はてなキーワード: 仮名とは
※普通に体験談を書いて、Geminiに小説にしてもらいました
※書くのは非常識だとは思いますが、それくらい罪悪感が強いです
収容人数40人程度の教室の中で、教壇上にある蛍光灯の白い光が、『スーパー過去問ゼミ』のテキストの文字を無機質に照らし出す。俺は増田、三十代半ばである。都内にある某公務員試験予備校で、もう八年以上も予備校講師をしている。担当は主に面接対策と論文指導だ。
今もこうして夕方以降の時間帯に、19~23才程度の若者向けに、公務員試験に合格するための要諦を指導する日々である。
採用から数年間は以前は筆記試験だけの指導をしてたが、幸いにも早めに昇進することができた。筆記以外の面接とか論文なんかも指導するようになった。正直、新卒で予備校に入社した人よりもスピード出世である。
「増田先生。この間の模擬面接のフィードバックの文ほしいんですが!」
休憩時間になると、熱心な受講生たちが俺の元へ寄ってくる。彼らの目は真剣そのもの。
公務員という安定した職を、社会に貢献できる仕事を求めて必死に努力している。その情熱は本物だし、俺も全力で応えたいと思っている。表向きは。
公務員になりたい、という彼らの動機は様々だ。「親が安心するから」「福利厚生がしっかりしているから」「クビにならないから」。もちろん、「住民のために働きたい」という崇高な志を持つ者もいる。残念ながら少数派だ。
問題は、明らかに公務員という仕事に向いていない、と感じる人間が少なからずいること。先ほど熱心な~と書いたが、熱心な子というのは、10人中で2人もいれば多い方だ。
例えば、先日の模擬面接でのこと。鈴木君(仮名)は、典型的な指示待ち人間だ。質問に対して自分の言葉で考えを述べることができず、用意してきた模範解答を棒読みするだけ。
「もし、あなたの判断で対応しなければならない緊急事態が起きたらどうしますか?」
って意地悪な質問をすると、彼は完全にフリーズした。こんな人間が、災害時や突発的なトラブルの最前線に立てるだろうか。市民の安全を守れるだろうか。
あるいは、佐藤さん(仮名)。彼女はコミュニケーション能力に著しい欠陥がある。人と目を合わせるのが苦手で、声も異常に小さい。グループディスカッションでは一言も発せず、ただ俯いているだけ。
こんなんじゃ、窓口業務で市民と円滑なやり取りができるとは到底思えない。クレーム対応など想像するだけで恐ろしい。
他にも、社会情勢への関心が驚くほど希薄な者、責任感が欠如しているように見える者、平気で嘘をつく者。挙げればきりがない。
予備校の事務窓口でもそうだ。たまに、はてな匿名ダイアリーでもさ。「クンニ」とか「テクウヨ」とか「下方婚」とか「売国先生」とか意味わかんねえコメントしてる人がいるじゃん。
たまに彼らの長文コメがあっても、何を言ってるのかわからない。話の内容が伝わってこない。そういうレベルの受講生が普通にいるのだ。
おいおい、なんだ?面接試験では「私の長所はクンニです('ω')」とか「少子化を防ぐためには下方婚を増やす必要があります」とか答えるのか??
こういう人は、公務員になってはいけない!と断言できる。いや、仕事だからやるけどさ……合格すれば俺の実績にもなる。
というわけで、彼らがもし、この予備校で叩き込まれたテクニックだけを頼りに、運良く筆記試験を突破し、面接を乗り切ってしまったら?そして、どこかの国の地方支局とか、市役所や県庁の職員になったとしたら?
想像するだけで背筋が寒くなる。迷惑を被るのは、まぎれもない住民さんである。煩雑な手続き、待たされる時間、要領を得ない説明、そして、いざという時に頼りにならない行政サービス。
彼らのような「不適格者」が公務員になることで、社会全体の不利益につながるのではないか。果たして、俺は社会のためになる仕事をしているのか。
これって、数年前にはてなブログの書評(基本読書の人など)で話題に上がったブルシット・ジョブではないのか?いや、ブルシットはまだ畑の肥やしになるからいいが、俺の場合は、もはや反社会性すら帯びている。
だが、俺の仕事は彼らを「合格させる」こと。それが予備校講師としての使命であり、存在意義なのだ。
彼らがどんな人間であろうと、筆記試験で点を取る方法を教え、面接で好印象を与えるテクニックを叩き込む。弱点を隠し、長所を最大限にアピールする方法を指導する。
「鈴木君、緊急事態の質問には、まず『冷静に状況を把握し、上司に報告・相談します』と答えるのが定石だよ。自分の判断を求められていてすら、まずは組織として対応することを強調するんだ。それが公務員試験ではポイントが高い。いいかい、あなたの言葉は、組織の言葉なんだからね」
「佐藤さん、声が小さいのは不利だ。面接官に聞き返されるだけでマイナス評価になる。呼吸を意識して、大きな声を出す練習をしよう。アイコンタクトも大事。難しいなら、相手の鼻のあたりを見るといい」
まるでペテン師のようだ、と自分でも思う。騙している先は霞が関にある官公庁や、うちの予備校のほどなくにある東京都庁、そのほか地方自治体。ものすごく女衒的で、ありえないほど罪深い。そんな仕事だ。
俺は、本当は適性がない人間に、あたかも適性があるかのように見せかける技術を教えている。彼らの合格は、俺の指導力の証明であり、予備校の評判に繋がる。給料だって、それによって支払われている。
俺が面接指導した子は、この八年間で、新人時代を含めると……少なくとも300人を超えている。延べ人数でカウントしていいなら、千人を超えている。ナンパ自慢の人数かよ。
このうち、予備校側から「増田君の寄与があった」と見做されたのは100人程度。その中に、筆記の模試がぼろくそだった人が含まれるのはいい。本人の努力の結果だからだ。教師名利に尽きる。だが、その中には、前半あたりで述べた「不適格」な人間を相当数含んでいる。それが今でも後悔になってる。
正直、公務員試験の面接なんて、一部の難関(国家総合職・裁判官・都庁・労基や財務など国家専門職)を除けば、パターン暗記で対処できる。
うちの予備校が、毎年人事院や都庁や特別区に情報公開請求(※)して、個人情報を黒塗りにしたうえで採用試験実施要領の資料提供をいただいているのだが、試験の要領的に……「面接官は完全な機械的採点をしている」ことがわかっている。民間企業に比べると、○○だったら何点とする、みたいな基準がはっきりしている。
なんでそうなるかというと、「公平性」を保つためだ。公平・中立・平等を基礎基本とする彼らにとって、それはとても大事なことなのだ。
彼ら面接官というのは、管理職クラスではあるものの、これまでの人事経験はほぼゼロである。そんな人達をたかだか数時間の研修で「面接官」にするには、面接試験を(初心者向けに)完全構造化するのである。結果として、相当無難な採点基準での面接試験につながるというわけだ。
※…試験実施要領を公開してくれる官公庁もあります。地方自治体だとあまり公開してくれない。よって、若手の予備校講師が国家・地方を問わず公務員試験(作文・面接含む)を受験してデータを得ることもあります。私が若手の頃ですが、都庁や特別区の採用試験に合格したことがあります
先ほどの「ブルシット・ジョブ」という言葉だが、つい先日知った。クソどうでもいい仕事、とでも訳すのだろうか。社会にとって何の役にも立たない、むしろ有害でさえあるのに、なぜか存在し、給料が支払われている仕事。まさに、俺の仕事のことではないか。
社会に貢献したい――という純粋な気持ちで公務員を目指す若者を応援したい。その気持ちは嘘じゃない。しかし同時に、明らかに不適格な人間をテクニックだけで公務員にしてしまう手助けをしている。
やっぱりこれは、反社会的な行為と言っても過言ではないのではないか。
良心が痛む。毎晩、寝る前に罪悪感に苛まれる。俺が合格させたあの学生は、今頃どこかの役所で、市民に迷惑をかけているのではないか。俺の指導が、誰かの不幸を生み出しているのではないか。
辞めたい。心の底から思う。こんな矛盾と罪悪感を抱えながら、これ以上仕事を続けるのはちょっときついかもしれない。
でも……辞めたところで何ができる?俺には、この予備校講師という仕事以外に、特別なスキルがあるわけではない。転職先がすぐに見つかる保証もない。家族がいる。生活を考えると簡単に決断できない。
先週もまた、俺は教壇に立ったのだ。第二次試験で採点対象になる論作文試験の全体講習である。
目の前には、期待と不安の入り混じった表情で俺を見つめる受講生たちがいた。彼らの未来を、そして、彼らが関わるであろう住民の未来を思って、俺は重い溜息をついた。
「ハイ!じゃあ今日の論文対策、始めま~す! みんな今日、気合入ってんねぇ~(^^)」
笑顔が張り付けて取れない。
答えは見つからないでいる。
はぁ〜〜〜……。マジで今日も憂鬱な一日が始まるわ。お疲れ、私。そして全国の同志。
最近さ、つくづく思うんだけど、
なんて言うか、こう…「動物的人間」とでも名付けたくなるような奴に悩まされてる。
「自分は絶対正しい!」教の信者たち(反省?何それ美味しいの?状態)
まずね、こっちがどんなに丁寧に、言葉を選んで説明しても、自分の非はぜーーーーったいに認めないのよ。
うちのAさん(仮名)なんてまさにそれ。
自分にもできないこと山ほどあるくせに、他人(特に自分より弱い立場の人)には「なんでそんな事もできないの!理由を言って!」って鬼の首取ったみたいに詰めるの。怒鳴りながらね。
でも、こっちがAさんに「Aさん、これはどうしてこうなったんですか?理由を教えていただけますか?」なんて丁寧に聞いた日には、もう大変。
みるみる顔が赤くなって、
「そういう言い方するなんて、あなたの性格に問題があるんじゃない?」
いやいや、どの口が言うとんねん!
