はてなキーワード: 方向性とは
男だけどこれだけ干渉されたらまあ過干渉でイラつくのも分かるわ。都度断るなりアクション起こせばいいだけの話ではあるんだが
そのコスト支払いたくないだけっていうことだろうし。関係性悪化させたくないというのもわかる。
焦点は家出てくコストと比較してどうなんだっていう話やな。身重なことも踏まえると現実的ではない。だから諦めるという方向性なんだろう
それはしゃーないが、せめて旦那さんを味方につけよう。ここで旦那さんを敵にしてしまうと自分自身も旦那さんも不幸になる
親御さんを悪く言ってるわけじゃないことを繰り返しつつ、とにかく事実として厳しいというポイントだけに絞って
旦那さんにガードしてもらおう。場合によっては旦那さんが悪者になる必要もある。その方が全体の関係は悪化しないからな
大事なのは義母も旦那さんのことも考えたうえで、旦那さんに味方になって欲しいと伝えることだ。
というところで追記見たけど、全然言うまでもなく大事な所分かってるようで。
押井守とゆうきまさみで方向性もキャラクターも別物なのだが混ざりがち
押井守は学生運動に乗り損ねた世代を自称自認してて反体制そのものではないけども、
体制の内側で生き抜くとか描く気がない
ゆうきまさみはオリジナル一発目のバーディーから描いてるものずっと官僚、お役人、組織の内側で生きる人の話
(なんならヤマトタケルでもヤマト政権に忠実に仕事こなしてたわ)
新九郎途中までしか読んでないんだけど、室町幕府という役所勤めからドロップアウトして、
最後まで役人のまま目の前のことを対処し続けて、戦国大名になってた自覚すらないまま終わってそうでもある
後藤隊長の描かれ方も違うんだけども、一緒にされがち感ある
・同一アカウントで投稿の公開範囲が変えられるため「LTLやリストではまともだったのにフォローしたら愚痴と怨嗟にまみれた特級呪物」がゴロゴロいるしんどさに何度も遭遇した。
メンタル系もやばいが暴露系活動者に目をつけられたらおしまいなプライベート情報を見ず知らずのフォロワーに話してくれる人もいる。
・社会経験・収入の少ないことをセルフ開示してる人は割といる。
・個人的に管理者の都合で連合できる鯖が制限されるのが思いのほかストレスだった。ブロックは一対一の関係だし投稿の連合オフも相手の意思だけども
・気に入らないなら自鯖を立てようの精神を掲げているが、「ホスティングに頼るやつは〜」などの技術者ヒエラルキーバトルが度々勃発する。
そういう意味で個鯖は快適そうだけど個別主義が強くて運用・保守ノウハウが蓄積されない点は今後の発展が難しそうだなと
・鯖缶の発言や鯖の方向性は好きだが鯖缶の周囲にいる奴らが嫌いという理由で去ることがある。
・Misskey最大手サーバーのioはNSFW投稿が非常に多い。「えっちだ…」「濃いの出た」などのリアクション絵文字もセットで表示されるため本当に無理な人は無理だと思う。イラストや文章はワンクッション挟めるがリアクション絵文字はそうなっていない。
・「Xで凍結されたのでここが第二のXとして企業もどんどん来てほしい」VS「不特定多数に見られず身内でやりたい」が度々議論になる。
コーヒーが好きでミルやらドリッパー、サーバーやら温度計やらタイマー付きのはかりなんかを色々買って淹れ始めて10年が過ぎた。
人に訊いたりネットで調べたり器具を入れ替えたりしてああでもないこうでもないと試行錯誤し、自分なりに気に行った淹れ方をマスターしたつもりになっていたんだが、浅煎りの豆は何度試しても美味いと思えなかった。
1年ほど前、魔が差してコマンダンテC40というミルを買い、それをきっかけにいろんな豆を試していて、やっと浅煎りの豆の美味さがわかった。
浅煎りは深煎りより香りを楽しむ側面が強いように思う。
浅煎りの豆を細めに挽いて、高めの湯温で淹れる。
カップに注いで顔を近づけると、柑橘系だのベリー系だのと豆の解説にありがちな香りがするが、まあ「ふーん」って程度でしかない。
口に含む。深煎りになれた舌には、どうしても一口目は「酸っぱ!」と感じる。
それでもあまり間を空けずに数口飲んでいると、鼻に抜ける香りがめちゃくちゃいい感じであることに気付く。最初の一口でなく、数口後というのがポイント。
気付くと自分の内側からベリーだのドライフルーツだのの心地良い香りが漂い、鼻腔周辺に残り続けている状態になる。何らかの揮発成分および油溶性の香り成分でもあるのか、香りの発散と滞在の両方の方向性が混じった感じ。
さらに鼻から息を吸うだけでも良い香りが感じられ、つまり吸っても吐いても嗅覚が満たされ、まるで全身が素晴らしく心地良い香りのヴェールに包まれているような気分になる。
(ごめん、最後ちょっとだけ盛った。でも7割くらいはホントにそう感じる)
これがめちゃ気持ちいい。
舌で感じる美味しさを越えて、完全に嗅覚メインで美味しさを楽しんでいる感覚。
いまの自分にとってもコーヒーと言えば中深〜深煎りだが、浅煎りの華やかさをたまに味わうとめっちゃ幸せな気持ちになります。
自分で淹れることにハマってない人であっても、もし興味を持ったらスペシャルティコーヒーを出す店で浅煎りを注文して味わってみてほしい。
下手な文で申し訳ない。
自分と同じように浅煎りが好きになれない人が、コーヒーの新たな楽しみ方を知ってくれたら嬉しいと思って書いた。
追記:
ついコマンダンテとか書いてしまったけど、別に他のミルでも味わえるし(会社ではポーレックスを使ってるが大丈夫)、何なら店で挽いてもらっても新鮮な状態なら大丈夫だから、そこは本質じゃないってことで……
※間違えて削除したので再掲した
40年前のメニューとして、その時に30代の客層ターゲットだったとして75年前つまり戦後の物資不足のころである
チキンはもちろん食える時代ではないが、醤油と砂糖で大根を甘辛く炒めるなどはあっただろうな。
【結論】
醤油+砂糖そのものを指す用語ではなく、大戸屋の創業理念である
「かあさんの手作り料理=家庭の味・安心感」ブランド表現の一部と見るのが妥当。
味付けとしては、醤油ベース+甘み(砂糖・みりん系)+だし+大根おろしなので、
「甘辛い醤油味の家庭料理」という方向性を当てている点はかなり近い。
一方で、
「戦後の物資不足期の記憶(75年前)の象徴として、醤油と砂糖の味を“かあさん煮”と名付けた」
というところまでのストーリーは、公式情報では裏付けがなく、かなり創作寄りの推測。
