身体が楽。冬も平気。運動もできる。医師に感謝。
なんでもっと早く、苦しんでるとき、喘息ってわからなかったんだろうなぁ。
後に母が咳喘息になって。吸入薬を見せてきたり、たまに咳してまた喘息かもと言ってる姿見たり、鼻詰まりの時にお母さんもその病気かな!とか言われて。
もう、なんだか、素直に寄り添えなくなっていく自分がいて苦しくなった。色々と私の真似したり、会話泥棒する人なのだが、病気まで自分のものにしたいのかと、そう歪んでとらえてた。
幼少期にかけた苦労と、夜通し寄り添ってくれた日々があるから何も言えない。両親がコロナにかかれば看病した。そのことすら忘れられちゃったけど。認知症じゃないのに。同居してるのに家事をすることのない兄が看病してたら、きっと死ぬまで語り続けて感謝するのに。
父が歳とって風邪引くようになっていた。さすがに病院に行って人生で初めての咳止め薬を飲んでいた。これ飲めばお前の咳も良くなるんじゃないかとか言ってきた、びびった。
今まで咳をしては薬なしで治ると力説されるたび喘息だと何度も説明してる。咳き込めば背中を撫でてくれる優しさはある。ただどうしようもなくゲームの村人会話しかできない。会う度話す度リセットされて、忘れっぽくて、無理解なのだった。
キャベツ頭に被せろとかそういった方面の知識もなかったのがせめてもの救いである。
今更親に苦しさをわかってもらおうとすることが論外なんだろう。
なのに離れた今も執着してしまう。兄の部活には必死に付き添いしてたのに。なんで学校で苦しいって話聞いてくれなかったの。あとついでにブラも買ってくれなかったなとか余計なことまで芋蔓で思い出して恨みを募らせる。夜通し世話させたのにね。それとこれとは別だと思って良いんだろうか。小遣いで内科にかかる発想がなかったのが悪かったんだろうか。ブラを買うのも病院にかかるのも親の許可が必要だと思い込んで。
今日もごみ出しをして、切れてたパンを買って帰ってきて、こういう日常の流れってこのままでいいのか?ってまた考えてしまった。
夫婦の役割分担は、別に完全に半々じゃなくてもいいと思ってる。
収入や体力、得手不得手、育った環境や生活リズムが違うのは当たり前だし。
ただ、ある程度はバランスが取れててもいいんじゃないかって思う。
時間に余裕があるほうや収入が少ないほうが家事を多めにやるのは自然だと思ってる。
家賃や光熱費は収入比率で割り、通信費や新聞、食費は自分が全部負担。
だから朝のごみ出し、ルンバや洗濯乾燥機のごみ取り、排水ネット掃除はほぼ自分。
換気扇や空気清浄機のフィルター掃除、床拭き、水回りの掃除もだいたい自分が先に気づく。
トイレ掃除も夫がやることはあるけど、自分のほうが頻度は多い。
改善のために「夜のうちにごみ出してくれない?」って提案したこともある。
たまにやってくれるけど習慣にはならない。タスク表を作って分担しようとしたら同意はしてくれたけど、実行はしない。
結局こっちが日程を決めて貼り出すところまでやらないと動かない気がする。
一度、あまりにモヤモヤが消えなくて、カウンセリングにも行った。
そこで言われたのは「まずは相手の立場で話を聞くことから始めてみては」ということ。
どういう考えでそうしているのかを、そのまま聞くのが大事らしい。
でも正直、それをやったとして本当に状況が変わるのかはわからない。
こっちはそれなりにやってるつもりだし、提案もしてきた。
それって家庭内でマネージャー役やるみたいなもんじゃないのか?って思うことがある。
時々、いっそ家事やめたほうがいいのか、そもそも自分が「こまめにやるべき」って勝手に決めつけてるだけなのか、そこまで考えることもある。
親族の間では、結婚する前に女がいたんじゃないの?みたいに冗談で言ってるけど、
とてもそういうタイプではない、ので、社食とか、定食屋とか、あとはなんかパンでもかじって生きてたんだろうか…😟
エヴァの庵野氏も、一度パンツを穿いたら洗濯しないで、廃棄しないでなぜかゴミ袋に溜めていて、
部屋に汚れたパンツを溜めたゴミ袋がいっぱいある、みたいな話を安野氏の方が描いてたけど、
庵野氏は変色家で、サッポロポテトベジタブルと牛乳だった気がするんだけど、牛乳が良かったんじゃないかと思ってる…😟
サッポロポテトベジタブルは野菜です、は、アメリカ人にも通じるアレな考え方だけど、
牛乳は完全栄養食になりうる、ヴィーガンみたいな人たちはともかく、
子供の成長に動物性たんぱくは不可欠と私は考えるので、肉が食えない庵野氏を助けたのは牛乳であろう…😟
小学生のとき、ミルメークが好きだったし、追加で休んだやつの牛乳飲んでも平気だったのに、
なんの話だったっけ…😟
耳がない、透明なケースに入ったサンドイッチ用のパンは、母が良く買ってくるので知ってるけど、
今の自分は耳ありで最低価格帯のパンを狙うので、選択肢にはないですね…😟
まあ、自分もサンドイッチ用と言われたら、8枚切りだの、10枚切りだのみたいに薄いの選択すると思うけど、
それならそれで平謝りしてフレンチトーストにでもすると思う
夫に買ってきてもらった「サンドイッチのパン」が想像していたものと全然違った…サンドイッチと聞いて思い浮かべるものが人によって違ったりする?
6枚切り耳付きのパン買ってきちゃったんなら今回はそれでサンドイッチ作ればええだけやん
パンが厚めのサンドイッチも耳付きのサンドイッチもごく普通に存在するし
自分の作りたかったのと違う薄切りにしないとギャオオオオオオオオン!!って勝手に忙しくして
SNSでわめき散らかしてるの異常過ぎる
確かに一理あるかもな〜と思って家事の中で一番苦痛な「ご飯の作りおき」を頼めるサービスをチラッと調べてみたら3時間で交通費含めて5,000円くらいだった。
確かに労力に対してこの金額なら安いけど、味の好みが合うかもわからない赤の他人にキッチンを使わせるのと、その他人が作った料理を食べる事に家族全員が嫌悪感を感じないか?と考えたらその条件を満たす人って少なそうだよな
https://anond.hatelabo.jp/20251204174231
育児や家事の大部分はアウトソースできるし、そうした支援を駆使すれば負担がだいぶ軽減されるのは事実。でもそれが使えなくなる事情が往々にしてあるので、その理解もしてほしいなという感想。
子供は2歳だが、私のパートナーは社交不安症なので、家に家族以外の人間を入れることはできない。また不安が強いのでベビーシッターに子供を預けるのも難しい。今の保育園も最初は私が送り迎えややり取りを担当しつつ、相当時間をかけて先生方との信頼関係を構築してようやくいま、短時間の預かりができるようになっている。
それ以前は児童館もダメ、子育て広場もダメ、子供もの多い公園もダメで完全に孤立状態の子育てで本当に参ってしまいそうだった。
でも周りに相談すると、いろいろサービスを使えるのになぜ困っているのかが分からないという反応をされる。本人の不安の原因にもなるので、みだりに精神疾患のことを説明することも難しい。だから行き詰まってしまう。