こっちがどんなに問題解決しようと歩み寄っても、向こうは「自分が攻撃された!キーッ!」ってなる。
「自分が間違ってるかも?」っていう発想がないんだろうか?
ああいうの見ると、こっちのライフポイントがゴリゴリ削られていく音が聞こえるわ…。
「都合が悪いこと」、「痛いところ」 を突かれると、もうビックリするくらいの速さで逃げるのよ。
「この件について、もう少し話し合わせてもらえませんか?」って言おうものなら、「またその話?」とか、「もうその話は終わったはずですけど(一方的に)」とか。。。
こっちは問題解決したいのに、向こうにとっては「不快な状況から一刻も早く逃げること」が最優先、なんだろね。
しまいにはさ、Aさん、こっちが色々言っても無駄だって悟って、諦めて距離を置こうとすると、「ほら、やっぱり私の言うことなんて誰も聞いてくれないのよ。もうあの人には本音は言わないって決めたんだから!」って被害者ぶるの。いやいや、こっちが諦めたんじゃなくて、あなたが聞く耳持たなかったんでしょーが!って、喉まで出かかった言葉を何度飲み込んだことか…。
私の気持ち <<<<< 超えられない壁 <<<<< アタシの気分(自己チュー&感情ジェットコースター)
みたいな?
そして何より疲れるのが、徹底的な自己中心性と、感情のアップダウンの激しさよ。
「普通はこうでしょ?」、「常識的に考えて!」ってのが口癖ね。
自分のローカルルールを世界の中心みたいに語るけど、その「普通」とか「常識」って、あなたの頭の中にしかないやつですよね?って、心の中で何度ツッコんだことか。
結局 「自分がどうしたいか」、「自分がどう感じているか」が全ての判断基準。
まるで、お腹が空いたら泣き叫び、眠くなったらどこでも寝る赤ちゃんみたいに、本能のまま生きてる感じ。
はぁ…。もうね、こういう「動物的人間」さんと毎日顔を合わせてると、こっちの精神がすり減って、悟りを開くか発狂するかの二択を迫られてる気分よ。
「ああ、この人は今、自分の感情という名の嵐の中にいるんだな…触らぬ神に祟りなし…」って、そっと心の中で距離を置くスキルだけが、日に日に上達していく今日この頃。
皆さんの周りにもいません?こういう、良くも悪くも「自分に正直」すぎる人たち。
こういう人らに「動物的人間」ってラベリング、言語化して、普及していきたいわ。マジで。死ね。
あ、やべ仕事しなきゃ。
「押下」は「おうか」と読み、IT業界などではボタンを押す意味などでよく使われるという。
この言葉の初出はいつごろなのだろうか、と調査を開始してまず突き当たるのが「読み」の問題である。
すなわち「押下」にはいくつかの読みがある。
送り仮名が「押下げる」「押下ろす」などであれば「おしさげる」「おしおろす」とわかりやすい。
しかし「押下して」ならば、「おしおろして」「おしくだして」「おうかして」のいずれの可能性もあるのだ。
たとえば明治6年の『医道日用綱目』の「押下す」、『童蒙窮理問答』の「押下らしむ」、『窮理日新 発明記事』の「押下し」など。
いずれも「押下」に「おしくだ」とフリガナが振ってある。
同じく明治6年の『訓蒙窮理図解』の「押下れ」は「おしさぐれ」か。
明治7年の『広益英倭字典』では「push down」を「押伏ル。押倒ス。押下(さげ)ル」と訳している。
「おしおろすべし」なのか「おしくだすべし」なのか「おうかすべし」なのか分からない。
それでは「押下する」はどうだろう。
臂力ヲ以押下スル能ハサルニ至ル
「おしさげする」「おしおろする」「おしくだする」という読みはないだろう。
これはさすがに「おうかする」じゃないのか。
でも確証はない。
つまり、我々はずばり「おうか」と書かれたフリガナを探さなければならないのである。
というわけで明治35年『日本赤十字社篤志看護婦人会教程 増訂』である。
看護者ハ左ノ示指(ひとさしゆび)ニテ軽(かろ)ク病眼(びょうがん)ノ下眼瞼(かがんけん)ヲ押下(おうか)シテ眼(め)ヲ開(ひら)カシメ
これはもう間違いなく「押下」と書いて「おうか」と読んでいるだろう。
さらに探してみたところ、増訂前の明治28年『日本赤十字社篤志看護婦人会教程』第9版を、日本赤十字社デジタルアーカイブズで読むことができた(初版は明治22年か?)。
こちらでは「押下」に「おうか」「おしさげる」と二つのフリガナが振られている。
「仰臥」に「ぎょうが」と「あおむけにねかす」と振られたりしているのを見るに単なる訓読みではなさそうだ。
基本的には音読みだが、それだと初学者にはわかりづらいので補足説明を加えている、といったところか。
ではついでに、「ボタンを押す」のような意味で「押下する」が使われた例に限ったとすれば、初出はいつごろになるだろうか。
明治22年『理学協会雑誌』の「フワンリッセルベルギー氏電信電話双信法」という記事に以下のような用例がある。
「鍵」というのはいわゆるカギではなく、辞書的に言えば「ピアノ・オルガン・タイプライターなどの、指先で押したりたたいたりする部分。キー。」のことだろう。
(なおフワンリッセルベルギーとはFrançois van Rysselbergheのこと)
即(すなは)ち押(お)し釦(ぼたん)を押下(おうか)すると電池(でんち)から電流(でんりう)が発生(はっせい)してベルを鳴(な)らすのである
といった例がある。
というわけで結論として。
「押下」を「おうか」と読む例の初出は、現在のところ明治28年(明治22年?)の『日本赤十字社篤志看護婦人会教程』ということになる。
厳密性を求めなければ、明治11年『物理小学』の「押下する」の時点で「おうか」の例としてもよい。
また「押下する」は、明治期から理科の実験書や医学の教科書で使われており、「電信・電話用語として広まったのではないか」とは判断しづらい。
【結論】
自分が書きたい内容を整理するのには向いているが、主導権は自分が握っていないとどんどん設定を脱線したりループしてダレる(あたりまえ体操)
以後はそう考えた理由について書き連ねているだけなので忙しい方は読まないほうがいい。
私はインターネット上では反反AIだと分類される価値観を持っていると思う。
私の一次創作に関しては誰が勝手に学ぼうと知ったこっちゃないし、私自身先人達の作品から学んだことは数知れないから無断学習だのといった戯言は嫌いだ。
ただ悪意ある二次創作(例えば本家が嫌がっているのにキャラクターを脱がせたり、価値観に反する行いをさせているなど)は表に見えないところでやるべきだと思う。
私は普段よっぽどではない限り二次創作をしない人間ではあるが、この度友人が私をモチーフとしたキャラクター(仮名A)を作ったので人物背景情報その他諸々を自分の価値観を照らし合わせてこういうのはどうだろう?と送ってみた。
結果、量が多くドン引きされたので以後は友人の考えるAと私が考えるAを切り離して勝手に妄想することにした。
ただし友人の世界観は複雑で私の一次創作とはジャンルが違い不明点が多かったので外部ツールの力を借りることにした。
誰にも友人にすら言わず、美味しいところを独り占めして消化するための二次創作。
