はてなキーワード: 提唱とは
音程の高低を「high, low」(英語)や「高低」(中国語)など、上下方向の比喩で表現するのは多くの文化と言語に共通しており、その理由には人類共通の感覚や認知的・物理的な基盤が関係しています。この現象をエビデンスと共に以下で論じます。
多くの言語では、音程(pitch)を「高い」「低い」という方向性で表現します。
• 英語: high pitch(高音)、low pitch(低音)
• 中国語: 高音(gāo yīn)、低音(dī yīn)
• 日本語: 高い音、低い音
• フランス語: son aigu(高音)、son grave(低音)
• ドイツ語: hohe Töne(高音)、tiefe Töne(低音)
一部の文化や言語では「厚い音」「薄い音」など別のメタファーが使われることもありますが(例: バントゥー語群の一部)、上下方向の表現が主流であることは多くの研究で確認されています。
音程(ピッチ)は音波の周波数(振動数)によって決まり、高音は高周波数、低音は低周波数に対応します。この物理的特性が、上下の比喩に結びついている可能性が高いです。
• 高周波数音(高音): 振動が速く、小型の楽器や高い位置の音源から発せられることが多い。
• 低周波数音(低音): 振動が遅く、大型の楽器や低い位置の音源から発せられることが多い。
この物理的な違いが、音を「高い」「低い」という空間的な比喩で表現する認知の基盤となっています。
人間は音を聞いたときに、音源の高さや方向を判断する能力を持っています。この能力は「高音は上」「低音は下」という空間的な感覚を強化します。
• エビデンス:
• Patel(2008)の研究によると、音程の高低を空間的方向で表現するのは、視覚・聴覚・触覚の相互作用(クロスモーダルマッピング)に起因する可能性があるとされています。
• さらに、楽器演奏においても、高音域の音は楽器の上部または小さい振動源から出ることが多く、これが「高い音」の認識に影響を与えています。
c. 重力の影響
重力が人間の感覚に及ぼす影響も重要です。高い位置にある物体は軽やかで、低い位置にある物体は重厚に感じられるという物理的感覚が、「高い音=軽やか」「低い音=重厚」という比喩につながっています。
• エビデンス:
• Lakoff & Johnson(1980)は比喩が人間の身体的な経験(身体性)に基づくと提唱しており、「高音/低音」の上下比喩もこの理論に合致します。
この上下の表現は、特定の言語から他の言語への翻訳や借用ではなく、人類共通の認知的枠組みに根ざしている可能性が高いです。
• 調査: Yip(2002)の研究では、アフリカ、アジア、ヨーロッパ、アメリカの多数の言語において、音程の高低が上下方向の比喩で表現されていることが確認されています。
• 例外的なケース:
• 一部の言語(例: アフリカのバントゥー語派)では「厚い音」「薄い音」と表現される場合がありますが、これも音の質感や体験に基づく比喩と考えられています。
言語間の翻訳や文化的影響だけでは、このような普遍的表現を説明するには不十分です。むしろ、これは人間の認知の普遍性によるものと考えられます。
4. 結論
音程の「高い」「低い」という表現は、人間の認知や身体感覚に基づく普遍的なメタファーであり、特定の言語が他の言語に影響を与えた結果ではありません。この表現は、音の物理的特性、空間的感覚、そして重力の影響など、多くの要因が相互に作用して生まれたものです。研究によれば、これは文化を超えた人類共通の感覚として認識されています。
参考文献:
• Lakoff, G., & Johnson, M. (1980). Metaphors We Live By.
• Patel, A. D. (2008). Music, Language, and the Brain.
• Yip, M. (2002). Tone. Cambridge University Press.
