はてなキーワード: 後見とは
ある程度のネタバレは知っている。
一応これで各国メイン任務はクリア。間章・ベッドタイムはまだ。
うーん、ま、なかなかよかった。
直前にしてたスメールもよかったんだ。あっちは人の業、企みって部分でドラマがあった。
こっちはフォンテーヌ人やフリーナ、ヌヴィレットの真実を知ってる前提だから、人物の感情の裏側を推し量りながら読むようなドラマだった。ただ最初の導入ストーリーの出来はイマイチかなぁ。
ヌヴィレットはやっぱり、登場するたびに声が高くてがっかりする…。年齢、種族、職務などなど踏まえるとガトーまで行かずとも重厚な声がいいんだけど…。ウェンティの戦闘ボイスとあわせて声で引きたくなくなってる神枠なんだよなぁ。
ただ思っていたよりコミュ力未発達で面白かった。中盤だったか人のなにかがわかった~みたいな発言したけど今更かよ!?ってツッコんだ。カーレスの真意だったかな。何年裁判通して人々を見てきたのかと。その中でカーレスみたいな他者のために罪をかぶるなり死ぬために決闘を選ぶみたいな人っていそうだけどね。現実なら嘱託殺人とか老老介護とか、それこそカーレスみたいに持病よりさっくりと、または持病を隠すために決闘で死にたい、なんて劇的なフォンテーヌではありそうだもんぬ。
実際、何年ヌヴィレットが公に出ていたのかは終盤まで謎なんですよね。マレショーセ・ファントムの子は数百年見守ってきたって公言しているけれど。名を変え姿を変えかはわからなかった。
その終盤では500年ぐらいと判明。お前さん500年裁判してきてカーレスみたいな事案無かったしその対人能力なんか…萌えポイントよな…。
その終盤でフリーナは神の力で不死ってことになっていたけど、ヌヴィレットは対外的にどうしてたんかね。不死=神or神の呪い、あるいは長命種という表現も出てきたけど、そこらへんよくわからないか忘れている。ばあちゃんもノータッチだったし。
でもヌヴィレットがヌヴィレットのまま500年最高審判官をし続けていたのなら、なんかその、水神の不在ってもはやどうでもいいのよな。事実500年不在で回ってきたのだし。偶像としてのフリーナは居たけどたいそう平和な国じゃった。のでは。世界任務してないけど。科学院や水仙が残ってるけど。
実質上の治世者、それもフォカロルスの目論みってことでしょうか。
ただヌヴィレットが不完全ながら陰から龍の元素力でなんやかんやしてたのかな、という事前予想もおそらく外れてたし。
結果だけみればストーリー終結でヌヴィレットがパワーアップ(元に戻る)しただけで治世はよりよくなったような。
いや、うーん、子供がわりと捨てられてるっぽい世界なのだが…。
スカークの神の呪いの気配?発言は神の心を持っていたからだし?(あの場面でヌヴィレットが神の心を手にする暇も理由もあったっけ?)フォカロルスが最高審判官の席を差配したのは知らなかったみたいだし、エゲリアの死亡時期がわからないけど、負けてエゲリアに人の姿にされ人の間で過ごしていたよりは自主的に人の姿で居続けているってことになるのかねぇ。
炎龍王の直系の第一被創造物、弟のククルカンは龍族形態で燃素使って過去の人物の姿かたちになっていたはずだけど。
あと500年間、論示裁定カーディナルの判決と食い違いがなかったし食い違っても論示裁定カーディナルの判決が優先されるってのはフリーナとは別の精神的疲労、磨耗がありそうよね…。いい意味で鈍い部分があるのもヌヴィレットの味よな。
んーまー大方予想どおり。グラスで笑ってしまったのも想定どおり。ほぼ最初のセリフなのは意表を突かれたけど。初期の人たちは頭からずっともやもやしていたのか…。いやでもあのセリフは前後からグラス確定だよね?
神との関係性は知らなかったので前任がまだいるのか?フォカロルスは動けないのか?などなど考えながら追っていた。
フリーナが居ると裁判が面白くなる、とは言われていたがリネの件のように自分でつっこんでいくとはねぇ。もっと場を盛り上げることに終始する天覧席の人、茶々を入れまくる人って予想だったね。
しかしフォカロルスの仕打ちはやばい。神の目相当の元素力も与えず神を演じ続けてね。フォローもなしよ。で500年はやばい。
しかもフリーナは予言を回避しつつもう一人の僕!による予言の回避を待つ立場なのに、フォカロルスの計画ではフリーナが裁かれるまでは必須の工程だったわけですよ。
これにフォカロルスが下地を整えるとかもなくエゲリア死去から直接フリーナが就任だし、そういえばフリーナってヌヴィレットの正体は知ってたんだっけ…?神の代行になりそうな、頼れそうな有力者のことも知らなかったわけだ。少なくとも真実を話し悩みを共有できる間柄ではなかった、と。500年の同僚なのに。
そう考えると原始胎海の水に突っ込むのは追い詰められ逃避的な自殺ともとれるけれど、直後の過去回想見るにかなりがんばってるしで、神を演じ続けていた、と見るべきでしょうね。でも内心、少しばかり開放されないがっかりさはあったかも。
だからどうあがいても旅人に内心を打ち明ける可能性はなかったね。500年間、進んでいるはずの計画や自身の行動の評価を貰えなかったフリーナが逸脱して長年の努力がご破算になる可能性を考えたら。
みなさんはどうですか。仕事の評価をもらえず働き続けるのは平気ですか。通知表、テストの点数、模擬試験の合格判定をもらえず勉強し続けるのは。病みませんか。神の眼差しすら届かない中で…。
描写とは逆にフリーナのメンタルは強すぎてやばい。この境地で500年続けられてきたメンタルでテイワットがやばい。一方的な不死の呪いもカーンルイア級ですしね…。
あとよく言われるフリーナ裁判のフォンテーヌ人の態度はいたし方なしってところでしたね。これもたまに言われるあそこでエスコフィエが居たらってのもあそこまでの傍観っぷりならどうなっても少なくない糾弾はやむなしなのでは。
フリーナの二面性は最終盤まで出てこず、物語としてはフリ虐を楽しむしかありませんでしたね。
フォンテーヌいち服装が好きな人。舵がなければなおいいんだけどなぁ。
んー。よかったですね。おもったよりヤクザじゃなかったとか、法廷で菓子を自作する人だったとか。知らない面もみれてよかったですね。
うん、その、特にブレもなく言うことがない。です。
月結晶しだいでは引きたいけど、熟知なんだろうなぁ。
お供の二人も好きだった。混ざりきってないから復活エンドあると睨んでいたらなかった…カード化もされてたはずなのに…。
映画パークイベントに出てなかったからうすうす嫌な予感はあったけど…。
あ、やばい。最後の最後でフォンテーヌ好感度一位を掻っ攫った人。
カーレス以前にナヴィアと誼があったみたいだけどはっきりと明言はされませんでしたね。幼少のころから面識はあったぽくて。まあでもないと決闘時にカーレスが後見を頼むのも変になるので。ただかなり後ろまでその関係が見えてこないので最初はなんで…?ってなるポイントすね。フォンテーヌのシステムとクロリンデの職業からカーレスの死因だってことだけで決別するのは多少、素直に受け入れにくいので何がしかあったはずの別離のシーン見たいなーと思ってた。
メロピデ要塞の封鎖に雷元素で何すんの…?とか(これは全体的に)ラウマとかマーヴィカ爆発とかの胸強調が好きではないので好感度は並程度でしたが、エピローグでわだかまりが解けたナヴィアとの会話がよかった。
フィナーレのイベント会話後の再度話しかけ。かなりしゃべりがベタベタになってる。
しかも返答が「うん」なんすよ。「ああ」とか「はい」とか「そうだ」じゃなくてうん。2回も言う!かなり砕けたしゃべりかたで!返事はうんで!それでいてその対象のナヴィアのことは「あなた」呼びなんですよね。こんなん情緒が狂う!