ChatGPTで友人から聞いた世界観と共にAの情報を放り込んでみたら最初は自分の言いたいことを言語化してくれていた気がする。
ただし、応答回数を重ねるごとに精度が落ちたので結局のところ全てを任せることなど今の生成AIではできない。
また、ChatGPTで思考を整理する中で、乱立するコンテンツはいずれ淘汰されてバランスが取れるようになるだろうなと直感じみた考えが浮かぶ程度には有意義だった。
秋風が冷たい夜だった。アパートの六畳一間には、コンビニ弁当の空き容器と、食べかけの菓子パンの袋が散乱している。パソコンの画面には、まとめサイトの寂しいニュースが映し出され、イヤホンからは耳慣れた憂鬱なメロディーが流れている。
彼の名前は雄介(仮名)。32歳。非正規雇用で、目立たない事務の仕事をしている。特に趣味もなく、休日はネットサーフィンか、近所のスーパーで安くなった弁当を買い込んで一人で食べるのが常だった。
雄介にとって、「食べる」という行為は、単なる空腹を満たすためのものではなかった。それは、日々の鬱屈とした感情、誰にも理解されない孤独感を一時的に忘れさせてくれる、唯一の逃避だった。
仕事でミスをして上司に叱責された日。SNSで楽しそうな同級生の投稿を見た夜。将来への漠然とした不安に押しつぶされそうな時。そんな時、雄介は決まってコンビニエンスストアやスーパーの弁当コーナーに足を運んだ。
唐揚げ弁当、豚丼、カレーライス、パスタ…次々とカゴに入れ、レジで合計金額を見た時には、いつも少しの後悔がよぎる。それでも、家に帰り、一人でそれらを貪り食う瞬間だけは、心がほんの少しだけ満たされる気がした。
「ああ、美味しい…」
安っぽい味付けかもしれない。栄養バランスも偏っているだろう。そんなことは分かっている。それでも、口いっぱいに頬張ることで、空っぽだった心の隙間が埋まっていくような気がしたのだ。
しかし、満腹感と同時に、必ずと言っていいほど自己嫌悪の波が押し寄せる。「またやってしまった…」「こんなことばかりしていて、自分は本当にダメな人間だ…」。
ある日、いつものようにスーパーで大量の弁当を買い込んだ帰り道、ふと公園のベンチに座る老夫婦が目に入った。二人は楽しそうに会話をしながら、分け合って何かを食べている。その穏やかな光景が、雄介の胸にチクリと刺さった。
アパートに戻り、いつものように弁当を広げようとした時、雄介は手が止まった。目の前には、食べきれないほどの食料。それらは、一時的な心の穴埋めにはなっても、根本的な孤独を癒すことはできない。
ふと、スマートフォンで「地域のボランティア」というキーワードで検索してみた。今まで考えたこともなかった行動だった。いくつかの団体がヒットし、その中に、一人暮らしの高齢者向けに食事を届けるボランティアがあった。
数日後、雄介は少し緊張しながら、そのボランティア団体の説明会に参加していた。様々な年代の人が集まる中、彼は隅の席で小さくなっていた。
初めての活動日。雄介は、ぎこちない手つきで高齢者の方に弁当を届け、短い言葉を交わした。最初は戸惑うばかりだったが、何度か活動を重ねるうちに、少しずつ笑顔で話せるようになっていった。
ある日、弁当を届けたおばあさんが、彼に手作りのクッキーをくれた。「いつもありがとうね。あなたは優しいね」と、皺だらけの手で握られた時、雄介の胸にじんわりとした温かいものが広がった。
それは、今までどんなにドカ食いをしても得られなかった、じんわりと持続する温かさだった。
もちろん、雄介のドカ食いがすぐに止まったわけではない。長年の習慣はそう簡単に変わるものではない。それでも、誰かのために行動することで、少しずつ自分の存在意義を感じられるようになった彼は、以前よりもほんの少しだけ、自分のことを大切に思えるようになっていた。
満たされない器を埋める方法は、決して一つではない。時にそれは、自分の外にある何かと繋がることで見つかるのかもしれない。雄介の物語はまだ始まったばかりだ。満腹感ではない、心の充足感を求めて、彼はゆっくりと歩き始めている。
山田優生(仮名)は、20代。精神科の診察室に座っていた。これまで自分が他人と同じように生きていないこと、周囲とどこか違うと感じ続けてきたことは、もう誰にも説明できないほどの負担となっていた。やっとの思いで精神科を訪れ、知能検査を受け、軽度知的障害の診断を受けた瞬間、優生は一瞬の静けさを感じた。診断結果を受け入れるまでに少しの時間が必要だったが、次第に納得が湧いてきた。「なるほど、私はずっとこうだったんだ」と、自分の中で何かがつながったような感覚に包まれた。その瞬間、ふとした希望も感じた。「これで療育手帳が取れたら、障害者雇用やいろんな福祉支援サービスが受けられるかもしれない」と、わずかながらの期待が胸に湧き上がった。自分が今まで経験してきた苦しみや不安が、少しでも軽くなるかもしれない、そんな思いが彼を包んだ。
しかし、その期待はすぐに打ち砕かれることになる。
優生は療育手帳の申請を行い、知的障害者更生所で再度知能検査を受けた。その結果、精神科での診断と同様に軽度知的障害とされる数値が出た。しかし、それでも結果は「非該当」となった。理由は「18歳以下で知的障害の状態だったことを証明する資料が不足している」というものだった。優生はその理由に愕然とし、困惑した。過去の自分を証明する手段がほとんどなく、結果的にそれが障害者としての支援を受けるための唯一の鍵だと思っていたのに、最初の申請は却下されてしまった。
過去の知能検査結果について、病院に行ったことはないため学校に問い合わせると知能検査は行われていたが5年で廃棄処分していると言われ、入手することはできなかった。他には、テストの結果や成績表、担任の証言書を集め、再度申請することを決意した。これでなんとかなる、そう信じていた。
再申請が受理され、知的障害者更生所で再度話し合いが開かれた。支援者も同行し、優生は自分の過去を証明するために、何度も何度も訴えた。
「私は、子供の頃に診断を受けなかっただけで、今でも支援が必要だと感じているんです。過去の成績や担任の証言で、私がどれほど苦しんでいたか分かってほしいんです」
優生は何度も言葉にしようとしたが、結局うまく伝えることができなかった。コミュニケーションが苦手で、他人に自分の気持ちをどう伝えるべきかが分からない。彼が言葉を選び、伝えようとするその過程は、いつも思うようにいかない。判定職員には、彼の苦しみがどれだけ深いものであるか、どれだけ長い間その苦しみに耐えてきたのかは、うまく伝わらなかった。それが悔しく、情けなくて、彼は言葉を詰まらせてしまう。そして、周囲が優生の気持ちを理解できない現実が、ますます心に深く刺さる。
支援者は、優生がこれまでどれだけ真剣に証拠を集め、過去の困難に立ち向かってきたのかを理解し、判定職員にそれを伝えようと尽力した。しかし、何度も話し合いをしても、その答えは変わらなかった。
「証明が足りません」「18歳以下の証明がありません」「過去の成績や担任の証言だけでは、認定することはできません」
