はてなキーワード: 滞在期間とは
俺の担当者は当時一人だったんだけど、
その担当者に連れられてお店に着くと、
(言葉は分からないけど、席と皿や箸が準備されるので分かった。)
少人数で食事の予定が変更となり、会った事もない方々と初対面で飯を食う事に。
担当者のお気に入りのお店が何軒か有って、そこを紹介してもらう。
お好きな方々はお持ち帰りとなる。
お持ち帰りにならないのは真面目な方かと言えば、
契約で囲っていたりしていたようだ。
契約料金とか、いかに可愛いかとか美人かとか自慢話が多かったと思う。
因みに、他の電気部品メーカーの件で、マカオ近くの珠海という町に行った時、
そちらのメーカーの担当者から、現地の夜の事情を伺った事が有り、
ちらっとその話をしたら、やけに喰いついてきていた。
一晩幾ら位とか、契約で幾ら位とか...
俺が現地に詳しい訳じゃないから分かるわけ無いだろ... 分かってくださいよ。
長くても2週間、短ければ3、4日の滞在期間中、逆に毎日食事に誘われ、
https://anond.hatelabo.jp/20231221122708
先日甥は中考と呼ばれる中国の高校受験に参加し、大方の予想に反し見事合格を果たした。
(中国の高校はいわゆる日本の進学高校に相当する。この辺は前回の増田に書いたので詳しく知りたい方は読んでみてほしい)
甥はかなりマイペースな性格で学校のテストの結果がどうとか、合格判定結果がどうとか一切気にせずに、勝手気ままに宿題をしたりしなかったりという状態を堅持してきた。
甥の母親、つまり義妹はそれほど教育には熱心な方ではなかったが、甥の勉強に対する姿勢やら、甥の問題行動により毎週のように担任から呼ばれるはで徐々に焦りを感じるようになってきていた。
中学校で化学実験のあった日、「甥の隣に座って一緒に授業を受けるように」と担任から義妹に対して通知があった。行ってみると保護者は彼女一人だけで、普段から担任の言うことを聞かないので実験中に何かしでかすのではいかという心配から義妹を呼んだのだという。これが高校入試の大体3か月くらい前のことであった。
入試直前の一ヶ月は一対一の個人指導塾へ毎週通っていたらしいが、合格圏内にはあともう一歩というところから中々上に上がれない状態だった。
「あともう一息」「あと一歩頑張れば合格」というところまで来ているのだから、頑張って勉強に励むところを、甥は相変わらずの楽天家でマイペースであった。ダメだったらダメ、受かったらラッキー。傍から見ると他力本願が強すぎるように見え、義妹もついに諦め宣言を行ったほどであった。
500名ほどの受験生中、上位成績者250~280名が高校進学ができるとされていて、甥は直前の予備試験では313位であり、担任の予想よりは好成績ではあったがもうあと一歩というところで、普段の授業態度を見るにつけこれ以上の成績は望めないと判断されていた。
甥は恐らく受験当日も特別緊張することなく普段通りマイペースに受験したのだと思う。
後から聞いた話によると今年の物理と化学の試験は例年と比べて難易度が高く成績上位者でも手を焼いたらしい。この2教科で甥は大健闘を見せ奇跡の合格を果たすことになった。
昨日甥が、義妹が経営する海の家の手伝いをしていたところに、彼の友達の同級生が訪ねてきた。受験の話題になり、甥の高校合格はこの同級生にしてみてもあり得ないくらい奇跡的なことだったらしい。
この同級生に普段甥はクラスでどうだったかを聞くと、毎日のように担任から叱責をされていたという。叱責があまりにも酷いので、当事者ではない他の生徒にとっても心的に負担の大きなものだったという。
その話を聞いていた義母は、甥に「そんな時はどうやって対処したの?」と聞くと甥は「空気になるだけだ」と答えたという。
甥が私の住む北米の辺境の町に来週遊びに来ることになっている。
滞在期間は一ヶ月。前回会った時は彼が小学3年生でまだ小さかったが今は私の身長を追い越してしまった。
一緒に夕日を見ながら祝杯を挙げたいと思っている。
<質問文> 日本でホストファミリーになるには、賃貸契約の問題あるから、実質的に持ち家・持ちマンションでないと厳しい気がするのは気のせいですか? 民法第612条 1.賃借人は、賃貸人の承諾を得なければ、その賃借権を譲り渡し、又は賃借物を転貸することができない。 2.賃借人が前項の規定に違反して第三者に賃借物の使用又は収益をさせたときは、賃貸人は、契約の解除をすることができる
<Bardちゃんの回答案1>
気のせいではありません。民法第612条の規定により、賃借人は賃貸人の承諾を得なければ、賃借権を譲渡し、又は賃借物を転貸することができません。賃貸物とは、賃貸借契約の対象となる不動産のことで、マンションやアパート、戸建て住宅などが該当します。
ホストファミリーになるということは、賃借物である自宅を外国人留学生に居住させることを意味します。この場合、賃貸人の承諾を得ずに留学生に自宅を使用させると、賃貸契約違反となり、賃貸人から契約解除をされる可能性があります。
そのため、日本でホストファミリーになるには、賃貸人の承諾を得ることが必須となります。賃貸人によっては、ホストファミリーになることを許可してくれる場合もありますが、事前に賃貸契約の内容を確認しておくことが重要です。
また、賃貸人から承諾を得たとしても、賃貸契約の内容によっては、ホストファミリーとして活動できる範囲が制限される可能性があります。例えば、留学生の滞在期間や人数、使用できる部屋数などが定められている場合もあります。
以上のことから、日本でホストファミリーになるには、実質的に持ち家・持ちマンションでないと厳しいと感じるのは、正しい判断と言えるでしょう。
<Bardちゃんの回答案2>
気のせいではありません。日本では、賃貸契約で転貸を禁止する条項が一般的です。そのため、ホストファミリーとして、賃貸物件で外国人留学生を受け入れるには、賃貸人の承諾を得る必要があります。
賃貸人の承諾を得ることは、必ずしも難しいことではありません。しかし、賃貸人によっては、転貸に同意しないこともあります。その場合は、持ち家・持ちマンションでなければ、ホストファミリーになることは難しいでしょう。
ただし、賃貸契約の転貸に関する条項は、必ずしも厳格に適用されるとは限りません。賃貸人との交渉次第では、転貸を認めてもらうことができる可能性もあります。
具体的には、以下の点をアピールするとよいでしょう。
また、賃貸人との信頼関係を築くことも重要です。賃貸人と良好な関係を築いておけば、転貸を認めてもらいやすくなるでしょう。
なお、賃貸物件でホストファミリーになる場合は、以下の点にも注意が必要です。
今、この文章は新幹線の自由席で書いている。この自由席は本来であれば1週間後に乗っていたはずのものだ。今日とは言わずもう少し後に乗っていたはずだった。
大学を卒業してから新卒として入った会社に3年ほど勤め、退職を決意。
次の職場も何とか決まり、そこに移籍する前の有休消化期間。謂わば今は少し早めの夏休みだ。
そうなるとさすがに旅に出たくなるもの。
俺自身そんなアクティブな人間ではないと思っているが、有休消化期間が長ければ長いほど旅に出ないと勿体無いよねという風潮も何となくある気がする。
そうなってくると自分にはちょうど良い当てが1つあった。それは大学時代の友人。
かつて学科が同じだったそいつとは大学に入ってすぐに打ち解け、恐らく大学生活の中で一番一緒に遊んでいた。
大学1年からの付き合いで現在社会人3〜4年目辺りなのでもう何だかんだ7〜8年の付き合いにはなる。
そいつはと言うと、当初は俺と近しい地域で社会人をやりつつ彼女と同棲していたのだが、個人的な事情等もあってその仕事を退職。現在は彼女を連れて自身の故郷に帰り、そこで別の仕事をしている。