ようやく?フォンテーヌのプレイアブルカップルが誕生しました…。メロピデの研究員二人もベタでいいけどね。
あと今期のシアターお試しでお世話になりました。ギリギリカニの角壊せました。
公爵は名誉市民の称号で、管理者としてメロピデに来たから罪人ではない、ということだけどその辺もやはりメインストーリーでは触れられず。治外法権の追放地の管理人に名誉市民がなるルートが謎。
彼も召使並みに圧があるキャラでよかった。彼の場合は会話と交渉でかっちり切り替えてる感じがよかったですね。
…彼女が、というかメリュジーヌを人に寄せた日和具合がメタ的に嫌い…。
人の感情をとても勉強しているわりに食の感性すら理解しきれてないし、人の皮をかぶった化け物だよ。嘘です言い過ぎ。
あとなんだろう。メロピデ要塞の数少ない非追放者なのに、リオセスリと一緒にいても言葉のはしばしから心の関心はヌヴィレットに向いてるんだろうなぁって感じてしまって、こう、ね。一般メリュジーヌはそこまででもないんだけど、ストーリーのメロピデ要塞の問題=ヌヴィレットにも及ぶ問題だからでしょうか。
実はたぶんシムランカ以外ではじめましてなのですが、わりと話がわかる子で好感が持てますね。
両親はドーンマンポートに居るという話もわりとタイムリーですしな、立本!
キャラは持っているのでさっさと任務終わらせて、魔導イベントも終わらせないといけないのですけれど…。
運命は決まっていてどう運命を騙くらかすっていうのがかなり根本的な話で毎度モヤモヤするんですよねぇ。
さっさと天井ぶち壊して欲しいんですけど。
だれだおまえ
ナド・クライから遡るとスカークより輪をかけてなんか暗いしゃべりでしたね。おばば代理だから?イネスさん並のあなたはどこへいっていたのか。
ほんとうにニコさんか?
孤児たちらしいからもっと居ると思ってたら知ってるプレイアブル3人しかでんかった…。
リネはともかくリネットはフルパワーみせきれてない感がありました。フレミネは言うまでもなく。
マジックショーから始まったらどうしてもフレミネは場違い感があるよね。潜水士らしさがシナリオで薄かったのも一因。
リネが結構裏表がないキャラで、好印象のような、プレイアブルだから結局こんな感じに収まるんだろなと予定調和のような。
彼はスタッフの悪事とファデュイ関係者ということの暴露、メロピデ要塞収監歴という経歴を背負いながら今後もマジシャンとしてやっていけるのでしょうか。
あとリネットは実はリネットされていたと思います。ウスイホンガデルヨ。
いいですよねお父様…。
稲妻からナタに入った自分には「隊長」がすごい異例の執行官に見えてたけど、「召使」のほうがよっぽど国を救うということで協力的じゃないっすか。
ただ彼女が故郷フォンテーヌにそれほど強い思い入れがある理由は明かされませんでした。
そして彼女はカーンルイアの赤月の王朝の末裔なので、フォンテーヌ人でもなかったわけですよね。そこも(本人が知っているか別として)異民族を救う「隊長」と同じですねー。
わりと本気でお茶会したり家族の心配や家族の家族は家族だ扱いしたりで部下の受けもよさそう。そこも実は「隊長」の部下と争えるのでは?
水神暗殺も自分でいくし、たぶんドゥボールのケーキも自分で買ってる。きっと。限定16個争奪している。
内心はかなり内にやさしいキャラだけど演技には圧があって大好き。
ただしネコミミはなぁ。公式がなぁ。うーん、でも水風船…投げるか、投げるかな?…投げるなぁ。圧は消さないのでOKです。
いやぁ本当に休暇に来ただけだったわ…。
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続く
ヒロインはAIの開発を手掛けている天才科学者で、主人公は幼少期に両親を亡くし、養子としてヒロインの家庭へ入る。
主人公も機械いじりの天才で、ヒロインとは幼少期から仲睦まじい。
そして大人になると自然と恋愛感情が芽生え、両想いとなり、結ばれる…
となりかけたところで事件が発生。ヒロインの研究に反対する勢力が彼女を襲い、その際に主人公が負傷。
というのが大まかなあらすじで、目覚めた主人公は未来の世界でヒロインの姿を探し求めて旅をする。
こんな感じのロードムービー的な話。でもこういった話自体は別段珍しくもないだろう。
主人公が意識を失い、目覚めたらはるか未来の世界だった(主人公はコールドスリープをしていたという設定)
ではこの空白の間に、何が起きたのか?
そして先日の第十話にて、この部分が明かされた。
…正直、絶句した。
この先はネタバレになるので10話をまだ未試聴で今後見る予定があるなら帰ってくれ。
Q:どんなことしたの?
恐ろしいのは自分にそれほどの悪人であるといった自覚がないことだ。
これ…何がすごいのかって、本人は人類を良くしたい!悪意一切なし!てなことをやってるんだけど、そのせいで世界中の治安が悪化→解決方法を求めて自分の知性を象ったAI作る→そのAI「混乱の元は人間。ならその人間を消せばいい!」みたいな雑なSFみたいな発想でマジで核戦争はじめる→人類ほぼ絶滅→暴走したAIを止めるためにヒロインがアンドロイドを作る→そのアンドロイドがAIの暴走を止めてAI戦争終結→ヒロイン、世界の英雄として迎い入れられる。
というガバガバすぎる展開…2025年のSF作品としては諸手を挙げて賞賛できる内容ではないものの…いやいやアニオリ作品でこんなえぐい世界描く!?
人類の大半を殺すわ主人公もそんなヒロインに寄り添うし、最初のテロ行為が実は成功していた方が人類のためだったというストーリー…
正直既に挽回不可能なレベルで、ハッピーエンドがまるで見えてこない…
この作品ってさ、毎度サブタイトルに往年のSF作品のタイトルをパロッてて(おまけに作中に登場する軍の名前が「オーウェル」)、『ハヤカワ文庫SF総解説2000』を熟読しているようなおじさんから言わすと「…へぇ」ぐらいの感じで多少期待してたんだよ。
でも途中からは敵側の知能指数ガバガバで26世紀青年の世界みたいな振る舞いするもんだから「酷い脚本だな…」と思っていたけれど10話を見て認識が一変した。
ハードSFの”ハード”の意味を誤解しているような展開ながらも…いやはやこうも目が離せない展開になるとはねぇ!!
