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2025-12-09

お婆さんのひとり言を聞いておくれ

70歳のおばあさんだけど、はてなブログ2008年くらいから見てるし自分ブログ10年以上続けてる。Twitter(今はXって言うんだっけ)も2011年からやっててフォロワー500人くらい。Nintendo Switchは発売日に買ったし、Snow Manデビュー当時からめめ(目黒蓮推しだった。まあ今はめめも向井康二も両方好きだけど。

夫は去年亡くなった。5歳上で職場結婚だった。子供2人育ててまあ普通人生だったと思う。でも夫がいなくなってから急に時間が余りすぎて困ってる。

朝起きてまず仏壇おはようって言う。そしたらSwitchのあつ森を30分くらいやって、Twitter開いてめめの写真を眺めて、はてなブックマークで「高齢者タグエントリをチェックする。みんな親がスマホ使えなくて困るって書いてるけどこっちはiPhone15にしてるし、Apple MusicSnow Manの曲全部聴けるようにしてるんだから、要はやる気だと思うのよね、、

昼間は近所のスーパーに行くけど、総菜コーナーでハンバーグ見ると夫のことを思い出してついこれ好きだったよねって呟いてしまう。若い子に変な目で見られるけどもう慣れた。

夜はYouTubeでめめの切り抜き見て、はてなブログ今日もめめが尊かったって書く。コメントで70歳でジャニオタとか珍しいですねって言われるけど別に珍しくないでしょ。同じ団地にもう1人SixTONES京本大我推しのおばあさんがいるし。

正直夫がいた頃より今の方が自由楽しいである。悪いけど。

まあこんなこと書くと冷たい妻って叩かれそうだけどはてな匿名ダイアリーから正直に書いておく。死んだ人はもう戻らないし生きてるこっちは生きてるうちに楽しみたいだけ。

めめの日曜劇場ドラマ最終回も録画予約してる。70歳だけどちゃんHDDに余裕作ってあるからね。

最後ひとつだけ。私の財産だけど、欲しかったらあげるよ。探してみろ。この世の全てをそこに置いてきた。

anond:20251209122727

相手もやってる」と無理やり思い込むのは歪んだ自己正当化です。

ここにいる殆どのまともな人間他人写真を貼られても勝手プライベートジャッジする悪趣味なことはしません。今話していた人々はみんな貴方同類ではないですね。

anond:20251209115743

素敵な家族だねーでええやんけ

医師でもないくせに余計なお世話でいちいち中身のないジャッジメンタル発揮して「写真貼ってきた!?どんな意図!?なぜわざわざ!?しかも太ってる!?本人も太ってて体重いくつなんだろ?可愛いと思ってるの!?周りもそう思うと思っちゃってるのかな!?」とかやってるってことだろ?現代文明に来ないでねおばさん根性まれキモすぎ

同僚の子もの写真が自慢気に貼られていたけどなんかすごく…顔も体もそっくりですね(悪い意味)…ってなってしまった。子どもが足骨折したって言ってたけどそれ太り過ぎだからなのでは。残酷な話だ

なんで女叩きしながらアイコン美少女アニメなんだろう

女は劣った性別で男は優れた性別という主張をしているのだから高学歴高収入高身長で生まれつき顔の整ったイケオジなんかのアイコンにしておくのが適しているように思うが、女叩きしているアカウントアイコンはほぼ美少女アニメだ。

男叩きしている女のアイコンイケメンアニメかというとそうでもない。むしろゆるキャラアイコン(ちいかわやサンリオキャラが使われていることがやたら多くて、おぱんちゅうさぎもたまにいる)や、セーラームーンのような昔の少女漫画、猫など愛玩動物写真、といったものがよく使われている。女性が好む「かわいいものという全体の傾向はあるが、男性と比べるとモチーフはかなりばらけている。

異性叩きをしながら異性アイコン使用というのは男性特有の現象のようなので、誰か理由を追求してほしい。

anond:20251209091331

前に流れてきたコスプレイヤー写真を使って脱衣やら行為を生成してるのビビった。

もう気軽に写真アップできないねぇニチャア

anond:20251207173640

>東西方向に進む車をブロックするくらいの治外法権はザラ

こういうの、通報しちゃだめなの?

解消されるまで毎週写真を撮って通報したら、警察対応せざるをえないのでは?

anond:20251125192426

流行りを乗り捨ててきただけなのなんてオタクじゃない」というのが良くわからないんだよな。

げんしけんで描かれるオタクは明らかに流行りを乗り捨て続けてきてるだけじゃん。

ガンダム知識を常に集め、年間何百作の新しい漫画を読み、何百ものアニメ情報を集め、何十本ものエロゲをやり、新作ゲームを月に何本も遊ぶ、そんな生き方可能なのは流行りを乗り捨て続けているものだけだ。

ポケモン程度でも毎日時間遊び続けていたら他のゲームなんてやる余裕は全然ない。

今のオタクは同時並行で5本ぐらいソシャゲを遊んでいるが、その影に100本以上の噛み飽きて捨てたガムのようなものが積み上がってる。

そもそもオタクというのはミーハーだ。

そうでないなら鉄道イベントの度に集まってくるカメラ小僧をなんと呼ぶのか。

ネットでバズった鉄道写真を撮るために集ったオフ会の連中は単なるミーハー集団だが、彼らがオタクでないならなんと呼ぶのか。

オタクとはそもそもミーハーなんだ。

薄っぺら言葉遊びで「オタクは高尚なものミーハーとは低俗ものオタクは高尚だから低俗ミーハーではない」とドヤる姿の滑稽さよ。

この薄い言葉を称えるはてなー知能指数の低さが伺える。

というか、オタク活動が高尚だと思っている人間は浅いよ。

はじるすでシコることが革命的だと思っている人間はしょーもないよ。

鼻息を荒くしてLO時代の寵児だと信じ込む姿は惨めでさえあるよ。

居酒屋でジョッキのビールをあおっている人間が「ああ、これこそ本能的な快楽。これこそが真の美だ」と口ずさむようなものだ。

低俗もの低俗ものと割り切って楽しめない人間は駄目だ。

認知機能自分で壊しているようなもんだよ。

そういった人間が「人工甘味料はなんだか後味がベタついて気持ち悪い。本当の砂糖が素晴らしい。白砂糖化学物質だと言っているアンチと違って俺は世界真実が見えている」などとマウントを取って自分世界の上位5%ぐらいにいる違いの分かる男なんだと言い張ろうとする惨めな化け物になっていくんだ。