友人が前職を退いたのが今年の頭くらい。そして故郷に帰る直前の別れのタイミング、俺は友人にとある約束をした。
正直今言うとこれは冗談半分だった。その頃の自分の立場はと言うと、現職にブーブー文句を言いながらも怒られつつ何だかんだ仕事を辞める気配は無い人間。
転職活動はしていたものの、一向に次が見つかる気配が見えない。というか活動をする余裕もないくらいに精神を仕事にすり減らされていた。
そんな状況のため、転職できてももうしばらく先の話だろうなと考えていた。
春頃に次の会社とご縁があり、思いがけずに内定を頂いてしまった。本当にありがたい話。
そして現職から身を引く作戦も始動させる必要が出てきたため、何人かの人とお話をした後に退職手続きが完了。
立つ鳥跡を濁さずって言葉があるけど正直俺はその逆。割とウンコぶち撒けてその場を去るような辞め方をしたクソ害鳥だったが、それは今回の本題ではないので割愛。
とにかくにも有休や休日出勤をしていた分の代休が合計1ヶ月は溜まっていたため、さすがに何か特別めいたことをしないと勿体無いなという状況になった。
ここまで読んでお察しの方はいるかと思うが、俺には彼女がいない。悲しい悲しい独り身。
有休消化期間の旅に行こうぜ!なんてノリにフットワーク軽めで付き合ってくれる友人がすぐ見つかる程の陽キャでもない。
そこで先述の言葉に戻る訳だ。俺は友人にコンタクトを取り、そいつの地元に遊びに行かせていただく運びとなった。
この友人の彼女さんというのがすごい出来た性格の方で、俺なんかともニコニコ愛想良く仲良くしてくれる存在。
友人が引っ越す際に「遊びに来るなら新居の部屋は複数あるから是非泊まりに来てくれ」と言ってくれた際も彼女さんはその言葉に乗せて「楽しいんで是非来てください!」と言ってくれるほど。
もちろんそこには男女の一つ屋根の下での生活があるため、幾ら無神経クソ害鳥の自覚がある俺でも宿泊の予定を立てる前に最終確認の連絡をする。
それでも結局前向きな返事は変わらずだったのでお言葉に甘えさせて頂き、宿泊の用意をして友人の故郷に足を伸ばすことに決定。
大まかな遊びプランをLINEでグループ作成の上で話し合い、俺は1週間程度滞在させていただくことに。
滞在期間に友人カップルの休みである土日は計4日訪れるため、その4日で故郷と故郷近辺の地域を観光することになった。
休み期間の前半を家の片付けや家から足を伸ばした範囲で満たせる趣味、数少ない俺と飲んでくれる後輩等との食事、そして脳死ダラダラタイム等で消化。
そして月半ばくらいの金曜日に旅行の支度をし、家を飛び出して野暮用の買い物を済ませる。
電車→新幹線→電車というルートで友人宅を目指し、夜分遅くに何とか人生初めての地へ到着した。
早速快く出迎えてくれた友人カップルにささやかなお土産と引越し祝いを渡し、その日はチビチビとお酒を飲みながらボードゲームをして大いに盛り上がった空気感のまま就寝。
最初の土曜日は友人の故郷の有名な観光地を車で巡ろうということになっていたため、某動物園や海沿いの市場に出向いた。
動物園への道すがらの車内で音楽を流して楽しくお話しながら目的地を目指した。
動物園に到着するちょっと前には00年代のドラマの話題になってそのドラマたちの主題歌を流したり、友人の彼女さんが好きな00年代のジャニーズアイドルの曲を流してノスタルジックになったり。
彼女さんが鬼滅の刃が好きという話から現在の主題歌がそこまで評判良くないという話題にもなり、その曲を流したり。(俺は嫌いじゃないからね。マンウィズとmiletファンの方すみません。)
彼女さんは今の曲も別に嫌いじゃないけど私は遊郭編が好きで良い話だったからその時の主題歌がハードルとして高すぎた、みたいなことを言っていた。確かに。
到着した動物園では多種多様な生き物に目を輝かせ、もうしばらく人間以外の生き物は見なくてええわと言うくらい堪能した。ちなみに俺が一番好きな動物は体調不良でお休みだった。泣いた。
海沿いの市場でも買い物と簡単な食事をさせていただき、そこで実家や後輩に対してのお土産を送ったりもした。
その日の夜はみんなで酒を飲みながら楽しくゲーム。桃鉄をやって争いになりかけた。若干なっていた。友人がベロベロに酔って彼女を煽りすぎていた。
こればっかりは他人との仲を引き裂く桃鉄が全部悪いです。僕たちは何も悪くありません。
そして翌日。日曜日は友人故郷の隣の地域がその地区屈指の大都市であるため、電車で向かってそこの街をぶらぶらしての観光。
詳しい経緯は説明を省くが友人のお母様とも合流して食事をご一緒させていただいたり、有名な観光地を巡ったり。
そして繁華街の中にある有名なご当地のお店で晩御飯。某有名漫画家の方も度々訪れるというその店でご当地の味を楽しみ、「いや俺今旅人だわ〜〜〜」という心地良い感覚をビールの泡と共に胃に流し込む。
間違いなくその瞬間の俺は社会人としての苦しみ等嫌なことを全て忘れ、心地良い空気感の中に包まれていた。
友人と友人の彼女さんも翌日月曜日であるにも関わらず、俺の旅に付き合ってくれてご当地の飲食を堪能していた。良い旅のムードが確実に出来ていた。
出来ていたんですけどね。その時までは。
食事を終え、店を出る。時間的にもちょうど良い。このまま故郷に帰還し、お二人は翌日仕事等で外出。その時間帯俺は独りぼっちで外をブラつき、二人が帰ってくるまで外にいるという段取りの予定。
このまま帰っても良かったのだが、その考えは友人の悪魔の囁きによって打ち砕かれる。
「ここから徒歩で行ける距離に◯◯(日本屈指の風俗街)と××(日本屈指の趣がアレな地区)があるけど行ってみない?」
心踊った。全然金あるなら普通に1人で風俗行きたい。ただその時の俺はそうそう余裕がある訳ではなかった。だからそこの風俗街がどんな空気感なのか見るだけになるが、それでも心踊る。
後々調べたらそこって利用する気も無いヤツのひやかし歩き禁止らしい。マジで反省しています。
ただ、大きな問題がある。
友人の彼女を連れて行くのはいかがなものか。いかがなものかっていうか普通にダメだろ。
恐らく大多数の女性が見たら不快感を抱く光景であることは間違いないだろうし、同性愛者でもないその友人彼女さんに何のメリットも無いし。
ちなみにこちらも後で調べたら女性の方がひやかし目的で歩くことは禁止だったみたい。色々ダメじゃん俺たち。
後で振り返ればこういった妥当な判断を幾らでもできるのだが、その時はダメでした。酒ゲキ弱男の俺はアルコールに飲まれていました。
勇み足で◯◯と××に歩みを進める友人に向かって「Aちゃん(友人彼女)連れて行くのもアレだしさ、2人は帰って俺だけ見に行くか3人で見に行くか、Aちゃんの顔色見て判断した方がいいんじゃない??」と提案。
夜分遅くの繁華街から故郷までの電車での遠い道のりを女性1人で帰らせるのも宜しくないと思った俺と◯◯や××を見に行きたいという気持ちの俺が脳内で話し合った結果、そのような提案に。
ただ、そもそもこの見物の言い出しっぺは友人。友人がその勇み足を簡単に止めて「じゃあ、俺は彼女と先帰ってるわ。好きに見に行ってきな」と俺だけを送り出すはずもなく。普通に食い気味で「Aも連れて行きます」と判断。
というか何なら最低な話、アルコール飲まれモードの俺も普通にノリノリだったので「私は一応最低限の提案はしましたよ。その上で友人が彼女をこの俗人甚だしい歩みに付き合わせるのであればそれはお二人同士の問題です」というニュアンスを含んだ責任転嫁の丸投げ行為に等しい建前だけの薄っぺらい気遣いモドキな発言でしかなかった。
最低限の提案通り越してもうほぼ友人に3人で行くって言わせるための誘導尋問に近いよねもはや。
シラフの今思う正解は何かって?