その言葉が、再び優生の心を冷たく締め付けた。必死に集めた証拠や証言が、すべて無駄に終わった。再申請しても、結果は同じだった。優生はその現実に愕然とし、次第に、自分がどれだけ過去を証明しようとしても、全てが無駄なことだと感じ始めた。証拠が足りないという一言で、過去のすべてが無視され、再び壁にぶつかっているような気がした。
優生は、この世界において自分の声が何も届かないと感じていた。過去を証明する手段が限られていて、いくら努力しても結果に繋がらない現実、どんなに訴えても理解されないという事実に直面し、深い絶望に陥った。自分の気持ちを他人にうまく伝えることができない。これまでの人生でずっとそうだった。学校でも、職場でも、自分の思いをうまく言葉にできず、苦しんできた。支援者にさえ、心の奥底にある本当の苦しみや切実な願いを伝えることができなかった。たとえうまく伝わったとしても、その後何も変わらなければ意味がない。優生の中で、無力感が膨れ上がっていった。
「どうして、こんなにも分かってもらえないんだろう…」
過去を証明する手段が限られていて、結局それが自分を助けるための唯一の鍵だと思っていたのに、それすらも認めてもらえない現実に、優生は深く絶望していた。自分が子供の頃、助けを求めても、誰も相手にしてくれなかった。その時の自分の苦しみが、今もなお無視され続けることに、耐えられなくなった。
話し合いが終わり、再び優生と支援者は帰路についた。途中、優生は無言で歩いていた。支援者が少し間を置いて、静かに口を開いた。
「優生さん、もうこれ以上頑張っても、無駄だってこと、分かってるでしょ?」
優生はうつむきながら歩き続けた。支援者は少し間を置いて、さらに言った。
「いくら証拠集めて頑張ったって、あっち側の決まりがあるんだから、どうにもならないんだよ。この現実を受け入れるしかない。あなたがどうしたって、この社会は理不尽だらけでできている。このことを受け入れなきゃ、あなたはこれから働くことも、生きていくこともできない。」
優生はその言葉を耳にしながら、心の中で反発していた。どうしても受け入れたくなかった。けれど、支援者の言葉が、どこか冷たく現実を突きつけてくるのを感じていた。
納得するしかない。唯一の味方だと信じるしかなかった支援者から何度も繰り返される説得に、次第に身体が重くなっていくのを感じる。
「受け入れるしかない…」
その言葉が、優生の頭の中で何度も響く。これまでの人生を振り返ると、どれだけ努力してきても、結局は何も変わらなかった。学校も職場も、適応できなかった。自分が他の人と同じように生活することなんて、どうしてもできなかった。
「療育手帳があれば…」
福祉支援を受けられれば、少しでも楽になれると思っていた。けれど、その希望も絶たれた。自分がどれだけ証拠を集め、努力しても、結局は非該当のままだ。どうしてこんなに頑張ったのに、何も変わらないのだろう。
歩きながら、優生は心の中で叫んでいた。自分の声がどこかに届いてほしい。誰かに理解してほしい。でも、どんなに叫んでも、届くはずもないということを、もう彼は知っていた。
やがて自分の家が見えてくる。家に帰るたびに感じる、親の無理解が、彼の心に重くのしかかる。
実家に着くと、家の中からは両親の話し声が聞こえてくる。けれど、その声は優生にはまるで届かないようだった。
優生が部屋に入った瞬間、静寂が広がる。その瞬間の空気の重さ。
障害があることを認めたくないような父親の態度、母親の冷たい視線。それらがいつも優生の心に突き刺さる。
自分が何を言っても、何をしても、親は理解してくれない。障害のことを話すたびに、顔色を変えて避けるような態度をとる。どんなに傷ついても、親にはその気持ちを伝えることすらできなかった。自分の苦しみを、どこにもぶつけられない。
昔の担任教師は、当時の私の様子から親に特別支援を勧めたと言っていた。しかし、優生はそのことを親から聞いたことはなかった。長年隠されて、なかったことにされていたのだ。知的障害者更生所の職員は「特別支援を勧められた程度では療育手帳を取得できる根拠にはならない」と話していた。嘱託医は「子供の頃に検査してるか、養護学校に行ってないとダメだよ」と主張する。
「どうして…」
優生は床に座り込み、ただぼんやりと天井を見つめていた。支援者が言っていた「受け入れるしかない」という言葉が、どんどん優生を圧しつける。受け入れることなんてできるはずがない。受け入れて生きることなんて、考えられない。
「このまま、ずっとこんな人生が続くんだろうか。」
心の中でその問いが繰り返される。周囲と適応できず、苦しみながら生きてきた自分を、誰も理解してくれなかった。過去は変わらない。障害があることも変わらない。療育手帳を取って、少しでも支援を受けることで、この人生が変わることを期待したけれど、その望みすら叶わない。もしこれがすべてだとしたら、今後の自分には一体何が待っているのだろう。
優生はその道のりを、自分の人生そのものとして感じていた。どれだけ頑張っても報われることはない。過去の出せる資料は限られているし、結局は認められないという現実。彼はもう諦めていた。
そして、優生はその夜、自分の中でひとつの決断を下した。絶えることのない無力感、療育手帳を手に入れることができなかった希望に対する苦しみが、彼を追い詰めていった。
わたしには若い頃から、相手に対して支配的なコミュニケーションを取る人間に囲まれがちで。
悪く言うと搾取する人間のターゲットにされがちな人間であった。いわゆるのび太のようなキャラであった。
2~30代の頃、モラハラ男丸出しの男性とよく行動を共にしていた(わたしは男性である)
「田中さん!(仮名) 田中さん! まじかっこいいっす!」っと言い、疑う事無く盲目的に付き合っていた。実際彼は仕事で年収1000万円は稼いでいたし、同時並行的に10人以上と交際していたし、毎日仕事の人間関係に苦労しながら安月給で働いていた私にとって、昼に起きて、1日1時間しか働かない彼の働き方はとても魅力的に映った。
小売店に対してクレームを付けたり、交際女性を激しく罵ったことを、「説教してやった」と称して、私たちに自慢げに話してくることが気になってはいたけれど、そこを除けばとても能力のある人だと思っていた。わたしは都会で素晴らしい人に出会ったのだ。彼から学び、彼の一挙手一投足を学べば、俺も同じく、彼のようにカネを稼ぎ、女を掴み人生を変えられると思っていた。
そんな彼が、実は企業相手に詐欺行為を行っていたことは昔から知っていたし(詳細は割愛する)、エンドユーザー相手に恫喝行為を行っていたことだって昔から知っていた。わたしもその詐欺行為に加担したこともある。でも、当時の自分はそれも込みで、彼のバイタリティ溢れる行動力、発言、「人生楽しまなきゃ損だぞ」という言葉に夢を見ていた。「この人と一緒に居れば、自分はお金持ちになれる!」「かわいい女とヤレる!そう信じて疑わなかった。最近で言うなら、最強軍団清水会の会長に憧れる、若い無知な青年と言ったところか。