元増田はそんなバケモノとして生きてきた自分から足を洗おうというのだから立派なものじゃあないか

クソしょぼ浦島太郎

ある所に浦という男がいました。浦が近所にある学校プールに隣接した道を歩いていると、二人の子供が写真に向かってひたすら悪口を言っていました。しばらく眺めていると、子供写真を捨ててどこかに行ってしまいました。浦は写真を拾い、見てみるとそれはウミガメ写真でした。

結構いい写真なようで浦はつい「なかなかいいな」と口に出してしまいました。

「それは私の撮影した写真じゃないか?」

そばにいた男は言いました。

「褒めてくれてありがとう、お礼に家へおいでなさい」男の誘いで浦は男の家に行くことになりました。男の家は壁の所々に海の様な青い何かが貼ってあったり、価値のわからない宝石が箱にも入ってないまま置いてあったりしました

男は冷蔵庫からスーパーで買ったお刺身をなるべく綺麗なお皿に盛り付け、出してくれました

それから男は自分には「泰」と「枚芽」という

子供がいる事を話し、二人が小さい頃に撮影した

ビデオを浦に見せました。

幼稚園学芸会で踊っている二人は確かにかわいくて一生懸命で(これは確かにこんな親バカになるのも無理ないな)と浦は思いました

そうして、ロマンポルノを見たりしていたらもう

時間は経ってしまったようで、そろそろ浦は帰ることにしました

玄関で男は浦に紙袋に入った何かをくれました。

外に出てみると真っ暗!浦はびっくりです

JA時計は深夜一時を指していました。どうやら

男の家の時計おかしくなっていたようで、一時間では無く、4時間ぐらいいたらしいです。

浦は紙袋の中身を確かめてみました。

中には何枚かのCDが入っていました。

どれも浦が小学校中学校の時に好きだった曲ばかりです。

「いつの間にかどれもこれも懐かしくなってしまったんだな…私も」裏はそう思うと、自分が一気に歳をとった様な気になってしまいました

おしまい

2025-12-08

エッセイ的な動物漫画好きだけど

昔あった動物四コマとかSNS動物エッセイ漫画好きだけど個人的に絵柄に思うこと

絵がリアルすぎ→一部を除いて大抵は写真の方が可愛い漫画じゃなくて写真でそのシーンを見せて欲しい

絵がデフォルメキツすぎ→アニメハム太郎プリキュア妖精くらいデフォルメきついと事前知識なしにその動物として認識できないし、動物よりも作者自身分身押し付けられている気分になる

程よくリアルシンプルデフォルメ大人も使える感じの雑貨原作初期のハム太郎くらいのデフォルメだと現実動物と同じくらい愛おしい。

anond:20251208193942

近世以前

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日本において暦日を用いた新年概念が生まれたのは飛鳥時代であり、聖徳太子が十七条憲法を制定した604年まで遡る[13]。その後、646年には朝賀が執り行われ、新年の回礼という風習が始まった[13]。これに伴い、畿内には飛脚使が設置され、701年には通信物を運ぶ脚力(かくりき)が定められた[13]。奈良正倉院に収められている「人勝残欠雑張」には「正月七日のこのよき日、慶びを新にし、泰平が万年続き、寿命は千春を保つことができますように」とする十六文字が記されており、新年挨拶を伴った年賀状ルーツといえる[14]。

平安時代に入ると貴族間で年始挨拶を文で取り交わすようになったと見られ、当時の書簡、文例を集積した最古の例と言われている藤原明衡が残した『明衡往来』にも年始挨拶文例を確認することができる[15]。室町時代に『庭訓往来』が登場し、寺子屋などで読み書きを教えられるようになると識字率の向上が見られるようになった[16]。これに伴って江戸時代には武家社会において文書による年始挨拶一般化したほか、非武家社会においても口頭の代用として簡易書簡を用いることが年始挨拶に限らず一般的になり、公的郵便手段である飛脚使用人を使った私的手段により年始挨拶文書が運ばれるようになった[16][17]。1740年の『書札重宝記』には年始書状のための語彙として「改年、新春、新暦、初春、陽春、祝賀、御慶」などの用語が紹介されている[18]。江戸中期以降は大小暦が大いに流行し、年頭には機知に富んだ摺物の交換が積極的に行われた[19]。

明治時代

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明治維新後になると逓信省前身として駅逓司が設置され、1870年10月には新年賀詞を示す太政官令が発布された[20]。1871年には郵便制度確立し、1873年に二つ折りの郵便はがきが発行され、1875年には単面の官製はがきなどが見られるようになった[20]。これにより年始あいさつを簡潔に安価で書き送れるということで、葉書年賀状を送る習慣が急速に広まっていった。1887年頃になると年賀状を出すことが国民の間に年末年始行事の1つとして定着し、その結果、年末年始にかけて郵便局には多くの人々が出した年賀状が集中し郵便取扱量が何十倍にもなってしまった。