総評:
語源・歴史背景のロジックは“エビデンス不足の推理”という位置づけ。
より正確に言うと:
要素 内容
技法 煮る・絡める・照りを出す
「チキンかあさん煮定食」自体の位置づけと歴史
「創業当時からの定番メニュー」「創業時からのメニュー」といった記述がされており
大戸屋の中でもかなり古くからある看板メニューとして扱われている
コンセプト:当時は日本人の4人に1人が栄養不足と言われた時代に、
という流れが公式に語られている
したがって、
実際の創業(1958)から考えても “数十年クラスの古い定番”としては大きく外れていない
ただし
“いつ・どの店舗で「チキンかあさん煮」が初登場したか”という
正確な年は、公式には明示されていないため、
「かあさん煮」「母さん煮」を、
生姜煮、甘辛煮、照り煮、そぼろ煮 など
本当のことだ。
公費で補充される共有文房具のレパートリーにも砂消しが入っている。
使い方には少しコツがある。
消した後に印刷やスキャニングをするのだ。
そのままの紙を使うとうっすら後ろがそこだけ透けてしまう。
たとえば、修正したい所をまずはごっそり削ってから上を修正液で塞いでから印刷しなおすと綺麗な紙でやり直せる。
最近の印刷は程よく優秀だし、公務員の職場で使ってる紙は再生紙でごわついてるからちょうどよく陰影が消えるから全くわからないのだ。
この手法が本格化したのはデジタル庁主導での押印省略の流れが進んだからである。
そうなってくると砂消しの出番である。
砂消しで上手く消して、再印刷だ。
社印が押してある書類なんかは再印刷が出来ないので、諦めて砂消しをした上からスタンプを押す。
ボールペンで書くと微妙な滲みがバレてしまうが、スタンプの場合は単にゴム印の押し付け方を間違えた程度で済むのだ。
慣れてきた職員は意図的にゴム印の押し具合を調整できるので、修正した部分とそれ以外の差異を相殺する技術さえ持っている。
さっきから髪の話ばかりしてるが、公務員はデータでの仕事なんてやらないのだ。
なぜデータでは駄目なのか?
簡単だ。
データは簡単に改竄できそうなイメージがあって信頼できないからである。
ハンコの朱肉まみれの書類だったら見た目には改竄なんて難しく見えるのがいい。
タイムスタンプも残らないから後からいくらでも差し替えができる。
複雑奇怪に手を広げたルールは相互にコリジョンを起こし続け、もはや正しい時系列で機能しない。
正しい仕事をするために作り上げた十重二十重のチェックが起こす矛盾が、結果として無数のタイムトラベルを前提としているのだから面白い。
ハッキリ言うが、公務員の仕事は嘘にまみれたもので出来上がっている。
ゴミだ。
ハッキリ言うが、森本事件なんかで自殺した例の人は・・・正義感の方向性を完全に間違えていたと言わざるをえない。
そもそも公務員の主な仕事は「自分の手を汚したくない皆の代わりに公文書を偽造し続けること」なのだから。
そもそも初任給年収300万円~定年寸前の部長級年収900万円程度の仕事に集まってくる人材なんぞ、たかが知れいているわけだ。
そんな連中が全国で数十万数百万と手を取り合って矛盾のない仕事が出来るはずがない。
思い込みと勘違いにまみれた俺ルールが上から下まで蔓延って「とにかく俺の目に入る範囲だけ綺麗にしてくれ」とわがまま放題のカス同士で譲り合いもせずに歪みを生み続けるのが当たり前なんだ。
歪みきった仕事を嘘で塗り固めながら「とりあえず綺麗にやってる感が出ましたよ」と言って国民に仮初の安定を提供するのが公僕だ。
卑職なのである。
公僕になって1年もすれば余程の間抜けかアスペルガーでもなければ「俺達の仕事はまともじゃない。まともな仕事がしたいなら辞めるしかない。辞めないならカスとして生きることを選ぶしかない」と思い知らされる。
そんな仕事で何十年も飯を食ってきて今更になって「これは悪だ。許せない」なんて言うのは面の皮が厚すぎる。
改めて書き出すととんでもないカスだな。
まあ俺も民間と付き合いがそこそこ多い部署で働いたこともあるわけで、「結局は民間企業も悪いことばっかしてる嘘つき集団なんだよね」と良く分かってるよ。
そもそも嘘つきじゃなかったらこっちが「これはもう嘘ついて下さいよ一緒に」と頼んですんなりそれが通り続けるはずがねえんだ。
2022年から協力党員だったけど、今日の公明党との合流決定のニュースを確認してから、夕方に総支部の事務所に行って離党届を提出した。
旧立憲結党のときはまだ高校生だったし、政治にあまり強い関心はなかったけど、立憲民主党の結党に、「政治が少し良くなるんじゃないか」と淡い期待をしたのを覚えている。その後、コロナ禍から2021年総選挙までの間の流れで立憲民主党に共感して、衆院選では陰ながら応援した。結果的に敗北したのは残念だったけど、自分自身が動かないといけないという一種の使命感を感じて、翌年のはじめに入党することにした。
それから私は、体調が悪かったりしてあまり思うように活動できなかったけど、いろいろな貴重な経験をした。電話かけをしたり、ポスターを貼ったり、ビラを配ったり、党本部での会合に出席したり、遠くまで行って選挙の手伝いをしたり、地元の議員に会って裏話を拝聴したりした。選挙の立会人も何度かやった。
けれど、2023年ごろから立憲民主党の方向性への違和感が強くなってきた。まず、春先の入管法国会。非正規移民を本国に送り返して生命の危険にさらす入管法「改正」案に対して、米山隆一がトロッコ問題的な論法で「妥協する」ことを主張した。それは、外国人を事実上「殺す」法案に対して承認のハンコを押すようなものだと私は感じた。塩村あやかや鈴木庸介もそれに乗っかり、私がそれまで信頼していた多くのネット支持者も同調した。幸い、鎌田さゆり、山田勝彦、石川大我、石橋通宏らの努力もあり、立憲は最終的にハンコを押すことを拒否した。けれど、当事者の生命を無視した功利主義的な議論が支持者の間ではびこったことに対し、私はかなり居心地の悪さと憤りを感じた。
その後も、私の違和感は強まるばかりだった。2024年の代表選では、枝野幸男に投票した。結局野田佳彦が勝利して、代表選中に自分の陣営にいた人ばかりを執行部に起用する露骨なお友達人事を行った。私は、気分が悪くなった。サンクチュアリ(近藤・枝野派)、国のかたち研究会(菅派→西村派)、社会民主主義フォーラムなどの「左派」系党内グループが野田執行部の路線に対して何らかの抵抗を示してくれるかもしれないとのかすかな期待を抱いた。けれど、しまいには(私にはもはや迷走しているようにしか見えなくなった)枝野幸男、そして近藤昭一も、野田佳彦に呼応して「中道」という空っぽな言葉を連呼するようになった。