俺は人生を変えたかった。歌舞伎町のトーヨコに転がっている、知識も教養も無いしかし若い男性達と同じである。
人生に希望を持った若いころの私は、彼らから見ると明らかに搾取の対象だった。
彼はそのままフリーランスの道を進み、わたしは非正規だが企業勤めの道を進んだ。
時はたちお互い年を重ねた。お互い独身であることも変わらないけれど、彼は相変わらず20代の若い女性と一緒に住み、仕事内容も働き方も年収も変わっていないらしい。わたしは、様々な手段で教養を学び、彼のやり方がモラハラだということも認識したし、彼の近くにいると不健康につながるということも、十分認知した。若いころの彼に対する憧れはとうの昔に捨てている。そのため、現在はLINEでのやり取りにとどめている。
そんな彼にこれから会いに行ってくる。詐欺で得たお金を受け取りに。
そしてこれを機に彼との関係も絶とうと思っている。
私は別に理系崩れのように読解力が要らないとか言いたいわけではない。
むしろ高校の国語の授業は読解力を上げるのに1ミリも貢献しないか、あるいはあまりにもコスパが悪い構成になっていやしないか、と言いたいのだ。
目覚ましく有意義なのは小学校低学年の仮名のようなごく基本的な文字を覚えることぐらいだと思う。
そして高校にもなると完全にネタが尽きるのか完全に惰性的な授業内容と化している気がする。
「答え」が何で、その「答え」をどう導けばいいのか最後まで解説しない。
自分たちの授業が自分たちが突き付ける試験の成績向上に1ミリも貢献しなさそうなのは、つまり1ミリも読解力を上げるものになってないのは、何かのギャグではないのかと思わされる。
なんというか、完全に、6時間ないし7時間のなかで国語の枠を与えられてしまったので仕方なく尺稼ぎしているようにしか見えないんだよね。
出口の本を見る限り、中学生レベルの読解力が身についても、伸ばす余地と、その伸ばすために有効な読み方について教授できるネタはいくらでもあるはずなんだよね。
けれど実際の授業は現国のキーワードの小テストとその余った時間の尺稼ぎをしているだけ。
もう高校生なんだから単語なんで自分で学べばいい。小テストはしてもいいからどうせ無駄な授業しかしないなら国語に50分も与えなくてよいのではないか。その分他の科目の時間を増やすなりネタがないなら前に複素数平面が増えたように履修内容を増やせばいいのではないか。
そういえば鉄緑会は国語については「中受で培ったことでなんとかなるから乗り切れ」でフォローしないらしいな。
やっぱり「読解力」程度ものは小学校出る時点で完成されているべき、されていて当然のものなのかもしれない。たかが、母国語の解釈法でそんな教えるネタ探したってそりゃ無理が出るって。
俺、40代独身男。実家はド田舎の因習村でさ、「男は結婚して家を継ぐのが当然」って価値観が未だにデフォ。親戚が集まると「まだ独身か」「女なら紹介してやるぞ」とか言ってくるのは日常茶飯事。でもそれだけならまだ耐えられる。問題は、村で定期的にやってる奇怪な儀式だよ。
年に数回、満月の夜に村の神社で「豊穣祈願」とかいう名目で、住民全員が集まって謎の踊りを踊るの。真っ赤な着物着たジジイが鳥の羽振り回して呪文唱えたり、若い女が無理やり連れてこられて何か供物っぽい役やらされたり。俺も昔「次はお前が火をくべる役な」って言われたけど、あまりの気味悪さに「風邪引いた」とか嘘ついて逃げた。親父は「伝統だ!」ってキレるけど、正直ホラー映画より怖い。
そんなある日、Twitterで「因習村の儀式キモすぎる」って呟いたら、リプ欄が予想外に燃えた。ツイフェミの人たちが「それカルトじゃん」「家父長制の支配だよ」「搾取されてる!」って援護射撃してきた。最初は「いや俺、フェミとか関係ないんだけど…?」って思ったけど、「男も女も古い価値観に縛られてる被害者」って指摘が妙に腑に落ちてさ。
で、DMで話すうちにツイフェミのAさん(仮名)と意気投合。Aさんは30代シングルマザーで、「私も実家の『女は黙って子育てしろ』圧と謎の祈祷会に耐えきれなくて逃げた」って経験者だった。彼女が「村出ようよ」って提案してきて、俺はバイトの貯金かき集め、Aさんはネットで格安物件探し。村のジジババには「仕事で出張」って誤魔化して、脱出計画立てた。
脱出前夜、ちょうど儀式の日でさ。窓から見えた赤い着物のジジイと火の手がマジでトラウマ級。親父に「都会で仕事探してくる」って言ったら、「村を捨てる気か!」って怒鳴られたけど、もう限界。Aさんと駅で合流して新幹線乗った瞬間、背中の鳥肌がようやく収まったよ。
今は都会でネット系の仕事見つけて、なんとか生きてる。ツイフェミって正直苦手だったけど、Aさんの「儀式もジェンダーも根っこは一緒の抑圧だよ」って言葉には納得しかない。村の狂った伝統に比べりゃ、彼女たちの「パトリ批判」なんて可愛いもんだ。はてブ民なら「田舎の闇深すぎ」「カルトすぎて草」とか言いそうだけど、住んでた俺からしたら笑えねえよ。
anond:20250310180429 の続き。
蛇足になるけれど、妻との馴れ初めが気になるという方を数名観測したので、その方たちに向けて書いてみる(届くと嬉しい)。
以下、分かりやすいように、妻のことを仮名で「Kさん」と表記する。
Kさんとの出会いのきっかけは至って普通であり、エピソードとして別段興味深いものではないと思う。
いわゆる理系男子だった私は、大学院を修了した頃から、漠然と「人生のパートナー」を求めていた。一人暮らしは気楽だけれど寂しいし、前記事に書いた通り、その家はしばしばゴミ屋敷の様相を呈していた。
それに、家庭環境が円満だったこともあってか、親しい他者との共同生活は穏やかで心地良いものであるというイメージを私は持っていた。
では、「人生のパートナー」とはどういう人物だろうか。私はほんの少しだけ自問した。私の性愛傾向に基づくと、共同生活を送るパートナーは女性であることが望ましい。年もあまり離れていないほうが好都合だろうという感覚もあった。それってつまりは「結婚」だろう、というのが、特に深く考えもせずに出た結論だった。
それでは、結婚相手を見つけるにはどうすれば良いのだろう。こんなとき、頭でっかちの理系男子がすることは一つだ。
そう。私は、「婚活」に関する書籍を読み漁った。ただし、男性向けの書籍は全然楽しくなさそうだったので、女性向けのエッセイ漫画とかをあれこれ買って読んだ。面白かった。
実際、読書によって私は様々な知見を得ることができた:
1. デートの際、食事をするお店は必ず予約すること。お店探しならびに予約は、男性が行うべし。
2. 食事をともにした場合、会計は男性が全額出すことが好まれる。女性がトイレに行ったタイミングで、スマートに会計を済ませるべし。
3. 女性のおしゃれ靴は、長時間のウォーキングに向いていない。女性を長距離歩かせてはならない。
4. 初回のデートは、短時間で済ませるべし。カフェでお茶をするだけ、あるいはランチだけなどが無難。
5. 女性と話すとき、男性は積極的に話を振って、女性を楽しませなければならない。
……無理では?
