はてなキーワード: 立大とは
私の祖父は内閣調査室の職員だったので、その仕事について書いてみたい。といってもまだきちんと 調べたわけではなく、どのくらい記録が残っているかも分からない。
聞かされた話などではハワイ移民してサトウキビ畑労働者になり、カリフォルニア州立大を卒業し、ハワイで移民コミュニティがストライキを起こした頃にハワイ移動し、ハワイ大学の研究室のアシスタントになり学生の集団日本旅行の添乗員をしていたということ。
また万宝山事件のころ帰国して翻訳業、開戦で米軍捕虜付き通訳、熊本に疎開して郵便検閲係、その後郵政省(かんぽ関係かも。私は知らないうちに生命保険かけられてた)と聞かされていたが、内閣調査室の任官記録があった。吉田茂の見張り役か。ハワイで突然できたらしい彼の親戚は米軍関係者だし、終戦後数年は占領政府がいた。
前提、まずは私の母の話。
母は何でもできる人だ。
小学校から名門学校に通い、大学は某国立大学。はっきり聞いたことはないけれど、思い出話を総合するとずっと主席(もしくはそれに近い存在)。
母の教育方針に、「答えを簡単に教えない」というものがあった。
人に聞いて簡単に得た知識はすぐ忘れてしまう。だから、試行錯誤して自分で答えにたどり着くべきだ、と。
これ自体はまあ、その通りだと思う。
例えば、本を読んでいて、知らない単語が出てきたとする。
で、近くにいる母に、「これどういう意味?」と聞く。
すると母は部屋の一角を指さして「そこにあるのは何?」と質問を返す。
母が指さすのは分厚い広辞苑。
これで質問タイムはおしまい。私は一人、重たい広辞苑を本棚から引きずり出して単語の意味を調べる。
「え、そんなことも知らないの?」
大げさに目を真ん丸に見開いて、びっくりした顔で、おどけた風に言う。
そして数秒、そのままの顔で私を見つめる。
多分、本気半分、冗談半分だったのだと思う。
その年の子がその単語を知っていることは当然だと、母は本気で思っている。母自身がその年齢だった頃にはその単語を知っていたからだろう。自分が読書好きに育てた子だから、なおさら。
ただそれをそのまま言うのははばかられるから、ちょっとおどけて言ってみているだけ。毎度そう言うのはもはや鉄板ネタみたいな。
それが堪らなく嫌だった。
驚いた母の顔を見る度に自分の愚かさを突き付けられる気がして心底惨めになった。
今思えば、母に懇切丁寧に教えてもらいたかったのかもしれない。言い換えるなら甘えたかったのかもしれない。
いつの間にか、母に何かを聞くことは避けるようになっていた。知らない単語に遭遇したら一人で広辞苑を開くようになった。
母の教育方針が良かったのか、幸運にも私も母には遠く及ばないが、ほどほどに誇れる程度の学歴を手に入れた。
同時に、他人に何かを聞くことが全くできない人間になっていた。
分からないことに遭遇すると、他人に何かを聞いて解決しなければならないときになると、おどけて驚く母の顔が脳内に浮かんで何もできなかった。
あらかじめ他人の言動をとにかく観察し、脳内で何度もシミュレーションし、自分が絶対に失敗しないように。そればかり考えて過ごすようになった。
例によって空気を読みながら仕事を無難にこなしていたが、ある時かなり大きな失敗をやらかした。
詳細は省くが、原因は私がその日の業務を正しく理解していなかったことだった。そのせいでお客さんに迷惑をかけて社員さんに尻拭いをさせてしまった。
「なんで何も聞きに来なかったの?きっと分からなくて確認に来てくれると思って待ってたんだよ」
怒ってる、という感じではなかった。
静かに諭すように言われた。
衝撃だった。大人に質問するのは悪いことではないのかと。馬鹿にされるようなことではないのかと。
寧ろ聞きに来てほしかった、と言われて、それは許されることなのだと、自分の価値観がひっくり返された。
それ以来、かなり頑張って質問をするようにした。
おかげさまであの時以上に大きな失敗はせずにバイトを終えることができた。
当然ながら新入社員にとっては分からないことだらけ。入社式の翌日の研修では、講師から「貴方たちの仕事は質問することです」と口を酸っぱくして言われた。
