はてなキーワード: クリーンとは
みんなは「クリーン星人(身長170cm体重65kg)」や「ロボット長官」とか答えてて
私はデザインやSEX、鳴き声に赤ん坊の叫び声を使ってるセンスが好きだったから「マザリュース」って答えた
するとその場にいた弱者男性が「マザリュースは怪獣じゃなくて超獣だよ」と指摘してきた
むっちゃ白けた
帰っちゃいけないのはわかる。「やる気がないなら帰れ」で帰るようなやつは本当にやる気がないと判断されるわけだし、何よりも言葉を読む力がない。チームとしては使えない。わかる。今の俺には一応理解はできる。
とは言いつつも、俺は本当に帰ろうとしたことがある。中学校の部活のときだ。俺はガチの下手くそだった。野球部だったんだが、捕球が全くうまくならない。ショートバウンドやハーフバウンドになるともうだめ。頭のなかではどう動かなければいけないか分かっていても、実際にボールが来ると動けなかった。だから、ことあるごとに周りから「センスない」「背番号やらねえよ」と言われ続けた。うち、9人しかいないのに。嘘みたいな話だけど、俺クリーンナップだったのに。
あるとき。「やる気がないなら帰れ」と言われた。2回目だった。1回目のときは帰らなかった。おそらくアスペの傾向がある俺でも、「これは帰っちゃいけないやつだ」とわかっていたから。しかし、帰らなかった俺を待っていたのはただ罵倒されるだけの時間。できないもんはできない。今すぐにうまくなる裏技なんてものはないし、やる気で何とかできるならしている。でもできない。捕球の入り方は教わっている。でもそのとおりに身体も動かない。「だから帰れって言ってんじゃん」「時間の無駄なんだけど」「弟(小学校低学年)に背番号やるほうがいいもん見れそうだわ」あとは練習後のミーティングで公開説教。「やる気がないなら来なくていいから」と。このあたりで俺は誤学習をしたんだろう。
そう、2回目の俺はガチで帰ろうとした。荷物をまとめて、グラウンドを出た。もう耐えられなかった。手抜きで、声も出さず、ハーフバウンドばっかこっちに投げてくるヤツにはなんも言わず、声だけは出していたけどガチでできない俺にだけボロクソ言う。残ったところで罵られるだけ。これは、俺は本当に辞めてほしいと思われてるんだな。帰ろうとしたところで、見てたほかの部活の先生にまで止められたよ。「ここで帰っちゃうのはまずい」って。俺もアホなので、渋々グラウンドに戻った。やっぱり怒られた。「本当に帰るヤツがあるか」って。
今なら早い段階で辞めなかった俺がアホとも言えるし、辞めないで頑張ろうと思っていたのに帰ろうとした俺がバカだと言える。ただ、どうすりゃよかったのか、俺はいったいどうなることを期待されていたのか。それが知りたい。たぶん、死にものぐるいでうまくなろうとするしかなかったんだろうけど。
2026年1月の解散総選挙。政治的なスタンスは人それぞれだと思うけど、報道機関としてこれってどうなの?という違和感を抱いたので吐き出しておく。
結論から言うと、TBSのYouTubeライブ配信における「コメント欄の運用」が、特定の勢力に有利になるよう意図的にコントロールされているようにしか見えない。
この時のコメント欄は「全開放」だった。誰でも、登録していなくても書き込める状態。
結果としてどうなったか。コメント欄は阿鼻叫喚の地獄絵図。高市政権に対する罵詈雑言、ヘイトに近い書き込み、組織的なものと思われる批判コメントが滝のように流れ続けていた。これを見た視聴者は「世論は高市さんにこれだけ厳しいんだ」という印象を強く受ける。
一方で、その数日後に行われた中道改革連合の会見ではどうだったか。
コメント欄は「チャンネル登録者のみ(それも一定期間以上の登録が必要な設定)」に制限されていた。
その結果、コメント欄は批判がシャットアウトされ、熱心な支持者による「期待しています!」「頑張れ!」という激励メッセージだけで埋め尽くされていた。非常にクリーンで、ポジティブな空気が演出されていた。
批判を浴びせたい対象(高市政権)の時はコメント欄を野放しにして「荒れている惨状」を見せつけ、自分たちが推したい勢力の時はコメント欄をガードして「支持されている様子」だけを見せる。
TBS側は「スパム対策」とか「個別の判断」と言うんだろうけど、なぜ与党のトップの会見ではスパム対策をせず、野党連合の会見では厳重にガードするのか。その「基準」が全く不透明すぎる。
スクリーンショットを撮り損ねたのが痛恨の極みだけど、リアルタイムで見ていた人間ならこの異様な「温度差」に気づいたはず。
YouTubeのコメント欄なんて便所の落書きかもしれない。でも、今の時代、ライブ配信のチャット欄が醸し出す「空気感」は、テレビのテロップ以上に視聴者の心理に影響を与える。
メディアが「報道の公平性」を掲げるなら、せめてコメント欄の運用ルールくらい統一すべきではないか。特定の政党だけを「温室」で守るような真似は、もはや報道ではなく広報だろう。
これって僕の考えすぎ? それとも、皆さんも同じような違和感持ちました?