3とか4は楽勝だが、他は難易度が高すぎるというのが当時の私の正直な気持ちだった。当時の感情を思い起こしてみると、次のような感じである。
そもそも、外食なんてチェーン店しか行ったことがない。というか、家で食事をするほうが落ち着く(人目がある場所は落ち着かない)ので、チェーン店へ行くことすら億劫である。もっと正直に言うと、私は電話がとても苦手なので、飲食店の予約をするのに恐怖感すら覚える。上記の2が嫌なのも、お金を出したくないとかではなく、なんというか単純に、普通じゃないタイミングで席を立って店員さんに話しかけるのが怖いみたいな感情である。話を振るといっても、話題なんて何も思いつかない。そもそも私は、全然社交的じゃないのに……。
※なお、38歳の既婚おじさん(子持ち)になった今では、もはや何とも思わないので、当時の私の気持ちを理解できない人が居ても不思議ではない。もちろん、デートする相手なんて妻しかいないけれど。
さて、上記のような予習を経て実践に備えていた私。お相手探しは極めて受動的だった。
当時はまだ平成だったので、仕事がらみで知り合った人とかに、恋人の有無をカジュアルに聞かれたりするのが普通だったのだと思う。なので私は、恋人の有無を聞かれる度に、「結婚相手を探しているので、良い人がいたら紹介してください」と正直に伝えていた。
そうこうするうちに、仕事関係の知人である(年の近い)既婚女性から紹介してもらったのがKさんである。
後で聞いた話によると、Kさんはこの知人女性から、「増田くんを傷つけないように」と厳命されていたらしく、内心では(どれだけ過保護やねん)と思っていたそうだ。
紹介してくれた知人女性を交えて、仕事帰りに一度、一緒に食事へ行った。このときのことはあまり覚えていないけれど、ともあれKさんと連絡先を交換したことは確かだ。
さて、前述の「婚活5箇条」を覚えておられるだろうか? 1番目を見てほしい。Kさんとデートをするなら、私がお店を探して予約しなければならない。うわあ、どうしよう。
「増田さんは、おすすめのお店とかありますか? なければ、私の知っているお店へ行きましょう(顔文字)」
というのは半分冗談にしても、前述のように身構えていた私にとって、良い意味で不意を突かれた形となった。Kさんはお店の候補をいくつか挙げてくれて、そこから私が希望したお店を予約してくれた。
というわけで初デート当日。お店の最寄り駅で待ち合わせした。
しかしここで、大変困ったことがある。実は私には軽い相貌失認があり、つまり、人の顔を見分けるのがとても苦手である。
私は常識人なので、デート相手の顔を思い出せないことがとても失礼であるのは重々承知している。そのため、駅の改札付近でオロオロと周りを見回していた。何だか似たような背格好の女性がたくさん居て、どうすれば良いのかがわからない。
すると突然、後ろから声を掛けられる。振り返ると、にっこりと微笑んだKさんが明るい声で「こんにちは」と言った。本人を目の前にすると、ちゃんと顔が認識できる。(なので、「軽い」相貌失認である)。そうだった、Kさんはこんな感じで、笑顔がチャーミングな人だった。
お店に入り、ランチセットを注文。「何か話題を振らなければ」と考える暇もなく、Kさんがニコニコしながら話をしてくれる。
「今日は晴れて良かったですね」とか、「このお店は〇〇が美味しいんですよ」とか、「近くには△△屋さんとか□□屋さんがあって、見て回るのも楽しいですよ」とか、「少し歩いた先には神社とか広い公園もあるので、この時期はお散歩にぴったりなんです」とか、次から次へと、淀みなく話題が展開していく。私は楽しい気分になって、Kさんが振ってくれた話題に相槌を打ったり質問したりするだけで会話がスムーズに流れることに安心した。
話題はさらに、Kさんの仕事のこととか、家族のことにまで及んでいく。ちょっとややこしい人間関係に関する話題も、Kさんは明るく楽しげに話をするのが印象的だった。それに、ともすれば愚痴になりそうな内容でも、Kさんの手にかかれば笑い話として昇華されていることに素直に感服した。
(後に判明したのは、Kさんがこれだけ自由に喋りまくれる男性は私が初めてだったらしい。きっと、相性が良かったのだろう)
私は前述の5箇条を忘れていないので、伝票の位置に目を光らせていた。しかし、Kさんはトイレへ行こうとはしない。
どうしようと思っていると、コーヒーを飲み終えたKさんが「そろそろ出ましょうか」と言った。私が同意すると、Kさんは颯爽と立ち上がってカバンを手に取り、さっさと伝票をつかんでレジへ向かった。モタモタと後を追う私。
Kさんは、レジに立った店員さんに、「会計別々で!」と元気良く言った。……私は粛々と、自分のランチセット代だけを支払った。
いや今度こそ、前述の5箇条を思い出す必要がある。彼女との関係を続けるためにも、今日のデートはこれで解散にしたほうが良いだろう。
……みたいなことを考えているとKさんが、
ランチのときと変わらぬ調子で、Kさんのお喋りの勢いはとどまることなく、私たちはあちこちを歩き回りながらたくさん話をした。
昼食時に話題に出た場所は全部まわりきってしまい、結局、3時間くらい歩き続けていた気がする。
その後また、カフェに入って、日が暮れるまでお喋りをして、次に会う予定を決めて解散した。
とまあそんな感じで、Kさんと親しくなって、交際して、結婚しました。
海外出張の合間の暇つぶしに書いていたけれど、そろそろ時間切れになりそうなので、ここまでということで。(期待されていた「馴れ初め」に到達できているだろうか?)
お分かりのとおり、Kさんは、私が学習した婚活5箇条を清々しいほどにぶっ壊していった魅力的な女性でした。いや、魅力的なのは過去形ではなく現在進行系なのですが。
捨て仮名というのは「っ」とか「ょ」みたいな小さい仮名のこと。どうも、捨て仮名を行頭に配置しないというのが組版の絶対的なルールだと思っている人がいるみたいだ。
「拗音を行頭に配置しない」というのは長い組版の歴史を通じて成り立ったルールで、人々もそれに慣れ親しんでいる。その常識を真っ向から覆すにしてはかなり安っぽい決断に思える。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4767174559451651009/comment/dkn97bw
これに猛烈な違和感、フックを感じる辺りが、日本語印刷の大きなルールが認識され共有されていることの現れかなと思う。これが蔓延してルールが破壊されるのはちょいと困るけれども、まぁ狙ってやってるなら。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4767174559451651009/comment/Mu_KuP
うーん。でも、やっぱり変だと思うし気持ち悪いかも。判断した人、小説とか読まなそうだなーってなる。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4767174559451651009/comment/qq3
しかし、そんなことはない。手持ちの本や雑誌をぺらぺらめくれば、行頭に配置されている捨て仮名がすぐに見つかるはずだ。
探すのが面倒という人のために、国立国会図書館のデジタルコレクションから例を見つけてやったぞ。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2436467/1/48
左のページの下の段の2行目、行頭に「ゃ」が来てるよな?
20代の頃と違って覚える能力が衰えたと感じる。覚えたと思ったこともなんも覚えてない。
で、個人的には、人を覚えるにはその人(ら)について他の人と楽しく話すと覚えやすいなと。
この手の話題、コンプラアウトだけど悪口が一番盛り上がる、し、効果抜群。
マジ人の悪評とか一発で覚えるし、興味の向き方が変わる。「あっ、噂のキレ方w」「確かにこの喋り方ウザい」とか、実際体験もすることで「あーーー、コレがタナカサン(仮名)ね、完全に理解した」ってなる。
まぁ普通に性格がクズなだけなんだが、クズにはそういう方法が適してるって心底。
こないだ「バイト仲間の高専6年生」と書きながらふとそういえば一昨年の暮れにもそいつのことを「バイト仲間の高専6年生」と書いていたような気がするなぁと思いながらまあいいかと思って記事を投稿したらツッコミが複数入った。
そういえば、その人が高専5年生だった頃に卒業後は大人しく就職するか高専で勉強するかどうか悩むーとか言っていて、そのよく春には結局卒業して専攻科なる所へ入学したのなんのと言っていたような気がした。のだが適当に「高専6年生」と日記上で呼び始めたあと光陰矢の如しに時間が経過したのでふざけて「高専7年生」と呼ぶべきところ「高専6年生」のまま止まってしまったんだな。
高専7年生が当店でバイトをし始めた頃は確か19歳と言っていたので、この人けっこう長い間勤めていたんだなぁとしみじみ思ったのだがその「長い間」って何年だったかな……頭の中に霞がかかっていてよくわかんないや。高専7年生はこの春就職するギリギリまでバイトを続けるつもりでいると言うけど、実際ギリギリまで居れると思って本当に居れた学生さんってこれまでに1人もいない気がする。結局なんだかんだ3月上旬に急遽辞めるパターンのような。となると下手すると同時期に高専7年生とお気持ち繊細ヤクザが辞めるわけで、また当店は地味に人手不足になるわけだ。
