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はてなキーワード: 商売繁盛とは

2024-12-13

絶対ネズミより猫の方が吉兆

日本の伝統的に、ネズミと言えば大黒天の使いの吉兆、金運アップ商売繁盛子孫繁栄シンボルだ。

干支にも選ばれ子年にはネズミの置物も多数作られる。

でもネズミは米を食うし病気は運ぶし、ろくなことをしない。

医療も未発達で食料の乏しい昔の人にとっては尚更ネズミ被害は深刻だったはずだ。

何でそんな人類の敵を持ち上げてきたのだろう。

から人間とともにありネズミ駆除してくれた猫こそ吉兆シンボルになるべき存在だと思うが、西洋では魔女が連れてたりくっそイメージが悪い、日本では招き猫で愛されまだマシだけど、発祥は諸説あり江戸時代末期とか戦国時代とか、そこまで歴史のある縁起物ではない。

絶対猫の方が吉兆とされるべきだろうに何故だろう。

2024-09-04

クリニックの待合室に80代男性運転の軽バンが突っ込む 複数人が軽傷 広島

整形外科クリニックだそうで、

益々商売繁盛ですね!

2024-07-02

新生姜の社長

商売繁盛でなによりやん

ひまそらは支持しないけど、新生姜は支持するやでな

商売がんばってくれや

2024-04-03

anond:20240403010509

借金玉も暇空も金はあっても勤め人なり起業家なりとして人と上手くやっていくことはできないほぼ無職独身だが

ほのぼのXは公認会計士として事務所設立して商売繁盛してる

身バレして削除済みではあるがフェイスブックに載せられた子供たちは身なりがよく賢そうでお受験して私立通ってる

ネットで本性むき出しにしてしまうだけで社会に溶け込んでいるし中の上かそれ以上のクラスにいるよ

脅迫されたり、身バレして妻や義母フェイスブックさえ削除させたのにしれっと自分Twitter続けてるのは筋金入り

2024-01-25

湯島天神神田明神湯島聖堂ニコライ堂

この4つは全て御茶ノ水湯島外神田の一帯に建っているのだが、未だにどれがどの場所に建っているのかわかりづらい。

湯島聖堂はどこですか?」と聞かれると一瞬分からなくなり、「東大病院の近くにあるやつですかね」と答えてしまたことがある。

ニコライ堂御茶ノ水駅の南側に建っているロシア正教教会

これはすぐに見分けがつくからいいんだけど、残りの3つが名前も似ているしわかりずらい。

ビジネスマン年始に詣でする商売繁盛神様神田明神も、どこにあったかな?と混乱する。

これらを覚えやすくする方法は何かないだろうか。

2023-12-08

人生にとって一番重要なのは運勢」。運が良くなることだけ願い続ける。

他の能力は全て運勢によってカバーできるため。

例えば、資格職とかも「中国語の部屋」(本人はルールを知らないがレスポンスはできる)方式クリアできる。

運勢を使ってギャンブル金銭を蓄えれば、どんな大きな事業だって立ち上げることもできる。

から、神頼みするのも「家内安全」「商売繁盛」などの具体的な事項ではない。

「運が良くなりますように」、これひとつだけでいいのだ。

2023-11-16

anond:20231116083605

ぜんぜん中立じゃないぞ、日本八百万の神がいる世界

万物に神が宿り、万物が神になる世界なので、神が人や世界支配しない

 

西洋宗教において神と運は別のオブジェクトだが、日本古典宗教観においては神や大いなる力は同一のオブジェクト』、これを生成させるまではうまくいったんだけどね

bingちゃん:

西洋宗教では、神と運は、プログラムでたとえると、別々のオブジェクトとして存在すると考えられます。神は、人間自然に対して意志計画を持つ創造者や支配者として表現されます。運は、人間自然に対して予測制御ができない偶発的な要因として表現されます

# 神と運のオブジェクト定義する
class God:
    def __init__(self, name, power, plan):
        self.name = name # 神の名前
        self.power = power # 神の力
        self.plan = plan # 神の計画

    def create(self, thing):
        # 神が何かを創造するメソッド
        print(f"{self.name} created {thing}.")
    
    def control(self, thing, action):
        # 神が何かに対して支配や介入をするメソッド
        print(f"{self.name} {action} {thing}.")

class Luck:
    def __init__(self, name, factor):
        self.name = name # 運の名前
        self.factor = factor # 運の要因

    def affect(self, thing, outcome):
        # 運が何かに対して影響を与えるメソッド
        print(f"{self.name} affected {thing} and the outcome was {outcome}.")

このコードでは、神と運は、それぞれ異なる属性機能を持つオブジェクトとして定義されています。神は、名前、力、計画という属性と、創造支配という機能を持ちます。運は、名前、要因という属性と、影響という機能を持ちます。神と運は、それぞれの機能を使って、人間自然に対して作用することができます。例えば、以下のようなコードが考えられます

# 神と運のオブジェクト作成する
god = God("Zeus", "lightning", "maintain order")
luck = Luck("Tyche", "chance")

# 神と運が人間に対して作用する
god.create("human")
luck.affect("human", "good")
god.control("human", "bless")
luck.affect("human", "bad")
god.control("human", "punish")

しかし、日本古典宗教観では運と神や大いなる力は同じオブジェクトです。神が運を司っています

# 神と運は同一のオブジェクトとして定義する
class GodLuck:
    def __init__(self, name, power, plan, factor):
        self.name = name # 神の名前
        self.power = power # 神の力
        self.plan = plan # 神の計画
        self.factor = factor # 運の要因

    def create(self, thing):
        # 神が何かを創造するメソッド
        print(f"{self.name} created {thing}.")
    
    def control(self, thing, action):
        # 神が何かに対して支配や介入をするメソッド
        print(f"{self.name} {action} {thing}.")

    def affect(self, thing, outcome):
        # 運が何かに対して影響を与えるメソッド
        print(f"{self.name} affected {thing} and the outcome was {outcome}.")

このように、神と運は同一のオブジェクトとして扱われます。例えば、恵比寿さまは商売繁盛や五穀豊穣の神であり、同時にそのような運をもたらす要因でもあります。以下がその例です。

# 恵比寿さまのオブジェクトを作る
ebisu = GodLuck("恵比寿さま", "商売繁盛や五穀豊穣の力", "人々に幸せを与える計画", "商売繁盛や五穀豊穣の要因")

# 恵比寿さまが何かを創造する
ebisu.create("鯛")

# 恵比寿さまが何かに対して支配や介入をする
ebisu.control("農作物", "守る")

# 恵比寿さまが何かに対して影響を与える
ebisu.affect("商人", "成功")

このコードを実行すると、以下のような出力が得られます

恵比寿さま created 鯛.
恵比寿さま 守る 農作物.
恵比寿さま affected 商人 and the outcome was 成功.

