はてなキーワード: 学部とは
知りたい。
一応俺の姉がモロにこの手のタイプだったけど、
っていうガチFラン女子大の保育系の学部にAO入試で行って(大学って選り好みしなきゃ分数の割り算できない、都道府県庁所在地だいたい分からない系の人間でもサクッと受かるのな……)、
生成AI(※)嫌いが多い
たまたまSNSで見知らぬ人とちょっと絡みが発生しそうになって、プロフ見に行ったらAI嫌いの人だった
配信とかもやってる人みたいで、ちょっとアーカイブ再生してみたら、おばさんとしか思えない声、喋り方だった
いや、おばさんが悪いんじゃないけど、自分の中のおばさん(とかおばさん入口の女子)って、一番、自然でないものを拒むイメージがある
ほとんどがうちの母と母に影響受けまくった姉の印象だけど
母は早逝したので姉のそれは別口かもしれないが
寂しかったのもでかいとおもうが、変な宗教っぽやつ、プラッチックの密封容器、洗剤とか色々ハマりつつ
旨味調味料を嫌い(そのくせ昆布もかつお節もケチるので旨味が無い料理を作る。塩も控える)、無農薬に惹かれ(売ってなかったり高かったら普通に野菜買う)、肉より魚を選びがち(そのくせ生協の合鴨とかは買う。魚に関しては今自分も魚好きなので子供時代の自分との相性)。自然っぽさがあればそれでよく、夏場はそうめんばっかりで(好きだからいいけど)、めんつゆは普通に売ってるやつ。(こだわりのやつとか売ってなかったか見つけれなかったか)
馬鹿でしかないとは思うが、自分も何か否定的な情報が流れてくると、自然ぽさが少ないものは他と比べて避けようと思ってしまうし(コーヒーは避けないが、甘味料とかはだめかなと思ってしまう)、
自然信仰みたいなのはあるのだろうなと思う。ポッと出のものよりも何千年と人類が使って来たもののほうが信頼度が高い気がする。(実際気がするだけで、検証すらしてないもののほうが多かったりするのだろうが)
自分はたまたま仕事がコンピュータに関連深い業種で、学部は化学とか(触りだけ)つまんでて、避けようと思った時に、ちょっと考えることが出来るので、変なこだわりは少ないほうだとは思うけど、
わかった上で気休めでも根拠がないけど安心っぽいとか、逆に根拠はないが体にいいっぽいに倒れることは多いし、よほどのことでないかぎりは、そういう気休めとかもあったほうが生きていきやすいんだろうなと思うし、話のネタが他にあんまりなかったりするのもでかいのかもなぁ
※ 生成AIって言い方もよくないのかもしれない
AIなんてそもそも何かは作るもので、コンピュータもそんな感じだ。出力がないと意味がないんだし、動いたら何かは出るんだし。
賢そう、怖そうみたいなイメージついちゃってんのかも。はちみつとか(作ってるわけじゃないけど)ハチの巣とか(作ってるけど何に使えるか知らない)みたいにもっと人間に使役してるとか、人が強奪してるみたいなニュアンスだったら嫌悪感減るのかも?
他言語ではどうなんだろう
しっかり数Ⅲまで勉強したのじゃ。よく医学部保健学科は下に見られることがあるのじゃ。でも、保健学科受験生全員、きちんと勉強してるのじゃ。
医療系に限らず、技術の研究をする仕事では数Ⅲなんてできて当たり前。それだけじゃ話にならず、最低でも学部低学年レベルの数学はできないと仕事にならん。
旧帝大の院を出て研究職を志す段階になっておきながら「数Ⅲ」なんて基準を出して話をするのは極めて違和感がある。chatgptに生成させた?