お気持ち繊細ヤクザの跡継ぎ要員としてこの春から大学生になるという高校3年生は、この間の火曜日にコンビニ労働4日目だったのだがもうすでに表情が曇り切っていて、品出し作業の途中にふと手を止めては虚空に向けて視線を漂わせている。大丈夫かなあこの子。
店長から高校3年生の教育係を任されているお気持ち繊細ヤクザは、高校3年生が帰った後で、
「俺、明日も彼と仕事なんすけど明日は絶対彼に俺の側を離れて欲しくないんですよね。明日中に絶対に完璧に仕上げたいんで」
と言っていた。やめたげてよぉ、どうせ準夜の仕事なんて特殊なもの何もなくて皆同じ仕事してるんだからさぁ。2月中に完璧に出来る様にならなくても、私やスリランカ人も教えてやれるしサポートも出来るんだし、慌てるこたーない。
ところでお気持ち繊細ヤクザが店長から「お客さんから注文されたものだから売り場に品出ししないで」と言われた物を品出ししてしまったり、危うく品出ししちゃうところだったという事がここ2週間ばかりで何回かあって、ここ2週間といってもお気持ち繊細ヤクザの出勤日数は少ないから出勤するたびに同じやらかしをしているという事になる。
先週の火曜だったか木曜だったかには、店長が「お気持ち繊細ヤクザくん(仮名)にはちゃんと言っておいたけど念の為に増田さんにも言っておくね」と氷結レモン1ケースはお客様が注文したものだから絶対開封せず「お客用」って書いた紙を貼って事務所に置いとくよう指示された。
それで、その時点ではお気持ち繊細ヤクザが何度も同じやらかしをしているということを知らなかった私は、ダブルチェック大事だよねーという軽い気持ちで、ドリンクの品出しを始めようとしていたお気持ち繊細ヤクザのところに行き、
と声をかけたらその時お気持ち繊細ヤクザが開封しようと手をかけていた箱がまさに氷結レモンだった。
「あれ、店長がお気持ち繊細ヤクザさん(仮名)にちゃんと言っておいたって言ってましたけど聞いてなかったですか?」
「いや、聞いてないですね。でも、えっあるんですかお客さんが頼むとか。でも道理でおかしいと思いました。この箱だけ変な紙貼ってあるし、でもえっ? ダメなんですかこれ品出しするのは?」
とか言うから、念の為にこれがその予約商品なのか電話で店長に確認した方がいいですよと私が言ってもお気持ち繊細ヤクザはなんかモゴモゴ言ってはぐらかしたので、私は彼に「ちょっと待っててください」と強めに言い、スマホを持ってきて氷結の写真を撮り「予約注文のやつこれですか?」と店長にLINEしたらすぐに
『そうそれー』
と返事が来た。お気持ち繊細ヤクザは何故か酎ハイの品出し自体を放り出してウォークインでソフトドリンクの品出しをしていたので、私が台車に積んである酎ハイの下から2番目にあった予約商品の氷結を事務所まで持っていった。お酒とか調味料とかをケースで注文すると、箱に当店の店名がでかでかと書かれた紙が貼られた状態で届くので、ひと目で予約商品とわかる。
昔、当店で定期的にマヨネーズをケースで注文するおじいさんがいたけど、いつの間にか来なくなった。飲食店を経営している人で、もうけっこうなお年だったので廃業してしまったのかもしれないが、元バイト仲間のAさんによれば旧オーナーがお客様から注文された商品をよく発注し忘れることと、昼勤の人たちが知らずに品出ししてしまう事が立て続けに起きたせいでお客様を怒らせたからだということだったが、本当のところは謎。
ケース買いの商品は箱のバーコードをスキャンして会計することが出来ないので、売り場にそれと同じ商品があればそれを持ってきてスキャンし箱の入り数を掛けた金額で売るのだが、うっかりスキャンするだけに使った売り場の商品
話を戻すと、氷結レモンの危機は回避したのだが、お客様の注文のポケモンカードは私のいない日に入荷して、誰もチェックしなかったのでお気持ち繊細ヤクザが品出ししてしまった。お気持ち繊細ヤクザ曰く、
「秒で売れた。」
その事をお気持ち繊細ヤクザは店長に黙っていたらしくて、その翌日私が出勤すると店長が慌てて1号店にポケモンカードを取りに出かけるところだった。
「ポケモンカード注文したってお客さんが来たら、まだ届いていないとか何とか上手いこと言って誤魔化しといて〜」
と言い残して店長が店を飛び出して行った1時間後くらいにポケモンカードを注文したお客様が来店。嘘をつくのがびみょうに苦手な私は、
「手違いでポケモンカードは1号店に届いたので、今店長が取りに向かっているところです」
と答えた。
お客様は、
「そうなんだ。何だか急かしたみたいで悪いんね〜。また明日くるね〜」
と朗らかに言って帰って行った。怒ったり暴れたりするタイプの人じゃなくてよかったぁ。
ポケモンカードのこともお気持ち繊細ヤクザは店長から何も聞いていないと言っていたが、店長は最近お疲れモードで大事な事を言い忘れる事がある一方で、お気持ち繊細ヤクザは都合の悪いことは全部人のせいにする奴なので、本当のところはわからない……などと書く私は勿論お気持ち繊細ヤクザの事をミリも信用していない。
高専7年生が辞めるので、補充人員として数カ月前に高専7年生の友人で大学休学中の人が雇われて、つい先日にはダブルワークの気のいいおばちゃんが雇われた。
だが気のいいおばちゃんはアラ還くらいの年齢なのでやる気と元気はあっても記憶力がついていかない。気のいいおばちゃんの教育係を任された大学休学中の人には、教えた事を次の日どころかその日のうちに忘れるという事がとても信じられないことらしくて、私が40代以上の人達の記憶力のなさを舐めたらいかんですよ、本当に3歩歩いたらもう忘れるくらいなんです! と言っても、
大学休学中の人は気のいいおばちゃんのことを店長に「使えないからクビにしたほうがいい」と報告するつもりだと言っていた。大学休学中の人は大学を休学して自営業をしているだけあってシビアだ。
以下は「インセルの惨めな一日」というタイトルに基づいた短編小説です。日本語で自然に読めるように心がけました。内容はフィクションであり、特定の個人や団体を描写するものではありません。
朝7時、外から聞こえる鳥のさえずりがカーテンの隙間から漏れる薄暗い部屋に響き渡る。山田翔太(仮名、28歳)はベッドの上で目を覚ますが、すぐに起き上がる気にはなれない。枕元のスマホを手に取り、習慣的にSNSを開く。画面には、見知らぬカップルの幸せそうな写真や、リア充を自慢する投稿が次々と流れてくる。「どうせ俺には関係ない」と呟きながら、彼は画面をスクロールし続ける。
翔太は自称「インセル」だ。正式には「非自発的独身者」と訳されるこの言葉を、彼は自分の人生を定義する呪いのように感じている。大学を卒業してから正社員の仕事に就けず、今はコンビニのアルバイトで生計を立てている。恋愛経験はゼロ。友人もほとんどいない。「女は見た目と金しか見てない」と、彼は何度も自分に言い聞かせてきた。
朝食代わりにカップラーメンを啜りながら、翔太はいつものネット掲示板にアクセスする。そこは彼と同じような境遇の男たちが集まり、社会や女性への不満をぶちまける場所だ。今日の話題は「街で見かけたリア充カップルがムカつく」というスレッド。翔太は「わかる。あいつら全員死ねばいい」と書き込み、わずかな満足感を得る。でも、心の奥底では虚しさが広がるだけだ。
午後になると、彼は仕方なくバイトに出かける準備をする。鏡に映る自分の顔を見て、ため息をつく。「こんな顔じゃモテるわけないよな」。コンビニまでの道すがら、通り過ぎるカップルや楽しそうに笑う若者たちを横目で睨む。彼らの笑い声が、自分を嘲笑っているかのように感じられる。
バイト中も惨めさは続く。レジに並ぶ客の中には、イケメンや美人、そして幸せそうな家族連れがいる。翔太は無表情で袋に商品を詰めながら、心の中で毒づく。「こいつら、俺のこと見下してるんだろ」。特に若い女性客が来ると、彼は緊張で手が震え、目を合わせられない。彼女たちが去った後、「どうせ俺なんか眼中になかったんだ」と自己嫌悪に陥る。
夜10時、バイトが終わり、アパートに帰宅する。部屋の電気をつけると、散らかった床と空のペットボトルが目に入る。疲れ果てた体をソファに投げ出し、再びスマホを手に取る。今度は匿名アカウントでSNSに愚痴を投稿する。「世の中不公平すぎる。俺みたいな底辺には何の希望もない」。数分後、数件の「いいね」がつくが、それだけで心が満たされるはずもない。
深夜、眠れないままベッドに横たわり、翔太は天井を見つめる。頭の中では「もし俺がもっとイケメンだったら」「もし金持ちだったら」という空想がぐるぐる回る。でも、現実は変わらない。結局、彼は目を閉じ、明日も同じような一日が続くことを知りながら、眠りに落ちる。
この小説は、インセルと自認する人物の内面や日常を描写したものです。惨めさや孤独感を強調しつつ、彼の視点から見た世界をリアルに表現しました。もし特定の要素を追加したり、方向性を変えたい場合は、ぜひ教えてください!