ありがたいことに同じ業務の担当になった先輩がかなり優しい方なので、ご厚意に甘えさせてもらってあれこれ聞きながら業務にあたることになった。
先日、先輩から「貴方は何でも聞いてくれるから仕事しやすい」と言われた。
ようやく、小さいころにかかった呪いが解けてきたような気がする。
それでもやっぱり、「これ分からないな」と思った瞬間、目を丸くした母の顔が頭の片隅にちらつく。
注目の科学論文数、日本は過去最低の13位 1位中国、2位米国
増田は某国立大学の工学部で教鞭をとる40代の准教授である。その視点からの話であることはご承知おきたい。
こういう記事のブクマには政策が悪いとか選択と集中が悪いとか色々つくが、社会が構造的に「向いていない」という話を書きたくてここに書く。
みんな気になるだろうから、これを先に書く。
最近になってにわかに科学研究が大事ということになって色々な研究予算が付くようになった。工学部だと企業との共同研究のお話なんかももらえるので、えり好みしなければ研究費を取りやすい環境にある。
どういうことかというと、この手のお金は期限がついていたり使途が決まっていたり、いろいろと紐がついている。そして、必要なところには回せないことが大半なのだ。
例えば人件費。民間企業ではありえないことだが、国立大が人ひとりを無期雇用で雇うためには、退職までの予算を確保することが必須なのだ。国からの運営費交付金や寄付金のような、必ず退職まで支払われることが確実な予算で裏付けないと無期雇用の人を雇えない。民間企業なら、人を雇うときに予め退職までの給料を積み立てておくというようなことはせず、営業を頑張って給料を払うだけの売り上げを確保するものだと思うが、国立大ではそういうわけにはいかない。色々な企業との共同研究を締結し、外部資金を獲得して、その人の給料を確保する、仮にできなかったら身銭を切ると教授が宣言しても、そういう期限付きの契約では無期雇用の人を雇えないのだ。
秘書や事務職員ならまだしも実験機材を維持管理する技術職員とか、研究員とかもこの縛りを受けるので、必要な人を必要なだけ確保することができない。運営費交付金は人件費だけでなく建物や設備の営繕にも使われるのだから、やれ70年代80年代に建てられた校舎の改築だとか、光熱水費だとか、とにかく運営費交付金の増額が望めず物価が上昇し続ける昨今、大学にはお金が無いのだ。
ちなみに、外部資金をたくさん取ってきたからと言って自由に使えるわけでもない。大概の研究費は他の外部資金と混ぜて使ってはいけない縛りがあるので、例えば研究費A で岡山の学会へ行き、次の日から研究費Bで広島の共同研究先で実験をする、みたいな場合でも、いったん大阪の自宅へ帰って一晩滞在することで研究費を分けないといけない。実験機材も合わせて購入するということはできない。100万円の研究費をふたつつかって150万円の機材を買うことはできないのだ。これが研究費は増えてもお金が無い、という事情の内幕である。
昔からアルバイトに熱心な学生やサークル活動に精を出しすぎな学生は確かにいた。最近は就職活動に時間をかけすぎな学生が多い。夏休みはおろか授業期間中もインターンにかかりきりだし、ウェブテストの後で何度も面接をさせられ、いきおい、学生は疲弊している。日中の貴重な時間を研究室ではなく就活に費やし、奨学金や親からの仕送りでは足りない学生はアルバイトまでしているのだから、卒論や修論の質は落ちる。企業はガクチカとか聞く前に、理系の学生を研究室で研究させてあげてほしい。学部生の卒論は半年から1年しか期間が無いのに最後の数か月を除いて就活とまるかぶりだし、2年間しかない修士課程の1年は就職活動で消えている現状で、大学から研究成果が出ないと言われても、どうしようもない。
研究というのは、専門書を読み、先行研究を調べ、仮説を立て、手を動かして仮説を検証し、その結果を文書にまとめるサイクルである。これがきちんとできる学生であれば、どんな仕事に就いても立派に働ける。たぶん。