Bingちゃん、神が人間評価する宗教圏の人が作ったものから

強力に神の計画があると学習させられているな

日本語で聞いてるのになんでその回答になるんだよ、面倒くせぇ

ぜんぜん中立じゃないじゃんな

 

具体的にはBingちゃんが神の計画・神の支配文言含んだ回答を生成しちゃったら

新しくトピック立ち上げて生成ガチャやり直しや

 

日本八百万の神がいる世界万物に神が宿り、万物が神になる世界なので、神が人や世界支配しない

 

西洋宗教において神と運は別のオブジェクトだが、日本古典宗教観においては神や大いなる力は同一のオブジェクト』、これをBingちゃんに生成させるまではうまくいったんだけどね

bingちゃん

西洋宗教では、神と運は、プログラムでたとえると、別々のオブジェクトとして存在すると考えられます。神は、人間自然に対して意志計画を持つ創造者や支配者として表現されます。運は、人間自然に対して予測制御ができない偶発的な要因として表現されます

# 神と運のオブジェクト定義する
class God:
    def __init__(self, name, power, plan):
        self.name = name # 神の名前
        self.power = power # 神の力
        self.plan = plan # 神の計画

    def create(self, thing):
        # 神が何かを創造するメソッド
        print(f"{self.name} created {thing}.")
    
    def control(self, thing, action):
        # 神が何かに対して支配や介入をするメソッド
        print(f"{self.name} {action} {thing}.")

class Luck:
    def __init__(self, name, factor):
        self.name = name # 運の名前
        self.factor = factor # 運の要因

    def affect(self, thing, outcome):
        # 運が何かに対して影響を与えるメソッド
        print(f"{self.name} affected {thing} and the outcome was {outcome}.")

このコードでは、神と運は、それぞれ異なる属性機能を持つオブジェクトとして定義されています。神は、名前、力、計画という属性と、創造支配という機能を持ちます。運は、名前、要因という属性と、影響という機能を持ちます。神と運は、それぞれの機能を使って、人間自然に対して作用することができます。例えば、以下のようなコードが考えられます

# 神と運のオブジェクト作成する
god = God("Zeus", "lightning", "maintain order")
luck = Luck("Tyche", "chance")

# 神と運が人間に対して作用する
god.create("human")
luck.affect("human", "good")
god.control("human", "bless")
luck.affect("human", "bad")
god.control("human", "punish")

しかし、日本古典宗教観では運と神や大いなる力は同じオブジェクトです。神が運を司っています

# 神と運は同一のオブジェクトとして定義する
class GodLuck:
    def __init__(self, name, power, plan, factor):
        self.name = name # 神の名前
        self.power = power # 神の力
        self.plan = plan # 神の計画
        self.factor = factor # 運の要因

    def create(self, thing):
        # 神が何かを創造するメソッド
        print(f"{self.name} created {thing}.")
    
    def control(self, thing, action):
        # 神が何かに対して支配や介入をするメソッド
        print(f"{self.name} {action} {thing}.")

    def affect(self, thing, outcome):
        # 運が何かに対して影響を与えるメソッド
        print(f"{self.name} affected {thing} and the outcome was {outcome}.")

このように、神と運は同一のオブジェクトとして扱われます。例えば、恵比寿さまは商売繁盛や五穀豊穣の神であり、同時にそのような運をもたらす要因でもあります。以下がその例です。

# 恵比寿さまのオブジェクトを作る
ebisu = GodLuck("恵比寿さま", "商売繁盛や五穀豊穣の力", "人々に幸せを与える計画", "商売繁盛や五穀豊穣の要因")

# 恵比寿さまが何かを創造する
ebisu.create("鯛")

# 恵比寿さまが何かに対して支配や介入をする
ebisu.control("農作物", "守る")

# 恵比寿さまが何かに対して影響を与える
ebisu.affect("商人", "成功")

このコードを実行すると、以下のような出力が得られます

恵比寿さま created 鯛.
恵比寿さま 守る 農作物.
恵比寿さま affected 商人 and the outcome was 成功.

2023-07-02

宗教とは何かについて考えてみた

宗教」を定義してみる

私の現時点での定義としては、宗教とは、人生において行動の選択を迫られたときにその指針となる命令又は禁止規範となる道徳をいう。多くの場合「こうすれば死んだ後で天国極楽へ行ける」「こうすれば地獄へ堕ちる」というように、行動いかんによって死後の魂の扱いが左右されるという教えがセットになっているが、現世における救済や恵みを受けるという教えの場合もある。

この定義に従えば、儒教宗教であるマックス・ヴェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で分析したように、「商売で儲かることは神の教えに従った正しい行いをしていることの証である」といった信仰のあり方も宗教であることに鑑みると、「運気が向上する習慣」といった自己啓発の類も宗教である。この定義に従う限りでは、何らかの宗教を持っている日本人はわりと多い。

なお、この定義からすると「お国のために戦って死ね英霊になれる」という教えが宗教に含まれるかどうかは微妙で、私は否定的に考える。なぜならば「どう生きるか」でなく「どう死ぬか」の行動指針であるため、「善き生き方」を示す道徳になっていないから。どちらかというと政治キャンペーン一種に分類すべきように思う。ただ、この点は「道徳とは何か」の定義を決めないと結論を出せなそうなので保留にする。

死者の霊、祟り祈り

死者は霊魂となって現世の人々に影響を及ぼすとか現世の人々の祈りが死者の霊魂を癒すという観念は、死んだら死後の世界に行くという宗教観念矛盾している。この二つの観念は別々のもので、宗教が生まれる前から原始的信心として前者が存在していたと思われる。

「死んだらどうなるのか」という不安に対しては様々な「答え」が出されており、天国地獄永遠に暮らすのだとか、別の生き物に生まれ変わるのだとか、現世と交流できる状態にあって時折姿を現したり人に憑依したりするのだとか、恨みや後悔を残して死ぬと地縛霊や怪異になるとか言われている。

交流したり観測したりできる存在としての霊魂存在を信じることは、何に寄与しているんだろうか。例えばいじめられて死んだ生徒の霊が語られる際に、いじめはいけないという教訓ではなく「あのトイレには近づくな」という戒めの方が強く意識されることからすると、道徳には繋がっていない。もっとも、死者の霊を軽んじる行動を取ると祟られたり罰が当たるとされるため、死者に対する礼節という行動規範にはなっている。死んでも生者と関われるので孤独じゃないとか、死者を敬うことで自分も死んだ後で丁重に扱われるだろうとかの安心感を得られるのかもしれない。

命令禁止をせず救済を与えてくれる神様

苦しい時に頼みの綱となる「神様」は、普段はまったく信仰どころか意識すらされておらず、名前もなければどんな姿をしているのかのイメージも持たない漠然とした概念である。その「神様」に祈りを捧げることで天国に行けるわけでもないし、祈ったにもかかわらず救済が与えられなかった場合には悪態対象にすらなる。

「どちらにしようかな天の神様の言うとおり」やテーブルゲームにおける「ダイス女神」もこの一種で、普通人生の命運をかけるほどの扱いはされない。ただ、行動規範をもたず「幸運のお守り」に人生を賭ける人もおり金儲けのターゲットにされがちである

