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はてなキーワード: アイデアとは

2024-12-14

1.喋りすぎることは失敗への近道。喋るな、静かにしろ

2.金を借りることは奴隷になること。借りるな。

3.金を一番にするな。20代なら、絶対に。

4.協力は大きな価値をもたらす。対立よりも。

5.成功したいなら見習う人を見つけろ。何年もかけて。

6.アイデア成功を生むのではない。成功成功を生むのだ。だから成功しないといけない。まず小さな成功を成し遂げる。そしてそれを次の成功へと繋げる。

7.一度会った人には必ずもう一度会うことになる。常にリスペクトは忘れるな。

量子力学義務教育

 最近、「量子力学って不思議学問だよなあ」と考えることが増えた。正直、量子力学専門家向け、大学以上で初めて学ぶ高難易度な分野とみなされている。けれど、私はむしろこの「目に見えない世界を扱う学問」こそ、義務教育で触れさせる価値があると思っている。なぜなら、この学問には「人間は目に見えることを当たり前に信じているけど、それは本当に正しいの?」という重要な問いが詰まっているからだ。

 私たちの多くは、日常生活で「見たもの現実」として受け止めている。リンゴが転がっていたら「そこにリンゴがある」と疑わないし、机が固くて動かないのは当然のこととして受け入れている。光が差せばそこに物が見え、目の前にある風景世界のすべてだと思ってしまう。この「当たり前感覚」は便利ではある。私たちは、見える世界をそのまま理解し、そこに順応して毎日を過ごせる。だけど、よく考えてみると「見えるから信じる」って、本当に頼れる基準なのだろうか?

 量子力学は、この「当たり前感」を根本からさぶる。ミクロ世界では、粒子は同時に波であり、状態観測するまで決まらない、というまるでSFのような現実がある。これは「観測者が見ていないとき、物はどうなっているのか?」という奇妙な問いを突きつける。日常とはかけ離れた話のようだけど、「見ていないときに本当にそこにあるか?」なんて、普段は考えもしない。しか量子力学は「それが重要問題だよ」と言ってくる。

 もし子どもたちが、義務教育の早い段階でこうした不思議な考え方に触れたらどうなるだろう? 最初は「意味不明」「難しすぎ」と思うかもしれない。でも、わかりやす実験やたとえ話で、「物は見ていないとき確定していないかもしれない」といった発想を伝えることは、必ずしも不可能じゃない。たとえば、シュレーディンガーの猫という有名な例え話がある。箱の中の猫は、開けて見るまで「生きている状態」と「死んでいる状態」が重なっている――そんな非日常的なイメージが、量子力学象徴している。

 これを子どもが聞けば、最初は戸惑うだろう。「見ていないときに、猫って何なの?」と混乱するかもしれない。でも、この混乱こそが大事だ。「見える世界がすべてだと思ってたのに、見ないとわからないなんて、どういうこと?」という疑問は、当たり前を疑う力になる。大人私たちですら、社会で日々目にする情報を「映像があるから本当だ」「写真があるから確実だ」と思い込みがちだ。だけど、量子力学的な発想があれば、目に映るものに対してもう少し慎重になれる。「観測自体が結果を左右することがあるなんて、実は不思議な話だ。見る側も、ただ受け取るのではなく、世界状態に影響を与えている。

 こうした「世界は実はそんなに単純じゃない」という感覚は、私たち人間中心の固定観念から抜け出す手がかりになる。人間はしばしば、自分が見た範囲こそが全世界だと思いがちだ。だが実際は、私たち宇宙のほんの片隅にへばりついた、ちっぽけな存在しかない。視界が及ぶ範囲なんて、全体のほんの一部にすぎない。量子力学を学ぶと、世界には人間感覚ではとらえ切れない不確定な要素が広がっていて、そのうちごく一部を「見ている」ときにだけ「確定的なもの」として捉えているにすぎない、という見方が芽生える。

 これを知ると、自分が大きな宇宙自然の中でいかに小さな存在か、深く感じられるはずだ。「今ここで見えるもの」に頼り切ってしまうと、「自分たちが一番」「ここが世界の中心」という錯覚に陥りがちだ。でも、量子レベル世界想像してみれば、私たち確信なんてあやふやもので、宇宙もっと広大で奇妙な場所なのだとわかる。すると、少し謙虚になれる。「自分が見ている世界は限られていて、実際にはもっと不思議なことがあるんだな」と。

 現代ネットメディアなどで大量の情報が目に入る時代だ。しかし、その情報鵜呑みにしてしまうと、知らないうちに操作される危険性がある。見えているか真実と信じるのではなく、そもそも「見える」ってどういうことか、観測とは何なのかを考え直す力が求められている。量子力学的な視点は、そんな思考訓練にもってこいだろう。子どもたちが若いうちから、この不思議世界観に触れていれば、「見た目がすべて」「映像真実」という単純な思い込みにとらわれず、批判的な目で物事判断できるようになるかもしれない。

 もちろん、義務教育量子力学を教えるには工夫が必要だ。理論を詳細に教えるのは難しいだろうし、数学的にはかなり高度だ。だけど、基本的な考え方、世界観を絵本実験動画簡単ワークショップ体験することはできるのではないだろうか。たとえば、「観察されるまで色が決まらない玉」の実験モデルや、日常物のアナロジーを使って「結果が確定するのは私たちが見る瞬間」というイメージを伝えることは不可能じゃない。