私は中学受験を経て中高一貫校に入学した。サッカー部に入った。そこで相田(仮名)と出会った。相田は絵に書いたような良い人間だった。誰にでも優しく、気軽に話しかける。男兄弟が多い相田は女でも男っぽくて物事にははっきりと意見する。相田はそんな性格から先輩から可愛がられ、みんなを和ませようとお笑いに徹する奴でもあった。当然先輩からの指名で学年のリーダーとして選ばれた。すごい人がいるんだなぁと私は彼女を尊敬していた。
しかし、同じ学年の飯野(仮名)が女らしい妬みで相田の悪口を言いふらし、明らかに相田を嫌っていた。他の同学年部員からしてもこの根も葉もない悪口を言いふらす飯野は嫌いだったが、ボス猿のように態度がでかくヒステリックを起こす面倒な奴だったのでみんな飯野に乗って相田と距離を取っていた。
私はいじめられ経験もあって「こんなやつの味方になるかよ」と思って相田には普通に話しかけていた。嫌われているのかなと落ち込んでいた相田に「嫌われて上等。無視して、人生楽しんでる姿見せつけたれ!」と偉そうに言ってしまった。実際私がいじめられていた小学生の時は無視で乗り越えていたのでそれしか解決方法を知らなかったのだ。
私は徐々に練習についていけなくなった。小学生と中学の部活はレベルが違う。次第に足を引っ張る私が飯野の標的になった。そのころには飯野は先輩/後輩には可愛い面と態度で、同学年にはボス面でヒスっていた。くそアマがぁ…殴り合いしたら勝てるのに…と体格差的に思っていた。本当に夢小説に出てくる嫌味女そのものだった。
そんなある日、部活のミーティングで部長から「増田は一人で練習するな。もっと同学年と仲良くしろ」と公開お叱りを受けた。私は飯野のせいで一人で練習せざるを得なかったのだ。そんなんだったら一人でできるキーパーになってやるよとポジションを変えた。パス練習で明らかにハブられて、壁に行こうとしていた私に「一緒に練習しよう」と相田が言いに来てくれた。互いにショートヘアーだったので「短くしたとき親が嫌な顔してたね~」とかショートヘアー談義してた。
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人間関係が嫌になって部活に行く頻度が減った私に「今日は来れる?」「ちょっとだけでもいいからさ!」と励ましてくれた。私なんかいても空気悪くなるだけだし、中3の時辞めようかと思ってと伝えるといつも笑顔な相田が真剣に叫んだ。「嫌だ!増田だけだもん、ウチに意見を言ってくれるの!」
その時、私は合宿所で夜中、相田とおしゃべりしたことを思い出した。就寝時間まで自由行動だったため、私が探検がてら合宿所をウロウロしていたら、同じ考えだった相田と出会ったのだ。合宿所の玄関でお互いの兄弟についてや進路について語ってた。家庭内の相談ばっかだった。私は馬鹿なので「それやば!」「大変だね」しか返答できなかった。ごめん。相田がお菓子禁止の家なので「お菓子の密輸ならまかせな!」くらいしか頼りあること言えなかった。先生に寝る時間だぞと言われても飯野のいる部屋に帰りたくなく、怒鳴られるまでそこで話してた。
それもあり、相田は良い奴だからと辞めるのを悩んでいたが、心身ともに疲れたうえに他の1人が辞めるというので一緒に辞めた。
「部活辞めても友達だからね!」と言われた私は小学生のいじめられたトラウマで「あぁ…うん」と微妙な返事しかできなかった。
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そこからは相田とクラスも違うし、関わらなくなった。高校になると学年の中でも生徒会長の次に有名な相田になっており、人望あり・信頼あり・成績優秀。私はひっそり見上げるだけの存在になっていた。すべてができる相田を尊敬していた。最高の陽キャなのだ。私はオタク面白女の位置だったらしく、ネットのことなら増田に聞こう!と学年で噂の辞書ポジションになっていたので関わりは無くなってた。今思えば「"ぬるぽ"と言うのは…」と説明していたのきしょすぎる。AAも教えていた。殺してくれ。
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高3の時、相田と最初で最後の同クラスになった。その時に一度だけ隣の席になった。
道徳か保険か忘れたが、授業で隣の人の手を握って10個褒めましょうな時間があった。女子校なのにみんなデレデレしていた。やっぱり面と向かって褒め合うのは恥ずかしい。
相田も例にもれず恥ずかしがっていたが、私は早く終わらせないと最後に目立つと思い、相田の手を取って「さっさと言えば恥ずかしくないから」と言い、相田は「ウチから話す!」と「面白い、相談乗ってくれる、優しい、頼りがいがある、背が大きい、力持ち…」。すげー恥ずかしい。カーストてっぺん太陽キャ優秀で尊敬している相田に褒められている状況は、学校帰りにお小遣いを音ゲーに使っていた私には眩しい。
「増田、絵描くよね。ほんと上手だなって思っていて、羨ましい!でもまだまだって言うよね?すごい!センスある!」と言われた。当時は絵ばっかり描いてオタクしてて親から受験が成績がどうのこうの責められていた時期だったから、嘘でも御世辞でもすごく嬉しかった記憶がある。
私も相田を褒めた。「二次元にいるような素晴らしい性格、まさに主人公」とかばかあほみてぇな褒め方した。黒歴史である。最後の1個焦って「可愛い!」と言ったら互いに顔真っ赤になって、相田がふざけ始めなかったら百合漫画になって危うくLove so sweetが流れ始めるところだったなァ!ってふざけて直接言った。爆笑してくれたからよかったもののの、キショい。セクハラだから永久凍土に埋めてほしい。
センスあるという言葉が残っていて、「センスあるのかな」と別の文化部に入っていたので賞に応募したら一度だけ賞を取った。それでAO入試を応募する気になったので、相田には大人になった今も感謝している。
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そんなエピソードがあったが、卒業後は所属しているグループも違えば私はTwitter、あっちはインスタ・FBくらいの違いがあるので会う事も話す事もなくなった。
そしてこの前高くて高いホテルで同窓会があった。出席簿をみたら相田も参加していた。でもしばらく話していないしなぁと思って、私はいまだに関わっているオタ友と喋っていた。そしてお手洗い離脱をし、途中の夜景が見えるところでガキみたいに「うぉ~すげ~」と小さい車や残業の光を見ていたら声をかけられた。
相田だった。まさか声をかけられるとは思っていなくて不細工な顔をしてしまった。っというかこんなドラマみたいな再開あんのかい!とかキショイ突っ込みをした。バカが。
でも相田は「さすが増田!面白~い!」と笑っていた。その後は仕事の話や他愛のない話をして開場まで歩いた。
「私の事よく覚えていたね」と謙遜したら「友だちじゃん!」と返され、相変わらず良い奴だな~と思った。
「今も絵描いているんだって?」と聞かれたので「うん。楽しくてね」と返した。私は一次創作を趣味で嗜む程度である。「プロにはならないの?」「まぁなれたら嬉しいけど…」「なってよ!」
ずいッと身を乗り出して言われた。「いやいや、もう年だし、今の仕事も楽しいし、フォロワーも数百人だし、それに一度も佳作すら…」と続けて言い訳したら「嫌だ!頑張ってる増田もっと見たい!」と言われた。
「恥ずかしい事よくいえるね」と照れたら「だって見てるもん。Twitter!」
???????????????????????????????????????(ここに宇宙猫)
アーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ??????!!!!!!なんで知ってんねん!!!!!!!!!!!!!!!!
「どうじんし?ってやつ?どこかで売ってるんだよね?」
「待て!」
「増田の絵好きなんだ。羨ましい!この前の絵もめっちゃ上手だったね!」
「待て!」
卑しいものは描いていない。いたって普通の全年齢の漫画とイラストだ。でもこんな、よりにもよって、尊敬していた人間に見られているという事実が!
その時ニタ~っとのぞき込んで笑う相田の顔が今も忘れられない。からかうのが好きな相田だと忘れていた。
「だから、やめないでよ?好きなんだから」そう相田は言い、他の人に呼ばれて会話は終了した。
いまだに私の絵を好いているなんて思いもしなかった。
でもずっと一次創作して「何やってるんだろう…」と落ち込んでいた時期でもあった。なんだかな。まだ私の絵を羨ましがってくれている彼女のことを思うと、続けているのは間違いじゃなかったのかなぁと思う。正解や不正解なんてないけど、これが理由でもいいかなと思う。むしろ彼女が寂しがらないようにプロにならなくとも続けようかな。プロを目指す人には敵わないけど、もう少し持ち込みやコンテストも頑張ってみようかな。忘れないように書き残しておこうと思った。
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