エジプト神話ギリシャ神話北欧神話ヒンドゥー教の神々

勉強不足なのでよくわからない。

「死後の世界」を司る行動規範としての神もいるかもしれないし、「戦に勝ちたい時に祈る神」「商売繁盛のために祀る神」として救済を求める神様の類かもしれないし、「こういうことするとこういう目に遭うよ」といった教訓的な寓話や超常的で不思議な御伽話の登場人物なのかもしれない。

政教分離すべきとされるのはなぜか

上記のように、私の定義では「宗教」とは行動規範を示す道徳である道徳は「どうあるべきか」「何が正しいか」を含むものであり、従って政治法制度のあり方にも関わる。法や政治道徳イコールではないにせよ、深く関連している。そのため、特定宗教の良しとする行動規範に従って法律を作り政治を行うと、他の行動規範もつ宗教を信じる人々と衝突する。「人であるがゆえの権利」を前提とする法制度や政治は誰にも平等でなければならないことからすると、特定宗教立脚した政治を行うわけにはいかない。

「こう生きるべき」みたいに国家が口出しすること自体大きなお世話と考えるのが「人権主体政治だともいえる。

人権」は宗教

やってみればわかるが、人権を行動規範にすることはできない。人権人生の様々な場面で衝突するものからこちらを立てればあちらが立たず、その折り合いをどうつけるかが求められる。したがって人権大事にしようと決めたところで行動指針が決まるわけではない。例えば表現の自由プライバシー権のように。

政治を考える際に考慮すべきものではあるが、個人人生の指針にはなり得ないので、人権宗教ではない。

おわりに

私の友人にはキリスト教仏教敬虔信者であったり聖職者であったりする人たちが少なくない。また、スピリチュアルものを信じる人もいるし、神様へのお勤めで心身をすり減らしてしまっている人もいる。信仰はとても古くから存在し、必要とする人間が多かったのに、なぜ必要なのか自分にはわからないのでずっと考えている。難しい。

2023-06-01

anond:20230601135211

昔々、とある町に「手コキ医者」という名の医者がおりました。ええ、ご心配なく、ご想像の通りなどとは程遠いです。その名前は彼の手技から来ているのですが、この名前が町中で大いに話題となり、少々風味のある行為連想させて人々をドキッとさせていました。

ある日、町の大金持ちが訪れ、「手コキ医者、我が息子の問題を何とかしてくれ」と頼みました。大金持ちがニヤリと笑い、医者は首を傾げるものの、大金持ちの息子と会うことになりました。

その息子は見るからに引っ込み思案そうな青年で、世界絶望で塗り固めたようなひとみで喋りました。しか医者は自慢の手技で息子の体をコキコキと鳴らすと、その性格がみるみるうちに変わっていきました。

しばらくしてから、町に驚きの噂が広まりました。大金持ちの息子が社交界で大活躍し、取引先の可愛い娘さんと縁談まで持ち上がったと。そしてその娘さんとの縁談の席で、息子は一方的に、いかがわしい言葉を口にしたのです。「手コキで人生がかわりました。」

一方、手コキ医者の元に大金持ちが再びやってきて、「息子が娘さんと結婚することになった。すべてはお前の手コキのおかげだ。」と感謝言葉を述べました。医者は首を傾げ、「それは嬉しいことだが、あなたのそのスリッパ、右左逆じゃないか?」と言いました。

大金持ちは驚き、見下ろすと、なんとスリッパが右左逆に履かれていました。「ああ、これは...実は、これが私の商売秘訣なんだ。スリッパを逆に履くと、なんとなく新しい視点が見えてくるんだ。」医者は大笑いし、「それならば、次からはそれを治療法としてお勧めします!スリッパを逆に履く、これが新たな商売繁盛の秘訣だ!」

2023-02-02

歴史修正すな

恵方巻き文化機嫌ははしたなくてと言う説はそんなもんみんな大人結構知ってるねん

それ置いといて今の黙って幸福の方角を向くと良縁、無病息災、商売繁盛等々の願掛けが流行ったんや

それは置いといて昔からしてなかった!っていうやつはなんなんや

昔っていつや?と思ったら平成かいな!平成してたやんけ痴呆か!

それお前の家が代々ハロウィンみたいに流行りを一向に受け入れてなかっただけやろがい

昭和からしとったで?平成初期にもなれば給食手巻き寿司でたとこあるやろ

意味わからんことを言うとらんとさっさと食いなはれ

食わんなら食うで!

2023-01-10

[] そのごひゃくさんじゅうはち

マリウーッス

 

本日日本において110番の日めんたいこの日、かんぴょうの日、さんま寿司の日、十日戎となっております

えべっさんです、えべっさん

そういう行事関西にはあります

まぁよくある人混みが出来る奴です、各地方によくある奴です。

商売繁盛で笹もってこい」はこの行事から来ています

なんで笹かって言えばこの行事の時に一年使った笹と新しい笹とを交換するからです。

まり商売繁盛してなかったら笹は持ってこなくていいということでしょうか。

まぁ、そういう習慣です。習慣というのは大事ですね。

節目、という奴です。

この節目に何をするか、どういう目標を持つか、というのが大事になりますね。

毎度適当なことを言っております

きっと今年も適当なことを言いまくるのでしょう。

笹のように逞しく鬱陶しくありたいものですね。

とかなんとかまぁそんな感じでいいのではないでしょうか。

 

ということで本日は【充分な気力よいか】でいきたいと思います

充分な気力よいか!充分な気力ヨシ!

 

それでは今日も一日、ご安全に!

2023-01-04

1日

起きて親とお雑煮おせちを食べる

それから初詣に行っておみくじをひく

小吉

そのあとぐるーっとまわまり道をして2時間くらいかけて帰る

帰るとお昼すぎなのでおせちの残りを食べる

食べ過ぎてしんどくなり横になってると夕方になり、お風呂に入ってそのまま睡眠

2日

請求書作成郵便で出す

帰り道に別の神社によって商売繁盛のお札とかをかう

ここも毎年寄ってるところ

午後からは去年の領収書をざっくり仕分け

そうこうしてるうちに夕方になり親とラーメンを食べに行って夜になる

3日

領収書仕分けの続き

15時くらいに一旦終了

やることないのでお手付きのプラモデルを作る

4日

親を連れて少し遠くの神社

親にとっては初詣

仕事の縁があり親にとってはここは思い入れのある神社

午後から仕事が発生したので少し作業をする

からジムに行って運動始め

帰って風呂入りながら、そういや1日、2日ってなにやってたかな…となかなか思い出せなくなってたので、思い出しつつこれを書く

2022-12-02

信仰喪失

実家地方都市自営業を営む、今思えば中の下くらいの家庭だった。木造二階建ての家は古く、黒ずんだ柱には飼っていない猫の爪跡がついていた。襖で仕切られた居間の奥には、標準的サイズ仏壇があった。同じ部屋には祖父母写真や、商売繁盛を祈るための神棚があった。