郵便事業に携わる人の数は限られているため、膨大な年賀状のために郵便物全体の処理が遅れ、それが年賀状以外の郵便物にも影響し通常より到着が遅れることがしばしば発生していた。しか年末商売上の締めの時期にも当たり、郵便の遅延が経済的障害ともなりかねない状況となっていた。その対策として1890年1月1日からの3日間、年始の集配回数を減らす対応が取られた[20]。それでも、さらに増え続ける年賀状にその対応だけではとても追いついていけなかった。また当時、郵便物は受付局と配達局で2つの消印が押されていた。そこで受付局か配達局の「1月1日」の消印を押してもらうため多くの人がそこを狙って年賀状を出すようになり、12月26から28日あたりと1月1日当日の郵便物が集中するようになった。そこで1899年、その対策として指定された郵便局での年賀郵便特別取扱が始まった[20]。年末一定時期、具体的には12月20から30日の間に指定された郵便局に持ち込めば、「1月1日」の消印元日以降に配達するという仕組みになっていた。翌1900年には(必要に応じてではあるが)全国の郵便局で実施、私製はがき使用も認められ、1905年に完全に全国の郵便局で実施されるようになった[21]。この頃の年賀はがきの概数は1億1000万通前後であったが、郵便ポスト投函可能となった1907年には4億通を突破し、「年賀状ブーム」とも呼べる時代が到来した[21][22]。

大正戦前昭和時代

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琉球郵政庁が発行した1957年2ドル年賀はがき

関東大震災1923年)や大正天皇崩御1926年12月25日)の年は、その年(翌年配達分)の特別取扱が中止された。明治天皇昭和天皇崩御の年は実施されている。

年々取扱量が増えていくと共に私製はがきの取扱量も増えていったため、1935年昭和10年)に私製はがき貼付用として年賀切手の発行が始まった。しかし、時勢の悪化により1938年昭和13年)に年賀切手の発行が中止。 さら物資節約のため1941年昭和16年)の年賀状から特別取り扱いが廃止[23](廃止決定は同年11月6日[24])。この年の東京中央郵便局が集配した年賀状は1/3に減少した[25]。

戦後昭和時代

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終戦後の1948年昭和23年12月15日、特別取扱と年賀切手の発行が再開された[26]。この年から年賀切手図柄干支にちなんだ郷土玩具のものになる。1949年昭和24年)、お年玉郵便はがき年賀はがき)が初めて発行され(官製はがきとしては初めての年賀はがき)、大きな話題を呼び大ヒットした。そしてこれを機に年賀状の取扱量は急激に伸びていった。1955年昭和30年)には、アメリカ合衆国による沖縄統治に置かれた沖縄諸島でも琉球郵政庁により年賀はがきが発行され、1956年には年賀切手も発行されている。

→「年賀寄付金」も参照

お年玉郵便はがきは当初、寄付金付きの葉書にくじが付いていたが1956年寄付金なしの葉書もくじが付くようになった。1961年昭和36年から年賀はがき消印が省略され額面表示の下に消印に模した丸表示を印刷するようになり、1968年昭和43年)には郵便番号導入により郵便番号枠が追加された。

1970年代になるとプリントゴッコの登場と相まってで年賀はがきに絵や文字印刷する年賀状印刷が盛んになり、1982年昭和57年から寄付金付きの年賀はがきにの裏面に絵や賀詞が印刷されるようになった。1989年平成元年からはくじ付きの年賀切手も発売されるようになった。

平成・令和時代

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2007年カーボンオフセット年賀状200枚包装紙

イラストデジタルカメラで撮った写真などを家庭のパソコンプリンター作成印刷するスタイルが定着し、手間が減った。2005年からは光沢感がありインクジェットプリンター印刷に適したインクジェット写真年賀はがきが発行されるようになった。

一方で2000年代からインターネットの普及が拡大。インターネットと紙を融合した「ネットで届く年賀状」などのサービスも登場したが、年賀状用紙やプリンターが高額、書いたり投函するのが面倒、交流がある人でも自宅住所が不明であるなどの理由で、年賀状を出さずに電子メールなどの紙以外のオンライン手段で済ませる人が増加。携帯電話を使った「あけおめメール」による通信混乱は2000年代の正月風物詩となった。

2008年には、郵政民営化を機に「カーボンオフセット年賀はがき」や「ディズニーキャラクター年賀はがき」などの新商品が出た。

20176月1日郵便料金が値上げされ、通常はがきも52円から62円とされたが、2018年用に限り年賀はがき1月7日までに年賀状扱いとする場合)は旧料金のまま(52円)とした[27]。年賀はがきの発行枚数の減少を食い止める効果を期待しての値段据え置きであったが、結果として総発行枚数は前年比より5.6%減少したほか、1月8日以降に差し出す場合は差額として10円分の切手を貼り足す必要があったこから利用者からはわかりづらいと不評の声もあった。この取扱いは1年限りで終了し、翌年から通常はがき年賀はがきは同一の料金となった[28]。

2010年代になるとスマートフォンソーシャル・ネットワーキング・サービスSNS)、インスタントメッセンジャー等が普及し、新年挨拶オンラインで済ませる人がさらに増えた。LINE運営する「LINEリサーチ」の2019年のインターネット調査(約59万人対象複数回答)によると、「葉書を送る」と回答した人は60代以上で71.7%だが、20代は26%であった。一方「SNS送信する」が30代から60代以上でいずれも60%に達し、20代では72%に上った。IT企業TB名古屋市東区)は2017から高齢理由に、今年限りで年始挨拶をやめること(年賀状じまい)を伝える例文をサイト上で提供している[4]。

