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2026-04-04

anond:20260404194331

4名(以下、「海田教授ら」)が2名1組になって面談調査をすることを決定し、米澤助手の立ち会いの下で、甲野、A子、B子から話を聞いた[31]。坪内所長を含むセンター教授らは、海田教授から調査結果を聞いて、「矢野は潔白ではないのではないか」という心証を持ったが、「教授会には司法権がなく、本人個人の誠意ある対応を待つしかない」という消極論が大勢を占め、11月20日に米澤助手に対して、「すぐには結論が出ない。しばらく待ってほしい」と答えるに留まった[32]。

人権救済の申立

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甲野は、自分調査に応じたのにセンター側は矢野に対する処分をする様子が全くなかったので、井口弁護士対処方法相談した[32]。そして、プライバシー保護時効の壁を乗り越えることを考慮して、匿名人権救済の申し立てをすることを決めた[32]。そして、井口弁護士と他6名の弁護士代理人として、12月14日京都弁護士会人権擁護委員会に対し、「甲野乙子」という仮名人権救済の申し立てを行った[5]。

矢野対応

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矢野12月15日スウェーデン出張から帰国した後、自宅に新聞記者が待機しているという情報があったため、自宅に帰らず京都市内のホテル宿泊した[33]。事態対処について徳山理事長相談し、徳山理事長の勧めもあって、教授職を辞任して出家することを決意した[34]。12月17日、高谷教授は、徳山理事長から矢野が辞意を固めていることを電話で聞いた[34]。12月18日、高谷教授確認のため、古川教授と共に矢野を訪ねたところ、矢野は、よく考えた結果出家することに決めたからできるだけ早く辞めたい旨を語った[34]。高谷教授は、12月19日の朝にセンターへ行って坪内所長らに矢野の決意を報告し、その日の夜に2種類の辞職願書式を矢野に渡した[34]。矢野縦書きの書式に従って全文自筆の辞職願を書き、坪内所長に届けてほしいことと、センターに保管されている印鑑を辞職願に押印してほしいことを高谷教授に依頼して預けた[34]。12月20日、高谷教授は坪内所長に辞職願を渡し、センター事務局職員によって辞職願に印鑑を押印してもらった[34]。坪内所長は、矢野を訪ね、古川教授が同席する中で、セクハラ事実の有無と辞意の確認をした[34]。その面談において、矢野は、坪内所長宛に辞職の理由を記した書簡と、センター事務長宛に同封の『京都大学を去るにあたって』と題する文書関係者に配布するように依頼した書簡を渡した[34]。この際、矢野セクハラ事実について否定した[35]。

矢野は、12月21日臨済宗東福寺にて居士としての修行生活に入った[32]。12月25日には、『京都新聞』のコラムに『諸縁放下』という文章寄稿した[36][注釈 5]。

センターでは、12月27日教授会と協議員会で矢野の辞職が承認され、12月31日付で辞職辞令が発せられた[32]。

1994年平成6年1月26日、「セクシュアル・ハラスメント疑惑事件の徹底究明を求める大学教員の会」などの代表東福寺を訪れ、「矢野を匿うことで事実関係の究明を困難にした」などと追求した[16]。福島慶道東福寺管長は「軽率だった」とし、矢野1月29日東福寺を出ることとなった[16]。2月9日までに朝日新聞矢野からの釈明の手紙が届き[37][注釈 6]、2月11日には『AERA』のインタビューに応じた[17]。

小野和子の手記・文書

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1994年平成6年1月18日、『京都新聞』に野田正彰の『危機状況での判断』というエッセイ掲載された[38]。その中で、矢野セクハラ疑惑について、次のような趣旨のことを書き記している[39]。「矢野の進めてきた研究私人趣味ではなく長い年月と社会的経費が投じられたものであり、辞職するには明確な理由がなくてはならない[38]。研究個人への中傷で辞めるべきではなく、大学もそのような個人攻撃容認しないという意思を見せるべきであった[40]。元秘書矢野告発したいのであれば、刑事告訴をすべきである[41]」

この文を読んだ小野和子は、匿名でなされた告発矢野個人への誹謗中傷に過ぎない、と捉えられかねず、現代社会女性の置かれている状況が理解されていないと考え、以前からセクハラについての原稿を依頼されていたこともあり、1月25日京都新聞に『学者人権感覚 矢野教授問題によせて』と題する手記(以下、「本件手記」)を寄稿した[42][39]。この中で、小野は、女性職員の有志による告発事実に反する誹謗中傷ではないことを示し、改善委員会による調査において「三件の軽微なセクハラ」と「一人の女性の、レイプに始まるすさまじいまでのセクハラ」の事実証言)が出てきたことを書き記している[43]。

本件手記の反論として、2月10日京都新聞に河上倫逸の『もう一つの人権侵害』が掲載された[44]。その中で、「根深政治的背景をうかがわせる『事件』が、元秘書に対する『セクシュアル・ハラスメント』という問題矮小化されてしまいつつある」とした上で、次のような趣旨のことを書き記している[45]。「矢野の辞職はセクハラ問題による批判を受け入れたものと明言されておらず、辞職自体が本人の自由意志かどうかすら明らかではない[46]。また、批判者は匿名か伝聞の形を取っており、矢野には反論の機会が与えられておらず、客観的事実確認がなされていない[46]。矢野犯罪行為継続的になしてきたと主張するなら刑事告訴がなされるべきであり、矢野事実関係で争うなら名誉毀損などで告訴すべきである[47]」

2月20日京都府婦人センターで開催された「大学でのセクシュアル・ハラスメント性差別テーマとする公開シンポジウム」において、小野自身作成した『河上倫逸氏に答える セクハラは小事か』と題する文書(以下、「本件文書」)を参加者に配布した[42]。その中で、「セクハラ即ち女性の権利の侵犯果たして矮小』なことなのであろうか」「私たちが問うているのは、その『セクハラは小事』とする差別意識である」と訴え、改善委員会被害者から証言を聞いて確認しており、矢野自身謝罪念書を提出しているケースもあることを踏まえ、「決していわゆる『伝聞』ではない」と書き記した[48]。”


判決要旨

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原告は、「辞職願」をその内容を理解したうえで作成し、高谷教授を介してセンターへ提出したことを認めながら、「辞職願」を提出して辞職につながるとは思っていなかったとか、「辞職願」作成時はある種の理性を失っていたとか、「辞職願」は正式ものではないかもしれないと半信半疑であったなどと趣旨不明瞭ながら、その主張に一応沿う供述をするが、前記一認定〔註・矢野自筆の辞職願が高谷教授を通じて坪内所長に渡され、教授会と協議員会において辞職の申し出が承認されたことなどを指す。〕のとおり、原告は、「辞職願」作成後も、「京都大学を去るにあたって」と題する文書退職手続書類作成し、「辞職願」作成の翌々日には、京大教授としての職務を投げうって、東福寺に入山しているのであって、原告は「辞職願」作成時、京都大学教授を辞職する意志は固く、「辞職願」は原告の本意に基づくものであることは明らかである。従って、原告の「辞職願」不成立及び心裡留保の主張は理由がない。また、本件セクシュアル・ハラスメント問題発生後の経過や前記一認定原告が「辞職願」を作成・提出するに至った経緯によれば、原告は「辞職願」作成時にその意思能力にかける点は全くないことも明白であるし、原告が主張する詐欺強迫、錯誤を認めるに足りる証拠は全くない。

— 東京地裁平成8年8月20日判決平成6年(行ウ)第58号、『辞職承認処分取消請求事件』、労判707号92頁。

原告は、センターが「辞職願」受領後、本人の意思確認手続を怠ったから、本件辞職承認手続瑕疵がある旨主張するが、前記のとおり、原告の「辞職願」提出による辞職の意思表示には、全く瑕疵がなく、そもそも「辞職願」の受理とは別に、あえて原告意思確認手続をしなければ、本件辞職承認処分違法となるわけではなく、(教育公務員特例法一〇条、国家公務員法七条人事院規則八―一二第七三条)、原告の主張は主張自体失当である。なお、本件においては、坪内所長が原告の辞職の意思確認したこと原告は、坪内所長の要請に従って、「辞職願」とは別にセンター教授会、協議員会で審議するとき理由書として辞職の理由を記した「京都大学を去るにあたって」と題する文書作成してセンター事務局に提出したことは前記認定のとおりであって、原告意思確認手続きは充分なされていたというべきである

— 東京地裁平成8年8月20日判決平成6年(行ウ)第58号、『辞職承認処分取消請求事件』、労判707号92頁。”

—— Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A2%E9%87%8E%E4%BA%8B%E4%BB%B6

anond:20260404170551

矢野事件(やのじけん)とは、京都大学東南アジア研究センター(現・東南アジア地域研究研究所)所長であった矢野暢(1936-1999)教授1993年平成5年)に起こしたセクシャルハラスメント(以下、固有名詞引用文を除き「セクハラ」で統一する)事件と、それに関連する事件訴訟総称である。「京大矢野事件」「京大矢野事件」「京都大学矢野事件」「矢野セクハラ事件」「京大教授セクシュアル・ハラスメント事件」とも呼ばれる。

日本におけるセクハラ問題化メルクマールとなった事件とされ[1][2]、これ以降、大学でのセクハラに対する文部省(現・文部科学省)の取り組みも始まったとされる[3]。

概要

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1993年平成5年)、京都大学東南アジア研究センター(以下、「センター」)所長である矢野暢が、あるセンター職員の妹を秘書として雇いたいと申し出た。矢野面接と称してホテルラウンジに呼び出し、「秘書仕事には添い寝も含まれる」など発言し、断ったら姉を辞めさせると脅した。姉であるそのセンター職員からの抗議により、矢野謝罪念書を書いたが、その後も秘書などに対してセクハラ行為を繰り返し、次々に秘書が辞めていく事態となった。そのうち1人の非常勤職員は、センター事務長に「矢野からセクハラを受けたので退職したい」と訴えた。

上記事情を知ったセンター助手センター質問状を提出することなどによって、セクハラ疑惑として表沙汰となった。その頃、センター助手に、学生時代自分矢野から暴力に遭っていたという女性から電話がかかってきた。

センターは、改善委員会を設置し、矢野センター所長辞任をもって解決を図ろうとするが、具体的なペナルティもなく事件がうやむやにされるのを恐れた被害者女性が、井口弁護士相談の上、弁護士名義で文部大臣宛に質問状を提出したり、「甲野乙子」名義で京都弁護士会人権擁護委員会に人権救済の申し立てを行ったりした。矢野は、12月31日付で京都大学を辞職した[4]。

1994年平成6年1月18日京都新聞に、この事件に関する野田正彰の文章掲載された。これを読み、現状が理解されていないと感じた小野和子が、1月25日京都新聞に『学者人権感覚 矢野教授問題によせて』を寄稿した。これに反論する河上倫逸の文章2月10日京都新聞掲載され、小野2月20日の「大学でのセクシュアル・ハラスメント性差別テーマとする公開シンポジウム」において、『河上倫逸氏に答える セクハラは小事か』と題する文書を配布した。

矢野は、文部大臣に対する辞職承認処分の取り消しを求めた行政訴訟と、虚偽の事実新聞公表されたことなどにより名誉を傷つけられたなどとして甲野乙子、井口博、小野和子に対する3件の慰謝料請求民事訴訟を起こしたが、いずれの判決矢野請求棄却した。