子どもの頃、家の中で姉と遊んで玩具の取り合いになったり、はしゃぎすぎると仏壇の前に正座させられた。先祖に謝れ、みたいなことも怒鳴られて、ゲンコツをくらった。そういう時代であったとは思う。しか子ども自分には理不尽で、なぜ何も言わない、何もしてくれない祖父母写真の前で、長い間正座をして、大きいだけで何の価値もなく見える張りぼて仏壇に向かって、ごめんなさい、と言わなければならないのか、まったく理解できなかった。子どもながらに説明を求めたが、まともな回答はない。親にとって、こうした道具や方法は、先例に倣って子どもを叱るためのフォーマットしかないんだな、と理解した。

10歳を超える頃には、仏壇の前に座ることを拒否し、中学生から法事墓参りも極力欠席した。馬鹿しかった。親の良かった点は、子どもがそれらを馬鹿らしいと思う気持ち発言を(苦々しくも)認め、暴力で無理やり従わせようとはしなかったところ。親にとってもそれらは、信仰心ではなく伝統であり習慣、時代の中で失われていくものである、という思いが、どこかにあったのかもしれない。

2022-10-31

満員電車での対群衆ノウハウを忘れた鉄道会社

韓国群衆事故を見て「日本満員電車事故が起きないのって凄いんだな」という意見が見られるが、実は「満員電車プロであるはずの電鉄会社も甘い見立てでとんでもない失敗をした事があるんだな。

小田急にドアがデカい変な電車がいるが、あれの話である

自分は鉄オタじゃないからそんなマニアックな話じゃないので安心してくれ。

因みに2014年相模大野駅脱線事故が起きて小田急全線不通になったが、その脱線した電車というのはこれだったんだな。

 

あの電車は混雑解消と遅延防止の為に作られたが、そのせいで小田急線は大混雑と遅延続出とケガ人の走る地獄エクスプレスと化したのだった…。

 

構造的欠陥と転倒事故の続出

以前Wikipedia確認したところ、これは停車駅が多い各駅停車用に作られたと書かれていたが(今は削除)、これは間違いで、混雑が酷い急行に使われていた。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E7%94%B0%E6%80%A51000%E5%BD%A2%E9%9B%BB%E8%BB%8A

ところが混雑と大遅延を惹き起こし乗客に大顰蹙を買って混雑なんて殆どない各駅停車専用に左遷されたのだな。

 

座席を縮小させてドアを広くすれば立客のスペースが増えるから余裕が生まれるじゃん、ドアが広いから乗降も早く終わるじゃん、というのがデカドアのコンセプトだ。

ところが、バカ工業デザイナーはそのドア前の広大な空間につり革も手すりも付けなかったのだ。しかもドアの上もドア自体もまっ平らなデザインにした。

から普通電車の2倍以上、面積と収容されている人数的には4倍以上の広大な空間に、手すりにもつり革にもつかまっていない乗客が詰め込まれることになった。

ラッシュ時に電車が揺れると手すりのない客の揺動というのは手すりにつかまっている客がブロックしている。

でも広大な空間に誰もどこにもつかまっていないのだから、客はずっとつま先で全力で踏ん張り、揺れでよたよたし続ける事になった。強烈な苦痛だ。

 

当然こういう状態から雪崩が頻繁に発生する。普通電車なら一瞬ドドッと動く程度が、この電車場合は人が大勢倒れるまで行ってしまう。

そういうわけで、この電車終点新宿に着いた後というのは悲惨で、千切れた腕時計腕時計金属バンドコマメガネ(踏まれてぐちゃぐちゃ)、千切れたボタンカフスパンプスハイヒールヒール、血痕などが散乱するという状態になっていた。暴動でもあったんですか?

座っていても安心できない。乗客雪崩ロングシートの方に逸れて人が降ってくる事があるからだ。メガネをしていたらイチコロである金属フレームであったら眼窩を大きく切って出血する事を免れない。

吹っ飛んだメガネも拾うのは無理で、向こう側のドア間で苦闘する乗客蹂躙されてグチャグチャになるのを座視するしかない。

雪崩に押し出された小学生座席下のヒーター付近に押し込まれ、降車駅まで男性客の股間に立っていた。

自分場合ペンチでしか開かない鍵束の鉄リングが伸びて6の字になっていた事がある。転倒した誰かの時計バンドが入って引っ張ってしまったのだろう。

また言語学習で支給された頑丈なバインダーが二つに折れ&押されてぐちゃぐちゃになり買い直した。更に誰のだか知らぬ血がカバンや服についていた事もあった。

 

90年代前半は混雑が今より酷く、他の路線でもボタン時計が落ちているという事はままあった。しかしこの電車は頻度が異常というか終点で人が捌けると必ずという頻度であった。

また、ドア前の空間につり革を付けないのというのは当時は当たり前で、他の電車も同じだった。だがこの電車構造特殊なんだから同じように付けないと雪崩が続出するのは当たり前だ。何故こんな事をデザイナーは考えなかったのか?

 

遅延防止のつもりが大遅延続出

混雑時に大きな駅に電車が到着すると、下りる客の邪魔になるのでドアの前の客は一旦ホームに降りなきゃいけない。この下りる人数というのは普通電車なら2~4人程度だ。

だがデカドア電車ではこれが6~10人程度になってしまう。するとこれが邪魔になって降車がなかなか進まない。

更に、小田急には下北沢登戸という、乗降客が多くてホームが狭い駅があった。(現在は建て替えで両方とも解消)

下北では狭いホーム井の頭線の橋脚がそびえるという無茶な構造登戸南武線乗り換え駅なのに駅が鉄橋の上にあるという造りでホームが狭い。客が多いので階段を大きくせざるをえず階段ケース横のホームがとても狭い。

ここで「一旦降り」客が多いと橋脚の向こうや階段ケースの裏側から階段にくる客の流れが詰まってしまっていつまでも降車が終わらないという事になった。

そして電車が出て行った後にも乗客の移動が続き、そこに次の電車が入ってくるので大変危険である

 

更に乗車忌避問題が発生した。

デカドア電車では頻繁に乗客雪崩が発生して、転倒に至る事も多い。それ以外の時間ではずっと何にもつまれずに乗客の大きな揺動に耐えて踏ん張る事になるので非常に苦痛だ。

特にヒールパンプス女性苦痛は余りある。更にヒールのある靴では転倒したりヒールがもげるリスクが大きくなる。ヒールがもげたら百貨店の靴修理店が開く時間まで待たねばならないから出勤できるかという問題にもなる。

その為にデカドア電車が来ても乗車を見送る客が続出したのだ。

この客らは降車客の移動の邪魔にもなるし、次の急行にまとめて乗るので次の急行が大混雑になる。混雑が酷いと乗降に時間が掛かるので遅れてしまう。遅れるとホームにその分乗客が溜まるので更に混雑→遅延というフィードバックが加速されてしまう。

 