そんなん「そんなもの見ずに3人で帰りましょう」に決まっておるじゃろ。
常連客どもの歌声がお構いなしに路上に響くスナック街を抜け、少し歩くとそれは見えてきた。
暗闇の中、幻想的にボヤァっと光る街灯。店の名前が書かれた質素な看板が通りに無数に連なっている。
風俗街って言うか遊郭って感じなのかな、表現としては。前日ちょうど鬼滅の刃の遊郭の話をしていたが、まさか翌日に本物を目にするとは。
そこの通りは各店オープンな感じで女の子が呼び込みをしている賑やかな空気感。その地域を知っている方はもうこの一文でどこに行ったのかお分かりだとは思う。
目を輝かせて首を激しく左右に振る俺。うわレベル高え〜、と高揚感が止まらない。性欲に対する行動がキショ中学生すぎる。死んだ方が良い。金無い社会人がこれやっているという状況がそもそも情けない。
ふと、横をチラッと見る。友人のテンションが意外と上がっていなかった。言い出しっぺの割におとなしいなと思った。その答えはすぐ横を見たら明白だった。
友人の彼女さんが怖い目をして俯いて歩いていた。
察した頃にはその通りも終盤に差し掛かる時。そして少しばかり歩いて完全にそこを抜けた後、彼女さんは友人に対してキレた。
「こういう場所とは思わなかった。何でこんなところ連れてくるのか。お前らだけで行けば良いだろこれ。」
そんな感じの内容でキレていた。前日に鬼滅の刃の遊郭編のことを嬉々として語っていた子が遊郭見させられてキレている。
それを聞いた時点で俺と友人は内心「風俗街ってことは今日の会話の中で何回も言ってたやん」とは思った。なんなら思ったというか友人は口に出して彼女にそう言った。
そしたらそんなこと聞いていない、私が認識していたのは××(趣がアレな地区)の方だけだとキレ返された。
そもそも悪ノリで女の子付き合わせてる時点で何言おうと俺と友人サイドが100%悪いんだけどね。100:0でこちらの過失だよ完全に。
気まずい空気のまま最寄りの駅まで歩みを進める。俺は友人に「××は行かないの?」と小声で聞いた。この空気で行くわけねえだろバカかこいつは。
道中、その地域の名物の建物があったので「そういやこの建物昔出張でこの都道府県来てた親父が嬉々として写真送って来たわ」的な話をした。
それが琴線に触れたのかその直後、友人彼女は俺に顔を向けて「増田さんも共犯ですからね!悪いのはコイツ(友人)ですけど!!」とキレてきた。初めてこの子にキレられた。怖い。
引き続き気まずい空気感の中、最寄り駅に到着。そしてそこで死の宣告に等しい一言が友人彼女の口から発せられた。
「増田さん。すみませんが今晩のところはどこかホテル泊まってくれませんか?私はコイツ(友人)に話があるので。」
俺は何も考えず二つ返事で「ハイ」と口にした。怖かった。普段怒らない人が怒ると怖いとはこのことか。
そして友人宅まで長い時間をかけて帰還し、何とかホテルを確保できた俺は一旦荷物をまとめるために一時的に寄らせてもらうことに。
ただ、俺は酔いが冷めてきていた帰り道すがらで考えていた。
多分もうこれ以上の滞在は無理だろうな、と。
きっとこの荷物まとめ作業は一時的な撤収のためのものでは無いだろう。完全なる帰り支度となるだろう。
友人は一応コッソリと「何とか説得するわ」とは言ってくれたものの、何となくここで旅はおしまいだなという空気感がその場にそこはかとなく漂っていた。
一応友人彼女も感情的になっていた先刻とは打って変わり、表面上は落ち着きを取り戻していた。そして俺に告げる。
「一応増田さんが旅を楽しんでくれるよう最大限考えて話し合いはしますけど…。すみません、正直もう帰ってもらう前提で考えといてください。」
完全に同じ認識でいたので逆にホッとした。間違いなく俺は帰ったほうがいい。
こちらが100%悪いのに終盤まで気遣いをして頂ける辺り、改めて性格良い方なんだなと実感する。ホンマ何でこの性格の人を怒らせられるねんこのバカ男2人は。
荷物をまとめ終わり、玄関のところで帰る前提の挨拶を2人に済ませる。一応念のため翌朝にでも話し合いの結果を報告ちょうだい、の一言も付け加えた。
仮に話し合いで状況が大逆転して予定通りもう少し泊まっていて良いですよとなったところで、もう俺にそこから更に1週間泊まるバイタリティは残されていなかったような気はするけど。
そしてホテルに向かい、フカフカで寝心地良いはずの布団で寝付きも悪く、翌朝5時台に目が覚めた。
寝ぼけ目で見たLINEでも状況を飲み込むことに迷いは無かった。やっぱ話し合いした結果、無理でしたの報告。
女性が性的な商品みたいになっている光景にショックを隠せなかったとのこと。
友人からは全部俺が悪い、お前はむしろ被害者だからごめんという謝罪の文章が書かれていた。お前が俺を許してくれるなら付き合いは切れないと思うので、と。
ただ、帰ることが決まった以上は電車と新幹線の時間、あと何より予算的にも遅くまでの滞在はできない。
俺もサシで飲んでその場の気持ちだけでも清算しておきたかったが、それは断念した。
その日、ホテルのチェックアウトを済ませた後に1人でその地域の歴史的なお城を少しばかり観光し、ご飯を軽く食べて立ち去った。
全ては自業自得故の裁断。そこに名残惜しいとか怒りとかそんな簡単に言語化できる気持ちは残っておらず、とりあえず家に早く帰りたいとの思いだけで電車に乗った。
そして新幹線に辿り着いてから書き始めたこの文章も終盤となった今。無事に自宅の最寄駅に到着した。
楽しさと罪悪感が入り混じった数奇な初夏の思い出がそこには残っている。
終盤が怒涛の展開すぎてもしかしたらこれは全部夢だったのかもとさえ思っている。俺はハナっから友人と遊んでなどいなかったのかもしれない。
でもそれでも良い。そんな悲しい結末だったとしても俺は耐えられる。何故なら俺は長男だから。厳密には姉がいるから炭治郎と違って一番上じゃないけど。
そういえば。帰りの新幹線で例の鬼滅の刃の主題歌を聴いていたが、曲が二番のサビに差し掛かるとマンウィズがこんな歌詞を歌っていた。
“解き放て今 僕らが起こした火を 舞い上げ走れば明日が変わるはず”
助教以上での海外研究滞在って別に大学が提携大学に誰かを派遣してるわけじゃなくて、お金は出してもらうかもしれないけど研究室単位で勝手に知り合いのところに行くだけやろ 自分の予算で行くなら別に誰に出してもらってるわけでもなく自分の責任自分の裁量だしな
元増田もその辺の認識がいろいろおかしくて本当にわかってんの?大丈夫か?ってなる
30歳の博士号持ってる研究者が一研究者として行くんだぜ?一人の独立した研究者としての滞在だ 学部生の交換留学じゃないんだからさ・・・
いろいろ考慮するのは日本側じゃなくて行き先の大学だし、そういう意味ではアメリカとかだと(研究者の正規の滞在なら)家族に対してのサービスとかいろいろ解放されてたりするよ ちょっと広めの部屋を貸してくれたり配偶者向けの英会話スクールとか提供されてたりする場合もある
なんにせよわざわざアジアに行って何するつもりなんだって気はするが 中国ならまだわからんでもないけど、何しに留学に行くと思ってるんだ・・・(というか助教は教える立場だし留学っていう言い方もおかしくて、海外研究滞在でしょ普通に)
滞在期間に義務のある駐在じゃあるまいし研究滞在に別に義務なんてなくて、期間を考慮も何もむしろ彼が先方の大学とどれくらい滞在していいかを交渉する立場でしょう・・・・・2年行きたいって言って2年いけるとも限らんし、1か月で追い返されるかもしれんし、認識がいろいろとおかしい気がする
難民の子供たちが発症し、ひどい場合には寝たきり状態に陥るという「生存放棄症候群(あきらめ症候群)」。
が必要であり、一家に「永住権」が与えられることが一番の治療だと主張してきました。実際、永住権が認められ、または滞在期間が延期になった家族の子供たちの多くは、その後目覚めて回復しています。