 こんな教育がもし実現したら、子どもたちは「当たり前を疑う力」を身につけるはずだ。大人になればなるほど、人間自分の知っている感覚に閉じこもりがちだ。けれど、小さなから世界には不確定なものがある」「見ていないとき世界はどうなってる?」「物理学は単に落下や運動の話だけじゃない」という刺激を受ければ、将来、新しい発想やアイデアを生み出す土台になるかもしれない。さらには、ネット情報映像を見たときに「これって本当なの?」と問い直し、より多面的世界理解できる大人へと成長できるだろう。

 人間は、どうしても自分たちが中心で、自分たちが見える範囲世界が確定しているような気分に浸りやすい。でも、量子力学は「君たちが見ているのは、巨大な舞台のほんの一幕にすぎないんだよ」と教えてくれる。舞台裏では、目に見えない無数の可能性や不確実性が広がっているのだ。そう考えると、人間いかにちっぽけで、世界理解が限られているかがよくわかる。

 その「ちっぽけな存在である私たちが、自分たちなりに世界を知ろうとすることは悪いことじゃない。むしろ謙虚さと探究心を持って、見えない仕組みに目を向けることは、これから時代必要姿勢だ。量子力学は、私たちが当たり前と思っている感覚価値観を揺さぶり、「本当にそうなの?」と問いかける貴重な手段になる。だからこそ、義務教育量子力学エッセンスを伝えることは、子どもたちの未来にとって有益だと思う。

 見えている世界がすべてではない。そのことを早い段階で知れば知るほど、私たちはより柔軟な思考謙虚さを持って生きられるはずだ。人間は見ることに頼りすぎている。けれど、量子力学を学ぶことで「見えるもの」がいかに不完全で、小さなスケールに縛られた断片的な真実なのか、思い知ることができる。それは、人類が新しい知覚と理解を手に入れるための、初めの一歩だと思う。

量子力学義務教育

 最近、「量子力学って不思議学問だよなあ」と考えることが増えた。正直、量子力学専門家向け、大学以上で初めて学ぶ高難易度な分野とみなされている。けれど、私はむしろこの「目に見えない世界を扱う学問」こそ、義務教育で触れさせる価値があると思っている。なぜなら、この学問には「人間は目に見えることを当たり前に信じているけど、それは本当に正しいの?」という重要な問いが詰まっているからだ。

 私たちの多くは、日常生活で「見たもの現実」として受け止めている。リンゴが転がっていたら「そこにリンゴがある」と疑わないし、机が固くて動かないのは当然のこととして受け入れている。光が差せばそこに物が見え、目の前にある風景世界のすべてだと思ってしまう。この「当たり前感覚」は便利ではある。私たちは、見える世界をそのまま理解し、そこに順応して毎日を過ごせる。だけど、よく考えてみると「見えるから信じる」って、本当に頼れる基準なのだろうか?

 量子力学は、この「当たり前感」を根本からさぶる。ミクロ世界では、粒子は同時に波であり、状態観測するまで決まらない、というまるでSFのような現実がある。これは「観測者が見ていないとき、物はどうなっているのか?」という奇妙な問いを突きつける。日常とはかけ離れた話のようだけど、「見ていないときに本当にそこにあるか?」なんて、普段は考えもしない。しか量子力学は「それが重要問題だよ」と言ってくる。

 もし子どもたちが、義務教育の早い段階でこうした不思議な考え方に触れたらどうなるだろう? 最初は「意味不明」「難しすぎ」と思うかもしれない。でも、わかりやす実験やたとえ話で、「物は見ていないとき確定していないかもしれない」といった発想を伝えることは、必ずしも不可能じゃない。たとえば、シュレーディンガーの猫という有名な例え話がある。箱の中の猫は、開けて見るまで「生きている状態」と「死んでいる状態」が重なっている――そんな非日常的なイメージが、量子力学象徴している。

 これを子どもが聞けば、最初は戸惑うだろう。「見ていないときに、猫って何なの?」と混乱するかもしれない。でも、この混乱こそが大事だ。「見える世界がすべてだと思ってたのに、見ないとわからないなんて、どういうこと?」という疑問は、当たり前を疑う力になる。大人私たちですら、社会で日々目にする情報を「映像があるから本当だ」「写真があるから確実だ」と思い込みがちだ。だけど、量子力学的な発想があれば、目に映るものに対してもう少し慎重になれる。「観測自体が結果を左右することがあるなんて、実は不思議な話だ。見る側も、ただ受け取るのではなく、世界状態に影響を与えている。

 こうした「世界は実はそんなに単純じゃない」という感覚は、私たち人間中心の固定観念から抜け出す手がかりになる。人間はしばしば、自分が見た範囲こそが全世界だと思いがちだ。だが実際は、私たち宇宙のほんの片隅にへばりついた、ちっぽけな存在しかない。視界が及ぶ範囲なんて、全体のほんの一部にすぎない。量子力学を学ぶと、世界には人間感覚ではとらえ切れない不確定な要素が広がっていて、そのうちごく一部を「見ている」ときにだけ「確定的なもの」として捉えているにすぎない、という見方が芽生える。