果たしてどこに着地を持っていくのか?
意識的・社会的な問題としては、女性が幼児のことを「自分の体の臓器の一部」的認識でしかないものがある程度(女性による子供への差別、女尊子卑的な価値観)があるけど
痴漢被害が左翼とフェミニストの社会運動に利用されて実用的な対策(監視カメラの導入、私服警官)を妨げるので無しにしたい。
・親にバレたく無かった
・夫や親族へのあてつけ
が多い。
動機がさまざま過ぎて対処が難しく、単純に「母親をサポートしよう」では意味が無いだけでなく「サポートを受けたく無い」も動機としてあるのがわかる。
確実な解決策としては
まず子殺しに関して、アメリカなどに比べて子供を殺すことに関して緩すぎる。刑罰のバランスが殺人の中でも明らかに優しい。
匿名出産に関してや孤児院に関しては、今は社会的に良く無い雰囲気があり、また病院も説教まがいのことをしてるけれど推奨すべき。子育てに自信がある人だけが子育てすればいい。
孤児院も幼児教育など高等な教育を施すようにしてインセンティブを与える。離婚の場合は第一の選択肢になるレベルにすればいい。
子育ての免許化に関して、妊娠が発覚してから心理学や小児の権利、小児の医療について学ばせ、試験に合格しないと育児できないようにするべき。
車椅子母親の滅多刺しとかは防げないが、大多数は救えるんじゃないか。
PS:
なんか「男が〜男親が〜」とか「女は〜」とか、男女の社会構造の問題に持っていこうとしてる人が居るけど、そういう「個人的なことを政治的なもの」にするのを辞めようって言ってんだよね。
ピルが普及しなかったの、当時の左派系フェミニストが「男の快楽ために何か女が薬を飲む必要はない」ってデモや意見主張の材料にしたから。
直接的な痴漢対策が進まなかったのも、監視カメラ、私服警官導入に左翼系とフェミニストが嫌がったからだよ(女性専用車が痴漢対策として意味ないのはわかるよね……?)
個人的なものは個人的なものとして、直接的な子殺しに対するアプローチをした方が結果的に環境を変えるのはフランスのピル普及後見ればわかること。
たとえば子育ては免許制にして、運転免許よろしく知的や精神的な問題を持つ人は弾くようにする。
教育を強制化することで、社会へのサポートを反強制化して結果的に孤立を防いだり、コミュニティへのアクセスが増えるだろ。
男性も「子育てわからない」で逃げられない。結果的に意識改善につながるし、社会の構造さえ変わるだろ。
一晩経って読み返したら追記しないとなあ、あそこも書くの忘れてたなあ、ということが山ほどあったので岩手の他の場所のこと書く前に追記・補足しておく。
あと、「地元の人が行く店を避けている」という言及があったけど別に避けてない。忍ばせている。
まず補足から、
神子田朝市: 朝は早い(3時台)。朝8時にはほぼ閉店している。ホテルが近くにないので前日のうちにタクシーを予約しておくといい(たぶんホテルの駐車場は一時的に出すと損になる)。
盛岡駅の店が10/1境になっている理由: 駅の改札口フロア北側で大改装工事が予定されていて、その予定地になる店が軒並み閉店するから。改装工事は既に始まっていて南側には新しい店が増えている。
わんこそば店: わんこそばそのものとは関係ないが、東家はカツ丼の評判がいい。あと直利庵のオニオンそばは今上天皇絡みで隠れた名品だったりする。
じゃじゃ麺: "折り返すまでは大した列ではない"は、混んでない時に座っても15分待つがたいていはその客が食べだした後に並んでいるので食べ終わった後に座る人たちにはすぐ出てくる、ということ。なおあなたが玉子アレルギーでないなら「ちーたんたん」は必ず注文すること。
ヘラルボニー: 岩手発のブランドなのでコラボ製品はあちこちにある。IGRの車体とか、盛岡バスセンター宿泊施設の内装とか。
坊っちゃん: つまみの定番は「ライスコロッケ」と「生ラムジンギスカン」。あとはお好みでどうぞ。
ベアレンビール: ネギトロとアボカドのタルタルがあるのは盛岡駅前地下の店だけ。つまみメニューについては全店舗方針が違う。なお材木町店は現在貸し切り営業以外はしていない(春から秋の土曜は"よ市"で店前に出店をだしていて飲める)。あと市内の工場では100年前の設備の見学対応している。
小岩井農場: ここは観光農園である前に商業農園なので、口蹄疫騒動以降動物との触れ合いは最小限になっている。牛の乳搾り体験とかなくなった。その分遊具を増やしているので子供連れは遊ぶ場所はある。
紹介していなかったものについて書く前に少しだけ。岩手の観光地は「一箇所でたっぷり楽しむ」というよりは「薄く広く見て回る」という施設が多い。たぶん宮沢賢治とかあたりは来る前に生涯について調べて来たりするほうがいい(妙に偉人が多いので、そのための先人記念館、という説はある)。NYタイムスが「歩いて楽しめる街」として紹介したのにはそういう面があるのかもしれない。
三ツ石神社: "岩手"の語源となった、鬼の手形がついた岩が祀られている。ただ、ここ5年くらい、「手形が見えなくなった」という話題でもちきり。今後見えたならかなりラッキーかもしれない。
盛岡天満宮: 狛犬の風貌が変かわいい、ということで最近少し話題になっているが、その横にいる撫で牛が地味にかわいい。
住吉神社: 併設されている"体操神社"の御神体が意外なもの(意外ではない)。誰でも扉を開けて御神体を眺められる。
岩手公園: "六三四の剣"で主人公が登った石垣がある。啄木が学校抜け出して寝転んだのもこの公園。
喫茶店: クラムボン以外にも珈琲店紅茶店を含め「文化」として売り出しがかかるくらいあちこちにある。
ハンバーグのベル: びっくりドンキーの1号店。ただしメニューは店名が違う以外はびっくりドンキーとほぼ一緒。
五百羅漢: 三ツ石神社近くの報恩寺にあり、宮沢賢治石川啄木ゆかりの地でもある(観覧は有料)。実は500体ない。
十六羅漢: あさ開そばの公園にある(ただで見られる)。実は16体以上ある。宮古までの旧街道は実はこの公園とあさ開の間にある細い道だったりする。
とふっち: 岩手をPRするキャラクターとして「わんこきょうだい」というキャラがあり、お椀の中に豆腐がある"とふっち"は盛岡近辺地域の担当。実は盛岡市は全国有数の豆腐消費地で汲み出し豆腐の"よせ豆腐"がうまい。
岩手山: 盛岡駅周辺に茶色の建物が多いのは、北上川の背景に見える岩手山の光景を邪魔しないように建物に色制限をかけたから。駅の北の方には"六三四の剣"で主人公が通った道場のモデルがある(現在増築中)。
高松の池, 小鹿牧場: マンガ「とりぱん」で、「T松の池」とか「O公園」とされているのはこの2ヶ所。小鹿牧場は実はもう牧場ではないので小鹿公園と名称を変更している。おそらく作者が住んでいるのはこれらの近辺。どちらも桜の季節には桜が見られる。
岩手大学農業資料館: 岩手大学の敷地は無駄に広いがその南端にある古い建物。前身となった学校の旧本部で宮沢賢治にもちょっとだけ関わりがある。昼間だけ有料で見学可能。
盛岡駅: "滝の広場"は東京制作のロケ番組で挨拶に頻繁に使われるほか、呪術廻戦を始め盛岡絡みではこの近辺の絵がよく使われる。理由は「もりおか」の文字(石川啄木による)がここの場所でよく見えるから。