というか、企業の採用も、もっと必要な資格や能力を具体的に書いてほしい。今どきの学生は真面目なので、特定の資格を持っていると就職に有利だとわかればそれを取るようになる。大学だって国の資格などであれば学科免除などを取りに行って「就職に有利」みたいな売り文句で学生を集めやすい。どんな企業だって欲しい資格や能力は採用時点で分かっているはずなのだから、それくらい明かしてくれてもよかろう。
博士課程の大学院生、というのは研究を進めるうえで大変貴重な戦力である。なにしろある程度は自力で研究を進めてくれるし、そのレベルも論文として世に問えるものである。
ところが、である。ちょっと考えてほしいのが博士課程の魅力だ。日本の博士課程は、基本的には学費を納入して「学ばせてもらう」スタイルである。その分研究テーマの自由度は高いし専門性を高めやすい。一方で、ある程度経済的に恵まれていないと、3年間の生活をどう工面するかという問題が常に付きまとってしまう。最近は、学振の特別研究員のような昔からある登竜門的に限らず、各大学の工夫や国の政策で博士課程進学者を経済的に援助する仕組みが整い始めている。とはいえ、それらに通らなければ学費や生活費を調達せねばならないし、採否の通知は年度末か入学後なので、まったく安心できない。どれほど優秀であろうと研究に向いていようと、金がない学生は就活するしかないのだ。
さらに、就活に際しても博士課程は買ってもらえない。就活サイトを見ればわかるが、技術職採用でも研究職採用でも、博士号持ちの人の初任給は明示されない。修士課程の初任給しか書かれていない。これを見た学生は、修士号持ちと博士号持ちの初任給は同額だと理解する。聞くところによると、博士号持ちの初任給は修士号の入社三年目くらいかそれ以上らしいのだが、書かれていない情報などあてにできないので、就活する側からみると前述の理解となる。これでは、博士号を取っても何も良いことはなさそうである。
欧米ではではの出羽守だが、海の向こうでは、博士課程というのはプロジェクトから人件費を支給される研究員である。仕事の扱いだから労基法にも守られる。しかも、博士号を取れば仕事の口も増えるし給料も上がる。
ドイツなんかに行くと、博士号持ちは英語さえ話せれば仕事に就けるが、修士号まではドイツ語を話せないと仕事がない。Dr. と表札に書けるオマケはさておくにしても、それくらい社会的な扱いに差があるのだ。もちろん、給与の出どころである研究プロジェクトが終わると別のプロジェクトで雇われるまで博士課程を続けられないとか、プロジェクトの元締めである指導教員と相性が悪いと人生大惨事になるとか、いろいろなデメリットもあるが「博士課程の研究員」という仕事に就いている扱いなので、無理だと思うとみんな中途採用で企業に転職したりする。それくらい、普通の仕事の扱いであれば進学者も増えるだろうし、博士号を取っておけば食うに困らないくらいの扱いになってくれれば、みんな喜んで進学してくれるんじゃないかと思うがいかがだろうか。
大学に安定的な予算が十分ないために人を雇えないという話を最初に書いたが、そのツケをどう払っているかというと、パーマネントの教職員が頑張って回している。いや、有期雇用の教職員にやらせることもあるけど。来年度には任期切れで退職するような教員に入試問題を作らせたりされてよいものか?高校への出前講座とかアウトリーチ活動が必要だと言われたときに来年退職する先生を送り込んで誰が進学してくれるのか?定年退職した技術職員の後任は予算不足で雇えませんでした、となったときに機材の修繕を誰がやるのか?それでなくても、学生の就職や研究指導の面倒は必須である。
というわけで、大学の先生は講義以外にもやることがだくさんあるのだ。とても研究をしている場合ではない。雑務と呼ぶ人もいるが、講義や研究以外にも誰かがやらねばいけない仕事なのだから「雑」はないだろう。とはいえ、昔は若手の教員がやっていたような事柄も、若手ほど任期付きになってしまったのでシニアの教員がやらねばならなかったり、幸運にも無期雇用を勝ち取った若手に集中してきたりするので、DXで仕事の効率が2倍になっても仕事は3倍に増えるのだ。偉い先生方は偉い先生方で、改革と称して新しい企画を立てないと予算をくれなくなったので、朝令暮改もいいところのマイナーチェンジでお茶を濁したような企画書をいかに気宇壮大に書き直して追加予算をゲットするかに時間を使っている。夏休みも暇かといえばさにあらず、老いも若きも科研費などの外部資金の申請書と格闘している。倍率が10倍近くても、何とかして手に入れないと満足に研究ができないのだから仕方がない。