また高齢者の増加の他、郵便料金の値上げ、特に202410月1日以後は、消費税増税に伴う転嫁分を除けば実質1994年以来30年ぶりの大幅値上げで1枚85円[29]となったこともあり、年賀状終いをする世帯が急激に増え、アスカネットの調べでは、2024年に年賀状を出さなかった人は58.2%に及び、そのうち20代が72.5%、30代でも65.8%が年賀状を出さなかったとする統計がでている。また「年賀状フタバ」の調べでは、全体の6割が3年以内に年賀状終いをしており、そのさらに半数の3割強が2023年度で終わりにしたという人である企業においても、葉書をやめて、SNSなどを利用した「ペーパーレス」に移行したところも多いとされる[30

半年ダイエット続けた結果

体重79→69kg

腹囲104→101cm

 

そして胸が減った。

測ってはないが、数ヶ月前写真に撮った体型と比べると確かに胸が減ってる

まあそんなとこ減ってもしょうがないんだがな~。

anond:20251208173143

婚活女叩きやたぬかな騒動で表面化したが、非モテ男は「自分を選ばない女や言いなりにならない女」に群れをなして攻撃するが、非モテ女にはその危険性がないのが担保されてるしな

異性から恋愛対象ではないのを明言されたり「普通の人より努力必要」というアドバイスに逆上して「恥をかかされた」と暴れて加害するのは男だけなんだよな

性的魅力のない非モテの女が下記のような暴走してるのは見たことないもんな

・「レイプなどの犯罪被害者よりも誰からも愛されないし助けてもらえない非モテ男性の方が辛い」と主張する

・親しくもない、もしくはお互い面識のない男女を強制的マッチングさせるシチュエーション固執する

・男抜きで完結している女の存在を許せず、鍵垢で一人で飲み食いしているだけの女の自撮りに対し「おもしれー女とチヤホヤしてほしいんだろ」と罵倒

・女は非モテ男が結婚できず子供を残さず死のうが無関心だが、男は「未婚で子無しの女はこんなに惨め!無惨様!」みたいな罵倒を四六時中繰り返す

・30人しか見てない配信のたぬかな身長人権発言を無数の男が無職潜伏生活に追い込むまでリンチ

・「汗臭い男性体臭ケアしてください」と発言した無名アドバイザーを無数の男が(ry

・「低身長男性婚活では不利なので普通の人より努力必要」とポストした無名婚活業者を無数の男が(ry

・何かの動画で「低身長基準は?」というアンケートに「170cm」と答えただけの一般女性を無数の男が(ry

・ぱっと見港区女子崩れの未婚に見える小綺麗な30女のカレー食べてるだけの自撮り(実際は子持ちで実業家)を無数の男が(ry

自分を断る初対面の婚活女性高望クズ女扱いして罵倒デフォ)を無数の男が(ry

・面識のない江頭にアドリブで襲われて泣く永野芽郁を無数の男が(ry

・同世代彼氏誕生日の高額プレゼントを貰ったJDを無数の男が(ry

BL推し活等のイケメンコンテンツ(これらのせいで自分達下位男性が女に相手にされないと思っている)を否定

・「CAマッチングできるのは身長170cm以上の男性」という無名アカウント発言に無数のCAへの罵倒(空中オナホ売女など)が集まる

自分アプローチを断った女へのレイプ扇動ネット工作写真個人情報付き、本人なりすまし第三者視点で「私を犯して」「あいつはヤリマン」)請負業者が多数存在、(離婚調停中の)別居中の妻をレイプさせようと妻を装い「私を犯して」と個人情報ネットにばらまきレイプ事件が発生して逮捕される

レイプ被害者が苦しむエロ漫画掲載中止に追い込む

女は自分を選ばないまたは無償奉仕してくれないイケメンヤリチンホストアイドルなどの売春夫に無関心

しか高齢非モテ男は自分を選ばない若い女美人、金を取らないとやらせてくれない風俗パパ活女といった、自分を選ばない女、無償奉仕してくれない女を見ると見ず知らずの相手にすら憎悪殺意を抱き、彼女らが不幸になる創作嘘松を量産してバズらせるし、凶行や嫌がらせに及ぶ

週末@鹿児島

出張熊本に来ている。

だが週末、熊本でなにかあるのか知らんがホテル満室で追い出されたので旅に出る。(泊まれるが法外に高い)

