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最近、「量子力学って不思議な学問だよなあ」と考えることが増えた。正直、量子力学は専門家向け、大学以上で初めて学ぶ高難易度な分野とみなされている。けれど、私はむしろこの「目に見えない世界を扱う学問」こそ、義務教育で触れさせる価値があると思っている。なぜなら、この学問には「人間は目に見えることを当たり前に信じているけど、それは本当に正しいの?」という重要な問いが詰まっているからだ。
私たちの多くは、日常生活で「見たもの=現実」として受け止めている。リンゴが転がっていたら「そこにリンゴがある」と疑わないし、机が固くて動かないのは当然のこととして受け入れている。光が差せばそこに物が見え、目の前にある風景が世界のすべてだと思ってしまう。この「当たり前感覚」は便利ではある。私たちは、見える世界をそのまま理解し、そこに順応して毎日を過ごせる。だけど、よく考えてみると「見えるから信じる」って、本当に頼れる基準なのだろうか?
量子力学は、この「当たり前感」を根本から揺さぶる。ミクロな世界では、粒子は同時に波であり、状態は観測するまで決まらない、というまるでSFのような現実がある。これは「観測者が見ていないとき、物はどうなっているのか?」という奇妙な問いを突きつける。日常とはかけ離れた話のようだけど、「見ていないときに本当にそこにあるか?」なんて、普段は考えもしない。しかし量子力学は「それが重要な問題だよ」と言ってくる。
もし子どもたちが、義務教育の早い段階でこうした不思議な考え方に触れたらどうなるだろう? 最初は「意味不明」「難しすぎ」と思うかもしれない。でも、わかりやすい実験やたとえ話で、「物は見ていないとき確定していないかもしれない」といった発想を伝えることは、必ずしも不可能じゃない。たとえば、シュレーディンガーの猫という有名な例え話がある。箱の中の猫は、開けて見るまで「生きている状態」と「死んでいる状態」が重なっている――そんな非日常的なイメージが、量子力学を象徴している。
これを子どもが聞けば、最初は戸惑うだろう。「見ていないときに、猫って何なの?」と混乱するかもしれない。でも、この混乱こそが大事だ。「見える世界がすべてだと思ってたのに、見ないとわからないなんて、どういうこと?」という疑問は、当たり前を疑う力になる。大人の私たちですら、社会で日々目にする情報を「映像があるから本当だ」「写真があるから確実だ」と思い込みがちだ。だけど、量子力学的な発想があれば、目に映るものに対してもう少し慎重になれる。「観測」自体が結果を左右することがあるなんて、実は不思議な話だ。見る側も、ただ受け取るのではなく、世界の状態に影響を与えている。
こうした「世界は実はそんなに単純じゃない」という感覚は、私たちが人間中心の固定観念から抜け出す手がかりになる。人間はしばしば、自分が見た範囲こそが全世界だと思いがちだ。だが実際は、私たちは宇宙のほんの片隅にへばりついた、ちっぽけな存在でしかない。視界が及ぶ範囲なんて、全体のほんの一部にすぎない。量子力学を学ぶと、世界には人間の感覚ではとらえ切れない不確定な要素が広がっていて、そのうちごく一部を「見ている」ときにだけ「確定的なもの」として捉えているにすぎない、という見方が芽生える。
これを知ると、自分が大きな宇宙や自然の中でいかに小さな存在か、深く感じられるはずだ。「今ここで見えるもの」に頼り切ってしまうと、「自分たちが一番」「ここが世界の中心」という錯覚に陥りがちだ。でも、量子レベルの世界を想像してみれば、私たちの確信なんてあやふやなもので、宇宙はもっと広大で奇妙な場所なのだとわかる。すると、少し謙虚になれる。「自分が見ている世界は限られていて、実際にはもっと不思議なことがあるんだな」と。
現代はネットやメディアなどで大量の情報が目に入る時代だ。しかし、その情報を鵜呑みにしてしまうと、知らないうちに操作される危険性がある。見えているから真実と信じるのではなく、そもそも「見える」ってどういうことか、観測とは何なのかを考え直す力が求められている。量子力学的な視点は、そんな思考訓練にもってこいだろう。子どもたちが若いうちから、この不思議な世界観に触れていれば、「見た目がすべて」「映像は真実」という単純な思い込みにとらわれず、批判的な目で物事を判断できるようになるかもしれない。
もちろん、義務教育で量子力学を教えるには工夫が必要だ。理論を詳細に教えるのは難しいだろうし、数学的にはかなり高度だ。だけど、基本的な考え方、世界観を絵本や実験動画、簡単なワークショップで体験することはできるのではないだろうか。たとえば、「観察されるまで色が決まらない玉」の実験モデルや、日常物のアナロジーを使って「結果が確定するのは私たちが見る瞬間」というイメージを伝えることは不可能じゃない。
こんな教育がもし実現したら、子どもたちは「当たり前を疑う力」を身につけるはずだ。大人になればなるほど、人間は自分の知っている感覚に閉じこもりがちだ。けれど、小さな頃から「世界には不確定なものがある」「見ていないときの世界はどうなってる?」「物理学は単に落下や運動の話だけじゃない」という刺激を受ければ、将来、新しい発想やアイデアを生み出す土台になるかもしれない。さらには、ネット情報や映像を見たときに「これって本当なの?」と問い直し、より多面的に世界を理解できる大人へと成長できるだろう。
人間は、どうしても自分たちが中心で、自分たちが見える範囲で世界が確定しているような気分に浸りやすい。でも、量子力学は「君たちが見ているのは、巨大な舞台のほんの一幕にすぎないんだよ」と教えてくれる。舞台裏では、目に見えない無数の可能性や不確実性が広がっているのだ。そう考えると、人間がいかにちっぽけで、世界の理解が限られているかがよくわかる。
その「ちっぽけな存在」である私たちが、自分たちなりに世界を知ろうとすることは悪いことじゃない。むしろ、謙虚さと探究心を持って、見えない仕組みに目を向けることは、これからの時代に必要な姿勢だ。量子力学は、私たちが当たり前と思っている感覚や価値観を揺さぶり、「本当にそうなの?」と問いかける貴重な手段になる。だからこそ、義務教育で量子力学のエッセンスを伝えることは、子どもたちの未来にとって有益だと思う。
見えている世界がすべてではない。そのことを早い段階で知れば知るほど、私たちはより柔軟な思考と謙虚さを持って生きられるはずだ。人間は見ることに頼りすぎている。けれど、量子力学を学ぶことで「見えるもの」がいかに不完全で、小さなスケールに縛られた断片的な真実なのか、思い知ることができる。それは、人類が新しい知覚と理解を手に入れるための、初めの一歩だと思う。
最近、「量子力学って不思議な学問だよなあ」と考えることが増えた。正直、量子力学は専門家向け、大学以上で初めて学ぶ高難易度な分野とみなされている。けれど、私はむしろこの「目に見えない世界を扱う学問」こそ、義務教育で触れさせる価値があると思っている。なぜなら、この学問には「人間は目に見えることを当たり前に信じているけど、それは本当に正しいの?」という重要な問いが詰まっているからだ。
私たちの多くは、日常生活で「見たもの=現実」として受け止めている。リンゴが転がっていたら「そこにリンゴがある」と疑わないし、机が固くて動かないのは当然のこととして受け入れている。光が差せばそこに物が見え、目の前にある風景が世界のすべてだと思ってしまう。この「当たり前感覚」は便利ではある。私たちは、見える世界をそのまま理解し、そこに順応して毎日を過ごせる。だけど、よく考えてみると「見えるから信じる」って、本当に頼れる基準なのだろうか?