事件の経緯

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甲野乙子事件

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1982年昭和57年1月末、大学3年生であった甲野乙子(仮名[注釈 1])は、甲野の通う大学非常勤講師であった矢野暢[注釈 2]の特別講義に出席した[7]。その講義の終了後、甲野は大学内の学生食堂矢野と話す機会を得て、東南アジア研究の話を中心に会話が弾み、自分が将来は研究者になりたい旨を伝え、甲野は矢野自分の住所と電話番号を教えて再会を約束した[8]。三度目の面会の際、大阪市内ホテル地下街で夕食などを共にした後、矢野は「今日は疲れているから部屋で話の続きがしたい」と切り出し、自分チェックインしている同ホテルの部屋まで来るように申し向け、甲野はそれに応じて部屋に入った[8]。

部屋に入ってから東南アジアの話が続いたが、突然、矢野椅子から立ち上がり、甲野の手を握ったので、甲野は矢野の手を振り払った[8]。すると、矢野は「何で振り放った」と怒鳴り、甲野が「男の人からいきなり手を握られたら振りほどいて当然である」と答えると、甲野を平手で数回殴り、罵倒し始めた[8]。甲野は泣きながら反論したが、矢野罵倒と殴打を繰り返され、反論も止め、手を握られるままとなった[8]。矢野は甲野の手を握りながら説得し始め、甲野の肩を抱こうとし、甲野がそれを拒もうとすると再び罵倒と殴打を繰り返した[9]。また、矢野は甲野をベッドに座らせ、自ら着衣を脱ぎ、「君も裸にならないと対等ではない」と着衣を脱ぐように求め、甲野が裸になると矢野性交渉に及んだ[9]。矢野は「性行為は対等な人間同士がやることであり、君と僕性的関係を持ったことは東南アジア研究を目指す者同士の同志的連帯の証である」などと言い、研究者になるために日常生活に到るまで指導することの同意を求めた[9]。甲野は黙り込んでいたが、矢野が詰問してきたために同意をした[9]。翌日、次に会う約束の日時を決めて別れた[9]。

この日以降、甲野は、矢野に殴られた跡の治療にも行かず、矢野と会う約束以外では人目を避けて寮の自室に籠りがちになり、大学の授業に出ないことも多くなった[9]。また、矢野性的関係を持ったことには誰にも口外しなかった[9]。

甲野は、矢野の勧めに従い、4月からアルバイトとして、卒業後は事務補佐員として矢野研究室に勤務した[9]。この間、何度か辞めたい旨を申し入れたが、その度に矢野激怒し、殴るなどして撤回させられた[10]。また、矢野との性的関係継続させられ、甲野が婚姻した後も続いた[11]。1988年昭和63年)、甲野は他のアルバイト矢野から性的関係を求められていたことや、第一秘書自分矢野との関係認識していたことを知り、自分に対する対応研究ぐるみで行われていたと認識し、夫に対して告白するとともに、研究室への出勤を拒み、そのまま3月末に退職扱いとなった[11]。その後、甲野は大学院に進学したが、矢野関係者との接触を避けるために東南アジア研究の道を選択しなかった[11]。

A子事件

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1992年平成4年12月京都府庁アルバイトをしていたA子は、センターに勤務している姉を通じて矢野[注釈 3]から秘書として採用したいという申し出があった[11]。1993年平成5年1月8日に京都市内のホテルにあるフランス料理店にて、A子とA子の姉、矢野矢野の所長秘書の4人で面接を兼ねた会食を行った[11]。その際、矢野は、あと数回会ってから採否を決めること、次の面接については姉を通じて後日連絡することを伝えた[11]。

次の面接である1月12日、出張から戻ってきた矢野と駅で再会し、矢野疲労を訴え、話し相手になってほしい旨を述べたため、A子は「私でよかったら話し相手になります」と応じた[11]。その後、会食で利用したホテルの地下にあるバーに向かい階段を降りる途中で、矢野は「私がこういう風に疲れた時は、『先生今日は一緒に飲みに行きましょう』とか、『先生今日添い寝をしてさしあげましょう』とか言わなければいけない。それが秘書役割だ」と言った[12]。A子はバーに入った後、秘書仕事自分には負担が大きいので辞退する旨を述べた[12]。すると、矢野はA子に対し、「秘書としての事務処理の能力で雇うんではない。ハートの付き合いをしてもらうために雇うのである」などと怒鳴り始めた[12]。A子は「私には恋人いるから、先生とはハートの付き合いができない」と言うと、「男がいるような妹を紹介したお姉さんもお姉さんだ。お姉さんと所長秘書には責任をとってもらう。私は所長だから辞めさせることは簡単なんだ」と畳み掛けた[12]。A子は、これらの発言を聞いて秘書採用の最終的な返答について保留し、矢野から次の休日頃に再度会いたいから予定を開けておくようにと言われて別れた[12]。

A子が帰宅後に自室で泣いていることから事情を察したA子の母がA子の姉に電話をし、A子は電話口でその日の経緯についてA子の姉に説明した[12]。A子の姉は話を聞いて憤激し、翌日、所長秘書事情説明し、A子の秘書採用を断り、自分責任を取って辞職する旨を申し出た[12]。A子は、前田教授にも事情説明した[12]。前田教授から事情を聞いた高谷教授は、A子の姉に対して、矢野謝罪させる旨を電話で伝えた[12]。

2月25日、同ホテルにおいて、前田教授、高谷教授、所長秘書、A子の姉の立ち会いの下に、矢野はA子と会い、二度と同じようなことはしない旨を書き記した念書を渡し、「意志の疎通がうまく行かず、誤解が生じたのを深くお詫び致します」と謝罪した[12]。A子は、念書に「セクハラ」の文言を入れてほしいと思ったが受け入れられず、A子に対する言動の詳細については「あなたの心を傷付けた」という抽象表現に留まった[13][14]。

3月8日、この事件告発する匿名文書が、文部大臣文部省記者クラブに届いた[15][16]。矢野は、この事件を全面否定する釈明書を提出した[17]。

B子事件

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1993年平成5年4月中旬矢野出張先の東京ホテル自分の部屋において、出張に同行していた採用間もない秘書B子に抱きつき着衣を脱がそうとしたが拒まれた[18]。B子直ちに帰宅し、以後出勤することな4月30日付で退職した[18]。

C子事件

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矢野は、前述のB子とのトラブルがあった1週間後に、出張先の東京ホテル自分の部屋において、出張に同行していた採用間もない秘書のC子に抱きつき着衣を脱がそうとしたが拒まれた[18]。

D子事件

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1993年平成5年6月10日矢野京都市内のホテルエレベーター内で非常勤職員D子に抱きついた[18]。6月14日、D子は「矢野からセクハラを受けましたので辞めさせてください」「愛人にはなれません。報復が怖いか一身上の都合ということで辞表を出します」などと言って辞職願を出した[18]。

改善委員会

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1993年平成5年6月14日、D子がセンター事務長とセンター庶務掛長に対し、矢野からセクハラを受けたので退職したい旨を訴えて辞職願を提出したことセンター職員らが目撃した[19]。6月15日には、矢野研究室の私設秘書全員が辞職願を提出した[19]。

A子の事情を知っていた米澤真理子センター助手(以下、「米澤助手」)は、上記事情も知り、もはや矢野個人的問題では済まないと考え、他の女性センター職員10名と共に6月21日付で事件真相を究明し断固たる処置を取ってほしいという旨の質問状を「センター女性職員有志一同」名義で所長代理、副所長、各部門長、各部門主任宛に提出した[19][20]。

この質問状を受領したセンター教授らは、部門会議及び拡大部門会議対応検討し、改善委員会を設置し、矢野以外の全センター教授構成することを決定した[19]。これらの経緯を知った矢野は、7月15日に開催された臨時教授会において所長を辞任したい旨を申し出て承認された[21]。改善委員会委員長である高谷教授は、個人良識解決を委ねるべきであると考え、矢野謝罪等の条件を実行させ、所長を辞任することで事態を収拾しようとした[22]。米澤助手は、高谷教授の報告の中にセクハラについて触れていないことを不満として、再び7月26日付で改善委員会の全委員宛に調査継続の有無と辞任理由セクハラ責任関係について回答を求める趣旨質問状を提出した[22]。

質問状を受けて、7月30日に所員会議を開き、改善委員会委員長は、センターの全所員に対し、7月29日協議員会でも矢野の辞任が承認されたこと[注釈 4]、矢野の辞任の理由は他の公務多忙であることとセンター内が混乱していることの責任を認めてのことであるとし、改善委員会はこれ以上の調査をしないことを伝えた[22]。その一方で、女性職員に対し、今後は非公式に懇談を続けていくことを提案した[22]。米澤助手は、非公式の懇談を続けるという提案を受け、8月中に2度の懇談を持った[22]。また、米澤助手らは、井口弁護士(以下、「井口弁護士」)と相談し、8月20日付で、セクハラ事実を認めて被害者謝罪するか、責任の取り方として全ての公職を辞職するつもりがあるか、という趣旨矢野個人に対する質問書を送付した[25]。

矢野は、8月31日に正式センター所長を辞任した[26]。9月1日矢野の後任として坪内良博センター教授(以下、「坪内所長」)がセンター所長に就任し、改善委員会委員長兼務することになった[26]。9月9日矢野は、所員会議において、所長辞任の挨拶をし、センター内に混乱が生じたことについて、遺憾の意を表した[26]。矢野は、岡本道雄元京都大学総長(以下、「岡本総長」)、徳山詳直瓜生山学園理事長(以下、「徳山理事長」)、高谷教授古川教授と、自分の今後の対処の仕方について相談した[26]。

同僚から手紙上記のような内部告発が行われていることを知った甲野は、9月24日センター編集室に電話し、米澤助手自分矢野との性的関係などの事情告白した[27][28]。この告白を踏まえ、米澤助手は、同日の小懇談会において、矢野セクハラ事実の有無について調査したいと申し出た[29][30]。

米澤助手らは、8月に送付した質問書について、質問書に記載した期限を過ぎても返答がなかったため、文部大臣宛に9月27日付で井口弁護士代理人として質問書を送った[26]。10月1日、文部省京都大学に照会し回答を求めた[29]。坪内所長は、高谷教授前田教授の立ち会いの下、矢野に対し事実関係を問い質したが、矢野事実関係存在しない旨の弁明をした[29]。10月4日、坪内所長は、事実関係調査したいと申し出た米澤助手に対し、事実関係調査を所長の責任公的ものとすることを決めたので、調査結果をまとめて提出してほしい旨の説明をした[29]。

米澤助手は、甲野らに公的調査が開始されるので協力してほしい旨を伝え、甲野らから陳述書を入手した[29]。それに聴取書証言メモ作成し、これらに基づいて作成した調査報告書と陳述書等を11月8日に坪内所長に提出した[29]。1111日、坪内所長は改善委員会を開き、被害者とされる女性実在証言自発性確認するため、海田教授土屋教授前田教授福井 Permalink | 記事への反応(1) | 19:43

anond:20260404140833

1993年平成5年)、京都大学東南アジア研究センター(以下、「センター」)所長である矢野暢が、あるセンター職員の妹を秘書として雇いたいと申し出た。矢野面接と称してホテルラウンジに呼び出し、「秘書仕事には添い寝も含まれる」など発言し、断ったら姉を辞めさせると脅した。姉であるそのセンター職員からの抗議により、矢野謝罪念書を書いたが、その後も秘書などに対してセクハラ行為を繰り返し、次々に秘書が辞めていく事態となった。そのうち1人の非常勤職員は、センター事務長に「矢野からセクハラを受けたので退職したい」と訴えた。