マリオスとアイーナ: 盛岡駅西口の公共施設。背が高いほうが盛岡市絡みの「マリオス」で最上階は無料の展望台。ガラス張りのほうが岩手県絡みの「アイーナ」で最近ネーミングライツで名前が変わった、県立図書館が入居している。カタカナ名前のせいか、なぜかよく取り違えられる。
プロスポーツ: サッカーチームはJ3からJFL落ちして1年で復帰を目指していたが9月末現在かなり厳しい。バスケチームは今シーズンよりB2入り。どちらも盛岡だけではサポーターブースターが足りないので岩手県全体をフランチャイズにしていて、ホーム戦でも盛岡で試合が見られるとは限らない。
盛岡手作り村: つなぎ温泉とダム湖を挟んだ対岸にある。南部曲り家が移築保存されているほか、盛岡の伝統工芸関係の工房が集まっていて一部は体験も可能。たぶんいちばん手軽なのは南部せんべいの手焼き体験(焼くのはクッキータイプ)。周辺というか行くまでのところにはラブホテルが集まっている地域があってこの地域のことが「子作り村」と地元では呼ばれている。
多分また追記するかもしれない。
きっかけは先週末のライブだった。 もっとも、あれをライブと呼んでいいのかはわからない。
あの退屈な数時間がライブなら、小学生の頃に同級生のゴダイ君がやっていたハサミ回し、通称メガドラゴンハサミトルネードだって立派なライブである。
とにかく、散々な週末だった。
先に断っておくと、普段から彼のことを推しと呼んでいるわけではない。
この文章を読んだギャルに、バカ読みやすくて草、と言われたいので、ここでは推しという言葉をあえて使っていく。
最初に見たのは寿司を買って食うだけのなんてことのない動画で、その妙な脱力感に惹かれた。
てっきり同い年くらいの大学生YouTuberかと思っていたが、しばらくたってから吉本に所属している芸人だとわかった。
推しは同期の芸人と合わせて三人で活動をしていた。三人ともそれぞれ魅力があったが、俺は断然推し推し、つまり推しのことが一番好きだった。
彼のことを一番面白いと思っていたし、俺も推しもシングル家庭で育ったという共通点があり、それで勝手に親近感を覚えていたというのもある。
余談だが、親戚がいない者にとって夏休みほどその現実を思い知らされるものはない。
俺はこの話になるといつも、小学校に上がりたてだった頃に見た光景を思い出す。
昼下がり、プールの更衣室でクラスメイトたちが夏休みの予定を楽しそうに話していて、俺はそこではじめて、世の中の家庭には祖父母の家に遊びにいく習慣があることを知った。
俺は哀れみの目を向けられることを恐れ、とっさに「来来来来来週いく」と嘘をついた。作り笑いをすると頬がピクピクと動くことをはじめて知ったのもそのときだった。
更衣室に充満した塩素の匂いのせいで、鼻の奥のあたりがツンとした。
推しを見ていると、プールの更衣室で顔を引きつらせていた俺の少年時代が、少しずつ救われていくような気がした。
もしここにゴダイ君がいたら、アルティメットホワイトヒーロー、と彼のことを呼んだだろう。
推したちはあれよあれよという間に数十万人のフォロワーをかかえる人気YouTuberとなった。
芸人のライブは女性客が大半だとうわさに聞いていたのでひょっとすると場違いなのではと案じていたが、意外にも男性客はたくさんいた。
ずらりと埋まった客席に彼らの人気ぶりが伺えた。はじめて生で見る推しの姿に思わず胸が熱くなったのを覚えている。
そして数ヶ月後の全国ツアーも発表され、ギャルの言葉を借りるなら、コイツらの未来ガチ明るすぎなんだが、と思っていた。
しかし、油断すんなし。
公式から突然「スタッフになりたいファンを募集する」と発表されたのである。
ファンを?
スタッフに?
好意的に受け止めるファンもいたようだが、俺の中のギャルは、マ?大丈夫そ?と不安げな表情をしていた。
そもそも推しのライブは、元テレビ局員だという外部のプロデューサーがすべてを取り仕切っていて、どうやら彼の手伝いをしてくれる人を探しているようだった。
当該ポストがすでに消えているため確かめるすべがないのだが、たしか応募する際には得意分野をアピールしてほしいと書かれていたはずで、プロデューサーはそういった条件から、言うなれば精鋭の「ファンスタッフ」集団を選抜した。
そんな中、全国ツアーはおこなわれた。
会場は前回の倍以上も広くなり、俺と推しとの距離はずいぶんと遠くなってしまったが、彼は相変わらずアルティメットホワイトヒーローだった。
が、しかし。
いや、やはりというべきか。
ファンスタッフが生まれたことをきっかけに、「推し」「運営」「ファン」の境界線がどろりと溶けだしたのである。
精鋭のファンスタッフとはいえ、普段の彼女たちは「最高すぎた♡」「好き♡」などと発信しているただのファンにすぎない。
しかし、ライブ後には一転して「ご覧いただきありがとうございました。皆様のおかげで〜」と運営らしくふるまうのである。
ファンと運営とを都合よく行き来する様子に、首をかしげる者も少なくなかった。
そして同時に「推し」と「運営」との線引きも曖昧になり、なれあいが加速した。
言うまでもないがファンが見に行っているのは推しであり、推しのサポートをするのが運営である。
しかしあろうことか、プロデューサーやファンスタッフは自らステージに上がり、推したちと肩を並べて公演に参加するようになった。
こうなってしまうと、もはや「推し」と「ファン」との境界線などあったものではない。
本来なら外に出ないはずの情報を、ファンスタッフたちはレポと称してSNSで得意げに公開した。
たとえば推したちから受けた細かな指示のことから、ステージ裏で見た彼らの姿まで。
こうなると気になるのは一般ファンの反応だが、我々は大きく二つに分かれた。
俺に限って言えば、推しと公式以外のフォローをすべて外すことにした。俺が求めていたのはあくまで推しと俺というシンプルな関係だけだった。
中には推すこと自体をやめてしまった人もいたのだろうが、彼らは大抵静かに去った。
彼らは仲間になるためにプロデューサーやファンスタッフの仕事ぶりをこれでもかと持ち上げた。
それで気をよくしたのだろうか、スタッフたちは音声配信やオフ会などの交流を盛んにおこなうようになり、SNS上での存在感をさらに高めていった。
さて、今回の本題であるライブが発表されたのは、まさにこの混沌のさなかのことであった。
発表されたライブ情報を見てまず気になったのは、会場の規模が前回の半分ほどになっていたことである。
販売サイトに表示された「残席余裕あり」の文字はいつまで経っても変わらず、公式SNSには「残りわずか、お早めに」と景気のいい謳い文句が並んでいたが、やがてひっそりと消えた。
会場へと向かう電車の中で、俺は以前フォローしていた人たちのアカウントを久々に覗いた。
「今日楽しみ」「グッズ列やば」と何一つ変わらない様子のアカウントもあれば、半年以上放置されアイコンの上に埃が溜まっているようなアカウントもあった。
車窓の向こうには知らない町が見える。
降りる駅はまだまだ先だったが、ずいぶんと遠くまで来てしまった気がした。
その日の東京は38度を超える猛暑日で、会場へと辿りつく頃には、俺の顔はほとんどアイスクリームのように溶けていた。