こういう感じで、デカドア電車を先頭に遅延が常態化してしまった。「次の電車は5分遅れです」とアナウンスがあると果たしてデカドア電車で、その電車に乗って数十分デカドアサーフィンエクササイズ(転倒出血付き)するか、その後の急行で大混雑&遅刻するかを選択せねばならない。

たこの為に途中駅では入場制限もしばしばしかれるようになった。

 

You are fired

こうして多くの乗客、駅員に怨嗟絶望遅刻を、ミスターミニッツには靴底修理の商売繁盛を齎したカサンドラエクスプレスことデカドア電車だが、終わりは突然にやってきた。

ある日を境に急行デカドア電車が来なくなったのだ。戦力外通知、三行半である。彼は各駅停車専属に転属となっていた。小田急では各駅停車全然混まないので、使えねー奴でも何でもいいのだ。新規投入から半年も経っていない。

 

小田急では大混雑する急行対策が全てであって、そんな路線各停しか使えない縛りの資材を抱え込んでしまった同社の悩みは幾ばくかとも思うが、見立てが甘かったのだから仕方がない。怪我したりメガネや服や時計破壊された人の身にもなってみろと言いたい。

混雑対策にはノウハウの蓄積とその参照が必要なのに銀の弾丸求めてコンセプト優先で足元をおろそかにした工業デザイナーのせいである。3日占領目指して引っ込みつかなくなった頭プーチンかよ。

 

その後この思い付きだけで出来た愚劣な電車はずっと各停だけで使われていたのだが、今どうなってるのかというと、つり革を付けてドアがあまり開かない改造をされて走っているようなのだ阿呆である。完全に最初からコンセプトが破綻していたってこった。最初からやるな。

 