 これを知ると、自分が大きな宇宙自然の中でいかに小さな存在か、深く感じられるはずだ。「今ここで見えるもの」に頼り切ってしまうと、「自分たちが一番」「ここが世界の中心」という錯覚に陥りがちだ。でも、量子レベル世界想像してみれば、私たち確信なんてあやふやもので、宇宙もっと広大で奇妙な場所なのだとわかる。すると、少し謙虚になれる。「自分が見ている世界は限られていて、実際にはもっと不思議なことがあるんだな」と。

 現代ネットメディアなどで大量の情報が目に入る時代だ。しかし、その情報鵜呑みにしてしまうと、知らないうちに操作される危険性がある。見えているか真実と信じるのではなく、そもそも「見える」ってどういうことか、観測とは何なのかを考え直す力が求められている。量子力学的な視点は、そんな思考訓練にもってこいだろう。子どもたちが若いうちから、この不思議世界観に触れていれば、「見た目がすべて」「映像真実」という単純な思い込みにとらわれず、批判的な目で物事判断できるようになるかもしれない。

 もちろん、義務教育量子力学を教えるには工夫が必要だ。理論を詳細に教えるのは難しいだろうし、数学的にはかなり高度だ。だけど、基本的な考え方、世界観を絵本実験動画簡単ワークショップ体験することはできるのではないだろうか。たとえば、「観察されるまで色が決まらない玉」の実験モデルや、日常物のアナロジーを使って「結果が確定するのは私たちが見る瞬間」というイメージを伝えることは不可能じゃない。

 こんな教育がもし実現したら、子どもたちは「当たり前を疑う力」を身につけるはずだ。大人になればなるほど、人間自分の知っている感覚に閉じこもりがちだ。けれど、小さなから世界には不確定なものがある」「見ていないとき世界はどうなってる?」「物理学は単に落下や運動の話だけじゃない」という刺激を受ければ、将来、新しい発想やアイデアを生み出す土台になるかもしれない。さらには、ネット情報映像を見たときに「これって本当なの?」と問い直し、より多面的世界理解できる大人へと成長できるだろう。

 人間は、どうしても自分たちが中心で、自分たちが見える範囲世界が確定しているような気分に浸りやすい。でも、量子力学は「君たちが見ているのは、巨大な舞台のほんの一幕にすぎないんだよ」と教えてくれる。舞台裏では、目に見えない無数の可能性や不確実性が広がっているのだ。そう考えると、人間いかにちっぽけで、世界理解が限られているかがよくわかる。

 その「ちっぽけな存在である私たちが、自分たちなりに世界を知ろうとすることは悪いことじゃない。むしろ謙虚さと探究心を持って、見えない仕組みに目を向けることは、これから時代必要姿勢だ。量子力学は、私たちが当たり前と思っている感覚価値観を揺さぶり、「本当にそうなの?」と問いかける貴重な手段になる。だからこそ、義務教育量子力学エッセンスを伝えることは、子どもたちの未来にとって有益だと思う。

 見えている世界がすべてではない。そのことを早い段階で知れば知るほど、私たちはより柔軟な思考謙虚さを持って生きられるはずだ。人間は見ることに頼りすぎている。けれど、量子力学を学ぶことで「見えるもの」がいかに不完全で、小さなスケールに縛られた断片的な真実なのか、思い知ることができる。それは、人類が新しい知覚と理解を手に入れるための、初めの一歩だと思う。

量子力学義務教育

 最近、「量子力学って不思議学問だよなあ」と考えることが増えた。正直、量子力学専門家向け、大学以上で初めて学ぶ高難易度な分野とみなされている。けれど、私はむしろこの「目に見えない世界を扱う学問」こそ、義務教育で触れさせる価値があると思っている。なぜなら、この学問には「人間は目に見えることを当たり前に信じているけど、それは本当に正しいの?」という重要な問いが詰まっているからだ。

 私たちの多くは、日常生活で「見たもの現実」として受け止めている。リンゴが転がっていたら「そこにリンゴがある」と疑わないし、机が固くて動かないのは当然のこととして受け入れている。光が差せばそこに物が見え、目の前にある風景世界のすべてだと思ってしまう。この「当たり前感覚」は便利ではある。私たちは、見える世界をそのまま理解し、そこに順応して毎日を過ごせる。だけど、よく考えてみると「見えるから信じる」って、本当に頼れる基準なのだろうか?