量子力学は、この「当たり前感」を根本から揺さぶる。ミクロな世界では、粒子は同時に波であり、状態は観測するまで決まらない、というまるでSFのような現実がある。これは「観測者が見ていないとき、物はどうなっているのか?」という奇妙な問いを突きつける。日常とはかけ離れた話のようだけど、「見ていないときに本当にそこにあるか?」なんて、普段は考えもしない。しかし量子力学は「それが重要な問題だよ」と言ってくる。
もし子どもたちが、義務教育の早い段階でこうした不思議な考え方に触れたらどうなるだろう? 最初は「意味不明」「難しすぎ」と思うかもしれない。でも、わかりやすい実験やたとえ話で、「物は見ていないとき確定していないかもしれない」といった発想を伝えることは、必ずしも不可能じゃない。たとえば、シュレーディンガーの猫という有名な例え話がある。箱の中の猫は、開けて見るまで「生きている状態」と「死んでいる状態」が重なっている――そんな非日常的なイメージが、量子力学を象徴している。
これを子どもが聞けば、最初は戸惑うだろう。「見ていないときに、猫って何なの?」と混乱するかもしれない。でも、この混乱こそが大事だ。「見える世界がすべてだと思ってたのに、見ないとわからないなんて、どういうこと?」という疑問は、当たり前を疑う力になる。大人の私たちですら、社会で日々目にする情報を「映像があるから本当だ」「写真があるから確実だ」と思い込みがちだ。だけど、量子力学的な発想があれば、目に映るものに対してもう少し慎重になれる。「観測」自体が結果を左右することがあるなんて、実は不思議な話だ。見る側も、ただ受け取るのではなく、世界の状態に影響を与えている。
こうした「世界は実はそんなに単純じゃない」という感覚は、私たちが人間中心の固定観念から抜け出す手がかりになる。人間はしばしば、自分が見た範囲こそが全世界だと思いがちだ。だが実際は、私たちは宇宙のほんの片隅にへばりついた、ちっぽけな存在でしかない。視界が及ぶ範囲なんて、全体のほんの一部にすぎない。量子力学を学ぶと、世界には人間の感覚ではとらえ切れない不確定な要素が広がっていて、そのうちごく一部を「見ている」ときにだけ「確定的なもの」として捉えているにすぎない、という見方が芽生える。
これを知ると、自分が大きな宇宙や自然の中でいかに小さな存在か、深く感じられるはずだ。「今ここで見えるもの」に頼り切ってしまうと、「自分たちが一番」「ここが世界の中心」という錯覚に陥りがちだ。でも、量子レベルの世界を想像してみれば、私たちの確信なんてあやふやなもので、宇宙はもっと広大で奇妙な場所なのだとわかる。すると、少し謙虚になれる。「自分が見ている世界は限られていて、実際にはもっと不思議なことがあるんだな」と。
現代はネットやメディアなどで大量の情報が目に入る時代だ。しかし、その情報を鵜呑みにしてしまうと、知らないうちに操作される危険性がある。見えているから真実と信じるのではなく、そもそも「見える」ってどういうことか、観測とは何なのかを考え直す力が求められている。量子力学的な視点は、そんな思考訓練にもってこいだろう。子どもたちが若いうちから、この不思議な世界観に触れていれば、「見た目がすべて」「映像は真実」という単純な思い込みにとらわれず、批判的な目で物事を判断できるようになるかもしれない。
もちろん、義務教育で量子力学を教えるには工夫が必要だ。理論を詳細に教えるのは難しいだろうし、数学的にはかなり高度だ。だけど、基本的な考え方、世界観を絵本や実験動画、簡単なワークショップで体験することはできるのではないだろうか。たとえば、「観察されるまで色が決まらない玉」の実験モデルや、日常物のアナロジーを使って「結果が確定するのは私たちが見る瞬間」というイメージを伝えることは不可能じゃない。
こんな教育がもし実現したら、子どもたちは「当たり前を疑う力」を身につけるはずだ。大人になればなるほど、人間は自分の知っている感覚に閉じこもりがちだ。けれど、小さな頃から「世界には不確定なものがある」「見ていないときの世界はどうなってる?」「物理学は単に落下や運動の話だけじゃない」という刺激を受ければ、将来、新しい発想やアイデアを生み出す土台になるかもしれない。さらには、ネット情報や映像を見たときに「これって本当なの?」と問い直し、より多面的に世界を理解できる大人へと成長できるだろう。
人間は、どうしても自分たちが中心で、自分たちが見える範囲で世界が確定しているような気分に浸りやすい。でも、量子力学は「君たちが見ているのは、巨大な舞台のほんの一幕にすぎないんだよ」と教えてくれる。舞台裏では、目に見えない無数の可能性や不確実性が広がっているのだ。そう考えると、人間がいかにちっぽけで、世界の理解が限られているかがよくわかる。
その「ちっぽけな存在」である私たちが、自分たちなりに世界を知ろうとすることは悪いことじゃない。むしろ、謙虚さと探究心を持って、見えない仕組みに目を向けることは、これからの時代に必要な姿勢だ。量子力学は、私たちが当たり前と思っている感覚や価値観を揺さぶり、「本当にそうなの?」と問いかける貴重な手段になる。だからこそ、義務教育で量子力学のエッセンスを伝えることは、子どもたちの未来にとって有益だと思う。
見えている世界がすべてではない。そのことを早い段階で知れば知るほど、私たちはより柔軟な思考と謙虚さを持って生きられるはずだ。人間は見ることに頼りすぎている。けれど、量子力学を学ぶことで「見えるもの」がいかに不完全で、小さなスケールに縛られた断片的な真実なのか、思い知ることができる。それは、人類が新しい知覚と理解を手に入れるための、初めの一歩だと思う。
最近、「量子力学って不思議な学問だよなあ」と考えることが増えた。正直、量子力学は専門家向け、大学以上で初めて学ぶ高難易度な分野とみなされている。けれど、私はむしろこの「目に見えない世界を扱う学問」こそ、義務教育で触れさせる価値があると思っている。なぜなら、この学問には「人間は目に見えることを当たり前に信じているけど、それは本当に正しいの?」という重要な問いが詰まっているからだ。
私たちの多くは、日常生活で「見たもの=現実」として受け止めている。リンゴが転がっていたら「そこにリンゴがある」と疑わないし、机が固くて動かないのは当然のこととして受け入れている。光が差せばそこに物が見え、目の前にある風景が世界のすべてだと思ってしまう。この「当たり前感覚」は便利ではある。私たちは、見える世界をそのまま理解し、そこに順応して毎日を過ごせる。だけど、よく考えてみると「見えるから信じる」って、本当に頼れる基準なのだろうか?