デザイナーリサーチ不足のせいで多くのケガ人と憤怒と遅刻ふくらはぎの筋力とミスターミニッツインカム各停しか使えない不良資産を産んだのがこのデカドア騒動だった。

だが我々の社会はまた過去ノウハウの蓄積を軽視するようになっているように思える。失敗データベースなどにこの失敗は収録されて参照されるようにもなっていない。

ゆえにまたいつ次のデカドア電車が現れるやも知れぬ。

そういう時我々は声を大にしてこう言うべきである

「おめぇヒールはいてこれに乗ってみろ」

2022-10-29

新興宗教Sへのウッカリ入会からスピード退会まで

■はじめに

気づかないうちに宗教団体Sの信徒になっていたので退会しました。

ネット見てたらそう珍しいことではない(Sにとっては常套手段)だけど個人的には初めてだったし、

知恵袋とかで自分と同様の状況にある方から質問を見かけたりもしたので、せっかくなので書いておこうといった程度の忘備録です。

若干のフェイクも含めてぼかしつつ書いていますが、困っている人がいたとして

検索に多少でも引っかかることが出来ればとも思い、いくつかの固有名詞は生かしました。

増田作法をよく知らないので、馴染まないところがあったらごめんなさい。




宗教団体Sを知る

遠方に住んでいる友人から連絡があった。

私が転職したこと友達伝いに知って数年振りに連絡をくれた。嬉しかった。

近況報告をする中で、通っているという宗教団体Sについて熱く教えてくれた。

電話で何十分と教義を語る友人の熱意には驚いたが、私は宗教全般にそこそこ興味があったので、

その時点でSという団体名すら知らなったものの、友人の話をフンフンと聞いていた。

関心といっても、あくまで観察対象としての関心である

■友人と会う

しばらくして、友人が私の暮らす地方に遊びに来るという。

たまには日常を離れたいだろうし、そうした先に私の暮らす場所を選んでくれたのが嬉しかった。ここは良いところなのだ

友人がこちらに滞在している間、ちょうどSで盛大に護摩を焚く行事があるので、

ぜひ当地にある分院に立ち寄って参加したいという。

てっきり護摩を見られると思った私は賛成し同行。護摩大好き。

集会に参加する

久しぶりに対面した友人と施設に向かう。

清潔感のある施設の中に入るやいなや、教団の建物教祖一家写真彫像が各所にあり、友人がいろいろ解説してくれる。

集まる人も多かった。心持ちは完全に社会科見学

集会ができるようなスペースに通された。祭壇などがある空間スクリーンがかかっている。……スクリーン

じきに、スクリーンに中継映像が映る。

結局、護摩とは本拠地で焚くもので、そこから離れた当地ではネット中継を見守るということだった。

てっきり生の護摩を見られるものかと…。

私は周囲の人々がそうするように正座して中継映像を見守る。

しかし思いのほか、この中継映像がすごかった。

複数ドローン含め10台はあるか)のカメラ効果的に切り替わって飽きさせない。

世界各国から本拠地へと集まった何人もの信徒名前テロップが即座に入る。

めくるめくこなされる儀式名目テロップで分かる。

離れたところにいるらしい合唱隊やオーケストラ生演奏も映る。

かに登場した教祖の姿に、故人である始祖の過去映像が重なる。始祖の生前スピーチ流れる

大きなスクリーン投影された映像は常に高精細で、乱れることが一切ない。

中継でありながらも綿密かつ予定調和的に作りこまれ映像にどことなく「ゆく年くる年」感を覚えながら、

リハーサルにどれだけ時間かけているんだろうとか、

音楽隊はどんなメンバー構成されているのか(職員一般信徒?)とか、ボンヤリ考えながら、

厳粛にこなされる儀式の数々を相席食堂千鳥気持ちで見守っていた。

■お浄めを受ける

儀式が終わった後、友人に「お浄め受ける?」と聞かれる。

Sについてネットで軽く予習していたがこれについてはよく分からなかったので尋ねると、

短冊形の用紙と黄色い用紙を棚から持ってきてくれた。

短冊形の用紙にお願いする内容を記入する。

浄めが結局何なのかよくわからなかったけれど、一つのお願いを500円で聞き入れてくれるというなら、

賽銭社会科見学のお礼のつもりで浄化してもらおう。ついでに知人の商売繁盛の祈願もしておこう。

友人も短冊形の用紙に色々書き込んでいた。

黄色複写式の用紙には自分名前、住所、電話番号を書く。

寺社で御祈祷を受ける時も同じような内容を書くので、こんなもんだろう。

友人の名前やSでの所属情報などを書く欄もあったのでそこは友人に記入をお願いした。

カウンターで用紙を渡し、お浄め商売繫盛の祈願代として1000円を払う。それとは別に1400円かかるという。

ん?聞いていなかったけれど、お金を払うカウンターで突っかかるのも嫌なのでとりあえず払っておいた。

友人は「ご先祖様も喜ぶね」とニコニコしていた。

対応してくれた職員さんは気のいい人でお菓子をくれた。今はこの地域に勤務しているが全世界に転勤があるらしい。大変だ。

ご老人もいたが若い世代も多く、公民館的な空気感だった。

施設に入ったときに「お帰りなさい」と言われたのも、そういうアットホーム雰囲気づくりに一役買っているのだろうか。

帰宅する

帰宅後、控えの用紙を改めて見てみる。

精進願い」と書かれたその控えを見ると、追加で払った1400円の内訳が「登録費」と年度末までの「会費」だということが分かった。

え、私、登録されてる?会費、払ってる?つまり信徒になったんか??ここで初めて気づいたのだ。

友人に連絡を取って確認してみると「この用紙を提出したことあなた信徒になった。説明足りてなくてごめんね、退会はいつでもできる」とのこと。

本人確認もなく、押印もなく、教団の教義ルール説明も、意思表示の機会もないままに、どうやら私は信徒カウントされる存在になっていたらしい。

私は「こうした大事なことは、まず家族との話し合いが必要」「自分スタンスとは合わない」とそれとなく退会の意思を伝えるも、

友人からの返事は要約すると「あなた気持ちは分かった。けれど、ここは様々な考えの人を受け入れるから大丈夫」と。

……もう何を言っても通じないと思うから、説得や議論はやめて、ほとぼりが冷めてから退会しようと決意した。

自分一人で解決しても良かったが、万一後から家庭内トラブルが勃発しても嫌なので家族顛末を話すと「ちょっとそれはどうかと思う、賛同できない」と。そりゃそうだ。

しばらくしてから友人に退会すると伝えたところ、すぐに退会に必要手続きを教えてくれた。

■退会する

精進届けの提出から半月後、退会届を提出しに行った。

先日お菓子をくれた気のいい職員が居たらちょっと気まずいので、その人と会いませんようにと思いながら向かった。

施設に入ると、数名の信徒が談笑していた。こちらをちらりとも見ず、挨拶もせずといった感じで、こんなもんかと思った。

平日の昼間という時間帯のせいかもしれないが、初めて行った日のように「お帰りなさい」と言ってくれる人もいなかった。

前回友人が精進届けを取ったのと同じ棚から退会届を出し、書けるところだけ書いた(ID部会名などは空欄。氏名や住所のみ)。

望みも空しく対応してくれたのはあの気のいい職員だったので、なんかごめんよ、と内心思いつつ提出すると、

職員は退会届に受領印を押し、「はい大丈夫ですよ~」と控えを渡してくれた。

こんなもんかと思った。施設に入ってから出るまで5分と掛からなかった。

あとがき

結果、入会もあっけなければ、退会も超あっけなくできた。

信徒職員にとって、こうした形で入会・退会する人の存在は珍しくもないのかもしれない。もう少し引き留められるものかと覚悟していたのに。

新興宗教では珍しく信徒が増えているというS。個々の宗教バックボーン否定しない(他宗教行事参加OKなど)教義

信徒を増やしているのかと思っていたけれど、こりゃ増えますな。

それにしても、入会させた人数で信徒としてのランクも上がっていくらしいのに、すぐ退会してもノーカンにはならないのだろうか?

入会~退会の渦中にいた時は正常性バイアスが働いて

「友人だって騙そうと思って私を入会させた訳ではないのだ」と信じていたけれど、

時間が経った今、友人の態度は誠実なものではなかったと思うようになった。

施設に行く前に「こんな田舎護摩が直接見れるのは楽しみ」と言った私に

「直接じゃなくてリモート」と言ってくれなかったこととか。

そもそも一緒に施設へ行かなきゃ良かったのにと思うけれど、

「友人がわざわざ私の居住地に来る(当地はお互いの出身地ではないので、私以外に知人も居ない)」、

「私の運転観光地をまわる予定」という中で「お寺に行きたい」と言われたら断りにくく。


友人には「退会届け出したよ」との事後報告もしていないし、

「退会届け出したんだね」との連絡も来ていない(知らないはずもないと思うんだけど)。

今後、よほどのことが無い限り、私から連絡を取ることはないと思う。


入会~退会の間の約半月、Sからの連絡(郵送物、電話集会への参加呼びかけなど)が

一切無かったことにはほっとした。もしかすると、もうしばらく経っていればIDカード等が届いたのかもしれない。

ネット情報によると、退会届けを出さずともフェードアウトしてSに関与しないことは可能だが、

導き親(今回のケースでは友人)が自分費用も年度ごとに払うのであれば会員は継続されるらしい。

もし私のように意思とは関係なく入会してしまった人は、モヤモヤするくらいなら退会届けを出しても良いかもしれない。拍子抜けするくらいあっさり退会できる。

ただ、導き親と頻繁に会う仲だったり、悩みを抱えていたりしたら私も退会を躊躇ったかもしれない。

でも、なーにがお救け、導き親じゃ。救けてくれとも導いてくれとも頼んでなんかないんじゃ。

2022-05-23

人が亡くなった時にかかるお金

母が亡くなって、1年ほどになりました。

時折ふとした瞬間に、そうだ、この世の中には、もうお母さんはいないのだなあ……、としみじみ思い出して寂しくなります

母親が亡くなると、大げさにいえばそれ以前とそれ以降で、自分心持ちががらっと変化してしまったような気がします。

抱えている寂しさや空しさの量が少し増えましたし、自分自身の死ということにも、よりリアリティを感じるようになってきています

とはいえ人生は続いていくわけで、時間解決することもあるけれど、この寂しさや空しさを、当たり前にそこにあるものとして、これから暮らしていくんだろうと思います

ただ、今日この場で語りたいことは、現実的(で大切な)話、葬儀・供養についてのお金話題です。

私、母以外にも肉親をもう2人、既に亡くしていまして、喪主経験が3回あります(3回あれば、語る資格ありますよね?)。

さて皆さん、人がひとり亡くなると、葬儀・供養にどれくらいのお金がかかると思いますか?

もちろんケースバイケースですが、私の母のケースを参考までに述べますと、

・ほぼ家族葬、参列者が15人以下。

コロナなので、会食はなし。

墓地先祖のお墓があり、仏壇もある。

というもので、

高齢化社会になると、高齢で亡くなるため、すなわち、葬儀に参加する仕事のつながりや友人知人もいなくなります。なので近年は、家族葬割合が増えていると聞きました)

セレモニーホールでの葬儀費用・・・130万円

葬儀お布施・・・30万円

四十九日お布施・・・6万円

位牌・・・4万円

お墓への戒名彫りと納骨・・・10万円

合計・・・180万円

でした。

(これに加えて、香典をもらうとしたら、平均ひとり1万円いただくことになり、その半分を返礼品でお返しすることとなります

わりとメジャー葬儀社で、いちばん簡素プランを選んでの金額です。

お布施は付ける戒名ランクによって金額が変わるというお寺のシステムがあり、こちらも最低ランク戒名でお願いしました。

なので、自分が亡くなる時には180万円くらい残しておかないと、残された人たちが困るかもしれません。

たとえ自分が「葬式不要戒名不要」と遺言を残していたとしても、実際には、残された親族親戚からすると、それでは気が済まないから、

皆でお金を出し合って最低限の形にしよう……という話になる可能性もおおいにありえると思うのです。そこは、自分だけの合理性では済まない部分もあるといいますか。

私自身、もちろん亡くなった家族を悼む気持ちはありますが、宗教的信仰心が厚いわけではないので、

葬儀・供養については、できるだけシンプルな形でと考えていたのですが、それでもこの金額になりました。

ちなみに葬儀社には「互助会」というシステムがあり、生前に入会して積立金を支払っておくと、費用の割引を受けられるというシステムがあります

(なので、互助会に入会していないと費用が割高になるようです)