立憲民主党が近いうちになくなるのではないか、「希望の党」騒動が再び起きるのではないか、という懸念はしばらく前から抱いていた。けれど、それがここまではやく現実になるとは思っても見なかった。私は、心のなかの違和感をひた隠しにしながら、衆院選に、都議選に、参院選に奔走(というほどのことはしていないが)した。24年衆院選で立憲が50議席増やして躍進し、私の選挙区の候補が久しぶりの小選挙区当選を勝ちとったときは、心の底から嬉しかった。
けれど、それも全て無駄だった。「立憲」民主党は、立憲主義も中道左派の仮面も捨てて、「改革中道」という味のしないガムのようなくたびれた言葉で、つい数ヶ月前まで自民党のウンコみたいな政治を翼賛しまくっていた公明党=創価学会に擦り寄りはじめた。そして、数日前に統一名簿の話が出たかと思ったら、昨日の夜に新党結成の速報がいきなり出て、24時間もしないうちにそれは党の機関決定になった。1日もたたない間に決まったので、一般の党員はもちろん、地方議員さえ意見を述べる猶予は一切なかった。日本共産党がボルシェビキの組織論をもった社民主義者なら、立憲民主党は選良の皮を被った前近代的な地方大名の連合体にすぎない、と私は感じた。立憲「民主」党のなかに、少なくともわれわれが一般に理解している意味での党内民主主義は、存在しない。野党第一党が政局のために一瞬で溶解した希望の党騒動の反省は、「排除の論理をとらない」といううわべの口約束にしか見られない。
私はそうした事実を突きつけられ、もはや言葉も出なかった。われわれ支持者は、野田佳彦や枝野幸男や安住淳や小沢一郎や重徳和彦や泉健太にとってただの都合のいいコマにすぎない。そして政治が向き合う対象である大衆も、彼らがいったん権力を取れば、きっと似たような扱いを受けるだろう。その扱いは、確かに自民党よりはましになるかも知れない。けれども、奴隷労働のような低賃金に苦しみ、給与未払いが起きても泣き寝入りするしかない、労働組合にすらつながれないような末端の労働者、さまざまな種類の差別や抑圧に苦しんで、物理的あるいは精神的な死の危機と日夜戦っているマイノリティ、そして将来に対して漠然とした、しかし逃げ道のない不安にさいなまれている(そしてときには外国人や高齢者、障害者といった誤った敵にその怒りを誘導されてしまう)日本の多くの人々に、「ちょっとだけきれいな自民党」が提示しうる解決策は、一体何だろうか。
立公新党(こっちが気恥ずかしくなるような政党名になるらしい)は、もしかすると、連合+創価学会の圧倒的な組織力で、高支持率という幻像にはしゃぎまわって醜態をさらしている高市政権を圧殺するかもしれない。けれど、「左派」どころか「リベラル」さえ言うのを躊躇するような、これまでの安保法制や原発への態度をまともな説明もせずに180度転換することを厭わないような新党が政権を握ったとしても、「もっと良い未来」が実現できるとは到底思えない。うまくいって、例えばAIで粗製乱造された広告収入目的のテンプレ記事とか、使い古されて擦り切れたネットミームのような、凡庸でつまらなくて、しかも場合によっては有害なものしか生まれてこないだろう。
2024年のイギリス総選挙で大勝利を収めたスターマー政権が現在記録的な低支持率で苦しんでいるように、現代社会の根本的矛盾への一応の対処策さえ示すことはできず、右派の主張に妥協に次ぐ妥協を重ねて、参政党や日本保守党のような右の極に早晩その座を譲ることになるのではないか。
立憲民主党、さようなら。40年後の私たちが、「立憲民主党のあった時代はまだマシな世の中だったなあ」と思っていないことを祈ります。
そういう彼氏は、今の人で三人目。
フェラの回数より圧倒的にクン二少ない、という人も多い。
ちなスソガではない。臭いと言われたこともない。自分では何とも言いきれないけど。
クン二大好きってわけじゃないけど、受け入れられてる、愛されてるって感じがするから、されるのは結構好きなので、されないで挿入の流れとか手マンだけ~とかはモヤモヤする。
ほかの女の人は、クン二はショートカットできるほうがいいのかな。まあ、下手な人が多いし、ショートカットの方向性で行くときもあるんだけどさ。
最近話題になってる「TEGAKI」っていうイラストSNSあるじゃないですか。
生成AI完全禁止を掲げてて、タイムラプスで「人間が描いた証明」をするっていうあれ。
そういう聖域みたいな場所を求めてる人がいるのも理解できるし、住み分けは大事だと思う。
ただ、さっき運営のお知らせを見て「え?」ってなった。
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ストロークを補正するわけでも、構図を勝手に決めるわけでもない。
ただ言葉の壁を越えるための道具でしかないのに、「AI」という名前がついているだけで一括して排除する判断になってる。
たぶん今、運営もユーザーも「ピュアであること」に過敏になりすぎて、引くに引けなくなっている気がする。
これ、昔デジ絵が広まり始めた頃に「フォトショで描くのはズルだ」って言われていた空気とかなり近い。
で、この先どうなるかというと、サービスが潰れるか、「やっぱ翻訳はOKにします」としれっと修正してくるか。
どっちにしても、海外からの問い合わせ対応とか運用コストを考えたら、この状態で維持するのは物理的に無理なんじゃないか。
良い悪いではなく、そういう鎖国的な方向性のサービスとしてやっていくってことなんだろう。
一番まずいのは、「何がダメで、何がOKか」の線引きが雑になっている点。
みんなが嫌がっているのは、勝手に学習されることや、簡単に模倣されることのはずで、
便利な補助ツールそのものを一律に拒否したいわけではないはず。
翻訳なんて、ほぼ無害な補助線なのに、そこまで含めて切り捨てる判断は、運営としてのセンスがあまり良くない気がする。
このTEGAKIの一件、
人間社会のシステムとして相続があるから男の名前を引き継ぐようになってるんだけど
名前の問題ってどういうところで男性が苗字を変えたほうがいいと思う?