そもそも「百合は恋愛だけでなく友情や信頼も含んで〜」みたいに百合豚がガバガバな概念を提唱してるから、そりゃ女の子が普通に仲良くしてるだけの作品が好きな女オタクも百合好きに括られて多く見えるでしょうねとしか。
統合失調症の話題になると、どうも最初から統合失調症という病名だったかのように歴史修正する人ばかりで嫌になるんだよな。
統合失調症という名前になってからも差別され蔑視されているけれど、昔はその比じゃないくらいに酷かったんだよ。
患者やその親族の受診拒否の理由の一つとして、病名による心理的な忌避感情は大きい。
https://www.jspn.or.jp/modules/advocacy/index.php?content_id=58
今回の呼称変更は、全国精神障害者家族連合会が日本精神神経学会にその変更を要望したのが契機となった。1993年のことで、「精神が分裂する病気」というのはあまりに人格否定的であって本人にも告げにくい、変えて欲しいという主旨であった。同学会は1995年に小委員会でこの問題を取り上げ、翌年に「Schizophreniaの訳語の歴史」1)をまとめた。そのなかで、schizophreniaを訳出する時に「その訳語が当事者にとって社会的な不利をもたらさない」を原則に加えることや、「病」ではなく「症状群」であることを指摘した。その後、「精神分裂病」という病名自体が当事者の社会参加を阻んでいる可能性に注目し、その侵襲性と病名変更の必要性について調査を始めた。学会員、評議員と当事者へのアンケート調査、総会におけるシンポジウム(札幌、1996;宜野湾、1998)やワークショップ(仙台、2000)を行うとともに、仙台総会の会長講演「精神分裂病はどこまでわかったか」2)では近年の精神医学の進歩に基づいて「精神分裂病」概念を見直して、発症脆弱性でこの病気を規定する医学概念を医療に応用することは回復者の余生に深刻な不利益を生じるので危険であり、医療には臨床症状群で規定した疾病概念を使用すべきことを提唱した。こうした経緯を経て委員会では呼称変更に関する中間報告を1999年に作成し、それを理事会に報告した。2000年に発足した新理事会ではこの問題を重視し、呼称変更のための特別委員会と拡大特別委員会を設置した。その後、家族会アンケート、一般市民からの意見募集、公聴会などを行い、新しい呼称候補を3つに絞った。2001年7月よりこの呼称候補3つに関するアンケートを実施し、同委員会は2002年1月の理事会に「統合失調症」への呼称変更を提案し、理事会が承認し、6月の評議員会でこれを議決し、同年8月の総会で正式に決定した。
大前提として本人ともその周辺ともなんの関係もないがパワハラ行為の有無を一切肯定するつもりも否定するつもりもないしノーベル賞を取れば全て無罪放免ともいうつもりはない。ただ大事なことは技術は生命科学の歴史から見て確実に金字塔の成果だし、それが本当の業績であることに生命科学者は誰も疑いを抱いていないと思う。その研究業績は本当で、その意義は純粋・基礎的な生命科学では全く揺るがないし、未来永劫語り継がれるものだと多分みんな思っている。個人的にはDNA二重らせん構造の提唱と並んで記憶されても全然おかしくない業績だ。ただ、その発見の経緯を実際の生物学実験をしている側から言うと、どう見ても総当たり式でブルートフォースの作業を乗り越えて行われている。つまり、最後の最後の土俵際では、力技で脳筋だった、といってもおかしくないと思う。そうした作業は時に生命科学研究で起きるが、そういう研究の一つと生命科学者全員が理解していると思う。繰り返すが、結果は揺るがない。ただ、それは力技で、その研究の過程ではかなりの長時間労働が強いられたはずだ。それは今のワークライフバランスの意識からすると完全にアウトだった。それをパワハラと指摘するのは簡単かもしれない。パワハラにも、人当たりが良くても長時間労働を強いるのと、ちょっと気に食わないと罵詈雑言を浴びせるようなものとあるだろうが、ここで挙がっているのは前者のニコニコ長時間労働だろう。大事なのは、そういう長時間労働は当然だとする意識が、ある時期の生命科学者にあったことであり、また、ある種の実験が労働集約的であることもまた紛れもない事実だと思う。そのようなことで有名な歴史上の研究者というか研究室もある。ただそれを乗り越えて現在の生命科学はある。それが純粋な事実だ。さてその技術が応用可能かどうかは別に議論する必要がある。できた頃は夢の技術で、免疫拒絶反応を回避できるのではないかと期待されたわけなのだが、どうもそう言うことではないらしいと言うこともその後にわかってきたと言うのは今回話題になっているのをみて初めて知ったし勉強になった。