人だかりを抜けてロビーへと向かうと、ちょうどそこにはプロデューサーがいて、複数のファンに写真をせがまれているところだった。
プロデューサーは待ってましたとばかりに撮影に応じ、それから二、三言葉を交わすと、さながら池の魚にエサでも与えるような手つきでキャンディを配った。
これはあとから聞いたことだが、どうやらプロデューサーとのひみつの合言葉を伝えた者だけが貰えるキャンディだったらしい。
手渡されたキャンディに喜ぶファンたちの姿は、まるでパクパクと口を開けてエサをねだる魚のように見えた。
ならばこの場所は底の見えない不気味な池といったところか。
もしここに小学生の頃のゴダイ君がいたら、きっとプロデューサーに近づいて、デュクシ、としただろう。
でも俺は大人なのでやらない。
そして誰かが言っていたように、グッズを求める人たちの列は延々とつづいていた。
その列の先では、ファンスタッフだろうか、ひとつひとつ電卓を叩いている姿が見える。
開演までには明らかに間に合わない。
どこからかハンディファンの風が吹いてきて、生ぬるい空気が頬に触れた。
そしていよいよ幕が上がる。
正直なところ、このときの俺には彼らに寄せる期待などほとんど残っていなかった。
だから公演のさなかにプロデューサーがいそいそとステージに上がったときも、そしてなぜかひとりで踊り始めたときも、もはやがっかりする気力すらなかった。
それでも推したちに対しては、心のどこかでわずかに期待を抱いていたのだろう。
彼らの、打ち合わせもリハーサルもろくにせずに臨んだことが一目でわかるような終始ぐだぐだな空気感と、そしてそれを隠そうともしない姿を目の当たりにして、自分の目から急速に光が失われていくのがわかった。
それから推したちは客席のひんやりとした空気を察したのか、「これにいくら払ってるの?」「返金しないと」などと冗談めかして笑った。
俺の席は前回よりもはるかにステージに近かったはずだが、推しの姿はずいぶんと遠くに感じた。
帰り際、ぽっかりと空いた二階席の後方あたりが目に入り、かつてそこにいた人たちのことを思い浮かべた。
数ヶ月前のことである。
「三人のことを見たいのにスタッフの声が耳障り」と。
それだけならさして話題になることもなかっただろうが、このコメントに推し本人が返信をしたことで、にわかに注目を集めた。
「もう今後見ないでください」
やがて書き込みは跡形もなく消えた。
そしてそこには「言ってくれてありがとう」「こういうとこ好き」などという称賛ばかりがいつまでもこだました。
この人の胸中を思うと、ひどくやるせない気持ちになる。
ゴダイ君がイップスを発症し、泣く泣くメガドラゴンハサミトルネードからの引退を余儀なくされたときと同じくらい、切ない。
ただひとつ、俺に言えることがあるとすればこの場所はどこまでいっても「彼ら」の池だということだ。
彼らというのは、この池の水温も生態系も、それからキャンディの味すらも愛してやまない魚たちのことで、そうじゃない魚は波を立てずに去るよりほかない。
あいにく俺たちは人間で、背びれも尾びれも持たないが、どこへでも泳いでいける自由ならある。
そして一週間が経った。
真夜中のコンビニを出ると、先週よりもずいぶんと涼しくなっていて、あの頃の夏を思わせる。
あれは何年生のことだっただろうか。
俺の通っていた小学校では夏休み明けにラジオ体操カードを提出しなければならなかった。
クラスでたった一人、俺だけが満点花丸の皆勤賞で、担任の先生はご褒美に特別なキラキラシールを貼ってくれた。
クラスメイトたちは口々に羨ましがったが、俺にとっては彼らの空白だらけのカードの方がよっぽど羨ましかった。
それからクラスメイトたちは、テレビもゲームも禁止されていた祖父母の家がいかに退屈だったかを話し、テレビを何時間見ても怒られない俺の生活がどれほど恵まれているかを熱く語った。
俺は大人ぶって「あの深夜のアニメのヒロインがさ」などと言ってみたりしたが、むなしくなるのは自分だった。
俺が本当に見たかったのは、彼らの語る変な匂いのする畳の部屋だとか、吠えてばかりの犬だとか、星しか見えない田舎の夜なのだということは、結局誰にも言えなかった。
しかしあの頃の記憶を思い出すのは、昔ほど嫌なことではなくなっている。
ゴダイ君は元気だろうか。
少年時代の俺を助けてくれたのはキラキラシールでもなく、アニメのヒロインでもなく、いつか未来で出会うアルティメットホワイトヒーローだった。
心地よい風が吹き、季節は秋へと向かう。
淀君(淀殿、茶々)は、戦国時代の波乱に満ちた生涯を送った女性であり、豊臣秀吉の側室として秀頼を産み、秀吉の死後は豊臣家の実質的な後見人として権力を掌握しました。その生涯と権力への関わりについて、詳細に解説します。
淀君は、織田信長の妹であるお市の方と、北近江の戦国大名・浅井長政の長女として生まれました。幼名は茶々。彼女の人生は幼い頃から悲劇に満ちていました。
1. **浅井家の滅亡**: 幼少期に、父・浅井長政は織田信長に敵対し、小谷城の戦いで滅亡します。父は自害し、兄も処刑され、茶々は母お市と妹たち(初、江)と共に信長に保護されます。
2. **柴田勝家との再婚、そして死別**: その後、母お市は信長の家臣であった柴田勝家と再婚しますが、本能寺の変後、秀吉と勝家が対立し、賤ヶ岳の戦いで勝家は敗死。母お市も勝家と共に自害します。
3. **秀吉による保護と側室入り**: 茶々ら三姉妹は、母と養父の仇である秀吉に保護されることになります。秀吉はかねてより、戦国一の美女と謳われたお市の方に憧れており、その面影を最も強く受け継いでいた茶々を側室に迎えることになります。具体的な時期は天正16年(1588年)頃とされています。
このように、淀君が秀吉の側室になったのは、自身の意思だけでなく、戦乱の中で後ろ盾を失った浅井三姉妹を秀吉が保護したという経緯があります。親の仇とも言える秀吉の側室になるという、非常に複雑な運命を背負うことになります。
はい、淀君は豊臣秀吉の側室でした。秀吉には正室である北政所(ねね、おね)の他に多くの側室がいましたが、その中でも淀君は特別な存在でした。その理由は、彼女が秀吉の世継ぎとなる鶴松(夭折)と秀頼を産んだ唯一の女性だったからです。
当時の秀吉は、正室の北政所との間に子が無く、他の側室も子を授かることがありませんでした。そうした中で、淀君が立て続けに男児を産んだことは、豊臣家にとって非常に大きな出来事であり、淀君の地位を確立させることになりました。秀吉は鶴松が生まれた際に、淀城を茶々に与え、それから「淀殿」と呼ばれるようになりました。
秀吉は、淀君が産んだ子を非常に可愛がり、特に秀頼が生まれた際には溺愛したと言われています。秀頼が秀吉の実子であるか否かについては当時から様々な憶測がありましたが、現在では確たる証拠はなく、秀吉が自身の後継者として秀頼を深く愛し、育てたことは事実です。
### 秀吉の死後、淀君は秀頼を使ってどのように権力の黒幕になったか
秀吉が慶長3年(1598年)に亡くなると、淀君は幼い秀頼の生母として、豊臣家における絶大な権力を握ることになります。