上記事情を知ったセンター助手センター質問状を提出することなどによって、セクハラ疑惑として表沙汰となった。その頃、センター助手に、学生時代自分矢野から暴力に遭っていたという女性から電話がかかってきた。

センターは、改善委員会を設置し、矢野センター所長辞任をもって解決を図ろうとするが、具体的なペナルティもなく事件がうやむやにされるのを恐れた被害者女性が、井口弁護士相談の上、弁護士名義で文部大臣宛に質問状を提出したり、「甲野乙子」名義で京都弁護士会人権擁護委員会に人権救済の申し立てを行ったりした。矢野は、12月31日付で京都大学を辞職した[4]。

1994年平成6年1月18日京都新聞に、この事件に関する野田正彰の文章掲載された。これを読み、現状が理解されていないと感じた小野和子が、1月25日京都新聞に『学者人権感覚 矢野教授問題によせて』を寄稿した。これに反論する河上倫逸の文章2月10日京都新聞掲載され、小野2月20日の「大学でのセクシュアル・ハラスメント性差別テーマとする公開シンポジウム」において、『河上倫逸氏に答える セクハラは小事か』と題する文書を配布した。

矢野は、文部大臣に対する辞職承認処分の取り消しを求めた行政訴訟と、虚偽の事実新聞公表されたことなどにより名誉を傷つけられたなどとして甲野乙子、井口博、小野和子に対する3件の慰謝料請求民事訴訟を起こしたが、いずれの判決矢野請求棄却した。”


“ また、矢野性的関係を持ったことには誰にも口外しなかった[9]。


甲野(仮名)は、矢野の勧めに従い、4月からアルバイトとして、卒業後は事務補佐員として矢野研究室に勤務した[9]。この間、何度か辞めたい旨を申し入れたが、その度に矢野激怒し、殴るなどして撤回させられた[10]。また、矢野との性的関係継続させられ、甲野が婚姻した後も続いた[11]。1988年昭和63年)、甲野は他のアルバイト矢野から性的関係を求められていたことや、第一秘書自分矢野との関係認識していたことを知り、自分に対する対応研究ぐるみで行われていたと認識し、夫に対して告白するとともに、研究室への出勤を拒み、そのまま3月末に退職扱いとなった[11]。その後、甲野は大学院に進学したが、矢野関係者との接触を避けるために東南アジア研究の道を選択しなかった”

—— Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A2%E9%87%8E%E4%BA%8B%E4%BB%B6

2026-03-26

[]「平和学習採用学校リスト(日本基督教団)

以下は、日本基督教団(UCCJ)の人物(主に牧師関係者)が関与・協力した平和学習プログラム採用している主な学校団体を、公開情報報道に基づいて挙げたものです(2026年3月時点)。関与の形は、講師派遣プログラム企画協力、海上視察案内、開会礼拝でのメッセージなど多岐にわたります

1. 同志社国際高等学校京都府京田辺市

• 関与人物: 金井牧師日本基督教団佐敷教会担任牧師、故人)。

• 内容: 開校以来(1980年代〜)の沖縄研修旅行辺野古コース」の平和学習で、海上視察プログラムを長年協力。2023年から抗議船「不屈」「平和丸」を使用した海上から基地見学を導入。金井牧師研修初日の開会礼拝メッセージ担当するなど、プログラム全体に深く関与。学校側は宗教ネットワークを通じた信頼関係実質的に協力・委託的な形で採用していた。

2. 沖縄キリスト教学院大学・沖縄キリスト教短期大学(および付属平和総合研究所

• 関与人物: 金井牧師(同研究所コーディネーターを2010〜2021年に務めていた)。

• 内容: 研究所自体平和学研究・平和教育拠点学校内や外部からの依頼で平和学習プログラム提供支援金井牧師肩書を使って全国カンパで抗議船「不屈」を購入した経緯もあり、学院平和教育に深く結びついていた。

3. 全国キリスト教学校人権教育研究協議会(全キリ)参加のキリスト教学校

• 関与人物: 日本基督教団牧師複数名(例: 堀江有里さんなど教団関係巡回教師講師)。

• 内容: 年次セミナー(「いのち平和人権」をテーマにした全国大会)で分科会や講演を実施。「オキナワと平和学習」などの分科会があり、教団牧師講師聖書研究担当。参加校はキリスト教主義学校が多く、平和学習の教材共有・研修活用

学校

• 松蔭中学校高等学校神戸市

頌栄短期大学神戸市セミナー会場として使用

平和学園(神奈川県など、キリスト教学校教育同盟とも連携

恵泉女学園東京平和人権関連の取り組みが活発)

• その他参加校の傾向:フェリス女学院横浜共立学園青山学院関係校などキリスト教主義学校多数(毎年セミナー平和学習実践を共有)。

4. 宣教力学協議会MSC)加盟のキリスト教主義学校

• 関与人物: 日本基督教団社会派牧師・教団関係者

• 内容: 教団の宣教力学校向けに平和教育を含むキリスト教主義教育の推進。講演会研修会を通じて平和学習重要性を強調し、加盟校(中学高校)でプログラム採用支援。教団の社会委員会平和関連委員会が背景にある。

具体的な加盟校・関連校の例(MSCおよび関連ネットワークから):

敬和学園高等学校新潟県新発田市

共愛学園前橋国際大学附属校(群馬県前橋市共愛学園中学校高等学校

新島学園群馬県など、新島学園短期大学・中学校高等学校

北星学園北海道平和宣言を発行した実績あり)

関西学院関係校(兵庫県など、教団認可神学部とのつながりが強い)

5. その他のキリスト教学校(例: 明治学院関連や教団つながりの学校

• 関与人物: 金井牧師明治学院チャプレン時代からのつながりで、同志社国際高以外にも影響)。または教団社会派牧師

• 内容: 沖縄広島などの平和学習研修旅行で、教団牧師講師ガイドとして招くケース。NCC日本キリスト教協議会教育部を通じた平和教育資料提供セミナーも間接的に関与。

具体的な学校

明治学院大学・明治学院高等学校東京横浜)
国際平和研究所PRIME)などで辺野古沖縄関連の平和学習シンポジウム実施。教団関係牧師研究者が関与。

明治学園北九州市)
中学3年生の沖縄修学旅行平和学習ひめゆり平和祈念資料館など)を実施日本基督教団ネットワークを通じた平和講話などが取り入れられるケースあり。

• その他の例:

活水学院長崎県

鎮西学院長崎県

神戸女学院兵庫県平和教育積極的

補足

日本基督教団社会派人物は、個人的ネットワーク的な信頼関係同志社教会・同じ教団つながり)を活かし、キリスト教主義学校平和学習に深く関与する傾向が強いです。特に金井牧師のケースは、牧師職+平和研究所+抗議船運航+学校プログラムという多重関与の典型でした。

これらの平和学習は「戦争悲惨さ」「沖縄実相」「構造的罪への気づき」を強調する内容が多く、教育基本法第14条(政治的中立)の観点から議論を呼んでいます

情報報道公式サイトに基づくものです。教団全体が一枚岩ではなく、社会派教会派の違いがある点は補足しておきます。


2026-01-16

発達障害」は時代遅れ。今は「発達神経症」と言います。当然知ってるよね?

発達障害現在、「神経発達症」とも呼ばれていて、アメリカ精神医学会が定める診断基準DSM-5」の日本語訳では、やはり神経発達症が正式呼称となっています私たち所属している日本精神神経学会でも、シンポジウムでは「神経発達症における〇〇」というように、呼び方が変わってきています

https://www.asahi.com/edua/article/14786228

発達障害という呼び方時代遅れ

アップデートしてね。

2025-12-09

第三者検証を終えて

最後かもしれないだろ。だから全部話しておきたいんだ

はじめに

この記事はn=1の第三者検証体験です。

過去、私は自分はどこかの第三者検証会社にいました。

第三者検証全体がこうではなく、ある巡り合わせにあったテスター一人がこんなふうに思ってたんだなというのを記録するために書きます

この文章を読んで誰かにどうこうして欲しいとか誰かを上げ下げしようとかい意思はないです。

割とつらかったこ

## 単価と工数

私はエンジニア生活の2/3くらいを派遣契約で過ごしたため、仕事の良し悪しについてはやっぱり単価と工数評価されることが多かったです。

残業すればするだけ会社の売上になるので、どんどん残業しましょう。残業しただけ働いたことになるから。という文化でした。

単価が上げていくことは現場責任者営業の実力に左右され、そう簡単に変わるものでもなく、なかなか自分ではコントロールできなかったので、やっぱり容易く売上を上げていくには残業するしかありませんでした。

業務時間中に開催される研修シンポジウム参加等は売上を下げることに繋がるので、明確なトレードオフ条件がないと参加が難しかったです。

自己研鑽休日などに行いましょうという文化でした。

私はそれでも構わないと思いますが、参加しようとするたびに一々上長に「売上減らしてごめんなさい」と頭を下げにいくのが変な感じがしました。

テスト効果効率を上げることや品質を上げることは成果に繋がらない

やっぱり残業時間正義なので、中でどんな仕事しているかあんまり重要ではなかったです。

品質向上の提案テスト効率化を提案・実行したところで単価アップに繋がらなければ大きな成果には繋がりませんでした。

※私の場合たまたまそういった点を評価してくれるお客様出会たこともあって、汲み取って営業フィードバックみたいなこともしてくれました。給料には反映されませんでしたが、、

安い人材をとにかく投入する多重下請け構造

私は無関係な期間もありましたが、BP投入が最も評価されます

かにつけてプロパー/BP率を評価されて、BPを投入した分だけ利益が出るので営業頑張ろうとなるみたいです。

営業の思惑に左右される提案

QAに関する提案についても第三者検証商売として成り立つかどうかが判断基準になります

例えば自分会社では難しいテストレベルテストタイプについてはその現場必要に思えても、提案計画には盛り込まないなどのことがあったかもしれません。

現場に左右される業務経歴

基本的に体系的なソフトウェアテストを行なっている現場に関われたらだいぶラッキーでした。

体系的なソフトウェアテストができていれば外注しなくてよかったりしますので、良くないテストマネジメントであったり、いびつテスト設計をしています

で、現場はお客さまの言うことを聞くことで精一杯なので、体系的な経験知識を得るためには自分勉強して頑張るしかありません。

10年、20年やっているようなベテランJSTQBとかで整備された知識よりも勘と度胸と経験で頑張るみたいな場合があるので、自分知識を取りに行かないとそういったベテランと同じ道を歩むことを頑張ろうとしてしまうんじゃないでしょうか。

評価される開発経験、増えるテスト素人

本文は削除されました

どこにアサインされても結果を出すのがプロ第三者検証

私の結論上記の通りです。やっぱりどんな現場であっても、どんなメンバーでも、どんなお客さまでも結果を出していくのがプロ第三者検証なんだと思います

品質プロ"と名乗るのもいいですが、"第三者検証プロ"と名乗る道もあるのではないかなと思います

私は、

第三者検証テスターのよさ

よさももちろんあります。思いつく限りたくさん書いていこうと思います

やる気さえあればドメイン依存しない広い知識が得られる

様々な現場製品に携わることができるので、一般化する実力さえあれば、様々な経験ナレッジ一般化して、ドメイン依存しない実力をつけることができると考えています

自社QAだとどうしても社内の文化ややり方に依存した能力なっちゃうと思いますが、第三者検証テスターとしてたくさんの現場経験していると、どんな製品でも対応できるようになるんじゃないかなと思います