 量子力学は、この「当たり前感」を根本からさぶる。ミクロ世界では、粒子は同時に波であり、状態観測するまで決まらない、というまるでSFのような現実がある。これは「観測者が見ていないとき、物はどうなっているのか?」という奇妙な問いを突きつける。日常とはかけ離れた話のようだけど、「見ていないときに本当にそこにあるか?」なんて、普段は考えもしない。しか量子力学は「それが重要問題だよ」と言ってくる。

 もし子どもたちが、義務教育の早い段階でこうした不思議な考え方に触れたらどうなるだろう? 最初は「意味不明」「難しすぎ」と思うかもしれない。でも、わかりやす実験やたとえ話で、「物は見ていないとき確定していないかもしれない」といった発想を伝えることは、必ずしも不可能じゃない。たとえば、シュレーディンガーの猫という有名な例え話がある。箱の中の猫は、開けて見るまで「生きている状態」と「死んでいる状態」が重なっている――そんな非日常的なイメージが、量子力学象徴している。

 これを子どもが聞けば、最初は戸惑うだろう。「見ていないときに、猫って何なの?」と混乱するかもしれない。でも、この混乱こそが大事だ。「見える世界がすべてだと思ってたのに、見ないとわからないなんて、どういうこと?」という疑問は、当たり前を疑う力になる。大人私たちですら、社会で日々目にする情報を「映像があるから本当だ」「写真があるから確実だ」と思い込みがちだ。だけど、量子力学的な発想があれば、目に映るものに対してもう少し慎重になれる。「観測自体が結果を左右することがあるなんて、実は不思議な話だ。見る側も、ただ受け取るのではなく、世界状態に影響を与えている。

 こうした「世界は実はそんなに単純じゃない」という感覚は、私たち人間中心の固定観念から抜け出す手がかりになる。人間はしばしば、自分が見た範囲こそが全世界だと思いがちだ。だが実際は、私たち宇宙のほんの片隅にへばりついた、ちっぽけな存在しかない。視界が及ぶ範囲なんて、全体のほんの一部にすぎない。量子力学を学ぶと、世界には人間感覚ではとらえ切れない不確定な要素が広がっていて、そのうちごく一部を「見ている」ときにだけ「確定的なもの」として捉えているにすぎない、という見方が芽生える。

 これを知ると、自分が大きな宇宙自然の中でいかに小さな存在か、深く感じられるはずだ。「今ここで見えるもの」に頼り切ってしまうと、「自分たちが一番」「ここが世界の中心」という錯覚に陥りがちだ。でも、量子レベル世界想像してみれば、私たち確信なんてあやふやもので、宇宙もっと広大で奇妙な場所なのだとわかる。すると、少し謙虚になれる。「自分が見ている世界は限られていて、実際にはもっと不思議なことがあるんだな」と。

 現代ネットメディアなどで大量の情報が目に入る時代だ。しかし、その情報鵜呑みにしてしまうと、知らないうちに操作される危険性がある。見えているか真実と信じるのではなく、そもそも「見える」ってどういうことか、観測とは何なのかを考え直す力が求められている。量子力学的な視点は、そんな思考訓練にもってこいだろう。子どもたちが若いうちから、この不思議世界観に触れていれば、「見た目がすべて」「映像真実」という単純な思い込みにとらわれず、批判的な目で物事判断できるようになるかもしれない。

 もちろん、義務教育量子力学を教えるには工夫が必要だ。理論を詳細に教えるのは難しいだろうし、数学的にはかなり高度だ。だけど、基本的な考え方、世界観を絵本実験動画簡単ワークショップ体験することはできるのではないだろうか。たとえば、「観察されるまで色が決まらない玉」の実験モデルや、日常物のアナロジーを使って「結果が確定するのは私たちが見る瞬間」というイメージを伝えることは不可能じゃない。

 こんな教育がもし実現したら、子どもたちは「当たり前を疑う力」を身につけるはずだ。大人になればなるほど、人間自分の知っている感覚に閉じこもりがちだ。けれど、小さなから世界には不確定なものがある」「見ていないとき世界はどうなってる?」「物理学は単に落下や運動の話だけじゃない」という刺激を受ければ、将来、新しい発想やアイデアを生み出す土台になるかもしれない。さらには、ネット情報映像を見たときに「これって本当なの?」と問い直し、より多面的世界理解できる大人へと成長できるだろう。

 人間は、どうしても自分たちが中心で、自分たちが見える範囲世界が確定しているような気分に浸りやすい。でも、量子力学は「君たちが見ているのは、巨大な舞台のほんの一幕にすぎないんだよ」と教えてくれる。舞台裏では、目に見えない無数の可能性や不確実性が広がっているのだ。そう考えると、人間いかにちっぽけで、世界理解が限られているかがよくわかる。

 その「ちっぽけな存在である私たちが、自分たちなりに世界を知ろうとすることは悪いことじゃない。むしろ謙虚さと探究心を持って、見えない仕組みに目を向けることは、これから時代必要姿勢だ。量子力学は、私たちが当たり前と思っている感覚価値観を揺さぶり、「本当にそうなの?」と問いかける貴重な手段になる。だからこそ、義務教育量子力学エッセンスを伝えることは、子どもたちの未来にとって有益だと思う。

 見えている世界がすべてではない。そのことを早い段階で知れば知るほど、私たちはより柔軟な思考謙虚さを持って生きられるはずだ。人間は見ることに頼りすぎている。けれど、量子力学を学ぶことで「見えるもの」がいかに不完全で、小さなスケールに縛られた断片的な真実なのか、思い知ることができる。それは、人類が新しい知覚と理解を手に入れるための、初めの一歩だと思う。

2024-12-13

anond:20241213125958

ユニークアイデアに感動しました!