量子力学は、この「当たり前感」を根本から揺さぶる。ミクロな世界では、粒子は同時に波であり、状態は観測するまで決まらない、というまるでSFのような現実がある。これは「観測者が見ていないとき、物はどうなっているのか?」という奇妙な問いを突きつける。日常とはかけ離れた話のようだけど、「見ていないときに本当にそこにあるか?」なんて、普段は考えもしない。しかし量子力学は「それが重要な問題だよ」と言ってくる。
もし子どもたちが、義務教育の早い段階でこうした不思議な考え方に触れたらどうなるだろう? 最初は「意味不明」「難しすぎ」と思うかもしれない。でも、わかりやすい実験やたとえ話で、「物は見ていないとき確定していないかもしれない」といった発想を伝えることは、必ずしも不可能じゃない。たとえば、シュレーディンガーの猫という有名な例え話がある。箱の中の猫は、開けて見るまで「生きている状態」と「死んでいる状態」が重なっている――そんな非日常的なイメージが、量子力学を象徴している。
これを子どもが聞けば、最初は戸惑うだろう。「見ていないときに、猫って何なの?」と混乱するかもしれない。でも、この混乱こそが大事だ。「見える世界がすべてだと思ってたのに、見ないとわからないなんて、どういうこと?」という疑問は、当たり前を疑う力になる。大人の私たちですら、社会で日々目にする情報を「映像があるから本当だ」「写真があるから確実だ」と思い込みがちだ。だけど、量子力学的な発想があれば、目に映るものに対してもう少し慎重になれる。「観測」自体が結果を左右することがあるなんて、実は不思議な話だ。見る側も、ただ受け取るのではなく、世界の状態に影響を与えている。
こうした「世界は実はそんなに単純じゃない」という感覚は、私たちが人間中心の固定観念から抜け出す手がかりになる。人間はしばしば、自分が見た範囲こそが全世界だと思いがちだ。だが実際は、私たちは宇宙のほんの片隅にへばりついた、ちっぽけな存在でしかない。視界が及ぶ範囲なんて、全体のほんの一部にすぎない。量子力学を学ぶと、世界には人間の感覚ではとらえ切れない不確定な要素が広がっていて、そのうちごく一部を「見ている」ときにだけ「確定的なもの」として捉えているにすぎない、という見方が芽生える。
これを知ると、自分が大きな宇宙や自然の中でいかに小さな存在か、深く感じられるはずだ。「今ここで見えるもの」に頼り切ってしまうと、「自分たちが一番」「ここが世界の中心」という錯覚に陥りがちだ。でも、量子レベルの世界を想像してみれば、私たちの確信なんてあやふやなもので、宇宙はもっと広大で奇妙な場所なのだとわかる。すると、少し謙虚になれる。「自分が見ている世界は限られていて、実際にはもっと不思議なことがあるんだな」と。
現代はネットやメディアなどで大量の情報が目に入る時代だ。しかし、その情報を鵜呑みにしてしまうと、知らないうちに操作される危険性がある。見えているから真実と信じるのではなく、そもそも「見える」ってどういうことか、観測とは何なのかを考え直す力が求められている。量子力学的な視点は、そんな思考訓練にもってこいだろう。子どもたちが若いうちから、この不思議な世界観に触れていれば、「見た目がすべて」「映像は真実」という単純な思い込みにとらわれず、批判的な目で物事を判断できるようになるかもしれない。
もちろん、義務教育で量子力学を教えるには工夫が必要だ。理論を詳細に教えるのは難しいだろうし、数学的にはかなり高度だ。だけど、基本的な考え方、世界観を絵本や実験動画、簡単なワークショップで体験することはできるのではないだろうか。たとえば、「観察されるまで色が決まらない玉」の実験モデルや、日常物のアナロジーを使って「結果が確定するのは私たちが見る瞬間」というイメージを伝えることは不可能じゃない。
こんな教育がもし実現したら、子どもたちは「当たり前を疑う力」を身につけるはずだ。大人になればなるほど、人間は自分の知っている感覚に閉じこもりがちだ。けれど、小さな頃から「世界には不確定なものがある」「見ていないときの世界はどうなってる?」「物理学は単に落下や運動の話だけじゃない」という刺激を受ければ、将来、新しい発想やアイデアを生み出す土台になるかもしれない。さらには、ネット情報や映像を見たときに「これって本当なの?」と問い直し、より多面的に世界を理解できる大人へと成長できるだろう。
人間は、どうしても自分たちが中心で、自分たちが見える範囲で世界が確定しているような気分に浸りやすい。でも、量子力学は「君たちが見ているのは、巨大な舞台のほんの一幕にすぎないんだよ」と教えてくれる。舞台裏では、目に見えない無数の可能性や不確実性が広がっているのだ。そう考えると、人間がいかにちっぽけで、世界の理解が限られているかがよくわかる。
その「ちっぽけな存在」である私たちが、自分たちなりに世界を知ろうとすることは悪いことじゃない。むしろ、謙虚さと探究心を持って、見えない仕組みに目を向けることは、これからの時代に必要な姿勢だ。量子力学は、私たちが当たり前と思っている感覚や価値観を揺さぶり、「本当にそうなの?」と問いかける貴重な手段になる。だからこそ、義務教育で量子力学のエッセンスを伝えることは、子どもたちの未来にとって有益だと思う。
見えている世界がすべてではない。そのことを早い段階で知れば知るほど、私たちはより柔軟な思考と謙虚さを持って生きられるはずだ。人間は見ることに頼りすぎている。けれど、量子力学を学ぶことで「見えるもの」がいかに不完全で、小さなスケールに縛られた断片的な真実なのか、思い知ることができる。それは、人類が新しい知覚と理解を手に入れるための、初めの一歩だと思う。