ちなみに、大学によって、また学部学科によって異なるが、国立大の教員が競争的資金なしに受け取れる、平たく言うと自由裁量経費みたいなものは、年10万~30万円くらいである。国際学会の参加費が10万円を超え、海外の論文誌の投稿料も10万円くらい取られるこのご時世に、である。どれほど世紀の大発見をしようとも、世に問うためには論文化して論文誌に掲載されねばならず、掲載されるためには投稿料を払わねばならないのだ。そして、その投稿料ともらえる経費がほぼ同額ということは、外部資金が無ければ研究 XOR 投稿という選択肢になってしまう。日本の論文誌であればもう少し安く、数万円で済む。ただ、そういうところに掲載されても「注目の科学論文数」にカウントされることはない。これが現状である。
それにしても、研究をして論文を書いて世に問うためには先立つものが必要で、それが外部資金が無ければ全く足りていない、という状況であるにもかかわらず、外部資金を取るためには論文を世に出さねばならないというのは何とも困ったものである。このあたりの必要経費と割り当て予算のアンバランスはどうにかならないものだろうか。
というわけで、大学の先生というのは、外部資金が無ければ研究ができないために年中予算の確保に腐心しており講義や学生指導は当然やるのだから、研究をしている暇はない。その先生を雇うお金はもちろんそれを支えるスタッフを雇う予算すら、外部資金のようなひも付き予算からは支出できないために全学的に人手不足の状況で、この傾向は悪化こそすれ当面改善する気配はない。代わって研究の主力となりえるのは博士課程の大学院生くらいだが、日本人の学生ほどこっち方面のキャリアに魅力を感じずに就職してしまう。それどころか就職活動は過去にもまして無暗と時間を食うような仕組みになってきており、研究活動でスキルアップさせようもない。これが日本社会の現状である。
お前らは良くも悪くも『団塊左翼老人』を人格的に過大評価し過ぎ。
経歴としては余りにもレアなので細かく書きたくはないが、うちの母親は女子進学率5%っていう当時に某国立大学に入学して学生運動に参加し、卒業後も「おタカさんの社民党」にしか入れないと言い続けてるような、主義主張だけ言えば普通にリベラルって感じの人だが、募金とかボランティアが大嫌い。
自分が貧乏な家から実力でのし上がったという意識が強過ぎて、「自分以下などいない。みんな努力してないだけ」と本気で思っているモラハラ屋。
性根では差別意識が強くて、テレビの外国報道やドラマを見て「日本とは倫理観が違うのよ」なんて平気で言う。
父親は父親で、自分はそういう女と結婚しておきながら、医学部の女子排除ニュースを見ながら「女には学問より料理でもやらせとけ」とのたまう。
要するに、「自分の得になるリベラルな選択肢を選ぶ」ことと、「他人が損な選択を押しつけられても優越感で笑って済ませる」ということが全然平気で両立してるの。
二人とも貧乏な家庭から勉強を頑張って高給取りになった。つまりお前らのねたむ「実家が太い(田舎の保守/都市型リベラル)」なんてパターンとは全然違う、叩き上げだからこそ「リベラル」で叩き上げだからこそ「パワハラ気質」っていうクソめんどうな勝ち組。
これはN=1だから、団塊老人のどれだけがああいう捻れ方をしているのかは知らないが、お前らが属性だけで「団塊老人だから」「◯◯という生まれだから」という話をするたびに、そんな単純じゃねえんだよとため息が出る。
この増田は自分の本音を書いてるだけなので、エビデンスとか出せないよ。ごめん。
増田29歳。
聞かれそうだから自分の状況を書くと地方県立大院卒、新卒で財閥系製造業総合職。月収残業代込み額面約40万、手取り30万ちょい(独身寮の家賃、朝晩の寮食代も天引き済の振込額)。ボーナスは夏冬それぞれ額面100万ちょい。
正直、生活に何も困ってないのもあってネットでバズりがちな「日本は衰退してるんだー」が全然感じられない。ホンマに?