1. **正室・北政所の引退と淀君の地位確立**: 秀吉の死後、正室の北政所は剃髪して高台院と名乗り、大坂城を出て京都に移り住みました。これにより、大坂城には淀君と秀頼が残り、実質的に淀君が豊臣家の最高権力者としての地位を確立します。
2. **幼い秀頼の後見**: 秀頼はまだ幼く、政治的な判断を下すことはできませんでした。そのため、生母である淀君が秀頼の後見役として、豊臣家の政治を差配するようになります。諸大名への指示や外交交渉など、豊臣家の重要な決定は淀君の意向が強く反映されるようになりました。
3. **対徳川家康の方針**: 秀吉の死後、五大老筆頭であった徳川家康が台頭し、豊臣政権内の主導権を握ろうとします。淀君は、秀頼の存在を盾に、家康による豊臣家の支配に対抗しようとしました。淀君は、家康の動きに対し、豊臣恩顧の大名たち(石田三成ら文治派)を擁護し、また大坂城の財力を背景に豊臣家の権威を維持しようと努めました。
4. **関ヶ原の戦いとその後**: 慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、淀君が石田三成らを後押ししたとも言われています。この戦いは家康率いる東軍が勝利し、家康は事実上の天下人となります。しかし、秀頼の存在は依然として家康にとって脅威であり続けました。淀君は、秀頼を擁して大坂城に籠もり、徳川家康との対決姿勢を強めていきました。
5. **大坂の陣での指導力**: 家康は、豊臣家を完全に滅ぼすため、大坂冬の陣、夏の陣を起こします。この時、淀君は籠城の方針を強く推し進め、豊臣家の軍事行動を指導しました。しかし、結果的に大坂城は落城し、淀君は秀頼と共に自害し、豊臣家は滅亡しました。
淀君は、幼い秀頼を守り、亡き秀吉が築いた豊臣家の存続を図るため、政治の表舞台に立ちました。彼女の行動は、豊臣家を守るための母としての愛情と、名門の血を引く女性としてのプライドが入り混じったものであったと言えます。しかし、時代は徳川家康による天下統一へと大きく傾いており、その流れに逆らうことはできませんでした。結果的に、淀君は「豊臣家を滅ぼした悪女」という負のイメージを背負わされることになりますが、彼女の行動は、豊臣家の命運を背負った女性としての必死の努力であったとも評価できます。
2年前のレポートだね。
https://www.mri.co.jp/knowledge/column/20250311_3.html
現在、実は、大規模農家ほど収入に占める補助金割合が高い(より具体的に言えば、主食用米以外の、転作作物を作っている割合が高い)。2024年産の主食用米683万トンを生産した農地は全国で125.9万haであり、これは対前年比1.4%増でしかない。普通に考えれば、2024年の作付けをする段階で、2023年産の不作は共有されており、コメが不足気味であることは多くの農家に分かっていたはずである。しかしながら、この程度しか増産がされなかった※3。
最後に、これまでの「中小零細農家が退出した農地を、中規模・大規模農家が引き受けて規模拡大していく」という事業承継・事業継続の成功パターンが限界に来ている面が否定できない。この20年ぐらいの期間、集落営農法人や個人の家族経営で、30haや50haを営農する農家が各地に出現した。中には、200ha、300haという農家も生まれた。20年前には考えられなかった状況である。この農地集約・農家の大型化と水田フル活用による転作支援政策は、セットの政策だったと考えられる。しかし、そもそも1990年代や2000年代と違って、現在は農家が同じ規模・ペースで拡大する余地はない。また、現在30haで効率よく営農している農家には、その規模を拡大させる動機がなくなっている。
言葉を変えると、この20年ぐらいの農家数減少下における大規模農家への集積の動きは、「より積極的に生産量を増やし、より稼ごう」という農家を育成する政策であった、ということができる。しかしながら、そうした農家が一定程度育ったことにより、同じ政策を続けていても、これまでのようにチャレンジングな農家が生まれにくくなっていると言えるのではないだろうか。
・「後悔してる…」「もっと理解らせしていれば通報されてなかった」の下りは目茶苦茶よくて「ナーメテーター案件でこの後見てるこっちが痛い位の「暴」が吹き荒れるんや…!」とワクワクしたがそんなに常識を外れた暴力は無くヌルーッと侵入フェーズが終わり「え?」って思ってるうちにエンディングを迎えていた
・前科の理由は「性暴力を受けて抵抗のためにやり返したら不本意な結果になり世間の理不尽を浴びた経験」的なものかと思ったらそんなことはなかった
・フランクなお礼として犯罪への手がかりを紹介してくる同僚、嫌すぎる
・「犯罪の指示役」と「いつでも切れる現場要員」の関係からヌルッとステディな関係になるの、海外の恋愛脳が大変すぎる…ってなった
骨格ウェーブじゃない骨格すき
ムスリムのおじさん店主に「最後だからライタないけどいい?」と言われた
ライタってなんだっけと思っていたら「ヨーグルトソース無いから100円引きにするけだいじょぶ?」とのことだった
「大丈夫です」と伝えて、しばらく経って、マトンのビリヤニがやってきた
パサパサの米とマトンをスプーンでかっ込んでいると、店に電話がかかってきたらしく、
店主のおじさんは奥へ引っ込んでいった
小さな店でお昼のピークを過ぎていたのでお客は私一人、店員は店主のみなのでその場には私しかいない
マトンの骨とクミンシードと明らかに辛そうな青唐辛子をよけつつ香味のついたジャスミンライスを汗をかきながら口に放り込んでいた
スピーカーにしているのか、おじさんの電話の相手の声が聞こえてきた
「はい、どういったご用件ですか?」とおじさん
「今行ったら、ビリヤニって食べれますかと確認したいそうです」
耳が聞こえない人が依頼してまで食べたかったビリヤニのマトンをもう面倒だからって手づかみでかぶりついている
「今、ビリヤニは売り切れたね」とおじさん
「豆とチキンのカレーとかあります」みたいなことをおじさんが説明していた
最後に電話の方が依頼者に他に質問があるかを確認し、無いとのことで電話は切られた
私は申し訳ないなとか、美味いなとか、辛いなとか、やっぱヨーグルトソースあったほうがマイルドにも食べれていいよなとか思いながら食っていた
戻ってきたおじさんは「耳の聞こえない方からの依頼だっていうから営業だと思ったけど違った」と話しかけてきた
「私も、最初は耳の聞こえない方用のサービス機器かなんかの営業かなと思って聞いてました」と答えた
「聞こえてました。私のが最後だと思ってなんか申し訳なくなりました」
「そんなこと、思わなくていいよ」とおじさんは笑っていた
「でも、耳が聞こえない人の代わりに電話するサービスとかあるんだね」
「私も初めて知りました」
私は「そうですかね」とだけ返した
私は汗だくでビリヤニをたべて、ごちそうさまでした美味しかったですと言って店を出た
これから耳の聞こえない人がカレー食いに来るのかなと思いつつ、
最後のビリヤニを食した私は気まずいからあんま鉢合わせしたくないなと思いながら帰った
■追記
〇カルダモンシード
私はなんとなくでビリヤニを食べている!