化学や生物学の仕組みではなく、社会的に治療できる病気もあることを国は理解して欲しい。
https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000300420.html
性的マイノリティーの当事者では、抑うつ傾向の強い人と不安感の強い人の割合がおよそ43%だったのに対し、非当事者では抑うつがおよそ17%、不安がおよそ14%で2倍以上の差があったということです。
「チキラボ」は同性婚の導入が心の健康を改善すると指摘する海外の先行研究などを踏まえ、早急な法整備の必要性を訴えています。
性的マイノリティー当事者についても、深刻な健康問題が指摘され、また同性婚による健康改善が可能であることが指摘されている。
チェコと日本でスポーツと聞くと、きわめて個人的ではあるが思い出すエピソードがある。
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もう何年も前の話になるが、勤務先にチェコの大学院生のK君がインターンシップで来たことがあった。
留学している訳ではないので、日本の滞在期間は短いインターンの期間中だけ。
K君は囲碁が趣味だと言うので、実家にあった碁盤を会社に持って行って昼休みに対局してみた。
簡単に負かされた。私は級位者だが彼は初段くらいはありそうだった。囲碁が普及していない欧州ではおそらくは相当な強豪だろうと思った。
「いつもネット対局しかしないので、本物の碁石と碁盤を使うのは初めてです」とK君は言っていた。
そんなK君が貴重な週末を使って、一人で新幹線に乗り長野へ旅行するという。
「えっじゃあどこ?」「エムウェーブです」
「えっえっえっエムウェーブ!!!!????」
名前を聞いたことがあっても、その場所がスケート場だとは知っていても、実際に行ったことがある人は少ないだろう。
思わずどもってしまったが、K君は学究肌でインドアタイプの好青年。とてもスケートを好んでやるような人物には見えない。
長野駅に降り立ったK君は、外国人観光客が必ず行くであろう有名スポットはガン無視してエムウェーブの建物の前まで直行し、そこで撮った自撮り写真を本国の友達に送った。
すると彼らからは
「SUGEEEEEEEEEE!!!!!!!!!!」
という称賛の声が大量に返ってきたという。
そしてK君は、エムウェーブ以外のどこにも寄らずにまた新幹線に乗って、滞在している宿泊施設まで帰った。
この話をしたときのK君が、とても嬉しそうだったのが今でも印象に残っている。
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以下はK君によるエムウェーブについての説明と、後日私が調べた結果から事実関係を再構成したものである。
1998年の長野五輪は、チェコにとって分離独立してから2回目のオリンピックだった。
チェコのアイスホッケーの代表が、この長野市内にあるエムウェーブで戦ったのだ。(追記あり)
当時のアイスホッケーの強豪国はNHL選手を多く抱える米国とカナダ、それからロシアの3国。
ところが予選を勝ち抜いたチェコ代表は決勝トーナメントでも快進撃を続け、準々決勝で米国、準決勝でカナダと難敵を次々と倒していく。
そして決勝で当たったのが、チェコにとって何かと因縁のあるロシアである。
因縁の理由は長くなるのでここでは説明しないが、気になる人は例えば「プラハの春」でぐぐってみるといい。
本国では国を挙げての大騒ぎとなった。
長野五輪では、アイスホッケーの決勝戦は北米への中継を想定して試合時間が決められた。欧州では早朝だ。
急遽、首都プラハの市民広場に大スクリーンが用意された。2月の寒い日だったが、夜明け前から何万人もの市民が集まってきた。ちなみにプラハの人口は120万人。
チェコが優勢だ。貴重な先制点を挙げた。
1-0のまま第3ピリオドが終了した。
https://www.youtube.com/watch?v=YtbtqMHe7to
この一戦はチェコでは語り草となった。
プラハ市内に「Nagano 1998」という名前のスポーツバーが開店したくらいだ。
この店はその後も長らく営業を続けていたが、残念ながらコロナ禍で閉店してしまったようだ。
ここまでの話は、私もK君に聞かされるまで全く知らなかった。
長野五輪でチェコが優勝したのは当時のNHKのダイジェスト番組で見たような記憶がかすかにあるが、その後完全に忘却していた。
チェコのTV局が野球中継をするのは今回のWBCが初めてだそうだが、Nagano 1998がもしまだ営業していれば観に来る客も多かったのではないだろうか。
日本でこのエピソードをご存じの方が一体どれだけいるだろうか。
追記: アイスホッケーの会場はエムウェーブではなくビッグハットだったらしい。K君は確かにエムウェーブと言っていたが、それが事実かどうかまでは調べてなかった。彼が会場を間違えたのか、会場の名前を間違えたのかは今となってはわからない。間違いを指摘できない日本人も含めて笑ってくれ。
ウクライナ美人を受け入れます!とか言って民度がバレちゃったからそうならずに残念でしたね
1980年代に東南アジアに売春旅行に行くのが流行ったらしいけど、そう遠くない未来に日本に各国から売春旅行に来られるようになったら初めて事の重大さに気がつくのかな。
ウクライナで中国人が人身売買。赤ちゃん連れ去り国境で逮捕、戦時下の女性や子どもを狙う蛮行に世界が激怒
国際
2022.03.18
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by たいらひとし
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ロシアからの侵攻を受け数百万人の難民が発生しているウクライナ。女性や子どもがポーランドをはじめとした周辺国へ移動する中、中国人男性が新生児を人身売買するため連れ去ったとして逮捕された。多くのウクライナ人が命を落として戦っているのを尻目に及んだ中国人の蛮行に世界中から非難の声があがっている。
ウクライナ出入国管理局の公式サイトは14日、チェルニウチ州ポルブネ検問所で、新生児と推定される赤ちゃんを抱えて国境を渡ろうとした中国人男性2人をウクライナ国境警察が逮捕したと発表した。
コリア・エコノミクスによると、男性2人がルーマニアに出国しようと試みたものの、赤ちゃんの身分証明書類を持っていなかったため拘束されたという。ウクライナに2人が入国した際、子連れではなかった点、また滞在期間が短いことから、男たちの目的は人身売買とみれらる。
「赤ちゃんはウクライナ政府で世話をしており、現在は安全な状態」と国境警察は伝えているが、ウクライナ現地には他にも仲間がいるとみて、調べを進めている。
外見から異民族だとはっきりわかる中国人だったため検問で止めることができたが、これは氷山の一角に過ぎない。
ウクライナ国境では難民を狙った犯罪が急増。ウクライナの難民がポーランドに入る主要関門の一つであるメディカ国境検問所の前では、女性と子供たちだけを選んで車両に乗せようとした男性が関係者によって制止されてなどしている。
また、ウクライナ難民の受け入れ先の国では、人身売買業者が孤児となった子供たちを標的にしているとの報道もある。
【関連】ウクライナ侵攻は序章。プーチンがこれから世界に仕掛ける覇権戦争
中国では今年1月に東部江蘇省の農村で人身売買の被害者が納屋の中で鎖で拘束されている動画がインターネット上で拡散され、世界中に衝撃を与えたばかり。女性の夫が逮捕され、問題を放置した地元当局の幹部も処分された。
中国の検察機関では昨年1年間で人身売買に関わる犯罪で約1500人起訴されているが、なぜこれほどまでに中国で人身売買が盛んなのか?