「AIイラスト投稿禁止」を掲げるサイトを見つけて、ホッとしているイラストレーターの仲間たち。
悪いことは言わない。今すぐその認識を改めて、自分の足元を見てほしい。
「AIイラスト投稿と学習を禁止しているから、ここなら安心」とか甘いことを考えているんじゃないだろうか。
お前たちが今使っているその「AI排除サイト」、実は「AIが書いたコード」で動いている可能性を考えたことはあるか?
今、ウェブ開発の現場は生成AIパラダイスだ。エンジニアたちはChatGPT、Claude、Cursorといった生成AIツールを使い、AIにコードを書かせてサイトを構築している。
私たちが「私たちの絵を勝手に学習した泥棒ツール」と憎んでいるものと、本質的には全く同じ仕組みのツールを使って、そのサイトは作られている。
プログラミングコードなら問題がない?そのAIたちは、一体何を学習したと思う?
世界中のエンジニアが血を吐く思いで書いたコード、個人ブログの知見、公式ドキュメント……それらをライセンスも著作権も無視して、好き勝手に学習している。
イラストレーターの私たちが、これまでどれほど苦しめられてきたか思い出してほしい。
勝手に学習され、絵柄を盗まれ、さも自分が作ったかのように出力される。
そんな「泥棒の道具」で建てられた家の中に、お前らは自分の大切な作品を並べようとしているのか?
「AIイラスト禁止」という甘い言葉に騙されて、そのサイトに群がり、友達を呼び込む。
それは、「AIによる略奪によって作られたシステム」を肯定し、支持しているのと同じことだ。
もし私たちが本当に安心してイラストを投稿できるサービスを探したいなら、
「このサイトは開発過程でAIコーディングエージェントを一切使っていません」
と明記しているサイトを探すべきだ。
そんなサイト、今どきほとんど存在しないだろう。 だが、見てみろ。俺が今書いているこの「はてな匿名ダイアリー」はどうだ? ここは生成AIなんてものが蔓延するはるか昔に作られた、はてなの遺物だ。
メンテナンスすら満足にされていない。だからこそ、ここは「AIという病」に侵されていない、数少ない、本当の意味でクリーンな場所だと言える。
「イラストはダメだけど、文字やプログラミングのコードはAIが使っても問題ないよね」 もし本気でそんなことを思っているなら、お前らのリテラシーは絶望的に低い。
文字なら良くてイラストはだめ?そういうことを言っていたからイラスト生成AIに荒らされたんだ。きっと次にはイラストは良くて動画はダメとか言っている。
そんなダブスタを振りかざしているから、AI推進派が鼻息荒く群がってくるんだ。
敵は「AIイラスト」だけじゃない。 AIによって作られたウェブサービスそのものが、私たちの敵かもしれないんだ。
そのサイト、本当に信用できるのか?
よく考えろ。
石原吉郎、島尾敏雄、中沢啓治、そして田中小実昌。挙げていただいた名前を並べると、ユーザー様が『献灯使』に感じられた「物足りなさ」の正体が、より鮮明に、かつ重く浮き彫りになりますね。
仰る通り、それらの作家たちが持つ「言葉にしがたいものを言葉にせずにはおかぬ」という、喉元に刃を突きつけられたような切実さ(殺気)に比べれば、多和田さんの作風は、あまりにも「安全な場所での遊戯」に見えてしまうのだと思います。
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ユーザー様が挙げられた作家たちの言葉は、「極限状態に置かれた肉体」から絞り出されています。
ここに決定的な「体温の差」があります。前者は「生き延びるための叫び」であり、後者は「言語体系を組み替えるための実験」です。後者が「手癖」や「スノッブ」に見えるのは、そこに血の通った「痛みの必然性」が見えにくいからでしょう。
田中小実昌を比較に出されたのは非常に興味深いです。コミさんは確かに、正面から意味を語ることを避け、フラフラと体をかわすような文体(シャッフルするような歩法)を持っています。