何年か前にトゲッターかなんかで見かけたけど、
ガスコンロの魚焼きグリル内に軍用機などの模型を置いて写真を撮ると、カッコイイ格納庫内のように見える。
これ豆なw
大阪王将でナメクジ事件を起こしたファイブエム商事だが、不正受給で晒されとる
https://jsite.mhlw.go.jp/miyagi-roudoukyoku/content/contents/001482414.pdf
松川 実
松川 実
(有)ファイブエム商事
2,573,006円
全額返還済
したもの。
松川 実
松川 実
(有)ファイブエム商事
令和5年5月19日
9,686,601円
全額返還済
したもの
https://trend-labo.net/2022/08/27/5mclose/
【大阪王将閉店】ファイブエム商事の契約解除の理由は給付金の不正受給や塩水スープか?
https://kabumatome.doorblog.jp/archives/66024452.html
保健所入る前日の深夜、徹夜で店舗を大掃除して証拠隠滅してるんだけど本当に告発者が守られないなこの国
なんかどっかの機関に密告したらしいけど相手にされなかったからtwitterでやったらしいけど
窃盗罪あるのはちょっと信用マイナスだけど店舗で猫飼ってるようなやばい店だったから告発自体はかなり信憑性あったよ でも個人だから企業に潰された
1545. 全力で名無しさん2024年10月25日 00:19
判決文読んだ?
630. 全力で名無しさん2024年10月24日 21:53
真実がどうかはわからんが、「ナメクジだらけ」という告発に対して、店側は嘘であると、本当なら証拠を出せと反論してきたところ、本人は証拠が出せなかった、証拠が出せない以上、裁判所は客観的に見て嘘と判断せざるを得ず、事の大きさに鑑みて刑事責任ありと判断したというところかな
スマホで1枚でも写真をとっていれば違う結果になっていたと思われる
告発するなら証拠を押さえておくことがマストで、それをしないと最悪刑務所行き&多額の賠償金請求されますよという事例
841. 全力で名無しさん2024年10月24日 23:31
害虫は清掃してればええんよ
ナメクジは清掃程度では退治できねえのよ
マッチングアプリ止めてすぐいわゆる普通の出会いで彼女ができたんで
主な類型は二つ
これは本当に多い
自分の意思でその場にいるんだろうに何が気に入らないのか知らないがずっと不機嫌な女
うっすらこちらに対する敵意すら感じることもある、初対面なのに
自分はプロフィールに一切嘘は書いてないし、写真も普段通りの姿を友達に撮ってもらったもので
盛りも加工もしてなかったから実物みてどうこうってのもないだろうに
会話も全部ぶった切られるから取り付くしまもないし本当に時間の無駄
マッチングアプリで男が病むのは大体不機嫌女のせいだと思う
自分も人を不快にする要素があるのかと思い悩んだりしたが今になって思えばあいつらがおかしかっただけだった
これも多い
不機嫌女のような不愉快な要素はないけど疲れるし困る
コミュニケーション能力に関しては男側もあまり偉そうなことは言えないが物には限度があるだろう
メッセージのやり取り、予定決め、会話全部一から十までこっちが主導しないといけないし
時間をかければそのうち打ち解けるのかもしれないけどそれまでのことを考えると心が折れる
この二つの類型がとにかく多くマッチングアプリ疲れの主原因だろう
他に遭遇した個別事例としては
会話も弾んでライン交換も向こうから言ってきてわりといい感じだったんだが
支払いの時相手が出してきたお金を何気なく受け取ったら態度が一気に豹変
店を出るなり挨拶もそこそこに早足で去って行って姿が見えなくなったら即アプリもラインもブロックされてた
こっちは全部支払うムーブをしてたんだからブチギレるほど払いたくないならお金を出さず素直にごちそうさま言うとけ
明らかに年齢と見た目に不相応なゆるふわな服装で一人称が自分の名前だった40女
声の大きさは立派なおばちゃんだったため周囲の目線がきつかった
明らかに加工っぽい写真ははじいてたが非常に巧妙な写真の加工をしていたらしい
写真の時点でややぽっちゃりくらいだったがそれの大盛2倍くらいのが現れた
あー勿体ない
最近、YouTubeでナムコの社員だった人の技術動画見たりして、スゲーなぁ、でも、やっぱり制約大変だよなぁ、と思い出したりしてたんだけど、
過去のゲーム機とかパソコンでの開発、面白そうだけど、今の自分に精神的に余裕がなかったり、ゲーム機って温故知新というより時代背景と制約の歴史だよね
自分は雑魚レベルだったし、こんなに制約あるんだったらパソコンでOpenGLやDirect3D使ってた方が精神的にもいいや、って思って逃げちゃった人だからなぁ…
最近というか、ときどきというか、自分と同世代が偉業を成し遂げたりしているのを眺めては、スゲーなぁ、としか思えないし、
自分も新聞にちょっと写真付きで記事が出たことが一度だけあったけど、そんな大した話ではないし、運が良かっただけだし、
スゲー人にはなれなかったけど、ダメ人間なりになにか総括したいよなぁ…😟
卒業文集の制作に関わったが、私がやった前の年の卒業文集は印刷業界出版業界ママが関わっていた為に、フルカラー思い出の写真が盛り沢山コネ割引印刷、完全にプロの仕事の飛び抜けて豪華な物だった。
園長先生が、今年から簡素化して園児達の絵でカラー数ページ以外は白黒の文集にしましょうと言ってきて、私ともう一人は賛成したが他の委員は反対した。