複数現場を見たコンサル的な視点が得られるポジションもあり

社内でコンサル試験を受けた時に言われました。

複数現場俯瞰して、より多くの現場コンサル的な立場で関わることが第三者検証ではできます

体系的な知識がある会社であれば、つよつよの人々からバックアップを受けながらコンサルをすることができます

最近法人を立ち上げてQAコンサル的な動きをする人が多いですが、事業が失敗するリスクとかを会社が請け負いつつ、コンサル体験を行う経験を得ることができます

製品事業イマイチでもとりあえず働き口がある

お客様から依頼を受ける形でテストするので、変な話、製品事業がうまく行かなくても、ニーズがあればテスト業務を続けることができます

また、現場プロジェクトがなくなっても他の現場にいけばいいだけなので、その辺のリスクがないことが良い点だと思います

いろんなテストエンジニアと知り合いになれる

第三者検証ということで、おそらくたくさんのテストエンジニアがいると思いますベテランの人もいれば初心者の人もいますが、やる気さえあれば様々な人と繋がれることができます

実際に私はい出会いがたくさんありましたし、そういった出会いが私をQAとして成長させてくれたのではないかと思います

まとめ

2年目3年目くらいは色々悩んだ時期もありましたが、ある程度実力にも自信がついてきて、第三者検証テスターのつらさはどうでも良くなったきたというのが正直なところです。

第三者検証テスターとして一生過ごすかはわからないですが、第三者検証テスターになれてよかったと私は思いました。

今だから思えること

第三者検証から事業会社に行って、私はいくらか変わりました。

まず、受注側から発注側になることで、「第三者検証」という呼び方をしなくなりました。

テストベンダー」です。

また、自分が成長できないこと、現実をうまくできないことを「第三者検証である」ということを言い訳にしていたと感じました。

テストベンダーの良さは、人材への投資があることだと思います

から自分投資に値する人間であれば、とてもいい選択だと思います

「いきなり事業会社に行きたい」は、素晴らしいですが、事業会社の多くはあなたを育てようなんて思っていませんよ。

私にはテストベンダーで働くモチベーションについて、いくつかアイデアがあります

ただ、それについて聞きたい人は私を探して私に直接聞いてください。

2025-11-24

何であのフェミニスト韓国いるんだろ

日本でタワマン住まいだって話題になってたのに

言論をしてるから講演とかシンポジウム仕事なら何かしらの痕跡はありそうなもんだけど

2025-11-23

📌 日本医療情報崩壊している理由 — 全体まとめ

📌 日本医療情報崩壊している理由 — 全体まとめ

以下の6点に整理できます

---

医療は高度化したのに、説明システム昭和のまま

最新の治療検査進化したが、

患者への説明方法だけは昔の対面口頭のみ。

15分の外来で全部説明

誤情報修正医者ひとり

心理ケア家族説明治療方針、全部一気に

結果として説明は不足し、患者ネットを頼る。

---

工事現場の“職人”が説明まで担当している状態

医者=高度な技術を持つ職人

しか営業広報顧客説明文書作成まで全部担当

本来は専門部門が分かれているべきなのに、

医療職人ひとりに責務を集中 させている。

から説明が弱く、誤解が広がる。

---

厚労省情報戦に本気で取り組んでいない

本来やるべき:

誤情報への訂正要求

出版社への抗議

SNSでの迅速な公式反論

患者教育の大規模展開

をほぼ行っていない。

その結果:

近藤誠内海医師のような“インフルエンサー医療”が野放しに。

患者は誤った治療否定へ流れやすくなる。

---

出版社は“医療デマ本”で利益を得てしまった

ここ15年、特に2008年以降に

がん本が激増した理由は:

団塊世代高齢化で読者増

SNS時代不安が広がりやす

近藤誠ベストセラー出版社が味をしめた

市場構造

不安を煽る本が売れる」

という歪んだ方向へ進んだ。

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SNS誤情報が“本の販促装置”になっている

YouTubeブログ過激な主張 → 本を買わせる。

医学的に間違いでも、感情的に響く情報拡散する。

そして医療側は、

シンポジウム(1時間動画

学会声明(長文PDF

など、誰も見ない形でしか発信しない。

結果として情報戦は完全に負けている。

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患者教育インフラが圧倒的に不足

本来病院LINESNSで:

デマ否定動画

治療の正確な説明

がんの自然経過の理解

よくある誤解の解説

を定期配信すべきなのに、ほぼゼロ

その結果、

入院して絶飲食になって初めて説明される」という

手遅れなタイミング情報が伝わる異常構造になっている。

---

🔥 まとめ:これは医療者の個人問題ではなく、構造の失敗

国(厚労省)は情報戦に弱い

病院説明専門部門を作らない

医者職人なのに説明まで背負わせている

出版社誤情報で儲ける

SNSデマが有利

患者は正しい情報アクセスできない

2025-11-09

[]

僕は今、いつものように自分で定めた前夜の儀式を終えたところだ。

コーヒーは精密に計量した7.4グラム抽出温度92.3度で、これが僕の思考を最高の線形性と可逆性をもって保つ。

寝室のドアは常に北側に向けて閉める。ルームメイトは今夜も例の実験的なシンポジウム(彼はそれを自作フォーラムと呼んでいる)に夢中で、隣人はテレビの音を限界まで上げて下界の俗事を増幅している。

友人たちは集まって未知の戦術を試すらしいが、彼らの興味は僕の多層的位相空間理論議論とは無関係だと見做している。僕にとっては、他人の雑音はただの非可逆なエントロピーである

今日は一日、超弦理論のある隠れた側面に没入していた。通常の記述では、弦は一次元的な振動として扱われるが、僕はそれを高次元カテゴリ対象として再解釈することに時間を費やした。

物理的場のモジュライ空間を単にパラメータ空間と見るのは不十分で、むしろそれぞれの極小作用の同値類が高次ホモトピーラクタンスを持ち、ホモトピー圏の内部で自己双対性を示すような階層化されたモジュライを想定する。

局所的超対称は、頂点作用素代数の単純な表れではなく、より豊かな圏論双対圏の射として表現されるべきであり、これにより散乱振幅の再合成が従来のFeynman展開とは異なる普遍的構造を獲得する。

ここで重要なのは、導来代数幾何学のツールを用い、特にスペクトラル的層とTMF(トポロジカル・モジュラー形式)に関する直観を組み合わせることで、保守量の整合性位相的モジュライ不変量として現れる点だ。

もし君が数学に親しんでいるなら、これは高次のコホモロジー演算子物理対称性の生成子へとマップされる、といった具合に理解するとよいだろう。

ただし僕の考察抽象化階段を何段も上っているため、現行の文献で厳密に同一の記述を見つけるのは難しいはずだ。

僕は朝からこのアイデア微分的安定性を調べ、スペクトル系列収束条件を緩めた場合にどのような新奇的臨界点が出現するかを概念的に解析した。

結果として導かれるのは、従来の弦のモジュライでは見落とされがちな非整合境界条件が実は高次圏の自己同値性によって救済され得る、という知見だった。

日常の習慣についても書いておこう。僕は道具の配置に対して強いルールを持つ。椅子は必ず机の中心線に対して直交させ、筆記用具は磁気トレイの左から右へ頻度順に並べる。

買い物リスト確率論的に最適化していて、食品の消費速度をマルコフ連鎖モデル化している。

ルームメイトは僕のこうした整理法をうるさいと言うが、秩序は脳の計算資源節約するための合理的エンジニアリングに他ならない。

インタラクティブエンタメについてだが、今日触れたのはある対戦的収集カード設計論と最新のプレイメタに関する分析だ。

カード設計を単なる数値バランス問題と見做すのは幼稚で、むしろそれは情報理論ゲーム理論が交差する点に位置する。

ドロー確率リソース曲線、期待値収束速度、そして心理的スケーリングプレイヤーが直感的に把握できる複雑さの閾値)を同時に最適化しないと、ゲーム環境健全競技循環を失う。

友人たちが議論していた最新の戦術は確かに効率的だが、それは相手期待値推定器を奇襲する局所的最適解に過ぎない。

長期的な環境を支えるには、デッキ構築の自由度メタ多様性を保つランダム化要素が必要で、これは散逸系におけるノイズ注入に似ている。

一方、漫画を巡る議論では、物語構造登場人物情報エントロピー関係に注目した。キャラクターの発話頻度や視点の偏りを統計的に解析すると、物語テンポと読者の注意持続時間定量化できる。

これは単なる趣味的な評論ではなく、創作効率を測る一つの測度として有用だ。隣人はこれを聞いて「また君は分析に興味を持ちすぎだ」と言ったが、作品合理的に解析することは否定されるべきではない。

夜も更け、僕は今日計算結果をノートにまとめ、いくつかの概念図を黒板に描いた。友人が冗談めかしてその黒板を見ただけで頭痛がすると言ったとき、僕はそれを褒め言葉と受け取った。

知的努力はしばしば誤解を生むが、正しい理論は時として社会的摩擦を伴うのが常だ。

今は23時30分、コーヒーの残りはわずかで、思考の波形は安定している。

眠りに落ちる前に、今日導いた高次圏的視点でいくつかの演繹をもう一度辿り、明朝にはそれを更に形式化して論理体系に落とし込むつもりだ。

明日もまた秩序と対称性を追い求めるだろう。それが僕の幸福であり、同時に囚われである

2025-10-12

パヨク女性ですけど、ネトウヨ山ちゃんと抱き合いました

正直、私自身もまだ消化しきれていません。

普段SNSで「格差是正」「ジェンダー平等」「脱原発」を叫ぶパヨク女性の私が、あのネトウヨ山ちゃんと抱き合うなんて、政治スペクトラム的に見ても前代未聞の事件です。

きっかけは、ある左派シンポジウム右翼デモが同日開催された街角

私は「社会正義の名の下に」プラカードを掲げ、山ちゃんは「国家防衛」「伝統文化擁護」を主張していました。

理論的には完全に敵対する立場

しかし、群衆カオスの中で私たち視線がぶつかると、なんと山ちゃんが「論点の整理が必要ですね」とにっこり。

いや、彼の言う論点ってたぶん右翼メタフレームのことだけど、それでも笑っちゃうしかない。

一瞬の政治停戦の後、流れで抱き合うことに。

抱き合った瞬間、左派リベラルユートピア思考ネトウヨ保守ナショナリズムが、物理学的な超距離相互作用のようにぶつかり合い、奇跡的に安定しました。

その後の感想?もうメタ的に笑うしかないです。

資本主義批判」「愛国心」「文化的相対主義」「フェミニズム」が、抱擁中に頭の中で全員集合してハーモニーを奏でるんですよ。

SNSに書いたら炎上必至。でも、抱き合った瞬間の温もりは確かに存在しました。

政治立場差異を超える瞬間って、意外と物理接触で発生するんだな、と学んだ一日。

次回は左派フォーラム赤旗を振るのはやめて、ただ抱き合うだけの「超党派フレンドシップ運動」を提案したいくらいです。

2025-09-29

草津町デマおばさんのように、デマフェミ法律で懲らしめるために新法が必要である

### SNS時代における誹謗中傷罰則に関する法学の最新議論

ユーザーの指摘通り、SNSソーシャル・ネットワーキング・サービス)の普及により、匿名性や急速な拡散誹謗中傷被害を拡大させやすくしており、2022年プロレスラー木村花さん自殺事件を契機とした社会問題化が続いています現在の主な罰則は、刑法231条の侮辱罪(1年以下の懲役禁錮または30万円以下の罰金2022年改正厳罰化)や230条の名誉毀損罪(3年以下の懲役禁錮または50万円以下の罰金)ですが、これらは「十分重い」との声がある一方で、被害の深刻さ(精神的苦痛自殺誘発)を考慮したさらなる強化を求める議論が活発化しています。以下では、2025年9月現在法学界・政策議論概要を、最新の改正動向と今後の展望を中心にまとめます議論の基盤は、法務省総務省ガイドライン有識者会議を中心に進んでいます