企業の研究職として就職したが、手取り19万円です。こんなはずじゃなかった。
下に見られて悔しい。
と身の上話は置いといて。
ワイの小さい頃の夢は、医療系国家資格を所有する研究者になることじゃった。
医学科行けよと思うのは当たり前だが、4年間で大学を卒業できるというのが魅力的じゃったし、医学科より難易度が低かったためお得じゃ~んと考えてしまったんじゃ。
ワイの親は国立信仰の学歴厨だったので、私立大は許されなかったのじゃ。だから必死になって勉強したのじゃ。数学はもちろんⅢまで履修し、理科も2科目、英語もきちんと勉強したのじゃ。
なのになんだこの仕打ちは?お勉強たくさん頑張ったのに、なんでこんなに給料が低いのじゃ。大学受験はもちろん、大学入学後も数多の課題を乗り越え国家試験に合格したんじゃ。
恐ろしいぞ。年間休日が少ないのはもちろんのこと、基本給も恐ろしく低いのじゃ。そのうえ、大学病院などは最初から正規職員として雇ってくれないところもあるのじゃ。でも、必死に勉強はしなきゃいけないのじゃ。そりゃそうじゃ、医学は日々進歩するからのぅ。やりがい搾取じゃ。
ワイは研究の道を諦めきれなくて、企業に就職したのじゃ。生憎もう金がないから博士課程には進まなかったのじゃ。企業で頑張ってみようと思ったのじゃ。働いてみたら手取り19万じゃ。そのため、学んだことを活かせるように、臨床検査技師として一から仕事しようと考えたのじゃ。しかし、これは罠じゃ。院卒だと小さな病院はなかなか雇ってくれないのじゃ。規模が大きめの症例数の多い病院じゃないと雇ってくれないのじゃ。しかしながら、そういうところは正規職員では無い可能性もあるのじゃ。さらに、新たに資格が必要なこともあるのじゃ。例えば、病理部に就職するとなれば、細胞検査士を取らなきゃ意味無いのじゃ。養成所に通わなければならないのじゃ。
もっともっと検査技師としての仕事の幅を増やして欲しいのじゃ。しっかり数Ⅲまで勉強したのじゃ。よく医学部保健学科は下に見られることがあるのじゃ。でも、保健学科受験生全員、きちんと勉強してるのじゃ。それだけはそれだけはばかにしないでほしいのじゃ。皆頑張ってるのじゃ。
正直数Ⅲが必要な学部全体の卒業生の中で一番お給料が低いと言っても過言ではないのじゃ。なんとかしてこの医療分野を変えてはくれんかのぅ。だって、ヒトとして生きていくための基本の学問じゃないのかのぅ。
医学科めざせばよかったのかのぅ。文系に進むべきだったのかのぅ。
でも、ワイは夢を諦めたくないよぅ。
ニコ虐(映画でニコラスケイジ演じるキャラクターはいくら虐待しても良い、という風習)
ニコラスケイジ演じる主人公の非モテ&みじめな人間描写の解像度が嫌な方向に高すぎる さすがミッドサマーのA24
娘が二人いるんでその辺が現代日本の本物の(©山岡史郎)非モテとは違うんですが…夫婦の関係の終わってる描写とかまじえぐい
無数の人の夢に現れるようになって一躍話題の人になるニコラスケイジ
「有名になりましたね、何が夢ですか?」「ぼくは自分の専門の、蟻の社会進化論で単著を出すんだ!」「どこから出版するの?」「いやまだ原稿は書き始めてないんだ」
「いやバズってる夢の体験を書いてくださいよ」「そうじゃない」>結局蟻の進化ではなくそっちの方を書く(優柔不断)
「雑誌の取材だ!」「写真撮るから夢に登場するつながりでエルム街の悪魔っぽい爪つけてくださいよ」「つけたくない…」「そんなこと言わずに」(結局付ける)
「ぼくが書いた本のタイトルこんなダサいのではなく『ドリームシナリオ』の筈では?フランス版だから?」(実際は出版社がニコラスケイジに黙って)
「ぼくのサイン会こんなにたくさんの人が」「いやこれ別の人気作家のサイン会の行列でして」(ニコラスケイジは地下の倉庫レベルの会場でサイン会)
英語のヒアリング弱いんですが、バンバン出てくる固有名詞が訳出されてなくて米国人はもっと楽しめるんだろうな、と。
学部長に向かって「ひとのことミッドライフクライシスとかバカにするけどお前もKAWASAKI買っただろ!」 が字幕ではバイク買ったに(その後KAWASAKIのバイクが学部長のガレージに見えるシーンがあります)
結論:
「結婚ができる気がしない」一方で、「結婚し」なければならないという強迫観念がある。