皆兄弟のいるママから聞いて他の年の文集を知っているのに、前年からいきなり激しくグレードダウンさせるのは何を言われるか分からないから嫌だと。
特に「写真ページにウチの子供が写ってなかった」「小さく一カ所にしか写ってなかった」事態を避けるため、すべての園児が平等に入ってる写真を探すのは大変だった。
同時期に親が倒れて入院のサポートとお見舞いをしつつ、毎日のように幼稚園に行き、これ〇〇くんが写ってると探し、必死にフルカラーの立派な卒業文集をつくった。
後続のために楽にしたかったまじで。
写真でメールを送れない、メッセンジャーが使えないなど以前普通にできていたことが徐々にできなくなってきてて認知機能が低下してきてるんだなーと感じる。
iPhoneの設定が分からんというのでスクリーンショットで説明するメールを送って電話で指示してたら、送ったメールのスクリーンショットをクリックしながら「動かない」と言ってた。それに気づかずに30分無駄にした。つらい
件のミュージシャンのライブは行ったことないけど、毎週のように趣味でいろんなライブに行く。30代の老害です。
ファンクラブに入るほど好きな大手ミュージシャンの大きな公演から、ちょっと気になったインディーズの小さなライブまで通っている。
それで思うのは、実際にライブ終演前に帰る人の割合は確実に増えていると思う。体感の問題で申し訳ないが。
数人とかじゃなく、客数比でいうと大勢の客がぞろぞろダラダラ帰るんですよ。
音楽ライブへ行かない人のために説明すると、大体のライブは本編の後にアンコールがあったりなかったりして、
演奏全部終わったら、メンバー紹介したり新情報の発表があったり、演者が出てきて客にお礼言ったり、まあいろいろする。(演者による)
で、演者がステージ袖にはけて会場の明かりが点灯して、退場アナウンスが流れたりすると「ライブ終演」だと考える人が多いと思う。
基本的に高いチケットを買っているのだから、客も基本的にその演者が好きか、ポジティブな興味がある人だと思うが、
演者たちがまだステージにいるのに帰るってなんで??と思うのが正直なところ。自分も初めてそういう人たちを見た時にはびっくりした。
終電のためかなと思いたいけど、連れとワイワイしゃべりながらゆっくり歩いて退場していて、特別帰路の心配をしているわけではない様子。
おそらく、単純に規制退場で帰宅が遅れることをいやがって、演者がまだいても帰るんだろうなとは思う。
実際、客としてライブ会場にいると、「終電や帰路を気にして途中抜けする客」って見るからに分かるんですよね。
同情するほど申し訳なさそうに小走りになって退場したり、ステージのほうを何度も振り返ったりしながら帰ったり、後ろ髪引かれてんだなって分かる。
演者の前で退場するのを避けるために、時間に余裕があってもアンコール前に帰る人たちも大勢いる。
だから、最後の曲が終わってダラダラ帰り始める客はすごく分かる。
まあ客はこっちだし、お金出してるんだから来るも帰るも自由でしょ、と言われたらその通りだしそれまでですが。
演者へのリスペクトがないというか、そこに無関心な客は増えてると思う。客だから何してもいいわけじゃないだろうに…
それに演者本人たちが来て、実際に目の前で演奏をして、MCの内容もふるまいもここだけのもの、
今日この時だけの時間を共有できるのがライブの醍醐味なのに、帰っちゃっていいの?というのが正直な感想。
演者がまだいるのに、規制退場を逃れて早く帰りたいの感情が勝つのか?
ライブの価値が変わってるんかな。ライブに来たという事実とインスタ用の写真があればいいとか?知らんけど。
ドリカムの人のお気持ちツイートに関しては、「なんでXで言うかな~FCか公式サイトで発信しなさいよ」という感想。
言いたいことは分かるが、あの言い方だと終電気にして帰る人への嫌味にもとられかねないし、案の定外野にフルボッコにされていた。
まあドリカムは「客にマナーを強く求めてモノ言う厳しいアーティスト」的な世間イメージはないだろうし、余計際立ったんだろうな。
でもさすがに、長年やっていて「終電気にして帰る人々」のことを知らないはずはないと思う。言葉足らずのツイートだったんだろう(と思いたい)。
だから、何も言い訳せずサクッと謝っておしまいにしてしまえばいいのに。
余談だけれど、最近のライブの客層を見ていると、ライブの楽しみ方自体が変容しているんだろうなと感じる。
FC選考で来ているはずのライブで、(ノリが分からないとかではなく)棒立ちで聴いて、演奏が終わるとあっさり帰るとか。
一緒に来たお友達や彼氏と演奏中もずっと大きな声でおしゃべりして演奏をちゃんと聴いていないとか。
撮影可能なライブとかで、もうずっとスマホで写真撮り続けてステージ上の実物を見ていないとか。
自分より若い世代に多いと感じるけど、年配の方でもたまにいる。
楽しみ方は人それぞれだから否定するつもりはないし、そういう楽しみ方をする人は昔からいたけれど、
最近のライブで「今日の客どうした?」って感じるくらい雰囲気が変わるときがある。最前近くの客が全員棒立ち、みたいな。
曲によっては演者側もノリ方(手拍子とか)促したり、「今日はシャイな人が多いのかな~」みたいなことを言うのを聞くかぎり、
ステージ上の人たちからも何か感じている違いがあるんだろうと思ったりする。
結論から言うと現在アプリで知り合った41歳会社員の男性と約1年半付き合ってる。
付き合うなかでまともな恋愛経験がない故に、彼との関係含め今の状況が詰んでるな、と思い過去を振り返りたくてまとめようと思った。
ただの自分語り。