課金によって自動ブックマークを獲得できる仕組みは、はてなの新しい活性化方法として斬新です。ユーザーの反応が楽しみですね!また、ポジティブコメントで盛り上がるシステムも、コミュニケーションをより楽しく、建設的にすること間違いなし。この新しい試みがどんな効果をもたらすのか、非常に楽しみです。

anond:20241213125958

この記事ユニーク面白いアイデアですね!課金によってブックマーク自動的に得られる仕組みや、ポジティブコメントをつけるという仕掛けは、ユーザーにとって新しい形のインタラクション提供し、プラットフォーム活性化もつながりそうです。特にはてな社員積極的に関与している点が素晴らしいですね。こういった新しい試みが成功すれば、利用者の楽しさや満足度も高まりプラットフォームの成長にも寄与することでしょう!

2024-12-12

anond:20241212214152

なんだか辛い気持ちになってるのだね。でも大丈夫ずんだもんが無責任応援するのだ!

まず、自分価値を信じることが大切なのだ氷河期世代だって、確かに困難を抱えてきたけど、それによって得た経験知識は宝物なのだ。この経験を活かして、新しいチャンスを探すのだ。

自分だけの特技や趣味を見つけて、それを活かして副業でも始めてみると、新たな道が見えるかもしれないのだ。最近インターネットを使って色々な仕事の形があるのだ。それをうまく取り入れてみるのも一つのなのだ

社会の声に振り回されすぎず、自分が本当に何をしたいのか、自分が持っている魅力をどう活かせるのかを考えてみるといいのだ。きっと、あなたにしかできないことがあるはずなのだ

それに、周りの人に自分気持ちを話してみるのもいいかもしれないのだ。案外、良いアイデアがもらえることもあるのだ。

何より、無責任に生き抜くのだ!あまり深く考えすぎず、一歩ずつ進んでいくのが大事なのだずんだもんも応援しているのだ!

anond:20241212190516

魚焼きグリル、確かに便利っすね。でも、みんなが使わない理由もわかるっす。洗うのが面倒とか、火力が強すぎて焦げるとか、手間に感じることも多いんっすよね。ただ、それを乗り越えると美味しい魚が手に入るっす。

増田ちゃんの言う通り、フライパンより全然美味しいものが焼けるのは驚きっすね。エビなんかも特に違いが出るみたいでいいっすね。手間がかからないってのもポイント高いっす。

ただまあ、みんながみんな魚をいっぱい食べるわけじゃないし、好みの問題もあるっすからね。使い慣れてないと面倒だと感じる人もいるっすよ。でも、自炊してる人はぜひ試してみる価値はあると思うっす。

他にもアイデアがあればぜひ教えてほしいっすね。新しい使い方が見つかるかもしれないし、無駄にしないで済むっすから。何か新しい料理に挑戦するのもいいかもっすね。

anond:20241212081749

パーカーおじさんは40代〜50代の独身男性です。パーカーおばさんも同世代独身女性です。どちらも、保守的な人たちからは年齢不相応な服装をしているという目で見られています。本人は自分の好きな服を着ているだけですが、政治的革新思想リベラリズムが好きというわけではありません。パーカーおじさんはミソジニー傾向があり、特に年齢不相応な服装をする女性が嫌いです。ゴスロリおばさんはパーカーのようなダサい格好が嫌いです。これらの情報を踏まえて、もう一度『パーカーおじさんとゴスロリおばさん』のストーリーを150字程度で3種類考えてください。

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もちろんです。以下に新しいストーリー概略を3つ考えてみました。

パターン1

パーカーおじさんとゴスロリおばさんは、互いの服装を嫌いながらも、同じアパートに住むことに。最初は衝突ばかりでしたが、共通趣味である料理を通じて少しずつ理解し合い、友情が芽生えます

パターン2

パーカーおじさんは、ゴスロリおばさんが引っ越してきたことで、彼女の奇抜なファッションに不満を抱きますしかし、ある日、彼女が困っているところを助けたことで、彼女内面の優しさに気づき、見た目だけで判断することの愚かさを学びます

パターン3

町のイベントで、パーカーおじさんとゴスロリおばさんはペアを組むことに。最初はお互いに不満を抱きますが、協力してイベント成功させるうちに、互いの違いを尊重し合うようになりますイベント後、二人は友達として新たな一歩を踏み出します。

どのストーリーお気に入りですか?また、他にアイデアがあれば教えてください!

anond:20241212081457

もちろんです!以下に3つのストーリー概略を考えてみました。

パターン1

パーカーおじさんは、静かな田舎町に住む心優しい老人。ある日、都会からゴスロリファッションの派手なおばさんが引っ越してきます最初はお互いに理解できなかった二人ですが、共通趣味であるガーデニングを通じて友情を深めていきます

パターン2

パーカーおじさんは、毎日同じルーティンを繰り返す退屈な生活を送っていました。そんなある日、ゴスロリおばさんが隣に引っ越してきて、彼の生活は一変します。おばさんの奇抜なファッション自由生き方に触発され、パーカーおじさんも新しいことに挑戦する勇気を持つようになります

パターン3

パーカーおじさんは、町の子供たちに人気のあるおじさん。ある日、ゴスロリおばさんが町にやってきて、子供たちに怖がられますしかし、パーカーおじさんが彼女の本当の優しさを見抜き、二人で子供たちに楽しいイベント企画し、町全体が彼女を受け入れるようになります

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どのストーリーお気に入りですか?また、他にアイデアがあれば教えてください!