なるほど「気の合う人間と生計を共にすることによって得られる利益を享受(共有)」するのは幸せなことなのだろう。少なくとも周囲の大人たちはその信念を奉じて生きてきたようであって、同時に、幸せな家庭人生活を送っているようにも見える。
一方で、私は「結婚ができる気がしない」。先述の通り「結婚し」なければならない、という観念があって、かつ、「気の合う人間と生計を共にすること」に対し何らの疑念を持たないにもかかわらず、である。私は夫としても、あるいは父としても、その適格性を著しく欠くように思われる。
どうしてこの結論になったのか、振り返ってみる。
スペック:
上っつら:少なくとも面と向かって悪し様に言われたことはない。中学生と比べると大きく、高校球児の中なら目立たず、プロ野球選手に混じれば小さく見える(はずだ)。人並みには気を遣っているつもりでいる。
私には2つの強迫観念がある。そのうちの1つは「結婚しなければならない」というものだ。もう片方についてはあえて述べない。
かかる珍妙にして時代遅れ(時代錯誤と言うべきだろうか?)の価値観を、いつから我が身のものとしてしまったのか、詳細な事情は記憶していない。ただ、誰かの「家を継げ」とか「孫の顔を見せろ」という種の明確な言葉あってのことではなかったことだけは、はっきりと断言できる。他者からの影響が思い当たらない、本能的に自然発生したと説明するほかない感情だからこそ、我ながら奇妙だと余計に思う。ともあれ、私が「結婚しなければならない」という価値観に囚われていることだけは確かだ。
結婚の前提条件を思い切り単純化するとして、最低限パートナーの愛情を喚起する資質を有すること、とした場合、幸いにもその適格性はあると考えられる。何度か愛されたことがあるからだ。それが私の外形的諸条件に起因したものだったのか、はたまた精神領域と関連するものだったのかは今となっては知る由もない。もっとも、その辺の機序はよく分からないし、検討する実益にも乏しいように思われるから、詳細には立ち入らない(拒絶されたこともある。少なくとも愛されたことの同数はある。こちらの方が問題としてはるかに重大だと思う)。
あるいは大前提として、そもそも私は他人たる異性を心から愛すことができるのか、という根源的な問題も考えうる-イエスだ。中学校・高校(・予備校)・大学と、それぞれの段階で心から愛した/希求した女性は、少なくとも一人ずつは存在した。逆に言うと、何人もの異性とすれ違う中で、(性的昂奮は別として)特別な心情を惹起するに至った人々は、極めて少数しか存在しなかった。
結婚に対して、心理的な阻害要因は存在しない-少なくとも大きな問題はないはずだ。むしろ「結婚しなければならない」というくびきに囚われているのだから、前のめりでさえあるべきだ。にもかかわらず、私は「結婚できる気がしない」。
長くなりすぎた。問題の本質を簡潔に述べる。「結婚できる」と思える人に巡り会えない。
私の愛情の抱き方は、一目惚れに近いものがあると思われる。顔がどうとか精神性がどうとかではなくて、いつの間にか好きになって、彼女(たち)の自慢のアピールポイントや隠したい欠陥といった具体的な要素には一切立ち入ることなく、総体として「好きになって」しまう。このことは、私が好きに"なりうる"人々を類型化することを非常に困難にしている。酸いも甘いもというと身も蓋もない言い方だが、彼女のどこに惹かれて好きになったという具体的な点の説明ができない以上、共通点を見出してその特質を有する人々を探す、ということのしようがない。慣用句的に言うなら「恋は盲目」ということなのだろうか。
逆に、「総体として」好きにならない女性も存在する。むしろ「好きになった」人々が極々僅かな例外にすぎないのであって、今まで出会ってきた何千何万という人々のほぼ全てはこちらにカテゴライズされる。この「好きにならない」人々の中にも、もちろん友人(であると信じたい)は何人か存在するし、有り難いことに好意を抱いてくれた人もいる。私が「好きになった」人々と何らかの点で似通っている人もいた。しかし、私はこの範疇の人々に親愛以上の心情を抱くことができなかった。提供できる親切は、親しき友人としてのものが上限だった。否、それすら私の怠惰ゆえに、とんでもなく低いレベルのものにすぎなかったとも思う。