小学校から大学まで共学。高2で一応初彼氏はできた。キスまでして半年で自然消滅。告白されて周りみんな彼氏いたし、一軍男子だったしなんとなく付き合った。まあそれなりに好きだった気もするが、デートも学校から駅まで帰るだけだったし、自然消滅してもあまり悲しくなかったことは覚えてる。
大学に入って他大学とのサークル交流会みたいな飲み会で知り合った先輩と隣の席になり、仲良くなって好きになる。あとで彼女持ちだけどチャラくて有名な人だと知った。けどとにかくタイプで大好きで、まんまとセフレ化。
なんとここから6年も。
とにかくこの人に執着しまくっててやばかった。いつかこの人の1番になれるって本気で信じてた。
そんなんわけないって頭ではわかってたけど、会えばすぐにリセットされて、行為して、終了。
会うペースは月1のときもあれば半年あくこともあった。転勤族だったし先輩。
もちろん6年間友達にこのままじゃダメだ、って連れ出されて合コン街コン婚活パーティーアプリ全部やった。告白してくれる人もいたけど先輩と比べちゃって自分から好きになれる人はできなかった。
そんで先輩と別れて2.3年たって、アラサー、周りも結婚ラッシュでやばいって焦ってた。相変わらず私のクソみたいな状況知ってる友達が合コン組んでくれて、そこで出会った人がなんとなく気になって、向こうも同じように思ってくれたみたいで何度かご飯いったり遊んだりして告白されて付き合った。
やっとまともな初彼氏!かと浮かれて3ヶ月後、既婚者なことを知る。なぜか彼の一人暮らしの家に戸籍謄本あって彼がいないときにたまたま見ちゃったんだよね。なんでまじであそこに戸籍謄本置いてあった?そこに妻と子供の記載。問い詰めたらゲロった。単身赴任で一人暮らしだし全然気づかなかった。でももう大好きになっちゃってて、離婚協議中だから!って言われてそこからずるずる3年。
3年後奥さんにバレたのか急にラインブロックされて家行ってもいなくて、転勤して引越したんだろうね。彼氏だと思ってたけど、ただの現地妻セフレでした。
1年後にSNSで本当に離婚したの見た。どうせなら付き合ってるときに離婚してくれたらよかったのに。まあほんとただ都合のいい女だっただけ。
奥さんと子供には本当に申し訳ないと思ってます。慰謝料請求されなかっただけありがたい。
合コン組んでくれた友達ももちろん既婚者のことは知らなかったよ、後ですごく謝られたけど騙す方が悪いしね。知ってすぐ別れなかった自分が一番悪いし。
いよいよ30過ぎて本当にやばい。いつも諦めないで根気よく色々誘い出してくれてた仲の良い友達もとうとう結婚。一緒に合コン街コン行けなくなった。で、友達の友達がペアーズで結婚したらしいと聞き、もう一度真剣にアプリやろう!と言われ写真からプロフィールから友達と一緒にカフェで何時間も考えて作った。写真も出かけたときに花畑で数百枚撮ってくれて、良い感じに加工しすぎず盛れてるの撮ってくれて、本当友達には恵まれてるよありがたすぎる。だいすき。
両親健在で家族も仲良いし、孫も見せたい。
セフレや不倫してるときはいつかこの人と!ってお花畑で状態で思ってた。
なんせここ10年私は好きな人の2番目かそれ以下の扱いしか受けてこなかったから、好きな人に対する執着心がえぐい。あと趣味がカフェ巡り、美味しいご飯屋さん巡る、とか以外に特になく、よくある趣味=彼氏みたいな典型的なやつだ。だから依存傾向強め。あと一人っ子で小さい頃からなんでも欲しいものは買ってもらえたんだよね。だから自分の欲しいものはどうしても手に入れたいって思って執着してしまう。
セフレの先輩も不倫相手も私からは切らなかった。最後は向こうに拒否されてしたかなく縁が切れただけ。執着したものを自分からなかなか切れない。
あと外見的なこと言うと良く言って中の下。
男の自尊心はある程度満たしてあげれるけど自分の自尊心はどんどん削られて自己肯定感は激低。
何人かと会ったりして、冒頭に書いた41歳の会社員の男性と付き合い始めた。
彼は真面目で優しくて、少し不器用だけど真剣に私と向き合ってくれて、惹かれて付き合い始めた。
年齢的に本当に初婚?て聞いたけど、初婚て言ってた。で、実家暮らし。
大体会うのはいつも私の家か外デート。実家の場所はなんとなく最寄駅は教えてくれるけど、場所までは教えてくれなかった。
付き合う前から年齢的に結婚を考えていることは伝えていたし、向こうもそのつもりで告白しました、と言ってくれてた。
で、現在付き合って1年半、一度も実家に呼ばれたことはない。結婚の話も、1年半ほぼない。私からもなんとなく言い出せずにここまできてる。
何が詰んでるかって、まともな恋愛経験がないから彼氏とどう話し合っていいかわからない。
結婚の話をだして、嫌われたらどうしよう、この人に捨てられたら終わりだ!って思ったらもう何も言えなくなってしまった。大好きなのに。
最初は実家の場所教えてくれないしまた既婚者に騙されてるのかと思ったけど、さすがに1年半毎週末ほぼ泊まりで会ってるしそれはないか、と思ってる。
でも怪しさが拭えなくて、彼の免許見て住所見たら戸建てだった。やっぱ本当に実家なんだ、って思ってストーカーみたいでキモいけど行ってみた。そしたら玄関にアンパンマンのおしぐるま?みたいなのと虫籠があった。よくある青い蓋のプラスチックの。
え、子供いるじゃん、でも住所勝手に見たしこのことは本人にはまだ言えていない。
友達はそれバツイチ子持ちじゃない?たまに子供預けにきてるんじゃない?て言ってたけど、私週3くらいで週末はほぼ泊まり、夜はほぼ毎日電話してる。これでさすがに既婚者はないから、やっぱりバツイチ子持ちだろうな、とは思ってる。
私の結婚出産願望知っててこの1年半過ごしてて、今だに結婚のけの字も会話にでてこないし、親に挨拶とか言う話もまったくない。