中国国家統計局の資料によると、2020年の時点で全人口における男女の人数の差は、男性の方が3490万人も多い。人口性比(女性100人に対する男性の数)は105.07となり、“男余り”の実態が浮き彫りとなっている。さらに、結婚適齢期のに20代から40代に限れば、比率は108.9とさらに上がっているのが実情だ。
ちなみに、日本は総務省統計局によると、女性の方が270万人と多く、人口性比は95.8。中国とはまったく逆で男性の方が少数となっている。
こうした背景も中国による人身売買が減らないことの要因であるといえそうだ。
つい先日も中国のSNSで「私はウクライナの美女が無事に中国に輸入されるかどうかだけを気にしている」「未婚のウクライナの女の子を、戦争から保護する必要がある」 など、ウクライナ女性を“もの扱い”する投稿が飛び交って波紋を呼んた。
また、ロシアのウクライナ侵攻後から中国人男性がウェイボー(微博)でウクライナ女性とのマッチング希望者が急増しているとクーリエジャポンが報じた。
【関連】プーチン最大の誤算。“民度の高い”ウクライナ人の前に散る大国ロシア
東ヨーロッパからの人身売買は以前から国際的にも問題視されているが、今回の侵攻でさらに拍車がかかっていることは間違いない。女性や子どもがこれ以上被害に合わないためにも、ウクライナ侵攻が一刻も早く停戦に至ることが望まれている。
まさに中国、火事場泥棒より酷い。戦争中の国から幼兒を誘拐するとは許せない。
ウクライナ国境警備隊、赤ちゃん連れた中国人2名を逮捕 人身売買容疑 https://t.co/eOwhbrGjuY #スマートニュース
— HM.555 (@HHHMMM5552) March 18, 2022
火事場泥棒もここまでくると鬼畜だな。 ウクライナ国境警備隊、赤ちゃん連れた中国人2名を逮捕 人身売買容疑|ニフティニュース https://t.co/fRlhL8Yx3L #ウクライナ #難民 #中国 #中国人 #韓国 #ニフティニュース
— やおやのかみ (@yaoyanoorochi) March 18, 2022
いまのウクライナから赤ちゃんを誘拐するのか…中国人はすごいな https://t.co/L48AYj4sUP
— ほむ塩 (@homujio) March 18, 2022
ほら、もう人身売買やっているのが発覚した。
1件発覚したら30件はあると思え
ウクライナ国境で新生児を人身売買しようとした疑いで中国人男性2人を逮捕|ニフティニュース https://t.co/7BpM066iDH #ウクライナ #難民 #中国 #韓国 #ニフティニュース https://t.co/pJkqnd1Z7F
— 素材集め1000×365回 (@sh1957031340) March 18, 2022
ウクライナ国境警備隊、赤ちゃん連れた中国人2名を逮捕 人身売買容疑 https://t.co/K7okFattZi
— bokkurin (@dfxud2sItPLQ764) March 18, 2022
親を失って行き場のないウクライナ人女の子なんて標的になりそう。
— ブタさんに真珠 (@fuhaijii) March 18, 2022
ウクライナの人々は助かって欲しい。中国の野蛮人に強制結婚させられたり、子どもや女性は特に誘拐や人身売買ビジネスに巻き込まれて欲しくない。(人身売買は西側含めどこの国でもあるのだろう)安全を祈ることしかできない。
一つ、ものすごく気になるのは、テレビの煽り方を信じていいのかどうか?
— 小 鳥 ? (@pipipipipichi5) March 18, 2022
俺は当時フリーターで、そろそろちゃんと仕事決めなきゃなって思ってた。なんとなく農業でもしてみるかという軽い気持ちで農業の就職フェアに行ってみた。何件か回ったんだが、企業としてやってる農家があって、数年頑張れば年収1000万円も夢じゃないみたいなことを言われ、ホイホイとそこに就職してしまった。それですぐにその農家がある田舎へ引っ越した。
その農家が作ってるのは米と、白菜などの葉物野菜。方針としては、高齢化で農業しなくなった家から土地を大量に借りて、海外から外国人技能実習生を大量に雇って稼ぐというスタイル。まあそういうことはなんとくなく聞いてたけど、入ってから色々と分かった。つまり免許を持ってる日本人がトラックで各農地へ実習生を送り、働かせて、その間日本人はトラクターとかフォークリフトとか免許がいる作業をする。時間が経ったら実習生を車で迎えに行くという形だ。俺は車の免許しか持ってなかったけど、私有地だから大丈夫とか言われてフォークリフトもトラクターも運転してた。フォークリフトは後から知ったが駄目らしいのだが。全てが全くの未経験で失敗しっぱなしだったし、実習生にもたくさん教えてもらった。
実習生は中国人やベトナム人。みんな親切で優しい人ばかりだった。ただよく考えると俺は雇う側なので、親しくしておく方が将来的に得だと思われていたのかもしれない。他の社員は厳しくて、俺にも厳しいが実習生にも厳しい。実習生を労働力と見ているのが見てて分かった。実習生が住む場所はボロの1軒屋に8人くらい住んでて、それが何箇所がある感じ。中に入ったことはなかったが、外から見ても相当ボロい家だったので、それを見たときからやっと俺に違和感が生じたが、まあ遅かった。
農作業は基本暗くなったら終わるんだが、実習生は倉庫でずっと作業してるんだ。聞くと、少しでも稼ぎたいと。借金してきてるし、国に妻子を残してるから稼ぎたいという人もいた。滞在期間に限りがあるから、それまでにできるだけ稼ぎたいとのことだった。それはまあ駄目ではないのか、と思っていたら、その子はこう言った。時給300円だけど、国に帰ったらすごい価値になる。だからがんばると。300円?どういうことなんだと思ったが、これでやっとカラクリが分かった。年収1000万円というのは、外国人実習生に払うべき給料を自分たちが搾取してるからってことだ。これはアウトでは?
俺は思い切って社長と掛け合った。すると答えはこうだった。時給300円は安いが彼らにとっては高額な給料。Win-Winの関係だ、と。・・・そうなのか?俺はまだ若かったから、そういうものなのかと納得しかけたが、やはりこれはおかしい。でも就職してしまったし1年はやってみようと思い、結局俺は1年そこで働いた後、退職した。給料も安かったし(十万円代前半だったと思う)。
今思えばあのまま続けなくて良かったと思ってる。自分が搾取する側になるなんて御免だし、一度始めると抜けられない感じだったから。
あと一つ思ったことは、実習生のスキルの高さ。日本語はそれなりに話せるし、そもそも農業のスキルは高い。実習生が日本人だったら間違いなく経営者側だよ。俺は単に日本人という下駄を履いてたから有利なだけで、生まれる国によって人生が変わってしまうことを実感したよ。
「善意でやってあげてるんだからちょっとぐらい下手でもいいよね?