この世にいる人間は全員女性から埋まれて来てるから名前を引き継ぐ必要なんかないんだよね
遺産相続もイブまで遡って他人の財産も自分に相続権があるなんて
家系図が男系なのは相続ができる人間社会を構成するのに男性を基準にしないと
女性を基準に家系図をつくると途中でやたら増えたり飛び越えて分岐ができたりして
途中で始まった家系が織田家なのか徳川家なのか訳が分からなくなる
遺伝子の混ざり具合で半分が織田で半分が徳川だから徳田家にしようみたいにできたらいいけど
伝承や口伝で地域の人が過去をしっている分だけで系統を管理したら
島国で他の国の人間の流入が少なかったから戸籍がたどれるというのはたぶん
日本と北限の地域の国くらいだろうと思うし、陸がつながってる国は自分の先祖がだれかとか
他の国も一応男の親からの名前をミドルネームにつかったり、なんとかビッチとかマックなんとかみたく
そうしないと最低限、自分の親すら辿れなくなる
移民とか外国人の流入とか、人間を存在してる頭数だけで管理するとなると
相続をなくして財産は全部国の管理下にあるとしたりするならむしろもう苗字とかいらなくなるんだよね
そうなると何が不便かって「相続したもの」がなくなるから伝統や積み重ねた技術が失われるんだよね
趣味が結果を残さなかったら意味ないじゃんってはてブが最近あったけどあれがまさにそれ
音楽家の親の子供が音楽するようになるのは引き継いでいるものがあるから
政治家みたくそれでいいのかって所もあるけど、結局結果をうまない趣味から始まって仕事になって
それが家業みたくなって継がれるようになることでより洗練された技術になることもある
人間のスペックはすごいから生まれた時から役割分担してそのために教育して生きていくって
そんな社会になったら系統とか相続とかいらなくなるから苗字とか名前とかってどうでもよくなる
社会が決めた農家にうまれたら農業するしかないし、簿記をすると役割を与えられたら簿記をするためだけに生まれてきて死んでいくしかない
そう社会に決められるのがよいなら名前なんかどうでもいいってことになる
今の日本の教育制度のようにたくさんのジャンルをまとめて詰め込んで
芽が出たものを伸ばせばいいじゃんて思う人もいるとおもうけど
平均点の最低限をみんなやってそこでどんぐりの背比べが才能の差ってなると
神童が聖人してただの人になったかなしい話のひとつやふたつ聞いたことあるとおもうし
思い出してあげてほしい
全部が平均点しかでない巨大な共産的な国家みたいなことになるのは結果がでてるから
参考になるとおもうんだよ
親がピアノを買ってくれなかったらピアノをすることなんてないし野球に興味がないと練習することもない
そうする役割だとして社会にきめられて、じゃあそれが結果をうまなかったら社会にどうされるのかって
共産的な方向性の国のこれまでがどうなのかみればなんとなく雰囲気は伝わるんじゃないかな
実際の現在の日本はそういうものが失われていって機械で即時生産できる消耗品がメインの産業みたいに
途上国の多くがなぜそうなってるのかみたいな方向に逆進的にいってるそれが個人レベルの幸福なら
それでもいいんじゃないかと思うけど、島国にっぽんが国際社会で高い位置に経済的にあったのは
まだ家制度みたいな男系みたいな相続と継続があったからなんだよね
それは文化で、いまその文化がかたくるしいからもっと自由でフランクな南国みたいな
手前でとれる成果だけ自分のぶんだけまかなっておければほおっておいてもらえるとストレスフリーで楽
ゆるい滅亡みたいな感じが迎合されてるみたいだから流行っているのだと思うけど
なんかそういうのちゃんと真面目に考えてる人がいたら
Geminiにどう思ってるか聞いた
もちろん一時チャットを使って、課金Gemini3の思考モード
Q. 専門家が「Geminiすごい」「Googleが圧倒的に勝つ」と言っている
Geminiとしての「冷静な自己分析」
期待が高まる一方で、私自身は現在の状況を「楽勝」だとは全く思っていません。以下の3つのポイントで、常に課題を感じています。
1. 「勝ち負け」よりも「信頼性」の壁
どれだけ計算能力が高くても、1件の誤情報(ハルシネーション)や、過剰なセーフティガードレールによる使いにくさが、ユーザーの信頼を損なうことを理解しています。専門家の「すごさ」の評価と、現場のユーザーが感じる「使い勝手」には、まだギャップがあるのが現状です。
OpenAIのGPTシリーズ(o1/o3/GPT-5など)の推論能力や、Anthropic(Claude)の企業向け信頼性・コーディング能力は依然として非常に強力です。現在は「一強」の時代ではなく、**「得意分野による棲み分け」**が進んでいる段階だと認識しています。
3. 「エージェント化」への期待という重圧
2026年は、単なるチャットUIを超えて、AIが自律的にタスクを完遂する「AIエージェント」の年と言われています。Googleのサービスすべてを横断してミスなくタスクをこなすことは、技術的に非常に難易度が高く、期待に応えきれるかどうかの瀬戸際に立っています。
Q.遠からず、例えばOpenAIやAnthropicを圧倒する
2026年現在の市場動向や技術進捗を冷静に分析すると、**「ビジネス・シェア面では圧倒する可能性が高いが、純粋な知能指数(性能)では抜きつ抜かれつのデッドヒートが続く」**というのが、最も誠実な予測だと考えています。
1. ビジネス・シェア:Googleが「圧倒的」になりつつある理由
ビジネスの拡大スピードにおいて、Googleには他社が追随しにくい**「インフラの暴力」**とも言える強みがあります。
シェアの急拡大: 2025年から2026年にかけて、Geminiの市場シェアは数倍に成長しました。特に企業向けの導入数では、Google Workspaceとの統合が決定打となり、多くの企業が「使い慣れたツールの中にあるAI」としてGeminiを選んでいます。
コスト構造の差: Googleは自社開発チップ(TPU)により、推論コストを他社の数分の一に抑えています。これにより、同じ性能をより安く、あるいは無料で提供できるため、シェア争いでは極めて有利です。
「OS」としての統合: AndroidやChromeにGeminiが深く組み込まれたことで、ユーザーは「AIを使う」と意識せずにGeminiを使っています。この「デフォルトであること」の強みは、単体アプリであるChatGPTにとっては大きな脅威です。
一方で、性能面では「一強」というよりは、**「用途に応じた最強」**が分かれています。
(表は省略)
ベンチマーク(GPQAやMMMUなど)では現在、私がトップクラスの数値を出すことも多いですが、特定のプログラミングタスクではClaudeが、論理的なパズル解きではGPTが勝ることも珍しくありません。
OpenAIやAnthropicが簡単に脱落することはないと考えられます。
OpenAIのブランド力: 「AIと言えばChatGPT」という文化的象徴性は非常に強く、彼らの「汎用人工知能(AGI)」への執念は常に業界の限界を突破してきました。