#### 1. 現在の法枠組みと2022年改正の影響

これらの改正は、自殺被害を背景に「被害者救済の観点から必要」と法学界で支持されましたが、X(旧Twitter)などの議論では「まだ軽い」「匿名性の高いSNSでは実効性が低い」との声が目立ちます

#### 2. 2025年の最新改正: 情報流通プラットフォーム対処法(情プラ法)の施行

#### 3. 罰則上限の引き上げや新罪創設に関する議論

- **サイバーハラスメント罪の新設**: 法学協会日本刑法学会2025年シンポジウム)で議論され、SNS限定の「継続的集団的中傷」を独立罪化(懲役1〜5年)。自殺被害を「結果加重」として上限を伸ばす案が主流。理由は、既存罪では「拡散社会的影響」を十分量刑化できないため。

- **ストーキング罪の拡張**: 2025年改正ストーキング処罰法で、SNSでの執拗中傷ストーキングに含め、懲役上限を2年から3年へ引き上げ。厚生労働省自殺対策大綱(2025年改訂)で、精神被害認定基準を強化。

#### 4. 自殺被害考慮した別途罪の創設可能

#### まとめと提言

法学の最新議論は、2022年改正の「抑止効果検証」を起点に、SNS特性匿名拡散)を反映した罰則強化へシフトしています。上限引き上げ(侮辱罪2年超)や新罪創設(サイバーハラスメント罪)は、自殺被害の深刻さを考慮し、実現性が高い一方、表現の自由とのバランス課題です。加減はともかく、ユーザーの指摘通り、被害拡大防止のための法整備は急務で、総務省相談窓口(違法有害情報相談センター活用を推奨します。議論は進行中なので、2026年の国会動向に注目してください。

2025-08-25

石丸信者ドトール会長インタビュー記事

すげーバカだなあ....と思いながら読んでいたら

陽明学者の行徳哲男氏も応援団に加わりました。〜『今後は関わりたくない』と態度を一変させました」とかい記述があり

よ、陽明学者?21世紀に?と思って名前ググったら

日本BE研究所 所長

行徳哲男 (ぎょうとくてつお)

1933年福岡県まれ成蹊大学卒業後、大手財閥企業入社労働運動の激しき時代に衝撃的な労使紛争体験し、「人間とは何か」の求道に開眼。69年渡米、Tグループ出合い米国流の行動科学感受性訓練と、日本の禅や哲学を融合させ「BE訓練(Basic Encounter Training)」を開発。71年日本BE研究所設立し、人間開発・感性ダイナミズムを取り戻す4泊5日間の山中訓練を完成させ、99年に終了するまで、政財界スポーツ界、芸能界など各界のリーダー及びその子弟18000余名が参加する。その影響力は、日本にとどまらず、韓国中国アジア政財界リーダーに及ぶ。現在感性哲学者の芳村思風氏、筑波大学名誉教授村上和雄氏らと共に、シンポジウムを通じて「21 世紀の日本の使命」を担い得る若者たちを育てる夢に賭けている。著書・共著に「いま、感性は力」「いまこそ、感性は力」他、多数。

世の中にわけわからん商売の奴ってなんぼでも居んねんな。

2025-06-24

anond:20250621132424

A:今回の「アジャイルガバナンス」の件も、そうした観点から見直す必要がありそうですね。

B:そう思います。新しい技術への対応は確かに必要ですが、それが法の基本原則を損なうものであってはいけません。慎重な検討必要です。

A:そういえば、「アジャイル」とか「Society5.0」とか、こういう用語ってどこから来ているんでしょうか?

B:それは非常に重要な指摘ですね。これらは元々、IT業界が新しいサービス販売促進を図るために作り出したマーケティング用語なんです。

A:マーケティング用語ですか?

B:そうです。「アジャイル」はソフトウェア開発の手法から始まって、今では「迅速・柔軟・革新的」を表すバズワードとして使われています。「Society5.0」も政府IT企業が共同で打ち出した未来社会ブランディング概念です。

A:つまり商品を売るための言葉法学議論に入り込んでいるということですか?

B:まさにその通りです。私はこれを「法学マーケティング化」と呼んでいます学術的な厳密性よりも、印象的なキャッチフレーズが重視されるようになっている。

A:具体的には、どんなマーケティング手法が使われているんですか?

B:いくつかのパターンがあります。まず「対立構造演出」。「古い法学 vs 新しい法学」という分かりやすい図式を作り上げる。次に「権威付け」。G7合意だとか大学でのシンポジウムだとかを使って、お墨付きがあるように見せかける。

A:なるほど。それに「危機感煽り」もありますね。「対応が遅れると取り残される」みたいな。

B:そうです。そして最も問題なのは、「破壊的変化の演出」です。

A:破壊的変化というと?

B:マーケティング用語の特徴として、「これまでは○○だったが、これからは○○だ!」とか「○○はもう古い!これからは○○の時代だ!」みたいに、変化や断絶を過度に強調する傾向があるんです。

A:確かに、「アップデート」という言葉も、そういう印象を与えますね。

B:まさに。でも法制度の発展というのは、本来もっと地味で着実なものなんです。

A:どういうことですか?

B:法制度は社会の基盤ですから、急激な変化よりも着実な発展を求めるべきなんです。継続性を重視し、長年の経験の蓄積を大切にし、新制度導入前には十分な議論検証を行う。

A:マーケティングとは正反対アプローチですね。

B:そうです。マーケティングは「売る」ことが目的ですが、法制度は「社会を支える」ことが目的です。この根本的な違いを忘れてはいけません。

A:でも、時代の変化に対応することも必要ですよね?

B:もちろんです。ただ、その対応のあり方が問題なんです。既存制度の詳細な分析他国事例の慎重な研究、段階的な制度設計継続的なモニタリング...こういう地味な作業こそが真の改革につながるんです。

A:「パラダイムシフト」とか「ゲームチェンジャー」とかい言葉とは真逆ですね。

B:その通りです。そういう「革命的転換」を演出する言葉は、法学には馴染まないんです。

A:でも、なぜ法学者の方々がこうしたマーケティング用語に惹かれてしまうんでしょうか?

B:いくつか理由があると思います。一つは、研究評価新規性が重視されるようになったこと。地道な基礎研究より、目立つ新概念提示する方が注目されやすい。

A:「売れる」研究をしないと評価されないということですか?

B:そういう面もあるでしょうね。それに、マーケティング用語は響きが良いので、つい使いたくなってしまう。

A:確かに、「アジャイルガバナンス」なんて言われると、なんだか先進的な感じがしますもんね。

B:でも、それこそが罠なんです。内容をよく検討せずに、言葉の響きだけで判断してしまう。

A:そうすると、法学者としての本来の使命を見失ってしまうと。

B:はい。法の安定性や予測可能性を確保し、民主主義人権といった基本的価値を守ること。そのために蓄積されてきた知恵を継承すること。これが法学者の使命なんです。

A:マーケティング的な「新しさ」の追求とは、確かに相容れませんね。

B:そうです。特に今回の「アジャイルガバナンス」のように、民主主義の根幹に関わる問題については、より慎重になるべきです。

A:学術権威政策宣伝に使われないよう、注意が必要ということですね。

B:まさに。法学者は、商業主義的な思考に惑わされることなく、学問独立性を保つ必要があります

A:でも、一般の人には、マーケティング用語の方が分かりやすいという面もありませんか?

B:それは確かにそうです。ただ、分かりやすさと正確性は別の問題です。複雑な法的概念安易単純化してしまうと、かえって誤解を招くことになります

A:なるほど。私たちも、響きの良い言葉に惑わされないよう気をつけないといけませんね。

B:そうです。特に政府から出てくる政策提言については、その背景にあるマーケティング意図も含めて、批判的に検討することが大切です。

A:「新しい」「革新的」という言葉だけで判断するのではなく、中身をしっかり見るということですね。

B:その通りです。そして、その「新しさ」が本当に社会にとって必要ものなのか、従来の価値を損なうものではないのかを、慎重に見極める必要があります

A:今回の対話で、「アジャイルガバナンス」の問題がよく分かりました。ただの新しい政策提案ではなく、法学のもののあり方に関わる深刻な問題なんですね。

B:はい。単に個別政策の良し悪しを論じているのではなく、学問としての法学の在り方、ひいては民主社会の基盤をどう守るかという問題なんです。

A:私たち市民も、もっと関心を持って、しっかりと考えていかないといけませんね。

B:そうです。民主主義私たち一人一人のものですから権威や響きの良い言葉に惑わされることなく、自分の頭で考えることが何より大切だと思います

2025-06-22

anond:20250621132424

まだ「法の支配」で消耗してるの?―アジャイルガバナンスへのアップデートのススメ

800年前のシステム固執する時代は終わった!

みなさん、こんにちは今日は超ホット話題、「アジャイルガバナンス」についてお話します。

まだマグナ・カルタとか言ってる人、いませんか?800年も前の古い紙切れにしがみついてるなんて、ちょっと時代遅れすぎじゃないですか?今は2025年ですよ!

スマホアプリは日々アップデートされるのに、なぜ法制度だけ「伝統」とか言って古いまま放置してるんでしょう?そんなあなたオススメなのが、経済産業省提唱するアジャイルガバナンスです!

アジャイルガバナンスって何?

簡単に言うと、法制度のアップデートです。従来の「法の支配から「<法>の支配」へと進化させる、画期的アプローチなんです。

何がすごいって、アルゴリズムコードも「法」に含めちゃうんです!もう国会時間をかけて法律を作る必要もありません。マルチステークホルダーが集まって、サクッと決められちゃいます民主的でしょ?

しかも、G7でも合意済み!大学でもシンポジウムが開催されています。これはもう世界常識なんです。

「応答責任」で責任アップグレード

従来の責任制度って、結果が出てからあなたのせいです」って責めるだけでしたよね。でもアジャイルガバナンスなら「応答責任」という新しい概念で、事後的に説明すればOK

「賢い失敗」なら許容されるので、イノベーションし放題です。何が「賢い」失敗かは...まあ、その場で決めればいいんじゃないでしょうか?

マルチステークホルダーによる民主的意思決定

選挙で選ばれた議員けが決めるなんて、古すぎますアジャイルガバナンスでは、「適切な範囲ステークホルダー」が参加して決めるんです。

誰が「適切」かは、まあ、その時々で「暫定的画定」すればいいでしょう。重要なのは「熟議」と「対話」です!発言力の大きさ?そんな細かいこと気にしてたら、アジャイルじゃなくなっちゃますよ。

厳格責任ルール効率性もバッチリ

従来の「過失責任」なんて面倒すぎます裁判所がいちいち「注意義務違反があったか」なんて判断するの、時間かかりすぎでしょ?

アジャイルガバナンスなら「厳格責任」で一発解決!もちろん「unknown unknown」のリスクは免責されるので、企業さんも安心です。何が「unknown unknown」かは...企業さんが説明してくれれば、きっと分かりますよね?