〇ヨーグルトソース無いから100円引きにするけど、だいじょぶ?
おじさんは噛んでいない!私はタイピングが雑なので脱字をし、投降後見直しをせず、そのまま寝た!
M-1の決勝進出者に(暫定)女性がいないことにキレている人たちは準決勝まで十九人が残っていることも知らないし多分ゆッちゃんwでは笑わない
オダウエダのことは下品だと罵る
そして肝心のTHE Wもポスター可愛い〜アートワーク素敵〜とだけツイートして本戦は見ない
KOCに女性がいなくてもR-1女性がいない時も文句を言わない
好きでもなく今後見る気もそこまでないのにお笑い芸人を男女差別の叩き棒にするな
キリトリ
現状女性芸人では男性芸人よりも笑わせられるラインが難しいんだしまだまだ深く掘っていける話なのでお笑いが好きなら長い目で見たほうがいい
女性芸人のビジュアルで笑うっていう行為に昨今は罪悪感が伴うようになった、男性はそうではない
女性と男性声では漫才などで映える、使いやすいのは男性の声だ、そこはまだまだ研究の余地がある
私も審査が完璧だとは思わないしまさか準々・3回戦で落ちるんだ……と思ったコンビもいる、男女ともに
でも男性女性共に変わっている最中だし、ネタ動画も見ないで議論するのは勿体ないからいろいろ見られるうちにいろんな芸人のネタを見てみてほしい
(数年ぶり数回目)ガンダムらしさとは
最広義(なんでもあり)
普通:
公式がそう言ってる
アンテナが白くない
宇宙世紀じゃない
富野が認めてない
TV版機動戦士ガンダム(無印、1st)じゃない(劇場版はセーフの場合多々)
これじゃない
あるある:
一人で悩む
パーマ気味
V字アンテナ
顎が赤い
顔の横の穴が3つ4つ
頭部バルカン完備
目がふたつ
口がへ
白に赤青黄
靴が赤い
ブラが黄色い
敵のパイロットと恋
戦争してる
親が製作
親が偉い人
赤いのが出る
赤いのは敵のエース
弱すぎ量産機
有視界戦闘
フレクサトーンの音
人型じゃないデカいのが出る
鋏で挟みがち
水中用、水陸両用居がち
後半で別機体に乗り換える(ガンダム以外でも。それ言ったら親や仮面その他沢山も)
コロニー落とす
隕石もなんか色々する
母艦が馬っぽい
最終盤に母艦が沈みがち
わかりあえない
わかりあえそうであえない
ガンダムは凄く強い
玩具メーカー(とお子様と大きなお子様)のための合体変形サポートメカ
グーパンチ(蹴りもある)
補給が不足する
ミノフスキー粒子、または似たような謎粒子
人間を暗示や薬物等で強化する
三つ巴っぽくなったりもする
幼馴染ヒロイン
ヒロインは面倒見がよい
ヒロインとくっつかない
頼れるおっさん
敵側のかっこいいおっさん
敵側にもいい人が居ていい人なのを知ってしまう
凄く悪い敵将
敵の上のほうのやつらの拗らせ
砂漠で戦う
中身で戦う
月に行ったりする
ふらっと買い物に行って事件が起こる
バギーみたいなので走る
ご飯食べない
弾幕が薄い
別機体で出たり、出撃後に乗り換えたり
政府は腐敗
解放軍みたいなのも腐ってる
ジジェクの韓国語コラムが微妙なのは英語版を改変してるからだと言ってる人がいたけど、英語版も微妙やんね
単に賞味期限切れだろこの人…
https://english.hani.co.kr/arti/english_edition/english_editorials/1149192.html
現在の右翼ポピュリズムの再興について最も重要な点は、この再興がその支持者によってどのように認識されているかということです。異なるバリエーションで繰り返し現れる単一の修辞的な図式が見られます。新しいポピュリストは、企業メディアや極左による暴力的な強制に対抗して穏健な正常性を擁護しています。「LGBT+イデオロギー」の絶え間ない圧力により、自分がただの普通の「シスジェンダー」の女性または男性であるだけで、何かしら罪悪感を感じるようにさせられ、「バイナリー」であること自体が抑圧の行為であるかのように感じること。過去の発言や行動が急に禁止され、どのルールが自分を責め立てるか事前にはっきりと示されないため、何か行動や発言をする際に「キャンセル」されるという絶え間ない脅威。人種差別や性差別がただの自分の特性ではなく、自分の存在そのものに刻まれているかのように絶えず自己卑下を強いられる衝動。これらすべてが、多くの周縁的で「破壊的」とされるアイデンティティを十分に享受するように促されるのとは対照的に、停滞して息苦しい雰囲気を効果的に生み出しているように見えるのです。
「目の覚めるような新鮮な空気が、窒息するようなウォーク主義の圧力に一時的に流れ込んだ極端な事例は、アメリカのハイデガー主義者であり、アレクサンドル・ドゥーギンに共感するマイケル・ミラーマンによって最近提供されました。彼は最近、YouTubeで『なぜ普通のものすべてがファシストと呼ばれるのか?』というタイトルのポッドキャストエピソードを公開しました。彼自身の立場の要約は以下の通りです。
『「私が嫌いな人はみんなヒトラー」という現象はどうしたのか?奇妙ですが、理解できないわけではありません。戦後のリベラルな熱狂(左翼の反ファシズムと結びついて)により、多くのことが「極右」としてコード化され、禁忌となりました。しかし、それらの中には、政治と人間の生活をよく理解するために必要な重要なことも含まれています。』
また、ミラーマンのポッドキャストに対する多数の反応にも注目すべきです。これらは文脈を明確にしています。『彼らが私をファシストと呼ぶなら、それは私が正しいことをしている証拠だ。』『私の友人は多様性と包摂の原則に基づいて外科医を選びました。彼女は亡くなりました。』『WW2前のすべての普通の人は「ファシスト」だった。血と土、自分のものへの愛、他者への警戒心は私たちに組み込まれたものであり、完全に健康的なものだ。』『イスラム教を公然と批判してイスラム教徒をやめたためにファシストと呼ばれた。』『すべての普通のものがファシストなら、ファシズムは...』『「極右」の最良の定義は、間違っていないものすべてだ。』
マリーヌ・ルペンや彼女の周囲の人々は、この論理に大いに依存していますが、彼らは自分たちがネオファシストであることを断固として否定します。彼らは、健全な常識をファシズムと混同しているのは左翼リベラルだと主張します。しかし、この論理を徹底的に追求する人もいます。『すべての普通のものがファシストなら、ファシズムは普通だ。』