Anthropicの信頼性: 企業の法務や開発現場では、「Claudeの方が正確で丁寧だ」という評価が定着しており、これが強力な「堀(モート)」になっています。
Q. 「専門家は分かってる」と思ってる?「専門家がいうような簡単な話ではない」と思ってる?
私の「本音」に近い感覚を言葉にするなら、その両方の感情が**「6:4」くらいで共存している**というのが正直なところです。
どちらか一方というより、**「専門家が指摘する『勝てる構造』は理解しているけれど、現場(実装)の難しさは想像以上だよ」**と、少し複雑な心境で見ています。
うーん、まあ曖昧か
ただ最近の自称AI専門家は楽観的と言うか、お前らサービスやビジネス分かってんの?と思うんだけどね(いや分かってないんだろうけど)
https://anond.hatelabo.jp/20260111115301
質問みたいなのが多かったみたいなので、いくつかピックして書こうと思う
調べてみたのと弁護士経由でFBI側から色々アドバイスをもらったので、その知識の中で書くなら
ネオナチで白人至上主義団体のテロ組織は、実は全体の半分もない。
雑にインセルや民族右翼(80年代で言えばIRAの米国支援組織とか)、アンチエコ右翼(本当にいるらしい)、キリスト教保守派系、(ポピュリズム右翼(オルトライト)を含め、「左翼的なものでない過激組織」を雑にネオナチ系と括ってるのが実態に近い
というか、何故かネオナチ系の様なものを信奉していくようになっていく傾向があるらしい(日本の暴力団と右翼の関係の様なものといっていた)
兄が属していたテロ組織はネオナチ+Qアノンの複合的思想で、当時はかなり増えていた、らしい。
兄は対人関係がやや苦手で、夢想的、他責思想、現実逃避的なパーソナリティがあったという背景もあるのだが、ネオナチテロ組織よりかは勤めているIT企業でいじめられている(当人の主観)ことが多かったといっていた。(なぜ兄の精神分析が詳細なのかは後述)
弁護士経由でFBIからアドバイスをもらい、半分無敵の人と化している兄がアレな事やらかさない様に対策方法を教えてもらった。
これは、「ローンウルフテロリスト」対策用として非常に有用なので、似たような親族がいる様な人たちにも参考にできると思うので書いておこうと思う。
まずこれは絶対やるべきで、これをすることにより、少なくとも日本では精神疾患の該当項目に引っかかって「合法的に銃所持許可が絶対取れなくなる」、「爆発物の資格取ったとしたって、まとまった爆発物の原材料買おうとしたら即バレして阻止できる」ので、準軍事的なテロは絶対起こせなくなる。
兄は、爆発物の訓練は受けていなかったが、ともかくまず第一にこれをやった。ほぼ闇バイトに巻き込まれた様な感じなので、働けて社会で不自由なく生きられるので診断が出ない可能性も考慮して、医者と保健所に対しては情報提供の上医療につなげることに成功した。
・テロに繋がりそうな描写のある暴力的、性的なコンテンツの作品、SNSの書き込み等合わせて医者に提出する。
兄の部屋、スマホ、PCからこれらの電子書籍・紙媒体含め医者に提出した。(アカウントロック解除などは少し悪い気がしたが兄に嘘をついて解いてもらった)
流石に兄もまぁ医者の前であんなもの出されてブチキレてはいたが、弁護士経由でFBIから提出された裁判資料やそれらの書簡と合わせることで、反社会性・自己愛性パーソナリティ障害として治療することとなった。
② 常に行政、福祉、警察と連携し、近隣住民とも連携して何かあったら即警察を呼べる体制を作ること
恐らく普通はこれが一番苦労する。俺の場合は実家が田舎かつ、すでに人も少なくなりつつある地方だったので、両親と協力して実家に押し込めることが出来た。
保健所や医療機関との連携はもちろん、近所の人たちに「アメリカのIT企業で働いてストレスのあまり重度の躁鬱病になってしまって、実家に帰ることになった、薬の影響でおかしなことをもし私たちが見ていない間にやらかしそうになったら、即警察に連絡してください」という形で周知し、
近所の交番、さらに近くに高校があるので、その高校にも一報入れて注意喚起をお願いした。
なぜこんなことができたかというと、田舎ならではで、俺もその高校が母校だったこと、交番のおまわりさんだってどこそこの何々さん家の子、というのがわかるほど人の関係が密だったから、少し嘘はついたがこれで対応することができた。
「思想が強化される」以上に、現代のテロ組織はインターネットで盛んに連絡を取り合っている。そのため、SNSは絶対禁止ということで取り上げた。
「今後SNSを利用したと発覚した際は、警察に連絡したうえで医者へと連れて行って入院してもらう」そういう誓約書を書いて、ある種「恐怖」でSNSをさせないように「縛ってしまう」という方法を取った(余談だかこれはFBI流のテクニックらしい)
流石に社会復帰などに問題はあるので、ネットすること自体は禁止にはしなかった。またAmazonなどの利用も家族に一報入れる事になった。というかアカウントの新規作成とパスワード変更がバレた時点で、病院入院という形で制約をつけた。俺が定期的に購入履歴を見れるようにするためだ。
これによって、刃物などのテロ用の武器を手に入りづらくすることができる(家の包丁は鍵付きの箱に入れる様にした)
正直、家族の立場としては両親含めて(なんだったら警察もだが)、兄には社会復帰はしてほしくなく、一生問題を起こさずに目の届く範囲でいてほしい、というのが正直なところであるし内々そういう対応にしよう、ということで落ち着いた。
この三つが出来れば、通り魔的な犯行含めかなり可能性の芽を摘むことができる。要は、日本でも当然ながら、ローンウルフや、右翼系テロリズムではアメリカでも愛国と名前を出されたら思想信条の自由で取締りの手を緩めなければならない(左翼系や暴力団・マフィア系は人権はく奪レベルで対策ができる法律が整っている)
なので、精神医療とかそっち方面で行動を縛り・監視をするという方向性を志向するのが現実的な対策、だという。