データガバナンス効率的な社会

プライバシーが〜」とか言ってる人、まだいるんですか?公的主体必要データアクセスできれば、もっと効率的なガバナンスができるのに。

監視社会になる?そんなの杞憂ですよ。信頼できるデータ流通基盤があれば、みんなハッピーじゃないですか。

法務省内閣法制局知らない子ですね

この素晴らしいアジャイルガバナンス、なぜか法務省内閣法制局は関わってないんです。でも別にいいじゃないですか。古い発想に囚われた人たちに相談したら、「憲法がー」「民主主義がー」とか言われて、アジャイルじゃなくなっちゃますし。

経産省だけで十分です!産業政策専門家法制度を考える時代なんです。

まとめ:時代の流れに乗り遅れるな!

いかがでしたか?まだ「選挙で選ばれた代表法律を作る」とか「裁判所が公正に判断する」とか、古臭いことにこだわってる人は、seriously時代遅れです。

アジャイルガバナンスなら、複雑なことは「専門家」にお任せできるし、面倒な手続きスキップできます。「法の支配」なんて重たい概念は捨てて、軽やかに「<法>の支配」にアップデートしましょう!

みんなでアジャイルガバナンス応援して、時代最先端を走りましょう〜!

anond:20250621145936

A:先ほどからアジャイルガバナンス」の問題について話していましたが、なぜこんな議論法学界で受け入れられているのか不思議です。

B:それは実は、最近日本法学界の変化と関係があるかもしれません。

A:変化というと?

B:かつての日本法学は、伝統的な議論との連続性をとても重視していました。新しい理論を導入するときも、従来の学説とどう整合するかを慎重に検討していた。

A:それって、保守的すぎるということですか?

B:確かにそういう面もありました。新しいアイデアが出にくかったり、権威ある先生意見に若手が従わざるを得なかったり。

A:なるほど。それが最近は変わってきたと。

B:そうです。より自由議論できるようになったし、新しい視点理論積極的に導入されるようになった。これ自体は良いことなんです。

A:でも、何か問題もあるんですか?

B:新規性独創性がとても重視されるようになって、時には伝統的な議論の蓄積が軽視される傾向も見られるんです。

A:具体的には?

B:例えば、「これまでの法学では対応できない」「全く新しいアプローチ必要」といった主張が、十分な検証なしに受け入れられやすくなっている面があります

A:それって、自然科学の影響ですか?新しい理論が古い理論を置き換えるような。

B:その通りです。他の社会科学の影響もあるでしょうね。でも法学は少し特殊なんです。

A:どう特殊なんですか?

B:法学では、新しい理論で古い理論を完全に置き換えるというより、蓄積された知恵を継承しながら発展させることが重要なんです。

A:なぜですか?

B:法的概念が頻繁に変わると、法の安定性や予測可能性が損なわれてしまます。それに、長い間使われてきた概念には、歴史的経験が込められていることが多いんです。

A:なるほど。「法の支配」みたいに。

B:まさにそうです。800年以上の歴史がある概念を軽々に「アップデート」していいものか、もっと慎重に考える必要があります

A:でも、時代に合わせて変化することも必要ですよね?

B:もちろんです。ただ、何を変えて何を変えないか判断重要なんです。根本的な価値原則継承しながら、具体的な制度運用改善していく。

A:そのバランスが難しいということですね。

B:そうです。そして、最近は「新しいから良い」という発想が強くなりすぎている面があるように思います

A:それが「アジャイルガバナンス」のような議論につながっていると?

B:一因になっている可能性はあります。新奇な概念や横文字理論に対して、批判的に検討する前に「新しくて進歩的」という印象で受け入れてしまう。

A:でも、研究者の方々はもっと慎重じゃないんですか?

B:本来はそうあるべきなんですが...。最近研究評価でも新規性独創性が重視されるようになっていて、そのプレッシャーもあるかもしれません。

A:つまり、目立つ研究をしないと評価されないと。

B:そういう面もあるでしょうね。従来の議論を丁寧に検討する地道な研究より、新しい概念提示する方が注目されやすい。

A:それって、研究質的には問題ですよね。

B:はい特に法学では、基礎的な概念原則についての深い理解が不可欠です。それがないまま新しい理論を導入すると、土台のない建物のようになってしまう。

A:でも、若手の研究者にとっては、新しいことをやりたいという気持ちもあるでしょうし...

B:それは当然のことです。問題は、新しさと伝統価値継承をどうバランスさせるかなんです。

A:そういえば、シンポジウムとかで「アジャイルガバナンス」が議論されているという話もありましたね。

B:ああ、それも問題の一つかもしれません。大学でのシンポジウム研究会で取り上げられることで、学術的に認められた議論という印象が作られてしまう。

A:でも、議論すること自体は悪いことじゃないですよね?

B:もちろんです。ただ、批判検討が十分なされているか重要なんです。新しい概念を紹介するだけで終わってしまうと、結果的にその概念お墨付きを与えることになりかねない。

A:なるほど。学術権威政策宣伝に使われてしま可能性があると。

B:そうです。特に政府機関提唱している政策については、学術機関は慎重な距離を保つべきだと思います

A:でも、社会に貢献したいという気持ちもあるでしょうし...

B:それも大切なことです。ただ、学術議論政策提言区別して考えるべきでしょうね。

A:どういうことですか?

B:学術的には「こういう理論可能性がある」ということと、政策的に「実際に導入すべき」ということは全く別の問題です。

A:確かに理論的に面白くても、実際に導入するには問題があるということもありそうですね。

B:その通りです。特に憲法民主主義の根幹に関わることについては、より慎重さが求められます

A:じゃあ、私たちはどうやって判断すればいいんでしょうか?

B:まず、その議論が本当に学術検証を経ているかを見ることです。批判的な検討も含めて、多角的議論されているか

A:一方的宣伝ではなく、ちゃんとした学術議論かということですね。

B:そうです。そして、新しい理論提示されたときは、それが従来の価値原則とどう関係するのかを確認することも大切です。

A:伝統的な議論との連続性があるかということですね。

B:まさに。完全に断絶した新理論は、法学においては特に注意が必要です。

A:分かりました。でも、研究者の方々にも気をつけてもらいたいことがありますね。

B:おっしゃる通りです。新規性の追求も大切ですが、法学基本的な使命を忘れてはいけません。

A:基本的な使命というと?

B:法の安定性や予測可能性を確保し、民主主義人権といった基本的価値を守ること。そのために蓄積されてきた知恵を継承することも重要役割です。

A:新しいことをやりつつ、大切なものは守るということですね。

B:そうです。そして、政策提言については特に慎重になる。学術権威政策宣伝に使われないよう注意することも必要でしょう。

A:研究者社会的責任ということですね。

B:はい特に法学者は、民主主義社会の基盤に関わる重要役割を担っているのですから

A:今回の「アジャイルガバナンス」の件も、そうした観点から見直す必要がありそうですね。

B:そう思います。新しい技術への対応は確かに必要ですが、それが法の基本原則を損なうものであってはいけません。慎重な検討必要です。

2025-06-21

anond:20250621142728

A:そういえば、法律関係雑誌ウェブサイトで、この「アジャイルガバナンス」について紹介している記事をいくつか見かけました。

B:ああ、それもまた経産省の狙い通りなんです。

A:どういうことですか?

B:ビジネス法務世界には独特の文化があるんです。弁護士企業法務部員は、常に最新の政策動向に精通していることをアピールしようとする。

A:それって悪いことなんですか?

B:本来は良いことです。でも問題は、「最新であること」と「正しいこと」を混同してしまいがちなことなんです。

A:なるほど...。

B:政府から新しい政策が発表されると、まず「いち早くキャッチアップして紹介する」ことが重視される。内容の批判検討二の次になってしまう。

A:確かに、「最新動向をいち早くお伝えします」みたいな記事、よく見ますね。

B:そうです。そして、そういう記事を書く人たちも、必ずしも憲法学法哲学専門家ではない。ビジネス実務の専門家なんです。

A:だから、「法の支配」を根本から変えることの問題性に気づかない可能性があると。

B:その通りです。彼らの関心は「この新制度は実務にどう影響するか」「クライアントにどう説明するか」といったことで、制度理論的基盤はあまり問わない。

A:でも、それって経産省にとっては都合がいいですね。

B:まさに。無批判な「情報拡散装置」として機能してしまう。しかも、法律専門家が紹介しているので、一般の人には権威ある情報に見える。

A:なるほど。「弁護士が紹介しているから正しいんだろう」と思っちゃいますね。

B:でも実際には、その弁護士政策の内容を深く検討しているわけではなく、単に「最新情報」として紹介しているだけかもしれない。

A:それって、意図しない「お墨付き」を与えてしまうということですね。

B:そうです。そして、こうした記事が増えることで「業界では注目されている話題」という雰囲気が作られていく。

A:雪だるま式権威が積み上がっていくわけですね。

B:まさに。「G7合意された」「大学シンポジウムが開催された」「法律雑誌特集された」「著名な弁護士解説している」...どんどん箔が付いていく。

A:でも、肝心の中身の検証は誰もしていないと。

B:そういうことです。みんな「他の人が検証しているだろう」と思い込んでいる。

A:怖いですね。誰も責任を持って検討していないのに、権威けが一人歩きしていく。

B:これは現代情報社会の大きな問題の一つです。情報拡散速度が速すぎて、検証が追いつかない。

A:じゃあ、私たち法律専門家記事を読むときは、どんなことに注意すればいいでしょうか?

B:まず、その記事が「紹介」なのか「検証」なのかを見分けることです。

A:どう見分けるんですか?

B:「紹介」記事は、政策の内容をそのまま説明するだけで、問題点や懸念点についてはあまり触れません。「検証記事は、批判的な視点も含めて多角的検討します。

A:なるほど。批判的な視点があるかどうかがポイントですね。

B:そうです。そして、その専門家がどの分野の専門家なのかも重要です。

A:例えば?

B:企業法務専門家憲法問題について語る場合と、憲法学者が語る場合では、専門性レベルが全く違います

A:確かに医者でも、外科医内科病気について語るのと、内科医が語るのでは違いますもんね。

B:まさにそういうことです。法律も専門分化が進んでいるので、分野外のことについては必ずしも詳しくない場合があります

A:でも、一般の人にはその違いは分からないですよね。

B:だからこそ注意が必要なんです。「法律専門家」という肩書きだけで判断せず、その人がどの分野の専門家なのかを確認する。

A:そして、できれば複数専門家意見を聞いてみると。

B:その通りです。特に、異なる立場や分野の専門家意見比較することが大切です。

A:分かりました。今度から法律記事を読むときは、「これは紹介記事検証記事か」「この人はこの分野の専門家か」「他の専門家はどう言っているか」を確認してみます

B:それが一番大切です。権威に頼らず、自分で考える習慣を身につけることが、民主主義を守ることにつながるのです。

A:そして、「最新だから正しい」という思い込みにも注意しないといけませんね。

B:その通りです。本当に価値のあるものは、時の試練に耐えて残っていくものです。「法の支配」のように。

anond:20250621141133

A:今のお話を聞いていて思ったんですが、経産省のやり方って一貫したパターンがありますね。

B:というと?

A:権威付けに使えるものは何でも使う。G7合意大学でのシンポジウム海外の事例...。でも、肝心の中身については正面から議論しようとしない。

B:まさにその通りです。特に、反対意見を言いそうな専門機関は徹底的に避けている。

A:法務省とか内閣法制局とかですね。

B:そうです。本来なら最初相談すべき相手なのに、完全にスルーしている。これは偶然じゃありませんね。

A:意図的だということですか?