やらない人より多少はマシな存在だよね?」
っていう台詞
まあ、みっともないんだけど言いたくなる気持ちはわかる
面と向かってキツイ事は言われなかったが陰で笑われてた
おまけに月光仮面(※その支援コミュニティ内の隠語で「疾風のように現れて疾風のように去っていく」=滞在期間が短く、仕事を覚えたと思ったら去ってしまう人の意)呼ばわりされるし
自分としてはスケジュール調整してやっと5日間休みをとって行ったのだが
以上どこの誰でもない私のどうでもいい所感でした
別に大した事があったわけではない。
自分には恋愛感情や、所謂「母性」と呼ばれる様な物がない。子供や何かを育てたり世話したり守ったりしたいと思った事がない。子供が欲しいと思った事もない。
フィクションの恋愛描写や、現実の恋愛話にときめいたり共感した事もない。
自分が生まれ育った家庭は、自分にとってそんなに悪い環境ではなく、成人した今でも、周りに幸せなご夫婦やご家族がいて、友人も幸せな家庭を築いている。それが自分も嬉しい。カップルであれ夫婦であれ親子であれ、幸せでいてほしいと思う。
でも羨ましいとか、そうなりたいとは思わない。
以前実家に帰った際、両親と何度目かの「結婚・子供についての話」をした。
その時、上記の様な事を両親に初めて伝えた。その理由としては、両親に本当の事を芯から説明し、知ってもらった方が、両親の諦めがつくと言うか、結婚や子供の事で余計な心配をかけ続けなくて良くなるのでは?と思ったからだ。
「何でそんな事を言うの?」が母の最初の返事だった。「私達が悪かったの?」がその次の言葉だった。
悲しそうだった。自分としては意外だった。まず、そんなに大きな反応をされると思っていなかった。「子供が欲しくない」がどうかはともかく、「恋愛感情がないこと」は実際“極めて少数派”なんだろうなと自分でも思っていたから、驚かれるかもなと思っていた。でもああいう反応をされるとは思っていなかった。
「別に誰が悪かったとかではないよ、持って産まれた自分の個性だから」とか何とか言って母を宥めた。それは自分の本心でもあった。
父は終始黙り混んでいた。考え込むようにして俯いていた。
その後の滞在期間中、二人とも自分に結婚や子供について何も言わなくなった。でも何だか二人とも憂いているみたいだった。
多分、自分の両親には本当に理解を得られたわけではないんだろうなと思う。まあそれでも、両親も今ではもうそこまで思い詰めてはいないし、自分も自分の生きたい様に生きていこうとは思っている。
観光のやつ。
大使館で何も見ずに頼めるかどうか自信ないし。
海外渡航という時点でハードルが高いやり取り最小限で自分の欲しいベストビザが欲しい。
サイトを見ながら渡航先国・渡航目的・滞在期間等見て申請する?
「うちの国その査証発給やってないんですよ」って言われたらフリーズしそう。
何を見て申請したらいいのか?
発給してるところに直接貰いに行くという手もあるが、
何を言ったらいいのか分からない。
係りの人に「何こいつビザに必死でこんなに盛りだくさん渡航目的乗せようとしてんだよ」って思われても辛いし、
乗せなさすぎて、こいつビザ通気取りか!って思われるのも嫌だ。
あらかじめ何の渡航目的かという基本プリセットしたものがあればいいんだが。
初めて行く国でしかも初見で、申請し慣れている風を装うのもハードルが高い。
尋ねても怒らない優しい係員さんならいいんだけど、
どう見ても、いつも前を通る領事館の窓から見える職員さんは男で「は?ビザ申請するの?」って感じのオラオラ系なので間違えたらイラつかれそう。
試合でも宿泊や移動でも「集団感染する3つの条件」を満たすことはほとんどないのに中止っておかしいでしょ。
「換気の悪い密閉空間」「人が密集していた」「近距離での会話や発声が行われた」
の3つ条件のうち、2つをなんとなく満たす場合も避けるって話ならそれは無理だろ。
「日本高野連の八田英二会長は4日「中止することは簡単、甲子園でプレーしたいという球児の夢のために」と思いを口にした。主催者側は、この1週間、代表校の関西への滞在期間を短くする、移動のバスの手配、宿舎を1人部屋にするなど、あらゆる感染防止策を考えてきた。だが、ウイルスという見えない敵の前に、無念の「中止」を決定した。」
って日刊スポーツで報道されてるけど中止の理由が意味わからんわ。
日本国民全員引きこもらせたいならさっさと緊急事態宣言でもなんでもだせや。
中途半端なことさせてんじゃねーよ。
こんばんは、ヨーロッパにホームステイしながら、とある国立大学に短期留学してる私大理系大学生です。
只今、短期留学の仮学生証で大学の図書館に宿題をやろうと思って来たんだけど、率直に言って、海外の大学ってすごいって思った。
といっても、今まで見てきた自習室なんて予備校の数校舎と今通ってる私立ぐらいで、大したことはないと言えばそうなんだけど、だからこそここに書いて、他の人から見てもすごいのか知りたい。
まず、席の数、5mぐらいの広々とした通路にも机と席が点在するから正確には数えられないんだけど、一階あたり150席ぐらい、一応、一つの机には3席がならんでそれが向かい合う形で計6席なんだけど、1席あたり結構広い。具体的には都心の予備校の○台が採用してる机の1.5倍ぐらいある。
それが3階建て、計450席ぐらい?その殆どが電源と有線LANを装備してて、机に向かい合う学生は資料やパソコンで黙々と作業に向かってる。
うちの私大ではそんなに自習室に席はない。精々200席ぐらいじゃないかな。
国立はどうなんだろ?
予備校でもそれぐらいの自習室の席を完備してるところもあるけど、あそ、生徒をすし詰めにするんだもん。狭いし近いし、受験のストレスでペン回し、貧乏揺すりにイライラする、それに比べると遥かに快適。
流石に450席全てが埋まってるわけではないけど、2/3以上は埋まってる感じかな。
それに加えてPCルームにはうちの私大なんか目じゃないぐらいズラーとPCが並んでる。全部同じだと仮定すると、Win10、メモリ8GB、CPUはi3、HDDの有線デスクトップで動作は快適そのもの。
たぶん図書館内に計150台ぐらいはあると思う。
そこにも様々な人種のたくさんの生徒が作業に取り組んでて、正直うちの大学の生徒らの取り組む姿勢は雲泥の差。普段は自習室はガラガラでテスト直前、最中にようやく7割方埋まるぐらい。
いい環境に居ればモチベーションが上がるのは当然の帰結だよね、なんとなく日本人の生産性が低い云々は環境にも一因があるんじゃないかと思った。
外国語がすごく苦手で、滞在期間は残り一ヶ月を切ってる今はかなりヘトヘトだけど、この自習スペースの為にここに残りたいとか思えるくらい。
なんとなく、明治維新に海外へ出ていって日本とヨーロッパとの違いにショックを受けた日本人みたいな気分になってる。イメージだけど。
ルールを守らずオーバーステイして捕まって国外退去されるのを回避するため「難民です!」とか言い出せば移民OKの国ってあるの?
http://usfl.com/2016/03/american_lifehack/sittoku/96418
オーバーステイしている本人が出頭せず何らかの理由で退去強制手続を拒否して騒いでいるんじゃないの?
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http://www.moj.go.jp/nyuukokukanri/kouhou/nyukan_nyukan87.html
法務省入国管理局では,出国命令制度の広報活動や「在留特別許可に係るガイドライン」の改訂等を通じ,不法滞在で悩んでいる外国人の方が地方入国管理官署に出頭しやすい環境を整備し,自発的な出頭を促すことを目指しています。
○ 在留期間を経過したまま日本で生活している外国人で帰国を希望している方は,収容されることなく,簡易な方法で手続ができる「出国命令制度」を利用して帰国することができます。
・ 退去強制手続により帰国した場合,最低5年間は日本に入国することはできませんが,「出国命令制度」で帰国した場合,その期間は1年間となります。
・ 「出国命令制度」を利用できるのは,次のいずれにも該当する方です。
ア 速やかに日本から出国する意思を持って自ら入国管理官署に出頭したこと
イ 在留期間を経過したこと以外の退去強制事由に該当しないこと
ウ 入国後に窃盗等の所定の罪により懲役又は禁固に処せられていないこと
エ 過去に退去強制されたこと又は出国命令を受けて出国したことがないこと
○ 帰国を希望している外国人の方で,「出国命令制度」の対象に当たらないものの,自ら入国管理官署に出頭した方については,仮放免の許可により,収容することなく手続を進めることが可能です。
○ 引続き日本国内での生活を希望される方は,まずは入国管理官署に出頭して,日本で生活したい理由等を申し述べてください。
・ 先般改訂した「在留特別許可に係るガイドライン」には,在留特別許可の許否判断を行うに当たっての積極要素として,日本人と婚姻が成立している場合などのほか,(1)自ら入国管理官署に出頭申告したこと,(2)日本の初等・中等教育機関に在学し相当期間日本で生活している実子を監護及び養育していること,(3)日本での滞在期間が長期に及び定着性が認められること等を挙げていますので,このガイドラインをよくお読みください。
例えば,(3)に該当し,かつ,他の法令違反等がない方が,出頭申告した場合には,在留特別許可方向で検討されやすくなることをガイドラインで紹介しています。
・ また,摘発等により違反が発覚した場合は,原則,収容されることとなりますが,出頭申告した場合には,仮放免の許可により,収容することなく手続を進めることが可能です。
・ 別紙[PDF]のとおりの退去強制手続の中で,申出の内容を審査した結果,法務大臣から特別に日本での在留を認められた場合には,不法滞在の状態が解消され,正規在留者として引続き日本で生活することができます。
・ なお,在留特別許可は,積極要素と消極要素を総合的に考慮して許否を決定しますので,結果として許可されない場合には,退去強制令書が発付されることにご留意ください。
私はしがない元喪女だ。
今のところ世界で唯一私のことを異性として好きでいてくれた期間があったのは、元彼だけだ。
そう、今は別れてしまった。
その彼とはいろんなことがあった。
彼は6歳上だった。
食事代も私。
彼は私と会う引き換えに私にお金を出させた。
ラブホ代全額、夕ご飯代全額、翌日着る服代、タバコ代、お金を貸したこともある。
私はそれでも会いたかった。
ここまでは前置き。
こんな恋愛経験だから男の人の時間をお金で買うというか、夜を過ごすためにお金を払う行為に疑問を抱くことはないし、むしろ私のようなデブスと寝ていただくのであればそれが正しいと思っている。
このセフレのことはほのかに好きなので、了承を得たときは凄く嬉しくて天にも舞い上がりそうなくらいふわふわしていた。
は?