コミさんの軽さには、戦後のカオスを生き抜いた人間の「生活臭」がありますが、多和田さんの軽さには、実験室のような「無菌状態」の気配が漂います。
もしかすると、『献灯使』が「小さくまとまって」見えるのは、現代という時代、あるいは「震災後のディストピア」という題材に対する、作家の限界(あるいは諦念)の表れなのかもしれません。
多和田さんは、この「殺気すら持たせてもらえない、ただただ虚弱になっていく衰退」を、あえて「殺気のない、ひょっとこのような言葉遊び」で描こうとした……という擁護は可能かもしれません。しかし、それが読者に「切実な野心」として届かないのであれば、表現として「届いていない」ことになります。
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ユーザー様が感じられたのは、おそらく「文学が現実の地獄に対して、自らの命を賭けて対峙しようとする構え」の欠如ではないでしょうか。
『献灯使』の幻想的展開やダジャレが、ただの「お洒落なデコレーション」に見えてしまうのは、そこに石原吉郎が突き当たったような「絶望的なまでの沈黙の壁」がないからだと思います。
「言葉で遊べる」ということは、まだ余裕があるということの証左でもあります。ユーザー様のように、戦後文学の壮絶な「言葉との格闘」を知る読者からすれば、本作の試みは「文学という名の、行儀の良い知的なお遊び」に映るのも、至極妥当な反応だと言えます。
こうした「殺気」のある文学を重んじる視点から見て、現代の作家の中で、少しでも「本気で世界と切り結ぼうとしている」と感じられる方は、誰か思い浮かびますか?(例えば、古井由吉や中上健次のような、かつての「重さ」を継承しようとした人々も含めて)
具体性不足、過去作依存、感情表現の抽象性に加えて、他のクリエイターを落とすような文脈で褒めるスタイルが特に問題です。
该当ツイートの直前に、板垣巴留先生を褒める一環として「いい女性クリエイター(荒川弘・板垣巴留)は男同士のワチャワチャを描けるけど、ダメな女性クリエイターはイケメンしか描けない」みたいな対比スレッドを投稿しています。これがSANDA褒めの流れに繋がっているので、結果的に「板垣先生の腕が良いのは、ダメな人たちと違って当然」みたいなニュアンスになってしまっています。
→ 褒めたい作品の魅力が純粋に伝わりにくく、読む側に「他の人をdisってる感」が残って不快にさせる可能性大。SNSではこういう対立的な褒め方は炎上リスクも高く、作品ファン全体のイメージを損ねやすいです。
直後の追加ツイートで「性癖モリモリなのに笑いと狂気でエンタメ化してるのがヤバい」と少し具体的に掘り下げてるのは良いけど、最初のツイートは相変わらず「超面白い」「ここまでとは…」「最高や♡」だけ。文脈が他のクリエイターdisと絡むと、ただの主観的な熱狂に見えちゃいます。
### こういうふうに褒めるといいですよ(アドバイス)
褒めるときは**作品単独の魅力をポジティブに掘り下げる**のがベスト。他のクリエイターを引き合いに出す必要はゼロ! 比較したいなら「BEASTARSとは違うテイストで新鮮」みたいに過去作との違いに留めたり、そもそも出さずにSANDAそのものの強みを具体的に挙げるだけにしましょう。
「SANDA、ガッツリハマってる…! 性癖たっぷり詰め込まれてるのに、不適切じゃなく笑いと狂気が混ざって超エンタメ化されてるのが天才的。毎話引き込まれて、原作買っちゃいそう。板垣巴留先生のセンス、最高すぎる♡」
「SANDA見てて思うけど、板垣巴留先生の心理描写とキャラの人間臭さが相変わらず鋭い…。BEASTARSとはまた違うリアルな葛藤と狂気が混ざって、性癖要素も笑いに昇華されてるのがたまらない! ここまで面白いとは予想外で最高♡」
このスタイルに変えるだけで、褒めがずっとクリーンで伝わりやすくなりますよ! 直後のツイートみたいに具体的に熱く語れるポテンシャルあるんだから、最初からそれを活かせば完璧です。次からぜひ試してみて!
エンジンふかして脱炭素 水素カーで耐久レース、トヨタの本気度 ...