亡くなった親が既にどこかの互助会に入っていたり、どこかのお寺の檀家になっていると、このあたりについては選択余地はないですね。

小さめの家族葬をメインとしたセレモニーホールだと、価格が抑えられたかもしれないなとは思います

しかし、決して安くはないけど、ネットで調べた相場よりも高くはないようなので、まあ、こんなものかなという感想です。

ただ、お墓への戒名彫りと納骨費用10万円は、調べると相場は3~5万円ということらしいので、ちょっと高かったのです。

(あと、戒名彫りのフォントが野暮ったくて、それも不満に感じています

石材店に依頼して、お墓の側面に戒名と没年を彫り、骨壺をお墓の下に収納するわけですが、墓地には「指定石材店」という制度があり、

決められた石材店にしか依頼することが出来ないルールなんです(公営墓地にはそういう制度はないようですが、民間墓地にはあるそうです)。

それを聞いたときには、ちょっと疑問は感じました。シンプル独占禁止法にひっかかるのではないかと思ったのですが、それにはあたらないという見解もあるみたいで。

とはいえこのルールでは相見積もりも取れないし、これが適正価格なのか信用はできないな……、と思います

そういった独占的な商売を、消費者としてどこまで信用してよいのでしょうね。

だけど、お墓はトラックが横付けできないような山あいにある墓地ですし、近年の様々な材料の高騰の影響もあるのでしょう。

素人にはわからないコストもあるでしょうし、ネットで調べた相場感だけで軽々には判断できません。

ところで、その石材店の社長名でfacebook検索してみると(そういうこと、しますよね?)、

自宅ガレージの前には、レクサスはおろか、BMW X4 M Competition、フェラーリ ポルトフィーノ、488ピスタ、などの写真が並んでいて、

「あの野郎、やっぱりぼったくってやがったか!」

……失礼いたしました。ご商売繁盛されているようで、うらやましいです。

2021-08-10

江ノ電自転車ニキの店が繁盛して本当に良かった。

外国集団から突然罵声浴びる状況ってめちゃくちゃ怖いと思うんだよね。

罵声って大体聞き取れないし、何で怒ってるか分からないし、何されるか分からないし。

日本人でもあんな状況になったら普通に怖いのに、外国人ならなおさらトラウマレベルだよね。何年その国に住んで言葉文化に馴染んでいようが。

わざわざ日本に来て商売してくれてる外国人が、自分の思い通りにいかいからと突然罵声を浴びせるような未熟な人間のせいで被害だけ受けなくてよかった。

幸いニキは楽観的な性格みたいだし、商売繁盛して結果オーライ!くらいに思ってくれてるといいな。

撮り鉄自体否定しないけど、ああいう状況になったら撮り鉄同士でたしなめ合うルールでも作って徹底しないと、本当に何処に行ってもブーイング受ける状況になるよ。

まあ叫ぶ奴に対抗する勇気を持った人間なんてほぼいないだろうから、無理なんだろうけど。

2021-04-02

ネット上には「中国人はなぜ、話し声が大きいの?」という疑問がよく書き込まれています。新型コロナが拡大する以前は日本観光地に多くの中国人観光客が訪れていましたが、その場にいた人ならば、「中国人観光客の話し声が大きい」と思ったり、中には「うるさい」とネガティブに思ったりした人もいるのではないでしょうか。さまざまな人がブログなどでその理由を推測して書いていますが、何が本当の理由なのか分かりません。

そこで、日本人が想像する代表的な5つの理由”の正誤について、長く中国に住んだ経験のあるノンフィクション作家中国社会情勢専門家青樹明子さんに聞きました。

中国人の話し声は総じて大きい

Q.性格などもあり、全ての中国人の声が大きいとはいえませんが、全般的中国人が話す声が大きいというのは事実ですか。

青樹さん「事実です。同じ中国人でも、出身地やその他の条件によって違いはありますが、総じて大きいのではないかと思います

Q.ここから、5つの理由です。「中国語の発音はすべてに抑揚がしっかりと付いており、その強弱で意味が変わるので、大きな声で話さないと伝わらないから」という理由を挙げる日本人がいます。正しいでしょうか、誤りでしょうか。

青樹さん「正しいです。中国語の発音には、4種類の音である『四声』というものがあります。つまり、一つの言葉でも、『平らなもの』『下から上に上がるもの』『下で伸ばして上に上がるもの』『上から下に下がるもの』という4種類のイントネーション(抑揚)があるのです。

そして、面倒なのはイントネーションによって意味が全く異なってくることです。例えば、中国標準語で『ma』と発音する言葉がありますが、イントネーションで『お母さん』『馬』『叱る、ののしる』『~ですか?(疑問文を示す助詞)』など全く意味が違ってきます外国人地方から来た方言の強い中国人標準語を話そうとする際には、はっきりと大きな声で発音しないと意味が間違って伝わってしまます。そのため、どうしても大きな声になるのです。

また、中国の中でも、特に広東人の声は大きいとされています標準語は4つのイントネーションがありますが、広東語は6つのイントネーションがある上、促音(日本語の「っ」のようなつまる音)も多いので、よりはっきりと大きな声で発音する必要があるからです。しかも、来日する中国人の中で広東人割合はとても高いです。大きな声で話す広東人日本に多く訪れることで、『中国人の話す声は大きい』と感じる日本人が増えたのかもしれません」

Q.「『にぎやかなことは縁起がよい』という考え方が中国人にはあり、大きな声で話す意識が染み付いているから」という理由は正しいでしょうか、誤りでしょうか。

青樹さん「正しいです。中国では、大きな声で話すことは『体が丈夫』『地に足を着けて生きている』というポジティブな印象を与えます。逆に、声が小さいと『気が小さい』『消極的』というネガティブな印象を与えてしまます中国人は声に限らず、大きな音を出すことやにぎやかな音を出すことは縁起がよいという意識を持っています。例えば、赤ちゃんの産声も大きければ大きいほど縁起がよいと喜ばれますし、商店での声掛けも声が大きければ大きいほど商売繁盛イメージを与えます春節爆竹を鳴らすのも魔よけ、福を呼ぶなどの意味があります

Q.「人口が多いので、大きな声で自己主張しないと誰にも相手にしてもらえないから」という理由は正しいでしょうか、誤りでしょうか。

青樹さん「正しいです。最近は変わりましたが、中国では長い間、お店などで列を作って並ぶ習慣がありませんでした。例えば、市場野菜果物を買おうとしても、みんな並んでいないのでワッと押し寄せ、その中で大きな声で欲しいものをはっきり言う必要がありました。売っている側に声が届かないといつまでも買い物ができないのです。そうした習慣から、『自己主張するときには大きな声で』という意識中国人の中に染み付き、話す声も大きくなったのだと思います