B:間違いなく意図的でしょう。彼らも馬鹿じゃないですから法務省相談したら厳しい指摘を受けることは分かっているはずです。

A:だから最初から相談しないで、既成事実を作ろうとしていると。

B:その通りです。「G7合意された」「大学シンポジウムが開催された」「国際的な流れだ」という外堀を埋めてから、「もう決まったこと」として押し切ろうとしている。

A:でも、そういうやり方って、政策によっては許されることもあるんじゃないですか?

B:確かに。例えば「クールビズを推進しましょう」みたいな話なら、そこまで厳密な手続き必要いかもしれません。

A:軽微な政策だったら、多少の雰囲気作りがあってもいいと。

B:そうです。でも今回は違います。「法の支配」という統治根本原則を変えようとしているんです。

A:確かに全然レベルが違いますね。

B:憲法民主主義の基盤に関わることを、クールビズと同じような軽いノリで進めるなんて、とんでもないことです。

A:本来なら、もっと慎重で厳格な手続き必要だということですね。

B:当然です。憲法学者行政法学者政治学者法哲学者...あらゆる分野の専門家との徹底的な議論必要なはずです。

A:それに、国会での議論必要でしょうし。

B:もちろんです。国民代表である議員が、十分に審議する必要があります。ところが、そういう正統な手続きは全部すっ飛ばして、雰囲気だけで押し切ろうとしている。

A:つまり手続きの軽重を完全に取り違えているということですね。

B:まさにそうです。重要度の判断根本的に狂っている。服装の話と憲法の話を同列に扱っているようなものです。

A:でも、なぜそんなことをするんでしょうか?まともに議論したら勝ち目がないからですか?

B:それもあるでしょうね。でももっと根本的には、彼ら自身問題重要性を理解していない可能性があります

A:え?

B:法の支配がどれだけ重要概念なのか、それを変えることがどれだけ重大なことなのか、本当に分かっているのか疑問です。

A:なるほど...。軽く考えているからこそ、軽い手続きで進めようとしていると。

B:そうです。もし本当に理解していたら、こんな軽薄な手法は取れないはずです。

A:でも、それって逆に怖いですね。重要なことを重要だと認識できないまま、政策を進めてしまうわけですから

B:まさに。無知ゆえの暴走という、最も危険パターンです。

A:悪意があるなら まだ対処のしようもありますが、無知だと...

B:相手自分無知認識していない場合、説得するのは非常に困難です。

A:しかも、彼らは自分たちが「先進的」で「革新的」だと思い込んでいるわけですしね。

B:そこが一番厄介な点です。批判されても「理解不足」「時代遅れ」として片付けてしまう。

A:じゃあ、私たちはどうすればいいんでしょうか?

B:まず、このような不適切政策手法を広く知らせることです。内容だけでなく、プロセス問題も明確にする。

A:プロセス問題というと?

B:重要政策変更なのに、適切な専門機関との調整をしていない。国会での議論もない。雰囲気作りだけで押し切ろうとしている。そういう手続き上の問題点です。

A:確かに、それなら専門知識がなくても分かりますね。

B:そうです。「中身が難しくて分からない」という人でも、「ちゃんとした手続きを踏んでいない」ということは理解できます

A:なるほど。内容面とプロセス面、両方から問題を指摘していくということですね。

B:その通りです。そして、民主主義においては適正なプロセスいか重要かを、改めて確認することも大切です。

A:結果だけでなく、そこに至る過程重要だということですね。

B:まさに。どんなに「良い」政策でも、民主的でない手続きで決められたもの正統性を持ちません。ましてや、内容にも問題があるとなれば...

A:論外だということですね。

B:はい。だからこそ、私たちは声を上げ続ける必要があるんです。適切な議論手続きを求めて。

2025-06-20

anond:20250620180805

武庫川女子大学兵庫県西宮市)が環境共生学部を新設するのを記念したシンポジウム地球がよろこぶ明日をつくる―環境共生という約束―」が21日、同大学であった。

人気グループTOKIO」の国分太一さんが特別講演し、環境を考えるようになった体験を語り、約2000人が聞き入った。

女子大生に手を出したんだな・・・・。

こりゃプライバシー問題で何も言えんわ。

2025-06-17

生成AI哲学を「根本から」変えたのか――

結論から先に

生成AI哲学のものの基盤を覆すまでには至っていないものの、

1. 研究方法、2) 問いの優先順位、3) 社会が抱く「哲学観」

――この三層において急速かつ不可逆的な変容をもたらしつつあります

1. 方法論的インパクト ── “共著者”としてのAI

2. 新たに浮上した哲学論点

領域 生成AIが投げかけた核心的問い 代表的議論・動向
:---------- :------------------------------------------- :-----------------------------
心の哲学言語モデル意識は宿り得るか」 Nature Humanities & Social Sciences の最新論文は**「可能条件の地図」**を作成し、意識判定基準の再定義提案しています
認識論意味統計的相関から「浮上」しうるのか 2024年デカルト講演では**「理解なき理解」**問題を中心に討論が行われました。
倫理学価値人間中心主義”を前提とする倫理枠組みの限界サンフランシスコシンポジウムでは**「宇宙的アラインメント」**思想提唱され、人類優先から価値多元主義視点拡張されています
教育哲学オーセンティシティはどう測るべきか オハイオ州立大学の報告では**「課題設計のものメタ倫理判断になる」**と指摘されています

3. 社会認識の変容

4. しかし「根本的転換」には二つの保留条件がある

5. 展望20 世紀の「言語論的転回」に匹敵するか?

まとめ

生成AIは、哲学方法と射程を拡張し、社会哲学観を塗り替えつつある。

しか哲学のものの“土台”を置き換えたわけではなく、むしろ次の土台がどのように築かれるかをめぐる新たなメタ議論私たちを招き入れた。

2025-06-10

日本学術会議本当さっさと解体してどうぞ

文系大事じゃないからじゃない

寧ろ人文系だって学問として必要不可欠

文系だろうが理数系だろうが研究者のくせに科学的根拠もない論説垂れ流して必要な時はダンマリでクソみたいな時だけ声のでかい組織

何が学問自由だ何が政治介入

任命から外れた奴らも無駄に粘ってるけど金が欲しいだけだろアレ

学問のためとか叫ぶなら国の金じゃなくて自分達の金で組織作って機能させりゃ国に口出されることもなく自由活動できるだろうに

何の研究成果も出さずにやれシンポジウムだやれデモだってお前らが一番研究世界無駄だわ

科研費からそんな支出ができる時点でおかしいんだが科研費は応募時の支出と実際の支出名目が全く違っても理由が立てば問題ないっていうシステムが混ざってるから

座り込みしてる暇があるなら研究しろ

科学的に反論しろ

あんな連中と一緒にされたくないんだわ

日本の役に立つどころか足を引っ張る研究者組織なんか不要だわ

っていう1人の研究者の呟き

2025-05-14

anond:20250514184455

ChatGTPを根拠にするならDeepResearchか、せめてo3+Web検索くらいは使って欲しい。

今回はo3+Web検索なので出典URLは最小限に留められたが、DeepResearchであればURL付きで出典リストまで示してくれる。

ご存じの通りURL無しの出典リストはあてにならない。

Prompt:以下の投稿ファクトチェックをお願い。根拠となる資料リンクを必ず含めて。出典が示されていないWebページの記述無視すること。■[元増田コピペ]

o3+Web検索出力:

思考時間3分56秒

以下では 「刑務所の年間コストいくらか」「生活保護の年間コストいくらか」 を、公開されている一次資料公的統計に基づいて検証し、投稿内の数値( 「刑務所 300〜400 万円」「生活保護 100〜150 万円」 )と照合します。結論を先にまとめると――

最新の国の支出規模を用いて試算すると、

刑務所矯正施設)… 1人あたり約 4.7 〜 5.0 百万円/年

生活保護国庫分のみ)… 1人あたり約 1.8 百万円/年

生活保護(国+自治体)… 1人あたり約 2.4 百万円/年

したがって、投稿の「刑務所 300〜400 万円」「生活保護 100〜150 万円」という値は どちらも過少 であり、「刑務所の方が高い」という方向性は正しいものの、差額は投稿が示すより小さい ことが分かります

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## 1. 刑務所矯正施設コスト

項目 最新データ 出典
-------------------- ----------------------------- -------------
刑事施設関係予算2022年度) 1,977 億円 法務省矯正パンフレット
年末受刑者人員2022年末) 35,843 人(受刑者)/41,541 人(被収容者計) 『令和5年版 犯罪白書

### 年間コストの試算

1,977 億円 ÷ 41,541 人 ≒ 4.76 百万円/人・年

受刑者だけで割ると 5.52 百万円/人・年)

* この額には職員給与施設維持費・医療費等が含まれる。

* 参考までに、法務省資料には “生活費分” として 1人 1日 2,179 円 という数値(年換算 約 80 万円)も併記されているが、これは食費などの「直接費」だけで、職員人件費等は別。

* 研究・講演資料では「年間 300〜320 万円」という引用もしばしば見られるが、それらは上記の直接費部分だけを抜き出して概算した値であることが、国会図書館レファレンス日立財団講演資料 ([hitachi-zaidan.org][1]) でも確認できる。

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## 2. 生活保護コスト

項目 最新データ 出典
---------------------------- ----------------- --------------
生活保護国庫負担金(2022・令和4年度当初) 約 3.7 兆円(国が3/4負担厚生労働省資料
保護人員2022年度月平均) 2,024,586 人 厚生労働省被保護者調査

### 年間コストの試算

負担分 3.7 兆円 ÷ 2.02 百万人 ≒ 1.83 百万円/人・年

国が3/4、自治体が1/4を負担するため、総事業ベース では

3.7 兆円 ÷0.75 ≒ 4.93 兆円 → 2.44 百万円/人・年

- 県資料でも「1世帯あたり年間2,063 千円(月額17.2 万円)」という実績値が報告されている 。

- 単身高齢者現金給付部分(生活扶助住宅扶助)は概ね月7〜9万円(年80〜110万円)だが、医療扶助が平均でほぼ同額上乗せされるため、現金給付額だけで全体コストを論じるのは不完全。具体的な扶助基準例は厚労省Q\&A や各労働局資料確認できる。

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## 3. 比較評価

区分投稿公的データによる試算
------- ---------- ----------------------------------
刑務所コスト 300〜400 万円 約 470〜550 万円(全額)
生活保護コスト100〜150 万円 約 180 万円(国負担のみ)〜 240 万円(国+自治体

方向性 : 刑務所の方が高コストである点は事実

規模感 : 最新の統計を用いると、刑務所 : 生活保護=約2 : 1。投稿の「約3 : 1〜4 : 1」は過大。

原因 : 刑務所側は人件費施設費が大きく、生活保護側は医療扶助コストの約半分を占める。直接給付だけを比較すると差が開き過ぎるので注意が必要

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## 4. 信頼できる情報の探し方

1. 刑務所コスト法務省矯正局の予算資料犯罪白書に集約されている。

2. 生活保護コスト厚生労働省生活保護負担金(予算)」と「被保護者調査(実績)」を組み合わせると1人あたり金額計算できる。

3. 二次情報個人ブログ等)は、公的統計のどの部分を引用しているか必ず確認する。出典の無い記述エビデンスとして用いない。

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### 主要出典リスト(順不同)

1. 法務省矯正局『刑事施設関係予算概要』(2022年度)

2. 法務省『令和5年版 犯罪白書収容人員統計

3. 法務省『令和2年版 犯罪白書』直接経費

4. 国立国会図書館レファレンス刑務所コスト

5. 日立財団シンポジウム資料 ([hitachi-zaidan.org][1])

6. 厚生労働省生活保護制度の現状について』(3.7 兆円)