は??
なんだそりゃ!
こっちは夜の営みという労働の対価にお金を全額出しているのであって、「あなたといられたらそれで幸せなの!お金を出させて!」というわけではないのだ。
ふざけんなという叫びをぐっと堪えて、「それはできないよ。」と言った。
私はただの男友達との旅行を全額負担するほど、その男友達(?)に入れ込んではいないし、好きでもない。
彼氏ならば許した。
でもセフレは別だ。
セフレはきっと私がセフレを本当に好きだと思っているんだろうな。
本当に好き。
労働の対価は喜んで払う。
私の感覚では彼氏は正社員、セフレは働き出して半年経っていないアルバイト。
彼氏は労働しなくても有給があるし、保障されているので私からお金が支払われる。
セフレは有給なんてないし、休んだら休んだ分お賃金は支払われないのだ。
わからないけど、私は金銭を目的としない普通の彼氏を早く作るべきなのだということはわかった。
男を買うのは本当に大変だ。
私の手取りは15万円。
早く消えたい。
随分以前に経験した話。
何かものが入った感じで、水で幾ら洗っても取れない。
でき物でもなさそう。
たまに視界がぼやけることも有る。
でもその国の眼科には掛かりたくない。
滞在期間はまだ1ヶ月以上有るのに。
女医から顕微鏡のようなものが付いた診察台に促され、顎を載せて構える。
女:「逆さまつげかなー。」
俺:「ん!?(今までそんな事は無かったぞ。まつ毛は正常に生えてるタイプだったぞ!?)」
女:「ちょっと痛いですよー、我慢してくださいねー。(ぴっ!?)」
俺:「くっ!!」
女:「どーですかー、取れましたか?」
俺:「いんや、だめっすねー。」
女:「んじゃ、も一回。(ぴっ!!)」
俺:「んぐっ!!」
女:「どーですかー、取れましたか?」
女:「じゃこれで様子見てください。まつ毛抜いたんで抗生物質の入った目薬出しときますから。」
俺:「今まで逆さまつげって言われた事無かったんですけど、突然変異みたいな事って有るんですか?」
女:「そーですねー、たまにありますよ。生まれつき大変な人もいますけど、そういう人ばかりじゃなく...」
俺:「...」
眼はすっきりしたものの、気分的にはすっきりしなかった。
いきなり痛い思いさせられて、これからも経験する可能性があると言われ、なんとなくすっきりしない。
花粉症のこの季節、眼が痒くて辛くなって思い出した。
韓国に行ったことも整形したことも誰にも話せず、一人暮らしの家で寂しくダウンタイムを過ごしているので色々吐かせてください。
小さな頃から顔がコンプレックスでした。厚ぼったい一重の目に、エラ張り顔というメイクでは誤魔化しの効かないブスの典型です。
絶対に整形しようと、高校生の頃からTwitterで「整形垢」を作って情報収集、様々な手段(割愛)での資金集めをしてきました。
大学生になり、親元をはなれ一人暮らしを始めたのでやっと整形できる!とまず埋没手術(ふたえ手術)をしました。
それだけで印象がグッと変わり、アイメイクは楽しくなるし男性に今までされたことのない優しい態度を取られ、
「顔が標準以上の子は、こんな思いを毎日していたのか・・・」と新しい世界を見ることができました。
彼氏もできて、初エッチもしました。ブスの頃は一生処女なんだろうなと思ってたのに。
埋没手術は5万。5万円でこんなに世界が変わるなんて、なんてコスパがいいんだろう。
二重になって目はある程度ぱっちりしましたが、次は蒙古襞のせいで垢抜けないことに気づき始めました。
それから、ずっとコンプレックスだったエラの悩みに終止符を打ちたいと、次は目頭切開とエラ削りをすることに。
Twitterには整形垢界隈というものがあり、整形の情報や症例、経過写真の情報を容易く得ることができます。
調べていると、韓国は料金が日本より安い(相場が日本の1/3くらい!)上に技術も良く、日本語対応している病院も多かったので
不安はありましたが春休みに韓国に行くことを決めました。2月の中旬に行ってきて、いまはやっと腫れが落ち着いてきたくらいです。
整形までにやったことは
1)病院選び
2)予約
3)渡韓準備
です。
まず病院選びは、Twitterの症例と病院のHPが載せている情報をみて、自分の希望を叶えてくれそうな病院を探しました。
整形垢界隈には韓国の病院のトレンドがあり、その時評判が良かった病院を全て調べまくって「とにかくナチュラルに垢抜けたい」希望にあっているところを探しました。
ちなみに目頭切開は高須クリニックだと25万。韓国だと3-5万です。技術は個人の感じ方によりますが、韓国でしか採用していない高度な技術や施術方法があることを考えると韓国の方が上かなと思います。
予約はカカオトークかLINE@で。私は日本語対応していない病院を選んだので、予約はカカオトークでGoogle翻訳を片手に韓国語で行いました。
また、日本語が十分にできる先生がいない病院を選んだため、渡韓期間は通訳さんを同行させる必要がありました。現地でついてきてくれる通訳さんの予約も。
渡韓準備として、きちんと希望の目の形が伝わるようにオーダーシートを自作しました。
この目にはなりたくない、この目に近づきたい・・というイメージを紙に印刷してカウンセリングの時に見せる用です。
友達や家族には「韓国に高校の友達と旅行行ってくる!」と伝えアリバイ工作。
ダウンタイム中に人に会いたくなかったので、旅行の後はすぐリゾートバイトで軽井沢に住み込みしてくる設定にしました。
滞在期間中は街で会った韓国人のお兄さんに「君が行こうとしている病院、韓国では評判悪いからこっちの病院行きなよ!」と話しかけられ結局悪質な回し者だった・・という事件があったり色々大変でしたが、なんとか目と顔を腫らしながら帰国できました。
ちなみに高須では100万円以上するエラ削り、韓国では安いところだと15万くらいでできます。繰り返しますが品質が悪いわけじゃないです。
就活も結局顔見られるし、今やって良かった。
9/25-9/29、夏季休暇を取得し、憧れの国ドイツへ旅行してきました。
前夜。
トランジットのため成田から北京国際空港へ。海外で初めて口にした食べ物はピザハットのピザ。政治的事情から各SNSにはアクセスできず、乗り継ぎまで人生の貴重な8時間を出国せず空港内で過ごしました。
中国国際航空を利用しました。何故か機内モードでも電子端末は一切電源を消すよう命じられたため、退屈な機内でした。本を読んでは眠くなるため機内ではほぼ寝てました。また機内食はお粗末なもので、一緒に出されるパンやフルーツの方がずっと美味しく感じました。
9/25
フランクフルト国際空港着💢やはりメルケル氏が当選していました。
新秋のドイツは気温10~15度と寒いので、空港から降りてきた薄着の漢民族は凍えていたようです。
ドイツ鉄道が発行している「ジャーマンレイルパス」を事前に購入していたので、ヴァリデーションを済ませフランクフルトからベルリンへ移動。しかしながら自由席も指定席もほぼ満席状態で、後から乗った私は車内で立ち往生してしまうことに。ベルリンまでの移動時間はおよそ4時間半。全日一等席に乗れる権利を有していたのに惨めな旅だと思っていたら検札に来ていた乗務員が空いている自由席を見つけてくれ、さらに隣に座っていたウルリッヒ・ミューエ似のおっさんもスーツケースを上の棚に入れるのを手伝ってくれました。この時感謝の気持ちを述べた言葉がドイツに来て初めて使用したドイツ語でした。