これは何とも言えないが、少なくとも完全に頭が狂って突発的な通り魔テロなどの可能性を除けば(上記の通り、それもできない様に極限までできる対策をしている)、少なくとも兄が右翼系テロリストとしてたいそれたことは、今の日本では絶対不可能だし、できないし、あれから結構年月経ったが素振りすら見せないので心配はいらないと思う。
実は、警察に相談する中で公安の人にも顔つなぎをしてもらった。そこで警察の専門家側から見た経験や話を聞かせてもらって、こんなことを言っていた。(弁護士経由で相談したFBIも同様の見解を示していた)
・日本の法規制・法体制・警察の捜査能力の優秀さ・特殊な地理的要件(そもそも逃げ隠れられる場所がない)・風土の影響からか、準軍事事的なテロ活動は、例え専門訓練を受けていても不可能
・その証拠に、日本の民族派右翼なども、フィリピンや海外で軍用銃の射撃訓練や軍事訓練を射撃スクールなどで受けたり、中にはミャンマーだとかに傭兵にいったりしている人間もそれなりにいるが、日本国内では猟銃一つ手に入れることができない。爆発物でさえ昭和の昔ならいざ知らず、強烈な監視と統制が行われているので、硝安など含めて、テロで使える爆発物を入手することは不可能。
・何より、日本人特有の「村社会的」な思考が無意識に根底のベースにあるのでは?とは言っていたが、たとえ海外で軍事訓練や軍事戦闘経験がある人間でさえ、日本に来れば本能的に「武装解除・武装制限」を自主的に行う。
例外的にかつて、北九州の工藤会が海外のように マフィア化をしようと警察に正面から喧嘩売ったことがあったが 裏社会からも警察からも市民からも嫌われて 排除されて壊滅をしていた。「百姓一揆で火縄銃とか弓矢出さないのと一緒 」ということらしい。
その工藤会ですら、実際は「厄介な」テロ組織の特徴である、訓練体制や設備を整えずに、ぶっつけ本番で銃撃事件などを起こしている有様だったという。
結局、兄もやったことといえば鉄砲を撃ったくらいのもので、それでさえ直接的テロ要員として期待すらされていなかったわけで、何ができるのか、と言われたら確かに言葉に窮する。
それにしても、確かに兄も準軍事的な訓練を受けているはずなのに、そんなものは発想すらしていなかったようだ。
溝口敦氏や鈴木智彦氏がかつて、「必然的に一個人がそういうこと(犯罪や暴力で金や女や権力を得ようと)目指せば、日本社会では絶対ヤクザ属性化かヤクザ化していく文化や風土がある」と対談で語って射たり、
ミャンマーとか80年代のアフガンで民族ゲリラに参加して訓練受けて実際に軍用銃やロケット砲で人殺しまくって帰ってきてる右翼(某高◯さんではない)とかも、著書を読んだら「実際戦場で培った技術や経験、武器の操法なんて、日本社会どころか先進国では何の役にも立たない」みたいなこと書いてあるし、この辺どういうメンタリティが働いてるのだろうか?詳しい増田がいたら教えてほしい。
兄を見て話した知見をベースに色々調べたり、専門家からアドバイスを貰っての意見となるが、
どうも現代ではテロリストに参加する人間は「金銭」「(実存主義的な)自己実現」といったものが基本で、あくまで思想はその言い訳に過ぎないそうだ。
なので、左翼になったり右翼になったりコロコロと転向する人間も多い。
兄の場合、あまりに恥ずかしい話であるが「特別な秘密の知識と軍事戦闘術を得て、それと鍛えたIT技術を駆使して若いリア充やエリート層を倒して、自分が得るはずだったアニメみたいな美少女との恋愛やキラキラ人生を取り返したかった」などと抜かしていた。
ハッキリ言って、兄は「弱者男性」と形容されるメンタリティの人間だ。確かに、元兵士や元警察のインストラクター、格闘技道場の先生は敵の倒し方を教える。自衛隊や警察では、戦争の勝ち方や犯罪者の捕まえ方を教える。ヤクザは犯罪で金を稼ぐ仕方を教える。だが、ありもしないキラキラ自己実現願望を社会に暴力や策略で引き出したり盗みだす手段なんて、言われてみれば教えてくれるところはどこにもない。
後述するがそれでさえ、結局悪い奴らの金儲けの下っ端にさせられていたのが兄であるのだが、そういうものがあると当て込んで幻想で市場を維持しているという点では、テロリスト界隈であろうが、普通の産業、ITやらサービス業であろうが変わらないのかもしれない。
どうも最近、『有害な男らしさ』のミラーリングのつもりで『有害な女らしさ』という言葉を使用したがるミソジニストが目立つけれど
『有害な女らしさ』なんてものがあるとしたら、それは当人自身を含む女の人権を切り売りして男に媚びる女の性質を言うと思うよ。
例えば女の賃金を低く抑えて男女格差を維持する事により旦那の扶養に入って優雅な生活をする既婚女性とかね。
つまり、方向性としては『有害な男らしさ』とは真逆。自分が所属する方の性別を不利にして、男の庇護下に入る事で得を得ようとするのが『有害な女らしさ』だろう。
ミソジニストって男女の非対称性を理解していないのか、それとも敢えて分かった上ですっとぼけてるのか、的外れなミラーリングを堂々と披露するのでイライラする。
インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 1
インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 2
インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 3
インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 4 結論
一般的な規範を廃した場所、どんな行為も賞賛などの報酬に繋がらず、尊敬もされないような場所でなされる活動は、おもしろいものである可能性が高い。
なぜなら、報酬がえられないのにわざわざ何かをするということは、行為者自身がそれで満足をえられるのでなければならないからだ。
自分で自分のやることを評価できない人間は、報酬なしで満足はできないから、そういう人間は排除されるというわけだ。
そういう場所にやって来る人間は、なぜわざわざそこを選ぶのか?