「愛することができる」人を探すために、アトランダムな努力はそれなりに重ねたつもりだ。他学部開講の講義に片っ端から出てみる。同年代の異性が多いバイトを探す。時には友人に紹介を頼んだこともあった。マッチングアプリだってした。並行して2、30人の知らない異性とパラレルに知り合うある意味刺激的な生活を3ヶ月ほど続けた-何人かの「友人」と知り合っただけに終わった。いいねの数が身長を優に越してしまったあたりで、少なくともパートナー探しではない別の作業になってしまった気がして、やめてしまった。
これから先の人生で、心から愛することができる女性に巡り合える気がしない。おそらく巡り会えないのだろう。仮にいるとしても、既に「売り切れている」可能性すらある。私はもう23歳なのだ!私は恋愛市場上のまさに完全な敗者として、20代前半の若者が集まる場所としては日本で最も大きな部類に入る学舎を去ることになる。偏差値市場上の敗者として押し込められて、恋愛市場上の敗者にして立派なインセルとして出荷される。
「結婚」自体は可能ではあるのだろう。「結婚しなければならない」という心情へのアンサーとしては、最も安直だが直裁な解決策でもある。私一人で家庭全体を食べさせることができるかどうかは別として、その大部分を担うことに対しては、現実として可能であろうし、別段おかしなこととも思わない。
ただ、私は、結婚生活にしろ親としての生活にしろ、その本質の一側面は自由の縮小であると強く信ずる。期待や喜びの総量をはるかに上回る失望と失敗の連続であろうと確信している。いざ焼かれる時にどう思っているかは別として、存命中常に家族とやらに関する何らかの心配をし続けていることだけは確かで、幸せな家庭生活というものが仮にあるとしたら、それは常駐する100の心配事と同時に0.01の安寧を自覚できるかそうでないか、という程度の話でしかないのだろう。
そのとめどない苦難の道程を、愛することのできない人と共に歩いて行けるのだろうか?より直接に言う。「妥協できるのだろうか?」決して少なくはない人々が「できる」ことは知っている。それどころかたった100年前、それこそがセオリーだったことも知っている。ただ、私は「できる」とは思えない。途中で投げ出してしまうという確信がある。親しき友人としての親切が上限で、それを超える困難と直面したら、逃げ出す。「結婚しなければならない」という私のエゴと人としての欠陥ゆえに、罪のない他人のことをこれ以上不幸にしたくない。
諸先輩方はどのように折り合いをつけたのだろうか。「後から好きになる」ようなことがあったのだろうか。「子供が生まれたら変わる」のだろうか。はたまた「みんな結婚してるから、流れに合わせてそれっぽく振る舞ってるだけで、相手に特別な感情はなかったし、何なら今は少し幸せに感じることだってあるよ」というのが真実なのだろうか。もしそうなら、どれほどよいのだろう。
鬱屈とした諦観だけがある。"愛することすらできずに"家庭を放り出し、エゴのために他人を有形無形に傷つけたクズの烙印を押されるよりは、生涯部屋のアガベとサボテンどもと共に、好きな音楽と映画の世界観だけに閉じこもって、屈折した強迫観念を胸に秘めたまま朽ち果てて死んだ方がマシだ。最大多数の最大幸福を希求するなら、それが社会的に最善でもあろう。闘争領域は本来、縮小されるべきなのだ。
泣き言を書き散らし、日記とすることで、何らかの整理がついたように思う。この乱文を書く直接の動機となった、『22歳女オタクvs結婚願望』 https://anond.hatelabo.jp/20241207175805 の筆者が良きパートナーとなりうる人と巡り会えることを切に祈り(貴女は可能だと思う。私はそう確信するし、本心からそう願っている)、終いとする。
今回東大内部で起こった事件ではあるが被害にあった学生はおそらく他大出身の子ではないだろうか。
農学部や生物系の学部は大学院入試の難易度が低く、昔から学歴ロンダリングの温床となっている。それは東大とて例外では無い。
研究室が欲しているのは研究の出来る頭の良い人間ではなく、データを出す為の実働部隊を欲しているからである。
そうして生まれた学位を人質に取られた学生と、それらの生殺与奪を握った教授の間で何が起こるかというと今回の様な一件である。
一応「○○大なのに」と言われるくらいの文学部の院に行ってる人間が、「心理学」の本として加藤諦三やアドラーを挙げてくるのが恐ろしい。ワイも周囲も理系やが学部でもユング・エリクソン・フロイト・ラカン程度の古典は普通に読んでたぞ