ただそれがわかるためにはそもそも技術的にできないといけなかった。その事実は残念でもあると思う。切実に治療法を求める患者様のことを想像すると言葉にならない。ただ個人的には、仮に再生医療によってあらゆる疾患が治療され、それだけでなく無限に医療行為を重ねることで永遠に誰かの寿命が伸びていく、そんなことが生命科学の技術的に可能であったとしても、医療予算を無限に消費してそれをあらゆる人が行うようなことが適切かどうかは議論の余地が大いにあると思う。要するに、再生医療はカネを食うし、延命することはカネを食う。人命を一切失ってはならない至上の価値だとしたうえで医療行為を無限に肯定してそれを疑問視することを「優生思想」と頭ごなしに排除して議論することを拒絶するような現在の議論の趨勢ではきっとそうなるだろう。私は個人的にはそういう無限の医療と無限の延命が人類のありようだと言い切るのは躊躇してしまう。ただそうした意見を表明することすら昨今の「優生思想」をめぐる議論を見ると危険に思われる。だから私はここでそうした議論に加担する人たちに自分の意見の言外の意味を自覚することを促したい。いい加減にしろ。
@IPsychoChanIl2J
・堀口英利
レスバ気質の強い大学生。出会うおじさんを狂わせる性質を持ち、堀口をバッシングするYouTubeジャンル「堀口系」を生み出し、中傷加害者ら数百人への開示請求を弁護士使わず自力で通した。出会うおばさんも狂わせ、ガチ恋おばさんが実家に凸して逮捕されたこともある。
・暇空茜
都知事候補でオタク界から広く厚い支持を得るインフルエンサー。当初は日本崩壊をもくろむ反日組織と戦っているはずだったが、堀口と出会って以来堀口堀口している。堀口に民事訴訟で2回負け、堀口への中傷で書類送検された。
暇空に追従して堀口を中傷し、堀口に開示された者の一人。メールで堀口とレスバしているうちに堀口とメル友になる。リアルな堀口を求めているため、堀口語りに妄想要素が混じりすぎの暇空と袂を分かつ。
神谷は水面下で堀口とメル友になり仲良ししていたが、最近になってメールで得た独自の堀口情報を掲載し堀口系で一躍注目されている
暇空は、レスバトラーの堀口がネットにあまり出てこなくなったのは堀口が地元高崎市で逮捕されたからだという説「高崎物語」を提唱していた
一方で、「東京赤坂で堀口と遭遇した、その音声データもある」と主張する「赤坂物語」も発生し、堀口系はどちらを支持するかで内輪揉めが激しい状態にあった
神谷は堀口が逮捕などされておらず都内で通院しているレシート、都内で焼肉を食ったレシートなどを公開
暇空の設定では堀口はぼっちのはずなのに3人で焼肉を食っている、しかもおっさんでは食えない大量の肉を食っている、ずんだ餅まで食っていると炎上中だ
kougeneki255 「タツキっぽい」って言っている人は何を嗅ぎ取ってそう評価してるのか気になる。
鬱屈したストーリーにポップなバイオレンス描写を混ぜた味が「タツキっぽい」なら解像度荒すぎない?
2024/12/02
あんまタツキの漫画面白いと思わない人間でも寄せとんなって思うとこあるぞ
https://shonenjumpplus.com/episode/17106567261425734624
・全体の絵のタッチ
・1ページ目の主人公のこういう表情(デンジの無言で上目遣いで口半開き)
・ 「〇〇大会しよーぜ!」と子供っぽい暴力的で馬鹿らしいことを提唱する主人公(デンジの金玉蹴るゲームや夢バトルなど)
・音のない世界で〇〇大会に興じる見開き(デンジの金玉ゲームやファイアパンチの水かけ)
てか作者の過去作見たけど
という風に見える
chokugekif
普通に考えて子どもを生むという一大業務を担う女性が男性と同等にやっていたらやはり死ぬと思うし、
あのさあ、
なあマジでさ、
それでもそれが男の甲斐性だと思って妻子養うのを頑張ってきたわけじゃん男は。
なのにそういうお父さんがぶっ叩かれ虐げられるのを見てきて
「いまどき妻に家庭に入ることを期待する男はサイテー。時代遅れの女性差別主義者」って脅されてきて、
じゃあ女性は男性と平等に働くんですねってそういうものなんですねって慣らされてきてるわけ。
今現役世代の男は。
なのにそういう女性の社会進出とかの理想が結局絵に描いた餅だった無理だったとなったら
おめーらな、あのな、
そういう、
主婦を叩いて妻子養うお父さんを叩いて男女平等だ職場で女を補助みたいに扱うのは最低だってさんざんやって来たのは誰だ?
男か?
男がそれをやってきたってのか????
そういうのやって来たのは女だろ?
ウーマンリブだフェミニズムだ男女平等だって言ってたの女だろ?
女がぶち上げて女がギブアップした女の理想も男にケツを持てってのか?