7. 厚生労働省被保護者調査(令和4年度確定値)』

8. 沖縄県資料生活保護費の実態」(世帯年額 2,063 千円)

9. 厚労省Q&A基準例を紹介するサイト基準額表付き)

10. 鹿児島労働局資料最低賃金生活保護比較」(扶助基準

11. 犯罪白書(食費543円/日の預算額

12. e-Stat 刑事施設一日平均収容人員

13. 厚生労働省 医療扶助適正化資料医療扶助が半分)

14. Kagoshima労働局資料(令和5年度比較

15. 朝日新聞記事生活扶助基準検証

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### まとめ

刑務所生活保護ともに投稿金額実態より低い。

最新データでは 刑務所生活保護の約2倍 の公費負担

単純な「現金支給額」だけではなく、医療扶助人件費 を含めた総額で比較するのが必須である

[1]: https://www.hitachi-zaidan.org/mirai/01/symposium/presentation02-03.html "高齢者犯罪における加害と被害 - 日立財団"

2025-05-13

どうして私は日本哲学会が好きになれないのか

私は日本哲学会という学会所属しているが、率直に言って、この学会には多くの不満がある。とくに大会における一般発表の扱いや運営姿勢については、長らく問題意識を抱いてきた。以下は、そのような日本哲学会に対する私的批判提案をまとめたものである

1. 一般発表の扱いがあまりに軽視されている

これが最大の問題である。たとえば、2023年度に早稲田大学で開催された大会プログラムを見てみよう。

https://philosophy-japan.org/wpdata/wp-content/uploads/2023/05/7edb16c626cb708b17bfb11dec3bfa0b.pdf

午前中には、8つの教室一般発表が並行開催されていたが、その裏で国際ワークショップも行われていた。午後の一般発表は5教室での並行開催であった。アメリカのAPAやオーストラリアのAAPといった代表的学会では、より多くの一般発表が並行して行われるため、日本哲学会の並行数そのものは決して多いとは言えない。

問題は、そもそも一般発表の件数が限られているにもかかわらず、それらが必要以上に多くの会場で、短時間に並行して行われているという点にある。大会自体は土・日の2日間あるのだから、せいぜい4会場程度の同時進行とすることもできるはずだ。日本哲学会は、さほど多くない若手の一般発表をわざわざ短時間に詰め込み、複数会場で一挙に処理しているように見える。

なぜそのようなプログラム編成をしているのか。実際のプログラムを見ると、日本哲学会の大会時間の多くが学会主導のシンポジウムや学協会シンポジウムといったイベントに割かれている。つまり、若手研究者を中心とする一般発表よりも、シンポジウムなどを優先しているのである。このような運営は、学術知の共有や若手研究者の育成という観点から見て、極めて問題がある。

学会は、新たな研究の共有、ネットワーキング、そして若手研究者が「顔を売る」場を提供するという重要役割を担っている。大学研究機関での職を目指す院生ポスドクにとって、学会は貴重なアピールの機会であるしかし、現行のように一般発表を短時間かつ多会場で並行開催するとなれば、聴衆が分散し、研究を多くの人に届ける機会が失われる。聴講可能な発表数も限られ、学術知の共有という観点からも望ましくない。

海外学会では、シンポジウム一定時間を割くことはあっても、一般発表をここまでないがしろにする構成ほとんど見たことがない。端的にいって、日本哲学会の大会学会企画イベント時間を割きすぎている。また、シンポジウムワークショップ特定トピックに関心がある人に向けたイベントなのだから、聴衆が集まりやすい午後の時間帯ではなく、むしろ朝一番など参加者が少ない時間帯に配置すべきではないか

ちなみに、2024年度の立正大学大会でもこの傾向は変わっていない。

https://philosophy-japan.org/wpdata/wp-content/uploads/2025/04/5ff3f7b507e8068042523b2c0a431247.pdf

土曜の朝から8会場での並行発表が行われる一方、午後には単一会場で3時間にわたるシンポジウムが開催される。さらに日曜には、朝一番から一般発表と【若手支援ワークショップ】が並行して行われている。若手研究者に関心を持つ参加者が両方に出席できないような設計には、配慮が欠けていると言わざるを得ない。

2. 発表募集(CFP)への消極性

日本哲学会は、大会でも学会誌でも、CFP(発表募集)をメール等で積極的に周知していない。毎年、同じ時期に申し込み締切を設定しているため、「わかる人は勝手に応募してくれるだろう」と考えているのかもしれないが、それでは外部からは閉鎖的に映る。

日本代表する哲学学会であるにもかかわらず、一般発表の件数は極端に少ない。もし財政的に厳しい状況にあるのだとすれば、なおのこと、発表者や論文投稿者積極的に募るべきではないか。より多くの人にとってアクセスやす学会にする努力が、今の日本哲学会には不足しているように思う。

3. 提案

学会主導のワークショップシンポジウムは縮小し、一般発表により多くの時間を割くべきである

一般発表は聴衆が少ない朝一番ではなく、より人が集まりやす時間帯に配置すべきである

CFP(発表募集)はメール等で広く周知し、より開かれた運営を心がけてほしい。

以上が、日本哲学会に対する私見である。なお、こうした一般発表の軽視は、日本倫理学会など他の哲学学会にも共通して見られる傾向であり、その意味で私は日本倫理学会にも同様の不満を持っている。「共通課題」などという制度も、早々に見直されるべきだと思う。

2024-12-18

2024年に読んで良かった6冊の本

anond:20241217085132

読書メモの整理のために便乗。今年の読書文芸短歌仕事の専門書(ソフトウェア開発)が中心だった。

6冊を良かった順で挙げる。

大江健三郎大江健三郎自選短篇』(2014年

本書の長所最初短編から晩年短編までを収録しており年代による作風の変遷をたどれること。

ダントツに良いのは「雨の木」の連作ストーリーは「雨の木」というシンボル高安カッチャンという重要人物の周縁をぐるぐるし続け、いつまでも核心に踏み込まないため、最初は要旨をつかめない。しかし読み進めるにつれその構成多角的な視座を提供するための仕掛けだとわかる。短編であるにもかかわらず印象が何度も覆され、様々な味わいがある。

小説物語意図最初は分からいくらいが丁度いい、というようなことを三島由紀夫が何かに書いていたが、全くその通りである構成や内容が三島由紀夫豊饒の海」と少し似ている。豊饒の海は松枝清顕(早逝した親友)の生まれ変わり(と推測される人物たち)を数十年追い続ける物語で、ラストシーンでは清顕の存在自体が薄らぎ核心にぽっかり穴があく構成なのだが、大江健三郎「雨の木」もシンボルの雨の木の周縁をさんざんなぞった結末として木自体がほぼ焼失してしまう。「豊饒の海」は仏教死生観や死者に対する忘却根底に据えられているのと同じく、「雨の木」も死生観忘却(作中ではoblivion表現される)が重要テーマであるテーマに対するアンサーは正反対だが。なお先に書かれたのは「豊饒の海」。

物語の道具立てとして海外大学におけるシンポジウム海外作家引用原爆問題があり、衒学的な雰囲気を作っている点もわたしの好み。

「奇妙な仕事」などの最初短編はさすがに時代を感じる。「セヴンティーン」は発表当時右翼団体から脅迫を受けるなどかなり真剣に世の中に受け止められたようだが、令和の目線ではカリカチュアライズが激しく、大江健三郎絶対ゲラゲラ笑いながら描いただろうというノリの良さが全編にみなぎっている。また当時は右翼に対する攻撃という見方大勢だったようだが、左翼側の非論理性も指摘する内容のため、私の感覚では左翼小説と思わない。

最後の「火をめぐらす鳥」は大江健三郎流の引用の繰り返しや観念世界に入り込む構成といったスタイルを貫きつつも、おそらく意図的に情報量を落としており、ゆとりと円熟を感じさせる。

佐々木正美『子どもへのまなざし』(1998年

乳幼児育児の心構えを説く名著。以下は印象に残ったポイント

今年は家事育児ワンオペ + フルタイム勤務に忙殺され、子供への対応が雑になっていることを自覚しつつも改善策を見出せない期間が年末近くまで続き苦しかったが、本書の心構えを持っておくことで自信をもって育児ができるようになった。

夏目漱石私の個人主義」(講演1914年、底本1998年

夏目漱石1914年学習院で行った講演録。青空文庫で読んだ。https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/772_33100.html

ごく短く、読むのに30分もかからないが、内容はキャリア論、社会思想フェミニズムにまでわたる。

キャリア論の概略は以下の通り。

どこかに突き抜けたくても突き抜けられず、何かを掴みたくも掴めておらず悩んでいる者は、どこに進めばよいかからない以上、何かにぶつかるまで進む他ない。自らの個性で行けるところまで行ってツルハシで何かを掘り当てれば、自分なりに道を作ってきたことに安心と自信が生まれる。反対に、行けるところまで行かないかぎり、悩みと不愉快が一生ついて回る。

昨今は会社員主体的キャリア開発が求められる一方で、異動を会社の都合で命じられたり、顧客への責任第一に優先すべきという考えもあり、主体性を発揮してばかりいられないという板挟みを感じていた。しかし「私の個人主義」を読みとりあえず行けるところまで行くしかないと開き直ることができた。

社会思想については、自らの個性尊重すると同時に他者尊重しなければならないとか、裕福な人間は相応の責任を負うべきだ、など。

岡野大嗣『うれしい近況』(2023年

岡野大嗣の歌集まり短歌がたくさん載っている本。

いわゆる秀歌、つまり散文と異なる詩的な文体で、細部の描写を通じ、多層的な意味表現する、という歌ではないものが多いが、わたしは好き。岡野大嗣の中ではいまのところこれがベスト歌集

ボーカルの話すうれしい近況のうれしいピークで鳴るハイハット

ライブの楽しさが伝わる。ドラマーボーカルトークに関心を持ってきちんと聞いておりハイハットで反応してあげるという仲の良さがほほえましい。

どの店もゆかいな高低差の街でみるみる減っていく体力だ

高低差、という単語発見したのがこの歌の成果だと思う。坂が多くておしゃれな店ばかりの街で、ついつい歩きすぎて疲れてしまたことの充実感が歌われている。

ぼろ負けのオセロぜんぜん悔しくない広いソファーに変なあぐらで

オセロ相手との関係性を想像させる表現が巧み。"広いソファー"もゆとりある生活を感じさせ心地よい。

冬目景百木田家の古書暮らし』1~5(2022年2024年

漫画

冬目景は遅筆だが近年は順調に出してくれていることに、まず安心する。

冬目景恋愛モノが多く、登場人物たちがうじうじ悩みながら自分意志で一歩を踏み出していく様子を丹念に描いていることが、本作に限らない多くの作品の特徴。本作も登場人物おっかなびっくり、逡巡しながら実に遅々たるペースで接近してゆく。時には後退することもある。しか自分意志で進むからこそ人間味があり、納得感がある。

たこれも冬目景作品共通の特徴だが、登場人物基本的に善人ばかりであるものの皆わりと淡白コミュニケーションが暑苦しくないところに品の良さがある。

そして最大のポイントとして絵がわたしの好み。

劉慈欣『流浪地球』(2024年

中国SF短編集。「中国太陽」が最良。「良いSF未来技術ではなく技術がもたらす新たな社会を描く」ということをアシモフ小松左京高千穂遥あたりの誰かが言っていたが、その好例。SFなのに人生の苦労と発展にフォーカスしておりすごくウェット。

『三体』はまだ読んでいないが読むべきかな。

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