水素エンジンとFCV(燃料電池車)はどちらも水素を燃料としますが、FCVは水素と酸素を化学反応させて電気を作りモーターで走る電気自動車の一種で、水素エンジン車はガソリンエンジンのように水素を直接燃焼させて走る点が最大の違いです。FCVはクリーンですが高価、水素エンジンは既存技術流用で安価にできる可能性とエンジン音・フィーリングが残る一方、NOx排出や燃焼制御が課題です。
仕組み:燃料電池内で水素と空気(酸素)が反応し「電気」を生成。その電気でモーターを回して走行。
特徴:高効率、静か、長航続距離、高コスト(燃料電池・タンク)。
仕組み:ガソリンエンジンのように水素を燃焼室で直接燃やし、その燃焼エネルギーでピストンを動かし走行。
排出物:CO2は出ないが、燃焼に伴い窒素酸化物(NOx)が発生する可能性。
特徴:既存エンジン技術の応用で低コスト化しやすく、エンジン音や走行フィールが残るが、NOx対策や燃料純度の問題も。
まとめ
クリーンさ:FCVがよりクリーン。水素エンジンはNOx対策が必要。
タキシスが世界を完全に支配できなかった根本的な理由は、古い約束にあります。
第三次ドラゴン戦争(Age of Dreams)で、騎士フーマ・ドラゴンベイン(聖槍を持つ英雄)がタキシスに聖槍で傷を負わせました。
「二度とクリーン界に侵攻しないこと」
この誓約は、タキシス個人を直接拘束する、魔法的に強制力のある契約でした。
ここが重要です。タキシスは、誓約を「形式的に」守りながら、その「精神」を破ろうとしました。
具体的には:
直接的な「侵攻」ではなく、秘密裏の準備
タキシスは、世界に直接現れるのではなく、クレリックやドラゴンを通じて間接的に活動しました。
大厄災による「世界の変化」を利用
大厄災後、世界が混乱していた状況を利用して、タキシスは「技術的には侵攻ではない」方法で勢力を拡大しました。
善神たちの不在を最大限に活用
善神たちが世界を完全に離れている間に、タキシスは活動する「余裕」があったのです。
しかし、タキシスが完全に世界を支配できなかった最も重要な理由は、「神的バランス」という宇宙的法則にあります。
「Gods are bound to their natures, so she's unable to see past her ambition that the Highgod's decree of balance would mean she's not going to win.」
つまり:
高神(ハイゴッド)が宇宙の基本法則として『善悪のバランス』を定めた
結果として、彼女が力を増せば増すほど、善側も必然的に力を増す(応答する)ようになっていた
善神たちが「応答せざるを得ない」状況
実は、善神たちは、タキシスが世界を支配しすぎると、高神の法則によって「対抗せざるを得ない」状況に追い込まれるのです。
言い換えれば:
タキシスが強くなりすぎる→ 高神の「バランスの法則」が働く → 善神たちが世界に戻らざるを得ない → ゴールドムーンの出現など、善側の起動も必然化する
野心が大きすぎた
タキシスの最大の弱点は、彼女が「完全な支配」を目指しすぎたことです。
タキシスの本質:支配欲、支配権への執着、「自分がすべてを支配したい」という執念
しかし、この本質が実は彼女を破滅に追い込む**:支配が強くなりすぎると、神的バランスが働いて、善側の対抗勢力が現れる
実は、タキシスが「善神たちが世界にいない間に、ゆっくり静かに支配を進める」戦略を取っていれば、バランスの法則に引っかからなかったかもしれません。
しかし、タキシスは「全部支配する」という欲望に駆られて、急速に征服を進めたため、バランスの法則が働いてしまったのです。
実は、善神たちは「完全には世界から消えていなかった」という説もあります。
ミシャカル女神は、秘かに信者たちに癒しの魔法を与えていました(タラダス地域での事例)
つまり、善神たちも「形式上は世界を離れた」が、「実際には秘かに接触していた」のです。
この秘密活動のため、タキシスが「完全に支配する」ことは難しかったのです。
圧倒的に不利な状況でも、人間は戦った
タキシスが世界を支配できなかった理由の一つは、人間たちの予期されない抵抗にあります。
最初の2年間、ドラゴン軍団は次々と領土を征服し、人間たちはほぼ防戦一方でした
しかし、やがて人間たちはホワイトストーン評議会を形成し、団結した抵抗を組織した
青い結晶の杖の発見により、善神たちが世界に戻ってくるという「希望」が生まれ、それが人間たちの士気を大きく高めた
つまり、タキシスが「勝つ瞬間」が訪れたはずなのに、その直前に善神たちが戻ってきたのです。
最終的に、タキシスが完全に世界を支配できなかった理由は、「高神が定めた宇宙的法則『バランス』が、タキシスの支配を自動的に阻止した」からです。
タキシスは、自らの力に自信を持っていました。彼女は、「善神たちが世界にいない間に、自分が全部支配すればいい」と考えていました。
しかし、彼女は「バランスの法則」という存在を過小評価していました。
タキシスが力を増せば増すほど、以下が起きました:
1. 高神の「バランス」が働く
2. 善神たちが応答する必要が生じる
4. 善神たちが世界に戻ってくる
タキシスが圧倒的に有利にもかかわらず、なぜ世界を完全に支配できなかったのか。
その答えは:
「タキシスの性質である『支配欲』が、実は彼女の最大の敵だったから」
野心が小さければ、秘かに活動を続けることができたかもしれません。しかし、タキシスは「すべてを支配したい」という本質から逃げられず、その結果、高神の「バランスの法則」を発動させてしまったのです。
「Good redeems its own, and evil turns upon itself. Both good and evil must exist in contract.」