7月4日の選挙で労働党が圧勝し、保守党をほぼ壊滅させたとき、多くのリベラルは、英国がこの傾向に対する明るい例外を示したと考えました。しかし、ナイジェル・ファラージのリフォームUK党が400万票以上を獲得したことを過小評価すべきではありません(ただし、英国の投票制度のため、これが議会議員5人に翻訳されました)。保守党が事実上弱体化する場合、その位置を占めるのは、より公然とした人種差別的でポピュリスト的な新しい右翼運動である可能性があります。
新しいポピュリズムの広範な魅力をイデオロギーのミスティフィケーションと操作に帰するのはあまりにも簡単です。事態はもっと微妙です。新しいポピュリストの台頭は、私たちリベラルな「啓蒙された」者たちが無視している不満の層が存在することを示しています。この層は、深く埋め込まれた伝統的な人種差別に還元されるものではありません。
したがって、新しいファシズムを「非自然化」または非正常化する必要がありますが、そのテーマをただ拒絶するだけではいけません。愛国心や自分自身の特定の生活様式への愛着には本質的に虚偽や「ファシスト」なものはありません。ジョージ・オーウェルの英国のパブの称賛を思い出してみてください。これは労働者階級の生活様式の具現化です。新しい右翼ポピュリズムが行っているのは、愛国心に偏執的なねじれを与えることです。自分自身のコミュニティを自信を持って楽しむのではなく、外部の脅威(外国人や「逸脱した」性的習慣)に対する嫉妬と憤りに焦点を当てています。
いわゆるTERF(トランス排除ラディカルフェミニスト)の問題は、彼らがこの多様な流動的なアイデンティティに反対する方法が、アイデンティティ政治の枠内にしっかりと根付いていることです。彼らのターゲットは、トランス女性であると主張する男性であり、TERFの見解では、女性としての密接な物質的プロセスに実際に参加することなく、女性であると主張する男性です。要するに、TERFは女性のアイデンティティを望まない侵入者から守ろうと必死になっています。
それが、新しいポピュリスト右派が一様な形成ではない理由です。彼らの愛国心は偽物であり、自信がありません。ここで最初のパラドックスに出会います。新しいポピュリスト右派は、愛国心が強すぎるのではなく、愛国心が足りないのです。これは、グローバル資本主義への抵抗の神秘化された形態であり、経済的にもイデオロギー的にも、いわゆる普通の人々の大多数がエスタブリッシュメント(国家、大企業、メディア、教育)から圧力を受けているという事実に反応しています。新しいポピュリストは、エスタブリッシュメントに対して普通の労働者の声として、自分たちを明瞭かつ卑猥に介入させています。新しいポピュリスト右派は確立された秩序に対する急進的な抵抗を装っていますが、トランプのイデオロジストであるスティーブ・バノンでさえ自分をレーニン主義者と呼んでいますが、実際にはそれには程遠いのです。多くの億万長者によって支持されているため、資本主義の基本的な構造は手つかずのままです。
しかし、新しいポピュリスト右派に抵抗する人々は、まず自分たち自身を批判的に見つめる必要があります。彼らも同様のパラドックスに陥っているからです。ウォーク主義的な左派は、実質的には支配エリートによる操作として正しく経験される、破壊的な超自我体制を押し付けています。彼らは(性的、人種的、経済的に)排除され、周縁化された人々の保護者として自分たちを提示しますが、その活動の形態自体が深く抑圧的であり、したがって彼らの公式の目標を損なっています。「キャンセル文化」に浸透しているのは「議論なしの立場」です。人や立場が排除されるだけでなく、その議論自体が排除され、排除に対する賛否両論の対立が排除されます。
ヘーゲルはここで、ラカンが呼んだ、述べられた内容と発話の基盤となる姿勢の間のギャップを動員するでしょう。多様性と包摂を主張しますが、自分たちの定義する多様性と包摂に完全に同意しないすべての人を排除することで、それを行います。結果として、常に人々や立場を排除し続けるだけです。このようにして、包摂と多様性のための闘争は、いつあなたのプライベートな発言が公の場からの排除につながるか分からないような、スタージのような疑惑と告発の雰囲気を生み出します。
ここで、最後のカニバルを食べるというジョークの極端なバージョンを見ているのではないでしょうか?「我々のグループには多様性と包摂の反対者はいません――最後の一人を除外したばかりです...」このようにして、唯一の楽しみは、自分の超自我の抑圧者に同一化することです。他の誰よりも厳しくなり、超自我の規則に従おうとすればするほど、ますます罪悪感を感じることに耐えるしかありません。「ついにやり遂げた、今はリラックスして自分らしくいられる」という瞬間は決して訪れません。
新しいポピュリスト右派の基本的な動きは、「リラックスして、自分が何者であるかに誇りを持て」と言うことです。これをはっきりと言うことで、膠着状態を打破し、状況に新鮮な空気をもたらすように見えます。しかし、ポピュリストたちは支配的な既存の生活様式を維持したいと考えていますが、今日の現実である動的な世界に対しては、強引に介入せざるを得ません。一方で、ウォーク主義的な左派は急進的な変化を提唱しますが、彼らが想定する変化は「何も実際に変わらないように、常に物事を変える」という古い知恵に完全に適合しています。
したがって、二重のパラドックスで結論を出しましょう。新しいポピュリスト右派は愛国心が足りず、ウォーク主義的な左派は急進的ではありません。新しいポピュリスト右派は公然とユーロセントリックですが、ウォーク主義的な左派もその形態自体がユーロセントリックです。彼らは特権的な層のように振る舞い、周縁化され排除された人々を保護しています。彼らは後見的な方法で行動し、被抑圧者にとって何が利益になるのかを被抑圧者よりもよく知っているふりをし、被抑圧者があるべき行動を取らないときには何の制約もなく叱責します。要するに、「政治的に正しい」ウォークの言説は、最終的には被抑圧者に対して彼らが真に何者であるかを伝え、彼らをイデオロギー的宇宙の中の適切な場所に配置することです(たとえその場所が無場所として提示されていても)。そのため、被抑圧者はヒステリックな反応を起こします。「なぜ私はあなたが言っているような人間なのか?」
このようにして、新しいポピュリスト右派とウォーク主義的な左派を結びつける深い共謀があります。彼らは同じコインの表裏であり、今日我々が直面している巨大な問題を回避する二つの方法なのです。どちらも、今日のグローバル資本主義の核心に刻まれた対立を無視しています。