候補宮崎鹿児島

どっちがいいかChatGPTに聞いたら「どっちもいいよ!」みたいなふざけた回答しやがった。

おまえはいつもそうだよ。二択で質問してるのに玉虫色の回答で責任回避しようとしやがる。

どっちか選べと指示したら「鹿児島」だと答えたので鹿児島に決定、はい責任はChatGPTな。

6日朝、桜町バスターミナルに向かう。

中吉野家で朝食をとる。「牛すき定食肉二倍盛り」。朝なのでビールは無し。バス旅でおしっこ危険

俺は吉野家では「並牛」「牛鮭定食」「牛すき定食肉二倍盛り」しか頼まない。

人生吉野家から40年間これを貫いている。あと吉野家以外の牛丼屋はパチモノでありクソである

キン肉マン問題や嫌なら食うな問題などどうでも良い。牛丼吉野家である異論は認めない。

吉野家下通店のドアは手動である、なぜ自動ドアにしないのか謎。理解不能。これだけは吉野家を許せない。

熊本大衆は育ちが悪く品性が低めなので開けたドアを閉めない。ドアをきっちり閉めたら負けだと思っている。

意味わからん

熊本にはそこらじゅうに「あとぜき」の張り紙がある。熊本弁で「開けた扉を閉めろ」という意味だが、

そんな張り紙をあちこちで見かけるほど奴らはことごとく閉めない。

まして吉野家の手動ドアなど完全に閉まることはまずない。閉めろと念入りに張り紙はしているが誰も閉めない。

寒風が吹き込む。マジうざい。だから田舎は嫌なんだよ。

イライラしながら牛すき肉二倍盛りを食う。不穏な空気である

徒歩、桜町バスターミナルに着くと20分後出発の便がある、鹿児島行きバス路線があるのは知っているが時刻表までは調べていない。

チケットを購入。

旅慣れている俺はファミマで颯爽とお茶チョコワッフルを購入。

バスに乗る。

熊本バスはクソ遅い。市内慢性的渋滞なのに市内から高速道路までのアクセス道路が無い。首都高的な、バイパス的な道路がなく

遥か遠いインターチェンジまで下道を走る。

桜町バスターミナルから熊本ICにたどり着くだけで一時間かかる。新幹線ならもう鹿児島に着いている。

だがバスなら4200円で鹿児島まで行ける、新幹線だと7700円

バス一択である、金は無いが時間たっぷりある。そもそも急ぎの旅ではない。バスの車窓も含め旅なのだ

それにしても遅い、市内でいちいちバス停に止まり乗客を乗せる。高速バスなのにぜんぜん高速じゃない。

ようやく高速道路に入り山中をひたすら走り、無駄鹿児島空港に立ち寄り、3時間半で鹿児島中央駅に到着。14時くらいだったと記憶している。

鹿児島は20年ぶり。今の駅ビルに建て替わる直前の鹿児島中央駅(当時西鹿児島駅)にしかたことがなく現在の立派な駅ビルには薩摩藩の貫禄を感じた。観覧車もあるし。

駅前をふらついていると市内観光循環バスを見つけた。230円でぐるっと一周できる。80分乗って230円。どう考えてもお得。乗るしか無い。これで主要観光地全部行ったことになる。

乗ってから数分で気付いたが、そういえばこれ20年前も乗ったわ。見覚えあるわ。行動パターンが20年変わってない俺。

西郷どん洞窟ショボっとか思いつつ、20年前も見たわ、みたいな。

俺は日本全国、世界各地行っているのでたいていのモノは初見でも感動も無いが、二度見であるからさらに新鮮みもまったくない。

16時。アホらしくなり途中天文館で降り(ほぼ一周してる)、銀だこで腹ごしらえ。

安定の銀だこ、どこで食ってもハズレはない。

鹿児島に来たからと言うて嬉しそうに黒豚だの地鶏など食わない。どうせまずい。よくて値段相応

高度に資本主義が発展し、かつ食品の保存、輸送が極限まで進化した我が国

朝に豊洲仕入れた魚が午後には那覇空港に到着し空港の中の寿司屋提供されるのだ。

美味い魚や肉や野菜大資本が狩り尽くし、一般市場にはそのお溢れしか回ってこない。

地元から新鮮で高品質で安い、なんて幻想にすぎない。もうそんな時代ではない。

美味いもの食いたきゃ金を出さなければならないし、品質は都会も田舎も変わらない。

都会の方が競争があるだけ切磋琢磨があり、安くて美味い。

から銀だこで良いのだ。

ハイボールたこ焼き、最高であり、庶民幸福であり、食いながら宿を探す。

宿は取っていない、取れなきゃ満喫でもいいのだ。この時間になるとホテルは空室よりもマシと捨て値で部屋を売り出す。

案の定東横イン7000円を見つける。予約し銀だこ会計チェックインに向かう。徒歩5分

ちなみに銀だこスタッフはみな可愛かった。鹿児島女子レベルが高いように思う。熊本には悪いが熊本はアレだ。

熊本は男は扉を閉めない、女はヘチャ。ではいいとこ無しのようだが、俺は熊本が大好きだ。なんなら引っ越ししてもいいと思っている。

息子が友達と離れたくないと拒絶したので断念したが、でもキミクラスで浮いててボッチって嘆いてなかったっけ?まぁいい。

ともかくホテルチェックイン暇つぶしテレビを見る、スマートテレビはネトフリにも対応、颯爽とログインして「斉木楠雄のΨ難」の続きを観る。鹿児島まで来てなにやってんだと思うだろうが、いいのだ。こういうのでいいのだ。

21時。小腹が空いた。週末の鹿児島繁華街、どんなものパトロールに出発。

グッと来る店がまったくない、Barキャバクラ居酒屋、なんでもいいから1軒くらいと思ったが、無い。

仕方がないので客がそこそこ入ってるラーメン屋に入ったが、ぜんぜん美味くない。な?だろ?

ホテルに戻り寝る。

朝、さてどこに行くか、ノープラン。アホらしいので即戻りでもいい気がしてきたが、せっかくだし、桜島に行く。

桜島には興味はないが一応は名物だし未踏破なのでよかろう。

フェリーに乗る。チケットは無く桜島の下船時に支払うという合理的オペレーションはグッドである。そして安い。250円だったか

金額を確かめようと念の為にググったら検索要約に130円と出てきた。どっからそんな値段が出てきたのか。これだからAIは。

古い値段なのか、小児運賃誤判定しているのか、意味わからん

 

それにしても桜島は偽物である。おまえ島を名乗っているが島じゃねぇじゃん、繋がってんじゃん、現状ただの半島であり錦江湾のノドチンコである。桜半島改名しなさい。島じゃないんだから

無論、ただの地名であるという言い訳もありましょう、例えば島原は島でも無いし原っぱでも無い、島が付く地名などゴマンとあり、地名実態は別物であり、安田さんが安いわけでも田んぼなわけでもない、それらの一種であるという言い訳だろうが、俺は許さない。