やっかみ受けないように話盛ってるだけじゃない?とずっと思ってる。
大学は奨学金マックス借りて、そのタイミングで父親が年収400万ちょいなのを知ったし、高校•大学は「金無いから国公立以外行くな」って親から言われて滑り止めの私立は全く受けなかった。
塾にも行ったことはない。
社会人になってから人生初の海外旅行でハワイ行ったけど、円安でもっと金かかるかと覚悟して行った割にはそんな高くなかった。
正直言うと、自分がそんな大したことない普通オブ普通の人間だと思ってるから
普通の人間の俺がこれくらいの生活できてるのに衰退云々って嘘ちゃうん。としか思えないのよな。
毎年給料上がってるし。
生活が苦しい人はその人特有の何か事情があるからで、日本だろうがアメリカだろうがドイツだろうが、その人は今と同じ事情を抱えてる限りどこの国でも結局苦労するんじゃないん。日本関係ないでしょ。
でも実際のところは俺の視野と交友範囲が狭すぎるんだろうなあ。トランプ支持者とバイデン支持者が交わらないって話と同じで、俺は本当に苦しい人に会ってないだけとかそんなんなのかもしれない。知らんけど。
違います。「なぜ川勝が選挙に強いのか」の理由は単に「県自民がろくな対抗馬候補を擁立できなかった」に尽きます。
自民の著名人候補は知名度も全国区でなく中途半端で選挙前から「現職には勝てないわ」となる候補ばかりでした。
静岡県は保守的な県民性ですから現状維持重視で現職が出ればそのまま選ばれます。そこを打破するにはよほどの有名人や全国区で話題となる候補が必要でした。(そもそも川勝氏も石川前知事に県立大に招聘され県とゆかりができ細野豪志らかつての民主党の保守派に擁立された。)
三期目選挙の時に細野豪志が噂されてた通り擁立されてれば勝てたんではないか、4期目選挙の時に上川陽子を擁立していれば勝てたんではないか、と思ってました(上川氏はその後外務大臣になり今では総理候補なんだから出なくて正解でしたね)。
リニアに関して大井川の水問題は水返せ運動の時から県は超党派で取り組んでることなんで、自民も「そんなの関係ねぇ」なんて言いません。問題が大きくこじれてきた3、4期目の選挙でも「水問題を解決する」という姿勢は同じで大きな争点にもなりませんでした。
川勝氏のリニア発言は難波副知事が任期満了で辞任してから特に不安定になっていきましたね。2期目の途中で「川勝はかつて2期で辞めると言っていたから難波副知事を後継候補にするつもりでは」という憶測も流れてたのですが、ほんとそうなってれば全てに幸せだったでしょうね。
ただ同時にみんな世間的にはお勉強ができる部類で、下品だけど具体的に言うと全員早慶以上の大学は出ている。そして私も含む全員が知識労働に従事しており、平均年収よりは良い給与を頂いている。
本当にめちゃくちゃラッキーな事例だと思う。
私はこれまでいわゆる学歴厨的な考えは持っていなかった。半年でスマホ3台無くしたり、鍋を空焚きしてボヤ騒動を起こすような人間が、たまたまペーパーテストが得意だったというだけで世間的には有能判定されるなんておかしい。
しかし自分が結婚・出産を視野に入れるようになって、「高学歴」という一点だけにどれだけ私や家族が支えられていたのか、逆にこんな人間に学歴がなければ一体どうやって生きていけたのだろうか、と考えるようになった。
実際、大学時代にやったカフェや居酒屋のバイトは無能すぎて飛びまくった。
自分の子どもに発達障害が遺伝した場合(家系的に高い確率で遺伝すると思われる)、知識労働の道が閉ざされてしまえばかなり辛い思いをさせてしまうだろう。
こうした考えから、結婚相手も高学歴でなければ……と学歴厨的な思想に支配されるようになってしまった。これも特性の白黒思考によるものだという自覚はある。
インターネット上では「発達は子に遺伝するのだから、発達持ちは子どもを作るな」という意見が多いが、既述の通り自分を含め発達持ちの家族は皆かなり幸せに生きているし、私はあまり同調できない。