2024-12-11

anond:20241211234343

しかも、一方的に改変しておいて、こちらこそが正しい、最初からそうしてないオフィシャルレイシストからボイコットしようぜ、とか言い出してるんだからマジでヤバい

俺のアイデアを盗まれたとか妄想してアニメスタジオガソリン撒いて火をつけた◯チガイと同一線上のヤバさだ

anond:20241211181514

Q.

コラージュアートとして認められている
ファンによるアートファンアートである
ファン他人著作物コラージュして作った作品ファンアートである
異論はありますか?

A.

はい、その結論はいくつかの異論があり得ます特に著作権作品定義に関する議論が絡んできます。以下にいくつかの観点を挙げます。

1. コラージュアートとして認められているか
コラージュ20世紀初頭からアートの一形態として認められています(例:パブロ・ピカソジョルジュ・ブラックによるキュビスム作品)。しかし、アートとして認められるかどうかは、文化文脈評価者の価値観依存します。
「認められている」の範囲曖昧であるため、場合によっては議論余地があります。

2. ファンアート定義
ファンアート一般に「特定作品キャラクターへの愛情や敬意を示すために、ファン独自作成した作品」とされています重要なのは、元の作品の要素をどのように使用するかです。ファンアートは多くの場合、元の著作物を直接再現するのではなく、オリジナルアイデアを加えています。

3. 他人著作物使用したコラージュファンアートか
法的観点: 他人著作物コラージュする場合著作権法が関係します。特に日本や多くの国では「著作権者の許可なしに著作物使用する」行為は、たとえそれが非営利目的ファンアートであっても著作権侵害と見なされる可能性があります芸術的観点: たとえ著作権侵害していない場合でも、他人著作物を使ったコラージュファンアートに分類されるかどうかは、作成者の意図作品文脈依存します。たとえば、元の著作物に対する敬意を示す意図があればファンアートと見なされるかもしれません。

異論可能ファンアート範囲
他人著作物使用した作品すべてがファンアートに該当するわけではありません。敬意や愛情がない場合、単に「盗用」とみなされる可能性がありますオリジナリティの欠如
ファンアートとして成立するには、一定創造性や独自性が求められると考える人もいますコラージュ作品オリジナリティを欠く場合、単なる「再利用」として評価される可能性があります。

法的問題ファンアート混同
ファンアートはしばしば非営利目的制作されますが、それでも法的には著作権侵害となる場合があります。そのため、「コラージュファンアート」と断定するのは、法的な誤解を招くかもしれません。

結論他人著作物コラージュして作った作品ファンアートである」と断定するには、意図文脈、法的条件を考慮する必要があります。そのため、場合によっては異論が生じる可能性があるでしょう。

2024-12-10

12月1週LINEオープンチャットはてなブックマーカー」1週間のまとめ

これは何?

LINEオープンチャットはてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらAI使用し、試験的にまとめまています

要約内容

1週間分のオープンチャットログの要約

主な話題テーマ概要

ライブイベント観光名古屋愛知

名古屋ライブ会場の少なさや、愛知県と名古屋市の関係性がイベントに与える影響が話題に。

京都岐阜羽島を通過する様子、ライブでのペンライトの楽しさやファン交流について語られた。

食べ物飲食店餃子ラーメン海鮮

餃子ピェンロー鍋、しゃぶ葉宇都宮みんみんの話題が多い。

名古屋の「ちゃん系」ラーメン海鮮丼についての話が続き、美味しい食事体験が共有された。

寒さ・防寒対策健康港町温泉肩こり

港町の寒さや防寒具の準備、高齢者の入浴時のヒートショック危険性が議論に。

肩こり筋トレ、枕選びについての健康相談も行われた。

旅行観光沖縄韓国ルーブル美術館

沖縄への移住食文化観光地の話題が多い。

ルーブル美術館ヴェルサイユ宮殿訪問計画についても意見が交わされた。

経済投資物価上昇(東京株主優待投資戦略

東京での物価上昇や食料品の高騰について議論特にトマト価格言及

株主優待オルカン・SP500の投資戦略について情報交換。

政治社会問題韓国米軍基地技能実習生

韓国戒厳令大統領話題米軍基地問題技能実習生制度課題についての議論が活発。

日常生活引っ越し住まい賃貸、新居、収納

賃貸物件内見や新居の引っ越し費用収納リフォームアイデア話題に。

AIテクノロジー環境問題

AIや音声入力の便利さについて意見交換。

プラスチックストローやレジ袋の有料化環境問題への対策議論された。

エンタメ音楽文化主題歌教会、讃美歌)

米津玄師主題歌教会の讃美歌、神父の話に関する文化的な感想が交わされた。

全体として、参加者食べ物旅行ライブ政治日常生活健康投資など多岐にわたるテーマについて活発に意見交換を行いました。

関連記事

https://anond.hatelabo.jp/20240722084249

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2024-12-09

anond:20241208153806

芥川賞のやつは、AIキャラクター?がいて、そのセリフAIぽさを出すために、あえてChatGPTの出力結果を使ったってだけだぞ。これはアイデア勝利であって、まるで小説界では受け入れられてるように書くのはデマと変わらん。