東大教授のごにょごにょが話題だが、千葉大学の学長のごにょごにょも話題にして欲しい。
2023年11月に千葉大学学長が急死したため、新学長の選考が急遽行われることになった。
全体の流れを簡単にまとめると次のような感じ。
③結果、人文系の教授が最多得票(554票)。2位は446票で医学系①氏、3位は350票の医学系②氏となった。
④教員や学外の委員で作る選考会議で、聴取の結果を踏まえた学長選考が行われた。
⑤選考の結果、「学内意向聴取」で2位だった医学系①氏が学長に決定した。
⑥複数の学部・大学院がキレて、声明や意見書、質問書を出した。
⑦大学側はだんまり。回答期限を過ぎてからようやくしょぼい説明っぽいものが公表された。
⑧風化される←イマココ
今、新大学長になった医学系①氏はコミュニケーションの一環として、1ヶ月に1回のペースで全教職員・学生宛に一斉メールを送っている。(メールの内容は小学校とかで配られるような「学校だより」みたいな感じ。まぁまぁ長い)
本当におかしいと思う。
文学部になんか行くな、勉強しても報われないぞって初めから言え
https://anond.hatelabo.jp/20220114133403
の筆者です。三年後の現状を追記。
当時叱ってくれた人、励ましてくれた人には心から感謝しています。
当時たくさんの方からいただいたアドバイスを元に、学部四年生ながらにできることはたくさんやってみました。手遅れ感はすごかったけど、もうこのまま色々なことから逃げてはいけないと思ったので勢いだけはあった。
・教職を取る
・ボランティアに参加する
・長期インターンで働く
・バイトをする
・心理学の本を読む
教職はめちゃくちゃ大変だった。大学四年生にもなって(しかもあそぶんがくぶ)、教職=専門科目+教職科目で時間割はいっぱい。毎日朝9時から夜8時まで授業が詰まっていて、土日も現職教員が教えてくれる授業に出ていった。
ヒーヒー言いながら頑張ったが、教職はとてもいい人間関係のリハビリにもなった。教職科目には大体グループ活動があるから、強制的に人と話さなければならない。四年生という引け目がないわけではなかったが、もうそんなことは言ってられないので自分なりに必死で喋りました。幼稚園児ですかねマジで。
バイトは販売。これがまあ、コミュ障の俺にとっては試練だった。仕事も覚えられないし、勉強しかできない自分の無能さを思い知った。
心理学の本を読むのも、コメントでアドバイスしてもらったことだ。アドラーや加藤諦三を読んだ。今となっては極端な自責に繋がりかねない書籍のような気もするが、でも他責クソ野郎の俺には根本的な考え方を改めるのにとても役だった。
とにかく反省を活かそうと、いただいたアドバイスを元にたくさん行動してみた四年生だった。
あれだけけなしていた文学分野でアカデミアに進むというのは、当時呪詛を吐きまくっていた俺を知る人からすれば晴天の霹靂というか、お前全然教訓活かせてねえじゃんアホかという感じだろうか。
でも行動してみて、色々考え方も変わった上での決断だ。理由はいくつかある。思いつく三つを挙げておく。
第一に、企業勤めをするのが俺にとって、社会にとって良いとは限らない気がしたこと。
研究とお勉強は違うが、それでも俺は昔から学ぶことばかりしてきた身だ。しかも、我儘を言って実学ではない分野で学ばせてもらった。
ならば、急カーブで別分野に就職するよりも、過去を活かして学びの分野にとどまり続けることの方が、俺にとっても社会にとってもいい結果になりうるんじゃないかと思った。
これだけ親から投資を受けて学ばせてもらったのだ。ならばそのまま学問を追求し続けることもあながち無駄ではないだろうう。
文学研究が分かりやすく社会に実利をもたらす行為だとは思わない。でも、俺が過去に培ってきたことを活かすという点においては、アカデミアも立派な将来の選択肢になるはずだ。それがお先真っ暗であろうと。
またバイトとインターンをして思ったが、俺は実務ができない典型的な(?)勉強バカだと思う。必死でメモをとってそれをマニュアル化し、いちいち参照しないと仕事ができない。自作マニュアルを参照してもノロいし、小回りが利かないから役に立たない。試験はあれだけホイホイできるのに、真面目に働こうとしてもなぜダメダメなまま成長しないのか。応用が効かないわ怒られるわヘマするわ、周りの社員にも「こいつ○○大なのにこれかよ」って思われてた気がする。