とはいえ自分の現在の幸せが運によって成り立っていることも自覚しているから、生まれてくる子が幸せになれる確率を少しでも上げられるように、よく考えて行動を選択しなければならないと思っている。
ただ同時にみんな世間的にはお勉強ができる部類で、下品だけど具体的に言うと全員早慶以上の大学は出ている。そして私も含む全員が知識労働に従事しており、平均年収よりは良い給与を頂いている。
本当にめちゃくちゃラッキーな事例だと思う。
私はこれまでいわゆる学歴厨的な考えは持っていなかった。半年でスマホ3台無くしたり、鍋を空焚きしてボヤ騒動を起こすような人間が、たまたまペーパーテストが得意だったというだけで世間的には有能判定されるなんておかしい。
しかし自分が結婚・出産を視野に入れるようになって、「高学歴」という一点だけにどれだけ私や家族が支えられていたのか、逆にこんな人間に学歴がなければ一体どうやって生きていけたのだろうか、と考えるようになった。
実際、大学時代にやったカフェや居酒屋のバイトは無能すぎて飛びまくった。
自分の子どもに発達障害が遺伝した場合(家系的に高い確率で遺伝すると思われる)、知識労働の道が閉ざされてしまえばかなり辛い思いをさせてしまうだろう。
こうした考えから、結婚相手も高学歴でなければ……と学歴厨的な思想に支配されるようになってしまった。これも特性の白黒思考によるものだという自覚はある。
インターネット上では「発達は子に遺伝するのだから、発達持ちは子どもを作るな」という意見が多いが、既述の通り自分を含め発達持ちの家族は皆かなり幸せに生きているし、私はあまり同調できない。
とはいえ自分の現在の幸せが運によって成り立っていることも自覚しているから、生まれてくる子が幸せになれる確率を少しでも上げられるように、よく考えて行動を選択しなければならないと思っている。
その結果、自分が嫌っていた学歴至上主義や優生思想に依ってしまっている現状に悔しさを感じる。
───
追記(2024/03/04)
思いの外たくさん反応があってびっくり、ありがとう。いくつか補足しておきたい。
・どうせ自称発達やろ
子どもから遡って受診していったら尽く黒だった。発達障害界のサラブレッド。特に診断を嫌がるタイプの人はおらず、「ワシもADHDやったわ!ガハハ」みたいなノリが多かった。こんな感じだったから二次障害になりにくかったことは助かった。
→現実的に苦境に立たされている人たちへの支援をより厚くすべきという意見には同意するけど、それでも障害であることに変わりはないと思う。ここに書いてないけど特性由来の苦労もたくさんしてるし、周りの理解と支援がなければ生活できていない。だからといって発達障害=不幸、とはなっていないと言うだけの話。周りに感謝だね。
ちなみに私の場合服薬はしてるけど就労はできるような状態なので障害年金は受給してない。初診も未成年だったし。一口に障害と言っても色々なパターンがあるよー。
・できれば発達傾向がなくて勉強もできる人間の方が望ましいよね
→相手が私や親族(もしかすると生まれてくる子)の異様さに耐えられないと思う。理解ある彼君をさせるのは申し訳ないし……。
あと出身大学の友だち見ると明らかに特性持ちが多くて、(自然に相手ができず婚活をしている)高学歴に絞って選ぶと発達傾向ない人を探すのが難しいのかもしれない。個人的な体感だけど。
→改めて考えると、①学歴に加えて、
②ASD+ADHDの特性の出方と職業適性 も大きな要因だったと思う。
例えばコンサルやってる親族は多動衝動型ADHDのパワフルさをうまく活かしてるように見えるし、理系大学教授の親族はASDの過集中とかデータへの執着の賜物って感じ。前者にASDの疲れやすさやコミュ力が出てたら大変だっただろうけど、自分の特性にあった職種の見極めも比較的上手いのだろうな。
でも言い方悪いけど全部の項目で社会に適応しにくいほうの特性を引いちゃう可能性もあるわけで(コミュ力無!不注意!体力無!衝動性!とかね)、それはどれだけ慎重に相手を選ぼうと分からない部分だから、いつまでこの「運」が続くのかこわい……という点から元記事では「運」で雑にまとめてしまった。