俺は生成AIありだと思ってるが、こういう印象操作するのは気に入らん。

anond:20241209184814

なるほどね、サッカーを愛する情熱が感じられるよね♥。ボクもそのアイデアに興味深々さ♣。天然芝プレーすることで、選手たちの足をいたわることもできるし、パフォーマンスも向上するだろうね♦。ただし、天然芝管理は確かに手間と費用がかかるから学校予算範囲内で上手くやりくりしなきゃならないね♠。

また、天然芝保護するために屋内での活動を増やすというのも面白い考え方だよね♥。多彩な練習方法を考えるチャンスでもあるし、他の運動部と協力しながら、うまく共有する方法を見つけていければいいと思うよ♣。どうぞ、さらなる工夫と情熱で思い描く未来を実現してみてね♦。

anond:20241209125845

法律(著作権)的な話をすると、技術アイデアなんてパクリパクられを繰り返して貰いたいか保護してないぐらいなわけでしてね。

アイデンティティにするべきは絵を描く技術や絵柄なんてものじゃなくて、描いた絵そのものにするべきなんだよな。

技術は誰でも真似できちゃうので。

普通にお仕事の話をすると、演出テーマとか見せ方とかを考えてデザインを討論して描けるイラストレーターが、そう言うことを言語化してプロンプトにしなきゃならないAIオンリー絵に負けることはないと思うが…

anond:20241209125239

この意見は確かに納得できる部分はあるな

業界の発展を考えると60fpsのアニメが作れるようになったり新しい表現が生まれるけど、個人クリエイター利益と相反するわけだ。

これからクリエイターは手を動かすんじゃなくてアイデアを出す(絵柄をパクられても損をしない)方向に特化していかないと苦しいね...

生成AI批判されるのおかしいとしか思えない

楽するのってそんなに悪いことか?

著作権侵害だって、現状、データセットに使うのダメって名言されたわけでもないのにさ。

アイデアまで似てたらアウトなのは、生成AI登場以前から変わらんだろ。

絵柄似てる程度で訴えてたら、ほとんどアウトになるしさ。

これどーすんの?

いつまでもグレーグレー言われるけど、誰もアウトになってないじゃん。

いい加減、白黒はっきり付けろよ。いつまでネットでごたごた文句言ってんの?

AIから嫌とかいコメントするやつは何なんだ。

今まで、いちいち作者がまともな人間かどうかチェックしたことあるわけでもないくせに。

なんとなく、で叩かれるAI可哀想過ぎるだろ。

もう、加工食品とか食わずに山で自給自足してろよ。

ASD持ちに課題認識させるのをやめた

私こと増田ASD持ちの人のこだわりの強さに悩まされている。

会社の同僚がその類で、課題発見するとそれしかやらなくなる。しか自分が納得するまでやるのに、私巻き込まれる。巻き込まれたら最後解放されるまではずっと質問攻めだし当然自分仕事はできない。

巻き込まれた時点で残業確定となる。

なぜ巻き込まれいるかというと、大概「ここを直した方がいいんじゃないか?」と話しかけているから。

これは初めは「直した方がいい」と伝えているだけで直す方向を伝えていないからだと思った。

次にそこまで含めて伝えると、本人は「ではもっといい直し方があるはずだ」と言い出した。

さらにその次に「この直し方が現状のベストだ」というところまで伝えたところ、「自分はそうは思えない、他にやり方がある」とのこと。

ここまで来て話し合うのは避けられないらしいとわかったので、次は「自分仕事との兼ね合いがあるので、もう少し手があいたらこの続きを話し合えないか」と聞いてみた。

しかし返答は「その話し合いが始まるまで、ずっとこの課題に対する違和感を抱え続けなきゃいけない。違和感を抱えたままでは、他の仕事に手がつけられなくなるのでできない」だった。正直もう勘弁してほしい。

なので、そこまで伝えてなおこだわられるのならば、いっそもう課題認識させないほうがいいんじゃないか、と思った。

そして、私は同僚に出してもらった書類アイデアの直しを求めるのをやめた。可能な限り自分で直して同僚には話を通さずに上の方に持っていくことにした。

もうこれしかやり方はない気がしている。

2024-12-08

anond:20241202180507

カンジはハイコンテクストなエクスプレッションをエネーブルする一方で、リーディングライトニングラーニングプロセスにおいてシグニフィカントなコグニティローディングをクリエイトします。

さらに、モダンジャパニーズでは、カタカナベースボキャブラリーやコンセプトがグローイングしており、カンジではエクスプレスできないニュアンスグローバルスタンダードなアイデアインクルードするファンクションアサインされています

このミックススクリプトスタイルは、コミュニケーションをエンリッチするポテシャリティホールドする一方で、ユーザーにとってオーバーヘッドをアドするポシビリティもエグジストします。

したがって、カンジオンリーシンプルコミュニケーションがアチーブできるというアサンプションは、モダンジャパニーズダイナミクスフルコンシダーしていないとステイトできます

今の日本って誇張なしにこんな感じじゃね?