こんな俺なので、社会に出て企業勤めしたところであまり役に立てないように思う。
第二に、クソ大変だったが何とか教員免許を取得したので、博士課程に進んで落伍してもまだ道はあるだろうということ(現代日本は教員不足だから)。
学んだことを活かせる仕事に就ける保険があるのは、かなり心強い。
第三に、やっぱり文学が好きだった。
文学ができることの一つに、「目に見えないものを表現できる」というのがあると思う。
俺という人間は、履歴書に書けば「文学部修士二年生」というただの一身分しか持ち合わせていない。
だけど、その称号の裏には「文学部生という経歴によって就活が台無しになったと思ったが、己の他責思考や逃避癖や高すぎるプライドが原因で先延ばしにしていた挫折を一気に食らっただけだった」という物語があるわけで、この物語の前にも途中にも後にも色んな感情が存在している。焦り、恐怖、驕り、不安、自己陶酔、万能感、劣等感、諦め。
こういった説明し尽くせない心持ちを表現するのが芸術で、その一分野が文学ではないか。
不要だと切り捨てられかねない人間の心情や葛藤や倒錯が好きだ。それを内包する表現形式を、文学をもう少し研究してみたいと卒論を書きながらそう思った。
そして二年たっても「もうちょっと研究したい」が終わらず、このまま博士課程に進むことに決めた。
修士一年のときに父が先立ち、一人親になった。親類も一人亡くなって経済的にかなり困窮している。
博士課程からの奨学金にはなんとか内定したが、それでも母を安心させてあげられなくて申し訳ないと思う。奨学金なんて、人間一人がギリギリ生活する分しか出ないから。
でももう、この先文学やった結果路上で野垂れ死んでも構わない気がしている。俺は元々がクソ性根人間だし、社会の役に立とうとすること自体が思い違いかもしれん。実利や効率とはまるで関係のない文学と数年を共にしただけで御の字だ。どうせこのまま運良くアカデミアに留まれたところで40になっても低収入だろうが、それでももう構わん。
最初は「文学部に行っても報われない」と書いたが、本当は誰に報われなくてもいいということにやっと気づいた。
これが最後の報告になると思います。この先アカデミアに残れずにお先真っ暗になっても、研究職を諦めて教職についても、どうせ俺は社会的無能ですすいませんと開き直りながら生きていきたい。
誰かこれを読む人がいるんだろうか。もしいるならば、当時叱責や励ましの言葉をくれた人に、心からありがとうと伝えたい。変な方向に開き直った感じがしないでもないが、あなたたちのおかげで色んな経験を積めたし、少し変われたと思う。
何より、人と関わることを億劫だと思わなくなったし、怖くて不安でも行動してみる習慣がついた。貴重な教えをくれて感謝しています。
俺は変わらず役立たずとして生きていきます。どうかお元気で。
では、ガザニガの話をしてやろう。
彼は脳科学者で、著書『脳の中の倫理』で、人間の脳には「倫理モジュールがある」と書いている。
このモジュールは、味方を害すること、詐欺をすること、不公平な扱いをすること、ボスに逆らう事、掃除ができていないこと、などの事項に反応し、それによって嫌悪の感情を引き起こす。この嫌悪の感情こそが、「悪」だと感じることだというわけだな。
個人的には、掃除ができてないことは生まれつき「悪」だと感じる、という話が好きだね。どんな原始的な社会でも、掃き清められていない善の神殿などないわけだ。納得感があるよな。
この話のポイントは、脳が引き出しているのは、あくまでも嫌悪の感情だということだ。
毒虫を見てキモッ、と思うのと同様、悪を見てキモッ、と思うのが社会性動物たるヒトである。
実際、論理的に整合性が取れない場面でも、ヒトは感情にもとづいた行動をしたがる。著書には沢山の例が載っているが、例えば、キモイ悪を罰するために、自己利益や善の擁護を投げ捨てたりする。
あのな、ヒュームやミルは、論理的合理的に善を語ろうとしたよ。その成果は偉大だが。
しかしそれは、「合理的に言って、どういう倫理を定めることが、最もメリットか」を語ったに過ぎないんだよ。法を制定するときには便利だが、しかしこれは、本当に「善」とか「倫理」の正体を、事実として語ったものなのか?