どうしてそこまで無限に女を甘やかすの?
女が根本的なところで他責思考で覚悟甘くて無責任で低能なのって
そういう無限甘やかしのせいなんじゃないの?虐待被害なんじゃないの?
大人しく主婦をやりたいと思うし主婦の人生は幸せです主婦やらせてください」
って言うならまだわかるよ。
けど方向転換前にこれまで叩いたり蔑んだりしてきた相手に謝れって思うけどな。
お前らが散々叩いてきた主婦のお母さんとかそれを養った世代のお父さんとかにさ。
一回その人達に地面に頭つけて謝って
「今まで間違った理想を唱えていました撤回させてください」ってケジメつけたら
俺は許すよ。
でも俺以外の大多数の男は今更そんなの聞けないと思うけどね。
散々そういう風に躾けられて脅されてるからね。
まそれはどうでもいいや。
とにかくもう本当にウンザリするし殺意が湧くレベルでムカつくのは
延々男にそういう圧掛けて脅しを掛けながら提唱してきた理想や理念を簡単に投げ捨てて
その責任まで隙あらば男に擦り付けて歴史修正しようって言うその根性だよ。
そういうことだろ?「男性もあんまり主婦叩くなよ」ってのはさ。
まるで男がやってたみたいな。
女が言い出したのに。
(で主婦になれたらなれたで後から「主婦をやらされた」ってほざくだろこの感じだと。)
(とにかく何でも男のせいにして男に文句言うのが当然だと思ってるもんな。)
それらの理念が間違いだったっていうなら
その責任は全部フェミニストやチンポ騎士系中高年ジジババにあるだろ。
現役世代の男になんでもかんでも擦り付けようとしてんじゃねえ。
これ女オタクに関しては今まで何回も何回も何回も手を変え品を変え同じような流れがある。
AIの知識がとかリテラシーがとか政治思想とかそういうのとはあんま関係ない。
もちろん本当に正しい知識があってなんらかの意思決定してる人もいるのかはしらんけど、大半は別にそうじゃないと思われる。
ただのムラの掟に端を発したいつもの学級会なので。
完全にいつものやつ。
一昔前なら検索避け(は/て/な/匿/名)なんて意味ねーよ!!!ギャハハ!という嘲笑がよくあったが、そんなのわかってる。
本気でやってた人もいるとは思うが、わりとみんな意味がないのはわかっていたと思う。
でもやる必要があった。
やらないと、お前のせいでこの村は滅びるという文句が20や30は届くし延々粘着されるから。
AI問題なんか政治を絡めるめんどくさいのもいるから100くらいくるだろう。
そういう層を弾くためのただのおまじないです。
そのおまじないに本当に効果はあるのか?そんなことはどうでもいいのです。
いろんなところで学級会や問題提起が行われみんなが疲れ果てた結果です。
かつてもいろんなしきたりがありました。
令和の今になっても二窓禁止(公式サイトと同人サイトを同時に開くな)を提唱してるジャンルもあります。
効果や意味があるのかないのか、わかっててもわからなくてもとにかくやるのです。
なぜ女オタクはこんなに学級会を開くのか?