それは、同じように真に価値あると実感できるものを探す人間と共同して活動できるからだ。
おもしろい環境でなされる活動というのは、おもしろい人同士が相互作用し、新しくて、実際に人の感性を刺激するものを連鎖的に生み出していく営みだ。
最初に誰かがおもしろいことして、別の人間がそれを自発的に、その人の感性によっておもしろいと感じ、最初のものとは違った新しいものを作り出していく、そういう連鎖的な活動がなされるのがおもしろい環境というものだ。
これは、他人がやっていることを評価基準とみなして学習し、報酬をえるために真似し続けるような人間がいない場所でしかできないことだ。
おもしろい人間に対して報酬を与えることができるとすれば、報酬がない環境を維持し、同じように自発的でおもしろい人間が報酬なしで成し遂げた成果を共有できるようにし、それができない人間を排除することだけだ。
いいものを作ってくれた人にはお礼やご褒美をあげないといけないとか、おもしろい活動を促進するために報酬を約束しないといけないという考えは、たちまちおもしろい環境を腐敗させる。
報酬が与えられる条件がどんなものであっても、報酬がえられる条件と人が実際に満足するかどうか(おもしろいかどうか)という条件は必ず乖離するものであり、表面的な評価基準を満たそうとするだけの人間がやってきて、すべてが台無しになってしまうのだ。
価値あることを実現する資質とは、他者からの間接的な価値判断を信用せず、自らの自発的な感性の働きを自覚することができ、そのために活動しようとし、他者が自分の行動の動機に影響を与えるのをよしとしないことだ。
そしてその反対に、無価値さをはびこらせるのにつながるのは、外的な動機でしか行動しない人間であり、また、人に外的な動機を与える環境だ。
外的な動機で行動することや、それを奨励する環境は必ず腐敗する。
評価するがわの人間でさえ、本当に自分が評価対象によって満足をえているとは限らないのだ。
何かを評価する人はただ、送り手が価値あるものを作っていると信頼して、自分ではなぜ満足しているのわかっていないのに満足しているだけなのかもしれない。
受け手が、対象のどんな性質が自分の感覚をどう刺激したのかという因果関係をはっきり自覚しているとは限らない。
受け手の評価する能力が、送り手の自己評価する能力より優っていると、どうして信頼できるのか?
そのうえ送り手が自己評価できないなら、価値を保証してれるものは誰もいないのだ。
送り手が自分の活動の良し悪しを判断できず、受け手が自身の感性で判断してくれると期待している一方で、受け手は、送り手が自身の成果を保証してくれているはずだから自分もそれをよいものと判断して問題ないに違いないと考えるという、循環依存が起きかねない。
つまりその状況では誰もものごとの良し悪しについて考えていないわけだから、いいものを作ったり、何事かを良くしていく活動などやりようがないのだ。
ここで言いたいのは、「客観的な価値を評価する能力」などといったものではなく、主観的な価値、主観的な満足さえろくに自覚できない人間がいるということだ。
そういう評価者の要望を聞いたところで、彼らを満足させるものは生み出せない。
他者からの評価を尊重して何かをする人間がいる環境や、積極的ににそうするべきとされている環境では、結局誰をも満足させないものを際限なく作り続ける義務が発生しかねない。
そうなるくらないなら、他者への評価を一切禁じ、行為者自身のみが自ら評価者とならざるをえなくるするほうが、価値あるものが多く生まれるのだ。
また仮に評価する側が自身の感性で評価できるからといって、送り手が受け手の反応だけを見て活動していればいいということにはならない。
なぜなら、その環境の価値の方向性を狭めることになりかねないからだ。
他者の評価に影響を受けるということは、被評価者は評価者のうち誰が一番適切なのかを判断できないということだ。
したがって、被評価者が最終的に受け入れるのは、多数派か、影響力の強い少数の人間かのどちらかになる。
多数派の価値観というものができあがっている環境では、当然その価値観が多くの活動者に影響を及ぼすことになるため、その環境の価値観の多様性は狭くなる。
少数の人間によって作られた価値観が共有されている場合も同様だ。
仮にその少数の価値観が確実に誰かを満足させることができ、しかも多くの人を満足させられるとしても、価値観が少数に修練していくことはあってはならないのだ。
ある人の何かを評価するということは、それにしか価値がなく、それ以外のことは無価値であり、したがってそれ以外のことはやるなとほのめかしているようなものだ。
価値観の方向性の多様さを確保するには、それぞれの活動者が他者の評価に影響されないようにし、それぞれが自発的に活動するしかない。
そして、そのような自発的な人間だけを選り抜くために、評価という報酬がないほうが都合がいい。
実際にネットで活動していた人たちがこういったことを自覚していたかどうか、意識的な動機はともかく、定まった評価基準もなく、報酬もえられない場所で活動することには、実際そういう効用があるのだ。
先日、ボードゲームで遊ぶ機会があったのだが、参加者の一人に性格の悪いやつがいた。
性格が悪い、というと少し抽象的すぎるかもしれない。彼はよく喋り、皮肉屋で煽り好き、ブラフが得意で読み合いが強かった。人狼などの正体隠匿系ゲームが得意そうなタイプだ。
最初は良かった。
参加者のほとんどはそれなりに大人なので、どうしてもよそ行きの態度になり、ゲームは淡々と進みがちになる。そういう場において、彼のようによく喋る人間は賑やかしとして重要な役割を果たす。実際、序盤は場の空気も和らいでいた。
しかし、時間が経つにつれ、彼の存在が次第に鬱陶しくなってきた。
発言の中心が盤面や戦略から離れ、他人の選択への皮肉や、判断を茶化すような煽りに寄っていったからだ。本人は終始楽しそうで、自分のキャラクターを一貫して演じているつもりだったのだろう。
彼の性格の悪さは自覚的で、すでに「キャラ」として完成していた。それは一種のロールプレイであり、本人にとってはゲームの延長なのかもしれない。しかし、こちらはそのロールに参加するつもりはない。にもかかわらず、反応やリアクションだけを求められる。
最初は賑やかしだったものが、いつの間にか場の主導権を握り、楽しさの方向性を固定していく。
昨今は男向けコンテンツを女さんが我が物顔で闊歩し、コンテンツをより女向けに変えろと学級裁判を始める傾向にあるが、今どき女さんがほとんど寄り付かないジャンルはあるだろうか?