 

とか思いながら桜半島を眺めていると船は出発した。デッキではアホみたいにうどんを食うてるアホがいる。クソ高いのに美味いわけが無い。

テレビタレントうまいうまいと言うてるのを見て自分も食いたくなったのだろう、美味いわけが無い。

船は15分で到着。元船乗りの俺としてはこの手のフェリーの操舵技術には感服する。

毎日決まった航路、港とはいえ、すごい技術なんですよこれ。

自動車CMなどでキツキツ駐車スペースにスピンで滑りながらピタリと止める、みたいな演出あるじゃん

あいレベル運転なのよ、素人にはわからんだろうが。

ともかく桜半島に到着。

降りる、250円払う。Suicaで払おうとしたが使用する人はほとんどいないのだろう、都度タッチ端末を起動しているのか知らんが応答がすこぶる遅い。

ところで半島がなにやら騒がしい。爆発音が鳴った。

なんぞ?

なんか人がたくさん走ってきた。マラソン大会してやがる。うっざ、さっきのはスタートの合図

この手の観光地にはたいていレンタル自転車があるもので、案の定あったので借りに行ったら今日マラソンからダメだと。ふぁっく

わざわざ活火山真下マラソン大会やってんの。3000人集まってんの、アホかと。

徒歩で海岸沿いに向かう

ビジターセンターなる観光施設があったので入る、土産屋があり溶岩石が売っていた。300円。

マイクラにハマってる息子が最近やたらと溶岩溶岩とうるさいので買っていこうと思ったが、

ここってそこらの石全部溶岩じゃねぇの?

という真実に気づいてしまった。

海岸沿いに恐らくかつて溶岩だったのではなかろうか的な石ころを拾ってカバンに詰めた。300円儲かった。

なぁに子供にはわかるまい。ただの石でもいいのだ。

かつこの行為が厳密には法律違反ではなかろうとかい懸念もあるが、俺の中では違法性は阻却されると判断している。

鹿児島に戻る。

ちなみに船の出発ジングル長渕剛であった。俺は長渕が嫌いである。

人格品格というのはその人がアイデンティティ確立において誰もが何かしら持つ劣等感をどのように消化するか、が大きく作用する。

彼は音楽に関しては天才である。体系的音楽教育を受けずギター一本で多くの人の記憶に残る名曲を生み出してきた才能は凄いのであり、俺も若い頃、まだ自分ピアノを弾いていた頃には彼の曲をいくつか弾いた。コード進行シンプルであり、奇抜な音楽要素を取り入れるわけではなく、しかし優しく強いメロディーは誰の頭にも残る。

が、彼は自己プロデュース能力タレント性、カリスマ宗教にしてしまった。

アホを信者搾取することは悪いことではない。宗教屋はみなやってる、それで救われるやつもいる。

が、彼は劣等感の克服を歪んだ形で完結させ、歪な宗教昇華させた。俺はそれを嫌悪するのだ。

ワンテイクというYoutubeチャンネルにも出ているが、説法がながぇのよ、普通アーティストは「行きます」程度の一言演奏開始するのだが、彼は人生口上を長々と30分近く喋ってから演奏に入る。うぜぇぇぇぇ、のであり、嫌いだ。

さて、俺は帰りのフェリーの甲板で涼んでいた。外気温19度、日差しもあり普通暑い。散々歩かされたので汗ばんでいる。

Tシャツ一枚で潮風に当たっていた。くっそ気持ちいい

が、近くに高校生修学旅行グループ行動らしき集団がいて、「さーむーい」「マジありえなーい」みたいな私弱いアピールして女子の真横でTシャツであり、俺がおかしいのか、JKがブっているのか、みたいな絵面であり、俺はJKたちに笑われていた。

さーせん、間違えているのは俺です。デブ中年ナメんなよ。

鹿児島中央駅まで戻り指宿まで行く、まだ時間はある、片道1時間ちょい。指宿で降りずにそのまま乗り続けるとJR路線西端西大山駅まで行けるらしく、かなり魅惑的であり、てかそのまま枕崎まで行きたいが、アホではないので帰りをシミュレーションすると無理ゲーであることがわかり諦めて指宿で降りる。

というか、鹿児島県は上白石萌音様を生み育てた聖域であり、指宿はかの大漫画家川原泉先生を生み出した伝説の地である

堪能せねばならない。

指宿駅前食堂だか居酒屋だか料理屋みたいなのがあり、2500円の定食を食う。きっと川原泉先生もここで飯を食われたに違いないと考えると美味さは倍増する。実際美味かった。だが、どうやらその日は指宿で全国かつお祭りとやらが開催されているようで(店にポスターが貼ってた)、車で10分ほどの会場でなんかやってるらしい。13時半なのでまだ間に合う。俺が計画的に行動し、事前リサーチしていれば間違いなくそれをターゲットにしていただろう、カツオは俺の好きな魚ランキング10位内には入るほど好きだ。残念

が、2500円の定食にはカツオも入っていたのでヨシとする。

地ビールがあったので飲む、美味い、おかわりしてしまった。これが間違いだと気づくのは30分後である

14時半、帰路、鉄路バスか。どちらもアリのようだ。来るときJRだったので時間かかるが景色の良さそうなバスもよかろうとバスで帰ることにした。ちなみにJRはクソであり、せっかく海岸沿いを走っているのに藪で景観台無しである