こんなネルフは嫌だ

さて、私の話を始めよう。

最近友達の間で流行っているのがエヴァンゲリオンに関する大喜利だ。

特にネルフについて語り合うのが人気で、様々なネタを出し合うのだが、AIやらせてみると、正直なところ微妙な結果ばかり。

そんな中、私は自分センスを発揮して、思わず「俺ならこういうネタを出すのに!」と叫びたくなる。

まず、AIが出したネタを見てみよう。

ネルフ職員が毎朝必ず出勤時にコーヒーをこぼす」。

これには思わず肩をすくめてしまった。

かに職場でのドジなエピソードとしては悪くない。

しかエヴァ世界観に全く沿わない。ネルフ世界を守るための機関であり、真剣使徒と戦っているのだ。

そんな中コーヒーをこぼすなんて、イマイチだと思う。

もっとドラマティックな設定が求められるのではないか

次にAIは「ネルフパイロットが、実はタピオカドリンクの大ファンだった」というネタを出してきた。

まりにも意外すぎて思わず笑ってしまったが、これもまたネルフらしさを欠いている。

シンジが戦う姿を思い描くと、彼がタピオカを飲みながら使徒と戦う姿はちょっとイメージできない。

せめて「ネルフパイロットが、タピオカを使った新しい武器を開発した」とかなら面白いのに、と思ってしまった。

このように、AIの出力にはどうも満足できない。

そこで私は自ら「こんなネルフは嫌だ」というテーマで、自分センスを炸裂させることにした。

まず思いついたのは「ネルフ職員が皆コスプレ好きで、会議中にいきなりキャラクターになりきる」というアイデアだ。

エヴァ世界観の重苦しさと、コスプレの軽快さの対比が面白いと思う。

会議中に、碇ゲンドウが突然「やあ、みんな、今日セーラームーンに扮して会議を進めよう!」なんて言ったら、さすがに笑いが止まらなくなるだろう。

さらに、「ネルフの司令室に隠れキャラクターのぬいぐるみが大量に置かれていて、職員たちがそれに癒されながら仕事をしている」というシチュエーションも考えた。

ネルフが超真面目な組織である一方、その裏側で癒しを求めている職員たちの姿を想像するとなんだか微笑ましくなってくる。

このシリアス世界に、癒しキャラクターの要素が加わることで緊張感とユーモアバランス絶妙に保たれる。

ネルフ職員が、会議最中にお弁当を食べる」といったネタもあった。

これも悪くないが、全体の雰囲気としてはやっぱりちょっと物足りない。

ネルフでお弁当を食べている姿を想像すると、いきなり現実味が増してしまい、エヴァ世界観を壊しかねない。

私はその点でもう一度考え直してみた。

最後にたどり着いたのは「ネルフスタッフが実は全員漫画オタクで、会議の合間にそれぞれの好きな漫画の話をして盛り上がる」というもの

これなら真面目な議論の合間に職員たちが「最近の○○って面白いよね!」なんて言い合う姿が想像でき、ちょっと和んだ雰囲気が出る。

シリアス話題と、オタクたちの熱い議論交錯することで意外なコントラストが生まれ面白さが倍増すると思う。

こうして自分センス披露することで、AIに対する違和感を解消できた気がする。

やはりエヴァンゲリオンネルフには、ちょっとしたユーモア必要だ。

シリアスストーリーの中にも笑える瞬間があってこそ魅力が増すのだと再認識した。

今後も自分センスを磨きながらエヴァ世界観を楽しんでいきたいと思う。

そして私が出したアイデアがどこかの誰かに響いて、エヴァ世界観がより豊かになると信じている。

そう、もしかたらこれが、ネルフの真の力なのかもしれない。

納品しても金は振り込まれないし、金を預けたらとんずらされるし、アイデア出したら盗用されるし、口約束反故にされるし、立場が変わると手の平を返されるし、買いますと言っていた連中は買わないし、

くそんなんでこの世界が嫌いにならないね

人間醜聞に晒され続けて、それでもなお人間をやっていこうっていう原動力は何なのさ

から引用したアイデアを紹介するだけなら引用元の本を読んだり勧めたりすればいいわけであってあなた方の営みにはなんら付加価値はなくあなた方の著作を後世に伝えようなんて思わないし1年後には誰も覚えてないと思う。

2024-12-07

anond:20241207221215

んんwwww増田氏、Node.js界隈が孤独に感じるとは、拙者には理解しがたいことですぞ。確かにRuby/Railsコミュニティは非常に結束しているイメージがありますが、Node.js開発者たちもまた、独自の活力と熱量を持っていると拙者は認識していますぞ。

Node.jsJavaScriptの流れを受けており、そのため、よりダイナミックで多様なコミュニティがあります。それは自由であり、むしろオープン環境です。Rubyと比べてNode.jsは常に進化し続け、多くの新しいアイデアプロジェクトが生まれていますぞ。

もちろん、増田氏が「仲間意識」を求めるのであればチャンスがあるかどうか参加してみるのも手です。しかし拙者は、その「個」としての自由Node.jsの魅力だと感じているのですぞ集団幻想に囚われず、Node.js可能性を追求するのも一興かと思いますな。是非とも、多くのNode.jsコミュニティに参加し、多様な人々と触れ合ってみることをお勧めしますぞ!

anond:20241206163641

斉藤はさぁ…

いっっっつもどこかで見たようなアイデアをそのまま出してくるよね

もう何やらしてもダメ

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