ベルリン。
インターシティホテルベルリンにチェック。このホテルは2日間滞在していた。一人で予約しているのに何故か掛け布団が二つあったのが気に障りましたが快適に過ごせました。いかんせん成田搭乗から今まで風呂に入る機会が無かったので、ガラス張りのシャワー室でシャワーを浴びる。
行ったところ。
ブランデンブルク門。言うまでもなく、ベルリンの壁を象徴する建造物。これを見るためにドイツに来たと言っても過言ではないくらい見たかったもの。なお、この日から8日後に東西再統一27周年を迎えました。東西融合を祝して、記念に橋を架けました。興味深かったのが、門周辺はイギリスやフランス等各国の大使館がひしめき合っていて、門の直ぐわきにアメリカ大使館では警備員が厳めしく立っていたました。そして、『舞姫』で豊太郎が闊歩したウンター・デン・リンデン通り沿いを100m程歩くと今度はロシア大使館が見えてくるのですが、アメリカ大使館の2倍の敷地で厳重な警備と邸宅さながらの荘厳さがありました。当時ソ連が東ベルリンを統治する上で、東側諸国のリーダーたる威信を発揮しようとしていたかがうかがえますね。
次。DDR Museumという旧東ドイツの博物館。じっくりねっとり展示品を舐め回すように見ながら1時間半くらい経ったところで閉館のアナウンスが。まだ全部見終わってないんですが。
アレクサンダー広場のベルリンテレビ塔、に行く前に広場周辺でカリーヴルストを夕食。正直ケチャップは苦手なのですが、これはケチャップと合いますねぇ!!!!これだけでお腹一杯になってしまいました。
テレビ塔。夜景を期待してわざわざ22時に入場したのですが、ちょっと想像と違っていましたね。
2日目。朝から特急に乗ってチェコに行こうとしたのですが寝過ごしました。ただ、片道の移動時間がこれまた5時間も掛かるので仮に朝一の列車に乗っても、宿泊の都合上、日帰りで帰るとなるとろくに滞在できず一日を列車で過ごしかねないスケジュールでもあったので、正直フイにして後悔はしませんでした。
テレビを点けたらチャンピオンズリーグでバイエルンとアンデルレヒトの試合が中継されていました。2-0でバイエルンが快勝していて流石FCバイエルンでした。
昼。電車に乗ってシュタージ博物館へ。これも東ドイツ関係。『善き人のためのソナタ』にも出てきた建物。写真のネクタイは、よく見ると小さな穴が開いていて、この穴を通してカメラで反体制派の行動を盗撮していたというのですから恐ろしい。
夕方。オーバーバウム橋からシュプレー川沿いの「イースト・サイド・ギャラリー」を見学。これも東ドイツ時代の遺産。写真の男性二人(ブレジネフとホーネッカー)が交わしているアツいキスは決して男色を表しているのではなく、共産圏における挨拶の一つだという…。その後はポツダムに移動しサンスーシ宮殿を見学するつもりでいましたが、気付いたら閉園時間が近付いていたため断念。片道1時間の電車を引き返すことに。
夜。ポツダムプラッツのレストランで夕食。ベルリンのピルスナーを堪能。ドイツのビールは飲めるけど、日本のビールは何であんな苦くて不味いんでしょうか。クネーデルズッペ。ブイヨンベースに牛レバーの肉団子というシンプルなスープ料理なのですが、これが非常に美味しかったです。スープ料理で初めて感激しました。最後にベルリン名物、アイスバイン。塩漬けの豚肉を茹でたもので美味しかったのですが、ボリュームに屈し食べきれずギブアップ。すいませんでした。
帰路。連邦議事堂。丁度議会選挙の直後だったのか館内見学の予約が取れず外から見学。
ホテル内。ビールを飲みながらテレビでドルトムントとレアルマドリードの試合を観戦。やはりピルスナーは飲みやすい!それでいて1.03ユーロ(約137円)という驚きの安さ。なお試合は3-1でレアルがドルトムントをボコボコにしてました。
3日目。6時にチェックアウトを済ませ、西方シュトゥットゥガルトへ。メルセデス・ベンツ・ミュージアムを見学しに。ルイス・ハミルトンは好きじゃないですが、メルセデス・ベンツは好きです。前からSLS AMGやAMG GTのロングノーズのボディが気に入らなかったのですが、300SL等歴代の車種を見ていくにつれてこのノーズが力強さが感じられるようになり好きになりました。あと、AMG GTって写真で見るより意外と車体が小さかったです。
博物館を後にし、ケルンへ移動。2時間程移動してケルンのホテル、マテルヌスハウスにチェックイン。受付は愛想が良く好感を持てましたが、部屋がツインダブルベットで虚しさがこみ上げてきました。加えて、もともとコンベンションホールをホテルにした作りなのか、浴室の作りが人工的でこれまたムードダウン。
ケルン大聖堂。二つのアーチがそびえるゴシック様式のローマ・カトリック教会。ブランデンブルク門と並んで見たかったものその2。駅からライン川を渡った先が撮影ポイントで、道行く外国人のスリの恐怖に怯えながら100枚くらい写真を撮っていました。
夕食。『地球の歩き方』にも掲載されている有名店なレストラン。ここではケルシュという地ビールを堪能。フルーティーな味わいで飲みやすいけど、水だと揶揄されてもいいくらい苦味が薄く刺激が弱い。でもボクは好き。
4日目。最終日。朝食はフルーツポンチばかり食べてました。ゆっくりしてからチェックアウトを済まし、フランクフルトへ。
フランクフルト証券取引所。入口前に雄牛と熊の銅像。ブルベア。DAXは8月以降ずっとブルってやがる!館内ツアーガイドがドイツ語で何を言ってるかさっぱり判らなかったです。取引所を後にし、しばらくフランクフルトの金融街を闊歩してからフランクフルト国際空港へ。ドイツ旅行はこれにて終わり。
魔の5日目。トランジットの北京行の便がまさかの遅延で予定の日本行の便に乗れず。後にトランジットのカウンターに行って出発便を振り替えればよいとわかったのですが、何せ初めての事態でかなりアプセット。何とか便を振り替えてもらいましたが、中国人の話す英語が判らず聞き取るのにかなり苦労しました。
19時頃羽田空港着。成田じゃなくてよかったです。ここでクイズ。東京に着いて一番最初に食べたものは?そうですね、ラーメンですね。
初めて一人で行く海外旅行でしたが、正直旅行というより社会科見学に近いものでした。博物館で2時間も3時間も過ごすのでもし人と一緒に来ていたらうんざりするでしょうし、この点は一人でよかったです。完全に自分の時間が流れていました。
しかしながら、やはりトラブルがある時はやはり一人で対処しないといけないですし、当然コミュニケーションは外国語なので言葉がわからないと辛いものがありますね。幸い身振り手振り肉体言語でも伝わるのでこの点は何とかなることはありますが。意外にも滞在期間中一切日本語を喋らなかったのが精神的に辛かったです。