JR軌道外の雑草放置しているため車窓は最悪のコンディション。

で、バスに乗ったが10分走るとおしっこがしたくなった。

言い訳をすると乗車直前にトイレには行ってる、アホでは無いのだ。

が、ビール二本の利尿作用は即座に猛烈に来た。

あと1時間ちょい我慢は「むり」との決断を下し、途中「観音崎展望所」バス停で途中下車

道の駅からトイレくらいあるだろう、あった、おしっこした。セーフ。間に合った。次のバス検索すると絶望しか無かった。2時間後。

最寄り駅まで徒歩20分。20分くらいは歩くが、列車が来るのは1時間後。ふぁっく。ド田舎死ね

結局小一時間海岸で桜半島を眺めながら佇むことになった。気候が良いのが救い、桜半島はきれいだった。

ようやく時間が来たので生見駅から列車に乗る。「ぬくみ」と読むらしい、勉強になった、残り人生で活かせる機会は無いだろうが。

生見駅での乗客は俺一人だが、枕崎指宿から乗ってきたのであろう観光客で空席ゼロ外人だらけ。

ちなみに生見駅の側には「この付近で大便した奴はぶっ殺す 家主」的な看板があちこちにありどんな治安だよと思った。

17:10 鹿児島中央駅到着

本来の目論見では鹿児島中央から4400円でバス熊本まで戻る予定だったが、この時間だともはや新幹線ワープしかない。

(当初は在来線オレンジ鉄道経由も考えていた)

タイムイズマネーである。なぁに金ならある。

指宿在来線から新幹線に乗り換えようとしたのだが、改札内新幹線切符売り場は無いらしい、一度改札を出てから買い直しだとか。

都会育ちの俺は新幹線とは5分に一本走っているものという常識がありそのような感覚だったが、時刻表を見ると絶望しかなかった

17:04 福岡方面新幹線出発

17:07 福岡方面新幹線出発

17:10 指宿から在来線到着(俺が乗ってきたやつ)

17:54 福岡方面新幹線出発

 

はぁぁぁぁぁ?

よんじゅうよんぷん?待ち?なんで接続列車にしないの?その前が3分間隔出発で次が44分の空白ってなんなの?

なんでばらけないの?アホなの?

 

が、良い、許す。俺はちょっと機嫌が良い。

実は指宿からの帰路に衝撃的な出会いがあった。途中でJK3人組が乗ってきたのだが、その一人が俺の初恋の人にそっくりだったのだ。

瓜二つというて良い、とはいえ初恋の人に最後に合ったのは35年前なので記憶が定かではなく写真も持っていないので相当補正がかかっているかもしれんが、顔立ち、スタイル雰囲気そっくりだった。俺が余命一ヶ月とかならアレでソレしてしまたかもしれない。だが俺はあと50年生きる予定なのでそんな事で刑務所には入りたくない。

ともかく、鹿児島中央駅で無駄に44分潰すことになった。

コーヒーを飲む。そういえば出張に電動鼻毛カッターを持ってくるのを忘れた(バックのどこを探してもない、入れたはずなのに)ので隣のヨドバシで買うか思案、だが、よくよく考えてみると鼻毛カッターを使うのは1週間から10日に一度である

出張はあと2週間だから使っても1回、もしくはせいぜい2回であり、自宅に戻れば前のがある、別にそれで困ってない。

パナソニック製で10年前に購入したものだが、電池式なのでバッテリーヘタリもない。そもそも毎日使うものでもない。

電池交換もこの10年で2,3回である

そしてこの歳で新しい電動鼻毛カッターを購入したとしてあと何回使うだろうか。鼻毛がどうでもよくなるのが80歳くらいだとして、週一使うとして残りざっと1400回である

あ、けっこうあるな、新しいの買ってもいいかな、人生最後の電動鼻毛カッター、いやいやいや、今のやつで人生最後まで走り切れるのでは。

電池交換もあと3,4回か。てか俺の人生っていったい。

とか考えてたら30分が過ぎ、ホームに向かう、新幹線ホーム喫煙所があると思いきやなかった。大都会熊本駅にはあるんだけどね。

新幹線発車。

車内アナウンスで「座席荷物置くな」と言うているのにお隣の中年女性はガン無視

俺は三列シートの真ん中にふんぞり返って座っている。なぁに乗車率3割も無い。

ちなみに三列シートは真ん中だけちょっと幅が広いのだ。

熊本到着、ここから在来線であと少し、ジョルダンによると

18:40 新幹線熊本到着

18:58 熊本出発(豊肥本線 肥後大津行き)

18分のインターバルがあるのでのんびり新幹線ホーム喫煙ルームタバコを吸う。

 

吸い終わり、ん?豊肥本線ってこの時間そんなに間引き運転だったっけ。調べると

18:43発があった。余裕で乗り換え間に合うじゃん。ジョルダンふぁっく

 

なんやかやホテル到着、急いで帰ったのは理由がある、荷物が届く。

スーツケース宅配便で送っている。ホテルというかウィクリーが預かってくれないので近所のコンビニから Permalink | 記事への反応(0) | 16:52

90年代はこんな制服があか抜けてなかったし髪型も野暮ったいはず。

壁にある印刷物デジタルだし99年は厳しいな。2010年代を古い写真風にしている感じ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/ascii.jp/elem/000/004/358/4358014/#bbutton

映画ブラックニングを見た

黒人差別問題に切り込む傑作ポリティカルコレクトネスデスゲーム映画だと思うんだけど。82点。

 

解放記念日大学時代同級生黒人集団山中キャビンに集まると突然デスゲームが始まって~という1000回見たお話

ホラー映画黒人が登場してもすぐ死にがち問題を取り扱っており、タイトルバック最初ゲーム質問は「黒人最後まで生き残るホラー映画を答えろ」で正解できずに悲劇が始まってしまうところからもそれはあきらか。

 