善・倫理とは、理想なんかではなくて、ヒトという生物に所与の性質、気持ち、傾向である、と言ったほうがいい……かもしれないんだよ。少なくとも現実の反映を語るならそっちだよ。現実を反映したほうがいいかは所説あるが。たぶんヒトがサルだったときから、論理的合理性を獲得する前から倫理は存在したんだよ。
いまや古典となったミルの議論の先が、現代において、どうなっているかしっているか。
NHKスペシャルで有名になった倫理学者のサンデルは、ミルやロールズ批判から出発して、いまではコミュニタリズムと呼ばれる立場を唱えている。
論理的合理的な絶対善というのは、結局のところ、確定させられない、というのがサンデルの結論だ。
だから社会的合意によって決まるのが、善であり倫理である、というのがサンデルの意見だ。
だた、生物として同一種であるヒトの感情が、だいたい全体で似通っているため、全体の倫理の方向性が一方向になっているように見えるだけなんだよ。倫理の同一性、見かけの絶対性を支えているのは、脳がもたらす感情なのだ。
殺しをスカッとするから善と思ったやつが居たらどうするか? それが多数にならなかったのが現実なんだから、それでいいんだよ。
1浪中女です。この時期に増田見てるあたり察してほしい!
ただこういう人間もいるんだよーっていう話をします。だから自語りメインで元増田と趣旨がずれるかも。
たぶんだけど私は発達グレーとかで現役では日東駒専産近甲龍も厳しいレベルだった。理系でどうしても行きたい学部があって、上記の中に2個くらい引っかかったけど蹴った。いろいろ整理して今はMARCH関関同立の中に志望校がある。理系だから周囲には国公立志望が多いしただでさえ浪人したのに私立で理系で親にすごく迷惑かけるなとかも思って毎日すごく負い目を感じてる。就職もあんまり考えてなくてとりあえず目の前のことしか見られない。打算的に浪人したわけじゃないから、大学名がほしいとかそんなんでもないし自分でもどうしたらいいかわからない。相当レベル高くない限り浪人って短期間で決めないといけない選択だから気の迷いみたいな人も多いと思う。私は今思えばそうだったかも。このあたりの見通しの悪さは発達グレーのやつかも。
でも浪人期間は自分を見つめ直す時間にはなったと思うし、浪人=悪でもないんだって思う。一番いいのは健康で問題なく就学できる場合は男女問わず、(ある程度の収入格差も問わず)自分の納得できる選択をギリ新卒カード切れる年齢の範囲で決められることじゃないかな。あと予備校行ってる体感としてはそこまで人数の男女差は感じないかも。
せめて市民サービスと繋がりがあるような職場ならまだしも、エンジニア系の行き先なんてくっだらねー癒着と談合の集合体ばかりで社会貢献もクソもねえわ。
残業代は出ない。
身についたスキルはほぼ0。
俺はどこで選択を間違えたんだ?
本当に選択を間違えたのか?
20年前のIT業界に突っ込んでいったとき、YRP野比駅の近所にある公園で泥酔したりその勢いでクビを釣ってた可能性は何%だ?
20年後の俺は生きてる。
ひとまず生きてるんだからセーフなのか?
俺はギリギリで生き延びたのか?
周りの連中が「EXCELむずかしいよ~~~><」とか言ってるのを見て「あれ?俺IT適正あるんじゃね?PCだって自作してるし」とか調子に乗って業界行っても先輩の「デッュフフ……ギブハブ……ぬるぽ……コポォ」とかの暗号が理解できずに結局野垂れ死ぬだけだったのでは?
どうなんだ?
どうなんだ?
俺の人生は間違ってたのか?
今の時代に生まれて、学校でコーディング習って、「増田くんはパソコンが出来るから東京工業大学のパソコン学部を目指すべきだよ」みたいな感じで人生プラン設計していればよかったのか?
つうかそもそも俺は元々物理系に進みたかったのに車業界も研究職もブラックだと聞いて、そんで途中から緩やかにITへ軌道修正かけたような奴なわけで、本当にやりたかったのはなんだったんだ?