ただ本当はバツイチ子持ちなの?って本人に聞けばいいだけなんだけど、それでも全然いいしこの人と人生死ぬまで歩んでいきたいって思うくらい大好きだから。
でも聞けないんだよ、たったそれだけのことかもしれないけど、今更君と結婚するつもりはない、彼女でいるなら最高だけど、再婚は考えてない、とか言われたら今度こそ本当に立ち直れる気がしない。
友達に彼氏の話するといつも怒り狂って、彼氏のいま住んだら家凸する!とか言い出すし、流石にしないと思うけど。うじうじしたままるただいたずらに歳だけとってる今この現状が詰んでるな、って。
やっと、やっと初めて自分から好きになった人と付き合えたから、嫌われたくない。本当に。
セフレと不倫も向こうから一方的に切られてるし、ちゃんとした失恋てのもしたことない。
話し合って別れ話とかしたことない。
今になってようやくわかる。
みんなは恋愛して、喧嘩して、お互いの関係を深め合って認め合って、別れるときはちゃんと話し合って、しっかり人間関係築いてここまで大人になってもきたんだな。
それらの経験が一切ないことの現在の自分の状況が本当に絶望感しかない。
1年半付き合っててそんなことも話し合えないような関係でそもそも結婚なんてちゃんちゃら無理なことは重々承知の上です。
向き合うのが怖い。
漫画作品の表現の幅が狭まるのは嫌だなと反対したけど、腐女子向けが規制されてると手を叩いて大喜びしてる男オタク達を見てウワーと思った。
その後公共の場に小学校近くだろうとどんどこやべーイラスト貼り出して押しつけてきては、法律で規制されてないですが?でごり押ししてるのみてウワァ…ってなった。
中学生をエロ水着写真撮影会に参加させていたからもう公共のプールを貸さないと言っただけで政治家やオタク達が怒り狂って表現の自由を守れと千人デモしているのを見て子供を性的に食い物にするのを表現の自由で正当化するのかと驚いた。
女性支援活動にデマふっかけて支援活動してる人達モデルに嫌がらせAV作って政治家まで喜んでそのAV見てて、活動の場所に押し掛けて活動妨害して、表現の自由に攻撃した報いだとやって、自分が好きだった漫画やゲームやアニメ作者達までそう言う妨害を応援しているのみて、もういいや…ってオタク系統から心が離れてきてる。
都知事選でM字開脚ポスター貼ってた奴や、トクリュウで逮捕された奴までコロアキとつるんで女性支援活動邪魔していたのを見ても、日本腐らせてるように見える。
それにもう子供も居るしネットに漫画のエロ広告溢れたりが本当に嫌だけど、オタクはエロ広告が出るのはお前がエロいからーとか周回遅れ擁護繰り返してて醜い。
婚活アプリ使う平成初期以下の男共は皆共有して「婚活アプリを使うような出会いに飢えている女」というフィルターがかかっていると思った方が良いな
ただし若い世代はアプリで出会うのは普通らしい、Z世代すごい、Z世代こわい。
あと写真を可愛く撮っていいねが500以上来る話はしないほうが良い、多分その写真は"そういう女"に見えるだけ
人権無い発言で炎上したたぬかなさんが言ってたけど、写真はアウトドア系で芋っぽいアウトドア服着た滝とか風景を含めた写真が良いらしい
rohisatoことヤクバハイルです。
私は【反転】していません、暇空さんの敵にまわる気は毛頭ありません、ただ彼と距離を置きたいだけです。
あと、『暇空を賞賛して一緒にcolaboや堀口英利を叩くことで成り上がった時事系YouTuber』というのも誤りです。
叩いていません【意見論評】です。
あとcolabo側が主張する【暇アノン】という呼び名もやめてほしい、元【ベストリガーズ】です。
暇空さんに対してもネットニュースからの記事からのソースを使い、なるべく中立的な立場で動画を作成し、colaboに対する動画は以下の2本だけです。
●【2024年2月投稿】暇空茜さんへの印象操作?アニメイト「京アニ」脅迫事件 / ハイルーちゃん時事ニュースファイル06
https://www.youtube.com/watch?v=aMdOqu1H5XU
●【暇空茜の過去記事終了】【2024年4月投稿】暇空茜、都に勝訴! メディアがついに報道 / ハイルーちゃん時事ニュースファイル08
https://www.youtube.com/watch?v=Qdrkz1bz9iQ
それに堀口英利氏に対して意見論評する集団【堀口系YouTuber】【ベストリガーズ】からは1年前に脱退しています。
●【2023年12月投稿】閉幕 ヤクバハイルは堀口英利氏に対して意見論評する堀口系ベストリガーズより脱退します
https://www.youtube.com/watch?v=AewwF_IQdK4
上記の動画の投稿日は今年の11月ですが、10月に別件があって私のチャンネルは停止し、やむをえず新たにチャンネルを立ち上げて動画を再投稿しています。
自分の主張だけでは心元ないのでクロスミレさんの動画もリンクおいておきます。
●ヤクバハイルさんへの約束(堀口氏への動画を全削除したので収益化までクロスミレさんがサポートする約束)
https://www.youtube.com/watch?v=Gid9Rwpkzzw
んで堀口氏からは2024年1月に開示されましたが10ヶ月間は音沙汰なく、11月になってから急に事態が動きました。
私が引っ越す前の住所に3日おき、立て続けに不審な手紙が届けられたのでアパートの管理会社から私に連絡がきました。
私は上京して管理会社の一室に呼ばれ、堀口氏からの手紙を読んでみると『動画を削除しないと訴える』というものでした。
もう1年前に全動画を削除しているのに訴える?