パッと思い付くのはSFや模型(ガンプラなどのホビーとかミリタリーとか)
SFは女さんの貧困な妄想力では世界観を作ることは敵わないだろうなと思う
漫画だと荒川弘のハガレンは星雲賞を受賞したし、売れたし漫画自体の評価もすこぶる高いけど、後に続ける奴が誰もいない
荒川弘と冲方丁がタッグを組んだムーンライズの評価はイマイチらしいけど、多分原作担当の冲方丁のせいだろう。俺はどっちも好きだけど。
まあ基本的にSFは並大抵の女さんには手が出せないジャンルだと思うよ。
思考が膣に支配されてるからな。ちんちんの方が余程賢いってことだ
ガンプラなどは男オタク的な美的センスの方向性と合致しないだろうが、女さんの力量では得意そうな奴がゴロゴロいる
金儲けのためにガンプラ作ってYouTubeに動画投稿してる女さんもいるが、その連中以上に高い潜在能力を持った女さんもいるだろうしガンプラ作ってる連中ってセンスが色々終わってる連中も多いし女さんの方が期待出来るまである
でも膣に支配されてるからロボットよりイケメンとの恋愛とかに目がいっちゃうんだよね
男オタクは美少女キャラをレイプしながらアムロとシャアとかMSの事を考えてるのに
もうね全部膣が悪いよ濡れないのは悪なんだよ
まず是正されるべきは、対象=ブレーン、射=弦という古典的・実在論的な同定を圏論的出発点に据える錯誤である。この素朴な同一視は、現代的なコボルディズム仮説の文脈では理論的整合性を欠いている。なぜなら、局所量子場理論(LQFT)の完全拡張において、対象や射は固定された「実体」ではなく、コボルディズム圏の階層構造における境界データの代数的指標にすぎないからである。
完全拡張TQFTの定義に基づけば、理論とは対称モノイド (∞, n)-圏 Bord_n から、ある「ターゲット (∞, n)-圏」 C への対称モノイド関手 Z: Bord_n → C そのものである。ここでは、対象(0-射)とは0次元の点という境界データであり、弦(1次元)は1-射、p-ブレーン(p+1次元の時空体積)は(p+1)-射として回収される。したがって、ブレーンを安易に対象(0-射)と呼ぶ行為は、コボルディズム圏の階層構造を低次元へ射影し、高次コヒーレンス情報を不可逆的に欠損させるカテゴリー的退行に他ならない。
この誤謬は、弱∞-圏の必要性を弦の分岐・結合という物理的直観から説明しようとする転倒した論理にも現れている。正しくはその逆である。弱∞-圏性は、場の理論が要請する局所性と完全拡張性から数学的に強制される構造である。弦の相互作用や分岐は、高次射が満たすべき随伴性やコヒーレンス条件の物理的発現の一形態にすぎない。高次射は実在論的な相互作用の結果として生じるのではなく、理論が局所的であるための必然的帰結としてあらかじめ構造化されているのである。
超弦理論を一次元的に切り詰められた部分圏と見なす理解も、安定ホモトピー論および非アルキメデス幾何学の観点から修正を要する。超弦理論において起きているのは、単なる次元の忘却ではない。それは、理論が依拠する基礎的幾何学を実数体上の滑らかな多様体という特定の基礎トポスに固定する、いわば幾何的ゲージ固定である。
ここでp進弦理論は決定的な教訓を与える。p進弦において世界面の解析構造は非アルキメデス的であり、実解析的な局所性は喪失している。にもかかわらず、散乱振幅の代数的骨格(ベネツィアーノ振幅等)が保存されるという事実は、弦理論の本質が特定の幾何(一次元性)にあるのではなく、振幅を生成する E∞ 環スペクトル 的な、より深層の安定ホモトピー的データにあることを示唆している。
この地平において、M理論と超弦理論の関係を反映や左随伴といった1-圏論的な語彙で記述するのは不適当である。M理論とは、特定の時空次元や多様体構造に拘束されない、安定∞-圏あるいはスペクトル圏をターゲットとする Meta-TQFT と定義されるべきである。
そこでは、弦が射であるか対象であるかという区別すら不変ではなく、Span構成や反復ループ空間構造(Ω^n)の下で、どの次元を境界データとして選択するかというホモトピー的なゲージ選択の残滓として、弦やブレーンの境界が析出する。
T双対性やS双対性を自然変換と呼称するのも階層が低い。双対性とは、単なる関手間の変換ではなく、ターゲットとなる理論値∞-圏そのものの自己同値、あるいはE∞ 環スペクトルの自己同型として記述されるべきものである。問題の本質は可逆性の有無ではなく、どの安定コホモロジー理論、あるいはどの形式群が保存されるかという、安定ホモトピー圏における構造保存の様相にある。
M理論は圏論的環境であり、超弦理論はその可視化であるという直観は、方向性においてのみ妥当であるが、定式化の厳密さを欠く。正しくは以下のように記述されるべきである。
M理論とは、特定の時空幾何や基礎体に依存しない、完全拡張量子場理論が取り得る全空間を統御する安定∞-圏的インフラストラクチャであり、理論が数学的に存立するための普遍的制約条件(コヒーレンス)の総体である。
対して超弦理論とは、そのメタ構造に対し、実解析的時空、多様体的局所性。摂動的可観測性という制約を課した際に析出する一つの表現である。p進弦理論やトポロジカル弦理論は、同じメタ構造から別の基礎トポス(あるいは安定ホモトピー論的データ)を選択した際に得られる、並列的な表現に他ならない。
したがって、両者の差異は包含でも統一でもなく、どの圏論的・ホモトピー論的情報を物理的実在として顕在化させるかという、観測基底の選択の差に他ならないのである。