Q.「大きな声で話すことで見えを張り、自らのメンツを保とうとしているから」という理由は正しいでしょうか、誤りでしょうか。

青樹さん「私は聞いたことがなく、正しいか誤りか判断できません。中国人も声の大きさとメンツとに関連性があるとはあまり言及していないようです」

Q.「中国が急速に経済発展したことで、建設などの工事騒音が激しくなり、自然と大きな声で話す癖がついたから」という理由は正しいでしょうか、誤りでしょうか。

青樹さん「正しいと思います交通騒音もすごいですが、中国では至る所でいつも工事をしており、騒音とは共存状態です。もちろん、経済発展による建設ラッシュが主な理由ですが、いつもどこかで行われている家の内装工事騒音のもとです。中国では家を買ったら、内装工事は自前で行わなければなりませから

工事についても、中国人は『周囲に騒音が広がり迷惑をかけてしまう』という感覚がありません。以前、中国で住んでいたアパートの上階で突然リノベーション工事が始まりました。昼夜を問わず工事で、電気ドリルハンマー音が頭上で響き、あまり騒音で体調を崩しました。しかし、施工であるアパート管理会社に言っても取り合ってもらえず、他の住民たちもおとなしく我慢していました。私の場合、1カ月後には日本への本帰国を控えていたのですが、我慢限界を超え、たった1カ月のために引っ越ししました。

多くの中国人は数十年前まで、共同住宅生活することが多く、話し声も含めた隣近所から生活音に寛容です。大きな音がする機会が多い国なので、それに負けないために大きな声で話すのは納得できます

Q.公共の場で大きな声で話している中国人日本人が見たときネガティブに感じる人もいます。どのように対応すればよいでしょうか。

青樹さん「日本で話し声があまりにもうるさい場合は、人さし指を口の前で立てて、『しー』という動作をすれば、中国人も気付いて、声を抑えめにするでしょう。彼らにしてみれば、普段通りに話しているだけであり、彼らは『うるさいと日本人が感じている』と気付いていないだけなのです。中国人自分たち外国からどう見られているのかをとても気にする民族です。『しー』とされて怒る人は少ないと思いますし、そうすることは失礼ではないと思います

by Yahooニュース

2020-05-24

つくづく首相にはなりたくないもんだな

毎日新聞世論調査によると首相支持率が急落しているそうで、つくづく首相にはなりたくないもんだな、とそう思った。

他の政策賛否はともかくとして、目下の最大の問題である新型コロナウイルス防疫政策についてもっと成功しているのは日本だろう。

にもかかわらず、首相仕事というもの民衆賞賛という形では報いられてはいない。

なぜ、日本政策が最も成功していると言えるか?

それは二つの厳然たる客観的事実によって裏付けられる。

一つは死者数の少なさと、今一つは我々の市民自由への当局による制約が事実上一つもないということだ。

この二つを同時に達成した国は、他に一つもない。

なぜこの二つに注目するべきか?当たり前すぎるかも知れないが一応振り返っておく。

まず、死者数。

感染しようがしまいが、結局は命を救うのがもっと重要だろう。

苦しい病気にかかりたくはないが、死ぬよりはいいし、感染しても症状がでないまま終わるのなら免疫ができるわけでかからないよりもいいかも知れない。出歩かれても困るが。

ちなみに超過死亡という概念もあり、国際的比較にはこちらの方が有効だという議論もある。

この指数で見ても日本の状況は、諸外国比較して優れていると言える。

第一、「真の感染者数」など把握している国は一つもない。

市民自由への制約。

もちろん、経済重要だ。だが、経済のために自由人権無視して良いのか?そうではあるまい。

市民自由は我々の自由経済がよって立つ基盤だろう。

我々は今日自粛」によってさまざまに不便な生活をしている。

これは政府命令されたからではない。

我々の一人ひとりが自発的にさまざまな自由行使を控えているのだ。

自粛警察とか同調圧力かいうのは瑣末な問題で、諸外国にもあるものだし、そもそも当局による行為ではない以上、政府による直接的自由の制約とは言えない。

緊急事態宣言にともなってそれらが生じたとは言えるかもしれないが、それは間接的なものであるし、ならば間接的な制約と直接的な制約でどちらが政府による自由への干渉の程度が大きいか?問うまでもない。

もちろん「自粛警察」による他者権利侵害非難されるべきものだが、実際にそれは本物の警察によって取り締まられている。

日本政府がここまでに行った国民に対する矯正措置はなにか?

マスク転売禁止と、医療機関へ分配するためのマスク供給業者から強制買上げ。

これらも市民自由への干渉と言えば干渉なのだが、例えばフランスのように理由のない外出を禁じる(移動の自由への明白な制約)と言った強硬ものとは程遠い。

ましてや一個の都市からの移動の手段を完全に封じるとか、スマホアプリインストールさせて接触者を全部特定させるとか、「検査拒否罪」で強制的にPCR検査を受けさせるというものではない。

日本以外の国で防疫に成功している国は、どこも市民自由をかなり大胆に犠牲にしている。

生命市民自由経済、これらは三つとも重要だが、少なくとも生命市民自由を守るという点でもっと成功したのは日本だ。

経済への影響は、どこの国もまだどの程度のものになるかは分からない。

ならば現時点では、日本のCovid-19対策こそが自由世界の模範であろう。少なくとも現時点では。

強調しておくべき義務を感じるが、日本成功は「市民自由犠牲にしないCovid-19防疫は可能である」ことを示す重要証拠だ。

では、我々の対策を何が支えていたか

自粛」というのは社会的かつ自発的行為なので、その主体は我々一人ひとりの国民だ。

我々の政府選択は「社会における接触を8割減らす」という専門家会議方針バカと言われようがアホと言われようがほぼ「国民への呼びかけ」のみで実現することだった。

そしてそれは成功した。

政治は我々の社会が育んできた専門知を信頼し、愚直にそれを実行した。

その途上で、俗悪なメディアに煽られた民衆PCR検査実施拡大を求めたが、首相は拡大するとは言ったものののらりくらりと躱してきた。

こんなものを真面目にやっていたら(おそらくはできたろうが)本当に医療システム崩壊していたろう。

さて、私が首相だったらと考えてみる。

なにをしていただろうか?

PCR検査を増やすとは言わなかったとは思う。足りないから増やせという発想ではシステムの別の部分を壊すことがあることを職業上よく知っているからだ。ただ、記者低俗ワイドショーを口汚く罵って舌禍を起こしていたことだろう。

マスクは配ったと思う。暇でバカ痴呆老人がやることが無いから街からマスクがなくなっている。あいつらに我慢させるためにとりあえずばら撒いたるわ。だがやはり舌禍を起こしていたことだろう。

経済について私は何をしていただろうか?少なくとも手続きが面倒だとかなんだとかっていう連中には「お前ら、その金が必要ってことは仕事がないってことだろ。面倒でもやる時間くらいあるだろ。忙しくてやる暇ないなら商売繁盛結構なことだ」と煽ってやはり舌禍だ。

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