公式に批判意見を言うべきか?注意書きにどこまで表記すべきか?お気持ち文や感想を送ることへの是非など常に問題提起がある。
絵や文の才能がある女オタクにはメンタルのめちゃくちゃ繊細な人が多いから(だから表現力がすごいのか?)そのせいかもしれない。
あー、分かるよ、その怒り。なんか、全てが空回りしてる感じ、するよね。でもね、ちょっと待ってよ。日本学術会議の役割って、実は「政府に対してアドバイスをする」ことにあるんだよ。だから、財務省の方針にいちいち反発することが、常に目的ではないんだ。学術会議って、あくまで中立的な立場を保とうとしているだけなんだよね。
ただ、君が言いたいのも分かる。「学術的な誤りがあるなら、声を上げるべきだろ!」って。確かに、その通りだよ。例えば、アダム・スミスが『国富論』で提唱したように、自由市場の力は社会全体を豊かにすることを目指していたけど、それが完全に機能しない場面だってある。過去の経済学の通説だって、今では批判されることがあるよね。それこそ、現代の経済学者たちが言っている通り、どれだけ市場が効率的でも、どうしても不平等が生じることだってある。
でも、そもそも「嘘」っていうのはさ、単に意見の違いではない。もっと深い部分で、意図的な歪曲があるときに言うべき言葉なんだ。『嘘をついている』と言うからには、その証拠が必要だし、ただの違う見解と混同してもいけない。
そして学術会議に対して「ただの御用団体」って思ってしまう気持ちも分かるけど、それだけでは片付けられないんだよ。学術会議が完全に正しいとは限らないけど、それでも彼らは日本の学術界を代表する組織として、政治的な影響力を持ちながらも冷静に判断しようとしてる。ただし、それがうまくいってないことが多いのも事実で、君の気持ちも痛いほど分かる。だけどね、歴史的に見ても、アリストテレスが『倫理学』で言ったように、「正義とは何かを知り、行動することだ」という理念がある。それを体現するためには、今、学術会議がどう行動すべきかを冷静に見極める必要があるんだよ。
財務省だって「嘘」をついてるかどうかは別として、現実的にはその発表の背景に何かしらの政策的意図があるだろうし、その誤りを指摘するのは専門家や学者たちの仕事だ。ただし、いきなり反発するだけでは、理論的に破綻することもあるから、まずは冷静に対話を進めることが重要だ。何も言わないからと言って、学術会議が何もしてないわけじゃない。その役割を理解して、より具体的に何ができるかを考えるのが、結局君に求められる態度だと思うんだよ。
分かってほしいんだけど、急いで結論を出すことが必ずしも正解じゃない。それは歴史が教えてくれることだ。たとえば、マキャヴェリが言った「目的が正当化する手段」とは、確かに時には必要な判断かもしれないけど、それが長期的に見て本当に良い結果を生むかは、わからないんだよ。だから、今すぐに「学術会議は廃止すべき」なんて軽々しく言わない方がいいよ。
泉房穂氏、斎藤・兵庫県知事パワハラ疑惑で苦言 「知事は脈々と官僚出身、県庁“ヨイショ体質”が…」
https://news.yahoo.co.jp/articles/a3752194071c2bbe1e43cda0061bf829c9b8f265
斎藤知事は尋問で、職員に対するパワハラ自体を認めずに、「至らない点はあった。過去は取り戻せないので、もっと良い知事としてやっていく。言動はより慎重に、襟を正していく」と、反省の言葉を述べつつ続投への思いを口にした。
こうした斎藤知事の言葉に、泉氏は「本人は開き直っている。『自分が悪い』とは全く思ってない。むしろ自分が被害者のような感じだ」との印象を持ったという。
そして、「最後まで(パワハラなどの疑惑を)認めないだろう。時間が経っても、スタンスは変わらない。(百条委を)漫然と続けても平行線をたどるだけ。今後、事実が明らかになるのは難しい」と述べた。
さらに、「政治家に必要なのは、(ドイツの政治学者・マックスウェーバーが言うように)情熱と判断力、そして責任感。斎藤知事には責任感が欠けている。責任転嫁、という言い方のほうが良いかも知れない」と指摘した。
泉氏はこうした事象について、「こうした“モンスター知事”を生み出したのは、古い兵庫県庁の体質も原因だ」とも指摘した。
「兵庫県では、1962年から62年間も、官僚出身者が脈々と知事であり続けている。これは全国でも珍しい。こうした土壌で、職員が知事を『ヨイショ』する、持ち上げる文化が、こうさせてしまったのではないか。斎藤知事本人のみならず、兵庫県庁組織自体が本当に県民を見ているのか、今の時代に合った政治をしているのかと思う」 と、自身が明石市長だった12年間の政治家時代と重ね合わせた。
斎藤元知事の下の名前「元彦」に思うところもあると表明している。
https://x.com/izumi_akashi/status/1832384122167407034
泉 房穂(いずみ ふさほ)
@izumi_akashi