そうか全部分かった。
今完全に理解した。
ベーシック・インカムのある世界に生まれて、そこで生活保護レベルの暮らしをしながらネトゲで延々と無課金ニートして時間を潰すのが俺の理想だ。
よーし全部分かったぞ。
うん。
その夢は叶わないな。
親が金持ちだとか生まれつき程よいぐらいの障害があるとかならともかくだな。
うん。
結論が出た。
そしてそれは多くの人が一緒なんだ。
人生設計フワフワなのに、気づいたらホワイト業界にいた奴と、気づいたらブラック業界にいた奴、それが世界の9割ぐらいなんじゃないか?
あ ほ く さ
悩んでるだけ無駄だな。
財務官僚は法学部出身者が多く経済学がわかっていない、という批判があります。例えば↓とか。
財務官僚は東大法学部だから、経済のプロではありません。
https://twitter.com/kikumaco/status/1860489376737951883?s=19
経済学部卒だっているじゃん(例えば、財務官僚の中でも特に強く財政の立て直しを唱えていた矢野元事務次官は一橋経済卒)、というのは措こう(それにしても、学部の専攻で判断するなら、キクマコ先生だって非経済学部卒だよね、とは正直思う)。それより重要なのは、経済学部で教わるどころか、教える側の経済学者の多くが財務省的な主張をしていることである。
例えば、プリンストン大の清滝教授である。氏は、ノーベル経済学賞受賞に一番近い日本人とたびたび名前が上がる業績を誇るマクロ経済学者であるが、近年、経済財政諮問会議などで、消費税率の引上げを含む財政再建を主張している。清滝教授に対する批判が盛り上がったかと言えばさにあらず、むしろ著名なマクロ経済学者は同じような意見が多い(吉川先生とか、故大瀧先生とか)。田中秀臣教授は清滝教授を批判していたけど、田中教授の専門は経済思想史だし。
ことほどさように、こと経済学に立脚する限り、軍配はむしろ財務省に上がると言わざるを得ないと思うのだけど、財務省批判者はこのあたりをどう考えているのだろうか? 経済学なんて当てにならない、というのなら、それはそれで了解可能なのだが。
<目的>
会社の福利厚生である寮の入寮資格の期限が、結婚すると延長されるため、共同生活を営むことに不快感が生じない程度のパートナーを得ること
<本人情報>
・年齢:今年で29歳
・性別:女
・年収:400万円強
・見た目:BMIギリギリ肥満回避の肥満体型、顔の作りについてはクリーチャーではない程度
・整理整頓:物が決まった位置にあったり服が脱ぎ捨てられているのが耐えられない
<希望条件>
・年齢:+-3歳
・年収:同程度以上
・勤務地:私の通勤1.5時間(ドアtoドア)に合わせられる方
・学歴:不問。ただし、自分のわからない知識や言い回しが会話上出てきたときにからかわない性質の方)
・職業:有職であれば不問(ただし、納税をきちんと行っている方)
・残業時間:基本不問。残業時間を理由に家事(レベル感は本人情報欄参照)ができない際は家に入れるお金の負担をかなり調整させていただきます
・出身地:不問
・見た目:デートの際に「かっこよく思ってもらいたい」という気持ちで準備していただける方(好みの服装でない場合は具体的に着てほしい服装を希望する場合がございます)。お風呂に毎日入ることができ、体臭が激しくない方。眉毛を整えることに抵抗感のない方。ひげを毎日そることができる方
・連絡頻度:1日に数回やり取りができるか、通話などが可能な方(同居前)。同居後は生活上必要な連絡に締め切りまでに対応いただければ大丈夫です
・割り勘問題:基本割り勘、出かける際は事前に割り勘か奢りたいかをお伝えいただけると助かります。伝票もって「いやいやここは…」というやり取りが無駄で嫌いです
・初回デート:付き合う前提であれば、サイゼリヤとかトリキのような仲のいい友達と来る場所は避けたいです。店についてはこちらからも提案可能です
・趣味:こちらの趣味に興味を持たなければなんでも大丈夫です。私は人の趣味に付き合うのが好きな方です。ただし、極端に人権を侵害していたりする趣味は容認しかねます
・子ども:産む気はありませんが、パートナーの婚外子以外の養育については考慮いたします
・生活費:収入格差がほとんどなければ折半。家事負担割合により、金額調整あり
・食費:各々の食べる量で決定。参考値として、私はお米を入れても一か月の食費は2万を切ります