あと私は評価しかねるけど、高学歴に至る高IQゆえの優秀さ?は普通にあるのかもね。身内や当事者としてやらかしを見まくっていると疑問符が付く……。私からすれば居酒屋ホールぶん回せたほうが優秀だよ。
・知的障害や他害が加わったらどうするの
→②にも近いけど、特性の出方や重複障害の有無による差は本当に大きいよなあ。自分の子どもがそうした障害を持っていても当然責任をもって面倒見るつもりだけど、当事者の大変さを前にして軽々しくは言えない。
ただこれは健常者の子でも可能性はあるわけで、私の中で直ちに子どもを諦める理由にはなっていないかな。今できるのはどうなっても最善の対応ができるようにとにかくお金を貯めておくこと……。
うちの嫁さんがこういうタイプ(「女が勉強して何になる」の声に抗いながらの人生を送ってきてた)なので、ちと腹が立ったので書く。
嫁さんと私は、某国立大学の研究室で知り合った。嫁さんはD3までいって、Drまでとったがいまは某国内企業で研究職をしている。
id:nyannyannyanchu ではないが。うちの嫁さんがこういうタイプ(「女が勉強して何になる」の声に抗いながらの人生を送ってきてた)なので、ちと腹が立ったので書く。
嫁さんと私は、某国立大学の研究室で知り合った。嫁さんはD3までいって、Drまでとったがいまは某国内企業で研究職をしている。あなたがいう所の「成果」である私はM2までで卒業してIT系の外資ではたらいてる。まあ上位1%にははいる年収は稼いでる。たいした男ではないが、少なくともあんたよりは上だという自信はある。
ちなみに嫁さんはいまも働いていて日本人の平均年収よりははるかに高い金を稼いでいる。金は私の方が稼いではいるが、やりたいことをやるために稼ぎをあるていど犠牲にしてるに過ぎない。
はっきりいって嫁さんの方が頭がいい。研究室時代から、ほんとうにかなわなかった。マウント取るなんて怖いこと、絶対にできない。
結婚して16年かな? 子供が二人いる。いま、下のこの中学受験が終わったとこ。「大学院なんかいったら嫁のもらい手がなくなるわよ」の言葉をくれた叔母に子供達を見せに行ったときの笑顔がすごかったのを覚えている。ちなみに叔母の娘(嫁さんの従姉妹)は未婚だった。
休日も自宅から一歩も出ずに数学と化学に勤しむ千葉大学医学部医学科落ち早稲田大学先進理工学部生命医科学科卒おじさんです。
某国立大学の学長選挙にて、投票で負けているのにも関わらず医学部の教授が学長に選出されたというニュースを見ました。署名運動なども展開されているようです。
投票数以外にも学長選出の要件などが内規などで定められており、それに従って適正に選出された結果である可能性もあるため、実際のところはどうなのか外部の無関係な人間である私には分かりません。
ただ、SNSなどのコメントを見ていると「医学部教授なら良い」「(他候補の学問を貶した上で)医学部の教授が学長になった方がいいでしょ」という意見も多々ありました。
やはり、医学部とそこで研究されている医学というのは他の学問に比べて優越しており、他の学問や学部は医学と医学部に比べると数段劣るものなのでしょう。
私が学部で頑張ってきた学問も卒研も医学に比べればきっと世間一般からはゴミクズのようなものなのではないでしょうか。
「東大理三に子供を進学させた」という親や医学部出身の予備校講師が書いた書籍は多くの人に興味を持たれ読まれますが、私の親が「早稲田大学先進理工学部生命医科学科に子供を進学させた教育法」という本を出版したり、私が「早稲田大学先進理工学部生命医科学科に合格した方法」という本を出版しても誰も興味を持ちませんし、よくてSNSやインターネットで嘲笑のネタにされるだけではないでしょうか。
どうしようもないFラン大学を卒業するために親のお金と四年間の時間を浪費してしまった過去を深く悔やみます。
しかし、必ずや国立大学医学部医学科に進学し、臨床医となり、多くの人々に医療を提供することで自分の人生を今の無価値なものから有意義で価値のあるものに転換していきたいという決意を固めることができました。
頑張ります。
それではまたノシ