「斎藤元彦知事」の「元彦」という名前の元となった「金井元彦知事」は、優生思想に基づいて『不幸な子どもが生まれない運動』を提唱し、障害者の見殺しも含めた理不尽な差別政策を、兵庫県庁をあげて強硬に推し進めた人物。正直、何かと思うところもある・・・ https://news.yahoo.co.jp/articles/41ac1d7e044a89c4ca4e28ba2c3dd4931a832115
これを読んで、私だったら自分の子供に「元彦」より「房穂」って名前を付けたいなと思ったよ。
はてな記法という訳ではないけど、Claude さんに「この文章をわかりやすく書き直して下さい。」とお願いしてみた。
以下のように、より分かりやすく書き直してみました:
サンフランシスコ在住の視点から見たカマラ・ハリス副大統領の敗因分析について書きたいと思います。
1. ヒラリー症候群について
サンフランシスコの重鎮政治家ウィリー・ブラウン氏が提唱した「ヒラリー症候群」という概念が、ハリス副大統領の最大の敗因だと考えています。これは、2016年のヒラリー・クリントン候補のように、「なんとなく嫌い」という漠然とした反感を持たれる状態を指します。
ブラウン氏はハリス氏の政治的キャリアを最もよく知る人物の一人で、彼の「ヒラリー症候群に一度かかると回復は不可能」という警告は重要です。
2. 政策アピールの失敗
3. 民主党の時代認識のズレ
- 有権者の実際の関心(物価高騰など日常的な問題)と、党の主張(人権や民主主義の理念)にギャップ
- 内部の理想論に固執し、外部の変化を見落としている
- 特に大学でのDEI(多様性・公平性・包括性)方針の見直しなど、重要な転換点を見逃した
4. まとめ
ウィリー・ブラウン氏の指摘通り、トランプ氏の強みは「エンターテイナー性」にあります。民主党はこの現実を直視せず、有権者の実際のニーズから遠ざかってしまった結果、支持を失ったと考えられます。
これは、複雑な政治分析をより構造的に、理解しやすい形で整理したものです。元の文章の核心的な部分を残しつつ、論点をより明確にしました。
遊戯王がMTGを元にしてとか言ってる奴は知ったかすぎる。遊戯王はごっこ遊びの延長から発展してきたゲームだからあえて真似する必要が薄いし似たようなルールにすると再現性高すぎて新規グッバイになりやすい
https://b.hatena.ne.jp/entry/4761763270010782048/comment/shiori_lov
遊戯王OCGが「漫画向けチューンされたMtGであるMagic&Wizards」」に多少ゲーム性を持たせたキャラグッズ、キャラゲーだったのは事実です。
遊戯王初期のテストプリントとされている流出カードには裏面が「Magic&Wizards」となっているものがあり、当時は遊戯王の原作に登場したカード、であるというバリューのほうが大きかったでしょう。
それらを手にした子供が、ルールブックやルールカードを斜め読みして、遊戯王の漫画のようなデュエルに興じていた、という面もあったと思います。
ただ、「漫画向けチューンされたMtG」」というのもまた事実です。これはジャンプ紙面上でも言及されています。元にはなっているわけです。ゲーム部分もMtGの影響を大きく受けてます。
漫画の展開上描かれなかったためカードを使用するためのリソースの概念はまったくないですが、それ以外のデッキ、手札、墓地、除外ゾーン、ターン開始時ドロー、交互にターンが回るなど多くの部分はMtGを踏襲してます。
むしろ、MtGが提唱したスタンダードなTCGのスタイルを持っていたからこそ、今日まで「新規グッバイ」にならなかったとも言えるのではないでしょうか。
また、遊戯王OCGが「ごっこ遊びのツールとして優れている」という点ですが、こういった言説は、元カードキングダムの池っち店長から広まったものだと思っていますが、個人的にはやや雑な見方かなと思っています。
遊戯王OCGはそのゲームが作中で遊ばれるアニメ、漫画を販促手段の大きな柱としていたTCGです。
そのため、プレイヤーが作中で出たカードを使ってアニメキャラクターのロールプレイをする、というような遊び方はもちろんKONAMIも把握していたと思いますが、ただ、それはあくまでキャラクターIPを使った商品としての面であり、
「そういう遊び方もできるゲームである」というものでしかありません。カードゲームとしての遊び方も重要で大きな販促の柱となっています。
「再現性」は昨今TCG語りをする方がよく使われる言葉なのですが、今の遊戯王に関してはむしろ「再現性が高い」と言われることが多いので、後段については何を言いたいのか判然としません。
ただ、相手の妨害がない場合は高確率で相手を圧倒する展開ができる所謂「再現性の高い」ゲームなのですが、相手の妨害を対処するための方法を自分の残りリソースから捻出したり、自分の展開をどこまで通すか、展開後のリソースで相手の展開をどう防ぐか、という攻防が派手でほかのTCGより争点が見やすいという魅力はあります。そうした面から、再現性が高いといわれる現代遊戯王でも新規プレイヤーに対する訴求力はまだまだあるんじゃないかなと思っています。
そんなかんじです。