デスゲームものから当然、仕掛け人 a.k.a 犯人がいるんだけどこいつかなぁという人物犯人です。しか犯人当てに製作者は重きを置いていないのはすぐにわかる。作中でなぜかめちゃくちゃ「androidスマホを使っていること」を強調する人物が登場しそいつが「androidの充電器ない?」とペンションで聞くと「androidなんか使っている人いるわけない」というめちゃくちゃなこと言い出す展開があるんだけど、これって「apple広告戦略iPhone使っているのは善人にしなければならないらしい」という昨今めちゃくちゃ流行ってる映画業界あるあるをぶち込んだギャグなんだよね。なのでもう最初からそいつ犯人ですよと作品は示してくれてる。

こんな感じで自虐的でもあり、社会風刺的でもあるある意味ではめちゃくちゃ真面目な映画なんだけどそれを全編コメディとして描かれているのがすごい。ある意味で言えば黒人スタンダップコメディ映画化したみたいな作品。身内ごとだからってめちゃくちゃやりすぎだろとめちゃくちゃバツの悪い思いをしながら爆笑してしまった。

例えばペンションにつくとキングアリソンに対して「おい、お前の肖像が飾ってあるぞ」と話を振る、視線の先にはシマウマ写真が。アリソン黒人白人ハーフって設定なのね。笑えんって!しかアリソンキングに対して「貴方彼女のじゃない?」と回答する、キング白人女性と付き合ってるのね。笑えんって!

その後もラッパーチップスを買い集めるデブフラッパー女性とか、めちゃくちゃ甘いジュースを作った人に対して「糖尿病黒人病気からって~」って言うとか、すぐにヤクをやりだすとか、クローバーを切るよな黒人ならとか、とにかく彼らは常に「そりゃ黒人的だ」「黒人的じゃないね」と延々と黒人ジョークを言い合っていて、このへんテンポもいいし会話の内容も興味深くて楽しい

 

そしてデスゲームが始まると黒人蘊蓄が延々と繰り返される。フレンズに登場した黒人俳優とかNAS楽曲についてとか黒人国歌の2番を歌えとか。黒人国歌の2番のネタなんだけどシンプル黒人はみんな「適当に歌ってた」「知らないよそんなの」と答えるのに対して白人とのハーフアリソンけがちゃんと歌えるところも皮肉が効いてる。

そして最終問題として「もっとも黒い者を差し出せ」という生贄問題となり、これまで黒人ジョーク自分の黒さを競っていた彼らはいかに自分が「黒人らしくないか」を競い始める。アフリカ人からお前だろ、いや俺はゲイから黒人らしくない(めちゃくちゃ言いよる)、私は親が白人から違う、白人女性と付き合ってる云々。マッチョイズムにも通底するコミュニティ内でのマウンティングの醜さをコミカルに炙り出してて笑えるけど笑えない。

そして最終的に選ばれた人の理由が「トランプ投票した」こと。この瞬間、空気は凍り付き「お前は黒人じゃない」と総スカン。彼は生贄に捧げられてしまう。しかしこの問題は「もっとも黒いもの差し出せ」。ここで彼を差しさなければ別の展開もあったのかなぁと思ってしまう。はい差し出された彼が犯人です。

まぁその後いろいろあって最終的に犯人井戸に突き落としておしまい

大学時代スペードという黒人コミュニティ必須トランプゲームミスを連発して「スペードもできないなんて、お前黒人じゃねぇよ」とゴリゴリ差別されてやけ酒飲んだ帰りに人をひき殺してしまたこから人生歯車が狂ってしまった犯人が「ほなお前らはどんだけ黒人なんですかね」とデスゲームを仕掛けたのだった。

 

そして最後に「警察呼ぶ?」「呼ばないだろ撃たれるだけだ」と笑いながら話すのもめちゃくちゃ面白いけど笑えないし、じゃあ消防車だとなって最終的に消防車が来たと思ったら全員が"放水"で画面外に吹き飛ばされて終わるのもブラックコメディとして完璧

実際にデスゲーム殺戮がおきたりスティングする部分は端折ったけど普通に水準程度にはできてたし退屈することはない。なによりやっぱ、本当の意味黒人黒人による黒人のためのポリコレ映画って感じでめっちゃよかった。特にポリコレ居丈高に「お前ら」ごとにするんじゃなくて自虐的に「俺たち」ごとにしている姿勢に好感が持てた。

これは黒人コミュニティ内での黒人らしさマウント合戦自虐的目線コミカルに描いたものだけど、これは男性社会マッチョイズムマウントの話にも変換できるし、日本人社会残業時間社畜マウントの話にも変換できるめちゃくちゃ普遍的テーマだなって色々考えさせられてすごいよかった。

普通にオススメ

《優勝瞬間→フォトストーリー》ギャレット・エウォルドが切り取ったインディアナ大学の栄冠

インディアナ大学がB1Gフットボールで優勝を果たした瞬間を、ギャレット・エウォルドが捉えた写真は、見る者の心を強く揺さぶます。彼のレンズが映し出したのは、ただの勝利ではなく、選手たちの努力葛藤、そして歓喜が一体となった物語のものです。

フィールドで喜びを爆発させる選手たちの表情には、積み重ねてきた時間の重みが刻まれています。抱き合う仲間、天を仰ぐ選手、熱気に包まれスタンド。その一枚一枚が、チームの歴史に新たな章を刻む瞬間を鮮明に伝えています。エウォルドの写真は、単なる記録ではなく、勝利の裏側にある情熱覚悟まで映し出している点が、多くのファンから高く評価されています

優勝という大きな節目を迎えたインディアナ大学。その輝きを永遠に残すエウォルドの作品は、チームの魂を映す貴重なアーカイブとして、多くの人の心に深く刻まれることでしょう。

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