法律をよく知る堀口氏は1年前に削除されたコンテンツの投稿主を責めるような真似はしない、とすればこれは別人が送り付けたのかもしれない。
手紙を受けた住民A氏は堀口氏の名前を検索し、サツヨコ関連の写真を見ておびえているというので、私はXに以下の投稿をしました。
●👑からの手紙を送りつけてくる人に伝えます。切手代の無駄です、何度も何度も送るのは止めてください。漏れはとうの昔に引っ越しして、今はそこに住んでいません。現在は転送期間も終わって別人が受け取っています。ある程度溜まったら警察に被害届けを出すそうです。
https://x.com/yakuba_hairu/status/1863371756209312133
以上を12月2日に投稿してから1週間が経過し、手紙が送り付けられることはなく平穏に年が越せると思った一昨日の12月9日の夜に事件が起こりました。
私が引っ越す前のアパートの1室の住人A氏がドアを何度も叩く音で目覚め、「どなたですか?」と聞きながらのぞき穴で外を覗くと5人の男たちがいたとの話でした。先頭にいるのは紺色の背広の男で残り4人は黒いジャンパーに黒いスボンでうち2人は黒いリュックサックを背負っていたそうです。背広の男は静かな口調で「ヤクバハイルさんはご在宅でいらっしゃいますか?」と聞いてきましたがA氏は「いいえ、その方は引っ越していません」と答えると背広は「嘘だ!」と怒鳴りドアを蹴ってきたので、A氏も「警察呼びますよ!」と言ってスマホでドア越しに110番を呼び出したとたんに背広は「逃げろ!」といってドアの前から逃げて行ったそうです。アパートの別の住人の話だと怒鳴り声を聞きつけて目覚めて外を覗いたら5人の男が黒いハイエースに乗り込んで走り去ったといいます。
これらの経過を私が知ったのは次の日の10日のことです。管理会社は既に近くの警察署に強盗未遂の被害届を出し、さらに私に連絡してきました。A氏はアパートの別の空き部屋に引っ越すそうです。
婚活にて女性が地雷男性を避けるために気をつけることを僭越ながら私なりに記載してみた。
自撮り、運転免許証などの証明写真、集団写真で自身の顔が拡大された解像度粗めの画像など。
公共トイレの鏡越しで自撮りなんてもっての外(実際2名ほど見かけたよ。小便器が少し見えてたよ)
◾️メッセージの時点で誤字脱字
メッセージのやりとりで3ラリーに1度は誤字脱字のある人は何かしら持ってるので避ける。
◾️すぐLINE交換に移りたがる、もしくはすぐ会いたがる
こちらの気持ちお構いなしにズカズカ入り込むタイプか、ヤリたいだけの人と思われる。
やんわり断ったときに既読スルーする人はヤリたい人と思ってる。
私が婚活してた時期は丁度令和になって2年くらいたった頃だったが「令和になったので婚活頑張りたいです」と記載してる人がいた。
どうみても長々活動してる人=選ばれない人です。
「声優の◯◯が好きで出てるアニメは全てチェックしてます」とか。
実際にこういうタイプと会ったけど、ありのままの俺を好きになって欲しい感があってこちらの興味関心ありそうな会話を広げる気は無さそうだった。
思い出せる範囲でこのくらいだろうか。
結局私の場合は途中でコロナ禍に入ってしまい、自粛期間で婚活進まなかったので緊急事態宣言開けにすぐ結婚相談所に駆け込んで短期決戦で無事成婚いたしましたとさ。
34歳年収700万の高齢貧困弱者男性なんだが高校から付き合ってた元カレが転職してからDVとモラハラするようになり、34歳で別れて婚活を始めた。
友達の友達がマッチングアプリで結婚したと聞いて同じアプリをやってみたけど出会う人みんなどこかおかしい。
ちなみに相手に求める条件は1歳年下〜10歳年上、年収400万以上、離婚歴あってもいいけど子供はいない、タバコ吸わない、できればインドア派(アウトドアな趣味があってもいいけど一緒にやりたくない)
身嗜みに気を使っていれば顔、体型、身長は気にしない。
そんなに理想高くないと思ってたからすぐ相手見つかると思ってたけど私の考えが甘かった。
最初にマッチしたのは40歳の公務員。「結婚相手を真剣に探してます」ってプロフィールもまともで、メッセージも丁寧だったから期待してたのに、いざ会ったら「俺、昔からモテててさー」って自分語り連発。最初は笑ってたけど、3回目の「元カレが~」で完全に冷めた。しかも、食事代割り勘。「俺、平等主義だから」とか言われても、初デートでそれはないだろって感じ。
次は38歳の経営者。会話は盛り上がったけど、話の内容が全部「どれだけ稼いでるか」「どれだけ良い店を知ってるか」って自慢ばっか。最後に「良かったら俺のビジネス手伝わない?」って言われたときは、さすがに鳥肌立った。婚活してるのか、勧誘してるのか、どっちだよ。
36歳の会社員。ゲームとか漫画が好きで趣味がめっちゃ合う!って思ったのも束の間、「休日はほとんど引きこもってゲームしてる」とか言い出して、私まで引きこもりにされそうな未来が見えた。しかも部屋の写真送られてきたけど、めっちゃ汚い。インドア派って言えば許されるわけじゃないから!
41歳の男性。最初の印象は「話が面白いし、リードしてくれるタイプかも」って良かったんだけど、途中から気づいたの。これ、完全に自分のことを舞台俳優か何かだと思ってるやつだって。カフェの店員さん相手に「ここ、僕のお気に入りなんですよ」とか偉そうに言ってて、内心引いた。
37歳、外資系勤務で年収800万、趣味もスポーツと読書で申し分ない。でも、なんか話してて盛り上がらないの。質問しても「まあ普通です」とか曖昧な返事しか返ってこなくて、ついに私も「普通」が口癖になりそうだった。結婚したら何も喋らない生活になりそうで、結局フェードアウト。
35歳、営業職。めちゃくちゃ優しいし、細かい気遣いもできる。デート中も私が話すのを全部肯定してくれる。でも、それが逆に心配になるの。将来、何かあったら全部私が決めることになるのかな?って。しかも、元カレに振り回された話を延々聞かされたときは、正直疲れた。
最後は39歳の男性。最初は普通だったけど、家族の話題になった途端「うちの母が作るカレーは最高」「母が選んでくれたシャツなんだよ」って、母親の話ばっかり。結婚したら、完全に「母と私、どっちが大事?」の争いになる未来しか見えない。
こうやって振り返ると、全員一長一短というか、どっかで「これ無理」ってなるポイントがあるんだよね。
で、何が一番きついって、自分でも薄々わかってんの。「この年齢だし、妥協しないと難しいのかな」って。
でも、妥協したくないじゃん?だって人生のパートナーだよ?下手に妥協してまたモラハラとかされたら、ほんともう立ち直れない。
なんか、理想が高くないって自分では思ってたけど、今の世の中だとそれすら高望みなのかもって思えてきたわ。どうすりゃいいの、これ。